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オランダのイエナ・プランに関する考察‐受容過程における変容に注目して‐

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(1)2009年度学位論文. オランダのイエナ・プランに関する考察 一受容過程における変容に注目して一. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科 学校教育学専攻 教育コミュニケーションコース. M08002C 池ヶ谷 隼世.

(2) 目次. 序 章 問題意識と研究の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 1. 第1章 オランダの学校教育 第1節 3つの自由思想とその背景・・・・・・・・・・・・・・・…. 9. 第2節 競争の排除と個別教育・・・・・・・・・・・・・・・・…. 16. 第3節 学校の自律性と保護者、生徒の権利H・・・・・・・・… 第各節 学校の質の維持と格差・・・・…. 24. 。・・・・・・・・…. 32. 第2章 ドイツにおけるイエナ・プラン 第1節 イエナ・プランとP.ぺ一夕ーゼン・・・・・・・・・・・…. 38. 第2節 イエナ・プランの理念と外的組織・・・・・・・・・・・…. 47. 第3節 基幹集団と子どもの学習・・・・・・・・・・・・・・・…. 53. 第4節 保護者の位置付け・・・・・・・…. .・・・・・・・・…. 61. 第5節 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 64. 第3車オランダにおけるイエナ・プランの受容と変容 第1節オランダにおけるイエナ・プラン・・・・・・・・・・・・… 65 第2節 無学年制(米)からの影響とそれによる変容・・・・・・…. 76. 第3節 幼児学校(英)からの影響とそれによる変容・・・・・・…. 90. 第4節 フレネ教育(仏)からの影響とそれによる変容・・・・・…. 100. 終章 オランダのイエナ・プランの独自性と今後の課題・・・・・・… 資料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 引用・参考資料一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 108 114. い・134.

(3) 序章 問題意識と研究の目的 日本の学校教育における特徴の1つとして、目標・方法・評価・教材などの <画一性>の高さが挙げられる。これは、日本の学校教育が、中央集権的なも のであることを意味する。それは、日本において、<私立学校の学校総数に占 める割合>が初等教育では1%、中等教育では15%と少なく、公立学校が多くを 占めることからも読み取ることができる(註!)。. 国家主導による、<画一性>の高い教育は、教育内容とそれを受ける機会を 平等に国民へ提供してきた。それらは競争原理と相侯って、エリート育成に大 きな役割を果たした。歴史的な経緯を見れば、近代日本が欧米列強の脅威にさ らされるなかで、富国強兵のスローガンの下に産業を発展させ、国力を増大さ せるためには必要かつ効率的なやり方であった。今日の日本の経済的な繁栄を 考慮すれば、これらのやり方が正しい選択であったとも言える。. しかし、日本の経済的な豊かさは、大人の労働形態を変化させ、子ども遠を 取り巻く状況をも大きく変化させた。物は溢れ、大学も<全入>と言われる時 代にな=った。こうした時代において子ども達が、自分の将来の見通しを持って、. 身につけたい知識や技能を、自らの判断によって選択すること。つまり、子ど も遠の多様な二一ズに応えることができる教育の仕組みが必要なのではないか。. <画一性>の高い学校教育が、そうした子ども遠の多様な二一ズに応えるこ とは困難である。確かに、規範意識や基礎学力など、自立し社会で生きていく. ために講もが学ぶべきものはあるだろうが、目の前にいる子どもは、多様な考 え・価値観を持ち、学習の到達段階も各々で異なる。. 不登校や学習意欲の低下といった、近年目本においてよく取り上げられる現 象は、そうした学校教育に対する疑問や不満が表面化してきたものと考えるこ ともできよう。そうした不満や疑問は、PISA2003において白紙解答のものが多 いこと、またそのアンケートで、学校は時間の無駄であった、学校の勉強は将 来全く役立たない、という質問に対しYESと答えた子どもの割合がいずれも0ECD. 平均を上回り、学校の勉強は将来全く役立たないという質問に関しては、平均 の4倍の数値を示していることなどから伺うことができる(註2)。. 一方、学校教育において〈多様性>を積極的に認めている国の1つにオラン 1.

(4) ダが挙げられる。それには、人間は一人ひとり違うのだから、それぞれの二一 ズにあった教育が行われるべきであるという考えが根底にある。それにより、. 同国では学校設立の自由、学校選択の自由、が認められており、<私立学校の 学校総数に占める割合>が初等教育では69%、中等教育では72%と高い数値を示. している。さらに、目標・方法・評価・教材に関しても各私立学校と公立学校 を置く各自治体に全てが任され、それらに関して私立・公立に関わらず、その. 保護者や生徒に強い権限が認められている。また2001年度のWH0のアンケ』ト 調査において、子どもが学校での課題や学習によって最もストレスを感じない 国である、という報告がされながらも、PISA2003においては日本と同等の学力 水準を示し、読解力と数学的リテラシーでは日本を上回る結果となった(詩3)。. 子どもの二一ズに応えるため、<多様性>を認めたオランダにあって、1960 年代以降イエナ・プランが多くの学校に浸透した。. 20世紀初頭、国際的名声も高かったぺ一夕ーゼン(P.Peters㎝)により提唱. されたイエナ・プランは、第二次世界大戦の影響や戦後イエナ大学が共産主義 政権による統一的な教育体制を敷く東ドイツの領域となったことなどから、ド イツではあまり大きく発展することはなかった(註4)。. 他方、オランダでは、新教育連盟(NEF)のオランダ支部に当たる養育・教育 刷新新研究会(WVO)の書記をしていた、S.ブロイデシタール(S.Freudentha1). の熱心な普及活動によって、イエナ・プランは1960年代以降の学校教育に浸透 していくことになる(誌5)。イエナ・プランがオランダに普及することができた. 背景には、1917年の憲法23条改正によって教育の自由が確立しており、市民団 体でも独自の理念や方法に基づいて学校を作り、公立学校と同様に補助金を得 て教育活動を展開できる条件が整えられていたことが挙げられる。. こうしてドイツで提唱されたイエナ・プランは、オランダの学校教育にて展 開されていくわけだが、その受容過程において、イエナ・プランはいくらかの 変容を遂げることとなる。オランダのイエナ・プラン協会は、その変容に関し、. 無学年制学校(米)・幼児学校(英)・フレネ教育(仏)の3者のイエナ・プラ ンヘの影響を述べている(謡6)。同協会は、オランダのイエナ・プラン教育とし. て共有する基本的な理念・方法について明文化したものを、1966年には<8つ のミニマム条件>として発表し、さらに1990年には<イェナ・プラン20の原.

