比較社会思想史研究︵六︶
ーギリシア思想における﹁自然﹂
と﹁作為﹂のディコトミーー
古賀 勝次郎
はじめに
今日の社会科学を混迷に導いている一つの原因に思考様式の問題があるとしたのはF・ハイエクである︒ギリシア
以来の﹁自然的なもの﹂︵ここでは﹁自然﹂と略す︶と﹁作為的なもの﹂︵同じく﹁作為﹂と略す︶という二分法的思考
様式が︑中世は勿論︑現在にまで根強く残り︑現代の極めて複雑な社会現象を適切に把捉することを妨げていると︑
いうのである︒ ハイエクは﹃法と立法と自由﹄︵トミ・密鷺軌︑ミ馬§§昏トきミ§<︒r一・一〇お︶の第一章で次のように言
っている︒ ﹁我々が関っている問題の議論が長い間妨げられてきたのは︑誤った区別が一般に受け入れられてきたか
らである︒この区別は古代ギリシア人によって導入され︑そして混乱をもたらすことになったが︑現在の我々もまだ
それから完全には自由になっていない︒現在の用語を使えば︑﹃自然的﹄︵口①ε﹁巴︶なものと﹃作為的﹄︵霞け罠9巴︶
なものとに︑現象を分けようとするのがそれである︒そのギリシア語の原語は︑恐らく紀元前五世紀にソフィスト達
早稲田社会科学研究 第36号(S63.3)
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によって導入されたものと思うが︑ ﹃自然によって﹄を意味する㌧電恥無であり︑またそれと全く反対の§ミq︑こ
れは﹃取り決めによって﹄という表現で表わすのが最もよいと思われるが︑あるいは︑大体﹃目的意識的決定﹄を意 ︵1︶味する導禽臨である︒﹂ ヘ ヘ ハイエクが︑このようなギリシア以来の﹁自然﹂と﹁作為﹂という二分法的思考様式を問題とするのは︑専ら﹁設
計主義的合理主義﹂︵OO昌ωけ目信O↓届く一ω一 ﹃9一一〇﹈P曽一一ω昌P︶を批判するためであって︑ ﹁発展的合理主義﹂︵Φく︒ξ江︒旨p・曼鑓・
二〇昌巴δヨ︶︑またそれに基づいて形成されるにも拘らず様々な問題を抱えている自由主義社会︑に対してはあまりこ
の二分法的思考様式との関わりを取り上げていない︒しかし本研究の﹁序説﹂において既に述べておいたように︑今
日の自由社会が抱えている多くの問題の原因は︑この社会を正当化している近代の経験論的人間学に︑大ぎく言って
二つの問題︑即ち︑ 一︑宗教の占めるべき位置が不明瞭︑二︑近代の自然像はデカルト︑ニュートン的︑つまり自然
科学的偏向を持っている︑があってそれらに求められるのであるが︑そして︑しかもそれらが何れも﹁自然﹂と﹁作
為﹂というギリシア以来の二分法的思考様式と関っているということである︒
従って以下において明らかにされねばならないのは︑一︑ギリシア時代において︑ ﹁自然﹂と﹁作為﹂という二分
法的思考様式は︑どのような過程の中で確立したのか︑次に︑二︑この思考様式は︑中世時代のキリスト教神学の中
にどのようにして取り入れられ︑また強化されるようになったのか︑そして︑三︑近代に至って︑この思考様式はど
のように変容することになったのか︑差し当りはこの三つである︒本稿で扱うのはこの中の一である︒
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(一)
ソフィストにおけるピュシスとノモスの対立
比較社会思想史研究(六)
ギリシア思想における自然と作為の問題を扱った論文︑研究書は枚挙に逞ないが︑ここでは主として︑それらの中 ︵2︶で現在まで権威を持ち続けているF・ハイニマソの﹃ノモスとピュシス﹄ ︵きミ8§織㌔ξ防賞H逡㎝︶に拠りながら
議論を進めていくことにする︒
嘗てハイニマソによれば︑ギリシア思想の最も根本的な特徴の一つは︑﹁対立﹂︵アンティテーゼ︶によって思考活
エポス エルゴン オノマ ブラ グマ ドクサ アレ テイア動を行うところにある︒ ﹁言葉﹂と﹁行為﹂︑ ﹁名﹂と﹁実﹂︑ ﹁臆見﹂と﹁真理﹂などがそれであるが︑しかし
﹁ピュシス﹂︵自然︶と﹁ノモス﹂︵作為︶の対立はその中でも特に際立っている︒その理由ぱ︑ノモスとピュシスを
対立させる思考様式が中世を通じ︑また近代そして現代に至るまで大きな影響を与えてきたことからも分かる︒だが︑
ピュシスとノモスが対立的な意味で用いられるようになったのは紀元前五世紀頃であり︑主にソフィスト達によって
であって︑それ以前においては︑ピュシスとノモスは相補的な意味で使われていたのである︒従って先ずは︑この両
概念がソフィスト以前にはどのように使用されていたかを見るべきなのであるが︑その前にピュシスとノモスの一般
的な意味を一応明らかにしておこう︒
ω ピュシスとノモスの一般的な意味
多くの研究者が指摘しているように︑ピュシスもノモスも様々な意味があって︑現在においても喧しく議論がなさ
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れている︒そのためここでは︑ギリシア時代に使われた様々な意味の中で特に重要と思われるものをいくつか挙げる
に止めざるを得ない︒そしてそれで足らざるものは︑後に個別に取り挙げる思想家を論ずる際︑改めて言及し補うこ
とにしたい︒
先ず﹁ピュシス﹂であるがこれには略々次の四つの意味があった︒即ち︑一︑本来的性質︑あるいは本質︑二︑素
材︑存在︑三︑生成︑成長︑四︑事物の総体︑または存在全体である︒それぞれについていま少し説明を加︑兄よう︒
一、
{来的性質とはものをあるがままにあらしめる力であるが︑その力はあらゆる事物を通じて一つであると考・兄ら
れた︒この意味ではピュシスはアルケー︵始動因︶である︒二︑J・バーネヅトは︑ピュシスの元の意味をすべての ︵3︶ ︵4︶ものがそこから構成されている﹁素材﹂とした︒しかしコリソグウッドはこれを批判している︒三︑アリストテレス ゲネシスはピュシスの第一の意味が﹁生成﹂であると述べている︒四︑ピュシスは︑神︑人間︑霊魂を含めすべての存在者を
包括する全体を意味していた︒
次に﹁ノモス﹂であるが︑これには惚々次の三つの意味があった︒一︑習慣︑道徳︑二︑法︑法律︑または政治制
