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日本佛教學會年報 第50号(全)

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(1)

日本悌教準曾年報

第五十披

(2)
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(4)

な 表 谷 っ さ大寸=ー 本 た れ。 た を 号掲 も 会 載 の 場 の で と 論 あ し 文 る て は 催 開 す 本 ベ 号 さ て の れ 和昭 編集 本た 五 務事 学 十 は 会の 年九 大谷 学 六 術 月 大大企. Z三h三 九

に 十 お お 両 し、し、 て て 、 行 発 大

(5)

(6)

フ ッ タ ー を 軸 と

る 解 脱 の

、'lr. 1巳

城 康

昭 ・ ・ ・ ・ 一 九 尊 私 釈 尊 観 の 一 断 面 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 関 ||三十二相説を中心として|| 説 出 世 部 の 釈 尊

スリランカ上座仏教における釈尊観・

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・ ・ ・ ・ 神 如 来 L

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〈コ 誠 ・ ・ ・ ・ 一 一 一 一 一 調 停 迦 族 の

神 秘 家 と し て の 釈

無量寿経における阿弥陀仏と釈尊・

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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 大 法華経寿量品における釈尊観・

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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 伊 初 会 金 剛 頂 経 の 釈 尊 観 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 堀 宗 畑 に お け る ﹁ 仏 ﹂ の 理 解 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 谷 天台教観における仏身観とその特色・

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・ ・ ・ ・ ・ 星 ||釈尊観にふれながら|| 谷 村 隆 谷 信 多 祖 田 利 藤 瑞 内 寛

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明 ・ ・ ・ ・ 七 五 恵 ・ ・ ・ ・ 八 七 生 ・ ・ ・ ・ 一 ニ 九 叡 ・ ・ ・ ・ 一 塁 仁 ・ ・ ・ ・ 一 毛 宣 ・ ・ ・ ・ 一 七 ロ 一 光 ・ ・ ・ ・ 一 八 九

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密教修法中における釈迦如来・

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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 添 真言密教における釈尊観・・・・・・・・・・・ 法 然 浄 土 教 に お け る 釈 尊 観 ・

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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 藤

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とくに選択本願念仏の体系に関して

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西 山 詮 空 の 釈 尊 浄土教における釈迦・弥陀二尊教について・・・・

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権 仮 方 便 | 1 親 驚 の 釈 尊 観 | | −

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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 徳 親 驚 の 釈 尊 ーーその視座を求めて|| 臨 済 禅 の 釈 尊 臨 済 禅 の 釈 尊 道 元 禅 師 の 釈 尊 日 蓮 聖 人 の 釈 尊 日 蓮 に お け る

釈 尊

日 蓮 聖 人 の 釈 尊 野 智 峰 弥 本 浄 川 尭 譲 ・ ・ ・ ・ 一 一 O 九 彦 ・ ・ ・ ・ 一 一 一 一 九 彦 ・ ・ ・ ・ ニ 四 一 ニ 敏 ・ ・ ・ ・ ニ 五 九 本 賢 順 ・ ・ ・ ・ ニ 八 一 一 一 雄 ・ ・ ・ ・ ニ 九 九 、 水 道 瀬 木 省 訓 野 藤 秀 野 本 野 川 前 果 ・ ・ ・ ・ 三 一 一 一 一 ,三二p 刀て 浄 ・ ・ ・ ・ 2 一 回 一 一 一 申 一 思 ・ ・ ・ ・ 一 重 七 洋 ・ ・ ・ ・ す 一 七 一 に壬フ 主主 男 ・ ・ ・ ・ = 一 八 一 一 一 肇 ・ ・ ・ ・ 1 一 九 九

(8)

本 地 仏 と し て の 釈

清涼寺式釈迦像を中心とする釈迦信仰について・

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・ ・ ・ ・ ・ 成 聖徳太子撰法華義疏における釈尊観・

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・ ・ ・ ・ ・ 水 大 般 浬 繋 経 に お け る 釈 尊 観 ・

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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 古 釈 と シ ブ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 菅 − −

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広第一 J 一 二 章 を 中 心 に

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(9)

ッダを軸とする解脱の構造

︵ 日 本 大 学 ︶ は じ め に 今日、分析心理学や構造主義が主張され、支持されている。そこには種々な歴史的・社会的な因由によってこの ような状況を同室しているであろう。心の重層性や立体性に気づかない、 たんなる理性や精神にもとづいた発想や立 場 は 、 さまざまな矛盾や非合理的な事象におびやかされ、そのために潜在意識の層にまで探求の眼を向けて、人間 存在の矛盾葛藤の根拠を究明しようとする動きは必然的であるといえよう。この問題を思索的に解明しようとする 実存哲学が、分析心理学に結びつくのもまた当然の動向であるといわねばならない。 レヴィ・ストロースの構造主義は、人類学と言語学との習合であるといわれている。人類文化の積み重なりから 言語が現われ、それが一定のコ I ドを持つ所から数学の公式に関わり、共同体の構造が動態的な法則によって究明 される。文学や芸術の諸領域における現代の傾向、あるいは宗教の呪術もまた、こうした構造のなかで明らかにさ れようとしている。しかも、その動態性は脱コード化への方向を強めつつある。 一方で科学技術による人間性の阻害が懸念されているなかで、科学自体の宗教への踏みこみが注目されている。 ブ ツ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶

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プ ツ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ ホログラフィック・パラダイムによる認知方式は、 レンズ的な認知よりもいっそう根底的で、事物の真相に迫り、 従来の認識論をくつがえして宗教的世界に接続していることが主張されている。 以上、このような現代の諸傾向から、果して解脱の問題へ近接することができるであろうか。思うに、対象的思 惟と全人格的思惟とを分けてみるとき、これらの諸傾向はすべて思惟の対象性を脱していないといわねばならない。 解 脱 は 、 ひとえに全人格的思惟の過程において開示されてくるものであり、開示されることにおいて初めて解脱の 課題に関わり得ると思われる。 では、対象的思惟と全人格的思惟とは質的に区別されるのであろうか。それはむしろ、質的ではなく、量的な区 別であり、程度上の差違であろう。 いかなる対象的思惟も全人格体に関わらないものはないし、 またいかなる全人 格的思惟も、その過程におけるかぎり思惟の対象性を払拭することは不可能である。ただ全人格的思惟への集中と いう過程において、形なきいのちのダンマが顕わりになり、全人格体がそのいのちに通徹されることによって、初 めて思惟の全人格性が確証される。そしてその限りにおいて解脱の課題に関わり得ると思われるのである。 この論稿では、原始経典におけるブッダの解脱の構造を確かめながら、その基調が大乗経典においてどういう展 聞に及んでいるかという状況を考察してみたい。 原 始 経 典 に お け る 解 脱 の 構 造 原始経典における解脱の構造については、別稿において一つの視点から論述を尽しておいた︵ 1 ︶ 。 そ れ に も と づ い て大乗経典との関わり方を考えてみたいのであるが、プッダの原始経典が基調になるので、簡単に結論だけを述べ

