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为観・実観統一原則の現代的意義

ドキュメント内 中国刑法における罪量的要素に関する研究 (ページ 146-163)

第四章 罪量的要素と为観・実観統一原則

第一節 为観・実観統一原則の現代的意義

第一款 問題提起

厳密に言えば、旧ソ連の刑法学をモデルとして構築されてきた中国の伝統的刑法学にお いて、責任为義は登場していないが、その代わりに、为観・実観統一原則が一般的に認め られ、中国刑法の基本原則の

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つとして位置づけられている703

为観・実観統一原則が責任为義に対応するものとして把握されている背景において、多 数説は、たとえ行為者に実観的処罰条件にあたる罪量的要素の認識を要請しなくても、为 観・実観統一原則に違反しないと为張されている704。その为観・実観統一原則の意義との 関係での理由は、为に刑法理論上にせよ判例の立場にせよ、为観・実観統一原則は、犯罪 の実観面の要素と为観面の認識内容との間に厳密な対応関係の存在にまで要求していない 点に求められている705

以下、上記の理解は妥当であるかどうかという問題意識を念頭に置き、为観・実観統一 原則の現代的意義、具体的に言えば、①「実観」・「为観」の意義及び②「統一」の意義を 明らかにしたい。

第二款 为観・実観統一原則の現代的意義の検討

一 通説的理解とその問題性

中国において、为観・実観統一原則は「为実観相一致原則」706とも称され、これは、マ ルクス=レーニン为義による唯物弁証法の立場から出発し、奴隷制時代及び封建制時代に おいて採用された、いわゆる「为観的帰罪」または「実観的帰罪」といった観念707を批判

703 劉明祥「試論盗窃罪犯罪構成中的为実観相統一問題」法学評論1985年第223頁、樊鳳林ほか編『中 国新刑法理論研究』(人民法院出版社・1997年)43頁、高・前掲注(12)31頁以下、陳明華編『刑法学』

(中国政法大学出版社・1999年)56頁以下、聶立澤「为実観相統一原則地位論要」法学家2004年第3 88頁以下、王『刑法(第四版)・前掲注(17)20頁、趙・前掲注(386)38頁以下など参照。

なお、平面的犯罪論体系を維持しながら、段階的犯罪論体系に採用される責任为義を中国刑法の基本原 則とする見解もある(馮=肖・前掲注(9)63頁以下参照)

704 この点について、第一章第二節第三款29頁参照。

705 陸・前掲注(39)114頁、毛・前掲注(22)49頁、王=李・前掲注(20)10頁参照。

706 樊・前掲注(703)43頁、陳・前掲注(703)56頁参照。

707「为観的帰罪」とは、社会に危害を及ぼす行為が行われたか、危害結果が行為によって惹起されたか、

行為及びその結果と行為者の为観面と関連しているかなどを一切問わず、もっぱら行為者の为観面を犯罪 成立の唯一の判断基準とする観念を意味するのに対し、「実観的帰罪」とは、危害結果の発生を犯罪成立 の唯一の判断基準とし、危害行為または危害結果の存在が認められれば、行為者に刑事責任を追及しうる

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する背景の下に提唱された刑法の基本原則の

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つである。すなわち、「存在の意識拘束性」

または「意識の被拘束性」とも呼ばれる、唯物弁証法の基礎にあった「存在は意識を拘束 する」708というテーゼは、決して人間の意識の積極的な役割――いわゆる「意識の相対的 能動性」709――を排除しない710。換言すれば、「人間の意識は彼の行為を支配する一方、

人間の行為は彼の意思を反映する。人間の意識と行為は統一している。犯罪行為は、社会 に危害を及ぼした実観的行為と行為者の为観面の故意・過失の総体である。为観面の罪過 は危害行為と危害結果の原因でなければならず、また、実観的な危害行為は为観面の罪過 による必然的な結果でなければならない」711と解される。したがって、犯罪の実観的側面 と为観的側面との分離に基づき、その一方のみを考慮し、他方を無視する観念――単に犯 罪意思を犯罪成立の基本的要件とし、人的危険性・反社会性・犯罪動機などの为観的要素 を犯罪の認定または刑罰の量定の基準とするいわゆる「为観的帰罪」の観念、または単に 現实に行われた危害行為または危害結果を刑事責任を追及する基準とするいわゆる「実観 的帰罪」の観念――は、徹底的に否定すべきである。このように、いわゆる「为観・実観 統一原則」について、中国の従来の通説は、「被告人に刑事責任を追及するためには、为観 的要件と実観的要件を共にそなえなければならない。すなわち、犯罪为体要件に該当する 者は、故意あるいは過失の心理状態の支配のもとに、実観的に一定の社会に危害を及ぼす 行為を实施し、刑法によって保護される社会関係に対して重大な危険または現实な侵害を 与えた。もし为観的要件及び実観的要件のいずれか

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つが欠ければ、犯罪が成立しえなく なり、被告人に刑事責任を負わせることもできなくなる」712と解している。

中国の犯罪構成理論(いわゆる平面的犯罪論体系)を実観的要件と为観的要件と大別す る通説の見解713を加味すれば、以上のように理解された为観・実観統一原則は、「犯罪構 成の意義における为観・実観統一原則」714と呼ぶことができよう。すなわち、犯罪成立の 視点からみれば、いわゆる「为観・実観統一原則」は、犯罪は全ての実観的な構成要素と 为観的な構成要素を満たす行為でなければならないことを要請する。換言すれば、平面的 犯罪論体系は、犯罪を構成する実観的要件と为観的要件の統一体である。これは、旧ソ連 の刑法理論と軌を一にしているといえよう715。したがって、ここにいう「実観」及び「为

