博士(水産学)厳 紹頤 学位論文題名
The interactions between cell nucleus and cytoplasm as revealed by nuclear transplantation in fish
( 魚 類の核移植によ って顕示される核細胞質の 相互作用)
学位論文内容の要旨
初期胚の細胞核を予め除核した成熟卵に移植することによって,核と卵細胞質の役割及び相互 関係を明らかに するための細胞核移植実験は1938年に初めてドイツの発生学者Hans spemann により提唱された。しかし,当時の設備,技術ではこのような実験ができなかった。その後フラ ン スの 生物 学者Commandonとde Fonbrune(1939)は アメーバーを 用いて初めて核移植実 験を行った。ま た1952年アメリカの発生学者BriggsとKingはこの技術を両生類に応用した。
Danielli(1952)は核移植によってアメーバーの核と細胞質の遺伝様式にっいて研究した。2 種類のアメーバー間の核移植実験の観察結果から三種類の遺伝様式が明らかとなった。1)核の 遺伝;2)細胞質の遺伝;3)核と細胞質の複合遺伝。それらの結果からDanielliはアメーバー の核と細胞質はともに遺伝に関与すると結論した。両生類では種間に不親和性が存在し,異種間 の核移植実験が困難であるため,同種個体間に限って核移植実験が行われている。特に移植核の 胚発生に於ける 潜在能カを中心にして研究 したBriggsとKing(1952)およびその後の他の研 究者は,両生類の核は分化の進行過程で発生の潜在能カが劣っていくこと,一方卵細胞質はいる いろな程度に移植核の全能性を回復させることを明らかにした。従って核移植を受けた卵が正常 に 発 生 す る か ど う か は 核 と 細 胞 質 の 相 互 作 用 に 依 存 す る と 考 え ら れ る 。 一方,両生類における核移植研究の多くは同種個体間で行われており,遺伝的性状の決定が核 によるものか,または細胞質によるものか不明である。僅かな例であるが,日本の生物学者Kwa・ muraとNishioka(1963)はカエルを用いて異種間で核移植実験を行い,核細胞質雑種を得た。
彼らの観察結果によると,雑種の性状はほとんどが核供与側の種と同じになるが,卵側の種の性 状も,また両種の中間性状も多少出現した。これらの結果から両生類の発生,分化および遺伝に は細胞質側の因子も重要であることが明らかにされた。
1963年から中国の我々の研究室(当時の担当者は発生学者童第周であった)では両生類の核移
植手法を魚類に応用し,いろいろな種間で核移植による核細胞質雑種の作出に成功した。これに よって高等生物において核と細胞質の遺伝に対する様々な影響にっいての研究が再開された。現 在 ま で , 得 ら れ た 核 ・ 細 胞 質 ( 以 下NCHと 略 す ) の 組 合 せ は 以 下 の 通 り で あ る 。 I)品種間の組合せ:
1. 7+ (Carassius auratus, 2 n =100)核Xキン+ a (Carassius auratus, 2 n =100)卵細胞質
NCHは成体まで成長した。主な表現型はフナ、と同じであったが,一部の形態学的または生化 学的な形質にっいて中間的な形質も現れた。
H)属間の組合せ:
2. コイ くCyprinus carpio,2nニ:100コイ 属) 核Xフナ(Carassius auratus,2n . 二二100フナ属)卵細胞質
NCHは成体まで成長した。主な表現型はコイと同じであったが,一部の形態学的または生化 学 的 な 形 質 に っ い て 中 間 的 あ る い は 細 胞 質 の 影 響 を 受 け た 形 質 も 現 れ た 。 3.フナ核xコイ卵細胞質
NCHは 成 体 ま で 成 長 ゛ し た 。 主 な 特 徴 は フ ナ の 表 現 型 と 同 じ で あ っ た 。 m)亜科間の組合せ:
