D・ヒ ュームの経験論的人間学の研究︵八︶
道徳哲学方法論︵下︶
古賀勝次郎
序文
第一章 ヒュームのキリスト教神学批判︵第四十一∴一号︶
第一.章ヒューム体系の哲学的基礎
第一節ヒュームの知覚論︵第四十三号︶
第二節ヒュームの因果論︵第四十四号・κ号︶
第一..章ヒュームの方法論
櫨弔一牌即 懐疑LL義と自月妖崩主曲我︵第四工一志ハロゲ︶
第二節ヒュームの道徳哲学方法論
eの 近代自然科学の方法論
ω ヒュームの実験的・経験的方法論︵第四レヒ写︶
働 ヒュームの歴史的方法論
㈲ 慣習原理としての恒常性原理
㈲ ニュートンの科学的有神論
㈲ヒュームと﹁歴史の時代﹂︵以ヒ本号︶
働 ﹁当為﹂と﹁存在﹂の問題︵1/下続くV
94(II6). 3 第48り一
【デ・稲田社会科学研究 15
第四竜 ﹁心﹂と意思
第斤章 情念と理性
16
第三章 ヒュームの方法論
第二節ヒュームの道徳哲学方法論
圃 ヒュームの歴史的方法論
ω 慣習原理としての恒常性原理
ヒュームも他の近代の哲学者と同じく︑自然科学︑とりわけニュートンの実験科学の影響を免れなかった︒いや︑
その自然科学の方法を道徳哲学に積極的に導入しようとさえした︒だがヒュームは︑自然科学と道徳哲学が基本的
にその性質を異にすることを認識していたので︑自然科学の方法をそのまま道徳哲学に導入することはしなかった︒
自然科学も道徳哲学も﹁経験的事実﹂︵国﹁賞ξ§ひq磐舞ωρ︒9Φ︶を対象とし︑そこに何等かの原理︵零ぎ蚊℃δコ︶を師
兄しょうと努める︒この点では自然科学も道徳哲学も同じであるが︑自然科学の対象とする経験事実は︑﹁実験﹂を
通して人r的にこれを作ることができるのに対し︑道徳哲学の対象である経験的事実はそれができない︒ここにヒ
ュームは︑自然科学と道徳哲学との基本的な違いを見るとともに︑臼然科学に比べて道徳哲学の持つ不利を認める
のである︒
D.ヒュ_ムの雌論的畑1岸の研究(八)
リューテもいうように︑およそ原理︵あるいは規則︑法則︶を発見しこれを定式化できるかどうかは︑問題の経 ヘユ 験的事実をめぐる諸条件が変っても︑不変という意味での﹁恒常性の経験﹂︵国見四ぼ⊆5ひqΦ凶コ嘆区︒コ踊帯農︶に依存し
ているのである︒さてそうした恒常性の経験は︑自然秩序においては実験によって保証されるが︑道徳哲学におい
てはそれがない︒当然ながら道徳哲学は︑この不利を克服するため︑自然科学の実験とは違った方法に訴えなくて
はならない︒即ちそれが歴史的方法である︒つまり︑歴史の中から多くの経験事実を収集し︑それらの中に斉合性
の経験︑即ち原理を発見しようという方法である︒
歴史的方法については︑ヒュームは︑﹃人性論﹄の中では必ずしも明瞭には述べていない︒歴史的方法がハッキリ
論じられているのは︑﹁人間知性研究﹄においてである︒例えば︑同署第八章﹁自由と必然において﹂に次のように
ある︒﹁戦争︑陰謀︑内紛および革命についてのこれらの記録は︑政治家あるいは道徳哲学者が︑彼の科学の原理を
確立する場合に︑基礎を置く実験﹇口経験的事実︒筆者注﹈の非常に多くの収集である︒それはあたかも医者や自然
哲学者が︑植物︑鉱物およびその他の外界の対象の性質に精通するに当って︑それらについて彼が案出する実験を ワこ基礎とするのと同様である﹂ここでも実験︵①×OΦ﹁ぎΦ三ω︶という語が二つの意味で用いちれている︒即ち︑一つは
入工的に案出︵8﹁∋︶できる実験で︑それは自然科学の方法に相応しい︑いま一つは︑現在を含む歴史の中に見出
せる緯駅.事実を収集するという三昧の実験で︑ヒュームが道徳哲学の万法ンこて提示するものであ夜そうしてヒ
ュームは︑この道徳哲学の方法︑つまり歴史的方法によって︑人間本性の普遍的原理も発見しようとするのである︒
上の文章の直ぐ前でヒュームは次のように述べている︒﹁歴史の主な効用は︑あらゆる種類の事情と状況にある人々
を示し︑また我々が観察を形成し︑人間の行為や態度の規則的な動機に精通しうるように︑資料を供給することに
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ヨ よって︑人間本性の恒常的または普遍的原理を発見するところにある﹂︒
ヒュームの道徳哲学は︑人間本性の恒常的原理︵8コωδ三℃同ヨ︒一隻①ω11斉一性の原理︑⊆三噛︒﹁∋塁︒︸只ぎ9豆①ω︶の
発見を目指すが︑しかし道徳哲学においては︑自然科学において行われるような実験という方法を用いることがで
きない︒従って︑道徳哲学においては自然科学とは違った方法を採らねばならない︒だが︑道徳哲学が自然科学に
比肩できる有効性を持ち得るためには︑やはり﹁恒常性の経験﹂を確保しなくてはならない︒ヒュームによれば︑
それは︑﹁あらゆる種類の事情と状況にある人間﹂︑即ち︑時代や地域︑国家を異にする人間︑についての経験的事
実を収集し︑そこに見出される人間の行為を導いている規則的な動機に精通することによって得られる︒これがヒ
ュームの道徳哲学の歴史的方法である︒
ところで︑以上のようなヒュームの歴史的方法についてこれまで一つの大きな批判がなされてきた︒それは︑人
間本性の﹁恒常的原理﹂に対してであって︑J・B・ブラック︑A・スターン︑R・G・コリングウッドなどによ
って批判されてきた︒例えばブラックは︑﹁ヒュームは︑人間本性はあらゆる時代︑あらゆる場所において一様に同 る じである︑という信念によって支配されていたため︑歴史的説明の抱える問題の基本を理解しなかった﹂と︑ヒュ ハらソームを批判している︒また︑スターンも︑﹁ヒュームは不変的人間本性という命題を主張した﹂と述べている︒コリ ねングウッドもブラックやスターンと略々同様の批判を行っている︒だがブラック等のこのような批判は正しいであ
ろうか︒結論を先に言えば明らかに否であるが︑しかし︑ヒュームがそうした批判を誘うような文章を書いている
ことも事実である︒例えば︑﹁あらゆる国および時代において︑人々の行動のなかには大いなる斉一性︵四 ひQお讐
二三♂﹁ヨ一2︶が存すること︑ならびに入間本性が︑その原理および作用の点で依然同一のままであることは︑普遍的
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D・ヒュームの経験論的入間学の御1究(八)
︵7︶に承認されている﹂とヒュームは書いている︒しかし人間本性が不変であれば︑歴史研究の意味は一体どこにある
のか︒いやヒュームは︑このような疑問に対して肯定的な答えさえ与えているのである︒﹁人間はあらゆる時代と所
