裁判批判の論理と思想(九)
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(2) 木下 英夫. 2. まず、 早稲田大学を 卒業するころまでを、 まとめてみよう。 広津は次のように 書いている。. く 私はティーン・. エージ ほど 振 返って見て興味深い 時代はない。. 何か人生のいろいろなものが 一遍に頭に入って 来て、 とまどいしたり、 格闘したり、 絶望したり、 希望したり、 暗中模索の中に、 何かに向かって 動こうとする 一実際、 仝 日 一五、 六 オの 少年を見て、. 単純と思いたがるが、 決してそんなものではなく、 自分のその年頃 を振返って見 れば、 案外人生のいろいろな 事を知り、 考え、 そして悩んでもいるし、 ス 大人に対しても 批判的な われわれは少年を. ことなど考えてもいたものであ る。 そして好いにしろ、 悪いにしろ、 今日の自分にあ るものの萌芽 は、 一九才までの 間に、 すでに大体出揃っていたということが 考えられる。 廣澤和郎全集第十二巻、 十五.私のティ 一ン エ イ ・. ジ、. ノ. ㏄年月のあ. しおと」 、. 52 頁 0 以下、 私のティーン・エージ⑫. 一 52. のように記す ) 実際に、 この大学卒業までの 部分 とのできない 要素が、 (1). いく. ( 一 ∼三十六 ). で、 広津の人物像を 描き出すために、 落とすこ. っ も出されている。 その要素ごとに 見てみよう。. ヴァ カポンド. く 私などはそう. 云う意味で「故郷の 観念」のない 人間の一つの. 典型かも知れないし、 そのことは. 自分の性格を 考えて見る上で 重要な点ではないかと 思、う 。 心の底の何処かに ヴァカ ボンドが住んで いるような気が 、 私は子供の時分からしていたものであ く 少年時代の次ぎから. る。. ノ. ( 私は牛込矢来町で. 生まれた⑫ 一 8). 次ぎへの移転は、 何処にも馴染む 暇がなく、 いつか「この 世は仮住居」と 云っ. たような放浪者の 気持ちを私の 胸にはぐくんだと 云える。. ノ. ( 鶴巻町の家⑫ 一 39). この点については、 続編でも操り 返している。 広津の自由・ 開達な、 場合によっては 怠惰な 、 た 無計画な生活態度に. ま. 関わりがあ ると言える。. (2) 窩細 な感覚、 フィープルな 神経 くこう云う昆虫類は. 卵を生む前には、 雌が雄を食べてしまうものであ るということを、 私は父に. 教えてもらったが、 雌の頑張っている 方の下に 、 雄の足の先が 、 食べ残されて 落ちているのを 見て 悪寒を感じたのを 覚えている。. ノ. ( 物心地のつく. 頃 ⑫ 一 16). 生命が奪われるということに 対して、 それがどんな 小さな生命であ っても、 理屈抜きに反応して しまうところが、 広津にはあ った。 広津の広く 、 深いヒューマニズムの 原点に関わるところであ. ろ. う (3) く. コンプレックス. 自分が「みそっかす」扱いされているという. につづいて 演埋に 立ったが何一つ 言えなかった。. 孤独と不愉快 ノを 感じていた広津は、 上首尾の兄 く 私は恥しい、. というよりも、 なんとも云われず. くそれは日頃 からの兄の優越に 対するコンプレクスが 突然爆発して、 そん. 自分が厭わしかった。. ノ. な行動に出たものであ. ろうが、 凡そ物のタイミングにはずれた 自分のぶざまさ 加減に、 自分で自分. がやりきれなかったのであ る。. ノ. ( 最初の自己嫌悪⑫ 一 24). 兄 ・俊夫との確執について、 広津はいくつかの 作品のなかで、 執拘 にふれている。 それは生活上 書かざるをえないにもかかわらず、 書くべき材料がなかったという 事情にもよるかもしれないが、. 読者にとって、. 叙述になっている。 しかし、 見方を変えて 言えば、 広津は自分の 中に 巣 食った虚無感との 闘いを繰返していた 居たことを考えると、 自己のコンプレッ クス と % ぅ ( あ るいは、 それを乗り越える ) ためにも書いたのではないか。 だが、 これはまだ論証 できていない。. あ. まり後味が良いとはいえない.
(3) 裁判批判の論理と 思想 (九 ). 3. (4) 性的感覚 く 一何としてもそういうわけの. い 程 暗くする。 ノ. 解らない 差恥心 になわれるという 事は、 子供の心を云いようのな. くもっとも、 子供たちは、 成長するにつれ、 そういう精神的な 試練を、 めいめい. 自分でひそかに 処理しながら 大人になって 行くものかも 知れないが、 併しそういうことに 差 恥を感. じないで、 物を平静に観察して 行けるような 雰囲気によって 子供を育てるようにできないものなの か 。 一 何か罪悪に近いような 暗いものに生殖の 問題が子供の 頭に植えっけられることは、 好いこと ではないと 思、う 。. ノ. ( 犬の世界⑫ 一 29). これは、 犬の交尾をほかの 子供達と見た 時の感想であ るが、 広津にとって 、 後にさんざん 苦労し 続ける一連の 出来事と関わらせて 考えてみると、 「暗さ」という 表現が何か示唆的に 思えてくる。. (5). 代表者嫌い. く‥.私はその代表者として 選ばれたということが イヤ で堪えられなかった。 何事でも代表者に なるというようなことが、 今でも私は嫌いな 質であ るが、 その時もなんとも 云われれ迷惑を 覚えた ものであ る。. ノ. ( 蝶の採集と目白⑫ 一 47). 実際、 失敗した出版事業を 除けば、 広津が代表者になったのは、 おそらく、 日本文芸家協会会長 と松川事件対策協議会会長だけであ ろう。 広津が樹 l@ 件の被告達を 救 う ために、 どれほどの熱意 を 示したか、. ここからも察することが 出来よう。 