度︑三︑世間一般の通念︑がそれである︒ハイニマソによれば︑ノモスという言葉が最初に出てくるのはヘシオドスの ︵5︶﹃仕事と日﹄の中だが︑そこではノモスは︑ ﹁ある生物集団に割り当てられその生物において妥当する秩序﹂という
意味で使われている︒ノモスの様々な意味はこの元の意味から派生したものであって︑その過程は絶対化と相対化の
二方向において把えられる︒ ﹁神的ノモス﹂といった表現は前者の方向を示しているが︑しかし多くの場合は後者の
方向を辿ることになり︑習慣や慣習の意味となった︒特にギリシア民族学でいわれるぎまり文句︑ ﹁彼らはこのよう ︵6︶なノモイにしたがっている﹂という場合のノモイは習慣︑風習という意味である︒また︑ ﹁ソロソのノモイ﹂といっ
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比較社会思想史研究(六)
た場合のノモイとは法律のことを意味している︒そして習慣や道徳をその根底において支えているのが世間一般の通
念である︒
以上のように︑ピュシスもノモスも多様な意味を持っているのであるが︑それらを概括して訳すれば︑それぞれ︑
ピュシスは﹁自然的なもの﹂︵11﹁自然﹂︶︑ノモスは﹁作為的なもの﹂︵11﹁作為﹂︶としてよいであろう︒
撫で︑用語の意味の説明はこのぐらいにして︑重要なのは一そして本稿で問題にしているのは一︑ピュシスと
ノモスの関係であるので︑議論をそちらに進めるが︑ハイニマソもいうように︑両概念の関係は紀元前五世紀前後で
大きく変化する︒即ち︑両者は﹁相補的﹂な関係から﹁対立的﹂関係に変るというのである︒勿論︑本稿で主張した
いのは両概念が対立的関係にあったということだが︑しかしこの主張を際立たせるためにも︑それ以前の関係につい
て触れておく必要がある︒
㎝ ソフィスト以前−相補的関係
先ず問題になるのは︑ピュシスとノモスがある関係を持つようになった︑ つまり︑両概念が︸組の対概念となっ
た︑時期である︒これについても研究者の間で色々な意見があり確定し得ていないが︑ハイニマンがその時期を紀元 ︵7︶前四五〇年頃と推定しているのに対し︑ポーレソツは紀元前四三〇年頃としている︒しかしここでは︑上にも断って
おいたように︑ハイニマソの論述に拠って議論を進めていく︒
ハイニマソによれば︑ピュシスとノモスが一組の対概念として最初に現れる文献は︑ ヒッポクラテスの論考﹃空
気︑水︑場所﹄であり︑そこではピュシスとノモスは︑ギリシア人の民族意識の高揚を背景としてそのような関係が
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でき上が・たと鬼・﹃空夙水・場所﹄はその前半部分において︑医学的・実践的な内容が︑そして後半部分にお
いて︑民族学的・理論的な内容が︑それぞれ述べられているが︑ピュシスとノモスが一組の対概念として出てくるの ピユシスは︑後半部分の第十四節のはじめのところである︒即ち︑ ﹁さしたる相違点のない種族は省略し︑生得の素質もしく
は藩によって大き箱違点のある種族について・その実態を述焦−3﹂とあ・・そしてその例として挙げられ・の
は長頭を持つ長頭族だが︑同論考の著者の説明によれば︑最初はノモスー習慣︑つまり頭が長くなるように人工的
処理を加える習慣1がその長い頭の原因であったが︑現在ではピュシスi自然︑生まれつぎ一もまたノモスに
協力している︒ここで重要なことは︑ノモスとピュシスが共に丈長という肉体的特質を生み出した原因と見倣されて ヘ ヘ へいるということ︑つまリノモスとピュシスの関係が相補的な関係として捉えられているということである︒ハイニマ
ソは︑非常に詳細に﹃空気︑水︑場所﹄を検討しているのだが︑ここでは︑上の一例を示すことでピュシスとノモス
の相補的な関係を扱ったということにして︑次にこの両概念がこのような関係からソフィストによって対立的関係に
されるまでの過程を見ることにしよう︒
ラインハルトはピュシスとノモスの対立的関係の由来をパルメニデスを中心とするエレア派の﹁臆見﹂と﹁真理﹂
の対立的措定に求めているが︑ハイニマソはこれを批判し︑イオニア学派の自然学の影響を受けて対立的関係へと行
ったとする︒それはピュシス概念が次第に拡張され優れて規範的な意味を獲得して行くというプロセスをとったが︑ ︵︺︵1︶その方向には凡そ以下の三つがあった︒一つは︑﹁ある事物の︑副次的な例外に対する﹃正常な状態﹄﹂としてのピュ
シスへ展開していった︒このように規範的要素が強調され︑そこからピュシスは自ずと﹁模範.基準﹂として認めら
れることになった・盗は・﹁他の影響官レうむ・ていないもの・外的介入をうけず星起し生成した鎚﹂と・て
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︵12︶のピュシス概念が見い出された︒そして第三に︑ ﹁事物の真の本質︑真の状態﹂と解すピュシス概念の展開である︒
拠てこのような方向で︑ピュシスの規範化が推し進められて行った結果︑ピュシスとノモスのアソティテ;ゼが起
ってぎたのであるが︑これら三つの方向の中でハイニマンが最も重視しているのは最後の方向である︒ ﹁事物の真の
本質﹂としてのピュシス概念が最初に現れるのはクセノバネスだが︑ヘラクレイトスにもそれは見られる︒例えばヘ
ラクレイトスは︑ ﹁思慮することが最大の徳である︒そして知恵は︑ピュシスにもとづいて︹ピュシスに︺注意を払
って行為し真理を言うにある﹂と言っているが︑ここに出ているピュシスをハイニマソは﹁︵事物の︶真の本質﹂と
解している︒
ピュシス概念の以上のような展開が︑ピュシスとノモスの対立へと至るのは︑ハイニマソによれぽ﹁ほとんど時間
の聞題﹂に過ぎなかった︒
比較社会思想史研究(六)
㎜ ソフィストにおけるピュシスとノモスの対立
ではピュシスとノモスはいかにして対立的に用いられるようになったのか︒従来の説では︑ピュシスとノモスを明
確に対立させて用いた最初の人物はアナクサゴラスの弟子アルケラオスとされていた︒しかしハイニマソはこの説を
