原 始 仏 教 の 禅 定 観 ( 吉 瀬 ) 三 二 八
原
始
仏
教
の
禅
定
観
吉
瀬
勝
原 始 仏 教 に 於 て 説 か れ た 禅 定 観 は 仏 教 独 自 の も の で な く、 そ の 当 時 行 な わ れ て い た イ ン ド の 修 法 に 基 づ く も の で あ ろ う。 禅 と は 梵 語 で d h y a n a, 巴 利 語 で jh a n a, チ ベ ッ ト 語 で b s-a m. k ta n で あ り、 定 ( s a m a d h i)と は そ の 語 源 を 異 に し て い る。 又 禅 那、 駄 衛 那、 持 阿 那 と も 音 写 さ れ、 静 慮、 思 惟 修、 思 惟 修 習、 或 は 棄 悪、 功 徳 叢 林 と も 訳 す。 d h y a n a 興 d h y a i (沈 思 す る、 心 を 静 め る ) な る 動 詞 よ り 成 り 立 つ て い る の で あ る。 禅 は 住 々 定 と も 言 わ れ る が、 定 は む し ろ 三 昧 の 訳 で あ る。 三 昧 は s a m-a-釧 副 よ り 出 来 て お り 心 を 一 処 に 保 つ、 ま た は 置 く こ と を 意 味 し て い る。 禅 と い う 語 は 原 始 仏 教 で は ﹁ 心 の 寂 静 ﹂ と か ﹁ 寂 静 ﹂ と い う 意 味 で 使 用 さ れ、 三 昧 の 異 名 と し て も 用 い ら れ て い る。 又 y o y a k k h o m a ( 喩 伽 安 穏、 範 安 穏 ) と し て 浬 繋 と 同 義 語 で あ り、 三 昧 よ り 得 ら れ る 静 寂 で あ る と さ れ て い る。 後 世 の ア ビ ダ ル マ に な る と、 大 毘 婆 沙 論 百 四 十 一 巻 に は、 ﹁静 謂 二 寂 静 相 慮 謂 二簿 慮 此 四 地 中 定 慧 平 等 称 二 静 慮 殉 余 随 二有 閾 一 不 レ 得 二 此 名 幻 此 四 広 如 二 余 処 分 別 一﹂ 又 倶 舎 論 第 二 十 八 巻 に は ﹁依 二何 義 一故、 立 二 静 慮 名 一由 二 此 寂 静 一 能 審 慮 故、 審 慮 即 是 了 知 義 ﹂ と 述 べ ら れ て お り、 禅 と は 一 切 の 繋 縛 を 断 ち、 身 相 を 整 え て 寂 静 に し て 如 実 に 審 慮 す る の 意 味 で 理 解 さ れ て い る。 定 と は 三 昧、 三 摩 地 ( s p m a d h i)と し て 使 用 せ ら れ、 正 定、 調 直、 正 心 行 処、 正 思、 等 持 と も 訳 す る の で あ る。 心 常 に 一 境 に 住 し て、 散 乱 せ ず 統 一 的 な る 一 つ の 心 所 を 言 う。 定 に は 種 々 の 使 用 例 が あ る。 (一) 等 引 ( 三 摩 咽 多 =O m a h it a ) s a m a d h i と い う 語 と 同 じ 語 源 で そ の 過 去 受 動 分 詞 (二) 等 持 ( 三 摩 地 = s a m a d h i) 平 等 に 心 識 を 保 ち 一 境 に 転 ぜ し め る。-823-(三) 等 至 (三 摩 鉢 底 = s a m a p a tt i) 定 力 に よ っ て 自 心 安 和 の 状 態 に 到 る こ と で 四 無 色 定 や 滅 尽 定 に 多 く 使 用 す る。 四 一静 雷 心 (駄 衛 憎那 = d h y a n g a ) 色 界 定 に 名 付 け る。 田 心 一 境 性 ( 質 多 繋 迦 阿 羅 多 遅 c it ta ik a g ra ta ) 心 を 一 境 に 止 往 す る 状 態 で 定 の 自 性 に 使 用 因 止 ( 奢 摩 多 wa m a th a ) 観 (毘 鉢 舎 那 =v ip a sy a p a ) 心 の 一 処 に 寂 止 す る 状 態、 止 観 均 行 (七) 現 法 楽 往 ( d it th a d h a m m a s u k h a v ih a r ) 四 禅 の 根 本 定 に 名 付 け た も の で 現 前 の 現 実 に こ の 身 が 楽 し い 状 態 に あ る。 