ホブハウス『自由主義』における「社会的自由主義」の全体構想
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(2) . 5年 2 月 平成 1. 北海道教育大学紀要 (人文科学・社会科学編) 第53巻 第2号 i ty of Educa甑on lof Ho 出mdo Univers Jouma. 旧皿加瀬e salld socia Sciences) Vol.53, No. 2. February , 2003. ホ ブハウス 『自由 主義』 における 「社会的自由 主義」 の全体構想. 吉. 崎. 祥. 司. 北海道教育大学岩見沢校社会学研究室. はじめに ra互sm) の 19世紀 末 か ら20世 紀 にか けてイ ギリ ス の 政 治 ・ 社 会思 想 を主 導 した 「新 自 由 主義」 (New Libe. ) の主著 『自由主義』 864一1 922 1 代表的な思想 家・理論家のひとりL ‐T.ホブハウス (. adism, oxford iber. ) を, 「社会的自由主義」の全体構想を示したものとして再構成してみる 1 1 9 1 Yo rk , ことが本稿の目標である. ただし, ホブハウスの構想の概略ないし骨格部分を, 極力ホブハウス自身の論述. iけ Press Umvers ,New. に即して, あくまでも資料的に整理し提示することがここでの主旨であり, けっ して大部ではないとい え, 広い範囲にわたって多くのすこぶる興味深い考察を含むこの著作の全面的な検討, とくに批判的な吟味は別 の機会に委ねなけれ ばならない. なお, ホブハウスの自由主義思想史上の位置と意義については, 拙著 『リ ベラリ ズム』(青木書店, 1 998年) で多少とも触れており, またホブハウスの 『自由主義』 について, 拙稿 「現在の課題 としての 『社会的自由主義』 」 (『ポリ テ ーク』 第4号所収, 旬報社, 2002年) で, とくにその 今日的意義を論じたことがあり, 本稿も一連のそうした作業の一環である. 1 946年)刊行のこの訳書 は一般には入手の困 ※ 本書には清水金二郎の労になる邦訳があるが, 昭和21年( 難なものでもあり, また往時の文体は現在の50代・60代の読者などにとっても必ずしも馴染 みやすい ものではないところ から, さしあたっ ては, ホブハウスの叙述そのものの紹介にも少なからず意味があ る と思 わ れる.. 1 1. 「自由」 の積極的概念 消極的自由から積極的自由へ 『自由主義』 の主題は旧自由主義, つまりJ ‐ベ ンサムにいたるいわゆる古典的自由主義にか ‐ロックからJ. わる新しい自由主義の特質を示すことである. すなわち, 「近代世界の生きた思想」としての自由主義の諸理 想を現実のものとすること, そのために「建設的社会理論としての自由主義の信条の本質に関する概念を形 29 成 する」①. )こと がホ ブハ ウ ス の 目的 で ある.. ホブハウスにとっ ても, 自由とは何よりもまず圧制からの解放である. 「力, すなわちあらゆる圧制の基 S ) 27 礎である力の行使に反対するのは自由主義の本質である」 ( p ‐ ‐ミルの系譜に連なるもの ‐ . もちろん, J として, ホブハウスにおいて圧制はもっ ぱら 「政府の圧制」 ばかりでなく, 「慣習の圧制や世論の圧制, 環 ) 含むが, ともあれ, 歴史的には, そうした自由主義は当初 「消極的」 であり, 破 63 境の圧制さ えも」 ( p . ) 32 壊的でさえあった. 「初期の自由主義は教会や国家の権威主義的統治に対処しな ければならなかった」 ( p ‐ 91.
(3) . 吉. 崎 祥. 司. から, この権威主義的・権力主義的秩序 にたいして宗教的 政治的 経済的 社会的 道徳的等の抗議をお , , , , こなうものと して, 「自由主義は最初は批判として, ときには破壊的 革命的でさえある批判と して現われ , る」 ( ) 「 1 4. もちろん, じっ さいは, 再建の仕事が破壊のそれと並んで進行したのであり またそれは世 p . , 代を経るにつれてより重要となる」 ( ) のではあっ たが, 自由主義の 「初期のより消極的 な側面」 が 1 5 p . , 「旧社会内部で作用 し そして旧社会の機構が人間の活動に課するもろもろの束縛を解放することによ て , っ , 旧社 会 を改 修 する 一 つ の 力」 ( ) と な っ た こ と は疑 いな い. 29 p ‐ 同 時 に しか し, ミ ル お よ び とく にイ ギリ ス 理 想 主 義 の泰 斗 T H グ リ ー ンの 衣 鉢 を継 ぐホ ブハ ウ ス にと っ ‐ ‐. て, 自由とはたんに圧制や拘束からの解放を意味するばかりではない 自由は人格の発展を目的とするも の . であり, 「積極的」 なものでもある. 「自由の基礎は発達の 思想 で ある」 (The fowlda口on of1 ibe rけ is the d i ea of g ) h 66 r oW仁 ‐p . . いいかえれば, 思想の拡大, 想像力の覚醒, 感情や情熱の働き, 理性的支配の強 化 ・ 拡 張 と い っ た 「人 格 (per l iw) の 基 礎 的 諸 要 素 の 発展」, こ れ ら 内 的 諸 要 素 の 発 達 が 「各 人 の 生 sona ,. 活を価値あるも のたらしめる」 ( ) のであっ て, 「自由主義の真髄は …・・生きた精神的エネ ルギーの解 7 1 p ‐ 放 の 問 題 だ」 (p ). 73 ‐. そのさい, 人格は, ミルとともに言えば, 内的諸要素のうちでもとくに 「才能 ( ) の自発的発展 f l t acu y を基礎としている」 ( ) 60 he se辻) の 確立 自 我 の 「統 制 力」 p t . . 別言すれば, 人格的成長の眼目は自我 ( ,. の行使である. つまり, 「自己と他の者との関係を実現し, かつそのことによっ て自己自身の生活を指導す る」 ( bid ) の が 自我 と い う も の で あり, そ こ で の 「統 制」 ( i l ) であ )の 本 質 は 「自 制」 ( l cont ro . se甘- cont ro. る. 自制とは (意思ある いは人格といっても同じだが) , 自身の生活を自分で指導することをわれわれ に可 能にする 「あの中心的な調和の力」 の発達を助長することである . こうして, ホブハウス は, 他者との関係を自律的に調整する理性的人間像を 自由人理解の基軸に据えて , いる. 「自由主義とは, 社会は人格のこの自らを指導する力を基礎としてたしかに築かれうるという信念で あり, 真の社会はこの基礎の上にのみ築かれうるとの信念である」 ( ) 66 p ‐ . 「 ※ 調和」 はホブハウスにおいても重要な基本概念の一つであるが, ここでは言及の余地がない 次の . 一節のみを参照しておきたい. 「各人が他者と調和して進んでいくことができる発展の方向が開かれて いなければならない. 完全な意味での調和とは, たんに衝突が存在しないということばかりでなく 現 , 実に存在する援助を含むだろう. したがって, たんに他者の発展を許すばかりでなく 積極的に助長す , るような発展の可能性が, 各人のためにな ければならない」 ( ) 69 p ‐ . 2 人格的発達としての自由の社会的媒介性 ホブハウスがこのように他者との関係, およびその関係にかかわっての自制を重視するのは もちろん , , 利害の調整をはじめとして他者との関係を積極的に律することが, 社会的存在としての人間に不可避である ことに由来することはいうまでもない. じっさいまたホブハウス は主にはこの次元で論じているのではある が, そればかりではなく, より根底的には, 人格の発達は他者を媒介としてはじめて充実したものたりうる からである. そのことは, 「人格のこうした成就もしくは完全な発達は 事実上 一人の人間では可能でな , , く, もっ ぱら社会の全成員によってのみ可能である」 ( ) 6 という一節 9 に明らかである p ‐ . まずは 「言語に よって, 訓練によって, たんなる共同生活によっ て, われわれを囲む社会的雰囲気を各人は自分の身体のな か に吸 収 する」 (p ) と い っ た 次 元 か ら は じま っ て, 一 般 に, 「個 人 は, いつ も 認 め ら れて いる より 以 上 に 68 ‐ ,. 社会に負うところが多い」 ( ) のである. したがっ て, 自由は, 「干渉するなという請求権」 をではなく 7 9 p ‐ , 「他者を理性的動物として扱うべき義務」 ( ) を基礎として 6 6 いるということにもな る 自由が他者 への配 p . . 慮を必然的要件としているのは, 根源的には, こうして, 人間の人格的発展 その豊鏡化は他者との相互交 , 渉 によ っ て こそ 可能 で ある, とい う 把 握 にも とづ く も の で あろ う こ こ に は グ リ ー ンの 影響 が 濃厚 で ある . , .. 92.
