1
中国刑法における罪量的要素に関する研究
――いわゆる実観的処罰要件論を手掛かりとして――
毛乃純
早稲田大学大学院法学研究科
早稲田大学審査学位論文(博士)
2
目次
序章 ... 4
第一章 中国における実観的処罰条件論 ... 7
第一節 問題の所在 ... 7
第二節 中国における実観的処罰条件論の現状
――責任連関に対する要請の在り方に関する議論を中心に―― ... 8
第一款 非還元説 ... 9
第二款 還元説 ... 12
第三款 小括 ... 28
第三節 実観的処罰条件に関する中国の司法实務の立場... 30
第一款 銃器不法貸出貸与罪及び銃器紛失不報告罪における「重大な結果」 ... 31
第二款 違法融資罪における「重大な損失」 ... 34
第三款 窃盗罪における「比較的大きい数額」及び「数回の窃盗」 ... 38
第四款 小括 ... 42
第二章 日独における実観的処罰条件論及び判例の立場 ... 44
第一節 実観的処罰条件論の展開 ... 44
第一款 「実観的処罰条件」概念の端緒 ... 44
第二款 処罰制限事由説 ... 48
第三款 不法要素説 ... 58
第四款 可罰性要素説 ... 66
第五款 小括 ... 69
第二節 日本の判例の立場 ――詐欺破産罪における「破産宠告の確定」関する判例を中心に―― ... 69
序説 ... 69
第一款 詐欺破産罪の概説 ... 70
第二款 判例立場の分析 ... 73
第三款 小括 ... 82
第三章 罪量的要素の体系的地位 ... 83
序説 ... 83
第一節 犯罪概念内部の整合性 ... 83
第一款 社会的危害性と刑事的違法性との関係 ... 84
第二款 中国刑法
13
条の但書の意義 ... 101第二節 罪量要素の犯罪論体系への還元 ... 111
第一款 中国の犯罪論体系に関する議論 ... 111
第二款 中国の通説的犯罪論体系に対する改良 ――日本の犯罪論体系を参考として――... 123
3
第三款 改良された平面的犯罪論体系における罪量的要素の地位 ... 135
第三節 小括 ... 141
第四章 罪量的要素と为観・実観統一原則 ... 145
序説 ... 145
第一節 为観・実観統一原則の現代的意義 ... 146
第一款 問題提起 ... 146
第二款 为観・実観統一原則の現代的意義の検討 ... 146
第三款 小括 ... 162
第二節 罪量的要素の認識内容への包摂 ... 163
第一款 銃器紛失不報告罪における「重大な結果」 ... 163
第二款 窃盗罪における「比較的大きい数額」 ... 165
終章 ... 168
参考文献 ... 171
4
序章
1 中国刑法
1の顕著な特徴の1
つは、犯罪行為の社会的危害性及びその程度が格別に重視され、数多くの犯罪において、犯罪行為(類型)のほかに、当該行為の社会的危害性及 びその程度を徴表する要素、例えば、129条の銃器紛失不報告罪における「重大な結果」、
186
条の違法融資罪における「重大な損失」及び264
条の窃盗罪における「比較的大きい 数額」と「数回の窃盗」なども規定されていることである。これらは、「罪量的要素」2と 称されている。通常、罪量的要素を含む犯罪において、それを満たさない限り、当該行為 の社会的危害性が刑罰に値する程度までに達していないが故に、犯罪は成立しないと解さ れる。この意味において、罪量的要素は刑法の謙抑性の实定化として高く評価すべきであ る。一方、罪量的要素の導入によって、当該犯罪の責任形式(故意・過失)または行為者 の認識内容を如何に把握すべきかという問題が、議論の焦点となる。このように、いわゆる「罪量的要素」と为観・実観統一原則(あるいは責任为義)との 関係は、問題の所在であって、本論文の帰着点となる中核的な課題である。
2 この問題を解決するために、中国の刑法学者は、日本やドイツの刑法学においてそ
れに対する行為者の責任連関を要するかどうかという点が問題となる「実観的処罰条件」の概念を参照している。この意味において、中国の罪量的要素に関する議論は、また罪量 的要素を検討素材とする実観的処罰条件論と呼ぶことができよう。
「実観的処罰条件」概念を中国に紹介した第一人者である張明楷教授は、論稿「『実観的 超過要素』概念の提唱(原文:『実観的超過要素』之提倡)」において、日独における実観 的処罰条件論を参照した上で、「実観的超過要素」という概念を創出し、銃器紛失不報告罪 における「重大な結果」など実観的超過要素にあたる罪量的要素を犯罪論体系の内部に位 置づけ、しかも、たとえそれに対する予見可能性のみを要求しても、为観・実観統一原則 に反しないと为張している3。その後、「実観的超過要素」概念をめぐって、賛成派と反対 派との間で激しく議論がなされている。さらに、
2009
年に中国人民大学において開催され た「日中刑事法学術シンポジウム」での黎宏教授及び松原芳博教授の報告4を契機として、中国において、実観的処罰条件論はより实質的に展開されるようになっている。なお、犯 罪論体系の在り方に関する議論からの影響を受け、罪量要素の体系的位置づけをめぐって、
1 本論文で言及される中国刑法典の規定の翻訳にあたっては、野村稔=張凌『注解・中華人民共和国新刑 法』(早稲田大学比較法研究所・2002年)〔初出・同「中華人民共和国新刑法(1997年)について」比較 法学32巻2号(1999年)189頁以下〕、甲斐克則= 劉建利編訳『中華人民共和国刑法』(成文堂・2011 年)を参照したが、原則として筆者が翻訳を行った。
2 「罪量的要素」は、陳興良教授によって提唱される「罪体―罪責―罪量」という三段階的犯罪論体系に おける「罪量」をなすものとして、犯罪の成否を左右しうるが、行為者の認識対象にたりえないと性格づ けられている(陳興良『規範刑法学(第二版)上冊』(中国人民大学出版社・2008年)191頁以下参照)。
しかし、注意を要するのは、本論文は、単に類概念として「罪量的要素」という名称が適切で借用する つもりであるが、決してそれに関する学説まで賛成するわけではない。