とを通じてほとんど同一であるので︑歴史はこの点においては何等新奇なものをも︑見慣れぬものをも我々に知ら せることはない﹂と︒とすると一体どういうことになるのか︑それにはヒュームの﹁恒常的原理﹂についてより深
く考察しなくてはならない︒しかしこの問題については既に︑S・K・ウェルツ︑リューテ︑D・W・リヴィング ︵9 ストン︑D・フォーブス等の優れた考察がある︒
ウェルツは︑ヒュームの斉一性︵11恒常性︶の概念を理解するには︑方法論的な不変性︵ヨΦ90血90ひq剛︒巴=三︷o﹁∋− ︵m∀潔︽︶と実体的な斉一性︵鐙σωβコ江巴窪三8﹁∋一叶巳とを区別しなくてはならない︑という︒そしてヒュームの人間本
性の不変性の概念は︑第一義的には方法論的斉一性を意味するのであって︑歴史研究を可能ならしめるのはこの意
味における斉一性の概念である︒それ故︑ブラックやスターン等のヒュームの歴史的方法論に対する批判は︑かか
る方法論的斉一性と実体的不変性とを区別しなかったことからきた誤謬である︑とウェルツは述べている︒リュー
テの議論もウェルツと此々同じであるが︑以下でリューテの議論に従って︑いま少し詳しくヒュームの恒常性の原
理について見てみよう︒
リューテは先ず︑ヒュームの恒常性原理が︑歴史研究の前提であるのかそれともその結果であるのかを問題とす
る︒リューテは恒常性原理が歴史研究の前提であることを証拠だてるものとしてヒュームの次の文章を引用する︒
﹁しかし人問の行動に何等斉一性冒三︷霞∋一蔓.11恒常性︒筆者注﹈がなく︑我々が形成しうるこの種の実験﹇11経
験的事実︒筆者注﹈のすべてが︑不規則で変則的であるとすれば︑人類に関するいかなる一般的観察をも収集するこ
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とは不可能であろう︒また反省によっていかに正確に要約されても︑経験が何等かの目的に役立つことはないであ
な契︒﹂ここには明らかに︑リュ!テのいうように︑恒常性原理は︑歴史研究のための論理的前提であり︑また歴史
研究が意味を持つための必要条件であることが示されている︒しかしながらヒュームは他方では︑上にも引用した
が︑﹁八間はあらゆる時代と所とを通じてほとんど同一であるので︑歴史はこの点においては何等新奇なものをも︑
見慣れぬものをも我々に知らせることはない﹂と書いているのである︒ここに︑小されているのは︑恒常性の原理は︑
先ずは歴史研究を可能にするが︑しかし他方では同時に歴史研究を余計なものとする︑ということである︒これで
は︑恒常性原理と歴史研究の必要性との関係は︑一種の循環論に陥らざるを得ない︒
リューテは︑恒常性の原理と歴史研究の必要性の関係が循環論に陥ることから免れるために︑恒常性の概念を実
ロ マ へ験のそれと同様︑二つに区別すべきであると主張する︒即ち︑一つはすべての因果的思惟に含まれる﹁類似の原理﹂
︵O一Φ凶∩謀α﹁∋貫ズ億房㌣§N骨︶という意味であり︑いま一つは︑過去の現象の因果的解釈から導かれる﹁具体的恒常
性の経験﹂︵肉魯壽ミ雪ぎ薄謎味ミ映§のミ鳶︶の意味のそれである︒リューテは︑恒常性の概念を二つに区別する
ことによって︑恒常性の原理を︑ヒュームの因果論によって解釈することで︑上のような循環論を免れ得るという
のである︒
どのような研究も︑その対象が自然であれ八間であれ︑恒常性が見込まれる時にのみ科学の名に値する︒こうし
た前提がなければ︑原理や法則も定式化することができない︒リューテによれば︑ヒュームが︑人間の行為に類似
性がなければ︑これに関係したすべての経験は科学的意味を持たぬであろうというのは︑以上のような関連におい
てである︒しかしこのことは︑このような前提が存在論的に︵oミミ︒賢し︒き︶正当化されることを許すものではない︒
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D・ヒュームの経験論的入間学の研究(八)
やはり︑垣常性原理もヒュームの因果論から導かれたもの︑つまり︑ヒュームの因果論が歴史研究に適用されたも
の︑と考えるべきなのである︒即ち︑ヒュームは恒常性の原理を﹁慣習原理﹂︵O①≦o喜ず①詳〇二昌N洗髪と諸々同じも
のとして考えていたということになる︒リューテは次のようにゴ.口う︒﹁歴史研究の恒常性原理は︑ヒュームにとって
は︑人間行為の因果的解釈1そこでは︑動機が原因として︑行為が結果として理解される一から生まれた︒そ
の内容はしたがってまた︑ヒュームの因果論との厳密な類比によって次のように定式化される︒動機は︑行為とい
う他の対象と︑次のような在り方で︑即ち︑動機が起った時︑意識を直接行為の表象に導く︵あるいはその逆︶と ︵13︶いった在り方︑で結合されている対象である﹂勿論そこには︑動機と行為の関係が原因と結果のそれと同じく安定
的であることが仮定されている︒リューテはそうした仮定を次のヒュームの文章から得ているのである︒﹁同一の動 ︵14︶機は常に同一の行為を産出し︑同一の出来事は同一の原因から生じる︒﹂
以上のことから︑ヒュームの﹁恒常性原理﹂が︑形而上学的必然主義でも合理主義的必然主義ではないことが明
らかであろう︒それは︑﹁慣習原理﹂と再々同じものである︒従って︑そこにおける原因と結果との関係はかなりの
幅のものが許容されることになる︑つまり原因︵規則︑法則︶といっても複数のものが認められることになる︒し
かしヒュームの歴史研究も経験科学たる資格を要求するものであるから︑その原理の数はできる限り少数であるこ
とが望まれているのである︒
ω ニュートンの科学的有神論
このようにヒュームは︑ニュートンの自然科学方法論︑ことにその実験的方法の影響を受けつつ︑独自の道徳哲
学方法論を展開した︒それは一種の歴史的方法論といってよいもので︑自然科学と異なり道徳哲学が不可避的に持
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つ不利を︑歴史しの経験的事実を収集することによって克服し︑それらの中に見られる人間本性の原理を明らかに
しょうとするものである︒従ってその内容はかなり違うものの︑ヒュームの道徳哲学方法論がニュートンの自然科
学方法論の強い影響のドに形成されたことは間違いない︒そうした意味でヒュームは︑ニュートンの自然科学を極
めて高く評価した︒
だが︑二卜世紀の経済学者J・M・ケインズが︑﹁ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなかった︒彼は
最後の魔継﹂であ・たと述べているようにゴ﹇・ート・が研究の対象としたのは自然の世界だけではなか・た.
