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古   賀 勝 次 郎

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(1)

ハイエク社会理論体系の研究

1自由と法と法律一

(二)

  目   次

は じ め に

日 自由について

 ω 自由の概念

 ω 自由の近代的意味 ㈹法の下における自由

口自由と法ど法律

 ω ZOヨ︒ω自由の法

 ㈹ 目﹃oω凶ω立法による法︵法律︶

 ㈹ 法概念の変化

日 法実証主義批判

 ω 法の支配の衰退と法実証主義

 ㈲ ﹁純粋法学﹂批判

 ㈹ 官僚主義的行政国家の台頭

む す び

古 賀勝次郎

1

(2)

2

は じ め に

 近代の自由主義は︑直接的には︑アソシアソ・レジーム下における政府の過度の統制︑干渉︑規制などに対する反      ︵1︶動として現われたものである︒しかし︑近代自由主義がその基本原理としている﹁個人的自由﹂の尊重という価値理

念は︑決して近代に特有のものではなく︑古代ギリシア以来の西欧の伝統であった︒いわば近代の自由主義は︑西欧

の文化的遺産である個人的自由の再発見の上に︑近代的意味が付与されることによって︑その成立をみたと言ってよ

いであろう︒だがハイエクは︑政府の統制︑干渉︑規制は︑今日のごとき民主主義の時代になっても︑消滅すること

なく︑依然︑個人的自由に対する脅威であると考えている︒否︑現代の民主主義は︑個人的自由に関して︑近代以前

の絶対主義の時代に比べ︑より危険であるかもしれない︒何故なら︑個人的自由は︑ある統治者の支配が︑国民多数

者の支配によって正当化されている時︑最も脅かされるからである︒

 勿論︑今日の自由主義社会を直ちに専制的であると言うのではない︒それは曽てのナチ政権下のドイツや︑現在︑

社会主義諸国に見られる独裁国家とは明らかに異なるものである︒しかるにハイエクは︑今日の自由主義諸国は︑民       ︵2︶主主義の名の︑実際は官僚主義的行政国家であって︑それは︑不可避的に﹁隷従への道﹂であると警告する︒G.デ      ︵3︶イツェの用語を使えば︑それは︑民主的専制主義︵仙①ヨ︒自宗一〇自Φω℃9一ω日︶である︒では︑かかる﹁隷従への道﹂

は︑いかにしてもたらされたのであろうか︒ハイエクによれぽ︑それは﹁自由﹂の価値と﹁法の支配﹂が︑ ﹁民主的      ︵4︶立法﹂と﹁行政的規制﹂によって置き換えられた必然の結果にほかならない︒つまり︑近代社会の発展過程におい

(3)

ハイエク社会理論体系の研究(二)

て︑自由の概念が曖昧となり︑立法府が制定するものはすべて法であるという法律理論によって︑法の支配の実質的

内容が失われたためである︒

 いうまでもなく︑自由の概念や法の支配の内容は︑西欧においては︑その長い歴史を通じて︑多数の哲学者や法律

家︑裁判官などによって思惟され︑見い出され︑記録されて来たものである︒それ故︑自由の概念や法の支配につい

て︑そこに多くの相違点や︑またそれらに関する後世のさまざまな解釈が存することは当然であろう︒このことは︑

十七世紀から十八世紀にかけて︑特にイギリスにおいて確立された近代的自由主義にも当て嵌る︒確かに︑近代の自

由主義が︑それ以前の時代に比べて︑︑自由の概念や法の支配の内容に対し︑はるかに明瞭な規定を与えていることは

認められるが︑しかしそれでも︑いまだ︑論理的に充分申合的であったとは言い難い︒近代社会の経過とともに︑誤

った自由論や法理論が現われるようになった理由は︑まさしくここにあったと思われる︒従ってハイェクが︑もしそ

のような自由論や法理論に導かれて現在のごとき民主的専制主義がもたらされているのであれば︑いま一度︑自由の      ︵5︶概念や法の支配の本来の意味に遡って検討し︑更に︑かかる自由論や法理論のいかなる点にその誤れる思考が存して

いるかを明らかにすることが︑今日の自由主義の危機を克服する道であると考えたのは当然のことであった︒以下︑      ︵6︶ハイエクにおいて︑それらの問題が︑いかに論じられ︑彼なりの解答を与えているかを述べることにしたい︒

  注

 ︵1︶ ∪一〇訂①Oo#hユaこ国畠呉890開巳oohピ潜≦⁝ぎ国器ミω呂出簿団︒置H旨9℃.HO﹃.

 ︵2︶ ハイエクには﹃隷従への道﹄︵↓ず①渕oρ像け︒ω臼窪︒βお劇餅︶という政治的小冊子がある︒ このような考えは同人以後

   のハイエク社会理論の基本的な視点となっている︒

﹂︵3︶ 目①言︒讐O二8●9け二〇.Hωω●

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︵4︶同げ乙二窓・お甲ω.

︵5︶ぎ艮㍉●﹀二葉琶︒げ§︒・§貫く︒量三・島︒9け・・§け・幕巴︒・︸ヨ・一・・ゴき︒匿ぎ昌ユ︒二㊤α︒︒・ω・ωω・

︵6︶ この論稿は︑ハイエク社会理論体系の中の法学の部門を扱ったものと考えてよい︒ハイエクは若くして経済学の分野で世 界的に名を成したがもともと法学部出身であった︒このことが後年︑自らの社会理論の確立に大いにプラスになったと告白

  している︒︵≦冒けωoげ巴け.芝ぢω①ロωoげ餌津直ロ傷℃巳三面一円腎円︒ま偉﹃Oqo円ωε象︒昌・昌O①O・ω・μ・︶

4

e 自由について

 ハイエクの自由︵蹄︒巴︒ヨ︒﹃ま費q︶に関する議論は︑特に次の二点に注意が払われて論じられている︒一つ

は︑自由の問題をあくまで知的問題として取り扱うこと︑いま一つは︑自由の問題がもつ近代的意味の視点である︒

蓋し︑自由を今日のように危機へと導いた議論が圧倒的に学問の領域で行われて来たからであり︑それ故︑自由を再      ︵1︶び蘇生さぜるには︑なにより自由の問題が合理的議論に耐えるものでなければならず︑またそれが現代において有す

る意味が明らかにされる必要を認めるためである︒

 ω 自由の概念

 ハイエクが自由の問題を知的問題として取り扱うというのは︑自由を社会的概念として規定するということであ

る︒それは一・バリーソの所謂﹁消極的概念﹂と同じものと考えてよいであろう︒さてハイエクは︑自由の問題を社      ︵2︶会における﹁人と人との関係﹂の中で把握し︑自由を﹁他人の恣意的強制のない状態﹂と定義している︒ここに言わ

れる強制︵OOΦ噌O一〇質︶とは︑他の人がある人の環境を変えること︑つまり思惟し︑価値判断をする存在としての個人

を無視し︑他の人の目的達成に従属せしめることである︒・しかしてハイエクは︑このような自由の概念が︑明らかに

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ハイエク社会理論体系の研究(二)

古代ギリシア以来の自由の伝統に基づくものと認めながらも︑一般に言われている︑政治的自由︑形而上学的自由︑      ︵3︶権力と同一視する自由︑などの概念と区別する︒

