身分行為論 : 中川理論批判と身分行為意思
著者 岡林 伸幸
雑誌名 同志社法學
巻 60
号 7
ページ 169‑196
発行年 2009‑02‑28
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011639
身分行為論一六九同志社法学 六〇巻七号
身分行為論 ― 中 川 理 論 批 判 と 身 分 行 為 意 思 ―
岡 林 伸 幸
(三一八七)
1
.問題の所在
⑴ はじめに 身分行為論は我が国独自の理論であり、独自の展開を遂げている。つまり我が国は戸籍制度を有しており、役所への 届出によってその行為が成立するという独特の構造が身分行為という概念を生み出しているのである (
法、立する概念として理解され身と分上の法律効果を発生させる対為律係は、財産上の法行関の変動を目的とした財産 行身分。為概念 1)
律行為と定義される (
為類分のための行為)に分さ(れるのが通常であるが身 ( 行行分身的随附)為の。成(為行分身的形分、は為行分身身へり分よ分身(為行身の的配支)為行 2)
成も形はのるれさ握把てしとのる、なに対と為行律法の上産財 3)
的身分行為である。具体的には婚姻・協議離婚・養子縁組・協議離縁がこれに該当し (
、これらが身分行為として最も純 4)
身分行為論一七〇同志社法学 六〇巻七号
粋であり、身分行為の本質を我々に示してくれる (
。焦るすにとこるす討検てて当を点には。行分身的成形為で稿本でこそ 5)
⑵ 本稿の構成 本稿では、まず初めに身分行為概念の提唱者でもあり、実質的意思説の基礎となっている中川善之助博士の理論を紹介し、検討することにする。そしてその後で、身分行為における意思に関する学説を検討し、私見を述べたいと思う。
本来ならば、これらの架橋として身分権の本質に関する考察が必要であるが、この点は他日を期したいと思う。なお紙幅の都合により引用は最小限に留めざるを得なかった。したがって、説明不足のところが多々あるが、この点は注で挙
げた文献で補っていただきたい。
2
.中川理論の検討
⑴ 中川理論の概要 中川理論の出発点は、民法全体を財産法と身分法に二分し、後者の前者に対する独自性を宣言して、財産上の法律行 為と異なる身分行為という概念を打ち立てたことにある (
)哲る基礎理論部分(中川学す提とこれに基づいて解釈唱るを両るあで分可不体一は者、部りあが)論釈解川中(分論 ( 。分そして、中川理論には、身法すの独自性を根拠付けようと 6)
。 7)
中川哲学の内容は、身分法は本質社会的特質と統体法的特質を持ち、両者が交錯して形成されている (
的合合理算な(不理た的ではない)非し計的るあに係関な関と係は感情を基礎非 ( 。法分身、故れそ 8)
的て対絶と義主実事しと礎基をれこ。 9)
意思主義が解釈論の支柱となる。具体的には、内縁の準婚理論や身分行為に対する民法総則の適用の排除が帰結される。
(三一八八)
身分行為論一七一同志社法学 六〇巻七号 ⑵ 中川理論批判 中川理論に対して様々な批判が加えられているが、個別的な解釈論に留まらず中川哲学にまで批判を加えて先鞭を付けたのは、鈴木禄弥教授であろう。鈴木教授は、家族関係が本来﹁人倫﹂の関係であり、財産関係と異質なものである
ということは認めつつ、家族法が財産法とともに民法典を構成している理由を探る。そしてその理由を①相続の要件の存否確定、②制限行為能力者のための能力補充者の決定、③援助必要者のための援助義務者の決定、に求める。そして
財産法も家族法も、私人間の権利・義務関係を規律するという点で共通しており、それ故歴史的に民法典が構成されている (
と関関係である点で、財産係社と対立するものであるこ会な関的する。そして﹁家族係、は、本質的かつ非打算と 10)
が、しばしば強調されるが、この関係も、それが法律問題になる場合は、もはや、愛情や人情では片づかず、やはり打算をも考慮に入れて解決するほかはないから、法学的観点からは、家族関係の非合理性・非打算性を過度に強調すべき
ではなかろう (
て督こるあに)度制続相家を(度制主戸の前戦が因と指の大っよに正改法民の後戦界摘世次二第てしそ。るす原そ、り 分しにもとと法族親、てに関法続相で方他。るす身法﹂、あで殊特に的法較比てといつに点るいてれさと 11)
そのような特殊事情は解消され、親族法は相続の要件規定としてしか存在意味を持たず、相続法を財産取得法として位置づけることが妥当であり、原則として財産法の思考方法がそのまま用いられるとして、身分法学を否定した (
。 12)
このような鈴木教授の見解に関して、平井教授は﹁親族法・相続法ともに財産法の一部なのであるというに帰し、近代市民法から出発して財産法と家族法との同質性を説いた川島教授の所説を解釈論的に一層進化させてバックアップす るものと評価することができるであろう (
じ形けだ為行分身的成はあのもな的質本で中でり為親生を果効の上法族が、為行分身、果結のその行身、は授教井平分 い批こど殆は判、中の論理川にし持支れる尽し、で上のそてそき。るすと﹂てと 13)
る法律行為というだけの意味しか持たなくなった点を指摘する (
分て身でこそ。るあでのるいれさ除排が法続相りまつ。 14)
(三一八九)
身分行為論一七二同志社法学 六〇巻七号
行為概念の法技術的な意味が存在するためには、各種親族法の効果を生じる法律行為の特殊性が統一的に説明できるこ
とが必要であるが、そのような意味は見出せないとする (
あ特づ基に続手の別がて所判裁庭家るいてい関た面できべるめ求に続与手ういとるいてしっあ殊に理処争紛は性特のそ 法はは実相続局・法族親、法体特の平面で。殊性は存在せず、結 15)
る (
、と結論付ける。 16)
水野教授は、鈴木教授や平井教授の見解に対して﹁親族法・相続法は民法の一部ではあっても財産法の一部であると は考えないし、また手続面のみならず実体面でも特殊性をもつものと考えるので、平井教授の批判とはやや見解を異にする (
論共要とする点では両者と通をする。水野教授は中川理不念の概しながらも、身分法独﹂自性を否定し身分行為と 17)
の問題点として、まず﹁中川理論は、理論的構成をそれこそ過度に目指したものであったけれども、それは継受法の西欧近代法と格闘して産み出された理論ではなく、自己の頭脳の中から産み出された理論であった (
﹂点を指摘し、その結 18)
果日本人の常識的感覚が自覚されずに忍び込んでしまうのではないか、という疑問を呈示した。
次に、中川理論が身分法の領域においては、習俗的規範にのみ服する習俗や条理が優先的に支配するというテーゼを 立てたことに対して、﹁法規よりも条理を優先させる中川理論の傾向が、中川博士の確固たる﹁良識﹂にもかかわらず、実定法学としての日本の家族法学に弱さをもたらしてきたと筆者は考える (
