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表5 1989年度
平城京・ 京 内寺 院発掘調査地一 覧 (19894.1〜 1990.3,9)
調査次数 調 査 地 区 地 区 名 面積(ar) 調 査 期 間 調査担当者 備 考 掲載頁
193F 198 B 198C 200補
204 207 208 209 210 202‑1 202‑3 202‑4 202‑5 202‑6 202‑9 202‑11 202‑12 202‑13 202‑14 202‑15 202‑16
左京三条二坊八坪 左京二条二坊五坪 左京三条二坊八坪 左京三条二坊八坪 左京二条二坊五坪 薬師寺東面回廊 西大寺境内 西隆寺 旧境内 西隆寺旧境 内 右京一条二坊八坪 右京三条一坊十五坪 右京三条一坊十五坪 左京三条二坊六坪 右京一条二坊二坪 左京二条二坊五坪 右京三条一坊九坪 法華寺旧境内 左京二条二坊五坪 西隆寺旧境内 薬師寺北門推定地 東大寺南大門
6AFI 6AFF 6AFI 6AFI 6AFF 6BYS 6BSD 6BSR6BSR 6AGA6AGA 6AGF 6AGF 6AFI 6AGA 6AFF 6AGF 6BFO 6AFF 6BSR 6BYS 6BTD
55 880 40 40 870 1,213 300 1,800 560 80 192 257 215 50 75 230 15 180 130
94
15
5 16‑ 5 29 4 1〜 5。16
5 8〜 515
7 11〜 7 15 7.25足 9 6 7. 3〜 9 30 8. 7〜 10 3 9 28〜 11 29 11 20〜 12.12 4.24ハ ツ 5 9 515ハψ6 8
5,22〜 6.29
6 7〜 7 7
6 9〜 6 17 9,16‑10 2 11 27‑12.18 1 9‑ 111
1.29〜 3 3 2.20^レ 3. 9 8 25〜 8.28 1.16〜 2. 4
小池
伸彦 小池 伸彦 田辺
征夫 毛利光俊彦 高瀬
要一 井上
和人 毛利光俊彦 島田
敏男 巽
淳一郎 小野
健吉 小野
健吉 小池 伸彦 田辺
征夫 上野
邦一 浅)II 滋男 寺崎
保広 小林
謙一 綾村
宏 森本
晋 井上
和人 本中
真
そごう建設地 そごう建設地 そごう建設地 そごう建設地 そごう建設地 伽藍復興 防災工事
参 ァ 豆諄建設地 舟ミ 稚建設地 福田善子宅
集合住宅建設地 給油所建設地 集合住宅建設処 城本
勲宅 木下守人宅 平城官跡(国有地)
水路付替工事 川崎政雄宅 駐車場建設地 三和住宅爛 下水道工事 金剛力士像解体修
個
37
78 97 100 106
71 71 68
64 76 109 61
(カ ッ トは第204次出土墨画 を合成)
―‑ 36 ‑一
平城京左京二条二坊五坪 と二条大路 の調査
第198次 B・
C区
、 200次 補 足 、 204次1
は じめ にこの調査 は、後述 す る第193次
F区
調 査 と と もに、 百 貨 店 建 設 に関連 す る発 掘 調 査 で あ る (図27)。 百 貨 店 建設 に関連 す る調 査 は、2年
半 の計 画 で1986年 9月 30日 か ら継 続 して きた が、 第204次 調 査 を最 後 と して、 1989年 9月 6日 に終 了した。 これ まで に実施 した調 査 は10次 にわ た り、 期 間 は
2年
10ケ 月、 総 面 積 は 31,400ど に及 ぶ。一 連 の調査 の うち、 昨年度 まで は、 お もに平城京左京三条二坊―・ 三・ 七・ 八 坪 に ま た が る範 囲 につ い て調 査 を行 っ
報』
)が
、 今 年 度 は主 と して そ の北 方 、 に あ た る範 囲 に つ い て1,800ご あ ま りて きた (『昭 和63年 度 平 城 宮 跡 発 掘 調 査 概 左 京 二 条 二 坊 五 坪 お よ び二 条 大 路 北 半 部 を 調 査 した (図28)。 こ の う ち 第198次調
あ1010ωOゆ豊
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図27 調査位置図 (1:5000)
・
一
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Ⅷ Ч辻
―‑ 37 ‑―
