J・S・ミレ
ノ一消極的自由 の労働者階級観︵二︶
︵二二︶︑自由論︵.一八︶
大 谷恵 教
本号では︑J・S・ミルが︑かれの時代の労働者階級を現実に政治の面でどう取り扱おうとしたか︑ということに
ついて考察するのであるが︑この問題を論じる前に︑かれの民主政治観についてもう一度簡潔にふりかえってみた
い︒ これまでの本誌上におけるJ・S・ミルに関する諸拙稿において述べたように︑かれは︑トクヴィルにならって︑
デモクラシーを諸条件の平等と解することに賛意を表したが︑しかしその諸条件の平等という意味でのデモクラシー
の発展は︑人類から思考における道徳的勇気や独立自尊の精神を奪い︑その結果人びとは個人の尊厳を捨てて大衆の
なかに埋没し︑多数者に由来するようになり︑種々な形での多数者の専制や世論の専制などが行なわれるようになる
ことを指摘した︒そして︑そのような専制は〃社会的専制であって︑政治的専制よりもはるかに恐ろしいものであ
り︑それから逃れる手段をほとんど残さないで︑生活の細部にまで滲透して︑魂そのものを奴隷としてしまうもので
あり︑一様化︑画一化をもたらして社会を停滞させてしまうことを︑ミルは警告している︒また︑当時の大衆に関し
て︑集団的凡庸なることを指摘すると同時に︑大衆の世論といっても︑その実態は︑かれらのなかの誰かが大衆の名
早稲田社会科学研究 第34号(S62.3)
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において︑いろいろな手段を講じて︑一貫性のないその時々の偶然なはずみによって︑世論と称するものをつくり上
げていることをも指摘している︒
このような結果︑ミルは︑当時の状態においては︑民主政治が陥りやすい危険は凡庸者の政府と凡庸な政治および
多数者の階級的利益に都合のよい階級立法であって︑主権を有する多数者よりも高い才能と教養をもつ少数のエリー
トの忠告や影響によって導かれない場合には︑民主政治はあらゆる点で凡庸以上に出ることは決してなく︑社会は停
滞・衰退してしまう︑と主張した︒ここから︑ミルは︑多数老の専制や世論の専制の凡庸化や階級立法から脱する方
途として︑個々人のうちに誰もがもっている知的︑道徳的本性や個性を呼びおこすことや︑国民の質の向上の重要性
や︑大衆教育の必要性を強調すると同時に︑思想と討論の自由や少数者の自由と権利の擁護や天才ーエリートー
に関するかれの論を展開したのである︒
以上のような立場に立つミルは︑﹃代議政治に関する考察﹄において︑代議制民主政治について詳細に考察し︑代
議政治に付随する危険には二種類あり︑それはω代議機関とそれを統御する民衆の意見における知性の低いことの危
険︑②数的多数者側の階級立法の危険︑であることを指摘した後︑これらの害悪を︑民主的統治に特有の諸利益を実 ︵1︶質的に損うことなしに︑除去ないし最大限に減少させようとする工夫を試みている︒
かれは︑まず︑ただ一つの階級が数的多数者を構成している国での完全に平等な民主政治は︑ある種の害悪を免れ
ることができないどころか︑これらの害悪が今日存在している種々の民主政治が平等ではなくて︑優勢な階級に有利 ︵2︶なように組織的に不平等になっているという事実によって︑大いに悪化させられている︑という︒そして︑ミルは︑
二つの非常に異なった観念が︑常に民主政治の名の下に混同されているが︑その一つは︑民主政治の純粋な観念は︑
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J・S・ミルの労働者階級観(二)
平等に代表を選出する全国民による全国民の統治であるというものであり︑他は普通に考えられ︑それまで実行され
てきた民主政治であって︑それは国民の単なる多数者のみから専ら代表を選出する全国民の統治であって︑前者はあ
らゆる市民の平等と同義語であり︑後者は︑奇妙にも前者と混同されているが︑数的多数者に有利な︑特権による統
治であって︑これが今日投票が行なわれている方法一少数老たちが完全に選挙権を奪われている一の必然的結果 ︵3︶である︑と主張している︒
このような観念の混乱は大きいが︑知性をもった人の前でその問題に真の光を照らせば一掃することは容易である
けれども︑習慣の力のために現実は容易でなく︑したがってより少数のものに︑より多数のものと同じ力を認めるこ
とと︑また︑少数のものをまったく除外してしまうこととの間になんらかの中間項があることが︑人びとの心に浮ば
ないことを嘆いて︑ミルは︑﹁真に平等な民主政治においては︑すべてのあるいはなんらかの党派は︑その数に比例し
ないのではなくて︑比例して代表されるであろう︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝もしそうでなければ︑平等な統治ではなくて︑不
