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イ ラ ン土 地 制 度 史 論(1)

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〈論 説 〉

イ ラ ン土 地 制 度 史 論(1)

一 マ ル ヴ ダ シ ト地 方 を 中 心 に一

後 藤 晃

ケ イ ワ ン ・ア ブ ド リ*

目次 は じめ に

一 イ ラ ンの地 主 制 と村 落 1地 主的 土 地 所 有

2ア ルバ ー ブ ・ラ イー ヤ ト制 3地 主 経 営 の 成 立 と発 展 4地 主 経 営 農 場 の 管 理 と経 営

は じめ に

イ ラ ン南 部 の フ ァ ー ル ス 州 に あ る マ ル ヴ ダ シ ト地 方 は イ ラ ン有 数 の オ ア シ ス 農 業 地 帯 で あ る 。 こ の 地 方 は,イ ラ ク との 国 境 か ら南 東 に伸 び た 幅1000㎞,長 さ3000kmに 及 ぶ ザ ー グ ロ ス の 摺 曲 山 地 の 南 東,州 都 シ ー ラ ー ズ の 北50㎞ に 位 置 し,こ こ に 灌 概 農 業 を 営 む お よ そ200の 村 が あ る1。 地 理 的 特 徴 を 示 す と,年 間 降水 量 が300mmほ ど の 乾 燥 気 候 帯 の 三 方 を 山 に 囲 ま れ た 広 大 な 谷 平 野 で あ る 。 谷 は 長 期 に わ た る 浸 食 で 埋 ま り,長 さ100㎞ 幅10な い し20数 ㎞ に 及 ぶ 平 野 を形 成 して い る 。 谷 平 野 の 中 央 に は ザ ー グ ロ ス 山 地 の 降 雨 を集 め て 流 れ る 中 規 模 河 川,コ ル 川 が 縦 貫 し,谷 平 野 の ほ ぼ 中 ほ どで 山 を切 っ て 入 り込 む シ ー バ ン ド川 と合 流 し て,さ ら に50km 下 流 で 土 漠 の 中 の 塩 湖 に 消 え る。

こ の 谷 平 野 は,コ ル 川 の 水 と 山 際 を流 下 す る地 下 水 を灌 概 用 水 と して 利 用 す る 乾 燥 地 の 典 型 的 な オ ア シス 農 業 地 帯 で あ る 。 コ ル 川 に は1000年 の 歴 史 を も つ6つ の 堰 が あ り,そ れ ぞ れ の 堰 か ら は 分 水 路 が 引 か れ て,村 々 の 耕 地 を 灌 溜iして き た 。 しか し,1970年 初 め 川 が 谷 平 野 に 入 る 位 置 に ダ ム(ド ゥールー ドゥザ ン ・ダム)が 建 設 さ れ て か ら は,川 の 水 量 が ダ ム で 調 整 さ れ る よ う に な り,ま た ダ ム か ら灌 概 を 目的 と した 水 路 が 建 設 さ れ て,水 利 シ ス テ ム は 大 き く変 わ っ た 。 一 方,山 際 を流 下 す る 地 下 水 の 利 用 に は,イ ラ ン に 伝 統 的 な 灌{施 設 で あ る カ ナ ー トや,牛 や 馬 に よ っ て 揚 水 す る 畜 力 井 戸(チ ャー一ガゥ)が 使 わ れ て きた 。 も っ と も,こ れ ら の 水 利 施 設 は1960年 代 以 降 に 普 及 す る ポ ン プ揚 水 井 戸 に よ っ て徐 々 に 代 替 さ れ,現 在 で は ほ と ん ど利 用 さ れ な くな っ

※神 奈川大学研究員

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図1マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の オ ア シ ス 農 業 地 帯(1965年)

村 落 勘 農耕 地

○河 川 灌 溜i̲河 川

●ポ ン プ井戸 灌 概̲̲デ ヘ ス タ ンの境 界 ム ガ ナ ー ト灌 概 凹 堰

◎湧 水灌 概

#畜 力 井戸 灌 瀧

lOkm20km

(出所)イ ラ ン統 計 局 『イ ラ ン村 落 統 計 総 覧 』(ペ ル シ ア語)テ ヘ ラ ン,1970年 の フ ァー ル ス 州 の 部 よ り筆 者 作 成

た 。

こ の 谷 の 一 角,オ ア シ ス を一 望 で き る と こ ろ に ア ケ メ ネ ス 朝 の 神 殿 ペ ル セ ポ リス の 壮 大 な 遺 跡 が あ る 。 こ の 遺 跡 は ア レキ サ ン ダ ー 大 王 に破 壊 さ れ た こ と で 知 られ る が,こ の 地 方 に は古 代 ペ ル シ ア の 時 代 に建 設 さ れ た堰 の 遺 跡 が 近 年 ま で 残 り,オ ア シ ス 農 業 地 帯 と し て の 長 い 歴 史 が 確 認 さ れ て い る 。

1958年,マ ル ヴ ダ シ ト地 方 に 江 上 波 男 氏 を 団 長 と す る 東 京 大 学 東 洋 文 化 研 究 所 の 考 古 学 の 調 査 隊 が 入 り,5年 を か け て 調 査 が 実 施 され た 。 ま た1966年 に は 同 研 究 所 の 大 野 盛 雄 氏 に よ っ て 発 掘 地 点 の 近 く に あ る ヘ イ ラー バ0ド 村 で 農 村 調 査 が 行 わ れ た 。 そ の 後,1972年 か ら74年 に か け て 同 氏 を 団 長 に 「地 理 学 的 な 総 合 調 査 」 が 組 ま れ,へ 一 ラ ー バ ー ド村 と こ の村 か ら40㎞ 離 れ た ポ レノ ウ 村 の2つ の 村 で,地 理 学,人 類 学,言 語 学,獣 医 学,農 業 経 済 学 の 分 野 の 研 究 者 に よ る 延 べ10ヶ 月 に わ た る 住 み 込 み 調 査 が 実 施 され た 。 さ ら に1970年 後 半 か ら今 日 ま で,大 野 盛 雄,原 隆 一,南 里 浩 子 の 各 氏 や 筆 者 た ち に よ っ て 断 続 的 に 調 査 が 続 け ら れ,こ れ まで に モ ノ グ ラ

フ と して 数 多 く ま と め ら れ て き た 。 今 回,こ う した 研 究 蓄 積 を も と に,コ ル 川 流 域 の40年 間 の 社 会 経 済 的 な 変 化 を た ど る べ く共 同研 究 が 組 ま れ,文 科 省 の科 学 研 究 費 の 助 成 を 受 け て 共 同 調 査 が 組 織 さ れ た 。

1960年 か ら今 日 ま で の40年 あ ま りの 問,イ ラ ン は 政 治 的 に き わ め て ダ イ ナ ミ ッ ク な 変 動 を 経 験 し た 。1979年 に は 革 命 に よ っ て 王 政 が 崩 壊 し,そ の 後 の 権 力 闘 争 を経 て イ ス ラ ム 体 制 の 国 家 が 誕 生 し た 。 革 命 後 間 も な い81年 に は イ ラ ク と の 戦 争 が は じ ま り,8年 続 く戦 争 で100万 人 を 超 え る 戦 死 者 を 出 した 。 ま た1990年 以 降 に は イ ス ラ ム 保 守 派 と改 革 派 の 問 で 厳 しい 政 治 闘 争 が 繰 り広 げ られ て き た 。 経 済 社 会 の 変 動 も著 し い 。1970年 代 に は オ イ ル シ ョ ッ ク を バ ネ に 国 王 モ

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イ ラ ン土地制 度史論(1>19

ハ マ ド レザ ー の 開発 独 裁 に よ る 急 激 な 経 済 開 発 が 進 め られ た が,こ の 開 発 の プ ロ グ ラ ム が 革 命 に よ っ て 停 止 す る と イ ス ラ ム 主 義 的 修 正 が 加 え ら れ,イ ラ ン ・イ ラ ク 戦 争 の 長 い 戦 時 経 済 期 を 経 て,イ ス ラ ム 体 制 下 の構 造 改 革 が 政 策 的 に押 し進 め られ て き た 。

こ こで まず 我 々 の 研 究 と の 関 連 で イ ラ ン の 土 地 制 度 と農 業 政 策 に つ い て 概 略 述 べ て お く こ と に す る。20世 紀 前 半 期 の イ ラ ン は 地 主 制 が 発 展 し た 時 代 で あ っ た 。 パ ハ ラ ビ ー 朝 を創 設 し た 国 王 レザ ー シ ャ ー は,大 戦 間期 の 世 界 経 済 の 枠 組 み の 中 で,政 治 ・経 済 的 な 自立 化 を 目指 して,内 部 蓄 積 型 の 工 業 化 と 近 代 化 の 政 策 を推 し進 め た 。 イ ラ ン に お け る い わ ば 原 蓄 期 と も い う べ き時 代 で あ り,レ ザ ー シ ャ ー は 国 家 的 蓄 積 を 地 主 と 同 盟 関 係 を 結 ん で 進 め た 。 こ の た め 農 村 は 収 奪 の 対 象 と な り,こ の 時 代,農 民 は19世 紀 よ り も貧 し く,村 は 地 主 支 配 の も と に あ っ た 。 地 主 は 国 民 議 会 の 多 数 を 占 め て 政 策 に 強 い 影 響 力 を も ち,レ ザ0シ ャ0期 の 体 制 は 地 主 王 政 と し て の 性 格 を帯 び て い た 。

1960年,国 王 パ ハ ラ ビ ー(レ ザー シャーの子 〉 は イ ラ ンの 近 代 化 を進 め るべ く 「白色 革 命 」 を宣 言 す る 。 こ れ は 国 王 の 政 治 的権 力 を 確 立 す べ く地 主 勢 力 と宗 教 勢 力 か らの 王 権 の 自立 を 意 図 した も の で あ り,農 地 改 革 が 近 代 化 政 策 の最 重 要 課 題 と さ れ た 。 地 主 層 を村 落 か ら切 り離 し,宗 教 勢 力 の 財 政 的 基 盤 で あ っ た 土 地 を取 り上 げ る こ とで 王 政 の 権 力 基 盤 の 近 代 化 が 試 み られ た の で あ る。 農 地 改 革 に よ っ て村 落 の 農 民 は 土 地 の 所 有 者 な い しは 借 地 農 と な り,地 主 の 村 落 域 に お け る 権 限 は 著 し く弱 め ら れ,近 代 以 前 か ら続 い て い た 都 市 エ リ ー トが 村 落 域 を支 配 し所 有 す る とい う 関 係 に 終 止 符 が 打 た れ た 。 農 地 改 革 は 農 民 解 放 と し て の 側 面 も ま た も っ て い た と い っ て よ い 。 も っ と も,地 主 に は村 落 と の 関 係 を 絶 ち 近 代 的 な 農 場 経 営 を 行 う と い う 条 件 を付 して,か な りの 規 模 の 土 地 に 対 して 所 有 権 が 保 証 さ れ た 。 一 方,地 主 か ら解 放 さ れ た村 落 の 農 民 は 土 地 へ の 権 利