(5) 則>へと発展させている。. しかし、こうして示された条件・原則は、具体的な学校教育のあり方や内容、. 方法などを規定するものではい。そこには、教育は教員・保護者・子どもとい った現場にいる当事者が、それぞれの状況にあった教育実践を創りあげるべき だという、オランダの教育理念や制度による影響が見られる。. これまで日本では、オランダのイエナ・プランについて、リヒテルズ直子ら によって活動の様子などの紹介がなされている。例えば、リヒテルズはオラン ダでイエナ・プランが発展した経緯や、オランダのイエナ・プラン学校の教員 や子どもとの交流を通して分析した現地の子どもの学習の様子など、オランダ のイエナ・プランの全体像について紹介している。さらに久保は、それに加え、. オランダのイエナ・プランにおける教員研修の内容や子どもの成績評価の詳細 について触れている(言圭7)。しかし、ドイツでぺ一夕ーゼンが提唱したイエナ・. プランが、オランダに受容されていく過程について紹介したものは、リヒテル ズ以外は見当たらない。そこで、イエナ・プランのオランダヘの受容過程につ いて彼女が紹介したものを、以下にまとめる(註8)。. <オランダにおけるイエナ・プラン教育の母〉とも呼ばれるS.ブロイデシタ ール(S.Freud⑧ntha1)は、1955年、新教育連盟(肥F)のドイツ支部の総会で、. ハインリッヒ・ボレ校長が運営するドイツのイエナ・プラン校の紹介スライド. を見る。その後、ブロイデシタールはボレ校長の運営する学校を訪れ、1956年 にはオランダのユトレヒトで行われた新教育連盟(NEF)の会議にボレ校長を招 く。この時、新教育連盟(NEF)のオランダ支部に当たる養育・教育刷新新研究 会(WVO)の中心的な立場にあり、<フレネ教育(仏)〉の影響を強く受けてい た、G.ハルテミンクが出席していた。彼はまた、オランダのプロテスタント系 小学校協会の指導的立場にもあった。そしてハルテミンクは、ボレ校長の運営 するイエナ・プラン校を訪間し、感銘を受けオランダに帰ってくる。. 1959年5月、ブロイデシタールとハルテミンクの2人は、20万円程度の自己 資金を用意し養育・教育刷新新研究会(WV0)のサブグループとして、ワークグル. ープ(イエナ・プランを勉強する場)を設置する(メンバーはこの2人と教貴 12名)。. 3.

(6) 1960∼61年の1年間、夫ハンスの仕事の関係でブロイデシタールは、アメリ カに滞在する。この時彼女は、<無学年制>の主張をしていたJ.クラッドラッ ド(John.I.Goodlad)、R.アンダーソン(Robet.H.Anderso逼)らと交流し、意見交. 換や庸報の収集に努める。. その後の1964年オランダで開かれた養育・教育刷新新研究会(W0)の総会 での、上記のイエナ・プランのワークグループが中心となった講演を通して、. 彼女は、オランダにおけるイエナ・プラン教育運動で中心的な役割を担うこと となるクリス・ヤンセンと出会うことなる。彼は、カトリック系の学校を統括 している組織の職員であり、その後、1970年にオランダ文科省が発表した、< 新初等教育法>の草案準備委員会に参加する。これまでは、ドイツでわずかな がらに実践されていたイエナ・プラン教育の関係者との交流に集中していたワ ークグループの活動は、この総会をきっかけに、オランダの学校現場で実際に 使える教材や授業形式を開発するための研究に集中していく。また、研究だけ ではなく、オランダで部分的にイエナ・プランの方法を取り入れた学校の教員 達が、それぞれの経験談や問題を持ち寄って話し合う機会を提供するようにな る。そして、1966年にそのS.ブロイデシタールを中心としたワークグループは、. イエナ・プラン教育における<8つのミニマム条件>を発表する。これはイエ ナ・プラン教育関係者の共有財産、アイデンティティの拠り所となる。. 1969年、ワークグル』プは養育・教育刷新新研究会(WV0)から独立し、独自 にイエナ・プラン教育財団(SPJ)を設立する。その財団の議長はクリス・ヤン セン、書記はブロイデシタール、会計はハルテミンクが務めた。この組織はオ ランダにおいて独自の教育活動をしていたカトリック、プロテスタントという 宗派の枠を超えてイエナ・プラン教育の開発のために協働する一方で、各々の 既存の組織力を生かし、それぞれのやり方でイエナ・プラン校の普及に尽力し ていくものとなった。またイエナ・プラン教育財団(SPJ)は、月刊誌の発行や 学校に配布するパンフレット作り、イエナ・プランに関係する書籍を集めた独 自の図書館を設置した。. そして、1985年にオランダのイエナ・プラン協会(Nedar1anse Jenap1an Ver㎝igi㎎)が設立される。この協会の活動費は、協会への参加校の会費によ り維持されていく。そして同協会は、1990年に<イエナ・プラン20の原則>を 4.

(7) 発表する。. このように、リヒテルズ(2006)は、イエナ・プランがオランダに受容される. 過程での主要人物名や彼らの行い、<8つのミニマム条件>や<イエナ・プラン. 20の原則>、<イエナ・プラン教育における、良い教材の条件>などについて も、その内容を紹介している。また、無学年制(米)・幼児学校(英)・フレネ. 教育(仏)の3者に関しても、イエナ・プランがオランダヘの受容される過程 で、それらが関わったであろうと、読み取れる文章を記述している。しかし、. それら3者がどういった内容のもので、オランダのイエナ・プランにどのよう な影響を与え、なぜ取り入れられたのかに関しては述べられていない。従って 本研究では、イエナ・プランのオランダ学校教育への受容過程における、3者の 影響による変容に焦点を当て、オランダのイエナ・プランの独自性を明らかに することを目的とする。. オランダのイエナ・プランが上記に示した3者から、どのような影響を受け、. それらをなぜ取り入れる必要があったのか、といった問題について考察するこ とは、オランダの教育やそこでのイエナ・プランをより深く理解する上で意義 のあることと思われる。. 本論ではまず、第1章でオランダの学校教育の概要について紹介し、第2章 ではドイツでぺ一夕ーゼンが提唱したイエナ・プランについて述べていく。次. に第3章では、そのイエナ・プランがオランダの学校教育に受容される過程に おいて、無学年制(米)・幼児教育(英)・フレネ教育(仏)の3者がどのような. 影響を与えたのかについて考察する。最後に終章にて、第3章での考察結果を もとに、ドイツで提唱された時のものとは違う、オランダのイエナ・プランの 独自性を明らかにする。. 本論にて使用する主な資料は、第1章のオランダの学校教育の概要ではリヒ テルズ直子(2004)を、第2章のドイツで提唱されたイエナ・プランに関して はぺ』ターゼン(1984)を用いる。第3章のアメリカの無学年制・イギリスの 幼児教育・フランスのフレネ教育の3者に関しては、それぞれ、クラッドラッ ド・アンダーソン(柴沼晋・柴沼晶子:訳) (1986)・田口仁久(1992)・フレ. ネ(石川慶子、若狭蔵之助:訳)(1979)を用いる。またオランダのイエナ・ 5.

(8) プランに関しては、リヒテルズ直子(2006)とオランダのイエナ・プラン協会 HP(英文)を主な資料とする(註9)。これらのなかで、特にオランダのイエナ・. プラン協会HP(英文)は、先行研究においても翻訳、分析がされていない。よ って、筆者が翻訳したものを巻末に資料として添付した。. 6.

(9) 註. (1)近年では、こうした日本の学校教育の<画}性>を打破しようとする動. きも見られる二例えば、1987年に臨時教育審議会が発表した第4次答申 には、周知の通り、日本の学校教育の画∵性、硬直性、閉鎖性を打破し、. 個性重視の原則を確立することが示されている。また、日本の学校現場 では、中高学習指導要領の総則(第4:指導計画の作成に当たって配慮す. べき事項の第7項)に基づき、習熟度別学級を編成するなど、従来の学 級の枠を超えた取り組みも見られるようになった。しかし、日本の学校 教育における<画一性>は様々な側面で残っている。 (2)鬼沢真之、佐藤隆 『学力を変える総合学習』. 明石書店 2006年 P.6. (3)リとテルス直子(共著) 『うちの子の幸せ論一個性と可能性の見つけ 方、伸ばし方一』 ほんの木 2007年 P.165 (4)リとテルス直子 『オランダの個別教育はなぜ成功したのか一イエナプ ラン教育に学ぶ一』 平凡杜 2006年 P.148∼150. (5)同上P.163 (6) http://戦ww,jen8plan.n亙/. Nederlandse. Jenaplan. Verenigin9. (イエナ・プラン教育協会HP,2009年10月現在). (7)久保礼子 『オランダにおけるイエナ・プラン教育の展開一自立と協動 を育む教育一』 福岡教育大学修士論文 2008年 P,23∼27 (8)リヒテルズ直子 『オランダの個別教育はなぜ成功したのか一イエナプ ラン教育に学ぶ一』. 平凡杜 2006年 P.160∼182 (9)・リヒテルズ直子 『オランダの教育一多様性が一人ひとりの子供を育て. る一』 平凡杜 2004年 ・P.ぺ一夕ーゼン 『学校と授業の変革一小イエナ・プランー』. 明治図書1984年 ・クラッドラッド・アンダーソン(柴沼晋・柴沼晶子:訳). 『学校革命一無学年制による改造一』 明治図書 1986年. 7.