4. ソウ ギョ(Ctenopharyngodonldellus,2n :48レンギョ亜科) 核Xメガロブラ マ(Megalobram amblycephala,2n=ニ48アブラミス亜科)卵細胞質
NCHは成体まで成長した。主な表現型はソウギョと同じであるが,アイソザイム及び血清の 免疫泳動の分析では多少の相違が認められた。
IV)科間の組合せ:
5. キン ギョ くCarassius auratus, 2n=100コ イ科 )核Xド ジョ ウくParamisgur‑
nus dabryanus,2n=48ド ジ ョ ウ 科) 卵細 胞質 キ ン ギ ョ に 類 似 の NCH幼 魚 が 得 ら れ た 。 6. ド ジ ョ ウ 核 xキ ン ギ ョ 卵 細 胞 質 ドジ ョ ウの形質をそ なえた早期NCH幼魚が得られ た。
7.ゼ ブラ (Brachydanio rerio,2nー50コイ 科) 核Xドジ ョウ (ParamlSgurnuS dabry壘墾 塑s―,2n二ニ48ド ジョ ウ科 ) 卵細 胞質
ゼ ブ ラ ま たtま ド ジ ョ ウ の い ず れ と も 半l亅 断 困 難 ナ ょ 後 期NCH幼 魚が 得ら れ た。
V)目 問の 組合 せ :
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8.テ ラ ピ ァくOrechromlSni10tiCa. 2n=ニ44ス ズ キ 目 冫Xキ ン ギ ョCarasslusau− ratus,2n=100コ イ 目) 卵 細 胞 質
早 期 のNCH幼 魚 が得 られ た。蛋 白質合 成にっ いての 電気 泳動分 析では 変異が 見ら れた。
9. テ ラ ピ ア(Orechromlsnilotica,2nー44ス ズ キ 目 冫 核xド ジ ョ ウ くParamisー gurnus dabryanus,2n‑48コ イ 目 ) 卵 細 胞 質
テ ラ ピ ア ま た は ド ジ ョ ウ の い ず れ と も 判 定 困 難 な 後 期NCH幼 魚 が 得 ら れ た 。 VI)綱 間の 組合せ :
10.ハ ツ カ ネ ズ ミ (Mus musculus,2nニ 二 二40哺 乳 綱 ) 核xド ジ ョ ウ (Paramisgurニ nus dabryanus,2n二二48硬骨魚 綱)卵 細胞 質
早期 のNCHが得ら れた。
以上 の実験 結果に 基づい た結論 は下 記のと おりで ある。
1) 魚 類で は 遠 縁 間 (魚 類 と 哺 乳 類と の 綱 間 ) でも 核 移 植 実 験 が可 能 で あ っ た。 こ れ ら の NCHは 少な く と も 嚢 胚 期ま で 発 生 が 進ん だ 。 従って 魚類で は異 種間で 核と卵 細胞質 との 相 互作 用によ って初 期胚 発生が 阻止さ れるよ うな核 ・細 胞質不 適合性 は存在しない。このよう な 現 象 は 両 生 類 で は 知 ら れ な い の で , 恐 ら く 魚 類 特 有 の 現 象 と 考 え ら れ る 。 2)移 植 核 と 卵 との 間 の 類 縁 関係 が 遠 け れ ば 遠い ほどNCH胚の 発生 の不親 和性が 強く現 れる 。 従っ て,い ろいろ な組 合せの 違いに よって 成魚ま で成 長する ものの ,幼魚又は胚体で死亡す る ものナ ょど様 々なNCHが得 られ た。本 研究で 核供与 側の染 色体 数と卵 細胞質 提供側 の染 色 体 数 が 近 い か, あ る い は 同じ 時 ,NCH胚 の 発 生にお ける核 ・細 胞質の 不適合 性が弱 くな る 傾向 が認め られた 。っ まり, 類縁関 係が遠 くても ,供 与核と 卵核の 染色体数が同じであれば NCH胚 は 比 較 的 正 常 に 発生 す る 可 能 性が あ る と 考 えら れ る 。 一 方 ,あ るNCH幼 魚 が 成 魚 まで 成長で きナょ かっ た原因としては核供与側の種と卵細胞質側の種との間で幼魚の発育と摂 餌行 為に違 いがあ る( 卵黄吸 収のタ イミン グと摂 餌開 始のタ イミン グの違い等)ためと推察 した 。
