J・S・ミレ
ノ一消極的自由 の社会主義観︵二︶
︵一五︶︑自由論︵二〇︶
大 谷 恵 教
J・S・︑ミルの社会主義に対する立場について述べる前に︑もう少し共産主義や革命的社会主義に対するかれの批
判に関して︑主として﹃社会主義論﹄を中心に︑論じてみたい︒
ミルは︑ルイ・プラン︑オーウェン︑コンシデランらの諸説を詳細に紹介して︑社会主義の説くところを明らかに
すると同時に︑それに対するかれ自身の立場をできうる限り明らかにしている︒ ︵1︶ まず社会主義者たちの〃自由競争観であるが︑ルイ・プランは﹁競争は︑人民にとって︑絶滅の制度である﹂︑ ︵2︶﹁労働老の見地からみて競争とはいかなるものであるか︑それは労働の競売である﹂︑﹁無制限競争の制度の下では︑
不断の賃金低下は例外的な事情ではなく︑必然的︑一般的な事実である︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝このようにして︑結局は
一定数の労働者の追い出しをもたらす制度的な賃金の低下は︑無制限の競争の不可避的な結果である︒それは労働者 ︵3︶階級が互いに絶滅しあわなけれぽならない産業制度である﹂︑﹁アダム・スミスおよびレオン・セi一派の経済学者に
よれぽ︑安価は︑無制限競争の諸長所が要約されているらしい語である︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝安価は︑消費性にとって
有利であるが︑その代りに生産者の間に破滅的な無秩序の種子を蒔く︒安価は︑いわぽ︑生産者中の富める者が貧し
早稲田社会科学研究 第36号(S63.3)
27
い競争者を打ち殺す槌である︒安価は︑勇敢な投機業者が勤勉な労働者をおびきいれる罠である︒安価は︑富める競
争者なら容易に手に入れうる機械の買い入れに投ずべき金のない小規模の生産者にとっては︑死刑の宣告である︒安
価は︑独占の掌中においては調法な道具である︒それは小製造業者︑小店主︑小所有者を吸収する︒それは︑一言で
いえぽ︑少数の産業的寡頭支配者の利益のために中産階級を破滅させるものである︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝競争制度の下
においては︑安価は一時的な謬った利益にすぎない︒それが維持されるのは闘争が存在する間のみであって︑富める
競争者が貧しい競争相手を駆逐し終るや否や︑価格は上昇する︒安価が高物価に導くのと同じ理由で︑競争は独占に
導く︒このようにして諸生産者間の競争の武器として利用されてきたものが︑早晩︑諸消費者間の貧困化の原因とな
る︒そしてもしもこの原因に︑われわれがすでに挙げてきた他の諸原因1そのなかで人口の増加が第一位に挙げら
れなければならないが一を附け加えるならぽ︑われわれは消費者大衆の貧困化を競争の直接の結果として認識せざ ︵4︶るをえなくなるであろう﹂︑﹁しかし他方において︑需要の源泉を凋らすこの競争が︑また生産を刺戟して供給過剰に
陥らしめるものである︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝すなわち︑競争は必然的に供給を増加し︑消費を減少さす傾向がある︒し ︵5︶たがってその傾向は︑経済学によって求められているものの正しく正反対のものである﹂︑﹁⁝⁝︵中略︶:⁝・われわ
れはあの恐るべき道徳的頽廃について何事も語らなかったのである︒何事も金銭つく之なってしまって︑競争は思想
の世界に侵入している︒工場は仕事場を圧倒し︑派手な会社がみすぼらしい店を吸収し︑自分自身の主人公である職
人は日傭労働者に地位を奪われ︑黎による耕作は鋤による耕作にとって代り︑貧乏人の田畑を金貸に対する屈辱的な
従属の下に陥れた︒破産は増大し︑製造工業は信用の無統制な拡大によって︑なにびとも︑たとえ悪党でさえも︑勝
つ自信のないような賭け制度に変化してしまった︒ 一言でいえぽ︑広汎な混乱が︑嫉妬と不信と憎悪とを惹き起こ
28
J・S・ミルの社会主義観(二)