を得 た もの の 経 営 の 近 代 化 は 遅 れ,生 産 性 の 面 で は 停 滞 し た 。

1980年 の 革 命 時,農 村 部 に 土 地 革 命 と も い うべ き現 象 が 起 こ っ た 。 革 命 状 況 下 で 農 村 部 は 旧 体 制 の 権 力 構 造 が くず れ た た め に一 種 の ア ノ ミー 状 況 を呈 し,権 力 不 在 の も と で 村 落 農 民 に よ る 旧 地 主 に留 保 さ れ た 土 地 の 占拠 騒 動 が 各 地 で 起 こ っ た 。 そ の 後,革 命 を支 え る下 部 組 織 で あ る 革 命 防 衛 隊 が村 落 域 に 入 る も の の,新 政 府 の 土 地 政 策 が 不 透 明 で あ っ た こ とで そ の 後 も土 地 紛 争 が 頻 発 した 。 農 民 へ の 土 地 の 再 分 配 に つ い て は,政 策 決 定 に 拒 否 権 を もつ イ ス ラ ム 評 議 会 は 消 極 的 で あ っ た 。 しか し農 民 に 対 す る財 政 支 援 は,ホ メ イ ニ が 革 命 を 「抑 圧 さ れ た も の の 革 命 」 と呼 ん だ こ とで 「抑 圧 さ れ た 社 会 層 」 と して の 農 民 に 対 し て 積 極 的 に 進 め られ,と く に90年 代 以 降 に は 農 業 生 産 力 は大 き く伸 び た。 しか し一 方 で,土 地 の 流 動 性 が 高 ま り農 民 層 の 分 解 が 進 み,分 割 相 続 制 度 に よ る零 細 化 が 深 刻 化 し て い る 。

以 上,本 論 に先 きだ ち 概 要 を述 べ た が,イ ラ ン の 農 村 社 会 で は こ の40年 余 りの 間 に,体 制 の イ デ オ ロ ギ ー を反 映 す る 形 で き わ め て ダ イ ナ ミ ッ ク な 動 きが み られ た 。 共 同 研 究 の 目 的 は,こ う した 農 業 を め ぐる 激 しい 変 化 を,こ れ ま で の 研 究 蓄 積 の 上 に 実 態 調 査 を 積 み 上 げ る 形 で 記 録 し, 記 述 す る こ と に あ る 。 対 象 は マ ル ヴ ダ シ ト とい う一・つ の 地 方 で あ り,農 村 の 場 か ら等 身 大 で 描 く

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こ と を 課 題 と して い る 。 共 同 研 究 の 期 間 は2004年 か ら07年 度 ま で の4年 間 で,調 査 は ま だ 途 上 に あ る が,筆 者 が 分 担 した 土 地 制 度 に 関 す る 成 果 に つ い て は こ の 紀 要 に場 を 借 り逐 次 報 告 さ せ て い た だ く こ と に した 。 本 稿 は こ の 研 究 の い わ ば序 章 に 当 り,農 地 改 革 が 実 施 さ れ る ま で イ ラ ン を 覆 っ て い た 地 主 制 と村 落 につ い て 論 じて い る 。

一・ イ ラ ン の 地 主 制 と村 落 1地 主的土地 所有

は じめ に,1962年 に 農 地 改 革 が 始 ま る ま で イ ラ ン を 覆 っ て い た 地 主 的 土 地 所 有 を 概 観 し よ う 。 イ ラ ン で は1960年 に は じめ て 全 国 規 模 の 農 業 セ ンサ ス が ま と め られ た2。 こ れ に よ る と,農 民 総 数 の59.2%が 分 益 農(raiyati),12.4%が 定 額 小 作 の 借 地 農(ejarei)で あ っ た 。 農 民 全 体 の 71.6%が 地 主 が 所 有 す る 土 地 で 農 業 を お こ な っ て い た こ と に な る 。 こ こ で 分 類 さ れ た 借 地 農 は,農 民 が 個 々 に 地 主 か ら土 地 を 借 り,定 額 で 小 作 料(借 地料)を 支 払 う も の で あ る 。 通 常 は 農 民 が 個 々 に分 割 地 を地 主 か ら借 地 し た が,イ ラ ンで は こ の 借 地 農 の 割 合 が 最 も高 い の が ギ ー ラ ン 州 や マ ー ザ ン デ ラ ン州 な ど カ ス ピ 海 沿 岸 部 の 温 帯 湿 潤 な 地 帯 で あ り,ギ ー ラ ン 州 で は 農 民 の 63.5%が 借 地 農 で あ っ た 。 こ の 地 方 に は 日本 の 農 村 と よ く似 た 方 式 に よ る 米 作 地 帯 が あ り,乾 燥 ・半 乾 燥 地 と は農 業 制 度 や 農 業 技 術 の 面 で 大 きな 相 違 が あ る 。

一 方,分 益 農 は地 主 と収 穫 を 現 物 ・定 率 で 分 け る 農 民 で あ る 。 イ ラ ンで は 農 地 の8割 以 上 が 乾 燥 ・半 乾 燥 気 候 に あ る 。 こ の 気 候 を農 業 の 条 件 とす る と こ ろ で は,灌 溜i農業 と非 灌 概 農 業 を 問 わ ず 分 益 農 の 割 合 が 高 く,と くに ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン州 や ク ル デ ィス タ ン州 な ど の イ ラ ンの 西 北 部 で は圧 倒 的 な割 合 を 占 め て い た 。 もっ と も,統 計 か ら わ か る よ う に,多 くの 州 で 分 益 農 と借 地 農 の い ず れ もが 存 在 し て い た か ら,借 地 農 と分 益 農 の 分 布 を 農 業 に と っ て の 気 候 条 件 の 違 い だ け で 説 明 す る こ と は で き な い 。 た だ,こ の 間 に は 農 業 制 度 に 基 本 的 な 違 い が あ り,分 益 農 と借 地 農 に 分 け た 統 計 上 の 分 類 も こ う し た 違 い に注 目 した か らに 他 な らな い 。

一 般 に分 益 農 制 で は

,農 民 は 生 産 に 必 要 な 農 具 や 役 畜 を も っ て 自 己 の 労 働 で 農 作 業 を行 う。 し か し地 主 も ま た 土 地 だ け で は な く水 や そ の 他 の 生 産 に 必 要 な 資 本 を提 供 す る 。 こ の た め,分 益 農 は 土 地 の み を 地 主 か ら借 りる 借 地 農 と比 べ て 農 業 経 営 へ の 独 立 性 が 相 対 的 に 弱 く,地 主 も ま た 経 営 に 関 与 す る 。 イ ラ ンの 場 合 も,と く に灌 瀧 農 業 地 帯 で は,地 主 は 土 地 の 他 に,農 業 生 産 に 必 須 の 条 件 で あ る 灌 概 用 水 や 経 営 に 必 要 な 費 用 を 負 担 し て 経 営 に 関 わ っ た 。 こ の た め,分 益 農 は 経 営 の 主 体 と は な り得 ず,20世 紀 の 地 主 制 の 下 で は地 主 経 営 の 雇 農 と し て の 性 格 が 強 か っ た 。

一 方,同 じ乾 燥 ・半 乾 燥 地 で も非 灌 概 農 業 地 帯 で は,地 主 は 土 地 以 外 の 生 産 手 段 を 提 供 す る こ と が 少 な く,地 代 の み に 関 心 を も つ 寄 生 的 な 地 主 が 多 か っ た 。 こ れ は 生 産 力 の 主 要 な 要 素 で あ る 水 に 対 す る権 利 を地 主 が 持 た な か っ た こ と に 加 え て,土 地 生 産 性 が 低 く旱 越 の 影 響 を 受 け や す い 不 安 定 な農 業 で あ っ た こ と に 理 由 が あ る。 た だ,こ の 場 合 も生 産 物 は 地 主 と農 民 の 間 で 現 物 ・定

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イ ラ ン土 地 制 度 史 論(1)21 表1地 主 制下 の農民構成(%)

州 分益 農 定額 農 自作

ギ ー ラ ン 13.3 63.5 23.2

マ ー ザ ン デ ラ ン ・ゴ ル ガ ン 20.2 45.9 33.9

テ ヘ ラ ン 73.1 3.1 23.2

ザ ン ジ ャ ン ・ア ラ ク 93.3 1.4 5.3

西 ア ゼ ルバ イ ジ ヤ ン 79.4 o.s

東 ア ゼ ルバ イ ジ ヤ ン :: 2.5 9.4

ク ル デ ィ ス タ ン 83.2 0.5 16.3

ホ ラ ー サ ン 39.3 6.8 53.9

エ ス フ ァハ ン 58.1 11.4 30.5

フ ァ ー ル ス 51.7 X5.9 32.4

ケ ル マ ン 50.3 1.8 47.9

全 国 59.2 12.4 28.4

(出所)イ ラ ン内 務 省 統 計 セ ンタ ー 「イ ラ ン農 業 統 計1960』 テヘ ラ ン,37ペ ー ジ

率 で 分 け た が,分 益 率 で は 地 主 は 収 穫 の5分 の1前 後 を 受 け取 っ た に 過 ぎ ず,灌 概 農 業 で3分 の 2に 権 利 を も っ て い た の と対 照 的 で あ っ た 。

農 業 セ ンサ ス に よ る と農 民 の28.4%は 自作 農(melki)で あ っ た 。 自作 農 も ま た イ ラ ン の 各 地 に 分 布 して い た が,一 般 的 に 言 え る こ と は,大 土 地 所 有 が 優 位 な 農 業 地 帯 で は 自作 農 は ほ と ん ど み られ な か っ た と い う こ と で あ る 。 た と え ば フ ァ ー ル ス 州 で は 農 民 の32.4%が 自作 農 で あ っ た が,こ の 州 の オ ア シ ス 農 業 地 帯 で あ る マ ル ヴ ダ シ ト地 方 で は 自作 農 は ほ とん ど い な か っ た 。 地 主 は 村 を 単 位 に 土 地 を 所 有 し,村 は 地 主 の 農 場 と し て 経 営 さ れ て い た た め,自 作 地 が 入 り込 む 余 地 は ほ とん ど な か っ た の で あ る 。 自作 農 は 村 が 農 場 化 しに く い 山 間 部 や 砂 漠 の 周 辺 部 の 規 模 の 小 さ な 灌 概 農 業 地 帯 に 比 較 的 多 く,耕 地 が 細 分 化 さ れ た 僻 地 に 多 か っ た とい わ れ て い る3。 た だ こ の 数 字 に つ い て 注 意 す べ き は,農 業 セ ン サ ス の 調 査 が 農 地 改 革 の 直 前 に実 施 さ れ,当 時 す で に地 主 に よ る 土 地 処 分 が 始 ま っ て お り,地 主 制 期 の 実 態 を性 格 に 反 映 した 数 字 とは 必 ず し も言 え な い と い う こ と で あ る。

