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古 賀   勝 次 郎

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D・ヒュームの経験論的人間学の研究︵七︶

道徳哲学方法論︵上︶

古賀 勝次郎

序 文

第一章 ヒュームのキリスト教神学批判︵第四十一・二号︶

第二章 ヒューム体系の哲学的基礎

 第一節ヒュームの知覚論︵第四十三号︶

 第二節 ヒュームの因果論︵第四十四・五号︶

第三章 ヒュームの方法論

 第一節 懐疑主義と自然主義︵第四十六号︶

 第二節 ヒュームの道徳哲学方法論

  ω 近代自然科学の方法論

  ㈲ ヒュームの実験的・経験的方法論︵以上本号︶

  ㈹ ヒュームの歴史的方法論︵以下次号︶

  ⑯ ﹁当為﹂と﹁存在﹂の問題

早稲田社会科学研究 第47号 93(H5).10

1

(2)

2

第三章 ヒュームの方法論

  第二節 ヒュームの道徳哲学方法論

 ヒュームの学問体系が人間学︵ωo一Φpo①oh∋鋤5︶と呼ばれるのは︑それが何等かの意味で人間の本性︵げロ筥⇔昌

旨讐霞Φ︶に関っているからである︒倫理学︑法学︑政治学︑経済学などは勿論︑数学や物理学︑天文学なども︑ヒ

ュームにとっては︑人間学の一部なのである︒しかし︑それらの諸科学も︑人間の本性との関りの在り方から︑自

然科学と道徳哲学︵11精神科学︒今日いう人文科学︑社会科学の両者を含む︒︶の二つに分けられる︒ヒュームのい

う人間本性は︑大きくいって知性︵ロ邑臼ω3嘉月αq︶と情念︵冨ωω一〇屋︶から構成されている︒自然科学は専ら知性

に関っている人間学であるのに対し︑道徳哲学は知性だけでない︑いやそれ以上に︑情念と関っている人間学であ

る︒こうした人間本性との関りの在り方の違いから︑人間学は自然科学と道徳哲学とに分けられるのである︒即ち︑

数学︑物理学︑天文学などが自然科学に︑そして︑倫理学︑法学︑政治学︑経済学などが道徳哲学にそれぞれ含ま

れる︒ ヒュームは︑人間の本性に関わるすべての領域を問題にしたので︑道徳哲学ばかりでなく︑自然科学もその研究

対象とした︒だがヒュームが専ら対象としたのは︑その残された著作から見て明らかなように︑道徳哲学であった︒

そうしてその道徳哲学において︑顕著な成果を挙げ︑そして後世に多大な影響を与えることができたのである︒し

かし︑そのヒュームの道徳哲学を導いている方法論は︑自然科学の︑特に一・ニュートンによって確立された︑方

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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(七)

法論の影響を受けているといわれる︒そのことを最も明瞭に示しているのが︑﹃人性論﹄の副題であって︑それは︑

﹁実験的論究方法を精神上の主題に導入する一つの企てである﹂︵津帖轟§山︑鷺§︑ミ§ミ§ミ§慧馬篭§§智〜

ミミミミ沁恥禽︒ミ鑓ミ音ミqミ︑象欝ら冴︶となっている︒その実験的方法こそ︑周知のようにニュートンの自然

科学方法論の核心であった︒明らかにヒュームはニュートンの自然科学方法論の影響を受けている︒﹃人性論﹄の副

題が示すところは︑ニュートンの実験的方法を︑ヒュームが研究の対象としょうとする道徳的世界に適用すること

によって︑新しい道徳哲学を確立せんというのである︒こうしたことから︑道徳哲学のニュートンたらんとしたと       ︵1︶ころにヒュームの意図はあった︑とするJ・パスモァやA・ブリューなどの議論が出てくる︒しかし︑ニュートン

の方法論とヒュームの方法論とは同じものであろうか︒

 ヒュームがニュートンの自然科学に接するのは比較的早かった︒ヒュームは一七二三年頃︑つまり十二歳頃︑エ

ディンバラ大学に入学し︑三・四年在籍したといわれる︒ヒュームがどういつだ教育を受けたか詳かでないが︑当

時︑同大学では︑アリストテレスと共に︑ロックの哲学やニュートンの自然科学に︑多大の関心が寄せられていた︒

既に一六八三年には︑数学のD・グレゴリー教授によって︑ニュートンの理論が同大学に紹介されている︒また︑

グレゴリーの実質的後継者であるC・マクローリンは︑ニュートンその人の推薦によってエディンバラ大学に職を

得た人であった︒また︑当時︑自然哲学︵11自然科学︶を教えていたのは︑初めデカルト主義者で後にニュートン

主義者に改宗したR・スチュアート教授であった︒スチュアートは︑光学や天文学を含む物理学の新しい展開を︑       ︵2>ニュートンやニュートンの弟子達の著作に基づいて講義をしていたといわれる︒

 ヒュームがエディンバラ大学に在籍中・グレゴリー・マクローリン・スチュアートなどから・ニュートンの自然︐3

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科学を学び︑それから多大な影響を受けたと推測しても決しておかしくはない︒あるところでヒュームは︑ニュー      ︵3︶トンを﹁稀有の最も偉大な大オ﹂︵9①αq﹁$82雪血茜﹁①ω一ひq①三⊆ω︶と呼んでいるが︑これも上の推測の妥当性を

