第3章 オランダにおけるイエナ・プランの受容と変容 第1節オランダにおけるイエナ・プラン
第3節 幼児学校(英)からの影響とそれによる変容
1 イギリスの幼児学校
まずは本節で扱う幼児学校(Infant S・h・・ユ)のある、イギリスの学校教育体 系の概要を説明する。イギリスでは、1944年に成立した教育法(Butler Act)
によって、5〜14歳の子どもを対象にした基礎学校(e!㎝㎝tary schoo1)に代 わり、5〜11歳の子どもを対象にした初等学校(Primary schoo1)と工1〜14歳 の子どもが通う中等学校(Sec㎝dary Schoo1)が登場することとなった。それ までの学校教育体系では11歳を転機にして、高等教育へ進学する子どもはパブ
リック・スクール(Public Schoo1)やグラマー・スクール(Gra㎜ar schoo1)へ、
進学しない子どもは基礎学校にそのまま在学していた。また同教育法によって イギリスの学校教育体系であった、それまでの複線型学校システムは制度面に 関する限り終焉をむかえたと言える(註1)。
そして上に述べた、イギリスにおける初等学校(義務教育段階)の一部とし て位置付けられているのが、本節で扱う幼児学校である。同校はイギリスにお ける幼児教育機関であり、産業革命後に1コパート・オウエン(Robert Owen)が ニュ』・ラナーク(N.w Lan.rk)に設けた幼児教育施設に端を発し、サミュエ ル・ウィルダースピン(Samuel Wilderspin)らによって発展してきた。同校は 5〜7歳の子どもを対象としており、2〜4歳の子どもを対象とした就学前教育施 設としての保育学校(Nursery S.ho.1)の上に、初等学校の一部として位置付
けられている。初等学校(5〜11歳)は通常、幼児学校が2年と下級学校が4年の 合計6年である。ただ近年ではこの初等学校を、ユ967年のプラウデン報告
(P1owden Report)(註2)の趣旨に則して、幼児学校の年限を延長した3年また は4年制のファーストスクール(First Schoo1)と、その後の中等学校への移行 課程としての3年または4年制のミドルスクール(Middle Schoo1)としたものを 導入している(註3)。
以下には、イギリスにおける幼児学校の歴史的背景について述べる。イギリ スは/760年〜1830年代にかけて、世界に先駆けて産業革命を経験することとな
る。産業革命は大人のみならず、幼い子どもまでも安価な労働力として工場に
駆り立て、彼らを奴隷的な条件で就労させるという悲惨な現象を招いた。産業 革命期のイギリスには、いくつかの教育機関が存在したが、その数は非常に少 なく、教育内容は粗末であった。さらに長時間に渡る労働が影響し、ほとんど の子どもが学校を利用することができないというのが現状であった。また、イ ギリスでは幼児の教育は家庭でするという伝統的な考え方が存在し、それらの 学校では7歳以上の子どもを対象としていた(註4)。つまり幼児学校が対象とし ている5〜7歳の子ども達は、当時イギリスでは教育の対象外であった。
イギリスにおいて、幼児学校運動の幕開けを告げたのはオウエンであった。
彼は1816年に、自らが統治するスコットランドのニュー・ラナークの工場に1性 格形成学院(The Insti加tion for the Formation of Character)を開設した。
そこでは、「害あるいは悪の大部分が、人生の非常に早い時期に子どもに学ばれ るか身に付けられる。気性あるいは気質の大部分が、よくもわるくも、かれが 二歳になる以前に形成される」(註5)という思想を背景に、はじめから幼児教育 が不可欠な一部門とされた。オウエンは、幼児期が教育上絶対に無視できない 重要な時期であるとして、「やっと歩ける位の時期から六歳まで」(註6)の子ど
もを対象とする幼児のための学校の必要性を提唱した(誌7)。
イギリスで最初の本格的幼児学校であったオウエンの性格形成学院の概要に ついては以下にまとめた(註8)。
〜ハード面〜
・1歳〜3歳までの第1組と、3歳〜6歳までの第2組。人員はともに30名〜50
名
・教室に動物の絵や地図、庭や畑や森からの自然物を備えさせる
・男女を問わず、2歳以上にはダンスを、4歳以上の子どもには音楽を教練とし て課す
〜ソフト面〜
・教師はどんな理由があろうと子どもに手をあげたり、脅したりしてはいけな い。罰は不必要である
・年長の4〜6歳までの子どもは、年少の子どもの世話をし、力を合わせて互い 91
が幸福になるように教えなければならない
・子どもたちが書物で苦しめられてはならない。身のまわりにあるモノの使い方 や本性・性質を、子ども遠の好奇心が刺激されそれらについて質問するように なったときに、教師はうちとけた言葉で教える
