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サッチャー主義−社会民主主義的コーポラティズム の終焉−覚え書き

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サッチャー主義−社会民主主義的コーポラティズム の終焉−覚え書き

著者 元山 健

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 34

号 1

ページ 43‑64

発行年 1985‑11‑25

その他のタイトル A Note on Thatcherism −The End of the Age of Social‑Democratic Corporatism−

URL http://hdl.handle.net/10105/2200

(2)

奈良教育大学紀要 第34巻 第1号(人文・社会)昭和60年 Bull. Nara Univ. Educ, Vol. 34, No. 1 (cult. & soc), 1985

サッチャー主義‑社会民主主義的コーポ ラティズムの終悪‑覚え書き

J亡 Ill M (秦良教育大学政治学教室)

(昭和60年4月30日受理)

序 本稿の目的

1980年代のイギリスは「サッチャーの時代」であったと、間もなく史家は言うであろう0 80年 代の折り返し点に立つ今、彼女は彼女の政治を論ずる為の具体的素材を豊富に提供し始めてくれ ている。その理念はすでに政権に就く以前から豊富にあったはずであるが、政治において言葉は それ自体として一つの機能を持つとはいえ、それだけでは政治たりえないこともまた事実であろ う。筆者が本稿でとりあげた事例一炭鉱スト(D は、あるいはフォークランド戦争以上に重要 な意義をもつ出来事といってよいであろう。旧来型の衰退産業、国有企業、最強の労働組合、こ れらを兼ね備えた炭鉱労働組合以上にサッチャーにとって望ましい相手はいない。筆者がサッチ ャー政治の理念(Ⅱ と Ⅲ)だけでなく、その現実を炭鉱ストを通して見ようとする理由は、如 上の次第である。

とはいえ、同時代の、かつ、同時進行的社会現象を分析することには、多くの困難かつきまと わざるを得ない。 「覚え書き」と題したのはこのためである。それにもかかわらず、本稿を通し て、 80年代のイギリス政治の特質を分析しておくことは、現代イギリス憲政研究の土台となる仕 事であり、また、それ自体として、我が国の政治を見る時の豊かな比較の指針となるであろう。

事例研究を踏まえて具体的にサッチャー政治を検証する仕事が必ずしも多くないこと、そして 炭鉱ストの強烈な印象もまた、筆者をこうした仕事と方法とに向かわせた大きな動機の一つであ

ることはいうまでもない。

総じて本稿を通してサッチャー政権の歴史的意義にとりあえずの解答を見つけだすことが本稿 の目的である。

I 最強の組合,最長のスト‑炭鉱スト1984年3月‑85年3月‑

(1)炭鉱スト‑その総括‑

1.仕掛けられた闘争

1972年、当時のヒース(E. Heath)保守党政権は、有名な「Uターン」をすることを余儀なく された。それは、たとえ戦術的あるいは技術的であったとはいえ、マネタリズム的政治路線から 従来の政府・企業・労働組合の「三角政治」路線への転換であった。しかし、この三角政治にお いても労働組合の支持を得ることのできなかった政府は、 74年に崩壊した。とりわけ、 74年は賃 上げを要求する全国炭鉱労働組合(NUM)の全国ストを契機に、その他の組合も加わり「週3

m

(3)

日労働」といわれたエネルギー不足を招来し、ヒース政権の息の根を止めたのであった。 「誰が イギリスを統治しているのか、政府か労働組合か?」という問いが真剣に発せられ、統治能力 (Governability)の危機が語られたのも無理はなかったかもしれない。そして1979年に政権の座 についたサッチャー保守党政府も、実は1981年に炭鉱の閉鎖を企図し、これに失敗しているので ある。後に述べるように、国有企業と旧来型産業、そして強すぎる労働組合をイギリス経済再生 の障害と見るサッチャー政権にとって、政府を倒すような労働組合とは、早晩決着をつけるべき 典型的対象であった。 81年の失敗に恐らく教えられたであろうサッチャー政府は、今回の争議の ために周到な用意をしたと伝えられている。もちろん、この「用意」に含まれているものには一 般的政策に属する事項も多い。したがって、客観的には、特に炭鉱労組のためだけに設定され

た「用意」ではないのだが、炭鉱ストに焦点を合わせる本節での論述の脈絡から、これらも理解 することにする。とはいえ、イギリス最強の労働組合の争議に通用され功を奏するとすれば、そ の政治的「チリングイフェクト」 (chilling effect)は少なくないであろう。サッチャーは、炭鉱 労働組合に的をしぼって、政治的戦闘の段取りをすませて、開始のタイミングをはかっていたと いわれている。 20ほどの採算のとれない「不経済坑」の閉鎖と2万人の余剰人員の整理を巡っ て始まった炭鉱ストを総括する意義は、何よりも「サッチャーのイギリス」がそこに鮮明にあら われているからである。 「鉄の女」が「鉄の団結」に挑む。 1983年3月12日に始まったこの戦い は、 1985年3月5日、炭鉱労働組合の一方的職場復帰決定で、ストライキという幕はとりあえず 閉ざされた。もちろん、当面の閉坑問題についても、将来の石炭産業の行方についても何の合意 も得られていない。しかし、一年間の全国ストライキは、 20世紀イギリス労働運動史上、最長の 争議であった。この一事だけでも、この争議はふり返る価値があるといわねばならない。とはい

え、ここではあくまでも本稿の意図に沿う形で、サッチャーの周到な用意の一端を概観すること にしたい。

第一に、直接の当事者である石炭公社(National Coal Board)の態勢作りが、前もって行わ れていたことを挙げたい。それがうかがえるのは、第一に、公社経営陣の異議を押し切って、外 部からアメリカ人であるマクレガー(Mr. Ian Macgregor)を総裁に任命したことである。彼は すでに鉄鉱公社の経営で、反労働組合的でタフなアメリカ式経営の手腕を買われていた人物であ った。第二に、マクレガーを中心とする石炭公社側の現実の争議への対応もこれを裏づけている。

交渉での非妥脇性、組合の頭越しに直接に組合員‑行うスト離脱の何回もの呼びかけ、(2)そして 職場復帰者への賞与制、さらに何回にも及ぶ全国紙‑の公社意見広告‑しかも、これらはすべ て即座に政府の支持を得ているのである。(a)