それにしても、 このような代表者嫌いは、 後にふ. れる「ディケイ」と 関連があ るとすれば、 案外根の深い 問題かもしれない。. (6) 好奇心 く 組織されない. 好奇心 一 妙な言葉であ るが、 何か一つの纏まりの つ いたものではないが、 どんな. ものにも好奇 @ が旺 盛で、 すぐ観察する 気になるのであ. る0. ノく 私のティーン・ エ イ. 広津の好奇心の 強さ、 広さは、 並大抵のものではなかったろう。 それが、 生き物. ジ ⑫ 一 54) ( 人間を含め ). であ. れ、 遊びであ れ、 陶器 類 であ れ、 様々な対象に 対して広津の 好奇心は寒いた。 広津を知る人々. は、. 「広津はまことに 魅力的であ る」という。 それは、 男気のあ る、 毅然とした 婆 や、 限りないや. さしさに接しての 感想であ ろうが、 それが同時に 堅苦しさとは 縁遠いものであ り、 しかも「子供の ような」生き 生きした好奇心を 持った、 面白い人物でもあ ったからであ ろう。 目」には、 どこか「いたずらっぽい」ところがあ. あ の広津の「聡明な. る。. (7) 心身のぎこちなさ 同級生をいきなり 撲 りつけた時、. く ‥.. カラ. リ. と気持ちが晴れて 行くと共に 、 何かしこりになっ. ていたぎこちなさが、 一遍にけし飛んで 行くような気がした。. ノ. ( 私のティーン・. エ イ ジ ⑫ 一 55). これは、 (3) コンプレックスとも 関係があ ろう。 その一部としての「自分のぎこちなさとの 闘 」という課題は、 同級生を殴りつけることで 解決できたのかもしれない 後にふれる、 「喧嘩早さ」との 関係に注意しておこう. 0. 0. 格. しかし、 ここでは寧ろ、. 広津は、 松川裁判批判においても、 辛抱強. さを示しただけではなく、 喧嘩が必ずしも 嫌いではないところを 十分に示しているのであ る。 (8) リベラリズム 麻布中学時代に 出会った、 江原素六校長先生および 村松幹事のことども。 さらに早稲田時代の 友. 人達との交流。 これらが、 時代の雰囲気とあ いまって、 広津のリベラリズムを 育んだと言うことも 出来よう。 もちろん、 広津のリベラリズムの 内実、 ることは言うまでもない。. あ. り方、 由来などについては 慎重な研究を 要す.
(4) 4. 木下 英夫. (9). 反骨精神. 25 までもたないと 医師に宣告された 時、. く 私は実はそれを. 聞いた時、 何か一寸にやりとしたいよ. うな気になったことを 覚えている。 そして、 「よし、 何とかして抵抗してやるぞ」と ものであ る。. ノ. ( 我流の病気抵抗. 自分に云った. 法 ⑫ 一 81). これは、 (8) のリベラリズムとも、 後に見る権 力・軍部批判とも 通じるところがあ る。 また、 納得のいかないことは、 どこまでも納得いかないとして 押していく広津の 精神のあ り方とも密着し ている。. (10) 虚無的なもの く. 一種の生活者、 それは非常に 消極的なもので、 人を生気づけるようなものではなく、 寧ろ人を. 廃滅の淵に誘って 行くようなものであ ったが、 しかしそのぶっつかったものをじっとこらえて. 見ま. もっているという 意味の生活者一目の 前に虚無の空洞をじっと 見つめながらそれと 対陣していると 云ったような 意味での生活者一無論人生というものの. 全面ではなく、 その一面、 而も消極的な 一面. ではあ るが、 しかし確かに 真実な面には 違いないものを 真剣に経験しつつあ る経験者一何かそう 云っ たようなものを 先生から感じさせられたのであ. る。. ノ. ( 休講掲示. 場 に出講掲示の 出る島村抱月教授. ⑫ 一 89 ∼ 90). これは早稲田大学時代の 島村抱月について 述べたものであ るが、 広津自身がこの「虚無」とは 非. 常に近いところに 居 つづけただけあ って、 他人事ではない 深い、 適切な叙述になっている。 広津の 「虚無」との. 闘いについては、 これまでも何度かふれてきたが、 広津解釈の中でも 重要なポイント. でもあ るので、 いずれまとめて 検討を加えてみたい。. (11) 金銭感覚 く ‥.一文なしであ ったが、. 金のないということで、 金を持っている 人間に対するコンプレック. ス など感じなくて 済んだのは、 父が貧乏の弁解や 繰言を云わなかったということに 起因していると. 用、う 。 父は貧乏の弁解をしなかったばかりでなく、 しろ. 自分の時代が 去ったということについての 貸借. らしいことを 私に云ったことはなかった。 多分そういうことを 口にすることが 嫌いだったので. あ ろう。 ノ. ( 電燈のコード⑫ 一. 111). 広津は個人的な 問題に限って 言えば、 金銭問題には 淡白であ ったと言えよう。 むしろ武者小路実 篤全集出版事業の 失敗の顛末. や 、 r 女給 コ. 女性問題でも 金銭トラブルはなかったよ. 主題歌問題をみると、 淡白以上であ ったかも知れない。 う であ. り、 そもそも金銭感覚がコンプレックスに. いなかったことに、 このようなあ りかたの一因があ ったといえよう。 松川事件. ( 運動 ). 侵されて. がらみで 広. 津 が提供した資金は 、 詳らかにはなっていないが、 Ⅰ中央公論Ⅰ連載原稿料をはじめとして、 相当 の額に上ったはずであ る。 以上の諸要素は、 それぞれに絡み 合って、 広津の生涯の 様々な場面に 顔を出してくる。 広津は、 人間をカテゴリ 一分けして見ていくことに 鋭い批判を加えているが、 広津自身も 、 最もカテゴライ ズ されにくい複雑な. 性格の人物であ ったと言えるかもしれない。. 次ぎに、 大学卒業後、 父の死に迫. ぅ. まで、 つまり二十代はじめから、 三十代半ば過ぎまでを 見. てみよ つ 。. (1). ヒューマニズム. く 「そ う. じゃないぞ。 よく聞け。 お前達の命が 大切だからそれを 守るのだ。 いいか。 大砲は機械.