地 主 的 土 地 所 有 の 規 模 別 分 布 に つ い て は,1958年 の 農 務 省 の 数 字 が あ る。 こ れ に よ る と,村 の 数 で そ の23.4%が1人 の 地 主 に 所 有 さ れ て い た 。 村 の 土 地 す べ て を1人 の 地 主 が 所 有 す る 場 合,こ の 地 主 は オ ンデ マ ー レ キ(ondemalik)と い うが,オ ン デ マ ー レ キ の 村 が 全 村 の4分 の1近

くを 占 め て い た と い う こ とで あ る 。 ま た,ホ ス ラ ビ ー は オ ン デ マ ー レ キ の 実 数 を 示 し て い る。 こ れ に よ る と,イ ラ ン全 体 で オ ン デ マ ー レ キ は4016人,オ ン デ マ ー レ キ に よ っ て 所 有 さ れ た 村 の 数 は6794で あ っ た 。 こ の う ち 約1000人 は2力 村 以 上 を所 有 し,3力 村 以 上 を 所 有 す る 地 主 も

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464家 族 あ っ た 。 最 大 規 模 の 地 主 は ホ ラ ー サ ン 地 方 の ア ラ ム 家 で あ り,215の 村 を 所 有 し て い た4。 こ う した 大 地 主 は そ の 多 くが 中 央 や 地 方 の 政 治 や 社 会 に 強 い 影 響 力 を もつ 名 士 で あ り,「 千 家 族 」 と称 さ れ て い た 。

た だ,こ う した 数 字 も大 土 地 所 有 者 の 実 態 を 十 分 に 示 して い る と は 言 え な い 。 イ ス ラ ム 法 で は 分 割 相 続 が 原 則 とな っ て い る た め,村 を 単 位 に所 有 し な が ら名 義 が 複 数 の 人 物 に分 け られ て い る こ と も多 い 。 多 数 の 親 族 に名 義 を分 け て い て も,実 際 は村 を 単 位 に 土 地 を所 有 す る 場 合 が あ っ た とい う こ と で あ る 。 後 に 述 べ る こ と に な るが,マ ル ヴ ダ シ ト地 方 で は,村 の 土 地 が 複 数 の 名 義 人 に よ っ て持 分 で 共 有 され な が ら,経 営 は村 を単 位 と し,家 長 が 経 営 に 当 た る 例 が み られ た 。 統 計 上 は オ ンデ マ ー レキ で は な い が 村 の 実 質 的 な 所 有 者 で あ る も の を も含 め る と,村 を単 位 に 土 地 を 所 有 す る 大 地 主 の 数 は 農 務 省 の 数 字 よ り も か な り多 く な る と考 え ら れ る 。

イ ラ ンの 地 主 は こ の よ う な 大 地 主 だ け で は な く零 細 な 地 主 も多 い 。 原 隆 一 氏 が 調 査 した ホ ラ ー サ ン地 方 の ピ ヤ ル ケ ー ル村 の 場 合,村 に は 大 土 地 所 有 者 は 存 在 せ ず,農 民 層 の分 解 な ど で 生 ま れ た 小 規 模 な 地 主 や 数 人 の 農 民 を 雇 っ て 経 営 を 行 う地 主 が 紹 介 さ れ て い る5。 と り わ け 山 間 部 の 村 に は 自作 農 と と もに 小 規 模 な 地 主 が み られ た の で あ る 。 し か し本 稿 で 主 と し て対 象 とす る の は 大 オ ア シ ス な ど主 要 な 農 業 地 帯 に展 開 した 地 主 制 で あ る 。 こ う した 農 業 地 帯 は 歴 史 的 に権 力 に とっ て の 財 政 基 盤 で あ り,都 市 に居 住 す る エ リ ー ト層 に よ っ て 村 を 単 位 に 土 地 が 所 有(領 有)さ れ, 都 市 が 村 落 域 を所 有 す る と い う関 係 が 近 代 以 降 も続 い て き た と こ ろ で あ る。

1906年 の 立 憲 革 命 で カ ー ジ ャ ー ル 朝 の 体 制 は 崩 壊 す る が,こ の 革 命 は 日 本 の 明 治 維 新 の ア ナ ロ ジ ー で 語 ら れ る こ とが 多 い6。 しか し,土 地 関 係 で は 明 ら か に 大 き な 違 い が あ っ た 。 日本 で は 地 租 改 正 に よ っ て 耕 作 農 民 が 土 地 の 所 有 権 者 と な っ た が,イ ラ ン で は村 落 域 の 住 民 に 土 地 の権 利

表2地 主の規模 別村 落の割合

村 の種類 割 合(%)

6ダ ン グ ω 23.4

ダ ン グ の 村(2) la.9

小 規 模 保 有 の村(3) 41.9

王領地 の村 2.0

ワ ク フ の村 1.8

国有地 の村 3.6

複合 した村 15.2

不明 a.5

(注)(1)は 一 人 の 地 主 に よ っ て 所 有 さ れ て い る 村 。(2)は 複 数 の 地 主 に 所 有 さ れ,各 主 が 村 の 土 地 の1/6な い し5/6を 所 有 す る 村 。(3)は 複 数 の 地 主 ま た 農 民 が そ れ ぞ れ 1/6以 下 を所 有 す る 村 。

(出 所)KKhosrabvi,BozorgMalekidarIranazDowrehQajariehto‑beEmruz,Tehran,

1961。(岡 崎 正 孝 「イ ラ ン 地 主 の 二 つ の 型 」 滝 川 ・斉 藤 編 『ア ジ ア の 土 地 制 度 と 農 村 社 会 構 造1』 ア ジ ア 経 済 研 究 所,1966年,66ペ ー ジ よ り引 用)

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イ ラン土 地制度 史論(1)23

が 認 め ら れ る こ と は 少 な く と も主 要 な 農 業 地 帯 で は な か っ た 。 カ ー ジ ャー ル 朝 の 時 代,農 業 地 の 多 くは ハ ー レ セ 地(国 有 地)で あ り,ま た都 市 の 名 士 層 に所 有 さ れ て い た 。 ハ ー レセ 地 で は 国 が 直 接 農 民 に徴 税 し,ま た 官 僚 や 都 市 の エ リー トに 下 賜 さ れ た 。 た だ19世 紀 後 半 に は,政 治 的 な 影 響 力 を もつ 権 力 層 や 有 力 部 族 な ど に よ っ て 弱 小 の 土 地 所 有 者 の 土 地 は し ば し ば 略 奪 され,ま た 法 外 な 税 が 課 せ られ て 土 地 の 放 棄 を余 儀 な く さ れ る こ と も多 く,罰 す る 法 律 も な か っ た とい わ れ て い る7。 立 憲 革 命 か ら レザ ー シ ャ ー の 時 代 に か け て 下 賜 地 や 部 族 地 は 国 に よ っ て 没 収 さ れ,民 間 に払 い 下 げ られ た 。 しか し農 民 に払 い 下 げ ら れ る こ と は 一 般 に は な く,新 官 僚 な ど新 た に 登 場

した 都 市 エ リ ー ト層 に よ っ て 所 有 さ れ 続 け た 。 都 市 エ リ ー トが 農 村 域 の 土 地 を所 有 す る とい う 関 係 は崩 れ な か っ た の で あ る。

地 主 が 村 を単 位 に土 地 を所 有 した の は こ う し た歴 史 を 背 景 と して い る 。 つ ま り,近 代 以 降 の 地 主 制 は 前 近 代 の 土 地 関 係 を引 き継 い で い た 。 村 落 域 の 住 民 は 土 地 に対 して 一 切 権 限 を もつ こ とが な く,こ の 関 係 が 農 地 改 革 ま で 続 い た の で あ る 。 しか し,前 近 代 と大 き く異 な る の は,土 地 所 有 権 が 国 家 に よ っ て 保 証 さ れ,商 業 的 農 業 が 展 開 す る 時 代 環 境 の 中 で,地 主 は 農 村 か ら の 余 剰 の 収 奪 者 か ら村 を農 場 と して 経 営 す る 経 営 者 に姿 を 変 え て い っ た 点 で あ る 。 も っ と も,こ の 農 場 は 労 働 者 を 賃 金 労 働 者 と し て 雇 用 す る 近 代 的 な 農 場 で は な い 。 村 落 の コ ミュ ニ テ ィ ー に 多 く を依 存 し,前 近 代 の 関係 を部 分 的 に 残 して い た 。 次 に,こ う した 大 土 地 所 有 制 の 成 立 の プ ロ セ ス を た ど り,地 主 経 営 の もつ 過 渡 的 な 性 格 に つ い て マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の 事 例 か ら解 析 して い く こ と に す る 。

2ア ル バ.̲̲.ブ ・ ラ イ ー ヤ ト制

1)村 落

は じ め に,本 稿 で 対 象 とす る オ ア シ ス 灌 概 農 業 地 帯 の 村 落(deh)に つ い て 述 べ て お く必 要 が あ る 。 こ こ で 扱 う の は マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の 村 落 だ が,他 の 地 方 の 農 村 に 関 す る モ ノ グ ラ フ を み る と,乾 燥 地 ・半 乾 燥 地 の 主 要 な 農 業 地 帯 で は 村 の 構 造 に共 通 す る と こ ろ が 多 い 。 た と え ば セ フ ィ ネ ジ ャ ー ド と岡 崎 正 孝 の 両 氏 が 調 査 を した テ ヘ ラ ン地 方 の 村 や テ ヘ ラ ン大 学 で 調 査 した ホ ラ ー サ ン地 方 の 村 で は 基 本 的 な構 造 は 同 じ で あ っ た8。 た だ,こ こ で は 扱 わ な い が,借 地 農 が 多 い カ ス ピ海 沿 岸 部 や 小 規 模 地 主 や 自作 農 の 多 い 山 間 部 で は 異 な る特 徴 が み られ,気 候 や 地 形 な ど の 地 理 的 条 件 が 村 の構 造 と関 係 が あ る と考 え ら れ る 。

村 を レ イ ア ウ トす る と,土 地 は 集 落 と耕 地 そ れ に 周 辺 の 未 利 用 地 倣 牧 地)で 構 成 さ れ る 。 隣 接 す る村 と の 問 は 明 確 な 境 界 で 区 切 られ,土 地 が 交 錯 す る こ と は な い 。 農 地 の 利 用 に は 強 い規 制 が あ り,農 民 は 分 割 地 を経 営 な い し耕 作 す る 分 割 地 農 で は な く,村 が 一 つ の 経 営 体 と し て 個 別 農 民 の独 立 性 が き わ め て 乏 しい 共 同 体 的 伝 統 を 引 き継 い で い た 。 村 の 耕 地 は 複 数 の 耕 圃 に 分 か れ 耕 圃 を循 環 す る 形 で 作 付 け が 循 環 さ れ た 。 各 耕 圃 は さ ら に複 数 の 耕 区 に 区 分 さ れ,農 民 は各 耕 区 に 分 散 し た 耕 地 で 耕 作 を行 っ た 。 こ の 耕 地 制 度 は ヨ ー ロ ッパ の 開 放 耕 地 制 と き わ め て よ く似 て お