第二に、 1980年、 1982年の雇用法(EPiploymentAct)の制定によるマス・ピケットおよびフラ イング・ピケット(Flyingpickets)の制限が用意されていたことを挙げたい。今回の争議は、全 国全員に一律に影響する賃上げ問題ではなく、閉山反対を漬接に対象としていたために、その影 響は閉IL】対象(ないし、可能性を持った)坑の多い地域と少ない地域とでは異なっていた。その ため、ストライキ突入の仕方も、全国一斉ではなく、じわじわと拡大していき、その一定の時点 で中央執行委員会が全国ストを指令するという形になった。ノッティンガムシャ(Nottingham‑

shire)は優良坑が多く、かつ、その組合は昔から穏健であったといわれている(72年、 7叫三の ストライキにはこのノッティンガムの組合も参加している)。そのために、全国一斉ストライキ 突入後も、就労者が多かったために、近隣地域の組合員達が連日のように、ピケットを行い、彼 らの就労を阻止しようとした。次に述べるように警察の警備は峻厳を極めたが、その主要な根拠

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サッチャー.}・義‑社会民主主義的コーポラティズムの終鷲‑覚え書き

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となったのが、同法であった。法務長官サ‑ ・マイクル・ハーバース(Sir Michael Havers, the Attorney General)は1980年雇用法にもとづく同法施行規則(the Code of practice)により

どのような坑口におけるピケットも6名を越えてはならないと指示を出しているのであり、(4)マ ス・ピケットの場での警察と組合員の激突一暴力と大量逮捕の根拠となったのであった。

第三に、組合委員長アーサー・スカーギル(ArthurScargill)はすでに、 1984年春の段階から

「我々は冬までも闘う、冬が来れば我々は勝利する」と豪語していたが、実は石炭の貯蔵量は冬ど ころか翌年までの必要を満たしており、さらに代替エネルギーや海外からの石炭輸入を含む対策 が完成されていたのである。 74年、そして81年の敗北をサッチャー達はみごとに教訓としていた。

第四に、ロンドン警視庁(Scotland Yard, Metropolitan Police)に全国通信センターが完成 しており、警察力の全国的動員が合理的に行いうる態勢が確立されていたことも重要である。さ らに、直接的には地域自治体にかかるこの動員に要する経費についても中央政府の補助が行われ たのである。

第五に、一種の出来高払い賃金制の導入であるボーナスシステムが行われていたことを挙げて おきたい。これは優良坑とそうでないものの問、また従業員の問に競争の種をまくし、ひいては 不団結の芽ともなった労務政策であった。労働党庶民院議員アシュトンは、タイムズ紙‑の投書 の中で、 「各炭坑は実は競争的」であり、 「あるピットの閉鎖は他のピットでは"たすかった〟 と の嘆息になることがあるのだ」と実情を吐露している。(5)       *

第六に、実は以上の周到な用意は、すでに1978年の保守党の国有企業に関する政策グループに よる国有企業の民間移行と、それをめぐる諸課題の検討の中でシナリオ化されていたことを述べ なくてはならない。そして、 74年のヒース保守党内閣の閣僚であって、あの敗北の苦い思い出を

もつピーター・ウォ‑カー(Peter Walker)に対して、サッチャーは、 83年総選挙勝利の直後か ら、貝体的準備をすすめるよう指示したと報道されているのである。(6)

2.その総括

筆者は、この一年間のストライキの焦点は、直接、生活・職場を守る闘争であり、基本的には、

国民的経済政策、労働政策のあり方をめぐる問題であったと考えている。それゆえ、閉山の只体 的必要性、石炭公社経営陣の経営政策、将来のエネルギー政策、あるいは国有化の問題などが争 点となるべきであった。だが、こうした基本的問題は正面には必ずしも浮かびあがらず、マス・

ピケットにともなう暴力問題、あるいは全国ストライキ投票実施の是非をめぐる組合民主々義問 題が専らスポットをあてられた。そこでは、労働組合の諸権利が個人の労働する軽利‑の敵対物 として対置され、組合権力を濫用する指導部とこれに与する労働党vs.働く権利を行使する勇敢 な一部平組合員とこの権利を守るために奮闘する警察、公社という図式が招きだされた。さまざ まな総括の方法があるとは思うが、本稿では、なぜこのような争点の移動を生じさせることに政 府は成功したのかという観点から問題に接近することにする。

① 政府と石炭公社  労働党はこの争議を労働者の生活と国の経済政策にかかわる問題として、

それ自体として国会でとりあげようとしたが、何度かの国会への緊急討論要求は行われたものの、

政府の対応はその都度、消極的であった。(7)漬接争議解決に乗り出すべきだとの主張を、政府は 一貫して退け続けた。ここには、サッチャー政権の当の炭坑ストへの戦術というだけでなく、後 に述べる経済への不介入主義が具体的に現れている。さらに、労働党のとりあげようとする争点 に対して、逆に政府によって現実に強調されたのは,暴力の排除と、スト反対組合員の働く権利

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の擁護であった。政府は「弱い個人の勘く権利の擁護者」であった。国会での論議はすれ違いが ちであり、政府はまたすれ違うべく努め、それに成功した。

公社の対応の特徴は、既に述べたように、交渉での非妥協性を前提にして、メディア‑の反組 合広告、従業員全員への手紙、さらには、スト投票さえ組合に代わって行おうとし、また、職場 復帰者への賞与を用意するなど、組合を無視して、従業員に直接かつ個別的に働きかける労務政 策を展開したことである。

②スト報道の諸問題ストに関する報道が、組合権力の濫用と「法と秩序」の破壊という世

論作りへと争点をそらすにあたってに果した役割は極めて大きいと思われる。映像と写真を通じ て国民に与える印象は、暴力と秩序破壊者としての組合の姿でしかなかったといえるであろう。

世論を味方につけることなくして、いずれにせよ勝者たりえないことを考えるとき、報道の姿勢 を決定づけるのに与って力あった要素としてマス・ピケットの他にも、次のものを挙げることが できる。

③2つの不団結第‑に、すでに述べているように、組合内に不団結があったことは、世論

の支持を得、交渉の立場を強めるうえで、重大な弱点であった。就労しようとするノッティンガ ムの組合員に近隣の組合員が直ちにピケを張り、説得ぬきで屈服させようとした戦術には大きな 誤りがあったといわれているが、く8)総括としてそれよりも大切なことは、セミ・デタッチドハウ ス(2軒つづきの1戸建て住宅)に住む組合員の問題を考えなかったことであろう。かつては、

大半が地方の小さな公営住宅の借家人であった組合員の中に、労働条件(そのなかには、NCBの 賃金政策の効果もある)次第で、「持てる者」が登場してきていたのである。そして、ノッティ ンガムは豊かな炭坑地帯であった。つまり、組合員の生活と意識の急速な変化と多様化に対応す るだけの態勢が必要だったのである(9)

