フリードリヒ ・リストの﹁土地制度﹂論
||﹁ドイツ資本主義と土地制度﹂に関する
思想史的研究の一詩論||
住
︹二まえがき
11
問題の限定l l
口 一 ︺
7リl
ドリ ヒ・ リス トの
﹁土 地制 度
﹂論
一初期リストの土地制度論
! l
﹁あらゆる工業の礎柱とレての農業﹂||二後期リストの﹁農地制度﹂論︵以上本号︶
ー
l
﹁中産的農民﹂の理念像ll
一ニ﹁農地制度﹂論の現実性とその限界
ll
﹁分 割地 農民
﹂と
﹁農 民属 分解
﹂
1ーリストに残された問題
ll
ドイツ資本主義と土地制度
ll
r、一
−
L J
ウリノiドリヒ・リストの﹁土地制捜﹂論
谷
彦
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九
フリ
ード
リヒ
・リ
スト
の﹁
土地
制度
﹂論
。
九︹ 一
︺
まえがき
i l l 問題の限定 11
近代に独自な資本主義︑すなわち︑﹁市民社会を支配する資本関係の基本形態︒
E
昆皆
円自
g
己w m
円
t g g − g − 5
5 2
である産業資本﹂︵傍点引用者﹀の形成過程巻解明するにあたって︑その分析の視角をどこにおくべきかについては︑
現在ほぼつまのように論点が整理されているごとくである︒
まず
︑
その古典的な規定はマルクスによって与えられ
た︒﹁商業的形態および利子形態は︑︵申略﹀産業資本よりも一唐古いものであるが故に︑産業資本は︑その発生過程
において︑これらの諸形態をまず白らに従属ロ
E 2
司
4 q
ロせしめ︑それ自身の派生的なまたは特殊な諸機能に転佑
p
せしめなければならない︒これらの旧諸形態を︑産業資本は︑自己の形成ならびに発生の時期において︑見いだし
た︒すなわち︑産業資本は︑これらを︑前提として見いだしたのであるが︑しかし︑自分自身の設定せる前提として
ではなく︑また自分自身の主宰過程の諸形態としてでもない︒それは丁度そもそもの始めに商品を見いだしたが︑し
かし︑自分自身の生産物としてではなく︑また貨幣荷通を見いだしたが︑しかし︑自分自身の再生産の一契機として
ではなかったのと同様である︒資本制生産がその諸形態を充分に発展せしめて支配的な生産方法になると︑利子附資
本は産業資本に支配せられ︑そして︑商業資本は単に流通過程より派生せるととろの︑産業資本そのものの一形態に
すぎなくなる︒しかし︑独立した形態としては︑この両者︑すなわち︑利子附資本と商業資本は︑まず破砕されて︑
︑
︵E
U
そして産業資本に従属せしめられなければならない﹂︵傍点引用者︶︒たしかに歴史的にみるならば︑
﹁商
業ば
かり
で
なく商業資本も資本制生産様式よりは古いものであって︑商業資本は事実の上でいうと
的に最も古い自由な実害様式なのである︒﹂﹁乙の資本の実容のためには︑︵中略﹀単純な商品
1
および貨幣流通に必要 宮品︒門叶﹃己資本の︑歴史な諸条件以外には何らの条件も必要ではない︒
︵4﹀
であ
る﹂
︵傍
点引
用者
︶︒
あるいはむしろ︑単純な商品Hおよび貨幣流通が商業資本の実存条件
るこ
とは
︑
﹁商人資本によって媒介される諸々の極が商人資本にとっ
τ
与えられたものであ︵5﹀それらが貨幣にとりまた貨幣運動にとって与えられるのと全く同様である︒﹂﹁ただ一つ︑必要なのは︑これ
した
がっ
て︑
らの極が商品として現寄ずることであって︑︵中略︶商人資本は︑それにとって与えられた前提としての︑これらの極
︵B
U
l l
商品ーーーの運動巻原介するにすまない︒﹂ということは︑つぎの点に関連してこよう︒すなわち︑﹁商人資本の運
動は
G W U
であるから︑商人の利潤は第一に︑流通過程の内部でだけ行われる行為により︑
いう二つの行為によって取得され︑第二に︑最後の行為である販売によって実現される︒だからとれは譲摂利潤であ
る︒明らかに︑純粋・独立の商業利潤は︑生産物がその価値どおりに販売されるかぎり︑不可能である︒高く売るた
︵7
U
めに安く民うことが商業の法別である︒だから︑等価物聞の交換ではない﹂︵傍点引用者︶︒
︵8︶ は詐偽臓着のように見えるばかりでなく︑大部分は詐偽鞘半若から生ずるよ つまり購買と販売と
ぞれ故にまた︑﹁商業利潤
まことに近代に独自な産業資本は︑
この
ような商業資本︵および高利資本︶とその社会的系譜奇異にするものでゐった︒﹁ほとんど大部分の主産物が直接に
自己需要に向けられていて商品に転化されていなくとも︑社会的生産過程がまだなかなかその全体の広さおよぴ深さ
において交換価値に支配されていなくても︑高品生産および商品交換は起りうる︒︵中略︶かかる発展段摘は︑しか
し︑歴史的にはなはだしく異なった諸々の経済的社会構成に共通している︒︵市略︶だが︑資本については︑団きが具︑
なる︒それの歴史的な実存諸条件は︑商品流通および貨幣流通とともには決して存在しない︒資本は︑主産手段およ
ぴ長活手段の所有者がr自分の労働力の販売者としての自由労働者を市場に見いだす場合にのみ発生するのであり︑そ
乙の歴史的な条件は︑一つの世界史を包括している︒だから資本は︑そもそもの最初から︑社会的生産過程の
して
︑ づり
l中
小川
勺ヒ
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の﹁
土地
制箆
﹂論
九
プリ Iド りヒ
・リ スト の﹁ 土地 制度
﹂論
︵9
V
ひとつの画期
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開旬
︒n y o
を告 知す るも のな ので ある
﹂︵ 傍点 引用 者﹀
︒
fL
ζの資本の歴史的な実存条件が作出される過
程こ
そは
︑
