第1章では絵画史におけるエスキースの捉え方の変遷を見てきた。続いて本章では具体 的にそれぞれの時代の作家を取り上げ、どのように制作を進めていたのか、エスキースを
どのように利用していたのか見ていくこととする。このことによりその時代における制作 の進め方の概観を捉えることができる。更に、時代によっても区別はされるであろうが、
作家個人の特徴によっても制作プロセスに独自性があらわれる。その中でエスキースがど のような扱われ方をしているのかを考察してみたい。まず、どのような基準で作家を取り 上げるか、という事が間題となる。そこで取りあげたい作家の特徴を列挙してみる。
●制作前にエスキースを描いている。
●段階的に厳密にエスキースを描いている。
●エスキースを描いているがそれほど厳密ではない。
●描いている世界が非現実的である(シュールレアリスムなど)。
●本制作にもエスキース的、素描的な要素を取り入れている。
●描いている世界が現実再現的である。
● ロマン主義 ●象徴主義
●特徴のあるエスキースの扱いをしている。
第1項 ドラクロワ
図1《サルダナパールの死》1827年 油彩 395×495c皿
ルーヴル美術館蔵
《サルダナパールの死》を見てみる。随分大きな画面である。これだけ大きな画面であ ると数多くのエスキースを必要としたであろうと思われる。完成作は細部までよく描き込 まれている。上部はそれほど描き込んでいないが、画面下半分は特に入念に描き込まれて いる。例えば下中央部や右端の装飾品などは想像だけでは描けないと思われる。恐らく部 分的なスケッチが存在するであろう。中央やや右よりの裸婦のための習作がある。完成作 とほぼ同じポーズである。足元の白い布も既に描かれている。このため全体の大まかな構 図が決まってから、部分をより煮詰めるために描かれたエスキースであろう。画材はパス
テルを使っている。大きさは40×27cmである。
図2《サルダナパールの死》
のための習作
パステル 40×27c皿
一般的にパステルは細部の描写に適していないので、このサイズはのびのびとパステル の線や調子を扱うにはふさわしいものと思われる。パステルの柔らかい調子と線を上手く 使っている。形やポーズを確認する意味が強いのであろう。指先まで丁寧に形を追いかけ ている。しかし色彩は感覚的で美しい。
《サルダナパールの死》のためには油彩でもエスキースが描かれている。大きさは81
×100cmである。比率は本制作(395x495cm)と同じである。画面の縦と横
の比率が変わればイメージも大分変わる。そのため、エスキースにおいても厳密に同じ比 率を守ったのであろう。特に大きな作品は比率のズレが大きくなるので比率を合わせる必 要があると思われる。比較的大きなエスキースであるが、本制作の大きさを考慮に入れる と納得がいく。画面中央部の短刀を喉に突きつけられた女性のポーズが本制作と大分違う ところを見ると先に挙げたパステル画より前の段階のエスキースであると思われる。
図3《サルダナパールの死》
のための習作
1827年 油彩 81×100cm
本制作に比べると筆触が荒い。この下絵においてはこの場面の全体的なイメージを探る ことに神経を注いでいるようだ。そのため、完成作よりいっそうなまなましい現実性を帯 びている。そして、その現実性をあらわすために色彩が扱われている。そのため、この場 の雰囲気と色彩の一致と言う点ではエスキースの方が勝っているのではなかろうか。完成 作においては部分的な細部の描写や色彩の美しさがより追及されている。
ドラクロワの《ライオン狩り》を見てみる。完成作が175×359c mの油彩で、エ スキースが、86×115cmの油彩である。
図4《ライオン狩り》1855年 油彩 175×359㎝
《ライオン狩り》は「百獣の王といわれるライオンと人問との命をかけた死闘を主題と したもので、ドラクロワのロマン派的気質をよく示している」1)とあるように激しい主題 である。この完成作はボルドー美術館に所蔵されており、後にルドンによって模写された
が、その後1870年、ボルドー市庁舎の火災の際、上方3分の1ほどが焼失してしまっ
た。このため、掲載した完成作の写真は上3分の1がない。本制作は大きな画面である。そのためかエスキースも比較的大きな画面である。エスキースのほうはあまり厳密に描写
図5《ライオン狩り》下絵 1854年 油彩 86x115c皿
