清水邦彦著
﹃ 中 世 曹 洞 宗 に お け る 地 蔵 信 仰 の 受 容 ﹄
岩田書院 二〇一六年一〇月刊A5判 三六一頁 七四〇〇円+税
徳 野 崇 行 著者は地蔵信仰を主要な研究テーマとし︑これまで奈良市や兵庫県豊岡市での地蔵盆の実地調査を行っている︒日本宗教学会の第七十二回学術大会では﹁水子供養研究の達成と課題﹂と題したパネルを主催し︑現代日本における地蔵信仰の展開をひろく扱っている︒
その一方で︑近年では﹁地蔵説話の継承と変遷││中世から近世へ﹂︵﹃論理学﹄第三〇号︑二〇一五︶にみられるように︑地蔵信仰の歴史的展開をも視野に入れ︑歴史研究と現代的展開の両面から地蔵信仰の研究を進めている︒本書はこうした流れを承けて︑我が国における地蔵信仰の展開を曹洞禅僧を事例として論じたものである︒
本書は研究編と史料編の二編から成り︑研究編は草創期・確立期・展開期の三部・二〇章によって構成される︒引用等の史 書評と紹介 料については巻末の史料編にまとめてられている︒以下に節を除いた章までの目次を示す︒史料編の目次については煩瑣なため省略した︒
研究編序章
第1部 草創期第1章 道元の直弟子︱懐奘を中心に︱第2章 徹通義介︵一二一九〜一三〇九︶第3章 大乗寺蔵﹁五山十刹図﹂考まとめ 第2部 確立期第1章 瑩山紹瑾︵一二六八〜一三二五︶第2章 明峯素哲︵一二七七〜一三五〇︶とその弟子第3章 峨山韶碩︵一二七五〜一三六六︶第4章 恭翁運良︵一二六七〜一三四一︶と地蔵信仰まとめ
第3部 展開期第1章 太源宗真︵一三一四〜一三七一︶第2章 無底良韶︵一三一三〜一三六一︶第3章 月泉良印︵一三一九〜一四〇〇︶第4章 実峰良秀︵一三一八?〜一四〇五︶第5章 通幻寂霊︵一三二二〜一三九一︶第6章 源翁心昭︵一三二九〜一四〇〇︶第7章 大徹宗令︵一三三三〜一四〇八︶
仰と道元の只管打坐とはどういった関係なのだろうか︒無論︑道元が説いているのは︑主に修行者の心得であり︑とげぬき地蔵に詣るのは︑在家者ではある︒とはいっても︑とげぬき地蔵信仰は道元思想から導き出せるものなのだろうか﹂︵一一頁︶という本書の執筆の動機となる問いを投げかける︒続いて曹洞宗史をめぐる研究を整理しつつ︑﹁曹洞宗で初めて地蔵を祀ったのはどこの寺院か︒中世曹洞宗において︑地蔵はどんな職能を担っていたのか︒こうした問題に関し︑先行研究ではこれまでほとんど言及がなかった﹂︵一六頁︶という問題点を指摘する︒次いで日本曹洞宗における地蔵信仰の受容を考察する史料として︑﹃曹洞宗古文書﹄と﹃曹洞宗全書﹄などに載録された禅語録や僧伝史料︑切紙を挙げている︒本書の立場として︑中世曹洞宗と道元思想との﹁差異﹂を指摘するが︑これは﹁宗祖から堕落していった﹂という史観ではないという点が強調されており︑﹁道元の思想とはレベルが異なるかもしれないが︑そうした僧たちの思想もまた中世思想として評価すべきもの﹂︵一九頁︶と位置づけている︒
第1部は﹁草創期﹂とされ︑道元の直弟子である孤雲懐奘や永平寺三世の徹通義介の二名が考察の対象となっている︒まず道元の法嗣である懐奘に対する﹁密教的﹂というこれまでの評価について批判的に検証されている︒小池覚淳などによる説を取り上げながら︑懐奘の著作として知られる﹃光明蔵三昧﹄には大日経からの引用があるため︑加持祈禱によって現世利益を祈る﹁密教的﹂要素があったとしているが︑著者は﹃正法眼蔵﹄の光明の巻を説明するために懐奘が大日経を引用している 第8章 その他の峨山の弟子まとめ
