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ドキュメント内 日本佛教學會年報 第50号(全) (ページ 119-158)

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定められた紙幅を超えることを恐れ他の註記はすべて省くこととする︒

神 秘 家 と し て の 釈 尊

中 祖 一

︵愛知学院大学︶

教 説 の 出 発 点 と し て の 八 聖 道

菩提樹下の大覚成就以後における四十五年にわたる釈尊の説法の内容は︑究極的には釈尊みずからの転迷開悟の

原体験に基ずく法とその体現に導く実践道の宣示にはかならなかったということができる︒長期間にわたって増広

流伝されてきた阿含や律をはじめとする数多くの原始経典の記述は︑すべて直接︑間接に釈尊の証悟の原体験に連

なるものとして重要な意味をもつものであるといえる︒したがって︑釈尊の思想と人間像に直接に近ずくためには︑

これらの資料が慎重に吟味︑検討される必要があるが︑とりわけその教説の出発点となった成道から初転法輪に至

る聞の二つの事柄が注目されなければならないであろう︒その一つは︑ブッダガヤlにおける菩提樹下の白内証の

真相であり︑他の一つはミガダIヤにおける五比丘を前にして説示した︑いわゆる初転法輪の教説である︒

いず れ

も正覚を成就せる釈尊自身の固有の体験に根ざす表詮︑発露であるわけであるから︑結局のところ一つのことに帰

着することになるが︑その意義︑動機についていえば︑本質的に異なる点が認められるといえる︒前者は︑文字通

り釈尊自身の内体験に属することであり︑端的には﹁縁起﹂の理法の了知︑体得という理論的内容を中心とするも

一 一

一 一

のであり︑後者は当面の対告衆である五人の修行者に対する解脱に至る実践的箇条を軸とする修行道であったとい

うことができる︒もちろん︑釈尊にあっては︑理論と実践︑哲学と道徳というような尋常の意味での相対的区別を

むしろ斥けるところにその独自性があるといえるのであるが︑一応の区別としてこのようにいうことができよう︒

このいずれの事柄も釈尊の本質に近接する契機となるものとして重要である︒ここでは︑とくに後者の初転法輸の

事柄にもっぱら注目して︑釈尊の教説の根底にはたらく思考の特徴を考量してみよう︒

周知のとおり︑鹿野苑における説法の内容は︑普通に﹁転法輪経﹂と称せられている︒その内容についていえば

大体三種類のものが存在する︒パlリの律・大品の初めの部分にでてくる中道・八聖道・四諦・三転十二行相・無

我相経を包含するものと︑安世高訳の﹃転法輪経﹄のように無我相経の部分を欠くものと︑そして義浄訳の﹃三転

法輪経﹄の如く四諦と三転十二行相だけでなっているものとがある︒いま︑その一つのパ1

リ文 の律

・大 口聞 に依 つ

て梗概を摘記すれば︑大略つぎのような次第になる︵13五比丘に対して︑最初に出家者の親近すべきでない二つ

の極端な道として快楽主義と禁欲主義︵苦行︶の二道が一不されて︑これらの二道を離れた正しい道として﹁中道﹂が

掲げ られ て︑

これが具体的に﹁八聖道﹂として﹁正見﹂以下の八支が説かれる︒後半においては︑﹁四諦﹂の教説

が説かれ︑そのコ一転十二行によって滅の成就に至る理が説かれて︑さらに五組無我を説くいわゆる﹁無我相経﹂の

部分が続いて完結する︒以上が﹁転法輪経﹂の骨子であるが︑ここに語られる中道以下の一連の体系はある意味で

整然とした筋道を示しており︑菩提樹ドの縁起の思索とともに釈尊の教説の綱格をなすものとして︑その後の仏教

教理体系の展開の原点として重きをなしてきた︒このこと自体はいまでもいささかも揺ぐことはない︒しかしなが

らこの経の構成を検討すると二つの点で問題を含んでいるといえる︒一つは八聖道と四諦の説との内的連関の必然

性についての問題であり︑いま一つは八聖道の体系そのものの理解をめぐる問題である︒この二つの問題も結局は

一つの問題に帰着することになる︒

すな

わち

﹁八聖道﹂の中の一支である﹁正見﹂をいかに理解するかというこ

とにかかわっているといえる︒これについては︑すでに宇井・和辻両博士によって問題が提起されて︑綿密周到な

考証がわれわれに知られているが︑残された問題がないわけではない︒そこで︑本稿では両博士の考証を手掛りと

して︑﹁正見﹂の意味を検討してみることにする︒

﹁ 正 見 ﹂ の意義について

︷子井博士は︑﹁八聖道の原意及び其変遷﹂︵﹃印度哲学研究﹄第一二︶において︑結論を先取りしていえば︑初転法輪で

説かれたのは中道・八聖道であって︑その後のある期聞を経過して四諦説が説かれてこの初転法輪の教説に組入れ

られたのでなければならないと解釈する︒そう考えることの根拠は︑この経の叙述の次第と八聖道が四諦の一支た

る道諦のうちに重複して包含されていることの不整合さにあると主張する︵2︶︒所説にしたがって博土の見解を辿る

とこうなる︒まず︑初転法輪において︑仏説の一句をも未だ耳にすることもなかった五比丘が︑いきなり唐突に中道

−八聖道・四諦を聴いて即座に法眼浄を得たとすることの不自然さを指摘する︒第二に︑八聖道の一支である﹁正

見﹂が四諦の一一を知ることであるとすることは重複であり矛盾しているという︒この場の対告衆である五比丘が

苦行主義の信奉者であったことを想起すれば︑単に名目の羅列といってもよいこの単純な教説によって即座に苦行