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ておかねばならない。 解脱そのものに関する資料は、少ないながらあっても、それだけでは平面的な理解に終って立体的な構造が明ら かにならない。これに対して、解脱という観念が心解脱・慧解脱に分岐してくると、それぞれについての資料はか なり残っていて、これを辿って調査研究を進めていくことによって、解脱の状況が明瞭になってくる。 い っ た い 、 心解脱がなぜ定解脱といわれているのか。禅定にかかわらない解脱があり得るのであろうか。また、 心解脱の心とはどういう意味であるか。 こうした問題を念頭において、 禅定の二つのコlス︵心から出発して体に 集 約 さ れ る も の 、 逆に体から出発して心に集約されるもの︶を解明してみると、 心解脱は同時に体解脱といわれ得 ることが知られる。 つまり、この場合の心も体も、平常人が漠然とえがいている心や体とは無関係であって、その いずれも禅定における全人格体の集約的究極点であるということができる。 い い か え れ ば 、 心解脱とは解脱の体験 そのものを指していると見ることができよう。 つぎに慧解脱についてもさまざまなケlスを挙げて検討したが、 つづめていえば解脱そのものについての認知 確認であることが知られる。解脱の体験は、あらゆる是非曲直の判断を超えている。その解脱そのものをどのよう に認知するかということが慧解脱に外ならない。このように心解脱と慧解脱とを各別に考察した結果、実は心・慧 解脱という一つの構造を呈していることが領づかれる。すなわち、解脱の体験そのものと、その認知・確認との結 合 体 で あ る 。 と こ ろ で 、 心・慧解脱の構造をさらに立ち入って考察してみると、表層的構造と深層的構造に分けられる。表層 的 構 造 は 、 信から心・慧解脱に至る過程的構造と、 ﹁心・慧解脱の果と功徳﹂たる正見を支えている綜合的構造に プ ヅ ダ ぞ 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶

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ブ ヅ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ 四 分けることができる。 いっそう重要なのは、後者の深層的構造である。このなかで、解脱の多様性と単一性とが指摘される。解脱の多 様性とは、八解脱や四禅・四無色定・無相心三昧において、禅定が深まりつつ、それぞれの段階で解脱が発現して いることである。なぜこのように、解脱が重層的に多様であり得るのか。それは、拙論﹁業異熟の究明言︶﹂で論究 したように、主体者の業異熟︵業体、人格的身体︶にもとづいていることが明らかである。それにも拘らず、解脱は 単一である。あたかも大海は塩味の一味であるように、解脱もまた、解脱味の一味岳山内山認である、 と い h

れ は 、 一見矛盾しているように思われるが、けっしてそうではなく、すでに四無色定・無相心三昧の諸段階におい て詳説されているように、それぞれの段階の解脱味は一味なることが額づかれる。いいかえれば、解脱の単一性は その多様性を通貫しているということができる。このことはきわめて重要な点である。なぜなら、これを目覚めの 原 型 に ま で 還 元 し て み れ ば 、 ﹁ ダ ン マ ︵ 如 来 ︶ が 主 体 者 ︵ 業 呉 熱 、 業 体 ︶ に 顕 わ り に な り 、 惨 透 し 、 通徹する﹂という 所に帰着するのであり、 しかもこの原型がそのまま限りなく働きつづけて、 ついに大乗経典における解脱の構造に まで展開するに至るからである。 2 1 ﹁心解脱・慧解脱に関する考察﹂︵﹃壬生教授記念論集﹄所収、昭和六十年、大蔵出版︶ 0 ﹁ 原 始 経 典 に お け る 業 異 熟 の 究 明 ﹂ ︵ ﹃ 業 思 想 研 究 ﹄ 所 収 、 昭 和 五 十 四 年 、 平 楽 寺 書 店 ︶ 。 原始経典より大乗経典へ

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−原始経典と般若経典 ブッダの解脱が心解脱と慧解脱に分岐して、それぞれについて考察した結果、心解脱とは解脱の体験そのもので、 言語・想念を超えており、慧解脱とは、 その体験をいかに認知するかという認知・確認の問題であることが明らか と な っ た 。 さ ら に 、 心解脱・慧解脱が一つに結合した心・慧解脱について調査してみると、解脱に関するさまざま なすがたの示されていることが知られる。そのなかできわめて重要と思われるのは深層的構造である。そこでは、 解脱は一度の体験で終結するのではなく、次々に段階的に深まりつつ実現されてくる所の無数の体験の連続態であ り、しかもそれらの体験は、解脱味という一味によって貫かれていることを説いている。いいかえれば、解脱の多 様性はその単一性によって通賞されていることが示されている。このことは、 たとえば﹁解脱において解脱せりと いう智﹂己

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、がその根基なワており、般若波羅蜜において行ずることが、菩薩行のさまざまな様相 を産み出すことが注目される。このように見てくると、 ブッダのダンマが、その働きのままで般若経典の般若波羅 プ ッ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ 五

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ブ ッ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ ノ 、 蜜に変容していることが推定されるであろう。ダンマも般若波羅蜜も、仏道者が究極的に依拠すべき実践的なある ものであり、言葉では十分に説明することのできないものである。 ブッダは、菩提樹下で、ダンマが顕わりになることによって目覚めたのちに、次のように思ったという。 ﹁ た し か に わ た し は 、 わたしによって悟られたこのダンマを、 尊敬し

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丘、接近 して安住しよう︵ 2 ︶ ﹂ そしてブッダの意を汲んだ究天サハンパティ

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江は、過去・未来・現在の阿羅漢・正等覚者もまた、ダ ンマのみを尊敬し、尊重し、接近して安住し、また安住するであろう、と述べている︵ 3 ︶ O 現在のブッダだけではな く、過去・未来の正等覚者たちも、ただひたすらダンマを尊敬し、尊重し、安住していることが知られる。 では、そのダンマとはいかなるものか。 ﹃ 律 蔵 ﹄ の な か で は 、 ブッダが七日ごとに場所を変えて冥想に入り、第 五週目のアジャパ I ラ橋樹のもとに坐したとき、 つぎのような想念が浮んでいる。 寸わたしによって証得されたこのダンマは、 甚深であり

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で あ る ︵ 4 ︶ ﹂ ダンマとは、一言葉の説明を超えたものであり、分別の領域、 いいかえれば対象的認識の領域を離れており、甚深 で寂静であり、体得する外はないものであることが知られる。そのようなダンマにブッダはつねに依拠していたの で あ る 。 ちょうどこのようなブッダのダンマに対応するものが、 般若経典の般若波羅蜜に外ならない。 ﹃八千頭般若﹄に

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ト 4 4 G L 、 寸この般若波羅蜜こそ聞かるべきであり 恥 ロ 。 仲 間 凶 ︿ 苫 巴 、 受 持 さ る べ き で あ り ロ