3)成 魚 ま で 発 生 し た 属 間 ま た は 科 間 のNCH( コ イxフナ お よ び ソ ウ ギョxメ ガ ロ ブラ マ ) は 成 熟 又 は 繁殖 が 可 能 で ある 。NCH魚の 形 質 は主に 核供与 側の 形質に 依存す るが, 一部 の 形 質 は 卵 細 胞質 供 与 側 の 形質 と 同 じ で , 他の 一部は 中間 型であ った。 また, 一部のNCH幼 魚あ るいは 成魚に はま ったく 新しい 形質も 現れた 。こ れらの 変化は 多分核と卵細胞質との間 の 相 互 作 用 ,っ ま りNCH核 遺 伝 子 と その 周 囲 の細胞 質の中 の調 節因子 との間 の相互 作用 に よ る も の と 考え ら れ る 。 従っ て , こ れ ら のNCH魚は 水産増 殖上 有用な 新しい 品種作 出の 素
材 となり 得る。
4)ク 口ン魚 は実験 材料と して 魚の遺 伝子導 入の研 究に とって 重要で ある。 しかし 水産 上有用 な 魚種 は成熟 周期が 比較的 長く,伝統的な兄妹交配では短期間にクロンの作出は困難である。
し かし ,核移 植の手 法を用 いて, 一っ の嚢胚 から遺 伝的に まっ たく同じ核を除核卵に移植す れ ば 短 期 間 に単 性 の ク ロ ンNCH魚 が 得ら れる 。これ らの ク口ン は魚の 遺伝子 導入の 研究 に 理 想的 なモデ ルを提 供でき るだろ う。
学位論文審査の要旨
動 物個 体の形 質発現 には経 時的 または 同時的 に活性 化する 核遺 伝子の 働きが 不可欠であるが,
卵 細胞質 およ び核と 卵細胞 質との 相互作 用も 形質発 現にと って極 めて 重要で あることが知られて い る 。 こ れら核 ・細 胞質の 相互作 用に関 しては ,両 棲類に おいてBriggsとKing(1952) ,Gurdon ら (1960)の一 連の研 究によ って明 らかに され てきた 。これ らの結 果か ら両棲 類では 異種間 では 核 と卵細 胞質 との不 親和性 が存在 し,核 移植 実験は 困難だ とされ てい る。し かし,同種間では核 移 植実験 が可 能であ り,分 化の進 行過程 で失 われる 核の全 能性が ,卵 細胞質 によって回復するこ と が知ら れて いる。 また, 卵が移 植核に よっ て正常 に発生 するか どう かは移 植核と卵細胞質の相 互 作用に よっ て決ま ること が知ら れてい る。
魚 類の 核と卵 細胞質 の相互 作用 に関し ては両 棲類と 同様に 核移 植実験 によっ て明らかにする必 要 がある が, 申請者 は中国 科学院 で世界 で初 めて魚 類の核 移植を 成功 させた 童第周の後を継ぎ,
魚 卵の除 核法 を開発 した。 更に発 生途上 の卵 割球か ら核を 取り出 して ,これ を除核卵に移植する 極 めて緻 密な 手法に よって 無精的 に発生 させ ること に成功 した。
申 請 者は 上 記 の 手 法 を用 い て ,魚類 の品種 間( フナ核xキ ンギョ 卵細胞 質), 属間( コイ 核x フ ナ 卵 細 胞 質) , 亜 科 間 (ソ ウ ギ ョx Megalobram卵 細 胞質 ),科 間(ゼ ブラ核xド ジョウ 卵細 胞 質), 目問 (テラ ピア核xキ ンギョ 卵細胞 質), 綱間 (ハツ カネズ ミ核xドジ ョウ卵細胞質)で 核 ・細胞 質雑 種の作 出を試 みた。 これら の実 験から ,魚類 の卵は ,移 植核と 卵細胞質の相互作用
234一
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文 裕
崎 橋
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山 高
後
授 授
授
教 教