﹂と批判する。 19)
さらに﹁中川理論の重要なテーゼである﹁事実の先行性﹂という事実主義は、﹁家﹂制度的規定に対して実際の核家族を重視すべきであるという効用の他に、婚姻法においても親子法においても家族法の規定を無力なものにするという 結果をもたらした (
子実な的本日、は法子親、端もていおに法子親、﹁り極なが事親るあで幹根の分身民血、てれさ定肯が義主縁あれそお の姻婚、が向傾釈解く基づに義主実事、し判批法領﹂姻るす化洞空が度制婚域な的法、はていおにと 20)
関係の設定について法的な規律をいかに設計するかという議論は行われないことになる。このような事実主義による解
(三一九〇)
身分行為論一七三同志社法学 六〇巻七号 釈論に対しては、家族法を法として現実の家族に対して何らかの実効力がもつものとする立場からは疑問を持たざるを得ない (
﹂とする。 21)
そして財産法と比較して家族法にどのような特殊性があるかについて、①家族メンバーの人格に関わる規定が含まれること、②家事紛争に特有な手続が要請されるということ、③未成熟子などの弱者保護をまず考えて当事者構成などを
しなければならないこと、④当事者に合理的な行動が期待できないため、公権的なカウンセリング的な援助が必要となること、等を挙げる。このように多様で複雑な特徴について、統一的な法原理を見出すことができるかどうか、疑問と
される (
。 22)
最後に﹁中川理論や中川博士の﹁良識﹂は、戦前の家族制度に対する勇敢で気高い抵抗ではありえたけれども、﹁身 分法の超成法的性質﹂や﹁事実の先行性﹂という中川理論の概念は、この基礎工事としては、あまりにももろい基盤しか準備できない設計図であった (
﹂と結論付ける。 23)
⑶ 中川理論擁護 中川理論は様々な批判に晒されているが、中川理論を総合的に擁護するのは、元裁判官の梶村太市教授である (
。梶村 24)
教授は、まず鈴木教授の﹁家族間の紛争解決に関しても打算的側面がある﹂との批判に対して、﹁やはり家族関係における法律問題の解決には愛情や人情等が重要な検討課題となるのであって、そのような情緒的・非打算的な事情が決定
的な要素となることが一般的である (
、破そ。るあでのるす打でて以を実事、を解見こ﹁授法はていおに題問律の家めたの決解の係関族の教鈴、らか験経木 た、実争紛事家に際。りまつ解るす論反のめ決実・践実の家務たのいてし力努に﹂と 25)
情緒的・非打算的な側面が本質的なものという中川学説の指摘はそのような意味において、今日でも妥当性を失ってい
(三一九一)
身分行為論一七四同志社法学 六〇巻七号
ないと考えられるのである (
間つ部とすることにいのて、﹁相続法は親族一法木産する。次に、鈴教﹂授が相続法を財と 26)
における財産紛争を解決するための法として、やはり一般第三者間における取引法としての財産法とは種々の点で特殊性を有することは否定できない (
。き定することは行過をぎである、とする否と家こして、相続法が族﹂法の一部であると 27)
また相続事件も対象としている家事審判法一条は﹁家庭の平和と健全な親族共同生活の維持を図ること﹂を目的としていることからも、全面的には否定できない (
、とする。 28)
続いて、家族法の特殊性を手続面にのみ認めるとする平井教授の見解に対しては、手続面において家庭裁判所がいわゆる﹁目的=手段決定モデル﹂を採用している点に家族法の特殊性を認める点に関しては、基本的に賛成される (
。梶村 29)
教授は、さらに人事訴訟手続において行為規範と評価規範(裁判規範)を分離するという解釈手法の有用性を指摘する内田貴教授の見解 (
指デて目的=手段決定モルおの進出が著しい点をいに訟続用する。そして非手を続たる家事審判手援 30)
摘する。さらに乙類審判において白地規定・白地委任規定が多くあり、その内容の確定を当事者の協議とそれに代わる調停・審判に委ねた、すなわち行政的解決(権利義務創設形成論の立場)に委ねた点に、家族法独自の法構造が認めら
れるとする。それに対して、実体法の平面では家族法に特殊性はないとする点は留保される (
。 31)
梶村教授が最も詳細に批判するのは水野教授の見解に対してである。まず中川理論が西洋法と格闘していないという 水野教授の批判について、それは﹁日本法の母法であるフランス法の解釈から出発しており、継受法たる日本法の解釈にフランス法の解釈論の克服が前提である (
っ法て﹁しかし母は対所詮母法であしにあ﹂そ。るえ捉とるれで旨趣ういと 32)
て、継受法はその国に入ることによってその国にあったように変容を受けるのは当然ではないだろうか (
人に日本けの常識的感覚よしる直感的修正で、なたといてかうろだのいなそし﹁提習俗等の実態調査を前ぜ ( 。るす論反と﹂ 33)
﹂と疑問を 34)
呈示し、﹁問われるべきはその理論の適用の結果得られた解釈論の正当性であり、その中身である (
﹂と結論付ける。 35)
(三一九二)
身分行為論一七五同志社法学 六〇巻七号 次に事実主義に関する批判について、内縁準婚理論にしても﹁事実上の離婚﹂論についても、今日において判例理論として定着しており、中川学説が妥当でない解釈論を展開しているとは思えない。また実親子関係における事実主義に ついても、血縁主義への傾斜は日本の国民性に合った考え方であり、基本的には中川理論は今後とも影響を与え続けることになる (
、とする。 36)
さらに、水野教授が家族法の特殊性を﹁身分関係の非合理性﹂という概念で単純に総括できるものではない、とする批判に対して、﹁愛情や愛着といった肉親独特の情緒的側面を重視し、それゆえにこそ紛争の解決は納得と合意による 解決が必要であり、裁判や強制はここではなじまない (
いさ、りおてきてれとか識認通共の家務実わり裁ぎなれしもかいな過やにクッリトレいす判、のし致合もに性心人本日 分と関係﹁身すてしそ。る非のい合理性﹂﹂うキーワードは、と 37)
が決して誤りではなく、中川学説をなお生かし続けなければならない (
、とする。 38)
最後に、中川理論の二つの論点、①家族法の独自性と②身分行為概念の定立は、今日に至るまで必要な補正を加えら
れたが、この根本において有用性を否定されず、有害性ももたらされなかったことから通説の地位を占めてきた。また中川理論が日本国民の常識や法意識あるいは法観念にマッチしていたことや、理論の明快さ・わかりやすさ、キャッチ
フレーズの巧みさ等により、実践的に活かされてきたことから、﹁中川法学は西欧法との対決をとおして確立されたも
