中国語の (是)……VO的 文と (是)……V的O 文の形式および意味機能に関する研究
著者 金 萍
著者別表示 Jin Ping
雑誌名 博士論文本文Full
学位授与番号 13301甲第4619号
学位名 博士(文学)
学位授与年月日 2017‑09‑26
URL http://doi.org/10.24517/00049685
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
中国語の“ ( 是 ) …… VO 的”文と
“ ( 是 ) …… V 的 O ”文の形式および 意味機能に関する研究
金 萍
平成 29 年 9 月
博士論文
中国語の“ ( 是 ) …… VO 的”文と
“ ( 是 ) …… V 的 O ”文の形式および 意味機能に関する研究
金沢大学大学院人間社会環境研究科 人間社会環境学専攻
学 籍 番 号:1221072003
氏 名: 金 萍
主任指導教員名: 岩田 礼
i 目次
第一章 研究の動機、目的及びアプローチ ... 1
1.1 はじめに ... 1
1.2 研究動機 ... 2
1.3 “是……VO的”文と“是……V的O”文に関する問題点 ... 3
1.4 本研究の目的 ... 6
1.5 考察対象 ... 6
1.6 本研究の構成 ... 7
第二章 “(是)……VO的”文と“(是)……V的O”文の歴史的変遷 ... 9
2.1 はじめに ... 9
2.2 唐代・五代・宋代 ... 9
2.2.1 使用テキスト ... 9
2.2.2 唐代(618~907年) ... 10
2.2.3 五代(907~960年) ... 11
2.2.4 宋代(960~1279年) ... 12
2.3 元代・明代・清代及び五四運動以降 ... 14
2.3.1 使用テキスト及び考察項目 ... 14
2.3.2 先行研究 ... 16
2.3.3 元代(1271~1368年) ... 21
2.3.4 明代(1368~1644年) ... 28
2.3.5 清代(1644~1912年) ... 35
2.3.6 五四運動以降(1919年~) ... 42
2.4 第二章の結び ... 49
第三章 現代北京語における“(是)……VO的”文と“(是)……V的O”文 ... 54
3.1 はじめに ... 54
3.2 北京語口語作品 ... 54
3.2.1 使用テキスト ... 54
ii
3.2.2 北京語口語作品について ... 55
3.3 北京語談話資料 ... 64
3.3.1 使用テキスト ... 64
3.3.2 談話資料について ... 65
3.3.3 使用頻度の高い動目構造について ... 75
3.4 第三章の結び ... 77
第四章 “(是)……VO的”文と“(是)……V的O”文の構文的機能をめぐって ... 80
4.1 はじめに ... 80
4.2 先行形式との関係による考察 ... 81
4.2.1 “(是)……VO的”文の場合 ... 82
4.2.2 “(是)……V的O”文の場合 ... 83
4.3 照応形式との関係による考察 ... 86
4.3.1 “(是)……VO的”文の場合 ... 86
4.3.2 “(是)……V的O”文の場合 ... 89
4.4 第四章の結び ... 90
第五章 結章 ... 93
参考文献 ... 97
例文一覧 ... 99
凡例
1.「V」は動詞を示す。
2.「O」は目的語を示す。
3.「S」は主語を示す。
4.「N」は名詞を示す。
5.「Ad」は連用修飾成分を示す。
6.「R」は指示代名詞を示す。
7.「φ」は省略された“是”を示す。
8.中国語の概念は“ ”をもって示す。日本語の概念は「 」をもって示す。
9.引用文中の……は、特に断らない限り、引用者による省略を意味する。
10.引用文と例文の日本語訳は、特に断らない限り、著者によるものである。
1
第一章 研究の動機、目的及びアプローチ
1.1 はじめに
現代中国語には、一般的に強調を表すとされる“是……的”構文がある。相原茂他(2005) では、「ある行為が発生したこと自体は明らかで、更にその行為の行われた時間、場所、方 式等を具体的に強調する」と説明している。例えば次のような例文がある。
(1-1)他妹妹昨天来了。
(彼の妹は昨日やって来た。)
(1-2)他给小王写了一封信。
(彼は王君に一通の手紙を書いた。) (相原茂他2005:134)
例文(1-1)と(1-2)は「彼の妹がやって来た」、「彼は手紙を書いた」という出来事を述べた 文である。これらの出来事を述べる際、「いつ」やって来たのか、「誰に」手紙を書いたのか を強調する場合、“是……的”構文が使われる。
(1-3)他妹妹是昨天来的。
(彼の妹は昨日やって来たのだ。)
(1-4)他是给小王写信的。
(彼は王君に手紙を書いたんだ。) (相原茂他2005:135)
このような“是……的”構文について、刘月华(2001:762-771)は、“是……的”文(一)と呼 んでおり、以下のように指摘している。
“是……的”句(一)是一种带“是……的”标志的动词谓语句。“是”经常出现在谓语 前,有时也出现在主语前;“的”经常出现在句尾,有时也出现在谓语动词之后,宾语之 前。“是……的”中间一般是状动短语、主谓短语或动词等。
[“是……的”文(一)は、“是……的”で標識される一種の動詞述語文である。“是”は通 常述語の前に現れるが主語の前にも現れる。“的”は通常文末に現れるが、時々述語動 詞の後ろ、目的語の前にも現れる。“是……的”の間に置かれる成分は、主に連用修飾 語動詞フレーズ、主述フレーズ或いは動詞などである。]
このタイプの文は、既に完了・実現した行為について説明を行うもので、まだ実現してい ない行為については用いられない。
2
一方、“是……的”で標識される構文がすべて“是……的”文(一)とは限らない。刘月华 (2001:771-775)は、話し手が断定、願望、可能などの気持ちを述べる“是……的”構文を “是
……的”文(二)と呼んでいる1。
“是……的”句(二)是指带“是……的”标志的一部分动词谓语句和形容词谓语句。“是”
和“的”都表示语气。这类句子多用来表示说话人对主语的评议、叙述或描写,全句往往 带有一种说明情况、阐述道理、想使听话人接受或信服的肯定语气。