平等と特権の統治なのである︒国民の一部が残りの者を支配し︑代表制度において正当に平等に与えられるべぎ影響
力を阻止される一部の人びとが出てくる︒殊に︑平等を︑その根底と基礎におくと公言している民主政治の原理に反
︵4︶する﹂といって︑比例代表制を主張している︒
このように主張するミルは︑原理についての不正と違反は︑それらによって害を受ける人びとが少数者であるから
といって︑それだけ極悪のものではなくなるとはいえないのであって︑害を受けるのは少数者にとどまらず︑比例代
表制をとらない民主政治は︑統治権力を数的多数者に与えるという表面上の目的すら達成しえないで︑実際には全体
のなかの少数者にすぎない多数者中の多数者に統治権力を与えることがしばしばであることを指摘して︑﹁どんな少
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点者も故意にあるいは装置の運用によって無視されるならば︑その権力を︑多数者にではなくて︑同じ秤皿の他の部 ︵5︶分における多数者に与えるのであるしと断じている︒
また︑ミルは︑選挙権が拡大されて︑全住民と同じひろがりをもつようになった時の問題点をえぐり出して︑その
ような場合には︑各地方における多数者は筋肉労働者から構成されて︑論争中の未解決の問題がある時は︑他の階級
はどこででも代表を選出することに成功しえない︑すなわちその国における高等教育を受け︑公共精神に富む人びと
の大部分が属している選挙区−大都市の選挙区1は︑現在では︑大部分︑代表を選出していないか︑誤った代表
を選出しているかのいずれかであり︑政党政治において︑その土地の多数者とは違った側に立つ選挙民たちは代表を
もぞいない・と富浜比例代表制の必要性を説いて・﹁少数者の実質的な抹殺は・自由のなんらの必然的または当然
の結果ではないということほど確かなものはない︒それは︑民主政治の第一原理すなわち︑人数に比例した代表の選
出にまったく反するのである︒少数者が十分に代表されるということは︑民主政治の本質的要素である︒それなくし ︵7︶ては︑民主政治の偽りの外観のほかは︑真の民主政治は存在しないのである﹂と力説している︒
しかも︑その比例代表制は全国区制によるものであることを︑﹁代表の真の平等性は︑選挙区の平均人数に等しいす
べての選挙民集団が︑たまたまどの地方に住んでいようとも︑代表を選出するために互いに結合する力をもつのでな ︵8︶ければ達成されないであろう﹂︑﹁候補者が︑国内のどのような地方で立候補しようとも︑投票者が自由に︑どの候補
者にも投票することになろう︒それゆえ︑その地方の候補者のどのような人にも代表されたくないと思う選挙民たち
は︑選ばれたいという意志を表明している国中のあらゆる人びとのうち︑もっとも好ましいと思う人に投票すること ︵9︶によって︑その選出を助けるであろう﹂と述べている︒
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J・S・ミルの労働者階級観(二)
このような比例代表制の選挙方式として︑ミルはヘア式方法を推し︑この方式で行なわれる比例代表制の長所とし
て︑第一に︑選挙民団体のすべての部分から︑その人数に比例して代表が選ばれることを保証していること︑とくに
全国の小政党についても代表選出を保証していること隅第二に︑どんな選挙民も︑現在のように︑自分が選ばなかっ
た人によって︑名ばかりに代表されることはなくなること︑を挙げている︒また︑かれは︑この方式が︑国民代表が
どうにか構成されるあらゆる方式のなかで︑代表たちに望ましい知的資質に対して最良の保証を与えるものであるこ
とを指摘して︑﹁現在では︑一般に認められているが︑才能と品位だけをもつ誰もが︑下院に入るのを許されるという
ことは︑ますます困難になりつつある︒選出されうる唯一の人びとは︑地方的な影響力をもっている人びとか︑また
は三︑四人の小売商人や弁護士にすすめられて︑二つの大政党のうちの一つによって︑その政党があらゆる場合に︑
その得票を頼りにできる人びととして︑ロソドソのクラブから送りこまられた人びとである︒ヘア氏の方式によれ
ば︑その地方の候補者たちを好まない人びと︑あるいはかれらが好んだその地方の候補者を当選させえない人びと
は︑候補者名簿のなかで︑かれらがその一般的な政治原理に賛成する国民的な名声をもつあらゆる人びとのなかから
選択することによって︑かれらの投票用紙をうめる権利をもつであろう︒したがって︑すでになんらかの方法で立派
な名声を獲得したほとんどすべての人びとは︑地方での影響力をもたず︑またなんら政党に忠誠を誓っていないとは