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苫巴。また、同じくこの般若波羅蜜において学習さるべきであり 丘町会宮古、精神集中 判 。 向 山 に 入 る べ き か あ る ︵ S ︶ ﹂ と い = っ 。 このように、般若波羅蜜は、聴聞・受持・奉持・繭唱の対象であり、 ついには主体者自体に、熟達され、発現さ るべきものである。そして、この般若波羅蜜にもとづいて、学習が行なわれ、精神集中が遂行される、 と い う 。 しかもスブ l ティは、世尊に対して、般若波羅蜜のきわめて信じ難いものであることを訴えている。 ﹁世尊よ、般若波羅蜜は信じ難いもの己号包

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何回です。世尊よ、精進することもなく、善根も植えず、悪 友の手におちいり、魔の力におさえられ、怠惰であり、努力に欠けており、失念しやすく、智慧がないという そうしたことのために、般若波羅蜜はもっとも信じ難いもの吉一

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で す ︵ 6 ︶ ﹂ このことから、般若波羅蜜は、ブッダのダンマと同じように、通常の意味における認知の対象でないことが明ら か で あ る 。 つまり、ダンマも般若波羅蜜も、言語・想念を超えたものであり、 したがって対象的思惟によって認識 され得るものではなく、全人格的思惟において体得さるべきものである。かくして体得されたダンマや般若波羅蜜 にもとやついて、仏道の無限の展開が保証され得るのである。 ﹁ダンマが主体者に顕わりになり、 渉透し、通徹する﹂といわれるように、 ダンマはもともと、果てしなく主体 ブ ッ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ 七

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プ ツ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ /¥ 者に働きかけ、通徹し、浄化し、空性化してやまないはずのものであった。しかし、原始経典においては、そのよ うなダンマの作用が十分に発揚されなかったために、大乗経典の﹃般若経﹄において、ブッダのダンマが般若波羅 蜜に変容して、その力を存分に発揮したということができよう。 ︵ 1 ︶ 巾 −

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三 下 、 可 四 分 律 ﹄ 巻 三 一 、 大 正 二 二 ・ 七 八 六 中 | 下 、 ﹃ 増 一 阿 含 ﹄ 巻 一

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、 大 正 二 ・ 五 九 三 上 。 ︵5 ︶ ﹀

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八 下 | 九 上 、 ﹃ 小 口 問 般 若 ﹄ 同 ・ 五 二 一 七 中 、 ﹃ 仏 母 出 生 ﹄ 同 ・ 五 八 七 中 | 下 、 ﹃ 大 般 若 大 正 七 ・ 七 六 回 上 、 八 六 六 上 。 そ の 外 、 ぇ ・ ︿ 包 身 ー 同 開

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﹃ 道 行 般 若 ﹄ 大 正 八 ・ 四 回 二 上 、 ﹃ 大 明 度 ﹄ 同 ・ 四 八 八 中 、 ﹃ 摩 詞 般 若 紗 ﹄ 同 ・ 五 二 三 下 、 ﹃ 小 口 問 般 若 ﹄ 同 ・ 五 五 一 中 、 ﹃ 仏 母 出 生 ﹄ 同 ・ 六 一 六 上 、 ﹃ 大 般 若 ﹄ 大 正 七 ・ 八

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一 下 。

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原始経典と﹃法華経﹄ 原始経典から司法華経﹄への連関については、 如来を中心として別稿︵ 1 ︶に詳細に論究したので、それに関しては 省 略 し 、 ﹂ の 論 稿 で は 、 その際気がつかなかった重要な一つの問題について述べてみたい。 そ れ は 、 サ 1 リップッ タ ︵ シ ャ l リ プ ト ラ 、 舎 利 弗 ︸ が 、 原始経典においてブッダから最高の教を聞きながら、理解がそこまで届かず、 ﹃ 法 華 経 ﹄ ﹁ 警 倫 品 ﹂ に至って初めてブッダの真意に気づき、 浬繋に達したというものである。 別 言 す れ ば 、 サ l リ ッ

(17)

プッ夕、あるいはシャlリプトラの名を借りた人物の解脱をめぐる、原始経典から司法華経﹄ への転換がここで問 われているということができよう。 と こ ろ で 、 サ l リプッタは智慧第一の舎利弗といわれるように、最高の弟子のひとりであるから、 かれはかれな りに十分にダンマを受容していたはずであるし、その予期のごとく、受容した光景が原始経典に見事に現われてい る。それにも拘らず、﹃法華経﹄において転換したということは、 いったいどういう意味であろうか。 サ I リプッタがダンマを受容している光景について描写しているのは、﹃自歓喜経﹄︵﹃サンパサ l ダ ニ l ヤ ・ ス ッ タ ン タ ﹄ ︶ で あ る ︵ 2 ︶O ﹂ の 経 典 は 、 ブッダとサlリプッタとの問答から成っているが、 そ の 内 容 は 、 サ l リ 。 フ ッ タ が みずから歓喜している心境をブッダに告白しており、 プッダがそれを諒承する形をとっている︵ 3 ︶ 。 まずサlリ。フッタは、過去・未来・現在のいかなる沙門・バラモンも、世尊よりすぐれて正覚せるものはいない と世尊に対して浄信している、という。ブッダは、何故に汝はそう浄信しているのか、 と問うのに対して、 サ 1 リ プッタは、次のように答えている。 ﹁尊師よ、私には過去・未来・現在の阿羅漢・正等覚者に対する他心智はありません。しかしながら世尊よ、 私にはダンマの帰結門出

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山 口 ︿ 印 可 何 回 ︵ 4 ︶ が 知 ら れ て お り ま す ︵ 5 ︶ ﹂ そしてサlリプッタは、この﹁ダンマの帰結﹂について、 一つの警鳴を挙げて説明する。すなわち、ある城市が 堅固な城壁で守られ、そこにただ一つの門があって、賢明な門番が見張っており、門番は、城市を隅なく護衛する 必要はなく、この一つの門だけを監視すればよい。 ﹁ダンマの帰結﹂とは、まさしくこの一つの円である。 サ l リ プッタは、このように説明して、ブッタに次のように述べている。 プ ツ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ 九

(18)

