絵画表現におけるエスキースについての一考察
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(2) 論文題目. 絵画表現におけるエスキースについての一考察 《目次》. はじめに・… 9・・… の・・・・・・… ◎・■・・・・・・… P.1. 第1章エスキースの意義の・・・・・・・・・・・・・・・… p.3 第1節 一般的なエスキースの捉え方・・・・・・・・・・・・・… p,3. 第2節 絵画史におけるエスキースの位置付けの変遷・・・・・… p.6 第1項 ルネサンス期におけるエスキースの捉え方… の・・・・・… p.6 第2項 油絵の具の発達とエスキースの捉え方の変化・・・・・・・… p,13. 第3項 19世紀初頭から印象派までのエスキースの変化一・・・… p.17. 第3節 西洋と東洋におけるエスキースの捉え方の違い・・・… p23 註記・。・… 。… 。・… ◆尋9… 。… 9… ゆ・・。p,28. 第2章 作家にとってのエスキースの意味・・・・・・・… p,30 第1節 参考となる作家の作品の分析・・ゆの・・・・・・・・… p.30 第1項 ドラクロワ・・・・・・… Dじ・6・・・・… ◎・φ。p.30. 第2項 ギュスターヴ・モロー… 一・・一・一一… 一p.36. 第3項パブロ・ピカソー・・9… 一一・・… 9・… p.39 第4項 エドヴァルド疇ムンク・・曾・・・・・・・・・・・・・… p.46 第5項 ポール・デルボー・・・・・・・・・・・・・・・・・・… P,48. 第6項 松本俊介・・・・… 9・… 一●●。●。。’●●’。P,55. 第2節アンケートの実施・・・・・… 一・一・D・・・… p,58 第3節 制作上のエスキースの意味合い・… 6・・・・・・・… p.65 第1項 素描とエスキース、素描と本制作との関係・・・・・・・・… p.65. 第2項 エスキースの役割・・・… ◎・・・・・・・・・・… 一p.79.
(3) 第3項 客観性と主観性・・・… ◎疇・・・・・・・・・・・・… p,80. 註記・・・… 一・・… ◎・・・・・… ◎・… り・・p.82. 第3章 エスキースを生かした作品の制作・・・・・・… p.85. 第1節 エスキースに用いる画材の考察・・・・・・・・・・・… p,85 第1項 鉛筆・6・・・… 6魯・・… 6・・・… 馳・… 事p.85 第2項 パステル甲・・… の・・・・・・・・・・・・・・・・… p.88 第3項 クレパス・・・… の・・◎・・・… 。・・・・・… 。p.94 第4項 コンテ、付けペン、etc..._・・・… 9一●●”●。●●●P.97. 第2節 いくつかの作晶のためのエスキースの制作・・・・… p.102 第1項. 36,5×26c mの鉛筆画(ミクストメディア)のための エスキースの制作・・・・・・・・・・・・・… 一・・p.102. 第2項 F30号、S30号の油彩のためのエスキースの制作・・… p、103 第3項 2005年制作S l O O号、F130号の油彩画のためのエスキースの制 4乍66・・・・・・・・・… 。・・・… 。・。・… P,107. 第4項 2006年制作S100号、F100号の油彩画のためのエスキースの制 作・99・・… の・・… D・・・… 一9一一P.111. 第3節 エスキースをもとにした本制作の制作 第1項 エスキースをもとにした36・5c mX26c mの鉛筆画(ミクストメディ ア〉の制作・・・・・… D・・◎… 9・・D・・… p.114. 第2項 エスキースをもとにしたF30号、S30号の油彩画の制作… ・o・・P.116 第3項 エスキースをもとにしF130号の油彩画の制作(2005年). ・・Q◆P.117 第4項 2006年制作F130号の油彩画の制作・・・・・・・… p.121 おわりに. 註記 参考文献.
(4) はじめに 筆者が初めて「エスキース」を意識し始めたのは、高校生の頃である。美術部に所属し. ており、始めてF100号の作晶を描くこととなったのだがそれまではF20号の作品し か描いたことがなかった。F100号は非常に大きな画面に感じられた。あまり大きいの で具体的に何を描いていいのか全く思い浮かばない。描きたい物はいくつか頭に浮かぶの であるが、何一つ具体化しないで困っていた。. そこで、スケッチブックに色鉛筆でエスキースを描くこととした。油絵はまだ描き始め たばかりであったが、色鉛筆や紙は小学校の頃から馴染みがある。また、スケッチブック. の小さいサイズも気楽に手を動かすのに都合が良かった。あまり気負わずに思いつくまま. にエスキースを描いてみると、自分の中に意外なイメージを発見することとなった。不思 議なことに当時のことを思いだせば、少し大げさかもしれないが、頭で描いたのではなく. 手を動かしている内に色鉛筆と自分の内部の情念のようなものとが呼応したような感じさ えするのである。. このエスキースが気に入ったのでF100号の本制作においてはこれを参照しながら制 作した。大体の形はエスキースによく似ていたと記憶している。しかし描いている内に部 分的に変更した痕跡もある。この本制作はエスキースを描いた時に感じた新鮮さを保った まま制作出来たように記憶している。この時エスキースを描いたのは先程も書いたが、F 100号の画面が大きくその空白に圧倒されたからである。. この時から、エスキースを描くことを覚えた。その目的はさまざまである。構図を決め たり、もしくは本制作に入る前の手と精神の準備運動を兼ねてエスキースを描く事もあっ. た。または自分の描こうとしている画面のイメージを感じとるためにエスキースを描いた りもした。一方、制作途中で自分の作品を客観的に考察する時にエスキースを描く場合も. ある。筆者は制作途中に他の画面、例えばスケッチブックなどにエスキースを描くことは ほとんどない。しかし、今になって思えば制作が上手くいかない時は無理をしてでも他の. 画面でエスキースを描いたほうがよかったのかもしれない。少なくとも試してみる価値は ある。. この様にエスキースは制作をする上でのいろいろな場面で関わり合いを持つものである。. そして、特にエスキースを必要とする時は制作者が制作の上で悩んでいる時でもある。本 論文においてはこのエスキースというものの可能性を探り出していきたい。. エスキースについて考察することは制作者とその作晶との関係を改めて見直すことにな る。エスキースをどう用いるかということは作家の主題や作家の使う画材などと非常に深. く関係していると思われる。したがってエスキースの考察を行うことによって作家の制作. 姿勢をより深く理解することが出来るとともに、作家の制作活動全般においてのエスキー スの役割やその意義をある程度は明確にすることが出来ると思われる。そのことにより、. エスキースをより効果的に用いる方法を探り出していくこととする。そのことによって作. 1.
(5) 家の本制作、もしくは作家の制作活動全般をより高揚させる視点をみいだしていきたい。. 尚、本論では筆者の制作を通して得た知見を基底に考察をすすめているため主観的な表 現が散見されると思われるがご理解いただきたい。. 2.