いえ︑必要票数を整えるのに十分な可能性を有しているであろう︒また︑このような勇気づけによって︑そのような
人びとは︑これまで思いもよらなかったほど多数立候補すると期待されるであろう︒⁝⁝︵中略Y:⁝考えつくことが
可能であると思われる他のどんな方法によっても︑議会は︑これほど確実に︑その国内のまぎれもないエリートを保 ︵10︶有するわけにはいかないであろう﹂と主張している︒
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さらに︑この選挙方式が︑下院の水準を高めるであろうということは︑少数党の得票によってばかりではないこと
をも指摘して︑﹁多数党は︑さらに立派な器量のある議員を止むを得ず探し求めることになるであろう︒⁝⁝︵中略︶
⁝⁝かれらの仲間のなかでもっとも尊敬に値しない部分に多数者が隷従することは︑終りを告げるであろう︒すなわ
ち︑真に最善のあるいはもっとも能力のある地方的名士たちが選出されてくるであろう︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝選挙民は︑
最良の候補者を求めて競争心となるであろうし︑また互いに︑地方的な知識と縁故をもつ人びとのなかから︑あらゆ ︵11︶る他の点でもっとも優れた人びとを選ぼうと競いあうであろう﹂と論じている︒
以上のところがらも理解しうるように︑ミルのヘア方式による全国区比例代表制の主張は︑代議制民主政治の自然
的傾向である〃集団的凡庸〃を︑知的︑理性的︑道徳的に優れている少数のエリートを議会に送りこむことによって
防止することが︑狙いであったのである︒この点について︑なおかれは︑﹁優れた知性や人格をもった人びとは︑必ず
数の上で圧倒されるけれども︑かれらが聞きいれられるかどうかによって︑大変な相違が生じるのである︒⁝⁝︵中
略︶⁝⁝地方の選挙区のなかに散在している教育ある人びとから構成される少数党は︑その国が有するきわめて有能
な人びとの多数1かれら自身の数に比例しては一を選出するために結束するであろう︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝多数の代
表者たちは︑かれら自身が︑その制度の運用によって質的に向上させられるであろうということのほかに︑すべての
競争の場をひとり占めにすることはないであろう︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝かれらは常に他の人びとに投票数で勝つことがで
ぎるであろうが︑しかしかれらは︑少くとも他の人の面前で話し︑主張し︑他の人びとの批判を受けるであろう︒な
んらかの意見の相違を生じた時︑かれらは見かけ上だけでも︑人を納得させるに足る程度の理由をもって︑教育ある
少数党の論拠を迎えうたなければならないであろう︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝かれらが間違っていると確信するようになるこ
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J・S・ミルの労働者階級観(二)
とが︑かれらにとってしばしば生じるであろう︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝かれら自身の精神は︑かれらが接触し︑あるいは戦
ってさえいる精神の影響によって︑知らないうちに高められるであろう︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝対立する立場にいるある者
が面と向いあい︑白兵を交えるであろう︒そして︑国民の面前で︑かれらの知力の正しい比較がなされるであろう︒
⁝⁝︵中略︶⁝⁝有能な人物が︑人びとの面前での公正な競争の場で︑その能力を示す手段をもっている場合には︑大 ︵12︶衆は︑有能な人物を見分ける真実の能力をしぼしばもっているのであるしといって︑たとえ少数でも︑その国で第一
級の人びどが代議集会に存在することが保証されるならば︑残りの者は平均的人聞からのみ構成されていても︑それ
らの指導的人物の影響は︑一般的審議において︑それをかなり感じさせることは間違いないことを力説している︒
このようにして︑ミルは︑ヘア式による全国区比例代表制以上に優れたものは︑人間の才能によっては︑ほとんど ︵13︶考察されえない︑と結論するのである︒
次に︑選挙権拡大についてのミルの考えに関して述べてみたい︒
ミルは︑民主政治における多数者の自己の階級的利益のための権力濫用を防ぎ︑かつ民主的統治の利益の特徴を犠
牲にしない手段を見出すという二重の必要条件は︑選挙権を制限し︑その結果︑市民のどんな部分であれ︑代議制度