第4部 定着期第1章 峨山の孫弟子たち第2章 竺山得仙︵一三四四〜一四一三︶第3章 瑞巌韶麟︵一三四三〜一四二四?︶第4章 普済善救︵一三四七〜一四〇八︶による地蔵点眼第5章 亡者授戒切紙まとめ終章参考文献史料編︵四部構成︶
本書は目次に示されるように十五世紀までの曹洞禅僧の生涯を︑法系に依拠しながらも時系列的に辿るものである︒主な考察対象となっているのは禅僧と神々との邂逅を描く神人化度説話とその地蔵信仰への態度である︒以下では各部ごとにその概要を論じていく︒
序章では︑本書執筆の動機となった問いが述べられている︒それは東京巣鴨のとげぬき地蔵などに見られるような﹁地蔵信仰﹂と道元の思想との関係はいかなるものか︑というものである︒著者は﹁日本曹洞宗を開いた道元は︑﹁只管打坐﹂を唱え︑修行による現世利益獲得を否定していた﹂とし︑﹁現世利益﹂に消極的であった道元と﹁現世利益﹂によって活況を呈している巣鴨とげぬき地蔵とを対比的に取り上げる︒そして﹁地蔵信
ては︑﹃続扶桑禅林僧宝伝﹄に載録された白山神の登場する神人化度説話と︑光禅寺の青磁南京鉢に記載された中国径山寺の火災を法力で鎮火したという話を取り上げている︒こうした奇瑞譚はその法嗣大智祖継には受け継がれていないものの︑月庵珖瑛の開創した能登永禅寺に残る化け蟹退治譚や︑慶屋定紹と白蛇の物語などにみられることを指摘する︒峨山韶碩については︑その生涯の概略を述べて︑﹃峨山紹碩和尚法語集﹄において竈神を調伏する話があること︑峨山が總持寺の住持となっていた時代に後生菩提を祈る寄進状があるため︑葬送儀礼を営んでいた可能性があると指摘する︒
次いで臨済宗法燈派の僧でありながら︑峨山が教えを請い︑加賀大乗寺の住持となるなど曹洞宗との関係を濃密にもつ恭翁運良について取り上げる︒また﹁運良が地蔵像を内包する形で傳燈寺を開創したことが︑曹洞宗に具体的に影響を与えたかどうかは不明﹂としつつも︑﹁曹洞宗に何らかの影響を与えたとしても不思議ではない﹂とし︑傳燈寺の身代わり地蔵説話を検討している︒
第3部の展開期では︑太源宗真︑無底良韶︑月泉良印︑実峰良秀︑通幻寂霊︑源翁心昭︑大徹宗令など十四世紀を生きた峨山派の曹洞禅僧について神人化度説話を中心に検討している︒太源宗真では總持寺の伽藍神として三宝大荒神を祀った伝説︑無底良韶では陸奥正法寺開創の際に白河明神と早池峰権現との邂逅を語る伝説︑月泉良印では在地神の﹁亀像大明神﹂への授戒によって極楽水がもたらされる話である︒実峰良秀では備中永祥寺に伝わる童子の身となった神が受戒して守護神となり水 ので︑単に大日経を引用しているからといって﹁密教的﹂と位置づけるのは早計としている︒次いで懐奘から永平寺住持を受け継いだ徹通義介が取り上げられ︑特に﹁義介が永平寺に土地五軀神を祀ったことが密教的要素の導入となるか﹂という点が考察されている︒義介の三代争論を扱いながらも︑その結論として﹁土地五軀神﹂を﹁道教的要素﹂と位置づけて﹁義介は直接的に道教的要素を導入しようとしたわけではなく︑当時の禅宗習俗を通じて結果的に道教的要素が入ってきた﹂としている︒そして義介が将来したと伝えられる大乗寺蔵﹁五山十刹図﹂について︑東福寺本と比較しながら現存する大乗寺本のもととなった原本があり︑そこから東福寺本上巻も書写されたのではないか︑との仮説を提示している︒また地蔵信仰については﹁﹁五山十刹図﹂に地蔵堂が無かったことから︑曹洞宗寺院で地蔵堂を建立するのは日本独特の現象﹂としている︒