(6) 第1章 エスキースの意義 一言にエスキースと言っても人によって捉え方が違うものである。また、時代や国の違 いによってもエスキースの捉え方には変化が生じると思われる。そこで、第1章において はいろいろな角度からエスキースの意義を検証していくこととする。. 第1節 一般的なエスキースの捉え方 一般的にエスキースはどの様に捉えられているのであろうか。まず思い浮かぶのが、作 品を作る上での下準備、という事である。そこで、作品を制作する上での下準備、という 考えから思いつく言葉を列挙してみる。. ドローイング、デッサン、スケッチ、クロッキー、エスキース、デザインなどである。. これらのものは、全て制作過程に取り入れる事が出来るものである。では、こ.れらのも のはそれぞれどの様に認識されているのであろうか。以下に示す1)。. ●ドローイング(drawing)。. 線描。あるいは鉛筆、ペン、木炭、クレヨンなどで描いた図画。または製図、図画。必 ずしも素描という邦語に一致しないが、単色的、線的な表現を含む限りでは、素描と同義 に用いられる。しかし現代ではウォーターカラー・ドローイングのごとく、明暗や彩色の. かなりととのった表現もドローイングのはんちゅうに入れ、ペインティングに対して広汎 に用いられる傾向がある。. ●デッサン(de8sin)。仏. 一般には、素描、下絵の意であるが、フランス語の意味には、建築などの図面、模様や 意匠の図案も含まれる。. ●スケッチ(8ketch)。. 対象の迅速な描写による臨場的習作。また、単に略画をいう。時には緻密な描写も見ら. れる。エチュードとは概念上区別して用いられる。スケッチの概念はルネサンス期に確立 し、両面に素地を施した紙葉を綴じた「スケッチブック」が使用された。ヤーコポ・ベル リー二、レオナルド・ダ・ビンチ、デューラー等から現代にいたる多くの美術家の作例が 知られている。. ●クロッキー(croqu拍)。仏. スケッチと同義。日本では写生をスケッチ、略画、速写画をクロッキーと書う。また、. 3.
(7) 建築、彫刻、絵画、デザインの最初の構想を思うままに描いた素描。いずれも作者にとっ て、最も直接的なものである。 ●デザイン(鹿sign)。. ラテン語のデーシーグナーレ(計画する。設計する)から派生した言葉で、広義には、 なしとげようとする事物や行為のための準備、計画の決定過程を指すが、美術の分野では、 素材の組み合わせや構造、全体の形体の決定行為を指す。「意匠(計画)」という語に近い。. 美的、造形的計画と同時に、行為対象が内包する機能への考察が要求される。今日では、. 産業生産活動を踏まえつっ、人間とモノ、社会(環境)をつなぐ造形活動全体を指し、そ の分野はたえず変化、拡大を続けている。. 一般には、印刷表現を主体とし視覚伝達行為全体にかかわろうとするグラフィックデザ イン(ないしはビジュアルデザイン〉、屋外ネオン、ショー・ウインドウや展覧会のための ディスプレイ(展示)、デザイン、工業生産活動全般にかかわるインダストリアル(工業)・. デザイン、プロダクト(生産)・デザイン、都市計画・環境計画にまでもかかわろうとする 建築デザインなどが含まれるが、相互交流が激しく、その境界は明瞭ではない。 ●カルトン(carton)。. 壁画、モザイク、ステインド・グラス、タピスリー、板絵など、種々の絵画の制作の前 段階において、仕上がりと同寸の素描を描くための大型の画紙あるいはそれに描いた素描、 つまり大下絵。. ●エスキース(esquisse)。仏. 最終的に完成するはずの絵や設計図などのための下絵、略画、画稿などの意。デッサン 「素描」や水彩画、あるいは油絵のどれもありうる。一点の最終作晶のために幾点ものエ スキースがあることもある。. 以上エスキースと関連すると思われる言葉の意味を調べてみた。エスキースと言う言葉 自体は制作する上での初期の段階から制作に入る直前に使われるであろうものまで含んで いるようである。. 上で述べた書葉の意味から判断すると、スケッチは具体的に対象を観察した資料的な意 味を持つ。それ自体で独立した作品とはなりにくいのでエスキースの範躊に入るであろう。. クロッキーなどはスケッチと同義語とある。しかし、スケッチには対象を観察して描写す るというニュアンスが強い。それに比べて、クロッキーはそれ以前の最も初期段階の素描 というニュアンスがある。そのため、エスキースの範躊に入ることはもちろんであるし、 スケッチに比べてより作者にとって直接的な意味を持つものである。. ドローイングなどは油彩画法におけるペインティングに対して用いられていると言うこ とから、一つのジャンルとして認められているように思われる。このような捉え方をした. 場合、ドローイングはエスキースの範躊に入らない部分も出てくる。ドローイングについ ては後でまた触れてみたい。. 4.
(8) デッサンは素描、下絵とある事から、エスキースとほとんど同義語のように思われる。. しかし、エスキースはあくまでも本制作の下絵という印象に留まるのに対し、デッサンは. 一つの作品としての印象も現代に生きる鑑賞者としては感じる。このことは筆者の主観的 な感想であるが、後にその理由を探ってみたい。. 一言にエスキースと言っても、いろいろなアプローチのしかたがあることがわかる。. 制作をする上での初期の段階に使われるものから、制作に入る直前に使われるであろうも. のまでさまざまである。着彩されたものや、油彩で描かれたエスキースも存在する。これ らの言葉はすべて、エスキースとして、使うことの出来るものである。そこで、これらの. 言葉の違いを考慮に入れながら、絵画史の中でエスキースの意味合いがどの様に変遷して きたのか次に考察する。. 5.
(9) 第2節 絵画史におけるエスキースの位置付けの変遷. 第1項ルネサンス期におけるエスキースの捉え方 『デッサンのすすめ』において、「ルネサンスの頃のデッサンは、いわば、下書きとか心. 覚えの控えとか、自然を写すこと、これは自然を見て、形をおぽえたり、または、記憶を. 確かめたりするためですが、そういう仕事であり、これは表向き、人に見せる仕事ではな かったので、デッサンは大抵の場合、アトリエの中に保存されていたと思います」2)と伊 藤廉は述べている。. ここで書かれているデッサンはエスキースととらえてよい。下書きや心覚えの控えなど はどれも、本制作のための材料集めや準備作業という意味合いを持つからである。また、 自然を写すことはスケッチにも該当する。. すべて、本制作のための下準備であり、本制作なくしては独立した価値を持たない。本 制作を描くと言う一つの大きな目的があり、その目的のために下準備としてのスケッチや デッサン、ドローイングがあった、という構造が見えてくる。 参考にルネサンスの代表的画家であるラファエロの作品、《アテナイの学堂》を見てみる。. この作品は大きなもので、そのサイズは約274×792cmという巨大なものである。 これだけの大きな画面に沢山の人物を登場させるためにはいくらラファエロであっても、 入念な下準備をしたであろうと推測される。. 図1 ラァファエロ《アテナイの学堂》1509−1511 ラファエロがエスキースを多く描いたであろうと考える根拠はまだある。それはラファ. 6.
