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イ ザ0ク ・マ ン デ ス=フ ラ ン ス 事 件
黒 入 奴 隷
法廷 レトリックが 生 み出す μ ダヤ」文脈 の中の 「ニグ ロ」一 堀 田 ゆ り
序
イ ザ ー ク ・マ ン デ スeフ ラ ン ス 事 件(以 下 マ ン デ ス 事 件 と 略)と は 、 奴 隷 解 放 訴 訟 の 一 つ で あ る 。!776年1月 、 フ ラ ン ス の 植 民 地 で あ る サ ン ト ・ ド ミ ン ゴ 島 か ら パ リへ 連 れ て こ ら れ た 黒 人 奴 隷 の 二 人(パ ン ピ ー と ジ ュ リ エ ン ヌ)が 、 主 人 の イ ザ ー ク ・マ ン デ スeフ ラ ン ス(以 下 マ ン デ ス と 略)に 対 し て 身 柄 解 放 と 賃 金 の 支 払 い を 求 め て 提 訴 し た 。1776年2月 、 海 事 裁 判 所 は 二 人 の 訴 え を 認 容 す る 判 決 を 下 す 。!793年 の 奴 隷 解 放 宣 言 前 夜 、 サ マ ー セ ッ}・訴 訟(1771‑!772)後 の イ ギ リ ス ほ ど で は な い に し て も 、 フ ラ ン ス で も 奴 隷 解 放 訴 訟 が 相 次 い で お りm、
ブ コ ー 訴 訟(!738年)や ロ ッ ク 訴 訟(1771年)は そ の 代 表 例 と し て よ く知 ら れ て い る 。 マ ン デ ス 事 件 も こ う した 先 例 を な ぞ る よ う な 人 権 理 論 の 片 鱗 に 惑 わ さ れ て し ま え ば 、解 放 宣 言 へ の 流 れ の 一 環 と し て 数 え 上 げ ら れ て し ま う か も し れ な い 。 だ が 、 あ る 特 異 な 事 情 ゆ え 、 他 の 解 放 訴 訟 と は 一 線 を 画 す べ き で あ ろ う 。
な ぜ な ら、 相 手 方 は ユ ダ ヤ 人 な の で あ る 。 「奴 隷 と主 人 」 に 相 応 す る 「ニ グ ロ ('L)とユ ダ ヤ 人 」
。 「こ の 並 置(leparallele)は 、[マ ン デ ス 氏 に と っ て]有 利 で は な
(1>1730年 か ら1800年 のIFJに パ リ 海 事 裁 判 所 に お い て 計247人0)奴 隷 が 解 放 さ れ て い る 。 訴 訟 件 数 に つ い て は 、SuePeaboy,"Thereα78noSlavesガ7z .France"Thy po/itica/CultureofRaceandSlaveryinthe,AneienRegime,OxfordUnivErsity
Presse,1996,p.55に 掲 載 さ れ た パ リ 吉 文 書 館Z℃126‑37の 資 料 を 参 照 。 も っ と も 奴 譲 貿 易 が 盛 ん で あ っ た ナ ン トや ボ ル ドー で は 状 況 が 異 な る 。
(2>原 語 のNe,;reは 、 黒 人 を 慧 味 す る ポ ル ト ガ ル 蔽 及 び ス ペ イ ン 語 に 由 来 す る が 、18 世 紀 当 時 の フ ラ ン ス 蔽 で は 同 時 に 黒 人 奴 隷 を 示 唆 し て い た 。 後 に 純 粋 に 「黒 人 」 を 指
か ろ う 」 と す る 黒 人 側 弁 護 士 の 主 張 が 示 す よ う に 、 双 方 の 対 峙 に よ る 影 響 の 大 き さ は 測 り知 れ な い 。 と も す れ ば 、こ の 訴 訟 で 生 み 出 さ れ た 「並uの レ ト リ ッ ク は 、 法 廷 か ら 公 論;ilへと 移 動 し 、 当 時 の ニ グ ロ 論 や ユ ダ ヤ 論 の 双 方 を 変 形 させ な が ら、
や が て 現 実 政 治 を 動 か す ま で の 力 を 発 揮 す る か も し れ な い の で あ る 。
本 稿 で 目 的 と す る の は 、 こ の 「ニ グ ロ と ユ ダ ヤ 人 」 の 「並 置 」 の 効 果 を 明 ら か に す る こ と で あ る 。 方 法 と し て 、 黒 人 側 の 弁 護 士 デ ゼ サ ー ル(Nicolas‑Toussaint LemoyneDesEssarts,1744‑lgla)が 裁 判 所 に 提 出 し た 弁 論 の 趣 意 書(!Vlemoire) を 、 文 学 的 手 法 を も っ て 解 析 し 、 こ の テ ク ス トか ら 立 ち 顕 れ る ニ グ ロ ・ユ ダ ヤ 観 を 探 っ て い く。 も っ と も 、 こ の 事 件 を 主 題 と し た 書 物 と し て 、 既 に ピ エ ー ル ・プ リ ュ ー シ 葺 ン に よ るX18世 紀 に お け る ニ グ ロ とユ ダ ヤ 人Idlが あ る 。 研 究 史 上 そ れ ま で 陽 の 穏 を 見 る こ と の な か っ た マ ン デ ス 事 件 の 概 要 を 知 ら しめ る こ と に な っ た の は 、 ひ と え に 「1984年 に な っ て 突 如 」 〔5親れ た こ の 書 物 に 拠 る 。 本 稿 で は 、 こ う し た 先 学 の 業 績 を 大 い に 踏 ま え つ つ 、 あ く ま で 趣 意 書 を 切 り 口 と し て 「ニ グ ロ 」「ユ ダ ヤ 人 」を 個 別 に 考 察 す る だ け で は な く、ニ グ ロ を 「ユ ダ ヤ 人 」の 文 脈 で(ユ ダ ヤ 入 を 「ニ グ ロ 」 の 文 脈 で)見 た 場 合 の 「擦 り合 わ せ 」 作 業 も 重 視 し た い 。
1.趣 意 書 の 背 景
本 論 に 入 る前 に 、 わ れ わ れ が 扱 うテ ク ス ト(趣 意 書 〉 をめ ぐる客 観 的 背 景 に つ い て簡 単 に 振 り返 っ て お こ う。 趣 意 書 と は ど の よ う な もの か 。 なぜ 判 決 文 で は な く、 趣 意 書 に 目 を 向 け る の か 。 な ぜ 分 析 に文 学 的 手 法 を用 い る0)か 。
すNoirと い う 概 念 が 導 入 さ れ る の も そ の た め で あ る 。本 稿 に お け る 訳 語 と し て 「黒 人 」 で は ニ ュ ア ン ス 上 不 十 分 で あ り 、「黒 人 奴 隷 」で は 言 い 過 ぎ の 嫌 が あ る た め 、便 宜 上 「ニ
グ ロ 」 を 用 い る が 、 こ れ は 必 ず し も 広 辞 苑 に お け る 「ニ グ ロ 」 と は … 致 し な い 。 (3)「 公 論 」 の 概 念 に つ い て は 、安 藤 隆 穂 編 『フ ラ ン ス 革 命 と 公 共 性 』 名 古 屋 大 学 出 版 会 、
2003年 を 参 照 し た 。
(4)PierreP正uchon,△ 砲9プεs6ち 々4齢 αz̀X㎜8sゴ2cZε'/eγ αcガs規8σz6ガ ∂cZ6ゴ63ゐz̀癬 ∂ノ'CAS, Tallandier,1.984.
(5)安 斉 和 雄 「イ ザ ー ク ・マ ン デ ス 謀 フ ラ ン ス と 黒 人 奴 隷 の 訴 訟 事 件 」 早 稲iモ汰 学 ア ジ ア 太 平 洋 研 究 セ ン タ ー 編 『社 会 科 学 討 究 』vo1.32,No2,1988年 、107‑!28,'=!