に意見を反映させるのを強制的に排除することになる方策によっては満たされないことを見抜いて︑自由な統治を主
張し︑自由な統治の第一の利益の一つに知識と感情の啓発を挙げることができ︑この啓発は︑国民のなかの最下層の
者が︑自国の大きな利害に直接に影響を及すような行為に参加することを求められる時には︑かれらにまで及ぶのだ
︵14︶といって︑選挙権拡大を主張し︑筋肉労働者たちが参政権を行使することこそが︑人類全体の真の知的開発を達成す ︵15︶る道筋であることを指摘し︑また︑筋肉労働者は︑政治を論じることによってこそ︑遠い原因や遠方で起こる出来事
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が自分の個人的利害にさえきわめてはっきりした影響力をもつことを教えられると同時に︑政治を論じ︑集団的政治
行動をとることからこそ︑その日々の仕事が自己の周囲の狭い範囲にその利害を集中している人が︑同胞市民に共感
し︑一緒に感じるようになり︑大きな共同社会の一員であることを自覚するようになるのであって︑政治の論議は︑
投票権をもたず︑また投票権を獲得しようと努力しない人びとの頭上を素通りし︑かつ投票権をもたず︑またそれを
得る見込みもない人は誰でも︑永久的不平分子となるか︑社会全般の問題にはわれ関せずとする人のように感じる ︵16︶か︑のいずれかである︑と論じている︒
このように選挙権拡大を主張するミルが︑成年に達した遷すべてに選挙権を与えるべきだという立場に立つことは
いうまでもない︒すなわち︑かれは︑﹁個人が他人と同じ利害をもっているのに︑事柄を処理するに当って︑自分の意
見が顧慮されるという普通の権利を︑さらに大きな害悪を阻止するというためでなけれぽ︑誰に対してであれ与︑κな
いことは︑個人に対して不法なことなのである︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝いかなる個人または階級でも有無をいわずに除外さ
れているような︑また選挙権を得たいと望んでいる成年者すべてに選挙権を与えられていないような選挙権の在り方 ︵17︶は︑永久に満足すべきものではありえないのである﹂と説いている︒
以上のような基本的立場に立ちながら︑積極的な理由から必要とされる若干の例外がある︑と︑ミルはいう︒その第
一は︑﹁読み︑書き︑さらに付け加えたいのだが︑算数の運算ができないのに︑どんな人であれ︑投票数をやはりもっ
ということ﹂であって︑これはまったく認め難いことである︑とかれは主張している︒その理由について︑かれは︑
﹁選挙権がそれによって与えられるのでない場合でも︑これらの初歩的な教養を身につける手段がすべての人の手に
届くべきであることが︑正義の要求するところである︒もしもこれが真に実現していれば︑口のきけない子供に選挙
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J・S・ミルの労働者階級観(二)
権を与えようとは考えないのと同様に︑字の読めない人に選挙権を与えようとは︑人びとは考えないであろう︒そう
すれば︑かれを排除しているのは︑社会ではなくてかれ自身の怠惰であろう︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝万人の教育が万人制選 ︵18︶挙権に先行しなければならない﹂と述べている︒
第二の例外は︑﹁国税または地方税の議決をする集会は︑課せられた税に対してなにほどかを支払う人びとによっ ︵19︶てのみ選出されるべきだ﹂ということである︒この理由に関しては︑ミルは︑﹁税金を支払わず︑投票によって他の人
びとの金を処分する人びとは︑浪費をし︑倹約をしないという動機が十分にあるのである︒金銭問題に関する限り︑
かれらが有する投票権は︑自由な統治の基本的原理の侵害である﹂︑また﹁代表者の選出が︑税の支払いと同じ範囲に
及び︑その範囲を網羅しないことがないのと同様に︑はみ出ることもないというのが︑イギリスの諸制度についての
理論に合致する﹂からである︑と述べている︒したがって︑かれは︑そのようなことがないためには︑﹁直接税が人頭
税という単純な形態でもって︑社会のあらゆる成人に課せられたほうがよいであろう︒または︑査定された税金を特
別に支払うことを認めると︑選挙民として認められるとか︑または国の全費用とともに上がり下がりする僅かの年間 ︵⑳︶の支払額が︑すべての登録済みの選挙民から要求されるとか︑がよいであろう﹂と主張している︒
第三の例外は︑﹁教区の救済を受ける者は︑選挙権の資格を強制的に失う﹂ということである︒なぜならば︑自分自
