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コミュニケーション行為理論の論理構造(中)

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長野大学紀要 第15巻 第1号 131-142頁 1993

コ ミュニケーシ ョン行為理論の論理構造

(

中)

The Logic in the Theory of Communicative Action

4

戦 略 的行 為 とコ ミュニケ ー シ ョン行為 (1) 成果指向 と意思疎通指向 すでに くりか えし確認 して きた とお り、--バ マースの行為類型論の最大のポイン トは、社会的 行為 を戟略的行為 とコ ミュニケー ション行為 とに 分類す る仕方 にあるとい うことができる。そうだ とす るな ら、コ ミュニケー シ ョン行為 と戦略的行 為 との区別は どの ように して根拠づけ られ うるの かが、解 明されなければならない重大な論点 とし て浮かびあが って くることになる。コ ミュニケー シ ョン行為の基本的特徴はいかなるものなのか。 コ ミュニケー シ ョン行為は、戟略的行為 といかな る点において異なっているのか。-ーバマースの 論理が首肯性 を有す るもの とな りうるためには、 これ らの点が説得的に しめ されなければならない。 本節では、この問いにたい して--バマースがい かなる根拠づけ をこころみているのかについて、 --バマース じしんの論理にそ くして検討 してい くこ とに しようOそのさいまず、--バマースに よる行為指向の分析 を取 りあげ、意思疎通 という 概念のインプ リケー シ ョンについて予備的な考察 をおこなってお くことに したいOついで--バマ ースによる言語行為分析 を取 りあげ、意思疎通の 構造 を--バマースがいかなるもの として とらえ ているかにつ いて、理解 を深め るこ とに したい。 ここでは、この ような手順 をへて、コ ミュニケー シ ョン行為の基本的な特徴について解明 をすすめ てい くことに しよう。 さて、す でにのべた とお り--バマースは、そ の行為が成果に指向 しているかそれ とも意思疎通 に指向 しているか を基準 として、社会的行為 を戦 略的行為 とコ ミュニケー シ ョン行為 とに分類 して

Akira Nagai

いる。 ここでまず、戦略的行為 とコ ミュニケーシ ョン行為 とを分け るメル クマールが行為指向の違 いに求められているという点をあらためて確認 して おこう。 しか もそのさい、成果に指向しているかそ れ とも意思疎通に指向 しているかは、行為者 じし んのパースペ クテ ィヴを手がか りにす ることによ ってのみ確認 され うるとしている点 もまた、ここ で銘記 してお くことに しよう0--バマースか ら す ると、行為者は、ある行為が成果に指向 してい るか意思疎通に指向 しているか を暗黙の うちに区 別 しているのだ という

(

1)0--バマースは、そう した区別 を取 りだすことによって、戟略的行為 と コミュニケー シ ョン行為 とを分類 しようとしてい る.そ うしてみ ると-ーバマースは、 日常 的な相 互行為 のあ り方に着 目し、そうした相互行為のな かか ら、その根底にみ られる論理 を読み取 ろうと しているということができる。--バマースは、 日常の行為者たちが 自明の もの としてい る基準 を 明示化す ることによって、戦略的行為 とコ ミュニ ケー シ ョン行為 とを分類 しようとしてい るのであ り、 日常の行為のなかで暗黙の うちに受 け入れ ら れていることが らを分析す ることをつ うじて、意思 疎通 とい う概念 を解明 しようとしているのである。 さて、これまで再確認 して きたこ とをふ まえた うえで、-ーバマースに したがいなが ら意思疎通 という概念のインプ リケーションについて解明を すすめてい くことに しよう。すでに前節 において 確認 したように、成果 とは、行為者に とって望 ま しい事態の出現のことと定義 されている(2)。これ にたい して意思疎通 とは、行為能力 と言語能力を 有 している主体 のあいだで一致が成立す る過程だ と-ーバマースはいう(3)Oそのさい-ーバマース は、意思疎通 とい うものはたんに一致 を成立させ - 1 3 1

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-132 長野大学紀要 第15巻 第1号 1993 るこ とではない とい う点に注意 をうながす。--バマー スか らすれば、意思疎通 とい うものは了解

(

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の達成 をその 目標 としているの であ り、その さい了解には次の ような重要 な特徴 があ るこ とを見逃 してほな らないのだ とい う。す なわ ち、行為能力 と言語能 力 を有す る諸主体は コ ミュニケー シ ョンをつ うじて了解 を達成す るこ と がで きるのだが、そ うした了解の内容 は命題の形 でいいあ らわす こ とが で きる