いうところの﹁資本の原始蓄積﹂として問題にされる過程であり︑資本制生産様式に先行する封建制生産
様式の解体をその歴史的前提として有する過程であった︒そしてこの封建制生産様式の分解がどの程度まで商業によ
って虫ぜしめられるかは︑﹁さしあたり旧生産様式の堅固さとその内部編制に依存す忍ものである︒また︑乙の分解
過程がどんな結果脅皇︑ずるか︑すなわち︑どんな新たな生産様式が旧生産様式の代りに現われるかは︑商業にではな
↑︑骨骨骨骨骨十
AV ir
かか骨骨ル快十やわか︒古代世界では︑商業の影響および商人資本の発展はつねに奴隷経済に結
果す
る︒
また出発点次第では︑直接的生活維持手段の生産を目︑ざす家父長制的奴隷制度が︑剰余価値の生産巻目ぎす
それに転化するにすぎない︒ところが近代世界では︑それが資本制的生産様式に結果する︒
なお︑商業資本の発展とは全く別の事情によって惹き起された︑
し、乙と
う の ζ 点
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と かこ ら 沿 い る つ わ てTげ もごJO 、
己〉
ζれら の結 果そ のも のは
︑
すなわち︑封建制生塵様式の解体の度合は商業資本の発達度とは全く別の事情︑その生産様式の堅固さおよび内部編
マルクスはそうした封建制生産様式から資本制生産様式への移行が︑つい芯の
ようなかたちでお乙なわれたことを指摘した︒﹁封建制生産様式からの移行は二重の仕方でおこなわれる︒生産者が
商人兼資本家となって︑農業的自然経済に対立し︑また中世的都市工業のツンアト手工業に対立する︒これは現実に
革命的な仕方である︒さもなければ︑商人が空産を直接的に占領する︒後者の仕方も歴史的には移行として作用する
が︑︵中路︶乙の仕方は︑即自的にも対自的にも
g c
昆 E
門的山岳旧生産様式を変革することはほとんどなく︑むし︑
︵H︶
ろ旧 生産 様式 を保 存し
︑自 己の 前提 とし て維 持す る﹂
︵傍 点引 用者
︶︒
ζのマルクスによって指摘された直接生産者が
資本家になる現実に革命的な移行の仕方については︑その後レlニンによって明確な理論的定式化がなされた︒レi 制の如何︑にもとづいていたのであり︑
ニンは︑この直接生産者が資本家に上昇していく径路が腫史必然的に芯き起されるのは︑いゥたいどのような歴史的
諸事情のもとにおいてであるかという問題ぞ理論的に整理して︑つぎのように構組した︒すなわち︑﹁資本主義の躍
史的発展においては︑二つの契機︑付直接の生産者たちが営む現物経済の商品経済への転佑と︑国商品経済の資本主義
︹注
意︒
これ
か商
品経
済の
必須
条件
︺︑
経抗への転化︑が重要である︒第一の転化は︑社会的分業孤立分散した︑
イ 回
々の生産者たちがただ一つの起業部門に従事して専門化することーーがあらわれるζとによって︑おこなわれる︒第
二心転佑は︑個々の生産者たちが︑おのおの単独で市場のために詰商品を生産し︑競争の関係に入ることによって︑お
こなわれる︒各生産者は︑より古く売り︑より安く買おうとつとめる︒その必然的結果は︑強者の強大化と弱者心没落︑
少数者の富格化と大衆の零落であり︑これが組立生産者︑だちの賃金労働者たちへの転佑と多数の小経営の少数の大経
︵ ロ
﹀
営への転化に導くのである﹂︵傍点原文︶cレlニンがζこに指摘した二つの歴史過程ζそば︑小プルダョア層の形成と
その両極分解︿いうとζ
ろの
一﹁
農民
底分
解﹂
︺で
あり
︑
マルクスのいわゆる﹁現実に革命的な﹂移行の過程を示すものにほ
かならなかった︒しかも︑レ!ニンはこの場合に︑さらにたちいってどのような事情のもとで小ブルジョア経済が広
汎に成長することが可能であるかという問題に対して︑間以太主義発達の必然性を隔地問分業から導きだそうとするク
ラ!シンの見解を強く否定し︑﹁共同体内分業﹂の展開かち共同体のめ
5 0
一 口当
2 2
の崩壊︑階級分化が結果してくる事
︵刊日﹀宍を指摘する︒ところで︑マルクスおよびレ
i
ニンによって理論的整理のなされた︑この資本制生産様式の成立を共同体円分業の発達
i
共同体の崩壊と小ブルジョア経済の発展i
その両極分解として理解する学説とは︑少しくニュア叶ンスを異にし︑また全くちがった方法的視角からではあるが︑この問題にたいして独自の理解を示した学説として︑
︿ 団
︶
マックス・ウェiパlのがあげられる︒彼は前近代諸社会の生産的土台をかたち︒つくっているものが共同体であると
フリ
ード
リヒ
・リ
スト
の﹁
土地
制度
﹂論
九
フリ ード すヒ
・ワ スド の﹁ 土地 制度
﹂論
九四
とを指摘し︑このような共同体を経済単位として社会が編制される場合︑必然的に経済・倫理の二重構造が現象せぎる
を得ないことを強調する︒したがって︑彼の資本主義成立史を解明する分析視角は︑乙の経済・倫理の三重構造揚棄の
諸条件を検討することにおかれる︒その場合彼がとくに重要視するモメントは︑局地内的H共同体内的分業の鹿開と
いう事態であり︑封建制生産様式としての封建的共同体の崩壊は︑﹁他の多くの要因もさることながら︑基本的には
畏民の﹁経済的成長度﹄と
l l
それと相表裏することだが||局地内的商品交換
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︿2
宮町︑すなわち︑独立の工業と都市の営利生活一般︑およびそれによって与えられる農民生産物の局地内的販売可能性
Z W
包
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同 月 富 一
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の展開度に依存するのである︒﹂ウェl
パ!