以 上 の よ う に 使 用 さ れ て い る が、 ア ビ ダ ル マ に 到 つ て も、 大 毘 婆 沙 論 (大 正 27 巻 頁 四 一 二 a )に ﹁ 三 摩 地 具 司 有 定 名 定 用 叩 能 正 観 者。 名 為 二 静 慮 欲 男 三 摩 地 難 レ有 二 定 名 一而 無 二 定 用 ご と あ り 又 ヤ シ ヨ ミ ト ラ の 倶 舎 論 疏 で は ﹁ 三 摩 地 は 心 一 境 性 な り、 所 目 的 処 と 所 縁 と 言 う の は 一 義 な り、 凡 そ 何 物 か と 関 係 す る こ と よ り し て 心 が 連 続 し て、 一 つ の 所 縁 に 於 て 起 る、 そ れ は 三 摩 地 な り、 も し 三 摩 地 が す べ て の 心 に 於 て あ る な ら ば、 何 の た め に 諸 静 慮 に 於 て 努 力 が な さ れ る か と い う な ら ば、 力 ら あ る 三 摩 地 を 起 さ ん が た め で あ る ﹂ と 説 か れ て お り、 静 慮 は 色 界 定 に 名 づ け ら れ、 静 慮 の 本 質 は 三 摩 地 で あ る と し て お り、 三 摩 地 は 心 一 境 性 な り と し、 力 あ る 三 摩 地 を 得 ん た め に 修 行 す る の で あ る。 巴 利 毘 曇 に あ り て は、 禅 那 と 三 摩 地 と を 同 一 視 し て い る。 清 浄 道 論 ( 八 十 七 頁 ) 並 に 法 集 論 註 ( 一 八 四 頁 ) に 行 通 を 説 明 す る 際 に、 法 集 論 註 の ﹂h a n a は 清 浄 道 論 に は s a m a d h i と お き か え ら れ て 説 か れ て い る。 原 始 仏 教 の 禅 定 観 は 八 正 道 中 の 正 定 と し て 正 見 を 実 践 的 に 体 得 す る 最 後 の 道 と し て 説 か れ、 禅 定 に よ つ て 心 を 静 め て 智 慧 を 得 ん た め に 説 か れ て お り、 法 句 経 三 七 二 で は 定 と 慧 と の 関 係 を 次 の 如 く の べ て い る。 ﹁智 慧 な き も の に 禅 定 な く、 禅 定 な き も の に 智 慧 な し、 禅 定 と 智 慧 を 有 す る も の は 浬 契 に 近 づ け る な り ﹂ 禅 定 三 昧 と 般 若 の 智 慧 と は 不 即 不 離 の 関 係 で あ る こ と を 説 い て い る。 原 始 経 典 で は 三 昧 は 体 験 に よ つ て 身 証 し た の で あ り 仏 陀 の 定 は 竜 定 で あ る。 A N, II I, p. 3 4 6 に は ﹁ か の 禅 に 往 す る も の は 入 息 を 楽 と し 内 心 よ く 禅 に 往 す。 ナ ー ガ は 行 く に も 定 に 往 し、 ナ ー ガ は 立 つ に も 定 に 往 し、 ナ ー ガ は あ ら ゆ る 場 合 に 調 御 す。 こ れ ナ ー ガ の 成 就 な り ﹂ と し て 行 住 坐 臥 の 四 威 儀 の す べ て が 統 一、 制 御 さ れ て い る と し て、 禅 思 に 住 す る と こ ろ の も の に 対 し て ナ ー ガ の 言 葉 を あ 原 始 仏 教 の 禅 定 観 ( 吉 瀬 ) 三 二 九