(

4)。 しか も了解 とい うものは、その内客 を関与者 たちが たがいに認知 し、妥 当な もの として受 け入れてい るか らこそ了 解 た りうるとい う点にその特徴がみいだされる。 とい うの も、その ように認知 され受 け入れ られて いない ものは、関与者か らは了解 とみなされず、 それゆえ了解 た りえないか らである(5)。 この点に おいて、了解 とい うものはたんに事実上一致 して いる とい うことではないのだ とい う(6)。了解 とい うものは、関与者双方に よる認知 と承認 をその成 立のための前提条件 としてい るのである。 この点 を確認 した うえで、--バマースは了解 とい うものの もつ重要 な特徴 を指摘す るこ とにな る。すなわち、了解 とい うものは、外部的に影響 力 を行使す ることをつ うじて強いることはできな い、 とい うのである(7)。つ ま り了解 とい うものは、 その内答 を当の関与者がみずか ら妥 当 とみな して 受 け入れているか らこそ了解 た りうるのであって、 た とえば何 らかのサ ンクシ ョンをつ うじて強制す るこ とによっては、了解 は生みだ されない とい う のであ る。 もちろんサ ンクシ ョンをつ うじて何 ら か の同意 をとりつけ ることはで きるだろ う。だが 、 そこで引 きおこされた同意 は、それ を受け入れた 当事者 に とってみれば、決 して了解 とは認知 され えない。 当の関与者か らす れば、そ うした同意は あ くまで もしぶ しぶ受け入れたにす ぎず、そうし た同意 は了解 ではあ りえない。--バマースは、 行為者 じしんのパースペ クテ ィヴを前提 とし、当 事者本人がみずか ら自発的に、その内客 の妥当性 を承認 したこ とに もとず く同意だけが了解 た りう る、 とい う点に注意 をうなが している。その意味 において-ーバマースは、 コ ミュニ ケー シ ョンを つ うじて達成 されたそ うした了解 には合理的な基 盤があ る と指摘 してい る(8)。つ ま り、了解 のばあ いに成立 している同意は、何 らかの強制 力によっ てひ きお こされたのではな く、発言内容の妥当性 をそれ ぞれの関与者が 自発的に受 け入れ ることに よってのみ成立 してい る。強制 力に依拠す るこ と な く、あ くまで も発言内容 の妥 当性 のゆえに同意 が成立す る とい う面 に着 目して、こうした合意 は 合理 的に動機づけ られている と--バマースは特 徴づ け るのである(9)。 これにたい して、サ ンクシ ョンな ど何 らかの強制 力 をつ うじて引 きお こされ た同意には、そ うした合理性の基盤は存在 しないO そ うしたばあいひ とび とは、その発言の背後に強 制 力 を感知 し、そ うした強制 力に よって引 きお こ され るであろう結果 を読み、 したがわ ざるをえな い と判断 して発言に同意す るのであって、発言の 妥 当性 を自発的に承認す るこ とに よって同意 して いるのではない。そこでこ うした合意 を、経験的 に動 機づ け られてい る と--バマースは特徴づ け るこ とになる(10)0 (2) 言語行為の分析 へ この ように して--バマー スは、その行為が成 果 に指向 してい るか それ とも意思疎通 に指向 して いるかに もとづ いて社会的行為 の類型論 を組み立 て よ うとしている。 しか もそ うした行為指向の違 い を行為者 じしんのパースペ クテ ィヴか ら解明 し ようとしている とい う点に、--バマースに よる 理論構築の特徴がみいだされ る。--バマースは、 相互行為 に参与す る行為者 じしんが成果に指向 し た態度 をとっているか それ とも意思疎通に指向 し た態度 をとっているか に着 目し、それ を手がか り に して社会 的行為 を分類 しようとい う理論戦略 を 採用 してい るのであ る。 ところで、こうしたかれの こころみにおいて も っ とも重要 なのは、意思疎通 とい うものの もつ特 徴 を十全に解明 し、意思疎通 は成果獲得の行為 に は還 元 され えない とい うこ とをしめす ことだ とい えよ う。 このこ とを説得的に しめす こ とができる か どうか こそが、--バマースの こころみの成否 を左右す る といって も過 言ではない。 意思疎通 とい うものの特徴 を解明す るにあたっ て、--バマースは言語行為 の分析に注 目す る。 --バマー スか らすれば、意思疎通の概念は、話 す とい うこ との分析 を離れては解明 されえないの だ とい う(ll)。それゆえにこそ--バマースは、言 -

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132-永井彰 コミュニケーション行為理論の論理構造(中) 語行為 の分析 を利用す る必要があ る と主張す るの である。 かれは、言語行為 の分析 に依拠す るこ とによっ て、意思疎通 とい うものが 目的活動 には還元 しえ ない構造 を有す るこ とをしめそ うとす る。 さらに その うえで、その こ とに もとづ いて 、成果に指 向 した行為 と意思疎通 に指向 した行為 との境界づけ を根拠づけ ようとす るのである。その さい--バ マー スは

、J

・L・オー ステ インか ら

J

・サール- と 展 開 され る言語行為論の成果 を摂取 しなが ら、か れ独 自の体系的な理論 を作 りだそ うとしている。 そ の 理 論 をか れ は 「形 式 的 語 用 論 (formale pragmatik)」 と名づ けてい る(12)。 言語行為 を じっさいに分析す るにあたっては、 --バマー スは次の ような二人の コ ミュニケー シ ョン参与者 をモデル として考察 をすすめている。 す なわち、一方の行為者が言語行為 を遂行 し、 も う一方の行為者が 「イエス」 または 「ノー」 と態 度決定す る というものである。つ まり、話 し手 と聞 き手 とい う二 人の コ ミュニケー シ ョン参与者 をモ デル として 、分析がお こなわれ るこ とにな る(13)0 ところで、-ーバマースに よれば、言語行為の 分析 を利用 して成果 に指向 した行為 と意思疎通に 指向 した行為 とを分類 しようとす るばあい、以下の よ うな困難 なこ とが らにであ うことになるのだ と い う(14)。 まず 、コ ミュニケー シ ョン行為 を遂布す るこ とによって、話 し手 と聞 き手 とは何 ご とかに かん して意思疎通 をお こなっているわけだが、そ うした コ ミュニケー シ ョン行為 とい うものは、行 為整合 メカニ ズムの一つ にほか な らない。それぞ れの行為者 は 目標 を心 にえが き行為計画 を設定 し てい るのだが 、意思疎通の行為 は、ひ とび とのそ うした行為 計画 を結びつけてい るのであ り、その こ とをつ うじてそれ ぞれの行為 を相互行為連関-とまとめあげているO-ーバマースの着眼点は、 こ うした意思疎通の行為 は成果 に指 向 した行為 と しては概念化 されえない とい うこ とであった。意 思疎通の行為 を目的論的行為へ と還 元 して しまう ことはできない、というのである。 ところでこのば あい、言語 に媒介 された相互行為 のすべてが意思 疎通 に指向 した行為 だ とい うことがで きるのだろ うか。 もし、言語に媒介 された相互行為 のすべて が意思疎通に指向 した行為 であ ると断定 しうるの 133 であれば、言語行為 を分析す るこ とに よって意思 疎通の構造 を解 明 しようとす る--バマー スの戦 略は きわめて有望 である とただ ちに判定す ること が で きるだ ろ う。 だが 、 じっ さい には、そ う単 純に結論 を下す こ とはで きない。 とい うの も、言 語は成果指向的 に使用す るこ ともで きるか らであ る。われわれは、言語 をみずか らの 目標達 成のた めの手段 とし、言語 とい う手段 を操作的に投入す るこ とに よって、 自分 に とって望 ましい行動 を相 手に引 きお こさせ るこ とがで きる。 われ われは、 自分 に とって望 ましい行動 を相手にひ きお こさせ るこ とをつ うじて、 自分 に とって望 ましい事態 を 世 界内に生 じさせ るこ とがで きるのであ り、つ ま りは成果 を達成す るこ とがで きるのであ る。 こう したばあい行為者は、言語 を利用す るこ とによっ て、他者 を自己の 目標達成のための道具 としてい る。 この よ うに言語 は、成果 指 向 的 に 用い られ うるのであ り、 しか もこうしたケー スは決 して例 外的なで きごとではな く、ご くあ りきた りのこと として 日常的に繰 り返 されている といわ なければ な らない。--バマースはこの ようなケー スを引 きあいにだ し、こ うした事例がある とい うことじ たい、意思疎通 に指 向す る とい うこ とを言語行為 の分析か ら取 り出そ うとす るこころみが きわめて 困杜だ とい うこ とをしめ してい るのではないか、 とみずか らに問いなおす ことになる(15)0 あ くまで も--バマースか らす る と、意思疎通 の行為 は 目的論的行為 は還元 されえないのだ とい う0--バマー スはこのこ とを明示化す るために、 話す とい う行為 を分析の姐上 にのせ よ う とした。 かれは、言語行為 を分析す るこ とをつ う じて意思 疎通 の構造 を解 明 し、意思疎通 の行為 が成果に指 向 した行為 には還元 されえないこ とを明 らかに し ようとす るのである。 ところが 、い まのべ たよう に、言語 に媒介 された行為のすべてが意 思疎通に 指 向 した行為 だ とい うわけではない。 そ うした点 か らす ると、言語行為 をどれほ ど分析 して も、意 思疎通に指向 した行為 をヰ デル化す る役 にはたた ないのではないか とい う疑念が生 じるこ とになる。 そこでハ-バマースは、このような疑念 をは らし、 言語行為 を分析す るこ との妥当性 を主 張 しなけれ ばな らないのである。 こうした疑念に たい してハ -バマー スは、意思疎通に指 向 した言語 使用 こそ - 133