 ﹁政治的自由﹂eo葺圃︒巴跨①①侮︒ヨ︶は︑国民の政府の選択︑立法過程︑行政の管理への参加をその内容としてい

る︒それは自由の概念を政治制度に対する同意と個人的自由の関係に求めようとするものであって︑自由の概念の全

体としての人間集団への適用と考えられる︒だが︑政治的に自由な国民が︑自由な人々からなる国民である必然性は

なく︑個人として自由であるために集団的な自由に与る必要はない︒例えば︑選挙権をもたない人々が︑政治的自由

を享受していないという理由で︑個人的自由が奪われているとは言えぬからである︒何故なら︑国民が選挙や協定な

どによって︑自己の価値判断を専制者の意志に委ね︑本来の意味での自由を自ら放棄することに合意せぬとも限らな

いからである︒従って︑政治的自由が個人的自由を必然的に保証する理由はない︒

 ﹁形而上学的自由﹂︵日9昌ξ忽8=器巴︒ヨ︶は︑政治的自由以上に個人的自由と密接な関係を有するだけに誤解

を受けやすい︒しかし︑既に中世のスコラ哲学において︑形而上学的自由と強制のない自由とは︽一ヨ雲欝ω餌昌︒︒㌣

ωω犀象︒︾と︽一陣σ①同一〇ω 鋤 OOgO一一〇口①︾の相違として峻別されていた︒形而上学的自由は︑人間の行為において︑自己

の意志︑自己の理性︑自己の信条によって導かれるもので︑それ故︑これと対立するものは一時的な感情︑道徳的︑

知的貧弱さであって︑他人の強制ではない︒だが︑内面的価値に︑より高次の価値を置く形而上学的自由も︑社会的

な因果関係を超越する自我がいかに自由であっても︑それが社会の中で現実に生きている入間の自由を保障するもの

とはならぬであろう︒

︑最後に︑﹁権力と同一視する自由﹂︵冨び興蔓9ωOo芝臼︶とは︑われわれの欲望を満足させるため︑即ち︑われわれ

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の環境をわれわれの欲望に従って改造するための権力への自由の意味である︒このように権力への要求を自由へのそ

れと同一視する考えは︑それ故︑﹁強制のない自由﹂を単に自由の消極的側面︑ つまり︑権力への手段と見倣す︒し

かしそれは︑本来の意味での自由と︑われわれの前に開かれている代替物の選択の範囲とを混同するもので︑それは

必然的に自由を物質的豊かさと同一視する考えへと導いていかざるをえぬであろう︒自由という言葉のもつ魅力が経

済的諸財の配分への要求を支持するために利用される可能性が存するからである︒事実︑このような誰弁︑策略が際

限なく繰り返えされ︑個人的自由の観念が︑環境を支配する集団的観念に置き換えられて︑専制主義国家の下で︑自

由が自由の名において抑圧されて来た︒

 ハイエクは以上のごとく︑自由に関する諸概念を整理し︑これらに検討を加えた上で︑自由を既に述べたように︑

﹁他人の画意的な強制のない状態﹂と定義したのである︒では︑かく定義される自由の概念の近代的意味︑そしてそ

の具体的な内容はいかなるものであろうか︒

 ㈹ 自由の近代的意味

 ﹁個人的自由﹂という意味での自由は︑ギリシア以来の西欧の長い伝統的理念であって︑近代に至ってはじめて編

みだされた観念ではない︒ギリシア時代の自由︑ユスチアヌス法典に示されている自由の概念︑聖トマス・アクィナ

スやアイケ・フォン・レプゴーなどの自由の思想︑マグナ・カルタ︑更に中世末期にしばしば発布された﹁農奴解放

状﹂など︑すべて﹁個人的自由﹂の尊重を基本としていた点で同じである︒これら自由に関する諸思想が︑近代以後

の自由主義の発展に︑直接的ないし間接的に大ぎな影響を与えたことは疑いを容れない︒けれども︑近代以前の個人

的自由に︑観念と現実の間にかなりの乖離を思わしむるものがあったことも歴史的事実である︒個人的自由が︑現実

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ハイエク社会理論体系の研究(二)

の社会において大幅に享受されるようになったのは︑近代以降のことで︑それは︑近代社会の構造的変化と無関係で

はなかった︒      ヘ   へ ここに近代社会における構造的変化というのは︑近代の社会科学︑わけても経済学によって強調されて来た分業で      ︑︑︑︑︑︑︑︑︑        ︵4︶あるが︑ハイエクはこれを知識の広範な分散化として把えている︒その多くを自然科学の進歩に負っている知識の広

範な分散化は︑人々の社会的︑経済的な生活に対しさまざまな可能性を与えることになったが︑またそれは︑すべて

の人々の活動を専門化へと導いた︒そうした専門化の進行が︑あらゆる人々に︑社会全体からすれば︑極めて限られ

た断片的な知識を︑各人の周辺に見い出した個別的目的に従って利用していくことを余儀なくさせた︒しかし他方そ

れは︑いかなる人︑またいかなる機関といえども︑社会に広く分散化されている具体的な知識を︑その全体において

正確に把握することを不可能とした︒このような近代社会の構造的変化を背景として︑特定の個人︑特定の国家機関

による権力の恣意的乱用を否定し︑個人的自由の拡大を要求する社会思想が現われたといってよいのである︒即ち︑

これが自由の近代的意味であって︑ハイエクはこれを次のように表現している︒自由とは︑﹁自分が所有している知      ︵5︶識を︑自分の目的のために使用することができる状態﹂であると︒だがかかる近代的意味での自由が︑その合理性を

獲得するには︑このようにして追求される個別目的が︑果たして社会全体に一定の秩序をもたらしうるか︑というこ

とが示されねばならない︒何故なら︑近代以前においては︑社会は︑神の命令や︑支配者の意志によって秩序づけら

れるものと信じられていたからである︒まさに近代の社会科学者たちが論証に努めたのは︑このことであった︒即ち

彼らによれば︑支配者によって予め作られた社会的設計がなくとも︑ハイエク的に表現すれば︑各人が自分の所有し

ている知識を︑自分の目的のために追求しても︑ 社会には自発的秩序︵騨ω℃o艮碧①o二ωoaoH︶がもたらされると

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いうのである︒そして︑近代以前からのさまざまな残津︑例えば︑支配者の特権︑身分制度︑富の偏在︑などの問題

は︑そのダイナミックな自発的秩序の発展過程において変質し︑次第に消滅していくであろうと考えていた︒彼ら

は︑社会において︑そのような個人的自由が保障されている限り︑いかなる個人︑いかなる国家機関の支配より︑社      ︵6︶会は富み豊かになるであろうという確信を抱いていたのであり︑事実その後の歴史の推移はこのことを充分証明して

いる︒ けれども︑かかる近代的意味での自由の概念にも︑一つの条件がその前提として認められていた︒自由はあくまで

法の下においてのみ許されるという条件がこれである︒近代の社会科学者たちが論証したのは︑自由が法の下におか

れている場合のみ︑自発的秩序が形成されるということであった︒

 ㈹ 法の下における自由

 ハイエクの主たる関心は︑法の下における自由︵h﹃①Φ傷Oヨ ¢里住⑦﹃ 一げO 一天≦︶である︒近代初期の社会科学者たち

の自由の主張も︑また法の下における自由︑法に従って存在する自由であった︒しかし︑何故に自由が法の下におか

れている場合のみ︑自由の状態は確保されうるのであろうか︒それはつまり︑自由と法の関係如何という壁隣になる

であろう︒

 自由には︑あらゆるものを包摂する絶対的︑超法規的︵ヨΦ5占①αq巴︶自由というものがあって︑自由はそのままで       ︵7︶は︑漠然とした曖昧な概念に過ぎない︒だが自由の状態ーハイエクの定義によれば︑﹁他人の恣意的強制のない状

態﹂であるが一は社会的概念であり︑それ故︑自由の状態は︑何らかの制限が自由に対して前提とされている︒即

ち︑絶対的概念である自由は︑法によって限定された時︑社会的概念となるのである︒超法規的概念としての自由の

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ハイェク社会理論体系の研究(二)