裏付けるものといえる︒だが︑ヒュームは︑まとまった形でニュートンの自然科学を論じたことはなかった︒ヒュ

ームはただ部分的にニュートンについて論ずるだけであった︒﹃人性論一においてさえ︑ニュートンの名は唯の一箇

処︑しかも﹁付録﹂︵>O冨コ9x︶の最後のパラグラフに︑出ているに過ぎない︒このような事実は︑道徳哲学のニュ

ートンたらんとしたヒュームの道徳哲学の方法論が︑ニュ:トンの自然科学の方法論と些か違っていることを暗に

示しているのかもしれない︒しかし何れにせよ︑先ずはニュートンの自然科学︑特にその方法論について知らねば

ならない︒

 ω 近代自然科学の方法論

 近代の自然科学の起源をどこに求めるかは難しい問題である︒しかし︑近代自然科学を産んだ種子の少なくとも

一つが︑既に中世時代︑T・アクィナスによって慮れていたことは確かである︒アクィナスは︑人間の理性と自然

の自立性を認め︑人間はその理性によって自然を認識し得るとし︑自然に対する認識の深化が神の認識に到る道だ

として︑自然の研究を推奨したのである︒アクイナスのこのような考えは︑ロジャー・ベーコン︑ウィリアム・オ       ︵4︶ッカムなどを経て︑近代の自然科学者達にも受け継がれていったと考えられる︒

 近代自然科学の歴史にその第一歩を刻んだのはN・コペルニクスであった︒コペルニクスは︑観測と数学を駆使

し︑経験的・合理的方法によって︑それまでの地球中心の天動説を斥け︑地球は自転しながら他の惑星と同じく太

陽の周η壱回っているという☆陽中心り㎏動説を唱えた︒コペルニクス以後︑近代の自然科学は目覧しい進歩を趣

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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(七)

げることになるが︑中でも︑フランシス・ベーコン︑J・ケプラー︑ガリレオ・ガリレイ︑R・デカルト︑R・ボ

イル︑そしてニュートンの功績は大きかった︒彼等は︑近代の自然科学の発展に多大な寄与をなしたが︑しかし彼

等が立っていた方法論は必ずしも同じではなかった︒ベーコンは︑帰納的・経験的方法を唱えたが︑デカルトは︑

演繹的・合理的方法を重視した︒そしてこの二つの方法論を総合・発展させたのが︑ニュートンだった︒

 ベーコンの方法論は︑アリストテレス的な帰納一演繹理論と︑ロジャー・ベーコンの﹁実験科学﹂︵鴇凶①暮暮①×9学

巨①づ冨房︶を批判的に発展させたものである︒ベーコンは︑アリストテレスと同じく︑科学とは︑観察から一般的

原理へと進みそして再び観察に戻ることであると考えた︒このようにベーコンは︑科学的手続において帰納の段階

を重視した︒しかし他方では︑演繹的論証に帰納的一般化の確認という重要な役割を与えた︒ロジャー・ベーコン      ︵5︶の実験的科学は︑﹁推理は何物をも証明せず︑すべてが経験に依存する﹂という考えに立つものであった︒フランシ

ス・ベーコンの帰納的・経験的方法はこの考えを更に徹底させたものであるということもできる︒しかし︑ロジャ

ー・ベーコンは︑数学も重視し︑学問は数学に基礎づけられてこそ確実なものとなると説いていることから︑デカ

ルトをも予告している︒

 ガリレオは︑当時の多くの知識人と同じく︑自然を﹁第二の聖書﹂と考えていたが︑その自然は﹁数学﹂の言語

で記述されていると確信していた︒例えばガリレオの有名な落体の法則︵ω11け︑×ひq\pS距離︑t11時間︑9門加

速度︶も︑そうした確信が導いたものともいえる︒またガリレオは︑科学的手続きとして︑抽象化︑理想化︑実験

などを重視した︒

 J・P・ロゼーは︑デカルトとベーコンの自然科学の方法論の違いを︑次のように実に巧みに表現している︒﹁デ

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カルトとフランシス・ベーコンとは︑科学の最高の達成はその頂上に最も一般的な原理をもつ命題のピラミッドだ︑6

という点においては同意見であった︒しかし︑ベーコンが一般法則の発見を低次の一般的な関係から漸進的帰納に

よるヒ昇によって行なおうとしたのに対して︑デカルトは先ず頂上にとっつき︑演繹的な方法で可能な限り底辺の       方へ下降しようとした﹂と︒

 デカルトは︑数学を理想とし︑数学を理性を用いる場合の模範とした︒デカルトは﹃方法序説﹄︵募ら︒ミ誘魯ミ

ミ§量§の中で次のように述べている.﹁それまでに学問において真理を探求したすべての人々の︑冠で︑

いくつかの論証を︑すなわちいくつかの確実で明証的な推理を︑見いだしえた者は︑ただ数学者のみであった﹂と︒

コペルニクスが地動説を提唱し得たのも︑ガリレオがそのコペルニクスの学説の説明を提供できたのも︑理性のみ

を用いることによる数学的方法であった︑とデカルトは信じていた︒ではその数学的方法とは何なのか︒﹃精神指導

の規則﹄︵為ミ§ミミミ§§醤ミニ§の中でデカルトは︑直観︵凶暮凶琶と演繹︵匹①α¢︒臨︒︶によっ

てわれわれは真の知に達し得る︑と述べているが︑それが即ち数学的方法である︒直観とは︑﹁理性の光﹂からのみ

生れ︑望ばω童蒙というように自明な原理としてのわれわれの理解力の︒とである.また演鰹は︑﹁それに

よってわれわれが︑確実に認識された他の事柄から必然的に帰結するすべてを理解するところのもの﹂である︒そ

して哲学者としてのデカルトは︑幾何学のように︑確実で不変の直観や演繹に基礎付けられた哲学の体系を打ち立

てることを︑自らの目標としたのである︒もっともデカルトは︑ロゼーもいうように︑演繹の進み得るのはピラミ

ッドの頂上から嘆く僅かの距離だけであるから︑観察と実験の重要性も認めてはいた︒しかし︑デカルトの方法論

の最大の弱点が︑観宗・実験陶離認の臓論にありたことは確かである︒

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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(七)