(10) エロが当時使っていた画材や技法である。ラファエロの時代はフレスコ画が主流であった。. 《アテナイの学堂》はフレスコ画である。このフレスコ画、特に壁画においては、その目. に塗った石灰の壁がまだ乾かぬうちに、水溶きした粉末顔料をしみこませて、その日のう. ちに描いてしまう。乾いたあとは描き加えの出来ないのが原則である。それ故、1日で画. 面全体を触ることができない。もし、画面全体を触るのであれば、画面全体を1目で完成 させなければならないからである。. 1日の仕事は群像の2,3人分のスペースである。そういうことになれば、油絵の制作 時のように画面全体を少しずつ完成に持って行く、ということはできない。また、画面全 体を制作する過程でイメージを形作っていくことも出来ない。本制作を前にして制作を始 める時には大きな構図はもちろんのこと、人物の衣服のしわや手や顔の細部に至るまで完 全にイメージや細部が完成していなければならない事になる。ラファエロの(くアテナイの. 学堂》の完成作と巨大な実物大カルトン(約274×792cm)を見比べてみるとそのこ とがよくわかる。. 図2 ラファエロ《アテナイの学堂》実物大カルトン. 細部に至るまで完成作とほぼ同じである。ただ、完成作の前景で瞑想にふける人物は、 後に思いっいて描き加えられたようである。この実物大カルトンだけでも不十分である。. このカルトンにおいては前景の瞑想にふける人物もいない。それにこのカルトンは完成作. の面面の下半分しか描かれていない。確かに、この下半分が主題であり、上半分はその舞. 台設定のような所がある。しかし、上半分の建物の構造や細部のディティールなどしっか りしたエスキースを描いたであろうと思われる。. また、このカルトンに行きっくまでに数多くのエスキースを描いているはずである。左 下の群像、本を開いている2人の人物とその周りに集まっている人々の部分的エスキース. があるが、実物大カルトンのその部分と比較してみると部分的エスキースにおいては人物 の大まかなポーズなどは大体決まってきているようである。. 7.
(11) 図3 準備のための習作 しかし服装や微妙な顔のディティールなどはまだ実物大カルトンと違う所がある。この エスキースと実物大カルトンの聞にも具体的な顔の表情と服装の参考にするためのエスキ ースが存在するはずである。. この様に、ラファエロの時代にあってエスキースは、特に大画面での制作を行う上では 必ずと言っていいほど必要な作業であった。当時では完成作とエスキースの違いは着彩さ. れているか否かという違いであると言っても過言ではなかろう。この様な事情から、フレ スコの作業工程はエスキースと本制作とに明確にわかれていた。 ここで、この時代の作業工程を示す文章を引用する。. 「一口に素描と言っても、その目的や完成の度合いによって、いろいろな性質の素描があ. りうる。ウァザーリは、それをスキッツォ、ディセーニョ、カルトーネという3つの種類 に分け、また、特殊なものとして、ディントルノないしプロフィーロをあげている」3)。. スキッツォとはスケッチのことであり、最初の構想であり着想である。ディセーニョと はいっそう完成した段階のもの、直接対象を観察することによって制作され、したがって、. それからさらに拡大することもできる。拡大されたものは、カルトーネ(カルトンのこと、. 下絵)と呼ばれる。カルトーネはディセーニョを拡大したものであるから、ディセーニョ と同じか、それ以上の密度を持ったものと判断される。ディントルノやプロフィーロは、. いずれも輪郭というほどの意味である。ディントルノやプロフィーロ、つまり、輪郭とい うのは、フレスコ画独特の作業工程である。. 8.
(12) このフレスコ画、特に壁画においては、その日に塗った石灰の壁がまだ乾かぬうちに、. 水溶きした粉末顔料をしみこませて、その日のうちに描いてしまう。乾いたあとは描き加 えの出来ないのが原則である。そのため大きな作品になると、1日に描くことの出来るス. ペースが限られてくる。1目に描こうと決めたスペースに石灰をぬる。そこで、問題にな ってくるのが今日制作するスペースと明日制作するスペースの境界である。ものの輪郭に. そって、石灰を塗ると後の描画作業がやりやすい。そのような理由から、この時代のカル トンにおいては明確な線を主体とした素描が描かれている。このような理由からディント ルノやプロフィーロという作業工程が存在したのであろう。. これらの事から、この時代においてはスケッチはもとより素描とデッサンなどは完成作 のための下準備の作業に属しており、それ自体独立したジャンルにはなっていない。画家. はそれらの下準備(エスキース)を人前に出すことはしなかった。つまり、額にいれて壁 とか聖壇とかに飾るということはなかったという事である。. その理由は画家の素描に対する考え方と、当時の鑑賞者の作品を見る観点なども影響し ているのであろう。ラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチの素描など、画家の意識とし てはエスキースを描いているつもりであろうが、一つの作晶としても十分に鑑賞に堪えう. る完成度を持っているものがある。特にディセーニョの段階の素描やカルトンなどは完成. 度が高く、作者の魅力を存分に伝えてくれる、その作者にしか描けないような特徴を兼ね 備えたデッサンである。. 図4. レオナルド・ダ・ビンチ. 《ユダの習作》(1495−97年) 赤の色紙、赤チョーク、. 18.0×15.OcI皿. レオナルド・ダ・ヴィンチにおいては完成作が少ないので素描の価値が高い。また、あ くまでも本制作のためのエスキースとして描いているのであろうが、その素描を見ている. と一つの画面を意識しているとしか言いようがないものもある。レオナルド・ダ・ヴィン チのユダの習作や使徒の習作などは作者本人が一つの画面を意識して描いている。. 9.
(13) 一つの画面を意識して描いているのであるが、やはり、ポーズなどはその先の本制作を 意識して描いている。一っのプロフィールのような印象を受ける。完成度は高いのである が、作者の人に見せるという意図はやはりあまり感じない。人に見せるという意識が働く. 以上そのような演出を人は無意識の内にどうしてもしてしまうものであると思われる。し. かし、これらの素描にはその意識をあまり感じない。まるで、レオナルド・ダ・ヴィンチ の制作過程を盗み見ている様な無防傭さである。あくまでも、エスキースであるが、一つ の画面としてまとめる意図はあったようである。これは人に見せるためではなく、描いて いる内に自然とそのようになったのであろう。ここにはレオナルド・ダ・ヴィンチの素描 に対する姿勢が窺われる。レオナルドは、素描はただ正確であるよりも、芸術的に正確で なければならぬと考えていた様である。また、レオナルドは、「素描というものは、ただ自. 然の作品を追求するだけでなく、自然のっくるものを超えた、限りないものを追求するほ. ど立派である」4)と述べている つまり、レオナルド・ダ・ヴィンチは素描をするにあたって、対象を正確に描写するこ とを目的としたが、対象を正確に描写するということにおいて、その外面的な描写だけを. 行うのではなく、もっと深い所を描写したのであろう。そのことが、芸術的に正確でなけ ればならぬ、という表現になったのではなかろうか。そうである以上、一つの画面の隅々 にいたるものまでが、その芸術的な正確さに影響を与える構成要素となり得る。. ところが、その自然のつくるものを超えた、限りない物を追求するということはレオナ ルドの制作全般の目的ではなかったろうか。そう考えると、レオナルドは理念の上では素 描に完成作と同等の可能性を認めていたということが出来る。ルネサンスの時代において、. 素描に独自の価値を見いだしていたのはなにも彼だけではない。例えば、デューラーなど は比較的沢山素描を描いている。また、『デッサンのすすめ』によればルネサンスの時代の. 作晶でアンドレア・デル・サルトの《グリゼイユの壁画》というものがある。グリゼイユ とは、セピアや灰など一色でかいた絵のことである。あえてそのような単色で絵を描いた. からには単色による絵画表現の魅力を知っていたということになる。ということは、デッ サンの独自の魅力を認識していた、といえるのではないだろうか。. 裾分一弘は「レオナルドは素描において、単に輪郭でなく単に遠近法でなく、く芸術的な. 真〉を望んでいたのであった。自然科学を超えたところから、真の芸術は初めて出発する. というレオナルドの芸術論が、その根底にあったからである」5)と述べている。 つまり、レオナルドの中においては素描は一つの独立した作品としてなり得た。. 「写実主義が発達し、色彩を伴わなくても、物の輪郭を人が楽しむことの出来たとき、. 素描概念の成立のための一っの条件は準備された事になる。素描が素描自体のために描か. れるのは、イタリアでは、ウァザーリの『美術家伝』の初版(1550年)と二版(15 68年)の問である。この時期に素描は、鑑賞され、所蔵され、売買される」6)とある。 レオナルド・ダ・ビンチの死後一世紀後の事である。それまでは、素描は鑑賞されたり、. 所蔵されたり、売買されたりすることはなかった。しかし、この下準備の段階において、. 10.