(5) 裁判批判の論理と 思想 (九 ). 5. だ。 お前達の命はかけがえがないのだ。 解ったか。 一 演習止め ! 」私はこの解り 切ったことを、 解. り切った通りに 答えられずに、 軍曹や上等兵から 云 い 聞かせられていた 通りに答えたということが、. 中尉の前で恥しかった。 しかし解り切ったことを 解り切った通りに 答えられないでいるところに、 不意打ちを食わされたという 感じでもあ った。 一 とにかくこの 中尉も塚越大尉と 共に 、 私の頭には 好い記憶を残している。. ノ. ( 入営と入院⑫. 一 133). ここには広津がその 価値観の中心に 何を置いていたかが、 明瞭に出ている。 それと同時に、 解 「. り. 切ったこと」を「解り 切ったこと」として 素直に表現しにくい 状況があ ったこと、 そう出来なかっ. た自分の不甲斐なさ、 それを軍人から 不意打ちを食わされたことが、 述べられている。 戦争への 協 力 め 跡が殆ど残っていない 広津も、 それなりの反省をする 中から、 歴史への責任ということを 強調 するのであ るが、 この「不意打ち」という 表現の中に、 その明確な自覚へとつながっていく 要素を 見ることが出来よう。 (2) く. エ ヤ 一 ポケット. 自分の頭の中に エ ヤ 一 ポケットがあ ると今でもよく 感ずる‥・. ノ ( 入営と入院⑫. 円 34). これは広津がたびたび 言 反している点であ る。 小さい頃 からそうであ ったばかりでなく、 かなり 年配になってからも、 突然 エ ヤ 一 ポケットに落ち 込んで「うっかり」、 「間抜けた」ということがあ たよ. う であ. っ. る。 その辺が 又 、 人を寄せ付けない 厳しさを持つ 反面の 、 親しみやすさの 一因であ った. かもしれない。. (3). 「性格破産者」・. 虚無感・ 憂僅. く 誰が見ても些細なことでも、. 些細なことに 苦悶する苦悶の. 或 性格者にはそれを 処理するのに 非常な努力が 要る。 そしてその. 仕方に、 人間生活の厚みや 深みが出る。 それは人々に 見のがされ勝ち. であ るが、 仔細に考えて 見ると、 そこに人間生存の 謎の深さが隠されているのであ る。 ノ. ( 須磨 子. 抱 屑物語⑫ 一 146) 「性格破産者」と「性格破綻者」とは 異なる概念であ るとの見解があ る。 ( 坂本育 雄. 津 和郎』 ) もいる. 苦悶しながらもそれを 乗り越えて行ける 者もいれば. ( 島村抱月 ) 。. (岩野泡鳴 ) 、. 『評伝・. なかなか出来ない 者. 二葉亭の虚無感などとも 付合わせながら、 島村の「えたいの 知れない 憂佗. 視点の中に、. 廣. 」. 概念が見えてきていたのではないだろうか。 いずれにしても、 この概念は広津論の 中心に位置づけられるべきものであ ろう。. を 探っている広津の. 「性格破産者」という. (4) 女の問題 く 女のことや生活のことを. 持ちにはならなかった。. 考えると、 不安でもあ り、 憂世でもあ ったが、 しかし 月 段 悲観的な気. 未知の「生活」に. Ⅰ. 上向かって行くということには、 何はともあ れ、 一種の勇. 気が湧くものであ る。 私は自分の肩に 少しぐらい負担があ る方が寧ろ動ける 質で、 とにかくそれを. 背負って行けるところまで 行かなければならないという 気になるのであ る。 それに女の間 題 という. ものは、 良いにつけ悪いにつけ、 今まで考えなかったことを 考えさせる。 今まで感じていたように、 人間の生活を 単純に見ているわけには 行かないということを 考えさせる。 つまり急激に 自分が大人 になって行くことを 感じさせられるのであ る。 ノ. ( 宇野の家にころがり. 込む⑫. 円 60 ∼ 1). くとにかくこれは 自分の責任ではあ るが、 しかし時によると、 何か人生に仕掛けられた ヮナ にむ ざむざと引っかかったという 気がして、 こんな ヮナ が仕掛けられてあ るということが 腹 立たしく、 忌々しくなって 来ることもあ った。 慾 望の落し穴、 ふとした盲目的な 暗い 慾 望の蔭に、 こんな落し 穴が隠されていたのか。 その落し穴にまんまと 落ちこんだのだ、 自分も彼女も。‥.だが、 そんな.
(6) 木下 英夫. 6. 夙 にいくら考えて 見ても、 事実は最早抹殺しようはなかったし、 その事実に対する 實 任は回避のし ようがなかった。 ノ. ( ねんねこ. 半紅 ⑫ 一 182). (5) 性的感覚 く 一私は泥沼のような. 不幸感ばかりが 心に来て、 いらいらし、 落着かなくなり、 朝から晩まで 焦. 燥に 駆られ通しであ った。 殊にいけないのは、 性的潔癖症が 鈍磨して行くことであ った。 鈍磨とい うのか 錯倒 というのか。 家庭に帰るよりは、 媚を売る女を 探し出して、 そこで一夜を 過ごす方が 、 どんなに at home か 解らないような 気持ちになって 行き、 だんだん不道徳にさえなって 行った。 ノ ( 「怒れるトルストイ」を. (4). と. 書く⑫ 一 200). (5) をまとめて見ておこう。 広津の小説の 中に出てくる 女性には、 力強ささえ感じさ. せる、 頼もしい人物が 多い。 将来を託しているようなところさえあ る。 一方、 広津の実生活におけ る 女性問題には、. もあ. どちらかといえば、 ネガテイヴな 要素が多く見られる。 時代的な環境という 問題. ったであ ろうが、 ここまで見てきたような 広津自身のさまざまな 性格的要素が 絡んでいるに 違. いない。 このあ たりを、 じっくり検討して 行ければ、 広津をト一 タル に把握する視点が 出てくるか. もしれない。. (6). 無為. くだが、 三十 オ 前後の私は 、 物に対する興味は 全然なく、 そういう下宿の 一室で、 「無為」に身 をまかしてじっとしているのが 好みであ った。 ノ この「無為」をどう. ( 本郷・八重山館時代⑫ 一 224). 解釈するか、 「怠惰」、 「空虚感」、 「虚無感」、 「ニヒリズム」、 無 」、 空 」な 「. どとの関連はどうか。 