[“是……的”文(二)は、“是……的”で標識される一部の動詞述語文と形容詞述語文で ある。“是”と“的”は語気を表す。このタイプの文は主に話し手が主語に対する評価、
叙述或いは描写で用いられ、状況や道理を説明したり、聞き手に受け入れさせる、或い は信服させようとする肯定的な語気を表す。]
例えば、
(1-5)我是历来主张军队要艰苦奋斗,要成为模范的。
(軍隊は刻苦勉励、人の範たらねばならないと私はかねてから主張しておる。)
(1-6)张思德同志是为人民的利益而死的,他的死是比泰山还要重的。
(張思徳同志は人民の利益のために死んだのであり、彼の死は泰山より更に重い。
(刘月华 2001:771) (用例の訳文は片山等訳1996:657による)
このタイプの文は、主として話し手が未来のことや普遍的なことを述べるときに、語気 を表すために用いられる。“是……的”の中に入る動詞フレーズとして比較的よく見られる のは、「動詞+可能補語」、或いは「助動詞+動詞」という形式である。また、構造的に“是”
を主語の後に置き、“的”は必ず文末に置くという特徴がある。
以上のように“是……的”文(一)と“是……的”文(二)とは別の種類の文型である。“是
……的”文(一)の“的”は目的語の前に置いても後ろに置いてもよいということに対して、
“是……的”文(二)の“的”は常に文末に置かれなければならない。本研究の趣旨は、“的”
の位置の違いによって、“是……的”構文全体の意味機能がどのような違いがあるのかを明 らかにすることである。そのため、本研究では“是……的”構文(一)のみを分析対象とす る。
1.2 研究動機
本研究は、動詞が目的語を伴う場合の“是……的”構文を扱う。目的語の位置は、“的”
1 刘月华(2001:762-782)は、“是……的”構文を二つに分類し、それぞれ“是……的”文 (一)と“是……的”文(二)と呼んでいる。
3
の前である場合と後ろである場合があり、本研究ではそれぞれ“是……VO 的”文、“是…
…V的O”文と表記する。“是……VO的”文は経常と已然の二義性2を有するが、“是……
V的O”文は已然義しか表わさないと言われている。杉村(1983:478)は、以下のような例
文を挙げている。
(1-7) a.他是在北大学哲学的。
(彼は北京大学で哲学を勉強しているのだ。) (彼は北京大学で哲学を勉強していたのだ。) b.他是在北大学的哲学。
(彼は北京大学で哲学を勉強していたのだ。)
(1-8) a.你怎么搞家务的?
(あなたは<普段>家事をどうこなしているか?)
(あなたは<過去の一時点>家事をどうこなしていたか?)
b.你怎么搞的家务?
(あなたは<過去の一時点>家事をどうこなしていたか?)
(1-7) a.は北京大学に在学中の学生を紹介する文とも、卒業生を紹介する文とも読める。
後者の場合、(1-7) b.と同じ意味になる。また、(1-8) a.は家事を普段どうこなしているか を問う文とも、「先週」や「昨日」のような過去の一時点でどうこなしていたかを問う文 とも読める。後者の場合、(1-8) b.と同じ意味になる3。金(2016)でも指摘したように、両 形式は「過去の一時点」を表す時間詞と共起すれば、いずれも過去に起こった個別の事態 に言及することになり、意味も同じになる。
しかし、同じ意味を表すと言っても、形式が異なる以上、この二つの構文は異なる機能を 有する可能性もある。そこで、“是……VO的”文と“是……V 的O”文の意味機能を整理 することによって、両形式の異同を見直すことができるのではないかという問題意識が、本 研究の出発点である。次節では、従来の研究が“是……VO的”文と“是……V的O”文を どのように捉えてきたのかを概観する。
1.3 “是……VO的”文と“是……V的O”文に関する問題点
従来の研究では、“是……VO的”文と“是……V 的O”文の形式的な側面や意味的な側 面から、多種多様な考察が行われてきた。中でも、(1)“是……V的O”文は“是……VO的”
2 杉村(1983:478)では、‘V₋NO₋的’は経常的或いは已然の二義性、‘V₋的₋NO’は已然の みの一義性をもつと指摘している。「経常的」とは、日常的に繰り返えされる可能性の多 い事態を指す。Noとは名詞を指す。
3 用例 (1-7) a.と (1-8) a.は、経常的な事態を強調する“是……的”構文とみなし、本稿の 研究対象とはしない。
4
文から派生したのか否か、(2)“是……V的O”文と“是……VO的”文はどのような異なる 機能をもつのかという点について、度々議論の焦点となっている。以下では、諸説の概要に ついて述べる。
(1)“是……V的O”文と“是……VO的”文の共時的派生関係と歴史的起源
「“是……V 的O”文は“是……VO的”文から派生した」という説を唱える研究が多く 見られる。朱德熙(1978)は、現代中国語の“的”構造に関する研究において、“是+DJ的+M”
4(是+動詞性成分+的+名詞性成分)は、“M+是+DJ的”(名詞性成分+是+動詞性成分+的)
の主語“M”を“DJ的”の後ろに移動させたことによって形成された(主語後置)と述べ た。袁毓林(2003)は、“S+Ad+V+O+的”の“的”は、一定の条件を備えていれば目的語の前 に移動することができ、“S+Ad+V+的+O”という形式になる(“的”字前置)と指摘してい る。
杉村(1983)(1995)は、「“的”は名詞句化助詞(一般にいう構造助詞の“的”)であり、<…
動詞—“的”—目的語>(本論文の“是……V的O”文)という構造においては、<…動詞—目的 語—“的”(過去)>(本論文でいう“是……VO的”文)という意味が<…動詞—“的”—目 的語>という形式によって表されている。よって、<…動詞—“的”—目的語>は意味と形式 の間に齟齬のある、非論理的な構造形式となる」と述べている。要するに、“是……VO的”
文は「過去、個別」の表示に適した形式を獲得したいという要求が、表現の論理性を維持し ようとする力に勝った結果、“是……V 的 O”文によって表されているということになる。
以上の諸説は、共時的な研究であり、“是……VO的”文から“是……V 的O”文への転 換を共時的な派生として解釈していると思われる。