否定して︑両概念が対立的に使われた最初の例はソフィスト・アンティフォンのパピュルス断片﹃真理について﹄に
見い出されると主張している︒ハイ一;ソによれば︑アンティフォンのピュシスーノモスの対立はエレア派の﹁臆見﹂
と﹁真理﹂という対概念と医学思想に見られた自然理解の影響を受け成立し︑そこにおいて絶対的なものとしてのピ
ュシスと相対的なものとしてのノモスが対立的関係として描かれている︒
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ピュシスの概念の拡張がピュシスーノモスの対立的関係に至るのは︑ ﹁ほとんど時間の問題﹂だとハイニマソはい アナンτ シユンベ︒ソ ︵13︶うが︑それは︑﹁必然﹂と﹁益になるもの﹂がピュシスの作用として把捉されることによってである︒ピュシスがこの
ような作用として把捉されたということは︑ピュシスーノモス対立のあらゆる前提が︑自然学︑医学︑哲学などにお
いて︑ノモスの無価値化のうちに与えられたということである︒そして実にアンティフォンの思想の根底には︑ ﹁ピ
ュシスの必然﹂への確信と︑﹁直なるもの﹂を最高の尺度と認めることがあったのである︒コスモスに属すすべてのも
のは︑従って人間も︑一定の法則に縛られており︑その法則は万物の本質に基づいて必然的なもの︑即ち︑変更する
ことも罰を受けずに違反することもできない﹁第一次的で絶対的な行動規範﹂である︒また﹁益なるもの﹂も自然学
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ的思想︑特に医学思想から来たものであって︑その元来の意味である﹁ふさわしいもの︑適切なもの﹂は同時に﹁役
へ ヘ ヘ ヘ へに立つもの﹂でもあった︒拠て︑前者の﹁ピュシスの必然﹂という原理から︑ピュシスに逆らって行動する者はすべ
て必然的に損害を蒙ることになり︑後者の﹁益なるもの﹂を最高尺度とする原理と矛盾する︒それ故人間はピュシス
に従わねばならないという議論になる︒
しかしそのことでピュシスが習慣や法律に対立することが言われている訳ではない︒そこでアンティフォンは先
ず︑法律や習慣がピュシスと一致しないということを証明する︒即ち︑ ﹁ノモスのもとで正しいことの多くはピュシ
スに反した状態にある﹂ことを証明する︒例えばアンティフォンは︑人間の根本的営為である生と死をピュシスに関 ︵14︶係づけて︑その証明を行っている︒その証明は三つの段階を経て結論を導いている︒一︑生と死は何れもピュシスに
属すが︑生のみが﹁益になるもの﹂から生じてくる︒二︑﹁益になるもの﹂は︑ピュシスによってもノモイによって
も規定されている︒だが︑ノモイによって規定されたものはピュシスを縛る鎖であり︑ピュシスによって規定された
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比較社会思想史研究(六)
もののみが自由な﹁益になるもの﹂である︒三︑﹁︿鎖はピュシスを害するものであり︑したがって真の﹃益なるもの﹄
ではない﹂︒苦痛を与えるものが喜びを与えるもの以上にピュシスを益することがないのは確かだから︒真に﹁益に
なるもの﹂は役に立たたねばならない︒従ってここから次のような類推が可能である︒﹁︿法律によって規定された ︵15︶﹃益になるもの﹄はそのようなことはしない︒したがってノモイに従う者は損害をこうむる⁝⁝﹀﹂︒
ピュシスとノモスを対立的に考え︑ピュシスの絶対性を確信するアンティフォンのこのような思想が︑現実の例え
ば倫理の領域に適用されるとどうなるか︒第一に言えることは︑上の論述からも明らかなように︑人間は自然の本性
に従って︑喜びを追求し苦痛を避けるべきであるという︑いわば快楽主義的な倫理観がそこにはある︒しかし他方で
アンティフォンは︑人間の間の生理的︑身体機能の共通性に着目︑社会的弱者の権利を弁護している︒即ち︑人間は
皆︑ピュシス︵生れつき︶においては︑すべての点で同じように生まれついている︑つまり︑人間は皆︑口と鼻を通
して呼吸し︑手で物を食べるといった点で︑人間にはそれらのことが必然的に異なっている︑と︒アンティフォンの
人種差別批判はこのような生理的・身体的平等観から導かれる︒
しかし他方︑アンティフォンと同様︑ピュシスとノモスを原理的に対立させ︑ピュシスの絶対性を説きノモスを否
定し︑しかも快楽主義的倫理観を主張するカッリクレスは社会的弱者を弁護するどころか︑ ﹁強者の権利﹂を前面に
︵16︶出す︒即ち︑カッリクレスの﹁ピュシスの正義﹂によれば︑正義とは強者が弱者を支配しより多くを所有することで
あり︑また自分の欲望を最大限充足させることであって︑そうすることがピュシスに湿った正義であるからだ︑と︒
ところで︑ピュシスとノモスを対立的に捉えようとする思考様式が︑今度はピュシスではなく︑ノモスの方を絶
対とする考えを導くとしても決して不思議ではない︒ハイニマソはその例として無名氏の﹃ノモイについて﹄を挙げ
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︵17︶ アタている︒そこでは次のように論じられている︒人間生活全体はピュシスとノモスに基づいているが︑ピュシスは﹁無
クトス秩序﹂であり︑各人にまちまちであり︑これに対しノモイは万人に共通で秩序づけられたものである︒ピュシスはし
ぼしぼ悪を欲するが︑ノモイは正しく善く益になるものを望む︒ノモスはすべて神々の発明物であり贈り物であっ
て︑あらゆる国家生活の基盤である︒従って︑もしノモイが廃され︑各人にそれぞれが欲することを行う力が与えら
れるならば︑国家は破滅するばかりでなく︑人間の生活も動物と同じようなものとなるだろう︒明らかにこの無名氏
の考え・立場はアンティフォンとは正反対の位置にある︒
ここではアンティフォン︑カヅリクレス︑無名氏の三人の思想家しか取り挙げなかったが︑しかし次のようなこと
は一応いえる︒先ず指摘されねばならないのは︑これら三人がピュシスとノモスを対立的関係の中で捉えている点で