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図2村 の 概 念 図

未耕地

(放牧 地) P一 マ 〔;灌L乙 』 一̲̲ 概 耕 地

り,強 い 共 同体 的 規 制 に よ っ て 村 落 は タ イ トな コ ミュ ニ テ ィ ー を 形 成 し,集 村 の 形 態 を と っ た 。 地 主 制 の 展 開 す る19世 紀 末 か ら20世 紀 に か け て こ の 耕 地 制 度 は 地 主 経 営 に そ の ま ま 踏 襲 され,

こ の た め 村 は 分 割 で き な い 経 営 の 単 位 と して 農 場 化 し た 。

図2は 村 の 土 地 利 用 を 示 した もの だ が,一 般 に 耕 地 の 周 辺 に は広 い 未 耕 地 が 存 在 し た 。 乾 燥 地 で は 灌 概 が 農 業 の 条 件 と な る た め,灌 瀧 用 水 の 及 ば な い 相 対 的 な 劣 等 地 が 未 耕 地 の 状 態 に お か れ た 。 降 水 量 が300ミ リ を 越 え る と,生 産 性 は 低 く不 安 定 で は あ る が 天 水 小 麦 の 生 産 が 可 能 と な

り,灌 概 農 地 の 周 辺 で 非 灌 概 の 天 水 農 業 が 営 まれ る。

灌 概 農 地 で は 小 麦 や 大 麦 が 生 産 さ れ た が,商 品 作 物 と して 価 値 の 高 い 綿 花 や 米 や 砂 糖 ダ イ コ ン な どの 夏 作 も 生 産 さ れ た 。 ま た こ の 圃 場 と は 別 に 小 規 模 な 園 地 を もつ 村 が 多 い 。 農 民 が 利 用 す る 園 地 は集 落 の 近 くに あ り,農 民 が 自給 す る 野 菜 や 家 畜 の た め の ク ロ ー バ ー や ウ マ ゴ ヤ シ が 栽 培 さ れ た 。 一 方,地 主 の 園 地 は 土 塀 で 囲 わ れ た 果 樹 園 で あ る こ とが 多 い 。

乾 燥 地 で は 灌 概 水 量 が 村 の 規 模 を 規 定 し,地 主 経 営 の 農 場 で は 農 民 の 数 も灌 概 水 量 に 対 応 し た 。 水 利 投 資 な ど で 灌 概 水 量 が 増 え る とzr農 地 の 規 模 は 拡 大 し,農 民 の 数 も増 え た 。 トラ ク タ ー が 普 及 す る ま で 耕 作 に雄 牛 が 使 役 さ れ た 。 こ の 伝 統 的 な 農 耕 方 式 の も と で は,農 民1人 が 雄 牛 を も っ て 耕 作 で き る農 地 の 規 模 は お お よ そ 一 定 で あ る 。 マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の 麦 作 を 主 とす る村 の 場 合,こ の 規 模 は8な い し10haで あ っ た 。 こ の 地 方 で は2年1作 の 休 閑 農 業 を 基 本 と して い た か ら,農 民 の 耕 作 能 力 は5ha前 後 と な る 。 年 間200haの 面 積 が 灌 溜i可能 で あ れ ば,こ の 村 の 灌 概 農 地 は休 閑 地 を 含 め て お よ そ400ha,農 民 数 は40人 程 度 と い う こ と に な る 。 村 が 地 主 の 農 場 と し て 経 営 され た と こ ろ で は,農 民 数 は灌 溜濃 地 の 規 模 と農 民1人 の 耕 作 能 力 を 基 準 に 地 主 に

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イ ラン土地 制度史 論(1)25 よ っ て 決 め られ た の で あ る 。

例 え ば ポ レ ノ ウ村 の 場 合,1950年 代 の 終 わ り に 農 民 の 数 は36人,村 の 面 積 は ほ ぼ1000haで あ っ た 。36人 で耕 作 で き る 耕 地 の 規 模 は400ha程 度 で あ り,灌 溜i農地 の 規 模 と な る 。 した が っ て 残 り600haほ どは 未 耕 地 で あ っ た 。 つ ま り,村 の 規 模 は村 の 土 地 面 積 で は な く,灌 概 用 水 量 や 農 民 数 に よ っ て 測 ら れ た の で あ る 。 イ ラ ンで は 村 の 規 模 を ガ ー ウ や ジ ョフ トで 表 現 す る こ と が あ る 。 ガ ー ウ は 牛 の 意 味 で あ り,1人 の 農 民 と1頭 の 雄 牛,こ の 農 民 が 耕 作 す る 面 積 を 意 味 す る 。 ま た,ジ ョフ トは2人 の 農 民 と2頭 の 雄 牛,ま た2頭 の 雄 牛 を くび きで つ な い だ 黎 で 耕 作 で き る 面 積 を 指 す 。 あ る 村 が30ジ ョフ トの 村 と言 う時 に は,60人 の 農 民 が 耕 作 す る 規 模 の 灌 瀧 農 地 が あ る とい う こ と に な る 。 ま た水 量 で 表 現 す る こ と も あ る 。 川 や カ ナ ー トな ど の水 量 を 表 す 単 位 と し て サ ン グ9(石 の意 味)を 用 い る地 方 が あ るが,こ こで は この 単 位 で 村 の 規 模 を 表 現 した 。

乾 燥 地 で は灌 溜i水量 が 村 の 規 模 を 規 定 し た た め,規 模 拡 大 に は 供 給 さ れ る 灌 概 水 量 を増 す こ と が 条 件 に な る。 農 地 開 発 は 灌 概 水 利 の 開 発 を 意 味 して い た 。 ま た,伝 統 的 な 農 耕 技 術 を前 提 とす

る と,灌 概 農 地 面 積 が 増 え れ ば 農 民 数 も増 え る こ と に な る。 レザ ー シ ャ ー の 統 治 期(1925〜41), 中 央 集 権 化 が 進 み社 会 が 安 定 化 し た こ とや 農 業 開 発 へ の 国 家 に よ る 支 援 で,地 主 の 農 業 投 資 が 活 発 化 し た 。 マ ル ヴ ダ シ ト地 方 で も灌 概 水 利 へ の 投 資 が 進 ん だ こ とで 灌 概 農 地 が 拡 大 し た 。19世 紀 の マ ル ヴ ダ シ ト地 方 は 遊 牧 民 の宿 営 地 が あ っ た こ とで 農 地 に利 用 さ れ る 土 地 は 限 られ て い た 。 20世 紀 に 入 り遊 牧 民 の 定 住 化 が 進 み 社 会 が 徐 々 に 安 定 す る と 地 主 の 農 業 へ の 投 資 熱 が 高 ま り, ヘ イ ラ ー バ ー ド村 の 場 合 も新 た に カ ナ ー ト10を 掘 削 し,ま た ポ レ ノ ウ村 の 場 合 も灌 溜i水量 が 大 幅

に 増 え た こ と で 農 地 が 拡 大 さ れ,新 た に 集 落 を作 っ て 遊 牧 民 が 農 民 と し て リ ク ル ー トさ れ た。

2)地 主 経 営 と農 民 の 権 利

地 主 制 の 形 成 過 程 に つ い て は 第3節 で 詳 し く述 べ るが,か つ て の村 落 共 同体 は こ の 過 程 で 崩 壊 し,村 は 地 主 経 営 の 農 場 に 変 化 し た 。 前 近 代 の 土 地 関 係 は 近 代 的 な 土 地 所 有 権 を保 証 さ れ た 地 主 的 所 有 に 変 わ り,地 主 は 単 な る土 地 の 所 有 者 で は な く 「村 の 所 有 者 」 と し て 経 営 へ の 主 体 性 を発 揮 した 。 一 方 で 農 民 は 農 地 に対 す る権 利 を 喪 失 して 農 場 の 雇 農 的 存 在 と な っ た 。 しか し,農 場 化 に よ っ て 村 落 が 消 滅 した 訳 で は な い 。 村 落 社 会 は 維 持 さ れ 農 民 の コ ミュ ニ テ ィ ー も存 続 し た 。 つ ま り農 場 化 に よ っ て 村 の 農 地 が 囲 い 込 ま れ 農 民 が 放 逐 さ れ た の で は な か っ た 。 そ の 主 た る 理 由 は,農 場 が 耕 地 制 度 と と も に伝 統 的 な 農 耕 方 式 を 踏 襲 し,村 落 農 民 の コ ミ ュ ニ テ ィ ー に 依 拠 す る 形 で 経 営 を 行 っ た こ と に あ る 。 当 時,西 欧 に み られ た よ う な 農 業 革 命 が イ ラ ン で は展 開 せ ず,農 業 技 術 に革 新 が み られ な か っ た こ とで,近 代 的 な 農 場 へ の 展 開 が 進 ま な か っ た の で あ る 。

地 主 は 村 落 社 会 に依 拠 して 経 営 を 行 っ た が,地 主 と農 民 の 関 係 で は 強 い権 限 を 行 使 し,支 配 と 従 属 の 関 係 か ら経 済 外 的 な 強 制 を も可 能 と して い た 。 こ う し た 地 主 と農 民 の 関 係 は 一 般 に ア ル バ ー ブ ・ラ イ ー ヤ ト制 と か マ ー レ キ ・ラ イ ー ヤ ト制 と呼 ば れ て い る 。 ア ル バ ー ブ(arbab)や マ ー レ キ(malik)は 本 来 土 地 の 所 有 者 を 意 味 す る 。 しか し,マ ー レ キ が 所 有 者 一 般 を 意 味 す る の に 対

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して ア ルバ ー ブ は 「旦 那 」 とか 「主 人 」 と い っ た 身 分 的 な 内 容 を ニ ュ ア ン ス と して 含 ん で い る 。 つ ま り,農 民 に と っ て 地 主 は 単 な る 土 地 所 有 者 で は な く,人 格 に 関 わ る 存 在 で あ っ た 。 ま た ラ イ ー ヤ ト(ra'iyat)は 地 主 制 の 下 で の 農 民 一 般 を 指 し た が,カ ー ジ ャ ー ル 朝 の 時代 に は 国 王 の 臣 民 を 指 す 用 語 で あ っ た11。 人 頭 税 や 賦 役 の 対 象 と な っ た 農 民 が ラ イ ー ヤ トで あ っ た12。 そ して 地 主 制 下 に お い て は 地 主 に 従 属 す る 農 民 の 身 分 も そ の 概 念 に含 ん で い た 。 つ ま りア ル バ ー ブ ・ラ イ ー ヤ ト制 に は 単 に 土 地 を 媒 介 と した 関 係 で は な く,地 主 と農 民 の 前 近 代 的 な 身 分 や 支 配 と従 属 の 関 係 も表 現 さ れ て い る 。