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-134 長野大学紀要 第15巻 第1号 1993 がオ リジナルな言語使用のパ タンなのであって、 成果に指 向 した言語使用は、オ リジナルな言語使 用にたい していわば寄生的な関係にある とい うこ とを明 らか に しようとす る(16)0--バマー スか ら す ると、このこ とを明 らかにす るこ とさえで きれ ば、言語行為 を分析す るこ とに よって意思疎通に 指向 した行為のモデル をえるこ とがで きるとい う 主張が、首肯性 を有す る もの とな りうるとい うの である。 (3) 発語内行為 と発語媒介行為 そ うした課題にこたえるさい、-ーパマースが 手がか りとしてい るのが 、オーステ ィンに よる発 語内行為 と発語媒介行為 との区分である(17)。周知の とお り、オーステ インは言語行為 におけ る三つの 局面 として、発語行為(locutionaryact)、発語内 行為 (illocutionaryact)お よ び 発 語 媒 介 行 為 (perlocutionaryact)を区別 している(18)。まず第

1

に、話 し手は、文法に したが って、何 らかの意 味 をもった一定の音声 を発 している。つ ま り、何 ごとか を話す こ とそれ じたいが ある種 の行為 なの であ り、それ をオーステ ィンは発語行為 と名づけ ている(19)。第2に、話 し手は何 ご とか を話す こと に よって、ある行為 をお こなって もいる。つ まり、 何 ごとか を話す こ とに よって、同時に主張 した り 約束 した り命令 した り告 白した りといった もう一 つの行為 をお こなって もいる。そ うした行為 をオ ーステ ィンは発語内行為 と呼んでいる(20)。なお、 主張や約束や命令や告 白といった発語内行為がは たす さまざまな機能 をオー ステ ィンは発語内の力 (illocutionaryforce)と呼ん でい る(21)。さらに第

3

に話 し手は、発語内行為 を遂行す るこ とをつ う じて、聞 き手の ところで しか るべ き効果 を達成 し て もいる。話 し手は、言語行為 を遂行す るこ とに よって、世 界内において何 ご とか を引 き起 こして いる とい うのである。 こうした行為 をオーステ ィ ンは発語媒介行為 と呼んでい る(22)0 こうした行為 の区分 を確認す るために、ここで は次の ような例 を考 えてみ るこ とに しよう。話 し 手

A

が聞 き手

B

にたい して 「きみには、あの山を 登 るこ とはで きないよ」 と話 した としよう。 この ばあい、こうした言葉 を文法に もとづ いて話す こと それ じたいが発語行為 であ り、こうした発言をおこ な うこ とに よってAはBにたい して 「警告」 とい う行為 をお こなって もいる。 これが発語内行為 で ある。 しか もその さい

、A

B

を不安 に陥れてい るとした ら、それは発語媒介行為 である(23)。 さて ここで、オーステ インのば あいには、発語 行為 、発語 内行為 および発語媒介行為 は、同一 の 言語行為 にみ られ る三つの局面 として とらえられ ているこ とに注意 してお こ う。の ちにみ るように --バマー スは この点 を問題 とし、それに修正 を くわえるこ とになるわけだが 、ここではさしあた り、オー ステ ィン じしんに よるこ うした区分の特 徴 を指摘 してお くこ とに したい。 まず第

1

に、 く りか え Lになるけれ ども、三つの行為の区別は、 あ くまで も分析的な もの とされてい る とい う点 を 確認 してお きたい。つ ま りこ うした三つの行為は、 あ くまで も同一 の言語行為の三局面にほかな らず 、 具体的な言語行為が この三つのいずれかに分類され るとい うわけではない。その意味において、三つの 行為の区分は実質的な行為類型論 として構想されて いるわけではないのである。第2に、いま確認 した論 点 とも関連す るのだが、さしあた りこうした三つの 行為は、すべての言語行為にみいだされるもの とさ れている。三つの局面の うちいずれかが欠落 した言 語行為 とい うものをオースティンは、少な くとも明 示的には想定 していない というこ とができよう(24)0 さて--バマースは、オーステ ィンに よる発語 内行為 と発語媒介行為 との区別に着 目し、意思疎通 に指 向 した言語使用 こそがオ リジナルな言語使用 のパ タンであ り、成果 に指 向 した言語使用 はそ う したオ リジナルなパ タンにたい していわば寄生 的 な関係 にある とい うこ とをしめす ために、この区 別 を利用 しようとす るOその さい-ーバマースは、 い ままで検討 して きたオー ステ ィンに よる行為 の 規定 にたい して疑問 をさしは さん でい くこ とにな る.その ような作業 をお こな うに あた って、-I バマー スは次の二つの点 を確認す るこ とか らは じ め る。 まず 第1に、--バマースは、命題内容 と 発語 内の力 とか らなる言語行為 は 自足的な言語行 為 として とらえ られ るこ とに注意 をうながす(25)。 このばあい話 し手は コ ミュニケー トしようとす る 意図 をもって発言 してお り、つ ま りは話 し手 じし んの発言 を理解 し受 け入れて もらいたい とい う目 標 をいだいて発言 している。 こ うした言語行為 に - 13