イ ザ ー ク ・マ ン デ ス 窯 フ ラ ンス 事 件85
Memoireに 対 す るQ本 語 は 「訴 訟 趣 意 書 」「弁 明 趣 意 書 」「覚 書 」等 様 々 あ る が 、 一 言 で い え ば 、依頼 人の主張 を記 して法廷 に提 出する書面 の ことで ある。 フェリ エ ー ル の 『法 律 慣 習 辞 典 』に よ れ ば 、か つ て のfactum{6}に とっ て 代 わ る 名 称 で あ り、
弁 護 士 か 代 訴 士 の 書 名 が あ れ ば 印刷 が 許 され(7)。 つ ま り、現 代 の よ う に 当事 者 ・ 関係 者 間 に 留 ま っ て い た の で は な く、 旧体 制 下 に検 閲 を免 れ た 例 外 的 印刷 物 と し て 、 大 々 的 に(通 常3千 部 か ら1万 部 以 上)流 通 した の で あ る 。 更 に は読 み や す くす るた め に 文 芸 作 品 を典 拠 とす る な ど文 体 に も工 夫 が 凝 ら され て い だ8)。一 方 、 当 時 の 判 決 文 とい え ば 、 モ ンテ ス キ ュ ー の 「裁 判 官 は法 を語 る ロ で あ る 」(S)1に象 徴 され る よ うに 、 主 文 の み の ご く簡 素 な もの で あ っ た 。
マ ンデ ス事 件 の 趣 意 書 に つ い て も然 りで あ る 。 ご く短 い 判 決 文 に 「ユ ダ ヤ 」 と い う語 は な く、 事 件 の 特 殊 性 は見 え て こ な い 。 一 方 、 デ ゼ サ ー ル弁 護 士 の他 、 弁 護 士 兼 王 室 検 事 ポ ンセ ・ドゥ ・ラ ・グ ラー ヴ 、 高 等 法 院 検 事 デ ジュ ンキ エ ー ル の 連 署 が な され た黒 人 奴 隷 側 の 趣 意 書11(11は32ペー ジ に も及 び 、事 件 後 す ぐ さ ま印 刷 ・ 配 布 され た上 、 『著 名 事 件 集』(1777年)(11)に も掲 載 され た た め 大 反 響 を呼 び起 こ
しだ12}。弁 護 士 に よ る作 家 活 動 は め ず ら し くな か っ た が 、 デ ゼ サ ー ル の場 合 、 『著
(6)事 実 を 意 味 す る ラ テ ン 語 で あ り、 弁 論 の 冒 頭 で 事 実 状 況 を 述 べ る こ と に 出 来 し て い る 。 (7)Claude‑JosephedeFerriere,Dガo麗07zη α〃6deCZYOZtetdeρ7α 々《7z昭,contenant
explicationsdestermesdeDrvit,d'Ordonnanee,deCoutumes,ε 擢8ρ プ認 ゆ̀63Avec lesjuridictionsdeFrance,VeuveBrunet,Paris,1769,tl,pp.582‑583,t2,p.!99
(8)ロ ジ ェ ・ シ ャ ル テ ィ エ 『フ ラ ン ス 革 命 の 文 化 的 起 源 』 松 浦 義 弘 訳 、 岩 波 書 店 、1994 年 、52‑54頁 。 趣 意 書 に よ る 公 論 の 操 作 に つ い て は 本 書 に 詳 し い 。
(9)OeuvresdeM.46訪 痂6s4a4磯,Nouvellee(i隻tioR,revue,corrigeeetconsiderablement augmenteepar1'auteur,Londres,1767,t2,p.217
(10)た だ し 、 執 筆 を 担 当 し た の は デ ゼ サ ー ル だ と 考 え ら れ る 。 彼 の 他 の 著 作 と 比 較 す る と 、 そ の 書 い 回 し の 換 骨 靱 胎 は 一一f=1瞭然 で あ る 。 ま た 、 旧 体 制 下 の 上 級 審 理 で は 裁 判 所 付 けprocureur(「 検 事 」 あ る い は 「代 訴 士 」 と 訳 さ れ る)の 補 佐 な き 弁 論 は 無 効 と 見 な さ れ た(Ferriere,ap.cit.,t2,p.435)。
(11)事 件 集 の 正 式 名 称 は 『王 国 中 の 至 高 法 院 に お け る 著 名 か つ 珍 奇 な 諸 事 件 と そ の 判 2央 』Causescelebresetinteressantsdetouteslescaurssouvereinesduzoyaume
aveclesjugementsquilesontdecidees,tomeXXXV,Moutar‑cl,Paris,1777.な お 、 courssouvereinesに 対 す る 「至 高 法 院 」 と い う 訳 は 、滝 沢 正 著 『フ ラ ン ス 法 』 三 省 堂 、 2002年 を 参 考 に し た 。
(12)Peaboy>op.cit.,p.!06
名 事 件 集』 の編 纂 者 及 び書 籍 商 も務 め て い た の だ か ら、現 代 で い うマ ス コ ミ と政 治家 の癒 着 ど こ ろ か マ ス コ ミe法 律 家 とい う歩 くメ デ ィア だ っ た とい え よ う。
要 す る に、 黒 人 奴 隷 側 の趣 意 書 は 、 裁 判 関係 者 の み な らず 大 衆 に広 く共 感 を 得 る こ と を前 提 と して 書 か れ て い る た め 、 この テ ク ス トを 分 析 す る こ と に よ り 「共 感 され る価 値 観 」 の 操 作 過 程 を明 らか に で き る と考 え られ る の で あ る 。 更 に 、趣 意 書 に 文 学 的 手 法 が 用 い られ て い る以 上 、テ クス トの 内 容 を抽 出 す るの み な らず 、 そ の形 式 を分 析 す る 文 学 的 視 点 が 必 要 とな ろ う。 表 現 方 法 や 弁 証 技 法 の 中 に 「偽 善 」 や 「論 理 」 で は 隠 し きれ な い 発 話 者 の うね りゆ く感 情 、 あ る い は確 固 た る 本 音 が 見 出せ るの で は な い だ ろ うか 。
無 論 、 文 学 的 手 法 を も っ て 書 か れ た テ ク ス トと は い え 、 そ の テ ク ス トが 置 か れ て い た の は法 的 文 脈 で あ る{13}。/776年1月19日 、 パ ン ピ ー と ジ ュ リエ ンヌ は 、 高 等 法 院検 事 デ ジ ュ ンキ エ ー ル 及 び ラ ンベ ー ル弁 護 士 の 補 佐 で 海 事 裁 判 所 に提 訴 す る。 本 案 を伴 う レフ ェ レ(急 遽 審 判)に よ る 身柄 の解 放 、 後 見 人 の 選 任 、 賃 金 の 支 払 いIII)の請 求 で あ り、 同 臼マ ンデ ス不 在 の ま ま後 見 人 を デ ジ ュ ンキ エ ー ル と し、 そ の 余 の 請 求 も 認 め る判 決 が 下 る 。 事 件 を 知 っ た マ ンデ ス は、1月25日 判 決 の 取 消 を求 め て 控 訴 す る 。2月5日 却 下 判 決 。2月17日 マ ンデ ス 上 告 。2月23 日に 最 終 判 決 が 下 る 。 デ ゼ サ ー ル 弁 護 士 の 趣 意 書 は、 この2月17日 か ら2月23 日 まで の わず か6日 闘 の 隙 を狙 っ て 差 し込 ま れ た もの で あ る。 流 れ か らい っ て も 勝 訴 は約 束 さ れ て い た0後 に ヴ ォル テ ー ル に よ り、 「有 利 な 訴 訟 し か扱 わ な い 慎 重 さが あ な た の 評判 を高 め る で し ょ う」 と皮 肉 られ る ほ ど にllil。
今 、 わ れ わ れ の 手 元 に は、 パ リ古 文 書 館 所 蔵 の1776年2月23kf付 け 判 決 文 (ZまD134)と 、 パ リ国 立 図 書 館 所 蔵 の 「あ る ユ ダ ヤ 人 に対 し、 自由 を要 求 す る ニ グ ロ と ニ グ レ ス の た め の 趣 意 書 」ilfilと題 さ れ た デ ゼ サ ー ル の趣 意 書(4‑Tn8377)
(13)裁 判 の 経 緯 に つ い て は 、 主 に1776年2月23!こ}の 判 決 文(パ リ 古 文 酵 館ZID134) を 参 照 し た 。
(14)マ ン デ ス の 虐 待 に 対 す る 損 警 賠 償 訴 訟 で は な い こ と に 、 驚 き を 新 た に し た い 。 (15>1776年10月!8日 の 茎簡 。 マ ン デ ス ま荊 ・の 趣 意 書 は ヴ ォ ル テ ー ル に も 送 ら れ 、!776
年2月26田 付 け で 返 事 が 寄 せ ら れ て い る 。 別 の 機 会 に 改 め て 紹 介 し た い 。
⑯DesEssart$漉 規 伽 力oz̀〃 〃z八⑳88'八 ㎏ 惚 ∬843〃6ε 伽 観 〃 εz̀〃ガ6ε噸co7伽8z〃z ル 以P.GS王MON工mprimeurduParle登 窪e虻&derAmirau宅 ξdeFrance,Paris,1776.