一方、“是……的”文の通時的な研究を行なった龙海平・肖小平(2009、2011、2012)及び 刘敏芝(2008)は、歴史的に“是……V的O”文が“是……VO的”文より先に形成されたと 主張している。龙海平・肖小平(2012:26)は、次のように述べている。
我们发现从元明时期一直到现代,“(是)SVO 的”句式一直未能像其他“(是)……的”
类句式一样演化成为成熟的句式。与此形成对照的是,“(NP)是 SV 的 O”句式肇始于 宋代,在元明时期大量出现并发展成熟。认为“(是)SVO的”句式通过“的”的前移形成
“(NP)是SV的O”句式,显然忽略了这两种句式在汉语发展史中的历时演变顺序。
[元代・明代から現代に至るまで、“(是)SVO的”文は、ほかの“(是)……的”类型の構 文ほど成熟な構文として成り立っていなかった。これとは対照的に、“(NP)是 SV 的
O”文は宋代から現れる。“(是)SVO的”構文が“的”の前移によって“(NP)是SV 的
O”構文になったという考えは、明らかに漢語発展史におけるこの二つの構文の通時的
4 朱德熙(1978)は、“的”構造の判断句をS1:M+是+DJ的、S2:DJ的+是+M、S3:是
+M+DJ的、S4:是+DJ的+M、S5:(DJ的)1+是+(DJ的)の五種類に分類している。M
は名詞性成分を表し、DJは動詞性成分を表す。
5 変化の順序を考慮していない。]
また、刘敏芝(2008:80-120)は、“是……V的O”文の初出例は南宋で現れ、“是……VO的”
文のような“的”を文末に置く用法は元代から盛んになったと指摘している。宋代の《五灯 会元》には、現代中国語の“我是昨天进的城”(私は昨日町に来たのだ。)のような、既に発 生した動作を強調する用法が見られる。しかし、“的”を文末に置く用法は南宋までは少な かった。ところが元代になると、“的”を文末に置く用法が頻繁に使われるようになり、“的”
も語気(アスペクト)助詞として、肯定を表したり、動作の仕手、方式、目的などを表すよう になった。
(2) “是……VO的”文と“是……V的O”文の意味的相違
両形式の意味機能について論じた研究も数多く存在する。中でも、杉村の一連の研究は最 も有力な研究成果として挙げられる。
1.2ですでに述べたように、杉村(1983:478)では、‘V₋NO₋的’(本論文でいう“是……VO 的”文)は「経常または已然」の二義性をもつのに対して、‘V₋的₋NO’(本論文の“是……
V的O”文)は「已然」のみの一義性をもつとしている。この観点をもとに、杉村(1995:7)で
はさらに検討を進め、「一般的に、名詞句化助詞“的”と動詞が直接結合した形式<…V的 O>は、過去の事件を述べた形式として理解される傾向が強く、“的”との間に目的語を介 在させた形式<…VO 的>とは、しばしば‘過去/個別’対‘非過去/一般’というテンス・
アスペクト的な対立を構成する」と述べている。
一方、牧野(1996)は、“是……VO的”文と“是……V的O”文の違いについて、認知 的な視点から分析を試みている5。牧野は、両形式の意味構造について、“是……VO的”文 も“是……V的O”文も共に“是”字句のカテゴリーに属するものであり、“是……VO的”
文は「主語と目的語が同一の関係にある“是”字句」、“是……V的O”文は「修飾構造の名 詞句を目的語とする“是”字句」と主張した。その上で、“是……VO的”文は述部による主 語の特徴づけを表し、“是……V的O”文は動作に関する状況に最大の際だちを与えるとし ている。
このほか、両形式の違いを形式面から明らかにしようとした研究もある。马学良・史有为
(1982)、牛秀兰(1991)は、主に動詞の音節数から“是……的”構文における動詞と目的 語の関係を考察している。牛秀兰(1991)によれば、単音節動詞は“是……V的O”文、複 音節動詞は “是……VO的”文で用いられることが多い。赵淑华(1991)、刘月华(2001)
は、両形式の目的語について考察しており、動詞の目的語が人称代名詞であれば、通常“的”
の前におくと指摘している。本研究は、第二章以後でこれらの先行研究を参考にしながら、
用例の考察を行っていく。
5 牧野(1996)は、本研究の“是VO的”を<N是~的>,“是V的O”を“是~的”と表 記している。
6 1.4 本研究の目的
本研究では、“是……VO的”文と“是……V 的O”文の形式及び意味の差異について、
通時的、共時的に検討する。
対象とする資料は、唐五代から元、明、清、五四運動期以降に至る口語作品、現代北京語 の口語作品及び談話資料である。最初の時代を唐・五代に設定した理由は、“(是)……V 的 O”文のような既に発生した動作を強調する用法が現れた最初の時代は宋代であり、それよ りさらに前の時代から探り出すことで、意味機能の変化経緯が辿れると考えたからである。
五四運動期以前の口語作品について、実際の閲読作業には「中国哲学书电子化计划(简体 版)」6を使用した。現代語の資料については、主に五四運動以降の小説より例文を収集 し、特に現代北京語の資料として老舍と王朔の文学作品を調査した。当代の小説は、「中 日対訳コーパス(第1版)」などを使用した。また、北京語の談話資料については、北京语言 大学语言研究所「北京口语语料查询系统(北语BJKY)」7を使用した。
本研究では、主に二つの点に着目して調査、分析を行う。一つは「叙述の焦点」、「述語 動詞の音節数」、「目的語の種類」、さらに「叙述動詞の音節と目的語の音節の関係」であ る。もう一つは、“(是)……VO的”文と“(是)……V的O文”における先行形式(前文)と照 応形式(後文)との繋がりである。
1.5 考察対象
本研究において、研究対象の“是……VO的”文と“是……V的O”文を判別するため の条件として、以下の3つを挙げる。
(1)必ず已然義を表す。
(2)主語と目的語は対等関係ではない。(“是……V的O”文)
(3)目的語を“的”の後に移動させることが可能である。( “是……VO的”文)
これら3つの条件とした根拠は、以下の通りである。
(1)について。“是……VO的”文と“是……V的O”文の共通の特徴は、必ず已然義を表