のではないとしても、日本法のアイデンティティを巧みに理論化したものとして、今日でも広く学会や市民・国民に受け入れられているのは、けだし当然のことというべきである (
個将のれぞれそ、﹁てし関に来の法族家てしそ。るすと﹂ 39)
性と主義主張を可能な限り尊重し、多数派の価値観による少数派への権利義務の強制には謙抑的であってしかるべきであろう (
ある基礎を置く家族法であべ俗きことは当然のことでに習でやしながらも、﹁日本人あ﹂る以上、日本の伝統と 40)
って、外国の家族法は所詮外国の家族法であり、それは日本法解釈の参考にはすべきものであるけれども、決して日本
(三一九三)
身分行為論一七六同志社法学 六〇巻七号
法にとって代わるべきものではない。このような観点から考える限り、やはり、中川学説は今後も通説としての地位か
ら引き摺り下ろされることはない (
﹂と結論付ける。 41)
⑷ 私見 私は、家族法の独自性そのものを否定することはできないと考えている。鈴木教授は、親族法を相続と扶養の効果を
もたらすための要件としての親族関係を規律する要件規定と捉え、扶養については公的扶養=社会保障制度によって私的扶養の意義が薄れ、結局法定相続の要件規定としてのみ存在意味があるとする。そして遺贈についても財産法的なも
のであるから、﹁相続法とは、人の死亡を機縁として生ずるかれの財産の承継に関する法として、すなわち、財産取得の一態様を規律するものとして、これを把握することが、もっとも妥当と思われる (
解つを法族親りま。るけ付論結と﹂ 42)
体して相続法に包摂し、相続法を財産取得法の一部として構成するのである。
しかしながら、この見解には賛成できない。鈴木教授は親族法を扶養と相続の二つの要素に分解しているが、親族法 はこの二つの要素に尽きるものではない。家族は倫理的実体の最初の顕現であり、自由な意志から生まれる家族愛という共同体の精神によって結ばれた社会共同体である (
格人意同な由自のる両あは姻婚てしそ。で 43)(
。このことは今日におい 44)
ては、憲法二四条において基礎付けられる。鈴木教授のように親族法を解体してしまうとこれらの要素が説明できないことになる。また﹁私的家政は、社会的産業に転化する。子どもたちの扶養と教育は公務となる (
﹂ことは、男女平等・ 45)
女性解放の点からも重要なことではあるが、全ての私的扶養を公的扶養に取って代えることはできないし、そうすべきでもない。個別家族が社会の経済的単位でなくなるとしても (
すと加参に業産な的公のてし格人の立独が人々個はれそ、 46)
る仕組みが形成されるということであり、個別家族の役割がなくなるわけではない (
共族と法続相は法親、てっがたし。 47)
(三一九四)
身分行為論一七七同志社法学 六〇巻七号 に家族法を形成し、財産法とは異なる独自の法領域を構成することになる。
次に水野・梶村論争についてであるが、どちらの見解にも賛成できる点と反対せざるをえない点がある。梶村教授が
相続法を家族法の一部と捉えることに関しては共感するが、情緒的・非打算的な側面が家族法にとって本質的であるという中川理論を擁護する意見には賛成できない。事実の点だけで捉えれば財産法もまた完全に合理的・打算的と捉える
ことは不可能である。実際には情緒的・非打算的な解決がなされることもある。法律のレベルで理念的に捉えれば、解決策を合理的に考えざるを得ないわけであり、家族法上の紛争もこの点においては同じはずである。﹁家庭の平和と健
全な親族共同生活の維持を図る﹂(家事審判法一条)ために合理的な解決策を決定するわけで、その結論が当事者の一方にとって非合理的であっても、それを問題にしないだけである。確かに家事審判法の規定には白地規定が多いが、そ
れは情緒的・非打算的な解決を認めるものではなく、あくまでも合理的な(納得と合意に依る)結論に導くためではないであろうか。
また中川理論の国粋性や事実主義に関する批判の反論についても疑問がある。梶村教授は中川理論が日本の国民性にあった考え方であることを主張するが、これだけでは単なる現状肯定にすぎないことになってしまうのではないであろ
うか。私がこのような疑問を抱くのは、重要なことは日本にある家族法理論ではなくて、日本にある﹁べき﹂家族法理
論であると考えるからである。現在我が国には男女差別が厳然として存在するが、事実主義に基づいてそれを肯定する結論を導くことはもはやあり得ないであろう。ところが中川理論に従うと、我が国は天皇を中心とした神の国であり﹁我
が国古来の醇風美俗﹂に基づいて戦前の家制度を復活することになりかねないように思うのである。もちろん梶村教授の意図がそのようなものでないことは承知しているが、日本の伝統や習俗に基礎を置くだけでは問題を解決できないよ
うに思われる。
(三一九五)
身分行為論一七八同志社法学 六〇巻七号
他方で、﹁事実の先行性﹂に対する水野教授の批判には共感を覚える。また日本にあるべき家族法理論を構築するた
めには、西欧近代法との格闘は避けて通れないように思われる。では西欧近代法と格闘すれば、我が国においてどのような家族法理論が構築されるのであろうか。具体的な家族紛争の解決や個別的な条文の解釈を通じて明らかにされるこ
とであろうが、中川理論とどのような違いが出てくるのであろうか。水野教授のこの点に関する批判は抽象的なレベルにとどまっており、事実を以て反論する梶村教授と議論がすれ違ってしまっているように思われる。
思うに、梶村教授は全ての事実を尊重するという態度を示しているわけではなく、内縁準婚理論や血縁主義に認められるような、必然性として現にあるような事実を把握し、その中から家族法の独自性と身分行為概念の定立を見出して
いるのではないであろうか。このことは﹁現実的なものは理性的である﹂というテーゼの顕現といえよう。他方で、水野教授は西欧近代法との格闘を提言されるが、このことは単に西欧近代法を図式的に日本に導入することを意味するの
ではないはずである。日本は確かに欧米諸国と同様に、政治的には曲がりなりにも民主主義の制度を持ち、経済的には資本主義的な市場経済の土台を持ち、社会的には文明の恩恵を被っている点で共通しているといえるが、具体的には独
自の歴史的・民族的特徴を持っているのであるから、そのような図式主義で満足することはできないはずである (
なたのる必然性を持っ理実想の獲得にあるとと現う代るあでで﹁西欧近法、との格闘﹂の意義は思 ( そこ。 48)
。水野教授が﹁日本 49)
の学説による家族法の位置づけは、土着の東洋法思想の感覚とマルキシズム思想のキメラともいうべき学説傾向であったように思われるのである。思想的分析の試みは刺激的であったとしても、民法学としては、まず民法に則して考える