査 は、 国道24号線 バ イパ スか ら菰 川右岸沿 い に百 貨 店 東 側 に通 ず る奈 良市 市 道 の 建設 に と もな う事 前 調 査 で あ り、 第204次調 査 は近 鉄 線路 北 側 の駐 車 場 造 成 に と もな う事前調査 で あ る。 なお、 第200次補 足調 査 は近 鉄 線路 よ りも南 の調 査 区 で あ り、二条大路 の南半部 にあた る。
中心 とな る調 査地 は、 平城宮東 院南方遺跡 と して従 来 か ら平城 宮 との関連 が注 目されて きた重要 な場所 の一 郭 で あ る。 また、 二 条 大 路 と東 二 坊 坊 間路 の交 差 点 付近 にあた り、平城京 の条坊 を復元す る上 で重要 な位置 にあた る。 そ こで調 査 は、
東 院南方遺跡 の性格 を明 らか にす る こと、 条 坊 関連 遺 構 の調 査 、 お よび1988年度 の調査 で見 つか った二条大路路面上 の東西大溝 (二条 大 路東 西大 溝
)の
調 査 を 目 的 と した。 これ まで、 五 坪 につ いて は奈 良 市教 育 委 員 会 に よ る調 査 (第 156次、『 昭和63年度 埋 蔵 文 化 財 発 掘 調 査概 報』
)が
あ る。 また、 坊 間路西側溝 につ いて は1980年 に第123‑27次
調 査 が行 わ れ、 1989年 に第198次調 査(A区 )が
行 わ れ た。 さ らに今 年 度 は第202‑9次
調 査 (五坪 北 辺)お
よ び第202‑13次
調 査 (坊 間路)を
実施 した。 これ らの調査成果 もふ まえて、 以下 、 考察 を進 め る。2
調査 の概要 第 198次 調 査B区 198次 A区
の北 に接 し、一 部A区
と重 な る。 二条大路 と東 二 坊 坊 間路 と の交差点 か ら西、 お よび五坪 の東南 隅 にあた る。面積 は880だ。 五 坪 の調 査 、 二 条大 路 北 側 溝 と東 二 坊 坊 間路 西側 溝 の関係 を明 らか にす る こと、 お よ び198次A
区調 査 で見 つ か った二 条 大 路 路面 上 の東 西 大 溝SD 5300の 調 査 を 目的 と した。 検 出 した遺構 は、 奈良 時代以 降 の掘立柱建物
6棟
、 築 地1条
、 道 路2条
、 溝8条
以 上、橋 1基、 土坑 な どで あ る。 調査 の結果、 京 内 で は最 長 級 の南北 棟 建物 が見 つ か り、二 条大路北側溝 は三 段 階 の変遷 をた どる ことが明か とな った。 また、SD
5300は、二条大路北側溝 の南 にあ り、東二坊坊 間路西側溝 の手前 で途切 れてお り、
その位置、形態、堆積土、 出土遺物、 出上 した木簡 の内容 な どか ら、 二条大路南 側 溝 の北 に あ るSD 5100(同 上 『 平 城 概 報 』 に い うSD 160)と 同 じ性 格 の溝 で あ る ことが わ か った。SD5300か らは木簡 を は じめ とす る豊 富 な遺 物 が 出土 し、
―‑ 38 ‑―
<
=
︱ こ L Ξ
202‑9次
奈良市教委166次
一
x
= I P g
0 0 10 20 30m
N A
饉 露 踵 覇 璽 弓 ―
123 27次 │
一
×
= I
P
0
193次 B区
一
x
=
︱ ミ P 0
202‑13次
イ98次A区
200次 補足
図28 遺構図 (1:500)
また二条大路北側溝 (新段 階
)か
らは瑞雲双鸞八花鏡 が見 つ か った。C区 198次 A区
と193次B区
の間 に設 定 した調 査 区。 面 積 は40だ 。 近 鉄 線 路 直下 にあた り、 菰 川 の西 に接 す る。 東二坊坊 間路 西 側溝 の調 査 を 目的 と した。 検 出 した遺構 は奈良 時代 以 降 の溝3条
以上 で あ る。第 200次 補 足 調 査
昨年 度 の200次調 査 に お いて、 デパ ー ト建 築 工 事 事 務 所 下 に あ った た め残 った 未掘部分 の調査 で あ る。 面 積 は40だ。条坊 関連遺 構 の調 査 と二 条 大 路 南側 溝 の北 に あ る東西大溝SD5100の完 掘、 お よび木 簡 を始 め とす る遺 物 の取 り上 げを 目的 と した。SD5100は、 市 道 下 にあ って発 掘 不 可 能 な約30∬分 を残 して、 ほぼ完 掘 した。SD5100の 発 掘 で は、木簡 が多 く埋没 す る木屑層 を土 ごと取 り上 げて お り、