すことが挙げられる。動詞の前には、動作に関する時間や場所、やり方、条件、目的、対 象、仕手等の連用修飾成分があるという特徴もある。
(2)について。太田(1958:356-357)は“是……V的O”文について、次のように説明して
いる。“你害的是什么病?”(あなたはどんな病気にかかっているのですか)、“穿的是谁的 衣服?”(だれの着物をきたのか)のような同動詞句に対して、“你既是这等起的病……”
(あなたはそのようにして病気になったのなら…)のような文は「同動詞句の非論理的表 現」である。“你”(あなた)と“病”(病気)とは全然別のものであるから、これに
6 「中国哲学书电子化计划」http://ctext.org/library.pl?if=gb&page=2&remap=gb
7 北京语言大学语言研究所 北京口语语料查询系统(北語BJKY) http://app.blcu.edu.cn/yys/6₋beijing/6₋beijing₋chaxun.asp
7
“是”を用いるのは非論理的表現となり、“你”(あなた)は主語ではなく意味上は主題語 であると述べられる。“这等起的病”(そのようにして病気になった)は「修飾連語の名詞 的なもの」であるが、これに対して“说的媒”(媒酌した)、“到的北京”(北京に着いた)
は、「修飾連語」ではなく、「支配連語」である。また、太田(1958)によれば、形式上の類 似から名詞化した修飾連語でもないものを“是”の目的語にして言うという点で、一層特 異なものであるとされる。
本研究は、“说的媒”(媒酌した)、“到的北京”(北京に着いた)のような「支配連語の名 詞的なもの」も研究対象にする。
(3)について。これは、吕必松(1982: 35)が提案する“是……VO的”文の判断方法を参
考にしたものである。
如果“是”和“的”中间是一个动宾短语,还可以通过改变宾语位置的办法来检验是 否属于带表示过去时的“是……的”结构的动词谓语句。如果宾语可以移到“的”的后 面,而且句子的基本意思不会因此而发生变化,就可以断定是带表示过去时的“是……
的”结构的动词谓语句。
[“是”と“的”の間が「動詞+目的語」フレーズの場合、目的語の位置を移動させ るという方法を通して、過去形の“是……的”構造の動詞述語文であるかどうかを検 証できる。もし目的語を“的”の後に移動させることが可能であり、かつ文の基本的 な意味も変わらなければ、過去形の“是……的”構造の動詞述語文であると断定でき る。]
例えば、例文 (1-9)a.我们是上星期去长城的。(私たちは先週万里の長城へ行ってきた。) の目的語「长城」(万里の長城)を「的」の後に移動させると、例文(1-9)b.我们是上星期去 的长城。(同上)になる。吕必松の基準に従えば、この例文は“是……的”構造の動詞述 語文(“是……VO的”文)であると判断できる。
本研究では、以上3つの条件をもとに用例の収集作業を行った。また、“是”は日常会 話では省略されることが多いため、本研究では“是……的”構文を“(是) ……VO的”文 と(是)……V的O”文と表記する8。
1.6 本研究の構成
本論文は5つの章から構成される。
本章では、研究の目的、先行研究、研究対象及び構成を説明した。
第二章では、唐代・五代・宋代から元代・明代、清代・五四運動以降に至る口語作品を 対象として考察を行った。考察の方法は、収集した例文に含まれる叙述の焦点、述語動詞 の音節数、述語動詞の音節数と目的語の音節数、目的語の性質をそれぞれ分析するという
8 “是”を省略しても文が成立する。ただし、強調の要素が若干薄らぐ。
8
ものである。そのうえで、両形式の特徴を検討する。
第三章では、現代北京語で書かれた口語作品と北京語の談話資料を扱う。考察の方法 は、第二章と同様である。
第四章では、現代、当代の口語作品を考察することにより、“(是)……VO的”文、“(是)
……V的O”文における先行形式(前文)と照応形式(後文)の繋がりを明らかにする。“(是)
……VO的”文、“(是)……V的O”文が先行形式である場合、それによって提供された情 報は、後続文脈で反映されるかどうか。また、“(是)……VO的”文、“(是)……V的O”文 が照応形式である場合、先行文脈及び発話環境によって提供された情報は、それに反映さ れるかどうかといった、文章を組み立ての関係を検証する。
第五章では、結論を述べる。
9
第二章 “
(
是)
……VO
的”文と“(
是)
……V
的O
”文の歴史的変遷2.1 はじめに
本章は、“(是)……V的O”文と“(是)……VO的”文の歴史的変化の様相を明らかにす ることを目的とする。
“是”は春秋・戦国の時期では、近称代名詞として使われていた9。石毓智(2001:459)によ れば、「判断詞の“是”は戦国末期に生まれ、両漢時代では徐々に発展し、晋宋時代になる と“是”字句は判断文の唯一の形式になった10。」魏晋南北朝の時期になると、「指示代名詞 の“是”は修飾語及び目的語の用例が多く、指示代名詞以外の“是”は多数が判断詞(copula)
又は是非の“是”として使われた。」(陳怡君2015:20-23)11
“(是)……的”文における“是”と“的”についての研究は数多く存在するが、通時的 に論じた著作は多くない。例えば、刘敏芝《汉语结构助词“的”的历史演变研究》 (2008)、
肖小平・龙海平〈从判断句前件扩展看“(NP)是SV的O”句式的形成〉(2012)、张和友《“是”
字结构的句法语义研究—汉语语义性特点的一个视角》(2012)などがある。
肖小平・ 龙海平(2012:26)は次のように述べている。
我们发现从元明时期一直到现代,“(是)SVO 的”句式一直未能像其他“(是)……的”
类句式一样演化成为成熟的句式。与此形成对照的是,“(NP)是 SV 的 O”句式肇始于 宋代,在元明时期大量出现并发展成熟。认为“(是)SVO的”句式通过“的”的前移形成
“(NP)是SV的O”句式,显然忽略了这两种句式在汉语发展史中的历时演变顺序。
[元代・明代から現代に至るまで、“(是)SVO的”文は、ほかの“(是)……的”类型の構 文ほど成熟な構文として成り立っていなかった。これとは対照的に、“(NP)是 SV 的
O”文は宋代から現れる。“(是)SVO的”構文が“的”の前移によって“(NP)是SV 的