第2部は確立期とされ︑瑩山紹瑾とその法嗣で二哲と称される明峯素哲・峨山韶碩︑そして臨済宗法燈派の恭翁運良の四名の生涯と地蔵信仰との関係が検証されている︒
瑩山紹瑾の分析では︑總持寺山門に観音菩薩と地蔵菩薩の二体を放光菩薩として祀り続けた点が注視され︑夢告にみられるように観音への信仰を中心としているが︑地蔵菩薩を曹洞宗寺院に祀った最初の事例と位置づける︒その一方︑曹洞宗の寺院の規矩として大きな枠組みを提供した﹃瑩山清規﹄を扱いつつ︑﹁瑩山は葬祭儀礼に地蔵を活用していなかった﹂点を指摘し︑まとめとして﹁日本曹洞宗で現世利益的要素や葬祭儀礼を在家用に導入したのは︑瑩山﹂と結論づける︒明峰素哲につい
尊について触れられている︒竺山得仙については︑その語録に﹁地蔵に言及した箇所が五ヵ所あり︑そのうち四ヵ所は︑葬送儀礼に地蔵を活用した記録﹂としている︒瑞巌韶麟の地蔵信仰については︑語録に記載された年忌仏事の法語に﹁六同能化大薩埵持地尊﹂と表れ︑死者救済を祈る崇拝対象となっていること︑普済善救については總持寺門前において地蔵点眼を行った事蹟が報告されている︒
終章では中世曹洞宗における地蔵信仰の受容を次のように結論づける︒まず﹁道元思想において︿通俗的な意での﹀地蔵信仰の入り込む余地は無かった﹂とし︑義介が伽藍神を祀ったこと︑瑩山が観音・地蔵二体からなる放光菩薩像を祀ったことを地蔵信仰の先駆的な事例と位置づける︒そして﹁地蔵の職能﹂が明確になるのは峨山韶碩の孫弟子にあたる竺山得仙︑瑞巌韶麟︑普済善救の三名であり︑かつその地蔵の職能として死者救済が期待されたとし︑﹁曹洞宗が地蔵信仰を取り入れたのは︑一四〇〇年頃であり︑峨山の直弟子も担い手だったが︑孫弟子たちが主であった﹂と論ずる︒
以上︑章立てに沿って本書の概要を紹介した︒以下では︑本書を読んで評者が感じた点について述べる︒概要で示したように︑本書は十五世紀までの曹洞禅僧の生涯と神人化度説話についてこれまでの諸研究を丹念に取り上げている点が評価される︒曹洞禅僧の語録や伝記史料については曹洞宗学研究ではしばしば引用されるのに対し︑歴史研究の中では取り上げられることはそう多くはない︒こうした状況の中で︑禅宗独自の文章形態となっている語録︑清規︑伝記を渉猟して禅宗史を描く姿 を確保する伝説と︑信濃霊松寺に伝わる諏訪明神に受戒する話︑能登龍護寺に伝わる竜神受戒譚を紹介する︒通幻寂霊では摂津永光寺開創の上堂法語に天狗が登場する点︑天照大神と思しき異人が通幻を導いたという話を取り上げる︒源翁心昭では越後国上寺に伝わる﹃法華経﹄による雷神と地主神の調伏︑伯耆退休寺を舞台として﹃伯耆民談記﹄に載る亡霊供養と大蛇引導の話︑下野国那須の殺生石を報告している︒大徹宗令では︑﹃明応寺縁起﹄の亡者に責め苦を与える鬼の姿を見たという話や︑越中立川寺に伝わる立山神と十八善神とが樵となって伽藍を造った話である︒
その他峨山派の僧侶を含め︑第3部では十三人の曹洞禅僧が考察の対象となっており︑﹁行状から地蔵信仰を活用していたことが確認される人物﹂として大徹宗令・実峰良秀・無際純証︑通幻寂霊の四名を挙げている︒地蔵信仰については︑実峰良秀では﹁法語に﹁地蔵賛﹂があるが︑葬祭儀礼に地蔵を活用した形跡はなく︑特に地蔵を信仰した形跡も無い﹂とする一方︑通幻寂霊では地蔵点眼の法語があるものの︑﹁亡者供養の儀礼に関する法語を多数残しているが︑地蔵と関連づけたものはない﹂とし︑前述の四名において﹁いずれも地蔵の職能はさほど明確ではない﹂とし︑﹁曹洞宗において︑地蔵の職能が明確化される﹂のは﹁峨山の孫弟子の世代﹂としている︒