 近代の自然科学方法論の基礎づけはニュートンによって完成された︒ニュートンは︑疑う余地のない原理から科

学法則を演繹するという方法はできるだけこれを避け︑実験と観察による帰納的方法を最大重視した︒﹁実験と観察

から帰納によって論証することは一般的結論の証明にはならない︑しかしそれは事柄の性質上許される論証の最善

の方麹﹂ζニュートンは明言している・それは・古代におけるアリストテレスの方法論︑中世の・ジャーベ

ーコン等の方法論の系譜上にあり︑そして近代のフランシス・ベーコンやガリレオ等の方法論を更に発展させたも

のであった︒

 ニュートンはアリストテレスの帰納−演繹の手続きを﹁分析と総合の方法﹂︵竃︒夢oOoh>昌巴器厨碧ユω︽曇プ$凶ω︶

と言った︒在韓ーによれば︑ニュートンのこの方法が︑その先行者達のものより優れている点は︑θ﹁総合﹂によ

って演繹された結果は実験的確認を要することを強調した︑O 元の帰納的証拠を超える結果を演繹することの価

値を強調した︑ところにあった︒そしてニュートンは︑この方法を﹃光学﹄︵e︑茎ミ宝︶に適用し︑見事成功し

た︒同書は︑実験的探求のモデルといわれている︒

 しかし実はニュートンは︑それよりかなり前︑後世にはかり知れぬ影響を与えた﹃プリンキピア﹄︵§誉吻葦戸皆馬

きミミ§聖ミ骨貯ミ貸ミ鳴§自職§噂δ︒︒9を出している︒ニュートンは同書の中で︑運動の三法則を定式化するの

に﹁分析の方法﹂を適用したと述べているが︑他方では︑公理的方法︵9︒ロ﹀臨︒密輸︒けぎ窓︒普︒傷︶にも従っている︒      ︵10︶ロゼーによれば︑この公理的方法には三つの段階があった︒第一の段階は公理系の建︐露化︒公理系とは演繹的に組

織された一群の公理︑定義︑定理︑命題である︒ニュートンは﹁絶対的大きさ﹂といった公理の中に現れるものと︑

それらの﹁感覚的測度﹂という実験的に決定されるものとを区別する︒公理は自然科学の数学的原理である︒公理

7

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的方法の第二の段階は︑公理系の定理と観察とを相関づける手続きの規定である︒公理系は物理的世界の中の事象

と結びついていなくてはならない︑という要請をニュートンはしていた︒しかし︑ニュートンは︑公理系の抽象的

地位とその実験への応用とを注意深く区別した︒それは︑自然科学方法論においてニュートンがなした極めて重要

な貢献であった︒公理的方法の第三の段階は︑経験的に説明される公理系の演繹結果の確認である︒

 ﹁分析の方法﹂と﹁公理的方法﹂とは勿論異なる︒前者は︑観察と実験の結果から﹁一般化﹂を行う︒これに対

し後者は︑構想力が進めていくのであるからどこからでも始められ得る︒しかし︑公理系が科学に対して適応する

のは︑それが観測可能なものと結びつけられた場合に限られる︒この点がデカルト的方法と著しく異なるのである︒

 ﹃プリンキピア﹄は︑デカルトを意識して書かれたといわれるが︑特に第三章にある﹁哲学することの諸規則﹂

︵閃①陰冨①写凶一〇ωo潔き岳︶は︑そのタイトルからしてデカルトの﹃精神指導の規則﹄を思わせる︒ニュートンはそ       ︵11︶の中で︑説明のための実りある仮説を導く規則を四つ示している︒即ち︑

 規則1 自然界の事物の原因として︑真実でありかつそれらの︵発現する︶諸現象を説明するために十分である

  より多くのものを認めるべきではない︒

 規則2 したがって︑自然界の同種の結果は︑できるかぎり︑同じ原因に帰着されねばならない︒

 規則3 物体の性質で︑増強されることも軽減されることもできない︑実験によって見いだされるかぎりのあら

  ゆる物体について符合するところのものは︑ありとある物体に普遍的な性質とみなされるべきである︒

 規則4 実験哲学にあっては︑現象から帰納によって推論された命題は︑どのような反対の仮説によっても妨げ

  られるべきではなく︑他の現象が現われて︑さらに精確にされうるか︑それとも除外されねばならなくなるま

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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(七)

  で︑真実のものと︑あるいはきわめて真実に近いものと︑みなされねばならない︒

 ㈹ ヒュームの実験的・経験的方法論

 以上のような近代の自然科学の発達.またそれを支える自然科学方法論は︑当然ながら︑人文・社会科学︑即ち

ここにいう道徳哲学に大きな影響を与えずにはおかなかった︒ロックもバ!クリもそしてヒュームも︑近代の自然

科学およびその方法論を真正面から受けとめ︑それぞれ独自の方法論を展開した︒しかしここでも︑真に経験主義

の名に価する道徳哲学の方法論を確立したのはヒュームであった︒

 ロックはその﹃人間知性論﹄の﹁読者への手紙﹂︵国且ω二①89Φ菊$αoこの中で︑当時の学問界を代表する人物      ︵12︶として︑ボイル︑シドナム︑ホイヘンス︑そしてニュートンの名前を挙げている︒何れも自然科学者であるが︑特       ︵13︶にシドナムの臨床医学とボイルの微粒子哲学とから︑ロックは大きな影響を受けた︒