O”構文になったという考えは、明らかに漢語発展史におけるこの二つの構文の通時的 変化の順序を考慮していない。]
2.2 唐代・五代・宋代 2.2.1使用テキスト
本節では唐代・五代・宋代までの三期について、使用するテキストは以下に列挙する。
実際の閲読作業は、五代の《祖堂集》に関しては「维基文库」12を使用し、その他の文献
9陳怡君(2015:7-9)を詳細。
10原文「判断词“是”的发展过程。战国末年:判断词“是”产生;两汉时期:“是”逐渐发 展;晋宋以后:“是”字句成为判断句的唯一格式。」
11原文「《世説新語》における「是」は修飾語及び目的語の用例が多い。…「是」は指示代 名詞以外の例は多数が判断詞(copula)又は是非の「是」として使われる。」
12 「维基文库」:https://zh.wikisource.org/wiki/Wikisource:%E9%A6%96%E9%A1%B5
10
に関しては「中国哲学书电子化计划(简体版)」13を使用した。具体的に扱う作品は、以下の とおりである。
唐代については、《大唐西域记》、《敦煌变文集新书》を取り上げる。
《大唐西域记》(〔唐〕释玄奘奉敕译,《四部丛刊初编》本)
《敦煌变文集新书》(潘重規編著,1994)
五代については、《旧唐书》、《祖堂集》を取り上げる。
《旧唐书》(〔五代〕刘昫撰,《武英殿二十四史》本)
《祖堂集》(〔五代〕静、筠撰)
宋代については、《五灯会元》、《朱子语类》、《景德传灯录》、《新编五代史平话》、《北梦琐 言》、《乙卯入国奏请》、《三朝北盟会编》、《河南程氏遗书》、《碧岩录》、《张协状元》、《旧五代 史》を取り上げる。
《五灯会元》(〔宋〕释普济撰,《钦定四库全书》本)
《朱子语类》(〔宋〕黎靖德撰,《钦定四库全书》本)
《景德传灯录》(〔唐〕释道原撰,《四部丛刊三编》本)
《新编五代史平话》(〔宋〕作者不詳)
《北梦琐言》(〔宋〕孙光宪撰,《云自在龛丛书》本)
《乙卯入国奏请》(〔宋〕沈括撰)
《三朝北盟会编》(〔宋〕徐梦莘撰,《钦定四库全书》本)
《河南程氏遗书》(〔宋〕程颢撰,《六安涂氏求我斋所刊书》本)
《碧岩录》(〔宋〕圆悟克勤撰)
《张协状元》(〔宋〕九山书会才人撰)
《旧五代史》(〔宋〕薛居正撰,《摛藻堂四库全书荟要》本)
なお、本研究の中国語に対する傍線と囲み線は全て筆者による。傍線は、“(是) ⋯⋯VO的”
文と“(是) ⋯⋯V的O”文を示し,囲み線を引いた箇所は,叙述の焦点、述語動詞、目的語 などの考察項目であることを表している。
2.2.2唐代(618~907年)
“的”の起源の問題は広く議論されてきたが、その中で構造助詞“底”に由来するという 見解がある。以下は刘敏芝( 2008:45-48)をまとめる。
13 「中国哲学书电子化计划」:http://ctext.org/library.pl?if=gb&page=2&remap=gb 作品の年代と著者については、同サイドより提供された情報に従う。
11
(2-1)崔湜之为中书令,河东公张嘉贞为舍人,湜轻之,常呼为“张底”。后曾商量数事,意 皆出人右,湜惊美久之,谓同官曰:“知无?张底乃我辈一般人,此终是其坐处。” ([唐]刘 餗《隋唐嘉话・卷下》)(下線部訳:張という人)
(2-2)周静乐县主,河内王懿宗妹,短丑;武氏最长,时号“大歌”。县主与则天并马行,命 元一咏,曰:“马带桃花锦,裙拖绿草罗。定知纱(帏)帽底,仪容似大歌。” ([唐]张鷟《朝 野佥载》) (下線部訳:纱帏の帽子をかぶる人) (刘敏芝2008:45)
例文(2-1)と(2-2)を見ると、いずれも“名詞+底”という形式である。しかし、刘敏芝によ れば、例文数が少ないため、唐代初期における“底”の用法の全貌を反映しにくいという。
“是”と“底”が共起する例文についても、刘敏芝(2008)では言及がある。刘氏は《敦煌 変文集校注》の例文を挙げている。
(2-3) 善德,善德!莫将浮贿施为,非是菩萨行藏,此是俗门作底。《维摩诘经讲经文・六》
(下線部訳:これは仏教徒でない人がやったのだ。) (刘敏芝2008:46)
例文(2-3)は“…+是+S+V+底”構造であり、“作底”の“底”は構造助詞であると考えら れる。“是”は指示代名詞“此”の後ろに置かれ、判断詞であると考えられる。
2.2.3五代(907~960年)
五代では、助詞“的”はまだ“底”で表記されていた。五代の禅宗の語録には構造助詞の
“底”を多く確認できる。《祖堂集》には“底”が全部で221例現れる。“是”と“底”が共 起する例文も90例にのぼる。この時期における“是”と“底”が共起する構造は、主に“是
+(N、Vなど)+底”及び“是+(Vなど)+N+底”、“是+(Vなど)+底+N”であるが、以下で
は関連性のある例文のみをとり挙げる。なお、本研究の研究対象に含む目的語O は、宋代 までNと表記する。その理由は、宋代までは両形式は判断文としての機能が強く、強調文 としての機能はまだ顕現されていないと見られるからである。そのため、“VO”は [動詞+
目的語]構造ではなく“VN”のような修飾構造であると考えられる。
是+V+N+底
(2-4) 師云:“汝嫌個什摩?”仰山云:“專甲即不嫌。這個是為大家底。”
(下線部訳:これはみんなのためなのだ。)
是+V+底+N
(2-5) 云:“如何是悟底事?”師云:“悟人即委。”
(下線部訳:悟るとは如何なるものか?)
12
(2-6) 你去東邊子細看,石頭上坐底僧,若是昨來底后生,便喚他。
(下線部訳:石の上に座っているお坊さんは、昨日来ていた若者であれば)
例文(2-4)と(2-5)は、“是”と“底”の間に修飾成分が含まないため、判断文であると考え られる。例文(2-6)は、“是”の前の“僧”(お坊さん)と“底”の後ろの“后生”(若者)は、
同じ人間を指していると見られる。従って、例文(2-6)も判断文であると判断できる。
是+S+V+底+N
(2-7) 有人拈問鳳池:“如何是半肯?”鳳池云:“從今日去向入,且留親見。”“如何是 半不肯?”鳳池云:“還是汝肯底事摩?”
(下線部訳:依然としてあなたが承諾したことであるのか?)
(2-8) 師有時上堂,良久乃云:“禮煩則亂。”問:“如何是迦葉親聞底事?”師云:“汝
若領得, 我則不怪。”
(下線部訳:迦葉様が直々に聞いたこととは如何なるものか?)