身の労働によって自分自身の生活を十分目維持できない人は︑他人の金を自由に使用する権利を主張しえないからで
︵21︶ある︒そして︑ミルは︑﹁保証のない破産者であること︑また破産法の恩恵を受けた者は︑その人が負債を支払って
しまうか︑または現在慈善の援助に頼っておらず︑ 一定の長さの期間頼っていなかったことを少くとも証明するまで
は︑選挙権をもつ資格がないものとすべきである︒税の支払いは︑それが非常に長く続けられて︑不注意から生じた
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わけでない場合には︑不払いが続いている間は資格を失うべきである︒これらの除外は︑その性質上永久的なもので
︵22︶はない﹂と述べている︒
右のように︑いくつかの除外例は別として︑ミルは普通選挙権を主張するのであるが︑しかしいわゆる普通平等選
挙権を主張しているわけではない︒なぜならぽ︑かれは︑当時のイギリスの状況の下では︑大多数の有権老は手工業
者であって︑そこから二重の危険︑すなわち政治的知性の水準が余りにも低すぎる危険︑および階級的立法の危険が
依然として大変危険な程度において存在していて︑これらの害悪を除外しうる手段を発見しなけれぽならない︑と考 ︵23︶えたからである︒かれは︑﹁あらゆる人が投票権をもつのが当然であるが︑しかしそれと︑すべての人が平等の投票権
をもつべぎであるということとは︑まったく別の主張である﹂といって︑﹁もしも︑徳が等しくて︑一方が知識および
知性において他方よりも優れているならば一あるいはもしも︑知性が等しくて︑一方が人道の点で他方に勝ってい
るならば一︑道徳または知性がより高い人間の意見・判断力のほうが︑もっと劣ったほうのそれよりも価値がある
のである︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝二人のうち︑より賢明なほうまたは優れたほうである一人が︑より大きい発言権を主張す ︵24︶る権利をもっている﹂と述べて︑このような優れた者に対して複数投票権を与える複数投票制を導入すべきことを主
張している︒
では︑なにを基準にして複数投票権を与える人を決定すべきかということが問題になるが︑ミルは︑この点の困難
なことを認めながらも︑財産を考慮して与えることは︑一時的な便法として以外には︑認めることはでぎない︑とい
う︒その理由として︑かれは︑﹁財産が一種の試験法となることは︑わたくしも否定はしない︒大ていの国々にお
いて︑教育は決して富に比例するのではないが︑概して貧しい階級よりも富める階級のほうがよい状態にある︒しか
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J・S・ミルの労働者階級観(二)
し︑その基準は︑非常に不完全であり︑人びとが出世できるのには︑その人の価値よりも偶然が非常に作用してお
り︑どのように教育を身につけても︑それに相当するだけの社会的地位を確保することは︑誰しも不可能なことであ
るので︑選挙の基礎をこのように決定することは︑常忙この上なく不愉快であり︑将来においてもそうであろう︒金
銭上の資格を設けて︑複数の投票権を与えることは︑それ自体反対すべきことであるだけでなく︑その原理を必ず傷
つけ︑その永久的維持を必ず実行不可能にする方法なのである︒この国の民衆は︑現在のところ個人的優越性をねた
まないが︑単なる金銭上の事情にもとづいているものには当然のことながら嫉妬を感じ︑またそうであることが正当 ︵25︶なことなのであるしと主張している︒
その結果︑ミルは︑基準を︑個々人の知的優越性に求めるべきだとして︑二人の意見が一人以上に匹敵するとみな ︵26︶すことを正当化しうる唯一のものは︑個々人の知的優越性である﹂と断じている︒それでは︑具体的にはどのような
人を知的優越性をもっているものと判定するのかという問題に関しては︑かれは︑﹁真に全国民的な教育とか︑または
全般的な試験を行なう信頼しうる制度というようなものがもしあれば︑教育を直接に試験することができよう﹂とい
い︑もしなければ︑人の職業の性質がなにかの試験法になるだろうとして︑労働者をやとう人間︑職長︑熟練労働者︑
銀行家︑商人あるいは製造業者などを挙げ︑その上で︑投票権を目当てにある職業に名目的に従事するのを防止する
ことの必要性を注意し︑そのためにその職業にはある長さの期間︵たとえば三年︶続けて従事したことを要求するの
が当然であろうから︑このような条件を満たせば︑これらのより高い職業のいずれかについている人にはすべて二票 ︵27︶あるいはそれ以上の投票権が与えられてよい︑と主張している︒知的専門職業に関しては︑ミルは︑﹁名目的にではな