 ア・プリオリな推論を極力排除するベーコン以後の実験哲学は︑先ず自然誌の作成を命ずる︒それはすべての事

物についての感覚経験による記誌︑記録である︒勿論そこには観察だけでなく理性も要請される︒ロックはこうし

た実験哲学をボイルから学んだ︒例えば物体観である︒ボイルによれば︑すべての物質は微粒子︵8弓ロωoδω︶から

成っており︑これには︑大きさ︑形︑運動のような感知し得ない﹁本質的性質﹂︵①ωω①茸凶巴嘆︒需誹冨ω︶と︑色︑

味︑匂いのような﹁単純ならざる性質﹂︵δωωω冒覧⑦窟︒℃臼甑①ω︶の二つが見出せる︒この物体を二つの性質に分け

るボイルの物体観は︑﹁第一次性質﹂εニヨ①曙O§一一鼠霧︶と﹁第二次性質﹂︵紹08α9︒曼ρ唱導凶鉱①ω︶の区別としてそ

のままロックの受け入れるところとなった︒

 シドナムは旧い医学に反逆し︑新しい臨床医学の立場から︑﹁平明で隠しだてのない方法﹂︵四艮9︒ぎ勢&8①昌

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B①匪oeを説き自ら実行した︒O一応昌とは︑症候の調査や記録の方法が﹁わかりやす﹂くなくてはならないというこ

とであろうし︑o需ロとは﹁事実をありのまま捉える﹂のに不可欠の態度である︒ロックは︑新しい臨床医学のこの

ような方法を受け継ぎ︑それを﹃人間知性論﹄の中で﹁事象記述の平明な方法﹂︵臣ω8ユ︒巴豆g︒凶昌B①窪︒匹︶と表現

した︒この方法は︑ロック体系全体に適用されており︑ロックを理解する場合の最も重要な概念である︒ま曾︒喉一︒曽﹁

とは︑D・A・ギブナー︑そして平野敢氏もいうように︑﹁実験的あるいは観察的﹂︵①×9二3①三巴︒﹁oびω︒﹁︿蝉二︒昌9︒じ

という意味であって︑時間的な現象経過を観察する手法を指す︒Φ×℃①﹃巨魯冨一は後でも述べるが︑当時の用法では

①ヨ℃三〇巴と同じ意味で使われていた︒ ロックはニュートンとかなり交渉を持っていたようであり︑また事実ニュートンの偉大さを認めていたが︑ニュ

ートンがロックより十歳年少ということもあり︑ロックの思想形成にニュートンの与えた影響は余り認められない︒

 既に述べたように︑ロックの経験主義哲学はバークリによって受け継がれた︒ロックもバークリも共に近代の自

然科学の影響を受けたが︑その受けとめ方は両者においてかなり違っていた︒上述のように︑ロックはボイルなど

から︑物体が﹁第一次性質﹂と﹁第二次性質﹂とからなる考えを学びそれを受け入れ︑自らの哲学の基礎とした︒

しかしバークリはロックの経験主義をより徹底させ︑この二元論を放棄して︑﹁第一次性質﹂も﹁第二次性質﹂に帰

すとしたのである︒これはバークリの抽象的観念批判︑﹁存在することは知覚されることである﹂︵①ωωΦ一ωO①﹁︒且︶

という基本的考えから自ら導かれたものであった︒しかし︑第一次性質と第二次性質の区別はニュートンもこれを      レ 受け入れていたのでバークリの議論は当然ニュートン批判までいかざるを得ない︒ニュートンが﹃プリンキピア﹄

で行なった︑﹁絶対的なもの﹂と﹁相対的なもの﹂︑﹁重なるもの﹂と﹁見かけの上めもの﹂︑﹁数学的なもの﹂と﹁通

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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(七)

常のもの﹂といった区別も︑バークリにとっては不用︑いや誤りであって︑それぞれ前者は後者に帰せられるもの

であった︒

 またバークリの﹁物的実体﹂を否定する考えは︑ニュートンの﹁引力﹂︑﹁溶解力﹂・などの概念に警戒の目を何け

させた︒確かにニュートンは︑力についての数学的相関関係を定式化することと︑力それ自体を発見することとは

別のことであると認めていた︒しかしニュートンは﹁疑問﹂という形ではあるが︑力についてあたかもそれが数式

における項以上の何物かであるように述べている︒バークリはそこを捉え批判する︒バークリは︑力学における力

は天文学における周天喜と類似の関係にあるという︒これらの数学的構造は︑物体の運動を計算するのに有効では

あるが︑しかしこの構造が実在のものであるとすることは誤っている︒従って引力や溶解力などの﹁力﹂も︑数学

的存在以上のものではない︒バークリは﹁運動について﹂の中で次のように述べている︒﹁数学的存在︵ヨ鋤夢︒∋鉛鉱︒巴

①耳三〇︒・︶は事物の本性において確固とした本質を持ってはいない︒従?てそれは定義する人の考えに依存する︒だ      ︵15︶から全く同じものでも異なった方法で説明できるのである︒﹂

 ロゼーはこうしたバークリの態度を﹁道具主義者の見解﹂︵碧貯ωqロヨ︒昌富一凶︒・け≦①箋︶と呼び︑それは十九世紀末

のE・マッハの考えを先取りするものであったと述べている︒

 以上︑ヒューム以前の経験主義者であるロックとバークリが一体近代の自然科学をどのように受けとめたかにつ

いて簡単に述べた︒そこから言えることは︑ロックもバークリも︑自然哲学11自然科学と道徳哲学11人文・社会科

学の区別を自覚的に行なっていないということである︒もっともその内容はロックとバークリとは違っている︒ロ

ックにおいては︑自然哲学と道徳哲学は同次元︑同じ領域に属しており︑それは幾何学や物理学と道徳学との間に

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根本的相違を認めていなかったことと関っている︒これに対しバークリでは︑自然哲学は究極的には道徳哲学に吸