プ ッ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶

﹁さて尊師よ、私はかつて聞法のために世尊の許に至りました。尊師よ、世尊はその私に、いよいよすぐれに すぐれたダンマロ

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を黒・白をとものうて示されました。::::::そ のように私は、そのダンマにおいて証知し、もろもろの法におけるこの一つのダンマの究寛に至りました。そ して﹃世尊は正等覚者であり、ダンマは世尊によってよく説かれ、 サンガはよく行道せるものである﹄と、私 は師のなかで充足されましたすご さらにサlリプッタは、このダンマこそ無上のものであり、そのなかに、 四念処・四正勤・四神足等々の三十七 道品が含まれており、 かくして有漏の滅尽から無漏の心解脱・慧解脱を体得して安住していることを述べている。 右のサ I リプッタの告白を見ると、唯一無上のダンマ、すなわち形なきいのちのなかのいのちがかれに顕わにな り、渉透し、通徹し、 かくして無漏の心・慧解脱に達したことは明らかである。このようなサlリプッタが、 ド y ] よ 1 ノ いう理由によって﹃法華経﹄で転換するのであろうか。また、どうしても転換しなければならないのであろうか。 あ る い は 、 転換しなければならないとすれば、 ﹃自歓喜経﹄におけるかれの解脱はどういう点が不十分なのであろ うか。これこそが問題になってくるのである。 ﹃ 法 華 経 ﹄ ﹁ 母 国 検 品 ﹂ に お い て 、 みずからの転換を告白しているシャlリプトラの発言︵あるいは、 シ ャ l リプト ラに名を借りての発言︶に注目してみよう。 か れ は 、 一仏乗岳山

505

合 同 州 岡 山 刊 宮 山 召 吋 白 色 広

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宮 門 丘 町 山 E U可 動 ロ 白 石 戸 の説法を聞き、喜びにあふれでいる心境について次のような意味のことをブッダに訴えている。 いま私は歓喜に充ちている。何故であるか。私は世尊から親しくこのようなダルマを聞かないうちは、法界 に入ることは

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は同じであっても、 世尊から小乗を施されたと思っていた。 し か し 、

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それは私の過失で、 世尊の過失ではない。何故であるか。 もし世尊が最高の悟りについて語られていると知つ て お っ た な ら ば 、 わ れ わ れ は 、 ダルマのなかに生れていた b y 耳 目

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ロ ロ 昨 日 誌 しかるに私は、そ れが方便説自召門医 M F E σ F h w d 可印であることに気がつかず、 最初の説法を聞いて、 急いで摂持し、奉持し、修習 し、思惟した。その私はきびしく自らを責めて時を過した。 世尊よ、今日私は完全に浬繋した。私は、世尊自身の子であり、 口から生れたものであり、ダルマから生れ たものであり、ダルマから現われたものであり、ダルマの相続者である。世尊よ、今日私はかつて聞いたこと のないこのようなダルマの妙音を聞いて苦悩が解消した、 ル ] ︵ 7 ︶ O 右の文を見ると、 シ ャ I リプトラはすでに世尊からダルマを聞いていたことが知られる。ただそれが最高の教で あることを知らなかったために、﹁法界に入ること﹂は同じであっても、﹁ダルマのなかに生れていた L という自覚 にまでは至らなかった、と告白している。ところで、右の文の点線﹁世尊自身の子であり、:− j i − − − ダ ル マ の 相 続 者である﹂の筒所は、 いうまでもなく、原始経典﹃アッガンニャ・スッタンタ﹄の一節︵立とまったく同文である。 いいかえれば、﹁ダルマから生れたもの、 ダルマから現われたもの﹂という教がすでにそこで説かれている。 支 ﹂ r にいいかえれば、ブッダは、原始経典のなかで、大乗経典たる﹃法華経﹄と同趣旨のことを説いていたことになり、 サ lリプッタはそれを聞いていたはずである。しかるに、 かれの心境は、﹁ダルマから生れたもの、 ダルマから現 われたもの﹂の自覚にまで達し得なかった。 で は 、 サ lリプッタはその当時、 どういう心境であったのだろうか。これについて、右の﹃白歓喜経﹄の文は、 ただ唯一根本のダンマを受容し、行じて、 ついに無漏の心・慧解脱に達したということを述べているのみで、その ブ ツ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶

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プ ツ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ 境地については語っていない。また、その外の資料を調べてみても、 かれのの心境を直接告白しているものは見当 らないようである。そうしたなかで、これはサlリプッタのものではなく、ブッダの説法として一不されたもののな かに、次のような一文を見出すことができる。 それは、﹃大念処経﹄の四念処のなかの、 最後の法念処についての 一節である。ここでも、前の三念処と同様に、五蓋・五取撞・六内外処・七覚支・四聖諦のそれぞれの視点から詳 説した後に、次のように結んでいる。 ﹁以上のように︵比丘は︶、或は内的にダンマにおいて存在するものを随観しつつ住し、或は外的にダンマにお いて存在するものを随観しつつ住し、或は内外的にダンマにおいて存在するものを随観しつつ住している。或 はダンマにおいて生起するものを随観しつつ住し、或はダンマにおいて消滅するものを随観しつつ住し、或は ダンマにおいて生起・消滅するものを随観しつつ住している。 しかもかれに、﹃ダンマあり巳匹目。︸

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氏、が、ただ智のみに、ただ憶念のみに限り可伽 4 m ゆ ︿ 山 口 町 石 川 凶

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山 戸 現 わ れ て い る 。 か れ は 、 依 止 す る こ と な く 何 回 旦 即 位 古 住 し て お り 、 台 、 ついかなる世間にも執著しないすご こ の 一 文 は 、 きわめて貴重な資料であると思う。 というのは、﹁ダンマが主体者に顕わになった L そ の 心 境 が 、 簡潔ながらも表現されており、このような資料は、 ほとんど他に見出し得ないからである。ここではまず、ありと あらゆるものがダンマにおいて随観されていることを説いている。すなわち、存在するものが、内的に、外的に、 そして内外的に随観され、また、生起するもの、消滅するもの、そして生起・消滅するものが、ダンマにおいて随 観されている。いいかえれば、あらゆるものを観察するのにダンマを離れないということが強調されている。かく

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することによって、随観されている諸存在を超えて、ダンマそのものが主体者に顕わになってくるのである。それ が次の一節である。 す な わ ち 、 ﹁ ﹃ ダ ン マ あ り ﹄ と い う 念 が 、 た だ 智 の み に 、 ただ憶念のみに限り現われている﹂という。前の一節で は、諸存在はダンマにおいて随観されている。諸存在は形あるものであり、ダンマは形なきものである。その形な きダンマについて、この一節では﹁ダンマあり﹂ということが主張されている。それゆえに諸存在の在り方とは違 った意味で、ダンマの在り方が自覚されているということができる。 その自覚の仕方が、﹁ただ智のみに、

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念のみに限り現われている﹂ということに外ならない。ここにいう智は無分別智であり、そういう状態の憶念は、 形なきダンマが主体者を全有している、その結果である。それゆえに智も憶念も、全人格的思惟のなかで、ダンマ が主体者の全人格体に顕わになっている、主体者の状況を指しているといえよう。 ブッダが、最重要の課題である﹁ダンマが顕わになる﹂ということを弟子たちに教える場合に、相手の主体にと って、ダンマの最初の確証は、このように、﹁ただ智のみに、 ただ憶念のみに限り現われている﹂ところの、﹁ダン マあり﹂という自覚に外ならない。 ここで初めて主体者には、﹁ダンマが顕わになる﹂という事実が、 それとして 自得されていることになる。何はともあれ、ブッダは相手をしてこのような確証に達せしめるよう努めたことはい うまでもあるまい。 し か る に 、 ﹁ダンマが顕わになる﹂ということは、 このような確証のみにはとどまり得ないということが特徴的 で あ る 。 顕わりになり、渉透し、通徹しつづけるというのが、ダンマ本来の働きであり、力である。 し か し 、 ﹁ ダ ンマが顕わになる﹂という未だかつてない解放体験のゆえに、主体者はどうしても、その自覚の状況を奉持し、修 プ ツ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ﹀