共通しているということである︒だがその内容を子細に見ると︑アンティフォンとカッリクレスがピュシスを絶対視
しているのに対し︑無名氏はノモスを絶対的なものと考えている︒そして更に︑アンティフォンとカッリクレスはピ
ュシスを絶対と見倣す点では共通しているが︑しかしそれが特定の領域︵倫理︶に適用された時︑前者が社会的弱者
支援論を展開するのに対し︑後者は強者の権利を主張し︑正反対の結論を導いている︒ところで問題は︑三人の思想
家がすべて同じようにピュシスとノモスを対立させようとする思考様式に立ちながら︑何故上述のように彼等の結論
が互いに相容れない程際立った違いを見せるに至るのかということである︒これに対する十全な解答は勿論筆者には
できないが︑ただ次のようなことは言い得るのではないかと思う︒つまり︑ソフィストに見られるピュシスとノモス
の対立が程度の対立ではなく次元の対立になっているというところに根本問題が存するのではないだろうか︒そして
これは︑ピュシスに﹁事物の本質﹂という意味があり︑また﹁必然﹂といった意味を付与させたからである︒もっと
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もピュシスの中には﹁生成﹂という意味もあったが︑この意味は﹁事物の本質﹂や﹁必然﹂といった意味に常に引張
られていて︑ピュシスーノモス対立を緩めるには至らなかった︒ノモスを絶対のものと見徹す考えも︑実はこのよう
なピュシスの概念に規定されているのである︒上述の無名氏がアンティフォンのピュシスーノモス対立を逆転して適 ︵8工︶用した場合も︑ ﹁ある特定のピュシス概念が基礎になっていることは重要﹂だとハイニマンは言っているが︑上のよ
うなピュシス概念が﹁無秩序﹂といった特定の概念として把捉されるならば︑最早やピュシスの中に︑必然的なもの
.益になるものは見出すことは困難になるから︑それは直ちにノモスの中に見出されることになるのである︒アンテ
ィフォンとカッリクレスそれぞれが導いた結論の違いは︑ピュシスの概念を具体的領域に適用した時起った︒そし
て︑両者の結論が際立った相違を見せることになったのは︑両者が等しくピュシスの絶対性を確信していたところが
らきたのではないだろうか︒
以上から結論として言えることは︑ソフィストの思想においては︑ピュシス︵自然︶とノモス︵作為︶は︑次元を
異にする対立的関係として把捉されていたということである︒
比較社会思想史研究(六)
(二)
ソフィスト以後の自然と作為lープラトソとアリストテレスi
ソフィスト以後のギリシア哲学は︑ソクラテ不の出現によって大ぎく変ることになる︒それまで︑ ﹁自然﹂が学問
の中心であったのが︑ ﹁人聞﹂が学問の中心に据えられることになった︒従ってソフィスト以後︑人間の価値という
.こニが学問の中心問題となっていくのであるが︑ではそれに伴い︑それまでのピュシスーノモス対立に見られたよう
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な二分法的思考様式も変ったであろうか︒結論を先に言えば︑ソクラテス以後においても︑二分法的思考様式は引き
継がれたということである︒しかしソクラテス以後︑学問の中心問題が自然から人間や社会へと移ることによって︑
それまでのピュシスとノモスだけでなく︑質料︵ξ一〇︶と形相︵①置︒ω︶という対概念が︑新たな学問を構成する諸概
念の中で大きなウエイトを占めるようになった︒ソクラテス以後の思想家としてここではプラトンとアリストテレス
を取り挙げ︑以下ソフィストから受け継いだピュシスとノモスを彼等はどのように受けとり解釈し直したか︑また︑
彼等がその学問の中心に置いた質料と形相という概念はどういつだものであったかを論ずることにする︒
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ω ピュシスとノモスの対立と調和
ソフィストのピュシスーノモス選分法は︑プラトン︑アリストテレスにも引き継がれたがその内容はソフィストの
それと非常に異なっており︑またプラトンとアリストテレスの間においても著しい違いが見られる︒先ずプラトンか
ら見ることにする︒
プラトンは先ずソフィストのピュシスーノモス対立の思考様式を受け容れる︒ ﹃法律﹄第十巻にある次のような文
章によってもそれは窺い知ることができる︒ ﹁火や水や土や空気︑これはみな自然と偶然によって存在し︑それらの ︵19︶どれ一つも技術によって存在するのではない﹂︑﹁政治の術の場合は︑自然と共同している部分はほんのわずかであっ ︵20︶て︑大部分は技術︵人為︶によるものである﹂︑また︑ ﹁神々は人為︵技術︶によって︑ つまり自然によってではな
く︑一種の法律︵慣習︶によって存在している⁝⁝正しいことは︑人為や法律習慣によって生ずるのであって︑何ら ︵21︶かの自然にもとづいて生ずるのではない⁝⁝﹂︒しかしプラトンは自然主義者が自然からすべての現象を説明するこ
比較社会思想史研究(六)
ピユとに反対する︒自然主義者達は︑﹁火や水や土や空気が万物の最初だと考えており︑そしてまさにそれらの物質を﹃自
シス ︵22︶然﹄と名づけて︑魂の方は︑それらの物質から後になってつくられたものだと考えている﹂が︑ ﹁自然によって存在
するものと自然とは⁝⁝︑後になって生じたものであり︑技術や知性に起源をもつもの﹂である︒そしてプラトンは
次のような独自の考えを明らかにする︒﹁﹃自然﹄という言葉で彼らがいおうとしているのは︑最初にあるものについ ブシユ ケ ての生成のことです︒しかしもし︑ 魂 が最初にあるものだということが明らかになれば︑いちばん初めに生まれ
てきたもののなかに数えられるのは︑火や空気ではなくて︑魂がそれだということになるから︑魂こそだんぜん他の
︑ ・ ︑ ︑ ︑ ︵23︶ものを引きはなして自然によってあるのだというのが︑おそらく最も正しい言い方になる﹂︒
以上のように︑プラトンはソフィストのピュシスーノモス対立を一応は受け入れるのだが︑しかしピュシスよりよ