ニュートンは自然の世界の研究に費したのと同じくらいの時間を︑いや恐らくそれ以上の時間を宗教の世界の研究
に費したのである︒つまりニュートンは︑自然科学者であると同時に神学者だったのである︒しかしニュートンに
おいては︑自然科学と神学とは決して別々のものではなく︑両者は一体のものであった︒それ故︑ニュートンのヒ
ュームへの影響を論ずる時︑その自然科学の影響のみ見るのはト分でなく︑神学の方も見なくてはならない︒だが
結論を先に言うなら︑ニュートンの神学はヒュームに全く影響を与えなかった︑いな正確に言えば︑ニュートンの
神学はヒュームの批判するところとなった︑ということである︒それはニュートンの神学の中心に︑設計論的証明
︵匹Φ︒・幡ロ自︒蹟ロ∋Φコこが置かれていたからで︑第一章で既に述べたように︑ヒュームはその独自の因果論に基づい
て︑設計論的証明を批判したのだった︒ここでは︑ヒュームの設計論的証明批判を繰り返すことはせず︑ニュート
ンの神学︑その核心である設計論的証明を述べるに止める︒
もとよりニュートンの神学は︑西洋中世のキリスト教神学とは異なる︒それは中世の神学と近代の自然科学の成
果とを結合したものであった︒そうしたことから︑R・H・ハールバト三世は︑ニュートンの神学に﹁科学的有神
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1)・ヒュームの経験論的人間学の研究(八)
︵16︶論﹂︵ωo凶①三三〇9虫ωヨ︶という名称を与えている︒そしてこの科学的有神論は︑当時の哲学者や自然科学者ばかり
でなく︑後世の人々にも極めて大きな影響を与えたのである︒
ニュートンの科学的著作の上に︑神学への言及が現われるようになるのはかなり遅い︒﹃プリンキピア﹄︵きさ的阜
培ミミミミミ駐︑篭§§匙ミミミミミ凡翁︶の初版が出たのは一六八ヒ年であるが︑それまでは神学への言及は見られ
ない︒ニュートンの神学の基本的考えがまとまった形で現われるのは一ヒ一三年の二版になってからである︒それ
が︑﹃プリンキピア﹄の第三篇に加えられた有名なコ般的注解﹂︵○蚕桑巴Qり︒げ︒一髪ヨ︶である︒何故︑﹁一般的注解﹂
を加えたのかについては︑﹃プリンキピア﹄には神がいないというライプニッツの批判︑あるいは︑絶対的時間や絶
対的空間といった概念は︑無神論的見解だというバークリ等の批判に答えるためだったといわれている︒もっとも︑
ニュートンの科学的著作に神学への言及が現われるのは﹁一般的注解﹂が初めてではない︒一七〇六年にS・クラ
ークによって訳された﹃光学﹄のラテン語版には︑神学への忌.口及が見られる︒しかし一七〇四年に刊行された﹃光
学﹄︵○貰凡翁︶の初版には神学への言及はなされていなかった︒こういうことになったのは︑多分︑ニュートンが自
然の研究と神学の研究とを別々に行っていたということを示すものであろう︒しかしそれはともかく︑ニュートン
がその神学的著作の中で︑自然科学の成果とキリスト教神学とを結合させ一体のものとして論じたことが重要なの
である︒ いま︑﹃光学﹄と﹃プリンキピア﹄から︑ニュートン神学の核心と思われる箇処を抽き出してみよう︒
先ず﹃光学﹄からであるが︑その第三篇第一部の﹁疑問二八﹂には次のようにある︒古代の哲学者たちは︑﹁真空
と原rと原子の重力をその哲学の第一原理とし︑暗黙のうちに重力を密な物質以外の何か他の原因に起したのであ
23
る︒ところが後代の哲学者たちは︑このような原因の考察を自然哲学から追放し︑すべてを機械的に説明する仮説
を担回し︑他の諸原因を形而上学に委ねてしまった︒しかし自然哲学の主要な任務は︑仮説を捏造することなく︑
まず現象から議論を進め︑ついで諸結果から諸原因を演繹し︑ついにはまさしく機械的でない真の第一原因に到達
するにある︒⁝⁝どうして動物の体躯はこれほど技巧をこらして設計されるようになったのか︒その諸部分のそれ
ぞれの目的は何だったのか︒眼は光学の熟達なしに︑また耳は音響の知識なしに設計されたのであろうか︒体躯の
運動はどのようにして意志に従い︑また動物の本能は何によるか︒動物の感覚中枢とは︑感覚物質が敏速に応じる
場所であり︑事物の感知される形象は神経と脳をへてそこに運ばれ︑感覚物質に即座に応じることによって知覚さ
れるのではないか︒このようなことが敏速にうまく処理されているのであるから︑無形の︑生命ある︑聰明な︑遍 ︵17︶在的な神がいますことは諸現象から明らかではないか︒﹂また︑その﹁疑問==﹂には次のようにある︒﹁初めに神
は物質を︑固い︑充実した︑密な︑堅い︑不可入信の︑可動の粒子に形作り︑その大きさと形︑その他の性質およ
び空間に対する比率を︑神がそれらを形作った目的に最もよくかなうようにした︒⁝⁝すべての有形の事物は︑:−:
最初の創造において︑聰明な能動者の意図によって︑さまざまに結合されたように思われる︒有形の事物に秩序を
与えることは︑それらを創造した者にふさわしいからである︒そして︑もしそれが神の御業であるならば︑世界の
起原を他に求めること︑つまり︑世界はたんなる自然法則によって渾沌から生じたのであろうなどと主張すること ︵18︸は︑非哲学的である︒﹂
また︑﹃プリンキピア﹄の﹁一般的注解﹂には次のようにある︒﹁6個の主惑星は︑太陽を中心とする同心円﹂を
回転し︑同一の運動方向をもち︑ほぼ同一の平面上にあります︒10個の月が︑地球︑木星︑土星のまわりを︑それ
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D・ヒュームの経験論的八間学の研究(八}
それを中心とする同心円上を︑同一の運動方向に︑しかもほぼ各惑星の軌道平面内に︑回転しています︒これらす
べての規則正しい運動を生ずることは︑力学的原因だけからでは得られようもありません︒といいますのは︑彗星
はひどく離心的な軌道で︑天空の全部分にわたって自在に運ばれるからです︒⁝⁝この太陽︑惑星︑彗星の壮麗き コンシリウム ドミニウムわまりない体系は︑至知至能の存在の深慮と支配とによって生ぜられたのでなければほかにありえようがありま