第二に、組合把導部はTUCの全面的支持決議をとりつけるのに成功したが、(10)その実効性 は、従来と異なり、余りなかったといえる。70年代までと大きく異なるところである。なぜか。

二つの理由が考えられる。第一に、すでに以前から見られる現象だが、TUCおよび各大労組の 幹部が指示しても、ランク・アンド・ファイルにはそれだけでは指示はとおらなくなっていると いう労働運動全体の問題である。炭鉱労組はTUCの支持をとりつけることにやっきとなってい たが、それは必要ではあっても、それだけで現実の力となるものではなかったのである。第二に、

やはりサッチャー政権の非産業化(deindustrisation)、即ち、産業構造そのものの破壊による合 理化政策が効を奏していることが挙げられよう。カンパもしよう、食糧も送ろう。だが70年代の ように支援のストは出来ない。それをすれば会社がつぶれて自らが職を失うことがはっきりして いるから、という労働者の反応はこれを物語っている(ll)

④組合指導部の政治主義第一に、ノッティンガムの組合員達(そして、石炭公社と政府) の要求した全国スト投票の問題である。ノッティンガムの人々は、たとえ全国投票で放れても、

ストには加わらなかったかもしれないが、にも拘わらずこれは組合民主々義をめぐる世論作りに とって無視すべき問題ではなかった。ただ、既に述べたように、争点(賃上げか、閉山か)、ス ト突入の仕方など、同情すべき余地もあるが、こうした内部事情は世論を納得させる要因にはな りえない。投票を行い、かつ、賛成多数を得られる時機が何度かあった以上、なおさらのことで あろう。(12)第二に、スカーギルの言葉に端的にみられるように、「我々は政府を倒す」といった 姿勢の問題がある。確かに事の本質は政府の政策の根本にかかわる問題であり、事実、70年代に は彼らは「政府を倒した」。しかし、それは「ストで投票箱を壊す」ことを意味し、それでは世

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サッチャー主義‑社会民主主義的コーポラティズムの終宕‑覚え書き

EM

論を動員することはできないであろう。

⑤治安諸機関の対応第一に裁判所の対応が問題であろう。石炭公社と反ストライキ組合員 の訴えに応じ、1980年雇用法によるマス・ピケットの遵法宣言、就労者の労働権の保証を次々と 行い、また、治安判事裁判所は、ピケ参加による大量の逮捕者に、日常的に厳罰を科する機関と して作用した。(13)第二に警察の活動である。イギリスの警察はこの炭鉱ストを通じて、機能的国 警化の重大な一歩を更に進めたと筆者は考えている。スコットランド・ヤードを仲介とする全国 動員体制はその典型である。また、主要国道におけるフライング・ピケット阻止の道路検問(法 的根拠は、コモン・ロー上の治安妨害罪という)は、広域の警備協力体制の確立を意味している。

そして数千人ものマス・ピケットの妨害をはねのけて、若干の就労者の入坑を実現する姿は、サ ッチャー政権の「法と秩序」を守る「強い政府」それ自体のように思えたのである。

(2)サッチャーの戦時

1.国有企業の民営化

本節では、すでに概観したサッチャー政権の炭鉱労働組合に対する具体的方針の底にある基本 的政策を主として国有企業政策と労働組合政策の二側面から検討し、政府の具体的方針・行動の 一貫性を論証することにしたいoサッチャー政権の政策の全体像は次章で検討するが、さしあた り必要な限りで、サッチャー政権の経済政策の特徴を明らかにしつつ、国有企業政策を紹介する ことにしたいC143

サッチャー政権の経済政策は以下のように特徴づけられる。第一に、公的部門(publicsector) は、価値生産部門にとって、具体的には、とりわけ納税者にとって、非生産的負担にはかならな いとされ、ここから減税、公的支出の削減、そして削減された公的事務の多くを本来の場‑市場 と家庭に還す政策が導出される。

第二に、経済政策の主目的は、貨幣供給の統制を厳格に行うことによって、価格の安定を維持 することにあるとされる(マネタリズム)o換言すれば、貨幣供給のコントロールによって資本主 義経済のコントロールが可能になるという考え方である。だから、労働組合の賃金要求は、(ケ インジニアン達の主張とは異なり)それ自体としてはインフレ要因にはならないことになる。こ こから、純化して考えれば、経済政策について労働組合と協議など行う必要はないという結論も 導き出されるのである。そして、このように一定に規制された通貨量の下で、労働組合が企業に 対して本来要求することのできる賃金以上の賃金要求を行い、換言すれば、企業が本来であれば 支払うことの出来ない賃金要求を行い、これを実現することによって、その過大獲得の結果生ず る不足は失業となって現れると考えるのである。即ち、失業(者)の敵は過大な要求を行う労働 組合にあることになる。

第三に、経済における政府の役割は、市場が正しく機能しうる条件を維持することに限られる という考え方を挙げることができる。ただ、この政府は、自由放任時代の弱い政府であってはな らず、逆にこの自由な市場の機能を妨げる要素‑そして、この要素は19世紀に比して、格段と強 くなっていると考えられる‑を排除するために充分、強力でなくてはならないのである。

以上の特徴づけからも、すでに、反国有企業、反労働組合の結論はひきだされるが、サッチャ ー政権自身の言葉でこれを語らせることにしよう。

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2.民間移行の論理と実践

ここでの素材は、フォークランドの栄光を背負って、満を持して第二期政権への展望を打ち出 した「1983年保守党選挙宣言(TheConservativeManifesto1983)」である(15)

①第一に、既存の国有企業の改革のために,罪‑期政権が採用した方策が述べられている。一 言でいえば、それは「トップクラスの経営者を任命すること」である。

②第二に、以上の改善の努力にもかかわらず、本質的に見て、「国有が消費者により良いサー ビスを提供できると考えることはできない」と述べる。また、国有化は失業の解消にも役立たな いし、労使関係の改善にも役立たないと主張される。このような国有企業を維持するために、納 税者は必要以上に税を徴収され、政府は必要以上に借款を重ねているのである。

③かくして第三に、「消費者に満足を与え、生き残るために競争せざるを得ない私企業の方が、

能率的で、改革に意を用い、国民に責に責任を負うことができるように思われる」のである。こ うして民営化の実績とスケジュールが順次述べられるのであるが、この民営化にあたっても、サ ッチャー政権の性格を示唆する政策が以下に述べるように貫徹されている。㊨「民営化された企 業の株式の多くは、従業員と経営者がこれを保有している。これこそ、最も正しい意味での公有 (publicownership)である。」⑧国有企業の独占市場には競争相手を導入する。たとえば、イギ リス電々公社(BritishTelec0m)の51%の株式を公開した上で、マ‑キューリー(Mercury)と いう民間企業の電々進出を認めているのが、事例である。郵便事業にも民間の参入が始まってい m