収される︒これはバークリが物的実体を否定し心的実体のみしか認めないことと関っている︒しかしその心的実体

も究極的には神によって規定されているので︑もしバークリが道徳哲学を作り上げていたならば︑その道徳哲学は

バークリの形而上学︑即ち神学的形而上学によって規定されるものになっていただろう︒

 経験主義の歴史の中で︑自然哲学と道徳哲学との区別を最初に自覚的に行なったのがヒュームであった︒勿論ヒ

ュームは︑自然哲学と道徳哲学とが︑自然科学方法論と道徳哲学方法論とが︑全く別の領域︑別の方法論というの

ではない︑両者には重なる部分がある︒ヒュームは道徳哲学の現状を︑﹁コペルニクス以前の天文学に関する自然哲

学と同じ勘﹂にあると判断する・しかしそれは警にあたらない︒ギリシア時代においても︑先ず﹁物の学﹂→

自然哲学︶が現われ︑それからかなり経って﹁心の学﹂︵11道徳哲学︶が興つたのであった︒﹁﹃タレス﹄から﹃ソク

ラテス﹄までを算えれば︑そのあいだの年月は﹃ベーコン卿﹄から︑人間学を新しい立場の上に置き初めて世人の

注意を呼び好恵を喚起した近年の蕎哲学者に至るまでの年月と殆ど等しい﹂のであゑ尚︑︐﹄こに近年の鵡

哲学者というのは︑ヒューム自身の注によれば︑ロック︑シャフツベリー︑マンドゥヴイル︑バトラーなどである︒

 ギリシア時代︑道徳哲学が興隆したのは︑それ以前に自然哲学が登場し︑そこで用いられていた﹁実験的方法﹂

を心・精神の世界に適用したからであった︒近代の自然科学が目覚しい発達をなし得たのは︑実験的方法を自然科

学に適用したからである︒ベーコンがこの実験的方法を心・精神の世界に適用することによって︑道徳哲学も漸く

発展の緒につくことができた︒しかし道徳哲学の発展はいまだ遅々としており︑遙かに自然科学のそれに後れをと

ゆている汐近代の自然科学め方法である実験的方法は∩ニュ遺トンにおいてその最も優れた形を示している︒従っ

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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(七)

て現在︑最も要請されているのは︑精神の世界にニュートンが示した実験的方法を適用することであり︑道徳哲学

はそれによって著しい進歩が保証されよう︒ヒュームは以上のように考えた︒このような考えが最も端的に示され

ているのが︑上にも述べたように︑﹃人性論﹄に仕されている﹁実験的論究方法を精神上の主題に導入する一つの企

て﹂という副題である︒明らかにヒュームは︑﹃人性論﹂において︑ニュートンの実験的方法を導入することによっ

て︑道徳哲学の大いなる発展を意図したのである︒しかしそれは︑あくまで最初の意図であって﹃入所論﹄をはじ

めその他のヒュームの諸作品において論じられている事柄が︑ニュートンの実験的方法をそのまま適用した結果導

かれたものであるということではない︒ヒュームはニュートンの実験的方法を道徳哲学にそのまま適用したのでは

ない︒ヒュームはそれを独特の仕方で道徳哲学に導入したのである︒ためにヒュームの方法論は︑ニュートンの自

然科学における実験的方法とは極めて異なったものになったのである︒

 ヒュームはニュートンの実験的方法を道徳哲学の中に導入しようとした︒しかしこのことは既に︑ヒュームが︑

実験的方法と並んでニュートンの自然科学方法論の中にあったいま一つの方法︑即ち数学化︑つまり数学の使用・

数学による定式化︑という方法の道徳哲学への導入はこれを斥けているということを意味する︒勿論︑数学化とい

う方法を︑自然科学の重要な方法論としたのはニュートンだけではない︒数学化という方法を最初に導入したのは

ガリレオであった︒そしてこの数学化は自然科学を著しく発展させたのである︒だがヒュームは︑数学化という方

法を道徳哲学に適用することはこれを強く拒んだ︒勿論ヒュームの人間学には︑すべての自然科学が︑従って数学       ︵19︶も含まれている︒﹃人性論﹄の﹁序論﹂のなかで︑﹁数学⁝⁝すら或る程度まで﹃入間学﹄に依存する﹂とヒューム

は述べている︒その理由はそれが︑﹁人間の管轄下にあって︑人間の力能・機能によって真偽を判定されるからで

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み肥︒﹂にも拘らずヒュームは︑道徳哲学への数学化の適用を拒否した︒それはヒュームの既述した因果論.知識論

より明らかである︒ヒュームは学問の対象を︑﹁諸観念の関係﹂と﹁事実の問題﹂の二つに分けた︒前者を記述する

のが絶対的知識であって︑数学がこれに含まれる︒そして後者を記述するのが︑立証的知識と蓋然的知識であるが︑

両者を図幅と区別する棚はない︒大雑把には︑自然科学︵数学を除く︶的知識が立証的知識に︑道徳哲学的知識が

蓋然的知識に入るといってよいが︑しかしそう明確にいえないからこそ︑ヒュームはニュートンの実験的方法を道

徳哲学に導入しようと試みるのである︒しかし︑数学は絶対的知識であ犠道徳哲学に入らないことだけは間違い

ない︒ヒュームが数学化を道徳哲学に導入することを拒む理由はまさしくここにある︒ヒュームはあくまでニュー      ︵21︶トンの実験的方法を道徳哲学の領域に適用しようとするのである︒

