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ドキュメント内 日本佛教學會年報 第50号(全) (ページ 94-99)

VI 

以上のように在家者は一方では出世間レヴェルの問題と深く関わると同時に︑現実問題の解決には世間レヴェル

の問題とも関っているのである︒即ち出世間レヴェルの聖なる一方の端に上座仏教があり︑そして世間レヴェルの

もう一方の端には悪霊・プレIタ信仰のような土着的信仰が存在している︒そして両者の中間︑即ち出世間志向の

領域に位置しているのがピリット信仰であり︑また世間志向の領域に在るのがデlヴァlレl信仰である︒そして

それらは宗教構造・機能は異なりながら決して融合することなく︑それぞれが相互補完の形で結びついている︒

以上見てきたようにスリランカの仏教は︑出家者の立場から見た﹁仏陀観﹂と在家者の立場から見た場合のそれ

とは異っている︒出家者の立場から見た場合︑それは出世間レヴェルの構図となるであろう︒最初に説いた敬礼偽

−三帰依文︑五戒のすべては純粋に出世間レヴェル志向の偶文である︒しかしピリット呪儀礼は先にも述べた如く

本来は出世間レヴェルの領域に位置していたものを世間レヴェルの領域に移行させ現実におこる種々の問題に解答

を与えようとしたものであった︒さらにもっとも現実的な世間レヴェルでの解決を求めようとするならば︑デlヴ

ァlレl信仰・星神信仰︑悪霊・プレIタ信仰があげられるであろう︒

﹂のようにスリランカの仏教を考察するとき︑一方では出世間レヴェルの問題とも闘っていると同時に︑他方で

は世間レヴェルの問題とも関わりそこに構造と機能を異にする様々の宗教が登場し種々の問題について人々の悩み

を解決しようと努力しているのである︒そしてそれらは融合することなく相互補完の形で成り立っているのである︒

如 来 に つ い て

如来

︵Z F u

m 巳凶︶については︑既にこれまで諸先学によってすぐれた研究が公表されている︒

赤泌智善﹁如来の名義に就いてL悌教研究四ノ一︑大正十二年三一月

荻原

雲来

﹁叶

丘町

劃一

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と云う語の起源と其の意義﹂大正大学学報︑昭和五年四月

水野弘元﹁吋巳

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山富︵如来︶の意義用法﹂印度学僻教学研究第五巻第一号︑昭和三十二年一月

従って︑ここでは新説をとなえるというよりも︑むしろこれまでの諸説をまとめて紹介する程度のものとなろう︒

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欧米 の学 者は

漢訳にうといという点もあって︑﹁如来﹂という漢訳語を考慮しないで︑もっぱら

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という原語によって考察を進めている︒

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如来について︵本多恵︶

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如来について︵本多恵︶

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lはアンデルセンの説を踏襲しているように思われる︒

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義︑

つまり﹁︵過去併の︶如く︵この世に︶やって来て︑去って行った人﹂

というのが本来の意味であると考えているようである︒

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とこ ろで

最初期の悌典において︑はたして欧米の学者の考えたような意味で

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が用いられている

かどうかを検討してみる必要がある︒先ずテlラガーター四九Oは次のようになっている︒

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﹁ヴ ィパ ッシ

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シキ

l仰とヴェッサブl仰とが行き︑カクサンダ併・コーナーガマナ併およびカッ

サパ併の行ったまっすぐな道を︑ゴlタマは行った︒﹂

このヴィパッシl等の七悌は︑リグ・ヴェーダの七仙︵1︶の思想を受けたものと考えられるが︑後の悌教において

も︑過去七併あるいは七如来︵主として伝えられている︒例えば︑法華経では︑

﹁諸

比丘

よ︑

ヴィパッシ︵併︶を始めとして︑私がその第七であるかの七如来のうちでもまた︑彼は実に説法者

の第一人者だった︒

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とある︒また︑北本浬繋経にも︑

云何 名= 如来 一︒ 如= 過去 諸悌 一所

ν説不ν

︵大 正十 二巻 四六 八頁 上︶

とある︒過去併との比較の記述は多いが︑もう一つの例として︑出曜経があげられよう︒

如官過去諸悌世尊具高足十力四無畏十八不共殊勝之法大慈大悲一康度二切一不

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離一

一如

性一

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亦爾

故謂

ユ如

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大正

巻七

一七

頁上

﹂れらの記述によって︑

先ず

﹁過去併の如くに歩んだ︵

Z

E哲宮︶﹂というのが如来の原意であると考えられ

F

ω

ブッダゴ

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岡田山口間同−

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弓にあげられている如来の九義︵3︶は有名であるが︑その第一に