り根源的なものとしてプシューケーを考えることによってその対立を克服しようとした︒こうしたプラトンの思考
は︑恐らく︑次節で述べるようなイデア論︑形相・質料論の展開と何らかの関係を持つものと思われる︒しかしこれ
はともかく︑上の引用文からも明らかなように︑プラトンにおいては︑自然と作為は﹁きびしい対立﹂関係として捉
えられていた︒
次にアリストテレスについて見ることにしよう︒アリストテレスは︑ ﹃形而上学﹄第五巻においてピュシスの意味 ︵24︶ ・を以下のように簡潔に整理している︒一︑生長する事物の生成︒二︑事物がそれから成長する基盤︑種子︒三︑自然
的物体の運動ないし変化の根拠︒四︑事物がそこから構成される始源的物質︒五︑自然的諸存在の実体︑本質︑形
相︒六︑一般にあらゆる実体︒そしてアリストテレスは︑ピュシスの第一義的意味は︑ ﹁事物のうちに︑それ自体と
.して︑それの運動の始まりを内在させているところのその当の事物の実体︹本質︺のこと﹂であるとしている︒
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アリストテレスの自然の定義がそのようなものであることを念頭に入れて︑先ずソフィスト以降のピュシスーノモ
ス対立という思考様式がアリストテレスにおいてはどう継承されたかを見ることにする︒アリストテレスは﹃自然学﹄
の中で次のように言っている︒﹁﹃ある﹄と言われるものどものうち︑その或るものは自然によって存在し︑他の承る ︵25︶ものはその他の原因によって存在する﹂︒﹁寝椅子であるとか︑衣服であるとか︑⁝⁝そういうものはそれぞれがちょ
うどそういうものとして呼ばれる限りにおいては︑すなわちそれが人工によって生じたものである範囲においては︑
運動変化の動因となるものを自己自身のうちに何ひとつもってはいない﹂︒この引用文からも明らかなように︑また
田中美知太郎もいうように︑アリストテレスの自然の規定には︑﹁自然﹂と﹁人工﹂︵人為︑作為︶の対立といったこ
とが前提とされている︒そういう意味ではアリストテレスもソフィスト的なピュシスーノモス対立的な思考様式を受
け継いでいるといえるが︑しかしアリストテレスは︑ピュシスとノモスの対立を決定的なものとは見ない︒即ち︑ア
リストテレスは︑自然と人工︵人為︑作為︶とを調和的に見るのである︒﹃自然学﹄第二巻第八章にぱ次のように言わ
れている︒ 二般に︑技術は︑一方では︑自然がなしとげないところの物事を完成させ︑他方では︑自然のなすとこ ︵28︶ろを摸倣するL︒このようにアリストテレスにおいては︑自然と技術︵人工︑人為︑作為︶とは調和的︑連続的に把
捉されている︒田中の要約に従えば︑アリストテレスは︑自然と作︵人為︶の対立を﹁決定的なものとは見ず︑人為
は人間の自然にもとつくものがあり︑これも自然の一部として︑全体を自然のうちに均等化﹂しているのである︒人
闘は政治的動物であるという有名な命題も︑入間の﹁ピュシス﹂においてそう言われるのである︒アリストテレスに
おいては︑家族も国家も自然に基づく存在であった︒
以上︑プラトンとアリストテレスについて見たが︑結論的に言えば︑プラトンが自然と作為を厳しい対立関係にお
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いて肥えたのに対し︑アリストテレスは調和的連続的に理解しようとした︑しかしプラトンもアリストテレスも自然
−作為という二分法的思考様式から免れるには至らなかった︑ということである︒
⑳ イデア論と形相・質料論
比較社会思想史研究(六)
ソクラテス以後︑学問の中心問題が自然から人間︑あるいは社会へと移っていったことに伴い︑学問を構成する基
本概念にも変化が見られ︑形相や質料といった概念が次第に大きなウエイトを占めるようになってきた︒プラトンや
アリストテレスの学問体系の基本構造は実に︑形相︑質料という対概念から成っているのである︒勿論︑この形相一
質料という対概念も︑自然−作為という対概念と全く無関係に展開されたものではない︒上述したように︑アリスト
テレスは︑自然の第五番目の意味として︑自然的諸存在の実体・本質・形相︑を指摘していた︒そこでは事物は形相
を持たない限り︑自然を持つとは云われない︑また質料が自然であるだけでなく形相も自然である︑と言われてい
る︒事物の質料が自然と言われるのは質料が形相を受容し得るもの︵可能態︶だからであり︑また事物の生成が自然
と呼ばれるのもそれが形相から始まる運動だから︑という説明をアリストテレスはしている︒このようなアリストテ
レスによる自然の定義からも明らかなように︑形相は自然と密接な関わりを持つ概念であって︑自然の実体︑本質と
いう意味だが︑その内容はプラトンとアリストテレスでは非常に違っていた︒
既に述べたように︑プラトンはピュシスのより本質的︑より始源的なものとしてプシュケーを考え︑それと物質な
いし質料と鋭く対立させているが︑それを理念的に表現したのがいわゆるイデア︵置①倒︶である︒プラトンの思想体
.系はこのイデアを中心に構成されているといっても決して過言ではない︒イデアを形相という表現で言えば︑イデア
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は個々の事物に共通な形相と言えるであろう︒
プラトンのイデア論に従えば︑目に見える物質的世界は決して真の実在ではなく︑それと区別されるイデア界こそ
真の実在である︒つまり前者の世界はイデアの写しという意味で二次的な存在でしかない︒しかし現実の世界は︑イ
デアと質料との混合の世界として生成したものである︒ところで事物が生成するためには限定するものと限定なきも
のとが混合しなけれぽならないが︑プラトンの場合︑前者がイデアであり後者が質料である︒即ち︑イデアが無限定
なる質料に一定の形相を与えて限定することによって︑ここに混合が果たされ事物が生成するというのである︒そし ︵29︶てプラトンはこの混合を起こす原因を形成者としての神︑デミウルゴスと呼ぶ︒このデミウルゴスが現実の世界を形