中には︑ある支配者の意志に従うことが自由であるということにもなりかねぬし︑またアナーキズムへと向う危険性

を孕んでもいるからである︒﹁自由の状態﹂は︑自由が法の下におかれている場合のみ存立しうるのであって︑ある

支配者の意志に従わねばならないとか︑あるいは︑全くの無秩序な社会においては保障されえない︒

 かかる自由と法の関係は︑勿論︑近代になってはじめて現われたものではなく︑ギリシア時代まで遡りうる︒ギリ

シア語の︽ぎ・︒§︾とい互・量が表わしているように︑それは・すべての粛々に対する法の平等性の意味であ魏醇

この言葉は︑十六世紀の末にイタリアを経由してイギリスに輸入され︑一ω08日団と翻訳されて︑十七世紀を通して

イギリスで用いられた︒アリストテレスも︑法によってでない︑多数者によって決定されるごとき政府を自由な国の

政府とは認めなかった︒また︑古代ローマ時代においても︑法は自由の存立の必須の条件として考えられていて︑

︽δαqoω8σq偉ヨ︾という概念︑法の有する一般性︑確実性によって自由は成立するという思想は︑当時の人々にとっ

ては当然のこととして理解されていた︒中世においても︑国家は自ら新しく法を作ったり︑また法を廃止したりして

はならないという考えが広く受け入れられていた︒=二五年ジョン王が︑貴族や僧侶の要求に応じて︑イギリス国

民に自由と権利を約束したマグナ・カルタが近代の自由主義の発展に及ぼした影響は極めて大きい︒このように︑法

は自由の基礎であり︑自由を促進させるものであるという思想は︑西欧の長い伝統的風土であった︒

 近代以前には︑社会は︑神の命令や支配者の意思によって秩序づけられると信じられていたが︑そこには常に支配

者による権力の恣意的乱用の危険性を孕むものであった︒近代の社会科学者たちの偉大な貢献は︑社会の秩序が︑神

の命令や支配者の意志によってもたらされるのではなく︑無数の人々が︑長い歴史の中で徐々にできて来た習慣︑規

則︑法に従って生活した結果︑自発的に形成されたものであることを明らかにしたことである︒そして︑知識の分散

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化が広く行き渡っている近代社会においては︑とりわけ︑市場メカニズムと︑法︑即ち法のもつ一般性︑平等性︑確

実性という属性が︑社会の自発的秩序の形成を促す最も重要な要因であることが論証された︒実際︑A・スミスの用

語を使えば︑近代のごとく︽Oお薯ω09Φ蔓︾にあっては︑中世までのような規範的︑具体的な秩序という観念を現

実の社会に適用することは殆ど不可能なことである︒近代社会においては︑形式的︑抽象的秩序しか考えられない︒

近代の社会科学者たちが発見したのは︑かかる形式的︑抽象的な秩序が︑市場メカニズムの機能によって︑また法の

一般性︑平等性︑確実性という属性に対応して形成されているということであった︒いま市場メカニズムのことは暫

く措き︑法についてのみ言うならば︑法の有するそうした属性が︑社会の形式的︑抽象的な秩序を形成する大きな要

因として作用しているということである︒しかもそれは他方において︑絶対的な自由を限定するものとして︑具体的

な自由︑即ち権利を保障する枠組を与えるものであると考えられた︒

 だが︑ハイエクによれば︑以上のような自由と法に関する近代の自由主義の考えは︑その原理において誤りはなか      ︵9︶つたにしろ︑具体的な個々の問題を導くに充分な理論的展開がなされていたとは言い難いものであった︒それが︑近

代社会の発展過程の中で発生して来たいろいろな問題に適切な対応を欠くこととなり︑それらの積み重なりが︑今日

のごとき自由主義の危機をもたらしたといえる︒それは︑法と︑立法府によって制定されたもの︑即ち法律との間の

関係が曖昧で︑充分明確でなかったところにその最も大きな理由があったといわねばならない︒ハイエクは︑法と法

律の関係を明らかにすることによって︑近代社会の発展に伴い︑法の概念がどのように変化し︑それが︑現在見られ

る官僚主義的行政国家への道を促進させていったかを以下のように論じている︒

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ハイエク社会理論体系の研究(二)

 注︵1︶ 出楓①r戸﹀こOo昌ω鉱言凱︒昌oh=ぴ臼蔓﹂O①9戸①.

︵2︶ 閏9︒団①ぎ男︾こぎ乙こロ.ド一・以下詳しくは拙稿﹁自由と秩序に関する社会思想史的研究国  レプケとハイエクの社会

  哲学序説﹂︵﹃世界経済﹄一九七七年一月号︶参照︒

︵3︶ 嵩9︒楓or男︾こ一σ置二弓.μω亡●

︵4︶匡β︒団Φr男︾こピ鋤毛L︒σq芭四二言①巳=び〇二ざく巳H●お刈ω喝.置・

︵5︶=爵①r聞︾こぎζ讐署.㎝甲9

︵6︶頃曙︒ぎ男﹀こぎa≦匹⊆慧ωヨ鋤巳国8ぎ巳︒Oa①き目O多やω卜︒.

︵7︶ ∪冨9ρO.bP9けこ弓PH二−卜︒●人間の不可避的な能力の限界が自由をも含め︑人間のもっている知識を限界づけてい

  る︒自由の近代的な観点からは︑近代社会における無知の領域の拡大︑知識の広範な分散化の現象とかかわる︒またハイエ

  クは︑自由と法と財産は三位一体のものとしている︒︵︼じ餌≦闇 一じOひq一ω一⇔一一〇昌 国コ匹 目﹄び①﹃一団層 くO一■ 目口 HO¶ω騨 U■ HO刈︒︶ここに財

  産は︑近代の初め︑J・ロックが使った広い意味の℃8噂豊沼で︑これをハイエク流に拡大解釈すれば︑この中で知識が

  最も重要なエレメントと考えてよいかもしれない︒

︵8︶ 国防器ぎ男﹀こOoロω江ε菖︒昌oh=び①二ざH㊤①9弓﹂219国三ω一〇ゲ崖コσqロ昌臣<oユ巴一α①ω園①o匿ωω冨鉾ω置09①の.

  HOq︒︒りω.ω心■以下参照︒詳しくは拙稿﹁自由と秩序に関する社会思想史的研究日ーロックとスミス﹂︵﹃世界経済﹄一九七

  七年九月号︶参照︒

︵9︶出曙①〆閃.﹀二冨≦闇ピ①σq芭帥蕗89︒乱ζげ①二ざく︒ご層お謎.弓.曾.

口 自由と法と法津

 ハイエクは︑自由と法との関係を︑一層︑明確にするため︑法︵一9︒≦︶の概念を︑一︑長い歴史の過程で︑多数の

法律家の努力によって集収されて来た法と︑二︑支配者︑即ち権力を有している者によって要求される法︑の二つに

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区別している︒前者は︑法を島葺β費9ゴ園︒︒三の意味で考えるのであって︑それは支配者や立法機関をも含め

たすべてのものを拘束する法である︒これに対し︑後者は︑貯σqσqΦLo凶︑Ooω①訂の意味での法であり︑支配者が︑支

配者の機関のために制定する法であるから︑それは必ずしも︑支配者を拘束するものではない︒ハイエクは︑英語に       ︵1︶かかる二つの異った法概念を表わす言葉がないので︑ギリシア語の8ヨ︒ωと夢窃一ωをそれぞれ前者と後者に対応

させて用いているが︑彼によれば︑前者が自由と両立し︑自由を促進させるものであるのに対し︑後者は︑時とし

て︑自由を脅かし︑自由と対立するものである︒

 ω ZOヨOω⁝自由の法

 昌︒ヨ︒ωは︑﹁正しい行為に関する一般的規則﹂︵9=周く震ω巴﹃三〇〇h甘ω一〇〇昌像信9︶として理解されるもので︑

すべての人々に等しく妥当し︑また︑現在および将来のあらゆる事象に当て嵌る法である︒このような鵠︒日︒ωとし

ての規則は︑個人や集団がおのおの個別的目的を追求するために保護されるべぎ自由の領域を規定するが︑他方それ

は︑その規則の遵守によってもたらされる結果とは独立したものである︒従って︑ロ︒琶︒ωの意味での法は︑具体的

な意志に依存していない抽象的規則であって︑特定の︑しかも予測可能な目的のために作られたものではない︒ハイ       ︵2︶エクによれば︑かかる一般的︑抽象的規則が8ωヨ︒ω︑即ち形式的︑目的に依存しない自発的秩序に対応する︒

 法︵菊Φoゴけ︶は︑長い歴史の過程において︑入間のもっている法感覚を導いて来た規則を︑数多くの法律家たちの

絶えざる法を聡い出す︵菊①o葺ωhご窪二業騎︶という努力の中で徐々に形成されて来た︒それは︑立法府によって制定

されたものではなく︑多く︑判例に基づき︑裁判官の手によって受け入れられ︑修正されて来たものの集合である︒

それ故︑こうした法は︑法治国家︵園①Oげ一ωωけ99け︶という語に特徴的に示されているように︑国家に先行し︑国家に

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   ︵3︶  優越する︒法治国家は︑﹁法の支配﹂のドイツ的表現に他ならない︒法の支配は︑国家機関である政府権力の制限と