その量 はSD5100全体 で プ ラスチ ックコ ンテナ約3000箱 にのぼ る。
第 204次 調 査
五坪 の南北 中軸線 に沿 って、逆「T」 字形 に調 査 区 を設 定 した。 調 査 区東 南部 は198次
B区
に接 す る。 面 積 は870だ 。 五 坪 と条 坪 関 連 遺 構 の調 査 、 お よ びSD
5300の調査 を 目的 と した。 検 出 した遺 構 は奈 良 時代 以 降 の掘 立 柱 建 物
8棟
以 上、礎 石建物 (門
)1棟
、 塀4条
、築地1条
、 道路1条
、 溝8条
以 上 、 井戸1基
、 橋1基
、土坑 な どで あ る。SD5300は204次 調 査 区 内 に延 びて お り、 五 坪 中央 の門 の手 前 で 途 切 れ る。 そ して門 の西 で は東 西 大 溝SD5310が西 へ延 び て い る こ とが 明 か とな った。 このS D5310は 約
6m分
しか調 査 で きなか ったが、二条大路北側 溝 の南 にあ り、 その位 置、 形 態、 堆 積 上 、 出土 遺 物 、 出土 木 簡 の 内容 な どか らSD5300・ 5100と 同 じ性 格 の溝 で あ る ことが わ か った。 SD5300・ 5310の堆 積 土 は4層
に分 か れ るが、 上 か ら3層
目の本屑層 が木 簡 を多量 に含 んで いた。 発掘 で は、 この木 屑 層 を上 ご と 取 り上 げてお り、 その量 はプ ラスチ ックコ ンテナ約2000箱 にの ぼ る。 (小池伸 彦)3
遺構 の変遷左 京二条二坊五坪 は、 奈良時代 を通 じて、少 な くと も
1坪
分 全 体 を敷地 と して 利 用 して お り、名 時期 ご とに建物 を大 き く作 り替 えて い るの が特 徴 で あ る。 二 条―‑ 39 ‑―
大路 の北側 溝 と南側溝 は、 東 二 坊 坊 間路西側溝 と と もに大 き く
2度
の作 り替 えが あ り、 また二 条 大 路 も、 一 時 的 で はあ るが、 東 西 大 溝SD 5100・ 5300・ 5310の た め に路面幅 が狭 くな る時期 が あ った。 この よ うな五 坪 と二条 大路 の変遷 は、 遺構 の重複 関係 や配 置、 出土遺物 な どか らA〜 G期
の7時
期 に分 か れ る (図29)。A期
五 坪 の南 面 に築 地 塀SA5245が あ り、 築 地 か ら約
3m北
に築 地 雨 落 溝SD 5246 が あ る。 また、 五 坪 の中央 東 寄 りの位 置 に掘 立 柱 建 物 SB5270・ 5280が あ る。 S B5270は 梁 行5尺
、 桁 行 が6尺
あ り、 倉 庫 風 の建 物 で あ る。SB5280は東 妻4間
分 のみ を検 出 し、 その柱 間寸 法 は
8尺
で あ る。二 条 大 路 で は、 北 狽1溝 SD5240、 南 側 溝SD5150が 東 へ 流 れ、 東 二 坊 坊 間 路 東 側 溝SD4701に 注 ぐ。 西 側 溝 SD 5021は SD 5240に 合 流 す る が 、 そ れ 以 南 に は延 びな い。 また、SD5021の南 端 部 は、 長 さ
2〜 3mに
わ た り大 型 の石 を 用 いて護 岸 して い る。B期
五坪 の建物 に変化 はないが、二条大路 と東二坊坊間路 の各側溝 が作 り替 え られ、
築 地 塀 に は軒 瓦 が葺 か れ る。 西 側 溝 は、SD5240の 南 にSD4699が 新 設 さ れ、 S D5021と 一 体 とな る。 そ して 北 側 溝SD 5240、 南 側 溝 SD 5150は 、
8D4699以
東 を埋 め立 て る。A・
B期
の五坪 の建物 は次 に述 べ るC期
に比較 して小型 で あ るが、 この時期 の 中心 とな る建物 が未発 見 で あ り、 単純 な比較 によ る、 A・B期
の五坪 の性格付 けはで きない。
C期
五坪 内の建物 を大 き く改変 し、 大型 の建物 を整 然 と配 置 す る。 また、 遅 くと も この時期 には、五坪南面築地塀 の中央 に、掘立柱 の一 間門 が二条大 路 に開 く。 こ の ほか、二条大路北・ 南側溝、 坊 間路西側溝 は前 期 を踏襲 す る。