広津の独特の 言い回し. (. レトリック. ). 「. をふまえて明らかにして 行かなければ. ならないであ ろう。. (7) 喧嘩早 い ・短気 くたしかに私は 血気にはやっていたし、 戦闘的でもあ った。 それには彼女の 問題もあ った。 私は 彼女との問題を. 後悔していたが、. しかし現実は 後悔ばかりでは 始末がつかなかった。 私は自分を責. めていたし、 時によるとすっかり 頭を垂れて、 自分は醜い、 なっていない 人間だと、 自分で自分を 捨ててしまいたくなるような 自棄的な気持ちにもなったが、 頭を垂れたところで、 それで物事は 解. 決しないとなれば、 頭を垂れてばかりはいられない。 それに頭を上げて 闘って行かなければ、 その 時背負っていたいろいろの 生活の負担を 切りぬけては 行けない。 何としてもこの 人生では負けては. いられない。 そこで意識的にも 肩 肱を張って、 気負っていなければならない。 一 当時の私は喧嘩早 くもあ った。 く 「俺が腹. ノ. ( 文芸時評の筆を. 執る⑫ 一 178 ∼ 9). を立てようと 思、 っていたら、 広津が短気だから、 俺 より先に腹 を立ててしまった。 女. 去 ってことは前から 解っていた。 看護婦なら ッメ襟. だが、 今のは仕事著からメ , リンスの半襟が 出て ママ. いたじゃないか」と 云った。 私が気がつかなかったメリンスの 半襟まで宇野は 気がついていたので あ. る。 こうなると、 どっちが正気で、 どっちが狂気か 解らなかった。. ノ. ( 正気と狂気の. 差は壁一重. ⑫ 一 283). この点については、 前に触れた。 ここでは、 精神に異状を 来していた宇野浩二が、 広津は短気だ と 言ったところが. 興味深い。 これは的を射ている。. (8) 父のこと く 若し私が一人で. 何の負担もなければ、 私はそうしていっまでも「無為」の. 知れない。 そういう時、 「こうしてはいられない」と. 中に耽溺していたかも. 起き上がって 、 働かせ始めるのは、 父の顔が.
(7) 裁判批判の論理と 思想 ( 九 ). 7. 眼の前に浮かんでくる 時であ った。 ノく 生きていることが 面倒臭くなって 来る時も 、 父が生きてい る間は死ねないと 考えていた。. ノ. くその時文と 一緒なら死んでも 好いと子供心に 思って 、 父に獅噛. みついたことを 覚えているが、 こんな気持ちが、 私の心には成長した 後もいつも何処かにあ った。. ノ. ( 本郷・八重山館時代⑫ 一 225) く 私は私の子供の. 時分から恐れていた 瞬間が近づきつつあ るのを、 今はっきり覚悟しなければな. らなかった。 この瞬間を想像すると、 私は長い間どんなに 摺 えたことであ ろう。. ノ. くしかし子供の. 時から恐れていたその 瞬間がいよいよ 近づいてきた 今、 私は自分の心を 見つめて見ると、 いつかそ の瞬間に対する 用意を少しずつでもしていたものか、. 思ったよりもおちついていられるのが 不思議. であ った。 意識するしないにかかわらず、 こういう心構えというものは 時が来ると自然に 出来てい るものなのであ ろうか。 ノ. ここでは、 何も言. う. ( ⑫ 一 288). ことがない。 和郎を知るには、 柳 浪を知らねばならないというのは、 全くそ. のとおりであ るが、 広津論を書こ. う. としている身には 厳しい課題であ る。. (9) 日本人批判 くあ. の震災に関聯して、 今思い出しても 日本人として 堪らない気持ちのするのは、 各地に起った. 例の鮮 大 騒ぎであ る。 日頃 から 鮮 人ないじめていたというところから 来た、 復 岳を受けやしないか という強迫観念か 、 或は国内の革命でも 恐れるために、 わざと国民の 気持ちを、 彼等に向けさせる. ために、 何ものかがあ んな策動をしたものなのか、 とにかく 鮮 人にたいして、 たことは、 これは何とも 弁解のしようのない 野蛮至極のものであ った。 間 には、 野蛮人の血が 流れているのではないかという 気がする。. あ の時日本人の. あ あ 云う場合、. 行っ. この国の人. ノ ( 葛西善蔵 の「 套く者 」⑫ 一 240). この点については、 Ⅰ銃口の中でまとめてコメントすることにしよう。. ただし、 関東大震災にお. いても、 W5年戦争」においても、 広津の目はしっかりと、 一貫して日本人の 根本的問題を 見据え 「. ていた事に、 注意を喚起しておこう。 Ⅱ. 丁続年月のめしおと』. (539.5 ∼ 542.3 Ⅰ群像Ⅰに連載、 のち 542.6 、 講談社から単行本として. 出版 ). (538.9.12) を間にはさんで、 前作から約 1 年後に、 連載が再 開された。 主として、 昭和初期から、 昭和 20年の終戦 ( 敗戦 ) までを書いている。 この作品は、 松川裁判の無罪確定. 以下、 注目すべき発言を、 一旦 m8 項目に整理した 上で、 A. CD). C9) ∼ (10) 、 D. (11) ∼ (15) 、 E. (16) ∼ (18) の. 5. ∼. C6) 、 B. (7). ∼. (8) 、 C,. つのかたまりにして、 若干のコメントを. つけておこう。. A. (1) バガボンド くヴァカ ボンド ) く 何か定職というものに. わけであ る。. 就く気になれないバガボンドの 気持ちは、 私の前にすでに 柳浪 にあ った. ( 柳浪が 作家となるまで⑫ 一. ノ. 293). (2) ディケイ く 私の父の兄弟の. 時から祖先とは 違った 、 何か急激に崩れて 来たもののあ ることが感ぜられる。ノ. く 一種のディケイというか。. くというか。 (. 上. ). も. ノ. 何かまともなものに 背を向けて、 出世街道と背馳した 方へ歩いてい. ( 「 血 」の頽廃 か ⑫ 一 298). (2) も、 これらの叙述は 肯定できるとしても、 広津の気質のどこまでを 、 父や家系の.