  しての﹁つの支配であるが︑しかしそれは︑超法規的支配であって︑それ自身では法とはなりえず︑ただ善い法が持

  たねばならない属性についての支配的世論︵O窟ヨO口︶としてのみ存在する︑とハイエクは言う︒他言す紅ば︑法の

  支配は︑ある特定の法の支配ではなく︑特定の法がもたねばならないものに関する教義︵鳥OO一〇同一置︶であり︑ひとつ

  の政治理念と理解されてよい︒従って︑立法者がそれによって拘束されていると意識されている限りにおいてのみ効      ︵4︶  果的である︒

   いかなる法体系も︑予めその全体が設計され︑それに従って体系化されたものではない︒歴史的に見て︑法典化へ

  のいろいろの試みも︑現存する法の集合体を整理し︑これを補充したり︑その不斉合性を排除したりすることによっ      ︵5︶  て体系化すること以上のものではなかった︒法は多数の法律家たちが︑具体的な問題を一つ一つ解決していく中で︑

  自然に︑そして長い歴史過程を経て形成されて来たものである︒裁判官には︑特定の具体的目的ではないが︑ある目

⇒ 的が与えられていると言える︒それは︑社会に発生するさまざまな対立の再発を防止するための規則を作ることによく耽ぞ︑一定の行為秩序を改善す・目的であ殖裁判官は・の・急目的を遂行していくに当・て・彼自らが好むよう

縣に裁判する自由はなく︑寧ろ自ら下そうとする判断を常に︒︒・ヨ︒︑に調節していかなくてはならない︒従って︑下

職 判官の機能は︑自発的秩序に限定されるのであって︑自発的秩序が成長している社会への適応過程だといえる︒

社  とはい︑κ︑以上の意味において︑裁判官が現在の行為秩序を維持し︑改善することに関わり︑その判断基準を現行 会

車の秩序から採らねばならない・い−.・とは︑裁判官の昌が︑特定の人間関係の現状を里・芸・とにあるとい−

 .のではない︒そうではなくて︑裁判官が関わるのは︑特定の事実が変化しても維持されねばならない︑社会秩序の本

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質的なものである一般的︑抽象的な関係のみである︒そのような一般的︑抽象的な関係が維持される場合のみ︑人々

はすべて等しく︑現在および将来にわたるおのおのの意思決定に対する確実性を享受することができる︒自由な社会

においては︑社会全体に共通した目的はなく︑各人は単にそれぞれ異った目的を追求するための手段のみを欲する

のであるから︑そうした一般的︑抽象的秩序の維持が︑かえって社会全体の利益をもたらすことになる︒それ故︑裁

判官が﹁法を作る﹂︵一鎖≦lBP9吋一昌oq︶ということにおいて関係をもつのは︑このような一般的︑抽象的な秩序の修正︑

改善だけであ菊ハイラはこうした裁判官の機襲・﹁人間の設計ではなく︑人間の行為の結果﹂︵A・フ7ガ・      ︵8︶ソ︶としての8ω巳︒ωの形成にとっての︑典型的な且つ最も重要な要素であると考える︒      ︵9︶ 自由な社会は︑特定の共通の目的に依存していない︑ただ法によってのみ支配されている社会である︒人々は︑社

会における特定の目的︑ つまり︑特定の人間の意志に独立して︑個々人が自らの判断に従って行為する場合のみ︑

他人の恣意的強制から自由でありうる︒そしてかかる個人的自由は︑一般的︑抽象的秩序の維持︑形成を促す法が支

配する社会においてはじめて保障されるのである︒しかし︑近代以降の自由と法に関する社会思想は︑この点あまり

明瞭ではなかったといえる︒例えばカントが︑人間は人間にではなく法にのみ従う場合のみ自由であるとしたのは正

しいが︑法の性質i﹁正しい行為に関する一般的規則﹂としての法の性質一をその無目的性に求めたことは明ら

かに誤りである︒勿論︑ベンサムのごとく︑法の目的を特定の行為の具体的結果を予測可能にするためのものと考え        ︵10︶るのも間違っている︒法は︑社会の一般的︑抽象的秩序︑別言すれば︑社会における入と人との一般的︑抽象的な関

係︑の維持︑改善にのみ関わるのであり︑法に︑特定の行為の具体的結果についての予測を要求することは︑特定の

支配者の意志に特定の人々が従うことがその前提とされない限り不可能であって︑それはロ︒ヨ︒ωとしての法ではな

14

(15)

ハイェク社会理論体系の研究(二)

い︒要するに個人的自由は︑人々が特定の人聞の意志ではなく︑一般的︑抽象的秩序の維持︑改善に供する正しい行

為に関する規則である法に従う場合のみ保障されるといえるであろう︒

 ㈹ 目ゲ①忽の立法による法︵法律︶

 ハイエクは9①ω圃ωによって︑特定の人々にのみ適用される命令︑支配者の目的に奉仕するすべての規則を表わし       ︵11︶ている︒貯①臨ωは︑昌︒ヨ︒ωがooωヨ︒︒・を導く規則なのに対し︑冨×一ω即ち組織における規則である︒そして︑組織

の規則としての昏︒巴ωは︑命令によって︑各人に一定の目的︑一定の任務︑一定の機能が指図され︑またその規則

の多くは︑ただ一定の責任が委ねられている人々にのみ妥当するという特徴を有している︒組織の規則は︑その意図

からして︑特定の目的から独立した一般的なものではなく︑﹁定の目的︑任務︑機能が予め設定されている命令を補

足するものに過ぎない︒組織においては︑命令︵o巳臼︶が直ちに秩序︵o註巽︶になる︑そのような具体的秩序をも

たらすという意味で︑組織の規則は︑組織を最も合理的に運営するために不可欠のものである︒

 政府は︑国家における最も巨大な組織である︒立法は本来︑組織である政府および政府の管轄に属しているさまざ

まな政府機関の目的を遂行する必要性から生じた︒立法府において︑その目的の遂行のため︑一定の手続きを経て作

られた規則が︑即ち法律︵O①︒︒①言︶である︒しかし︑組織としての政府は︑望ましい︑秩序ある社会を維持し︑それ

を発展させねばならないという機能が課せられている点において︑あらゆる他の組織と異った性格をもっている︒政

府に課せられている機能は大きく言って二つある︒一つは︑﹁正しい行為に関する一般的規則﹂を強化すること︑い

ま一つは︑国民にさまざまなサービスを提供するために作られた組織の指導︑あるいは︑個人および集団では不可能       ︵12︶なサービスを与える機能である︒前者の機能を果たすために︑立法府によって制定される法律は︑勿論︑法︵菊Φo暮︶

15

(16)

を補うものであるから︑法の支配︑法の下の政府︵αqoくΦヨヨ①9§αo円爵Φ一9≦︶の理念︑従って自由と抵触するこ

とはない︒それ故︑前者の機能において︑政府という組織は他の組織と著しく異なるといえる︒けれども問題は︑

後者にあるといわねばならない︒政府が︑より高い立場から︑国民のために各種のサービスを行っている組織を指導

したり︑個人ないし集団では出来ないサービスを供給したりすることは︑確かに政府固有の機能である︒だが後者の

目的を遂行するために立法府によって制定される法律は︑前者の場合と異って︑それが︑具体的結果を予測できなく

てはならないという点で︑組織の規則︑即ち90ω一ωと何ら変りない︒しかも重要なことは︑政府が︑他の組織と違

い公的強制力というものをもっているということである︒従って︑組織の規則としての法律は︑このような強制力を

背景としているのであるから︑その恣意的乱用は︑常に自由に対する脅威を孕んでいるといえる︒そして︑かかる強

制力の乱用が最も顕著な形で現われるのは︑政府が後者の機能に対し︑独占的な権利を獲得している時である︒この

時︑組織の規則としての法律は︑自由の問題と抵触せざるをえない︒各人の有する知識を自らの判断によって使用で

きる自由の領域が全く排除されることになるからである︒

 もし︑政府が︑そうした後者の機能を独占的に獲得し︑更に︑それを社会のあらゆる領域に拡大するとすればどう      ︵13︶であろうか︒それは︑社会全体が︑言わば︑一つの組織となるということである︒そのような社会においては︑政府