は︑
このように封建杜会の生産的土台である共同体組織を下から揺さぶ
り︑乙れを崩壊させつつ広汎に成長してくる小ブルツョア層を︑それもその内部から絶えず上昇しつつある部分巻分
ヘ日目︶出するような小ブルツョア日ブルジョア層令官﹁向上しつつある産業的中産者層﹂己目︒宮町田可各
g a g F E n
−
H件 ︒ ロ 己
2
経過 点﹂ とし て︑
との社会周こそは中世封建社会から近代資本主義へ移行する場合の﹁必要な
いわばその移行を媒介する臆史的役割を果すものとみなしたのであった︒
ぬ命 名
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ロ号室0 2 Z E B
とよ
び︑
以上︑われわれは資本主義成立史を問題にする場合の分析視角はどういう点に向けられるべきかについて︑それの
理解に古典的な意義を有していると思われる学説を若干紹介してみたわけであるが︑ζ
れら の諸 学説 の一 示す とと ろに
したがって︑資本主義成立史︵H資本関係の形成︶に関する基本的な論点を指摘してみると︑こうであろ︒すなわち︑
付封建的自営農民の独立自営農民︵ひろくは小ブルジョア層︶への転化︒これは封建的自営農民によって構成されてい
る生産の共同体組織が解体し︑各直接生産者たちがその生産規制から解放されて個々に分立しつつ商品生産を営み始
め︑その結果局地的商品生産が根深く進展する過程でみのり︑﹁共同体心解体﹂がひとつの基本的な論点ぞなしている︒
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まに
︑
かかる独立自営農民層の成長︑彼らによる﹁自由な﹂商品生産の展開
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いわ
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︿︒
−
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S W Y E B
の 成
立ーーが︑彼らの内部に新たな階級分化︵﹁自由な﹂賃労働の成立︶を惹き起しつつ︑その中から産業資本が発生する過
程︒乙乙ではいわゆる﹁農民層分解﹂︵︿
q H r 2 a n v g g
の解
体︑
したがって同
85
− B
R E E E
の成立︶がびとつの基本的
な論点をなすととになる︒一応このように論点を限定して︑本稿のテ!マについてみるならば︑ほぼついさのことがら
が問題となるであろう︒
さきにあげたような資本主義成主史における基本的な論点である﹁共同体の解体﹂日﹁独立白営農民︵ひろく小ブル
ヅゴア︶の成立﹂および﹁農民層の分解﹂の歴史的過程は︑一般に知られているようにイギリス・フランス・ドイツな
どの資本主義諸国においてその様相および帰結を異にしているばかりでなく︑それぞれ陀独自な再生産構造の基礎を
形成している︒そして︑各国の資本主義にみられるこの構造的特質はそれぞれの国における経済学H思想体系を根深
︵ 四
﹀
く刻印づけており︑その意味においてこの事情は︑逆にこれらの誌済学H思想体系のなかに前述の﹁共同体の解体﹂
もしくは﹁農民層の分解﹂の事実がどのように反映しているかを分析することによって︑資本主義成立史研究に対す
る学史的あるいは思想史的接近在万法的に可簡とするであろう︒この場合︑問題はニ重の古味で悶難さを提示する︒
というのは︑このような方法は経済学日思担体系に含まれているかぎりにおける﹁共同俸の解体﹂︑﹁農民層の分解﹂
の事実を史料として提供しようとする意図をもっとともに︑他面これらの文献ではその一事実はこのような経済的基礎
過程をどのように看るか︑すなわち︑ブルジョア的指導者としての階級的地位に応じたその視角からそれぞれ理論的
に整理されて把えられているために︑なにほどか歪められて反映されることになり︑したがってその批判的検討なし
には事実そのものをも史料として提供し得ないという︑いわば対象白体とそのなにほどか歪められた映像との何者を
フリ
ード
リヒ
・リ
スト
の﹁
土地
制度
﹂論
九五
フリ
ード
リヒ
・リ
スト
の︵
土地
制度
﹂論
九六
同時に追求することを意味するからである︒
とも
かく
︑
このような困難さが方法上存在しているζとぞ確認した上
で︑本稿ではドイツ資本主義分析の経済学H思想体系として古典的地位を占めているフリードリヒ・リスト
p − a
広 島
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由同∞怠︶のそれをとりあげて︑上述の論点について批判的検討を試みてみたいと思う︒その場合︑りストの
思想体系において基礎的な位置を占めており︑かつまた前記の論点について検討する上で最も好適な資料であると思
門 担
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われる彼の晩年の作たる﹁農地制度﹂
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およびそのなかで述べられている見解の原型そ打ちだしているとみられる初制の論文﹁農地の無制限分割への反対
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H0・金とりあげる乙とにする︒なお︑リストの数多くの
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﹁日本資本主義分析﹂の著者文献のうちとくにζれ巻とりあげたのは︑
が︑すでに明確に指摘しているように︑﹁十八世記中葉過ぎ以降の
KF U白 色
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の場合にナポレオンの制圧下に余
儀なくされた上からのブルジョア草命開始ハ一八O八
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一三年︶を起点とし古手の﹁地