④小括以上に概観してきたように、サッチャー政権の政策の特徴は、単に民営化というこ とだけでなく、その奥に「競争」という概念が中核として存在することが理解できるのである。

企業の生存競争こそがビッグビジネスを生み出し、また勤労者の生活の貧困と不安定の要因とな っていると考えた、広い意味での社会主義的(あるいは社会民主々義的)思潮は、ビッグビジネ スの登場が一方で国家によるその規制の可能性をもたらしたことを利用して、国有化を推進し、

この国有化によって、生産の基礎を国家統制に服せしめて、勤労国民の生活の安定を図ろうとし てきた(福祉国家の改良的機能)。そうだとすると、サッチャー政権の非国有化政策の中核にあ る「競争」概念は、改良的福祉国家の根本と喪向から対決せざるをえないものであるといわざる をえない。サッチャー政権の非国有化政策は徹底したものになることが予想されるのである(16)

順序が逆になったが、現在も国有である企業の運営改善の方策も、特徴的である。一言でいえ ば、管理の系統性と権威の確立しか考えられていないということである。マクレガーの任命の一 件を想起していただきたいO公有・国有企業において、民主化と能率をともに一層推し進める手 段の一つとして、従業員の経営参加をはじめとする諸方策があることをこのサッチャーの政策と の比較対象としてとりあえず、提示しておきたい。

さらに、民営化された企業の従業員持株制度の推奨も特徴的である。「所有」を軸としたサッ チャーの「一つの国民」という世界がここに明確に現れているからである。

3.労働組合の改革

①第一次サッチャー政権は、1980年と82年の雇用法によって、二次ピケット(secondarypic‑

ket)の禁止、秘密投票の奨励、クロ‑ズドショップの濫用防止、労働組合の違法行為に対する救 済手段の回復、を実行した。1983年総選挙宣言は、1982年の緑書(DemocracyinTradeUnions) にもとづき、以下の四点を実施すると述べている。@労働組合の執行機関の選挙は組合員の投票

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サッチャー主義‑社会民主主義的コーポラティズムの終駕‑覚え書き

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によって行われるべきこと、⑥労働組合が政党の政治基金を負担すべきか否かは、組合員が定期 的に決定すべきこと、④公平な秘密投票による関係組合員の事前の承認なくして組合がストライ キを行う場合、法的免責を抑制すべきこと、④組合員個人の政治献金拒否権を実効的にするよう、

TUCと協議し、組合側の自主的対応を期待するが、組合が処置を採らないときは、組合員の自 由かつ効果的選択権を確保すべく、法案を用意すること、以上である(17)

②サッチャー政権の労働組合政策は、第‑期においては、労働組合の活動、組織形態に主とし て注意が向けられていたが、第二期においては、一方で組合の内部的組織原理それ自体の規制に 向かい、他方ではその政治力(ひいては労働党の政治力)の削減に始めて着手しようとしている ように思われる。

この政策値域におけるサッチャー政権の対抗図式は鮮明である。集団的権利対個人的権利、組 合指導部対ランク・アンド・ファイル,国政の担い手の一員としての労働組合対労働条件決定当 事者の一員としての(そして、それに限定される)責任ある労働組合、と総括しうるであろう。

この対抗関係の根底にあって、勤労大衆の強い共感を得る可能性のある観念は、個人の自主的決 定権の確保という考え方であろう。巨大化した組合が、幹部を中心に国政にとりこまれていき、

現場の組合員の生活と人生から遊離するとき、それ‑の抗議は、職場レベルの非公認ストの披と なって現象したことはよく知られている。これに対して労働組合の発展方向での解決策は、組合 員の参加を含めて、その意思実現の経路を確保する組合民主主義の社会的レベルでの自主的実現 であるはずであった。同じように個々の組合員から立論しながらも、「組合民主主義」を法的(国 家的)、他律的に強制しようとするものが、サッチャー政権の諸政策・諸立法である。それは労 働組合が正しく組合員の意思を反映しきれない現状に対する焦燥を、個人の重視という同じレベ ルに問題を設定して、体制的にからめとろうとすることにはかならない。もし、一人一人の組合 員の意思の実現という意味での組合民主主義をサッチャー政権が本当に企図しているとしたら、

このように矢継早な法制化による強制はあり得ないであろう(実現の方法のレベルでの問題)0 また、指導部のチェックのみに重きを置き、平組合員との乗離を前提とする消極的発想よりも、

いかにして個々の組合員の意思を実現していくべきかという積極的な回路作りの思考が優先しな くてはならないであろう(実現すべき内容のレベルでの問題)。このように見てくるとき、炭鉱 ストに現われた全国投票問題は、本質的にはサッチャー政権のキャンペーンであり、84年法への 布石だったことがわかるのである。

既に行間において触れてきたが、炭鉱スト自体がサッチャーの戦略の中に重要な位置を占めて いたことが理解できるのであろう。このストはサッチャー政権にとっては反国有‑民間活力論、

反労働組合論の試金石であり、サッチャ‑政治の決意を国内に示し、定着させる絶好の機会とし て仕組まれたのであった。

(3)小括

本章では、炭鉱ストを総括しつつ、サッチャー政権の戦略を概観してきた。本節では、やや広 い視野の中にこれを置いて考察を進めることにする。それは、次章‑の序論ともなるであろう。

①炭鉱ストの敗北(18)と産業政策第一に、炭鉱ストの敗北は石炭産業の民営化への重大な 一歩となる可能性がある。(19)非経済鉱の閉鎖と人員整理が今後も続き、最終的には競争に耐え うる優良鉱のみが残され、それらが民営化されるというシナリオが既に予想されている。(20)

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第二に、その背後には石油、ガスの潤渇に備えた原子力発電中心のエネルギー政策が用意され ているという。炭鉱ストの処理は原子力中心のエネルギー政策を一層推進する可能性がある。

第三に、既に見たように、本来国有企業に敵対的なサッチャー政権である以上、少々誇張かも しれないが、このストの敗北が全国有企業の民営化へのはずみとなる可能性がある。

第四に、国際的競争に耐えうる産業の育成に向かっているサッチャー政権の産業再編政策推進 の挺子となる可能性を挙げておくことにする。

②炭鉱スト敗北の福祉国家への衝撃後に第二章(n)で詳述するように、イギリス福祉国 家の中軸は何と言っても教育と国民健康保健制度(NationalHealthService.略してN・H・S) である。もしもサッチャー政権が福祉国家にメスを入れようとすれば、どうしてもこの聖域に踏 み込まねばならない。そのために,どうしても事前に手配しておかねばならないことがいくつか あるが、その一つは、この二つのシステムを支えてきた中心的カニ労働組合の再編成を促し、産 業の現代化のための人的資源を用意する(失業はその前提)とともに、福祉国家の既存のとりで を破壊し、聖域への直接攻撃を可能ならしめる前提条件を創出することが考えられているのでは ないだろうか(21)