の第一の機能である﹁正しい行為に関する一般的規則﹂の強化という意味の立法というものは存在しなくなり︑立

法府によって制定されたものは︑すべて組織の規則でしかない︒そうすると人々は︑組織の規則としての法律に従っ

て︑他言すれぽ︑組織の目的︑組織の支配者の意志に従って行動しなければならなくなる︒しかもそこにおいては︑

組織の目的︑要するに︑支配者の意志が︑窮極の行動基準を与えるものであるから︑それを超えた法の支配というも

16

(17)

ハイエク社会理論体系の研究(二)

のが存在しない︒このような社会︑つまり社会全体が一つの組織である社会における立法は︑それ故に︑すべて社会

立法︵ω099︒=①σq互幾魯︶という形式をとるようになる︒       ︵14︶ ﹁法の支配﹂は︑もともと︑立法の範囲に対する制限を意味するものである︒従って︑法の支配は︑形式的法律と

しての一般的規則にのみ限定し︑特定の人々を保護するための立法︑あるいは︑その目的のために誰かに︑国家の強

制力の使用を認める立法を排除する︒勿論︑それは︑政府の第二の機能においてもそうでなくてはならない︒だか

ら︑政府の第二の機能も︑形式的法律としての︑即ちすべての人々に等しく適用される一般的規則が妥当する範囲に

おいてのみ許されるのである︒政府の第二の機能における活動領域が︑そのような範囲に制限されている限り︑組織

の規則としての法律は︑法の支配によって拘束されているので︑自由の問題とは抵触しないであろう︒ハイエクが問

題としているのは︑実際︑各国政府の活動が既に︑この範囲を大幅に超えているという事実であり︑それが︑立法府

によって制定されたものはすべて法律であるという︑法律理論によって正当化されて来たという法律学上の問題であ

る︒ハイエクは︑これを社会全体が一つの組織へと移行している過程︑即ち︑社会が8ω目︒ωから雷惹ωへと移行

している過程として把握している︒すべての法律の中に占める社会立法の比率がますます大ぎくなっているのは︑か       ︵15︶かる過程に対応していることの現われであると考える︒だが︑社会全体が一つの組織である社会においては︑立法府

によって制定された法律は︑組織としての規則のもつ性質がそのまま社会全体を支配する︒しかもそれが︑公的権力

を背景としているので︑常に他の何者かの恣意的強制力によって操作される危険性を否定しえない︒要するに︑法の

支配を受けない立法行為︑そうして制定された法律は︑自由への大きな脅威であるといわねばならない︒それは﹁隷

従への道﹂である︒

17

(18)

 では何故︑現在の社会は︑このような﹁隷従への道﹂を辿るに至ったのであろうか︒それには︑近代以後生じた法

概念の変化について考えなければならない︒

 ㈹ 法概念の変化

 近代以降に生じた法概念の変化は︑結論的に言えば︑昌︒∋oωから昏︒ω凶ωへの変化︑法の支配食︒冥ωoゲ9津自︒ω

国oo匿の︶から法律の支配︵剛︷OH﹃ωOず僧h一 ユOω ︵︸Oω①けN①ω︶への変化︑法治国家︵閑Φo耳ωω$9︶から法律国家︵Ooωo蔚︒ω1

ω冨讐︶への変化として把握される︒J・ロックをはじめとするイギリスの近代的自由主義者たちの弄りた法︵一9≦︶

は︑圧倒的にコモン・ローの法︵図oo耳︶であり︑また︑その理念としての﹁法の支配﹂︵﹁巳︒⇔や一9妻︶も︑この法

︵図oo三︶に関わる概念であった︒だが︑かかる意味での法の概念が︑ ヨーロッパ大陸に輸入されるや︑それは法律

︵Oo器欝︶の概念に置き換えられてしまった︒勿論︑そこに︑当時︑後進諸国であった大陸の歴史的な必要性から

O⑦ωo訂や互の重要性が認識されたのも事実であるが︑しかし根本は︑自由に関する考えにおいて︑イギリスの自由      ︵16︶主義と大陸の自由主義︵ハイエクは特にこれをフランスの自由主義に代表させている︶との間に大きな相違が存して

いたことによる︒

 既に述べたように︑イギリスに発展した自由主義においては︑自由は法の下においてのみ存在しうる︑従って法の

下の政府というのがその政治理念であった︒これに対し︑大陸の自由主義においては︑自由は︑理性︵噌①9ωO昌︶の命      ︵17︶令に従うことであるとされ︑それ故︑理性の法則に従った社会全体の設計が要求された︒だが︑社会がその全体にお

いて設計可能だとするのは︑既に社会が一つの組織であることが前提とされている︒つまり大陸的自由主義にとって

は︑法律を超えた法というものは最初から必要ではなかったのであり︑そこでは︑社会の目的を達成するための道具

18

(19)

ハイエク社会理論体系の研究(二)

としての法律さえあればよかった︒立法府が︑予め描かれた社会の青写真を実現に導くために.すべての人々に︑特

定の目的︑特定の任務を指令する規則︑即ち法律を与えればよいわけである︒それは︑法の支配する国家ではなく︑

まさしく法律国家といわねばならない︒それは︑自由社会とは両立しえない︒

 しかしながらハイエクは︑歴史の過程の中で自然に形成されて来た法というものが︑立法による修正を何ら必要と      ︵18︶しないというのではない︒例えば︑社会が急激に変化した場合︑当然︑この新しい事態に対処するために立法が必要

となってくる︒裁判官は︑法律を発展させることは出来ても︑それを少なくとも急激に変えることは不可能なので︑

立法を通して︑あらたに法律を制定することによって新しい事態に対処する必要がある︒また︑法の発展が︑特定の

階層例えば領主や地主の手に独占され︑それがその階層の利害と深く結びついている場合には︑立法によってその軌

道を修正しなけれぽならない︒このような場合︑立法は︑裁判所の判決に比べて︑社会の不公正を是正するのに︑よ

り効果的であると考えられる︒フランス革命をこうした視点から見るならば︑それは歴史家J・ミシュレの︽一.斎く㌣

昌︒ヨ︒算αo冨ざ一︾という表現に示されているように︑立法による解放的効果が認められる︒だがそれは当然︑︽一.9︒1       ︵19︶く9Φヨ①三像賃臼︒犀︾ではない︒問題は︑立法が︽く︒区宕〇三押く︒×住色︾という政治理念によって導かれる時起こる

のである︒・人民による専制的支配がここに始まる︒フランス的自由主義の理性主義が︑法の支配を否定して︑理性の

命令としての立法を要請したことが︑人民専制主義への道を開くことになったのである︒このようなフランス的自由

主義は︑イギリスの自由主義にも少なからず影響を及ぼし︑例えばJ・ベソサムは︑法はすべて自由を侵害するから

悪であると見倣す一方︑立法機関に無限の権力を求めた︒

 .ハイエクによれぽ︑一般的行為に関する規則としての8ヨ︒ωと︑組織の規則としての筈︒ωδとの区別はある程

19

(20)

度︑私法︵ハイエクはこれに刑法も含める︶と公法との間のそれに対応しているという︒それ故︑法の支配から法律

の支配への︑法治国家から法律国家への移行を︑私法の優位から公法の優位への変化の過程として把えることが出来

る︒しかるに︑今日︑私法と公法の関係についての理解において重要な誤解が見られる︒即ち公法︵b偉げ嵩O一頭類︶を

私法︵Oユぎ$一9≦︶に先行する︑私法は二次的︑あるいは︑公法によって導かれるものである︑また公法は公共の

利益を進めるが︑私法は私的利益に奉仕するもの︑と見倣す見解がそれである︒だがハイエクは︑真実は恐らくその

反姐であると主張する︒私法は︑長い社会の発展過程において︑多数の法律家たちによる法を見い出すという努力の

中で次第に成文化されて来たものである︒これに対し︑公法は︑︸定の目的のために作られた組織の法律であって︑

立法は公法の領域において発達した︒寧ろ公法は︑私法の実施を保障するために制定された政府機関の法律であると

言える︒従って︑﹁国法は亡びるが︑私法は存続する︒﹂︵一貫p︒魯琶8三く角︒qΦ算℃﹃署鋤茸g巨げ①︒︒8拝︑︑︶と言われ       ︵20︶るのは正しいとハイエクはいう︒私法︑つまり一般的行為規則に基づいている社会の基本構造は︑公法が規定してい