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八四八年︶の後外見的立憲主義ハ一八四八|六六年︶並に似而非ボナパルテイズム︵一八七O年︶の形態下に構成ゆ守備
ユンケル経済の支配と零細土地所有農民の局面とをもっ独逸資本主義﹂は︑ユンケル経済の支配
へる
に至
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所の
︑
︵東ドイツ︶と零細土地所有農民︵西・南ドイツ︶の二つの局面において土地制度と内面的連関を構成することによ
って︑独自な構造に打ち︑たされているからである︒木稿でとのような大きな問題をあっかうことは︑もとよりとうて
い不
可能
であ
り︑
ζこではただ西・南ドイツにおける零細土地所有農民の問題を意識的にとりあげた点で古典的な前
記のリスト﹁農地制度﹂論にもと*ついて︑﹁ドイツ資本主義と土地制度﹂の間隔砲に対するささやかな思想史的研究を
おこなってみるにすぎない︒その意味では︑本稿はあくまでも筆者が意図するドイツ資本主義分析の思想体系研究に
︿川副﹀悶ずるひとつの試論であり︑またそれ以上のものでない乙とをつけ加えてお︑きたい︒
︵ 注 ︶
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︶ 戸 富 山
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︵イ ンス ティ テコ
iト版による︶︑長谷部文雄訳
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﹁資 本論
﹂︵ 青木 書店
︶第 一二 部上
︑四 六一 一氏
︒︵ 以下 邦訳 と略 す﹀
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︒・ 邦訳
︑同 四六 二頁
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︒・ 邦訳
︑同 四六 二頁
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・邦訳︑同司六七四六八頁︒乙こでは長谷町即訳を一笥所変更した︒︶U
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・ω﹈N邦訳
︑目 六九 頁︒
︵9
︶
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・邦訳︑第一部
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・邦 訳︑ 同四 七四 四七 五一 良︒
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︶レ
l−一ン﹁いわゆる市場の理論について﹂︵国民文庫版︶一一六|二七頁︒この筒所の重要性については︑すでに多くの論
者によって︑くりかえし指摘されているので︑とこではたちいって検討を加えないでおく︒
︵路
︶レ
lニンのこのような見解がどのようにしてマルクスの﹁資本論﹂から導きだされてきたのかという問題は︑それ自体まことに興味深いものがあるが︑こ乙ではレlニンが示したいわゆる﹁市場形成の表式﹂において封建的土地所有ばかりでなく共同体規制もまた捨象されたかたちで問題が展開されている事実に止日しておきたい︒レ!日一ンはこのような直接生産者の集団脅一つのの
0 5
包
5
2 2
日として規定しているが︑それは歴史的にいって果していかなるものと比定されるであろうか︒ひと つの 問題 では ある の
︵M
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ウェlパlの学説をかかる看点から把握したものとして︑大塚久雄﹁資本主義社会の形成﹂︵﹁社会科学講座﹂官︑電所収︑
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4七
フリードりヒ・リストの﹁土地制度﹂論
九;I
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弘す 人堂
︶が あげ られ る︒
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の見 解に つい ては
︑
﹁資 本主 義の 成立
﹂所 収︑ 河出 書房
︶を 参照 され たい
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・H 別の 筒所 で彼 は︑
中品川末期と近代初期に至って西浮近代に独自な経済制度である近代資本主義が︑したがってまた︑その担い手である産業資木家層がどうして成立したのかを問煙とし︑それは一面では資本主義的エ業を生みだすようなが掛か卦島︑他面では生産組織︵島
忠払労働の資本主義的組織︶の創出にかかわるものであって︑結局において中世農民層の上向的な経済的発展に︑しかもそれ
は︑
﹁当 時都 市の 仲野 千根 を下 した 卦骨 骨骨 台骨 骨が
:;
:農 民に あた えた 生活 諸条 件の 如何 に依 存す る﹂
︵U Rω
−
w同 ・ 同 ・
9
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・凶器・︶ものであったことを強調している︒ここでは︑彼は明瞭に初期の見解から脱皮している︒︵叩
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乙こでとくに?ぞの内部から上昇しつつある部分を絶えず生みだしているよラな﹂申産的社会層を﹁産業的中産者層﹂とみなしたことは︑充分注目にあたいする看点である︒このような条件を有さない中産的社会層は︑たとえば後段で指摘するリスト
の場 合の よ
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窓口・﹈・﹁資本主義的企業の技術︑および資本主義に生育力を賦与するのをつねとする﹁職務﹄の
