消 極
的自
由
J
●
S ミ気
ノレ
の社会主義観︵三︶
︵一六︶︑自由論︵二一︶
大 谷恵 教
前々稿および前池においては主として共産主義に対するJ・Sミルの立場について述べたが︑それでは当時の他の
社会主義に対してはかれはどのような態度をとったのであろうか︒
ミルが同国人のオーウェンからの影響をほとんど受けていないことは︑前々稿の末尾で指摘した通りである︒かれ
が早く影響を受けたのはサソ旺シモン派からである︒かれは︑﹃自伝﹄のなかで︑﹁新様式の政治思想をわたくしに誰 ︵1︶にもすぐれて瞬ぎこんだのは︑フランスのサソーシモソ派に属する人びとであった﹂といっている通りである︒ミル
は十四歳のときから一年余の間︑J・ベソサムの弟のサi・サミュエル・ベソサムの招待でフランスに遊学したが︑
そのときパリでサソ阻シモンと会っている︒その当時は︑サソシモンは︑ ﹃自伝﹄によれば︑ ﹁氏一流の哲学も宗 ︵2︶教も創始しておらず︑ただ頭の良い変りものとみなされていた﹂ようであったが︑ミルはそれ以降フランスの情報蒐
集を怠らず︑サソnシモンやその一派の人びとの著書・論文に目を通したり︑かれらと接触を保ったりして︑かれら
の影響を受けた︒このことについてミルは﹃自伝﹄で述べているので︑少し長くなるが︑次に引用してみたい︒
噛﹁サソ聴シモン派の人たちとはわたくしは依然として接触を保った︒かれらの進展ぶりをわたくしに絶えず知らせ
早稲田社会科学研究 第37号(S63.10)
115
てくれたのは︑かれのもっとも熱心な弟子の一人で︑丁度その頃かなりの長期間をイギリスで過していたギュスタ
ヴ・ダイタタール氏であった︒わたくしは一八三〇年にかれらの首領格のバザールとアンファンタソにも紹介され︑
かれらの公開講義や信者獲得運動が続いた限りは︑かれらの書くものはほとんどすべて読んだ︒普通の意味の自由主
義思想に対するかれらの批評には︑重要な真理が多分に含まれているように︑わたくしには思われた︒私有財産や遺
産相続を動かし難い事実と考え︑生産と交換の自由を社会改良の最初の切札と考える旧い経済学は︑ぎわめて局限さ
れた一時的な価値しかもたないことにはじめてわたくしの眼が開けたのは︑半ばかれらの著作によってであった︒サ
ソ朋シモン派によって次第に展開されていった体系︑そこでは社会の労働力も資本も社会全体の利益のために運営さ
れ︑各個人は︑思想家︑教師︑芸術家︑生産者等々︑すべてその能力に応じて分類されて労働の一部を分担すること
を要求され︑その代りにその仕事に応じて報酬を受けるというのであるが︑これはわたくしには︑オーウェンの社会
主義と比較してはるかに優れた種類の社会主義であると思われた︒かれらの手段はたとえ無能力でも︑かれらの目標
.だけは望ましい合理的なものと思われ︑かれらの考える社会機構が実行可能だとも利益をあげるように動くともわた
くしは思わなかったが︑そのような人間社会の理想を天下に宣言すること自体が︑現在のような組織の社会をなにか
の理想的標準のほうに近づけようとするほかのひとたちの努力に︑有益な指針とならずにはいないであろうとわたく
しには感じられた︒わたくしがかれらをもっとも尊敬したのは︑かれらが一番激しく世間の非難を浴びた点1すな
わち︑なによりももっとも重要な問題であり︑ほかのいかなる重要な社会制度の場合よりも一層根本的な変革が必要
であるのだが︑しかもほとんどの改革論者が敢えてふれようとする勇気をもたないでいる家庭の問題を︑きわめて大
胆に先入主なしに取り扱ったという点であった︒男女の完全な平等を宣言したり︑かれらの相互関係に関連してまつ
116
J・S・ミルの社会主義観(三)
たく新しい秩序を主張したりした点︑ナソーシモソ派の人びとはオーウェンやフーリエとともに︑将来の世代の人ぴ ︵3︶とによって感謝をもって記憶されるべき十分な資格があるといってよかろう︒﹂
このようにミルは﹁社会の労働力も資本も社会全体の利益のために運営され︑各個人は︑思想家︑教師︑芸術家︑