(4) . ホブハウス 『自由主義』 における 「社会的自由主義」 の全体構想. ちなみに, そのような相互的関係にあるものとして, 「人が自分自身に加 える侵害も, 他人へ及 ぼす未来 ) 7 6 の効果はさておき, 『社会』 共通の利 害関係ある問題である」 ( p ‐ . ホブハウスは, 直接であれ間接であ れ他人に影響を及 ぼさない行為などはまったく存在しえないとして, ミルの 「自己にのみ関係する行為」 と ), 「品 位」 lf 「他 者 に関係 す る 行 為」 とい う 区 別 を認 め な い. ミ ル の思 想 とそ の 「道 徳 的 な 力」 (mora orce ) を高く 評 価する ホ ブハ ウスで ある が, こ こで は, ミ ル の 「危害 原則」 (他 者危害 禁止原則 Harm ( t e r chmac. ) が明確に否定されている. しかも, 他者に危害を加 えないかぎりでの個人の無際限の自由とい l PI i 1 o e c p う命題の問題性が, 同時代の社会倫理ばかりでなく, 未来世代の観点からも把握されなけれ ばならないこと が示唆されている. 2種類の行為の区別は, ミルが 「依然として古い個人主義に支配されていた」 ことにも ) の で ある. 65 とづ く も の で あり, 「人 間 の生 活 の う ち で, 社 会 にと っ て 重要 で ない 側 面 な どあり えな い」 (p ‐. 「社会的自由」. 3. こうして, 「よき自由とは他人を犠牲にしてえられるような自由ではなく, ともに暮らすすべての人びと ) し, また, 他人との調和的で相互援助的な交渉のなかではじ 1 5 が享受することのできる自由である」 ( p ‐ lfreedom) i a soc めて成就することができるものである. すなわち, 自由とは, すぐれて 「社会的自由」 ( でなけれ ばならない. l 丘eedom) と は, 人が 自 分以 i a あ らた め て, 社 会 的 自 由 と は何 か. 消 極 的 には, 「非 社 会 的 自 由 (Unsoc. ) 50 外のある人の希望や利益を顧慮せずに, 自分の権力を行使しようとする権利である」 ( p ‐ . しかしそれは, 理論上はともかく, 相互に接触して生活 している複数の個人にとっては不可能である. 「自由は個人の自己 ) 63 [中心的権利]主張に基礎をおいているのでもない」 ( p ‐ . それゆえ, 自由とは, 無規定のものではありえ ず, 人びとの相互的関係, 相互的充足を前提とする社会的なものであり, したがって現実的には相互的束縛 や拘束を予定せざるをえないものである. そもそも, 無限定的に 「もし個人が自由ならば, それぞれ自分の 目的を追求する2人の個人は衝突する」 であろう. 「われわれの理論によっ て, 社会の起源でもあり基礎で も ある と 認 め ら れ た の は この よう な 衝 突 の 可 能 性」 で あ っ て, 「人 び と は, 自 分 の 自 由 が効 果 的 で ある た め. ) のである. しかし, 34 には, ある程度の相互的束縛[を受けること]に同意しなければならなかっ た」 ( p ‐ 同時にま た, 積極的には, 自由とその核心としての人格的発達は, 相互媒介的で相互充実的なものであっ た. かくして, 社会的自由とは, 重層的な, 他人とともにある・他人抜きには存在しない自由, 他人とともに形 成しうる・他人によってはじめて充実しうる自由であり, したがって, 衝突の可能性のもとで自由を効果的 に実現する ために, 相互的束縛への同意を前提条件 とする自由であろう. それは, やがて 「集産主義」 ( i頃sm) と 呼称 さ れる よう にな っ た 思想傾向における自由観 を代表するものであるが, ホブハウス自 t conec. 身の用語に帰っ て 「社会的自由」 として特徴づ けるのが適切であろう. ここでは, 「社会連帯をより確固と 確立する自由の効果, すなわちそうした連帯 が安んじて留まることができる唯一の基礎としての効果」 ( P ‐ ) が, 問 題 の 眼 目で ある. 67. 亘. 自由と拘束. 1. 「自由は拘束を基礎とする」. こうして, 「内心の自由」 といったより自己完結的な領域が存在するにせよ, 多くの ばあい, 具体的な内 容としては, 自由概念は相互的拘束を基礎としているし, 他者と関係する領域での自由, 社会的自由は明確 ) を基 礎 と して いる. そ int t に拘 束 を前 提 と して いる. 「い か な る 時代 の 社 会 的 自 由も, す べ て 拘 束 ( res ra. れは社会の全成員によって享受することができる自由であり, また他人への侵害を含まない活動という限度 ). ホ ブ ハ ウ ス は, 自 由 にと っ て の拘 束 の必 然 性 につ い て, く り か え 50 の な か で 選択 す べ き 自 由 で ある」 ( p ‐. 93.