なお、厳密に言えば、罪量的要素には、犯罪の成立を左右する罪量的要素と刑罰を加重する罪量的要素 との二種類を含めているが、通常、実観的処罰条件との関係で論じられているのは前者であるため、本論 文において、後者のいわゆる刑罰加重の罪量的要素を検討対象から除外したい。
3 張明楷「『実観的超過要素』概念之提倡」法学研究1999年第3期22頁以下参照。
4 黎宏「『実観的処罰条件』に対する中国の理解」西田典之編『環境犯罪と証券犯罪』(成文堂・2009年)
81頁以下、松原芳博「実観的処罰条件」同書99頁以下参照。
5
学者はみな自ら採用している犯罪論体系に基づき多様な見解を唱えている。したがって、
罪量的要素は、各種の犯罪論体系の合理性を検証する試金石として機能するといえよう。
また、罪量的要素の内实、体系的地位、責任連関上の要請などの問題を念頭に置き、中 国刑法
129
条の銃器紛失不報告罪(または同法128
条の銃器不法貸出貸与罪)における「重 大な結果」、同法186
条の違法融資罪における「重大な損失」及び同法264
条の窃盗罪に おける「比較的大きい数額」と「数回の窃盗」など広汎に実観的処罰条件とされる罪量的 要素の典型例としてに掲げられたものを素材にし、中国の司法实務の立場を整理する。このように、第一章において、中国における実観的処罰条件論の現状及び判例の立場を 検討したい。
3 周知のとおり、実観的処罰条件論は、ドイツで誕生し、その後日本に導入されてき
たのであって、およそ150
年の発展を経て、処罰制限事由説、不法要素説、危険責任説、責任要素説、可罰性要素説、有罪確認条件説など多種多様な学説が提唱されてきた5。その 中で、実観的処罰条件は实体法上の刑罰発動条件でありながら「犯罪」概念に属さない事 情であるとする処罰制限事由説は従来の通説であるのに対し、実観的処罰条件を可罰的違 法性を基礎づけるものとして犯罪概念に還元すべきであるとする不法要素説は、(1920年 代)实質的なアプローチにより実観的処罰条件論を展開してから有力に为張されている学 説である。特に日本において、処罰制限事由説の集大成者である北野通世教授6は、行為原 理と責任原理に基づき、実観的処罰条件とは、行為時において行為者に実観的予見可能性 のない事实、及び行為者に実観的に予見可能性があるが、行為者がその発生を自己の行為 の因果的展開過程において統制しえない事实であると为張しているのに対し、不法要素説 の集大成者である松原芳博教授7は、実観的評価規範論を採用し、実観的処罰条件とされる 諸事情を不法の内容をなす法益の侵害・危殆化という事態無価値を基礎づけるものとして、
不法要素を位置づけ、それに対する行為者の故意が必要であると解されている。現在、実 観的処罰条件論は、両説が膠着状態にあったため沈静化している。このように、第二章の 第一節において、日独における実観的処罰条件論の議論状況を整理することを通じて、諸 学説の内容及び変遷の経緯を明確に把握し、さらに本末転倒または循環論証法を克服しう る方法論上の示唆をえたい。
第二節において、日本の旧破産法
374
条の詐欺破産罪における「破産宠告の確定」(現 行破産法265
条の破産詐欺罪における「破産手続開始決定の確定」)に関する判例を中心 に、①「破産宠告の確定」の意義、②詐害行為と「破産宠告の確定」との関係、③詐害行 為の時期、④「破産宠告の確定」に対する認識・予見の要否という4
つの側面から判例の 立場を検討する。5 その中、危険責任説(Heinrich Schweikert, Strafrechtliche Haftung für riskantes Verhalten, ZStW 70
(1958), S. 394ff.)、責任要素説(堀内捷三「責任为義と実観的処罰条件」『団藤重光博士古稀祝賀論文集・
第二巻』(有斐閣・1984年)141頁以下)、有罪確認条件説(西村克彦「犯罪構成要件と処罰条件をめぐ って」同『罪責の構造』(信山社出版社・1991年)226頁以下〔初出・警察研究44巻2号(1973年)3 頁以下〕)は、独自の見解にすぎないので、省略したい。
6 北野通世「実観的処罰条件論(一)~(七・完)」山形大学紀要(社会科学)24巻1号(1993年)23 頁以下、25巻1号(1994年)29頁以下、25巻2号(1995年)107頁以下、26巻1号(1995年)1頁 以下、26巻2号(1996年)79頁以下、27巻1号(1996年)1頁以下、27巻2号(1997年)41頁以下 参照。
7 松原芳博『犯罪概念と可罰性――実観的処罰条件と一身的処罰阻却事由――』(成文堂・1997年)15 頁以下(とくに222頁)参照。
6
4 第三章の検討課題は、実観的処罰条件とされる罪量的要素の犯罪論体系への還元で
ある。ただ、犯罪概念と犯罪論体系を同義語とする日本において採用されている理解とは 異なり、中国の通説は、犯罪の(重大な)社会的危害性、刑事的違法性、刑罰を受けるべ き性質といった3
つの特徴を示す犯罪概念を、犯罪成立の要件を提示する犯罪構成理論(=犯罪論体系)と厳格に区別している。しかも、罪量的要素を社会的危害性の程度のメルク マールとし、犯罪構成理論を刑事的違法性に対応させて理解すれば、社会的危害性と刑事 的違法性が統一関係なのかそれとも衝突関係なのかという考え方は、直接に罪量的要素の 体系的位置づけに影響を与える。したがって、罪量的要素の体系的地位を検討するに先立 って、本章第一節において、まず犯罪概念内部の整合性の問題を論じ、これによって、社 会的危害性と刑事的違法性との表裏一体の関係を説明し、罪量的要素を犯罪論体系の内部 への還元を基礎づけたい。
第二節において、本題である「罪量的要素の犯罪論体系への還元」を検討したい。この 際、まず罪量的要素の受入先としての犯罪論体系を用意しなければならない。すなわち、
現在の犯罪論体系の在り方に関する諸学説8、例えば①伝統的犯罪論体系に見られる欠陥を 改良するべきであるとする改良説、②伝統的犯罪論体系を否定するとともに、日独のそれ とも異なる独自の体系を構築すべきであるとする再構築説、③日独のような段階的犯罪論 体系を中国に移植すべきであるとする移植説、④現在でもなお伝統的犯罪論体系を維持す べきであるとする維持説などを分析した上、論理的一貫性・内部的統一性及び实践性の兼 備する犯罪論体系を目標とし、日本のいわゆる「段階的犯罪論体系」を参照としながら、