を拠郷し四諦の理を納得して仏弟子に帰入したとはとうてい信じ難いことであると考える︒もちろん︑四諦自体は

釈尊の教説の大綱といえるほどのものであるから︑釈尊の胸中においては成道の当初からすでに確立されていたこ

神秘

家と

して

の釈

尊︵

中祖

一誠

とは確実であろう︒しかし︑この場で八聖道と同時に説かれたものとはなし難い︒なぜならば︑八聖道の一支であ

る﹁正見﹂でもって﹁四諦の一一の理を知ること﹂となして︑四諦の一部である﹁道諦﹂の︑そのうえその一部で

ある﹁正見﹂が四諦の理を知ることとするのは一種の循環論であって︑とうてい一次的な最古の意味を示すもので

はな いと 推論 する

3O正見というような語は︑原語︵

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忌関与芯ちからいっても︑漢訳の語義から

みて

も︑

ほとんど何とでもとれる語であるから具体的な内容が限定されにくい面がある︒この多義的な傾向がこの

ような循環論的記述を許したとも考えられる︒﹁正見﹂の﹁見﹂︵島常

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身往︶は確かに一義的には﹁見解・主張﹂

などに解しうるわけであるから︑

﹁正 しい 見解

・主 張﹂

←﹁ 釈尊 所説 の根 本教 説・ 思想

﹂←

﹁四 諦の 理に つい ての 知﹂

という理解に伸展していくことは自然の傾向であったといえる︒しかし︑このことは説示する側である釈尊自身や

すでに仏弟子となってその教説に多少とも親しみ︑自己のものとなしているものにあっては一向に差支えがない筈

であるが︑これに初めて接する五比丘にあっては間然としないことであるとみなさなければならない︒このように

考えて︑宇井博士は︑四諦説を八聖道から切離して初転法輸の内容を中道・八聖道という純粋に実践の体系として

理解して︑﹁正見﹂の内容については︑﹁仏陀の根本思想を徹底的に理解し︑信受して︑全く自己のものとなし︑白

己自身の見解または主張となすまでに至らなければならないことを表わす名称︵4ごとして捉える︒

また

和辻博士は︑﹃原始仏教の実践哲学﹄第三章において︑八聖道なかんずく﹁正見﹂の意義について独自な

思索を展開する︒その趣旨を要約するとつぎのようになる︒五組・六入︵六処︶・縁起などの体系で明らかにされた

﹁法﹂の世界は︑人間の現実的世界の如実の相であって︑﹁見られたもの﹂︑

﹁聞 かれ たも の﹂ など の真 相は

'

の 教説 にあ って は︑

﹁感

受さ

れた

もの

﹂︑

﹁渇欲せられたもの﹂としてあることに外ならない︒これと切り離された単

なる客観的存在としての世界ではない︒釈尊ないし原始仏教においては︑﹁一切﹂とは森羅万象とか一切万有の如

き有情の生存の時外に措定された世界ではなくして︑まさに有情の生存が然らしめられている現実の世界すなわち

世間

︵−

︒︸

S

︶を意味する︒しかし︑これらの体系は現実的世界の如実の相ではあるが︑この﹁法﹂自体のうちには

滅に至る道は見出されえない︒人の履むべき道としての滅への道は︑自然的立場を超えた﹁法を観る立場﹂︑﹁般若

の立場﹂に立つことにおいてのみ許されるという︒たとえば︑苦受・楽受といわれるときの楽受は︑苦受に対する

楽受ではなくして︑苦の消滅のことである︒このような苦の滅の要求は般若の立場に立たんとする要求であり︑究

極的にはそれを証した釈尊の権威に帰することになり︑したがってこの立場︵釈尊の教説︶が哲学としての弱点を合

むが︑なお道徳としての滅の道は建立されうるとする︒そこで︑当為としての道が八聖道として理解されるべきで

ある とし て︑

日常的世界を超越せんとする要求自身のうちに滅への道が見出されうると考える︒すなわち︑この滅

への道はその出発点において︑﹁般若﹂としての﹁真の認識﹂をすでに含むことになり︑八聖道の初支である﹁正

見﹂は﹁般若﹂の意味をすでに合意として有するというのが博士の立場である︵5︶︒そこで︑博士は︑雑阿含の中の

﹁ 当

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観ユ

察眼

無常

一︒

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観者 是名 一主 見一

︒正 観故 生

ν厭︒生ν厭故離v喜離ν

︒離

ユ喜

貧一

故我

説一

一心

正解

脱一

︒﹂

6

に依

して

﹁正見﹂を﹁真実の認識﹂の意味に解さなければならないと主張する︒第二支以下の各支はその実現の過程

であり︑その実現の過程において﹁真実の認識﹂はそれ自身を現わし︑ぞれ自身になるという︒﹁厭生じ喜貧減す﹂

ということは正見によって引き起される別のものではなくて︑﹁正見﹂そのものであると考える︒したがって︑中阿

含の﹃聖道経﹄において︑﹁正見﹂の註釈の中に一不される﹁有v施有ν

有=

呪説

一有

=善

悪業

−有

一一

善悪

業報

一有

=此

世彼

世一

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・:﹂などの説が原始仏教の立場から遠く離れた解釈であるとして︑これを低次の外道思想の影響として斥ける︵7

︶ ︒

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