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古   賀 勝   次   郎

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(1)

ハイエク社会理論体系の研究︵十︶

ーオーストリア学派におけるハイエクの位置ロー

古 賀勝 次 郎

  目  次

は.じ め に

9 オーストリア学派の系譜および特徴

 ω オーストリア学派の系譜

 ω オーストリア学派の方法論における特徴

 ㈹ 時間︑競争︑市場過程︵以上前号︶

ロ オ:ストリア学派の展開︵以下本号︶   ーミーゼスとハイエクを中心にi

 ω ℃話×o巳ooq鴇とハイエクの社会理論

  ㈲ M・ヴェーバーとミ:ゼスの人間行為学

  ㈲ 先験主義とK・ポパーの反証可能性の基準

  ㈲ ミーゼス︑ポパーとハイエクの社会理論

 ㈹ ミーゼスーーハイエク景気理論

  ㈲ オーストリア学派の貨幣論

  ㈲ ミーゼスーーハイエク景気理論とその今日的意義

む す び

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オーストリア学派の展開

 ーミーゼスとハイェクを中心に

 さて︑オーストリア学派は︑ミーゼスとハイエクによって︑更に一段と発展ぜられた︒彼らによって発展せられた

のは︑ただに経済学ばかりでなく︑社会科学方法論をはじめ︑その安いろいろの分野においても︑飛躍的といっても

よい程の展開が見られた︒ここでは︑そ.の中の︑特に︑方法論と経済理論の一部である景気理論の二つを取り挙げ述

べることにする︒

 ハイェクはミーゼスの直接の弟子であり︑彼が最も影響を受けた学者の一人である︒ハイエクは︑ミーゼスを現代      ︵1︶     ︵2︶      ︵3︶のJ・S一・・ルとして尊敬し︑その自由論︑計画経済批判︑景気理論などにおいて︑彼はミーゼスの考えを受け継ぎ

更にそれを発展させた︒ 一方ミーゼスも︑ ハイエクを現代最大の経済学者の一人に数え︑その﹃自由の基本原理﹄      ︵4︶︵↓ぎG§恥ミミ§旦卜§ミしり①O︶を記念碑的著作とまで讃えている︒ミーゼスとハイエクはこのような師と弟

子であって︑従って︑両者は多くの点において略言考えを同じくしていた︒しかし︑いくつかの点については︑両者

はかなり異っており︑とりわけ方法論において著しい違いが見られる︒そこで︑先ず︑両者の社会科学方法論の差異

について論ずることにしよう︒

ω℃箪×Φoδσq曳とハイエクの社会理論

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ハイエク社会理論体系の研究(十)

 ミーゼスの社会科学方法論は︑言う迄もなく︑オーストリア学派の伝統から出たものであるが︑しかしまた︑ロー       ︵5︶スパードも指摘しているように︑ドイツ西南学派にも多くを負っている︒ミーゼスは︑H.リッケルト︑W.ディル

タイ︑W・ヴィンデルバソトなどからも学んだが︑彼の友人であるM・ヴェーバーの影響は大きかったと思われる︒

他方︑ヴェーバー自身の経済理論︵計画経済批判などにおける︶も︑その殆どをミーゼスに負っている︒けれども︑

ミーゼスとヴェーバーの間にも︑やはり︑方法論の考えに差異のあることを認めない訳にはいかない︒

        ㈲ M・ヴェーバーとミーゼスの人間行為学

 ミーゼスがヴェーバーの方法論を高く評価するのは︑ヴェーバーが︑ ﹁歴史学派﹂の中からその内在上等判を通し

て自己の方法論を確立したからである︒そしてその歴史学派批判において︑両者は一致していた︒ヴェーバーの歴史

学派批判を要約的に言えば︑次のようになろう︒歴史派学派の人々は︑経済現象の因果関係を法則的に把握し得ると

考えることから︑進んで︑歴史過程の発展法則を確立しようとした︒だが︑リッケルトと同じ立場に立つヴェーバー

にしてみれば︑歴史学派のそうした方法は︑﹁現実科学﹂︵♂<蹄閃一一〇げ吋①凶日ωミ一ωωO口ωOプ9津︶と﹁法則科学﹂︵○Φωo言①ω毛甲

ωω①づω魯9津︶と同一視していることになる︒わかり易く言えば︑それは︑自然科学的な方法を︑誤って歴史の領域に

適用しているのであって︑そのような適用自体不可能であろう︒現実科学の対象とする歴史は︑その質的な特性を

﹁理解﹂︵<興ω8げ①口︶という方法で認識されるべきものである︒だが︑そのような方法によっても︑歴史的な現実は

到底解明できないのであって︑われわれにできるのは︑﹁理念型﹂︵匡︒巴昌b二ω︶を設けること以上を出ない︒つまり︑

この概念装置である﹁理念型﹂を手段として利用することによって︑できるだけ現実に近づこうというのである︒そ

してヴェーバーは︑人間行為もこの理念型によって理解すべきだとした︒

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 ミ!ゼスは︑以上のごとぎヴェー︒バーの考えに対し︑その歴史学派批判は︑何らためらうことなく賛成するのだ

が︑それから以後の議論には疑問を投げかける︒ ミーゼスは︑人間行為について︑その意味理解が必要であり︑ま

た︑そのために何らかの概念装置を要するという点では︑ヴェーバーと見解を同じくしている︒しかし︑ ﹁理念型﹂      ︵6︶についても︑例えば︑経済理論の概念が︑実際に理念型という論理的性格をもっているかどうが︑疑問である︒経済

理論の概念は︑諸現象の一つあるいはいくつかの側面を殊更強調することによって得られるものではないであろう︒

逆にそれは︑各現象の中に何があるかを内省することによって得られる︒そして︑その概念は︑論理的に反論不能

で︑現実を把握したものが求められ︑そのような概念を確立することが社会科学の主要な課題である︒この課題に答

えるものこそ︑︿℃轟×①o一〇σq団︾︑即ち﹁人間行為学﹂であった︒

 ﹁人間行為学﹂の基本をなしているのは︑言う迄もなく︑行為する人間である︒それは︑石や原子のように自然科

学的法則に従って運動するものではなく︑達成しようとする目標や目的をもった︑また︑そのためにどうずればよい

かについての考えをもった人間である︒ミーゼスによれば︑こうした行為の存在は︑内省によって発見される︒とこ

ろで︑ミーゼスの人間行為論の著しい特徴は︑人間行為を目的合理的なものに︑つまり︑多くの可能性の中でも︑最重

要な目的達成のための選択を行なう行為に限定されている点であろう︒従って︑ミーゼスの行為論においては︑ヴェ       ︵7︶ーバーが試みた人間行為についての意味に基づく類型化といったものはない︒ヴェーバーは︑人間の行為を︑一︑目

的合理的︑二︑価値合理的︑三︑感情的︑四︑伝統的︑の四つに分け類型化した︒このような個々の人間行為が︑社

会の中で相互に方向づけ合うと︑そこに﹁社会関係﹂が発生する︒ヴェーバーによれば︑一と二によって構成される

社会関係が﹁ゲゼルシャフト的結合﹂であり︑三と四によって成り立つそれが﹁ゲマインシャフト﹂である︒ミーゼ

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ハイエク社会理論体系の研究(十)

スが人間行為を目的合理的なそれに限定したことは︑彼の﹁人間行為学﹂を極めて功利主義的なものとした︒ミーゼ

スは︑価値の問題は︑これをその﹁人間行為学﹂の外に置いたのである︒そうした点で︑後に述べるように︑ハイエ

クとの顕著な相違を見せるのである︒

 人間の目的合理的行為に関する定義は︑ヴェーバーとミーゼスとでは殆ど変わらない︒ただミ三白スは︑目的合理

的行為のみを﹁人聞行為学﹂の扱う行為とするのである︒即ちその対象は︑ある窮極的な目的を達成するために選択

される方法と手殺であって︑要するに目的H手段間の論理を明らかにすることが入間行為学の重要な課題となる︒そ

こでは︑価値判断や︑人間行為の窮極的価値は所与のものとされている︒L・ロビンズも︑ミーゼスの影響を受け︑       ︵8︶経済学定義を行ない︑目的11手段間の論理を明らかにすることとした︒だが︑ロースバードも指摘しているように︑      ︵9︶ロビソズの議論は︑以下に述べるようなミーゼスのそれに比べ︑内容が些か希薄になっているといえよう︒