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4-永井 彰 コ ミュニケー シ ョン行為理論 の論理構造(中) おいては、話 し手が到達 しようとしてい る発語 内 の 目標 は話 し手 によって語 られたこ とそれ じたい の明示 的な意味か ら読み取 られ るのであ り、この 点にこそ、こ うした言語行為 の特徴がみいだ され る。つ ま りこの言語行為 の意味は、そこで語 られ てい るこ とそれ じたいか ら明 らかにされ るのであ り、言語行為 に とって外在的な何 ものかに よって 左右 されてい る とい うわけではない。そ うした意 味において、この言語行為 は 自足的だ と--バマ ー スはい うので ある。 こうした点 に着 目すれば、 この言語行為 は、--バマースのい うところの 目 的論 的行為 と対 照的な性格 を有 している とい うこ とが で きよう。 とい うの も目的論的行為 の意味は、 行為者 じしんが追究 しようとしてい る意図や行為 者 じしんが現実化 しようとしている目的に もとづ いてのみ確認 され うるか らである(26)。語 られてい るこ とか らだけでは行為 の意味が確 認 されえない とい うそのか ぎ りにおいて、 目的論的行為 は 自足 的であ りえない。 さらに第2に-ーバマー スは、オー ステ ィンの い うところの発語媒介効果が成立す るのは、発語 内行為が 目的論 的行為 の連関のなか で役割 を引 き 受 け るこ とに よって で あ る とい う事 実 を指 摘 す る(27)。--バマースに よれば、発語媒介効果は、 いか なる言語行為 において も成立す る とい うわけ ではない。話 し手によって語 られたこ とそれ じた いか らは読み取 られないような意図 を話 し手が い だ き、そ うした 目標の達成のために言語行為 を道 具 として用い るこ とに よっては じめて、発語媒介 効果 は生 じる とい うのである。 こ うした二つ の点 を確 認 した うえで、--バマ ー スはオー ステ ィンによる言語行為 の区分に大 き な修正 を くわえるべ きこ とを提 唱す る。すなわち、 発語行為 と発語 内行為 との区分 は分析的な ものだ が 、発語内行為 と発語媒介行為 との区分 は実質的 な もの として考 えるべ きだ とい うのである(28)。つ ま り言語行為 には、命題内容 と発語 内の力 とい う 二つ の構成要素だけか らな り、発語媒介効果 をも た らさない言語行為 と、そ うした二つの構成要素 をもった言語行為 を目的論的行為 の連関のなかに 組み込む こ とに よって、発語媒介効果 を引 き起 こ す言語行為 との二種類があ るとい う(29)。この-I バマースの指摘 に したが えば、言語行為 はそ うし

1

3

5

た二種頬の行為 に じっさいに分類 され うるのであ り、その意味において、発語内行為 と発語媒介行 為 との区分 はたんに分析的な ものには とどまらな い 。 この ように して-ーバマースは、命題 内容 と発 語内の力 とい う二つ の構成要素 をもつ行為 (オー ステ ィンの用語法 を利用すれば、発語行為 と発語 内行為 か らなる言語行為 )を発語内行為 と呼び、 そ うした発語内行為 が 目的論的行為の連関に組み 込 まれ 、発語媒介効 果 を相手の側に引 きお こすば あいの行為 を発語媒介行為 と呼ぶ こ とを提唱 して いる。 そこで、以下 においては、発語内行為 と発 語媒介行為 にか ん して、こうした--バマー スの 用語法 を踏襲 してい くこ とに しよう。 ところで、 じつ はこ うした分析 こそが 、さきに -ーバマースのあげた課題 をはたすための道筋 を 示唆 してい るとい うこ とに注 目してお きたい。--バマースに よれば、言語行為 の分析 をつ うじて 意思疎通の概念 を解明す ることができるといいうる ためには、意思疎通に指向 した言語使用 こそが言語 使用のオ リジナルなパ タンであ り、成果に指向 した 言語使用はそ うしたオ リジナルな言語使用 にたい していわば寄生的な関係にあるこ とをしめ きなけ ればな らなか った。 これ まで検討 して きた発語内 行為 と発語媒介行為 との区分は、この課題 にこた えようとした ものだ とい うこ とがで きる。 す でに確認 した とお り、命題 内容 と発語 内の力 か らな る行為 (--バマースのい うところの発語 内行為 )は、言語行為 として 自足 してい る。そ う した行為 は発語媒介行為 を引 きお こさな くて も言 語行為 としてす でに成立 してい るのであ り、こ う した発語内行為が 目的論的行為 の連関に組 み込 ま れ るこ とに よってのみ 、発語媒介行為 が成立 しう る といわなければな らない。 しか もその さい、こ の発語媒介行為 のばあいにおいて も、発語 内の 目 標 は達 成 され て い るこ とを見落 として は な らな い(30)。発語媒介行為 のばあいに もまた、命 題内容 ばか りでな く発語内の力 もまた話 し手 と聞 き手の 両者に よって認知 されている。 さきに呈示 した例 を利用すれば、「きみには、あの山を登 るこ とはで きない よ」 とい う発言が聞 き手 にたい して発語媒 介効果 を引 きお こ しうるためには、その命題内容 だけでな く、この発言の発語内の力が聞 き手- と向 - 1 3 5

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-136 長野大学 紀要 第15巻 第1号 1993 け られ た警告 であ る とい うこ ともまた、聞 き手に も認知 されなければ な らない。その ような認知が あるか らこそ、聞 き手 を不安 に陥れ るとい う発語 媒介効 果が生みだ され うるのである。 そ うしてみ ると、発 語内行為 こそが言語使用の いわば基本型だ とい うことがで きるのであ り、そ うした発語内行為が成立 している とい うこ とこそ が、発語媒介行為 が成立 しうるための前提条件に なっているとい うこ とがで きる。つ ま り、意思疎 通に指 向 した言語使用 が成立 しうる とい う前提が あるか らこそ、それ を利用 して成果に指向 した言 語使用 もまた成立 しうるとい う仕組みになってい るとい うのである(31)0 ところで、--バマ ースに よって再規定 された ところの発語 内行為 と発語媒介行為 との区分 に、 --バマースはなぜ これほ どまでに重大 な関心 を 寄せ るのだろうか。 それは、この区分のなかに、 コ ミュニケー ション行 為 と戦略的行為 とを分類す るための重要 な手がか りをみて とってい るか らに ほか な らない。つ ま り、この両者の区分は、 コ ミ ュニケー シ ョン行為 の規定のあ り方 に直結 してい る とい うことがで きるのである。そ こで、この区 分についてさらに検討 をすすめてい くことにしよう。 --バマー スに よれば、発語内行為 と発語媒介 行為 とを境界づけ る基 準は次の四つ の ものだ とい う。 まず第1に、話 し手がその発言によって追究 してい る発語 内の 目標 は、語 られたことの意味そ れ じたいか ら言売み取 られる。発語内行為 の 目標が 語 られたこ とそれ じたいか ら確認 され るとい う意 味において、このば あいの言語行為 は 自己確認的 であ る とい うことが で きる。それにたい して、話 し手に よる発語媒介行為 の 目標は、当の言語行為 の顕在的な内容か らは読み取 られないのであ り、 そ うした発語媒介行為 の 目標は話 し手の意図 をつ うじてのみ解 明 され うる。 ここで重要 なのは、発 語内行為が 自己確認 的 である とい う特徴づけであ り、こ うした発語 内行 為の性格は、それ以外の三 つの基準に も関連 して いる(32)0 第2に、発語内行為 のばあいには、その成果 を 獲得す るための諸条件 は、当の言語行為 の記述 そ れ じたいか ら導 出 され る。それにたい して、発語 媒介行為 のばあいには 、その成果 をえるための諸 条件は、そ うした記述 それ じたいか ら導 出す るこ とが で きない。発語媒介行為 のばあいには、当の 言語行為 をこえてのびている目的論的行為 の連関 に準拠 しなければな らない(33)0 この こ とにかん して--バマー スは、次の よう な例文 を呈示 している(34)。 (1)AはBにたい して、「会社 に辞職 を申し出な い よう」警告 した。