0

第二に、福祉と教育は地域コミュニティの仕事でもある。福祉政策の聖域に踏み込むことは、

福祉実現の機構、地方自治体への攻撃なしには行い得ない。炭鉱ストの敗北のコースは、地域コ ミュニティの崩壊のコースでもある。地域のサッチャー的再編の苦痛の先取りとして、また最も シビアな方法として、炭鉱コミュニティの問題を見つめるべきであろう(22)

このように炭鉱ストを総括してはじめて、この年余の戦いの意義を現代イギリスの文脈の中に 位置づけることが可能になるのである。しかし、このような意味での総括は、さらにサッチャー 政権の政策体系そのものを検討するなかで続行され、深化させられねばならない。それが次章の 課題である。

IIサッチャーの目指すイギリス1983年総選挙政策宣言を素材に‑

(1)保守党の政策体系

ここでは、1983年の『総選挙宣言』を素材にして、サッチャーの政策の特徴を総体的に概観す ることにしたい。それは前章と相まって、「サッチャー主義」の本質にかかわる第三章の仕事の 前提ともなるであろう。とはいえ、全政策事項を逐一検討するのではない。(23)本稿の目的と次 章の展開に有益な事項をとりあげて、その特徴を概括しつつ若干のコメントを加えてサッチャー の政策体系を浮き彫りにしたいと考えている。

1成果:1979年5月1983年5月

この間の成果として挙げられているものを順に列挙しておくことにする。インフレの沈静、賃 金・物価・外為などの規制緩和,国有企業の民営化,減税と社会諸手当の増額,年金と国民健康 保健の擁護,持ち家政策の推進、軍・警の強化、以上が国内政治での成果である。国際面では、

IMF最大の負債国からの脱却とフォークランドの勝利が目立った成果である。総じて、「イギリ スは、この4年間に、その自信と自尊心を回復した」(サッチャー首相の序文)のである。

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サッチャー主義‑社会民主主義的コーポラティズムの終篤‑覚え書き

51

2職,物価および労働組合

①インフレ防止の基本政策総選挙宣言によれば、インフレ防止の政策の基本は、④「流通貨 幣量の増大を抑制すること」および⑥「国家支出の確実なコントロールを維持すること」である。

②基幹産業における争議行為の実質的抑制すでに前章で検討したが、労働組合弱体化の諸 方策、そのうちとくに民事免責を撤回する政策は、基幹産業における争議の減少、その円滑な運 営に役立つと明確に述べられている。直接にストを禁止しないとはいえ、それは実質的なスト抑 制策である(24)

③所有にもとづく経営参加・産業民主主義「秀れた経営者は、その従業員達と協議を行い、

また彼らに十分に情報を与えて、彼らを事業に参加(involve)させている。これは企業の調和 と能率にとって重要である」。「保守党政府は、株式所有と利潤分配によって労働者が自分の勤務 している企業の成功を自分の成功と考えるよう、今後とも援助を行うであろう」。

④失業失業問題が依然として解決されない理由は以下の4点である。④政権獲得以来の4 年間、先進国の失業率は1930年代以降最も高かった。イギリスもその外に立つことはできない。

⑥イギリス産業の非能率、人員過剰は長期の弊害で一朝一夕では片がつかない。④競争相手の国 民よりも生産性が低いのに彼ら以上の賃上げを行ってきたことが、物価を上げ、外国製品の過大 流入、倒産そして失業をもたらした。⑧ニューテクノロジー‑の急速な産業構造変化が起こって いるにもかかわらず、労働組合が妨害しているためである。したがって、失業を減少させる方法 は、第一にニューテクノロジーの時代にみあう技術を身につけ得るよう職業訓練などの手配を用 意すること、第二に労働市場のさまざまな旧式の規制を緩和して、柔軟で効率的なものとするこ と(パートタイム労働などが多用できるようにすることなど)が考えられるのであるC25}

3自由な経営の奨励

すでに注記23の該当部分の小見出しを見れば、サッチャー政権が、減税、先端産業、野心的小 企業の創設を奨励していることがわかる。ここでも「我々は所有の一層の拡大を促進したい。こ れは資本と貯蓄への課税をさらに低くし、個人が株式に直接投資するように促し、従業員持株制 度の創設を促進することを意味する」と説かれている。

4責任と家族

①自由な社会の基礎「自由で独立した社会とは、財産の所有が可能な限り広く及んでいる 社会である。・‑‑現政府の下で、財産所有民主主義(theproperty‑owningdemocracy)は急速 に前進した。その根本的土台は自分の家である」。地方公営住宅をその借家人に売却する政策は 成功を収めたし、今後もこれは行われるであろう。(26)

②年金・社会保障・国民健康保健制度保守党は「福祉国家を解体する(dismantlethe WelfareState)」と攻撃されているが、根拠はない。事実は、年金増額、医師・看護婦の増員、

病院建設など、その逆なのである。しかし、医療の周辺領域(例としてランドリーなど)は行政 経費の節約のみならず効率性からも、民間への競争入札による委託をすべきであり、事務職員の 削減も行った。また、国民により豊かな医療を保障するために、民間医療とともに民間での保険 制度の普及を促進する。それはN・H・Sの荷重を軽減もしてくれるであろう。(27)

5学校

第一期サッチャー政権は、父母憲章(theParents'Charter)と1980年教育法(the1980Edu‑

(11)

cation Act)によって、以下の成果を挙げた。 @地方当局に親の学校選択権を考慮すべき義務を 課した。 ⑥生徒の各種試験結果の詳細を付した学校便覧を発行することを学校に義務づけた。 ㊨ 親の代表に学校経営機関に参加する権利を与えた。 ⑧資力の十分でない家庭の優秀な子弟を最高 の私学(independent school)に入学させる奨励制度を完備した。 「親達にもっと権能を与える ことこそ、教育水準を向上させる最も効果的手段の一つである」。

また、保守党政府は私立学校を擁護し、自分の資力を自分の子どもの教育に費やす親の権利を 擁護する。

教育は直接には地方自治体の事務だが、政府は今後以下の施策を行い、教育水準の向上を援助 するD ④視学官(HM Inspector)の諸報告書を今後公表する。 ⑥教員の養成・採用・再教育の 改善によって資質の向上をはかる。 ⑥怠学を減少させるため、教育福祉サービス(theEducation WelfareService)の重点を学校‑の出席奨励に転換する。甘,その他、生徒の成績管理の向上、技 術教育の一層の重視などを行う。