 人間行為学の内容の一つは︑人聞の行為︑それによって齎された結果は︑自然科学的方法によって把握することは

でぎない︑ということである︒自然科学が対象とする自然現象には︑それを組成している諸要因間に一定の規則性が

見られる︒これに対し︑人間は自由意思によって行為するので︑ある事象に対し︑規則性をもって反応することはま

ずない︒だが︑人間は目的達成のために合理的に行為するから︑目的11手段の論理を明らかにすることは可能であ

る︒けれども︑人間の行為がいかに目的合理的であっても︑それぞれ異ったユニークなものであって︑その結果は︑

自由意思でもって︑相互に方向づけ合いながら行為する人間によって齎される︒であるから︑人間の行為︑またその

結果を量的︑統計的︑法則的に把握することはできない︒︑・・﹃ゼメが︑実証主義︑計量経済学などを批判するのは︑

そめためである︒彼は︑人間行為学の中で︑経済学を最も進歩した分野と見倣すのであるが︑そうであっても︑それ

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は自然科学とは異った方法によるべきで︑﹁法則﹂の確立や︑﹁予測﹂するといったことは経済学の機能を越えている

と考える︒ハイエクは以上のように自然科学の社会科学を明確に区別しようとする点で︑ミーゼスと殆ど同じ見解を      ︵10︶示している︒従って︑ミーゼスとハイニクの方法論は︑フリードマンの実証主義と明らかに対立する︒しかしなが

ら︑以上の点においても︑ミーゼスとハイエクの間に微妙ではあるが︑やはり違いが存在することも事実である︒そ

れは︑ミーゼスの人聞行為学のいま一つの内容である先験主義とも関連しているので︑それを見た後︑再びこの問題

に戻ることにしよう︒ミーゼスの先験主義は︑ポパーと高々同じ立場に立つハイエクの方法論とかなり異っている︒

        ㈲ 先験主義とK・ポパーの反証可能性の基準

 ミーゼスの人間行為学の特徴の一つは︑その﹁先験主義﹂︵帥O﹃一〇﹁ ωヨ︶にあるといってよい︒彼の先験主義は︑多

分に一・カントの影響があったと思われる︒カントは︑D・ヒュームによって目を醒まされ認識論の転換を行なっ

た︒経験は人間の精神が知識を形成するための素材を提供するだけであって︑あらゆる知識は︑時間的︑論理的に

も︑どのような経験資料にも先行する﹁カテゴリー﹂︵葺①o葺︒αqoユΦω︶によって条件づけられている︒そのカテゴリ

ーはア・プリオリなものである︒即ち︑それは︑個人が思考したり行為したりすることを可能にする精神的装備だと

いえる︒それ故︑ミーゼスによればそこから︑あらゆる推論は﹁ア・プリオリなカテゴリー﹂︵↓げΦ㊤b二〇二88σq㌣      ︵11︶ユ①ω︶を前提とするので︑その証明あるいは反証を試みることは無駄であることになる︒だが︑このような考えは︑

ポパーやハイエクの方法論とかなり異っている︒しかし︑両者の相違に入る前に︑いま少しく︑ミーゼスの人間行為

学における先験主義について見ておこう︒

 ミーゼスが先験主義を主張するのは︑実証主義と過激な︑私の表現でいえば素朴な︑経験主義に対する批判からき

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ハイエク社会理論体系の研究(十)

ている︒彼の実証主義批判については既に述べたが︑要するにそれは︑社会科学の領域に自然科学的方法を持ち込む       ︹12︶ものである︒実証主義者の考えは︑ ﹁神は数学者なり﹂という言葉の中に最もよく表現されている︑とミーゼスはい

う︒しかしその考えの根本の誤りは︑人間の感覚や思考能力が完全であると前提されていることである︒人間の感覚

や思考における能力が不完全であることは︑あまりにも明白ではないか︑とミーゼスはいうのである︒また︑︑・・ーゼス

は︑J・ロックなどの過激な経験主義を次のように批判する︒彼らの説に従えば︑人間の精神は︽5げ巳鋤鑓ω9>で

あるから︑その上に︑ありのままの現実実在が︑経験として記録される︒確かに彼らは︑人間の感覚能力が︑不完全

であることを認めている︒けれどもそうした考えには︑人間の思考能力を含む︑人間の精神能力に対する検討がなさ

れていない︐ミーゼスによれば︑あるがままの現実の記録あるいは描写は︑人間の感覚や思考能力︑もっと広くいえ

ば人間の精神能力によって制約を受ける︒つまり︑人聞の精神能力には限界があるということである︒社会科学にお

いて︑先ずなされねばならないことは︑従って︑人間の精神能力の検討ということになる︒この出発点で︑実証主義

と過激な経験主義は︑決定的誤りを犯している︒これに対し︑人間行為学は︑現実の社会ーミーゼスは宇宙ともいっ

ている一における人間の精神能力の役割如何を問題とする︒そして︑人間の精神能力に限界を認めざるを得ないが故

に︑より完全な存在を仮定する必要がある︒ミーゼスによれば︑それが︑ア・プリオリなカテゴリーである︒このよ

うに人間行為学は︑数学や論理学と同じようなア・プリオリな学問ということになる︒

 人間行為学は︑数学や論理学と同じア・プリオリな学問であるから︑その結論は︑全く自明な公理から演繹され

る︒だから︑それは︑決して恣意的なものではなく︑時間と場所を超えて妥当する︒では一体︑人間行為に関する自

明の公理とはどういうものであろうか︒しかし︑実のところ︑ミーゼスにとって︑その公理はひどく簡明なものであ

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つた︒即ち︑人間の行為は︑いかなる場合も︑目的達成に向けられていて︵窟60獣く①ξ︶︑従って︑人間は︑常に目      ︵13︶的11手段関係に関心を払っている︑というものである︒そこにおいてある目的ーミーゼスにとってそれは︑不安感の

除去一が選択され︑そのための手段が採られる︒これが︑人間行為学の公理であって︑ミーゼスにあって︑かかる公

理が存在されないかぎり︑すべて議論ははじまらないのである︒上に述べたように︑彼にとって︑そうした公理は恣

意的なものではなく︑時間と空聞を超えて妥当すべきものであった︒というのは︑そのような人間行為に関する知識

は︑既にわれわれに与えられているからである︒その意味では︑人間行為学は︑公理を任意に選択できる数学などよ

り恣意的でないといえるかもしれない︒もっとも人間行為は︑他の人々の行為と方向づけ合うべぎものであるから︑

他の人々の行為を理解しなくてはならない︒他の人々の行為の理解を可能にさせるのが︑人間精神の理解を導いて

くれる﹁内省﹂︵ぎ#o紹①o江8︶である︑とミーゼスはいう︒

 しかし︑人間行為学の公理において述べ得るのはそこまでである︒何故なら︑それ以上に︑観察や計測可能な客観

的な社会的事実が存在しないからである︒だからミーゼスは︑経済理論を含むいかなる理論も経験的に検証すること

はできない︑という︒例えば︑経済学にいう限界効用逓減の法則も︑心理的意味での欲求充足に関する経験的な記述

ではない︒個人の欲求は︑確かに諸財間の序数的選好度をもっているが︑しかしそれは全く主観的で各個人の属性で

あるから︑外部の観察者に知り得ない事柄となる︒では︑人間行為学において︑ ﹁検証﹂とは︑いかなる形式をとつ       ︵14︶ているのであろうか︒バーリーの要約に従えば︑それは︑論理学的推論を用いることによって︑即ち︑理論の定式化

に矛盾がないかを明らかにすることによってなされる︒それ故︑人間行為学は︑バーリーのように︑次のようにもい

える︒人間行為学におけるア・プリオリな理論は︑経験的内容をすべて消去することによってその確実性を維持して

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ハイエク社会理論体系の研究(十)