 ニュートンの影響は色々のところに見られるが︑ヒューム自ら告白しているのは︑﹁観念の連合﹂であって︑それ

をニュートンの﹁引力﹂に準えている︒勿論︑観念の連合もニュートンの実験的方法がそのまま適用されて導かれ

たものではない︒しかし上にも述べたように︑直接ニュートンの名を挙げて論じているところは甚だ少ない︒ここ

ではその一・二を示しておこう︒一つは︑﹃人間知性研究﹄の第一章に出ているもので︑近代自然科学の歴史の上で

ニュートンがどういう位置を占めているか︑またニュートンの方法論が道徳哲学に導入された場合どういう成果を

挙げ得るかが示唆されている︒﹁天文学者達は︑惑星の公転を支配し規定する法則と勢力とを極めて巧妙な推論によ

って決定したと思われる一人の哲学者﹇1ーニュートン︒筆者注﹈が遂に現われるまで︑長い間︑天体の真の運動︑秩序

および大きさを︑現象から証明することに満足してきた︒自然の他の分野についても同様のことがなされてきたの

であるっ心的な諸力と機構とに関す蚤我々め研究においてもP同等の才能と慎重さとを以って遂行されるならば︑

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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(七)

      ハ ね同等の成功をあさらめる理由は何もない︒﹂次の文章は︑﹃道徳原理研究﹄第三章の最後に出ているが︑ニュートン

の方法論についてのヒュームの理解が端的に示されている︒﹁何らかの原理が︑一つの事例において偉大な勢力と活

力とを有することが判明した場合には︑あらゆる相似する事例において同様の活力をそれに帰属させることは︑哲

学の規則および常識の規則にさえ完全に合致する︒これこそ実に︑ニュートンの哲学的思考の主たる規則なので

︵23︶ある︒﹂この最後の行に︑﹃プリンキピア﹄第三巻︑とヒューム自ら注を付している︒

 靱てでは︑いま少しく詳しくニュートンの方法論とヒュームのそれとを比較してみよう︒それには先ず︑J.ノ

クソンが行なっているように︑ニュートンの﹁哲学することの諸規則﹂︵以下﹁諸規則﹂と略す︶とヒュームの﹁原

因結果を規定する規則に就いて﹂︵以下﹁規則に就いて﹂と略す︶とを比較するがよかろう︒ニュートンの﹃諸規則﹄

については既に上に書いた︒﹁規則に就いて﹂は︑ヒュームの因果論から導かれた一般的規則であって︑次の八つに      ︵24︶まとめられている︒

 一︑原因結果は︑空間および時間において接していなくてはならない︒

 二︑原因は結果に先行しなければならない︒

 三︑原因と結果の間には恒常的接合がなければならない︒

 四︑同じ原因は常に同じ結果を生む︒また︑同じ結果は同じ原因から起る以外には決して起らない︒

 五︑数個の異なる事物が同一結果を産む場合は︑事物間に共通であると見いだされるある性質によらねばならな

  い︒つまり︑因果性は常に類似に帰さねばならない︒

 六︑類似する二つの事物の結果に見られる相違は︑事物の相違点から生じなくてはならない︒

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 七︑ある事物が原因の増減によって増減する時は︑この事物を以て︑原因の若干の異る部分から起る若干の異る

  結果の合一に由来する複合的結果と見倣すべきである︒

 八︑ある事物が僅かの時間にせよある結果なしに存在し︑しかも完全であるとすれば当該事物は当該結果の唯一

  無二の原因でなく︑その影響および作用を促がす他のある原理によって助けられねばならない︒

 ノクソンのいうように︑ニュートンとヒュームはそれぞれの研究対象の領域を全く異にするにも拘らず︑両者が      ︵25︶導いた﹁諸規則﹂と﹁規則に就いて﹂とが抵触していないことは驚くべきことである︒しかし両規則ともが次のこ

とを︑即ち︑科学の目的は因果関係を発見し︑普遍的に見える諸関係を一般化するところにある︑ということを前

提として出発しているのである︒ニュートンの最初の二つの規則は明らかに因果関係に関っている︒ニュートンの

規則1は︑﹁節約の原理﹂︵暮㊦冒ぎ9且ΦohO2︒﹃匹旨︒昌巳を定式化したものであり︑それはヒュームの規則において

も承認されている︒またヒュームの規則四は︑﹁自然の斉一性の原理﹂︵昏Φ只ヨ9且⑦o︷島⑦毒凶︷霞ヨ騨鴇oh昌9貫︒︶

を確認するものであって︑ニュートンの諸規則の前提となっている︒但しヒュームにおいてはこの原理は︑論証不

可能であり︑蓋然的推論の結果でもない︒

 このように︑ニュートンの規則とヒュームのそれとを簡単に比較しただけでも︑両者が重なり合っているところ

があることが確認できる︒つまりヒュームの道徳哲学には︑ニュートンの自然科学方法論の影響が明白であるとい

うことである︒しかしヒュームはニュートンの自然科学方法論をそのまま道徳哲学に適用したのではない︒ヒュー

ムは上の因果関係の一般的規則を論じたところでも次のように述べている︒﹁一切の自然現象は︑非常に多くの様々

な事情によって複合され変容されてハ︵︑そのため決定点に到着するには一切の蛇足を注意深く分離しなければな

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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(七)