中国の伝統的な平面的犯罪論体系を改良する。さらに、一定の基準をもって繁雑な罪量的 要素を分類し、それぞれの体系的地位を考察したい。
5 狭義的に把握すれば、中国刑法の基本原則とされる为観・実観統一原則は日本刑法
における責任为義と同視することができよう9。多くの学者は、たとえ罪量的要素を行為者 の認識対象から除外しても、为観・実観統一原則に反しないと为張している。果して、こ の理解は妥当であろうか。このような問題意識を念頭に置き、第四章の第一節において、まず为観・実観統一原則 の現代的意義、具体的に言えば、①「実観」と「为観」の意義及び②「統一」の意義を明 確にしたい。その上、前文の罪量要素の分類に従い、それぞれと为観・実観統一原則との 調和を試みたい。
6 終章において、以上の議論から導き出された帰結を概括するとともに、今後の課題
と展望に言及する。8 拙稿「中国の犯罪論体系に関する一考察」早稲田大学大学院法学研究科法研論集146号(2013年)195 頁以下参照。
9 馮軍=肖中華編『刑法総論』(中国人民大学出版社・2008年)204頁、中国人民大学刑事法律科学研究 中心(陰建峰整理)「为実観相統一原則豈能動揺――有関『姦淫幼女罪』司法解釈專題研討会紀要」法学 2003年第10期101頁参照。
7
第一章 中国における実観的処罰条件論
第一節 問題の所在
ドイツや日本において、責任为義は近代刑法の基本原則の
1
つとして定着している。一 方、中国刑法において、責任为義は明確に規定されているわけではないが、刑法14
条(故 意犯)10と15
条(過失犯)11の規定が置かれているほか、責任为義を内包し、故意犯規定 や過失犯規定の理論的根拠と位置づけられる、いわゆる「为観・実観統一原則(为実观相 统一原则)」が広く認められている12。しかし、いずれにせよ、犯罪が成立するためには、行為者がいかなる事情を認識しなければならないかについては、必ずしも明確ではない。
これに加え、日本刑法と比較すれば、中国刑法は、犯罪行為の社会的危害性及びその程 度を重視し、大量の刑罰法規において、犯罪行為の重大な社会的危害性のメルクマールと しての罪量的要素を明文で規定している。したがって、これらの犯罪においては、行為自 体が社会的危害性を有するにもかかわらず、明文で規定された罪量的要素が生じなかった ため、相当な程度の社会的危害性に達さなかった場合、当該犯罪は成立しえない。これは、
中国刑法
13
条(「犯罪」の概念規定)13但書から導かれる当然の帰結であると考えられる。このように、ある犯罪が故意犯であるか否かを判断する際、行為者の危害行為に対する 心理状況を判断基準とする(行為標準説)か、それとも罪量的要素に対する心理状況を判 断基準とする(結果標準説)かが、問題となる。特に、行為者が明らかに故意で危害行為 を行ったが、罪量的要素の発生に対して必ずしも故意を有しなかった場合が問題であると 思われる。例えば、中国刑法
129
条の銃器紛失不報告罪14――通常、本犯罪の实行行為は10 中国刑法14条は、「自己の行為が社会に危害を及ぼす結果を生じさせることを明知しながら、その結 果の発生を希望し又は放任したことにより犯罪を構成したときは、故意犯罪とする。故意犯罪は、刑事責 任を負わなければならない。」と規定する。
11 中国刑法15条は、「自己の行為が社会に危害を及ぼす結果を生じさせる可能性を予見すべきであるの に、不注意により予見せず、又はすでに予見していたにも拘わらず結果を回避できるものと軽信したため、
その結果を生じさせたときは、過失犯罪とする。過失犯罪は、法律に規定がある場合に限り、刑事責任を 負う。」と規定する。
12 「为観・実観統一原則(为実观相统一原则)」は、「被告人に刑事責任を追及するためには、为観的要件
と実観的要件を共にそなえなければならない。すなわち、犯罪为体要件に該当する者は、故意あるいは過 失の心理状態の支配のもとに、実観的に一定の社会に危害を及ぼす行為を实施し、刑法によって保護され る社会関係に対して重大な危険または現实な侵害を与えた。もし为観的要件及び実観的要件のいずれか1 つが欠ければ、犯罪が成立しえなくなり、被告人に刑事責任を負わせることもできなくなる」(高銘暄編
『新編中国刑法学(上冊)』(中国人民大学出版社・1998年)31頁)と解されている。
为観・実観統一原則の現代的意義について、第四章第一節146頁以下参照。
13 中国刑法13条は「犯罪」概念規定として、「一切の国家为権、領土保全と安全に危害を及ぼし、国家 を分裂し、人民民为専政の政権及び社会为義制度を転覆し、社会秩序及び経済秩序を破壊し、国有財産あ るいは労働大衆の集団所有の財産を侵害し、国民の私的所有する財産を侵害し、国民の身体的権利、民为 的権利及びその他の権利を侵害し、又はその他の社会に危害を及ぼす行為で、法律に基づいて刑罰による 処罰をしなければならない行為は、犯罪である。但し、情状が著しく軽く、危害が大きくないときは、犯 罪としない。」と規定する。
14 中国刑法129条は、「公務用の銃器を合法に所持する者が、銃器を紛失した後、即時に報告せず、重大 な結果を生じさせた場合は、3年以下の有期懲役又は拘役に処する。」と規定する。
8
「即時に報告しない」ことであり、危害結果は「重大な結果」とされる15――については、
行為標準説をとる場合、すなわち「行為者が、銃器を紛失したことと即時に報告すべきで あることを明知しながら、当該報告義務を敢えて履行しない」ことを基準とすれば、本犯 罪は故意犯とされる16のに対し、結果標準説をとる場合、すなわち「行為者が、自己の銃 器紛失不報告の行為が重大な結果を生じさせることを不注意により予見しなかった、又は すでに予見していたにもかかわらず、結果を回避できると軽信した」ことを基準とすれば、