イ ザ ー一ク ・マ ン デ ス 獄 フ ラ ン ス 罫 件87
が あ る。 前 述 の プ リ ュ ー シ ョ ン の 著 書 に は パ リ古 文 書 館 所 蔵 の もの(Z圭D134) が全 文 引 用 され て い る が 、 内 容 は全 く同 じで あ る。 残 念 なが ら、 マ ン デ ス が 法 廷 に提 出 した趣 意 書 の 入 手 は 問 に合 わ なか っ た が 、 ま ず は 手 元 に あ る資 料 を 元 に 考 察 を 始 め る こ とに す る。
2.「 事 実 」 と し て の 「ニ グ ロ とユ ダ ヤ 入 」
こ の趣 意 書:は、短 い 前 文 か ら始 ま り、「事 実 ∫ 論 拠 」の 二つ の 項 に 分 か れ る。 各 々 の 割 合 は1:8:14ほ どで あ る。 前 文 で は まず 、 「自 由 な 国 フ ラ ンス 」 にお い て二 人 の 「奴隷 」 が 非 情 な 「主 人 」 に追 跡 され て お り、 本 訴 訟 が 彼 らを救 うた め で あ る こ と を 告 げ る。 続 い て 「事 実 」 と して 、 両 当事 者 の 紹 介 、 ユ ダ ヤ 入 マ ン デ スが 二 人 を連 れ て パ リに 来 た 経 緯 、マ ンデ ス の 虐 待 内 容 、訴 訟 の 過 程 につ い て 語 る。「論 拠 」 の 前 半 は 奴 隷 制 に つ い て 語 る 。 冒頭 に 「人 間 は 生 ま れ な が らに して 自 由で あ る 」 と い う 自然 思 想 の 格 言 を掲 げ るが 、帰 結 と して 奴 隷 制 も奴 隷 売 買 も否 定 す る こ と は な く、 ユ ダ ヤ の 奴 隷 制 ほ ど過 酷 な も の は な い こ とへ と論 が 移 っ て しま う。
後 半 はマ ンデ ス の 抗 弁 に対 す る 再 抗 弁 とな る。 マ ンデ スが 糾 弾 す る ニ グ ロの 悪 徳 は ユ ダヤ 人 に もあ て は ま る こ と、 ま た 奴 隷 保 有 の 手 続 き に つ い て は、 そ の 手 続 き規 定 自体 が 高 等 法 院 に 登 録 され て い な い た め 無 効 で あ る こ と を 主張 す る。 最 後 に 、 念押 しの ご と く一 判 例 を あ げ 、 ロー マ 法 に照 ら して も彼 らは 解 放 さ れ る べ き だ と説 く、,
以 上 の よ うな 大 まか な 流 れ のrで 、 ニ グ ロ ・ユ ダ ヤ 論 は どの よ う に展 開 され る の か。 オー ソ ドッ ク ス な や り方 に従 い 、 「ユ ダ ヤ」 「ニ グ ロ」 とい う語 の周 辺 を観 察 して い くこ とに す る。 ど ち ら の語 に 照 準 を 合 わ せ て も よ い の だ が 、 効 率 上 、 先 に 「ユ ダヤ 」 を 見 る こ とに す る。 実 の と こ ろ 、 こ の趣 意 書 に は 頻 繁 にjuifと い う 語 が 登 場 し、 そ の 数 は19箇 所 に 及 ぶ 。 こ の 事 実 を も っ て 既 に 「ユ ダ ヤ 」 が テ ク ス トに 与 え る エ ネ ル ギ ー を 想 起 させ る が 、 まず は 「事 実 」 と して掲 げ ら れ た 例 を 丹 念 に 見 て い きた い 。 な お 、 引 用 の 丸 数 字 及 び 傍線 は筆 者 が 便 宜 上 振 っ た もの で あ る、,
①24歳 の ニ グ ロ で あ る パ ン ピ ー と 、18歳 の ニ グ レ ス で あ る ジ ュ リ エ ン ヌ は 、
幸 運 に もカ トリ ック教 の 中 で育 ち、 教 育 を受 け た。 ユ ダ ヤ 人 で あ る マ ンデ ス 氏 は 、 植 民 地 で 身 を た て る た め に フ ラ ンス を離 れ だ 納。
② 金 持 ち のユ ダヤ 入 な ら、 生 ま れ の 良 い 人 間 に と っ て 一 番 の必 要 物 で あ る 、 自 尊 心 を高 め て くれ る よ う な敬 意 を享 受 す る こ と は で き な く と も、 少 な く と も 金 で 手 に入 れ られ る あ らゆ る快 楽 を享 受 す る こ とは で き る の で あusi。
③ こ の ユ ダヤ 人 は 、 彼 ら[ニ グ ロ達 コ に対 し、 フ ラ ンス 人 の 特 徴 で あ る 人情 や 温 和 とい っ た 印 象 を与 え る ど こ ろ か 、 彼 らが 植 民 地 で 従 事 して い た 苦 痛 な 仕 事 さえ 懐 か しい と思 わせ る ほ どで あ った11!11。
④ こ の ユ ダ ヤ 人 が彼 の ニ グ ロ達 に対 し て 行 っ た 二 つ の 残 忍 な 行 為 の しる し は、
信 じが た い こ とで あ るが 、 人 情 が い さ さか も彼 の 心 を動 か す こ とが な い こ と を充 分 に 知 ら しめ て い る(L(X。
⑤ ユ ダ ヤ 人 ほ ど に は 冷 淡 で い ら れ な か っ た 看 守 は 、 こ の 不 幸 な 者 達 の 境 遇 に 同 情 し た('ll)。
⑥ 彼 ら は こ の ユ ダ ヤ 人 の 野 蛮 ぶ りの 犠 牲 と な っ て 非 業 の 死 を 遂 げ る 以外 、 選 択 の 余 地 が な い こ と を よ くわ か っ て い る の で あ る囎。
真 っ先 に 目 を 奪 う の は、 対 比 ・比 較 表 現 の 多 さ で は な い だ ろ うか 。 も ち ろ ん 、 訴 訟 の 戦 略 上 、対 比 表 現 を 使 う こ とは め ず ら し い こ とで は な い。 本 趣 意 書 も黒 人 側 に 有 利 か つ ユ ダヤ 人 側 に 不 利 な心 証 を期 待 して 行 っ た 記 述 で あ る 。 だが 、 奇 妙
(17)!∂ ガζ孟,p.2 (18)Zbid.,p.3 (19)Ibid.,p.3 (20)Ibid.,p.4 (21)Ibid.,p.5 (22)Ibici.>P.8
イザ ー ク ・マ ン デ ス 諜 フ ラ ンス 事 件89
な こ と に 、 大 半 が 当事 者 同士 の 対 比 で は な い の だ 。② は 「ユ ダヤ 入 」 と 「生 まれ の よ い 人 間」、 ③ は 「ユ ダヤ 人 」 と 「フ ラ ン ス 入 」、⑤ は 「ユ ダ ヤ 人 」 と 「看 守 」 の 対 比 で あ り、 「ニ グ ロ」 と 「ユ ダ ヤ 人 」 の 対 比 が 顕 著 な の は① ぐ らい だ ろ うか 。
① と い うの は 、 冒頭 部 で 当事 者 の 紹 介 を 行 う箇 所 で あ る。 自分 の 弁 護 す る 側 が rカ ト リ ッ ク教 の 教 育 を 受 け た 」 と した す ぐ後 で 、 相 手 方 のrユ ダ ヤ 人 」 と対 比 す る 記 述 に 入 っ て い る。 確 か に 、黒 人 法 典 の 第2条 で 「我 らの 島 に い る 全 奴 隷 は 、 洗 礼 を受 け 、 カ トリ ック 宗 教 に よ る 教 育 を受 け な け れ ば な ら な い 」 ㈱と規 定 され て お り、 二 人 は サ ン ト ・ド ミ ンゴ 島 か ら連 れ て こ られ た の で あ る か ら、 洗 礼 及 び カ トリ ッ ク教 育 を受 け て い た 可 能 性 は 否 め な い 。 しか し、 そ もそ も黒 人 法 典 は 遵 守 さ れ て い な か っ た 上 、 二 人 は フ ラ ン ス語 を理 解 し な か っ た脚とい うの だ か ら、
仮 に カ トリ ック 教 育 の 事 実 が あ っ た と して も形 骸 化 した もの で あ る と考 え られ よ う。 に もか か わ らず 、 主 人 が ユ ダ ヤ 人 で あ っ た ゆ え に パ ン ピー と ジ ュ リエ ンヌ が カ トリ ッ クの 務 め を遂 行 で き なか っ た と強 調 す る箇 所 は他 に もあ る 。
⑨ パ ン ピー と ジ ュ リエ ンヌ が 喜 び の 念 を もっ て 信 者 で あ る こ とを 公 言 す る宗 教 の 中 で 彼 ら を教 育 しよ う とい う意 図 が 、 彼[マ ン デ ス]に あ っ た な ど と い う 見 解 は 、 彼 のユ ダヤ 人 とい う身 分 に よ り完 全 に 排 除 され る㈱。
⑩ 彼 ら の 主 人 は 、 幸 運 に も カ ト リ ッ ク 宗 教 の 中 で 育 っ た 彼 ら が そ の 務 め を 遂 行 す る こ と を 妨 害 し た の だ12111。
こ こで 注 陽す べ き な の は 、カ トリ ッ ク教 育 の事 実 関 係 を 超 え て、弁 護 人 らが 「奴 隷 と主 人 」 とい う一 見 す る と明 らか に前 者 の 立 場 が 弱 くな る 関係 を、 「カ トリ ッ
ク とユ ダヤ 」 い う別 の構 図 に 巧 妙 に置 き換 え よ う と し た意 図 で あ る。 「カ トリ ッ ク とユ ダヤ 」 とい う関 係 に収 め て し ま え ば 、 「奴 隷 と主 人 」 とい っ た 絶 対 的 な 上 下 関 係 す ら無 意 識 の 内 に逆 転 させ て し ま う可 能 性 を もつ ほ ど、 「ユ ダ ヤ 人 」 とい
(23)CodeNoir,Art.,2.