いる︑と︒

 以上のようなミーゼスの人間行為学は︑当然︑ポパーの方法論と相い疲れないものを含んでいる︒周知のように︑

ポパーの貢献は︑論理実証主義の検証可能性の基準に代えるに︑﹁反証可能性﹂︵h巴ω崖騨げま蔓︶の基準を以ってした

ところにある︒だが︑ミーゼスは︑論理実証主義にも︑ポパーの方法論にも反対した︒ウィーン学才に代表される論

理実証主義者にとって人間行為学のような先験主義の体系は︑形而上学以外のなにものでもないであろう︒その公理

は恣意的でその演繹的推論も同義反復に過ぎないというのが彼らの批判である︒これに対するミ至聖スの反論は︑彼

の実証主義批判の中で述べたのと同じである︒ポパーは︑ウィ:ソ学団の中から︑その論理実証主義の内在的批判を

通して自らの方法論を確立したのであるが︑その批判の中味は︑ミーゼスのそれとかなり違っていた︒ポパーの批判

は︑論理実証主義の基準とされる検証可能性が誤った前提に基づいている︑というところにある︒即ち︑彼によれ

ば︑その前提とされている帰納理論の正当化ということが︑そもそも不可能である︒つまり検証によって︑その理論

の﹁真偽﹂を決定することはできない︒もし︑ここまでであれば︑ミーゼスは︑ポパー批判をする必要は︑それ程な       ︵5i︶かったかもしれない︒しかしミーゼスは︑ポパーの反証可能性の基準も批判した︒その基準とは︑いかなる科学理論

一自然科学と社会科学を問わず一も︑事実あるいは︑実験によって実証することは不可能であるが︑反証することは

可能であるというものである︒そしてこの基準についてハイエクも基本的には賛成する︒

 ミtゼスのポパi批判は︑彼の先験主義の徹底した適用からぎている︒ミーゼスの批判はこうである︒ポパーに従

うと︑いかなる理論も事実や実験によって反証できるものでないなら非科学的である︒そうであれば︑人間行為学を

ばじめすべての先験的理論は非科学的なものとなる︒しかし︑人間行為学が対象とする領域の経験は極めて複雑な現

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象の経験であって︑それは︑自然科学にいう経験的事実一実験によって確立される事実iの論理性を有するものを生

み出すことはできない︒いうなれば︑ミーゼスは︑ポパーの自然科学と社会科学の方法論的統一の試みを否定し︑あ

くまで︑方法論的二元論を主張するのである︒このようなミーゼスのポパー批判は︑彼の先験主義の主張として読め

ば頷ける部分もあるが︑それがポパーに対する本当の批判となっているか︑ということになると問題は別である︒と

いうのは︑ミーゼスのポパー批判には飛躍がありはしないかということである︒そこでいま一度ここで︑ポパーの方

法論を正確に理解してみよう︒

 ミーゼスとポパーの方法論上の違いは︑両者がカントのヒューム批判に対する評価の相違からきているといって差

し支えなかろう︒即ち︑カントはヒュームを批判して︑その認識論においてア・プリオリな妥当性をもつ観念の存在

を主張した︒そこには二つの観念︑つまり︑一︑ア・プリオリな妥当性をもつ︑二︑経験知識の論理的前提である︑       ︵16︶という二つの観念が含まれていた︒ミーゼスはこの二つとも承認した︒これに対しポパーは︑二については認めた

が︑一はこれを否定したのである︒従ってポパーの方法論は︑先験主義とはいえないが︑しかしまた︑演繹論をすべ

て拒むのではない︒一方︑ポパーはヒュームー彼は冒ックのような素朴な経験論者ではなかった一の帰納的推論の正

当化の否定はこれを受け容れたが︑その説明には不満であった︒ポパーの﹁規則性の期待﹂の概念こそ︑カント批判

とヒュームの不十分さを補うものとして考え出されたものである︒

 以上述べたところがら明らかなように︑ポパーの方法論は先験主義ではないが︑必ずしも演繹論を否定するもので

はない︒いかなる公理も絶対的なものではなく︑あくまで仮説の域を出るものではないからである︒従ってその推測

は経験的事実に反してはならない︒他方︑ポパ:は帰納論の検証可能性の基準を批判する︒ポパーの反証可能性の考

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6

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ハイエク社会理論体系の研究(十)

えは︑この二つの批判を同時に満たす基準である︒即ち︑既に述べたように︑いかなる科学理論も事実や実験によっ

て実証することはできないが︑反証することはできるというのである︒いかなる科学理論も絶対的なものではなく︑

多くの検証に耐えてきた理論に過ぎない︒そういう意味において︑科学は常に﹁試行錯誤の方法﹂︵B①夢︒傷oh三巴

9ロ仙︒ほ︒同︶から逃れることはできない︒勿論︑いかなる場合も︑それが科学的理論であろうとするには︑その論理

に矛盾があってはならない︒ポパーは︑このような方法論的態度を﹁批判的合理主義﹂︵O同一け一〇P一 同曽一凶O︼口餌一一ω巳P︶と呼      ︵17︶んでいるが︑それはハイエクの﹁発展的合理主義﹂︵Φ<oピニ︒葛蔓回田8聾ωヨ︶と同じものである︒つまりハイエ

クは︑ポパーの方法論を承認しているのである︒︐

        ㈲ ミーゼス︑ポパーとハイエクの社会理論

 確かにポパーとハイエクは︑両者とも自らの立場を﹁批判的合理主義﹂と表明しているので︑彼らの方法論が極め

て似たものであることに疑いはない︒確かにハイエクはその方法論においてポパーの﹁反証可能性の基準﹂を認めて

いる︒しかしだからといって︑彼らの方法論やその内容がすべて同じだというのではない︒例えば︑ポパーの世界

1︑2︑3︑あるいはそれらの間の関係と︑ハイエクの抽象的なものの優位性あるいは自然的︑精神的︑社会的なそ

れぞれの現象の間の関係は︑明らかに違っているように思える︒だが︑その前にわれわれは︑ミーゼスとハイエクと

の方法論の違いとそこからくる両者の社会理論の相違からみておくことにしよう︒

 ハイエクがポパーの方法論に極めて近い立場に立つことからハイエクの方法論はミ三界スのそれと対立せざるを得

ないはずである︒しかし︑ミーゼスがハイエクの︑反対に︑ハイエクがミーゼスの方法論を︑それぞれ批判するような

ことはなかった︒思うに︑ミーゼスとハイエクは︑互いの能力を認めていたので︑いたずらに論争することは︑これを

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避けるべきだと考えていたのであろう︒けれどもいま一つの理由として次のような事情が考えられる︒即ち︑︑︑︑ーゼ

スが自己の方法論を確立したといえる一九三〇年代前半ごろのハイエクの方法論はミーゼスのそれと殆ど変わるとこ       ︵18︶うがなかったということである︒このことはロースバードが既に認めているところであって︑大体承認されてよい︒

即ちその頃のハイエクは︑ミーゼスと同じように︑方法論的二元論に立って︑自然科学における方法と社会科学にお

ける方法を厳格に分けていた︒しかも︑その演繹的推論の妥当性は︑自然科学ばかりでなく︑社会科学にも認めてい

た︒ハイエクは︑社会科学を経験的演繹科学としたのである︒そこには︑また︑方法論的個人主義︑方法論的主観主

義の考えが色濃く出ていた︒ つまり︑そのハイエクの方法論は︑ミーゼスの方法論とそれ程隔りはなかったのであ

る︒ ハイエクの初期の方法論は︑﹃科学による反革命﹄︵↓ミ9§譜下目塁︒ミ匙§ミ⑦織§︒♪⑦ミミ鴨肋︒蕊耳鳴﹄ぴミ恥鳴ミ

肉§︒︒§一〇認︶において確立されたといってよい︒その中で彼は︑社会科学の方法論として︑﹁個人主義的.合成的

方法三婆匿葺§︒ω芽霞Φ甕︶を提示し恥.しかし︑それ・て︑・壱スの方法論とあまり違・たも

のではなかった︒ところがここにポパーが現われ︑ ハイエクの方法論に変化が見られるようになった︒ポパーは既

に︑一九三四年の﹃探求の論理﹄︵卜轟隷亀ミ凄誘き§頭︶の中で︑反証可能性の基準についてはっきりした考えを出

していた︒だが︑それは自然科学の分野において明らかにしただけで︑社会科学の分野に及ぶものではなかった︒ポ

パーが﹃探求の論理﹄で展開した考えを社会科学の方法に適用したのは︑﹃歴史主義の貧困﹄︵↓魯恥︑︒ヒ恥︑耐ミミ⇔登

︑ミ§噂一㊤零︶においてである︒ところで︑ここで次のことに注意されたい︒一つは︑この本と同旨の論文が︑ロソ

ドソ大学のハイエクのゼミナールで発表されたということ︒そしていま一つは︑ハイエクの社会科学方法論は︑反証可

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ハイエク社会理論体系の研究(十)