成するのである︒デ︑・・ウルゴスは世界を形成する一なる神であって世界を超越した存在である︒このような超越的な
世界の形成者のことを語ったのはプラトンが始めてである︒しかしプラトンのデミウルゴスはキリスト教における神
のように万物を無から造った天地の創造主ではない︒デミウルゴスにはその前提として既にイデアと質料が与えられ
ているのであって︑彼はそのイデアを原型としてそれを模写して無限定の質料から世界を形成するのだ︒そうしたこ
とから創造と言わず︑ ﹁形成﹂すると言うのである︒
以上のごとぎイデア論に見られるように︑プラトンにおいても二分法的思考様式が支配しているのであって一即
ち︑限定するもの︵作為するもの︶としてのイデア︵11作為︶と限定されるものとしての質料︵11自然︶という二分
法一︑しかもその対立はソフィストのそれよりもっと厳しいものである︒しかしプラトンにおけるそれは︑キリス
ト教神学における創造者と被創造物との閲の対立ほど絶対的なものではなかった︒キリスト教神学における作為と自
然の絶対的な対立関係が確立されるのは︑新プラトン派のプロティノスの思想を通してであった︒
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比較社会思想史研究(六)
だがアリストテレスはプラトンのイデア論を批判した︒プラトンは個々の事物を超えたイデア界を真の存在と考え
たが︑アリストテレスは個々の事物こそ真の存在であるとした︒プラトンにあっては超越的なイデア界こそ真の世界
であったが︑アリストテレスにとっては感覚的に知られる現実の世界こそ真の世界であった︒
アリストテレスの学問の主要課題は︑真の存在である個々の事物が何故そのように存在するのか︑その原理・原因
を明らかにすることにあった︒撮てアリストテレスは個々の事物をまさにそうあらしめている原因の一つをプラトン
と同じく形相と呼んだが︑しかしその内容には著しい違いが見られ︑プラトンにあってはそれは︑個々の事物から超
越的に存在するものであったが︑アリストテレスにおいては当の個々の事物に内在するものである︒だが現実の個々
の事物を構成しているのは形相の他に質料がある︒即ち︑形相と質料が結合して具体的な個々の事物が存在する︒と
ころで両者の関係であるが︑アリストテレスによれぽ︑形相が一定の形を与え規定するものであるのに対し︑そのよ
うに形を与えられ規定されるものが質料である︒アリストテレスはこのような形相と質料が結合して個々の事物の存
在を説明した後︑更にこれを事物の生成︑変化︑運動に適用した︒その甚平は︑可能態という概念を用いて︑それを
巧みに説明した︒
現実に存在する個々の事物は絶えず生成し変化し運動する︒アリストテレスはこの生成︑変化︑運動を説明するた
め可能態︵身口9︒巨ω︶と現実態︵魯臼σq皿9︒︶という対概念を導入する︒この個々の事物の変化︑運動のプロセスにお
いては質料は形相の可能態である︒質料はそれ自体では無限定的であるが︑しかしそれは形相を実現し得る可能性を
宿している︒この質料が形相を実現すべくして変化︑運動しそして形相を実現する時そこに個々の事物が生成するの
だが︑その場合形相はこの個々の事物の本質として即ち現実態として存在するというのである︒このようにアリスト
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テレスにあっては︑変化︑運動は個々の事物が可能態から現実態に移行することである︒従ってそこでは︑形相は運
動の目的である︵目的因︶と共に運動を惹起する動力︵動力因︶であり︑他方︑質料は形相を目的とし形相に動かさ
れ形相を実現する︑といったように形相と質料は目的論的関係にある︒
しかし現実の世界は無数の事物から成っている︒ということは︑例えば木は家に対しては質料だが︑山林の樹木に
対しては形相といったように︑すべての事物はその反対方向に対して形相であると同時に質料であるという存在の仕
方をしていることになる︒このように存在する無数の事物が順次段階的に連結されているのがアリストテレスの描く ︵31︶現実の世界であって︑従ってこの世界も目的論的構造を持っている︒とすると当然両方向に極限が考えられる︒即
ち︑質料の極限には絶対に形相になり得ない﹁純粋な﹂質料︵第一質料︶の存在を︑他方︑形相の極限には絶対に質
料になり得ない形相︵神︶の存在を︑アリストテレスは考える︒
アリストテレスの形相・質料論を以上のように理解すると︑それがプラトンのイデア論の批判から出発したにも拘
らず︑その理論構造はプラトンのそれと意外に類似していることが分かる︒議論が超越論的である︵プラトン︶とい
うことと︑目的論的である︵アリストテレス︶ということとは︑理論構造においてはそれ程の差異を示さないのであ
る︒何れの場合も︑限︵規︶侵するもの︵形相︶と限︵規︶定されるもの︵質料︶とは一方方向であって相互の作用
は考えられない︒但し︑両者の関係は前者において厳しく後者において緩やかであるとは言える︒
以上述べてきたことを要約すると以下のようになる︒ソクラテス以後︑哲学の関心が︑自然から人間や社会の方に
移っていったのでプラトンやアリストテレスはピュシスーノモスという︵対︶概念よりも︑形相一質料という︵対︶
概念によって事物を説明しようとしたが︑彼等の思想も自然t作為という二分法的思考様式からは免れてはいなかっ
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た︒これが本節の結論である︒
◎ ギリシアの法思想i自然法と実定法1
比較社会思想史研究(六)
上述したようにギリシア思想に見られる特徴の一つは二分法的思考様式であって︑本稿ではその中で最も際立って
いるピュシスーノモスという二分法的思考様式について述べたのだが︑確かに思想家によってピュシスーノモス関係
が相補的であったり︑対立的であったり︑調和的であったりしてその現れ方は異なってはいるが︑しかし︑事物を