(2-9) 師以手拈來,分破一片,与仰山。仰山不受云:“此是和尚感得底物。”師云:“雖 然如此,理通同規。”仰山危手接得了,便禮謝喫。
(下線部訳:これはお坊さんがこころを打たれて得られたものである。)
(2-10) 侍者云:“啟師:某甲是和和尚侍者。若不為某甲說,為什摩人說?”師云:“不用
問, 不是你問底事,兼不是老僧說底事。”
(下線部訳:あなたが聞くべきことでもないし、私が喋るべきことでもない。)
例文(2-7)~(2-10)は、主語Sが“是”の後ろに置かれる例文である。(2-7)と(2-8)の“是”
は「副詞」と「疑問詞」に後続し、「判断詞」の用法である。例文(2-9)は、例文(2-3)のよ うな“R +是+S+V+底”構造であり、“是”は指示代名詞“此”の後ろに置かれ、判断詞であ ると考えられる。例文(2-10)“不是⋯,兼不是”の“是”も判断詞である。
五代では、例文(2-4)のような“是+V+N+底”構造と例文(2-5)~(2-10)のような“是+V+底 +N”構造も確認できたが、これらの例文はいずれも判断詞の“是”を用いた判断文である と見られる。
2.2.4宋代(960~1279年)
北宋の《旧五代史》では、“S+是+ ⋯+底+N”のような例文が確認できた。
(2-11) 冯瀛王道之在中书也,有举子李导投贽所业,冯相见之,戏谓曰:「老夫名道,其来
13
久矣,加以累居相府,秀才不可谓不知,然亦名导,于礼可乎?」李抗声对曰:「相公是无寸 底道字,小子(是)有寸底导字,何谓不可也!」公笑曰:「老夫不惟名无寸,诸事亦无寸,吾子 可谓知人矣。」了无怒色。冯吉,瀛王道之子,能弹琵琶,以皮为弦,世宗尝令弹于御前,深 欣善之,因号其琵琶曰「绕殿雷」也。《旧五代史・卷一百二十六》
(下線部訳: 相公(宰相の敬称)は“寸”の付いていない“道”の字、小子(目下の者が目上 の者に対する自称)は“寸”の付いている“导”の字。)
例文(2-11)は“无寸”と“有寸”を強調する文であり、SとNとは対等なものではない。
南宋になると、“(是) ⋯⋯V 的 N”形式の強調文が初めて確認できる。刘敏芝(2008:80-
120)では、「宋代の『五灯会元』では、現代中国語の“我是昨天进的城”(私は昨日町に来
たのだ。)のような既に発生した動作を強調する用法が現れたが、たった1例しか確認でき なかった14。」と述べられている。その例文は、以下の例(2-12)である。
(2-12)一日,闻知事捶行者,而迅雷忽震,即大悟,趋见晦堂,忘纳其屦。即自誉曰:“天 下人总是参得底禅,某是悟得底。”堂笑曰:“选佛得甲科,何可当也!”因号死心叟。僧问:
“如何是黄龙接人句?”师曰:“开口要骂人。”(《五灯会元》卷17・黄龙悟新禅师)
(下線部訳:天下の人はいつも修行をして禅を修得する。私は悟りをして禅を修得する。)
例文(2-12)下線部の文末には“禅”が表示されないが、意味的に想定される目的語で補う と、“某是悟得底(禅)。”となる。主語の“天下人”と目的語の“禅”が対等なものではない ことが特徴である。また、“参”と“悟”は動詞“得”の修飾成分であるため、“(是) ⋯⋯V
的N”構造の強調文であると判断できる。
ほかにも、刘敏芝(2008:81)は、宋代《补禅林僧宝传・云岩新禅师》の中の1例を挙げて いる。
(2-13)新闻杖声忽大悟,奋起忘纳其履趋方丈,见宝觉自誉曰:天下人总是学得底,某甲是 悟得底。
(下線部訳:天下の人はいつも学習して修得する。私は悟りをして修得する。)
例文(2-13)は例文(2-12)と同じく禅を修得した方法について述べる文である。例文(2-13) は、“学”と“悟”は動詞“得”を修飾する成分である。“底”の後ろに目的語が表示されな いが、意味的に想定される目的語で補うと、“天下人总是学得底(禅),某甲是悟得底(禅)。”
となる。主語の“天下人”と目的語の“禅”とは対等なものではないことから、例文(2-13)
14原文「我们发现在《五灯会元》中已经出现了类似现代汉语的“我是昨天进的城”的句 式,强调已发生的动作的方式,但只有1例。」
14
も“(是) ⋯⋯V的N”構造の強調文であると判断できる。
その一方で、筆者は、疑問形式の“(是) ⋯⋯V的N”構造を確認できた。
(2-14) 当时若有个汉,脑后有照破古今底眼目,手中有截断虚空底钳锤,才见恁么道,便
与蓦胸扭住,问他道:“一华五叶且拈放一边,作么生是你传底法?”待伊开口,便与掀倒禅 床,直饶达磨全机,也倒退三千里。
(下線部訳:あなたはどのように仏の教えを伝えたのか?)