ことが本来的な実り多い学問のあり方ではないか (
で、るあで明文、くなはは化文 ( は法。﹁かうろかなでのの提言されたのは、ここ﹂とを表現していると 50)
ゼ的的なものは現実で理ある﹂というテー性﹁様はのテーゼも同で﹂ある。このことと 51)
の顕現といえよう。そうであるならば、中川=梶村理論と水野理論は止揚されることによって新たな局面を切り開くこ
(三一九六)
身分行為論一七九同志社法学 六〇巻七号 とになるであろう。
3
.身分行為意思
⑴ はじめに 身分行為論の解釈論において中核をなすのが身分行為意思をどう捉えるかという問題である。これは身分行為が、届
出がないと効力を有しないという要式性を有することから、財産行為と異なった配慮が必要となるために問題となる。さらに、身分行為をどのように捉えるか、という前提問題もこれに影響を与えている。本稿では概ね学説史的に検討し
ていくことにする。歴史的に学説の跡をたどることによって、身分行為論の議論の展開がはっきりしてくるからである。なお身分行為の届出に関して、成立要件説と効力発生要件説の対立があるが、特にことわらない限り、通説たる成立要
件説を前提にする。
⑵ 実質的意思説と形式的意思説 中川善之助博士は、届出は身分行為の成立要件であるとした上で、身分行為は﹁身分的効果意思﹂﹁身分的生活事実﹂﹁法律的表示行為としての方式﹂が必要であるとする (
成義は出届とく貫をれこ、りあで主実事がつ一の柱の論理川中。 52)
立要件ではなく効力発生要件となりそうであるが (
のると効無てしと立成不は缺欠式れ方、らか性式要の為行分身、さ 53)(
、思理的で感情的な本質的意で非ある。ここから必然的に合は会思して身分関係は本質社的結合関係であり、その意そ 。 54)
身分行為における意思は絶対的な意思主義の立場に立たざるを得ないことになる。したがって、たとえ方式があっても
(三一九七)
身分行為論一八〇同志社法学 六〇巻七号
意思や事実が欠如していれば身分行為は無効となる。さらに、身分関係を意識的に作為する身分行為の本質は常に宣言
的であり創設的なものでないとする (
の婚るれらみと縁離・離係・組縁・姻婚上念通関を社会係関分身の上俗習社意、ち即、思意るす欲会て加にれそ、がえ 性けいつに思意る行おに為、分身、局てか要思るあで要必は意式るすを出届ら。結 55)
変動に向けられた意思が必要であり、後者が実質的意思である、と結論付ける。これが実質的意思説である。
この実質的意思説に対して初期の段階で異論を唱えたのが谷口知平博士である。谷口博士は、もし当事者に実質的意
思がなかったことを理由に無効の主張を認めるとしたら、身分関係の成否を不確定にし、第三者を害することが大きく、届出を以て身分行為の成立要件とした趣旨が没却されることになる、とする。また仮装行為がなされる際には違法な目
的が隠されている場合が多いが、もし無効の主張を許すとすると、この目的を達成させるために仮装の身分行為の届出がなされることが多くなり、脱法行為を奨励する結果となるおそれがある、と批判する。そして我が国の法制上婚姻の
事実があっても届出がなければ婚姻とは認められないのであるから、社会的に婚姻の事実が存在しなくても法律上はその身分関係の存在を認めてもいいのではないか、届出を認識して届出をする者は、法律上は夫婦・親子になると考える
のが社会通念であるはないか、無効とせずとも離婚や理念の方法で不当な身分関係を解消することができる道を開けているのではないか (
すが結果に拘束される方そ為のような届出を抑制の行れ分して届出意思があば、不本意でもその身と 56)
ることになり、そのように有効として間接的に違法な意図を抑止する方が、一般の第三者との関係で混乱を生じさせないから政策上望ましい、とする見解を提示した。これが形式的意思説である。
末川博博士は、それに加えて社会的見地から形式的意思説を支持する。末川博士は事実婚主義を採るのが理想とした上で、届出を要件としていることの意味を、身分関係が当事者だけのためのものではなく、当事者以外の者にとって常
に大きな関心と影響とをもたらすものであるから、世間的にも明白正確な形で公示の要件を備える必要がある点に捉え
(三一九八)
身分行為論一八一同志社法学 六〇巻七号 ている。したがって、﹁社会的な見地から公示の形式を必要とすることになれば、個人的な立場における当事者の生活や意思にそぐわぬ無理なところが生じるのはやむを得ない (
いにおに任責のら自、﹁てし対説思意的質実たま。るすと﹂ 57)
て届出をした者が、あれは真意に沿わぬ無効のことを届け出たのであるといって、自ら無効を主張する如きは許されないとみる方が妥当ではあるまいか (
っ身組というような分子行為の要素とな縁養れや疑問を呈示さる﹂。そこで﹁婚姻と 58)
ている意思は、届出をすることに向けられている意思の合致だけで足たるのであって、あえて実質的に夫婦や養親子の関係を設定することに向けられている効果意思までも必要とするものではないと考えたいのである (
﹂と結論付ける。 59)
⑶ 多元説(判例の立場) 学説が実質的意思説と形式的意思説とに対立している際に、判例はまず養子縁組について、養子縁組が無効となる﹁当事者に縁組をする意思がないとき﹂に該当する意思は﹁真に養親子関係の設定を欲する効果意思﹂であるとして、推定 家督相続人である女子を他家に嫁入りさせるために一時的に他の男子を養子にする借養子について養子縁組は効力を生じない (
す認会観念上夫婦であるとめにられる関係の設定を欲社真姻に判示した。次いで婚に、ついても、﹁当事者間と 60)
る効果意思﹂が必要であるとされ、非嫡出子を準正させるために婚姻届を出した場合について、婚姻の効力は生じない
とした (
べ思きるす定肯を意あ組縁ばれあがでる意のため認を力効組と縁のそ、てし思 ( つくつをりがな的孫続めたすら減を分相神定法の子、がろこにを。て精のてしと子親、い養つに合場たしと子と 61)
を婚妻、﹁はてし関に離議協、で方他。 62)
戸主とする入夫婚姻をした夫婦が、事実上の婚姻関係は維持しつつ、単に、夫に戸主の地位を与えるための方便として、協議離婚の届出をした場合でも、両名が真に法律上の婚姻関係を解消する意思の合致に基づいてこれをしたものである
ときは、右協議理論は無効とはいえない (
。のため認を果効婚離、てしと﹂ 63)
(三一九九)
身分行為論一八二同志社法学 六〇巻七号
利谷信義教授は、判例の流れを﹁創設的身分行為とくに婚姻は、その社会的定型性が今なお一応確立している結果、