      ︵20︶能性の基準の考えと矛盾するものでなく完全に一致すると︑ボパー自身が指摘していることである︒つまりポパーは︑

社会科学の方法に関して殆どハイエクの方法論によりながらも︑彼が自然科学の分野で提示した反証可能性の基準の

考えがハイエクの社会科学方法論と一致するとしたのである︒恐らくハイエクは︑ボパーの指摘をまつまでぽ︑そのこ

とに気づかなかったのであろう︒それ以後︑ハイエクは︑ポパーの指摘に触発され︑次第に社会科学の分野にも反証可

能性の基準の考えが成り立つことを承認していくのである︒一九六三年に出されたポパーの﹃推測と反駁−.科学的知

識の発展﹄︵6§︑§ミ鳶・・§織沁書ミ勘§2↓︾馬O︑oミきミ⑦ら龍ミミq映ミ︒ミ貯犠鷺・︶は︑ハイエクに捧げられてお

り︑一九六七年出版のハイエクの﹃哲学︑政治学︑経済学研究﹄︵⑦ミミ$§き㍉︑8曾ミ噛︑︒︑ミ覇§概肉亀謹ミ勘恥●︶

はポパーに捧げられていて︑この間の事情をよく物語っている︒かくして︑ハイエクの方法論は︑︑ミーゼスのそれか

ら次第に遠ざかるようになっていった︒ミーゼスは︑最後まで︑方法論的二元論の立場をとり︑自然科学と社会科学

の方法の統一性を拒んだのである︒

 しかし︑ミーゼスとハイエクの社会理論が︑以下に述べるごとく︑極めて異ったものとなったのは︑両者の思想あ

るいは哲学の違いからきているように思われる︒ミーゼスの死後彼の ﹃社会主義﹄ ︵⑦︒織ミ︑§原著O恥ミ無嵩ミ尊

恥きミき一〇誌︶に序文を寄せたハイエクは︑その中で︑ミ三隅スの思想に極端な合理主義が見られる︑と述べている︒       ︵21︶即ちハイエクは︑ミーゼスが自由主義は︑ ﹁あらゆる社会的協業を合理的に認識された功用の流出と見倣す﹂という

ところを捕えてそういうのである︒また︑ハイエクは別の箇処で︑ミーゼスを合理主義的功利主義者︵p冨二〇轟一三

垂藍邑と呼んでい稔.ミーゼスを合理主義的功利主義者と規定してよいかはわからないが︑しかし︑ーゼス

にそうした傾向があったことは否定できない︒ミーゼスは︑既に述べたように︑人間の行為を目的合理的行為にのみ

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限定し︑その目的一1手段の論理を明らかにすることが︑人間行為学の主たる任務とした︒けれども︑そのように人間

の行為を目的合理的だとし︑その目的U手段の関係を問題とすることが︑既に功利主義である︒ハイニクには︑目的

11手段の関係からだけで︑人間の行為を把握しようというような態度は見られない︒具体的問題で︑ミーゼスは︑例

えば︑社会的協業の重要な要素の一つである﹁正義﹂の概念も︑社会的であるが﹁効用﹂によって説明されている︒

ハイエクにとって﹁正義﹂は︑いかなる﹁効用﹂の観念も超えるものである︵もっとも彼は︑結果を評価する場合に

は︑社会的効用の考えを持ち出すが︶︒かかるミーゼスの功利主義的傾向が︑結局︑社会をあくまで個人の目的と行

為の連結の中で見︑ゲゼルシャフトの意味と解釈する彼の社会観を導いた︒ミーゼスの社会理論には︑法や正義の概

念に︑積極的な位置が与えられていないのである︒この点において︑ミーゼスとハイエクの社会理論は著しい違いを

見せている︒また︑先に引用したミ!ゼスの文章の中に︑﹁流出﹂︵Φヨ帥コ帥ゴOコ︶という語が見えるが︑それは彼の先

験主義的方法論が︑社会現象へ適用された結果として使われたと思われるが︑そこには一種の﹁還元主義﹂︵お自⊆o・       ︵23︶口〇三ωヨ︶が窺える︒ハイエクは﹁還元主義﹂も功利主義の特徴の一つと考えている︒

 ミーゼスとハイエクについては︑このぐらいにして︑次にポパーとハイエクについて︑特に両者の違うところを強

調しながら︑述べてみることにしよう︒ここで述べたいのは︑次のような点である︒ポパーとハイエクは︑その方法

論においては︑事々一致しているが︑彼らが展開している理論にはかなりの違いが見られる︒正確にいえば︑彼らが

展開している理論の内容が違っているということであって︑方法論においてこそポパーの方がより厳密であるが︑彼

らの理論の内容は︑はるかにハイエクの方が豊かである︑ということである︒また︑両者の理論体系は︑ハイエクの

体系の方が︑有機的な体系をなしているといえる︒何故︑そういうことになったかといえば︑そこにば次のような理

60

(15)

ハイエク社会理論体系の研究(十)

由が考えられる︒その中で最も重要と思われるのは︑ハイエクにとって彼の体系の基礎である精神現象に対する考察

が︑ポパーにはあまり見られない︑ということである︒ ハイエクは︑精神現象を考察した結果︑人間の特定の行為

は︑その前提に﹁超・意識﹂があり︑そして両者を結びつける﹁超・意識的規則﹂が存在しているからだとした︒そ      ︵42︶して彼は︑人間の精神を﹁抽象的な行為規則の体系﹂と定義したのである︒ハイエクの社会理論は︑このような精神

現象の理解があって︑はじめてあのような展開を示すことができたといい得る︒

 ハイエクによれぽ︑社会科学の目的は︑多くの人々の﹁意図せざる﹂結果を説明することにある︒勿論これは︑A

・ファーガソソ︑A・スミス︑あるいはC・メ凱ガーなどによって明らかにされてきたことをハイエクがより明瞭に

したに過ぎない︒そして︑ポパーもこの考えに賛成する︵もっともポパーは︑そうした考えをK・ポラソニーの示唆

によっているといっているが︒ポラソニーによれば︑そうした考えを最初にいったのはマルクスであるとしている︒       ︵ゐ︶しかし︑ハイエクも指摘しているように明らかに︑マルクスの方がファーガソソやスミスに負っている︶︒しかし︑

そのような多くの人々の意図せざる結果も︑社会的には︑秩序をもつ︒何故かといえば︑﹁人間行為に関する一般規

則﹂としての︽ぎヨ︒ω﹀がそうした秩序を導くというのである︒実は︑そこからハイエクの重要な法・法律理論が展

開されるのであるが︑ポパーにはそうしたものはない︒また︑ミーゼスとの比較でいえば︑次のようにもなろう︒ハ

イエクは︑目的︵意図︶をもった諸個人の行為と︑それらがもたらす社会的結果の間に︑言わば巨大なブラック・ボ

ックスの存在を認めた︒そのブラック・ボックスは︑個々人の目的や意図を超えたものであるが︑しかしその中に

は︑目にはっきりと映し出し得ないが︑抽象的な規則が存在している︒そしてその抽象的な規則が︑社会にある秩序

をもたらしているのである︒ミーゼスの社会理論には︑そうしたブラック・ボックスのごときものがない︒そのよう

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(16)