精神との両者が︑本源的に同一の社会層によって培養されねばなら伝かったという事実乙そは
ll
lここではこの点のみを強調
しなければならない
1
1先験的
PH
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ユにはとうてい︑認識レ得ないものである︒宗教的意識内容の社会的関連も︑これと一致している︒歴史上︑﹃資本主義の精神﹂への教育を担当したものの一つはカルヴィニズムであった︒︿中略﹀オランダをはじ
め他の地域でも︑企業家としてようやく身を起しつつあった市小市民階級こそが︑資本主義的伶理とカルヴィニズム信仰との担い手であったのだ︒︵中略﹀そして︑乙の市民的産業的な労働の︑合理的な資本主義的組織は︑中世から近代への発展によ
って︑はじめて生じたものなのである己︵叩川︶もとより︑以上の引用で論点のすべてが尽されているなどとは︑とうていいえない︒ただ︑当面のテ!?にとって必要最低限の基本的な論点が指摘されたにとどまる︒︵叩却︶たとえば︑その一例としてイギリス資本主義とスミスお土ぴステュアl
ト ︑
ャイッ菅本主義とリスト︑ウェl
パー があ ザら およ タ︒
拙稿﹁職業観念とその経済的基盤﹂︵大塚久雄編
フラ ンス 資山 本主 義と ケネ
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︵山山﹀すでにそうした方向に具体化された労作として︑小林昇・内日義彦教授らの研究があげられるcそれについては恥とくに
小林
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︵幻︶この論文は︑はじめ短縮ちれたかたちでむ
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至って︑はじめて完全伝法に復原されて︑その第五巻に収録された︒本稿はそれによっている︒なお︑この論文は小林教授に
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・︵お︶山田鹿太郎﹁日本資本主義分析﹂︵岩波書店﹀序文参照︒なお︑この規定ば最近改めてとくに小林昇教授によって重視さ
れるところとなった︒小林昇﹁経済学史研究序説﹂︵未来社︶所収の﹁東独のリスト﹂一二三七三三八頁参照︒
︵剖︶筆者のそうした意図にもとN
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第十一の一︑昭和三十二年六月︶がある︒なお︑木稿におけるリスト研究は筆者のウェ!バI研究の一骨骨
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の著者として︑空た発展段階説の提唱者として︑その相対主義的見解においてドイツ歴史学派経済学の先駆者と考えられている︒だが︑﹁政治経済学の国民的体系﹂は︑リスト独自の政策構想包装うちされて展開されており︑
その発展段階説はりストの構想に発する貿易政策を正当化するための手段という意味を担っており︑究極的にはアダ
︿1﹀ム・スミスの﹁国宮論﹂に展開されている世界を肯定している点で︑スミス的世界観に包摂されているのである︒も
とよりその点でもりストに独自な理解の仕方がみられないというのではないが︑ザストの全思想体系のなかで﹁国民
フ月!ドりヒ・りストの﹁土地制度﹂論
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制度
﹂論
一
0 0的体系﹂の占める位置は︑一応それを支える政策構担の拙自性のに求められるであろう︒それはごく大やっかみにいっ
てみれば︑大陸の独立諸国民の連合による対英防衛の構想であり︑誤解を恐れずにいえば︑ナポレオシ的大陸封鎖の
よそおいをかえた復活であった︒ところが︑小林昇教授の開拓的な語業績によれば︑のちの﹁農地制度﹂論ではその
政策構想ばもはや棄て去られているのであり︑そこでは新たな別伺
ω
構想があらわれているという︒すなわち︑殺は大陸諸国の経済同盟が当時仏露協商の可能性が現実化することによってきわめて望み薄いものとなったとみるととも
に︑また両国の経済制度の特徴からみて必然的に侵略的行動化でるであろうと判断して︑それを防ぐためにはイギリ
スと手を結ぶ︑以外には可能ではないと考えたのである︒リストは英独同盟がイギワスにとっても必要であるとみた︒
それ
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ヨーロッパ大陸からするフランスの英本土攻撃をドイツが牽制するζとであり︑二つには︑仏露両
国がイギリスの確保しようとする対インド連絡路ヘ進出することや︑ヨーロッパトルコへのドイツの膨脹によっで挫
折ぜ
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︑
ζうして地中海を抱くイギリス中央帝国の建設を可能にすることであった︒ところで︑﹁イギリスが仏露
両国との戦いに際して必要とするものは︑ドイツの君主および政府の力と好志ばかりでなく︑すャれてドイツ国民の
︿3﹀力と同情と﹂であって︑そのためにドイツに対しては︑いわば国民的生産力の基礎でもある﹁自由な制度と完全な国
︵4︶ 民組織と﹂が許容されなければーならない︒したがって︑イギリスの経済勢力のドイツへの侵入は︑阻止されなければ
ならない︒こうしたドイツの保護政策は︑ドイツの政治的自立の基礎である経済的統一を達成するために︑ひいてはド
イツが真に勢力均衡の要石となり得るために絶対に必要なものであるばかりか︑その意味では﹁究極においてイギリ
︵5﹀ス自身にも大きい利益をもたらすものである﹂と考えられた︒その場合︑ドイツのバルカン没出には帝国主義的侵略
の危険性がないでゐろうか︒リストによれば︑そうした侵略の危険性は︑ドイツに独自な経済構造の確立によって担
︵6﹀止され得べきものであり︑それこそは﹁農地制度﹂の改半に倹つべきものであった︒リストの﹁農地制度﹂論は︑当
︵7﹀時西・南ドイツにおいて﹁散在耕聞の宮
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と部落制度口︒ュ