実体的意思説が当てはまる。しかし梅博士が婚姻と養子縁組をパラレルに考えた段階はすでに過ぎ去り、親子関係一般を規定するような定型性が失われてきている現在、養子縁組においては、縁組意思は一義的に規定することができない
結果、形式的意思説にかたむき、具体的な価値判断によって個別的に有効無効が決せられる傾向をもつのではないか。また、解消的身分行為については、解消後の生活関係が多様化することをみとめ、その結果形式的意思説にかたむき、
養子縁組について言ったと同じ方向が打ち出されているように思われる (
﹂と捉えている。 64)
このような判例の動向を矛盾と評価することもできるが、これを理論付ける見解が現れた。有泉亨博士は﹁婚姻は、
婚姻の合意と届出とによって有効となるのであるが、離婚の届出はこの婚姻の届出を否定する行為
―
反対行為といってもよい―
であって、離婚の事実を伴わないでも、届出のない婚姻、すなわち内縁関係という事実が残るにすぎないと解することも不可能ではない (
てれな的質実な全完ばけ消なが思意的質実、も解のいのしと則原、はに出届意効任、がいなじ生は果てつ﹂為行分身に 置、説思意的質実雄は授教軸俊地福、しにき足や的消解﹁の縁離婚を離﹁もらがな﹂と 65)
一種の効力を認めないわけにはいかない (
事要制的法きべるさ求をで在存な全完いなら度あば務るあのとこく欠を義る利権のられこ、らかなねた果を務義利権さ の橋授教郎次忠そ高、てし﹁。るすが身法法の種種るよに、律は係関分﹂上と 66)
実上の身分関係と異なることを根拠とするものである。従って、法的意思は、婚姻、縁組の如き身分関係の結合を目指す場合には積極的意思を必要とし、離婚、離縁の如くその解消を目指す場合には消極的意思で足りるものとなる (
﹂とま 67)
とめた。
(三二〇〇)
身分行為論一八三同志社法学 六〇巻七号 ⑷ 社会習俗的定型説 中川理論の、特に結果の妥当性に関する不都合を、多元的に構成することによって回避しようとする見解の中から、演繹的に説明しようとするものが現れた。深谷松男教授は、﹁実体的意思﹂が﹁当該社会の習俗的観念によってのみ決 定されるものである﹂との観点から、法定の定型的関係を求める意思として把握するだけでは十分でない (
考解実質の違い及び創設行為と消係行為の方向の違いに着目しての関のをして実体的意思子析分進め、夫婦関係と養親 、そ。るすと 68)
える。婚姻は社会習俗的定型性が強固であり、その目的は法的保護に値するから、婚姻には社会習俗的実体的意思を要する。養子縁組は、未成年養子と成年養子とに分けて考え、前者は実親子関係に比すべき社会習俗上の定型を見出すこ
とができるが、後者については社会習俗的定型に乏しいので、家族としての精神的依存関係を設定する意思があれば、実体的意思があるものとしてよい。他方で、解消行為については一般に社会習俗的定型性を見出すのは困難であり、届
出意思のある届出があれば、実体的意思も存在するとするのが妥当である。ただし、離婚については夫婦的同居関係が全く解体されない場合は、実体的意思は存在しないとして無効である。離縁については、届出意思があれば実体的意思
を伴っていると解してよい (
、とする。 69)
多元説や社会習俗的定型説のように、中川理論を修正して妥当な結論(おおむね判例の結論)を導こうとする見解は、 身分行為という統一的な概念から出発しながら、多元化を進めることによって単に親族法上の効果を生じる法律行為と同義になってしまっている (
つしか一元的に説明よんうとする深谷説にとな﹂て会習俗的定型性と。﹁いう概念を用い社 70)
いても、﹁実質的意思の内容はその柔軟性ゆえに独り歩きを始め、社会習俗上の意思の有無を問わず、単に、価値判断として有効となるべき場合の意思を実質的意思あるものと解していると言っても過言ではない (
﹂と批判することができ 71)
る。さらに多元説に立っても、判例の養子縁組の動向を説明しきれず (
合己場の子養属卑系直の自はてし関に組縁子養、 72)
(三二〇一)
身分行為論一八四同志社法学 六〇巻七号
はなお特殊な縁組意思が必要となりそうであり、婚姻に関しても臨終婚には通常の婚姻は妥当せず、この見解を徹底す
ると我が国固有の﹁身分行為意思﹂という問題が無用に帰しそうに思われる (
。 73)
⑸ 法律的定型意思説 中川理論及びその修正説が掲げる社会習俗上の身分関係に向けられた意思に疑問を提起したのが中川高男教授であ
る。中川(高)教授は、一方で民法八〇二条一号や民法九〇条の解釈から﹁身分行為意思の絶対性から身分行為意思の存在時は法律行為時すなわち届出時の意思が基本となると解されながら、実は行為後すなわち届出後の実体関係がこの
意思の判断に重要な事実として判断されるのである (
乖俗に般一思意の上風遍会社を念概為行分普化、法らか念概思意の上民しがれそ、にめたた身で他。るす対反に説思方 い為を効無のて行分身、出し届場意思のな﹂合に限定する届出意と 74)
離し、それ自体の本質まですり替わり、非法律的概念によって代置されてしまっているとする。そしてその原因は、身分行為と財産行為との対立及び総則編の身分法に対する通則性の制限を強調しすぎたために、﹁身分法上の意思と財産
法上の意思の区別にのみ着目され、民法上の構成においての両者の意思の構成上の一致点に対する認識が看過されたことによるとおもう (
。思るす対反もに説意的体実、てしと﹂ 75)
そこで﹁身分法秩序は物権法秩序と同じく社会のいわゆる組織法的秩序を構成しているため、法律の認めた一定形式
―
いわゆる定型―
以外の関係を設定することを当事者の恣意に委ねることはない。ここにいわゆる身分行為の定型が存在することは否定する余地がない。しかしこの定型が実は問題であって、これは社会習俗上の定型ではなく、あくまでも法律上の定型であるということである。⋮したがって身分行為の意思は、かかる民法上の定型に向けられた効果
意思であることになる。けだし身分行為も法律行為である以上、その効果に向けられた意思によってその効果が法律上
(三二〇二)
身分行為論一八五同志社法学 六〇巻七号 発生するからである (
少く強行的に定めている効果を民なと法も排除しない意思であればよいが ( 要、ずせと必のこ法民は思意の、をしだた。るえ考上各﹂いとこるあ識認てつ身にて全の係関分と 76)
、とする。 77)
法的効果に向けられた効果意思を問題とする点は、すでに高橋教授にみられるところであるが、なぜ身分行為の意思内容について法的効果に目を向けなければならないかを解明した点に中川(高)教授の功績がある (
。 78)