せん︒またもし恒星が他の同様な体系の中心であるとしたら︑それらも同じ至心の意図のもとに形づくられ︑すべ ウニウス ︵19︺て﹃唯一者﹄の支配に服するものでなければなりません︒﹂
以ヒを要約すると︑ニュートンの﹁科学的有神論﹂は次のようになるであろう︒日 自然の世界を構成している
基本的物質︵例えば原子︶は受動的であるから︑自らを秩序づけたり自らを始動させたりすることはできない︒口
宇宙の起源や秩序の究極的原因は自然科学によっては説明できない︒日 H︑口から自然の世界︑宇宙の究極的原
因︑第一原因として神の存在が推論できる︒㈹ 自然科学は︑宇宙が実に見事に秩序と調和を保っていることを明
らかにした︒㈲ 自然科学はまた︑宇宙に存在する諸々のものの間に目的的関係があることを見出す︒因 四︑国
は︑神の設計あるいは神の意図によって説明できる︒
さて︑ヒュームは口については全くニュートンと同じであったし︑日も恐らくそう考えていたと思われる︒しか
しヒュームはそこから究極的原因︑第一原因というものを探求しようとはしなかった︒ヒュームは︑自然科学の領
域においても道徳哲学においても︑究極的原因︑第一原因の存在を拒否した︒寧ろ口については︑ニュートンはデ
カルトやデカルト派の人々と同じであったといえる︒従って︑ニュートンの科学的有神論の独自性は︑四と㈲から
㈲を唱えたところに見出される︒一般にこれが︑神の存在の設計論的証明といわれるものである︒以下︑ニュート
25
ンの設計論的証明︵畠Φω貫月震ひq露ヨ①耳︶について︑ハールバト三世の議論によりながらいま少し述べてみよう︒ ︵20︶ ⁝ ハールバト三世は︑ニュートンの設計論的証明を二つに分けて議論している︒一つは︑﹁設計からの証明﹂︵費胆−
日Φロミざミ鳥Φωお口︶である︒即ち︑自然科学はその幾何学的・機械的自然法則によって︑宇宙の中の無数の事物の
間に均衡ある秩序の存在を明らかにしたが︑そこから我々は神の存在と叡知とを推論することができる︑というの
がそれである︒この論証は︑ア・ポステリオリで︑類比的証明といえる︒即ち︑自然における事物の観察結果の科
学的記述から行われているので︑それはア・ポステリオリであり︑また︑宇宙の秩序の幾何学的・機械的性格は︑
人間が幾何学的・機械的に作った産物と同じく︑叡知的な創造者あるいは産出者︑つまり設計者を前提にしている
という意味において︑類比的証明といえる︒
いま一つは︑﹁設計への証明﹂︵費ぴQ亘ヨΦロけ討ユΦω齢巳である︒設計からの証明における設計が︑宇宙における調
和的な秩序づけを意味していたのに対し︑設計への証明の設計は意図︵ぎ8口口8︶あるいは目的︵o⊆巻︒ωΦ︶を意味
する︒上の引用文︵例えば︑﹃光学﹄第三篇第一部疑問二八︶にもあったように︑動物の体躯がいかに巧妙に作られ
ているかを扱った箇処で︑ニュートンは︑目的︑意図といった要素を入れて論じている︒そこでは︑宇宙における
事物の機械的・幾何学的秩序だけでなく︑世界に生存している有機体の各部分の間の目的的関係も考慮に入れられ
ている︒そうして有機体の体や器官は︑ある一定の目的に向って実に巧みに作られている︒しかし有機体自体はそ
うした目的的関係の原因ではない︒となると︑そのような関係を有する有機体を作ったものが他に存在しなければ
ならなくなる︒ニュートンはそれを設計者としての神としたのである︒
以上︑ニュートンの設計論的証明を核とする神学的有神論を述べた訳であるが︑そこに見られる近代の自然科学
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D・ヒュームの経験論的入間学の研究(八}
の成果と︑また当時根強く残っていたキリスト教神学との見事な結合が限りない魅力となって︑同世代のみならず
後世の哲学者や自然科学者にも大きな影響を与えたのである︒しかしヒュームはこのようなニュートンの設計論的
証明を含め当時支配的であった設計論的証明を批判したのだった︒ヒュームの設計論的証明については︑既に第一
章で詳しく論じているのでここには繰り返さないが︑ただ次のことは述べておこう︒
ヒュ:ムが設計論的証明を批判する理由には大きくいって二つある︒第一は︑設計論的証明はもとより﹃聖書﹄
に由来するが︑設計論的証明を以てキリスト教を近代的に再解釈しようとする試みは︑却って宗教としてのキリス
ト教の衰退をもたらすと考えるからである︒そして第二は︑設計論的証明に見られる議論は道徳哲学には適用でき
ない︒もしそうした議論をもし道徳哲学に適用しようとすれば︑人間や人間社会の理解を歪めることになると考え
るからである︒いま後者の問題についてのニュ:トンを考えると︑例えばニュートンに次のような文章がある︒﹁も
し自然哲学がその全分野で⁝⁝完成されるならば︑道徳哲学の領域もまた拡大されるであろう︒なぜなら︑われわ
れが自然哲学によって︑第一原因とは何か︑神はわれわれに対してどのような支配力をもっているか︑またどのよ
うな恩恵をわれわれは神から受けているかを知りうるかぎり︑それだけ︑われわれ相互に対する義務のみならず︑ れ われわれの神への義務もまた自然の光によって明らかとなるであろうからである︒﹂︵﹃光学﹄第三篇第一部疑問三一︶し
かしヒュームは︑道徳哲学においてこうした議論をすることを拒否するのである︒この節では歴史について見てい
る訳だが︑後に見るような科学的有神論︑設計論的証明の中に︑過去即ち歴史というものを取り入れることは極め
て難しい︒
最後に︑ニュ:トンの科学的有神論が︑マクローリンを通して︑ヒュームの議論の中に取り入れられていること
27
を示す﹂つの証拠を挙げておこう︒マクローリンはその著﹃アイザック・ニュートン卿の哲学的諸発見について﹄
︵卜§匹象ミミ黛の受誘し・§≧鴨ミ§¢き靴二面ミらミb執象︒竃篭鳴勲一起︒︒︶において︑ニュートンの科学的有神論を擁
護して︑次のようなことを書いている︒﹁神性の存在についての平明な証明︵夢Φ宮巴pp︒﹁σq¢ヨΦ二¢は︑すべての人
にとって明白であり︑従って我々に︑抗し難い確信を抱かせるのであるが︑それは我々が宇宙を通して見出す事物