(10) ・田口仁久 『イギリス幼児教育の史的展開』 酒井書店 1992年 ・フレネ(石川慶子、若狭蔵之助:訳)rフランスの現代学校』. 明治図書1979年 ・リヒテルズ直子 『オランダの個別教育はなぜ成功したのか一イエナ プラン教育に学ぶ一』 平凡杜 2006年 ・http://www,je撮aplan.n1/. Neder1andse. Jenaplan. Vereniging. (オランダのイエナ・プラン協会冊、2009年10 月現在). 8.

(11) 第1章 オランダの学校教育. 第1節 3つの自由思想とその背景 1 3つの自由思想 オランダの学校教育の特徴として、3つの自由思想が挙げられる。それは<学 校設立の自由>、<教育理念の自由>、<教育方法の自由〉、である。このこ とは、オランダの社会における様々な集団が、それぞれ固有の宗教的、イデオ ロギー的または教育的信念に基づいて、学校を設置できる権利を有している、. ということを意味するものであり、教育に対する国民の積極的かつ能動的な自. 由を意味する。これらは、オランダの1917年改正後の憲法23条によって保障 され、現在もオランダの学校教育の柱になっている。. まず1っ目に、<学校設立の自由〉についてである。これは、どのような宗 教倫理、教育理念に基づくものであれ、講でも私立学校を設立することができ る、ということである。さらに、一定の条件さえ満たせば、設立者は公立学校 と同様に補助金を受けることができ、学校の校舎や施設の提供は各地方自治体 に責任がある。その条件は、以下の通りである(註1)。. 一、当該地方公共団体の住民数に応じての最低生徒数を上回っていること。正. 確には、住民数2万5千人以下の場合は120人・5万人∼10万人の場合は 160人、10万人以上の場合は200人というものである。生徒数は毎年10月 1日に国に報告し、登録児童数に合わせて補助金が確定する。 二、教育計画・授業時間表を教育監督庁に提出すること。(教育監督庁について. は第1章の第4節にて説明) 三、教育目的を達するにふさわしい施設・設備を具備していること。 四、ティームティーチング・スタッフは教職適格性を有すること。. こうしたことを反映し、オランダに存在する初等学校のうち、公立学校が3 割前後で、残り7割前後の子どもたちが、教育について何らかの主義・立場を 9.

(12) 明らかにした私立学校に通っている。この様にオランダでは、私立学校が多数 存在する。そのため、オランダの年間の国家予算のうち教育に対する予算はほ ぼ2割を占め、その教育予算のうち65%が私立学校に支出されている(詩2)。ま. た、0ECD(経済協力開発機構)が2009年に公表した「図表で見る教育08年版」 によれば、オランダ(2005年)の教育予算(註3)の対国内総生産(GDP)比は 4.6%になる(註4)。一方で、この統計によれば日本の教育予算(2005年)は、. 対国内総生産(GDP)比は3.4%(前年比0.1ポイント減)と、OECD加盟国中最 低であった(誌5)。このことから、日本と比較してオランダが、国全体で教育 の為に力を入れていることが分かる。こうした違いは、序章に示したように、. <私立学校の学校総数に占める割合>において、日本に比ベオランダでは多く の私立学校が存在することにも表れている。. 学校の設置権が、国・地方公共団体、法人や教会等の団体に限らず、親や市 民にも認められ、一定の条件さえ満たせば国から補助金が得られるというシス テムは、憲法23条の教育の自由を保証する大変重要なものである。 2つ目に、<教育理念の自由〉についてである。上記の通り、オランダの初等. 学校のうち7割を占める私立学校は、どのような宗教倫理・教育理念に基づく ものであっても良い。. 結果としてオランダには、様々な宗教による学校や日本ではあまり見られな いような、特別な理念を掲げた私立学校が多数存在する。宗教的理念に基づい て設立される私立学校は、オランダ国民の多くがキリスト教徒であることから、. カトリックとプロテスタントのキリスト教学校が大多数だが、イスラム教学校 とヒンズー教学校がわずかながら存在する。そして、特別な理念を掲げた私立 学校としては、本論文で扱うイエナ・プラン学校をはじめ、モンテッソーリ、 ドルトン・プラン、シュタイナー、フレネ学校などがある。このような学校は、. 総じてオールタナティブ・スクールと呼ばれる。こうした学校は日本的概念で は私立学校ではあるが、一定の条件さえ満たしていれば公費で運営され、授業 料なども徴収しない点では、公立学校に近いといえる。(註6). これに対し、無宗教の学校が公立学校であるが、特別な理念を掲げたものは 存在する。それらの多くは、オールタナティブ・スクールの影響を受け、例と しては、モンテッソーリやアンネ・フランク学校などである。 10.

(13) 最後、3つ目に<教育方法の自由>についてである。オランダには文部科学省 が定める大まかな基準(目標・科目・時数)はあるものの、それを達成するた めの方法は、公立・私立を問わず各学校に自由が認められている。. その大まかな基準とは、1993年に施行された中核目標(初等教育)と基礎形 成の中核目(中等前期)により、全国一律のおおまかな達成目標と教科の内容 が規定されたことである。これらを考慮し、学校ごと自由に教育課程を編成す るのだが、目標達成のための方法や教科の授業方法は自由である。また、目標. は初等教育であれば、4歳∼12歳までの8年間の全学年を通じての1つの目標 であり、目標達成のために定められた、教科に割かれる時間は全体の7割であ る。このことは、学年にこだわらない教育内容が可能になったことを意味し、. 定められた教科に割く時間以外の残りの3割は、学校ごとに自由に実施してよ いということである。. こうした基準を設けた背景には、多様な学校が存在するオランダにあって、 時代の流れにより転校する生徒が増加し、その際の生徒と教師の負担が大きい ことや、子どもの中等学校への接続が困難である、ということが挙げられる。. しかし、目標の設定は教員を怠慢にさせるという多くの反対意見があり、その 後1998年、2003年と目標項目は減少した。 猿E日(2005)によれば、1998年のオランダの初等教育のための中核目標は、 科目横断的中核目標と科目特殊的中核目標に分けられている。さらにその中で、. 前者は作業態度・計画に沿う活動・相互に異なる学習戦略の利用・自己像・社. 会的態度・新しいメディアの6項目に分けられ、各項目を合わせてもA4判用紙 1枚に収まる程度で項目ごとの説明が書かれている。後者は、オランダ語・フ リース語・英語・算数/数学・人間と世界に関する指導科目(地理・歴史・社 会・技術・環境・健康的、自助的態度・自然科学)・体育・芸術指導科目の6 項目に分けられ、項目ごとA4判用紙1枚から2枚程度で説明されている(註7)。. こうした中核目標を見ても、各項目の申で、いっ、どのようにして教えるのか といった記述はなく、目標達成の為の方法はあくまで学校ごとに任されている。 さらに何を達成するのかということに関しても非常に概略的に書かれてある。. このような<教育の自由>を柱にしているオランダの政治的・歴史的背景を 以下に説明する。 11.