る国家構造の変化から独立して存続しうる︒このことは︑フランス革命についても当て嵌るであろう︒国家の権威は

まさにそこに負っているのであって︑国家は国民の日常生活の機能が依存している自発的秩序の基礎が維持されてい

る場合のみ︑国民にその法律の遵守を要求することができるのである︒しかし︑社会科学のあらゆる分野において社

︑会的正義︵吻oo一心甘ω二8︶が主張され︑また︑立法府によって制定されるものは︑すべて法律であるといった法律理論によって︑私法に対する公法の優位性が︑急速に社会に受け入れられていったのである︒だが︑公法の支配する社

会︑それは︑官僚主義的行政国家である︒

 以下︑そのような法の支配の衰退を促し︑官僚主義的行政国家への移行を正当化していった法律理論についてみる

20

(21)

ことにしよう︒

ハイエク社会理論体系の研究(二)

 注︵1︶ 国9︒団︒ぎ男︾こい〜ピ︒ぴq冨一粒二自き儀いま︒円曙旧く︒一.ド目S︒︒u.O心.以下参照︒普通昌︒旨︒ωに対比して用いられる

  のは︑島︒ω日︒ωであるが︑ハイエクは︑以下に述べるような主張から︑﹁ある命令を出す特定の行為﹂を意味する件ゴ︒忽ω

  を使っている︒︵∪δω只薗︒冨⑦暑凶旨琶σq一白弓︒ヨ凶ω︒ぎuo艮〇三ぎ津︒まξσqo﹃ωε巳oPμ8㊤讐匂D.b︒昌.︶また︑この

  論稿ではぎヨ︒ωを表わす日本語を﹁法﹂︑導︒ω一ωを﹁法律﹂で表現している︒律は︑もともと仏教教団という組織の規則

  を意味していたからである︒

︵2︶ 頃餌団︒〆団︾二∪一〇ω只8げく曾≦目白昌oq一日O巳暫時ωoげ︒昌Uo犀〇三貯聞お一げξoqo﹃ooεao卸 80ω・卜δ=・

︵3︶ U凶O言ρO二〇℃●o詳こロ.二㊤・

︵4︶国曙①F男︾二〇〇ロの葺葺ざ昌︒圃ピ皆〇二団唱お①9署.8αよ●

︵5︶出9︒鴫㊦r閃・︾こ審瀬い︒αq互9︒ぎ昌餌巳=9二ざ<oドμ口O蚕喝.H86

︵6︶出9︒嘱①〆男︾二H玄低こO■δド

︵7︶国9︒饗ぎ団.︾二δ凶住二戸Hb︒日・

︵8︶ 国餌団O〆脚団・︾二Hげ一侮こ噂曾目HP

︵9︶ 竃.O⇔屏︒の﹃o詳の用語を用いるならばづ︒ヨ06冨︒望である︒また彼は︑目的に依存している社会を8δoo雷︒団と呼ん

  でいる︒︵出目団㊦犀曽剛︒︾二 ZO≦ω一高◎一〇の一口H︾げ謬QωO唱げ矯讐℃O嵩榊剛Oω一重OO昌O三一O駒り騨鶴翼島↓げO出凶ωけO同日O噛一画野田ω讐 H㊤刈◎Q讐O号Qoμ.︶

︵10︶ =帥団㊦ド聞b>二い餌屯りHo﹃q器一9二〇昌暫昌住いぎ〇二ざ<9.一讐目零ω殖戸嵩も︒.

︵11︶ 国国嘱①ぎ聞・﹀二一︶冨ω噂旨6サぐOヨ寄﹁口昌σq一目09一一冨6プ①昌UOロ犀①P日曜﹁9げロ菌O同ωε巳OPH80讐ψ卜◎旨.

︵12︶ 国潜鴫Oぎ局﹀こピ凶≦噛ピOゆ亀冨冨臨O冨90昌らピま①二ざ<Oド一層ロ・おH・

︵13︶社会主義は本来︑社会を一つの組織として考えるところがら出発するものであった︒︵出曙︒ぎ男﹀二ぎ遠く冠§密日賦巳

  国OO昌O旨向OO﹃亀Oさμ◎ωO.噂●ら︒.︶

︵14︶ 誠簿団爵層聞・﹀二目げO即O儀齢Oψ①鳳儀O臼HO幽凸℃℃.⇔bσ・

21

(22)

︵15︶ 国曙︒ぎ国●﹀ニピ餌〜ピ£互9二8餌巳ζげ①コざ<9ピ眉弓●辰卜⊃山.

︵16︶ =躇︒ぎ男﹀二〇〇昌ω三ε一一昌ohζげ〇二ざ目8ρづ.α心・

︵17︶ 鼠曙︒ぎ男︾二Zo毛ωε島︒ω一ロ℃ξδω8ξ響町︒嵩誠8旧国88巨︒ω.9︒置一豪雪ω8qoh.罠冨9目O刈Q︒いも・旨O・

︵18︶ 国帥団︒ぎ男﹀こい帥黒・ピ①oqδ一鋤二〇昌9昌側ピま①詳ざ<oドHもO.◎︒Q︒−.㊤●例えば︑コモン・ローを修正した衡正法︵oρ三ξ︶

  の意義が認められる︒︵一︶一〇けNΦサ Oこ OO. O一けこ 噂.目ω①.︶

︵19︶ ∪冨窟ρO二8o蹄二昌ωO・

︵20︶ 出㊤︽Oぎ男﹀二∪一〇ωO冨OゴくO﹁≦胃歪昌ひq一重弓O=二日目ゲO昌U①昌冒Φ昌⁝貯国﹃Φま鑑彊90P一塁巳OP目80.ψ日らQ.

22・

日 法実証主義批判

 ハイエクは︑法の支配の衰退を促進させた法律理論として︑1︑利益法学︵冒件曾ΦωωΦ且竃凶ω嘆&①コN︶︑2︑自由      ︵1︶法学︵h﹃90言二ωb﹃&Φ言︶︑3︑法実証主義︵凋①o葺ωboω凶自乱ω§βω︶をあげている︒ハイエクによれぽ︑﹁利益法学﹂

は︑法の支配を厳密に適用する場合生じる論理的な解釈問題を避け︑具体的な係争事件における特定の利害関係を直

接裁定することを求める︒また﹁自由法学﹂の目的は︑裁判官をでぎるだけ固定された諸規則から解放し︑個々の事

件を主として裁判官の正義観に基づいて裁定させようとするにあった︒このような自由法学は︑しぼしば指摘されて

いるように︑全体主義国家の恣意性への道を開く理論を提供することになった︒しかるにハイエクは︑法の支配の衰

退︑法治国家の崩壊を導いた理論として︑決定的な役割を演じたのは︑法実証主義だと考える︒就中︑H・ケルゼソ

の﹁純粋法学﹂が批判の対象とされている︒

 ω 法の支配の衰退と法実証主義

(23)

ハイエク社会理論体系の研究(二)

      ︵2︶ 法実証主義は︑なにより先ず︑自然法︵Z曽け口︻﹃ΦOげけ︶の概念に対する批判から出発する︒勿論︑﹁自然法﹂といっ.