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プ ツ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ 四 得し、思惟しないわけにはいかない。これが、修道者における仏道過程の必然的な実態である。そして、その点に 底知れぬ自我意識︵我執︶とかかる自覚の状況がおのずから結合し、主体者はその状況を固執する結果に至る。こう 徹 さ れ 、 いう過程のなかで、ダンマの本来的な働きに気づくときに、主体者の固執状態が転換して、ダンマに渉透され、通 ついには、ダンマより生れたもの、 ダンマより現われたものとなり、さらに、同じく﹃法華経﹄﹁讐喰品﹂ の説き進む所では、﹁今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是吾子︵叩︶﹂という発言にまで及ぶ。 そしてこれと同趣旨 のことが、﹃アッガンニャ・スッタンタ﹄の漢訳﹃白衣金憧二婆羅門縁起経﹄にすでに一不されているのである︵日︶。 以上のように見てくると、 サ lリプッタをめぐる解脱の転換の問題は、ダンマ︵如来︶の主体者への果てしなき作 用と主体者の自覚との根本関係にあることが知られる。そしてこのことから、大・小乗の区別は、 たんなる歴史的 な事件だけではなく、それよりはるかに深刻に主体者自身のダンマに対する自覚の仕方に関わっていることが明ら かであるといえよう。 ︵ 1 ︶ ︵ 2 ︶ ︵ 3 ︶ ︵ 4 ︶ ︵ 5 ︶ ︵ 6 ︶ ︵ 7 ︶ ︵ 8 ︶ ︵ 9 ︶ ﹁ 法 華 仏 教 に お け る 仏 陀 論 の 問 題

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原始経典から﹃法華経 L へ | | ﹂ ︵ 司 法 華 経 の 仏 陀 論 と 衆 生 論 ﹄ 平 楽 寺 書 店 、 近 刊 ︶ O

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口 白 ・ ﹃ 長 阿 含 ﹄ 巻 二 寸 ﹁ 自 歓 喜 経 ﹂ 大 正 一 ・ 七 六 中 | 九 上 。 詳 細 に つ い て は 、 拙 稿 ﹁ 心 解 脱 ・ 慧 解 脱 に 関 す る 考 察 ﹂ ︵ 訪 問 掲 論 文 ︶ の な か で 論 究 し た 。 ﹁ ダ ン マ の 帰 結 ﹂ に つ い て は 、 右 論 文 の な か で 、 注 釈 書 も 併 せ て 詳 し く 解 説 し た 。 。 ℃ ・ 円 四 月 一 − − 同 YHOO −

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・ ﹁ 仏 教 に お け る 法 の 根 源 態 ﹂ 六 八 頁 ︵ ﹃ 平 川 教 授 記 念 論 集 ﹄ 春 秋 社 、 昭 和 五 十 年 ︶ 。 昌 弘 阿 佐 弘

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笹 川 話 回 出

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︵ 叩 ︶ ﹃ 妙 法 蓮 華 経 ﹄ ﹁ 警 出 明 日 間 ﹂ 大 正 九 ・ 一 一 一 一 上 。 ︵ 日 ︶ ﹃ 白 衣 金 憧 二 婆 羅 門 縁 起 経 ﹄ 大 正 一 ・ 一 二 八 上

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中 。 教 に お け る 仏 陀 論 の 問 題 、 前掲論文﹁仏教における法の根源態﹂六九七

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瓦 、 同 ﹁ 法 華 仏 3 原始経典と﹃華厳経﹄その他 次 に 、 ﹁ 原 始 経 典 と ﹃ 華 厳 経 ﹄ ﹂ 、 お よ び ﹁ 原 始 経 典 と 、 密教経典口取古訳の可微密持経﹄﹂について論述する予定で あ っ た が 、 すでに紙数を超えてしまったので、 すべて省略してそれぞれの別稿に譲り︵ 1 ︶ 、 ただ一言するにとどめ よ h

華厳宗では、﹃華厳経﹄の本仏は毘宜遮那仏であり、 それは宇宙仏の観を呈している。 ﹂れに対して実際の﹃華 厳経﹄では、そのような特徴も見られると同時に、 また一方では、本仏もまた果てしなき過去に修行中の時があっ たのであり、あるいは今もなお見直遮那菩薩として離垢コ一昧に入定しているともいわれている。では、そのような 菩薩が、何に目覚めて永遠常住の毘直遮那仏となるのであるか。この課題を追究していくと、 ついには法に目覚め るということが説かれている。 コ華厳経﹄の広博にして複雑な菩薩道、 そしてそれらをことごとく統摂する永遠の 宇宙仏も、究極的には﹁ダンマが顕わになる﹂という目覚めの原型に帰着するといえよう。 密教経典における最古訳の﹃微密持経﹄は、原始経典から大乗経典に至る過渡期のものであるが、このなかにお ける陀羅尼発生の起源を追究してみると、まさしく﹁ダンマが顕わになる﹂という原点につらなるものであり、 か っこの経典の主題である念仏が、そのままブッダの教える念仏にかかわっていることを知ることができる。ブッダ の説く念仏は念法とまったく同一の内容であり、 したがって経典の主題もまた、原点のダンマに及んでいることが ブ V ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︷ 玉 城 康 四 郎 ︶ 一 五

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ブ ツ ダ を 勅 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ 一 六 明らかである。 ︵ 1 ︶ ﹁ 華 厳 経 に お け る 仏 陀 観 ﹂ ︵ 講 座 ・ 大 乗 仏 教 、 ﹃ 華 厳 思 想 ﹄ 所 収 、 春 秋 社 、 昭 和 五 十 八 年 ︶ 、 お よ び ﹁ 陀 羅 尼 発 生 の 起 源 に 関する一考察||支謙訳﹃微密持経﹄を出発点として

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︵ ﹃ イ ン ド 古 典 研 究 ﹄ ︶ 羽 所 収 、 成 田 山 新 勝 寺 、 一 九 八 四 年 ︶ 。