生産者等々︑すべてその能力に応じて分類されて労働の一部を分担することを要求され︑その代りにその仕事に応じ
て報酬を受ける﹂という社会主義には賛意を表したのである︒そのような社会主義がサソ畦シモン主義でありフーリ
エ主義であったわけである︒これら二派に対して︑ミルは﹃経済学原理﹄のなかで︑ ﹁サソhシモン主義およびフー
リエ主義という二つの精緻な︑いずれも共産主義でない社会主義に対しては︑共産主義に対する通例の反対論は全然
当てはまらないのである︒もっとも︑これらの所説も︑その説自体に向って放たれる反対論は︑これを免れないけれ
ども︑それは︑多くの点においてそれの特徴となっている偉大な知力により︑また社会︑道徳に関する若干の根本問
題の広い︑哲学的な取り扱いによって︑まさに過去現代を通じてもっとも注目すべぎ作物の一つであるということが ︵4︶できるのである﹂と︑高く評価している︒そして前述のようにミルはまずサソーシモソ派から強い影響を受けたので
ある︒ しかしながら︑ ﹃自伝﹄で一八三〇年頃にはサソーシモソ派に対して︑その計画する社会機構が実行可能だとも利
益をあげるように動くとも思わないながらも賛意を表していたミルは︑ ﹃経済学原理﹄になると︑その評価を著しく
変えるにいたるのである︒すなわち︑かれはサソnシモン主義の出来払い制の報酬方式には依然として賛意を表しな
がらも︑その専制主義に対して次のように徹底的な批判を下すにいたっている︒
﹂﹁サソーシモソ主義の企画は︑生産物の分配の平等でなくて︑その不平等を意図するものである︒またすべてのひ
117
との仕事を一様にしないで︑人びとの先天的または後天的な才能によって仕事を異にしなければならない︒そして各
回の業務は︑あたかも連隊内の地位の場合のように︑指揮者の選択によってこれを割り当て︑報酬は︑その指揮者が
その業務に対して認める重要さとその業務を果したひとの功績とに比例して︑給料として与えるべぎであると提唱し
ている︒この指揮者団をつくるには︑この制度の本質に矛盾しない種々の方法があるであろう︒たとえぽ︑普通選挙
によって任命してもよいであろう︒もとの提唱者の心中では︑指揮者は天才と徳義心とを備え︑精神的優秀の力によ
って他の人びとを心服させる人びとと考えられていたのである︒このような企画が︑ある特別の状態においてこれを
実行して好成績をあげるということは︑確かにありうることである︒事実︑これに類似した企画を実行して成功した
例が歴史上あるのである︒すなわち︑前にも述べたあのパラグァイのジェズイット教徒の実験がそれである︒⁝⁝
︵中略︶⁝⁝しかし︑そもそもこのような制度がとにかく実行することができたのは︑恐らく少数の指揮者とあらゆ
る被指揮者との間に甚しい学識と知能の隔たりがあり︑またその間には社会的にも知識的にも中間の階級が存在しな
かったからであろう︒もし事情がこのようでなかったならぽ︑右の企画は完全に失敗していたであろう︒この制度
は︑まず集団の指揮者の絶対専制を必要とするものである︒そして委託を受けて専制を行なうものが︵この制度の提
案老の見解に反して︶民衆の動向の結果として時折更迭するとしても︑その専制は恐らく大した改善をみないであろ
う︒しかし︑ ﹇人あるいは数人の入間が︑各人に対して能力に応じて仕事を割り当て︑各人の功績に応じて報酬を与
えることができる一そして事実上社会の全員に対して分配上の正義の実施者となりうるということは︑かりにその
一人または数人の人間が︑いかに厳選された人間であったとしても︑またその配下の機関がいかに優秀であったとし
ても︑果して考えることができるであろうか︒かれらがこの権力をどのように使ったとしても︑それはすべての人び
118
J・S・ミルの社会主義観(三)
とに満足を与えるということ︑また弾圧を加えなくても人びとに服従されるということは︑ほとんどまったく架空な