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査 査
査
主 副
副
によ って発 生が無 精的 に進行 するこ とを明 らかに した 。本研 究は魚 類の発 生研究史の中で特筆す べき 内容を 有して おり ,高い 評価を 与える ことが でき る。
審査 員は本 研究 の中で 特に次 のよう な点を 評価 した。1. 魚類の 卵は両 棲類の 卵と 異なり ,遠 縁間 の核で あって も移 植によ って発 生は誘 導され るこ と,こ の事実 から, 魚類の卵には異種間で 核・ 卵細胞 質との 相互 作用に よって 初期胚 発生が 阻止 される ような 核・細 胞質不適合性は存在し ない ことを 明らか にし た。こ の結諭 は魚類 の発生 誘導 機構が 両棲類 とは極 めて異なるものである こと を示唆 してお り, 動物進 化の観 点から 興味あ る事 実とし て注目 に値す る。更にハツカネズミ の初 期胚由 来の核 をド ジョウ の除核 卵に移 植して ,初 期卵割 を誘導 して, 綱間の組み合わせによ る核 ・細胞 質雑種 の作 出に成 功した のは本 研究が 初め てであ り,核 ・細胞 質の相互作用による卵 割 始 動の機 構を考 察する 上で 重要な 知見を 与える もの として 高く評 価され る。2,移 植核と 卵と の間 の類縁 関係が 速け れば遠 いほど 核・細 胞質雑 種胚 の発生 には核 ・卵細 胞質の不親和性が強く 現れ る。し かし, 核供 与側の 染色体 数と卵細胞質供与体側の染色体数が近いか,あるいは同じ時,
核・ 細胞質 雑種胚 の発 生にお ける核 ・卵細 胞質の 不適 合性が 弱くな る傾向 のあることを明らかに した 。この 観察結 果は 更に詳 細に検 討する 必要が ある 。しか し,核 染色体 が細胞質要素である紡 錘子 と接続 して, 両極 に移動 する際 に染色 体中の 遺伝 物質に 係わり なく, 染色体の数によって,
規 定 される 機構の あるこ とを 示唆し た点は 注目に 値す る。3.成 魚まで 発生す る属間 または 科間 の 核 ・ 細 胞 質雑 種 の 内 , コイ 核xフ ナ 卵細 胞 質 お よ び ソウ ギ ョ 核x Megalobram卵 細 胞 質 雑 種 は成 熟し, 雑種内 で交 配が可 能であ ること を明ら かに した。 この結 果は成 熟可能な核・細胞質雑 種が 新しい 養殖対 象魚 になり 得るこ とを示 したも のと して注 目に値 する。 更に雑種の形質を分析 し, 雑種の 形質が 主に 核供与 側の形 質に依 存する こと を示し た点は 従来の 考え方を支持するもの であ るが, 評価す べき 新しい 点は一 部の形 質が卵 細胞 質供与 側の形 質と同 じか,または中間の形 質を 示すこ と,ま た, 卵細胞 質供与 側,お よび核 供与 例にみ られな い全く 新しい形質が部分的に 現れ ること を明ら かに した点 である 。これ らの観 察結 果は発 生にお ける核 遺伝子とその周囲の卵 細 胞 質中の 調節因 子との 間の 相互作 用を示 すもの とし て極め て貴重 な知見 である 。4.核・ 細胞 質雑 種作出 の技術 はク 口―ン 魚の作 出を可 能にす る技 術でも ある。 ク口ー ン魚は,魚の遺伝子導 入の 研究等 に極め て貴 重な実 験材料 となる が,現 在ま でクロ ーン化 された 魚は極めて限られてお り, 申請者 はこの 点を 重視し て,一 っの胚 期の細 胞か ら,遺 伝的に 全く同 じ核を除核卵に移植す るこ とによ り,単 性の ク口ー ン魚が 得られ ること を示 唆した 点は, 今後の 新しい研究の道を拓く もの として 評価で きる 。
審査 員一同 は以 上の諸 点を総 合し, 本研 究が魚 類の発 生と遺 伝およ び核 と細胞質の相互作用,
卵割開始機構の解明に寄与するところ大きいと判断し,博士(水産学)の学位に相当する業績と して十分な内容を有すると評価した。