﹁過去仰が一切知性に到達せる如く︑今︑併もまた一切知性に到達した﹂から如来である︑

とし てい る︒

この解釈は原始俳教聖典中には見られないようであるが︑後代の悌典︑例えば大智度論の中には類似のものが見

られ る︒ 如九 定光 併等 行− 一六 波羅

7 9 v

成一

一傍

道一

樟迦

文悌

亦如

ν

来故 名一 一如 来九

︵大 正二 五巻 四五 四下

如官

一錠

光併

等智

一詣

法如

一従

一一

如中

一来

故名

市如

来魯

ハ迦

文悌

亦如

ν

来故

名=

如来

一︒

︵同

前︶

﹂の

よう

に︑

﹁︵過去併がさとりに到達した︶如く︑︵ざとりに︶到達した﹂という解釈がなされていたこともある

ょうである︒この解釈は︑前記の﹁︵過去併の︶如く歩んだ﹂という意味から派生したものと考えられる︒

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欧米の学者は︑上記

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の外に︑もう一つの解釈をあげている︒

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可丘町=の意味

如来について︵本多恵︶

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如来について︵本多恵︶

であろうとしている︒またマイルホ

1771

は前出の語源辞典の中で

5O EO

岳て

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N号巧宵

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m己 注 =

と書いている︒

さら

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∞はスッタニパlタの出版翻訳の序文の中で如来をいろいろ論じた後で︑結局

よ 芸 ︒

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m

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の意味であると断定する︵4

︶ ︒

日本でも荻原雲来博士は党和大辞典の訳語の中で︑如来至真︑得如者︑得真如成如来者︑という漢訳語をあげて

いる

併典の中で見ると︑長阿含の清浄経の中に ︒

﹁併は初夜において最正覚を成じてより末後の夜に及ぶまで︑其の中間において一再説する所あるものは轟く皆

如実︵

E5

2

m

︶なり︒故に如来と名づく︒復次に︑如来の所説は事の如く︵丹伊丹

E E

︶︑事は所説の如し

E

︵宮

昨日

戸勘

・︿

包−

︶︒

故に

如来

と名

づく

5OL

とあ

る︒

つまり︑言行一致であるが故に如来だとするのである︒さらに︑後のものになると︑

悌得

コ如

実相

性一

故名

為ユ

如来

一︵

大口

問般

若第

十四

問相

口問

︑大

正八

巻三

二五

頁下

得ユ

諸法

如一

故説

名一

一如

来一

︵大

智度

論︑

大正

二五

巻六

五三

頁中

言無z

妄一 故名 ユ如 米一

︵稔 伽師 地論

︑大 正三

O

四九

九頁

中︶

非一

一不

如説

一故

名コ

如来

一︵

菩薩

地持

経︑

大正

一二

O

O

二頁

中︶

などが類似の解釈と考えられる︒また︑法議足論の中にも

は 一 一 如

来 一 者 如

= 世 尊 一

一 一 一 口

一 ︒

E

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薩 証ユ 無上 正等 菩提 一夜 占乃 至コ 悌無 能依 般担 繋界 夜一 於一 主ハ 中間 一諸 有

νν説凸手暢敷演一切

皆如無ν

一一

虚妄

一無

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異一

諦寅

ν理無9z

倒一

皆以

ユ如

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ν

正慧 一見 己而 説故 名一 一如 来一

︵大 正二 六巻 四六

O

中︶

とある︒ただし︑これは長阿含の清浄経の文を引用しているのかもしれない︒

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これらの文は︑

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酬を﹁あるがまま︵の真理︶﹂と解釈し︑﹁あるがままの真理に到達した﹂人を如来と名づけ

るのだとするのである︒この解釈の流れが後には有力となるようである︒

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如来の語義を考察する場合に︑最も困難を感ずるのは︑スッタニパlタの次の文である︒

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︒ ︿ 州 凶

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Bm gm

訪問勘

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凶 ︵ 日

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∞ ︶

は恐らくは併・法・僧の形容詞として用いられているのであろう︒ファウスベ1

ルは

と訳

し︑

オルデンベルグは母一吋︿色町ロ仏

20

と訳す︒彼等がこのように訳している理由は︑

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