相互の明らかな考案︵oO葺泣く99昌︒Φ︶と合目的性からきている︒この問題は微妙で深遠な推論というものは必要でな
い︒明瞭な考案は︑考案者︵8暮鼠く興︶の存在を示唆する︒それはあるセンセーションのように我々に衝撃を与え
る︵一けωけ﹁=︵Φω=ω一=︿①鋤ω①昌ωpD梓一〇昌.︶︒だから︑この証明に反対する巧みな推論は我々を当惑させるかもしれないが︑
我々の信念をぐらっかせることはない︒例えば光学の原理や目の構造︵9Φω筒ロ暮霞①o凶夢Φ①︽①︶を知っている者
は︑それがその科学において巧妙に作られたものではないと信ずることはできないし⁝⁝また︑動物の雄と雌が互 ︵22︶いのためにまた種族を存続させるために作られたものではないと信ずることはできない︒﹂この文章は︑その主張や
表現において︑ヒュームの﹃自然宗教に関する対話﹄における次のようなクレアンテスの会話と余りにも似てはい
ないだろうか︒﹁あらゆる種類の一切の証明ないし論考を排除することは︑街学か狂気だ︒すべての道理をわきまえ
た懐疑主義者が公言している職務は︑難渋︑迂遠かつ手のこんだ証明を排撃し︑常識と自然の平明な本能︵匪①豆︒ぎ
ヨωぼコ︒冨oh玉鉾霞Φ︶を離れないことだけだ︒そしてなんらかの論拠が︑彼に力いっぱい衝撃を与えた︵日当お霧︒づω
ω三皇Φ三8︶ため︑最大の暴力なしにはその力を阻止できないような場合には何時でも同意することなのだ︒さて自
然宗教の証明は︑明らかにこのような種類だ︒⁝⁝目を考究し︑解剖したまえ︑その構造と考案を検査したまえ
︵Ooコω置①き下口讐︒∋一N①けげΦΦ︽①日ω霞く①︽房簿登簿信旨き傷oo昌巳くg︒50Φし︒そして君自身の感じたところがら考案
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D・ヒュームの経験論的入間学の研究(八)
者︵oo葺亡く臼︶の観念が︑センセーションの力に類似する一種の迫力で直ちに君の上にわきあがってこないかどう
か︑僕に言ってみたまえ︒もっとも明瞭な結論は︑確かに設計︵匹①ω酔ひqp︶に荷担している︒⁝⁝それぞれの種族の雄
と雌︵9①玉野Φ鋤コα︷①日経Φo︷Φ蝉︒ゴωO①9Φω︶︑彼らの諸部分や本能の対応︑彼らの諸情念や⁝・:全生活過程を見る ︵23︶人は誰でも︑種族の繁殖が自然によって意図されていることを感ぜずにはいないのではないか︒﹂
㈲ ヒュームと﹁歴史の時代﹂
ヒュームは︑﹃人性論﹄の副題からも明らかなように︑近代の自然科学の方法論︑特にニュートンの実験的方法を
道徳哲学に適用しようとした︒しかし道徳哲学には︑自然科学にない不利があるので︑自然科学の方法論をそのま
ま道徳哲学に適用することはできない︒その不利とは︑実験ができないということである︒そこでヒュームは︑こ
の不利を克服する方法として︑歴史における経験的事実を収集することを挙げたのである︒このような側面からヒ
ュームの歴史的方法を明らかにしたのが︑本節㈲で述べたようにリューテであって︑それは正当な議論であるよう
に思える︒少なくとも﹃人性論﹄の﹁序論﹂を︑ヒュームの方法論を理解する上の最も重要な文章と考えるならば
そういうことになる︒何故なら︑その﹁序論﹂には︑歴史とか歴史学といった言葉は一切見出せないからである︒
また︑﹃人性論﹄においても︑歴史について論じているところはただ散見されるだけで︑まとまった形で論じられて
はいない︒歴史についてのヒュームの考えが比較的まとまっているのは﹃人間知性研究﹄の第八章であって︑そこ
での議論は︑確かに﹃人性論﹄の﹁序論﹂の議論と繋っている︒リューテは︑この繋りを特に重視することによっ
て︑議論を展開しているのである︒
しかしリューテの議論も︑結局は︑﹃人性論﹄の第一篇で論じられている因果論に戻る︑つまり︑ヒュームの哲学
29
的基礎が論じられていて歴史については殆ど触れられていない﹃人性論﹄第﹈篇に戻っている︒即ち︑リューテは︑
﹃人間知性研究﹄第八章の﹁恒常性原理﹂は︑﹃人性論﹄第一篇の﹁慣習原理﹂と同じものであるというのである︒
慣習とは幅を持った経験であって︑そこには時間的経過が前提とされており︑ともかく過去というものが含まれて
いる︒即ち︑この議論にたとえ歴史という語が使われていなくても︑そこには歴史というものが含まれているので
ある︒ということは︑ヒュームの歴史的方法論は︑実は︑﹃人性論﹄第一篇でも論じられているということになる︒
これは極めて重要なことと思われる︒もしそうだとすれば︑ヒュ:ムの著作・論文の大半を占める歴史的議論は︑
ヒュームの哲学的基礎が論じられている﹃人性論﹄第一篇の適用ともいうことができるのではないだろうか︒ ︵24︶ リヴィングストンは︑↓体にヒュームの概念は︑﹁歴史性﹂︵三ω8ユ︒一蔓︶を有しているという︒例えば︑ヒューム
の観念の概念もそうだという︒リヴィングストンによれば︑ヒュームの概念論は︑一︑模写原理︵08︽O鼠コ︒凶覚Φ︶ ︵25︶と︑二︑過去含意的原理︵O霧→①コ富達コひq胃ぎ︒一覧①︶とからなる︒一は︑すべての単純観念はそれに正確に対応す
る印象に由来する︑ということである︒二は︑単純観念であれ複雑観念であれ︑すべての観念は過去の印象に由来
する︑ということである︒もう少し詳しくいうなら︑単純観念はそれに類似する過去の印象に由来し︑複雑観念は
それに類似するかもしれないあるいは類似しないかもしれぬ過去の複雑印象に由来する︑というのである︒例えば
赤︵おα︶という単純観念さえ︑最初現れた時には理解できない︒我々が赤という観念を持ち得るのは︑それが現れ ︵26︶た後︑明かに過去になってからである︒単純観念ですらこうであるから︑複雑観念にいたってはなおのことである︒
さて︑リヴィングストンは︑この二つの原理のうちより根本的なのは︑過去含意的原理だという︒その理由は︑ヒ
ュームが道徳哲学を論じる時︑主として検討したのは反省の複雑観念︵oo日O一①×置①鋤ω鼠﹁Φ自︒∩菖︒コ︶であり︑ヒ
30
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(八)