-824-原 始 仏 教 の 禅 定 観 (吉 瀬 ) 三 三 〇 た え て い る。 又 漢 訳 中 阿 含 第 二 十 九 巻 ( 頁 六 〇 八 c )に は、 ﹁ 往 二善 息 出 入、 内 心 至 善 定、 竜 行 止 倶 定 坐 定 臥 亦 定、 竜 一 切 時 定、 是 謂 二 竜 常 法 こ と あ り、 又 長 老 偶 六 九 六 偶、 六 九 七 偶 に も 同 様 に 仏 陀 の 定 は 竜 定 と し て の べ ら て れ い る。 又 M N. I II. p. 3, M N. I I I. p. 1 35, A. I V. p. 1 6 8に は ﹁ 汝 比 丘 よ、 汝 は 監 視 さ れ た 状 態 に あ れ。 日 中 経 行 に よ り て 坐 禅 に よ り て 避 け る べ き 物 事 よ り 離 れ 心 を 清 め る。 申 夜 に は 獅 子 の 如 く 右 脇 を 下 に 寝、 獅 子 が 臥 す 如 く 臥 す。 夜 の 後 分 に は、 大 衣 と 鉢 を と っ て い る 時 に も 正 智 を な し て お れ。 食 べ た り 飲 ん だ り、 ム シ ャ、 ム シ ャ、 食 っ た り 味 っ た り す る 時 も 正 知 た れ。 大 小 便、 立 っ た り、 坐 っ た り、 眠 っ た り、 起 き た り、 話 し た り、 沈 黙 の 状 態 の 時 も 正 知 た れ ﹂ と し て 日 常 の 一 切 時 中 に 於 て 心 を よ く 配 つ た 状 態 で 常 に 三 昧 に 入 ら ん と し た の で あ り、 仏 陀 の 禅 定 は 生 活 即 定 と い つ て も 過 言 で は な い。 又 長 部 第 二 十 二 大 念 処 経 に は、 安 般 念 四 念 処 七 覚 支 明 解 脱 へ と 進 む べ き こ と が 説 か れ て い る。 安 般 念 三 昧 は 数 息 観 で 三 昧 の 前 段 階 で あ り、 無 明 と 渇 愛 の 滅 せ ら れ た、 明 解 脱 へ 到 達 す る と 説 か れ て い る。 一 般 に 四 禅 に よ る 解 脱 と 四 禅 四 無 色 定 な る 九 次 第 定 に よ る 解 脱 と の 両 者 が 説 か れ て い る が、 初 期 に 於 て は 四 禅 に よ る 解 脱 が 独 立 に 説 か れ て お り、 こ の 方 が 禅 定 の 古 い 形 で あ る と 思 わ れ る。 八 聖 道 に 於 て 四 禅 は 正 見 を 正 見 た ら し め る も の、 如 実 智 見 を 真 の 如 実 智 見 た ら し め る 作 用 あ る も の で あ り、 そ れ 故 に 経 典 は 四 禅 を 説 い た 後 に、 ﹁ 四 禅 を 修 習 し 多 修 せ ば 浬 葉 に 趣 向 し 浬 葉 に 傾 向 し 浬 契 に 臨 入 す ﹂ と 説 き 四 禅 を 仏 陀 の 三 昧 と し て 重 要 視 し て い る。 四 無 色 定 の 定 型 は ﹁ 普 く 色 想 を 超 越 し て ﹂ か ら な る 言 葉 よ り 始 ま つ て お り、 最 後 に 滅 尽 定 に 入 る と し、 こ れ は、 一 名 想 受 滅 定 と さ れ、 知 覚 や 感 覚 等 の 心 作 用 の 滅 し た る 定 で あ る。 こ れ は 浬 繋 の 境 地 を 定 と い う か た ち に 於 て 説 か れ た の で あ り、 浬 葉 の 内 景 は 消 極 的 に し か 説 か れ て い な い。 後 世 の ア ビ ダ ル マ 仏 教 に な る と 無 想 定 は 色 界 第 四 静 慮 に 属 し ﹁ 想 知 不 レ 滅 ﹂ と し 外 道 に あ る と な し、 滅 尽 定 は ﹁ 想 及 知 滅 ﹂ と し 無 色 界 に 属 し、 非 想 非 々 想 処 の 上 に あ る と な し、 仏 教 独 特 の も の と し て 重 要 視 し て い る。 又 空 無 辺 処 の 定 型 は ﹁ 普 く 色 想 を 超 越 し て ﹂ な る 言 葉 か ら 始 ま つ て お り、 こ の 色 想 に よ つ て 四 禅 を 指 し 背 後 に 三 界 の 思 想 が 存 在 し、 四 無 色 定 は 三 界 説 を 基 盤 に し て 成 立 し て い る。 以 上 に よ り て 禅 定 の 語 義 と 四 禅 四 無 色 定 へ の 発 展 過 程 を 示 し 得 た と 思 わ れ る。