なブラック・ボックスを社会的超意識の世界と呼んでよいかもしれない︒

 また︑ハイエクは︑一九六九年目論文の中で︑﹁抽象的なるものの転住性﹂︵9①冒ぎ主賓oh葺①9ω零㊤9︶の命

題を提示し︑それによって︑自然現象︑精神現象︑社会現象の統一的説明を可能にした︒それはもちろん︑自然科学

と社会科学の方法における反証可能性の基準をそのまま保持しながら展開されたものである︒もっとも︑略々同じこ

ろポパーも世界1︑2︑3の考えを出している︒世界1は物的対象の世界︑世界2は主観的経験の世界︑世界3は人      ︵%︶間の精神の産物︑狭義的には論理的︑知的世界︑広義には︑芸術作品︑道具︑諸制度などが含まれる︒このポパーの

世界1︑2︑3がハイエクの自然現象︑精神現象︑社会現象にそれぞれ対応していると一概にはいえないが︑しかし

極めて近いものであることは間違いない︒問題は︑ポパーにおいて︑世界1︑2︑3それぞれの位置づけ︵相互作

用︶は説明されているが︑それらの統一的把握はなされていないということである︒それらの位置づけに関していえ

ぽ︑ハイエクは既に一九三〇年代前半に行なっていたといえる︒このような両者の違いは︑やはり精神現象に対する

考察の深浅からきていると思われる︒

 ハイエクの社会理論の中で最も重要と思われるのは︑彼が社会を発展するもの︑しかも自発的にそうなっていくと

する考えであろう︒それは︑﹁種の社会の発展論的アプローチである︒ボバーもこのようなアプローチを人間の﹁知

識﹂に適用している︒しかし︑.ホパーの場合︑それは生物学における進化論とのアナロジーによって展開されてい

る︒これに対し︑ハイエクは︑ダーウィンの進化論こそ︑彼以前のスコットランドの哲学者達の社会理論に影響を受

けたのだという︒従って︑ハイエクによって︑より重要なのは︑﹁自発的に﹂︵ω℃〇三碧¢o猛蔓︶というところである︒

そのためには︑八⇔oヨ︒ω▽としての一般的︑抽象的規則や︑正義などといった価値が考えられねばならない︒そうい

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(17)

ハイエク社会理論体系の研究(十)

つた意味では︑ヴェー︒バーもミーゼスも︑そしてポパーもそういう理論を展開することはできなかった︒

㎝ ミーゼスハイエク景気理論

 ミーゼスは︑人間行為学の中で︑経済学が最も発達している分野であることを認めていた︒その経済学の分野にお

いて︑オーストリア学派の伝統を受け継ぎ︑更にそれを発展させたという意味で︑彼の貢献した最大のものが︑その

貨幣論および景気理論にあったことは疑問の余地がない︒そしてハイエクは︑ミーゼスの貨幣論︑景気理論の影響を

強く受ながらも︑また彼独自の発展を試みている︒ここでは︑オーストリア学派の伝統の中で︑︑ミーゼスとハイエク

がいかなる貨幣論︑景気理論を展開していったかを中心に述べ︑更にそれが︑今日どのような意味をもち︑また評価

されているかを見ることにする︒

        の オーストリア学派の貨幣論

 オーストリア学派の方法論の特徴の一つが主観主義にあったことは既に述べた︒この主観主義の方法によって︑イ

ギリス古典派経済学が袋小路に陥っていた価格理論を克服し︑新しい価格理論︑即ち主観的価値︵格︶理論を確立し

たのはオーストリア学派の最も大ぎな貢献であった︒主観主義の方法を貨幣論に適用したのがオーストリア学派の貨

幣論であるが︑では通常︑主観主義貨幣論と呼ばれるこの貨幣論はどのようなものであろうか︒主観的価値理論はオ

ーストリア学派の祖メソガー一人によって大体確立されたといってよいが︑その貨幣論の完成は︑ミーゼスまで待たね

ばならなかった︒

・メソガーの貨幣論において注目されるのは︑彼の貨幣起源に関する考えと︑︑貨幣の機能の中で︑交換の媒介手段と

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(18)

      ︵27︶      ︐しての機能を最も重んじたことであろう︒メソガーは︑少なくともその起源においては︑貨幣とその他の財との基本

的な差異はない︑と考える︒財の中で最も多くの財と︑しかも最も頻繁に交換される財が貨幣と呼ばれるのである︒

財の交換は︑その当事者にとって︑前の所有者に対してよりも使用価値が大きい場合のみ行われるが︑その場合︑法

律や国家などによる強制がなくて交換は成立する︒従って︑基本的に財と同じ性質の貨幣も法律や国家とかの強制と

は無関係に生成し︑存在する︒これは︑貨幣を法律・国家制度の産物とするG・F・クナップの考えと鋭く対立する

が︑しかし︑メソガーの以上のような考えは以下に触れるようにミーゼスやハイエクにも受け継がれ︑一層の発展を

みた︒メンガーは︑貨幣とその他の財とを区別するものを貨幣の一般的に使用される交換の媒介手段としての機能に

求め︑しかもそれを貨幣の主要な機能とした︒従って彼は︑価値尺度︑あるいは価値退蔵としての貨幣の機能はこれ

を偶然的な理由に帰し︑貨幣概念の中にそうした機能を含めることに抵抗を感じていた︒ヴィザーの貨幣に関する議

論は︑メソガーのそれとかなり違っている︒ヴィザーは︑貨幣は︑交換の媒介手殺としての機能をもつだけでは足り

ず︑寧ろ︑貨幣は一般的価値移動の手般︑つまり支払い手段であることの方が︑貨幣の本源的機能であるとした︒

 ところで︑オーストリア学派の貨幣理論は︑ミーゼスによって飛躍的に発展せられたといってよい︒ミーゼスは︑

これまで限界効用の概念の適用から除かれていた貨幣に対しても限界効用の概念を適用した︒その適用の仕方が︑所      ︵兇︶謂﹁回帰理論﹂︵おσq﹃①ω巴8チ8﹃oヨ︶と呼ばれるものである︒それは︑貨幣需要における時間の要素を︑貨幣商品

が有用なバーター商品であった遠い過去にまで戻して考えるという方法である︒そこから得られた結論は︑貨幣価値

の成立について︑最初の貨幣価値は︑貨幣素材の商品価値に帰せられる︑というものであった︒そしてその結論の内

容は︑メソガーの貨幣成立論と瀬々同じものであった︒即ち︑貨幣は︑市場においてのみ発生するもので︑法律や

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(19)

ハイエク社会理論体系の研究(十)

政府による強制によって作られたものではない︒このような考えは︑ハイエクにも受け継がれ︑法定通貨主義を否定

し︑そこから彼の﹁通貨発行の自由化案﹂という構想が出てきたのである︒またミーゼスは︑先の回帰理論の方法を

用いることによって︑貨幣の購買力について論理的に︸貫した説明を行なった︒

 また︑今日の経済学との比較で︑ミーゼスの貨幣論の中で注目されてよいのは︑彼が﹁貨幣数量説﹂︵9①ρ§三岸嘱

9①oqoh88①累︶に対して極めて批判的であったということである︒この点でもハイエクはミーゼスの基本的考え

を継承しており︑マネタリズム批判を行なっている︒批判の第一点は︑貨幣量と貨幣価値が比例的には変動しないと

いうことである︒確かに︑貨幣量が増加すれば貨幣価値は減少するであろう︒しかしその程度は貨幣の限界効用の変

化に依存する︒また︑貨幣量は︑一度に経済全領域.にわたって増加するのではない︒貨幣量の増加分︑経済領域のあ

る箇処に注入されるのである︒従って︑それが経済の全領域に浸透するまで︑諸価格は上昇するであろう︒つまり︑

貨幣数量説においては︑貨幣量の増大の諸価格に及ぼすプロセスがあまりにも機械的に考えられている︑これがミー

ゼスの第二の批判点である︒しかし︑貨幣数量説︑またその現代版であるマネタリズの根本の問題は︑ ﹁貨幣﹂概念

そのものにあるように思える︒両者のいう貨幣の概念は︑集計可能な総量として把握されている︒けれども︑今日の

ように信用制度が発達し︑信用革命が進展している時代にあって︑果して貨幣の概念をそのように把握することが可

能であろうか︒その点でも︑やはり︑ミーゼスやハイエクの貨幣の概念には︑大いに学ぶべきところがある︒ハイエ

クは︑貨幣を︑流動性の異った価格をもつ﹁もの﹂が貨幣として機能する程度に応じて変化する連続量と定義してい

る︒また︑彼は︑貨幣の重要な機能を︑価格のもつ情報機能を最も円滑に示すシグナルとしての機能に求めている︒

        ㈲ ミーゼスーーハイエク景気理論とその今日的意義

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(20)