考え方であって︑わざわざこれに反駁を加えるまでもないことである︒なるほど︑一定の規則︑たとえば平等の規則
のようなものは︑人びとは黙ってこれに服従するかもしれない︒また偶然とか︑止むをえない事情とかも︑直りであ
る︒けれども︑きわめて少数のひとがすべての人びとを秤にかけて︑一方的に自分の気持と判断のままに甲には多く
を与え︑乙には少ししか与えないなどということに対しては︑この少数者が超人であると信仰され︑超自然的な畏怖 ︵5︶をいだかれている場所のほかは︑人びとは到底服従しないであろう︒L
これに反して︑フーリエ主義に対するミルの評価はどのようなものであったのであろうか︒ミルは︑﹃経済学原理﹄
のなかで︑ ﹁あらゆる形態の社会主義のなかで︑もっとも巧妙に︑また反対論をもっとも多く考慮して組み立てられ ︵6︶ているものは︑普通フーリエ主義と呼ばれているものである﹂といい︑また﹃社会主義論﹄においては︑ ﹁それらの
社会主義のなかでもっとも重要なのはフーリエ主義であって︑これは知的巧妙さの見本としてだけでも︑社会の研究 ︵7︶者にとって︑あるいは人間精神の研究者にとっても︑立派に注意に値する﹂と述べて︑フーリエ主義を社会主義の諸
形態のなかではもっとも高く評価している︒さらに︑かれはフーリエ主義の特徴について︑ ﹁この主義は︑私有財産
制を廃止しようとするものではなく︑また相続を廃止しようとするものでさえない︒かえってそれは労働と並んで資 ︵8︶本をぽ生産物の分配上の要求としてはつぎり考慮しているのである﹂と述べている︒ ︵9︶ そしてミルはフーリエ主義の提案内容について﹃経済学原理﹄のなかで紹介した後︑ ﹁この主義は︑共産主義と違
って︑少くとも理論上においては︑現在の社会状態に備っている努力への動機をば︑ただの一つも取り去るものでは
ない︒それどころではない︒もしこの制度が考案者の予期した通りに働いたとすれば︑その場合︑これらの動機は現
119
︵10︶今よりむしろ強くなるであろうしと論じている︒ ︵n︶ ㎜ このほかに︑ミルはフーリエ主義の労働を魅力あるものにすることの問題について言及し︑最後にフーリエ主義も
他の種々の社会主義と同様に実験の機会を与えられるべぎことを︑ ﹁この主義は人間の行為を左右するどの一般的法
則にも反するものではない︵今日のような︑知識や道徳上の教養の不十分な状態においてすらそうである︶︒またそ
れはこれを成功可能であるとなし︑あるいはその支持者がこれにつないでいる希望をぽ︑多くは見込みのないもので
あるとなすことは︑軽率の論たるを免れないであろう︒他の種々な社会主義の場合と同様に︑この主義についても︑
実験の機会を与えられることが望ましく︑またそれはこれを要求する権利をもつものである︒これらの案は︑いずれ
もあまり野ぎくない規模において実験しうるものであり︑しかも試みる人びとよりほかの人びとには︑生活上︑金銭
上の危険が少しもないものである︒数ある共有財産制のうち土地および資本の私有制にもとつく﹃産業組織﹄を廃し︑
これに代って登場すべき制度として適当なものがあるか︑あるとすればどの程度まで︑適当であるか︑あるいはいつ ︵12︶適当となるかということは︑実験が解決すべきである﹂と主張している︒
ミルがこのようにフーリエ主義を高く評価したのは︑ ﹃社会主義論﹄において指摘しているように︑フーリエ主義
がいかにして労働を魅力あるものにするかという大問題に取り組むと同時に︑自分の生活様式に関する個々人の自由
選択は︑産業的操作の完全な長所を発揮させるのに必要な限度を超えて︑干渉されてはならないことを強調したから
︵13︶である︒
それでは︑そのような適切な制度があるかないかが判明するまでの間どのようにしたらよいのかという問題に関し
ては︑︑ミルはどのような立場を示しているかというと︑かれは﹁それまで︑われわれは︑人間の性質の結局の能力を限
J・S・ミルの社会主義観(三)