こ う した 地 主 の 権 限 を証 明 す る事 例 は,村 の 農 民 の 話 か ら数 多 く示 す こ とが で き る 。 た と え ば ヘ イ ラ ー バ ー ド村 の 古 老 の 話 に よ る と,地 主 は50㎞ 離 れ た 州 都 か ら 時 々 馬 に 乗 っ て や っ て 来 て さ ま ざ ま な 指 示 を 行 っ た が,そ の 指 示 は 絶 対 的 な も の で 意 見 を は さ む こ と は 一 切 認 め ら れ な か っ た 。 村 の 紛 争 に 対 して は 地 主 が 裁 決 を下 し,農 民 の 生 存 権 を も奪 う領 主 裁 判 権 ほ ど の 権 限 は な か っ た も の の,重 大 事 件 を 除 け ば 実 質 的 な 裁 判 権 を 行 使 し た 。 ま た ポ レ ノ ウ村 の 農 民 の 話 に よ る と,農 民 は 地 主 の 意 思 で 容 易 に 追 放 さ れ,農 民 は 「あ そ こへ 行 け,こ っ ち へ 来 い と い わ れ れ ば,働 く場 所 も住 居 も移 っ た 」。 農 民 は 貧 困 の あ ま り畑 の 作 物 を くす ね る こ と も し ば しば あ っ た が,地 主 の 差 配 と し て の キ ャ ドホ ダ ー(kadkhuda)は 暴 力 を も っ て 処 罰 した 。 コ ル バ ー ル 地 区 に あ る フ ィ ー ザ ー バ ー ド村 の 農 民 の 話 も地 主 と農 民 の 関 係 を よ く示 し て い る 。 農 民 は 皆 地 主 を恐 れ て い た 。 地 主 は 時 々村 に や っ て き て,ト ラ ブ ル が 起 こ る と農 民 を直 立 不 動 に 並 ば せ て 一・人 ひ と り

に ビ ン タ を食 らわ せ,紛 争 に 対 し て は 地 主 が 裁 判 を 行 い 処 罰 した の で あ る。 要 す る に,ア ル バ ー ブ ・ラ イ ー ヤ ト制 に お け る 地 主 と農 民 の 関 係 は前 近 代 的 な 強 制 関 係 を残 し,村 は 領 主 直 営 地 を想 起 させ る も の で あ っ た 。

地 主 の 強 い 権 限 か ら農 業 労 働 以 外 に も農 民 に さ ま ざ ま な 賦 課 を命 じた 。 こ の 主 な もの を あ げ る と以 下 の よ う で あ る 。

① 地 主 の 園 地(通 常 は 果 樹 園 で あ る 直 営 地)に 対 す る労 働 提 供 。 こ の 園 地 に は 専 属 の 労 働 者 が い た が,農 民 も ま た 労 働 を負 担 し た 。

② 灌 概 水 路 の 掃 除 や カ ナ ー トの 維 持 労 働 。

③ 地 主 取 分 と さ れ た 穀 物 な ど の 倉 庫 へ の 運 搬 。

多 くの 場 合 こ れ らの 作 業 は 無 償 で 行 わ れ た 。 水 利 施 設 の 維 持 な どの 土 木 作 業 は 本 来 権 利 の 主 体 で あ る地 主 の 義 務 で あ っ た か ら,維 持 労 働 に は 報 酬 が 支 払 わ れ る べ き で あ っ た 。 しか し通 常 は 無 償 で あ っ た 。 河 川 灌 概 の 村 で は分 水 路 の 維 持 管 理 は 受 益 者 で あ る 地 主 の 責 任 と され た が,ポ レ ノ ウ 村 で は 堰 か ら の 水 路 の 維 持 労 働 に は村 の 農民 が 狩 り出 さ れ た 。 カ ナ ー トの 維 持 に つ い て も同 様 で あ る 。 地 下 水 路 は壊 れ や す く土 砂 が た ま り易 い た め,維 持 に は か な りの コ ス トが か か り,ヘ イ ラ ー バ ー ド村 で は 農 民1人 当 た り年 間50日 以 上 が 必 要 と さ れ た 。 こ れ らの 作 業 は 農 民 の 無 償 の 労 働 に よ っ た の で あ る。

こ の 無 償 の 労 働 は ビ0ガ ー リ ー(bigari)と 呼 ば れ た 。 ラ ム ト ン は こ れ を 人 身 隷 属 に よ る 賦 役 で

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イ ラン土 地制度 史論(1)27 あ る と し13,前 近 代 に は 地 主 が 国 王 に 果 た す 奉 仕 で あ り,実 際 に は 農 民 が こ れ を 行 っ た も の が, 近 代 に な っ て 地 主 に 対 す る 賦 役 だ け が 残 っ た と説 明 した 。 ま た 大 野 盛 雄 氏 は,ビ ー ガ ー リ ー を労 働 地 代 と し,村 の 公 共 の 仕 事 と し て 農 民 が 負 担 す る労 働 の 中 に地 主 に対 す る 労 働 地 代 が 含 ま れ て い る と理 解 した14。 農 民 は 地 主 に 分 益 地 代 を 支 払 っ た が,こ れ に 労 働 地 代 と して の ビ ー ガ ー リ ー が 加 わ っ た と い う こ と で あ る 。1場 経 営 に は不 可 欠 な 労 働 で あ っ た が,本 来 地 主 が 負 担 す べ き コ ス トが 農 民 に負 わ さ れ た とい う こ とで あ る 。 た と え ば ポ レ ノ ウ村 で は,上 に示 し た作 業 に 限 ら ず 地 主 が 命 じた あ らゆ る労 働 が 含 ま れ,女 性 も ま た 徴 用 され た 。 農 民 の 話 に よ る と,砂 糖 ダ イ コ ン は20km離 れ た 砂 糖 工 場 ま で 運 ば な け れ ば な らず,ま た 色 々 な 物 の 調 達 も求 め ら れ た 。 た と え ば 正 月 に は 農 民 に そ れ ぞ れ20個 の 卵 を持 参 す る よ う地 主 に 命 じ ら れ た の で あ る 。

こ う した 地 主 の 強 い 権 限 の 根 拠 は ど こ に あ る の だ ろ うか 。 地 主 は都 市 に居 住 す る不 在 地 主 で あ り 自 ら の暴 力 装 置 を も っ て は い な い 。 しか し暴 力 が 介 在 しな か っ た わ け で も な い 。 地 主 が 裁 判 権 の ご と き経 済 外 的 な 強 制 力 を行 使 し得 た の は,国 家 の 暴 力 装 置 が 地 主 の 権 力 行 使 を 支 え て い た こ と と無 関 係 で は な い 。 こ の 点 に つ い て は 国 の 権 力 構 造 と地 主 の 関 係 か ら説 明 す る 必 要 が あ る。 後 に 述 べ る よ う に,レ ザ ー シ ャ ー の 時 代 に は 国 は 地 主 層 と 同 盟 関 係 を 結 ん で 中 央 集 権 化 と工 業 化 を 進 め て お り,地 域 に 配 置 さ れ た 辺 境 警 察 が 地 主 の 権 限 を 背 後 で 支 え る 機 能 を果 た した こ と は確 か で あ る 。 農 地 改 革 の 直 前 ま で 地 主 層 は 中 央 と地 方 の 政 治 に 強 い 影 響 力 を も ち,こ う し た 国 家 の 暴 力 装 置 は 農 民 を 監 視 し地 主 と農 民 の トラ ブ ル に 際 し て は 地 主 側 に 立 っ て 介 入 し た 。

一・方

,地 主 の 権 限 は ま た権 利 関係 か ら説 明 す る 必 要 が あ る 。 と く に地 主 が 土 地 と と も に 主 要 な 生 産 手 段 で あ る 水 の 所 有 者 で あ っ た こ とが 重 要 で あ る 。 す で に 述 べ た よ う に,乾 燥 地 で は 灌 概 が 農 業 の 条 件 と な り灌 概 な しに 経 営 は成 り立 た な い か ら,水 利 に 権 利 を もつ 者 が 強 い 請 求 権 を もつ こ とが で きた 。 イ ラ ンで は水 は,土 地 に付 属 す る 属 地 的 な性 格 を も た ず 人 に 帰 属 す る 属 人 的 な 物 権 で あ る 。 こ の た め,土 地 と水 の 所 有 者 が 分 離 して い る こ と もあ り,農 業 に 際 して 水 の所 有 者 と 土 地 の 所 有 者 の 間 で 水 が 売 買 さ れ る こ と も あ っ た 。 しか し,オ ア シ ス 農 業 地 帯 で は多 くの 場 合, 地 主 は 同 時 に水 の 所 有 者 で も あ り,主 要 な 生 産 手 段 を独 占 して い た 。 しか も19世 紀 と は 異 な り 権 利 が 近 代 法 に よっ て 保 証 さ れ た も の で あ っ た 。

マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の 場 合 で み る と,主 要 な 灌 概 手 段 は 谷 平 野 を 縦 貫 す る コ ル 川 と シ ー バ ン ド 川,そ れ に 山 際 の 湧 き水 と 地 下 水 で あ る 。 河 川 灌 概 は こ の 地 方 の200ほ ど の 村 の ほ ぼ 半 分 が こ の 2つ の 河 川 か ら灌 溜i用水 の供 給 を 受 け,複 数 の 分 水 堰 か ら水 路 が 引 か れ て 村 に 導 か れ た 。 受 益 村 は そ れ ぞ れ に 分 水 堰 の 水 量 に 対 して 持 分 を も っ て い た 。 た と え ば ポ レ ノ ウ村 は コ ル 川 の 一 つ の 堰 で あ る ラ ー ム ジ ェ ル ド堰 か ら分 水 さ れ る水 量 の840分 の22に 権 利 が あ っ た15。 し か し村 に 割 り 当 て られ た 持 分 に 対 す る権 利 は村 の 農 民 で は な く地 主 に 帰 属 し,し か も近 代 に 至 っ て 水 利 権 が 村 で は な く土 地 の 所 有 者 に 認 め られ た 物 権 と し て 権 利 が 保 証 さ て い た 。

地 主 が 水 の 所 有 者 で あ る こ と は カ ナ ー トに つ い て も 同様 で あ る 。 当 時 イ ラ ン に は カ ナ ー トが3 な い し4万 あ り,灌 溜i農地 の ほ ぼ 半 分 が カ ナ ー トに よ っ て 灌 溜iされ て い た 。 マ ル ヴ ダ シ ト地 方 に

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お い て も山 際 に は カ ナ ー トを 利 用 す る村 が 数 多 くあ っ た 。 こ の 地 方 の カ ナ ー トは 地 下 水 路 の 長 さ が 比 較 的 短 く1な い し数 ㎞ の も の が 多 い 。 建 設 に は1㎞ 当 た 膿 民20な い し50人 の 年 収 分 の 費 用 が か か る と言 わ れ て お り16,地 主 は この 費 用 を負 担 し て 建 設 し管 理 して き た 。 つ ま り,農 業 を成 立 させ る 条 件 で あ りか つ 高 い 生 産 性 を保 証 す る水 は 地 主 に よ っ て独 占 さ れ,こ の 独 占が 農 民 に 対 す る 地 主 の 強 い 権 限 の根 拠 で も あ っ た 。