佐藤義彦教授は、婚姻意思に関して﹁思うに、われわれがここで考察しようとしている﹁婚姻﹂とは、社会制度としての婚姻一般ではなくて、私法制度としての婚姻のことを意味している。そして私法制度としての婚姻は、現行法上は、
法律要件の一種である法律行為として規定されており、婚姻という法律行為が有効であるときは、その法律効果として種々の権利・義務⋮が発生する構造になっている。ところで、一般的にいえば、法律行為から発生する権利義務の内容
は、その法律行為を組成する意思表示中の効果意思の内容によって定まるのであるが、婚姻という法律行為の法律効果は厳格に法定されているので、婚姻の効果意思(婚姻意思)としては、婚姻の効果として法定されている法律効果の発
生に向けられたものだけが意味を持ちうることになる。つまり、婚姻の効果として法定されている法律効果の発生に向けられた効果意思の合致(合意)がありかつ届出意思に基づく届出がなされたときに、私法制度としての婚姻は成立し、
効力を生ずる、ということになるのではないだろうか (
婦す夫上念観会社、﹁しだた。る調同に説)高(川中、てしと﹂ 79)
と認められる関係﹂がほぼ定型化していることから、婚姻意思に関しては、社会習俗上の婚姻意思と法律的定型の婚姻意思の間にずれが殆どないことから、実質的意思説と結果的に大きな差異はないとする (
。 80)
さらに前田正昭教授は、﹁民法が、夫婦のあるべき関係としてかんがえているものを、婚姻の効果というかたちであらかじめ一括して定めているとはいえ、婚姻も法律行為である以上、やはりそれらはその発生を欲する効果意思によっ
て生ずるというべきで、つまり婚姻意思というのは、このような、民法で定められている婚姻の諸効果の発生を欲する
(三二〇三)
身分行為論一八六同志社法学 六〇巻七号
効果意思⋮であるとおもうのである (
のが。ただし﹁民法定すめているすべてる調高同して、中川()﹂説・佐藤説にと 81)
婚姻の効果を認識・意欲する必要はなく、民法が強行的に定めている効果を少なくとも排除しない意思があればよい (
。高たきてめ広を持支に々徐は説)(川中てしにうよのこ。るすと ﹂ 82)
⑹ 法的意思説 法律的定型意思説の思考方法をさらに突き詰めたのが法的意思説である。法的意思説は、その届出をすることによって生じる法的効果を欲する意思(法的意思)があればよいとする説である (
。 83)
大村敦志教授は、法律的定型意思説を含む従来の多くの学説が﹁身分行為においては、効果が法定されておりその効果は一括して生じるということをどう考えるかという点﹂を軽視していると指摘し、個別の効果を得るためだけの身分 行為は有効か、そして発生する効果は合意のあった事項に限られるのか、という問題については解答を与えていない (
と批判する。 、 84)
この批判に回答したのが北川善太郎教授である。北川教授は、﹁身分行為一般ではなく、民法が身分行為として通常予定している行為における当事者の意思、つまり通常型の身分行為における意思は、実質的意思であると解する (
﹂とし 85)
た上で、通常型でない﹁非典型的な身分行為における意思としては、身分行為の実体とは一応切り離された身分的効果発生のみを目的とする意思も特別の事情があれば法的な意思として効力を持つものと解する (
﹂として、二元的類型説を 86)
唱えている。例えば回復不能の病人を看護することを目的とする婚姻は、たとえ性関係を持つことが考えられなかったとしても、婚姻意思を否定することは妥当ではなく、有効であるとすべきである (
型う典非・型典﹁によのこ。るすと、 87)
という枠組みによって問題を考えることにより、標準パターンについては法の予定する典型的な合理性を要求するが、
(三二〇四)
身分行為論一八七同志社法学 六〇巻七号 例外パターンについては個別的に(しかし、ある程度まで定型的に)合理性を追求することが可能 (
﹂となる。 88)
しかしこの見解に立ってみても、非典型的な身分行為がどこまで認められるか、という問題は残る。大村教授は、婚 姻は社会的に決定されるという側面が濃く、当事者が勝手に非典型婚姻を行うには限度があることを認めているが (
うをとしても、その法律効果どめこまで認めるべきか、といた認いをの限度は示されていな。また仮に身分行為の成立 、そ 89)
問題は依然として解消されていないのではないであろうか。臨終婚のような場合であれば、配偶者はまもなく死亡するであろうから、相続の効果さえ認めていればそれで問題は起こらないかも知れないが、非典型的な養子縁組の場合は、
扶養義務の有無などはどうなるかといった問題が残るように思われる。より根本的には身分行為意思を一元的に説明できない多元説に対する批判がそのまま当てはまるように思われる。
内田貴教授は、婚姻を例にとり、身分行為に関する学説の対立を婚姻の効果の全面的享受か部分的享受かの理解の違いとして再整理できるとする。つまり法律上の夫婦関係を設定すれば、法的な婚姻の効果が全面的に発生することから、
形式的意思説はその設定の面から見ているのに対し、法律的定型意思説や法的意思説は法律効果の面から見ているにすぎない。そしてこれから行為をする行為規範と既に行われた場面でこれを評価する評価規範とを分離し、法的婚姻に伴
う法的効果を全面的に享受する意思(=婚姻意思)があれば婚姻は有効であるが、便法として婚姻届が受理されてしま
った場合は、評価規範のレベルでは、たとえ一部の効果のみを目的とした場合であっても、結果的に婚姻の法的効果を全面的に生ぜしめて当事者間に問題を生じない場合には、有効な婚姻と認めて差し支えない (
、とする。 90)
しかしこのような結果からのアプローチには違和感がある。例えば臨終婚の場合、配偶者がそのまま死ねば婚姻は有効となるが、奇蹟的に元気になった場合は無効となるというのでは、婚姻の効果は偶然の事実に左右されることになり、
到底正当化されるものではないであろう。また非嫡出子を準正するために婚姻届を出した事例に関しても、内田教授は
(三二〇五)
身分行為論一八八同志社法学 六〇巻七号
全面的に婚姻の法的効果を生ぜしめることは明らかに当事者の当初の意図に反するとするが (
、女性にとっては婚姻が有 91)
効であることによって準正の目的を達するわけであるから、男性の意図に反しても両当事者の意図に反するとはいえないのではないであろうか。この点で両方の当事者の予想に反した臨終婚の事例とは異なるように思われる。結局、身分
行為の有効・無効もまた、法的三段論法に則って演繹的に判断せざるをえないことになろう。
二宮周平教授は﹁価値観やライフスタイルの多様化した今日、夫婦一つとっても、夫婦が必ず同居し性的関係を持つ とは限らず、定型的に婚姻や親子を捉えることは困難である (