(5) . 吉. 崎 祥. 司. し, 執勘なまでに言及しているが (自由をもっ ぱら非‐拘束としてとらえる, 時代の支配的な自由観への対 抗がそうさせたのでもあろう) , そのさい, 注目すべきことは, たんに一般的な相互拘束性ばかりではなく, 一貫して弱者 (故e we欲【er man) の立場から, 強者を拘束する必要性が強調されていることであろう . 「すべての社会的自由は拘束にもとづ き ある点における ひとりの拘束は その他の点における他の人びと , , 「 の自由の条件である」 ( とか ) 5 1 侵略者の拘束は被害者の自由 であり p ‐ , , そして人びとが互いに侵害を加 える諸行動にたいする拘束によってのみ, 人びとは社会全体として, 究極的な社会的不調和なしに追求する ことができるあらゆる方向の行為において, 自由を獲得するのである」 ( f ) といった一節にすでに示唆 50 p . ‐ 「ひとりの」 拘束と 「他の人びと」 の自由 「侵略者」 の拘束と 「被害者」 の自由という対比) されているが ( , , 「2種類の拘束」 の区別を論じるとき ホブハウスが社会的自由と拘束という主題のもとに企図したものは , きわめて明瞭である. そのひとつは, 「一定の産業や利害関係者の有利になるように 他の人びとに不利益 , になるように作用する拘束であり, 大体において, すでにより幸運な地位を占めており, 貧民階級 ( he t l ) poorer c asses. と 対 立 して い る 人 た ち に有 利 に作用 する 拘 束 で あ る」 が, いま ひ とつ は 「第 一 義 的 に貧 ,. 民階級のために考えだされ, かれらに, より効果的な自由と, 産業の諸関係にお ける諸条件の平等へのいっ そうの接近を確保することを目的とする拘束である」 ( b ) d i i - . ホブハウ スにとっ て, 現実的な連関におけ る, 具体的な内容としての拘束は, 強者の強制に対抗する弱者のための強制としてこそ, 有意味である . ※ ところで, 自由の拘束とは, いいかえれば個人の権利の絶対性の否定であり この点ではホブハウス , は功 利 主 義 に与 して い る よ う にみ える 「自 由 と は 本来 的 に社 会 的 利 害 ( ) の 問 題 で あ り, 最 int t e res .. 高の社会的利害関心事を構成する真理や倫理の領域での絶え間のない持続的な前進の必要性から生じる 何も の かで あ る」 (p ) と か, 「個 人 の 権利 も 義 務 も, ひと しく 公 益 ( 67 common good) によ っ て 限定 .. される … … 個人の権利は, 公益と衝突するはずがないし, どんな権利であれ公益と離れて存在するは ずもない」 ( ) といった言表も, そうした想定を支持する. そのかぎり, 自由放任主義への対抗と 68 p . してのホブハウスの自由概念も, 自然権の端的な否定と公益論の無規定性という点から, 自由主義の要 件のひとつとしての対社会的な緊張関係の如何を問われるものではあろう. しかし, 別のところでは , ベ 「 ホブハウス は ンサムを批判しつつ, 一人の人間の幸福の基本的で不可欠の条件が 他の人の不可避 , の苦難にもとづくこと」 も, 4000万人の幸福が一人の苦難にもとづくことも絶対あってはならない, としている. いずれにせよ, ホブハウスの社会契約説および功利主義, さらにはミルやマンチェスター 学派の自由主義との関係, それらの評価などの詳細については別に論じる必要がある . 2 拘束の目的と範囲 もちろん, 拘束それ自体が目的なのではない. 自由は 「拘束なしですませることはできない しかし 拘 . , 束は目的ではなく, 目的のための手段であり, そしてその目的の主要な 要素の一つは自由の拡大である」 ( ) 7 1 p . . そのさい社会は, 「正義が行われるようにつとめ, かつ強制的権力 の濫用 を防止することを任務と する」 ( ) が, しかも, そこでの重点はあくまでも強者への対抗にあり, 「強制にたいする強制」 が本旨 7 5 p ‐ である. 「社会的統制の近代における発達は, より効果的な自由を求める願望が動機となっ ておこなわれた」 ) のであるが, ホブハウスにとって, この効果的自由の対象が第一義的 に弱者, 抑圧された階級であっ ( 7 5 p ‐ たことはもはやくりかえすまでもないだろう. た だ し, 拘 束 は 内 面 に 及 んで はな ら な い. 「強 制 ( l i compu s on) は 自 由 の 領域, 精 神 的 発達 の 領域 で は失. 敗する」 ( ) 7 8 p ‐ . 内面に関する絶対性 (内面は外部に表現されることを求めるだろうから, 境界は微妙であ ろ う が, と ホ ブハ ウ ス は注 記 して い る) が 確保 さ れ な けれ ばな ら な い けだ し 「強 制 ( i coer c on) によっ . , ) を作ろ う と する の は, 未完 成 の う ち にこ れ を破壊 する こ とで ある」 ( て品性 ( t charac r ). e 76 p ‐. とはいえ, たとえば内心の自由を代表する宗教的自由といえども, 「他人に危害を加えたり, 公共の秩序 94.
(6) . ホブハウス 『自由主義』 における 「社会的自由主義」 の全体構想. ) のことであって, 「他人の権利 を侵害したり平和を素やかす 20 の秦乱を伴わない形式での信仰の権利」 ( p . ) のはもちろ ん, 「他人の感情に不必要な侮辱を加 えるのを 21 ような教 えを実行することは許されない」 ( p ‐ 20 ) ことも指摘されなければならない. 信教の自由 避ける, 表現上の礼儀正しさと慎 み を含んでいる」 ( p ‐ 「宗教は個人的である」 胴喝に近いまでの声高な揚言 ( のほとんど」 , それは個人の不可侵の基本権である, 等) の前にひるむ向きの少なくなかっ た, 近年の日本での経験にて らして, 「だが宗教もまた大いに社会的では ) と喝破するホブハウスには, 剛直な自由主義者としての面目躍如たるものがあろう. b d i i ないのか?」 ( ‐ ) が, 同 時 に し か し, 「自 由 は, 監 督 上 の 77 と も あ れ, こう して, 「力 は決 して 発 達 を強 要 で き な い」 (p ‐. ) が存在しないというだけで, 人々が, 直接的であれ間接的であれ, たがいに拘束を課す i 制限 ( tnc t on r s e ) であ 78 ) の 領 域 で 失 敗 す る」 (p l orde r ext ema こ と が で き る と き に は どん な 場 合 で あ れ, 外 部 的 秩 序 ( ‐ i on) の 目的 は, 内 面 の 発 達 と幸 福 にと っ て のも っ と comp通s ろ う ことも 明 らか で ある. かく して, 「強 制 (. dJ, あるいは, 拘束は, 「個人的 生活と精神的秩序」 の b i i も有利な外的諸条件を確保することである」 ( ) ものである. さらに別 7 8 「自由にして妨 げられない発達の外的かつ 物質的諸条件の確保を目的とする」 ( p ‐ ) は自由な行為者の活動または品性であるので, 道徳を強制することは不可 l i t 様にいえば, 「道徳 (mo r a y ) 7 6 能だが, 道徳が発達しうる条件を創造することは可能である」 ( p ‐ . 労働階級の窮状に面 して, 国家の介 入を控 えめに要求したミル (契約当事者として平等でありえない未成年者のばあい, 原則 として契約統制の 必要がある, など) をうけて, グリーンが国家干渉の必要性とその範囲 (人びとの人格的完成にとっ ての l ) を明確に主張したが, ホブハウスはグリーンのヘーゲル的な倫理的国家観とは一線 bs t e s removal of o ac を劃しつつも, 国家の中立性論的な立場において, 国家の介入・干渉の必要性と正当性を強調する. ちなみ に, 国家による道徳の発達のための条件の創出といっ た論調は, 強くグリーンの息吹を漂よわ せている. 3. 法的拘束 さて, 拘束の第 一の領域 は法律であり, これは本来的 に懇意を制約 するものである. 「自由な政治. ) の第 一 の条 件 は, 支 配者 の 専断 的 な決 定 によ っ て で はなく, 支 配 者 自 身 が服 して いる 確 固 と (govenunent ). 17 した 法 の 支 配 による 政治 で ある」 (p ‐. たしかに 「名目上の自由, すなわち法律的な拘束が存在しないというだけでは, 真の自由を損なう結果に ) というのは一面の真実で あり, 法によっ て自由と平等を確保すべ しという要請 7 5 なるかもしれない」 ( p ‐ は, たんに歴史的意義をもつだけでなく, 現代においても基本的な社会規範のひとつであり, なお課題的な ものでさえある. しかし, ホブハウスには法の, したがって国家の階級性もしくは二重性 (権力性と公共性) といっ た視点は欠落しており, 「法の支配」 を無限定に前提する ばかりで, 法や国家の抑圧性に対する警戒 や緊張感がきわめて稀薄であることは否めない. それは, 普通選挙制度の拡大と議会における政権交代およ 9世紀イギリス的状況がしからしめたものではあろうし, ま びそれにもとづく改良の現実的可能性, という1 i i た 後 にも み る が 「国 家 はい る い る な 形 態 の 団 体 (assoc at on) の な か の 一 形 態 で あり, そ れ は強 制 権 力 の. 行使, 主権, その地理的境界内に居住するすべての人を支配 しようとする要求によっ て識別される団体であ ) と い っ た, 国家 の 多 元 主 義 的 理解 にも とづ く も の で あ る かも しれ な い. し か し, 「法 律 は 懇意 的 る」 (p 71 ‐. な侵害または強制という」倶れから個人を解放するのであり, これこそ全社会のための自由が獲得されうる唯 ) という理解は, 明らかに一面性を免れないものであろう. なお, よく 一の方法であり, 意味である」 ( 7 p ‐ 知られていることでもあるが, このような法律観あるい は国家観は, フェ ビアン派等のイギリス社会主義に も共通するものであった.. 95.