第4部では峨山の孫弟子にあたる梅山聞本︑如仲天誾︑了庵慧明︑竺山得仙︑瑞巌韶麟︑普済善救が取り上げられている︒如仲天誾については大洞院を開創するにあたり︑在地の竜神が水脈を開いた話︑了庵慧明については大雄山最乗寺開創と道了
﹁○○信仰があった﹂と断言することは難しい︒信仰している人物︑講といった組織︑法要などの儀礼︑日牌帖・月牌帖といった施財を記す帳簿︑その仏像が登場する物語など︑その﹁信仰﹂を可視化する要素によって輪郭線が描かれて︑はじめて﹁信仰﹂という表現が意味をもつのではないだろうか︒﹁地蔵信仰﹂といった時に僧俗といった人物の属性によってその意味合いが大きく異なることも想定できる︒例えば道元の﹁観音信仰﹂と中世民衆の﹁観音信仰﹂という領域を設定した場合︑前者は天台教学をはじめとする﹃法華経﹄理解を前提とした﹁思想﹂として把握されるのに対し︑後者は観音の霊験を期待した﹁現世利益﹂と概ね位置づけられるだろう︒同じ﹁信仰﹂という言葉で概念化されながらも︑こうした多義性をもつことは歴史的事象を捉える際に搖らぎを与えるものとなるので︑議論の前提となる概念規定を明確にしつつ︑著者の視座について序論で明示してほしいと感じた︒
以上︑些末な疑問点を述べたが︑本書は中世前期の曹洞宗という史料が限られている状況の中で︑禅僧たちの生涯と地蔵信仰を中心とした思想の系譜を辿るものであり︑今後中世における曹洞宗と神人化度といった物語の関係を考える上で貴重な書となっている︒ 勢は︑曹洞禅僧のもつ伝説的要素に彩られた物語を扱う文学研究︑宗学的な曹洞宗史研究︑そして歴史学的な禅宗史研究とを架橋する研究となっている点で評価できるものである︒
一方︑細かい点ではあるが︑僧名の表記について感じた点がある︒本書では数多くの曹洞禅僧が紹介されているが︑仏僧の名を四字連称で掲載する場合︑道号の二字を書き︑その後に法諱の二字を記すのが原則である︒しかし本書では如仲天誾が﹁天誾如仲﹂︑了庵慧明が﹁慧明了庵﹂と記載されている箇所があり︑道号と法諱の表記が乱れていた︒
また評者が本書を読んで大きく疑問を感じたのは︑曹洞宗において一四〇〇年頃に地蔵信仰が取り入れられたという本書の結論が︑日本仏教史︑あるいは日本宗教史といった文脈の中にほとんど還元されていない点である︒十五世紀が曹洞宗で葬祭儀礼を盛んに行った時期という背景を挙げているものの︑日本曹洞宗において︑なぜ地蔵が受容されたのか︑受容されたことによりそれ以後の曹洞宗や日本仏教︑あるいはひろく日本文化の歴史にどのような影響を与えたのか︑といった点が掘り下げられていない印象を持った︒こうした疑問の要因に︑本書の主要なテーマとなっている﹁地蔵信仰﹂についての概念規定やインド・中国・日本における大まかな流れが序章で示されていないことも挙げられるだろう︒今日学術用語となっている﹁地蔵信仰﹂という表現は崇拝対象への信仰や実践を包括する操作概念として一定の役割を果たすものの︑意味内容が多義的である点には留意すべきであると感じた︒例えば︑今日の寺院を念頭に置いた場合︑あるお寺に仏像が祀られていたからといって