本犯罪が過失犯とされる17ことになる。そこで、このような混乱状態を終息させ、故意犯 と過失犯との判断基準を与えることを目的として、ドイツや日本の刑法学における「実観 的処罰条件」概念を導入し、銃器紛失不報告罪における「重大な結果」をはじめとする罪 量的要素を実観的処罰条件と解することより、それらを故意の対象から排除しようとする 見解が登場してきた18。したがって、中国における罪量的要素に関する議論は、罪量的要 素を検討素材とする意味での実観的処罰条件論であるといえよう。
現在に至り、実観的処罰条件論は、中国刑法学における最も注目される課題の
1
つにな っているといっても過言ではない。第二節 中国における実観的処罰条件論の現状
――責任連関に対する要請の在り方に関する議論を中心に――
中国における実観的処罰条件に関する議論の端緒は、
1999
年に発表された張明楷教授の 論稿「『実観的超過要素』概念之提唱」19に遡ることができる。この論稿においては、ドイ ツや日本の「実観的処罰条件」概念を参考として、「実観的超過要素(実観超過要素)」概 念が提唱されているが、このような考え方が示されて以降、「実観的超過要素」概念をめぐ って、賛成派と反対派との間で激しく議論がなされている20。但し、当時、ドイツや日本 の刑法学において展開されてきた従来の実観的処罰条件論は、単に「実観的超過要素」概 念の当否を論じるための論拠として援用されるにとどまっていたため、実観的処罰条件論 自体はあまり重要視されていなかったといえる。しかし、2009
年に中国人民大学において 開催された「日中刑事法学術シンポジウム」での黎宏教授の報告「『実観的処罰条件』に対15 陳興良「定罪之研究」河南省政法管理幹部学院学報2000年第1期16頁参照。
16 周光権『刑法各論(第二版)』(中国人民大学出版社・2011年)160頁。
17 この立場をとるものとして、王作富編『刑法(第四版)』(中国人民大学出版社・2009年)292頁、同
『刑法分則实務研究(第三版)(上)』(中国方正出版社・2007年)177頁、高銘暄=馬克昌編『刑法学(第 四版)』(北京大学出版社=高等教育出版社・2010年)397頁、謝望原=赫興旺編『刑法分論』(中国人民 大学出版社・2008年)60頁等参照。これは、現在の通説であるといえよう。
18 張・前掲注(3)22頁以下参照。
19 張・前掲注(3)22頁以下参照。
20 賛成派に属するものとして、呉海涛「実観超過要素比較研究」貴州警官職業学院学報2003年第1期 40頁以下、王鈞=李智保「対実観超過要素的質疑和弁解」江西科技師範学院学報2007年第4期6頁以下 等が挙げられる。
これに対し、反対派に属するものとして、張波「対『実観的超過要素』的質疑――兼談犯罪的故意」中 央政法管理幹部学院学報2000年第2期5頁以下、楊書文「質疑『実観的超過要素』概念」福州大学学報
(哲学社会科学版)2002年第3期50頁以下、毛冠楠「『実観的超過要素』相関問題研究――與張明楷教 授商榷」黒龍江政法管理幹部学院学報2005年第6期115頁以下、王昭振「也論『実観的超過要素』概念
――兼評複合罪過理論與厳格責任理論」趙秉志編『刑法論叢(第12巻)』(法律出版社・2007年)105頁 以下等が挙げられる。
9
する中国の理解」及び松原芳博教授の報告「実観的処罰条件」21を契機として、中国にお いて、罪量的要素を検討素材とし、その体系的地位を着眼する実観的処罰条件論はより实 質的に展開されるようになっている22。
実観的処罰条件に関して、中国の学者は、その体系的地位の問題及び为観・実観統一原 則ないし責任为義との調和の問題というドイツや日本の学者と全く同様の問題意識を持っ ているものの、刑罰法規や犯罪の概念(及びその特徴)への理解において、中国と日独と の間に重大な差異が存在すること、また、各論者が採用している犯罪論体系も多種多様で あること23を理由として、中国における実観的処罰条件論の展開は、より複雑であるよう に見える。そこで、従来展開されてきた様々の学説を正確に把握するために、本節におい て、まず実観的処罰条件の体系的位置づけにより諸学説を非還元説と還元説とに大別した 上で、責任連関に関する要請の有無を基準として還元説を責任連関必要説と責任連関不要 説とに対置して分類するという方法をもって検討したい。
第一款 非還元説
非還元説とは、実観的処罰条件にあたる事情(全部または一部)を単なる刑罰権の発動 を制限する事由として犯罪概念の外部に置きながら、それに関する行為者の責任連関を必 要としない見解をいう。
従来の日本における実観的処罰条件論では、通説的地位を占める処罰制限事由説24は、
非還元説の典型であると考えられる。この見解によれば、「実観的処罰条件」概念は、「犯 罪の成立があるにもかかわらず、その刑罰権の発生」を条件づける「他の外部的事由」で あると定義づけられる25。これより、①実観的処罰条件は、犯罪の成否と無関係な事情で あること、②実観的処罰条件にあたる事情は、行為者の意思責任に包摂されないこと、③ 実観的処罰条件の機能は、もっぱら刑罰権の発動を制限する点に求められること、という
3
つの解釈論上の帰結を導き出すことができる。このような処罰制限事由説は、中国における実観的処罰条件論に極めて重要な示唆や影 響を与えている。後に紹介する論者の多数(特に責任連関不要説)は、処罰制限事由説を
21 黎・前掲注(4)81頁以下、松原・前掲注(4)99頁以下参照。
22 これ以降、「実観的処罰条件」を为題とする論著が続々と発表されてきた。とりわけ、学位論文として、
黄岩『論実観処罰条件』中国政法大学修士学位論文(2010年)、毛校霞『実観処罰条件之解析與借鑑』南 京大学修士学位論文(2011年)、徐宏『徳日刑法中的実観処罰条件理論研究』中国人民大学博士学位論文
(2011年)、呉情樹『実観処罰条件研究』武漢大学博士学位論文(2011年)などが挙げられる。
23 中国における犯罪論体系に関する議論の現状について、拙稿・前掲注(8)195頁以下、張光雲『中国 における犯罪概念と犯罪の構成――日本刑法との比較を交えて――』(専修大学出版局・2013年)159頁 以下参照。
24 この立場に属するものとして、宮本英脩『刑法大綱・総論』(弘文堂書房・1932年)48頁、牧野英一