定しょうと企てることなしに︑次のように断言することができるであろう︒いわく︑これから隠しぼらくの間︑経済
学者が取り扱うべき主要な問題は︑私有財産制と個人の競争にもとつく社会の存続発展の諸条件という問題であり︑
また主要な目標は︑人間の進歩の現段階においては︑私有財産を顛覆させず︑それを改良して︑この制度の恩恵に社 ︵14︶会の全員を十分に参加させることであるしと力説している︒
このミルの言葉は非常に重要な意味をもっているといえよう︒というのは︑ ﹃自伝﹄における﹁わたくしは︑民主
主義者ではあったが︑決して社会主義者ではなかった︒ 二人になって︵テイラー夫人との結婚を指す−筆者註︶の
われわれは︑わたくし一人のときに比べると︑民主主義者からは大分遠くなった︒それは︑教育が依然として情ない
くらい不完全である限り︑大衆の無知︑とくにわがままと残忍さとをわれわれは心配したけれども︑しかしわれわれ
の前進の究極の理想は︑はるかに民主主義の域を超えて︑はつぎりと社会主義者という一般的呼称のなかにわれわれ ︵15︶をおくものであったからである﹂という言葉にもかかわらず︑前々稿︑前稿および本稿からもわかるように︑︑︑︑ルが
果して社会主義者であったかどうかはにわかに速断し難いからである︒この問題を解く鍵の一つが今引用したかれの
言葉ではなかろうか︒
すなわち︑ミルは明白な社会主義者であるというよりは︑むしろ〃改良思想家であったといってよいのではなか
ろうか︒かれは︑本誌第三十三号所載の拙稿﹁J・Sニミルの労働者階級観︵一︶﹂において指摘したように︑協同
組合ないし協同主義の原理︵爵①冒ぎ︒面一①ohoo・8Φ三二〇昌︶あるいは相互協同の原理︵窪0860Φ鑓江︒口︒碧ωΦ︶
による社会変革への道を目指したといってよいのではなかろうか︒これを強いて社会主義と関連させるならば︑山下 ︵17︶重一氏が使用されているように〃協同組合的社会主義とあるいはいえるかもしれないが︑しかしそのような言葉の
121
使用が妥当なものであるかどうかは関知しない︒それは措くとして︑ミルが協同組合ないし協同主義の原理や相互協
同の原理による社会変革に辿りつく道について︑ ﹁個人の自由および独立と集団的生産の道徳的知的経済的な利益と
を結びつけるところの︑また社会が勤労者と有閑老とに分裂するのを廃止し︑自分の個人的な勤労の努力によって正
当に獲ち得た社会的特権以外の社会的特権を抹殺することによって︑少くとも産業の部面において︑暴力に訴えたり
掠奪したりすることなしに︑また既存の習慣や期待を急激に撹乱することすらなしに︑民主的精神がもつ最善の抱負 ︵18︶を現実化するところの一社会変革に辿りつく道﹂と強調していることは︑これも本誌第三十三号の拙稿において指摘
した通りである︒
ミルの改良思想は︑個人の自由と独立︑あらゆる人格の尊重という一貫して変らないかれの立場の上に︑人びとの
間における相互協同の原理を確立して︑特権を廃し︑勤労者と有閑者という階級分裂をなくし︑個人の勤労の努力に
よって得た私有財産の制度はこれを認めて︑社会の全員がこのような恩恵に十分に参加できるようにすることであ
り︑このような社会変革は暴力によってではなく︑あくまでも民主主義的な方法によって達成すべぎことを力説した
のであった︒ミルは最後まで一貫して民主主義者であったといえよう︒
122
︵1︶ 註
︵2︶︵3︶
︵4︶ ︸ω・竃ヨ.﹀三〇げ凶︒ゆq謎ゴざ⑦◎︒げ団︸.も励邑一剛昌ぴqo5一〇コ噛.⑩QQ●ぎ置二弓・ωρ
h三・もP目8山Oピ
一ω響三婆サ団H巨首50n団目窪oρ一塁︒づ︒ヨざOo二gε偶毫︒旨ωo圃︸oザ思量岳答詔宣りく︒ビデ器℃6ぢミ魍℃亀田O・
J・S・ミルの社会主義観(三)
癌︵5︶H寓匹二暑・boδ心 ●
︵6︶同甑α二箸●b︒目マb︒.
︵7︶いoD﹁≦戸O冨や§︒︒自ω︒︒凶帥房βO亀︒g巴≦︒芽ω︒h︸︒匿聾§鳥≦鼻ぎ戸く曜吋8.お刈㎝も・刈ミ.