高等教育については、その内容を向上させるとともに、とりわけ産学協同を前進させることと 情報技術研究‑の集中的投資を行なうことにする。C28〕

6 法・民主主義・市民

安全は市民の重大な関心事だが、大都市のいくつかでの無法状態は重大な翻戒であり、これに 対処すべき警察は逆においつめられている(the hard pressed police)。

①,犯罪との闘争  ④4年間で9000名の警察官を増員した(イングランドとウェールズのみ)。

今、史上最多の警察力をもっている。 ㊨ 「警察・刑事証拠法案(the Police and Criminal Evi‑

dence Bill)」を成立させ、捜査権限の強化と被疑者の人権保障強化をはかる。(29)㊤監獄を増設す

‑1

七)○

なお、 「泥棒、殺人者、テロリスト」、 「ノ\イジャッカーとハンガーストライカー」は全て自由 の基礎を脅かすものであり、いかなる譲歩も許されるべきではない。また、 「犯罪、市民的抵抗、

暴力デモ、ポルノ」などが提起する問題にとりくむのは警察だけの仕事ではない。地域(教師や 親)と警察との間に緊密な協力と相互理解が必要である。

② 地方政府  とりわけ労働党指導下の自治体の地方税濫費は看過し難いものがある。その原 因となっている地方税の自主課税権を中央政府のコントロールに服せしめるようにする。また課 税にあたって地方政府は地方産業代表と事前に協議すべき義務を新たに課すことにする。大都市 圏カウンシルと大ロンドンカウンシル(the Metropolitan Councils and the Greater London Council)は不合理なので廃止するよう提案する。

7 環境の改善

公共輸送の諸規制を緩和するとともに、この領域に競争を導入する。イギリス国鉄については 地方分割し、旅客業務を民営化する方途を検討する予定である。

8 世界の中のイギリス

東西両陣営の核保有はヨーロッパでの戦争勃発の効果的抑止力となっている。ソ連の侵略性を 考えれば、巡航ミサイルの配備、 NATOの強化、イギリス独白の国防強化は不可欠である。ま た、 「1984年の民間防衛法(the Civil Defence Act 1948)を改正して、民間防衛基金を敵の攻

(12)

サッチャーj:.義‑社会民主主義的コーポラティズムの終烏‑覚え書き

53

撃に対してだけでなく、平時の緊急事態に対しても、安全を保障すべく、利用できるよう捉案す ることにする。」

(2)サッチャー政権の政策の批判的分析

1サッチャー政権の政策の構造

①失業と経済最初に失業問題を通してサッチャー政権の政策の構造を分析することにする。

今日、13%を超えるという失業は政治の最大の解決すべき課題であろうし、その処理の仕方は政 権の質を認識するのに好都合である。

サッチャーの政府は、前節に見たように、政権担当者として当然ではあろうが、自己のデフレ 政策にその一因があることを全く承認しない。インフレの沈静化に成功したことを語る部分は、

実は、国家による有効需要創出を基礎とするケインズ主義的政策から、貨幣流通量の規制を主軸 とするマネタリズム‑の国政の方針転換を意味しており、デフレがその帰結の一つである以上、

彼女の政策原理にもその一因があることは、既に多くの人々によって指摘されているところでも ある(30)

。サッチャーが失業の原因として列挙しているものは、世界不況、イギリス経済の長期 不振、古い産業構造、合理化・現代化の敵‑労働組合であり、また、有効需要創出と称して重税 を課し、投資意欲を減退させてきたこれまでの労働党の「大きな政府」である。

以上の原因分析から導き出される対策は、必然的に次のようなものとなる。経営の合理化のた めには労働市場の規制緩和と資本の動きを中心とする産業活動の規制緩和とによって、剰余価値 生産増大の土台を作ることが政策の基礎にすえられる。雇用形態の柔軟化を目指す規制緩和など は前者の例である。同時に重要なことは、合理化努力を怠る企業を切り捨てることもコインの裏 側にあることであろう。産業の現代化のためには、先端産業への投資を積極的に誘導するととも に、それに見合う現代的労働力創出の方策が推進されなければならない。それが失業者・新卒者 に対する職業訓練の構想である(現代の「産業革命」と現代の「囲い込み‑失業」)。減税もまた 資本蓄積‑と向けられていくのであり、国家支出の削減はそのための不可欠の前提なのである (前節では触れなかったが、サッチャーの行政改革は強烈である。4年間で8万1千名の中央政 府公務員を削減、500の特殊法人廃止、3600の政府機構の整理を行ったと『宣言』は述べている)。

とくに人件費と管理費に関しては、もはやN・H・S制度それ自体も福祉の聖域ではなくなって いることが理解されるであろう。(31)以上の政策の実施に際して、全ての面で障害になるのが強 力な労働運動なのである。すでに前章で労働組合政策については論述しているので、ここでは労 働組合規制がとくに基幹産業の組合に向けられていることだけを指摘しておく。労働組合の組織 と活動に大きな枠を設定したうえで説かれるのが、生産点での在業員持株制度を典型とする労使 の産業民主主義である。「二つの国民」とまで言われるイギリス労使関係の対立の「所有」によ る新たな統合の企図として注目しておくべきであろう。

②治安と人権

A.教育政策サッチャー政権の教育政策を理解するにあたって注目すべき点は、現代産業に 必要な労働力の育成という目的と親権の強調という理念の相互関係の構造である。それは以下の ように理解されるべきであろう。親の学校選択権を含む教育権の強調によって、学校と教師の自 由が縮減され、私立を含む学校体系の親の「所有」を基準とする複線化(英才教育を含む)が正 当化されるとともに、全学校体系における子どもの管理強化の基礎が与えられる。さらには、自

(13)

治体の伝統的教育事務管轄権への政府の関与の基礎も与えられる。例えば、視学官の報告書公開 も親たちへの情報提供の機能をもつだけではない、むしろ、これを優子にして政治的統制の機能 の方が期待されているのではないだろうか。情報公開など一言半句もない『宣言』の中でここだ けが異常な理由は、こう解せば答がでるのではないだろうか。このようにして、国際競争力ある 産業に必要な労働力の構造的・階層的創出が企図されるのである。ここで特徴的なことは、親の

e ° °

教育権能の完全な手段化である。近代人権原理の新自由主義者の過し方の一例がここにはある.