以上、原始経典と若干の大乗経典との関連を考察したのであるが、今後はさらにその他の大乗諸経典にも及んで いかねばならない。ただこれまでの考察において見るかぎり、原始経典におけるブッダの解脱が軸となって、大乗 経典における解脱のさまざまな形態へ展開していることが知られるであろう。逆にいえば、大乗経典におけるもろ もろの世界観は、すでに原始経典におけるブッダの解脱に、その発現の原動力を含んでいるといえよう。ブ γ ダの 解脱は、果てしなく多様な、動態的解脱であり、 しかもその多様性が、同じく動態的な﹁ダンマが顕わになる L と いう解脱の一味に貫かれている。このような解脱の原動力によって大乗経典の諸形態が産出されているということ が で き よ う 。 そしてさらに思いを進めるならば、次のようなことが展望できるのではあるまいか。 サ lリプッタが最高の教を き き な が ら 、 みずからの自覚にとどまり、転換を必然ならしめたように、もしわれわれが大乗経典の形態にとどま る の み な ら ば 、 サ lリプッタの小乗反省と同じケlスにつながるであろう。 ﹁ダンマが顕わになる﹂という解脱の 一味に貫かれつつ、果てしなく多様な動態的解脱に従うかぎり、大乗経典の形態をも超えゆくことは当然である。 そして解脱のもう一つの構造;||ここに論究することができなかったが、 ダンマが顕わになる主体者とは、個体存

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在の根源体であると同時に宇宙共同体の結節点ーーから展開してくる所の寸大浬繋に裏うちされつつ輪廻転生への 限 り な き 深 入 ﹂ と と も に 、 未 来 の 解 脱 の 一 扉 一 を 聞 き つ づ け て や ま な い で あ ろ う 。 プ ツ ダ を 軸 と す る 解 脱 の 構 造 ︵ 玉 城 康 四 郎 ︶ 七

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︵ 駒 沢 大 学 ︶ 本学会における今年度の共通の発表テ l マは﹁釈尊観﹂であるが、筆者の論題は、それに唯だ一字﹁私﹂を加え たのみであるから、敢えてかかる微妙な違いを選んだ由縁をこそまず始めに断っておかねばなるまい。 極普通に考えれば、私に向って﹁釈尊観﹂を述べよという問いが投げ掛けられた場合、私が釈尊に対して日頃考 えている私なりの観方や関わり方を述べるのが最も当り前な答え方である以上、なにも﹁私﹂などという字を﹁観﹂ の前に大げさに書き立てる必要はないはずである。しかし、今の学会が、必ずしもそんな尋常な答えを期待してい るわけではあるまいということになれば、話は忽ち厄介なことになる。通常の意味で﹁観方﹂や﹁考え方﹂という 言葉を使うならば、それは、私が対象をむかえていかに思いめぐらし、 いかに関わりあっているかということを表 わしていなければならない

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︸が、今日の文献学を主流とする我々の学問は、客観的な正確さを獲得せんがために、 そういう対象との関わりをむしろ断とうと望んでいるから、 ﹁ r h ゴ 4 ﹂ の出る幕などはほとんどないといってもよいほ ど で あ る ︵ 2 ︶ 。 このような状況で、﹁釈尊観﹂などというものがテ l マになれば、それに対する利巧な答え方は自ず と 決 っ て く る 。 ﹁私﹂の出番を極力避け第三者の眼を通して﹁釈尊﹂について述べるか、 第三者の﹁観﹂ずら取ら 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 九

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釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 二

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ず当の﹁釈尊観﹂の基礎となる文献や言語の客観的分析に終始するか、大勢は、結局そんなところへ落ち着かざる を え な い ︵ 3 ︶が、利巧ぶらずに愚直にまともに答えようとすれば、当然、事態は﹁私﹂なしではすまされまい。勿論 充 分 で は あ り え な い が 、 筆 者 の 論 題 は 、 そのような、﹁私﹂なしではすまされない極普通の答え方にできるだけ尋 常に努めてみたいという、﹁私﹂なりの姿勢をはっきり示しておこうとしただけのものにほかならない。 さ て 、 過去の偉大な思想家に思いをめぐらそうとして、﹁私﹂を前面に押出さざるをえないとすれば、 まず私に 気にかかってくることは、その思想家が時聞をどのように捉え言葉をとのように扱っていたかという点なのである。 そのような﹁私﹂なりの観方からすれば、 釈 尊 は 、 ﹁ 無 常 ︵ 由 民

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− 同 ︶ ﹂ と い う 時 間 の 動 き そ の も の か ら 決 し て 眼を逸らすことなく、それをあるがままに観据えた強靭で透徹した智慧の立場から、逆に﹁無常﹂という現実から 知らず識らずのうちに外れてしまって既成の問題に関して簡便な言葉による解答を求めてくるものたちに対しては、 ﹁ 無 記 ︵ 同

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︶﹂というきっばりした態度によって、あたかも物体のように客観化された言葉を容易に 操る人の性癖を否定しながら、なおかつ﹁無常﹂に即して尋常で柔軟な言葉を語りかけ続けていった人に違いない と思われてくる。しかし、﹁無常﹂や﹁無記﹂に基づいて、このような﹁私観﹂を述べると、﹁無常﹂はともかくと し て 、 ﹁ 無 記 ﹂ に つ い て は 、 それが釈尊の根本的立場であったかどうかは文献学的に結論づけられたものではない と の 批 判 ︵ 4 ︶が返ってくることは充分予測されうるのであるが、 それを無視するわけではないにせよ、﹁私観﹂と断 った以上、本稿では、この種の問題を正面切って論ずることはせず、この点に関しては、筆者も、先学の見識に従 って、﹁無記﹂を釈尊の根本的立場とみる見解にひとまず与した上で事を進めることにしたい。 ﹁ 無 記 ﹂ と は 、 い う ま で も な く 、 その当時インドで行われたと考えうる二律背反的命題に対し、 釈尊が﹁直接の

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解 答 を 斥 け た ︵ 白

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− 無 記 ︶ ﹂ 事 態 を 指 す 。 その命題の立て方は諸文献聞においてかなりの相違が認め られ、そこに、先のような文献学上の困難な問題も介在してくるわけであるが、 かかる文献のうち、所語初期仏教 資料については、一二校充恵教授によって網羅的に蒐集され、整理分類されて提示されている︵ 5 ︶ の で 、 今 は か か る 資 料 批 判 的 な 立 場 を 離 れ 、 むしろ一般的な命題の立て方を理解してもらうべく、後代の文献から、最も周知され整備 された型での﹁十四無記﹂を紹介しておけば次のとおりである︵ 6 ︶O 付 ︵

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︶ 世 界 は 永 遠 で あ る ︵ 凹 忠

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︶ 世 界 は 永 遠 で な い ︵ 包 鼠

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︶世界は永遠でもあり 永 遠 で も な い ︵ 釘 守 呉 国 恥 ロ 依 卸 小

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︶世界は永遠でもなく永遠でないのでもない︵ロ陰

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︶ 世 界 は 有 限 で あ る ︵ 白 ロ

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︶ 世 界 は 無 限 で あ る ︵

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︶世界は有限でもあ り 無 限 で も あ る ︵ 同 三 同 誌 信 恥 ♀