し︑あらゆる寛大な憧憬︑あらゆる信仰︑自己犠牲︑および詩心を少しつつ圧殺していくと推定される一これがす ︵6︶なわち︑競争の原理の適用によってえられた結果の︑恐ろしく︑しかもあまりにも忠実な描写である﹂と断じている
ことをミルは指摘している︒このルイ・プランの説を要約すれば︑自由競争は︑労働賃金を低下させ︑中産階級を没
落にいたらしめ︑ますます労働者階級や農民を貧困に陥れ︑大資本の独占を招来して︑大資本のみをいよいよ有利に
するのだ︑ということになる︒
このようなルイ・プランをはじめとする共産主義者や革命的社会主義老たちの自由競争観に対して︑︑ミルは︑かれ
らが不完全で一面的な理解しかもっていないことを指摘して︑﹁次に考察しなけれぽならないことは︑社会主義者は
一般に︑そしてかれらのなかのもっとも知識の進んだ者でさえも︑競争の作用についてはなはだ不完全かつ一面的な
理解しかもっていないことである︒かれらはその結果の半分のみを見て︑他の半分を見逃している︒かれらは︑それ
を各人の報酬を粉砕するための動力だ︑と思っている︒すなわち︑各人をしてかれの労働に対してより少い賃金を︑
あるいはかれの商品に対してより少い代価をえざるをえないようにさせているものと思っている︒このことは︑各人
が自分の労働もしくは商品をある独占老に対して売らなけれぽならず︑競争がまったく一方的である場合にのみ︑真
実である︒だが︑かれらは次のことを忘れている︒すなわち︑競争は低い価格と価値との原因であるのと同様に︑高
価格と高価値との原因でもある︒労働と商品との買い手は︑その売り手と競争するのと同じように相互の間で競争す
る︒そして労働と商品とを現在のような低位においているのが競争ならば︑それがもっと低落するのを妨げているの
もまた競争なのである︒実際︑競争が両方の側で完全に自由ならぼ︑その傾向はとくに商品の価格を上げるとか下げ
るとかというものではなくて︑平等ならしめるものである︒つまり報酬の不平等を均らし︑すべてを一般的平均に帰
29
着させる傾向があるのであって︑このような結果は︑実現されている限りでは︵もちろん︑はなはだ不完全ではある
が︶社会主義の原理からみて望ましいのである︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝一面において競争はまた︑賃金に依存する人びと
にとり大きな利益になるように︑賃金が支出される商品の価格を引き下げるという効果をあげるに違いないというこ
とがわかるであろう︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝どんなに富める競争者でもかれの競争相手の全部を片づけてしまって︑市場
の独占的支配権を樹立するようなことはないし︑またありえない︒そして従来多くの人びとの間に分割されていたど
んな工業あるいは商業の重要部門でも︑少数者の独占となること︑あるいはなる傾向を示すようなことは︑事実では
な匝と述べ・社会主義者たちの畠競争は必然的に独占に導くという独占理論が事実に反する・とを力説して︑完
全な自由競争が行なわれるならぽ︑生産も拡大され︑分業と協業や生産技術の向上などによって生産費も引き下げら
れて価格も低下し︑したがって労働者が消費する場合に少ない支出で済むゆえ︑究極的には労働者の利益になる︑と
ミルは考えたのである︒
次に︑前述のように共産主義老や革命的社会主義者は労働者階級貧窮化論を唱えたのであるが︑右のように自由競
争が究極的には労働老の利益になるならぽ労働老階級の貧窮化はありえよう筈もなく︑・・ル自身﹁あらゆるヨーロッ
パの国ぐににおける普通の労働の賃金が︑住民の肉体的︑精神的必要をなんらか我慢できる程度に賄うのにはひどく
不充分であるということは︑遺憾ながら事実である︒だが︑一歩進んで︑この不充分な報酬さえも減少する傾向をも
つ︑すなわちルイ・プラン氏の言葉によれぽ︑賃金の継続的な低下があると主張するのは︑すべての正確な報告と多
くの顕著な事実とに反するのである︒文明世界に︑貨幣か消費財かで計量された通常の労働賃金が低落しつつある国
があるということは︑いまだ証明されていない︒むしろ多くの国ぐにでは︑概して騰貴しつつあり︑その騰貴は緩く
30