(7) . 吉. m. 国家の介入・干渉. 1. 「両 親の 上位 に ある も のと して の 国 家」. 崎 祥. 司. 拘束の第二の (ここではより重要な) 領域はあれこれの国家干渉であり それはまず子どもの養育に関す , る両親への規制としてあらわれる. 小児や少年が強いられている過酷な労働への規制がそもそも の発端であ り, その点では次項の産業統制とも重なるが, 一般に両親の解怠にたいし小児を保護する権利 未来の市民 , としての小児の機会の平等, 成年の地位をしめるべき 「訓育 ( ) の平等」 を求める権利などの子ど ng t r ami もの諸権利・諸自由もまた, 統制や制限によって確保されなければならないものである 「両親の上位にあ . る も の と して の 国 家 ( the State. as. ove ) と い う 観 念 は, ま っ た く の と こ ろ, 真 に 自 由 主 義 的 で ‐par r ent. あると同時に社会主義的である」 ( ) 25 p . . もっ ぱら自由放任主義的な個人主義 に偏した旧自由主義の支配的 風潮のもとでは, ともすれば社会主義的要求ともみなされがちなこれらの自由・権利は しかしホブハウス , にとっては, 本来, すべての人間の成長発達をめざすべき自由主義のものでこそなければならなかっただろう . 2 「産業の統制」 国家による干渉の代表的事例は産業の統制・組織的諸制限であり そこではとくに労働者保護が主題とな , る. その反響は世紀転換期にも及んでいるが, 産業革命期の当初 「しばらくの間は まるで全然制 限され , , ていない産業にお ける企業とでもいうものが, 進歩的な標語であるように思われた」 ( ) 23 p ‐ . しかし, 「新 しい工場組織でうみだされた状態は公衆の良心に衝撃を与え, はやくも1 802年に, 長期にわたる一連の法律 のうちの最初のものがつくられた」 ( ) b i i d ‐ . 多くの人びとを憤激させてやまなかっ たのは, 何よりもまず 子どもと女性の労働条件・就労実態であっ た. 「工場制度は, その条件が知れわたっ たときには公衆の良心 を憤慨させる条件で女性と子どもとを組織的に雇用することにより ある一点で問題を危機に至らしめた」 , ( ) 46 p . . 法的な干渉が求められたのである. すなわち, 「子どもは保護されなければならなかった. そして, 経験が示すところでは, 子 どもは法 によって保護されなければならなかったのである 自由な契約は 自分 . , ではどうすることもできない子 どもの問題を解決しなかった 自由な契約は 雇用主が自分自身の利益のた , . ” めに子どもを 「搾取する」 に任せた ( i t l f t l i o e bid) の で あり 雇用 主 に対 する (自 由 主 t i xpo et eが)」 ( ‐. ,. 義者が嫌う) 規制の必要性は誰であれ否定すべくもないも ,のとなったのである. ところで, 子どものばあいは, かれらが無力であったからなのだとするなら しかし それでは 「成人し , , た 大 人 は, 男 で あ れ 女 で あ れ, も っ と 良 い 地 位 にい た と い う の だ ろ う か」 ( bid ). だ が, 「貧 困」 こ そ, i .. 「多くの人びとの良心の阿責を引き起こし 人びと一般の意見が著しい変化を経験した問題」 ( 82 , p ‐ ) ではな かっ たのか. そして, 「経験が示すところでは, 平均的な労働者の賃金--それは競争によって決定される のだが--一は, 生活のあらゆる浮沈を担うには十分でないし, [将来も]十分になりそうもない」 ( ) 93 p . . こ うして, 産業上の法典 ( ) が発達するよう になっ たが, それらは基本的 には貧民階級のために案出さ code れたも ので あ っ た.. こうした動向は雇用主はもちろんのこと, 自由主義の信奉者たち にとっても快いものではなかっ た 「こ . の運動の第一段階は, 自由主義の共鳴者たちの多くによって疑念と不信をもって注視された その意図は疑 . いもなく 弱者 ( he w解u;er pa ) を保護することであっ たが, その方法は契約の自由にたいする干渉と t r t y いうものだった」 ( ) からである. 古典的な自由主義のもとでは, 契約の自由こそが社会関係の要諦と 23 p ‐ みなされてきた. 「自由契約と個人責任は自由主義運動全体のほぼ中心部にある, だから 産業を法律で規 , 制することについて非常に多くの自由主義者が疑惑を感じた」 ( ) i b i d しかし 労働階級とその家族 の境 ‐. , 遇は, 契約の自由と個人責任を言い立てて事態を正当化するには, あまりに劣悪で ゆえなく不当なもので , 「 あった. したがって, 時がたつにつれて, もっ とも 明敏な自由主義の共鳴者たちは産業部面における公的. 96.
(8) . ホブハウス 『自由主義』 における 「社会的自由主義」 の全体構想. ) し, 教育, 小児の給養, 労働 b d i i な統制の拡張を受け入れた ばかりでなく, 熱心に促進しようとした」 ( . b山 守) の 拡 張 に努 める よう i espons couecdver 者 の 住宅, 病 人 や 老 人 の 看 護 な ど につ い て の 「共 同 責 任」 ( にも な っ た. 3. 「契約 の 自 由」 へ の 干 渉. それというのも, 「契約という事柄においては, 真の自由は当事者間の本質的平等を要求する」 (以下 p ‐ 「 48 ) にもかかわらず, 有利な地位にある者の命令と弱い地位にある者の不利な条件の甘受という 経済 47 ‐ 的な侵害が永続化する傾向」 にあり, 落ちぶれた階級が援助なしに再興するのはますます難かしくなっていっ たからである. 「立法の目的のために国家がこの見解 を受け入れるのははなはだ遅々としていた」 が, まず は子ども, ついでや がては女性と少年にかんして, 「自分自身で契約するほど強くない一定の階級を保護す るために, 国家が例外的なやり方で干渉する」 のだということが認められるようになっていく. そして, 成 年男子も含めて, 法律が労働時間や賃金その他労働条件の規制を公言するようになっ たのは, 「労働組合と いう世界の内部で長年にわたっ てたたかわされた論争の結果としてであり, またようやく現代になってから であった」 . 人びとは, 「平等なき自由は高尚には響くが, 惨めな結果をもつ名称だ, という経験的に明らか な教訓によってここまで押し進められてきたのだ」 . かくして, 現在, 産業組織は, 安全, 衛生, 労働時間, 最低賃金, 労働災害の使用者責任などについて, 「国家によっ て規定された条件を基礎とし, またそれらの 諸条件の限界内で, 雇用主および被用者の団体間の団体協約 ( conecdve arrangements). によっ て大部 分. 支 配さ れて いる」 .. . 「ここまでわれわれは孤立した個人の自由競争から離れてきたのだ」 . そして, 「経験が成熟する とともに, 新しい立法の含意がいっ そう明瞭になり, 産業を統制してもそれら含意 は自由を破壊せず, かえっ て自由を 確認しつつあったのだということを人びとは知るにいたっ た … …. 新しい, より具体的な自由の概念が生 ) 49 じ, 多くの古い前提が正 当性を疑われた」 ( p ‐ .. W 財産権の制限 ) の範 囲 を拡 lcon立o l i さて, ホ ブ ハ ウ ス は, 「個 人 の 自 由 と平 等 を維 持 する た め に は, 社 会的 統 制 ( a soc ) と して, さ ら に財産 権 の制 限 につ い て 論 じる. 54 張 しな けれ ばな らな い」 (p ‐. 1. 「富の社会的要素」 ホ ブハウスは言う. 「われわれは財産にかんする諸権利のいかなるものも自明のものと仮定してはならな. ) b d い」 ( i i ‐ . 財産の 「現実の作用」 を注視し, 独占の廃止, 社会的不正と産業上の無秩序の原因の処理,. 低賃金で酷使される労働者の救済と公正な報酬の保証, 一人の利益のために他人を犠牲にして有利な経済的 地位を利用することの防止, 社会の諸権利と個人の諸権利の正当な区別のための基準, 貧困の廃絶と産業上 の進歩を阻むことのない経 済的平等設定の可能」性, 共同の福利のための産業組織の可能性等々, 社会生活 への影響を考慮することが必要である. ) の諸 条 件 を確保 する の が 国家 の 義 務 で int と い う の も, 「普 通 の 健 康 な 市 民 の た め 自 活 ( seぱ-ma enance ) か ら で ある. そ の た め には2つ の方 向が ある. ひ と つ は 「生産 手段 に近 づ く 機 会 を与 える こと」 ある」 ( 91 p.. であり, もうひとつは 「共同の資産にたいする一定の持分を個人のために保証すること」 である. 第一の方 向は労働権を保障することにほかならないが, 「第二の方向のためには富の社会的成分を摘出することが必 ). bid i 要 で ある」 ( .. まず農業において, 土地の質や 「品位」 や価格の増大に由来する利益は, 「誰の労働の所産でもないのだ から, 誰の取り分でもなく, あるいは同じことだが, それはすべての人, すなわち社会のものとなるべきも. 97.