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︶ 世 界 は 有 限 で も な く 無 限 で も な い ︵ 白 色

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︶如来は死後に存在する︵害当主

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同 恒 伊 丹 ︶ 、 ︵ 叩 ︶ 如 来 は 死 後 に 存 在 し な い ︵ ロ 阻 害 君 主

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︶ 霊 魂 と 肉 体 と は 別 異 で あ る ︵ 白 ロ 苫 コ 4 0 . 口 百 円

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円 ヤ 門 官 ロ ︶ 。 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶

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釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 右のようなけ|帥にわたる二律背反的命題に対して、釈尊は直接解答するのを斥けたわけであるが、その命題の 立て方に関して文献問にかなりの不一致がみられるにもかかわらず、 かかる﹁無記﹂の態度のうちに、釈尊の根本 的立場を読み取ろうとする学者はむしろ多いとさえいえるかもしれない。しかし、多くの学者が同じ﹁無記﹂に注 目したからといって、その解釈まで必ずしも同じだというわけにはいかない。そのような従来の解釈の相違を追っ て い け ば 、 かなりの量になるかもしれない︵ 7 ︶が、それらを網羅的に取上げて言及することは、もとより本稿の目的 ではない。そのうえ、従来の﹁無記﹂に対する解釈は、これから述べようとする筆者の﹁私観﹂からみれば、その 種々の相違にもかかわらず結局は大同小異とみれないこともないので、ここでは、筆者なりに避けては通れぬ代表 的解釈のみを取上げて論評してみることにしたい。 この際、真先に取上げるべきは、和辻哲郎博士の解釈だと思われる︵83 ﹂れは、﹁無記﹂に関する従来の解釈を 総合的にしかも批判的に扱いながら、それらとは一線を画する独自の見解を始めて明白に提示したものだからであ る。この点は、恐らく今日でも変らず、それ以降の大同小異の解釈の中でもやはり群を抜いているといわねばなら ない。﹁無記﹂を釈尊の根本的立場と見倣す和辻哲郎博士は、﹁形市上学的問題に対する沈黙の意義﹂としてこの課 題を受け止め、釈尊が寸無記﹂によって﹁哲学的思索を斥けた﹂と主張するベック︵出・

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︶ 、 ワ レ ー ザ ー ︵ 冨 ・ 羽 田 − E

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同 ︶ な ど の 見 解 を 批 判 し ︵ 9 ︶、釈尊は、二律背反的命題を、﹁実践的理由からでは なく、真の認識に関する理由から斥けた︵叩︶﹂として、次のように結論づけている五︶。 ﹁ 経 典 に 描 か れ た る ブ ッ ダ ﹂ は 、 前掲のごとき問題に答えなかったとともに、 その答えぬ理由を言わば二律 背反に基づけているのである。我々はこの記述の中からとの程度に歴史的ブッダを見いだすべきかは問うまい。

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ただしかしこの記述を根拠としてブッダが哲学的思索を斥けたとは言い得ぬ、 という事だけは主張したいと思 ぅ。経の描けるブッダは哲学的問題を避けたのではない。前掲のごとき形而上学的問題が真の哲学的問題でな いゆえに答えなかったまでである。従って真に哲学的問題たり得るのは、無我、 五趨、縁起等において取扱わ れた問題にほかならぬ。 ところで、右の引用文を注意深く読めば分るように、和辻博士は、ここで、 いかなる形而上学的問題も真の哲学 的問題とはなりえないと言っているわけではないので、博士が、形而上学全般を釈尊から完全に締め出してしまっ たとは直ちに考えられないのであるが、 他 の 箇 所 で は 、 ﹁無記﹂を巡る毒矢の比喰のうちに﹁形而上学的問題が真 の認識の道ではないという意味﹂を汲み取ろうとしたりしている︵ぎので、 博士の解釈から、﹁釈尊は真の認識や真 の哲学とは取り組んだが形而上学そのものは捨て去ったのだ﹂という結論を導き出したとしても止むをえないとい える側面があるのである。事実、和辻博士以降に示された諸学者の見解は、明らかにかかる側面を強めたと見倣し h ﹁ ノ 4 G

例 え ば 、 釈尊や原始仏教の思想研究に関して画期的な業績を著わされた水野弘元博士や中村元博士は、﹁無 記﹂に関する見解を次のように述べておられる。 釈尊が形而上学的な問題を排斥された理由としては、第一にはこのような形而上学的な問題は、我々の認識 や経験の彼方にあるのであるから、我々は絶対にこれを解決することが出来ないからである。︵中略︶第二の理 由 と し て は 、 かりに一歩譲って、このような形而上学的問題が解決され得たとしても、それは我々の不安苦悩 の解脱には何等の役にも立たないからである臼︶。 ゴ l タマ・ブッダば形而上学的問題に関する論議を避けて、人間存在の深奥さを見通した八四種の真理﹀の 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶

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釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 二 四 説ーーそれは実践的性格のものであるーーをたもつべきことを教えているのである

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。 ゴ l タマ・ブッダは、当時の諸哲学説と対立する何らかの特殊な哲学説の立場に立って新たな宗教を創設し たのでもなく、また新しい形市上学を唱導したのでもない。かれは二律背反に陥るような形而上学説を能う限 り排除して、真実の実践的認識を教示したのである。それは﹁法を観る﹂立場である。それは人生の如実相を 教えるとともに、人聞の実践すべき真実の道であることを標携している︵時三 これらの見解が、釈尊の﹁無記﹂を形而上学そのものの否定だと見倣す視点を強めていることは明らかであるが、 また、それに伴って、その理由を苦悩の解脱や実践的認識という実状に訴えようとする度合をも強めていることは 見 逃 せ ま い 。 この度合が強まれば、﹁無記﹂における返答拒絶の理由を﹁実践的理由からではなく、 真の認識に関 する理由から斥けた﹂とする和辻博士の最も採るべき解釈さえむしろ後退させられてしまうことになると思われる からである。しかし、こういう後退現象を引き起さないためには、博士自身が、もっと明確に言葉を選んでおく必 要があったのではないかという気持が痛切に湧いてくる。和辻博士の件の解釈を辿っているうちに、博士が﹁釈尊 は偽の哲学を避けたが真の哲学を斥けたのではない﹂とか﹁釈尊は偽の認識を避けたが真の認識を斥けたのではな い﹂とでも言いたげに振舞っているように感じられてくるのは、筆者のほうが醸臨としているせいであろうか。し か し 、 もしこのように理解することが必ずしも誤りでないとすれば、 ﹁釈尊は偽の形而上学を避けたが真の形而上 学を斥けたのではない﹂と言ったところで五十歩百歩であろう。とはいえ、なにも筆者は、人の解釈を五十歩百歩 の表現に落しめて喜ぽうとしているわけではなく、こうした言い方をしたほうが、なにが真の哲学であり、なにが 真の認識であり、なにが真の形而上学であるかという根本的問題と正面から誤魔化さずに向き合うことができるの