(14) 素描が多く描かれた。この下準備の仕事を通して、この時期の素描、デッサンの発展があ ったのであろう。. しかし、この時代のエスキースにおいては独立した魅力を持った物と本制作なくしては 意味をなさない物とがあった。これはエスキースの性質上仕方のないことである。形をと るための輪郭だけのエスキースなら、いくらラファエロが描いたものであっても魅力のな いものである。このことについて伊藤廉は次のように語っている。「ラファエロには壁画と. 同じ大きさの人物の下描きのデッサンがあります。ロンドンでみたとおぽえています。そ の大きなデッサンは魅力のないものでした。形を壁に映すために壁におしつけたものだろ うと思います。ラファエロには小さなデッサンが沢山に残っていますが、それは、美しい。. やさしくてこまかくてよく整っている感じがして、充分魅力があります。こういう小さな デッサンにある魅力は、下描きとか図取りとかいう役を果たせば、破いてもかまわないと いうような気持ちがあったら描けないものではないかと思います」7)。. これら、エスキースはフレスコ壁画が全盛のころにおいては必要不可欠な作業工程であ った。この作業工程をしっかり、厳密に行わなければ、自らの描きたい画面を探ることは 出来なかったであろう。これはフレスコの性質を考えれば容易に想像がつく。ルネサンス の時代にあっては素描はあくまでも、エスキースの一部にすぎなかったといえる。しかし、. 素描の魅力を認識している作家は沢山いた。ただ、それを売りものにしなかったし鑑賞者 や社会も素描を一つの作品として、取り扱わなかったのである。そのため、素描によって、. 直接社会とつながる、と言うことはなかった。素描と社会の問にはフレスコ壁画や完成作 が横たわっていた。素描にはラフ・スケッチや対象を観察して描いた比較的完成度の高い ものなどがあるが、また、単色と有彩色の素描とにも分類する事ができる。. ルネサンスの代表的作家であるラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチの素描は多く残 されているが、有彩色のものはほとんど見あたらない。デューラーの作品には水彩を巧み に使ったウサギの素描などがある。素描と言えば単色と、考えてしまいがちであるが、そ う言う訳でもない。単色の素描画材は非常に描きやすいと言う特徴がある。道具としても. 持ち歩きやすい。ラファエロが用いた描画材は黒チョーク、鉄筆のトレース、鉛の白、メ. タルポイント、木炭、ペン、茶色のインク、鉛筆で下書き、銀筆、などである。支持体は 茶色の紙、薄灰色の紙、桃色の紙、灰色の紙、などである。描画材として、黒チョーク、. 赤チョーク、鉛筆、木炭、ペンにインクなど、すでに現在使われている主要な描画材が使 われていたことがわかる。. 11.
(15) 図5 デューラー《野兎》. 1502年 25×22㎝. 赤チョークや白のハイライトに使う顔料など、いくつかの色味はあるが、水彩絵の具に 比べれば、色数は非常に限定されており、単色の部類に加えても良いと思われる。また鉛 筆が既に登場しているのは驚きである。色々な描画材、そして、いろいろな色味の紙を使 っている事から、ラファエロが素描においても細やかな神経をつかい、工夫を凝らしてい. たことが窺われる。これらの素描が何故フレスコ壁画や油絵の影に隠れて表に出ることが なかったのであろうか。. まず、フレスコ画や油絵の画材の強さが挙げられる。これらのものは紙に描かれた素描 よりも堅牢である。また、大きな作品であると、フレスコや油絵の具で描かれたもののほ うが飾りやすいということがある。飾りやすい、と言うことは人目につきやすいという条. 件を満たしていることでもある。また、フレスコや油絵のほうが色味があるということが ある。我々が普通に物を見るとき、すべて、色のある世界である。単色ではない。. ルネサンスの絵画の特徴として「遠近法と解剖学は、イタリア・ルネサンスの絵画とい う車の両輪のごときものであった。この両輪によって、この時期の美術は、自然再現の方 向に突走ることになる」8)。. とある。自然を正確に再現するとなれば、見たままの色彩の再現も重要視されたはずで ある。その場合単色の素描や水彩はフレスコ画法や油絵に比べて、劣っているであろう。. 単色の素描はまず間違いなく色彩の再現性において油絵の具、フレスコ技法に比べて劣っ ている。. しかし・水彩においては扱う技量があれば色彩の再現性においても油絵やフレスコに劣 らないものを持っていたであろう。しかし、水彩は大画面の制作には向いていない。それ 故、当時の発表形式の主流にはなり得なかったのであろう。. これらの事も素描が油絵、フレスコ壁画に比べて表に出てこなかったことの原因になっ. ていると思われる。この自然再現の方向性はルネサンスの時期に確立し、それはルネサン. ス以降400年あまり西欧絵画の基本的な表現原理となる。その代表的な考え方が、遠近. 12.