法、養子縁組については脱でる的に用いられる実態の、あ掛るすとるあできべるけを社クッェチの性当妥的会が ( 法しいうことから、端的に的﹂意思説を支持する。ただと 92)
。 93)
⑺ 私見 身分行為論の議論が錯綜してきたのは、﹁身分行為の構造についての議論、つまり、身分行為意思と届出についての関係をどのようなものとして理解するのかの問題を抜きにして、身分行為意思に次元においてのみ物事を決しようとす る点に由来しているように思われる (
でりに説思意的法も私ますつ。るあが観たい着与る行思味意な々様狭広は意。的法、らがなしかしきでろことく着きま 学のいつに容内行思意為お分身てして説おて行、果結たきしむ討検に的史﹂。ねそ 94)
用いられ、法的意思説自体がヴァリエーションに富み、必ずしも軌を一にしていない。そこで私なりの法的意思説をまとめることにする。
家族法が民法の一部として構成されていることから、身分行為も民法の基本原則である私的自治の原則から免れることはできない。そして身分行為が身分関係の得喪の効果をもたらす法律行為である以上、その根拠は当事者の意思に求
めることになる。上野雅和教授はこの点に関し婚姻意思を例に採り、﹁婚姻法上の法律効果は、法定効果であり、当事
(三二〇六)
身分行為論一八九同志社法学 六〇巻七号 者の婚姻意思に基づくものではないから、通常の法律行為におけるような効果意思を考えることはできない。婚姻意思はあくまでも法制度としての婚姻を受容する意思であり、この意思を届出の中に見出すか夫婦生活の事実の中に見出す かが問題になるにすぎないであろう (
喪受はとこるすりたし享きをけだ部一のそ、りでなし行得の係関分身が為分い身、らがなしかし。た造を容内のそに創 律身律法の為行分。にか確果るす摘指効では、由自が者事当り法おてれさ定規﹂と 95)
を目的とした法律行為である以上、当事者の全生活関係に渡る法律関係を形成ないし解消させることを目的とした当事者の合意を中核としたものと認識すべきである (
関係分身がとこたれらけ向に喪得の関の。身が思意果効分者事当てしそ 96)
係変動の根拠となる。即ち法律が定めた制度を享受するか拒否するかという選択が実質的に当事者に与えられており、その選択の結果、当事者が一致してその法律効果を享受するという合意があれば、法律によってその効果が与えられる
という構造になっており、このことは私的自治から導き出されるのである (
。説する形式的意思には賛成できない るとり届足のことから、出。の意思だけでこ 97)
他方で、実質的意思説は身分行為の成立要件として﹁身分的生活事実﹂を要求し、社会習俗上の身分関係の変動に向けられた意思を必要とする。しかしながら、身分的生活事実の内容は多様であり、社会習俗上の身分関係もどのような
ものであるかを確定できないのは前述の通りである。そして身分関係も法律関係である以上、その変動の根拠となる意
思は法律関係の変動に向けられた意思である必要があり、かつそれで足りるはずである。即ち法律的効果意思がそれに該当する。実質的意思説が本質的意思を要求することは、法律的効果意思に当事者の動機まで含めて意思表示の効果を
左右することになってしまう。したがって、実質的意思説は、身分関係の変動を当事者の意思に求めている点は正当であるが、その主張する﹁本質的意思﹂は動機と効果意思の区別を行っていない点で妥当でない (
。 98)
次に身分行為における効果意思の内容について検討する。婚姻を例に採ると、婚姻することによってもたらされる法
(三二〇七)
身分行為論一九〇同志社法学 六〇巻七号
律上の効果を全て意欲する必要があるか、というかたちで問題となる。この点に関して、前田(正)教授は法定効果を
排除しない意思があればよいとするが (
。限かうろあで要必は定なうよのこてした果、 99)
例えば臨終婚の場合、当事者は相続の効果を意図して婚姻したことは間違いないが、法定効果を排除しない意思があ
るといえるであろうか。当事者の予想通りまもなく配偶者が死亡すれば問題は顕在化しないが、奇蹟的に回復した場合、同居・扶助・協力義務などを当事者が排除しない意思があったといえるかどうか、という問題が生じる。前述した内田
教授の解決策を採れない以上、まもなく死亡した場合も含めて臨終婚の婚姻を無効とせざるを得ないことになってしまうであろう。また準正のための婚姻について、少なくとも父親は準正の法定効果以外は排除する意思を有しているであ
ろうから、婚姻届を出す合意があっても無効とされることになる。このような結論は妥当であろうか。
思うに、私は婚姻の法定効果の一つを志向する意思があれば、身分上の法律効果意思として十分であると考えている。
臨終婚の場合は、同じ結果を遺言(遺贈)や死因贈与によって達成することもできるが(税金の問題はあるが)、子供(非嫡出子)を準正させることは婚姻を用いるしか手段がない。そして婚姻に関する法定効果は強行法規であるから当事者
の合意によって排除することはできない。もし母親が子供を準正させたいと思いそして父親がそれに同意して婚姻届を出したのであれば、その他の法定効果を排除する手段が当事者に与えられていない以上、たとえ父親が他の法定効果を
排除する意思を有していたとしても、その婚姻を有効と認めて準正の効果を容認すべきである。そしてその後で母親が協議離婚に応じない場合は、父親には﹁婚姻を継続し難い重大な事由﹂(民法七七〇条第一項第五号)があるとして彼
女との離婚を認めることによって解決すべきである。したがって﹁他の法定効果を排除しない意思﹂は不要であり、当事者双方に﹁婚姻の法定効果を志向する意思﹂があればそれで足りると解すべきである。
私見に立てば、﹁婚姻の法定効果﹂をどこまで認めるべきかが問題となる。相続や準正など婚姻から直接効果が発生
(三二〇八)
身分行為論一九一同志社法学 六〇巻七号 する場合は問題ないであろうが、外国人が国籍取得や就労ビザ取得のために日本人と婚姻する場合などは微妙である。私はここでも動機と効果意思の峻別が基準となると考えている。つまり婚姻が動機にすぎないのか効果意思を構成する
のかによって判定することになる。国籍取得や就労ビザの取得は相続の間接的な効果にすぎず(婚姻したからといって直ちに実現する結果ではない)、意思表示の構造上動機にすぎないということになり、結局その婚姻は無効となろう。
また婚姻が不法就労の隠れ蓑として利用される場合などは、動機の不法として公序良俗の問題として処理することも可能であろう(民法九〇条)。