(9) . 吉. 崎. 祥 司. ので ある」 (p ). ある い は, 「都 市 の 内部 や 近 郊 の地 代 は, 本 質 的 に社 会 の創 造 した も の」 (p97 92 . . ) で あり,. たとえば 「ロンドンのある敷地の価値は本質的にロン ドンに帰すべきものであって 地主に帰すべきもので , はな い」 (p 100 ). 「敷 地 の 価 値 はま さ しく 共 同 の 財 産 で あ っ て 個 人 の 財 産 で はな い (be ing by nght com . )」 の で ある. そ して, 投 機 は, 「生 産 的 な 業 務 に よ っ て え ら れ た 資産 mmlal al ・d not personal pr oper t y でも 財 産 で も な い」 (p ) し, ま た 相 続 さ れ た 富 (縦hent 101 l th) が, 「日 ごと に創 造 さ れつ つ ある ed wea ‐. 富とはまっ たくちがった地位にある」 ( ) ことも明らかであっ て, これらの源泉に由来する所得への特 1 02 p . 別税の賦課は正当であり, それが生産および分配を現実に阻害することはない . 「 そもそも 自由主義の政策は, 勤労所得と不労所得との区別ばかりでなく, どんな源泉にもとづくもので あれ, 大所得には付加税を課すということに専心してきた」 ( ) が, それというのも, ホブハウスの理 1 03 p ‐ 解では, もともとそこには根本的な問いとして, 「はたしてたっ たひとりの個人が, 数名の個人が博してい るのとちょうど同じだけ社会にとって価値があるものなのかどうかという, 丁重なる ( r e spec佐山) 疑惑」 ( ) が存在していたからである. それゆえ, 付加所得税の原理は, 個人の産業的価値 ( b d i i the mdust灯al ‐ の限界を超える 「所得にたいして, 急激な累進的付加 税を課しても真に社会的価値 ある事業を妨げはしない」 ばかりでなく, むしろ 「測り知れない富をえようとか 社会的権力を手にいれた ,. dua ) l i value ofi n溝v. いとか, 虚栄心を誇示をしたいとかいう反社会的な熱情 ( he anti‐social ardow) をく じく こ と にな る」 t (p ) で あろ う. 104 ‐. 2. ホブハウスの平等主義 こ こ で 注 目 す べ き こ と は, R. H. トー ニ ー か ら P. タ ウ ン ゼ ン ト にい た る フ ェ ビ ア ン主義 を中心 と す ,. るイギリス社会主義の一大特徴をなす平等主義の原基がホブハウスその人に見出されるということであろう . 「生まれつき文明の物質的な恩恵の分け前を相続している少数者の階級が存在する一方 『裸で生まれ 裸で , , 死んでいくのだ』 と言いうるずっ と多数の人びとの階級がある」 ( ) 9 7 p . . しかし, 「大多数が自分で稼 ぐこ とができる以外には何ももたずに生まれついているのに, 他方では若干の者がどんな功績のある個人がもつ 社会的価値より以上のものを生まれつきもっ ているという状態に, 黙従すべきであろうか」 ( ) b d i i ‐ . 富や 権力に関する 「反社会的な熱望」 の抑制への言及と併せて, きわめてラ ディカルな平等主義の表白といえよ う. 所得の格差に上限 (たとえば4倍以内など) を設けるべきであるというフェ ビアン派などの歴史的議論 の根幹にある のは, ホブハウスのこうした 「丁重なる疑惑」 に他ならないように思われる . ホブハウスにとっ て, 自由と平等は一体のものでなけれ ばならなかっ た. 「多くのばあいに一面では自由 を求める運動が, 他の一面では平等のための運動であり, そしてそれら諸原理がいつも提携していることが 今までは確認される」 ( ) 28 f p ‐ ‐ . あるいはむしろ, 大多数の人びとにとっては, 自由は平等をつうじてはじ めて可能になるものであっ た. たとえば, 「富に恵まれていない人びとの頭を悩ませる教育の諸困難」 にか かわって, ホブハウス は, 「自由をえようとするたたかいは, やり遂げられるときは, やはり平等をえよう とするたたかいである. 職業を選択し従事する自由は, それが十分に効果的となるならば そのような職業 , に従事する機会が他人と平等であるということを意味する」 とし, そして 「これは, じっさいには 自由主 , 義を国家による無償の教育制度の支持へと導く, さま ざまな理由のひとつである」 ( 21 ) と付言している p ‐ が, ともすれば抽象性のうち に解体しがちな機会の平等の原則も, こうした具体性において追求されるとき には, しばしば革命的でさえあろう. ホブハウスは, このような内容での自由と平等の一体性あるいは相互 依存性について, 随所で言及している. そして, そうした平等は, もちろん所有の領域にかぎられず, 社会のあらゆる次元に要求される. 「富の 社会的要素」 の析出や所得格差の制限による経済的平等への接近から, 「訓育・薫陶」 の平等の保障にいた るそういった広範囲の社会的平等の要求の根底 にあるのは, おそらく, 「基本的な人間性が, 身分や階級や 98.