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ではないかと思っているにすぎない。 そ れ を 、 ﹁釈尊は形而上学を避けたが哲学を斥けたのではない﹂などという ような言い振りになりかねないような方向に解釈の余地を残すと、形而上学を不当に軽んずるばかりか哲学につい でもなにを考えているのかわからないような独断と偏見の横行を許すことになりはしないかという思いに駆られて くるのである。もしも、 か か る 一 一 一 口 い 振 り に 独 断 や 偏 見 が 含 ま れ て い な い と す れ ば 、 どこかで形而上学と哲学との違 いがはっきりと示されていてもよいはずであるが、筆者自身はそのような明白な区別に出合ったこともないし、ま たそういう区別が必要であるとも考えたことはない。全くの単純素朴さをもって、釈尊が哲学を斥けたのでなけれ ば、形而上学も斥けはしなかったと考えているだけである。だから、先に引用した言葉尻を捕えて、それを逆に授 じ曲げるような気持は全くなくて、 た だ 卒 直 に 、 ﹁釈尊は当時の思想界に対して自らの新しい形而上学を唱導した のであり、それが無常という観方であった﹂と見倣すことにしたいと思う。このような筆者の見解は、例えば、和 辻博士の﹁真に哲学的問題たり得るのは、無我、五描、縁起等において取扱われた問題にほかならぬ﹂というよう な 捉 え 方 と 、 一体どこが違うのかと誘る向きもあるいはあるかもしれない。もとよりその気になれば、 いかなる辻 棲も合わせることは可能かもしれないが、ここで最も大きな違いと見るべきは、和辻博士の場合には、釈尊が形而 上学を唱導したと明言したことは一度もなかったということである。また、先に筆者が、和辻博士以降の﹁無記﹂ の解釈について大同小異というような表現を用いたのも、まさしくこの一点にかかわるものであることは言を侯た ない︵日︶。なお、従来の解釈の中には、釈尊が形而上学を唱導したなどと言うどころか逆に形而上学を否定したと極 付けるほうが多かったわけであるから、その形而上学否定の理由をもって、釈尊をカントに擬えようとする傾向も また強かったわけである。さすがに、 西洋哲学に通じていた和辻博士は、互いの思想史的特質を考慮することもな 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 二 五

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釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 一 一 六 く釈尊をカントに擬えようとする傾向にははっきりと警告を発していたのであるが、博士とて両者の類似を完全に 否定し去ったわけではなく言外にはむしろ類似を認めてもいいような含みすら漂わせている︵立。その結果、博士以 降の解釈の中には、決して数は多くないけれども、両者の類似を明確に指摘する見解も披涯されるようになってい ったのだと思われる。ここでは、参考までに、その代表的なものを掲げておくことにしたい

2

1

この形而上学否定の仏陀の立場は、恰かもカントが彼以前の哲学説としての唯物論や唯心論などをば、経験 の彼方にある問題であるから、解決不能の形市上学であるとして、これを排斥したのに似ている。カントが更 に我々の経験の外にある物自体をも、その存在は想像したとしても、これに対する言明や研究を避けたのもそ の た め で あ る 。 さ て 、 カ ン ト ︵ 同 ・ 同 国 ロ 門 ︶ が 、 従 来 の 形 而 上 学 ︵ 宮 広 告

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回 目 宵 ︶ を 批 判 し 、 そ の 批 判 ︵ 同 ユ ECJT 通して新たな形而上学 の確立を図りながらも、 物 自 体 ︵

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自 由 同 n F ︶ は 認 識 す る ︵ 巾 持

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こ と 、 が で き な い と し た ︵ 印 ︶ こ と は 、 今更筆者 ごときが言う必要もないほど周知のことであろうが、物自体は認識できないという意味での形而上学の不可能|| このカントの提起した困難な問題をまともに受け止め、このカント的方向を逆転することによって形而上学︵日恥仲間・

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︶の本当の可能性を追求したのがベルグソン︵国・回

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ロ︶であった︵怨ことはむしろ現今では忘れ去られて いるかもしれないので、この点をここでいくら強調しても強調しすぎることはあるまい。しかも、前述したような ﹁釈尊は当時の思想界に対して自らの新しい形而上学を唱導した﹂という﹁私観﹂を認めてもらった上で、釈尊を 敢えて西洋哲学史上のだれかに比較するとすれば、それはカントではなくベルグソンでなければならぬと思われる のであるが、それはともかくとして、今は、釈尊の﹁無記﹂をかなり大きく取り扱いながらこの二人の哲学者にも

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関 説 し て い る ム ル テ ィ ︵ 吋 ・ 戸 ︿ ・ 富 民 昨 日 ︶ 教 授 の ﹃ 仏 教 の 中 心 哲 学 ﹄ 吋 宮 内 向 ミ ミ 旬 、 ﹄ ミ

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N W N h 与ささ悼を批判 的に取上げてみることにしたい。本書は、その関連分野においてはかなりの評価を得た書物と思われるにもかかわ らず、筆者からみれば、当初からあまり賛同できるものではなかった五︶が、今回、新たにベルグソンに関する言及 を読むに至り、その適切さを欠いた評価を黙って見過しておくわけにはいかず、敢えてここに取上げてみようとい う気になった次第である。 ム ル テ ィ 教 授 は 、 彼以前の﹁無記﹂に関する代表的三つの解釈

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即 ち 、 実 践 的 と 解 す る も の ︵ 門 官 官 出 注 目 日 ︶ 、 不 可知論的と解するもの︵己

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芝 、 拒 絶 的 と 解 す る も の ︵ 己 出 口 市 宮 己 認 ︶ を 批 判 し て 次 の よ う に 述 べ る ︵ 辺 ︶ 。 この三つやそれと類似した解釈は仏陀の教えや仏教諸学派の教義と一致してはいない。我々は、哲学、即ち 実在に対する究極的な評価を含まない生き方などもちえない。人の心は宙ぶらりんでどんどん後まわしになる ような状態に長いこと留まっていることはできないのである。 そんな状態には動物のほうこそ留まってはいられないと思うのであるが、 こういう処世的な視点から、同教授 は、釈尊の﹁無記﹂のうちに﹁哲学的意識のまったく高度なレベル︵山正ミ広岡

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− え 耳 目

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︶ L を読み取ろうと努めながら、最終的には次のように結論づけている︵包。 かくして、仏陀の沈黙︵ H 無記︶は不可知論とは解しえない。なぜなら、 不可知論は一種の懐疑と断念の態度 であるが、仏陀の返答は決然としたものだからである。また、仏陀の態度は判断保留にほかならないとか、彼 は真理を公けにすべきもっとも適切な機会を待っていたのであるとかいうことも真実ではない。仏陀は、なん らの条件もつけず公開未公開といったようないかなる区別もつけずに真理を説き、拳を握りしめた︹ケチな︺ 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 七

参照

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