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広告主ロぬとの生んだ娘﹂であるており︑それが工業力山発達にとって最大の障害になっているという.m
工夫
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にもとづいて︑新たに上から一Jによる広汎な土地整理でエンクローズされた中・小規横山独立自営農民屈を多数
︵8︶ つくりだそうとしたものであった︒この+J
目 ︑
一面ではたしかに零細所有H経営が基本的にはフランスヅャコパン
主義心基礎であり︑新しい専制主義へ日ボ中ノベルティスム﹀の導入される地盤となっているという彼特有の観祭にもと
︵9﹀づくフランスのそうした侵略的問俗の発生を来日伐に防止しようという考慮と︑イギリスの件一本主義的大農場制広のも
︹仙川﹀とに生ずるプロレタリアートの大群の充生阻止への顧慮とによって規一定されていたが︑彼の﹁良地制一
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本的な視角は︑ドイツ資本主義の後述内在基底において制約する土地制度の前近代的諸形態を清射して︑近代的な色
調の操い独立自営農民層を広汎に創出することにより︑ドイツ資本主義の発展に前望的な基礎的諸条件や−
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ずることにおかれていたといわなければならない︒そこには政策構却の変佑にともなって︑かの発展段階説はその姿
︵刊以︶をひそめ︑代ってドイツに独自な目凶経済の一構造という﹁塑の問題﹂が前面に押しだされている︒だが︑そうした構
担の変佑にもかかわらず︑リストの﹁ドイツにおける保護制毘の必要と国民的生産力の向上︶という主張は︑貫徹し
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﹁農地制度﹂論が︑ぽぽ以上のような構担にもと*ついていたとすれば︑ぞれは︑まさしく﹁シュワ
iベンのデモクラiト﹂︵レンツ︶として登場した初期の時代にすでに育くまれていたドイツの土地制度に対する見
︵日比﹀解の復活といえないだろうか︒リストは﹁国民的体系﹂において勃興するドイツ産業資本のイデオロlグとして活躍
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﹁農地制度﹂論を書くことにより︑その点では再び初期のリスト︑すなわち︑のちにみるように小プ
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フリードリヒ・リストの﹁土地制度﹂論
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ルジョア的立場に戻ったのであろうか︒もし両者の間に相違があるとすれば︑それは一体どういう点においてであろ
うか︒また︑初期のリストの見解はどういう点で後期のそれに対して︑原型たりうるか︒さしあたって︑そういった
ζとがらが一J農地制度﹂論を検討する場合に問題となるであろう︒きれば︑乙ζではごく大づかみながら︑初期リス
トにおける土地制度論の論旨を紹介しつつ︑当面の問題に接近するζととしたい︒
︹ 注 ︺
︵1﹀小林昇教授は︑ζの点をとくに強調しておられる︒同民著﹁フリードリッヒ・リストの生産力論﹂︵東洋経済新報社﹀序
寧﹁﹁国民的体系﹄とりストの全体系﹂を参照︒まに︑同じく同民著﹁経済学史研究序説﹂一二三頁︑二四
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の場合にも絞はハンガリーのゲルマン化でなく︑ドイツ人移住のマYャlル化毎勧告しているのである︒これらの移民はワス
トのいわゆる農場制度の創設によって新たに生みだされた人々であり︑この植民が成功することは︑ドイツの国民的生産力を
根抵から近代化するはずの農場制度の実現を有効に確保するために必要であるとともに︑これによってドイツはその再生産圏
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︵日﹀この点は︑さらにたらいって論じられるべき論点であり︑ここでは単に指摘するだけにとどめる︒
︵ロ︶小林昇﹁経済学史研究序説﹂二五一頁︒ただし︑リストの医史認識のうちに発展段階論的な見地がまったく消失してしまったというのでは︑もとよりない︒﹁農地制度﹂論の背後に︑歴史認識の方法としてそうした見地が存していたことは︑明ら
かである︵とくにその冒頭の数五における叙述吾参照﹀︒乙こでは︑リストの政策構起を正当化するための合理的凶式として
は︑棄てきられたということをいっているのでめる︒︵日︶さらにいうならば︑そうした主張の背後にめって最後まで堅持されたドイツ資本主義分析の祝角こそは︑一生産諸方の調
和と均衡﹂の思想であった︒との視角の怠義については後述︒
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初期リストの経済理論的な業績の最初のものが︑故郷ヴュルテンベルクを対象とした﹁農地の無制限分割への反対という農業論であったことは︑被の思想体系心全貌
ゆ管理解する上にまことに象徴的である︒すでに工業力重慌の立場にあったりストの限に映ったヴュルテンベルクの土ハ1︶地制度は︑当時どのような状況にあったろうか︒何人の限にも明らかな乙とは︑農民たちにおける驚くべきほどの零
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一一一|四モルゲンの零細地に分割されてしまう︒祖父は四頭の美しい馬を
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︵2﹀が︑孫は自ら畑を堀り返し︑来る年来る年飢餓と窮迫と戦っている︒﹂彼らの提供する年貢は︑﹁その生産物の剰余部
︵3﹀分ではなくて︑まさしく生活必需品をきりつめた部分なのであるo﹂この﹁小農民﹂同