(14) 2 〈教育の自由>の歴史的背景 まず政治的背景についてである。オランダの政治体制は立憲君主制であり、 国家元首は国王が務めている。2008年現在、国家元首はベアトリクス女王であ り、王室はオラニエ・ナッサウ家である(註8)。. また内閣は責任内閣制であり、憲法上は国王に任命されるが、実質的には議 会の多数党から任命される総理大臣と各省の大臣が、内閣を構成し行政権を持 つ。議会は衆議院、参議院の両院からなり、小党分裂傾向が強いオランダでは. 連立政権をつくることが多い。2008年現在、政権(与党)は、第一党にキリス ト教民主連盟(衆41・参21、中道右派)、第二党に中道左派の労働党(衆33・参. 14、中道左派)、第三党にキリスト教連合(衆6・参4、右派)で構成され、衆. 議院150議席のうちの80議席、参議院75議席のうちの39議席を与党で占める。 また主な野党としては、自由民主党(衆22・参ユ4、右派)、自由党(衆9・参O、. 右派)社会党(衆25・参12、左派)、左派グリーン左派党(衆7・参4、左派) がいる(註9)。. このようにオランダには様々な政党が存在し、政権が3党以上で構成される ことがほとんどである。多数の政党が乱立する背景に、オランダの選挙制度が 比例代表制をとっている、宗教・宗派に応じて、生活のあらゆる領域において 小グノレープ化している、ということが挙げられる。このようなオランダの政治. 的背景は、<教育の自由>を掲げ、多様な教育が認められている学校教育に対 して少なからず影響はあると考えられる。. 次に1917年に憲法が改正され、<教育の自由>を掲げる現憲法ができるまで の歴史的な流れを説明する。. 16世紀半ば当時のオランダは、低地諸国と呼ばれ国の形を形成しておらず、. 現ベルギーと共にカトリック教国であるスペインの支配下にあった。しかしオ ランダに住む人々の多くは、勤労精神を称え、蓄財を否定せず、質素で堅実な 生活態度を教えるカルバン派プロテスタントであり、アムステルダムがヨーロ ッパの物資集散地として栄えていたこともあり、海運業者をはじめとした商人 らは富を蓄え、生活が豊かであった。そのため、16世紀後半カトリックのスペ イン王国は、活発な海運商業で栄えていたオランダに対し、その覇権をますま 12.

(15) す広げようとする。それに対し、カルバン派の考えが浸透していたオランダ商 人達は、カルバン派プロテスタンティズムを緕東の基盤として抵抗し、後に80 年戦争と呼ばれる戦争となる。このようにオランダでは、人やモノの多様な交 流、つまり多様なものと触れ合う機会があった、また、大国スペインの宗教的・ 政治的圧力にも屈せず、自らの価値観のもと抵抗をしてきた。こうしたことは、. 教育において様々な価値観を認め、<教育の自由>を掲げるオランダの、1つ の基盤になったと考えられる。. オランダは17世紀に入ると、国全体でヨーロッパの様々な地域からプロテス タントの思想家やデカルトやスピノザといった、宗教による偏見を排除し、特. 定の宗教にとらわれない申立性や合理性を重視する啓蒙主義の思想家など、 様々な価値観を持っ思想家に活動の場を提供していく。それによりオランダは、. 17∼18世紀にかけて西欧において近代市民社会の形成を推進することとなった、. 啓蒙主義発展の1つの重要な土壌となる。これらの時代、教育と名のつくもの は、教会による私立のものであり、学校に行くことができるのは、社会的地位 の高い者か宗教関係者の子弟に限られていた。. その後、フランス革命の多大な影響を受けたオランダは、1801年の<すべて の人に開かれた全国的に共通の公教育>という考えに基づいた教育法が初めて 成立した。その後も王803、ユ806年と教育法が改正されたが、啓蒙思想とフラン. ス革命の影響は大きく、これらの教育法はいずれも、公教育において宗教性を 強調することは避けるべきとの考えが基になっていた。そのため、キリスト教 の教会が設立する私立学校においても宗教性を排除し、中立性の高い教育を行 うものでなければ学校の設立を認めなかった。また、私立学校が設立されても、 国からの財政援助は受けられなかった。. ナポレオン支配後の1814年、伝統的なカルバン派の王家を受け入れ、ネーデ ルラント王国が誕生。その後1848年の改正憲法により、第一院(名士)は、第 二院(国民代表)を通過した法案のみ審議する、近代的な議院制民主主義が確. 立。しかしこの時、選挙権が与えられたのは国民の25歳以上男子における、ご く一部の高所得者層(1858年時点で10.7%)に限られていた。そのため、新興. 工業者や大土地所有者を支持母体とする自由党が台頭した。自由党は、国家と 宗教・宗教と教育の分離を主張し、それらが公立学校を通じて世俗化すること 13.

(16) を目指した。自由党の第一党(議員50%前後)としての地位は、20世紀にはい るまで続いた。. しかし、19世紀半ばになると、自由党の政策に危機感を持った宗教派は、プ リンステラーを中心として宗教立の学校教育の自由を保障するために、財政援 助の平等を主張した。また1887年の選挙権拡大(26,7%)とともに、労働者層 を支持母体とする、カトリックとプロテスタントの連合政権が誕生する。そし て、1917年に男性の普通選挙が認められ(女性は2年後)、比例代表制が導入さ れると、数多くの政党が乱立するなか自由党は姿を消した。. このように1848年の議院制民主主義の確立以後は、選挙権の制約もあり、ブ ルジョワジーを支持母体とする自由党(申立)が台頭し政権を担っていた。し かし、選挙権の拡大や比例代表制の導入などにより、労働者層を支持母体とす る宗教派が議席を伸ばし、20世紀前半は宗教派が政権を担当するようになった。. 19世紀後半から20世紀前半にかけて、政権の主導権がブルジョワ階級から労働 者階級へと移行したことが例える。. そして1917年の憲法改正によって、公立小学校と私立小学校間の政府補助金 の平等の原則が記載されるに至る。中等学校、高等学校においてもその他の法 律により整備されていく(註10)。. 14.

(17) 註. (1)結城忠 「オランダにおける親の教育の自由と学校の自律性(1)」. 『季刊教育法』 第150号2006年P,82 (2)桑原敏明 『国際理解教育と教育実践一西ヨーロッパ諸国の社会・教育・. 生活と文化一. エムティ出版 1994年 P.119. (3)「教育予算」. 0ECDでは小中高校や大学などの教育機関に対する全支出を、公的な財 攻負担と、家庭など私費での負担に分けて算出。このうち公的な財政負 担分が「教育予算」に該当し、大学などへの国の補助金や教職員の人件 費などが含まれる。学費などは私費負担分に当たる。. (毎目新聞 2008年9月10日 東京朝刊) (4)http://eduon.jp/news/agencies/20080910−000379.ht触!. 教育情報ポータルサイト 2009年9月現在 (5)同上 (6)太田和敬 「オランダの教育と一教育の自由一(上)」. 『教育』 第44号 国土杜 1994年 P.98 (7)猿日ヨ祐嗣 『理科教育の内容とその配列に関する総合研究』成果報告書. 2005年P,80∼82 (8)桑原敏明 『国際理解教育と教育実践一西ヨーロッパ諸国の社会・教育・. 生活と文化一』. エムティ出版 1994年 P.118. (9)http://www.minbuza.n1/history/. 「オランダの歴史」外務省2009年10月現在 (10)憲法23条ができるまでの歴史的背景は以下の資料を参照. ・リヒテルズ直子 『オランダの個別教育はなぜ成功したのか一イエナ プラン教育に学ぶ一』 平凡杜 2006年 P.29∼37 ・杉浦恭 rオランダにおける民主主義の発展」. 『愛知教育大学研究報告書』 第53号 2004年 P.188∼191. 15.