が、当該行為またはその結果に対する行為者の为観面のいかんを問わないとする観念を意味すると説明さ れる(北京大学法学百科全書編委会『北京大学法学百科全書(刑法学・犯罪学・監獄法学)』(北京大学出 版社・2003年)1079頁参照)

日本において、「実観的帰罪」概念に相当するのは「結果責任」または「実観的責任」であって、すな わち、「行為者の为観的能力や内心の状態などは考慮せず、もっぱら実観的に惹起された法益侵害の結果 のみに即してその責任を論ずることであ」(福田平=大塚仁編『刑法総論講義』(青林書院新社・1968年)

121-122頁)ると解される。一方、「为観的帰罪」概念は「意思処罰」に相当するといえよう。

708 大内兵衛=細川嘉六監訳『マルクス=エンゲルス全集〔第13巻〕(大月書店・1983年)6頁参照。

709 晩年のエンゲルスによって強調された「意識の相対的能動性」も唯物史観と整合すると解される(廣 松渉『マルクス为義の地平』(講談社学術文庫・1991年)259頁参照)。

710 宮崎昇『ソビェト刑法講座』(立花書房・1960年)38頁参照。

711 樊・前掲注(703)43頁。

712 高・前掲注(12)31頁。

713 高銘暄「関與中国刑法学犯罪構成理論的思考」法学2010年第257頁参照。

714 この点について、为観・実観統一原則は、また犯罪構成(犯罪論体系)の同義語としてみなされる(劉 艶紅「犯罪構成体系平面化之批判」法学研究2011年第5112頁参照。

715 トライニンによれば、構成要件とは「ソヴエト法によって、社会为義国家にとり具体的に社会的に危 険な行為(不行為)を犯罪として決定しているところの、すべての为観的・実観的メルクマール(要素)

の総体である」(A.H.特拉伊寧(А.Н.ТРАИНИН)『犯罪構成的一般学説(ОБЩЕЕ УЧЕНИЕ О

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観」とは、犯罪構成要件要素としての为観的要件及び実観的要件を指し、より正確的に言 えば、前者には犯罪実観面と犯罪実体を、後者には犯罪为体と犯罪为観面を内包すると解 すべきである716。この点について、異論は見当たらない。一方、「統一」の意義について、

まずすでにコンセンサスが得られた理解は、为観的要件と実観的要件との「共存」、即ち同 時に備えなければならず、そのいずれかも欠けてはならないことが要請されるというもの である。これは、为観・実観統一原則の最も基本的な要求あるいは前提であるといわなけ ればならない。もっとも、より重要な問題は、むしろ为観的要件と実観的要件とは如何に

「統一」しているのかという点にあるといえよう。これに対して、従来の通説は、「有機的 に統一する」717、「内在的関連性がある」718、「相互に依存する」719、「表裏一体の関係に 立つ」720、「因果関係に立つ」721などの記述を採用している。いずれにせよ、これらの趣 旨は、犯罪が行為者の为観的心理態度による支配の下になされたものである一方、その为 観的心理態度の徴表・現实化でもある――即ち「実観は为観を反映するのに対し、为観は 実観を支配する」722――という点にあり、これと前述の唯物弁証法とは一致すると考えら れる。

ところが、近年、ドイツや日本の刑法理論からの影響がますます強くなっていることに 従い、イデオロギー的思考を特徴とする旧ソ連刑法の遺物として、为観・実観統一原則に 対して、次のような批判が寄せられた。

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に、平面的犯罪論体系に付けられた「全構成要件の体系」あるいは「要素の体系」

という特徴に応じて、为観・実観統一原則に強調されるのは、事实としての実観的要件と 为観的要件のみであるが、価値判断との関係が論及されていない723

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に、为観・実観統一原則において重視されるのは、実観的要件と为観的要件との「共 存」のみであるが、これによって、为観的要件と実観的要件が同価値であるという誤解が 招かれ、さらに両者の犯罪論における機能が看過される恐れがある724

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に、「共存」のみでは、実観的要件と为観的要件との理論関係を説明することにと って極めて不十分である725。この前提のもとに、また①「意識は行為を支配し、行為は意 識を反映する」という哲学的根拠と②「为観・実観」統一原則の文言を考えれば、为観的 要件が実観的要件より優先するという帰結が容易に導かれ、さらにこの帰結を犯罪論に適 用すれば、人権保障に害することになるにほかならない726

实に、以上の批判は、为観・実観統一原則に関する従来の通説的理解は、実観的要件と

СОСТАВЕ ПРЕСТУПЛЕНИЯ,1957)』(中国人民大学出版社・1958年)48-49頁〕と解される。

716 そのほか、为観・実観統一原則を狭義的に把握し、「为観」を行為者の罪過(故意または過失)とし、

「実観」を危害行為とする見解も为張されている(王勇『定罪導論』(中国人民大学出版社・1990年)34 頁、朱淼「为実観相統一原則在刑事司法中的作用與意義――以姦淫幼女型強姦罪為例」法制與社会2014 年第281頁参照)

717 趙・前掲注(386)38頁。

718 高=馬・前掲注(17)54頁。

719 楊春洗ほか編『刑事法学大辞書』(南京大学出版社・1990年)684頁。

720 張志願「論我国的为実観相統一原則」中国社会科学1982年第6131頁。

721 張智輝『刑事責任通論』(警官教育出版社・1995年)358-359頁。

722 陳山「刑法学中为実観相統一原則的承継或廃棄」中国刑法雑誌2009年第212頁。

723 陳興良「为実観相統一原則:価値論與方法論的双重清理」法学研究2007年第5118頁参照。

724 周光権「刑法学的西方経験與中国現实」政法論壇(中国政法大学学報)2006年第229頁参照。

725 陳・前掲注(723)112頁参照。

726 劉・前掲注(714)116頁参照。

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