(

2

)

A

B

にたい して、「会社 に辞職 を申し出な い よう」警告す るこ とに よって、Bを不安 に した。 (1)の記述は、AがBにたい してお こなっている 言語行為 の記述 であ り

、A

が発語内の成果 を達成 す るための条件 は、 この記述 その ものか ら導 き出 され る。す なわち、BがAに よる警告 を理解 し、 そ うした

A

に よる警告 を

B

が真 である (ない しは 正 当である) と受 け入れ るばあい

、A

は発語内の 成果 を達成す るこ とがで きる。 ところが

、A

が発 語媒介行為 をお こないその成果 を達成 しようとし てい るばあいには、(1)の ような言語行為 その もの の記述では不十分 となる。それゆ え例文(2)の よう に記述せ ざるをえないけれ ども、Bを不安 にさせ る とい うこ とは、言語行為 その ものの記述ではな く、当の言語行為 をこえた連関の記述だ といわな ければな らない。 第3に、発語内の成果 は、言語行為 とは慣 習に 規制 された連関にあ るのであ り、 したが って内在 的な連関にある。それにたい して発語媒介行為 は、 語 られたこ との意味に とっては外在的なままに と どまっている。発語媒介効果 は偶 然の コンテキス トに依拠 してお り、発語 内の成果 とは違 って、慣 習に よって確定 されてはいない(35)0 第4に、発語媒介行為 に よって成果 をお さめ よ うとす るばあい、話 し手 は発語媒介行為 の 目標 を 決 して知 られてはな らない。それにたい して、発 語 内行為 の 目標は、相手に認知 され るこ とに よっ てのみ達成 され る。発語 内行為 は明示 的に発言 さ れ るのにたい して、発語媒介行為 のばあいには、 それが発語媒介行為 である と白状 してはな らない。 そ うしてみ る と発語媒介行為 とい うのは、 目的論 的行為 の下位類型に属 し、行為 の 目標 その もの を 宣言 した り告 白した りしない とい う条件の もとで - 136

(7)

-コ ミュニケー シ ョン行為理論の論理構造(中) 言語行為 を利用 して遂行 され うる行為 だ とい うこ とが できる(36)0 さて、 これ まで検討 して きた発語 内行為 と発語 媒介行為 とを区別す る基準にかんす る論議 をふ ま える と、この二つ の行為 の ちが い を特徴づ け る最 大の ポイン トは、次の ような点にあ ると考 えられ よう。す なわち、-ーバマースのい うところの発 語内行為 のばあいには、その行為 の 目標が話 し手 と聞 き手の両者に認知 されてい るのにたい して、 -ーバマー スのい うところの発語媒介行為 のばあ いには、その行為 の 目標 は話 し手 に しか認知 され ていない とい う点である(37)。発語内行為 のばあい、 その命題 内容 と発語 内の力 とは、話 し手 と聞 き手 の両者に よって認知 されている。そ うであるがゆ えに、発語 内行為 は話 し手 と聞 き手の両者の行為 を方向づ け るこ とが で きるのである。た とえば、 「明 日の午後

5

時に駅 で会い ましょう」とい う言語 行為 につ いて考 えてみ ると、明 日の午後

5

時に駅 で会 うとい う命題内容 と、この言語行為 におけ る 発語内の力が約束である とい うこととが 、話 し手 と聞 き手の双方 に認知 されている。それだか らこ そこの言語行為 は約束 としての効 力 を発揮 しうる のであ り、言語行為によるそ うした提案が聞 き手に も承認されたばあいには、話 し手 と聞 き手のあいだ に しか るべ き拘束力が生 じ、明 日の午後

5

時までに は駅 に到着す るよう両者 を動機づけ るこ とになる。 ところが、発語媒介行為のばあいには、こうした 認知 の均衡性が成立 していないというところにその 大 きな特徴がみ られ る。た とえば、話 し手は聞 き 手にたい して 「その窓 を開けて くだ さい」 と発言 したのだが 、 じつ はその窓は開かない ものであ り、 そのこ とを話 し手だけが知 っていて、開 きもしな い窓 を相手に開け させ ようとして困 らせ てや ろう としている、 とい う状況 を考 えてみ よう。 このば あい、発語 内の 目標は窓 を開け る とい うこ とであ り、それ じたいは話 し手 と聞 き手の両者に よって 認知 されてい る。認知 しているか らこそ、聞 き手 はそ うした発言に したが って、窓 を開け ようとす る行動 をお こすのである。 しか し、この発語媒介 行為 の 目標 は聞 き手 を困惑 させ る とい うこ となの であ り、そ うした 目標 は聞 き手には知 られていな い。聞 き手 には知 られていないがゆえに、話 し手 は行為 の 目標 を達成す るこ とがで きるのであ り、 137 もしそ うした 目標 をいだいているこ とを聞 き手に 察知 されて しまえば 、聞 き手 を困惑 させ る とい う 効果 をお よぼす こ とがで きな くなる。そ うしてみ ると、発語媒介行為 の特徴は、その 目標 を隠蔽す るこ とに よって成立す る戦略的な言語行為 だ とい う点にみいだされ るのであ り、この意味において、 この行為 は 「操作 (Manipulation)」 と名づ け ら れ るこ とになる(38)。 こ うしてみ る と、発語内行為 のばあいには、話 し手 と聞 き手 とがめ ざす 馴 票が話 し手の発言 をつ うじて明示化 されているのであ り、それが聞 き手 に よって了承 されたばあいには、そ うした 目標が 一定の拘束力 をもち、そのこ とをつ うじて行為整 合がお こなわれ るこ とになる。 このばあい、話 し 手は発言 をお こな うこ とに よって しか るべ き 「要 求 (Anspruch)」 をかかげているのであ り、そ う した要求が聞 き手に よって承認 され るこ とに よっ て、間主観的な拘束力 を発揮す るこ とになる