(18) 第2節 競争の排除と個別教育 学校教育における<競争>は、私達目本人にとってはぺ一パーテストや授業、. 部活動、進学など、あらゆる場面で見られるものである。日本のような画一性 の高い学校教育における<競争>というものの存在は、学習の動機形成を容易 にし、これまでもエリート育成に大きな役割を果たしてきた。近代目本が、欧 米列強の脅威にさらされるなかで、植民地化されないために産業を発展させ、 国力を増大させるためには必要かつ効率的なやり方であったであろうし、今日 の日本の経済的な繁栄を見れば、これらのやり方が正しい選択であったと認め ざるを得ない。. しかしその反面、画一性の高い学校教育での<競争>は、人間の持つ一部の 能力(属性)を過大評価するものである。また、これらのやり方は、学校や人 間、さらには、それぞれ違った役割を果たすことで社会の成立を担っている、 職業に至るまで優劣をつけ、序列化を生み出すという側面を併せ持っている。. こうした状況の中では、子ども達が、自分という固有の存在を認め、学校や 社会の中で自分らしく生きていくことはできないのではないか、自分を振り返 る間もなく、大人や社会が良いとする学校歴や職などを目指して進んでいるの ではないか、と懸念される。. 一方、オランダでは、学校教育において<競争>というものが存在しないと される。また、画一性の高い学校教育とは反対の、<個別教育>が徹底されて いる。この背景には、人間は一人ひとり違うのだから、それぞれの二一ズにあ った、個に重点をおいた教育が行われるべきである、という考えがある。これ は、第ユ節で示したような<教育の自由>にも反映されていることである。. 1 競争の無い学校制度 オランダの学校教育において、<競争>が無いということについては、それ はぺ一パーテストや授業、進学などの際に、子ども達が他者と競うことがない ということである。それはまた、受験というものが存在しないということも意. 味する。オランダでは、5歳∼16歳までの12年間が義務教育期間であり、その 16.

(19) うち最初の8年間を初等教育学校、残りの4年間を中等教育学校に通うことと なる。初等教育学校には、就学義務のない4歳児もその99%が通っているため、. 実質9年間過ごすことになる(註1)。中等教育学校は、6年の<大学準備コース. >、5年の<高等職業専門学校準備コ]ス>、4年の<中等職業訓練学校準備コ ース〉といった、いずれも中高一貴の3コースに分けられる(註2)。〈大学準備. コース>は大学へ進学し、研究者や政治家、高級官僚になるなどいわゆるエリ ート育成コース、<高等職業専門学校準備コース>は高等学校へ進学し、教員 などかなり高い知識や技術を会得するための育成コース、<中等職業訓練学校 準備コース>は進学もでき、そのまま職業に就く場合も想定したコースである (註3)。. このようにコースは大別されるものの、オランダではロース選びの際の受験 競争がない。そのため中等教育学校のコース選びは、C工TOと呼ばれる文部科学. 省が実施する全国一斉の学力テスト等の、客観的な資料を用いて初等学校の教 師、本人、保護者で相談して決められる。ただ、このテストを受けるかどうか は自由で、イエナ・プラン学校をはじめとするオ]ルタナティブ・スクールは、 ほとんどがこれを実施していない(註4)。また、このテスト結果はあくまで客観. 的な一資料でしかないため、進学の際には、最終的に保護者や本人の意見が優 先される。ところが進学の際、このように保護者や子ども本人の意見が優先さ. れるということもあり、保護者の子どもへの過剰な期待から、子どもの持つ能 力以上の学校へ行かせようとする者もいる。そのためオランダでは、中等教育. 学校の始めの2年間であれば、準備コースの変更・移動を可能にし、その2年 間は1コース間で共通性の高い内容を学習するようにしたり、学校内に2つの準 備コースを併設したりするなどの工夫をしている。. 当然、上から<大学>、<高等職業専門学校>、<中等職業学校>の3つに 大別された高等教育学校に進学する際も受験競争はない。これらの学校に進学 できる条件は、それぞれの学校の準備コースの卒業資格を得るか、1つ上のレベ. ルの準備コ』スの卒業資格を得ることである。例えば、<高等職業専門学校準 備コース>の卒業資格を得ていれば、<高等職業専門学校>と、1っ下のレベル の<中等職業学校>に分類される学校に、進学することができる。もちろん、. 中等教育学校の各準備コースで卒業資格を得るために、他者と<競争>すると 17.

(20) いうこともない。また、卒業後に1つ上のレベルの準備コースの卒業資格が欲 しい場合は、その卒業資格が取れる学校に途中の段階(上から5年生、4年生) から入学することも可能である。これにより、自分に合った準備コースで学習. することができ、卒業後の進路変更も可能になっている。このように進学の際 の受験がないため、一般的に学校には定員がなく、年によって学生数が変動す る。ただし大学の医学部においては、定員で切られることがあり、選考はくじ 引き、又は、ボランティアなど入学希望者のこれまでの活動が評価される(註5)。. オランダの学校教育では、進学や就職の為に学校を選ぶ際、他者と<競争> するということが一切なく、すべては本人次第といっても過言ではない。その ため、無理して大学へ行くということもなく、自分に合った生き方を選ぶのが 一般的である。こうしたことからオランダの社会には、大学へ行った者が勝ち 組で、そうでない者は負け組である、といったような価値観は無い。. 18.

(21) 以下は、オランダの学校教育の体系について、リヒテルズ(2004)の図を参考 に筆者がまとめたものである(言圭6)。. オランダの学校体系 大学. 学士課程は最 高. 低3年間。. 高等職業専門学校. 中等職業訓練学校. (1∼4年間). 等. *教職課程は4年間. (1∼4年間). 教 育. 大学準備コース (6年間). 中. 高等職業専門学校準備. 等. コース. 教. (5年聞). 中等職業訓練学校準備. 育. コース. *中等教育の最初の. (4年間). 2年間は移行可能. 初 等. 教 育. 小学校8年間(9年間) 義務教育期間は満5歳∼満16歳までの12年間。 義務教育では、小学校は8年間であるが、ほとんどの子どもが満 4歳になると入学するので実質9年間を小学校で過ごす。. 19.

(22) 2.個別教育 オランダの〈個別教育>についてである。オランダの学校では一斉授業を廃. 止し、<個別指導>、<自立学習>、<共同学習〉の3要素で授業を構成して いる。オランダではこの3要素を考慮して、できるだけ子ども達がそれぞれの 能力やテンポにあった方法で学ぶことができるような、環境づくりや指導を打 っている。. 1つ目の、<個別指導>とは、その子の発達の度合いや過程を考慮して、その 子に見合った課題を達成するために、先生が子供の能力に合わせて適切な方法 や教材を選び子供のテンポに合わせて援助すること、である。オランダではよ く<個別教育>のことを、その子のサイズに合った教育、という。(註4)これに. は、人間の発達には単に知識や技能といった認知的な発達だけではなく、社会 情緒的な発達、運動能力の発達といったものもあり、これらがバランスよく発 達することが重要という考えがある。. 2つ目の、<自立学習>とは、短い指導で分かった子ども達が復習や挑戦的な. 課題に挑んだりするなどして、その新しい知識や技能をより確実なものにする ためのもの、である。学校では、自立した学習ができるようにするために、子 どもの個人差にあった多様な教材が用意され、その教材は教員が説明しなくて も自分で学習方法が分かるものになっている。もし行き詰ってしまっても、教 員が目の届くところおり、すぐに支援をすることができるため、誰かに合わせ るのではなく、自分に見合ったぺ一スで自ら学んでいく環境が整えられている。. 3つ目の<共同学習>とは、他の子供たちとの相互作用を通じて、他の子ども 達との関係の築き方や役割分担の仕方を学ぶためのもの、である。そのため学 校では、グループを作って学ぶ場を積極的に設けている。しかし、そのグルー プは、集団への同調を強いるものではなく、あくまで自立した個人の集まりと して検るもので、お互いがそれぞれの意見を尊重し率直に話し合うことができ、. 共通の目的に向かって役割分担しながら協力していく場である。子ども遠の相 互作用からなる偶然の発見や、異なる関心に触れることは、良い学習のきっか けになる。こうした共同学習を可能にするのも、教員と子どものマンツーマン の関係の申で、普段から自分の気持ちを素直に表現できる場が用意され、自立 20.