(16) 法、肉付法、明暗法などである。ルネサンス以降400年あまり、遠近法、肉付法、明暗 法を基本的な表現原理とし、古典主義美学を規範として展開されてきた西欧絵画は19世 紀後半の時期、大きな転換期を迎える事となる。. 第2項 油絵の具の発達とエスキースの捉え方の変化 フレスコは繊細である。それ故、素描画材で下絵を数多くこなさなければならない。こ. のフレス謙の繊細な表現ができるという特徴が当時の自然再現の考え方と一致した。しか し、この自然再現の考え方から、フレスコ、テンペラは油彩画法に淘汰されることになる。. レオナルドの死後一世紀を経て、素描が鑑賞され、所蔵され、売買されるようになった。. このことにはレオナルドの時代においてすでに始まっていた素描の独自の魅力を認識する. 画家の姿勢がさらに発展したということも考えられるがまた、油絵の具の発展も大いに影 響があったと思われる。. フレスコにおいては描き直しがきかないわけであるから、エスキースの段階で完成作の 細部に至るまで形や調子などが決まっていなければならなかった。しかし、油絵において はある程度のエスキースは必要とされるが細部においては描き直すことが出来るようにな ったためエスキースの捉え方に大きな変化をもたらしたと思われる。油彩圃の技法を取り 入れ、そして発展させた画家ティツィアーノについて中山公男は次のように述べている。. 「フィレンツェ人であるウァザーリは、絵を制作する際には、まず紙にスケッチをし、次 いで構図の各部を細心な習作素描で練り上げていくのが本来の方法であると信じていた。 そして、最終素描を板またはカンバスにほぽそのまま移すのである。この手法こ.そ、レオ. ナルド、ラファエロ、ミケランジェロなどによるフィレンツェ派の傑作において到達され た方法であった。ウァザーリは、ウェネチア派の色彩を賞賛する一方、素描を軽視する彼 らの態度を嘆いている」9)。. この素描を軽視する制作はやはり、油彩画法の発展によるものであろう。油彩画法の発 展によりエスキースはそれ以前ほど厳密に行われなくなった。しかし、ウァザーリの記述 を読むと、ウェネチア派もしくはティツィアーノの色彩については賞賛している。. ウァザーリの記述によるとミケランジェロも「ティツィアーノの色彩とスタイルは気に 入ったが、ウェネチア人が最初に十分に素描することを知らないこと・・… は残念だj l o〉と語ったとある。これらの言葉からミケランジェロは素描に現実をもとにした観察と. そこから生まれるリアリティ、そして数多くのスケッチからなる、しっかりした画面構成 を求めていたのであろうと推測される。それに比べると、ティツィアーノの作品は現実の 自然からかけ離れる部分を、素描が少ないだけにより多く持つといえるのではなかろうか。. しかし、そのかわり、冷静で正確な観察ではなく、ティツィアーノが作品を制作する上で. 感じるという情動的な部分でのリァリティはフレスコ画に比ぺて強いと思われる。このフ レスコに対する、油彩画法の制作過程における流動性が、生き生きした色彩につながった. 13.
(17) のではなかろうか。. ヴァザーリやミケランジェロがウェネチア派もしくはティツィアーノの色彩を賞賛し、. 素描の軽視を嘆いている背景には、油絵の具を扱う上で陥りやすい、主観的になりすぎる という長所でありそして欠点である部分が速くも問題視されていると思われる。. つまり、ルネサンス当時の油絵の具は現在の油絵の具ほど使い勝手がよくはなかったで あろうが、一旦乾いてしまったら描き直しがきかないフレスコ画に比べれば、随分使い勝 手がよかったはずである。使いやすいということは油絵の制作に至るまでに準備作業が少. なくて良いという事にっながる。と言うことは段階的な下準備による構成という面がフレ スコ壁画の制作過程に比べておろそかになるという可能性がある、という事になる。その かわり、画面上で制作しながら色彩や形を見つけていくと言う直接的な制作の魅力が表に 出てくることになる。その分画面に躍動感が出てくることになるのである。この二とはど ういうことであろうか。フレスコ壁画の制作過程においては始めに作者の思いつきや大ま. かな構想がなされる。その時が一番線描などが生き生きしている時である。そして、スケ ッチ、カルトンと変化していくに従って、どんどん形や調子が整理されていくのである。. 当然線描などは整理され画面は洗練されていくのであるが、その反面、始めの段階であっ た、作者の直接的な線描の生き生きした感覚はなくなっていく。これはやむを得ないこと. であろう。これらのことから、人にとって一番直接的で原始的な表現手段が点と線である ことが解ってくる。. 新しく改良された油彩画の技法においては厚塗りが可能となり、下に描いた線描を途中 で描き直すことが出来るようになった。制作が大分進んだ上でまた、始めの段階の線描に よるスケッチを画面上において行うことが出来るようになったのである。. このことはフレスコ壁画の制作過程においては本制作画面に入る前にエスキースとして 行われていたものが、油彩画法においてはその本制作画面上においても成されるようにな った、ということである。フレスコ壁画においてのエスキースの扱いに比べて、油彩画法 においてのエスキースの扱いはより多様で柔軟になったと思われる。同時にフレスコ壁画 においての制作過程に比べて、油彩技法の制作過程が多様で柔軟なものになった、とも言 える。. フレスコ壁画においては段階的で一方通行的な制作過程から、洗練された画面が完成の 尺度として存在した。っまり、比較的外面的な完成度が重視されていたといえる。. しかし、油彩技法において制作途中に画面を変更出来るようになったとき、制作者の内 面的な部分では制作が進んでいるのに画面はそれ以前より洗練されていない、っまり、そ れまでの外面的完成度の尺度から見ると、かえって完成から遠ざかるという現象が起こる 場合が生じる。このことにより、洗練された画面に行きついて完成するという考え方と、. 作者の内面的な部分と外面的な画面の表れを等価に見た上で、完成の基準を考えるという 考え方とに意見が分かれる事になった。. ここでティツィアーノの次の時代の作家であるティントレットを例に取り上げてみる。. 14.
(18) 『週間グレート・アーティスト』によると、ティントレットの作品においてはその筆が走 りすぎて未完成であるという批判があったようである。. しかし「この“未完成な”特色がティントレットの作品に、より洗練された画面では失 われてしまうような直接さと新鮮味をもたらしている。筆触が見えることで、見る者は画 家自身と、彼が描く出来事の神秘さをより身近に感じるのである」11)とあるようにティ. ントレットの作品にある未完成な印象を欠点と捉える見方と長所と捉える見方に意見が分. かれる事となった。ティントレットの作品を見てみると、画面全体の印象としては未完成 さを感じない。しかし、部分を見ると未完成な印象を感じる。. ティントレットの作品にあってはその内面的な充実度と画面を成立させる描写がバラン スをとっており、描写は内面的な充実を妨げない程度に押さえられている。恐らくティン トレットがさらに細部の描写を丁寧に行うと彼の作品に見られる神秘的な雰囲気や画面の. 中の動きやドラマティックな印象は損なわれるであろう。ティントレットは「精神という. 真実を追い求めるあまり、形の規範に反し、自然な描写と仕上げにおけるあらゆる概念を 打ち破り、人体をゆがめ醜くすることもいとわなかった」12)のである。. ティントレットは「公式的なバランスと写実主義というルネサンスのものさしにしばら. れることを拒んだ」13)とある。しかし彼は卓抜した素描家であり、多くのデッサンを描 いたようである。例えば、彼の代表的作品である礫刑における手助けする馬上の男の習作 などが残っている。このエスキースは数本の大胆な線で描かれている。完成作の馬上の男. は肉付けがされているが、エスキースの特徴である単純さそして活気をそのまま保ってい る。. 、,. .﹂. 呈﹁. ・ 1∈. 事. 図6《礫刑》部分. 手助けする馬上の男 図7《礫刑》手助けする馬上の男の. エスキース. 15.
(19) もう一つ、《ザーライの戦い》の習作を見てみる。この場合も弓を引く射手の細部は省略 され、力強く勢いのある線でその動感を捉えている。. 図8《ザーライの戦い》の習作. 完成作を見てみると、ティントレットはそれほど完成度の高いエスキースを行わなかっ たと推測される。何故なら、完成作において、それほど厳密な細部の描写を行っていない からである。. しかし、 ティントレットは宗教劇を幻想的に表現した画家であった。それ故その場面 の設定にはある一定の決まりがある。そして、これらの宗教劇はほとんどの場合群像であ る。これらのものをエスキースを描かずに制作出来るとは思えない。大まかな構図のエス. キースと個々の登場人物のラフ・スケッチは必要となる。また、ティントレットの描く人 物はときにねじ曲げられ、驚くべき短縮法で描かれたりした。これらのこともエスキース なしでは出来そうにない。. 参考にティントレットの制作工程を見てみる。. 「画家は蝋で人物を形どり、それを小さな木製の舞台の上に配置した。それから、暗く した部屋のなかで、さまざまなアングルにおいた蝋燭の光で舞台を照らし出し、縮小され. た場面を何枚もデッサンした。こうして、人物配置の全体の効果をつかみ、思いがけない 照明を巧みに用いて統一感を生み出したのである」14)。. これらの文章やティントレットの作品から、まず大まかな構図のエスキースを独特の方 法によって描き、その構図をもとに個々の部分のラフスケッチを行っていたことがわかる。. 特に人物の動きに注目してエスキースを描いたようである。その上で本制作に入っていた ようである。大体の制作の進め方はフレスコ壁画の時代とあまり変わっていない。しかし、. 16.