く︑実際にその業を営んでいる時には︑勿論︑さらに高度の教育があることを意味している︒それゆえ︑知的職業に
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つく前に十分な試験または教育の厳しい諸条件が要求される場合には何時でも︑その人びとに直ちに複数の投票権を
与えうるのである︒同じ規則は大学の卒業生にも適用される︒また︑高等な知識が教授され︑その教授が本物で︑単
なるみせかけではないという正しい保障がある学校が要求する勉学を終了したという満足すべぎ証明書を持参する人 ︵28︶びとにも︑適用してもよかろう﹂と述べている︒
以上のように︑ミルは︑複数投票権を主張しているのであるが︑無制約にそれを主張しているのではなく︑それに
は限界があるとして︑﹁前章において述べた基本原則︵前述の民主政治の陥りやすい二つの危険に陥らないようにす
ること1筆者註︶によって規定された限界を超えないことが︑絶対的条件である︒複数投票権が極端に押し進めら
れる結果︑その特権をもつ人びと︑あるいはかれらが主として所属する階級︵もしあれば︶が︑その手段によって︑
共同社会の他のあらゆる人びとよりも重きをなすということは︑決してあってはならない﹂といって︑複数投票権所
有者たちの階級立法が行なわれてはならないことを指摘し︑複数投票制の目的はあくまでも︑﹁無教育な人びとの階 ︵29︶級立法から教育ある人びとを保護する﹂ことを︑念を押して述べている︒また︑かれは︑複数投票制度に絶対に必要
な一部をなすものとして︑﹁もっとも貧しい個人であっても︑もしも︑あらゆる困難・障害にもかかわらず︑知性の点
では複数投票権を得る資格があることを証明できれば︑共同社会のなかでのもっとも貧しい個人に対して︑それが開
かれているべきである﹂ということがあることを付言して︑そのような人が﹁自発的に受けられる試験があるべきで
あって︑そこでは︑たとえどんな人であっても出頭し︑十分であると規定されている知識および能力の水準に達して ︵30︶いることを証明し︑その結果︑複数投票権が与えられてよいであろう﹂と説いている︒
さらに︑ミルは︑平等投票権に関しては︑当時は不可とみなしたのであるが︑しかしその平等投票権が︑もしも不
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J・S・ミルの労働者階級観(二)
都合が生じないように監視される場合には︑それをかれはどうみるかというと︑﹁それ自体をよいものの一つである ︵31︶とみなすこともしない︒わたくしは︑それをただ相対的にのみよいものである︑とみなすのである﹂という立場をと
っている︒それでは︑かれは︑複数投票制はいつまでも絶対的に存続さすべきだという立場に立っているかという
と︑必ずしもそうではなくて︑﹁それ︵複数投票権i筆者註︶は共同社会の構成員の一部に選挙権を与えないのと同 ︵説︶じように︑より大きな害悪を防止するに必要な間︑一時的に容認されてもよいのである﹂と主張している点に︑筆者
は注目したい︒
いずれにしても︑ミルの人間観︑哲学︑自由観︑政治論からして︑かれが選挙拡大論を唱えて︑万人に選挙権を与
えるべきだと主張したのは当然であり︑しかもかれの時代に主張したということは︑やはり先覚者であったといえよ
う︒だが︑ミルにとって懸念されたことは︑当時において実際に選挙権を拡大した場合に︑どういう事態が生じる
かということであった︒もしも︑かれの生存中に成年に達した者全員に選挙権を与えるようなことが起こった場合に
は︑有権者の大多数を占めるものは労働者階級であって︑その当時の知的︑道徳的レベルからいって︑かれらは︑ミ
ルの強調する国民全員の〃共同の関心事や〃共同の利害に関心をもたずに︑自己の階級的利益に有利なように階
級立法を行なう恐れが多分にあることであった︒また︑社会が停滞してしまうことでもあった︒それに加えて︑ミル
は︑既述のように︑民主政治には国民の質的レベルの高いことの不可欠なことをも︑強調した︒ここから︑過渡的措
置として︑ミルは︑知的︑道徳的レベルの高い人たちへ複数投票権を与えるべきことを︑強調したといえよう︒この
ことは︑当時の状況から考えて︑止むをえなかったのではあるまいか︒なお︑ミルが代表的な婦人参政権論者であっ
たことも︑付記しておきたい︒
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︵幻︶
︵28︶
︵92︶
︵30︶
︵31︶
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J・S・ミルの労働者階級観(二)
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