らず︑また新しい実験を重ねて︑最初の実験に於ける個々の事情が問題の現象に本質的であったかどうかを研究し

なければならない︒⁝⁝自然科学︵昌讐霞巴O巨︒ω8ξ︶に於いてすらこのような状態であるとすれば︑道徳哲学に      ︵26︶於いては如何ばかり甚しいことであろう︒﹂要するにヒュームは︑一方で︑自然科学と道徳哲学との重なり合う部分

を認めつつ︑他方では︑両者の間に決定的な違いがあることを指摘するのである︒

 自然科学と道徳哲学との問に基本的相違があることは既に﹃人性論﹄の﹁序論﹂の中で明瞭に述べられていた︒

﹁実を言えば道徳哲学︵ζo﹃巴9まω09鴫︶には︑自然科学に見出されない特異な不利がある︒即ち色々と①×需亭

ヨΦ馨ωを蒐集するとき︑目的に合うよう予め考えて︑起り得る個々の難点の一切に就いて得心するように行うこと

ができないのである︒﹇自然科学では﹈例えば︑私が或る状況に於ける一物体の他物体に対して及ぼす結果を知るに

当惑する時は︑その二物体を問題の位置に置いてそれが起る結果を観察しさえずれば良い︒然るに︑同じ様式を以       はて道徳哲学に起る何等かの疑問を舞らそうと力め︑私の心を︑考察すべき精神状態に等しくすれば︑かように内省

し予め考えたため︑心の自然的原理は明らかに作用を阻害され︑当面の現象から正しい結論を造り難くなってしま

うに違いない︒故に道徳哲学に於ては﹇自然科学と異って﹈人生を慎重に観察してΦ×需﹁巨8窃を収集しなければ

ならない︒しかもそのとき︑人と交り業務に励み又は遊び戯れる﹇各方面の﹈人間の挙動を見て︑人世の日常的経

過に現れるままに実務を行わなければならない︒そしてこの種の①×需ニヨ①暮ωを思慮深く蒐集し且つ比較すると

き︑我々は初めてこれを土台として︑人間の了解範囲内の如何なる学に比しても確実な点で劣らぬ・また有益な点      ︵27︶で遙かに優る・一つの学を樹立する希望を抱き得るのであろう︒﹂

 結論を先に言えば︑道徳哲学においては実験︑正確に言えば︑自然科学的意味における実験︑を行うことができ

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ない︑というのである︒この結論に達するためには︑﹁実験﹂︵①×O⑦ユヨ①三ω︶に二つの意味があることを理解する必

要がある︒

 ヒュームが使っている①×O①ニヨ⑦導ωに二つの意味があることを実に鮮やかに指摘するのは︑R・リューテで

︵28︶ある︒即ち一つは︑自然科学的意味での実験︵&Φ国×℃ΦユヨΦ三Φ冒ω一旨幕ユ震①×噂臼ぎΦ葺巴︒冨Zβ︒け旨ヨωω①⇒・

ωo﹃動騨①巳の意味であり︑いま一つは︑﹁経験的事実﹂︵国臥魯毎自σq2讐ω碧ゲΦ昌﹀の意味である︒そしてリューテは︑

当時一般に使用されていた①x℃①解発①箕は経験的事実の意味であったとし︑ヒュームもそれに従ったまでだという︒

確かに︑﹁序論﹂の上の引用文はリューテのようにとらないと理解できない︒上の引用文の中に︑ぎoo一冨6鉱コひq︷富

①×℃Φ﹁一§Φ暮ρε⁝・笹Φきξo霞︒×噂①臨醒9貫目×℃oユヨ①ご80一興巨ωざ巳碧Φ甘ユ一〇δ遣ωζoo=Φo審9といった文が

見えるが︑これらに出ているΦ×O臼冨①算ωは自然科学的意味の実験ではなく︑明らかに経験的事実という意味で使

われている︒経験的事実という意味だからこそ蒐集・収集できるのである︒要するにヒュームのいう道徳哲学にお

ける︒×O嘆冨Φ暮ωというのは︑経験的事実を広く注意深く収集するということである︒従って﹃人性論﹄副題の昏⑦

Φ×冨N冒Φ導巴ヨ①甚︒血︒笥①廻ωo巳昌ひqも経験的論究方法ということになる︒これに対して︑自然科学におけるΦ×℃Φ亭

ヨ①昌貫即ち実験とは︑﹁目的に合うよう予めよく考えられて作られた経験的事実﹂︵9げ︒︒凶︒ゴニド貫§津く︒吾①αm6算

頗Φヨ鷺ぽ魯団臥魯建昌鵯賦一銘︒げ魯︶のことである︒従ってそれは人為的なものであるから︑色々なものを作ること

ができるし︑またそれを何度も繰り返すことができる︒自然科学が極めて高い﹁確実性﹂を得ることができるのは

実にそのためである︒これに対して︑道徳哲学においては︑そういった実験ができない︑そこに自然科学に比べて

道徳哲学の州不利レが存するのだ︑とヒ聖賢ムはいうのである︒ではこの門不利﹂を克服するにはどうすればよい

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のか︒これが︑ヒュームが道徳哲学の樹立に向かう際に抱えていた最大の問題であった︒

 これに対する答は︑﹃人性論﹄の﹁序論﹂には出.ていないが︑結論を先取りして言っておけば︑そうした道徳哲学

の﹁不利﹂を克服してくれるものこそが経験的事実の宝庫たる﹁歴史﹂である︒即ち﹁歴史﹂の研究を行うことが︑

道徳哲学の﹁不利﹂を克服することになる︑というのがヒュームの解決法であった︒

D・ヒュームの経験論的人間学の研究(七}

︵1︶旨︒ぎ霊ωωヨ︒﹁ρ專§鳴げミ§馬§り9ヨげユ畠①¢三く.牢︒沼し8Po.膳︒︒噂﹀三8く国①牽き§恥げ§§防愚貯9勲登§

  カ︒=二巴ゆq①p︒巳区︒閃q︒ロ℃四信一一一㊤①㌍す㊤↑など参照︒

︵2︶冨︒ωω器き国φ寡恥卜欝ミbミミ窪§﹄αΦユ■○×︷︒aΩ碧Φ巳8℃﹁Φ貫6︒︒ρ℃Pω叩㎝H.