(20) 細部の描写などで比較的自由な制作や解釈が可能になったようである。恐らく細部のスケ ッチなどは参考にするといった程度のものであったであろう。このように、油絵の具の可. 能性が広がるに従って、エスキースの重要性が少なくなった。その結果、それまでエスキ ースにおいて使われ、発展してきた素描画材や紙などの存在意義が問われることになった. のではないだろうか。っまり、それまでエスキースのための画材であったものが、一つの. 作品を作るための画材として認識され始めることになるのである。この流れは19世紀後 半まで続き現在に至っている。. しかし、19世紀後半、この流れが急激に進むことになる。そして、本制作とエスキー スの関係も大きく変化する事となる。. 素描が素描自体のために描かれるのは、1568年以前である。この時期には、「素描は 鑑賞され、所蔵され、売買される」とされている。このことは画家だけではなく、世間も 素描を一つの作品として認め始めている、と言うことである。. しかし、素描の本当の魅力や特長が認められたのは19世紀になってからである。「生き. 生きとした線の魅力にその基礎をおく作晶が現れたのは19世紀になってからに過ぎない。 こうした作品にあっては、デッサンは、彩色画と同様に重要なものとなる。アングル、ド. ーミエ、ドガおよびトゥールズ・ロートレックは、19世紀におけるもっとも偉大なデッ サンの大家のうちに数えられる」15〉と高田博厚は述べている。もちろんそれ以前にも素. 描の魅力を十分に認識し表現している作家はいるのであるが、素描の魅力を多様にそして. 大胆に作家達が表現したのは19世紀においてであろう。この様に素描のありようが大き く変化した時代においてはエスキースのありかたも大きく変化したと推測できる。そこで. まず、19世紀においてどの様に絵画の歴史が変化したのかを見てみる。その上で19世 紀における絵画の歴史的変化が作家の制作スタイルやエスキースの扱い方そして、素描の あり方にどのような影響をもたらしたのか考察してみる。. 第3項 19世紀初頭から印象派までのエスキースの変化 たしかに19世紀において西洋の絵画は大きく変化した。恐らくアングルやドラクロワ、 ドーミエの時代から少しずつ絵画に変化が現れ始めたと思われる。この時期から印象派、. そしてその後の絵画の変化には非常にダイナミックな動きがある。そこで、絵画に変化が 現れ始めたアングル、ドラクロワ、ドーミエの時代を検証してみる。. まず、絵画の主題であるが、rヨーロッパ、特にフランスの17世紀から19世紀にかけ ての絵画教育においては、絵面の主題には『ジャンルの階級』とよばれる上下関係がしっ. かりと存在していたのです」16)とある。そして、そのジャンルは歴史画、宗教画、神話 画、肖像画、風俗画、静物画、風景画という形に大きく分類されていた。この順番に階層. が定まっていた。とくに前者の3つは「偉大なジャンル」と呼ばれてこの階層の頂点に位 置付けられていた。. 17.
(21) まず、前者の3っのr偉大なジャンル」と呼ばれるものは一般的に大画面でなければ描 けない。画面の中に群像を配置する傾向にある。そのため、画面の構成能力が問われるこ ととなる。また、これらのジャンルは多くの鑑賞者が知っている事を題材としている。大 画面に多くの人を登場させるためには綿密なエスキースを必要としたと思われる。恐らく、. 肖像画や静物画に比べると、多くのエスキースを必要とするであろう。また、多くの人が. 知っている主題である以上、ある程度はそれらしく見えなければならない。そのため、そ の場面設定にふさわしい人の配置や衣装、背景や小物に至るまで、取材が必要となる。こ. れらのことにもエスキースが必要となる。このような制作の進め方は基本的にルネサンス の頃の進め方と大差はなく、アングルやドラクロワの作品を見ても窺うことが出来る。こ れらのことから、主題によってもエスキースの必要性が左右されることがわかる。. しかし、巨9世紀以降神話画というジャンルは、アングルやドラクロワなどに継承され ていきますが、除々に衰退していくことになります」17)とあるように神話画にかぎらず、. 歴史画や宗教画もドラクロワ以降除々にではあるが、衰退していくこととなる。 ドラクロワにしても、その主題にそれ以前と少し違った傾向が現れ始めている。例えば、. 制作者と同時代の事件を描写した事件画などを描いている。又は、作家が影響を受けた詩 劇などを取材して制作している。この様な主題は歴史画、宗教画、神話画に比べて身近な 印象を受ける。画家にとって身近なテーマであるのでダイレクトな印象を受けるが、テー. マが個人的で、歴史が浅いので、主題としては弱い部分も感じる。ドラクロワ以降この主 題の階層の上下関係は除々に崩れていく。この崩れていく最後の時期に活躍したのがギュ スターヴ・モローである。モローは神話画を中心に制作した。宗教画や歴史画はあまり見 あたらない。そして、肖像画や静物画も描いていないようである。非現実的な神話の世界 を描くため、モローは数多くのエスキースを制作している。. 「観察し、写生し、創作するという画家としてのモローの暮らしを垣間見るには、油彩 画よりも素描の方がよい」18)とあるように、イメージを探るためにそして、細部のディ. ティールを探るために数多くのエスキースを描いている。手だけや顔だけを描いたエスキ ースもある。部分のエスキースなどは鉛筆で描いている場合が多い。細部のエスキースも. 鉛筆を使っている。全体的なエスキースとなると水彩や油彩なども使っている。モローの 場合、一つのテーマを描くときにそのテーマをいろいろな画材を使って消化するという印 象を受ける。水彩でもかなり細部まで描き込んだ作品もある。それは一つの作晶として成 立している。油彩のエスキースも存在するが、完成作と区別されるのは細部の描写がなさ. れているかどうかという差であり、細部の描写が成されていないから完成作ではないとは いいがたい、という思いにモローのエスキースを見ているととらわれてしまう。. 画面の魅力という点では完成作とエスキースに大差がない。このことは水彩絵の具で描 かれたエスキースにおいても言える事である。水彩絵の具でも細部まで描き込まれたエス キースと細部まで描き込まれていないエスキースがあるが、どちらも、完成作とは違った. 独立した魅力を持っている。モローの場合、鉛筆によるエスキースでは独立した画面には. 18.