例文(2-14)は“疑問詞+是+S+V+底+N”の構造であり、“是”と“V”の間にある“你”
を強調する強調文であると考えられる。
南宋では、“底”と“的”混同の例文が確認できる。例えば、次のような例文がある。
(2-15) 或問:「今也不消學他那一層,只認依著自家底做便了。曰:「固是。豈可學他?只是
依自家的做,少間自見得他底低。」僩。以下論士大夫好佛。《朱子语类・卷一百二十六》
(下線部訳:自分の基準でやればいい。
構わずに自分の基準でやれば、やがて彼の欠点が見えてくる。)
(2-16) 心是大底,意是小的。心要恁地做,被意從後面牽將去。且如心愛做箇好事,又被
一箇意道不須恁地做也得。《朱子语类・卷十六》
(下線部訳:心は大きい、意志は小さい。)
例文(2-15)と(2-16)の“底”、“的”は、同じ例文でそれぞれ出現している。
以上、“(是) ⋯⋯V的O”構造の強調文は、宋代から存在していたことが確認できた。そし て、刘敏芝(2008)で挙げられた例文のほかに、もう1例“作么生是你传底法?”を挙げるこ とができた。“的”については、依然として主に“底”で表記されるが、“底”、“的”混同の 例文も確認できた。
2.3 元代・明代・清代及び五四運動以降 2.3.1 使用テキスト及び考察項目
本節では元代・明代・清代・五四運動以降の四期について、それぞれの文献を考察す る。各時代の文献における“(是)……VO的”文と“(是)……V的O文”の叙述の焦点、述 語動詞の音節数、音節数による述語動詞と目的語の共起関係、目的語の種類4つの使用状 況を把握することを目的とする。使用するテキストは以下に列挙したとおりである。
(1)元代・明代・清代については、「中国哲学书电子化计划(简体版)」15を使用した。
15 「中国哲学书电子化计划」http://ctext.org/library.pl?if=gb&page=2&remap=gb
15
元代:《西厢记》(〔元〕王实甫撰,《暖红室汇刻传奇》本)
《琵琶记》(〔元〕高明撰,《暖红室汇刻传奇》本)
《西游记戏文》(〔元〕杨景贤撰)
《元曲选》(〔明〕臧晋叔撰)
《全元曲》
明代:《金瓶梅词话万历本》(〔明〕兰陵笑笑生撰)
《二刻拍案惊奇》(〔明〕凌蒙初撰)
《训世评话》(〔明〕李边撰)
清代:《儿女英雄传》(〔清〕文康撰)
《儒林外史》(〔清〕吴敬梓撰)
《红楼梦》(〔清〕曹雪芹撰)
《聊斋俚曲集》(〔清〕蒲松龄撰)
《醒世姻缘传》(〔清〕西周生撰)
(2)五四運動以降の文献については、以下の作品を対象とした。
《呐喊》(鲁迅著,《鲁迅全集》第一卷,1981年初版,人民文学出版社)
《彷徨》《野草》《朝花夕拾》《故事新编》(鲁迅著,《鲁迅全集》第二卷,
1981年初版,人民文学出版社)
《呼兰河传》(萧红著,2012,北方妇女儿童出版社)
《桥》(萧红著,《萧红代表作》,邢富君编,1987,黄河文艺出版社)
《边城》(沈从文著,2010,浙江文艺出版)
《太阳照在桑乾河上》《莎菲女士的日记》(丁玲著,1983,湖南人民出版社)
《雷雨》(曹禺著,《曹禺戏剧集》,1936,文化生活出版社)
《暴风骤雨》(周立波著,《周立波代表作》李景彬编,1989,黄河文艺出版社)
《倾城之恋》、《红玫瑰与白玫瑰》(张爱玲著,《张爱玲文集》,金宏达于青编,
1992,安徽文艺出版社)
《围城》(钱钟书著,1980年,人民文学出版社)
このほか、下記の作品を調べた。《巴山夜雨》は「读书369」(読書369)16、その他の 作品は「中日対訳コーパス(第1版)」17を使用した。
《巴山夜雨》(张恨水著)
16 「读书369」:http://www.dushu369.com/
17 北京日本学研究センター,2003,『中日対訳コーパス』第一版。
16
《丹凤眼》(陈建功著)、《关于女人》(冰心著)、《活动变人形》(王蒙著)、《家》(巴金 著)、《轮椅上的梦》(张海迪著)、《红高粱》(莫言著)、《金光大道》(浩然著)
2.3.2先行研究
考察に入る前に、叙述の焦点、述語動詞と目的語を調査対象とした理由、背景を明確にし たい。
2.3.2.1焦点の範囲、マーカー及び分類
叙述の焦点について論じた論文として、袁毓林(2003)、张友和(2012)、刘月华(2001)が挙 げられる。袁毓林(2003:5-6)では、焦点の範囲について以下の観点を指摘した。
在事态句S2:“(是)S+(是)Ad+V+O+的”中,一方面是焦点落在“(是)……的”结构所 圈定的范围之中,另一方面是宾语O经历了去焦点化的过程;这两种语义效应(semantic effects)叠加在一起,产生的一个自然的句法后果就是,“的”字可以前移到宾语 O 之前,
从而造成了S30:“S+Ad+V+的+O”这种句式。
[事態文18S2:“(是)S+(是)Ad+V+O+的”においては、焦点が“(是)……的”構造の範囲 内にある一方、目的語Oは非焦点化のプロセスを経る。この二つの語義効果(semantic
effects)が重なって生まれる自然な文法的結果は、“的”が目的語である O の前に移動
できることであり、そのためS30:“S+Ad+V+的+O”という形式が作られる。]
为了显性地,无歧义地标示出事态句S30中的焦点,最简单的办法是在S30中的焦点 之前插入“是”作为焦点标记;于是形成了 S31:“是+S+Ad+V+的+O”和 S32:“S+是 +Ad+V+的+O”这两种格式。
[明示的で多義性がないように事態句S30の焦点を示すための最も簡単な方法は、S30 の前に焦点の標識である“是”を挿入して焦点の標識とすることである。そうすると、
S31“是+S+Ad+V+的+O”とS32“S+是+Ad+V+的+O”の二つの形式が形成される。]
为了概括起见,S30,S31,S32这三种句式可以合记作S3:“(是)S+(是)Ad+V+的+O”。 显然地,“的”字的前移起到了缩小焦点范围(focus scope)的作用,它用一种显式的标志 把被事态句解除焦点地位的宾语O隔离在“(是)⋯⋯的”结构所标定的焦点范围之外。
[概括するために、S30、S31、S32の三つの形式を合わせてS3:“(是)S+(是)Ad+V+
的+O”と表記する。“的”の前移は、明らかに焦点範囲(focus scope)を縮小する働き をしている。被事態文の焦点を解除された目的語O は、このような明示的な標識に よって、“(是)⋯⋯的”構造が表示する範囲内の外に隔離される。]
18 袁毓林(2003)によると,事態文(state-of-affairs sentences)とは文末に「的」
が付く文である。
17
在 S2“(是)S+(是)Ad+V+O+的 ” 中,宾 语 O 已 经 被 去焦 点化 了;在 S3:
“(是)S+(是)Ad+V+的+O”中,这种非焦点的宾语O又被显式地逐出了由“(是)⋯⋯的”