で は 農 民 の 権 利 は ど う 説 明 さ れ る の か 。 ア ル バ ー ブ ・ラ イ ー ヤ ト制 の も と で 村 の 土 地(地 主 の 農場)で 働 く権 利 は ナ サ ク(nasaq),こ の 権 利 を もつ 農 民 を ナ サ ク ダ0ル(nasaqdar)と い っ た 。

こ の ナ サ ク に つ い て フ ー ク ラ ン ドは,分 益 制 の も と で の 耕 作 権 で あ りま た 灌 概 用 水 の 用 益 権 を 含 む も の で あ る と説 明 した17。 ま た ア ー ミ ド も地 主 か ら土 地 を 得 て 耕 作 権 を も つ 農 民 が ナ サ ク ダ ー ル で あ る と述 べ て い る18。 しか し,マ ル ヴ ダ シ ト地 方 で 見 る 限 りお よ そ こ う した 性 格 の も の で は な い 。 村 は 地 主 経 営 の 農 場 で あ り,こ こ で 働 く農 民 は 地 主 に 雇 わ れ た 農 業 労 働 者 に 近 い 存 在 で あ っ た か ら,土 地 に 対 す る 権 利 を ま っ た く も た な か っ た 。 し た が っ て 耕 作 権 や 借 地 権 と して 説 明 す る こ と は で き な い 。 あ え て 権 利 とい う言 葉 を使 う と,雇 農 と して 農 場 で 働 く権 利 とす る の が 適 当 で あ り,こ の 権 利 が き わ め て 脆 弱 で あ る こ と も地 主 の 強 い 権 限 の 根 拠 と な っ て い た 。

農 民 の 権 利 が 脆 弱 で あ っ た さ ら に 一 つ の 理 由 と し て,農 村 に お け る 予 備 軍 の 存 在 を 付 け加 え る 必 要 が あ ろ う 。 村 に は ホ シ ネ シ0ン(㎞ushnesin)と 呼 ば れ る ナ サ ク を も た な い 住 民 が い る 。 こ の ホ シ ネ シ ー ン は,村 落 に お け る社 会 的性 格 か ら,床 屋 な ど村 抱 え 的 な 職 人,地 主 の ナ サ ク を も た な い 雇 用 人,ナ サ ク を 得 る チ ャ ンス を待 つ 予 備 軍 の3つ に 大 別 す る こ とが で き る。 こ の う ち の 予 備 軍 は 農 場 で の 雇 用 を 果 た せ な い 人 々 で あ り,地 主 に と っ て は農 民 を ホ シ ネ シ ー ン とい つ で も 交 代 さ せ る こ とが で き た 。 時 代 が 下 が り人 ロ が 増 え る に し た が っ て ホ シ ネ シ ー ン の 割 合 が 高 ま り,た と え ば ケ ル マ ン地 方 の 場 合,農 業 労 働 の メ ンバ0は 頻 繁 に 交 代 させ ら れ,「 耕 し た 土 地 を 自 らの 手 で 収 穫 で き る 保 障 は ま っ た く な い 」 とい う状 況 に あ っ た と い わ れ て い る19。

要 す る に,ナ サ ク は き わ め て 不 安 定 で あ り,こ の こ と が 農 民 の 立 場 を よ り弱 い も の と し た 。 も っ と もマ ル ヴ ダ シ ト地 方 の 場 合,農 地 の 開 発 が 進 ん だ20世 紀 前 半 期 に は む し ろ 労 働 力 が 不 足 し遊 牧 民 の 定 住 に よ っ て 充 足 さ せ る 状 況 に あ っ た 。 こ の た め ホ シ ネ シ ー ン の 比 率 は 比 較 的 低 く, こ の た め 農 民 が 理 由 も な く雇 農 と し て の 権 利 を一 方 的 に破 棄 さ れ る こ とは 通 常 は な か っ た し,権 利 は 子 供 の う ち の 一 人 に 引 き継 が れ こ とが 多 か っ た 。 た だ,こ の 相 続 も確 立 さ れ た 権 利 と い う よ

り農 民 との 関 係 を 維 持 す る こ とで 農 業 経 営 を 安 定 させ る必 要 が あ っ た 地 主 側 の 動 機 に よ る とい っ た 方 が よ り正 確 で あ る 。 地 主 の 多 くは都 市 に 居 住 し差 配 を 介 して 村 落 社 会 と 関 係 し,ま た 農 場 で は伝 統 的 な耕 作 方 式 と耕 地 制 度 が 継 承 さ れ た た め,農 民 の 組 織 を崩 して ま で 恣 意 的 な 行 動 を と る こ と は 地 主 自 身 に と っ て も プ ラ ス に は な ら な か っ た の で あ る 。

3)生 産 物 に 対 す る 地 主 と農 民 の 取 分

以 上 に 示 し た よ う に,農 地 改 革 が 実 施 され る まで の 村 で は,ア ル バ ー ブ ・ラ イ ー ヤ ト制 の も と

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イラ ン土地制度 史論(1)2g

農 民 の 権 限 は き わ め て 脆 弱 で あ り,地 主 は封 建 領 主 の ご と き権 限 を有 して い た 。 村 は 実 質 的 に 地 主 経 営 の 農 場 で あ り,地 主 の エ ス テ ー トと して 地 主 の 所 有 物 の ご と く観 念 さ れ て い た 。 こ う した 地 主 の 強 い 権 限 は,地 主 が 土 地 と と も に 乾 燥 地 農 業 の 条 件 で あ る水 を 所 有 し て い た こ と,労 働 力 の 予 備 軍 と し て の ホ シ ネ シ ー ンや 暴 力 装 置 と して の 辺 境 警 察 の存 在 に よ っ て 説 明 し て き た 。 しか

し,農 場 化 で 村 落 そ の もの が 崩 壊 過 程 を た ど っ た 訳 で は な い 。

地 主 は村 落 社 会 に 依 拠 して 経 営 を行 い,農 耕 の 方 式,労 働 組 織,耕 地 制 度 は19世 紀,ま た そ れ 以 前 か ら の 村 落 共 同体 に お け る も の が そ の ま ま 踏 襲 さ れ た 。 そ の 理 由 は,農 業 の 技 術 的 な発 展 が 少 な く と も20世 紀 半 ば ま で み ら れ な か っ た こ と に あ る。 近 代 的 な 農 場 制 へ の 移 行 が 技 術 の 面 の 制 約 か ら不 可 能 で あ っ た と い う こ とで あ る 。 低 い 生 産 力 水 準 で は,村 落 に 依 存 し た 地 主 経 営 は 一 定 の 合 理 性 を も ち,村 落 の コ ミ ュ ニ テ ィ ー を活 用 し て 低 コ ス トで 農 場 を管 理 す る こ とが で き た 。

ア ル バ ー ブ ・ラ イ ー ヤ ト制 の も と生 産 さ れ た 農 産 物 は地 主 と農 民 の 間 で どの よ う に 分 配 さ れ た の か 。 先 に,1960年 の 農 業 セ ンサ ス で は 地 主 制 下 の 農 民 を 分 益 農 と借 地 農 に 分 け,分 益 農 が 全 体 の59.2%を 占 め て い る こ と を 示 し た 。 こ こ で の 借 地 農 は 農 民 が 地 主 か ら土 地 を 借 りて 農 業 を 経 営 し,現 物 ま た は 金 納 で 定 額 の 地 代 を地 主 に 支 払 う 農 民 で あ り,通 常 は 分 割 地 を 経 営 す る 自営 農 で あ る。 こ れ に 対 して 分 益 農 は 現 物 ・定 率 で 地 主 と収 穫 物 を分 け る 農 民 で あ る 。 分 益 制 に つ い て は さ ま ざ ま な 議 論 が あ る。 乾 燥 地 農 業 は 不 安 定 で あ る た め,定 率 で あ る こ と で 危 険 負 担 を 地 主 と農 民 の 双 方 が 負 い,危 険 の 回 避 を 目的 と して 制 度 化 さ れ た と す る 考 え もあ る。 農 業 を継 続 的 に 行 う に は 農 民 を殺 す わ け に は行 か な い し,翌 年 の 生 産 の た め に播 種 用 の 種 や 役 畜 が 確 保 さ れ る 必 要 が あ り,こ の 点 で 分 益 制 は有 効 で あ る とい え る 。

イ ラ ン に は 農 業 生 産 の 主 要 な要 素 を,土 地,水,労 働,種,牛 の5つ に 分 け る 〔農 業 生 産 の5 要 素 〕 の 考 え 方 が あ る。 土 地 と労 働 は も ち ろ ん 基 本 的 な 要 素 だ が,伝 統 的 な農 業 で は 他 の3つ の 要 素 も重 要 で あ る 。 そ の 一 つ 「種 」 に つ い て み る と,地 主 制 の 時 代,小 麦 の 収 量 は今 日 よ り も か な り低 く,マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の 場 合,灌 概 小 麦 で 播 種 量 の10倍 前 後,非 灌 概 小 麦 で は 多 い 年 で 5,6倍,旱 越 の 年 に は1倍 に も な ら な か っ た 。 つ ま り,耕 作 に 当 た っ て は 相 当 の 種 を用 意 す る 必 要 が あ っ た 。

「牛 」 は耕 作 に使 役 す る雄 牛 の こ と で あ る 。 トラ ク タ ー が 導 入 され る 以 前 に は黎 耕 や 脱 穀 作 業 な どの 重 要 な作 業 で雄 牛 が 使 役 さ れ た 。 ア ル バ ー ブ ・ラ イ ー ヤ ト制 の も とで は 農 民 は 裸 の 労 働 で は な く雄 牛 と一 体 化 した 労 働 力 と して 雇 用 さ れ た た め,農 民 が 農 場 で 働 く に は 雄 牛 を もつ こ とが 条 件 と され,も た な い 場 合 は地 主 が 前 貸 し な ど の 方 法 で 農 民 に 雄 牛 を持 た せ た 。

ま た 「水 」 は 灌 概 用 水 の こ と で あ る。 乾 燥 地 で は灌 溜iが農 業 経 営 の 条 件 で あ り,水 な しで は き わ め て 不 安 定 で 生 産 性 の 低 い 農 業 しか 可 能 で な い 。 こ の 点 で 土 地 と と も に も っ と も重 要 な 生 産 要 素 とい っ て よ い 。 各 要 素 の 評 価 は 農 業 生 産 の 気 候 条 件 の 違 い で 異 な るが,乾 燥 地 で は 「水 」 が, 非 灌 概 農 業 で は 収 量 の 対 播 種 量 比 が 低 い た め 「種 」 の 評 価 が 相 対 的 に高 い 。

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30商 経 論 叢 第41巻 第3・4合 併号(2006.3)