(22) ないものがあるが、水彩絵の具や油彩で描かれたエスキースは一つの作晶として見ても問 題がない、独自の魅力を持っている。. こう考えれば、モローがある程度ゆとりを持ってエスキースの工程を楽しんでいた事が わかる。ルネサンス以降使われてきた作業工程を上手く使っているとも書える。. モローは神話画を中心に描いた。ドラクロワは同時代の事件画や宗教画、または詩劇を もとにした作晶など、自分の好みによっていろいろな主題を柔軟に選んで制作している。. その主題においては一つ前の時代のドラクロワと同じかむしろ、後退したような印象を受 ける。しかし、エスキースの扱いにおいては完成作に従属した位置関系ではなく、本制作 と並列したエスキースの魅力を発見しており、そう言った所に時代の推移を感じる。. モローのような捉え方をすれば、本制作とエスキースが非常に近い位置関係になり、本 制作とエスキースの違いが曖昧になる。そこで、何を持って、本制作、完成作とするのか という疑問が湧いてくる。. モローの本制作とエスキースを見比べてみると本制作のほうが細部まで描き込んでいる。. そのため、本制作のほうがモローの描写力をみるのには都合がいい。モローも、サロンで 自分の技量の高さを披露する必要があったのかもしれない。ここで当時のサロンの問題点 を指摘した文章を見てみる。. 「つまり歴史画は見事に敗北していた。この高尚なジャンルは、ラファエロやレオナル ド・ダ・ヴィンチを引き合いに出して、自らがルネサンス絵画の正嫡であることを願って いたのだが、今や格下げとなり、単なる形式上の課題に過ぎないとされてしまった。・…・・. 主題は陳腐で、画家の技術的な技量や人体構造を表現するその腕前を披露するために選 ばれていた」19)。ここに書かれているのはモローのことではなく、当時のサロンにおけ る歴史画の問題点である。しかし、この間題点は神話画を描いたモローにも共通するもの であると思われる。. 歴史画、神話画、宗教画が偉大なジャンルと呼ばれたのは、その場面に対する洞察力が 表れるという理由だけでなく、大画面に群像を配置する構想力やその場面をリアルに感じ させる描写力を判別しやすいという理由もあると思われる。つまり、画家の実力を世に問 うには都合のいい主題であったのである。このことから、社会の関心は身近な主題に移り. 始めているのに形式的な理由だけで歴史画が選ばれることとなり、内容の薄い表面的な技 量だけを示す作品が作られていたことがわかる。. これらのことから、作家が制作によって自分の理想を追求するだけではなく、社会に認 められるためにある程度作品の見栄えをよくする、と言う部分が見えてくる。つまり、一 般の入が見ても技術的に優れているという工芸的な技量の高さを披露する部分もあったと. いう事である。形式的な部分である。モ翼一においてはあくまでも、それ以外の部分を十. 分に追求した後のことであるが。モローのエスキースと完成作を見比べると、そのような 部分を付け加えていないエスキースの方が完成作に比ぺて、のびのびとした、リラックス した印象を受けたりする。このような部分に注目し一般的な完成度よりもそれ以外の部分. 19.
(23) を優先させるような発表形式を持つことをモローは考えていなかったようである。このこ. とから、モローはエスキースを積み重ねて、最終的に細部まで描き込まれた、そして、洗 練された画面に行きつくというルネサンス以降受け継がれた制作スタイルを守っている、. とも言える。しかし、モローにおいてはエスキースや素描の意味がより重要な位置を占め. る、それらが独自の魅力を持ち始めている。ただ、まだモローは最後に綿密な完成作を描 くことにこだわっているのだが。. このモローの制作スタイルを批判する人もいた。. 「彼が描く夢は我々の誰もが見るような単純で素朴なものではなく、洗練を極めた複雑 で難解な夢であり、またすぐ見られるものではない。いまどきこのような芸術はどんな価. 値を持ち得るのだろう。・・… そこに現代社会に対する単なる反動をみるj20)。とゾ ラはモローの難解な象徴主義を非難している。. この洗練を極めた複雑な部分はルネサンス以降のエスキース、素描を重視した制作スタ イルから生まれるものである。この複雑さはエスキースによって練り込んだ結果生まれる。. しかし、その結果、画面は画家が何かを見たり、感じたりしてからいくっもの工程を踏ん. だ上で出来上がる事になる。その分、理性的にまとまるが、新鮮な感覚や感動が薄れるこ とは否めない。. 二一チェは芸術の性格をアポロン的とディオニゾス的とにわけている。アポロン的なも のが、理性的傾向を表し、ディオニゾス的が、表現的、感情的、情熱的芸術を表す。エス キースを重視する制作スタイルはアポロン的な傾向を持つといってよい。. しかし、このようなじっくり時問をかけてエスキース(準備作業)をする制作スタイル はゾラによって、rいまどきこのような芸術はどんな価値を持ち得るのだろう。・・…. そこに現代社会に対する単なる反動をみる」21)と批判される事となる。では、ゾラの言 う現代社:会に合った制作とはどの様なものを言うのであろうか。また、ゾラの時代の社会. の特徴とは、それ以前に比べてどう変化したのであろうか。そして、その祉会の変化がど のように画家達の制作に影響を与え、ひいてはエスキース、素描のあり方に影響をあたえ たのであろうか。そのあたりを検証してみたい。以下『印象派とその時代£をもとにまと めてみる。. モローの生きた時代(1826∼1898)は社会が大きく変化した時代であった。ま ず一つ前の時代、ドラクロワ、アングルの活躍した時代にフランス革命(1789∼17 97)が起こり、社会の大きな変化があった。フランス革命の後、除々にではあるが、市 民社会が浸透していく。その結果、絵画の発表形式が除々に変化していく。大きな流れと しては19世紀後半から20世紀へと向かう中で、「アカデミック・システム」から「画商・ 批評家システム」への移行が起こる。つまり、「美術アカデミーの権威に基づく制度の枠外. で、既存の価値観と背反する新しい絵画を模索し、友人や画商や批評家などの支援を得て 社会に自らの芸術を承認させようとする、いわゆる『革新派』の画家たち、『前衛的』芸術. 家たちが19世紀中葉から出始めるのである」22)。とあるように美術アカデミーの権威. 20.