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層は︑リストによれ 国家には祖税を払った
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しかし彼らが自らのささや
かな相続地においてせっせと働くのは︑そこでとれた収穫物ぞもっぱら自分だけで消費するためであるにすぎない︒﹂
五 六 人 の 家 族 で 三 四 モ ル ゲ ン
﹁小農民﹂層は自給自足的な自然経済の枠のなかで生活を営んでおり︑ ﹁もちろん耕地をたがやす点では大農場所有者よりもさらに精を出して働くのだが︑
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の耕地を家畜もなしに手耕役をしている︑せいぜい痩せた役畜を使用しているにすぎない︒その年貢はいわゆる必要
︵5︶ 生産物にまで喰いこむくらいに過重であり︑彼らがいかに封建的諸負担の下に岬吟しているかを物語っている︒とこ
ろで︑こうした﹁小農民﹂層とならんで︑当時ある地万では︑きわめて富裕な農民層の存在していたこと吾︑リストは
指摘している︒それは﹁大農民﹂の
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層とよばれているが︑彼らは大体六
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自分たちの家族と六人の下僕己目︒
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人くらいの人々で畑を耕やしている︒﹁そこでは四頭の馬を用いて美しい容器で堆肥を畑に運び︑その厩は美しい家畜で満ちみちており︑彼および日傭人︑下僕の
25 号
は一年中食物を十分に有している︒租税は支払わなければならないので︑収穫物を荷車にいっぱい積みこんで市場に
持って行って売りさばき︑たとえ不作の年がきても農民は家族と下僕とに次期の収穫を待てば十分に回復する程度の
生産物をぱつねに保有しているのである︒農民が死ねば︑長男が適度の課税で農地出えを相続し︑その他の子供た
ちは豊富な婚資﹀ロ
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を得る︒そのうちに一人は村に居残って別の農家のものと結婚するか︑日傭人として良い収入を得︑他の子供たちは都市に赴いて手工業を修め︑農地を相続した者よりも幸福になるものも決して稀ではな
︵6﹀い﹂という︒当時アルトヴュルテンベルク﹀ロ老年号ロぴめ話︑ロッテ+ハッカー
︵7﹀エlインゲン何
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地方では︑乙の両者がともに存在していた︒
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農民﹂層がすでに市場向け生産に入りつつあり︑租税が金納化されている乙と︑などを知る乙とができる︒しかも︑
その生活程度は良好というのであるから︑
民﹂層の優越している地方では︑すでに﹁農民層分解﹂の胎動をすら感じとることができよう︒ところで︑零細経営 長男相続で他の子供たちは日傭人か都市の手工業者になり︑この﹁大農
による﹁小農民層﹂の支配的な地域では︑どうであったか︒そこでは︑はじめに引用したリストの指摘にみられるよ
うに︑六
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モルゲンを有する﹁大農民﹂が存在していても︑または成立し得ても︑ただちに一ニーー四モルゲンの零細経︵9﹀営に分解してしまい︑﹁八
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人にのぼる一五家族が耕作に従事するまでに至る﹂のである︒そうした地域では︵ 山
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﹁ただ困窮のみが彼をして父の家や故郷を放棄するように強制する︒﹂次三男は当然に日傭人か手工業者になるべき
はずであるが︑そうした職業は彼らにとっていたずらに苦痛を増すにすぎず︑その苦痛をひたすら農地に分割するこ
とによって︑すなわち彼らも零細とはいえ土地保有者となることによってそうした運命ぞ避けようと努めるのであ
︵ ロ
︶
る︒かくて﹁結局富裕な農民はもはや一人も見当らない﹂という惨状を呈するようになる︒こうした地域では︑たと
え日傭人膚が発生しても就業のチャンスが近辺に豊富に存在せず︑換言すれば局地内分業の未発展によって彼らは結
局土地所有者にならざるを得ず︑この点でも﹁農民層分解﹂への展望を未然に阻止してしまうことになろう︒否︑そ
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式れどころか︑こうした地域ではそもそも﹁大農民﹂層の成立自体が︑きわめて困難なのである︒というのは︑リスト
によれば︑まず誰の眼にも明らかな農地の分割相続という慣習が︑不断に無制限分割零細化への傾向を生ぜしめるか
らである︒それは必然的に経営の零細化を招来する︒かくては生産力の向上はとうてい望み得ないばかりか︑農業に
おける剰余生産物の欠如は工業生産を圧迫し︑﹁工業生産物の犠牲において﹂零細土地保有H経営が蔓延することを
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意味し︑国内市場の形成を希求するリストの看過し得ない問題となっていた︒ところで︑つぎにそうした零細佑の傾
向は︑たしかに分割相続の慣習によって決定的に促進きれはするが︑実は一層奥深いところから発生していること
号︑リストに指摘する︒彼はそれについて若干の例示を与えているが︑それは︑乙うである︒たとえば﹁農民の四人
の子供たちゃ葡萄摘み人当ENO吋の六人の子供たちは︑他日父の財産である土地から小地片ぞ得て生活しようと望ん
円一比﹀でいるので︑彼らは農民と葡萄摘み人になろうとする以外には︑何ととも考えていないのである︒﹂﹁彼にとって最も