(23) 学習によって自分のすべきことを自覚し、自分に与えられた課題に責任を持っ て取り組むよう習慣付けられているからである(註7)。. こうした<個別教育>の利点を、一般的な学校での様子から考えてみる。 まず1つ目に、学校の教員は、何か新しい知識や子供たちに教える場合には、. 数人の子供たちを対象にして普通の話し声で、また手を伸ばせば届くような距 離で指導をする(註8)。このことの利点としては、教員は自分が担任をしている. 子ども遠の進度をしっかりと把握することができ、その観察に基づいて個々の 子どもそれぞれに、相応しい方法や教材を選びながら指導することができる。 また、少人数で、普通の話し声で会話ができる環境にあるため、子どもにとっ ては発言しやすく、先生と生徒のコミュニケーションが取りやすくなる。. 2つ員に、学校では1人1つの机ではなく、数人が1つのテーブルを利用す るなどして、数人のグループを基本に共同で行う授業が多くある(註9)。そのた. め、子ども同士の意見交換や教え合い、情報交換が活発に行われる。このこと の利点としては、先生に「教えてられたことを学ぶ」(単線型)という事だけで. なく、自ら疑問を持ち自発的に何かを学んだり、他の子どもの意見を参考に自 らの考えを修正したり、それをきっかけに新たな情報を探索したり、というよ うに多様な学びを見て取ることができる。また、子ども同士の相互作用を刺激 する申で毎日の学びを繰り返すうちに、子ども達は次第に集団の中での行動の 仕方を身に付け、共同性を養っていくことができる。. 個に重点を置いた教育は、ソフト面だけでなく、ハード面においても日本と は少し違ったものを見ることができる。それは、<リュックサック制度〉と呼 ばれるものである。これは、障害のある子どもに対し全国共通の基準によって、. 多子どもの補助金額を決定し、その子が選んだ学校にその金を持っていくとい う制度であり、それにより、今までは特殊学校に行く事しかできなかった子ど. もも、普通学校に行ける可静性が大きくなった。第3節セ詳しく触れるが、オ ランダには子どもと保護者に<学校選択の自由>が認められており、先に触れ た中等教育学校のコース選びはもちろん、初等教育学校選びにおいても子ども と保護者で決めることができる。しかし、公立学校は入学拒否ができないもの の、私立学校はそれができるため、私立学校の障害者の受け入れは経済的な面 で困難であった。そのため、学校側が障害のある子どもを受け入れやすくする 21.

(24) ため、障害のある子どもには通常より上乗せして補助金を支払うという、この 制度が導入された(註10)。. このようにオランダの学校教育には、<競争の排除>と<個別教育の徹底> という面が見られる。. 22.

(25) 註. (1)桑原敏明 『国際理解教育と教育実践一西ヨーロッパ諸国の社会・教育・. 生活と文化一』 エムティ出版1994年P.122 (2)リヒテルズ直子『オランダの教育一多様性が一人ひとりの子供を育てる 一』 平凡杜 2004年 P.97. (3)同上P.96∼97 (4)同上 P.100∼ユ04. (5)・同上 P.108∼111,P.122∼126. ・太田和敬 rオランダの教育と教育の自由(上)」. 『教育』 第44号 国土杜 1994年 P.99∼101 ・太困和敬 「オランダの教育と教育の自由(下)」. r教育』 第45号 国土杜 1995年 P.112∼五13,P.119. (6)リヒテルズ直子 『オランダの教育一多様性が一人ひとりの子供を育て. る一』 平凡杜2004年 P.127 (7)「個別教育」の三要素の説明に関しては以下の資料を参照. ・リヒテルズ直子 『オランダの個別教育はなぜ成功したのか一イエナ プラン教育に学ぶ一』 平凡杜 2006年 P.26∼37 (8)同上 P.23. (9)同上P.24. (10)同上P.41∼44. 23.

(26) 第3節 学校の自律性と保護者、生徒の権利 1 学校の選択権. オランダの学校教育では、憲法23条により<学校設立の自由>、<教育理念 の自由>・<教育方法の自由〉が各学校に認められている。つまり、教育の信 条や理念、内容、方法、学校の規模などは各学校で違うということである。そ のため、オランダには校区がなく、実際にその学校に通うこととなる子どもと その保護者に、学校を選択する権利が認められている(誌1)。ただ若干の都市に. おいては、生徒数に偏りが生じないよう校区を設定して、子どもと保護者の学 校選択の権利を制限する例も見られるようである(註2)。. オランダでは、子どもが初等学校に入学できる4歳になったら、市からその 案内とともに、市内にある初等学校のリストが送られてくる。小さな地方都市 であれば新聞形式のガイドが、大都市であれば数十ぺ一ジにもわたる冊子が、. 送られてくる。このリストには公立・私立を間わずすべての学校が含まれてい て、各学校が用意した学校の紹介文が詳しく記載されている(詩3)。このように、. 学校側には、子どもと保護者の学校選択権を保障するために、当該学校におけ る教育目標や方針・カリキュラム・学校の組織編成などの情報を保護者に提供 する義務が課されている(註4)。またオランダの文部科学省からは、初等学校に. 通う予どもを持つ保護者の為のガイドブックが配布され、そこには学校を選ぶ 際に保護者はどういったことを考慮すべきか、公立学校と私立学校の違いは何 か、各々のオールタナティブ・スクールの特徴は何か、などといったことにっ いて説明がされている(註5)。. こうした情報をもとに、子どもと保護者は直接学校を訪れ校長先生と話し合 うなどして学校を選択する。ただオランダの自治体は、子ども達が歩いて通え る距離に、いくつかの学校が存在するよう配慮する義務を持っている。その最 低基準は、公立・私立を間わず、4キロ以内に最低2校の初等学校がなければな らず、努力目標としては、2キロ以内にいくつかの学校が存在することである(註. 6)。そのため、どんなに小さな町でも歩いて行ける位の距離に小学校が3つや4. つ存在するため、就学義務が課されている保護者にとって学校選択は一大行事 24.

(27) である(誌7)。しかし、保護者の中には、歩いて行ける距離に満足する学校がな. い、という場合もあるようである。そのためオランダでは、遠方の学校へ通学 する場合は交通費を支給したり、学校経営に保護者の意見が反映される<学校 経営参加評議会(M.dez.gg㎝schap Raad)>(2学校経営へ参加する権利、に. て詳しく説明)を各学校に義務づけたりするなどの工夫をしている。ただ保護 者の就学免除もあり、その条件として、精神的・肉体的に通学に向かない子ど も、一定の住所を持たない、オランダに居住しているが外国の学校に通う子ど も、家庭から通える範囲のすべての学校教育に親が異議を唱えた場合、がある(註 8)。. オランダにある社会文化計画局という公的機関が行った調査によると、オラ ンダの保護者の80%が現在自分の通っている学校に<満足している>と答えて いる(註g)。こうした結果は、保護者に学校の選択権が認められているだけでな. く、それを保証するために国や学校が一体となって、一人ひとりの子ども達に 適した教育を提供できるよう、努めてきた結果ではないだろうか。. 保護者による学校選択権の影響は、子ども遠の学校での生活に限らず、私生 活にも大きな影響を及ぼしている。リヒテルズ(2004)はオランダの子ども達 が置かれている日常世界を、日本の子ども達が置かれている日常世界と比較し て<開放された子どもの世界>と称している(註10)。. それは、上にも示したように、オランダでは校区がない。そのため、近所に 住んでいる子どもの多くは、それぞれ別々の学校に通っている。子どものこと だから、顔見知りになれば、同じ学校に通っていなくても、近所の子ども達は 一緒に遊ぶようになる。市内のスポーツクラブなどに行けば、そこでまた様々 な地域の様々な学校の子ども達と接するようになる。そこでは、子どもだけで なく、指導してくれる専門の先生や子ども遠の面倒を見てくれる父兄などの大 人達とも知り合いになる。こうしたことに加えて、オランダの初等学校には宿 題がなく、中等学校にクラブ活動はほとんどない。子ども達は、学校が終わる と宿題や塾、クラブ活動に追われることなく、個別で自由な時間を存分に楽し むことができる。また、クラブ活動がある学校であっても、他校と試合をした り、県大会・全国大会に出場したりするというようなことはしない。オランダ ではそうした形で、学校間の競争を偏るようなことがないようにしている(註1 25.