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その さい、話 し手に よってかかげ られてい る要求 には批判可能 だ とい う特徴があるこ とに注 目して お こ う。聞 き手 は、そ うした発言においてかかげ られている要求 を承 認で きないばあいには異議 を 申 し立て るこ とがで きるのであ り、それ を了承す る とい うのは、そ うした発言においてかか げ られ てい る要求の妥 当性 を認めているか らだ とい うこ とが で きる。 この意味において、話 し手がかか げ てい るのは、批判可能 な 「妥当性要求(Geltungs -anspruch)」 だ とい うこ とがで きる(40)。批判可能 な妥 当性要求が聞 き手に も受 け入れ られ相互承認 されたばあいにのみ、その発言は間主観 的な拘束 力 をもち、行為整合 に役立つ ことがで きる。 これにたい して発語媒介行為 のばあいには、い まのべ た意味 での妥 当性要求がかか げ られていな い とい う点にその特徴がみいだされ る。話 し手は 発言 をお こな うことに よってその発語 内の 目標 を 明 らかに している。 したが って、聞 き手 はそれに か ん しては異議 をとなえることがで きる。 しか し、 話 し手の 目標 は、 じつはそ うした明示化 された点 にはないのであ り、隠蔽 されている。隠蔽 された 目標 については、批判 な どは じめか ら不 可能 だ と いわ ざるをえない。 こうした分析 をふ まえるな ら、 発語媒介行為 は、この ように他者か らの批判 をそ もそ も成立 させ ない形で 自己の 目標 を達 成 しよう - 1 3 7

(8)

-138 長野大学紀要 第15巻 第1号 1993 とす る社会的行為だ とい うこ とがで きる。

(4)

命令 とい う言語行為 さて、 これ までの分析に もとづ いて、--バマ ー スは、 コ ミュニケー シ ョン行為 と戦略的行為 と の区別について、暫定 的な規定 をおこなお うとす る。 まず 、言語 に媒介 された相互行為 の うち、そ の関与者のすべ てが発語内の 目標だけ を追究 して い る もの をコ ミュニケー シ ョン行為 として数 えあ げ る。 これにたい して、関与者の うち少な くとも 一 人が、相手の側において発語媒介効果 を引 き起 こそ うとしているばあい、そ うした相互行為は言 語に媒介 された戦略的行為 である とす る(41)。この ように-ーバマ- スは、発語 内行為 と発語媒介行 為 との差 異に着 目す るこ とに よって、 コ ミュニケ ー シ ョン行為 と戦略的行為 の区別 を根拠づけ よう とす るのである。だが 、 じつ はい まあげたこの規 定だけでは重大 な例外 を見逃 して しまうこ とにな りかねない。 そこで、-ーバマー スに したが って 「命令 (Imperativ)」 という言語行為 を取 りあげ、 その特質 を分析 してみ るこ とに しよう(42)。この作 業 をつ うじて、コ ミュニケー シ ョン行為の規定 を よ り精微 化す るようこころみたい。 た とえば、話 し手が聞 き手 にたい して、「煙草 を 吸 うの をやめなさい」 と命令 した とい う例 を考 え てみ よう(43)。このばあい、話 し手は決 して発語媒 介効果 を追究 しているのではないということをまず は じめに確認 してお きたい。 というの も、話 し手は 自分が引き起こしたい と思っている状態 (聞 き手が 煙草 を吸 うのをやめること)を自分の発言のなかに 明示 してい るか らであ る(44)。つ ま り、話 し手は命 令 とい う発語内行為 を遂行 している といわなけれ ばな らないのである。 このばあい、話 し手が引 き 起 こしたい とす る状態 は、あ くまで も発語内の 目 標 であって決 して発語媒介的な 目標ではない。そ れにたい して聞 き手 もまた、この発言が命令 であ る とい うこ とを理解 している。 「煙 草 を吸 うこ と をやめる」とい う命題内容ばか りでな く、この発言 の発語内の力が命令 である とい うこ とをも聞 き手 が認知 しているか らこそ、この発言は命令 として 機能す ることがで きる。つ ま り命令 であるこ とが 話 し手 と聞 き手の双方 に認知 されてい るか らこそ、 その発言は命令 た りうるのである。 こうしてみ る と、話 し手はあ くまで も-ーバマー スのい うとこ ろの発語内行為 を遂行 してい るのであって、発語 媒介行為 を遂行 してい るのでは ない(45)。こ うした 検討か ら明 らか な ように、この命令 とい う言語行 為 においては、すべての関与者が発語 内的 目標だ け を追究 している。そ うしてみ る と、 さきに暫定 的に導入 した規定 に したが えば 、命令 は コ ミュニ ケー シ ョン行為 に分類 され うるだろう。 しか し、命令 は意思疎通に指 向 した言語行為 だ と考 えて よいのだ ろうか。命令 とい うもの を考 え てみると、何 らかのサ ンクシ ョンを利用す ることに よって、相手の意思のいかんにかかわ りな く自分の 側の意思 を貫徹 させ ようとす るとい う点に、その本 質があるとい うこ とが で きる。 そ うした特質に注 目す るな ら、 命令 とい う行為は 、意思疎通に指向 した行為 ではな くあ くまで も成果 に指向 している 行為 とみなさなければ な らない。た しかに命令 と い う言語行為 は、--バマースに よる発語内行為 と 発語媒介行為 との区分 に したが えば発語内行為 だ とい うこ とがで きる。 しか しここで注意 してお き たいのは、この命令 とい う言語行為 のばあい、話 し手は決 して妥当性要求 を呈示 してお らず 、この 点において、さきほ どまで検討 をすすめて きた通 常 の発語内行為のばあい とは決定 的に異なってい る とい うこ とであ る。命令 とい う言語行為 におい てかかげ られてい る要求 は、それが命令 である以 上 、批判不可能だ とい う仕組みに なっている。つ ま り、命令 はサ ン クシ ョンのポテ ンシャルに よっ て裏 うちされてい るのであ り、そ うしたサ ンクシ ョンの ポテ ンシャルの力に よって批判 をそ もそ も 拒絶 している とい うこ とがで きる。命令 とい う言 語行為 は、そ うしたサ ンダシ ョンの ポテンシャル に よって支 え られてい るのであ り、聞 き手は もし 自分が命令に したがわなければ何 らかの制裁が く わえられ るとい うこと (あ るいは命令 に したが っ たばあいには何 らかの報イ賞が与 え られ る とい うこ と)を知 っているがゆえに命令に したが うのであ る。命令 は、言語行為 の外部 にあ るそ うした力に よって支 えられている とい うこ とが で きる(46)。そ うしてみ ると、命令にたい しては抵抗す るこ とは で きて も、批判す るこ とはで きない といわなけれ ばな らない。 命令 とい う言語行為 に よって、話 し手は批判可 - 13