J・S・ミルの社会主義観(二)
︵8︶なるよりはますます速まりつつある﹂と断じて︑社会主義たちの主張とは反対に︑労働者の賃金は不充分ながらも多
くの国ぐにで騰貴しつつあり︑しかもそれはいよいよ速まりつつあるという事実を指摘している︒
また︑低賃金の原因の一つの大きなものとして︑当時過度に急速な人口増大が挙げられていたようであるが︑︑ミル
は︑ルイ・プランもこの点を指摘していることを取り上げ︑しかもその間違っている点と注目すべき点について﹁ル
イ・プラン氏は︑低賃金と過度に急速な人口増加との間の関係を認識しているだけに︑レヴェラーズや民主主義老な
どの旧学派よりはるかに知識が進んでいることを明らかだ示しながらも︑はじめにマルサスやその弟子たちが犯した
のと同じ誤謬に陥ったように思われる︒すなわち︑人口は生活資料よりも大なる増加を有するゆえに︑その生活資料
に対する圧力は常にますます激烈になっていくに違いないという誤まりが︑それである︒ただ異なるところは︑初期
のマルサス主義者はこれを阻止しえない傾向と考えたのに反して︑ルイ・プラン氏はこの傾向は共産主義制度の下で
のみ阻止しうると考えていた点である︒人口過剰に向う傾向は︑現行社会秩序と同様に共産主義もまた直面しなけれ
ぽならなくなる一事実である︑ということがわかってくるとき︑真理のために偉大な一点が加えられたことになる︒
そしてこの必然性がすべての現在の社会主義諸学派のもっとも重要な領袖たちによって認められることは︑はなはだ ︵9︶喜ぶべきことである﹂と論じると同時に︑オーウェンやフーリエもこの問題を認めて︑この難問を処理するとくに卓
抜した能力をかれらの制度に対して要求した点を紹介した後︑しかしこの人口の圧力の問題は文明の進歩がそれを減
少させる傾向をもっていることを説いて︑﹁経験の示すところでは︑現行の社会秩序にあっては︑低賃金の主原因で
ある生活資料に対する人口の圧力は大きな害悪ではあるが︑これからますます大きくなっていくような害悪ではな
い︒むしろ逆に︑およそ文明と称せられる事柄の進歩はそれを減少させる傾向をもっている︒すなわち︑一つには︑
31
労働を雇傭し維持する手段の増加がますます速くなっていくこと︑また一つには︑労働を新しい国ぐにや未開拓の雇
傭分野へ運搬するために労働によって利用される便益が増加したこと︑さらにまた一つには︑人民の知性と零墨とに
おける一般的改善によってである︒たしかにこの進歩はのろい︒しかしこのような進歩は大いに行なわれなければな
らないものである︒にもかかわらず︑今のところわれわれは全人民の教育のための公けの運動の第一段階にあるにす ︵10︶ぎないのであって︑もしもこれがもっと進展すれぽ︑上に述べた改善の二原因の力を大いに強めるに相違ないしと述
べている︒
なおまた︑ミルは︑どんな社会形態が生活資料に対する人口の圧力を効果的に処理するのにもつとも大きな力をも
つかという問題にも触れて︑﹁この問題については︑社会主義にとって有利な点が多くあって︑久しくその最大の弱
点と考えられていた点も︑恐らく︑その最大の長所の一つであることが明らかになるかもしれない︒しかし社会主義
は︑人口過.剰をつくり出す貧困の特殊な傾向によって︑人間集団が一般的にかつますます多く堕落していくのを阻止
するための唯一の手段とみなされるべき正当な資格はない︒現在構成されているような社会は︑そのような深淵に落
ちこんでいきつつあるのではなくて︑ゆっくりではあるが次第にそれから向上しつつあるのであって︑この改善は︑ ︵11︶もしも悪い法律の干渉を受けなけれぽ︑前進していくであろうと思われる﹂と論じて︑社会主義が唯一の手段とみな
されるべき正当な資格はなくて︑当時の社会でも改善しうることを指摘している︒
第三に︑ミルは︑社会主義者たちの実業家に利潤や報酬を与えることに対する反対を否定して︑﹁資本自体がかれ
自身の需要でなく労働者の需要を充たすのに用いられるという条件で︑それがかれに対して生み出すにすぎない利潤
だけを︑かれは受け取るのである︒かれ自身の分前としても︑僅かの部分だけが資本所有者としてのかれに帰属する
32
J・S・ミルの社会主義観(二)