(24)Plucho簸,oLρ.CZt.,P。!6 (25)DesEssarts,op.cit.,p.16
②⑤ 乃id.,P。22
う 鷹の もつ 負 の 力 が 大 きか っ た の で は な い だ ろ うか 。
⑦ の 当事 者 紹 介 が お わ る と、 マ ン デ スが パ ン ピー と ジ ュ リエ ン ヌ を連 れ て パ リ にや っ て きた 経 緯 を説 明 す る の だ が 、 続 く文 が ② で あ る。 首 都 で はr生 ま れ の よ い 人 間 」 で な くと も(ユ ダヤ 人 は 「生 ま れ の 悪 い 人 間 」 な の だ)快 楽 を 享 受 で き る こ と が 「事 剣 と して提 示 され る。 ③ ④ ⑥ の 例 と異 な り、juifに 不 定 冠 詞 が つ い て い る た め 、 一般 的 な ユ ダヤ 人 を指 す こ とに な ろ う。 一 般 的 とい っ て も、 当 時 の ユ ダヤ 人 の大 半 は 限 られ た 地 域 に 逼 塞 して お り、 首 都 パ リ に転 居 で き る特 権 を もつ の は も っ ぱ ら ボ ル ドー を 中 心 と した 西 南 地 方 の セ フ ァル デ ィの み で あ っ た 。 マ ンデ ス も こ う した セ フ ァル デ ィの 一 入 で あ る 。
そ して 続 くの が 、③ のユ ダヤ 人 と フ ラ ンス 人 の 対 比 で あ る。 フ ラ ン ス 人 を 「人 情 や 温 和 」、 ユ ダ ヤ 入 を 「残 忍 さ 」 の 象 徴 と して い る。 フ ラ ン ス 人 対 ドイ ツ人 、
あ る い は ユ ダ ヤ 人 対 ア ラ ブ 人 な ら と もか く、 書 語 学 的 に は 奇 妙 な対 比 で あ る 。 だ か らこ そ 、 ② で 「生 まれ の よい 人 剛 と 「ユ ダヤ 人 」 との 対 比 を行 い 、 先 に 「生
ま れ 」 で 分 けて お く必 要 が あ っ た の か も しれ な い 。
続 く④ の 対 比 は 一 見 明 確 で は な い 。 だ が 、 「入 情 」 と い う語 を辿 っ て い け ば 、 そ れ が 暗 に 「フ ラ ン ス 人」 と の 対 比 で あ る こ と は 容 易 に 察 しが つ く。 「二 つ の 残 忍 な行 為 」 とい うの は 、 奴 隷 二 人 に対 して 行 っ た烙 印 行 為 の こ と で あ る 。 言 う ま で も な い が 、 この 非 人 道 極 ま りな い 慣 習 こそ 植 民 地 人 ロ の大 多 数 を 占 め る フ ラ ン ス 人及 び ヨー ロ ッパ 入 特 有 の もの で あ る 。 だ が 、③ にお い て 「フ ラ ンス 人 とユ ダ ヤ 人 」 「人 情 と残 忍 」 と い う対 比 が 刻 み 込 ま れ て い る と、 「残 忍 な行 為 → 残 忍mユ
ダ ヤ 人 」 とい う連 鎖 の み が 容 易 に 成 り立 ち 、 「フ ラ ン ス 人 → 残 忍 な行 為 → 残 忍 」 とい う事 実 は 感 覚 的 に 退 け ら れ て し ま うの で は な い か 。
⑤ は、 冷 淡 な 象 徴(あ るい は フ ラ ンス 国 家 公 務 員 と して の 象 徴 か)と もい え る 看 守 との 対 比 に よ り、 ユ ダヤ 人 の 冷 酷 さ を 念押 しす る 。 こ う して 、 徹 底 的 に 「残 忍 」 で あ る こ と を刻 み 込 まれ た マ ンデ ス の 「残 忍 な 行 為 」 に よ り、 奴 隷 達 は 死 を
目前 とす る の で あ る。
この 段 階 で既 に、 い か に 「ユ ダ ヤ 」 とい う語 が マ ンデ ス に とっ て 不 利 な 心 証 を 与 え た か 、 す な わ ち 事 実 を 隠 蔽 して し ま う力 を も っ て い た か 改 め て 思 い知 ら され るが 、 「ユ ダヤ 人」 が 「吝 齎 」 「野 蛮 」 「残 忍 」 で あ る こ とが 公 然 の 「事 実 」 と して 提 示 され て い た の だ か ら無 理 も あ る まい 。 もっ と も、 こ う した ユ ダヤ 人 に対 す る
イザ ー ク ・マ ンデ ス 鴬 フ ラ ン ス 葬件91
見 解 は 何 も真 新 し い こ と で は な い 。1771年 刊 行 の ト レ ヴ ー の 辞 典 でJuifを 引 く と、
この 語[ユ ダ ヤ 入]は 象 徴 的 な 意 味 を も っ て 、 言 語 内 の 文 申 に取 り入 れ ら れ て い る。 我 々 は残 忍 で 非 情 な 人 々 を指 し、 日常 的 に 「私 はユ ダヤ 入の 手 中 に い る方 が ま しだ 」 と い う。 「ユ ダ ヤ 入 の よ う に 金 持 ち だ 」 とは 大 金 持 ち を 意 味 す る。 高 値 で 売 る 商 人 や 高 利 貸 し につ い て 語 る時 、 「こ れ は ユ ダ ヤ 人 だ 、 正 真 正 銘 の ユ ダヤ 人 だ」 とい う。 同 様 に、 金銭 に対 して 強 い 吝 箇 ぶ りを見 せ
る 入 の こ と もい う⑳。
た だ 、 「ユ ダ ヤ」 の み 見 つ め れ ば、 こ う結 論 づ け る こ と も で き よ う。 パ ン ピー と ジ ュ リエ ンヌ の 弁 護 人 ら は、 啓 蒙 思 想 の成 熟 した革 命 前 夜 に 及 ん で 未 だ伝 統 的 か つ 大 衆 的 なユ ダ ヤ 人 観 を 踏 襲 し、 改 め て 高 らか に 主 張 して い る に 過 ぎな い と。
彼 ら の 反 ユ ダ ヤ 主 義 は 何 ら新 し い 性 質 を持 っ て い な い と。 だ が 、 こ の ユ ダ ヤ 人 観 が ニ グ ロ観 と擦 り合 わ され る時 、 どの よ うな 影 響 を与 え 、 受 け て い るの か 。 今 の と こ ろ両 者 の 対 比 は な い 。 ① は 「カ ト リ ッ ク」 「ユ ダヤ 」 の 対 比 に 摩 り替 え ら れ 、 「ユ ダ ヤ」 「ニ グ ロ」 が 並 列 す る③ ④ は 、 対 比 で は な く行 為 の 主 体 と受 体 を表 す 。 い や 、 む しろ対 比 は 意 図 的 に避 け られ て い る か も しれ な い 。 例 え ば③ の 直 前 に は、 「都 市 で の 滞 在 は 、 マ ンデ ス 氏 に は快 楽 が 約 束 され て い た が 、 彼 の ニ グ ロ 達 に は ご く悲 惨 な もの で あ っ た 」{28乏い う文 章 が くる 。 こ う し た対 比 ・比 較 表 現 の と き 「ユ ダヤ 」 とい う語 は 「マ ンデ ス 氏 」 に 姿 を変 え る 。 今 度 は少 し 「ニ グ ロ」
に 焦点 を合 わせ て み た い 。 「事 実 」 の項 に はNegreと い う語 が 計10回("Negreet Negresse"は1回 と して 数 え る)登 場 す る が 、既 に掲 げ た3例 以 外 の例 を見 てみ る。
⑪ マ ンデ ス氏 は こ の二 人 の ニ グ ロ達 か ら最 大 限 の労 働 を絞 り出 した。 なぜ な らパ ン ピー は素 晴 ら しい 大 工 で ジュ リエ ンヌ は優 れ た お針 子 だ った か らで あ る鵜91。
⑳Dガ 漉0フ 〃磁76Z磁38プS8/〃 α7ZfOガ ∫etLatin,3Z〃gaireノ フ2eフZtappe/eZ)ictioチZフas〃ede 7ケevoux,Nouve圭 璽eedition,corrig合eetcOnsidξrable拠entaugmel!tee,t5,Compagnie
desLibrairesAssocies,Paris,1771(Reimer.,SlatkineReprints.2005),pp.301‑302 (28)DesEssar£s.,of).cit.,p.4
(29)Ibid.,p.2
⑫ マ ン デ ス 氏 が 所 有 者 と な る や 、[…]こ の 哀 れ な ニ グ ロ は 、 こ の ニ グ レ ス と 同 じ苦 難 を 受 け る こ と と な っ だ3(聾。
⑬ わ れ わ れ が 知 る よ うに 、 灼 熱 の 空 の 下 で 生 まれ た ニ グ ロ達 に は 、 ヨー ロ ッパ 入 よ りず っ と寒 さが 堪 え る。 しか し なが らマ ン デ ス氏 は[…]彼 の ニ グ ロ と ニ グ レ ス を非 情 に も裸 同 然 で 放 置 した の(:。
や は り 「ニ グ ロ 」 と同 一 文 脈 に用 い られ る語 は 「ユ ダ ヤ 」 で は な く 「マ ン デ ス 氏Jで あ る。 紙 面 に 掲 げ て い な い 他 の3例 につ い て も 岡様 で あ っ た。 そ れ に して も、 文 章 の 主 語 は マ ンデ ス ば か りで あ る 。 事 件 の 主 役 はパ ン ピー と ジ ュ リエ ン ヌ で は な か っ た か 。 ニ グ ロ と して の 彼 らに は 匿的 格 ば か りが 使 わ れ 、 と きに 「哀 れ な」とい う形 容 詞 も伴 い(⑫)、 一 様 に 同 情 に値 す る こ とが 描 写 さ れ る 。 も っ と も、