(28) 1)。. 一方で日本の子ども達は、日本に校区制がある限り、同じ地域の子ども達は 同じ学校に通う。さらに小学校でも宿題があることは珍しくなく、地域差こそ あれ塾に通う小学生は多い。中学生にもなれば、多くの子どもが学校のクラブ 活動に属するようになり、高校受験が控えるため、小学校時に比べて塾に通う 子どもは増加する。このように、日本のほとんどの子ども達が、学校が終わっ ても放課後は、宿題をしたり、塾に行ったり、そうでなくても、同じ学校で行 われるクラブ活動に参加したり、同じ学校の子どもと遊んだり、という様に過 ごしている。リヒテルズ(2004)はこうした日本の子ども達が置かれた日常生 活を次のように批判している。. 「重層的で反復的な社会関係しか持たない日本の子供たちは、学校や地域の外. の社会に接したり、他の学校の子どもと交わったりする機会がオランダの子 供たちに比べて大変少ないように思います。学校の成績があまりよくなくて 目立たない子どもが、同じ仲間内でクラブ活動をさせられてそこでもストレ スを溜める、ということはよくあることではないでしょうか。子供でも接す る仲間や場所を変えることで、自分なりに生き生きとできる場を得たり、学 校では得られない人間関係をはぐくむことができるはずです。」(註12). 日本の子ども遠の多くは、同じ学校の子どもと遊び、同じ学校に通う子ども 達から構成される学校の部活に所属する。また、受験競争があることからも幼 いころから宿題や塾に、日々の生活を追われる子どもも少なくない。こうした ことを踏まえると、オランダの子ども達は、日本の子ども達に比べ、学校や私 生活の過ごし方における選択の幅が広いと言える。. 2 学校経営へ参加する権利. これまで、子どもと保護者による学校の選択権について述べてきたが、彼ら には他にも学校経営へ参加する権利が認められている。これは、1992年に制定 26.

(29) された教育参加法に基づいて、保護者や生徒、教員の学校教育への参加制度と して設けられた。一般的に保護者が参加する会というのは、<学校運営理事会 >、<学校経営参加評議会(MedezeggenschapRaad、以下MR)>、<親の会>、. の3つがある。保護者はこうした会に参加することによって、学校を選択する というだけでなく、実際に子どもが通う学校で行われる教育に対し直接的な影 響力を持つことができる。. このなかでも、最も重要なものが<学校経営参加評議会(MR)>であり、保 護者と生徒、教員にも学校経営にかかわる様々な権利が認められている。これ は、教育参加法によってすべての学校に設置が義務付けられており、私立学校 の最高決議機関である学校運営理事会と、公立学校の最高決議機関である市町 村地方自治体の決定に対し、いくつかの事項において<同意権>あるいは<勧 告権>という強い権限を行使することができる。. まず、<学校経営参加評議会(MR)>の構成員については、およそ6人∼18 人からなり、初等教育段階では保護者と教員の半々で構成される。そして中等 教育段階になると、半数が保護者、もう半数は生徒と教員から構成される。こ こには、学校経営の責任者である校長は参加できない。これらの構成員は、毎 年1回教員と保護者、全員からなる選挙によって選出される。. 次に、<学校経営参加評議会(MR)>が持つ<同意権〉についてである。学 校の最高決議機関である学校運営理事会(私立)と市町村地方自治体(公立)は、. 教育参加法が示す9項目に関しては、<学校経営参加評議会(眠)>の同意が なければ実施できない。その9項目とは、以下の通りである。. 一、教育目標の変更 二∼四、授業・指導規則・試験規則などの 学校教育計画・指導計画の決定や変更 正、校則の変更(校則がある学校の場合). 六、学校ガイドの決定や変更 七、保護者の援助活動を募集する際の方針の決定や変更 八、生徒達への安全・健康管理・福祉面の規則の決定や変更 九、地方自治体の計画と指導によって選ばれるモデル校への参加決定や変更 27.

(30) 2つの最高決議機関は、これらのことについて、必ず<学校経営参加評議会 (服)>の同意を必要とする。. そして、同じく<学校経営参加評議会(㎜)>が持つ<勧告権>についてで ある。これは、<同意権>ほどの強制力はないものの、学校の最高決議機関で ある学校運営理事会(私立)と市町村地方自治体(公立)は、教育参加法が示す. 18項目に関して、<学校経営参加評議会(㎜)>から勧告を受けた場合、再検 討しなくてはならない。その18項目とは、以下の通りである。. 一、学校の基本的な設置原理の変更 (他の学校との併合や私立から公立への変更など). 二、時間割の変更 三、資金の用途、. 四、学校活動の停止・縮小・拡大 五、学校の譲渡・移転・併合 六、他の機関との協力活動の開始や解消 七、教育実験プロジェクトヘの参加または停止 八、学校組織の方針. 九、学校運営の関係者及びその他の教職員の任命と解雇の決定とそれについて の方針 十、学校運営の役割分担 十一、学校運営に関する定款 十二、生徒の受け入れ方に関する方針 十三、国内外からの生徒の受け入れ方に関する方針 十四、休暇規則 十五、校舎の新・増・改築と維持について. このように、オランダでは教職員の任命や解雇といった決定に関するものに まで、保護者や生徒に一定の権限が認められている。これらは、オランダにお 28.

(31) いて教員の移動がなく、採用も解雇も学校単位で行われることも意味する。な お、この制度は、保護者や生徒だけに学校経営に関する権限を与えるためのも のではなく、<学校経営参加評議会(MR)>の構成員のなかに当該学校の教員 が含まれていることからもわかるように、教員の労働条件の保護という側面も ある(註13)。. 第3節では、全体を通して保護者や生徒の権利を述べてきたが、このことは 憲法23条により<教育の自由>が保障され、第4節で述べる、一高い自律性を持 つ学校の<質の維持>に、間接的にではあるが大きく貢献している。. 29.