︵3︶Z︒×81智ヨ①ωこミ§答き§⇔愚ミミbミ鳴§§§︑︑O改︒﹁昏Ω胃①己︒コ牢︒ωω﹂㊤おもミ甲N.

︵4︶ ここのあたりは拙著﹃東西思想の比較﹄︵成文堂︶第五章一の㈲﹁近代の自然像﹂参照︒

︵5︶ Z巳冒ω沼旨50層︒け三軍︒Φ溝聾8﹁①18εB①巳ヨ亀①冨巳卑︒σ①×ロ①ニヨ①ロニ9・二三純一郎﹃自然思想史﹄︵三和書房︶一四八頁︒

︵6︶ ピ︒羅−一〇げ昌℃ユ︒①.胃毎壽&識§〜︑ミさ§ミ§ミミ鳴ぎ篤ご吻愚ミ9多脳§量O×hoa⊂三く.穿話葺一戸b︒■ロ■謡.邦訳︑常石敬

  一訳﹁科学哲学の歴史﹄︵紀伊國屋書店︶九一頁︒

︵7︶ デカルト﹁方法序説﹂︵野田又夫訳︑﹃世界の名著﹄27所収 中央公論社︶一七八頁︒

︵8︶ デカルト角精神指導の規則﹄︵野田又夫訳︑岩波文庫︶二〇頁︒

︵9︶ ﹇o羅−旨﹁ミミ噂℃.︒︒一.前掲邦訳︑一〇二頁︒

︵10︶ じ︒紹ρ9勺.−きミリやP︒︒守Oρ前掲邦訳︑一〇九1ご二頁︒

︵11︶ ニュートン﹃自然哲学の数学的諸原理﹄︵河辺六男訳︑﹃世界の名著﹄31︑中央公論社︶四一五−七頁︒

︵12︶ い︒鼻①ζ二轟蕊勢ミら§8§篤錯ミミ§§譜δミ醤ミ醤O臥oaΩ費①&o昌牢︒ωω鴇一〇誤薯■り−一9

︵13︶ J・ロックの自然科学方法論については︑平野歌﹁科学革命とロック﹂︵﹃ジョン・ロック研究﹄御茶の水書房︶を参コ口た︒

︵14︶ ニュートンとバークリについては︑荻原明男﹃ニュートン﹄︵講談社︶Wの一﹁ニュートンとバークリ﹂参照︒

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︵15︶ ピ080し殉こ奪軌猟戸目①O●       ︵17︶ 出霞﹇PU︾ご§駐帖ミミミミ≧Qミ鳶Pb︒︒︒N前掲邦訳︑三二三頁︒      ︺       ︹︵18︶ 躍ロ日ρU奪ミM署曾×く抄×<凶一■前掲邦訳一二一頁︒       コじ︵19×20︶ 国⊆ヨρ∪←きミ;O.×︿.前掲邦訳一二一頁︒       し︵21︶ ヒュームは﹃道徳原理研究﹄の第一章﹁道徳の一般的原理について﹂のなかで次のように述べている︒コ般的抽象的原理が先

  ず最初に確立され︑その後︑種々さまざまな推理や結論に分岐されるという他の科学的方法は︑それ自体においては︑より完全

  であるかも知れない︒しかしながら︑人間本性の不完全さに対しては適合するところがより少なく︑また他の主題におけると同

  様に︑この主題においても錯覚と誤解との共通の源泉となるのである︒﹂︵前掲邦訳︑七一八頁︶これは︑ニュートンの公理的方

  法を道徳哲学に導入することを拒否した文章とも読むことができよう︒

(  (  (  (

28 27 26 25

)  )  )  )

(  (2423

)  )

22

出但ヨ①−U二守ミミ舞P置前掲邦訳︑一五頁︒

閏ニヨρO♂ミ■も■NO軽.前掲邦訳︑四六頁ゆ       コ=ロヨや∪こ︾寄§駐恥ミミ§§さミ鳶ロ戸嵩ω−伊前掲邦訳一二六七一九頁︒       ︹

乞︒×o員旨こ奪ミb唱賢Q︒ ム■

国ロヨρUきミO.一誤■前掲邦訳︑二六九頁︒       コ=¢目ρUきミ■層冒戸×<鵠剛1×凶×・前掲邦訳一︑二五⁝六頁︒       しピ痒冨−勾ロα2hこ爵鰭ミミミ帖︑雰︑o惑ミミ§近き§勉愚鳶くq冨oq閑9︒二≧げ①﹃宰Φぎロ﹁伽q\︼≦麟昌9⑦PごOHωω﹂一?︒︒・

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参照

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き︑さういふ気分で仕事をしたといふ点では︑同一であるといはな         くてはならない︒﹂

更にそれを発展させた︒ 一方ミーゼスも︑ ハイエクを現代最大の経済学者の一人に数え︑その﹃自由の基本原理﹄

ある︒

第三章

 ウェルツは︑ヒュームの斉一性︵11恒常性︶の概念を理解するには︑方法論的な不変性︵ヨΦ90血90ひq剛︒巴=三︷o﹁∋−

る︒

 福沢は近代西洋の学問,儒教に対してこのよ

(evolution)の産物としての社会の歴史的性