(8) 木下 英夫. 8. 影岳 として捉えて 良 い のか、 なお検討が必要であ ろう。. (3). 虚無的. くしかしそれは 四十歳を越えて、 何か穴の中に 首を突っ込んだような 気持ちになって 行く自分に、 ママ. 「これではいけない」と 鞭っているだけのことであ 自分を持て余していたのが 実状であ った。 ノ. く. って 、 寧ろ若い頃 よりも一層虚無的になって 行. ( 「文学界」と. 私 ⑫ 一 345). この問題は繰り 返し繰り返し 現われ、 広津を悩ませた。 幾度となく脱出しては、 また落ち込んで. しまう。 始末の悪い問題であ った。 広津が最終的に 解決できたのかどうかは、 今のところ何とも 言 えない。. (4) フィープル は 神経、 心臓 く 私は肩肱を張っていたように. 記憶するが、 心技が波立ってくるために、 われながら余裕とい. うものが持てなかったのであ る。 ノく 私はそういう 神経で一というよりも 心臓で、 相沢中佐の永田 鉄山の暗殺 や、 ニ ・二六の青年将校の 暴動によって、 だんだん息詰って 行くようなその 頃 の世相を 感じていた。. ノ. ( 二・二六の頃. ⑫ 一 356). ここには「心臓の 問題」からの 抜 枠が添えられており、 臨場感溢れる 叙述になっている。. (5). 無頓着. く私は神経質なのか、 その反対なのか 自分でも解らなくなることがよくあ るが、 併し子供の時分 から実に沢山の 病気をしたのに、 忘れている間にいつかみんな 煎 ってしまったことを 考えると、 他 のことは兎も 角、 病気に対しては、 私は甚だ神経質でないようであ る。. ノ. ( 狭心症⑫ 一 352). (6) 性的感覚 く ‥・実際こうなると、. 愛慾なんていうものは、 全く地獄そのものであ った。 もっとも時々地獄. のお灸でもすえられなければ、 魚釣りにさえあ んなに夢中になるのであ るから、 人間は愛慾漁りに 夢中になって、 始末がつかなくなるかも 知れないが‥.. (1). から. ノ. ( 白河への逃避行⑫ 一 417). (6) までは、 ここまでに、 それなりに触れてきたの. 時期によって 変化している 点も. あ. り、 変化していない 点もあ る。 それが表現の 問題なのか、 本質的な問題なのかは 吟味を要するで. あ. ろう。 B. (7) 道徳観 く 道徳の力も弱いものであ. るが、 しかし弱くともそれの 若 千の牽引力が 作用して、 現在のていど. にでも、 社会がおさまっているのであ ろう。 ノ く 壮年期には活力があ. ( ボス. 猿 、 離れ猿⑫. 一 369 ∼ 70). り「不道徳」の 可能性が余りにあ り過ぎるから、 「道徳」の制御が 必要あ. っ. たが、 やがて老年期‥ , ‥になって来ると、 道徳は問題でなくなり、 単に生理ばかり、 生命ばかり が問題になってくる。 ノ. ( 同上⑫. 一 370). く併 し如何なる告白でも 礒梅 でも、 何らかの弁解 心 が底にひそんでいないものはあ るまい。 少な くとも告白することにより、 礒悔 することにより、 何処かに自分の 取りどころを 見つけようという ような気持ちがなければ、 人は告白や礒 悔 はしないかも 知れない。 ノ. ( 同上⑫. 一 370). これは (6) とも関わる点であ るが、 広津において、 道徳・倫理・モラル・ 良心といったものは、 極めて限定的・ 相対的に評価されているに 過ぎない。 しばし ば 、 それらの無力や 偽目性が指摘され.
(9) 裁判批判の論理と 思想 ( 九 ). 9. るほどであ る。 しかし、 そうかといって、 それらの価値を 一切否定しているわけでもない。 そこに 広津のバランス 感覚が見てとれよう。 ただし、 そのことと、 広津が「道徳的」、 「倫理的」、 「モラル 的 」、 「良心的」人物であ. ったかどうかは、 別問題であ る。. あ る意味では、 広津はきわめて「倫理的」. であ ったとも言える。 このことは同時に、 これらの観念をどうとらえるべきか、 という問題を 提起 されているとも 言える。. (8) 理詰め倫理観はやりきれない く 書きたいものを. 音書いてしまったと 静かにいい切れる 作家を 、 目の前に見たということは、 私. には驚異であ った。 それは生活に 予定を立てられず、 ス 立てようともしないで 生きているような 私. には、 驚異ばかりでなく、 一つの圧迫でさえあ った。 ノく併 し島崎さんのこういう 態度に感動し 始 めたら、 どこまで行ってもキリがないように 感動しなければならない、 ということが、 ス やりきれ. ない点でもあ る。 それは振りかざされた 錦の御旗のような、 倫理的に抵抗すべからざるものをもっ て圧迫して来るから、 どこかで身を 辣さなければならない、 そうでないと、 私などは窒息してしま う。. その計算された 理詰め倫理感に 感嘆しながら、 やっぱり何かやりきれないという 気もして来る. のであ る。. ノ. ( 「夜明け双」の. 出版記俳会⑫ 一 342). この立派な倫理感に 感嘆しながらも、 「やっぱり何かやりきれない」というところに、. 広津らし. さが現れていると 思うの「きゅうくつな」、 「かたくるしい」態度こそ、 広津が最も苦手としたもの であ ったろ. う. 。 広津の「リベラル」はこうした 感覚的・生理的な 面からの理解も 必要であ ろう。. C. (9) 人生観 く 私は生きて行く. 意味が解らなくなることがよくあ. る。 子供の時からあ り、 青年時代にもあ り、. そして物を書き 出して二十年も 経った四十路の 半ばを越えたその 頃 でも、 ひとかど物の 解ったよう なかおをしてはいるものの、 実は何も解らないのだと 思、うことがあ る。 ノく 併し自分では 生きて行. く意味が解らなくとも、 自分が責任を 背負っていると 思、うと、 それをかついでのこのこ 歩いて行く。 つまり生きて 行く。 背負っているものがなければ、 唯 何もしないで 動かずにいようと 思、 うのに、 背 負っているものがあ ると 思、 ぅと 、 動かずに寝ている め げに行かず、 起き上がってそれをかついで 動 き. 出す。 たしかにそうやって 行くことは、 ス 魅力のないことではない。 生きて行く意味があ るかど. うかは解らないが、 併し責任を背負って 歩くということには、 生 甲斐に似たものを 感ずる。. ノ. (賢. 樹 病む⑫ 一 404 ∼ 5) く 私はひどく世の. 中がつまらなくなって 来た。 子供が病気にならない 前には、 こんなに自分が 子. 供 のことを考えていたということには. 気がつかなっかったが、 併し病気にかかり、 而も片腎臓を 失っ. て見ると、 ふびんでふびんでならなくなってきた。 一子供に何か 未来への希望を 託すということは、 人間として月並みの 喜びであ. ろうが、 併しその月並みなところが、 人間にはやはり 一つの真実なの. ではないか。 ノ ( 同上⑫ 一 406). (10) 家族への思い く私は前にも 述べた通り、 はきと子供達との. 間について、 何の干渉もしなかったし、 なりゆきに. まかせて置けば、 自然に人間的に 親しみを持ち 合って行くようになるだろうと 用、っていたが、 少な くとも、 貴樹とはまとの 間はこうしてどうやら 私の予想通りになりつつあ ったのであ る。. ノ. ( 外部.