 ロー入バードも指摘しているように︑ミーゼスの景気理論ばリカード︑ベェームーーバヴェルク︑そしてヴィクセル      ︵29︶の影響を受けながら彼独自のものを築いた︒ミーゼスは︑リカードと同様︑好況︑不況の原因を政府および銀行制度

の干渉によって惹起されると考える︒これは︑景気変動の原因を外生的なものとする考えで︑外生的景気理論といわ

れ︑ハイエクの内生的景気理論と対照的である︒しかし︑リカードにあっては︑生産構造や不況の不可避性などの問

題が︑十分説明されていなかった︒ミーゼスが最も影響を受けのは︑ハイエクと同じように︑ヴィクセルであった︒

ヴィクセルは︑周知のように︑貨幣利子率と自然利子率の乖離から物価水準の動きを説明した︒これに対し︑・・ーゼス

は︑その乖離から相対価格の説明をしたのである︒そしてその説明をベェーム目パヴェルクの生産構造論を蘇りるこ

とによって行なった︒

 ヴィクセルが考察したのは︑自然利子率が貨幣利子率より大きい場合︵例えば︑賃金の低下︑地代の低落︑技術の       ︵30︶改善などによる生産力の拡大などの理由によって起こる︶である︒これに対しミーゼスは︑貨幣利子率が自然利子率

以下に引き下げられる場合を考察する︒それは︑政府や中央銀行による干渉によって︑銀行信用の膨張が発生し︑銀

行が貨幣量を増大させる場合である︒そうなると︑企業家は︑その新しく創造された貨幣量でもって︑長い生産期間

を選ぶ可能性をもつことになる︒それは資本投資を︑とりわけ︑﹁遠く﹂の生産過程に付加することである︒その結

果︑生産財に対する需要が増大し︑従って生産財価格は上昇する︒それから少し遅れて消費財価格が賃金その他の価

格とともに上昇する︒だが生産期間の長期化は︑労働老︑企業家双方をより長い期間︑生活できるような生活資料が

増加しなくてはならないか︑それとも︑生産者が欲求を抑えて生活資料を節約しなければならないか︑何れかが必要

である︒

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(21)

ハイエク社会理論体系の研究(十)

 ところが︑生産過程の長期化によって︑資本財が消費財に変わらないうちに生活資料が消耗してしまう時点が必ず

訪れる︒しかもそれは︑貨幣利子率の低下が貯蓄動機を弱め︑それがまた︑資本形成の速度を緩めるので︑︸層速かに

生ぜざるを得ない︒即ちここに生活資料の不足のために︑新に始められたより長い生産過程はこれを完成することが

できない︒それ故︑ここに逆転が始まり︑消費財価格は︑上昇し︑生産財価格は下落する︒即ち︑貨幣利子率は再び

上昇し︑自然利子率に接近する︒ところでこの逆転は︑貨幣量の増加が貨幣価値を低下させることによって強められ

る︒銀行は︑最初のうちは︑金利政策を妨げるこの二つの傾向に対し︑利子率を継続的に引下げ︑貨幣量を増大させ

ることによって阻止しようとするかもしれない︒けれども︑貨幣量が増加すればする程︑貨幣価値は下落し︑貨幣利子

率への反動はますます強くなる︒銀行はなおも貨幣量の増大に腐心するかもしれぬが︑貨幣利子率の上昇を止めるこ

とはできない︒何故なら︑雪崩のように膨張する貨幣量は︑恐慌的に始まりあらゆる限度を超え貨幣価値の低落を招

くからである︒こうして銀行は︑終に︑貨幣利子率を自然利子率以下に引き下げようとする企てを中止しなくてはな

らない︒このようなプロセスを辿って︑消費財と生産財との価格の比は大体正確にではないが以前の関係に戻る︒以

上が︑ミーゼスがその﹃貨幣及び流通手段の理論﹄︵↓ミ︒ミ.馬§二毛ミ窃ミミ織ミ§ミミ耐ミミミ層HO巳︶の第三部門      お 五章において展開した彼の景気理論の要約である︒

 しかしながら︑ミーゼスの以上のような景気理論には︑いろいろ不十分な点があった︒例えば︑生産構造が長期化

したり︑再び短縮化したりする理由やプロセスなどについてあまり触れられていない︒また恐慌発生およびその後の

事態にも殆ど言及されていない︒このような欠陥を是正して︑一層体系的な景気理論を確立せんとしたのがハイエク

であった︒ハイエクはそのヴィクセル理論の展開およびベェームバヴエルクの生産構造の応用においては︑略々︑︑︑

67

(22)

ーゼスの延長線上にあったといえる︒しかし︑上にも既に指摘しておいたが︑ハイエクは︑貨幣量の変化を﹁内生的﹂

原因︑即ち︑現行信用制度自体から必然的に生ずると考えていた点でミ当場スと異なる︵勿論︑理論モデルにおいて

であるが︶︒政府や銀行による干渉のみによって貨幣利子率が自然利子率以下になるとは限らない︒例えば︑ヴィク

セルがいっているように︑貯蓄率の減少や予想利潤の増大などによっても︑起こる︒ハイエクが︑貨幣量の変化に︑

そしてそれが景気の変動に及ぼす影響から︑最も重要なものと考えているのは︑商業銀行による信用創造である︒ハ

イエクは景気変動が現行の信用制度による内生的な原因で生じると考えるので︑貨幣の捨象されたいかなる景気理論

もこれを批判する︒

 バーリーも指摘しているように︑ハイエクがその景気理論において最も重要視したのは︑市場という自己調整機能

をするメカニズムの中で︑貨幣が撹乱的要因として作用するということである︒ハイエクは︑﹃資本の純粋理論﹄︵↓ミ

聖§↓書︒逮ミO§匙ミ噛H㊤念︶の結論部分で次のように述べている︒﹁⁝⁝貨幣は︑その性質上︑価格メカニズム

という自己均衡化機構の中で︑ある種の弛い結び目を形成し︑その価格メカニズムの作用を妨げずにはおかない﹂︒

ここで少し指摘しておきたいことは︑いま引用した部分には︑政府による貨幣量の操作ということが問題とされてい

る︑ということである︒﹃価格と生産﹄︵︑ミ含§︑こ§ミ§︾おω一︶のモデルにおいては︑政府部門は捨象されて

いた︒ハイエクが︑一九七〇年代に入って︑主として問題としているのは︑政府による貨幣量の操作ということであ

る︒しかし︑ハイエクにあっては︑何れにしても︑貨幣の均衡破壊的作用が重要視されている︒だが︑貨幣のそうし

た作用は︑政府の恣意的操作によってでなく︑自発的貯蓄によって︑貨幣量が調節されれば︑貨幣は︑価格情報を最

も正確に伝達するシグナルとして作用する︒

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(23)

ハイエク社会理論体系の研究(十)