彼 らの 論 理 に よれ ば 、 「哀 れ 」 な の は 「残 忍 」 か つ 「野 蛮 」 な ユ ダ ヤ 人 に仕 えて い た か らで あ り、 主 人 が フ ラ ンス 人 で は な い か らで あ る。 フ ラ ンス 人 に所 有 され る 奴 隷 は 「哀 れ 」 で は な くな る と もい え よ う。
ニ グ ロ達 の 人 格 につ い て 一 切 記 述 が な い こ と に も注 目 した い 。 彼 ら に何 とか 有 利 に 働 くよ うに 作 成 さ れ た 文 書 で あ る に もか か わ らず 、 い か な る 美 徳 も あ げ られ て い な い の で あ る。 せ い ぜ い 、 ⑪ で 「素 晴 ら しい 大 工 」 「優 れ た お 針 子 」 と して の 労 働 力 を称 え て い る程 度 で あ る。 ニ グ ロ の 人 格 で はユ ダヤ 人 の悪 徳 に対 抗 で き な い の か 。 弁 護 人 らが 「事 実 」 と して 提 示 した の は、
「ニ グ ロ」VS「 ユ ダヤ 」 蕊 「カ トリ ッ ク」VS「 ユ ダヤ 」
「ユ ダヤ 」VS「 フ ラ ンス 」e「 吝n・ 野 蛮 ・残 忍 」VS「 人情 ・温 和 」 とい う対 比 に留 ま る。 な お 、 「ニ グ ロ」e「 フ ラ ン ス 」 と い う 図 式 は な く、 ⑬ な どフ ラ ンス 人 とニ グ ロの 差 異 の 強 調 と も考 え られ よ う。 こ う し た 「事 実 」 か ら出 発 し、 奴隷 達 は どの よ う に 「自由 」 を獲 得 す る の か 。 「論 拠 」 の項 へ 移 ろ う。
(30)Ibid.,pp.3‑4 (3茎)1bガ0孔,茎).4
イザ ー ク ・マ ン デ スeフ ラ ンス 事 件93
3.「 ニ グ ロ とユ ダ ヤ 入 」 の 「並 置 」
実 の とこ ろ 、「ニ グ ロ」 「ニ グ レス 」(Negre、Negresse)と い う語 の 大 半 は 「事 実 」 の 項 に集 中 し、 「論 拠 」 の 項 に 入 る と 「パ ン ピー と ジ ュ リエ ンヌ 」 と 名 前 で 記 載 す る か 、 「哀 れ な者 達 」 と して 形 容 詞 の 名 詞 形 を用 い た 記 載 が 主 と な る 。 こ の 配 列 は何 を 意 味 す る だ ろ うか 。 「ニ グ ロ」 と い う語 が 影 を潜 め る 「事 実 」 と 「論 拠 」 の 境 目 に注 目 した い 。 「論 拠 」 は 次 の よ う に幕 を 開 け る 。
⑭ 自然 の 手 の 中 か ら出 ず る あ ら ゆ る 人 問 は 、 生 ま れ な が らに して 自由 で あ るO 理 性 に照 ら して み る こ と な しに 、 あ る民 の 顔 に は生 来 の 奴 隷 の 刻 印 が 見 え る と信 じ込 ん で い る者 は 、 虚 栄 と高慢 に よ り幼 稚 化 した 偏 見 を行 動 の 指 針 と し て い る にす ぎな い 。 も し彼 らが 静 寂 の 中 で 、 あ らゆ る 人 間 の 心 の奥 底 で 叫 ん で い る力 強 い声 を聞 くの な ら、 彼 ら 自 身 の心 が 自 らの 精 神 の 過 ち を 正 したで あ ろ う。 そ して 認 め た で あ ろ う。 あ らゆ る 人 問 が 生 まれ な が ら に して 自由 と い うわ け で は な い な ど と厚 か ま し く も主 張 す る こ と は 、 自然 を 中傷 す る こ と に な る の だ とCi'll。
こ の 事 案 は 「自 由 」 を 求 め る 訴 訟 で あ る 。 「全 て の 人 間 は 自 由 で あ る 」 と い う 画 期 的 な 自 然 法 思 想 を 掲 げ ら れ た 以 上 、 続 く展 開 と し て 「彼 ら は 人 間 で あ る → 彼 ら は 自 由 で あ る 」 が 期 待 さ れ る 。 と こ ろ が 、 彼 ら は ニ グ ロ で あ る 。 そ こ で 、 彼 ら を 名 前 で 記 載 す る 手 続 き を 踏 ん だ の か も し れ な い 。 そ れ だ け で は な い 。 「事 実 」 の 項 で 「哀 れ な ニ グ ロ(malheureuxNegre)」(⑫)と い う表 現 を 見 た が 、「論 拠 」 で は 「哀 れ な 者 達(lesmaiheureux)」 や 「不 遇 な 者(1'infortune)」 に 変 わ る の で あ る 。mallleureuxやinfortuneは 、 他 の 事 件 当 事 者 に も よ く使 わ れ る 語 で あ るCia)。つ ま り、 「ニ グ ロ 」 → 「哀 れ な ニ グ ロ 」 → 「哀 れ な 者 」 と い う 濃 淡 に よ り、
非 黒 人 当 事 者 と 同 様 の 呼 称 に 至 る の で は な い か 。 こ う し た 呼 称 の 配 列 の レ ト リ ッ ク に よ り、 ニ グ ロ た る パ ン ピ ー と ジ ュ リ エ ン ヌ か ら 黒 人 性 、 奴 隷 性 を 消 去 し よ う
(32)Ibid.,p.8
(33)前 掲 の 『著 名 事 件 集 』 を 参 照 。
と した の で は な い だ ろ うか 。
しか し、 「彼 ら は 人 間 で あ る」 と明 言 して も よ か っ た は ず だ 。 先 例 は そ う して い た 、,例え ば ロ ッ ク 訴 訟 で は 同 じ格 言 の 後 こ う述 べ て い た の だ,,「彼 は 人 間 で あ る 。 この 言 葉 が 最 も勝 利 に 満 ち た証 を含 ん で い な い だ ろ うか?も う一 度 言 う。 彼 は 人 間 で あ る 。J̀つ ま り、 弁 護 人 ら は 先 例 を熟 知 して い る は ず な の に 、 依 頼 人 の ニ グ ロ達 を 「パ ン ピ ー と ジ ュ リエ ン ヌ」「哀 れ な者 達 」に まで は還 元 した もの の 、 巧 妙 に 「人 間 」 に ま で す る こ と は避 け た の だ。 彼 ら は 「人 間 」 に な れ な い 以 上 、
「自由 」 へ と運 ぶ 三段 論 法 の トロ ッ コ に は乗 れ な い 。 ま た 、 こ の 裁 判 例 は 「パ ン ピー と ジ ュ リエ ン ヌ∫ 哀 れ な 者 達 」な ら ざ るニ グ ロ に は 適 用 で き な い こ とに な る。
で は 、 何 を解 放 の 「根 拠 」 とす る の か 。 元 に戻 り、 「ユ ダ ヤ」 を追 っ て い こ う。
⑮ お よそ あ らゆ る 民 が 奴 隷 制 を認 め て き た の は 事 実 で あ る 。 そ の 例 は マ ンデ ス の 民 に 見 出せ る 。 ユ ダ ヤ 人 ら は、 家 内 奴 隷 制 と労 働 奴 隷 制 を併 用 して き た。
⑯ モ ー ゼ は 、 説 得 とい う手 段 で は彼 らの 習 俗 を和 らげ る こ とが で きな か っ た の で 、 法 を課 す こ と を余 儀 な くされ た 。
⑰ ユ ダ ヤ 人 ら の 法 に よ れ ば 、 主 人 が 奴 隷 の 目 を え ぐ り、 歯 を 折 っ た 場 合 、 奴 隷 は 解 放 さ れ な け れ ば な ら な いCio!。
⑱ ラ ケ ダ イ モ ニ ア 人 ら は、 ギ リ シ ア に お い て 最 初 に 奴 隷 の 使 用 を 適 用 した が 、 そ の 隷 属 状 態 は 、 ユ ダ ヤ 人 ら の そ れ と は 異 な り、 人 権 侵 害 と は な っ て い な か っ だShl。
(39)Henr三 〇ndePansey,Memvire/)OZ̀プleno〃zフneRoc,NegY(?,COノ>7フ 〜EleSZEZGY POび1)ET,!〜 ㎏o磁 磁InLaRω0124オZO7Zノ 〉・α72fαガs6et1'!abolition48/'E∫6!ω α9ε,t1, Eclitiond'HistoireSociale,Paris,1968,p.3
闘DesEssarts,砂.CZちP.9 (36)Ibid.,P9
イザ ー ク ・マ ン デ スeフ ラ ン ス事 件95
⑲ ロ ー マ 人 らは 、 他 の い か な る民 よ り奴 隷 に対 して 丁寧 で 、 善 良 で あ った 。 こ の奴 隷 制 の 中 か らテ レ ンス や フ ェ ー ドルが 生 まれ た の で あ る。 も し この 二 人 の 著 名 人 が ユ ダヤ 人 の 奴 隷 で あ っ た な ら ば 、 彼 ら に宿 っ て い た才 能 の 萌 芽 は 主 人 の 残 忍 さ に抑 圧 さ れ て し ま っ た で あ ろC3i}。
人 は 自由 で あ る、 しか し奴 隷 制 は ど こ に もあ る、 例 え ば ユ ダ ヤ 人 の 闇 に あ るC、
画 期 的 な 自然 法 思 想 もそ こ に 落 ち て し ま う。 しか も1776年 当 時 の ユ ダヤ 共 同 体 内 で の慣 習 を語 る な ら まだ しも、 旧 約 聖 書 を根 拠 に起 源 前 ま で遡 る 。 続 くの は 再 び対 比 表 現 の 連 続 で あ る,,ギ リ シ ア 、 ロ ー マ(⑱ 、 ⑲)ま で 対 象 は 拡 大 す るが 、 単 にユ ダヤ の民 の 残 忍 ぶ り を強 調 した だ け で は な い だ ろ う。 ギ リ シア 、Q̀マ を 引 き合 い に奴 隷 制 の 起 源 を 論 じる先 例 に呼 応 し、 パ ロ デ ィー を構 成 して い る の で は な い だ ろ う か。