︵8︶ いω.竃一一一讐距冒9且Φoh℃o一三8一国8昌︒ヨざ8o一仲二やbQ話.
︵9︶嵜達二︐b︒弊フーリエ主義の提案内容について︑ミルはここで次のように述べている︒すなわち﹁すなわち約二千人の
成員が組合をつくって産業上の諸作業を営む︒これらの成員は︑自分たちが選んだ首長の指導の下に︑それぞれ約一リーグ
平方の面積の土地を占有して協同労働をなす︒生産物の分配の際には︑まず第一に︑労働のできるひとにもできないひとに
も︑ともに一定の最小限度の生活資料だけはこれを割り当てる︒そしてその余の生産物は︑あらかじめ決定しておいたある
ぬ へ も も へ も 割合で労働︑資本および才能の三要素へ割り当てる︒社会の各成員は︑社会の資本を相等しくない割合で分有することがあ
るが︑この場合︑各成員は︑他のすべての株式会社の場合と同じように︑それぞれの資本額に応じて配当を受ける︒また労
働者の間には数多くの集団があり︑さらにその集団のなかには種々の等級があるが︑各人がその才能に応じて受ける生産物
の分け前は︑各個人が右のどの集団のどの等級に属するかによって定まる︒これらの等級は︑いつの場合も︑各人の仲間の
意向によって付与される︒各成員が受け取った報酬は︑決してそれを共同に支出し享楽する必要はない︒別々の世帯をもち
たいと思うひとは︑みなそれをもっことができる︒生活を共同にする義務は考えられてない︒ただ組合のあらゆる成員は同
じ一棟の建物のなかに居住する義務があるだけである︒思うに︑これはこのようにすると︑建築上にも︑各般の家事経済上
にも︑労働および費用を節約することができるからであり︑また社会の売買行為はすべて一人の代理人の手によって行なわ
れ︑それゆえ今日のように勤労の一大部分を単なる配給業者が利潤として取り去るということがなくなり︑商人の利潤を最
小限度に減らすことができるからである︒﹂
また︑9ω・冨一一配りOず巷8誘︒昌ω099︒一一ω30噂・o答リリロ・同門日1︒︒・にもフーリエ主義の提案内容が論じられている︒
さらに︑ミルのいうこのフーリエの組合とはファランジュ︵℃ゴ巴p昌oqΦ︶である︒
なお︑フーリエの所論に関しては︑拙著﹃国家と民主主義﹄︑一五〇頁︑および拙著﹃近代社会思想史﹄︑ 一一八頁をも参
照されたい︒ 23
1 ︵10︶ 一・ψ竃一一一.℃二9﹄oo︷℃9三〇巴国8ロ︒ヨざ8・o凶r℃﹄邑.︵11︶景侮●ら・b︒目︒︒. 旨ω﹄罫︒喜§ω8ω︒︒一巴ぎ嘘8・︒三︒ロ.刈争︒・● 捌
︵12︶ ︸.ω竃≡嫡℃ユ目ぢδoh℃巳三〇巴国8口︒ヨざ8・o凶けこ署曾トっδ1駆引
︵13︶一.ω●竃≡層O冨℃8﹁ωo昌ω09巴δβ8・9けこ署・刈心﹃lo︒.
︵14︶ 匂.ω・蜜ヨ讐℃ユロ9且oohり2譲︒巴国8昌︒ヨざ8・o瞬け二唱﹄に・
︵15︶ 一●ω・﹈≦筥噛︾仁8三〇σq冨Oげ団剛8.ユけ二や.一も︒○︒●
︵16︶ 拙稿﹁J・Sニミルの労働者階級観︵一︶i消極的自由︵一二︶︑自由論︵一七︶﹂﹃早稲田社会科学研究﹄第三十三号︑
昭和六十一年十月︑七六−八二頁に詳論してあるので︑これを参照されたい︒
︵17︶ 山下重一﹃J・S・ミルの政治思想﹄︑昭和五十一年︑一五四頁︒
︵18︶ いω・竃竃噛津言9覧oo︷℃巳三〇﹄国8口︒ヨざ8︒o一仲二く9・F﹁9・おミ讐℃・刈O︒︒.