结构所标志的焦点范围。
[S2:“(是)S+(是)Ad+V+O+的”文では、目的語 O はすでに非焦点化されている。
S3:“(是)S+(是)Ad+V+的+O”では、非焦点化された目的語Oは“(是)⋯⋯的”構造 が示す焦点範囲からはっきりと追い出されている。]
しかし、焦点のマーカーである“是”のスコープは、“是”と“的”の間(所謂“焦点 範囲”)にある全ての成分ではない。张友和(2012:97-98)によれば、“是”のスコープは、
述語動詞の前に生起する成分であり、構文の成立を考えるうえでとても重要であるとす る。また、张和友(2012:112)は、「焦点のマーカーは常にマークされる成分に隣接する」
という「就近指派原则」(最寄り任命原則)を指摘している。実例としては以下のような 文を挙げている(张和友 2012:112より)。
(2-17)a.小王是在西单买的车。
(王ちゃんは西単で車を買ったのだ。)
b.是小王在西单买的车。
(王ちゃんが西単で車を買ったのだった。)
张和友(2012) は、「(2-17)a.の焦点は“在西单”(西単で)であり、(2-17)b.“是”のスコ ープは、動作主の“小王”と場所連用修飾の“在西单”二つの成分である。しかし、最寄 り任命原則により、“是”でマーカーされた焦点は一つのみ、かつ“小王”でなければな らない19。」と解釈される。
本研究は、张友和(2012)の観点に賛同し、“是”から述語動詞までを焦点の範囲と定義し、
“是”に後続する成分を叙述の焦点と認定する。また、张和友(2012)は、このような文を 聚焦式“是……的”文(略称“聚焦文”<focalization sentence>)20と名付けている。本 研究では张和友(2012)の観点に賛同し、“聚焦文”を「焦点文」と訳す。
以上の二例から“(是) ⋯⋯的”文の焦点の範囲を理解することができるが、確認のた め、元曲の例を1例追加しておきたい。
(2-18) 〔陈季卿云〕师父。我弟子想来。这三位大仙不消说了。昨日这一个渔翁渡我归
19原文「a.的焦点是介词短语“在西单”, b.在“是”的辖域内有两个成分:施事(小王), 地点状语(在西单)。但是,由“是”标识的焦点只能有一个,并且只能是施事“小王”(就 近指派原则),地点状语只能在预设里,在语音上不可能突显。」
20张和友(2012:92)によると、中国以外の漢学圏では、「分裂句(cleft sentence)」と名 付ける文献もある。
18
家的。敢就是大仙一化哩。〔正末云〕呆汉。〔唱〕《陈季卿误上竹叶舟・第4折》
(下線部訳:昨日はこの漁夫が私を運んで家に帰ったのだ。)
この例文は「動作主」を強調する“(是) ⋯⋯VO的”構造の焦点文である。焦点マーカー の“是”は省略されているが、補うと“昨日是”のようになると考えられる。そして、述 語動詞は“归”(帰る)であり、「焦点の範囲」は“是”と“归”の間にある“这一个渔翁渡 我”(この漁夫が私を)になると考えられる。また、「叙述の焦点」は“是”に後続する最 初の成分“这一个渔翁”(この漁夫)であると判断される21。
刘月华(2001:762-782)は、焦点の定義、分類について、「焦点文の叙述の焦点は、動作そ のものではなく、動作についての時間、場所、方法、条件、目的、対象あるいは動作主な どである。」としている。例文としては次のような文を挙げている。
(2-19)我是从农村来的。(处所)
私は農村から来た。[場所]
(2-20)那本教材是1958年编写的。(时间)
その教材は1958年に編集された。[時間]
(2-21)我对新事,是一点一点明白的。(方式)
私は新しいことは少しずつ理解していったのだ。[方式]
(2-22)老赵刚才那段话,好像就是对我说的。(对象)
趙さんの先の話はどうも私のことをいったようだ。 [対象]
(2-23)这项工程是在领导的关怀和群众的支持下完成的。(条件)
この工事は上司の親切な配慮と民衆の支持のもとで完成したのだ。[条件]
(2-24)他就是为这个目的去的。(目的)
彼はまさにこの目的のために行ったのだ。[目的]
(2-25)李老师是用红笔改的。(工具)
李先生は赤いペンで直したのだ。[道具]
(2-26)我们是坐公共汽车去的。(方式)
私たちはバスに乗って行ったのだ。[方式] (刘月华2001:764) (例文2-19~2-24、2-26訳:片山1996:652)
刘月华(2001)は(2-21)を「方式」と判断したが、本研究は「状態」だと考える。また、
本研究は、「状態」のほかに「動作主」、「原因」を立てる。例えば、以下のような例文が ある。
21 以下の分析で、「焦点の範囲」に複数の成分が含まれている場合は、最初の成分(修飾 成分も含む)を「叙述の焦点」と認め、波線で示す。以下同状況の例文も同様に扱う。
19
(2-27)稿子是芳蜜交给我的。(施事)老舍《残雾・第四幕》
原稿は芳蜜さんが私に渡してくれたのだ。[動作主]
(2-28)我是真心真意来参军的。(状态) 老舍《无名高地有了名》
私は本気で入隊したのだ。[状態]
(2-29)我赏给他脸才赊他的。(原因) 老舍《面子问题・第二幕》
私は彼の顔を立て、掛け売りしてあげたのだ。[原因]
以下は、刘月华(2001)を踏まえて、“(是)……VO的”文と“(是)……V的O”文の焦点範 囲内に現れたすべての成分を動作主・時間・場所・状態・方式に分類する。
2.3.2.2 述語動詞の音節数
述語動詞について、牛秀兰(1991:175-178)は、動詞の音節数と“的”の位置について、
以下のように述べている。
“是……的”结构中,宾语的位置可以描写为下面两种基本形式:
a主语+(是)+状语+动词+的+宾语(下称a式) b主语+(是)+状语+动词+宾语+的(下称b式)
[“是……的”構文においては、目的語の位置に以下の二種類の基本形式があると言え る。
a主語+(是)+連用修飾語+動詞+的+目的語(以下a式と呼ぶ)
b主語+(是)+連用修飾語+動詞+目的語+的(以下 b 式と呼ぶ)]
a式句
单音节动词(不带任何补充成分)所带的宾语,无论是单音节词、双音节词,或者是名 词短语,一般都在“的”的后面。也就是说,人们常常使用a式句。
[単音節動詞(いかなる補充成分も取らない)の目的語は、単音節であれ、二音節で あれ、あるいは名詞フレーズであれ、一般に“的”の後ろに置く。つまり、a式文が よく使われる。]
b式句
在“是……的”结构中,动词是双音节时,人们经常使用b式句。例如:你是怎么认 识徐辉的?(原文では例文番号が付いているがここでは省略した)
[“是……的”構文の中で、動詞が二音節の場合は、通常b式文が使われる。例え ば、「あなたはどのように徐輝さんと知り合ったのか?」)
牛秀兰(1991)がいうa式文とb式文の例文を2例ずつ挙げる。