(24) に基づく制度の枠外で、作品が発表されたり、収集されたりするようになった。これら、. 画商や批評家、そして、コレクターは個人であり、とくにコレクターは一般の市民であっ た。. アングルに代表される新古典主義の絵画はサロンが主な活躍の場であった。そして、ド ラクロワに代表されるロマン主義もそれまでの絵画から、大きく変化するのであるが、主 な作品の発表場所はサロンであった。そして、次の世代のモローもである。. これらの画家が活躍した時代はいまだ、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)でロ. ーマ賞を受賞してイタリアに留学、サロンに出晶し、美術アカデミーの会員となり、公的 な注文を受けて歴史画を制作する、というのが当時の第一一級の画家への道程である時代で. あり、いまだ画商や美術批評のシステムも萌芽の段階にあった。そのような状況の下では. サロン入選は画家の死活問題であった。美術アカデミーの権威に基づく制度の枠外で、既. 存の価値観と背反する新しい絵画を模索し始める画家が登場するのはモ撰一の次の世代で ある、印象派の時代からであった。この時期になると、芸術の世俗化がおこり、新たなパ トロンとして、中産市民階級が登場してくる。これらの芸術家を取り巻く世界の変化によ って絵画がどのように変化したのだろうか。. まず、印象派の画家たちはサロンの価値観に合わせなかった。サロンの価値観とは「ギ リシア神話や聖書を主題とする伝統的な歴史画(物語画)を、ルネサンス以来の表現様式 で制作するのを理想としていた」23)と言ったものである。ルネサンス以来の表現様式と. は客観的な現実再現である。取り上げる主題は非現実的であるが、視覚的には事物の写実. 的再現がなされている。印象派の絵画においては客観的な現実再現から主体的、写生的な 絵画表現への指向性が見て取れる。. 主観的なものの捉え方は制作者の独創性や個性に重きを置くものであった。. 「彼らを説明する言葉でその性格づけを行いたいというのなら、〈印象主義者〉という新. 語を作り出す必要がある。彼らは風景ではなく、風景によってもたらされた感覚を表現す るという意味において、印象主義者なのである」24)とあるように、それまでより画家が. 何を感じたのか、と言う事が重要視された。そして、その感じた事を表現するための方法 が模索されることとなる。このため、画家にとって、一番身近な、親しみ深い、画家を取 り巻く世界が絵函の主題となった。画家が実際に見て、体験した世界のほうがダイレクト. に画家の感覚に訴えかけたであろう。例えば、モネは《カピュシーヌ大通り》を描き、そ して、ルノワrルは劇場の桟敷席を描いた。またドガは《コンコルド広場》を、マネは《バ ルコニー》を描いた。このように主題の選定においても、彼らが何に親しみを感じたのか、. 何に興味を持ったのか、という画家個人の感覚に重きを置くようになった。この噛らの 個性を通して現実世界を捉え、独創的な表現を展開する」25)姿勢こそ、ロマン派から起 こった絵画における一番大きな変革であると思われる。. このように見ていくと、ロマン派以前からロマン派、ロマン派から印象派への流れのな かで、姿勢としては、絵画が画家にとってより身近な存在となったことがわかる。そして、. 21.
(25) 印象派の画家たちはそれまでよりも、戸外に出て制作するようになった。これはいままで、. スケッチ、つまリエスキースの段階において行われていたことである。チューブ入り絵の 具の発明はこの戸外での制作を容易ならしめた。. このことにより、対象を見ることと、何かを感じること、そして、制作することが同時 進行的に行われるスケッチの即興的な部分が本制作に入り込んでくる。実際、「印象派に対. する当時最大の批判は、スケッチのようなその『未完成性』に向けられていた」26)とあ るように、印象派の作品はスケッチとの類似を指摘されていた。こ.の「未完成性」と印象. 派の表現しようとしたものとは関係があると思われる。「印象派の画家たちは、新古典主義. の考えとは正反対の立場に立って、何よりもまず「一時的なもの、うつろいやすいもの、. 偶然的なもの」の瞬間の姿をカンヴァスの上に定着しようと試みたのである」27)。とあ るように印象派の画家たちは下一時的なもの、移ろいやすいもの偶然的なもの」を表現し ようとした。そして、これらに共通する特徴はその「不安定さ」であった。この特徴は「あ. くまでもきちんと塗って完成作を目指すべきというアカデミックな基準」とは一致しない. 考え方である。それどころか、画面をr完成させる」という安定した状態すら拒否する方 向性を内包しているのではなかろうか。. 批評家シェノーのモネの《カピュシーヌ大通り》に対する批評を見てみると、「捉えがた. いもの、移ろいやすいもの、動きの瞬問性が驚異的な流動性の中で捉えられ、定着されて いる」ことを賞賛しつつも近づいて見たときの完成度の低さをrそこには芸術の『絵画と. いう』この芸術自体の最後の言葉はない。その書葉が下絵を完成作に変貌させるにいたら. なければならないのだ」28)と批判している。この批評の中ではアカデミックな基準と印 象派が求めた、感覚や捉えがたいものを重視する姿勢とが衝突している。. このような「未完成」な印象は、発展途上で連続的な状態が持つ動感や、さらに外に広 がる生命の躍動感や新鮮さを感じさせる。このように、印象派以後、本制作の中にエスキ. ースの要素が取り入れられることとなる。これらの流れから、エスキースと本制作との位. 置関係が多様になった。このことにより、それまでエスキースのために存在した素描画材 の新たな可能性が注目されることとなる。画家達は自らの個性や感覚に根ざした表現を求 め、それにあったいろいろな画材を模索するようになる。このような原因から印象派以降、. 素描画材による多様な作品が生み出されるようになっていく。. 22.
(26) 第3節 西洋と東洋におけるエスキースの捉え方の違い 本籔では日本画の歴史やその制作過程を調べ、その上で、西洋のエスキースと日本のエ スキースとの違いを検証していく。. 江戸時代まで、日本は鎖国しており、西洋の絵画が日本に入ってくるのは、明治に入っ. てからであった。それまでは、日本や東洋に独自の絵画が発展していた。日本においては のちに「日本画」と呼ばれることになる膠をメディウムとした表現方法である。絵画の描 面材料は世界中で現在ほど行き来出来ない時代においては、その国で産出する事の出来る. 材料か比較的貿易の歴史のある近隣諸国のものを使っていた。そこで、その国の土地や風 士にあった、画材と作品が生み出されることとなった。. そこで西洋の油絵と比較しながら日本画の特徴を考えてみる。まず、日本画の基底材は 和紙である。そして、油絵の基底材は基本的にキャンバスである。キャンバスのほうが丈 夫である。そして、描爾材であるが、日本画においては、岩絵の具であり、油絵において は油絵の具である。油絵の具は上から、描いたり、消したり出来る。それも、際限なくで きる。しかし、日本画の場合は、その基底材にもよるが、あまり、上から違うモノを描く こ・とは出来ない。ここで気が付くことであるが、この日本画の画材の性質は油絵の具に対. するフレスコ壁画の性質に似たものがある。両者の共通点は本制作において、描き直しが 出来ないと書う点である。. フレスコ壁圃に比べると日本画の画材は多少の描き直しは出来るのであるが、やはり油 絵の具に比べるとその範囲は非常に少ない。この画材の性質はその制作過程や制作そのも のに対して決定的な影響を与える。石踊紘一が「西洋の絵画も、ルネッサンス以前は〈日. 本画と〉ほぼ同じような表現様式をとっていました。描かれているもの、世界は異なって いても、残されたテンペラ画やフレスコ画にその例をみる事が出来ます」29)と言ってい るようにフレスコ壁画と日本画は色々な違いはあるが、共通点もあった。 しかしフレスコ画においてはルネサンスの時期に自然再現的な方向へと進み、目本画と. の共通点も希薄になった。このように考えると日本画においても自然再現的な作晶は描け るのかもしれない。しかし日本画が基本的に自然再現的な方向性を持たなかったのはその. 画材が本来自然再現的な表現に向いていなかったこともその原因のひとつであろうと思わ れる。また、目本の思想や風土も関係している。ここではまず、日本画の画材を調べてみ. る。以下、1980年4月増刊号の美術手帳をもとにまとめておく。. 念紙 日本画は油絵に比べて、画面上での線の描き直しや、彩色の塗り直しがしにくいため、. かつては、絵に至るまでに、小下図、下図と、自己の構想を充分に消化したのち、本画と 同寸の大下図を作り、それをもとに本紙に写して、初めて線描きに入っていた。. このため、最初の構想が何度も吟味されるという長所は持っているが、逆にいきなり本. 23.
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