・天候と体力の許す限り野外の空気の良いところで遊び、そこでの遊戯に飽き たら教室に連れてこなくてはならない。教師は有益なものを、子どもの分か る範囲で示し説明して楽しませなくてはならない
その後オウエンは、既成宗教の否定を公言していたなどの理由から、支援者 からの指示を失い、1824年に性格形成学院は閉鎖された。しかし同年、ロンド ン幼児学校協会が結成され、数十校の幼児学校が誕生することとなった。そし て同協会により幼児学校普及の委託を受け、イギリス全土に!0年間で150枝も の幼児学校を開校させたのが、上に述べたスピタルフィールズ(Spitaユfie/ds)
の幼児学校校長であった、ウィルダースピンである。ウィルダースピンは、教 育実践の際に幼児に対して楽しく秩序正しく教育をするために教具を考案した り、施設を整えたりした。しかし、彼は子どもに規律を重んじたことやその教 具を使用しながらも暗記中心の学習であったことから、注入主義の知識偏重と 批判的に評価されている(註9)。
その後ウィルダ』スピンは同協会から離脱するが、彼が普及させた幼児学校 は、児童中心主義のペスタロッチ(∫.H.Pestalozzi)やフレーベル
(F.W.A.Frobe1)などから多大な影響を受けた。そして、1870年の「イングラ ンドとウエールズとに公立小学校教育を供給するための小学校法(Eユ㎝θntary Ed㏄ati㎝Act of1870)」(註10)によって、幼児学校(5〜7歳)が公立小学校 教育制度において不可欠なものとなった(註1エ)。
以下に示すイギリスの幼児学校については、主に文部省大臣官房調査(1969)
がまとめた、プラウデン報告書(1967年)をもとに説明した(註12)。なぜなら、
同報告書にはイギリスの幼児学校の<独自性>が強調されていると思われるか
らである。
まずは、幼児学校への入学年齢についてである。イギリスの初等学校、つま り幼児学校への入学年齢は満5歳である。「義務教育の始期を満5歳とする制度
は、1870年に発布された『小学校法』(E1㎝entary School Act)によって偶然 に定められたものである。しかし満5歳を義務教育の始期と定めている国は、
世界でもイギリスとイスラエル等の小国の国にすぎない。」(註13)
これらを踏まえて、P.128に示した「資料3」(詩14)を見ていただきたい。こ の資料は、文部科学省(1975)が1974年当時の主要国(6カ国)の学校系統図を 示したものである。ここからは、主要国(6カ国)の義務教育の始期は、日本・
アメリカ合衆国・フランス・西ドイツの4カ国が満6歳、ソ連が満7歳である のに対し、イギリスは満5歳と最も早いことが例える。
では義務教育の始期は満何歳程度が子どもにとって適切なのであろうか。そ れについてプラウデン報告書では、子どもによって発達の速度が異なることか
らも、「5歳から7歳までの年齢の中のどれか1つをすべての児童に適した入学 年齢として画一的に定めることは不可能であろう。」(註15)としている。しかし イギリスに関しては、r1870年から満5歳をもって初等学校への入学年齢として いることから、この年齢の児童の諸要求にかなった教育の組織と方法が開発さ れている。つまり初等学校の第1段階である幼児学校では、遊戯(p1・y)と創 作活動(。reative w.rk)が教育の中心にされている。これは6歳または7歳を 入学年齢としている他の国ではみられないことである」(註16)と報告している。
次に幼児学校の修業年限についてである。幼児学校では2年間の修業となる が、同報告書によれば、同学校での修業期間が2年間であるのは短すぎるとし て、3年間の就業期間を提唱している(註17)。その理由は以下の2点である。
またこれらは、上に述べたファ』ストスクールやミドルスクールを導入したこ との根拠にもなっていると言える。
1点目は、幼児学校の特徴からその理由を述べている。「幼児学校の特徴は、
教員と児童との間の親密な関係にある。幼児学校は児童に遊戯(play)やお話
(ta!k)の機会を豊富に提供し、個々の児童に最もよく適った方法で学習を進 めていく。そして幼児学校の教員は児童とその両親について十分な情報を握む に当たって恵まれた条件の下にいる。というのは、通常この段階の子どもたち は無邪気で誠実であり、また彼らの両親は子どもたちの教育に対して最も熱心 であるためである。」(註18)しかし、こうした幼児学校の特徴を十分に発揮させ るには、時間が必要である。2年間では、共同生活に自信をっけさせることはで
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