︵ 臼
﹀
その上に腰をす加える乙となのである︒﹂せっかく熟身近か江考えといえば︑何であれ︑ただき会やかな土地ぞ得て︑
練した手工業者となって戻ってきても︑もしこうした地域で営業すれば︑
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帰属し︑彼は自分の家の需要を充足させるために鍬をもって野良にでかけ︑ζの生活が気に入るようになる︒数年後
には織機台や飽かけ台は空のまま棄ておかれ︑熟練した手工業者から一人の小さいお百姓さん回
2 0
円笠ロが生誕す
ることになる﹂︒すなわち︑リストはこうした農民たちの土地への執着︑﹁父のやったことをまたやるのは全く似つか
︵ げ
︶
わしいζとであり︑人が生れてきた場所に留まることは快よいものだ﹂という︑ウェlパ!のいわゆる﹁伝統主義の
︵ 国
﹀
精神﹂の裡に土地分割の究極の原因を見出しているのである︒彼の観察することころでは︑農民の土地所有への指向
性は︑ほとんど﹁自然の性向﹂とよぶべきほどにまで達しており︑これζそは﹁何故工業生産がヴュルテンベルクで
円山町﹀繁栄しないのか︑またどうして工業が大部分の地域で伸張しないのかということの理由なのである︒﹂
以上リストの論旨の紹介とそれに対すろ若手の解説をつけ加えて述べたのであるが︑初期リストの土地制度論にお
いては︑村農業問題がなによりも工業生産力の増大への展望において把えられていること︑仲その場合零細土地保有
H経叫けいが農業生産カの向上を遅滞せしめていること︑国それは農民の分割相続慣習に媒介されつつも究極的には絞ら
︵ 加
︶
の土地所有欲日伝統主義の精神にもとやついていること︑などをほぼ明らかにし得たことと思う︒それならば︑との事
態はどのように解決されるべきであるか︒リストはそこで問題を︑付土地の自由な交換と︑付﹁小農民﹂層の根絶と
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いうことにしぼる︒そして︑その方策はつま心ようなかたちで提唱された︒﹁国家はまず以てどれくらいの一広さの畑
が適正な農業のために必要であるかを決定しなければならない︒すなわち︑ニ
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モルゲン等々に︒それにつづいて
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互の解散がおこなわれる場合にも︑農地の広さがこのモルゲン数よりは柏少することのな
話ロされる場合以外は︑ いように規定が設けられなければならない︒ただしその際︑土地の所有者は散在した数モルゲンが再び椋回目ロミ︒ぬ守
︵ 忽
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一切心部分ゆ譲授に関係してはならないのでゐるこここには後庄の一﹁農地制度﹂論の原型
が打ちだされているかに見える︒リストの農地改革のプランは︑このように︑付土地の再分配︑同経営規模の適正佑
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犬農経営︶のニ点から構想されており︑それは使具な日傭入居と手工業者層告その内部から分間せしめ︑ひいては
﹁国民的﹂工業と国内市場の形成を押し進め得るような︑その意味で﹁あらゆる工業の礎柱としての農業﹂を確立し
り ょうとするよものであった︒ただし︑その場合にも創出されるべき﹁大農毘﹂眉は適正規模を持続するものとふされてお
その農場に雇傭されるはずの日傭人屑の問題を蔵しつつも︑なおもっぱら論点が伝統主義からの解放︵H
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および﹁工業生産にたずさわる人間はどζからくるか﹂の問題に対して独立の手工業者を放︶におかれていること︑
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八提供することで解決しようとしている点において︑初期りストの小ブルジョア的Hブルジョア的立場は︑きわめて明
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瞭であるといえよう︒後年の﹁農地制度﹂論においては︑初期におけるこういった問題把握の仕方が一層深められつ
っ︑しかも相違吾も一耶しながら展開せられており︑つぎにその点をややたちいって考察するとともに︑﹁ドイツ資本
主義と土地制度﹂に対するリストの独自な問題理解の仕方について検討ぞ加えてみる乙とにしよう︒
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︵1︶リストが初期においてはすでに工業力育成の視角から土地制?度の問題を担えていたことについては︑以下論旨の紹介において明らかにされるが︑さしあたってここでの開題は︑にもかかわらず︑リストの理論的視座﹀ω百
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業が﹁あらゆる工業の礎ね﹂︵者RWPH・
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てその検討がなきれているにすぎない︒したがって︑乙の問題の全面的な検討は︑彼の﹁工業制度﹂論を分析してのちに︑め
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・なお︑初期リストのこの論交では︑後年の保儒経済︵H
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︵5︶リストは︑乙こで明瞭に彼らの年貢がその必要生産物部分まで股いとんでいること︑し売がって︑その倖貢収取がなんらかの意味で﹁経済外強制﹂によって芋えられている乙とそ認識している︒後年リストは︑その点を一層根本的に骨酔骨︵H共同休︶の存続
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