︵12︶にすぎない﹂︑﹁〃高利反対の叫びには︑労働者階級の辛い重荷に対する叫びほどの理由はほとんどないのである︒
したがって︑製造業者やその他の実業家たちがかれの資本からえる利潤のうち三パーセントにもならないものは︑資
本自体に帰属されてよい︒もし亘りにかれがこれの全部を労働者に対して−労働者はすでに︑年々再生産されてい
く資本の全体を自分たちの問で分けているのである1与えてしまうことができ︑また喜んでそうするとしても︑か
れらの週賃金の増加は大したものではないであろう︒かれが三パーセントを超えて取る部分のうち︑大部分はかれが
富むる惧れのある様々な損失に対する保険であり︑安全.に自分自身の用に立てえないものであって︑このような損失
がおこったときそれを補うために保留しておかなけれぽならないものである︒残金はかれの熟練と勤勉に対する本来 ︵13︶の報酬1かれの管理という労働の賃金である﹂と主張して︑利潤は資本に対する利子であると同時に事業のリスク
に対する保険であり︑また管理という労働に対する賃金であることを指摘している︒
第四に︑︑ミルは︑暴力革命や激しい階級闘争や極端な計画の無謀な実現などを主張する過激な社会主義に対する反
対の立場を鮮明にしている︒すなわち︑かれは当時のイギリスの労働老階級の目的達成の方法に関して言及して︑
﹁かれらがその集団的選挙権をかれらの集団的目的の促進のために有効適切なものとさせる手段を発見するであろう
ということは︑政治上のいかなる事情にも劣らず確実である︒そしてかれらがそれを行なうに当っては︑法律的︑憲
法的機構の利用に不慣れな国民によくあるような︑無秩序で効果の上らない方法で行なうことはないであろうし︑ま
た単なる平等化本能の衝動によって行なうこともないであろう︒その手段としては︑出版物︑公的集会︑および団
体︑また労働者階級の政治的目的に貢献することを誓った人びとをなるべく多く議会に送るという方法が用いられる
であろう︒この政治的目的それ自体は︑一定した政治上の主義によって決定されるであろう︒なぜならば︑政治は今
認
や労働者階級の見地から科学的に研究されており︑そしてとくにこの階級のために考えられた諸々の意見が体系や信
条にまとめられ︑従前の思想家たちのつくり上げた体系と同じ権利をもって政治哲学の壇上に乗り出す資格を要求し
ている︒もっとも肝要なことは︑すなわちあらゆる思慮深い人びとがこれらの民衆的な政治信条が一体いかなるもの
かを早くから考慮に入れなけれぽならないことである︒また︑これらの信条の各箇条は研究と討議によって充分明ら
かにしなければならない︒ぞうすれば︑時機が熟したとき︑そのなかの正しいものは一般の同意によって採用され︑
正しくないものは排斥され︑そして古い人びとと新しい人びととの間の物質的のあるいは単に精神的だけの敵対的抗
争は行われないので︑位田の最善の部分が更新された社会組織において結合されるであろう︒肉体的暴力によっては
遂行されないこのような偉大な社会的変革の並みの足取りでいけぽ︑われわれはなお一世代を歩まなけれぽならない
が︑この一世代をうまく利用するか否かによって︑社会制度を人間社会の変化した状態に適合させることが賢明な洞
察の仕事ともなるし︑対立する偏見の抗争の仕事ともなるのである︒もしも重大な問題が無謀な変革と変革に対する
無謀な反対との間で結末がつくまで争うがままに任せておかれるならぽ︑人類の将来は重大な危険に瀕するであろ
︵14︶う﹂と述べて︑慎慮と賢明な洞察とをもって︑研究や討議をはじめとする民主的な方法により︑古い人びとと新しい
人びととが協力して改善していくべきであることを力説して︑肉体的暴力や階級間の闘争に強く反対している︒
そして当時のイギリスの労働者階級の指導者の穏健性と漸進主義をも指摘して︑そうあるべきことを︑﹁恐らく︑
イングランドにおいてさえも︑比較的すぐれたかつ活動的な労働者階級の指導者は︑普通はその個人的信条において
はなんらかの種類の〃社会主義者であるであろう︒もっともかれらは︑大部分のイギリスの政治家と同様に︑人類
の根本思想上の大変化は強襲︵8二〇〇①ヨ巴昌︶では達成できないものであるということを︑かれらの大陸の同志以上