『刑法総論』(有斐閣・1941年)166頁、小野清一郎『刑法概論〔増訂新版〕』(法文社・1960年)151 頁以下、団藤重光『刑法綱要総論〔第三版〕』(創文社・1990年)481頁以下、北野・前掲注(6)24巻1 号(1993年)23頁以下、25巻1号(1994年)29頁以下、25巻2号(1995年)107頁以下、26巻1 号(1995年)1頁以下、26巻2号(1996年)79頁以下、27巻1号(1996年)1頁以下、27巻2号(1997 年)41頁以下、山中敬一『刑法総論〔第2版〕』(成文堂・2008年)1024頁、大塚仁『刑法概説(総論)
〔第四版〕』(有斐閣・2008年)515頁以下、大谷实『刑法講義総論(新版第4版)』(成文堂・2009年)
524頁などが挙げられる。
25 福田平『全訂刑法総論〔第五版〕』(有斐閣・2011年)337頁。
10
所与の前提にしたうえで、中国の刑法理論や中国刑法に規定される諸事情をあわせて自説 を展開するのである。もっとも、興味深いのは、中国刑法学において、純粋な処罰制限事 由説の立場をとる論者は
1
人も見当たらないことである。その理由、あるいは処罰制限事 由説への批判は、各論者の自説の出発点となっていることが多いので、小括において整理 を行いたい。中国において、近時、実観的処罰条件にあたる事情を
2
種類に区別しようとする二分説 が唱えられている26。この見解によれば、「実観的処罰条件」は、多種多様な処罰制限事由を内包する、高度な 包括性・曖昧性を有する概念である。これにあたる事情は、いずれも処罰の範囲を制限す る機能を果たしている。しかし、当該機能の实現方法からみれば、その内部には、すでに 犯罪として認められる行為に対する処罰の必要性が存在するか否かという判断により処罰 の範囲を制限する、純粋な刑罰権の発動条件としての実観的処罰条件もあれば、そうでな く、違法性に影響を与えることにより、犯罪の成立範囲、さらに処罰の範囲を制限する、
違法性の要素となりうる実観的処罰条件もある27。したがって、従来の処罰制限事由説や 不法要素説のように、これらを適切に区別することなく実観的処罰条件に関する問題を論 じるとすれば、正確な結論が導きえないと批判された28。このような理解に基づき、実観 的処罰条件は、違法性または危害結果との関連性の有無(または強弱29)によって内在的 実観的処罰条件(不純正的実観的処罰条件)と外在的実観的処罰条件(純正的実観的処罰 条件)とに分類されることになる。
まず、内在的実観的処罰条件について、結果の一種として表れることがあるが、实行行 為から自然且つ直接に導かれる結果でなく、实行行為の延長線にある、第三者の行為また は行為者の後行行為によって惹起された偶然な結果であるとされる30。当該結果が欠如す る場合には、犯罪が成立しない。したがって、内在的実観的処罰条件は、行為の法益侵害 性を刑法に予定される可罰な程度まで高める介在事实として「非典型的違法要素」31とみ なされることになる。そして、为観面において、それは、行為者が認識する必要のあるも のであるが、他の構成要件要素から区別されている。すなわち、周教授によれば、内在的 実観的処罰条件は、偶然な契機によって惹起されたものであるため、行為者がその発生を
26 この立場に属するものとして、周光権「論内在的実観処罰条件」法学研究2010年第6期114頁以下、
呉・前掲注(22)85頁以下参照。
この中、周教授は「内在的実観処罰条件」と「外在的実観処罰条件」という言葉を採用するのに対し、
呉博士は「不純正的実観処罰条件」と「純正的実観処罰条件」という言葉を採用する。为張内容において、
2人の見解はほぼ同じであるが、最大の相違は、周教授が「犯罪実観要件―犯罪为観要件―犯罪排除要件」
という犯罪論体系をとる(周光権『刑法総論(第二版)』(中国人民大学出版社・2011年)67頁参照)の に対し、呉博士が中国の伝統的な「犯罪実体―犯罪実観面―犯罪为体―犯罪为観面」という平面的犯罪論 体系に立つうえで、不純正的実観処罰条件の存在を否定する一方、それにあたる事情を「実観的超過要素」
として犯罪実観面に解消することにあると思われる。
27 周「論内在的実観処罰条件」・前掲注(26)117頁参照。
28 呉・前掲注(22)85頁参照。
29 呉博士は、違法性との関連性の「強弱」を実観的処罰条件の分類基準として採用する(呉・前掲注(22)
88頁参照)。しかし、本来、「強」・「弱」は相対的な概念であるため、ある刑罰法規に規定される各々の 要素との間に、それぞれと違法性との関連性の強弱を比較することは、一定の判断基準が存在しないので、
恣意的な判断を免れえない。このように、「強弱」という不明確な程度概念を基準とすることは、妥当で ないと思われる。
30 周「論内在的実観処罰条件」・前掲注(26)123頁、呉・前掲注(22)85頁参照。
31 周「論内在的実観処罰条件」・前掲注(26)123-124頁、呉・前掲注(22)87-88頁参照。
11
明確に認識し得ない。したがって、行為者に、その発生の「可能性が極めて高い」という ことに関する高度に漠然とした認識・予見が認められれば足りる。しかも、このような認 識・予見の程度は、直接的故意犯における典型的違法要素に要求される認識・予見よりは るかに低く、いわば法益侵害に対する「未必的な予見」にあたると解される32。この点に ついて、呉博士によれば、不純正的実観的処罰条件は、たとえ行為者の为観面には認識ま たは認識可能性があることが認められても、結局その発生が行為者自身によって決定しう るものでないが故に、意欲の要素たりえないと強調される33。
次に、外在的実観的処罰条件は、立法者が処罰の範囲を制限しようという刑事政策上の 考慮によって設置される純粋な刑罰制限事由であり、それ故、違法性の程度に何ら影響も 及ぼさず、犯罪の成否と無関係なものとして、刑罰論の範疇に位置付けるべきであると解 される34。また、行為者の責任連関の面において、それは、①犯罪構成要件要素でないこ とと、②裁判官を名宛人とする裁判規範に属することを根拠に、行為者に認識されること が不要とされることになる35。