社 会 が 形 成 され るや 、地 上 とい うの は 、あ る 意 味 で 広 大 な 牢 獄 で しか な くな っ て い た 。 スパ ル タ は、 全 民 を残 忍 な 法 に よ り不 幸 に 陥 れ た 。 そ して 圧 制 者 の も と に い た ロー マ 人 ら は 、 奴 隷 達 に対 し卑 劣 か つ 残 酷 で あ り続 け 、600年 も 前 か ら 自然 を侮 辱 して きた の だ3搬。
上 記 は再 び ロ ック 訴 訟 にお け る主 張 で あ るが 、 奴 隷 制 を 本性 上 批 判 す る 当 該 先 例 に 対 して 、 デ ゼ サ ー ル の 趣 意 書 は 岡 じ よ う に そ の 起 源 に遡 りなが ら、 そ れ ぞ れ ユ ダヤ の 奴 隷 制 よ りは ま しだ と して 先 例 の 見 解 を 反 転 させ て い るの で は な い だ ろ うか 。 同 時 に、 そ れ ま で 単 数 形 で 登 場 して い たJuifは 複 数 形 のJuifsに 変 わ っ て い る。 い つ しか マ ンデ スへ の 糾 弾 は 、 「マ ン デ ス の 民 に 」(⑮)と い う 語 を 媒 介 に ユ ダ ヤ 人 全 体 に 向 か っ て い る の で あ る 。 国家 制 度 で あ る 奴 隷 制 を論 じる 以 上 、 モ ー ゼ の 時 代 に遡 っ て で も集 団 と して の 複 数 形 の 「ユ ダヤ 」 が 不 可 欠 だ っ た た め で は な い だ ろ うか 。
ユ ダヤ 、 ギ リ シ ア、 ロ ー マ 、 ゲ ル マ ン の奴 隷 制 に 関 す る叙 述 が 終 わ る と 、続 く
〈37>Ibid.,P.!0
(38>HenrioRdePa鍛sey,olρ.C'2t.,P.4
の は フ ラ ンス で あ る。 こ の 箇 所 は趣 意 書 の 丸1ペ ー ジ を費 や す ほ どの 冗 長 ぶ りを 示 す 。 す な わ ち、 フ ラ ンス 建 国 当 初 は 農 奴 が い た が 、1!35年 に ル イ6世 が 解 放
ヂ Ih
した こ と、 ル イ10世 は13!5年 の 王 令 に よ り、 「フ ラ ン ク 王 国 と名 づ け られ た こ の 国 の 名 に ち な ん で 」王 国 中 の奴 隷 を解 放 した こ とな ど王 令 の 文 言 を 長 々 と挙 げ 、 最 後 に こ う締 め括 る。 「今 や 、 わ れ らが 王 の 下 で 暮 らす 幸 運 な 人 間 が み な 自由 で
あ る こ と は、 フ ラ ンス の 公 的 権 利 を 表 す 法 格 言 と な っ て い る」CS41
1315年 の 王 令 か ら一 気 に 「今 」 へ 移 る の で あ る 。 そ の 間 に 発 布 さ れ た1615年 の黒 人 法 典 や1716年 及 び1738年 の 王 宣 な ど に は 触 れ ず に 。 こ れ は 娩 曲 的 迂 言 法 で は な い だ ろ うか。 旧 約 に始 ま り、 ギ リ シ ア、 ロ ー マ 、 ゲ ル マ ン法 を通 り、 や っ と の こ とで フ ラ ンス 法 に入 れ ば 今 度 は建 国 以 来 の 王 令 を 次 々列 挙 しつ つ 、 肝 心 の 現 行 法 に は 触 れ て い な い の で あ る。 絶 対 王 政 下 で 立 法 権 を 行 使 して い た の は 国 王 で あ り、 法 とい え ば 王 で あ り、 あ る法 の 無 視 に よ りあ る王 が 無 視 さ れ た の で は な いか 。1716年 及 び1738年 の 王 宣 に つ い て は 後 ほ ど争 点 とな る の で 立 ち戻 る こ と にす る。
「論 拠 」 の 後 半 は マ ンデ ス の 抗 弁 に 対 す る再 抗 弁 で あ る 。
⑳ ユ ダ ヤ 人 で あ る マ ンデ ス氏 は 、 わ れ わ れ の 植 民 地 に移 住 させ ら れ た ア フ リカ 人 が 皆 何 人 か の 特 質 で あ る悪 徳 を もつ とす る こ とに よ り、 自分 の 弁 論 を有 利 に運 べ る と思 っ た の だ 。 彼 は全 て の ニ グ ロが 狡 猜 で 、 嘘 つ きで あ る と非 難 す る。 彼 に 糾 弾 され た この 哀 れ な 者 達 は 、 ユ ダ ヤ の 民(Nation)に 対 し、 同 じ よ う に非 難 す る こ とが で き る で あ ろ う。 この 並 置 は お そ ら く彼 に とっ て 有 利 で は な か ろ う(101。
よ うや く登 場 した 「ユ ダ ヤ 」 と 「ニ グ ロ」 の 「並 置 」 で あ る。 マ ンデ ス の抗 弁 が 引 き金 と な っ て い るの だ。 驚 くべ き こ と に、 マ ン デ ス に よ る ニ グ ロの 人 格 攻 撃 に対 して 全 く反 論 され て い な い 。 ニ グ ロ 全 体 批 判 に対 し、 ユ ダヤ 民 族 批 判 で 返 し て い る だ け で あ る 。 しか もそ れ まで 当 該 趣 意 書 に お い て 一切 言 及 され なか っ た 二
(39)DesEssarts,op.cit.,p.ll (40)Ibid.,p!2
イザ 〜 ク ・マ ン デ スeフ ラ ンス 事 件97
グ ロ の 人 格 は、 マ ンデ ス の 口 を借 りて 初 め て描 写 さ れ て い る 。 ユ ダ ヤ 人 マ ンデ ス は 「事 実 」 の 項 で も フ ラ ンス 人 植 民 者 の 残 虐 性 を転 嫁 さ れ て い たが 、 今 度 は 「論 拠 」と して、ニ グ ロ に 対 す る 人格 攻 撃 の 責 まで も負 わ せ られ る の で あ る 。そ の 上 で 、
「悪 」 対 「悪 」 の 並 置 と して 「こ の並 置 は有 利 で は な か ろ う」 と され る の で あ る。
しか し まだ こ の段 階 で は 「お そ ら く」 「で は な か ろ う」 で あ っ て 、 断 定 で は な い 。 ニ グ ロ の悪 徳 はユ ダヤ 人 の 言 い 分 に過 ぎな い 。 と こ ろが 一
⑳ こ れ は 経 験 に よ り得 られ た 知 見 で あ る が 、 ア フ リ カ 人 が新 世 界 で受 け る第 一 印 象 こ そ が 彼 らの性 質 の善 悪 を決 定 す る。 人清 あ る主 人 に 恵 ま れ た 者 は 、 温 和 で あ る こ とや 義 務 へ の 愛 着 を 身 に つ け る。 反対 に、 残 忍 で 暴 力 的 な 主 人 を もつ 者 は 、 そ の悪 徳 を共 有 して しま うw。
「人情 」 「温 和 」 と い う語 が 何 を 示 す か 明 らか で あ ろ う。 ユ ダヤ 人 主 人 とフ ラ ン ス 人 主 人 とい う対 向要 素 の ど ち らか に ニ グ ロは 組 み 込 まれ る の だ 。 彼 らの 命 題 の 帰 結 は よ っ て こ う な る。 パ ン ピ ー と ジ ュ リエ ン ヌ は悪 徳 に満 ち た 主 入 の も とに い た。 ゆ え に彼 らは 悪 徳 を 共 有 して い る。 マ ンデ ス の 言 い 分 に過 ぎな か っ た彼 らの 悪 徳 は 、 「知 見 」 とい う光 を浴 び て 、 潜 像 の よ うに 浮 か び上 が って くる 。
弁 護 人 らは続 い て 、 ユ ダヤ 人 の本 性 的 悪 徳 を立 証 す る 手 立 て と して 、 ユ ダ ヤ 人 弁 護 の た め に作 成 され た ラ ク ル テ ル 弁 護 士 の趣 意 書 を 引 用 す る。 これ は、 商 業 上 の免 許 証 を巡 りメ ス の ユ ダヤ 人 に よ り提 起 され た 訴 訟 に 関 す る もの で 、 デ ゼ サ ー ル の 注 に、 マ ンデ ス 事 件 の 前 年 に あ た る 「1775年 に ナ ン シ ー に て 刊 行 さ れ た 」 と 記 さ れ て い る1'L)。「精 力 の 要 る こ と に は 向 か な い の で 重 罪 は 犯 さ な い が 、 詐 欺 行 為 は 絶 え な い」 「金 に の み に情 熱 を示 し」 「策 略 以 外 の 元 手 が な い の で 、 入 を だ ます こ と ば か り研 究 し て い るJ'等 延kと 並 べ 立 て られ る。 実 際 、 ラ クル テ ル は /41>Ibid.,pp.12‑13
(42)本 趣 意 書 の 刊 行 年 に つ き 学 説 は 分 か れ て お り、1777年 と す る 説 も あ る 。 だ が 、 1776年2月 に 作 成 さ れ た デ ゼ サ ー ル の 趣 意 書 に て 引 用 さ れ て い る 以 上 、1777年 説 は 退 け られ よ う。 ラ ク ル テ ル 弁 護 士 の 趣 意 書 の 悌 細 に つ い て は 、 安 斉 和 雄 「ピ エ ー ルe