34
J・S・ミルの社会主義観(二)
によくら得ているので︑かれらはその実際上の努力を比較的実現の容易と思われる目的に向けて︑その同じ原理の部
分的規模での作用が経験されるまでは︑あらゆる極端な理論を甘んじて差し控えている︒イギリスの労働者階級の性
格が今後も引き続きこのようであるならぽ一一般にイギリス人はそうであるが一︑かれらは外国の社会主義老の
ある人びとのように向う見ずのことはあるまい︒外国の社会主義者のなかには穏健なスイスにおいてさえ︑後の再建
は自然の成り行きにまかせて︑ただまず顛覆をやりさえずれば満足だと揚言している者がいる︒そして顛覆という語
でかれらは全政府の全滅だけでなく︑一般的利益のために利用すべく︑あらゆる種類の財産を所有者の手からすべて ︵15︶取り去ることを意味しているのであるL︑﹁イギリスの労働者階級の指導者たち一かれらのジェネヴァおよびバーゼ
ルの会議における代表者が︑そこで示されたような実際的常識の最大部分を寄与したのである一は︑古い社会の代
わりにいかなる形式の社会を樹立するべきかについて判断もつかないのに︑わざわざまず混乱をもってはじめようと ︵16︶するものではないらしい﹂と述べている︒
またミルは︑社会主義者を二つの種類に分ち︑第一の種類のものはその新社会秩序のための案が村落共同体あるい
は都市の規模に立つものであって︑自動的な単位を増加することによってこれを全国におよぼしていこうとするもの
であり︑この種類に属するのはオーウェン︑フーリエ︑一般に比較的思慮深く哲学的な社会主義老の体系であり︑第
二の種類のものはイギリスよりもむしろ大陸の産物であって︑革命的社会主義老と称せられるべき人びとであるが︑
かれらはもっと大胆なやり方をしょうと考えており︑かれらの案は国の生産手段を一個の中央権力︑一般的政府によ
って管理しようとするものであり︑そしてそのような意図をもつかれらのなかのある者は︑労働者階級あるいはかれ
らを代表する誰かに国家の全財産を掌握させ︑それを一般的利益のために運営させるのが︑自分らの目的であると告
35
白している・と論じてい菊そしてこの第二の種類の社会中華の難点について︑−ルは﹁その目的は︑奉に旧い
体制に代えるに新しい体制をもってしょうと︑現制度の下で実現させる幸福の量とその大きな改善の可能性とを見限
って︑社会機構を従来ずっと動かしてきた衝動を用いずに社会生活の運営の全体を遂行していこうという︑きわめて
極端な形の難問のなかへなんの用意もなく飛びこもうとすることである︒いまだいかなる実験的検証によっても裏書
きされていない自分だけの個人的見解を頼りにしてこのような勝負をやろうとする人びと一いま快適な物質的な生
活を送っているあらゆる人びとから︑かれらがこのような生活を維持していくために現在所有している唯一の手段を
無理矢理に奪い取って︑もしもこの企図が反抗に遭えば起こるであろうところの恐るべき流血の惨事を敢えて冒さん
とする人びと一このような人びとは︑一方では自分自身の知恵に対する確乎たる自信︑他方には他人の苦しみに対
する冷淡 従来︑これらの二つの素質を模範的に備えた人物とされたロベスピエールやサン・ジュストすら顔負け
するような一をもっているに相違ないと認めなけれぽならない︒にもかかわらず︑この案のほうが︑これに比すれ
ばもっと用心深く理論の整った形態の社会主義がもたないような︑非常に評判のよい要素をもっている︒なぜなら
ぽ︑それをやると公言することを迅速にやることを約束し︑熱心家に対して自分たちの宿望の全部が生前にしかも一 ︵18︶挙にして実現されるのを見ることができるであろうという希望を与えるからである﹂と論じて︑過激で極端な社会主
義は一見聞こえはよく思われるかもしれないが︑しかしその実は理論的に不整備で浅薄であり︑しかも流血の惨事や
他人の苦しみをいとわない非常な残酷さと冷淡さをもっていることを指摘している︒
そしてミルは︑革命的社会主義に関する結論として︑﹁国家の生産的資源を個人的でなく公共的機関によって管理
しょうとする様々な計画は︑審理を必要とする︒そして︑これらの計画のなかの幾つかは結局において︑それらが現