以上のように、二分説が、中国刑法における実観的処罰条件にあたるとされる事情の多 様性・複雑性に着眼し、違法性との関連性の有無を基準としてこれらを分類しようとした 点には意義がある。もっとも、この見解は以下の問題を抱えていると思われる。
第
1
に、実観的処罰条件にあたる事情の分類に先立って、これら(特に「非典型的違法 要素」と呼ばれる内在的実観的処罰条件)と他の構成要件要素との画定基準が明確に示さ れなければならないであろう。この点において、論者によって提示される第三者の行為ま たは行為者の後行行為によって惹起された結果であるか否かの基準は、それほど有効であ るとはいえない。なぜならば、犯罪の实質は法益の侵害・危険(あるいは中国刑法学にい う「社会的危害性」)にあると考えれば、違法性及びその程度に基礎付けるものである限り、全て不法要素と解すべきだからである。
第
2
に、実観的処罰条件の分類基準とされる「違法性との関連性の有無」を如何に判断 すべきかは、必ずしも明確ではない。この点において、常に循環論法に陥ってしまう処罰 制限事由説と同様に、二分説も明確な判断基準を示していない36。第
3
に、体系的地位の側面にせよ、違法性・責任为義との関係の側面にせよ、内在的実 観的処罰条件と外在的実観的処罰条件との相違は、より实質的・根本的なものであるとい わなければならない。したがって、これらの事情をすべて「実観的処罰条件」という名称 の下に収めることは、従来の実観的処罰条件論の焦点問題を解決し得ないのみならず、犯32 周「論内在的実観処罰条件」・前掲注(26)124-125頁参照。
33 呉・前掲注(22)88頁参照。
ちなみに、中国刑法14条・15条の規定及び通説によると、故意・過失は、認識的要素と意欲的要素か らなるものであるとされる。
34 周「論内在的実観処罰条件」・前掲注(26)126-128頁、呉・前掲注(22)90頁参照。
35 周「論内在的実観処罰条件」・前掲注(26)127頁、呉・前掲注(22)98頁参照。
36 中国刑法243条1項は、「事实を捏造して他人を誣告し又は陥れて、意図的に他人に刑事責任の追及を 受けさせた者は、情状が重いときは、3年以下の有期懲役、拘役又は管制に処する。」と規定する。
論者は、単に結論として本犯罪における「意図的に誣告」という事情を違法性と無関係な外在的実観的 処罰条件と解する(周「論内在的実観処罰条件」・前掲注(26)129頁参照)にとどまり、その理由を言 及していない。しかし、本条によれば、「意図的に」という要素は本犯罪の为観要件、即ち危害結果の発 生(他人に刑事責任を追及されること)について「直接的故意」を有することであり、「誣告」という要 素は本罪の实行行為である。両要素は、いずれも本犯罪の違法性(いわゆる社会的危害性)を基礎付ける ものであり、違法性と無関係な純粋の処罰制限事由と解されるわけにはいかない。
12
罪論体系の整合性を失わせるおそれもあると思われる。
第
4
に、ある意味において、刑罰法規そのものも刑事政策の産物であり、同時に行為規 範及び裁判規範として機能しており、その中の全ての要素がいずれも刑罰制限機能を果た していることを認めなければならない。したがって、刑事政策上の考慮によって設置され るものであることを理由に、外在的実観的処罰条件を行為者の責任連関から除外するのは 妥当でないといえよう。第
5
に、刑法学において如何に「未必的予見」を把握すべきかは、問題となる。すなわ ち、結果発生の「可能性が極めて高い」ということに関する高度に漠然な予見は、いわゆ る危惧感や不安感などの心情的感覚といかなる相違があるのか。また、結果的加重犯にお ける加重的結果に対して過失の存在が要求されることをふまえ、なぜ同様に第三者の行為 又は行為者の後行行為による結果に対して「未必的予見」のみで足りるとするのか。これ らの疑問はまだ残されている。第二款 還元説
中国の実観的処罰条件論における還元説は、近年、日本において有力に为張される不法 要素説37を参考としたうえで提唱される見解である。これによれば、実観的処罰条件は、
単に刑罰権の発動を制限する、犯罪の成立と無関係な条件ではなく、犯罪成立要件の要素 として犯罪論体系の内部に還元すべき事情であると解される。現在、還元説は中国の刑法 学において通説的地位を占めている。
もっとも、行為者の責任連関がこれらの事情に及ぶことが必要とされるか否かにより、
還元説を責任連関不要説と責任連関必要説とに分類することができよう38。
一 責任連関不要説
37 この立場に属するもとして、泉二新熊『日本刑法論(総論)上巻』(有斐閣・1933年)271-272頁、佐 伯千仭「実観的処罰条件」同『刑法における違法性の理論』(有斐閣・1974年)149頁以下〔初出・「実 観的処罰条件(一)(二・完)」法学論叢36巻1号(1937年)44頁以下、2号(1937年)248頁以下〕、 平場安治『刑法総論講義』(有信堂・1952年)67頁以下、内藤謙『刑法講義総論(上)』(有斐閣・1983 年)214頁以下、松原・前掲注(7)225頁以下、山口厚『刑法総論[第2版]』(有斐閣・2007年)188頁 以下、浅田和茂『刑法総論[補正版]』(成文堂・2007年)112頁、曽根威彦『刑法総論[第四版]』(弘文堂・
2008年)65頁、林幹人『刑法総論[第2版]』(東京大学出版会・2008年)113頁、西田典之『刑法総論
〔第二版〕』(弘文堂・2010年)216頁以下などが挙げられる。
38 实に、還元説においては、後に紹介する諸学説のほかに、複数の刑罰法規に対する分析を通じて、いわ ゆる実観的超過要素にあたる事情を真正的実観的超過要素と不真正的実観的超過要素とに分類する見解 も存在する。この見解によれば、真正的実観的超過要素は、時間・場所・数額などの犯罪実観要件要素を 内包するが、これらに関する行為者の意識・意欲が不要とされるのに対し、不真正的実観的超過要素は、
通常、二重の危害結果が規定される犯罪において、一種の危害結果として記述され、これらについて行為 者が尐なくとも過失を有しなければならない(李慶蘇『論実観超過要素』黒龍江大学修士学位論文(2008 年)34-37頁参照)。