ユームも言っているように︑それは過去の複雑印象の模写を要しないからである︒だから︑一の模写原理が拒否さ ︵27︶れたとしても︑二の過去含意的原理は生き続けるだろう︑とリヴィングストンはいう︒ヒュームの因果論は︑その
観念論からの展開であるので︑観念論において過去︑即ち歴史が︑重要な内容を有しているとすれば︑因果論にお
いて過去︑歴史が重要な内容を持っていることは当然である︒従って︑以上のようなリヴィングストンの議論は㈲
で述べたりューテの議論と議論の出発点こそ異にすれ︑結果においては同じだといえる︒
結局︑自然科学において実験が可能だということは 少なくともその理由の一つは ︑その実験が︑内容を
持った有意味な過去・歴史というものを有しないからである︒これに対し︑道徳哲学が対象とする大半のものは︑
内容を持った有意味な過去・歴史を有しているので︑実験ができない︑貰ういうことになる︒思うに︑﹃人性論﹄の
中に歴史という言葉がそれ再見出されないのは︑﹁経験﹂︵Φ×OΦ二個口︒Φ︶という言葉がそれを代用しているといって
もよいからである︒多分︑ヒュームの経験は︑ロックやバークリなどが使った経験よりも︑より豊かな歴史的内容
を持ったものであったと思われる︒例えばリヴィングストンはあるところで次のように書いている︒﹁ヒュームが関
心を持って明らかにしょうとした経験は︑感官知覚をパラダイムとする古典的経験主義の無時間的経験︵鉱∋①一Φωω
①×℃Φ﹃δコ︒Φ︶ではなく︑情念によって構成される歴史的世界において秩序を求める自己の歴史的経験︵三ω8﹁一〇巴 ︵28∀o×℃①﹁δコ︒Φ︶である﹂と︒
恐らく︑ヒュームが十代の後半︑新しく見出した思想の光景は︑歴史性を有した因果論ではなかっただろうか︒
それは︑﹃人性論﹄第一篇で詳細に展開されることになるが︑しかしそこではかなり抽象的に論じられている︒だが
そこはヒュームの哲学的基礎が議論されているところであるから︑当然ともいえる︒ヒュームの最初の文章は﹁騎
31
士道と近代的名誉の歴史的試論﹂︵︑.﹀コ霞ωεユ︒母国ω弼︽oづOプぞ巴蔓弩αヨoa臼づ=o⇒o﹃︑.︶であるが︑それはそ
のタイトルが示すように︑具体的・歴史的考察を行ったエッセイであった︒このことも上のような推論を証拠立て
てくれるかもしれない︒また︑﹃人性論﹄も第二篇﹁情念に就いて﹂︑第三篇﹁道徳に就いて﹂と議論が進むにつれ︑
即ち︑対象が具体的︑広範になるにつれて︑次第に歴史的考察が増していっていることも注意されてよいだろう︒ ︵29︶第二篇には︑﹁歴史や日常経験からの実例は豊富で好奇心を直る﹂という文章が出ているし︑第三章には︑﹁歴史の ︵30︶研鐵は真の哲学の論究を裏書きする﹂といった文章も見えてくる︒﹃人間知性研究﹄や﹃道徳原理研究﹄も︑﹃人性
論﹄第一篇︑第三篇より︑歴史的考察がより豊かになっている︒
﹃道徳・政治論集﹄︵勢㊤亀のミ◎ミ§織ミミ§Nレ謹ゲ・・︶や﹃政治経済論集﹄︵ミ︑ミ§︑b§§毯︒・嵩㎝卜︒︶とも
なると︑歴史的考察は格段に増える︒これら著作に収録されている多くの論文は︑歴史論といってもよいものであ
る︒その中でも︑﹁歴史研究について﹂︵.︑Oh9ΦGo嘗身oh霞ω8蔓︑︑︶︑﹁政治を科学に高めるために﹂︵.︑↓ぽ緯勺︒洋圃6ω
ヨ鋤︽σΦ園①住¢o︑08蝉Qっ︒δ昌︒①..︶︑﹁芸術および学問の生成と進展について﹂︵︑︑Oh夢Φ男冨Φ鋤ロα℃﹁oσq﹁Φω︒Do︷夢①
﹀﹁国書乱ω︒一魯︒Φ︑.︶︑﹁原始契約について﹂︵︑︑O︷9①○ユひQぎ巴Oo簿﹁p︒o甘.︑︶︑﹁古代入口論﹂︵︑6︷匪Φ℃8巳︒誘コ︒ωω
o︷﹀づ︒δ三Zp甑8ω︑.︶などが有名である︒また︑﹃宗教の自然史﹄︵一七五七︶も︑そのタイトルの通り宗教を歴史
的に考察したものである︒勿論︑歴史的考察を行ったのが大著﹃イングランド史﹄︵§下話認︒壱ミ肉筆ミ諾否肉こミ
ミ鴨き§鴇§9冒職誤98ミミミ馬出腎ミミ職§9誉ミ禽ミ早言qoミ猟NO︒象■嵩綬よト︒︶である︒同大著は︑T・
B・マコーリの﹃英国史﹄︵S書ミ︒︒き隠ミ雨量ミ謡鈍一︒︒おVが出るまでの約百年もの間︑標準的歴史書としての
地位を保ち続けた︒その後も︑今世紀前半のみを除き︑読み継がれ今日に至っている︒しかしヒュームの歴史への
32
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(八)
関心はそこで絶えるのではなく︑最晩年まで持ち続けられた︒一七七三年には︑﹁政治的支配の起源について﹂︵..○︷
窪①○ユぴqぎohの○<①ヨヨ①づけ︑.︶と﹁ロバート・ヘンリーの大英国史の書評﹂︵︑︑カΦ<δ≦o︷カ︒げ①答鵠Φ霞風ω震︒︒8Q
o︷O掃讐ゆ昏臥コ︑.︶を︑そして死の一年前の一七七五年には︑﹁オシアンの詩の確証性について﹂︵.6津ゴΦ︾旨げΦ耳幽6−
一qohOω︒︒冨口︑ω勺︒Φヨω.︑︶を書いているのである︒
このようにヒュームは︑その著作活動の初めから最後まで︑絶えることなく歴史に関心を持ち続け︑歴史的考察
を含んだ大小多くの作品を書いたのである︒恐らくヒュームは︑そうした歴史的作品を彼の哲学一それは特に﹃人
性論﹄第一篇で論じられている一を拡大適用したものと考えていた︒このことは︑A・L・プランに宛てた書簡
の中の次のような文章によっても分かる︒ヒュームは︑ニカ月後に出版予定の﹃イングランド史﹄第一巻の構成に
ついてコメントを加えているところで︑﹁これまで私のすべての作品の中に︑私がこれほど注いできた哲学的精神 ︵31︶︵夢Φ07まω8田︒巴QD豆﹃εは︑ここに加工すべき豊かな資料を見出す﹂と書いている︒
しかしヒュームが生涯︑歴史に関心を持ち続けたのは︑その哲学的精神ばかりではない︒明らかに時代が歴史を︑
歴史的考察を要求したのであって︑ヒュームはそれに正面から対応したのである︒ケプラーからデカルト︑ニュー
トンを経てヒュームにいたる歴史は︑自然科学と神学とが奇妙な結合をしていた時代であった︒しかしそこには歴
史が欠けていた︒リヴィングストンはこの間の時代の動きを次のように簡潔にしかも見事に描いている︒曰く︑﹁近
代科学は︑自然における創造者の仕業を理解しようとする試みとして始まった︒ケプラーが科学を﹃神聖な狂気﹄