こ の 〔生 産 の5要 素 〕 の 考 え 方 は イ ラ ンの 農 業 条 件 と して の 気 候 お よ び 伝 統 的 な農 耕 方 式 に も とつ い て お り,生 産 手 段 を 個 別 に 要 素 で 分 け た の は,地 主 と 農 民 が こ の 要 素 を分 け て 負 担 し,ま た こ の 負 担 に応 じ て 収 穫 物 に対 し て 取 分 を 得 た こ と に よ る 。 要 素 分 担 に つ い て み る と,一 般 に 灌 概 農 業 と非 灌f農 業 と で 大 き な 違 い が み られ た 。 表3み る よ う に,灌 概 農 業 で は 農 民 は 労 働 と雄 牛 を負 担 す る か,自 ら の 労 働 力 の み しか 負 担 し て い な い 。 こ れ に 対 し て 非 灌 概 農 業 で は,農 民 が 労 働 力 に加 え て 役 畜 と種 を 負 担 す る 場 合 が 割 合 と して 非 常 に 高 い 。 こ れ を 地 主 の 負 担 で み る と, 灌 溜i農業 で は土 地,水,種,地 方 に よ っ て は牛 も負 担 し た が,非 灌 概 農 業 で は 土 地 の み の 提 供 者

で あ る割 合 が 高 い20。

表3地 主所有地 におけ る農民 の生産 要素 の分 担(村 の割合)

灌概農 業 非灌 概農業

労 働 力 の み 労 働 力 ・役 畜 労 働 力 ・役 畜 ・種

25%3%

74%13%

84%

(出 所)バ デ イ 「現 代 イ ラ ン の 農 業 関 係 」(『 ユ ー ラ シ ア 』 季 刊7, 1972年)47‑57ペ ー ジ

灌 概 農 業 を行 う ポ レノ ウ村 の 場 合 で み る と,農 民 は 自分 の 労 働 力 の み 負 担 した 。 も っ と も役 畜 と して の 雄 牛 は 農 民 が 飼 養 した が,地 主 が 購 入 資 金 を 出 して お り,牛 が 死 ぬ か 農 民 が 村 を 出 る と き に は 地 主 は こ の 資 金 を 回 収 した 。 した が っ て 農 民 自身 は こ の 牛 を 地 主 の もの と思 っ て い た。 一 方,非 灌 概 農 業 で は 水 が な い た め4要 素 と な る が,通 常,地 主 は 土 地 の み しか 提 供 せ ず,種, 牛,労 働,ま た こ れ に付 属 す る農 具,肥 料 な ど は す べ て 農 民 が 負 担 した 。

こ の 〔農 業 生 産 の5要 素 〕 に お い て は,各 要 素 の 価 値 が 評 価 さ れ,こ の 評 価 に 応 じて 負 担 者 が 生 産 物 に 取 分 を も つ も の と さ れ た 。 マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の 場 合 で み る と,灌 概 小 麦 で は 地 主 は 土 地,水,種,ま た 役 畜 を 負 担 す る こ と で 収 穫 の3分 の2に 権 利 を もち,農 民 は 自 らの 労 働 を提 供 す る こ と で3分 の1を 得 た 。 一 方,非 灌 概 小 麦 で は 地 主 は 土 地 の み を提 供 し農 民 が そ の 他 の 要 素

を 負 担 す る こ と で 収 穫 の5分 の4を 手 に した 。

こ の 収 穫 の 分 配 比 率 に つ い て は 農 業 に必 要 な 主 要 な生 産 要 素 の 負 担 に 応 じた も の で あ る と説 明 さ れ て き た が,現 実 の 分 益 は こ れ と は大 分 違 っ た もの で あ っ た 。 先 に述 べ た よ う に,地 主 は封 建 領 主 の よ う な権 限 を も っ て い た か ら さ ま ざ ま な 名 目で 農 民 か ら収 奪 した 。 ま た 播 種 用 の 種 につ い て は 地 主 が 提 供 し,牛 も購 入 資 金 を 地 主 が 前 貸 しす る こ とが 多 か っ た が,種 と牛 を負 担 した こ と で 分 益 前 に 収 穫 か ら5分 の2を と る 地 主 も い た 。 ま た 種 に 対 して は50%な い し100%の 利 子 を つ け て 収 穫 時 に 農 民 か ら取 り上 げ る の が 一 般 的 で あ っ た と さ れ る 。 しか も本 来 地 主 が 負 担 す べ き 費 用 が 分 益 時 に 農 民 に課 せ られ る こ と も あ っ た 。 た とえ ば,地 主 の 差 配 で あ っ た キ ャ ドホ ダ ー や 農 民 が 畑 か ら略 奪 し な い よ う に 見 張 る ダ シ トバ ー ン(畑 番)の 取 分 は,地 主 と農 民 間 の 分 益 に 先 立 っ て 控 除 さ れ た 。

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イ ラン土地 制度 史論(1)31

実 際 の 分 益 風 景 を 再 現 す る と次 の よ う で あ る 。 農 民 が 刈 り取 っ た 小 麦 は 脱 穀 場 に 山 に 積 ま れ る 。 こ れ を 牛 や 馬 が 牽 引 す る農 具 で 踏 み ま わ り脱 粒 し ワ ラ を砕 く。 続 い て 風 の 強 い 日 を選 ん で, こ れ を繰 り返 し フ ォ ー ク で 掻 き揚 げ て 麦 粒 を選 り分 け,最 後 の 節 に か け て 雑 物 を 除 く。 脱 穀 を終 了 した 小 麦 は そ の 場 で 山 に 盛 られ る 。 こ の 山 に は 手 で触 れ る と わ か る よ う に モ フ ル(刻 印)が 押 さ れ,農 民 や よ そ 者 が 盗 ま な い よ う に監 視 さ れ る 。 地 主 と 農 民 の 関 係 は 相 互 に 不 信 の 関 係 に あ

り,地 主 は村 の 外 部 者 や 村 の 農 民 や ホ シ ネ シ ー ン(非 農 民)の 中 か らモ バ ー シ ェ ル(mubashir)と ダ シ トバ ー ン(dashtban)を 雇 い,農 民 の 監 視 に 当 た らせ た 。 モ バ ー シ ェ ル は 収 穫 の 分 益 に 際 し て こ れ に 立 会 い,地 主 取 分 が 不 足 な く地 主 経 営 者 に渡 る よ う に 監 視 し,地 主 取 分 を倉 庫 に 運 び 管 理 す る 義 務 も負 っ た 。 ま た ダ シ トバ ー ン は畑 で の 盗難 を 防 止 す る こ と を 仕 事 と した が,と くに 収 穫 期 の 盗 難 防 止 が 重 要 で,脱 穀 場 に 運 ば れ た 小 麦 が 農 民 や 外 部 者 に よ っ て 奪 わ れ な い よ う に徹 夜

で 監 視 した 。

分 益 比 率 に よ る 農 民 の 取 分 は 農 場 に お け る 労 働 の 報 酬 だ が,地 主 の 本 来 支 払 うべ き費 用 も あ ら か じめ 差 し引 か れ た 。 分 益 作 業 の 手 順 を み る と,ま ず 小 麦 の 山 か ら,キ ャ ドホ ダ ー,モ バ ー シ ェ ル,ダ シ トバ ー ン の 費 用 が 支 払 わ れ た 。 キ ャ ドホ ダ ー は 地 主 の 差 配 で も あ っ た が,生 産 物 に 5%な い し10%に 権 利 を も ち,ま ず こ れ が 差 し引 か れ た 。 モ バ ー シ ェ ル や ダ シ トバ ー ン も地 主 の た め に 行 動 す る 地 主 の 雇 用 人 だ が,分 益 作 業 で は 地 主 と農 民 で 収 穫iを分 け る 前 に 彼 らの 支 払 い 分 が 控 除 さ れ た 。 つ ま り,地 主 と農 民 の 共 同 経 営 と い う名 目で 農 民 も 費 用 の 一 部 を 負 担 して い た 。 さ ら に種 や 牛 の 前 貸 し分 と して 高 い 利 子 を加 え て 小 麦 の 山 か ら取 り除 か れ,残 っ た小 麦 の 山 が 地 主 と農 民 の 間 で あ らか じめ 決 め られ た 分 益 比 率 で 分 け られ た の で あ る 。

こ の よ う に 分 益 制 度 は 地 主 と農 民 の 負 担 に 応 じ て 生 産 物 を分 け る 制 度 と して 理 解 さ れ て い る が,実 際 に は 農 民 の 取 分 は これ よ りは る か に 少 な か っ た 。 地 主 権 力 が きわ め て 強 か っ た こ とか ら 強 制 に よ っ て 余 剰 が 収 奪 さ れ た 。 農 民 の 負 担 は こ の 他 に も あ る 。 水 利 施 設 の 維 持 管 理 労 働 は 農 民 の 無 償 の 労 働 に よ り,ヘ イ ラ ー バ ー ド村 で は税 を 支 払 う た め の 農 地(モ サエ デ)が 用 意 さ れ て い た が,こ こ で の 耕 作 も農 民 の 無 償 労 働 に よ っ て い た の で あ る 。

3地 主経営 の成立 と発展

1)19世 紀 の 土 地 関 係 と私 的 所 有 の 拡 大

か つ て ケ デ ィ は19世 紀 ま で の イ ラ ン社 会 に つ い て 封 建 制 と規 定 し,領 主 層 が 農 村 域 で は な く 都 市 に 居 住 し て い る 点 で 西 欧 の 封 建 制 と は異 な る と し た21。 ま た ラ ム ト ン は イ ラ ンの 土 地 制 度 は 国 家 に よ る 官 僚 へ の 土 地 の 割 り当 て で あ り封 建 的 な も の で は な い と した22。 都 市 の 土 地 権 力 層 が 農 村 域 の 村 を 支 配 す る と い う点 で は 共 通 し て い た が,土 地 を め ぐる 支 配 の 構1造に つ い て は 認 識 を 異 に し,ケ デ ィ は 中 央 に対 す る 地 方 の権 力 層 の 自立 性 が 強 調 さ れ た の に対 し て,ラ ム トン は む し

ろ 中 央 の 専 制 的 な 支 配 の シ ス テ ム が 機 能 し て い た と主 張 し た の で あ る 。

ペ ル シ ア 帝 国 以 来,現 代 の イ ラ ンの 領 域 で 成 立 した 王 朝 に と っ て,土 地 が 国 家 財 政 の 財 源 基 …盤

(16)

32商 経 論 叢 第41巻 第3・4合 併号(2006.3)