ル イ ・ラ ク ル テ ル の ユ ダ ヤ 人 弁 護 論 」 早 稲 田 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 編 『早 稲 田 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 紀 要 通 号30』1984年 、297‑314頁 を 参 照 。
(43>DesEssarts,oφ.o菰pユ3
直 後 に こ う した 欠 点 は ユ ダ ヤ 人 の 本 性 で は な く環 境 に起 因 す る と して ユ ダヤ 入 の擁 護 に入 る の だ が 、こ こ は 触 れ な い。 こ う して ユ ダ ヤ 人 の悪 徳 が 「立 証 さ れ る 」 と 、
⑳ もは や 並 置 はマ ンデ ス の民 に 有 利 で は な い とい え る。 彼 の か つ て の 奴 隷 達 に 彼 が 思 う と こ ろ の 悪 徳 が あ る と して も、 彼 は 、 温 和 さ や 入 情 の 手 本 を示 さ な か っ た 自分 を責 め るべ き で あ るIII!。
「有 利 で は な か ろ う」が 「有 利 で は な い と い え る 」と ほ ぼ 断 定 に変 わ る 。 同 時 に 、 ニ グ ロの 悪 徳 に 対 して は っ き り と触 れ られ る よ う に な る 。 「悪 徳 が あ る と して も」
の 、 「あ る(avoir)」 は 直 説 法 現 在 で あ る た め 、 「と して も(S1)」 は 事 実 を 導 く接 続 詞 と して使 わ れ て い る とい え よ う。 ニ グCiに は 「悪 徳 が あ る」の だ。 と して も、
まだ 、こ の 悪 徳 は(ニ グ ロ の 本 性 で は な く)ユ ダ ヤ 人 にr}i来す る と い う一 種 の 「ニ グ ロ擁 護 論 」 とい う見 方 の 余 地 も あ ろ う。 だ が 、 ラ ク ル テ ル弁 護 士 の 趣 意 書 が 援 用 され た事 実 を ど う考 え た ら よい だ ろ うか 。 「ユ ダ ヤ 入 を擁 護 し よ う とす る 人 で さ え こ う言 って い る の だ 」 と して ユ ダヤ 人 攻 撃 に 利 用 され た の は もち ろ ん だ が 、 そ れ だ け で は な く、 「悪 徳 が 本 性 に 由 来 す る の で は な く環 境 に 由 来 す る」 と い う 彼 らの ニ グ ロ擁 護 論 ら し き もの さ え 、 同 じ論 理 を用 い て は い るが 「擁 護 」 部 分 を 割 愛 され た ユ ダ ヤ 人 弁 護 論 に折 り返 され た の で は な い か。 こ の と き 「ユ ダ ヤ 人擁 護 論 」が 「ユ ダヤ 人 の 悪 徳 立 証 手 段 」 に な る の と 同様 、「ニ グ ロ擁 護 論 」 もそ の 「擁 護 」 の牙 を失 っ て し ま うの で は な い か 。 立 証 さ れ る ユ ダ ヤ 人 の 「悪 徳 」 の 内 容 に も注1==1した い 。 そ れ まで の 「残 忍 」 「野 蛮 」 で は な く、 「詐 欺 」 「騙 す 」 な ど、 マ ンデ スが ニ グ ロ に対 して 糾 弾 す る 「狡 猜 」 「嘘 つ き」(⑳)に 類 似 す る よ う な事 柄 に 微 妙 に変 化 して い な い だ ろ うか 。 擁 護 論 が 擁 護 論 に 折 り返 され 、 悪 徳 が 悪 徳 に 折 り返 さ れ 、「ユ ダヤ の悪 」は 「ニ グ ロの 悪 」 に上 塗 りさ れ る の で は な い だ ろ うか 。 そ して 、 こ う した 黒 々 と した 悪 徳 論 の 合 闘 に は 、 必 ず 、 「入情 」 「温 和 」 が 顔 を 見 せ る 。 ニ グ ロ の 口 を借 りて 矛 先 を 「ユ ダ ヤ の 民 」(⑳)に 拡 大 す る こ と も忘 れ て は い な い。 「ユ ダ ヤ 人 」 「ユ ダ ヤ の 民 」 の 対 抗 位 置 に は 常 に 「フ ラ ンス 人」 「フ ラ
(44>Ibicl.,P.!3
イザ ー ク ・マ ン デ ス 罵 フ ラ ン ス 拝件99
ン ス」 が 燦 然 と輝 き続 け る の で あ る。 「人 情 あ る 主 人(瓢 フ ラ ンス 人)に 恵 まれ た 者 は 、 温 和 で あ る こ とや 義 務 へ の 愛 着 を 身 につ け る」(⑳)以 上 、 黒 人 が 悪 徳 か ら免 れ る た め に は フ ラ ン ス 人 に 所 有 ・支 配 さ れ な け れ ば な らず 、 そ の と き彼 ら は 「愛 着 」 を も っ て 奴隷 業 に従 事 す る の で あ る。 だ が 、 こ の抗 弁一 再 抗 弁 とい う 訴 訟 弁 論 の体 裁 に 則 っ て 重 畳 さ れ た 隠 微 な レ トリ ッ ク に、!8世 紀 の 読 者 は お ろ か 、 現 代 の 読 者 で も気 づ くだ ろ うか 。 プ リュ ー シ ョ ンの コ メ ン トを見 て み た い 、,
パ ン ピ ー と ジ ュ リエ ン ヌの 弁 護 人 らの弁 論 は、 激 しい 反 ユ ダヤ 主 義 、 反植 民 地 主 義 、 よ りよ く言 え ば 、 戦 闘 的 な奴 隷 制 廃 止 論 の 中 か ら正 当性 や 論 拠 を 汲 み 上 げ よ う と した の で あ る。 非 人 間 的 で野 蛮 で 、 真 の 宗 教 の敵 で あ るユ ダヤ 人 に 対 す る 非 難 が よ く見 られ 、 黒 人 の 精 神 的 善 良 さ、 及 び、 性 質 上 自然 に 反 す る 奴 隷 制 度 に 関 して の 哲 学 的論 述 を読 む こ とが で きるほ51。
激 しい 反 ユ ダ ヤ 主 義 以 外 につ い て は 本 稿 と全 く見 解 が 重 な ら な い。 趣 意 書 に黒 人 の 「精 神 的 善 良 さ」 の 記 述 は ない 。 「悪 徳 が あ る」 と して い る の で あ る。 「反 植 民 地 主 義 」 や 「奴 隷 制 廃 止 論 」 な ど ど こ に 見 ら れ る だ ろ うか 。 「人 間 は 生 まれ な が らに し て 自由 で あ る」 と華 々 し く飾 られ た と して も、 わ れ わ れ が 見 た よ う に、
弁 護 人 らは ニ グ ロ を 人 間 と定 義 す る こ とな く論 を進 め て い た。 プ リ ュ ー シ ョ ン も 著 書 の 後 半 で は 前 述 の コ メ ン トを翻 し、 こ う述 べ る よ う に な る 。
セ ミ ソ ト
そ の 法 学 者 達 は、 器 用 に も、 二 人 の 奴 隷 の 過 酷 な状 況 を イ ザ ー クの ユ ダヤ 的 残 忍 さ のせ い に し、 奴 隷 制 度 を原 動 力 で あ り、 基 盤 と した植 民 地 体 制 につ い て は 触 れず に お い た の で あ る46}。
「触 れ ず に お い た」 だ け で は な い 。 巧 妙 に 、 「フ ラ ンス に お け る」 奴 隷 制 度 の み を否 定 した の で あ る。 こ れ まで も 「自由 な 国 フ ラ ンス 」の 強 調 は 多 々 見 られ た が 、 大 き く 自己 矛 盾 した 次 の 例 は 最 も象 徴 的 で あ ろ う。
@5)]Pluchon,o/).cit.,P.17 毯6>Ibid.,P.249
⑳ 彼 らは フ ラ ンス に渡 る 以 前 か ら主 人 に よ る粗 野 な仕 打 ち を受 け て い た が 、 主 人 の 残 忍 な性 格 の 全 様 を 知 った の は 首 都 に到 着 して か らで あ る 。 この ユ ダ ヤ 人 が 彼 の ニ グ ロ達 に 対 して植 民 地 で 行 っ た 二 つ の残 忍 な行 為 の しる し は[…1 彼 は この 不 運 な 者 の 胸 に 、 赤 く焼 け た 鉄 で 彼 の 名 を刻 印 した の で あ る。 パ ン ピ ー は21歳 まで プ ドン ス 夫 人 の 下 で 暮 ら して い た が 、 こ の 哀 れ な ニ グ ロ は マ ンデ ス氏 が 所 有 者 とな る や こ の ニ グ レス と 同 じ仕 打 ち を 受 け た の で あ る。
こ れ らの 行 為 か らマ ン デ ス 氏 が パ ン ピー と ジ ュ リエ ンヌ に 対 して フ ラ ンス に 到 着 以 来 虐 待 を行 い 得 た こ とが 判 断 で き るna。
「首 都 に 到 着 して か ら」 の虐 待 につ い て述 べ るか の よ う に文 章 を は じめ つ つ 、 「植 民 地 で行 っ た二 つ の 残 忍 な行 為 は 」 と 「植 民 地 で」 の虐 待 行 為 につ い て述 べ て い る の で あ る。しか も、「フ ラ ンス に到 着 以 来 、虐待 を行 い 得 た こ とが判 断 で きる」と結 局 、
フラ ンスで の 虐 待 は 「判 断 」 に す ぎず 、具 体 例 は皆 無 で あ る。 そ もそ も当 事 者 で あ るパ ンピー と ジ ュ リエ ンヌ と コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ンを とっ た形 跡 が な く、 虐 待 に つ い て の描 写 は烙 印 の 痕(⑳)や 裸 同 然 の衣 服(⑬)等 、彼 らの 証 言 を得 ず と も 臼で 見 て わか る もの しか あ げ られ て い な い 。 医者 の診 断す ら受 け させ て い な いの だ 。