﹁自然﹂1﹁作為﹂という二分法によって見ている点においてはすべての思想家に共通している︒以下では︑このよ
うな自然−作為という二分法的思考様式が具体的な法の領域に適用された場合どのような展開をしたのかを見ること
にする︒当然のことだが︑それは自然法と実定法という二つの法概念の対立︑調和といった形で展開された︒
﹁万物は流転す﹂とはヘラクレイトスの言葉として有名だが︑しかし彼は万物は不断に変化しているということだ
けを明らかにしょうとしただけでなく︑進んでその中に不変の永遠の規範を明らかにしょうとした︒ ﹁最高の徳たる
︑ ︑ ・ ︑ ︑ ・ ︑ ︵32︶叡智とは言葉と行為において自然にしたがうごとである︒すなわち︑この﹃普遍のロゴス﹄にしたがうことである﹂︒
人間のノモス︵実定法︶には様々な相違が存在するが︑しかしそれらの中に普遍のロゴスに与かる永遠の自然法とい
うものが貫いているのである︒人間のノモスの相違は自然法の理念を斥けはしない︒つまりヘラクレイトスにあって
は︑不変の法としての理念がすべての人聞のノモスの拘束力の源と考えられていた︒
ヘラクレイトスはこのように︑法に自然法と実定法の二つ存在していることを明瞭に認めたが︑しかしこの二つの
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概念は決して対立的に把捉されてはいなかった︒この自然法と実定法を対立的に把捉したのはソフィストであった︒
これはソフィストの認識論におけるピュシスーノモスの対立が法の領域に適用されたのであるから当然のことであろ
う︒例えばアンティフォンは実定法と自然法とを次のように対立的に捉えている︒ ﹁⁝⁝法の命令は︑止長的なもの
であるが︑しかし自然のそれは必然的なものであり︑また法律のそれは︑約束されたものであって︑成長してきたも ︵33︶のではないが︑しかし自然のそれは成長してきたものであって︑約束されたものではない⁝⁝﹂︒自然法の絶対性を
確信し︑そこから生理的・身体耐量等観を抽き出し人種差別批判を行ったことについては既に日において述べた通り
である︒ ソフィストの法思想に関してもっと詳しく論じなけれぽならないのだがここでは︑次のフェルドロースの要約で十
分としておこう︒﹁﹃自然的正︵Oげ楓ω9α欝p︒δ昌︶﹄と﹃人為法的正︵ぎヨOα涛巴8︶﹄との区別を︑われわれは︑ま
ずソフィストにおいて発見する︒ソフィストの意義は︑彼らが実定法を批判的な尺度によって測定し︑このような仕
方で実定法の独裁に衝撃を与えたことである︒この尺度は︑アンティフォン︑リコプロソ⁝⁝によれば︑人間の普遍 ︵34︶的本質である︒彼らはここから万人の自然法的自由と平等とを導いている﹂︒ ノモス ソクラテスは︑正義とは法律に適うことであると主張したといわれる︒そしてここに言われる法律は︑単にポリス ︵お︶の実定法ぽかりでなく書かれざる法律をも意味していた︒ということは︑ソクラテスは正義についても実定︵人為︶
的正義だけでなく自然的正義の観念をも持っていたということである︒しかしソクラテスにあっては︑この正義に関
する二つの概念は︑ソフィストのように対立的なものではなく︑不可分の関係にあったといえる︒というのは︑ソク
ピユシス ピユセイラテスにとっては︑ポリスの法秩序それ自体が市民達の生存基盤で︑人聞の自然の要請であって︑それ自体が自然的
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比較社会思想史研究(六)
なものだからであった︒こうしたソクラテスの考えを更に展開︑発展させようとしたのがプラトンであり︑アリスト
テレスである︒
H・ロソメソもいうように︑プラトンにおいても自然的正義と作為︵人為︶的正義とは区別されていた︒またソク
ラテスと同様︑プラトンもポリスの法秩序を自然的なものと考えていた︒だがプラトンの超越論的思想は︑ソクラテ
スとは1恐らく一かなり違った法律政治論を展開させることになった︒
プラトンの正義論も彼のイデア論の一部として論じられる︒プラトンによれば︑個人が追求すべき最高のイデアは
善のイデアである︒だがこの善のイデアは個人一人の力によっては実現できない︑ポリス全体︑即ち﹁国家﹂が善の
イデアを追求する時︑個人はその善のイデアに与るという形でそれを実現し得る︒そうした善のイデアが国家に満ち
た時正義は実現される︑プラトンはこのように考えていた︒従ってプラトンにあっては善のイデアと正義のイデアと
は究極的には一致するものであ・.煙・そして・の正義のイデアを体化しているもの・そ真の法であ・て︑実定法と対 ︵訂︶比される︒真の法が実定法の﹁正しさの尺度﹂であり︑その意味で後者は前者を反映したものに過ぎない︒ここで立
法老の問題が出てくる︒実定法がその妥当性を要求できるのは︑法のイデアに与るが故にまた与かる限りにおいての
みであれぽ︑﹁立法者も不変の︑永久に妥当する法の真の本質が存在するところのイデアの王国に住まわなければな とららない︒しかしながら︑思惟の訓練によって五官の盲目的幻想に因われることのなくなった哲学者および哲人王のみ
がこれを芒う乏すぎ亀﹂これが所謂フラトソの哲入王制論であるが・しかしプーフトソは晩年﹁次善の国包﹂と
して法治国家論を展開した︒
確かにプラトンは︑自然的正義と作為的正義︑従って自然法と実定法を区別し決して同一視しなかった︒だが上の
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論述からも窺えるように︑プラトンにあっては︑そのイデア論によって︑作為的正義︑従って実定法が自然的正義︑
自然法に解消されるような傾向がある︒そのような意味で︑プラトγの正義・法律論は中世のキリスト教神学におけ
るそれとかなりの親近性を持つものといえるであろう︒
最後にアリストテレスの正義・法律論を見よう︒アリストテンスも自然的正義と作為的正義とを区別した︒ ﹃ニコ
マコス倫理学﹄五巻の後半部分で次のように言っている︒ ﹁ポリスにおける正しさのうち︑舐るものは自然の本性に