(10) . ホブハウス 『自由主義』 における 「社会的自由主義」 の全体構想. 肌の色のちがい, さらに, 異なっ た意味においてではあるが, 性のちがいよりもいっ そう深いところに横た わっている」 という確信であり, 「この究極的一致という感覚が, 平等の真の意味であり, 同様に社会的連 ) という認識にちがいないが, それはま た, 誰であれ本源的に他者に優越する 存在 帯の基礎である」 ( 6 5 p ‐ などはありえないという信念でもあろう. たしかに, けっ して 「個人的創意, 才能あるいは生産的エネルギー ) というのが, 109 の領域を軽視しない」 としても, 「人が他人に優越する権利になんの価値も認めない」 ( p ‐ ホブハウスの基本的視座であり, 人間の根源的平等性の感覚である. さらにいえば, 「若干の人びとは他の 人びとよりもっ とすぐれておりもっ と賢明であるが, 経験の示すところでは, いかなる人も, 他の人びとの 上に無責任な権力を及 ぼす[ことができる]という試験に永久に合格できるほど, 他の人びとよりも優れてい ないし賢明でもないように思われる. 反対に, もっ とも優れたそして賢明な人とは, 自分のために立法しよ うと求める前に, 自分が何を欲し, またなぜそれを欲するかを見出すために, 探求精神をもって, すすんで ) 1 1 8 もっ ともみすぼらしい人のもとにいこうとする者である」 ( p ‐ . 「社会的差別は共同の効用を基 加えてまた, すでにフランス人権宣言 が先鞭をつけていた命題であるが ( ) を先 取 り す f i 礎 と して は じめ て 成 立 しう る」), 現 代 のJ the de e er ence pmロc pl ‐ロ ー ル ズの 「格 差 原 理」 (. るような洞察が示されており, 注目される. すなわち, 「じっ さいの処遇や, 所得, 身分, 職務, 報酬につ いてのどんな不平等がよい社会制度のなかにあるとしても, それは恵まれた個人の利益それ自体にもとづく ものではなく, 公益に基礎をおいている」 のでなけれ ばならず, これこそ, 「富の分配の重大な不平等を合 ) である. ホブハウスの考えで 7 0 理的に弁護しようとする者によっ て実行されなければならない立場」 ( p ‐ ) b d i i は, 平等とは, 「能力はほんらい平等だ」とか, 「すべての人びとにたいする処遇が現実的に平等だ」 ( - ということを必ずしも意味しないが, 同時に, 公益に基礎をおかない不平等は正当性をもたない. そして公 ) にほかならない. 1 益とは, 「社会を構成するすべての個人の福利」 ( 09 p ‐ 3. 「税 の機 能」. さて, 財産権の制限および税の原理の問題に戻れ ば, したがっ て, 「徴税の真の機能 は, 社会に起源をも つ富の要素を, あるいはもっ と概括的には, その起源が生きている個人の努力に起因しない一切のものを, ) 社会のために確保することである」 ( 1 04 p ‐ . いいかえれ ば, 「年々生産される富の大部分が社会に起源をも っと考えるのが正しいとするなら, その結果は次のとおりである. すなわち, この報酬の割当て後に余剰が ) にしまわれ, 公共の諸目的のために役立てられるであ 残るであろうが, その余剰は社会の 金庫 ( r coHe s ) ろう」 ( 1 01 p ‐ . そして, 税とは, もともと 「社会的価値をもつ一定の分け前を国家が手にいれることがで きるようにする」 ものであり, 「納税者が自分に属すると要求する無制限の権利をもつものから差し引かれ ) た何かではなく, むしろはじめから当然社会に与えられる べきものの払い戻しであっ た」 ( 1 04 p . . そもそも, 「相続および遺贈の法律によっ て途方もない不平等が果てしなく続く経済組織には, 何かしら ) 97 根元的に間違っ たところがあるのではないか」 ( p ‐ . この事態にあっ て財産権は, 「本質的に各人が自分 自身の労働の果実を確保することができる制度」 であることをやめ, 「所有者が他人の労働を, 全般的に命 令できる条件で支配することができるひとつの道具となっ た」 が, 「この傾向は望ましくないと思われる」 ( ) 97 f p ‐ . 「経済的個人主義は巨大な物質的進歩の基礎をおいたが, しかしそれは大衆の幸福の大きな犠牲に よ っ て で あ っ た」 (p ), と い う の が ホ ブハ ウ ス の 財産 権 批 判 の 根 幹 で あり, 許 しがた いも の と して の不 平 98 ‐. 等の告発である. 4 「財産の社会的概念」 l こうして, 「公共の資源にたいする一定の最低要求 (血mim 皿 c aim) とい う 形 をとる, 真 の 財産 権 を社 ) 会成員のなかに認める べきではないか?」 ( 97 p ‐ . いいかえれば, 富の形成にかんして, 2つの領域を弁別. ) のである. それゆえ, b i d することが必要である. すなわち, 「富は個人的基礎と社会的基礎をもつ」 ( i ‐. 99.
(11) . 吉. 崎 祥 司. 新しい 「経済学の基本問題は, 財産権を破壊することでなく, 財産権の社会的概念を近代的必要 に適した条 件 の も と で 正 当 な 位 置 に回 復 さ せ る こ と」 (p ) で あ っ て, そ れ は, 「富 の 社 会 的 要 因 ( 98 f ) と個 人 的 tor ac ‐. 要因とを区別し, 富の社会的要素 ( l the elements of social wea th) を公 共 の 金 庫 にも た ら し, そ して こ れを, その成員の最も重要な必要のために, 社会の意のままに運用する」 ( ) ことによって行われるべ b d i i - きである. ここに, 創意や才能, エネルギーや努力に由来する個人的要素とは別に一 「財産の社会的概念」 (社会財の概念 the social conception of proper ) が成立 する. t y 財産権の基礎は2つの意味において社会的である. 第一に, 財産権は, 「所有者の権利を維持する社会の 組織された力」 であり, 「安定した秩序」 ( b ) である. このことは, 次の一節にきわめて説得的で, E d i i □ . 象的である. 「まっ たく独力で繁栄を築いたと考えている成功した実業家は, 商業の発達が可能にしてきた 秩序ある平穏, 道路や鉄道や海路の安全, 熟練労働者大衆, 文明がかれの意のまま にしうるものとした英知 の総体, 全般的な世界の進歩が創出してきたかれの生産物へのほかならぬ需要, かれが当然のことのように して使用し, しかも数世代にわたる科学者と産業の組織者との集団的努力によって築きあげられてきた諸発 明品がなかっ たならば, はたして成功へいたる道にただ一歩でも踏み出すことができたかどうかと, 思案し て み ない ので あ る」 ( ). 98f -. ところで, 社会は財産を維持し保証するばかりでなく, その財産はそもそも社会における人びとの共同に よっ てはじめて創造されたものであった. すなわち, 第二に, 「価値にも生産にも社会的な要素がある」 の で あ っ て, 「近 代産 業 にお いて は, 個 人 が独 力 で お こな い うる こ と はき わ め て少 な い」 ( ). した が っ て, 99 p ‐. 「経済的正義とは, 当然与えられるべきものを, 各個人ばかりでなく 有用な業務の遂行に従事している , , 社会的ある いは個人的なそれぞれの機能に返還することである」 ( b ) d こうして 公共のものは公 i i 共の ‐. , 金 庫 (pub亘c cof f ) へ, と い う 標 語 が 成 立 する. 人 び と は み な, 社 会 的 な 富 の共 同 の創 造 者 と して 財産 e s r. に対する正当な請求権をもつ. もっ ぱら私的な, 神聖かつ不可侵の所有権などは存在しない. そこで, 「も し一定の形式の財産権が個々 人の排他的な利益のために, そして共同の福利の侵害となるように作用しつつ あることを社会が見出すならば, 社会はそうした形態 の財産権を抑圧する十分な理由をもっている」 のであ り, 「それは個人の 閥絶対的」 な (虚i bl ) 権利などによっ てはまったく制 限されないのである」 ( i 38 ) escnpt e pr p ‐ .. V 権利としての社会保障 財産の社会的概念は, さらに社会保障権を基礎づ ける. 1 社会保障権の基礎 税の機能についての先述の議論にかかわっ て, 問題はまず, 「しかし, なぜ税収入がとく に貧者 ( he t ) のために費やされるのか」 ( ) 1 04 r poo p . , というようにたてられる. もちろん, 公共的経費は, 伝染病対 策としての公衆衛生や労働力養成としての基礎教育をはじめとして, あらゆる階級にとって同様の利益を生 み出すものとして, 多方面で執行されているし, そうでなければならないこともいうまでもないだろう. 「しかし, これらすべてが考慮されるばあいには, われわれは徹頭徹尾 相当な量の公共の支出を貧困の除 , 去のために用いることを意図してきた, ということが認められなければならない」 ( ) 05 1 p . . そのさい, 「こ の支出を正当化する根本的な理由は, 相応の身体的な快適さを現実に欠くという苦痛を防 ぐことが, 公益 (common g ) の基本的な要素であり, またすべての人がかかわるよう義務づけられ, すべての人が要 ood 求する権利と果たす義務をもつ目的である」 ( ) ということに求められな けれ ばな らない. けだし, b d i i . 「共同生活が, たっ た ひとりであれその参加者の避けうる苦痛のうえに成り立っ ているとしたら それは調 , 和の生活でなく, 不協和の生活である」 ( b d ) i i ‐ . すでに明らかなように, これはたんなる倫理的要請では. 100.