(9)

8-永井彰 コミュニケーション行為理論の論理構造(中) 能 な妥当性要求 をかかげてい るのではない。話 し 手が批判可能 な妥 当性要求 をかか げてい るばあい には、聞 き手 はその要求 を納得す るこ とに よって のみ、話 し手のかか げた要求 に したが うこ とにな る。 しか し命令のばあい、聞 き手 は話 し手のかか けた要求 の妥 当性 を自発的に承認 したがゆえに し たが うのではない。話 し手のかか げている要求が 正 負いずれかのサ ンクシ ョンによって裏づ け られ ているか らこそ、聞 き手は命令にしたが うのである。 そ うしてみ ると、命令のばあい、話 し手のかか げ てい るのは批判可能 な妥 当性要求 でな く、批判 の 許 されない 「権力要求

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」だ とい わなければな らない(47)0 命令 とい う言語行為 はた しかに発語内行為 だ と い うこ とがで きる。けれ ども、命令 とい う行為 は、 自己の側 の意志 を一方 的に貫徹 させ ようとす る行 為 であ り、相手 との意思疎通 を指向 しているわけで は決 してない。その意味において、命令 は コ ミュ ニケー シ ョン行為ではな く、戟略的行為の-稜 とし て考 え られなければな らないのである。その さい、 発語媒介行為がいわば隠蔽 された戟略的行為 であ るのにたい し、命令 はあか らさまな戦略的行為 だ とい うこ とが で きよう。 ところで、命令 とい う言 語行為 にかんす るこうした検討 をふ まえるな ら、 コ ミュニケー シ ョン行為 にか んす る規定 は、よ り 深め られなければな らないこ とにな るだろ う。 -ーバマー スはオー ステ ィンに よる発語 内行為 と発語媒介行為 との区分に着 目し、それ を実質的 な行為頬型論 として位置づけなおす こ とに よって、 コ ミュニケー シ ョン行為 と戦略的行為 とを分類す る基準 をえようとした。つ ま り--バマー スは、 発語内行為 をモデル として コ ミュニケー シ ョン行 為 の論理構造 を明示化 しようとしたのであ り、そ れに対比 させ るこ とに よって、発語媒介行為 を言 語 に鑑介 された戦略的行為 である と特徴づ けたの だ った。 だが、ここでの検討によって明 らかにな った ように、発語 内行為 をそのままコ ミュニケー シ ョン行為 であるとす ると、命令 とい う言語行為 をコ ミュニケー シ ョン行為 に分類 して しまうこと になる。 しか し、命令 はあ くまで も成果に指向 し た言語使用であ り、戦略的行為 として分類 されな ければな らない。そ うだ とす るな ら、命令 とい う 言語行為 をコ ミュニケー シ ョン行為か ら排 除 しう 139 るような規定が 、不可欠な もの となる。そのため には、発語内行為 を手がか りとしなが ら、意思疎 通 に指 向 した言語使用 の根本的な特徴 をしめす メ ル クマール を発語 内行為 のなかか ら取 りだ し、そ れ を明示化す る とい う作業が必要だ といわなけれ ばな らない。そ うした作業 をお こな うこ とに よっ ては じめて、意思疎通 に指 向 した言語使用 と成果 に指 向 した言語使用 とを区別す る基準が明示化 さ れ うるのであ り、 コ ミュニケー シ ョン行為 と戦略 的行為 との区分 も、十分に根拠づけ られ うるこ と にな るだろ う。 さて 、これまでの検討 をふ まえるな ら、コ ミュ ニケー シ ョン行為 の基本的特徴は、批判可能 な妥 当性要求の相互承認に もとづ くとい う点にこそ求 め られなければな らない。-ーバマー スはこの点 こそが 、コ ミュニケー シ ョン行為 と戟略的行為 と をわかつ決定的なメル クマールだ としてい るので あ り、この こ とを決 して見逃 してほな らないので ある(48)。コ ミュニケー シ ョン行為 においては、た とえ潜在的にであれ話 し手に よって妥当性要求が 呈示 されているのであ り、その ように呈示 された 妥当性要求 を聞 き手が承認す るこ とによって、関 与者 たちのあいだに しか るべ き拘束力が生 じ、行 為 整合の機能がはた され るこ とになる。 しか もそ の さい、その関与者のすべてが 自発的に この妥 当 性要求 を承認 してい る とい う点に コ ミュニケー シ ョン行為の特徴がみいだされ るのであ り、 自発的 に承認 しているか らこそ、それに したが うようそ れ ぞれの関与者 を動機づけ ることがで きるのだ と い う。 これにたい して戦略的行為のばあいには、 その よ うな妥当性要求 は貰 示 されていない とい う 点にその特徴がみいだされ る。た とえば発語媒介 行為 のばあいには、そ うした要求 とで もい うべ き ものは隠蔽 されてい るため、批判 な どは じめか ら 不可能 な仕組みになっている。 また命令 のばあい には、話 し手がかか げているのはサ ンクシ ョンに 裏づ け られた権力要求 であ り、それにたい して批 判 をお こな うことは許容 されていない(49)。そ うし てみ る と、戟略的行為 のばあいには、相手 の側か ら の批判 を不可能 にす るか たちで 自己の側 の 目標 を 達成 しようとす る点にその特徴がみいだ され るの であ り、そ うした仕方で関与者たちの行為 が整合 されているo この ように戦略的行為 の論理構造 を -139

(10)

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長野大学紀要 第

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検討 してみ る と、戦略 的行為 が 目的 活動 として把 握 で き る とい うこ とが 、 きわめ て明瞭 に理解 で き る。 これにたい して コ ミュニ ケー シ ョン行為 とは 、 批判可 能 な妥 当性要 求 の相互 承 認 に もとづ く行為 だ と規 定す るこ とが で きる0- -バマ ー スは 、 コ ミュニ ケー シ ョン行為 の基本 的 な特徴 をこの よ う につか み だ してい るの であ り、その こ とに よって 、 コ ミュニ ケー シ ョン行 為 は 目的活動 に は還 元 で き ない独 自の論理 構 造 を有す る とい うこ とを明 らか に しえた といえ よ う。 (なが い あ き ら 講 師 )