と書き得たのはこのような理由からである︒特にデカルトは︑創造者が合理的宇宙を産出したということを︑もし
我々がア・プリオリに知ることができないならば︑科学的知識は不可能であるということを︑真に理解していた︒
33
神は存在する︑神は詐欺師ではない︑というデカルトの存在論的証明︵o葺︒一〇σq凶︒巴輿σq義訓①暮︶は︑科学の土台を
確実にするために持ち出されたものである︒ヒュームの時代までは︑科学は十分世俗化されていたので︑科学はア・
プリオリに知られている合理的創造者を前提とする研究とは最早や考えられていなかった︒寧ろ︑科学は純粋に世
俗的な研究と受け止められていて︑我々はその研究に基づいて創造者についての経験的知識を手にすることができ
ると考えられるようになっていた︒設計論的証明が存在論的証明に取って代ったのである︵↓げ①住Φω齢づ鍵ひq蛋ヨΦ導
目8す︒Φ匹9①058一〇σq8四一費σq=目①昌ε︒自然神学は非歴史的な自然科学︵鋤ゴ一ω叶O﹁圃O鋤一 昌日切=﹁鋤一 ωO一①旨O①ω︶を通して
成し遂げられたのである︒ここに非歴史的というのは︑自然科学の仕事がニュートンの引力の法則のような無時間 ︵32︶的自然法則︵8二二ωω訂≦ωohコ讐霞①︶を確立することにあるという意味においてである︒﹂ωでニュートンの神学
についてかなり長く述べたのも︑単に神学におけるニュートンとヒュームの違いを論ずるということだけではなく︑
ケプラー︑デカルト以来の自然科学と神学との関係が︑ニュートンにおいてどのようになったのかを示すためでも
あったのである︒
しかしそれが十八世紀になると︑歴史に対する関心が急速に高まってきた︒ヴォルテ!ル︑ヴィ!コ︑ギボン︑
ロバートソン︑テユルゴーなどの歴史家が次々と現れて︑何れも大部の歴史書を著した︒ヒュームもその一人だっ
た訳である︒ヒュームは︑一七七〇年の夏︑W・ストローンに宛てたある書簡の中の冒頭で︑﹁私は現代が歴史の時 ︵33︶代︵臣①三ω8ユ︒巴﹀ひqΦ︶であると信じております﹂と書いている︒これはヒューム晩年の書簡であるので︑このよ
うな意識を若い時から持っていたということにはならないかもしれないが︑しかしヒュームがそうした時代に生き
ていたことは間違いないし︑そうした時代の思潮から何らかの刺激︑影響を受けたことも否定できないと思う︒十
34
D・ヒュームの経.験論的入間学の研究(八〉
八世紀に歴史の時代が現れたのは︑恐らく︑その前の時代が歴史の欠如した時代であって︑それに対する反擁︑批
判からであった︒
ヒュームが十八世紀以前の道徳哲学において歴史を欠くものとして特に取り上げ批判したのは︑社会契約論 ︵34︶︵ωo鼠巴−oo巨茜9昏①o﹁︽︶と自然法論︵島Φo曙︒︷ロ鉾二鑓=p毫︶であった︒ヒュームのこれらの理論に対する批
判は︑何れ詳しく論ずることになるが︑何れにしても両者が無時間的原理に基づくものであったからである︒前者
は︑契約の遵守という無時間的な議論に︑また後者は︑自然の情況と行為の問に永久的な適合性が存在していると
いうことに︑それぞれ根拠づけられていた︒しかし両理論とも︑このような歴史的制度が合理的権威を有するもの
としていかに考えられ得るのかについては何らの説明も与えていないし︑与える必要も認めていない︒これらの理
論によると︑歴史的制度は社会的契約あるいは自然法と一致するという理由のみで︑または一致する程度において︑
合理的権威を得るということになる︒要するに両理論においては歴史が欠如しているのであって︑ヒュームはその
点を批判するのである︒しかしヒュームは両理論を全面的に批判するのではない︑批判的に発展させ新しい理論を
提示しようとするのだが︑この問題については何れ詳細に論ずることにする︒
上述したように︑十八世紀に入ると歴史の時代となり︑それに伴って多くの歴史観が登場したが︑しかしその中
にはヒュームの歴史観と対立するものも現れた︒その一つが︑リヴィングストンの用語を使うと︑神意的歴史観 ︵35︶︵穣︒<置型け一匹≦Φ≦o︷ゴ一ω8蔓︶である︒その代表者がJ・プリーストリで︑彼は予言を信じると同時に︑歴史の
中で展開される神の計画が科学的に理解できることを強調した︒プリーストリが︑その﹃歴史学講義﹄︵卜§ミミ砺§
§&遷§概O§鳴ミNき職工﹄謡︒︒︶の中で試みたのは︑自然科学の方法だけでなく歴史の方法も︑神についての科
35
学的知識を提供するために用いることができることを示すことであった︒そこでは明かに︑近代の自然科学とユダ
ヤーキリスト教の伝統的歴史観とが結合されている︒そういう意味でそこには歴史というものが含まれている︒し
かしそこで語られているのは︑現在と未来であって︑過去ではない︒しかも現在は︑完全で理想的な世界である未
来に到る不完全な一段階と考えられている︒未来が規範であって︑現在や過去はそれによって判断される︒しかし
これは明らかにヒュームの歴史観と対立する︒ヒュームにおいては︑過去が現在の構成に対して規範1もっとも
絶対的なものではない を与えるのであり︑未来はせいぜい蓋然的な予測しかできない︒
以上のような神意的歴史観はヒュームの歴史観と著しく対立するものではあったが︑まだ神聖な︵惹自①αV歴史
観であったのでよかった︒それが世俗化した時どうなるか︒神意的歴史観の世俗化は︑ヒュームの時代にも少し見
えていたが︑ヒュームの死後︑それは急速に進んでいった︒そしてそこから現れてきたのは︑合理主義的歴史観︑
K・ポパーの用語を使えば︑歴史主義︵三ω8鼠9ω日︶であった︒コンドルセ︑フーリエ︑コント︑マルクス等の歴
史観がそうであった︒彼等の時代は︑十八世紀の歴史の時代とは全く異なった歴史主義の時代であった︒勿論︑ヒ
ュームは歴史主義の時代に立ち合った訳ではない︒しかしヒュームの歴史観は合理主義的歴史観︑歴史主義に対し
て最も重要な批判となっているのである︒
尚︑ヒュームの歴史観については︑後に具体的問題を扱うところで論ずることにする︒
36 注
︵1︶ 門q9ρヵ鼠︒冥導噌ミミミ緊顛認︒蔦譜︑黛ミ蹴き§愚詞く①二四σq凶蝉二≧σΦ﹁写Φま鐸﹁ひq\多雪9ΦP一8一.Qo.一嵩.