(32) 註. (1)リヒテルズ直子 『オランダの教育一多様性が一人ひとりの子供を育て る一』 平凡杜 2004年 P.11 (2)結城忠 rオランダにおける親の教育の自由と学校の自律性(1)」. r季刊教育法』 第150号2006年P.83 (3)リヒテルズ直子 『オランダの教育一歩榛性が一人ひとりの子供を育て. る一』 平凡杜2004年P.17 (4)結城忠 rオランダにおける親の教育の自由と学校の自律性(1)」. 『季刊教育法』 第150号 2006年 P,84 (5)リヒテルズ直子 『オランダの教育一多様性が一人ひとりの子供を育て. る一』 平凡杜2004年 P.18 (6)太田和敬 「オランダの教育と教育の自由(上)」. 『教育』 第44号 国土杜 1994年 P.98 (7)・結城忠 rオランダにおける親の教育の自由と学校の自律性(1)」. 『季刊教育法』 第150号 2006年 P.83 ・太田和敬 「オランダの教育と教育の自由(上)」. 『教育』 第44号 国土杜 1994年 P.17 (8)桑原敏明 『国際理解教育と教育実践一西ヨーロッパ諸国の社会・教育・. 生活と文化一. エムティ出版1994年P.121∼122. (9)リヒテルズ直子(共著) 『うちの子の幸せ論一個性と可能性の見つけ. 方、伸ばし方一』 ほんの本2007年P.176 (10)リヒテルズ直子 『オランダの教育一多様性が一人ひとりの子供を育 てる一』 平凡杜 2004年 P.52. (11)同上P.52∼54. (12)同上P.55 (13)「2 学校経営へ参加する権利」は以下の資料を参照した。ただし、「学. 校経営参加評議会(MR)」が持っ胴意権」及び「勧告権」の項目内容 に関してはリヒテルズ(2004)のP,182より引用。. 30.

(33) ・太目ヨ和敬 「オランダの教育と教育の自由(上)」. 『教育』 第44号 国土杜 1994年 P.102∼104 ・結城忠 「オランダにおける親の教育の自由と学校の自律性(2)」. 『季刊教育法』 第151号 2006年 P.81∼82 ・リヒテルズ直子 『オランダの教育 多様性が一人ひとりの子供を. 育てる』 平凡杜2004年P.179∼183. 31.

(34) 第4節 学校の質の維持と格差 1 学校評価 これまで述べてきた通り、オランダでは各学校に多岐に渡る自由が保障され ている。こうした状況の申、オランダでは各学校の価値観を最大隈尊重させつ つ、教育の質を維持するためのものとして学校評価がある。この学校評価は、 大きく分けて内部評価と外部評価に区別される。. まず内部評価についてである。これは、各学校は当該学校での教育活動全般 に渡り自ら定期的に評価し、その質を保証するというものである。各学校では、. 自らが作成する教育目標などを示した学校計画書や、年次プランを示した年次 活動計画書で、内部評価組織の設置を始めこれに関わる基本的な事柄について 定めることとなる。こうした計画書と、実際の教育活動を照らして自己評価を していくわけだが、その評価をどのようにして実施するかは、各学校に委ねら れている。しかし、学校計画書と年次活動計画書は学校経営において非常に重 要なものであるため、内部評価だからといって手を抜くことはできない。なぜ. ならこれら2つは、保護者や子どもによる学校選択に際しての、<学校教育契 約>だからである(註1)。. 次に外部評価についてである。この外部評価は、オランダの文部科学省下の 準独立機関である教育監査庁が中心となり、そこに属する教育監査官が実際に すべての学校を訪れ、監査を行う。しかし、オランダでは<教育の自由>が認 められているため、こうした監査も、国が支持する教育方針に従っているか否 かを審査するものではない(註2)。. 教育監査官はまず、4年に1度発行され、学校の教育目標を示した学校計画書 や、毎年発行される保護者向けの学校ガイドなどによって、あらかじめ各学校 の情報を得る。次に、教育監査官は実際に学校を訪間し、授業観察に加え、校 長や教員、保護者、生徒の代表との意見交換を得て、「(1)質の維持、(2)テス ト、(3)教材提供、(4)時間、(5)教授・学習のプロセス、(6)学校の雰囲気、. (7)生徒指導とガイダンス、(8)成果」(註3)の8分野において全国統一の監. 督基準に則って診断する。それは、科目の種類・就学時間など文部科学省の最 32.

(35) 低限の取り決めがなされているか、生徒の成長、二一ズをよく理解しその期待 に適切に応えられているか、生徒の成長に十分な配慮をしているかなどである。. 監査の周期は、平均して2年に1度とされているが、問題が多い学校ほど頻繁 に訪れ、改善方法などをアドバイスする(註4)。こうしてできた診断書は、学校. の異議申立てを受けた後、2000年以降はインターネット上に一般公開され、い つでも見ることができるようになった(註5)。. なお、「教育監督庁は学校の教育計画や活動計画について一切の変更命令権は 有しておらず、これらの計画は提出されたその瞬間から『学校の固有の立法』 として妥当し、その限りにおいて、それは国家レベルでの規律に代置する」(註6). とある。つまり教育監督庁による各学校の評価は、あくまで公の客観的資料と して一般に公開するためのもの、もしくは、それを基に各学校にアドバイスす るためのものであると言える。. また、各学校が自律的に教育の質を保証できるように、多くの支援機関が存 在している。主要なものとしては、初等教育学校に対しては学校支援サービス が、中等教育学校に対しては教育センターなどがある。前者は全国的なネット ワークを形成しており、後者は教育領域・宗派・公私別に設置されている(註7)。. 最近ではそのほとんどが民営化されており、今まで地域の生徒数に応じてサポ ート機関が国や自治体から受けてきた補助金は、2006年からは各学校が受ける ことになった。これにより、いつ、どこで、どのサポート機関を利用するかは 各学校の自主性に任せられることになった(註8)。. 2 間接的効果. あらゆる面で自由度の高いオランダの学校が、その質を維持するために間接. 的にではあるが、大きな効果を発揮する制度がある。それは、第3節で紹介し た、<学校の選択権>と<学校経営に参加する権利>である。前者は、校区が ない中で子どもと保護者が自由に学校を選択できる権利、後者は、子どもと保. 護者による学校経営者の様々な決定に対する同意権・勧告権である。第3節で はこれらを、子どもと保護者の権利、または学校の自律性という側面で述べて. きた。しかし、これら2つの制度は同時に、学校の質の維持という側面にも大 33.

(36) きな効果を発揮している。. これまでオランダの各学校には、教育理念や教育方法において高い自由が認 められていると紹介してきた。しかし、オランダでは学校の存続の条件として、 「当該地方公共団体の住民数に応じての最低生徒数を上回っていること」(詩9). と設定している。この条件における最低生徒数は、第1節の学校設立の為の条 件として紹介したものと同様である。つまり学校は、それぞれどんな教育をす るかは自由だが、一定の生徒を確保することができなければ廃校となる。. こうした状況下にある学校に対し、子どもと保護者には、<学校の選択権〉 と〈学校経営に参加する権利>が認められている。. オランダにおいて、子どもと保護者が転校するということは、頻繁に起こる ということではないが、珍しいものでもない。オランダのある学校では、役所 の担当者を交えて問題のある教師の指導を求めたが、校長の指導力がないこと. に学内が騒然とし、在籍していた生徒の3分の1が他校へ移るということもあ った。保護者は、学校側と話し合う努力はしても、学校が子どもに合わないと 判断すると躊踏なく学校を替えるようである(註10)。. またオランダの子どもと保護者には、学校経営者の決定に対して同意権・勧 告権が認められているが、勧告権に関しては決定の再検討を要求するだけの権 利であり、同意権ほどの強制力はない(註11)。しかし、学校存続の条件が一定. 数の生徒の確保であり、子どもと保護者に学校の選択権が認められていること から、勧告権すらも、学校経営に対し非常に大きな効力を発揮する。つまり学 校の経営者は、学校経営に関わるあらゆることに関して子どもや保護者の意見 を無視できないのである。. このように、学校経営者である校長や教員は、常に子どもと保護者から魅力 的な学校として認められるだけの力量を求められている(註王2)。子どもや保護. 者の二一ズに応えることが、必ずしも学校の質を高めることに繋がるわけでは ないが、学校経営に外部の評価が反映されるというのは、学校の質の維持に一 定の貢献をしていると言える。. 34.

参照

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