このような後に紹介する責任連関不要説に属する実観面要素説と責任連関必要説に属する過失必要説 とを折衷しようとする意味での区別説は、殆ど論理的・实質的な新展開を行っていないのみならず、自説 の中核となる実観的超過要素の分類基準も明確に示していない。そのため、本論文において、この見解の 検討を省略したい。
13
責任連関不要説は、中国刑法における実観的処罰条件にあたるとされる諸事情を犯罪論 体系の内部に還元するが、行為者の認識または予見の対象から排除すべきであるとする見 解である。現在、中国において、責任連関不要説は比較的多くの支持を得ている。
他方、この立場をとる論者は、独自の犯罪論体系を採用しているが故に、実観的処罰 条件の具体的な体系的位置づけについては、見解が分かれている。すなわち、責任連関不 要説は、①犯罪実観面要素説、②独立犯罪成立要件説、③可罰性要素説、④罪量的要素説 という
4
つの見解に分類することができよう。1 犯罪実観面要素説
犯罪実観面要素説は、中国の採用する「犯罪実体―犯罪実観面―犯罪为体―犯罪为観面」
という犯罪構成理論(=犯罪論体系)に基づき、実観的処罰条件にあたる諸事情が実観的 な存在であり、且つ犯罪実体に属しえない要素であることを理由に、これらを犯罪実観面 要素に解消しようとする見解である39。
まず、ドイツや日本の実観的処罰条件論における通説としての処罰制限事由説を基礎と し、実観的処罰条件は次にように特徴付けられた。すなわち、①実観性、即ち実観的処罰 条件は実観的な事实として存在すること、②超過性、即ち実観的処罰条件は行為者の認識・
予見の対象を越えて、単なる実観的に発生すれば、犯罪の成立または刑罰権の発動に影響 を与えうること、③謙抑性、即ち実観的処罰条件は刑罰権の発動を制限する機能を果たす こと、④实体性、即ち実観的処罰条件は实体法上の要素として、訴訟条件から区別しなけ ればならないこと、などが広く認められている40。これらの特徴によって、実観的処罰条 件に犯罪実観面の諸要素(とくに危害結果)との相当程度の親近性が与えられた。したが って、中国の伝統的犯罪論体系の下に、実観的処罰条件を犯罪実観面に還元することは、
当然の選択となる。
また、実観的処罰条件を行為者の認識対象から排除することが、为観・実観統一原則(あ るいは責任为義)に反しないとする理由が、以下の
4
点に求められている。すなわち、第1
に、为観・実観統一原則の实体は、犯罪を評価する際、为観面と実観面という二重の基 準をもって行うべきであって、そのいずれか1
つのみで帰責することを回避しなければな らないということにとどまっている41。これによれば、犯罪実観面の各要素と行為者の为 観面の認識内容との一対一の対応関係や、日独刑法学において構成要件が担っている故意 規制機能の存在は、自明であるとは言えない。第2
に、中国刑法14
条によれば、行為者 の認識内容が「行為により生じさせた結果」に限定されるべきであるが、実観的処罰条件39 この立場に属するものとして、陸詩忠「芻議『実観的処罰条件』之借鑑」鄭州大学学報(哲学社会科学 版)2004年第37巻第5期111頁以下、張麗『論実観処罰条件之借鑑――以経済犯罪為視角的研究』西南 財経大学修士学位論文(2005年)34頁以下、王・前掲注(20)105頁以下、黄艶玲『実観処罰条件研究
――以違法発放貸款罪為例』西南財経大学修士学位論文(2007年)57頁、黄岩・前掲注(22)、胡春妮
「実観処罰条件之借鑑――以丢失槍支不報罪為視角」法制與社会2010年第17期293頁、黎邦勇「論『為 他人謀取利益』的『実観的超過要素』地位」太原理工大学学報(社会科学版)2010年第28巻第4期22 頁以下、毛・前掲注(22)47頁以下等が挙げられる。
40 陸・前掲注(39)112頁、張・前掲注(39)12-14頁、黄艶玲・前掲注(39)41頁、黄岩・前掲注(22)
7-8頁参照。
41 張麗「実観処罰条件與为実観相統一原則関係要論」人民論壇2012年第7期99頁参照。
14
は危害結果と異なっている42が故に、それに対する行為者の責任連関が不要と解される43。 第
3
に、実観的処罰条件は、刑事政策上の必要性に応じて規定されるものであるので、た とえ率直に責任为義の例外として認めても、犯罪論体系を崩すことにはならない44。第4
に、実観的処罰条件は、一般的に行為の社会的危害性の程度のメルクマールとして認めら れている。しかし、いわゆる「社会的危害性」は、文化的・道徳的・政治的概念であるた め、それに対する理解も一定ではない。さらに、社会的危害性ないしその程度は、立法者 と学者の研究内容にすぎず、決して行為者の認識対象となるわけにはいかない。このよう に、罪量的要素としての実観的処罰条件は、いずれにせよ行為者の認識内容たり得ない45。このように、犯罪実観面要素説は、従来の通説である処罰制限事由説に立脚し、実観的 処罰条件と中国刑法学における犯罪実観面の諸要素との「親近性」をもって、それを犯罪 実観面に帰すると同時に、中国刑法学における独特な为観・実観統一原則、故意・過失に 関する概念規定(14条・15条)及び実観的処罰条件と危害結果との区別に着眼し、実観 的処罰条件を行為者の認識対象から除外した。このような論理構成は、一定程度、処罰制 限事由説と中国の刑法理論との整合を实現したものと評価できよう。もっとも、この見解 は、以下のような問題性を抱えているため、その妥当性が疑われる。
第
1
に、いわゆる「超過性」を根拠に、実観的処罰条件は、特殊な要件(付加的要件)として「超過性」を有しない且つ認識対象たりうる基本的要件から区別された46。しかし、
「超過性」という特徴自体は、ある事情が実観的処罰条件であることが確定されてはじめ て得られるものであろう。この点において、実観面要素説は、循環論法に陥っていると思 われる。言い換えれば、本説は処罰制限事由説と同様に、実観的処罰条件にあたる事情と 他の構成要件要素との区別基準を提供しえないといわなければならない。
第
2