(10) 10. 木下. 英夫. の憂佗と 内部の憂 佗 ⑫ 一 369) く 幾つか並んだ. 先祖の墓に向かって、 その子供の奉々として 佗 びしく振るわずに 滅びて行くこと. の 済まなさ 一 ほんとうに平生なら 一笑に附してしまいそうなそんな. うしようもなかった。. ノ. ( やはり結論は. 来た⑫ 一 430). 広津の「人生観」は「家族への 思い」と切っても. 生活へと動かしたのは、 父であ り、 妻. を、. 感慨につかまってしまって 、 ど. 切れない。 たびたび無為や 虚無に陥った 広津. ( および関係のあ. った女性 達 ) であ り、 子供たちであ っ. 4O. ナ・. D.. (11) 散文精神 思い付きのように「人民文庫」の 散文精神をく 私流に解釈して 述べた. ノ. が、 臨席の筈 官 がいたた. めに、 くそこでこれだけいうのにも、 言葉を出来得る 限り娩出にし、 不穏な感じをおもてに ないように極力注意しなければならなかった。. ノ. ( 「人民文庫」と. 現さ. 散文精神⑫ 一 361). (12)観察 カ く 恐らく最初の. 会合で、 松木局長の挨拶に 対して間髪を 入れずに放った 徳田さんの一言が、. 文芸統制の意企を 断俳させたものであ ろうと私は観察している。. ノ. ( 間 髪を入れない. その. 徳田秋声の 一. 言 ⑫ 一 332) くこの明治以来の. 自然主義の二大家は、 かんじんかなめの 急所に来ると、 適切に釘を打ちこむこ. とを忘れない。 そして徳田さんの 発言が、 相手の言葉に 即応した直観的な 発言だとすれば、 島崎さ. んのは、 一週間ぐらいじっくり 考えた末の、 用意周到の発言であ ろう。 ぞれの特色があ るが、 急所を見のがさない 点では一致している。. ノ. そこに 両 作家らしい、 それ. ( 文学賞と機関誌⑫. 一 333). (13)視野の広さ 若い大学生に、 アメリカ、 ドイツ、 ソ ヴェッ の研究をやらせたらよい。 ノ くこのように 日本 は外国の研究が 足りないのに、 事を構える癖があ る。 ノく 私は私並みにこの 事態を憂慮する 憂国の く. ト. ( 斎藤 倒. との対談⑫ 一 363). (14) 広津のレトリック く. 「私は今ここで 諸君の前で演壇に 立ったことを 後悔しているのです。 私が諸君に愛国心の 高揚. を説くなどということが、 どんなに借越なことであ るか。 諸君は私などが 説くまでもなく、 みな 愛. 回心に燃えている。 併しその持って 行きどころがないのであ ります。 私もその通りで、 愛国 @ を持っ ているけれども、 その持って行きどころがない。 そこでニヒリスティックになって 来ている。 私も ニヒリスティックになり、 諸君もニヒリスティックになっている。 国民が今のようにニヒリスティッ クになっていることはないと 思、うし、 米内総理大臣まで、 恐らくニヒリズムにとりつかれていると 用、 います。 そこで私がここでいいたいことは、 このニヒリズムが 何処から来ているかということを、 諸君に考えて 頂きたいことであ ります。 国民全体がこのことを 考えて見ることであ ります。 一 それ 以上のことは、 私には何もいうことがあ りません。 一 私は今日の講演が 済むと、 東コヒ地方へ出かけ. る予定になっていましたけれども、 併し今はその 気はなくなりました。 ⑫ 一 366). 」. ノ. ( 愛国心とニヒリズム. 。Ⅰ・. ノ. @. 気持ちがあ ったわけであ る。.