を な し た。 権 力 維 持 に と っ て 土 地 を 支 配(所 有)し,土 地 か ら の 収 入 が 軍 隊 や 官 僚 の 維 持,行 政 と 王 室 の 出 費 を賄 う必 要 が あ り,こ の た め 王 朝 が 交 代 し ま た カ ー ジ ャ ー ル 朝 の よ う に 有 力 部 族 が 権 力 を 握 る と ま ず 権 力 の 安 定 ・強 化 を は か る た め に 土 地 の 再 配 分 が な さ れ た 。 こ の 再 配 分 の プ ロ セ ス は,中 央 権 力 に よ る 部 族 地 や 領 有 地 を 没 収 し て 国 有 地 に 組 み 込 み,こ れ を 地 方 の 豪 族 や 名 士 層 の 有 力 勢 力 や 部 族 長 に封 土 と して 再 分 配 し,ま た 軍 人 や 官 僚 に 俸 給 を与 え る 目 的 で 土 地 へ の 権 利 を与 え る とい う も の で あ る 。 こ の う ち 前 者 に つ い て は 地 方 勢 力 と 同 盟 関 係 を結 び,中 央 権 力 へ の 忠 誠 と有 事 の 際 に 軍 事 的 な 支 援 が 求 め る とい う こ とで 封 建 的 特 徴 を もっ て い る。 一 方,後 者 に つ い て は 官 僚 制 を 基 礎 と した い わ ゆ る ア ジ ア 的 な 専 制 国 家 と し て の 特 徴 を 有 し て い た 。 国 王 が ハ ー レ セ 地(国 有 地)を 下 賜 す る 制 度 は トユ ー ル 制 と呼 ば れ,軍 人 や 官 僚 へ の 土 地 の 下 賜 に つ い て は,実 際 に は そ の 土 地 か らの 収 入 に対 す る 権 利 とい う性 格 が 強 く,原 則 と して 一 代 限 りの も の で あ っ た23。

国 家 の 財 政 収 入 は 国 有 地 か ら の 税(地 代)が 基 礎 に な っ て お り,徴 税 シ ス テ ム と して は 基 本 的 に は 徴 税 官 が 農 民 や 土 地 の 所 有 者 か ら徴 収 す る と い う も の で あ る 。 た だ 徴 税 の 技 術 的 制 約 か ら国 有 地 に対 す る徴 税 権 を 地 方 の 有 力 者 に与 え,こ の 第 三 者 を 通 し て 土 地 へ の 支 配 を 実 行 す る 方 式 も

と ら れ た 。

領 有 地 や 私 有 地 は 中 央 権 力 に よ っ て し ば しば 没 収 さ れ,土 地 に 対 す る 権 利 が 保 証 さ れ て い な か っ た 。 ま た税 制 に は ま っ た く原 則 は な く重 税 が 一 般 的 で あ り,フ ァー ル ス 地 方 の ダ シ テ ィ ー 地 方 の 例 で み る と,「5万 ケ ラ ン の 価 値 が あ る 豊 か な村 が 年 に300〜500ケ ラ ンの 税 しか 払 わ な か っ た 一 方 で,よ り貧 し い 村 で1万 な い し1万2000ケ ラ ン の は ら わ さ れ て い た 」 と い う よ う に,力 を も た な い 地 主 は 没 落 せ ざ る を得 な い 状 況 に あ っ た24。

こ う し た カ ー ジ ャー ル 朝 の 体 制 は,と く に19世 紀 の 前 半 期 に お い て 特 徴 的 で あ っ た 。 ハ ー レ セ(国 有地)は カ ー ジ ャ ー ル 朝 の 初 期(18世 紀 の終 頃)か ら拡 大 し,19世 紀 半 ば に は イ ラ ン の 土 地 の3分 の1な い し2分 の1が ハ ー レセ 地 で あ っ た と さ れ る25。 こ の 間 に 税 の 滞 納 や 反 乱 や 農 業 の 荒 廃 な ど の 名 目 で 土 地 の 没 収 か 繰 り返 さ れ た 。 た と え ば モ ハ マ ッ ド ・シ ャ ー の 時 代(1834〜48 年),イ ス フ ァハ ン近 郊 の 多 く村 は 凶 作 に よ っ て 荒 廃 した が,国 家 は こ れ ら の 土 地(村)を ハ ー レ

セ 地 と し官 僚 の 監 視 下 に お い て い る26。

土 地 の 没 収 に よ る ハ ー レセ の 拡 大 に よ っ て トユ ー ル も拡 大 し た 。 こ の 権 利 は そ の役 職 に 対 す る 報 酬 で あ っ た か ら一 代 限 りの も の で あ る 。 しか し,カ ー ジ ャ ー ル 朝 の 後 期 に な る と 次 第 に相 続 さ れ る よ う に な り,ト ユ ー ル 権 は 事 実 上,私 有 権 化 す る 傾 向 を み せ た 。 ま た19世 紀 半 ば 以 降 に な る と 国 に よ る 国 有 地 の 払 い 下 げ が 進 み,土 地 関 係 は 根 本 的 な 変 化 の 時 代 を 迎 え,19世 紀 末 に な る と土 地 の 私 有 が 支 配 的 な 所 有 形 態 に な っ て い っ た 。 た だ,土 地 所 有 の 権 利 は 非 常 に 不 安 定 で あ っ た か ら しば しば ワ ク フ と し て 寄 進 され た 。 ワ ク フ と は イ ス ラ ム の 諸 施 設 に 寄 進 さ れ た 財 産 で あ り,国 家 権 力 は 宗 教 界 との 同 盟 関係 を 重 視 す る ゆ え に ワ ク フ の 土 地 の 没 収 を避 け た 。 つ ま り土 地 の 所 有 者 に と っ て は ワ ク フ とす る こ とで 財 産 の 没 収 を 避 け る こ と が で き た 。 ワ ク フ に は,社 会

(17)

イラ ン土地 制度 史論(1)33

的 目的(慈 善)の た め に 寄 進 さ れ る 公 的 ワ ク フ(vagf‑ea'am)と 用 益 権 が 寄 進 者 に 認 め ら れ る 私 的 ワ ク フ(vagf‑ekhas)と が あ る が,私 的 所 有 者 は 私 的 ワ ク フ と し て 家 族 の 将 来 の た め に 土 地 を 護 り,土 地 の 管 財 人 と な っ て 村 を 管 理 し た 。

こ う した 土 地 関 係 に お け る変 化 は カー ジ ャ ー ル 朝 の 体 制 の 脆 弱 化 に 伴 う も の で あ り,イ ラ ンが お か れ た 国 際 的 な 環 境 の 変 化 が 大 き く影 響 し た 。19世 紀 後 半 に な る と列 強 の 干 渉 は 強 ま り,世 界 的 な 自 由貿 易 体 制 へ の 包 摂 が 進 ん だ こ とで あ る 。 ま た こ れ を 乗 り切 る た め に 近 代 化 の 改 革(法 治 国家)が 進 め ら れ る が,改 革 も ま た 土 地 関係 の 修 正 を 求 め る も の で あ っ た 。

体 制 の 脆 弱 化 に よ っ て 国 家 財 政 は悪 化 を た ど っ た こ とで 公 共 的 な 支 出 も抑 制 さ れ た 。 例 え ば 灌 概 シ ス テ ム の 維 持 ・修 理 の た め の 必 要 な 投 資 さ え もで き な くな り イ ラ ンの 農 業 に も打 撃 を与 え, 農 地 の 荒 廃 が 進 ん だ 。 ナ ー一セ ル ッ デ イ ン ・シ ャ ー(1848〜96年)の 後 期,宰 相 の ア ミ ン オ ッス ル

タ ン は ハ ー レ セ 地 の 荒 廃 ぶ りを み て,土 地 を払 い 下 げ て 私 有 地 化 す る 方 が 農 業 の復 興 へ の 近 道 だ と判 断 し,高 額 な租 税 を 課 して ハ ー レ セ 地 を払 い 下 げ た 。 財 政 の 大 幅 な 赤 字 を補 填 す る た め 西 欧 諸 国 に 借 款 を求 め る が,国 内 的 に は 国 の 資 産 で あ る ハ ー レセ 地 の 払 下 げ を 進 め た の で あ る 。 と く

に1890年 以 降,国 家 の 財 政 が 危 機 に 瀕 す る と,土 地 の 払 下 げ は 加 速 し,ラ ム トン に よ れ ば 彼 が 死 去 し た と き に は す で に イ ス フ ァハ ン あ た りの ハ ー レ セ は ほ と ん ど残 っ て な か っ た の で あ る27。

こ の 土 地 の 払 下 げ の 背 景 に は 農 産 物 の 国 際 市 場 の 拡 大 に よ る 商 業 的 農 業 の 展 開 に よ る 土 地 需 要 が あ っ た 。 綿 製 品 につ い て は イ ギ リ ス の 機 械 制 工 業 に よ る安 価 な 製 品 が 大 量 に 流 入 し地 場 の 手 工 業 は 衰 退 過 程 を た どる が,他 方 で 国 外 市 場 に 向 け た 生 糸,綿 花,ア ヘ ン,米 な どの 農 産 物 の 輸 出 が 拡 大 した28。 ま た 商 品 経 済 化 の 進 展 に と も な い 国 内 市 場 も発 展 し穀 物 需 要 も拡 大 した 。 農 産 物 価 格 は19世 紀 後 半 に 通 貨 価 値 の 下 落 や 商 人 の 投 機 的 な 行 動 で 上 昇 し,食 糧 の 価 格 も大 幅 に 上 昇 した29。 農 業(土 地)は 魅 力 的 な 投 資 先 と な り,収 益 性 の 高 い 作 物 へ の 転 作 や 農 地 の 開 発 が 地 主 層 に よ っ て 進 め ら れ,商 人 な ど都 市 の 上 層 に よ る 土 地 投 機 も 活 発 化 し た 。19世 紀 末 に 著 さ れ た フ ァ ー ル ス ナ ー メ に は,シ ー ラ ー ズ の 商 人 が ア ヘ ンな ど輸 出 農 産 物 を求 め て 大 き な土 地 を購 入 し た とい う記 述 が 何 ヶ所 もで て くる の で あ り30,財 政 危 機 に よ る 国 有 地 の 払 い 下 げ と私 有 地 の 拡 大 は,他 方 で 商 業 的 農 業 の 展 開 を 契 機 と し て い た とい っ て よ い 。

以 上 か らわ か る よ う に,19世 紀 イ ラ ン の 土 地 関係 は,前 半 期 に は ハ ー レ セ(国 有 地)と こ の 下 賜 に よ る トユ ー ル の 拡 大 を特 徴 と した が,後 半 期 に は トユ ー ル 地 の 実 質 私 有 地 化 とハ ー レ セ 地 の 払 い 下 げ に よ っ て私 有 地 化 が 大 き く進 展 した 。 そ して この 社 会 的 背 景 と して は 商 業 的 農 業 の 展 開 が あ り,土 地 が 投 資 の 主 要 な 対 象 と な っ た こ とが あ る 。 こ の 過 程 は村 落 社 会 を め ぐる 環 境 を も大 き く変 え た 。 土 地 に権 利 を もつ 私 的 土 地 所 有 者 は 単 な る 農 業 余 剰 の 収 奪 者 か ら,農 産 物 の 商 品 化 に よ っ て 利 益 を 求 め て 投 資 を行 い 農 業 の 経 営 に も関 わ る よ う に な っ た こ とが 容 易 に想 像 さ れ る の で あ る 。

政 府 に よ っ て 払 い 下 げ られ 私 有 地 と な っ た 土 地 に つ い て は,1906年 の 立 憲 革 命 後 に 制 定 さ れ た 憲 法 に よ っ て 所 有 権 と して 法 的 に保 証 さ れ た 。 ま た,第 一 回 の 国 民 議 会 に お い て トユ ー ル 制 は

参照

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