していない。非常に自由に描いている印象がある。しかし上3分の1が焼失しているので 下画面だけで判断するが人物やライオン、馬の配置はほぼ完成作と同じである。大まかな 色彩の配置もこのエスキースで決まっている。「とくに下絵の方は、画面全体が燃えるよう な赤に包まれ、ドラクロワの噴出する情熱の激しさを物語っている」2)とあるが、まっ たくそのとおりである。いきなり油彩でエスキースを描くとは思えない。また、見たとこ ろ油彩のエスキースはあまり厚塗りがされておらず、執拗に形を描き直した形跡もない。
そのため、これ以前の段階に全体的なエスキースが存在すると推察できる。このエスキー スは大まかな構図を決めることを目的に描かれたものであろう。このエスキースの後に部 分的なエスキースが続くものと思われる。
次にドラクロワの《キオス島の虐殺》
を見てみる。
図6《キオス島の虐殺》
1824年 油彩
417×354cm
ルーヴル美術館蔵
完成作(417×354c m)が油彩で,エスキース(33・8×30)は水彩である。
完成作の方が縦に少し長い比率となっている。このエスキースは大まかな構図では完成作 と似ているが,人物の配置などで本制作と大分異なる所がある。
図7《キオス島の虐殺》(下絵)
1824年水彩 33.8×30cm
例えば、バックの空は完成作の方が広くなっている。また、エスキースにおいては画面 左上に赤いマントをきた後ろ向きの人物が立っているが、完成作においては消えている。
また、エスキースの画面右上にある遠景の丘は完成作においてはさらに遠く小さくなって いる。これらのことからこのエスキースはかなり初期の制作段階におけるエスキースであ ると思われる。
図8《墓地の若い孤児》1824年
油彩 65×54cm
前にあげた油彩によるエスキースに比べて構図が完成作と隔たりがあるということから
この水彩のエスキースの後に油彩のエスキースがくるのかもしれない。
この《キオス島の虐殺》のためにドラクロワは部分的な下絵も描いている。それが、《墓 地の若い孤児》油彩(65×54c皿)という下絵である。「《キオス島の虐殺》のための下 絵の一つとして、同じ1824年のサロンに出品された… 」3)とある。背景の空など、
本制作と類似した所があるが、直接的には同じような女性が本制作には登場していない。
キオス島の虐殺のエスキースを描く過程で独立した一つの作品として捉えられるものかも
しれない。
これまで大作ばかり見てきたので少し小さい作品も見ておく。ドラクロワの《ユダヤの 結婚》(油彩、105×140cm)のエスキースである。《タンジールの家の中庭》という 水彩のエスキース(20,7×29,4c皿)である。
図9《ユダヤ風の結婚》
1839年頃 油彩 105×140(⊃m
本制作が比較的小さいのでエスキースも小さい。モロッコ旅行の際にユダヤ人家族と親 しくなり、ユダヤ風の結婚式に招かれてその場所を描いたものとされている。このエスキー スはスケッチであろう。恐らく現場で描いたと思われる。この水彩は1832年に描かれ たものであり、油彩画が1839年頃とある。その間に7年の隔たりがあるが、このよう
図10《タンジールの家の中庭》
1832年水彩 20.7×29、4cm
にいろいろスケッチをためておレ
あったようである。この場合は構想があってからエスキースを行うのではなく、常日頃の スケッチから構想が立ち上がる、という場合であろう。この水彩画はその場の雰囲気をよ く伝えている。素早く描ける彩色画材としての水彩絵の具の特徴を上手く使っていると言
える。
第2項ギュスターヴ・モロー
ギュスターヴ・モローの《ヘロデの前で踊るサロメ》のための習作を見てみる。モロー は自らを「歴史画家」と自認していた。たいていの場合その作品は歴史の一場面である。
そのため実際に見たものではないが明確な対象や世界は存在する。これらの世界をリアル に表現するためにモローはいくつものエスキースを描いている。大体の構図は比較的初期 の段階で決まっていたようである。ここに大まかな構図をいくつか取りあげてみる。これ
らのエスキースは大まかな構図と光の階調を求めて描かれている。
図11《ヘロデの前で踊るサロメ》のための習作
イタリア石 8,8×5,5cm
萎
・四{
図12《ヘロデの前で踊るサ ロメ》のための習作》
鉛筆 12,2×8.9c m
非常に大まかな構図であり一見した所何を描いているのか判然としない。しかしよく見 てみると完成作と同じ配置になっている。何よりもまず光の流れを捉えることに主眼が置 かれている。しかし薄ボンヤリしていてまだ雰囲気を捉えている段階である。描画材はイ タリア石を使用している。大きさが8。8×5.5cmである。一番初期のエスキースなのでは