(11) 裁判批判の論理と 思想 ( 九 ). 11. (15) 無産者運動・ 共産党認識 くど. う. したわけか、 私はその資金網の 親玉がスパイであ るということをその 頃 から聞いていた。. そこで私は真杉さんのスパイ 説をとなえる 人達に向かって、 真 杉さんのために 大いに弁解したもの であ った。 ノ. ( 台湾へ⑫ 一 444). く 徳永君や青野君は. ノく 私などほど安全な 立場にいなかった. ノ. のでくその危険を 始終感じてい. たものと、 感じていなかったものとでは、 毎日を生きる 気持に差が生じて 行ったのは当然であ ろう。. ノ. ( 青野季吉⑫ 一 523) く 私はそれはやりきれないことであ. ろうと思ったが、 中野君ならどんな 目に会っても、 それを 観. 察の対象として、 じっと「 見 」 て 来るだろうと 思、った 0. ノ. ( 中野重治⑫ 一 524 ∼. 5). このかたまりを 一言で言えば、 「広津の聡明」となろう。 個々に触れるべき 点はたくさんあ るが、 ここでは、 散文精神について、 少しだけ述べておこう。 最近では、 広津といえば 散文精神、 散文 精 神といえば広津ということになって. 来ているようだが、 私はそれに違和感を 覚える。 たしかに、 講. 演 記録も新聞掲載 文も 、 その緊迫し、 充実し、 かっ冷静で、 目配りの行き 届いた最高の 表現であ. る. ことは、 疑いえない。 そして、 当時のく日本の 状態に当面して、 如何に身を処して 行くか、 その心 の置きどころとして 今考える。. ノ. という言葉を、 他人に向かって 言うのみでなく、 まさに自ら実践. した事によっても、 不滅の文章となっている。 しかし、 広津自身は、 これほどこの「散文精神」が 特上げられ、 広津を一言で 表現できるもののように 扱われることを、 どう 思、 うであ ろうか。 またそ. れは適切なのであ ろうか。 松川裁判批判との 関連で、 散文精神が取上げられることも 多いが、 私は、 より精密な検討が 必要ではないかと 考えている。 E. (16) 権 力・軍部批判 くこうして若い 青年達の気力を 骨抜きにして あ. った。. ノ. 行くのか、 と私は歯噛みする 思いで見送ったもので. くこれは気力を 骨抜きにするばかりでなく、 知識も骨抜きにし、 将来の国民を 総白痴に. 仕立て上げようということではないのか。 く 女と見たら、 う 警察のやり方の. ノ. ( 人権. はチリアクタの 如し⑫ 一 358). 売笑婦と思え、 というわけで、 訊問も抑留も 自由自在。 一 私はボーイからそうい. 例をいくつか 聞いた。 人権 無視とも、 野蛮とも、 今の人には一寸考えられないほ. ど、 国民に対する 警察官は当時横暴だったのであ. る。 ノく 軍部の圧迫、 内務官僚のわが 物顔ののさ. ばり、 警察官の人権 無視、 それらのものが 協力して、 国民を無抵抗に 骨抜きにし、 無理に、 強圧的 に、 戦争の方へ引っぱって 行きつつあ ったのであ る。 く 単に低劣な民衆を. ノ. ( 同上⑫ 一 359). 送ったばかりではない。 人を殺した人間が 出世する裏 街道を満州に 作って行っ. た、 明治、 大正、 昭和の日本政治は 実に言語道断だといっていい。. ノ. ( 折角のチャンスを. 失った. 日. 本 ⑫ 一 475) 改造 社 、 中央公論社の 解散に接して、. く. 日本の知識の 最後の息の根を 止めんとして、 終にここ. まで来た政治は、 いずれ、 歴史に批判さるべし。. ノ. (. 日記から⑫ 一 535). く ‥.「重要施設損害軽微」といいながら、 後になって知ると、. その度に日本の 都市という都市. が 片っ端から焼かれて 消滅しつつあ ったのであ る。 何万という国民が 家を焼かれ、 劫火の下を逃げ まわり、. あ. まっさえ 命 までも失うような 阿鼻叫喚の灼熱地獄を 現出しているのに、. 「. 我方 重要施設.
(12) 12. 木下 英夫. 損害軽微」とは。 一国民の生活が 破壊しつつあ るのに何が重要施設ぞや。. ノ. くその当時は 馴れっこ. になってしまったのか、 私達自身一種の 不感症に陥っていたともいえるが、 今から考えると、 実に 恐ろしいことであ る。 く 私は戦後、. ( 空爆の始まった. ノ. 頃 ⑫ 一 539). 特攻隊として 消えて行った 人達の手紙や 手記を集めたものを 読んだことがあ り、 ス. 特攻隊にいて 生き残った人が 、 死んで行った 多くの戦友達を 思、 ぅと 、 自分が生き残ったということ. が彼等に対して 申訳 けない気がして、 日夜心を痛めているということを 書いた文章を 読んだことが あ る。 それらに含まれている 絶体絶命の真実に @ら る ゆさぶられたが、 それだけに 、 特攻隊というも. のを作り、 彼等を犠牲にして、 職業軍人が生き 残ろうとした 事実に 、 憤りを感じないではいられれ いのであ る。 而もそういう 犠牲によって 戦局を転回する 望みでもあ ればまだしも、 そういうことを やっても無駄だということが 解っている絶望的状態になっても、 捨てさせたのであ るから。 く 天皇の静かな、. の 概計算な戦争この. ノ. ( 人を兎でも狩り. 向 かつ若い人の 命を弊履のように. 立てるように 追いまわす P51 ⑫ 一 558). 併し感慨のこもった 声が聞えて来た。 ノく 天皇を カサ に著て国民を 威圧し、. こ. 国をかりたてた 軍が、 最初から戦争に 反対された天皇を、 最後のどたん 場に ス. 利用しようというのであ る。 天皇機関説を 排生した 軍 こそが、 最も悪い意味での 機 H 説の実行者で はないか。. ノ. ( 八月十五日⑫ 一 565). 広津の一貫した. 批判精神は、 権 力・軍部にたいして 最も鋭く、 最も執 抑に 働く。 その非人間性、. 欺哺性 、 野蛮性、 無謀 さ 、 破廉恥ぶりを 徹底的に暴き 出している。 当時の「日記」にも 同様の記述 が 見られ、 その批判的精神は、 戦前の作品のなかにも、 しばしば顔を 現す。 「日本文学報国会」. な. どの件でも、 当局が広津をマークしていた 所以であ る。. (17) 日本人批判 く 政府に保証されずに. を 弾圧してくれと. 自力で生きて 来た彼等の生き 方に 、 暮らしにくいとなると、 政府に柏手方. 訴えるような 日本人では、 一対一で太刀打ちができないのではないか。‥.. ノ. ( 台湾ところどころ⑫ 一 453) く 一軍国主義は. 軍部ばかりでなく、 こうした日本人の 出稼ぎ人たちの 要望が生んだものでもあ っ. たのではないか。 Ⅰ く 私は日本民族に. ( 平壌 一 金史 良 のことども⑫ 一 463). 優秀なものがあ ることを知っているが、 併しこうした 場合のわけの 解らない空. 威張りを見ると、 何かよほど下等な 民族の血が日本人の 血管には流れているのではないかという がして 憂 毎になる。. ノ. 気. ( 満州の日本人⑫ 一 469). く一 やっぱり占領者の 被占領者に対する 軽蔑感からではないか。 十銭でもいくらでも、 浦人の車 夫なんか生きて 行けるんだ、 という人間というものに 対するたかくくりからか。 く 旅の恥は掻き. 捨てという諺があ. るが、 満州では、 内地にいるよりも、. ノ. ( 同上⑫. 一 470). 「旅の恥は掻き 捨て」 て. いいというような 気持ちが、 日本人の多くにあ るのではないか。 何か荒々しくて、 げすばっていて、. 露骨で、 傲慢で、 他国人はどんなに 軽蔑してもいいと 用、っているかのように 見える。 人が、 町が、 新京全体がそんな 空気を吐き出しているような 気がする。 く. 日本人は他国人の 頭をいつまでも. ノ. ( 同上⑫. 一 470). 低くして置いて、 支配し易いようにしたいという. イズムを持っているのか ,‥、 人間の尊貴を 考える高遠な 精神が欠如しているよ. ケチ なエゴ. う に思われる。. ヒュー. マニティーというと、 軽蔑したような 顔をしたがる 人間がいるが、 これなくしては 他国人の心をと.