(12) . ホブハウス 『自由主義』 における 「社会的自由主義」 の全体構想. ない. 窮乏した男女は, 「公共の財源にたいし, ひとりの人間としての必要という理由で, そしてその他の い か な る 理 由 にも よ らず, 留 置 権 (先 取 特権. ). こ の留 置 権 は 拡 大 し改 善 さ れつ つ あ 96 ロen) をも つ」 (p ‐. るが, そこでの根底的論争点 は, 「英国のような豊かな国においては, すべての市民は, 健康で文化的な生 存にとっての必要な基礎であることが経験的にわかっている程度の物的生活資料を, 社会的に有用な労働に ) とい う こ とで ある‐ そ も そも, 「な ん らか の 有用 な 96f よ っ て 稼 得 す る 十 分 な 手 段 をもつ べ き で ある」 (p ‐ ‐. 社会的機能を遂行することができるすべての人が, それを行う機会 をもつ べきだというのは権利である」 . 衣 服 を供 与 する こ と で は なく, 人 ). も ち ろ ん, 国 家 の 任 務 は, 一 般 に, 直 接 人 びと に食 物, 家 屋, (p 108 .. びとがみずからの有用な労働によっ てそれらを獲得する ことができるように保証することである(その意味 ) で あ っ た) 82 で, 国家 とい う, 「貧民 の真 の 友 人 の 目的 は, 救貧 法 機構 へ 近 寄 らせな い よう にする こと」 (p . .. それゆ え, 人びとが, 「もし産業組織の現実の作用において, その 〔生計の〕 手段がじっ さいには十分に 手に入らないのなら, その不足をおぎなうために国家の資源にたいして, 慈善でなく権利として要求するこ ) とができる」 ( 97 p ‐ . なぜなら, 「財産をもたない丸裸かの労働者が財産をもつ雇用主との取引で手に入れ ることができる価格 は, このような労働者が実際に富として増加しうる量ではまったくない. その取引は不 平等であり, 低い報酬はそれ自体低い能率の原因であり, これは今度は報酬に不利に反応しがちである」 る. そもそも, 「社会の経済組織の任務」 あるいは 「社会の機能は, すべての普通の成年の ) からであ, ( 1 f 06 成員のために, 有用 な労働によっ て健康で能率的な 生活の物質的必需品を稼得する手段を保証すること」 ) で あ っ た. そ して, も しそ れ が 国 家 の 介 入 な し に は実 現 さ れ な い と い う の な ら, 「そ れ ら は 国家 の (p 105 .. ) 1 06 慎重な行為によって確保されなければならない」 ( p . . ちなみに, 「生活の諸条件の一般的改善は, 労働者の生産力に有利に反応する. … … 労働階級の状態の ) 1 07 物質的な改善は, 純粋に経済的な投資としてみても, 社会のために[費用以上の]利益をあげるであろう」 ( p . . 2. 基本権としての労働権と生活給権. かくして, 不熟練労働者も, 「すべての相続財産を奪い取 られるべきではない. かれは, ひとりの市民と ). 経済 的 混 乱, 廃 107 ) に一 定 の 取 り 分 をも つ べ き で ある」 (p l 超[ he i i して, 社 会 的相 続 財 産 ( t ance soc a r ‐ 疾, 失業のさいの援助, 子どもたちの取り分としての国家による教育, 「これらの分け前は社会的余剰に課 bid ). そ れ ゆ え, 「一 人 の 市 民 と して の か れ に i せ ら れる 負 担 で あ」 り, 「他 の個 人 の 所 得 を 侵 害 しな い」 ( .. 帰す社会的相続財産のなかであまねく利用できる分け前以上の助力なしに, 生涯をとおして自活する人は, ). 「普 通 の能 力 をも っ た ひ とり の正 直 な ) と み な す の が正 当 で ある」 ( i bid ing 自立 して い る ( t se甘‐ suppo r .. 人間が, 有用 な労働 によっ て生活を維持する手段を明確 に見出すことができない社会は, 組織的欠陥 (ma l orgamza口on) に悩 んで い る の で あ る. と ころ で, 個 々 の 労 働 者 は そ の 機 構 を正 す こ と はで き な い.. かれは, 市場の統制について発言権をもつ最後の人物である. かれは産業を指導したり, 規制したりしない. かれは産業の盛衰に責任がない. しかるにかれは, その埋め合わせをしなければならなない. これこそ, か ) 84 れが求めているのが慈善でなく正義であるという理由である」 ( p ‐ . 「経済的な組織的欠陥のために失業 したり, 賃金の十分な支払いを受けていない労働者は, かれがその国にいるかぎり, その社会の慈善にとっ ). bid i て で はな く, 正 義 にと っ て 恥 になる こ とで ある」 ( . ) は, 人 身 も かく して 「「労 働 権」 (口ght to work) と 「生 活 賃 金 を求 める 権利」 (nght to 亙Vmg wage. しくは財産にかんする権利とまったく同様に正当である. いいかえれば, それらはよき社会秩序の不可欠の ). たしかに, 「一切の外部的支援を過酷にも与えずにおくことによって労働階級に独立 条件である」 ( 83 p ‐ すべきことを教えなくてはならない, あるいは 「巨大な国家的慈善制度」 は, 「エネルギrの根源を枯渇さ ) せ個人の独立を害するに相違ない」 9 5 p , といっ た考えもある ( ‐ . しかし, 「生活の経験が示唆するところ では, 希望は恐れよりもっ と刺激的であり, 自信は不安よりもっとよい心的環境である. 絶望がときには例. 101.