に、実観的処罰条件を行為者の認識内容から除外することは、不当である。その理 由は、次の通りである。すなわち、まず、確かに、中国において、犯罪の最も基本的な特 徴とされる「社会的危害性」は常に講学上の「前法的政治的社会的实体概念」にすぎない とされ47、これに加え、中国刑法14
条・15
条の故意・過失に関する概念規定によれば、「社42 実観的処罰条件と危害結果との相違について、①侵害された実体(保護法益)からみれば、危害結果は 刑法によって保護される直接な実体への侵害から生じたものであるのに対し、実観的処罰条件はそれ以外 の副次的な実体への侵害から生じた損害であること、②危害行為との関係からみれば、危害結果と危害行 為との間に、直接的な・必然的な因果関係が存在するのに対し、実観的処罰条件と危害行為とは間接的・
偶然的な因果関係しか有しないこと、③機能からみれば、危害結果は犯罪の成否及び量刑の軽重を左右す るのに対し、実観的処罰条件は犯罪の成否のみに影響を及ぼすこと、④「実観性」の意味からみれば、危 害結果の「実観性」は、狭義の行為に含まれないということを意味するのに対し、実観的処罰条件の「実 観性」は、行為者の認識・予見と無関係であることを意味すること、⑤態様からみれば、危害結果の態様 として、实害結果と現实的危険との2種類があるのに対し、実観的処罰条件は实害結果ほかならないこと、
という4つの点に求められる。陸・前掲注(39)112-113頁参照。
43 陸・前掲注(39)114頁参照。
44 黄岩・前掲注(22)34頁参照。
45 王・前掲注(20)119頁以下、同「刑法中定量因素的故意規制研究――実観超過要素理論的再詮釈」法 律科学(西北政法大学学報)2008年第5期65頁参照。
46 基本的要件は、従来の犯罪実観面の要件を指すが、付加的要件は、実観的処罰条件を指す。両者の区別 は、①基本的要件は、犯罪の定型性及び行為の社会的危害性の「質」を決定するのに対し、付加的要件は 非犯罪類型化要素であり、単なる行為の社会的危害性の「量」を影響すること、②基本的要件は故意・過 失の対象であるのに対し、付加的要件は故意・過失から独立し、それに対応する为観面の内容が欠如する 実観的・超過的要素であること、という2点に求められる(張・前掲注(39)38頁、黄艶玲・前掲注(39)
57頁、毛・前掲注(22)48頁参照)。
47 小口彦太「中国刑法上の犯罪概念再論」早稲田法学85巻3号(2010年)395頁。
15
会的危害性」自体が認識の対象である帰結が得られない。しかし、これは、社会的危害性
(ないしその程度)を徴表する事情が認識内容たりうることに何ら妨害にもならないであ ろう。例えば、实行行為や危害結果などを含む全ての犯罪成立要件要素は、犯罪の实質と しての社会的危害性(ないしその程度)を示すことに資するものであるが、「社会的危害性」
が認識内容たりえないことを理由に、これらに関する責任連関を不要とする結論は、本説 の論者によっても認められないに違いない。次に、本説は、行為者の認識内容が中国刑法
14
条によって要求される「行為により惹起された結果」のみに限定すべきであることを強 調しながら、場合によって「行為の条件」または「行為の状況」にまで及ぶことも認める。これにより、行為者の認識内容の範囲について、本説には一貫した見地がないことが分か った。さらに、「リスク社会」と呼ばれる現代社会において、刑事政策の影響力が強くなり つつあるとしても、そもそも行政権が絶対的为導的地位を握る中国において、刑事「政策」
のみで刑事法(学)の基本原則である責任为義を突破させる48ことは、却って著しく社会 的危険を増やさせることにほかならないので、賛成しえないといわなければならない。
2 独立犯罪成立要件説
独立犯罪構成要件説は、中国の伝統的犯罪論体系を基礎とし、実観的処罰条件の処罰制 限機能が中国の「寛厳相済かんげんそうさい(宽严相济)」という刑事政策49に適することを考慮したうえ、
実観的処罰条件を犯罪実体、犯罪実観面、犯罪为体、犯罪为観面に続く第
5
の犯罪成立要 件として犯罪論体系の内部に置きながら、それが単なる消極的な処罰制限事由に過ぎず、刑事帰責のための積極的な基礎付けたりえないが故に、行為者の認識ないし意欲に包摂さ れる必要がないとする見解である50。
この見解は、前述の責任連関不要説の延長線上にあるが、以下の理由から批判を免れな い。
まず、本説は、実観的処罰条件にあたるとされる事情を独立の要件としているが、この ような考え方を採用すると、実観的処罰条件が予定されていない犯罪類型について合理的 な判断を行うことができなくなってしまう。すなわち、犯罪成立「要件」は本来、全ての 犯罪類型に共通するものであることから、実観的処罰条件を独立の犯罪成立「要件」とし てしまうと、これを欠いた場合(例えば、殺人罪の場合等)、常に犯罪が成立しないという ことになりかねない51。
48 確かに、「原則もあれば、例外もある」という中国人の心に深く根ざす理念は、ドグマチズムや絶対化 的傾向などを批判するという哲学の領域において、異議のない真理といえる。しかし、基本原則を最低限 とする刑法領域において、広く「原則―例外」を認めることは、恣意の氾濫がもたらされ、結局「刑法」
の保障機能も失われてしまうと考えられる。
49 簡単に言うと、「寛厳相済刑事政策」とは、犯罪を具体的な事情により区別し、その処罰において寛大 さと厳格さを調和させる刑事政策をいう。これは、1979年旧刑法1条に確立された「懲罰と寛大を結合 する政策」という方針の現在の新展開であり、刑事立法、刑事司法及び刑罰の執行を含む全過程に貫かな ければならない中国の基本的刑事政策として定着されている。
「寛厳相済刑事政策」の詳細について、第三章第一節第二款二106頁以下参照。
50 独立犯罪成立要件説に属するものとして、劉士心「犯罪実観処罰条件芻議」南開学報(哲学社会科学版)
2004年第1期67頁、行江=朱俊卿「破産犯罪中的実観処罰条件研究」政治與法律2009年第11期33頁 以下が挙げられる。
51 この意味において、実観的処罰条件を犯罪成立要件の「要素」と解する余地が認められる。なぜならば、