36
J・S・ミルの社会主義観(二)
在の制度よりも優れているという主張を裏書きすることができるかもしれない︒しかし現在のところ︑それらは人類
のなかの優秀な分子によってのみ遂行されうるものであって︑それらが前提しているような改善された状態まで人類
一般を訓育し上げる力を︑それらがもっているか否かをいまだ明らかにしていない︒もちろん︑国家の土地と資本と
の全部を取り上げ︑直ちにそれを公的責任において運営していこうと目指すところの︑一段と野心的な計画について
は︑もっと怪しいといってよい︒現在の所有者に対し不公平であるという点を別としても︑一国の全産業を一個の中
心からの指導によって運営するという考え方自体が︑すでにあまりにも幻想的であるので︑それをどのようにして遂
行すべきかという方法を敢えて提案する老は一人もいない︒そしてもしも革命的社会主義者がかれらの当面の目的を
達し︑実際に国家の全財産を一手に握ったならぽ︑それをいくつかの部分に分けて︑その各部分を小さい社会主義的
社会の運営にゆだねる以外には︑かれらのそれに対する支配権を行使するべき方法はないであろうということはほと
んど疑いの余地がない︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝社会主義老自身の意見によれぽ︑社会主義の成功に欠くべからざる性質に
関する限りでは︑やはり現在の社会状態によって深刻に堕落させられている多数の人びともまたこのなかに含まれ
る︒いうまでもなく︑このような条件のもとに社会主義を採用すれば︑悲惨な失敗以外の結果はえられないであろ
う︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝あまりにも多くの革命的社会主義老を駆り立てている原理は︑憎悪であろうからである︒⁝⁝
︵中略︶⁝⁝かれらは混沌のなかより良い秩序が生まれるものと期待しており︑またもっと漸進主義的な改善につい
て絶望の結果焦燥を感じているからであるQかれらは混沌が一つの〃秩序の建設においてはきわめて不利な出発点
であること︑そして多年にわたって闘争︑暴力︑および強意による弱者への専制的圧迫が介在するに違いないことを
知らない︒かれらは︑かれらが人類をホッブズによって︵﹃リヴァイアサソ﹄第一部︑第十三章︶あのように力をこめて描
37
かれた自然状態一そこでは各人はすべて敵である一に投げこむことを知らない︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝もしもいわゆ
る文明世界のもっとも貧しくもっとも惨めな成員が︑文明生活の崩壊によって生み出される最悪の形態の野蛮状態に
おいてはこのようであろうかと思われるような悪い状態にあるならぽ︑かれらを向上させる道は他のあらゆる人びと
を同じ悲惨な状態に落とすことである︑などという結論は出てこない︒むしろ反対に︑こんなにも多くの他の人びと
がこのような一般的運命を免れているのは︑最初に抜け出た人びとの援助によるものであって︑同じ過程をもっと良
く組織化する・とによ・てのみ︑やがて残余の人びとをも向上させることができようと期待しうるであろ鴻と述べ
て︑革命的社会主義の幻想性︑憎悪の原理︑専制的圧力︑破壊性などを批判している︒
38
註︵1︶ トω.ζ三・Oげ9︒葺①﹃ω§ω09四房ヨーOo=09①α芝︒鱒ωo︷甘ゴ昌Q◎ε費け竃崔噛く︒ド<話Pδ胡燭d旨く.o︷
団8のω℃O・刈一①.
︵2︶ ぎ崔二U為ミ・
︵3︶ 剛げ置.
︵4︶ぎζ︑弓・コ︒︒・
︵5︶守ζ唱戸コO.
︵6︶同三F
︵7︶Hげ苓嫡旨為b︒⑩点ωO.
︵8︶ 一げ置二づP謬刈IGQ・
︵9︶守置二P刈卜︒︒︒.
︵10︶ ま達二刈トニP ↓03三〇
︵11︶︵12︶
︵13︶︵14︶
︵15︶
︵16︶
︵17︶
︵18︶
︵19︶ 国σ達.H三α二図三畠二一三住二一三α二一げ置・一σ達二一σ達二一び凶ら二 やお心・刈ω9噂O︒刈O刈1CQ●噂・8㊤・ロ気Q︒刈●娼や・刈ω刈1QQ・
OO.↓幽OQI㊤・
J・S・ミルの社会主義観(二)
39