ても明確な概念が与えられているわけでなく︑実際これまで︑自然法の名において︑実に多くの学派が︑いろいろ異

った理論を展開して来た︒けれども少なくとも︑自然法を主張した人々の間には︑自然法の問題が存在することを認

めている点で共通している︒彼らは︑いかなる立法者によっても意識的に作られていない規則  昌︒ヨ︒ωの意味で

の一が存在していると考える点で同じである︒また彼らは︑実定法の妥当性が︑人々によって暗い出されて来た何

らかの規則にその起源をもつ︑そしてこうした規則が︑実定法の正当性ばかりか︑実定法を人々に遵守せしめる基礎

を与えているという点でも合意を見ている︒自然法の起源をどこに求めるか︑かれらのある者は︑神の啓示に︑ある

者は︑人間理性に固有な能力に︑またある者は︑人間の知性を支配する非合理的なものに求めるかもしれない︒だが︑︑

そもそも法実証主義は︑このような自然法の問題が存在すること自体を否定するのである︒蓋し︑法実証主義にとっ

て︑法︵冨≦︶︵麗︑その定義に従えば︑人間の意志による意識的な命令だけから成立しているからである︒

 以上からも明らかなように︑法実証主義は︑最初から︑﹁法の支配﹂︑﹁法治国家﹂という理念の基礎をなしていた

超法規的な原則︑即ち︑立法権の制限に対して︑共感もまた必要性も持たなかったのである︒法治国家は︑本来︑法

規が有すべぎ一定の属性を要求する実質的な概念であったが︑法実証主義の圧倒的な影響を受けるに及んで︑国家に﹂

よるすべての政策は︑立法府によって承認されたものでなければならないという単なる形式的概念に変わった︒要す

るに︑法実証主義に従えば︑﹁法﹂︵︑︑冨≦.︑︶は︑ある当局がいかなることを行っても︑それが合法的であればよいこ

とになり︑﹁ただ合法性の問題だけが問われるに過ぎなくなったのである︒その学問的に高度に精緻化された理論が︑

H・ケルゼソの﹁純粋法学﹂︵園①一昌O 国①Oげ一ω一〇げ﹃O︶であって︑第一次大戦後において︑最も大きな影響力をかち︑尾

23

(24)

た法律理論であった︒

 ㈲ ﹁純粋法学﹂批判       ︵4︶ ケルゼンの﹁純粋法学﹂の根本の意図は︑法律学を︑それとは異質のすべての要素から解放することにあった︒し

かし︑ハイエクのケルゼソ批判は︑まさにそれ故︑この点に向けられるのである︒ケルゼソは︑法律学は︑規範科学

でなければならないとしているが︑問題は︑その規範︵昌O鴇§︶の定義と︑その内容にあると言える︒ケルゼソが︑

法律は規範の領域に属するものであるから︑自然を対象とする自然科学とその方法を異にするという主張は︑ある程

   ︵5︶度頷ける︒だが︑法律学を︑他の諸規範︑道徳︑正義などと区別するものはいかなるものであろうか︒

 ケルゼソによれば︑客観的に論証しうるような正義というものは存在しない︒これにはハイエクも譲歩するが︑し

かし︑このことが次のことを排除するものではないという︒即ち︑規則がいかなる場合正しくないかについては言い

うるのであって︑そうしたいわば消極的批判を厳格に適用していく過程で︑われわれは正義というものに次第に近づ

いていくことが出来る︒無論これは︑個人の正しい行為に関する規則にのみ妥当する︒十九世紀の自由の理念は︑こ      ︵6︶のような消極的意味において︑客観的な正しい行為に関する一般的規則が存在しているという確信に基づいていた︒      ︵7︶ケルゼソにとって︑正義とは︑単なる利害問題に過ぎないのである︒だが︑そこから従って︑人々には︑立法者によ

って意識的に設定された社会正義を受け入れるほかにはないという信仰が生み出されたのである︒しかし︑それは︑

﹁法の支配﹂︑﹁法治国家﹂の実質的内容を形骸化させ︑人民による専制主義︑また︑官僚主義的行政国家への道を正

当化していくことになった︒

 ケルゼソは︑法律が他の規範と根本的に区別される理由を︑その強制的性格に求めている︒しかし純粋法学におい

24

(25)

ハイエク社会理論体系の研究(二)

ては︑規範の存在は妥当性︵O①一件§σq︶と同じであり︑しかもその妥当性は︑根本規範︵○二障口霞言︶という仮設か       ︵8︶らの論理的演繹によって規定される︒だが︑仮設である根本規範には︑問題となる重要な二つの規定が含まれている      ︵9︶      ︵10︶ように思われる︒即ち根本規範は︑一︑立法府に対し法制定の権威を与える︑二︑﹁権力の法律への転化﹂を意味し      ︵11︶ている︑というところである︒ここに︑立法府の絶対性︑立法権力万能のイデオロギーとしての純粋法学の性格が端

的にあらわれていると言えるであろう︒法律が︑利害の対立している社会を効果的に規制するためには︑立法府によ

る強制力を必要とする︒しかし︑正義がただ利害の問題であるとするならば︑この正義の問題を規定しうるのは︑立

法府のみということになり︑従って︑その実現のために使われる権力を制限するなにものもなくなる︒単に立法上の

手続きが正式に行われたかということだけが問題となるに過ぎない︒それは︑ケルゼソが︑自然法思想を素朴なしか       ︵12︶も横柄なものであるとして否定したこと︑また︑彼の法律理論の中心的位置を占める﹁規範﹂の概念が極めて曖昧だ

ったことに帰因している︒それが︑正しい行為に関する一般的規則としての法︵昌︒ヨ︒ω︶と︑立法府で制定された形

式的な法律︵90ω一丁目との区別を不明瞭にし︑規範の概念に︑いかなる当局から出された命令をも含め︑事実︑司法      ︵31︶権と行政的行為の相違さえ解消させることになった︒﹁法律と国家の同一性﹂の主張こそ︑ ケルゼソ純粋法学の最も

根本の命題であった︒

      ヘ   ヘ   ヘ   へ しかし︑そのようなケルゼソの法律理論は︑かれの自由論︑民主主義論と無関係のものではなかった︒﹁自由主義

   ︑ ︑ ︑ ︑   ︵14︶       ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑からの民主主義の解放﹂という表現に最もよく示されているように︑ ケルゼソは既に︑﹁基本的に不可能な個人の自

︑       ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑      ︵15︶由は次第に背景へと退き︑社会的集団の自由が前面に現われている︒﹂ことに気付いていた︒即ち︑ケルゼソにとっ

て民主主義論とは︑人民の支配する国家であり︑自由は集団的自由を意味していたのである︒だが︑それが︑彼の規範

25

(26)

科学としての純粋法学と結びつくとき︑どうなるであろうか︒それは︑無限の権力を有する民主主義を擁護するイデ

   ︵16︶オロギーとならざるを得ない︑とハイエクは結論する︒ケルゼソの法律学の定義からは︑法の支配が行われている法・

律制度と︑そうでない法律制度との区別がなくなり︑すべて法治国家となってしまうが﹂正しくは︑上述したところ

より明らかなように︑法律国家である︒しかも彼の擁護する民主主義が︑集団的自由の実現にあり︑また︑その内容

を規定し︑これを遂行しうるのは︑立法府以外にないとすれば︑そうした民主主義国家が人民による専制主義国家へ

と向うのは必然のように思われる︒ナチ・ドイツ国家は︑このような法律理論の支配するなかで合法的に出現したも      ︵71︶のである︒ケルゼソ自身も後年︑﹁法律科学の観点よりすれぽ︑ナチ政権下の法も法であった︒﹂と告白している︒第

二次大戦後の自由主義諸国においては︑ナチのような独裁国家は消滅したが︑それに代って︑程度の差はあっても︑

すべての国が官僚主義的行政国家の道を辿っているといわねばならぬであろう︒

 ㈹ 官僚主義的行政国家の台頭       ︵18︶ 今日の官僚主義的行政国家も︑法実証主義の強い影響を受けて台頭して来たものと考えられる︒法実証主義が自然

法の概念を否定し︑法の支配を有名無実にさせる法律理論であることは既に述べたが︑それは︑公法の優位性︑従っ

て行政法の支配︑また法の社会化︑従って社会立法を促進させる法律理論を提供するものであった︒勿論︑前者は後       ︵19︶者をまって急速に押し進められていったのであるが︑注意されるべきは︑社会立法の中味であろう︒もし社会立法と