思 い切 っ て 断 言 して し まお う。 彼 ら は 植 民 地 制 度 に 賛 同 して い る 。 い や 、 こ の 言 い 方 は稚 拙 か も しれ な い。 賛 同 す る事 柄Xに 対 す る 反 論Yを 受 け な い た め に、 先 にYの 陣 営 に入 る 。 だ が 、Yの 陣 営 内 でYの 主 張 を して い る と惑 わ せ な が ら受 け 手 にXを 呑 み 込 ませ る。 こ れ は 奴 隷 解 放 訴 訟 で あ る と して 、目 を晦 ま し、
反 論 を避 け な が ら説 得 す る の で あ る。 フ ラ ンス 人 こそ が 奴 隷 を所 有 し、 フ ラ ンス 国 家 こ そが 奴 隷 制 度 を 組 織 化 す べ き で あ る と。
4.弁 護 人 ら の 動 機
弁 護 人 らが 事 件 に介 入 した 動 機 に つ い て 、 プ リュ ー シ 召ン の 見解 に よ る と、 反 ユ ダヤ 主 義 思 想 で は な く政 治 的 闘 争 だ と い う{18}。そ の 理 由 は、 マ ン デ ス が 黒 人 の
働DesEssarts,off.cit.,pp.3‑4 (48>Pluchon,o[).Clt.,P257
イ ザ ー ク ・マ ンデ ス 漏 フ ラ ンス事 件101
悪 徳 以 外 の 抗 弁 と して あ げ た 法 的 論 拠 に あ る。 先 述 の1716年10月 及 び1738年 12月15日 の 王 宣 に よれ ば、 手 続 きを 踏 め ば フ ラ ンス 本 国へ 奴 隷 を 連 れ て くる こ
とが 認 め られ た 。 マ ンデ ス は手 続 き を経 た こ と を ロ 実 に 奴 隷 保 有 の 権 利 を主 張 す る。 これ に対 し弁 護 人 らは 、 マ ンデ ス の 手 続 きの 有 無 は 証 明 さ れ て お らず 、 いず れ に せ よ こ の 王 宣 は パ リの 高 等 法 院 に 登 録 さ れ て い な い か らf19)無効 で あ る と反 論 す る。 だ が 、 ニ グ ロ を論 じる こ と は 国 家 体 制 で あ る奴 隷 制 度 を論 じる こ とで あ る し、 ユ ダ ヤ 人 を論 じ る こ と は 国 家 政 策 を論 じる こ と な の だ か ら、 政 治 とユ ダヤ 、 政 治 と黒 人 を分 け る 必 要 は な い の で は な い か 。
確 か に、 こ の 箇 所 を論 じる 弁 護 人 のQは 熱 を帯 び て い る 。 絶 対 王 政 下 に お け る 高 等 法 院 と国 王 の 確 執 は想 像 に難 く な い。1770年 の 大 法 官 モ プ ー の 改 革 は、
多 くの 裁 判 所 を閉 鎖 し、 法 服 貴 族 を亡 命 に 追 い や っ た 。 ル イ15世 の死 後1775年 7月 に裁 判 所 は復 活 す るが 、そ こか ら貴 族 達 の 報 復 が 始 ま る の で あ る。 す な わ ち、
1716年 及 び1738年 の 王 令 の 適 用 を、 高 等 法 院 に登 録 され て い な い こ と を理 由 に 徹 底 的 に 拒 否 す る 。 当 該 王 宣 が 無 効 で あ る とす る マ ンデ ス 事 件 の主 張 も、 こ こ ま で は一 連 の 判 例 に 倣 っ た もの で あ る。
だが 、 こ こで は お わ ら な い 。 加 え て 、 仮 に マ ンデ ス が 正 当 な手 続 きを 経 て い た と して も、 王 宣 の趣 旨 は奴 隷 に カ トリ ッ ク教 育 を 受 け させ る こ と に あ る か ら、 ユ ダヤ 人 で あ る マ ンデ ス に は適 用 され な い と主 張 した の で あ る 。 弁 護 人 らは フ ラ ン ス 人 で あ り、 フ ラ ンス は カ トリ ッ ク教 国 で あ る。 こ う した弁 護 人 らの 主 張 は 、 高 等 法 院 と 国 王 の 対 立 を顕 に しな が ら も 「ユ ダヤ 」を媒 介 に国 王 を 自 らの 「カ トリ ッ ク」 側 へ 引 き寄 せ る動 き と も と れ な い だ ろ うか 。 自然 法 思 想 を打 ち 出 す 彼 らの 弁 論 は キ リス ト教 思 想 な ど全 く根 拠 と して い な い の に、 「ユ ダヤ 」 に 対i時す る や 突 如 「カ トリ ック」 が 援 用 され る の で あ る。 こ れ は 、 パ ン ピー と ジ ュ リエ ン ヌが 受 け た とす る カ トリ ッ ク教 育 を強 調 す る 動 き(① 、⑨ 、 ⑩)と も重 な る の で は な い か 。 カ トリ ック教 徒 た る ニ グ ロ は、 カ トリ ック 国 王 の 「家 産 」 と して 国 家 組 織 に 組 み 入 られ る の で は な い だ ろ うか 。
㈹ 貴 族 の 政 治 的 牙 城 で あ っ た 高 等 法 院 は 、 そ の 特 権 と して 法 令 登 録 権 を も っ て い た 。 王 令 は 各 高 等 法 院 に 登 録 さ れ な い 限 り、 当 該 高 等 法 院 の 管 轄 区 域 内 で は 適 用 さ れ な か っ た 。 滝 沢 、 前 掲 書 、41頁
い ず れ に して も、判 決 は 下 る 。 パ ン ピ ー と ジ ュ リエ ン ヌ に は 自由 が 宣 告 され る。
レ トリ ック に1血塗 られ た 自 由 が 。 「フ ラ ンス 」 の 手 中 に 落 ち た 彼 ら を待 ち 受 け る 運 命 に つ い て は想 像 に 委 ね る と して、よ り重 要 な の は 、フ ラ ンス の 黒 人 奴 隷 史 上 、 彼 らが 植 民 地 に お け る奴 隷 制 度 を奨 励 し、 本 国 に お け る黒 入 規 制 を 強化 す る 「人 柱 」 とな った 可 能性 で は な い か 。 ユ ダ ヤ 人 を相 手 方 とす る解 放 訴 訟 は 、 ユ ダ ヤ 人 を巻 き込 ん だ 事 件 集 の 記 録 概 こも こ の1件 しか の っ て い な い 。 こ の1件 の特 異 な 解 放 訴 訟 が 果 た した 役 割 は 、 『著 名 事 件 集 』 に掲 載 さ れ た デ ゼ サ ー ル 自 身 に よ る 紹 介 文 が 更 に明 確 に して くれ よ う。
我 々 の 読 者 は、 我 々 が 黒 人 の 身 分 変 更 に 関 して 政 府 の 英 知 が 判 例 で 約 束 して い た こ と を彼 ら[立 法 委 員]に 知 ら しめ た こ とに感 謝 して くれ る だ ろ う、と我 々 は考 え た。[…]事 件 の 詳 細 は趣 意 書 に て 語 るが 、 こ の趣 意 書 とい うの が 最 新 の 法 以 前 に刊 行 され た もの で 、 か つ て の 判 例 に修 正 を もた ら した の だ。 こ う
して 我hは 、黒 入規 制 に 関 す る新 た な 王 宣 を登 録 す る こ と に な っ たの で あ る1:ill。
事 件 の 翌 年 あ た る!777年9月 、 黒 入 ・混 血 ・そ の他 有 色 入 種 の フ ラ ン ス 本 国 へ の 入 国 を制 限 し、 植 民 地 へ の 送 還 を促 進 す る 新 た な王 宣 が パ リ高 等 法 院 に 登 録 され る 。 か く して 、「自 由 な 国 フ ラ ンス 」にお い て 司 法 に よる 「保 護」の 対 象 で あ っ た ニ グ ロ達 は、 植 民 地 の耕 作 者 人 口 を減 ら さ な い た め 、 余 計 な解 放 訴 訟 で 植 民 者 を 煩 わ せ な い た め 、 そ して 何 よ り、 本 国 に お け る混1(llを防 ぐ た め52}、「警 察 規 制 」 の対 象 と な る の で あ る。
繭 りな りに も 自由 を擁 護 し続 け て きた 判 例 に 「修 正 」 を もた ら した の は 、 紛 れ
(50)ZosaSzajkowski,Tranco‑Jatdcaica'β ガ∂1ガ097妙 勿o ,}'Brooks,Pα ノ卯y/認 ε,1)θc7ε6ε, ByeifsandOtherPrintedI)oczcmeフ!'∫P6プ 忽 癬7gtothe/ewsZ17Franee1500‑178&
AmericanAcademyforJewishresearch,NewYork,1962.
(51)DesEssarts,CausesGelebresetznteressants>p.49
(52)1777・}:9月 のllに 至 る 経 緯 に つ い て は 、 デ ゼ サ ー ル 自 身 が 著 し た 『1窪,捺辞 典 』 の
「黒 人(Noir)」 の 項 に 詳 細 が 記 さ れ て い る 。 な お 、 こ の 律 典 に は 奴 隷(Esclave)、 ニ
グ ロ(Negre)の 項 は な い 。DesEssarts,Z)ietzonnaiYeuniversal48ヵ01ガ ぐ召,cositenant /'07顧 ノZεetlesprogresdeC2漉partie伽 ρ0π α7惚CIC'1'α 伽2露Sケ α∫ガ0フZcivi/e872 France,Moutard,Paris,1.786‑1790,t7,p.241‑249