 ハイエクの景気理論の核心は︑次の部分にある︒即ち︑信用創造によって貨幣量が増大し︑それが自発的貯蓄水準

によって正当化しえない過剰な投資を捉した時﹁恐慌﹂が起こる︑ということにある︒これについては︑既に︑別の

ところで︑所謂﹁三角形図﹂を用いて説明したことがあるので︑なるべく操り返えすことを避け要点だけを記そう︒

貨幣量の増大によって︑企業家は︑その経済的資源の正当化できない部分を利用し︑消費を犠牲に︑より長い生産過

程に投資する︒もし︑生産期間が︑自発的貯蓄の増大によって長期化するものであれば︑それによる生産構造は安定

したものとなる︒というのは︑資本が︑すべての生産段階で︑完全に利用できるからである︒ところが︑﹁強制貯蓄﹂

(h庶│①自ω即くぎσq︶による場合︑つまり︑貨幣量の増加が︑現在の消費・貯蓄比率によっては保証されない資本の拡大

に利用できるようにされる場合には︑そうはならな︒生産の拡大は︑人々の時間選好が変わらないので不安定であ

る︒より長い生産段階で諸要素によって得られるより高い所得が消費財に使用されるであろう︒消費財に対するより

高い価格は︑従って︑必然的に生産過程の短期化をもたらす︒かくして︑貨幣量の増大が中止された時︑﹁恐慌﹂が

発生する︒その時は︑市場利子率は貨幣利子率に接近し︑資本は︑長期の生産過程を完了するには不十分となる︒つ

まり︑ ﹁恐慌﹂は︑資本の不足によって生じるのである︒

 J.R.ピックスは︑ハイエク理論を再評価する論文の中で︑彼の理論は︑純貯蓄率の変化に対する経済の適用の

分析︑しかも・それは極め蓋減磨深い分析である・とい・てい稔.ヒ・クスの議論の仕方には・多少疑問の残る点も

あるが︑ハイエクの理論の核心が﹁貯蓄﹂の面にあることを指摘している点で︑重要と思われる︒そして︑ピックス

の次の指摘は全く正しい︒現代の計画経済において︑その意図的拡大が途中挫折するのは︑当初︑拡大にとって十分

であった貯蓄率が︑後の段階で不十分であったからで︑そのことをハイエク理論は説明している︑と︒だが︑ピック

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(24)

スは︑ハイエク理論は︑不況期に適用される場合には︑最大の欠陥を示すといっている︒これについては︑後で触れ

る篠原説とも関連するので少しく述べておこう︒つまり︑ここで問題にしたいのは︑インフレと失業の関係である︒

 ハイエクによれぽ︑インフレは失業増大の原因となる︒ハイエクが一九三〇年代初期に︑景気理論の純粋モデルを

作った時︑政府による貨幣量増大を捨象したのは︑抽象モデルとして︑また実際に政府部門がそれ程大きくなかった

ので︑それ程問題はなかった︒だが︑その後の政府部門の異常な膨張は︑もはや︑政府部門を捨象したモデルでは十分

でないことを示す︒しかし︑政府部門が入れられたとしても︑ハイエク景気理論の骨格が修正される必要をみない︒

既に指摘しておいたように︑ ﹃資本の純粋理論﹄の結論的部分では︑政府部門の問題が︑ケインズ理論との関連で︑

ハイエクにとって︑重要な関心を引き付けていたのである︒ところで貨幣量の増大は︑銀行の信用創造と政府による

場合とでは︑どう違うであろうか︒それは︑前者の場合には︑貨幣量は無限には増大し続けることはない︒これに対

して︑政府による貨幣量の増大には︑歯止めが存在しない︑ということである︒何故なら︑現在は︑管理通貨制度を

各国とも採用しているからである︒そうであれば︑当然︑政府による貨幣量の増大の方が︑より重要性をもつことに

なる︒ ハイエクの景気理論の純粋モデルにおいては︑景気変動は︑貯蓄に対する過剰な投資によって︑消費財部門と資本

財部門の間に不均衡が発生し︑それが不況をもたらす︒失業はそれに伴う資本不足によって生じる︒だが︑この過程

は︑政府部門による貨幣量の継続的な増大によって︑より増幅した形で進行する︒ただしその場合︑不均衡に発展す

るのは︑資本財部門に限らず︑消費財部門においても︑その部門の中の一部が︑政府のインフレ政策によって︑不均

衡に発展する︒従ってそれは︑生産構造が︑その全体において不均衡に陥るといった方が適切かもしれない︒もし︑

70

(25)

ハイエク社会理論体系の研究(十)

インフレ政策が継続的に行なわれれば︑それだけ生産構造の歪み︵労働力配分の歪み︶が深まることになる︒しか

も︑もしインフレが少しでもその加速度を低下すれば︑そのインフレによって成り立っていた不均衡であってもその

生産構造は︑反対の方向に歪みを生むことになる︒それが失業である︒従って︑インフレ政策が持続的に採られれば

それだけ︑失業も一層激しいものとなる︒篠原三代平氏は︑これを﹁ハイエク的失業﹂と呼んでをられるが︑実際︑      ︵34︶今日欧米諸国に見られる大量の失業は︑以上のようなハイエクの理論で説明され得ると思う︒篠原氏は︑ハイエクの

景気理論を︑不均等発展とインフレ成長の結合から生ずる部門間不均衡を重視する理論だといわれるが︑まさに︑正

鵠を射たものと思われる︒

 しかし私は︑ピックスのように︑それは篠原氏も・同様であるが︑ハイエク理論の最大の欠陥をそれがデレフ的スラ

ンプに適用された場合であるとする考えには︑必ずしも賛成しない︒というより︑ハイエク自身も考え方が変わって

きているということである︒それは︑景気後退期に生じる﹁第二次デフレーション﹂の問題になるのではないだろう

か︒この第二次デフレがより深刻化すれぽ︑それは︑篠原氏のいわれるように︑ケインズ的失業の発生を避け得られ

ない︒確かにハイエクは︑一九三〇年代初期においては︑この種のデフレは︑ある短期間進行すれば︑また︑そうす

ることによって︑賃金の下方硬直性は克服でき︑市場メカニズムによって︑賃金の相対的関係を回復できると考えて

いた︒しかし︑ハイエクは︑現在では必ずしもこうした考えをしていない︒彼は︑いまでは︑この第二次デフレが一

層悪化するのを防ぐためには︑やはり適切なカジ取りが必要であると考えている︒つまり︑そこには︑時を得た金融

政策が必要であると考えるのである︒それは第二次的デフレによる失業が︑総需要の縮小によって生じることが起り

得るからでもある︒しかし︑ハイエクにとって最も重要なのは︑貨幣量の増加による過剰投資︑そしてそれがもたら

71

(26)

す部門間不均衡︑それによって生じる労働力配分の歪みである︒第二次デフレについてハイエクが現在もっている柔

軟な考えをもってすれば︑恐らく︑ピックスも篠原氏の反論︑あるいは疑問も︑あるいは筆鋒を和らげるものと思わ

れる︒この点に関しては︑ハイエクは︑ミーゼスよりもより柔軟であるといえるかもしれない︒ミ三二スは︑デフレ

調整のためのいかなる介入にも反対した︒しかし︑いかに適切な金融政策といえども︑労働力配分の歪みを完全に正

すことはできないであろう︒それは︑労働の﹁市場過程﹂の中で自然に調節されていくべきものであって︑基本的に

は︑自発的貯蓄水準に見合った投資が常に保障されているような経済システムをおいて他にはない︒

72

 注︵1︶ 寓6Φ9諸錠oq置︿o雷こさ鴎僑ミω§導卜●唱§﹂§ω$こ巳♂噛やHG︒㊤・

︵2︶ 自由を社会︵学︶的概念とするのはミーゼスの影響がある︒例えば国昌Φぎ悶・﹀こ↓ミO︒蕊欺︑ミ眺§旦卜&ミ︑3一〇〇ρ

  O.おN・

︵3︶ 拙著﹃ハイエクの政治経済学﹄︵新評論︑昭和五十六年︶第五章参照︒

︵4︶寓奮9寓・く書こε.︒一θ二弓.日︒︒伊

︵5︶男︒芸σ9昼と・zこ肖ぴΦ国ωω︒三更く自孟ω①ω.︑﹂昌︑§ミ醤甘・ミミ§噛9いく8峯ω①ωら・・︒契

︵6︶霞切︒ω噛ピこ導韓ミ§賢§︑ミ︒ミ§恥ミ肉8謹ミ3H㊤︒︒ピ℃る︒︒・

︵7︶自ユニ署●︒︒卜︒山

︵8︶舛︒σσヨ9ピニ︸轟肉︒・︒・塁§導恥き肺ミ恥§良の蛎讐ミ︒§零旦暮§§誇の§§冒し㊤貫即×<ピ

︵9︶菊︒チ9a葡客zこ︑︑目冨国ω器三巨く8孟ωΦ︒︒︑.も●卜︑αo鴨

︵10︶ ハイエクとフリードマンの方法論における相違については拙稿﹁ハイエクとシカゴ学派︵上︶︵下︶﹂︵﹃世界経済﹄昭和五

  十七年一︑二月号︶参照︒

︵11︶ 客δ①ρピニ↓鳶qミ§ミ偽︑o§§笥§ミ尉8きミ︒恥9§禽お誤宕層=歯ρ

(27)

ハイニク社会理論体系の研究(十)

︵12︶一σ置二℃・這●

︵13︶︼≦δoρいニミミ貸着﹄ミご3噂掌ω一嵩●

︵14︶ヒロ魯ほざZ・勺ニミ︑寒.物恥︒禽ミ霜嵩匙肉鳥§oミ苛ぎ馬︑8魯勘ヒーち刈O噂OO・b⊃O山●

︵15︶ 竃凶ωOのりい二↓魯恥q﹄靴ミ食︑鳴︑oミ蕊儀ミご蕊駄肉8醤︒ミ苛⑦ミ鳴論ミ嫡お①N曽弓づ・①㊤1刈O.