よる正しさであるが︑或るものは法律による正しさである︒自然の本性による正しさはあらゆる所で同じ力をもつ正
しさであって︑ひとがそれを認めるか否かに左右されない︒法律による正しさとは︑もともとは︑そのようであろう
と︑他のようであろうとどうでもよいことであるが︑一旦︑法律として定まれば︑それがどうでもよくなるような正
しさで難﹂・この一節からも明らかなように・アリストテ・スは冒然の本性による芒さ﹂︵凸然的正義︶と
﹁法律による正しさ﹂︵月作為的正義︶とを区別している︒またこの一節からこれら二つの正義を合わせ持つかのよ
うなものとしてポリスの︵における︶正義が語られている︒
これはこういうことだろう︒アリストテレスはイデアを︑プラトンが個々の事物を超えたところに求めたのに対
し︑個々の事物に内在するものとした︒従って自然法は正義のイデアに源を有するが︑同時に具体的な実定法の中に
存在するしまたその中に実現されるべきものである︒ポリスはピュシスに基づく存在であり人間もまたそのピュシス
においてポリスを持つ存在であるとすればポリスの正義は自然的正義と作為的正義とを合わせ持つことになる︒
アリストテレスは立法者が作ったいかなる実定法も不完全であるとし︑そこで﹁衡平﹂の原理を持ち出した︒実定
法は﹁すべての場合にまで適応できない︒そこで︑衡平は個々の事件がその正しさを得ること︑すなわち法の形式性
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比較社会思想史研究(六)
による不完全性が自然法の内容たる実質的正義によって克服されることを要求する︒アリストテレスはつとに裁判官
による法の﹁欠訣﹂の補職を一実定法が正に法そのものの名に値いするならばi自然法適用の試みであるとみな
していた︒故に︑欠映は自然法がそこを通って不断に蘇生する門戸である︒法の欠敏に際し裁判官は︑真の立法者が ︵つ4︶いたならば︑⁝⁝適用するだろうところの規範に従って判決を下さなけれぽならないし︒ ロソメソはこのようにアリ
ストテレスの自然法と実定法の関係を要約する︒ここに描かれている世界は明らかにプラトンの世界とは異なってい
る︒ 以上︑ギリシア法思想における自然法と実定法の関係を簡単に見てきた︒確かに思想家によって自然法と実定法の
現れ方は違ってはいえるが︑しかしすべてに言えることは︑それはギリシア思想に見られた自然一作為という二分法
思考様式が法の領域に適用された以上のものではないということである︒
しかしギリシアに始まったこのような法を自然法と実定法の二つに分けて考えるという方法は︑それ以後中世︑近
代︑そして現在まで基本的には変っておらず︑まさしく西洋法思想における最大の特徴というべきものである︒従っ
て︑以後の議論もこの法の領域を中心に行うことになると思うが︑その際ギリシアの法思想との比較が必ず出てくる
ので︑以上の論述の足ざるところはその都度補うことにする︒
︵1︶ 出錯︒ぎ男︾二卜亀§︑卜轟ミミ馬§§職置目ミ電%︸ロ︒毛︒・鼠8ヨ︒巳9誓︒嵩σoδ一尋物ロ9巳︒︒︒oh言ω臨8岩綿9三〇巴 注
0850西田・<orピHOお・即國黒炉邸9︵﹃ハイエク全集﹄第八巻﹃法と立法と目由﹄矢島・水吉訳︑春秋社︑昭和六十二年︶
︵2︶ F・ハイニマン﹃ノモスとピュシス﹄︵広川・玉井・矢内訳︑みすず書房︑昭和五十八年︶︒また以下の議論では三島輝夫
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((((((((((((((((((((((
2423222120191817161514131211109876543
)))))))))))))))))))))〉
アリストテレス﹃形而上学﹄︵﹃アリストテレス全集﹄12︑出直訳︑岩波書店︶一三九i四〇頁︒ 同右︑六〇二頁︒ 同右︑六〇〇頁︒ 同右︑五九五i六頁︒ 同右︑五九五頁︒ プラトン﹃法律﹄︵﹃プラトン全集﹄13︑森・池田・加来訳︑岩波書店︶五九四頁︒ 同右︑ 一七四頁︒ 同右︑一七三頁︒ 同右︑一六四頁︑ 同右︑一六〇頁︒ 同右︑一五九i一六〇頁︒ 同右︑一五九頁︒ 同右︑=一五頁︒ 同右︑一一六頁︒ 同右︑一一一頁︒ 同右︑九頁︒ F・ハイニマン︑前掲邦訳︑四一頁︒ 三島輝夫︑前掲論文︑七頁︒ 同右︑九二頁︒ F・ハイニマン︑前掲邦訳︑六九頁︒ R・G・コリングウヅド﹃自然の観念﹄︵平林・大沼訳︑みすず書房︶七三頁︒ J・バーネット﹃初期ギリシア哲学﹄︵西川亮訳︑以文社︑昭和五十年︶二九頁︒ ﹁ノモスとピュシスーその倫理的意味1﹂︵﹃自然﹄金子武蔵編︑以文社︑昭和五十四年︶も参照した︒24
比較社会思想史研究(六)
︵25︶ アリストテレス﹃自然学﹄︵﹃アリストテレス全集﹄3︑出・岩崎訳︑岩波書店︶四四頁︒
︵26︶ ここは田中美知太郎の訳で引用した︵田中美知太郎﹁自然物︑自然︑自然界﹂ ﹃哲学からの考察﹄所収︑
山ハ十一年︶ 四二頁︒
︵27︶ 田中美知太郎︑前掲論文︑四四頁︒
︵28︶ アリストテレス﹃自然学﹄前掲邦訳︑七五頁︒
︵29︶ 国谷純一郎﹃自然思想史﹄︵三和書房︑昭和五十三年︶七二頁以下参照︒
︵30︶ 同右︑八○頁︒
︵31︶ 同右︑八三頁︒
︵32︶ H・ロンメン﹃自然法の歴史と理論﹄︵阿南成一訳︑有斐閣︶三四−頁︒
︵33︶ 山本光雄編﹃初期ギリシア哲学者断片集﹄︵岩波書店︶一一九−二〇頁︒
︵34︶ A・フェルドロース﹃自然法﹄︵原・栗田訳︑成文堂︶一二頁︒
︵35︶ 三島淑臣﹃法思想史﹄︵﹃現代法律学講座﹄3︑青林書院新社︶五〇頁︒
︵36︶ 恒藤武二﹃法思想史﹄︵﹃現代法学全集﹄3︑筑摩書房︶六一頁︒
︵37︶ ロンメン︑前掲邦訳︑ 一一−二頁︒
︵38︶ 同右︑一二頁︒
︵39︶ アリストテレス﹃ニコマコス倫理学﹄︵﹃アリストテレス全集﹄13︑加藤信朗訳︑岩波書店︶一六五頁︒
︵40︶ ロンメソ︑前掲邦訳︑ 一五頁︒ 岩波書店︑昭和
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