B 治安政策と人権 「法と秩序」はサッチャー政権の大看板である。ここで分析しておきた いことは、捜査権や警察力の強化という政策の土台にある彼らの秩序観である。即ち、前節で見 たように、彼らの自由観がデモなどの政治的自由、あるいは表現の自由などの市民的自由に属す る問題を泥棒や殺人者などの犯罪・反社会的行為と同一視していることであり、ハンガーストラ

° ° °

イキの政治犯を破廉恥犯と同視するものだということである。これまた、新自由主義と近代的自 由の関係を例証するものの一つである。

また、 1948年法の平時適用の提言も、財政面に限られているとはいえ、緊急法制の日常化‑の 第一歩として、治安と人権の問題にとって大きな意味をもっている。使える核兵器・クルーズミ サイルが配備されたヨーロッパの国際情勢の文脈の中で、考えてみるべき事柄である。

(彰 地方政府

ここでは自主財政権の制約と大都市圏自治体の解体が直接的政策である。しかし、これらに共 通している目的がある。それは福祉国家の2本の主柱(労働組合と地方自治)の1つを粉砕する ことなのである。中央政府がどのように支出を削減しても、自主財政権をもつ地方自治体がこれ を補ってしまえば、イギリス社会のサッチャー的シェイプ・アップは永久に不可能である。これ が本来保守党の大好きなはずの伝統的地方自治にメスを入れようとする理由であるように思われ る。

2 小括‑サッチャー政権の政策理念‑

サッチャー政権の政策の目標は、イギリス資本主義の現代化、先端産業中心の再編にあること は明らかである。そのために必要な投資を借款や増税による国家資金投入によって行うのではな く、国民の賃金抑制を中心とする労働条件、生活条件の切り下げによって行おうとするものなの である。彼女の政策はこの目標に向けて構造化されている。これが小括すべき第一の特質である。

第二に、この目的を達するための政府は、小さいが、だが強力な存在でなくてはならないこと になる。 19世紀の政府は「自由」を「放任」した政府だったかも知れないが、矛盾した表現だが、

この政府は「自由」を「強制」する能力をもった政府なのである。そのためには、政府の社会管 理的機構・機能の減少と反比例的に抑圧機構・機能が増大する。

第三に、その民主主義理念の特質が挙げられねばならない。 「所有民主主義」がこれである。

この理念は生産点においては労使関係を規律する基本概念として作用し(持株制度)、生活点に おいては新たな中間層の創出・存在を規律する基本概念として作用している(持家政策と守るべ き価値ある家庭)。もっとも、国民生活の向上の基礎は国民経済それ自体の成長であるという観 点から見たとき、国有企業の民営化や地方公営住宅の売却はそれ自体としては単なる価値移転な いし減価してのそれとしか考えられないこと、また、持株制度にしても経営権の所在にかかわる ものでないことを考えるとき、現代における「所有民主主義」の観念は一体いかなる実体がこれ を支えきれるのか、疑問を禁じえない。 「所有」概念は、実は、その反対の機能‑「収奪」を意味

(14)

サッチャー主義‑社会民主主義的コーポラティズムの終駕‑覚え書き

55

するのではないかというのが筆者の思いである。それは教育における「所有」と私的医療保険の 政策にすでに現れているのではないだろうか。日本流にいえば、サッチャーの「所有」は「受益 者自己負担」を裏返したイデオロギーに思えてならないのである。

(3)第二期サッチャー政権‑その勝利の理由‑

1 1983年総選挙の結果

1983年6月の総選挙はフォークランド戦争勝利の余勢を駆ってサッチャー政府の大勝に終ったO だが、得票率では環状維持にとどまり、むしろ自由・社民連合の伸長と労働党の後退が顕著だっ たといわねばならない。保守党は、 70年代に失っていた票をなぜ79年にとり戻し、 83年に維持し えたのか。逆に、労働党は79、 83年となぜ票を失いつづけるのか。保守党の勝利の理由を問うこ とは労働党の敗北の理由を問うことと深くかかわっている。以下に試みる分析では、こうした大 きな投票行動の変化が生れた根拠が問われることになる。

表1総選挙得票率

保 守 労 働 そ の 他

1 9 4 5 3 9 .8 4 7. 8 1 1. ら 5 0 4 3. 5 4 6. 1 1 0. 4 5 1 4 8 .0 4 8 .8 3. 2 5 5 4 9. 7 4 6. 4 3. 9 5 9 4 9. 4 4 3. 8 6. 8 64 4 3. 4 4 4. 1 1 2. 5 6 6 4 1. 9 4 7. 9 9. 7 7 0 4 6. 4 4 3. 0 10 . 7 7 4 ( 2 月 ) 3 7. 9 3 7. 1 25 . 0 7 4 ( 10 月 ) 3 5. 8 3 9. 2 25 . 0 7 9 4 3. 9 3 6. 9 19 .2

表2 83年総選挙の結果

得 票 率 ( % ) 議 席 率 (% )

4 2 . 4 6 1. 1

2 7 . 6 3 2. 2

自 由 . 社 民 連 合 2 5 .4 3. 5

4 . 6 3 . 2

く出所) John Ross, Thatcher and Friends (1983) 5より作成O

く出所)Butler&Sloman, BritishPolitical Facts1900‑1979 (5thed,1980)208‑

10より作成。

2投票行動の変化の基礎にあるもの

①投票内容の分析ホブズポームは1983年総選挙の投票行動を次のように概括している。(32) 労働党は末熟練、半熟練労働者、失業者および労働組合員の問では得票率第‑位であったが、い ずれについても過半数以下の票を得たにすぎなかった。熟練労働者は35%しか労働党に投票して いない。青年(18‑22歳)は17%であった。地域別に見ると、労働党はスコットランドやイング ランド北部の衰退産業をかかえる地域、先端産業・サービス業が多く失業の打撃の少ないイング ランド南部は完全に保守党の手に帰している(33)

②産業構造の変化と労働者階級1961年から81年までの21年間の産業構造の変化をマクレナ

(15)

ンは次のように概括している(34)

。農業、漁業、鉱業およ

び級維産業の4億域では労働人口は半減し、金属産業では 3分1に減少した。総じて重工業の衰退も顕著である。こ れに対して、先端産業従事者は増加、サービス業は30%、

専門・科学・金融業は2倍にふえているのである。表3も これを証明している。タイムス紙もTUCの組合員の構成 変化(74年‑84年)を次のように概括している。(35)即ち、

100万人のホワイトカラー組合員の増加に対し、100万人の ブルーカラーの減少、70万人の公務労働者増加に対し、50

表3 国内総生産の割合(形)

19 59 19 69 19 7 9

保 険 . 銀 行 等 3 3 . 0 6 ‑ 8 9. 0

12 . 6 10 . 6 10 . 5

3 5 .6 3 3 .0 2 7 .9

くili所) Annual Abstrocts fo Sta‑

tistics, HMSO. 1980.