(13) 13. 裁判批判の論理と 思想 (九 ). み えられるものではない。 ノ く 表面カラ威張りが. ( 折角のチャンスを. 出来ればそれで 得意になっているだけで、 実質的にはこの 雑草のような 中国. 民族に太刀打ちできないのではないのか。 く 帝国軍人、. 失った日本⑫ 一 474). ノ. ( 開拓 村 に密著する活人部落⑫ 一 477). 天皇直属 一 という考えが、 わけの解らない 思い上がりを、 彼等に与えて、 国民を虫. けらのように 軽蔑させていたらしい。 とにかくそういう 場合にこの国の 人間がむき出しにする 心の キメ のざらざらした 粗さは、 何ともいいようがない。. ノ. ( 頭にかぶさる. 暗雲⑫ 一 486) く 併しこの. 国 にはどんな愚かなことでも、 「精神力」とか「やまと 魂 」とかでやれないことはにといい 間があ とをたたない。 ノ. ( 同上⑫. く 人間の命を何故無意味に. 一 488). 軽く扱うにや。 しこの御店となるはよし。 併し無駄死にさせるは 無意. 味にしてかっ 罪悪なり。 かかる無意味な 観念 るにや。. ノ. 出す人. ( 死を軽視する. 観念 ) よりいっわが 日本人は解放され. ( 日記から⑫ 一 534). 広津の批判的精神の 真骨頂が、 この「日本人批判」に 現われている。 権 力・軍部批判が、 このい わば日本人の 自己批判としっかり 結びついていることが 肝心であ る。 戦後の日本において、 この 視 どこまで徹底したか。 21世紀に入った 今日も尚、. 点からの深刻な 反省がどこまでおこなわれたか。. この課題は課題のまま 残っている。 その問題性は、 今後ますます 重要性を増すであ ろう。. (18) 戦争 観 く 私は戦争は嫌いだし、. 避けなければならないと 思っているが、 しかし日露戦争は、 振返って 見. て 、 あ れだけはやらなければならなかったかも ( 折角のチャンスを. 失った日本⑫ 一 472). く 真珠湾攻撃は、. 知れないと、 それを是認する 気になっている。 ノ. 低劣な民衆. 柏手にとってばかりでなく、 全く国民にとっても 不意打ちであ った。 それを最. 初に知った時の 複雑な気持ちは、 今はその通りは 思い出せないが、 これは一体どういうことになる のか、 こんなことになっていいのかという 混乱の気持ちが 最も強かった。 く 銃後の食物、. ノ. ( 真珠湾攻撃⑫. 一 492). 児童たちの事など 訊ねる 声 、 真実に溢るるものあ り。 聞いていておのずから 頬に. 涙の伝わるを 覚ゆ。 一体 涙 程なり。. ノ. もろ き 質なれども、. 近頃 尚涙 もろくなりし 事 われながら恥ずかしくなる. ( 日記から⑫ 一 535). くその火の粉のように 見える一つ一つが、 家を焼き、 人を死なせ 、 傷つけつつあ ったわけであ. る. が、 少しの距離を 隔てていると、 何かとてつもなく 壮大な見もののように 見えるのであ る。 ノ くこ. の驚くべき犠牲と 代償とを払った 見ものを、 とことんまで 見てやれ、 いわばそういったような 気持 ちにかりたてられていたのであ. る。 ノ ( ⑫ 一 555). く 併しその B29 も時々キリ モミ 状になって落ち. てくる事があ る。 そういう時私たちは 思わず快哉を 叫んだものであ った。. ノ. ( 五月二十五日の. 空襲. ⑫ 一 556) く 人間が作った. 最凶 最悪なものを、 とうとうアメリカ 人は日本人の 上に投下したのであ る。 まさ. かやるまいと 思、 っていたことをアメリカはやったのであ. る。 ノく アメリカ人のおこなったこの 残虐. さはどう考えても 解釈がつかない。 ノく ‥.永遠に私たちの肝に銘じて忘れることのできないもの となった。 ノ. ( 八月十五日⑫. 一 564). くとにかく長い、 苦しい戦争がこれで 終ったのであ る。 いろいろなことが 一時に時に迫って 来て 、. 私は止 度 なく涙が流れて 来た。. ノ. ( 同上⑫ 一 565).
(14) Ⅰ. 4. 木下 英夫. ここには、 明治生まれの 広津の様々な 意識の在り方が、 垣間見られる。 それを、 高みから批判す. ることも出来ようが、 それはあ まり意味を持たないであ ろう。 私は、 広津の、. 「ふ つぅ. 」の人間と. しての、 自然な感情表現に 親しみを覚える 者であ る。. 以上で、 広津和郎Ⅰ年月のめしおと ム正 ・続についての. 検討「メモ」を. 終わる。 今回も、 材料の整. 理と、 課題の提示程度で 終わってしまった。 次回も随筆 類 および翻訳についてのメモを 中心とせざ るをえない。 本格的な検討は 次々 回 以降となる。.
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