︵2︶︵3︶国ニヨρ∪肉ミミ譜鉾P︒︒ω.前掲邦訳︑二九頁︒
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(八)
︵4︶じd冨合し.じσ§鴨︾篭ミ募︑︒尊︑卜⑦ミ魯9きミO蕊ミ勢ミ薗§軌黛ミ鴨国学ミ軸§ミO§ミ§.ピ︒邑︒﹃竃Φ9二窪しり①切.
P︒︒①■QD■閤芝①酔N㌦.==ヨρ出ジ8q冒餌コα=⊆∋国昌Z碧貫ρ..ヨミミ鳴禽き職含愚壽ミ9しり象凡鳴童ぎミ帖亀轟蕊織勢ミ這①α.σ︽
∪.=<ぎαqω8コ国昌α﹈≦■竃四﹁二Pα三︿.o︷力ooプΦω8﹁℃﹁①ω︒励お㊤ピ戸お.
︵5>Q︒8∋≧qΦ色ぎ§匂愚電芝露旨這§職ミ鴨︑こミ§9ぎミ舞お①・︒も.=8Q︒.囚■≦Φ﹁貫奪ミ■もる㊤.
︵6︶Oo=ヨひQ≦︒︒F即Oこ憲鴨§轟ミ凌駕︒§○改oa一Ω母①巳8牢①ωω﹂.O①卜︒も.刈①.
︵7︶︵8︶ 寓ニヨρ∪.肉§§ミ塁.O.︒︒ω.前掲邦訳︑二九頁︒
︵9︶閃︒﹁σΦρO§69︒戸ミ§鳴︑⑭き§軌愚隷§︑ぎミ§鴇O国ヨびユαひqΦ 9ヨσ﹁こαq①α三く■牢Φωω.︒訂℃﹂.
︵10︶ 以下︑Qり.囚■芝Φ二N︑奪ミも■︒︒N参照︒
︵11︶ =⊆日ρU肉ミミミ防も■︒︒9前掲邦訳︑一二一頁︒
︵12︶ ピq3ρ幻二きミ.ω.一トのO.
︵13︶︵14︶ 門二9ρ勾きミ.QD.おbの.
︵15︶ J・M・ケインズ﹁人間ニュートン﹂︵﹃ケインズ全集﹄10所収︑東洋経済新報社︶四八○頁︒またケインズは次のように言っ
ている.﹁なぜ私は彼を魔術師と呼ぶか.⁝彼は宇宙を全能の神によって課された暗号と見なしていた.iあたかも彼自身︑
ライプニッツと通信したさいに微分法の発見を暗号文に包んだのと同じように︒﹂︵同︑四八三頁︶
︵16︶カ︒げ①詳国.国巨σ葺日←ミ§鴨糟冬ミ§§職︑曹b覇斜謡︾錯袋ミ§5ご急く.︒︷Z①げ鋸ω冨牢Φωω﹄㊤︒︒㎝.畠巷﹈.尚︑ニュート
ンの神学とヒュームの方法論を比較論じたものとして︑寅目①ω20×oPミミ︸き︑翁愚ミミ︑bミミ愚§§ひO×︷自α一Ω費①邑︒コ
℃話ωρち記.勺胃二押勺鋤﹁二戸は逸せない︒
︵17︶ ニュートン
︵18︶
︵19︶︵20︶
︵21V
︵22︶ ﹃光学﹄︵島尾永康訳︑岩波文庫︶三二六一七頁︒
ニュートン﹃光学﹄同右︑三五四頁︒
ニュートン﹃プリンキピア﹄︵河辺六男訳﹃自然哲学の数学的諸原理﹄
幻.=・国二匹σ三辞目ダ奪ミ.O℃.Q︒山O.
ニュートン﹃光学﹄前掲邦訳︑三五七頁︒
即出.=霞ぎ=洋昌rきミ曽ロ■島 ﹃世界の名著﹄31︒中央公論社︶五六〇1一頁︒
37
︵23︶ 菊.国.=g二げ旨二一一こNミ駄闇℃﹈ω︒︒■ヒューム﹃自然宗教に関する対話﹄前掲邦訳︑四七頁︒
︵24︶い翼長ω§ヒ︒琶匹.≦導..=§①.ω田ω辞9︒巴︒︒9・9︒:hぎ①母鴇.ゴト§§§・§ミ︑・鳶ぎ藁黛肉叢§9Φα・σ賓z・
089︒互俸P芝.=︿ぎαq︒︒什︒戸δ暑霞﹀︒巴①∋凶∩空曇一ω冨頃ω﹂80も﹂o刈・
︵25︶い三コσq︒︒§p≦.︑↓ぎ露巳く五器ヨ=毒①︑ωω︒︒凶巴・︒巳℃︒=二︒巴℃三一88ξ㍉ゴさ︒ミミミ的ミ蛍︒﹂︒︒①・
︵26︶ごくヨ伽q︒︒8戸U.≦..=¢∋①︑ω≡ω8﹁凶︒巴08︒8二︒コ︒頃=σ①二ざ︑.o﹂O㊤・
︵27︶=<話ω8pu.芝←.︑日§Φ︒︒a<巴葦葺=§①.ωQ︒8芭留亀℃︒謹︒巴勺三一ω8蔓..℃﹈︒︒9
︵28︶=︿ヨひqω8戸﹈﹀芝︑︑=︒§.ω霞︒︒8腎巴08︒8ユ︒コ︒噛=げΦ量...℃﹂O︒︒・ コ︵29︶ =ニヨρU;ムぎミ凱︒・鳴ミぎミ§≧ミミ黍℃ωき.前掲邦訳一一五六頁︒ 其︵30︶ 国ニヨρ∪醇寄§︑蹄鳴ミミミ犠§きミ鳶・℃.㎝爵.前掲邦訳四一六七頁︒ ︵31︶=毒ρ∪§Qトミ霧ミ象蛙帖織ミミる島.σ乙k.日月Φ凶ひq■O臥︒曇Ω塞巳8牢①︒︒ρま㊤・<・一・ピp壽・
︵32︶ぼく冨ω8戸∪.≦圃ミ§鳴︑騎ミ嵩.§朝暮蔓︒§§§ト欝鐸Φ⊂三く.︒h99ひq︒牢Φのω仏⑩︒︒心も﹄︒︒刈・
︵33︶寓ロヨρUぎQトミ簿誘ミb織艶・.気ミミ魯く︒門Nも﹄G︒ρ
︵34︶=含ひqω8コ﹄.≦−︑.↓ぎΦ餌巳く葺①ヨ=§①︑ωω︒6凶巴︒a℃︒ま∩巴写臨︒ω8蔓︑.℃﹂︒︒朝・
︵35︶ 以下∪.乏.=くヨぴq︒︒8戸聖ミ鴨げぎ帖︑8息ミミOoミミ§自身導︒冨や一一.参照︒
38