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頁。 (49) なお、--バマースは、『コ ミュニケー ション行為 の理論』の 「第3版への序文」において、これまで 論 じて きた命令 とい う言語行為 の分析には一つの難 点がみ られるのであ り、その点については修正 をく わえなければな らない 、との 自己批判 をおこなって

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(11)

永井彰 コミュニケーション行為理論の論理構造(中) いる (ただ し、ここでの引用 は第4版 に したが って いる.J.Habermas,Theon'edeskommlEnikatl'uen Handelns,4.Aufl.,Bd.I,Frankfurtam Main, 1987,S.4.)。 この 自己批判 は、E・ス クジェイに よ る批判か ら示唆 を受けておこなわれた ものであ り、 ス クジェイに よる批判お よびそれにたいす る-ーバ マースの回答につ いては、次の文献 を参照 されたい。

E.Skjei,"A CommentonPerformative,Subject,

andPropositioninHabermas'sTheoryofCom一 munication",Inquiry,vol.281,1985,pp.871105. J_Habermas,"ReplytoSkjei'',Inquiry,vol.2811,

1985,pp.105-113.。 これ までみて きた ように、命令 とい う言語行為 は、 その言語行為 に とって外在的なサ ンクシ ョンのポテ ンシャルに依 拠 しているのであ り、そこか ら行為整 合の力 を引 きだ している。つ ま り命令のばあい、聞 き手は、その内客が妥当であるがゆえに話 し手の発 言に したが うのでな く、その背後にあるサ ンクシ ョ ンの ゆ えに話 し手 の発 言 に したが うわけである。 こうした発言のばあい、話 し手は批判 を許容 しない 権力要求 をかか げているのであ り、批判可能 な妥当 性要求 をかか げているのではないというそのか ぎり において、命令 とい う行為 は コ ミュニケー シ ョン行 為 としては分類 されえないのであ り、あ くまで も戟 略的行為 とみ なされなければな らない (TKH,Ⅰ, S.402-404.邦訳 、(中)、37-40頁)。 それ と対比 さ れてい るのが 、規範に よって権威づ け られた要請で ある。 こうした要請 をお こな うばあい話 し手は、何 らかのサ ンクシ ョンの ポテンシャルに依拠 している わけではない。話 し手は、当の状況におけ る規範的 文脈にて らしてみずか らの要請が正 当であ ると考 え て発 言 をお こな ってい るの で あ り、 聞 き手はこの 要請が正 当であると判断す るか ぎ りにおいて、この 発言 を受け入れ ることにな る。 このばあい、 もし聞 き手に よって この発言に異議が唱え られれば、話 し 手は この要請が正 当であるとい う根拠 をしめ きなけ ればな らない。聞 き手 は、あ くまで も話 し手の発言 が妥当であ るがゆえにそれに したが うわけである。 この点に注 目す るな ら、規範によって権 威づけ られ た要請 においては、話 し手は批判可能 な妥 当性要求 をかか げてい るのであ り、それ を聞 き手が承認す る ことをつ うじて行為の整合が引 きお こされているこ とになる。 こうした基本的特徴か らす る と、規範に -141 -141 よって権威づけ られた要請 は コ ミュニケー シ ョン行 為だ とみなす ことができるのである(TKH.Ⅰ,S.404・ 406.邦訳 、(中)、40-42頁)。 この ように--バマー スは、命令 とい う言語行為 においては、批判可能 な妥当性要求 ではな く批判 を 拒絶 した権 力要求がかかげ られているのであ り、そ の点において、命令 は コ ミュニケー シ ョン行為 では な く、戦略的行為 として分類 されなければな らない とした。 こ うした分析の基本的なあ り方につ いては、 ハーバマー スは 『コ ミュニケー シ ョン行為 の理論』 の第3版の段階において も、正 当であるとみな して いる。問題 となるのは、その先である0--バマー スは こうした分析 をふ まえて、 とりたてて分析 を深 め るこ とな く、命令 を発語媒介行為 と同様 に扱い う ると想定 して きたのだが (TKH.Ⅰ,S.439.Fig.16. 邦訳 、(中)、73頁、第16図 )、「第3版への序文」に おいては、その点につ いては間違 いであった として いるのである。それに よる と、命令 とい う行為は、 一方が他方へ と影響力 を行使す るとい うモデルによ っては分析 されえないのだ とい う。 とい うの も、サ ンクションをむ きだ Lにして服従 をせ まるとい う命令 は、軽端なケースにおいてのみみ られるものだか らで ある。命令 をおこなうばあい、話 し手がその要求 をか かげるさいに依拠 している権力的な地位は、通常のケ ースにおいては、受け手によって も承認されている。 そうしてみ ると、通常のばあいには、命令において話 し手がかかげているのが批判可能な妥当性要求ではな く、批判 を拒絶 した権力要求だ として も、聞 き手は、 直接 的には、その背後にあ るサ ンクシ ョンのゆえに 話 し手の発言に したが うのではな く、さ しあた りは 命令す る人物の権力的な地位 を承認す るこ とによっ て、その発言に したが うのだ とい うこ とになる。 こ のばあいであって も、話 し手の背後にはサ ンクシ ョ ンの力 とい うものがあるのだけれ ども、そ こか ら直 接的に行為整合の力が引 きだされているわけではな いO こうした点か ら--パマースは、命令 をめ ぐる 分析 にか ん して、次の ような修正 を くわえなければ な らない とす る。す なわち、純然たる命令 と規範に よって権 威づけ られた要請 とを鮮明に境 界づけ るこ とはできないのであ り、そのあいだには連 続体が存 在 してい るとみ なさなければならない、 とい うので ある (J.Habermas,TK

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. 4.Aufl..I,S.6. ∫.Habem as.…ReplytoSkjei…,pp.111f.)

0

(12)

142 長野大学 紀要 第15巻 第1号 1993 --バマー スに よるこ うした理論修正 は、 コ ミュ ニケー シ ョン行為の基 本的特徴 をみ さだめ ようとす る本稿 の論旨を揺 るが す ものではないoただ し、命 令 とい う限定 された事 例においてではあるが 、コ ミ ュニケー シ ョン行為 と戦略的行為 とを哉然 と区別で きないケー スを-ーバマース じしんが認めた とい う - 1 42-点において、重大だ とい うべ きか もしれない。 コ ミ ュニケー シ ョン行為理論の枠 内で、権力現 象や規範 的正 当性の問題 をはた して十全に扱 い うるだろ うか とい う論点へ とつ なが って くる可能性 をは らんでい るか らである。 こうした点については、機会 をあ ら ためて検討 を深め るこ ととしたい。

参照

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