︵16︶ 以下の文については高島弘文著﹃カール・ポパーの哲学﹄︵東大出版︑昭和四十九年︶二〇五頁など参照︒

︵17︶出置①r搾﹀二卜§響卜轟乾ミ馬§§軋卜軌魯ミ掌<o一﹂・口⑩お噛喝・悼O. ハイエクがポパーの方法論に最初に賛意を表し

 たのは論文︑︑田巳ωo︷閑鉾ごロ巴δ筥..鴨冒⑦ミミ塁§︑ミ︑8愚頴ヒ燭ぎhミβ§職肉8きミ6︒・暢お$・においてであった︒尚こ

 の著作は︑本文においても指摘しておいたが︑ポパーに捧げられたものである︒

︵18︶男9げげ曽ρ︼≦畠Zこ.︑℃屋×①90αq唄目﹃①︼≦oけげ︒匹︒ざ︒窺団oh︾信珍ユ9︒昌国oo昌︒ヨ凶︒ω︑︑噛ヨ↓︾馬︑ミ篭匙ミご諺ミ§職ミ蕊

 ︾§蔓ご蕊肉8蕊︒ミ皆9①α.げ鴫国●O・∪9p︒Pお刈9℃O●Nαよ・

︵19︶ 詳しくは拙著﹃ハイエクの政治経済学﹄第一章参照︒

︵20︶勺︒ロO①さ国二↓︾恥︑ミミ心ミ敏馬笥ミ馬ミ吻ミお㎝メワ誌ρ

︵21︶=四団︒ぎ7>二.勇︒δ毛︒﹁臼︑冒⑦oミミ詠ミび団ピ﹂≦一ω09巳Q◎どb●××三・

︵22︶一二卜貸ミ噂卜恥曳的︑ミ馬§亀醤卜馬伽ミ竜嫡く︒ピωこおδり弓・卜⊃OO

︵23︶1こト犠ミート恥鴫ン︑ミご蕊亀識戚卜馬窃ミ電.<oピト⊃二H㊤刈9り幽卜⊃ω・

︵24︶詳しくは拙著﹃ハイエクの政治経済学﹄第二章参照︒尚こことの関連でハイエクはカントのカテゴリーを承認している︒

 しかし厳密には論じていない︒=四団︒吋男﹀こZo≦ωε巳︒ω.ロ・幽0・

︵25︶国9昌団︒ぎ国・︾二⑦ミミ$簿き識暑愚魯3︑oh隷㍉畠黛蕊織肉ら§oミ馬身鴇HO①OO・同8・

︵26︶ 勺800び閑二〇ミ鳥ら§引書謹ミミ鷺⁝︾蕊肉ぎ︑ミご費蔓︾意︑§鼻し零卜⊃り戸目8ゐ.またK・ポパー著﹃果しなき探求−

 知的自伝﹄︵森博沢︑岩波書店︑昭和五十三年︶三十八︑三十九︑四十各章参照︒

︵27︶ 言︒昌σq①さO二〇︑§譜ミミ織ミ層︒慧§ミ恥鼻ミミ§︑8HON︒︒u第八章参照︒また︑ここでは︑中村佐一﹁オーストリア学

 派の貨幣論﹂︵﹃貨幣理論と貨幣制度﹄新庄博編︑同文館︑昭和三十七年︶も参照した︒

︑︵28︶閑9ゲげ9︒﹃αL≦●Z二︑︑目ゴ︒国ω切〇三凶巴くop︼≦δ①ω.旧O.悼らN

73

(28)

︵29︶ 一σ崔二〇・まド

︵30︶ 以下︑千種義人著﹃現代景気理論﹄︵理想社︑昭和二十三年︶も参照した︒日本での唯一のミ一口ス研究は村田稔雄﹁ミ

  ゼス研究一︑二︑三︑四﹂︵﹃横浜商大論集︑昭和五十二年一︶がある︒本稿もこれに教わるところが多かった︒

︵31︶ ζδoω.ピニ↓︸ミ鳶§⇔O肉ミ$§織ミqミ飛白ミ咋ミ6旨︾署噸自ヤω卜︒. ︵邦訳︑東米雄訳︑日本経済評論社昭和町

  十五年︶

︵32︶ 出9自団︒ぎ緊﹀こ↓ぎ︑ミ帖↓鳶ミ兄鼠G§軌欝︑物6自り戸おQ︒冒

︵33︶ 臨言吋ωドヵ二6︑ミミ︑肉6︒監毬§ミqミ肺ミ鴇﹃ミミざち08や営O.

︵34︶ 篠原三代平﹁世界経済の現状をどう認識すべきか﹂︵﹃週刊東洋経済﹄近経シリーズM63 昭和五十七年十月︶

︵35︶ 国昌①ぎ閃●﹀こZ①≦ωε象①ωぎ二三δω8げざ℃2三〇ω噌国8εB8ω曽亀芸①田ωざ蔓oh崔︒霧ち刈○︒り箸・b⊃8為.

74

むすび

       ︵1︶ ピックスは︑一九六七年の論文において︑ハイエクの﹃価格と生産﹄は英語で発表されはしたが︑イギリスの経済

学ではなかった︑と書いていた︒つまり︑オーストリア学派の経済学は︑正統派の経済学から外れた特異のものであ

るというのである︒しかるに同じピックスが︑一九七三年の著作﹃資本と時間﹄︵O§焼ミ︑§織寄§︶の中では︑オ

ーストリア学派の経済学こそ主流であって︑他の人々こそそれから外れているのだ︑といった内容のことを述べてい

︵2︶る︒今日では︑もはやピックスのこのような表現を疑う者は殆どいないであろう︒因みに︑同声の副題は﹁新オース

リア理論﹂︵エ≧鴨㌣山程ミ§ミき透︶となっている︒ハイエクは今日なお︑オーストリア学派の伝統を受け継ぎ︑更

に︑その発展に心懸けている人物である︒果して本稿で︑オーストリア学派におけるハイエクの位置がどれだけ明瞭

(29)

になったか︑自信がない︒特に︑はじめ予定していたミーゼス︑ハイエク以後について全く書けなかったのは残念で

ある︒いっか補って公表することをここに約束しておきたい︒

 最後に次のことを述べておこう︒私は︑第二章の方法論のところで︑.ホパーについても言及したが︑それにつけて

も︑オーストリアの知的伝統には本当に驚くべきものを感じない訳にはいかなかった︒ハイエクの社会理論も︑オー

ストリアのそうした知的雰囲気の中にあって︑はじめて展開され得たものであることを改めて知らされた︒

 注︵1︶

︵2︶ 国8犀ω層一●園こ.︑日げ︒国︒楓Φ冒ω8蔓−.噂ヨO識識6ミ肉鈎亀ヒ︒︒§§嵩ミミ勘↓ミ︒こ−目8メ

ー・−O亀葛弊ミ黛嵩亀↓馬ミ8︾﹂<鳴〒︾蕊壁ミ蕊↓魯Sこ矯ら刈ω曽やお. O●卜⊃O心.

ハイエク社会理論体系の研究(十)

75

参照

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ある︒

      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

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第三章

 ウェルツは︑ヒュームの斉一性︵11恒常性︶の概念を理解するには︑方法論的な不変性︵ヨΦ90血90ひq剛︒巴=三︷o﹁∋−

 いま︑同一性の概念を明らかにしなくてはと述べたが︑実は同一性という用語は上の論述に既に出ているのであ       ︵2︶