(13) . 吉. 崎 祥. 司. 外的な努力をするように人を鼓舞するとしても, その効果はつかの間のものであり, 永続のためにはもっと 安定した状態の方が, 普通の健康的な生活の組織を作り上げる抑制とエネルギーの混合物を育てるのに いっ , そうよく適している. あらゆる形態の社会制度を濫用する人びとがいるのと同様に, 自分の有利な立場を濫 用しようとする人びとがいるだろう. しかし, 全体として個人の責任は, 道理に適ったその範囲が適切に定 められるとき, つまり個人の双肩にかかる重荷が平均的な人間にとって余りにも大きすぎて耐えられないと いうことがないときに, いっそう明瞭に確定され, いっそう厳格に主張されうると考えられる」 ( ) 9 5 p . .福 祉は怠惰をもたらすという福祉依存論には, こうして, 根拠がない. もちろん, ホブハウスのばあい, 受益者を救助するのではなく, 一般に貧困を避 ける手段を利用できるよ うにつとめるべきなのであっ て, 介入の範囲・限度はこの点 に定位されなければならないが 「国家が行っ . ていること, … … 国家が行うだろうことは, けっ して普通の人間の必要を満たすものではないだろう か . れはやはり, かれ自身の生計[の資]を稼 ぐために働かなければならないだろう」 . しかしかれは, 国家の援 助によって 「暮らしの基礎をもつだろう」 ( b d ) i i ‐ .. 孤 自由放任主義の否定と国家介入の必然性 こうして自由放任主義は否定された. 必要なばあいに, 適切な範囲で国家の介入が求められる この介入 . 「 の基本的性格はこうである. 国家的強制 ( St i t a e coerc on) の 機 能 は, 個 人 的 強 制 をく つ が え す こ と で あ り, またもちろん, 国家の内部で個人の団体によって行使される強制をくつがえすことである」 ( ) 7 8 p ‐ . 1 自由放任主義・自由競争制度の破綻 自由主義は, じつは拘束を前提とするものであっ た. したがってそれは, 必要に応じて介入的な, 建設的 なものでなければならなかった. なぜか. 般に, 非熟練労働者をはじめとする民衆的次元では, 多くのば あい, 解き放たれた, 「孤立した個人は無力であっ た. かれは, 他人の同等の権利を害さないかぎりでもろ もろの権利をもっていたが, しかし, 偶然に上位の力が与えられないかぎり, これらの権利を強く主張する ことができなかった」 ( ) からである. 何よりもまず, 生活が成りたち難かっ た. 「 2 3 1 7 6 0年いらい進行し p ‐ ていた産業革命および農業革命の結果, 大衆は経済的窮乏のどん底へ引きずり込まれていった」 ( ) 44 p ‐ .自 由競争制度は, 「平均的な肉体労働者が, 生活のあらゆる危機をカバーする完全な独立」 ( ) を獲得でき 8 5 p ‐ るときはじめて, そのことによっ てのみ正当化されるものであるが, その見込みはまったくない 時代のシ . ンボルとしての自由貿易も, 「繁栄の基礎はおいた けれども家は建てなかった」 し, 「失業, 賃金の不十分な 支払い, ある職業に人があり余っている状態といっ た諸問題を解決しなかっ た)」 ( ) 1 1 5 9世紀に p ‐ . そして1 おいても, 生活水準の向上や労働組合あるいは協同組合などの成長にもとづく諸改善にもかかわらず 「個 , 人競争という方向の上では, 平均的労働者が完全かつ 生涯にわたって経済的独立を手にいれる見込みは 労 , 働組合の団体協約によって補足され守られるときでさえも, きわめてありそうにないように見える」 ( ) 85 p . . ホ ブハ ウ ス にお ける (nat l mi晒血 皿 で なく) ナ シ ョ ナ ル ・ オ プ ティ マ ム (nahona i l optむmm ona. の観. 念への接近をも思わせて興味深い一節であるが, 「平均的な家族のためのたんなる肉体的な生計の資という 概念から, 文明生活の最低の必需品を調達し, そして外部のいかなる支えをも当てにする必要なしに, あら ゆる不慮の出来事に対処するような賃金という概念へ進むと, … … 最高の熟練工以外の誰もそのばあいの 要求を満たす報酬を得ることはできない」 ( ) のが現実で, 「産業における[自由]競争制度が, 『生活賃 f 8 5 p ‐ ‐ 金』(麹血g wage) の 概 念 に 具現される倫理的要求を満足させないことは明白である. 多数の英国民の手 の届く範囲にある自由な国家のすべての市民の生得の権利たるべき, 健康かつ独立な生存の手段をもたらす 改善という希望を, その制度はまったく与えない」 ( ) 86 p ‐ .. 102.
(14) . ホブハウス 『自由主義』 における 「社会的自由主義」 の全体構想. 2 平等な自由のための国家介入 ) 49 の理論は国家が競技場を確保すると仮定する」 (以下, p ‐ . 暴力 や詐欺の阻止とか財産の安全あるいは契約の強制といっ た条件の確保こそ国家の使命である, というわけで fa i l と ころ が, 「自 由 放 任 ( i r ‐ a ssez. ある. ホブハウスに言わ せれば, 「しかし, なぜこれらの諸条件を, しかもこれらだけを基礎として他のも のはまっ たく基礎としないのか, と問われるかもしれない」 ではないか. 端的には, 「国家はな ぜ, 人身お よび財産の保護を確保しなけれ ばならないのか」 . むしろ, 「自己自身の努力をつうじてではなく, 自分たち の頭上で作用している国家機構の力によっ て人身および財産を安全にするのは, 人びとを被救位民にするよ うなものではないか」 (「自分自身でたたかう方がどれほどずっ と男らしいことだろう!」). と いう わ けで, 国家権力の極小化を求める 「真に首尾一貫した個人主義は, この機構を廃止したいとは思わないのだろうか」 , とホブハウスの批判は痛烈かつ辛孫である. 自由放任主義者が国家の介入を全否定しないのは, 「暴力の行使は犯罪であり, 国家は犯罪を抑止しなけ ればならない」 と考えているからである. そこでたとえ ば, 他人にたいする故意の不法行為は犯罪として公 2時間労働を毎日課すのは, 財布の窃盗よりももっ 権力によって処罰されるが, しかし 「それでは, 子どもに1 ) 50 と大きな危害を加 えることではないのか」 ( p ‐ . この ばあい, 自由契約の信奉者が, 不法行為か否かを契 約の存否に求める としたら, しかし 「その契約は強制された契約である. 弱い方の人 (値e weaker man) は … … 何があっ ても同意するほかないようなものである. これは真の同意ではない. 真の同意とは自由な ) b d i i 同意であり, そして完全な同意の自由とは契約の当事者双方について平等を含意している」 ( . . それゆえ, 殺害や略奪の阻止によって政府が自由の根本を保証したのと同様に, 「他人の不利になるよう に人が自分のなにか有利な点を利用するのを妨げる, という観点で政府が課すあらゆる制限によって, 政府 ) b d i i はすべての人にずっ と多くの自由を保証するのである」 ( - . こうして, 国家の介入・干渉 (それは自 由放任主義が隆盛をきわめていたときでさえ, 事実上少なからず行われていたのだが) が正当性をもっ た要 求として主張されることになる. 「国家の機能は, その市民が自分自身の努力によっ て, 完全な市民の能力 のために必要なものすべてを獲得しうる諸条件を確保すること」 であり, 「個人がなすべきことを国家が個 ) 82 人のために行うなら」 p ‐ . かくして, 「公衆の精神 , それは 「自由の問題ではなく責任の問題」 である ( ) 86 に徐々に浸透しているこの信念が, 新しい社会改革思想に転化した」 ( p ‐ . 80年代後半に顕著となってき た失業や貧困などの 「社会問題」 が社会主義や非熟練労働者主導の 「新組合主義運動」 の影響力を増大させ, C ‐ ラウントリーらの実証的な貧困研究が, 個人の道徳的資質を答めてだけいた従来の貧困 . ブースやB‐S ) による 貧 困 と い う 認 識 へ の 転 回 をも た らす 一 方 で, 「グリ ー i i lcontmgenc 観 か ら 「社 会 的 事 故」 ( es soc a. ンの教えとトインビーの熱意が自由主義を個人主義的な自由概念という手柳足柳から解放して, 現代の立法 ・ ) を容易ならしめた」 ( 1 1 2 p ‐ . もちろん, 孤立しえない個人と 「国家との間には相互的な義務 が存在する」 ( ) こと はい うま で も ない が. 86 p .. ) 概念は, 人身の自由という真の原理と衝突しないことを含む このように, 「国家の 『積極的』( pos旗ve ) 1 だ けで なく, そ れの効 果的 な 実現 の た め に必要 で ある」 (p 7 . .. 孤. 団結による 規制. さて, 自由の現実的基礎をなす拘束の主要な形態は, 国家の干渉につきるわけではない. 社会的自由主義 は, 国家的規制と社会的規制の両輪を駆動力としている. 1. 「強制にたいする強制」 inat 法 お よ び 国家 の 介 入 につ ぐ拘 束 の第 三 の領域 は, 団結 ( comb on) による 規 制 で ある. 「少 数 の 者 の 意. 103.
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