身分行為論は財産法との対比においてその独自性を主張してきたのであるが、私見によれば、少なくとも法律行為論(意思表示論)のレベルにおいては、その独自性は喪われ、単に身分上の効果を目的とする法律行為と解すべきことに なり、身分行為意思も法律効果に向けられた効果意思と構成すべきことになる (
しは体法上の独自性あてると考えている実 ( は対かしながら私身。分法が財産法にし 100)
こしくかが問題とてて残っている。いえ殊。にうよのどを性考特のそでこそ101)
の点は今後の課題としたい。
(
( 1宮社。頁〇四)年五〇〇二・世周) ﹄(版二第二法族家﹃平新
( 2藤・Ⅲ︹親族・相続︺﹄(有信堂一民九八九年)所収、二二頁。法佐義良彦﹁身分行為の構造﹂林平) ・佐藤義彦編﹃ハンドブック
( 3中川一五頁以下(以下、中
―
)課題として引用する)。一年川的善之助﹃身分法の總則課) 題﹄(岩波書店・一九四一( え下以頁五同(がる加本に為行分身的成を縁)、形稿限で。す察考てし定るに種四たげ挙に文は本 る)。授佐藤教はすと用引てし見管
―
こ藤、のれ思、離後死と示表意以了終係関族姻に外佐下一所・以九八二年)収斐、一頁以下参照(閣 4見管論為行分身﹁、彦義藤佐意はていつに類分や義明の為行分身﹂) 山念有﹄(望展と題課の法族家代現記和暦還生先男田太﹃表代集編夫武( 5雄九・相続﹄(有斐閣・一八親四年)所収、二頁。族泉﹁編身分行為﹂星野英一集巻代表﹃民法講座久第) 七 6生山畠正男先生=五十嵐清先=察藪重夫先生古稀記念民法学﹂﹃考) 学水野紀子﹁中川理論
―
身分法の一体系と身分行為論―
に関すると(三二〇九)
身分行為論一九二同志社法学 六〇巻七号
比較法学の諸相Ⅲ﹄(信山社・一九九八年)所収、二七九頁(以下、水野
―
一考察として引用する)。(( 一託法理論の展開﹄(弘文堂・九八六年)所収、二五四頁。信 7すおに念概の﹂為行分身﹁びよ﹂法法分身﹁るゆわい﹁雄宜井平・民る編一考察﹂加藤一郎・水本浩) 関四宮和夫先生古稀記念論文集﹃
( 8加〇六号(一九九年三)六二頁以下。巻五藤の永一﹁身分法学体) 系について﹂法学
( 9中一学教室第二号(九・六一年)三二頁。法ト川の善之助﹁身分法特) 殊性﹂別冊ジュリス
( 10鈴一。下以頁五七二)年八八九・木) 文創﹄(義講法族親﹃弥禄社
( 11) 鈴木前掲二七五~六頁。
( 年。照参下以頁一二二) 12 改・禄弥﹃相続法講義﹄(有斐閣九一鈴六八義講法続相﹃弥禄木鈴木、訂三版﹄(創文社・一九九六年)三九は頁以下。この点を) り詳しくよ
( 13) 平井前掲二六四頁。
( 14) 平井前掲二六六頁。
( 15) 平井前掲二六七頁。
( 16) 平井前掲二六九頁。
( 17) 水野
―
一考察二八〇頁。( 18) 水野
―
一考察二八六頁。( 19) 水野
―
一考察二九〇頁。( 20) 水野
―
一考察二九〇頁。( 21) 水野
―
一考察二九〇~一頁。( 22) 水野
―
一考察二九三~四頁。( 23) 水野
―
一考察三〇〇頁。( 24梶〇由と法﹄(東北大学出版会・二〇と六年)所収、三三七頁以下。自ー村意太市﹁中川家族法学の今日的義) ﹂水野紀子編﹃家族
―
ジェンダ( 25) 梶村前掲三五二頁。
26) 梶村前掲三五三頁。
(三二一〇)
身分行為論一九三同志社法学 六〇巻七号 (
( 27) 梶村前掲三五三頁。
( 28) 梶村前掲三五三頁。
( 29) 梶村前掲三五四頁。
( 30内四出版会・二〇〇年大)六一頁以下。学京田訂貴﹃民法Ⅳ︹補版) ︺親族・相続﹄(東
( 31) 梶村前掲三五三頁。
( 32) 梶村前掲三五五頁。
( 33) 梶村前掲三五五頁。
( 34) 梶村前掲三五五頁。
( 35) 梶村前掲三五五頁。
( 36) 梶村前掲三五五~六頁。
( 37) 梶村前掲三五六~七頁。
( 38) 梶村前掲三五七頁。
( 39) 梶村前掲三五八頁。
( 40) 梶村前掲三六三頁。
( 41) 梶村前掲三六三頁。
( 42鈴・。頁四二二)年八六九一閣木) 有﹄(義講法続相﹃弥禄斐
( 43高〇の麦社・二〇五一年)二四一頁。粒﹄(村ル是懿﹃ヘーゲ﹃) 法の哲学﹄を読む
( 44) 高村前掲二四五頁。
( 45エ一﹄(新日本出版社・九起九九年)一〇四頁。源のン訳ゲルス/土屋保男﹃) 家族・私有財産・国家
( 46) エンゲルス前掲一〇四頁。
( 47不一﹄(新日本出版社・九入八三年)一七三頁。門﹄破私哲三﹃講座﹃家族、有) 財産および国家の起源
( 48) 不破前掲一〇九頁。
49) 高村前掲五二頁以下。
(三二一一)
身分行為論一九四同志社法学 六〇巻七号
(
( 性、水野
―
特殊として引用する)。下 50つ殊七年)七五四~五頁(以性特〇の法続相・法族親﹁子紀野水〇二い民て﹂﹃平井宜雄先生古稀記念に法・学におけ) 法と政策﹄(有斐閣る( 51) 水野
―
特殊性七六七頁。( 52中前について、泉掲為一一頁参照。論行川頁
―
課題二〇九。) 中川博士の身分( 年斐閣・一九八〇)所収、八八頁。 53、解論・家事審判・戸籍﹄(有と見しるえ捉と件要生発力効を出届総一福川地俊雄﹁身分行為の理論﹂﹃中善系之助先生) 悼て現代家族法体追
( 54) 中川
―
課題二〇一頁。( 55中川
―
課題一) 六~一七〇頁。六( 56谷社。頁九四~七四)年八八九一・山口) )﹄(版刻復(法族親本日﹃平知信
( 57末九論文集Ⅳ︺﹄(岩波書店・一七法〇年)所収、三三八頁。律博川思博﹁身分行為における意﹂) 同﹃物権・親族・相続︹末川
( 58) 末川前掲三三九頁。
( 59) 末川前掲三三九頁。
( 60最民。頁三九四号四一巻二集:判) 三二月二一年三二和昭日
( 61最集。頁四九八一号〇一巻三二民判) 日一三月〇一年四四和昭:
( 62最家。頁七一一号四巻六一月:判) 〇二月二一年八三和昭日
( 63最集。頁九六四一号一一巻七一民判) 日八二月一一年八三和昭:
( 64利〇。頁一九一)年二七九一(号〇五谷) ュジ﹂思意の為行分身﹁義信リ
( 65榮・第二版﹄(勁草書房二法〇〇五年)九七頁。我続・井有泉亨・遠藤浩・川健相﹃民法三妻親族法) ・
( 66 斐体系Ⅰ(家族法総論)﹄(有閣族・一九五九年)六〇頁。法福地思俊雄﹁身分行為と効果意﹂﹃) 中川善之助教授還暦記念家
( る授らの見の呼称として用い解のてで。る類分すしと説元多、 ﹂自説思意的法﹁を説おは授教橋高、な。照称と後しを教平周宮二るす述下説て思意的法は私、がるい参以二頁〇〇一)年一六九一(号三 67七)年一七論九一(号一一集例学法修専﹂究研頁判﹁郎次忠橋高二) 。離法私﹂出届と意合るけおに婚議高協﹁同、はくし詳いつに説橋て 68号一九巻一・二合併(法一九七六年)六一頁学沢) 為深谷松男﹁身分行に金関する二、三の考察﹂。
(三二一二)