いう言葉が︑社会の恵まれない人︑自分自身では生活できない者に︑政府が何らかのサービスを提供するための立法︑

行為に対して用いられるのであれば問題はない︒かかる立法行為は︑不変の原則に従って行われうるし︑国民のそれ

に対する義務も︑行為に関する一般的義務によってなされるので︑いかなる国民も行政の対象とはならない︒

26

(27)

ハイエク社会理論体系の研究(二)

 しかし︑社会立法が個人の活動を︑特定の目的や︑特定の集団の利益をめざすものであれぽ︑明らかにそれば立法

府の自由裁量権の範囲を逸脱するものといわねぽならない︒法のみに依存している自発的な社会が︑目的に依存レで

いる社会へと変質していかざるをえないのは︑そうした立法権の乱用の結果である︒そして︑特定の目的や︑特定の

利益を擁護するための専門の行政官たちが養成されなければならなぐなる︒また︑政治がますます特定集団の利害

に依存してくるにつれて︑それ以上にかれらを必要とする︒かくして官僚主義的行政国家が台頭して来たのである︒

だが︑このように官僚主義的行政国家への道を歩んでいった理由をただ法律理論にのみ帰することは出来ないであろ

う︒法律学を含む︑その他︑経済学︑政治学︑社会学などあ与ゆる分野に例外なく深く侵蝕している一つの妄想︑即

ち﹁社会的正義﹂という概念を抜ぎにしては考えられない︒この稿では︑これに触れることは最小限に止めたが︑そ

れはこの概念が︑余りに大きなしかも困難な問題を抱えているためである︒この問題につい.ては︑次の機会に詳しく

述べることにしたい︒

 注︵1︶ 出爵爵噂﹁.﹀こOo雲霧三一80hピま〇二ざH89旨・卜︒ω窃よ・ハイエクはここで科学主義的方法論の一つである.﹁歴史主

  義﹂︵げ一ω一〇同一〇一ωコP︶と法実証主義の方法論との関係にも及んでいる︒即ち︑﹁歴史主義﹂の方法を法の領域に適用すると︑

  合理的に正当化できない法的規制︑またある特定の目的を遂行するために目的意識的に設計された法的規制は認められなく

  なる︒それは法実証主義の基本的考えと同じであると︒勿論ここにいう﹁歴史主義﹂はドイツ歴史法学派とは何の関係もな

  い︒寧ろハイエクはドイツ歴史法学派を非常に高く評価している︒

︵2︶ 口◎器r即﹀こ守置二℃℃.boω①−O.

︿3︶ 言うまでもなく法実証主義によって使われている法概会は︑すべて序①臨ωの意味における法である︒ピ〜ピ︒ぴq印ω冨二§

  麟づユHま︒﹁曙讐く︒ドbo噂H㊤刈9・嵩 ・

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(28)

︵4︶ 国︒一・︒oP瓢二兎︒貯︒男︒︒窪ω一〇ぼP這︒︒ら¶噸qD・ドH・ケルゼンがハイエクのウィーン大学時代の法律学の師であったこと

  は注意されてよい︒

︵5︶ しかしハイエクによれば︑ケルゼソの純粋法学が﹁規範科学﹂であるというのは︑せいぜい論理学や数学が科学であると

  いう意味での科学でしかないと述べている︒︵い四毛・ 一いOぴq一二一9畠け一〇昌 9邑口匹 卜凶げO搬け団リ ノNO一・ 卜δ層 一¢刈①噛 や︒ 劇O・︶

︵6︶踏︒︒饗F男﹀二票︒犀二母ヨ㊤αoω国︒ヨ舞目爵縫才δ曇霞レ零9ω●b︒ρ

︵7︶国︒葱戸=ニミ器簗Ooお︒窪ユoq吋︒詳噌﹄﹀巨二 ミ9ω●O.

︵8︶ 国〇一器P出二即︒ざ︒即ooげ邑︒ぼρご謹鱒ω5①①・以下参照︒ハイエクによれば︑従ってそれは︑K・ポパーの﹁方法論的

 ゴ本質主義﹂︵ヨ︒島︒α900q豊国︒鴎〇三芭凶ωヨ︶と同じであると述べている︒︵い内零.いooq芭9凶︒β9︒口白い一び巽ξ●<9.堅︒

  h㊤刈90・昌刈目.︶

︵9︶国︒葱P禺こぎ置二お︒︒幽噂ω・①9

︵01︶ 国色のO員国二〇Φ昌O同9︒一目ずOO同鴇Ohピ麟≦Pロ匹ω一P↓Pお膳9U.心ω刈幽

︵11︶ 誕帥楓Φ﹃.局●﹀ニド9︒婁層ピ︒αq剛ω海馬〇昌9昌ら=げ︒塁ざ<or卜Q鱒芝刈90や●αωム・もともとケルゼンの﹁純粋法学﹂は反イデ

  オロギーとしての法律学をめざしたものであり︑また︑その点において高く評価されて来たのであるが︑実際︑それが︑現

  実の政治において︑立法権万能のイデナ二業ーとして利用されたことは歴史の皮肉であった︒

︵12︶ 国9①矯︒貫喝・﹀二〇〇ロω仲搾口凱︒昌ohいまφ嵩ざ 目㊤①9噂・boωoQ・

︵13︶ 閑Φ冨O昌ワ缶二図Φ冒O園OOず富冨ず噌Oり肖㊤ω軽.ωHミ

︵14︶ 国︒δ①P鵠こくoB零︒ωo昌β昌α≦臼け匹自∪Φヨ︒耳語謡①る090巨冨<oユ①σq>=oP楠﹀ロタおO◎ゆ鴨Qo.δ◆

︵15︶ 国︒冨︒戸=.︾目σ置こω陰二

︵61︶ 国鋤団︒ぎ男﹀こピ9≦いΦoq諺冨臨︒ロ暫昌住Hま︒昌ざ<9・卜δ目O刈9・αQ◎.

︵17︶ 出餌嘱︒ぎ肉・﹀二 げ帯二弓.q9

︵18︶ 官僚主義的行政国家への歴史的移行過程については︑ハイエクのOo霧一一窪目︒昌ohピ管︒﹃け楓鱒お①9噂℃.斡念ら.参照︒

︵19︶ 出爵Φ〆団・﹀ニピ四牽ピ︒σq互9︒二〇昌四巳ピ下げ①﹃受噂く︒=りお刈ωロ噂.H自−卜︒.問題は社会立法が民主主義という名において

  行われていることにあると思われる︒

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ハイエク社会理論体系の研究(二)

む す び

 ハイエクの現代社会に対する根本の問題意識は︑自由の危機であり︑その内容としての官僚主義的行政国家であ

る︒ハイエクの社会理論体系は︑自由の危機の原因を究明し︑官僚主義的行政国家から解放された︑真に自由な社会      ︵1︶を建設すべく構成されている︒この稿は︑彼の自由の概念を述べ︑自由の危機︑そして官僚主義的行政国家へと進ま

ざるをえなかった理由を︑主に法学の領域から明らかにしたものである︒しかし︑この問題は︑社会正義の概念︑そ

してそれと密接に結びついている政治および経済政策との関連において︑一層その重要性が認識されるであろう︒何

故なら︑それは︑政治学︑経済学の専門家ばかりでなく︑一般の人々に与えた影響において前者をはるかに凌ぐから

である︒従って︑私のこの研究の次の課題も︑当然この問題に向けられねぽならない︒

  注

 ︵1︶ ハイエクの社会理論を体系的に論じた最後の大作︑ピ9︒牽H①oq一・︒一舞一〇昌き仙=げ①暮ざく︒ピrお認可く9・卜︒讐お刈9く︒野

   ω.HO刈︒︒は︑そのような構成のもとに書かれている︒

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参照

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き︑さういふ気分で仕事をしたといふ点では︑同一であるといはな         くてはならない︒﹂

更にそれを発展させた︒ 一方ミーゼスも︑ ハイエクを現代最大の経済学者の一人に数え︑その﹃自由の基本原理﹄

      えいち      いつ

ある︒

      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

第三章

 ウェルツは︑ヒュームの斉一性︵11恒常性︶の概念を理解するには︑方法論的な不変性︵ヨΦ90血90ひq剛︒巴=三︷o﹁∋−

(evolution)の産物としての社会の歴史的性