万人の重工業労働者の減少、 50万人の婦人組合員の増加に対し、 50万人の男性の減少、 100万人 以上の自宅所有者の増加に対し、 100万人以上の借家人組合員の減少、という変化があったので

あ‑S。

(彰 投票行動の変化  このような産業構造の変化は、戦後の労働党を支えてきた勢力とその地 域を衰退させることになった。労働党のこの変化への対応の不十分さが支持者移動の原因の1つ

といえよう。

第二に、産業構造の変化、そして生活様式の変化は、新たな労働様式と新たな生活意識をもつ 労働者を大量に生みだしていた。労働党はこの人々の支持獲得にも失敗している。第二の敗因で ある。もちろん、党内の左右の圧砕、その激化としての分裂‑社会民主党の登場、なども原因と して挙げられるが、ここでは詳述することはしない。さて、新しい労働様式を特徴的にいえば、

自主的判断を要する仕事やサービス業の仕事がこれであり、従来の集団労働とは異なる面をもっ ている。この人々の要求の把握が必要であろう。さらに住宅政策にしても、労働者内で単純に

「労働者‑借家」と決められなくなっている以上、複線化が必要であろう。総じて、労働者内部 でもその仕事と生活と意識が多様化しているのであって、こういう状況では、多様な労働者の主 体性を尊重しつつ新しい質の団結を実現できるような政策の提示が必要なのである。サッチャー は個人の創意が生かされる社会、そして所有者民主主義という理念を掲げて、国民をイギリスの 保守的再生への道に獲得した。巨大労組、資本、政府の三者取引きの政治は、新たな状況の下で

は、労働者の疎外感を一層深めるだけで、支持を得る統治方式とはなりえなかったのである。タ イムスは1984年のTUC大会に向けて次のような挑戦的社説を掲げた。 TUCは情報化社会へ 移行したという事態をわかっていない。頭脳労働と小企業に適する情報化社会では、労働条件も 団体交渉ではなく個人交渉で決定される。イギリスより一足さきに情事酎ヒ社会に入った合衆国で

は労働組合員は減りつづけている。蒸気の時代さながらの炭鉱ストなど支援していると「身の破 滅」 (とは直接には言っていないが)しかない。

タイムスの見通しが当たるか否かは定かではないが、個人を重視する新しい質の団結‑統合の 方針を政策化することが、労働党の再生に必要であるように思われるO逆に、サッチャーは、個 人の自由、創意にもとづく「所有」を基礎にして「偉大な国民」という団結‑統合象徴を、持家 政策・持株‑経営参加とフォークランドの勝利という具体的政策・行動によって、国民に提示し た。そして、そのことによって彼女は一応国民の保守的再組織化に乗り出したといえるのではな いだろうか。

(16)

サッチャー主義‑社会民主主義的コ‑ボラティズムの終烏‑覚え書き

57

Ⅲ終章‑サッチャー主義・その歴史的「使命」‑

(1)サッチャー主義前史

筆者は、本稿の主題にもかかわらず、これまで「サッチャー主義」という言葉を用いずに論述 を進めてきた。サッチャー政権の歴史的位置と使命の独自性を論証しえてはじめて、独立した政 治的概念として提示することが可能になるからである。本章は不十分ながら、この課題にとりく むことが目的である。その意味ではIⅡの論述も本章の論述をおえたあとで、サッチャー主義の 政治の内実として位置づけられることになるのである。

1945年の労働党政権の誕生は、戦争中の労働者の合意のとりつけ‑ベパリッヂプランを典型と する福祉計画一を恒常的・構造的なものにするという労働者層の明確な意思表示であった。ミド ルマスによれば、すでに第一次大戦を境にして、イギリスの政治制度は産業社会における対立と 紛争の重みで崩壊した。国会と政党の果す実質的役割は益々減少し、労働組合と経営者団体が重 要性を帯びはじめ、やがて、政治権力と国家の属性の若干さえ共有しあう「統治制度(govern‑

inginstitutions)」の地位を有するに到ったといわれるのである(37)

。第二次大戦後の圧倒的多数

の議席を有する労働党政権の出現は、政策内容(改良的福祉政策一福祉国家)においても、統治 の方法(ミドルマスのいう労働組合と経営者団体の重要性増大)においても、社会民主主義的合 意が統治の不動の必要条件であることを刻印するものであった。政権は保守・労働両党間を移動 しても、60年代までこの統治の目的と方法への信仰は基本的には不動であった。しかし、イギリ スでは、60年代後半にはすでに戦後のブームは終荒し、経済危機が深まり始めており、それとと もに賃金抑制や反労働組合立法が企図され始めていた。70年代には、いうまでもなく世界的景気 後退がこれに重なりあって、とりわけ深い危機感をイギリスに与えたのであった。

スチュアート・ホ‑ルは、70年代の危機の脈絡を次のように総括している。1970年代中葉

までに世界的な景気後退とイギリスにおける資本蓄積の危機の同時発生によって、経済のパラメ ーターは決定づけられた。この危機解決戦略はコーポラティズム(39)労働者階級と労働組合を、

国家・資本・労働という三大利益の問での取り引きに組み込むことであった。そしてこの危機の

「自然の」管理者として選ばれたのは、社会民主主義の党、労働党であった。(1974年労働党政 権)。しかし、これは危機に対する労働者階級の対応を解体し、分断するのに深甚な効果を果し たのでもあった。

以上のホールの総括は興味深い。コーポラテズムを、ホールにならって、少くとも社会民主主 義的改良調達の方法として戦後確立した「政・労・資」の三角政治の手法と理解すれば、この手 法が、それを成立させていた経済的土台のすっかり失われたところ(即ち、1974年労働党政権) で用いられたことを重視したい。ミドルマスのようにコーポラティズイズムの生成を第一次大戦 からはじめるなら、第二段階(成立)は1945年であり、第三段階(確立)は1962年以降、そして 1974年以降はその崩壊過程といえるのではないだろうか。70年代のイギリスの政治的危機の 性格は、このように政治支配における支持調達の危機、ヘゲモニーの危機なのである。もっとも、

それは労働者階級の新たなヘゲモニーの挑戦をうけているわけではないので、支配層のヘゲモニ ーそのものの危機ではなく、直接にはその内部での危機としてあらわれたのである。1974年 の政権は、社会民主主義的コーポラティズムのイデオロギー性、したがって実効性のなさを例証

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