五 坪 内 で は、 中央 北 寄 りにSB5400を、 東 辺 部 に長 大 な南 北 棟 建 物 SB5250を 配 置 す る。 ま た、 門SB5315の 東 北 に建 物 SB5330を 配 置 し、 築 地 塀 の 北 雨 落 溝
―‑ 40 ‑一
8 100 150m
図29 遺構変遷図 (1:2000)
‑41‑
をSD5244に つ けか え る。 全 体 と して官 衛 風 の建 物 配 置 とな る。SB5250は梁 行
4間
、 桁行20間以上 あ り、東西両面 に庇 を と もな い、 南 妻 か ら数 えて6間
目 と12 間 目に間仕切 りを もつ。 柱 間寸法 は、 身舎 の梁 行 が10尺、 桁 行 が8尺
で、庇 の出 は東 が8尺
、 西 が9尺
で あ る。 柱 には礎板 を伴 うものが多 い。 この建物 は京 内で は最長級 の掘立柱建物 であ り、規模 だ けか らいえ ば、平 城宮 内 の官衡 (例 え ば馬 寮 のSB 6175)に 匹 敵 す る。SB 5300は 梁 行2間
、 桁 行5間
の東 西 棟 で、 柱 間寸 法 は桁 行 が10尺、 梁 行 が9尺
で あ る。 門SB 5315は 柱 間寸 法 が 13尺 で あ る。SB
5400は桁行
2間
以上、 梁行2間
の東西棟 で、 柱 間寸法 は桁行 が10尺、 梁 行 が10.5 尺 で あ る。この期 の終 わ り頃、二条大路 の南・ 北 の路肩 に沿 って、両 側溝 の内側 に東西大 溝SD 5100・ 5300・ 5310が 掘 られ、 大 路 の 幅 は約
29mと
な る。 SD 5100は 幅 2.6 m、 深 さ0.9m、 長 さ120mあ
り、 SD4699と 長 屋 王 邸 の北 門 の手 前 で途 切 れ る。SD 5300は 幅
2〜
2.3m、 深 さ1〜
1,3m、 長 さ約56mぁ
り、 SD 4699と 門SB
5315の手 前 で途 切 れ る。 門 の西 か らは、SD5300と ほ ぼ 同 じ幅、 深 さのSD5310 が西 へ の び る。SD5300の西 端 とSD 5310の 東 端 は、 門 の 中 軸 か らそ れ ぞ れ約6
mの
と ころにあ る。 これ らの溝 は、木屑層 内 に木簡 の ほか土器、 瓦、木製 品 な ど を大量 に含 み、 その出土状況 は遺物 が一括 して捨 て られ た ことを示 す。 出土木簡 か ら天平12年(740)前
後 に掘 られ た とみ られ、 木 簡 な どが大 量 に捨 て られ、 短 期 間 の内 に埋没 した らしい。D期
C期
の大型建物 を撤去 す るとともに整地 を行 い、敷地 内 の建物 を一 新 す る。築 地塀 の軒瓦 も葺 き替 えた可能性 が ある。五 坪 の中央 に大規模、 かつ堅 固 な建 物 SB5890を 配 置 す る。 また、 五坪 南面 築 地 の門 を礎 石 建 ちの門 SB5320に 作 り替 え、 門 の北 の雨 落 溝 をSD5335に 作 り替 え る。 門SB5320は桁 行
1間
14尺 、 梁 行2間 9尺
等 間 と推 定 さ れ る。 SB5390は 東妻部 の1間分 が調 査 区内 にかか って い る と考 え、 五 坪 南 北 中軸 線 を想 定 し西 へ 折 り返 す と桁 行5間
、 梁 行4間
の東 西 棟建 物 とな る。 ただ し、 身 舎 は3間
で あ―‑ 42 ‑―
り、 北 側 に の み庇 が つ く。 柱 間寸 法 は桁 行 、 梁 行 と も10尺 。 身 舎 部 の柱 掘 形 は一 辺
15〜 2.Omも
あ り、 い ず れ も底 に板 材 を 十 字 形 も し く は一 文 字 に据 え た 礎 板を有 す る。 これ以 外 で は、 この期 に属 す る建 物 は未 発 見 で あ る。
SD5240は門 を迂 回 して「 コ」 字 形 に つ け替 え 、 そ こに は簡 単 な橋 を 架 け る。
SD5021は石 組 の護 岸 部 よ り北 側 で 、 幅 を 広 く作 り替 え る。 た だ し、 護 岸 部 と幅 の広 くな っ たSD 5021と の連 接 部 分 は調 査 区 外 に あ る た め 状 況 が 不 明。SD 5150 は変 わ らな い。
E期
三 た び敷 地 内 を大 き く改変 し、 築 地 塀 の軒 瓦 も葺 き替 え る。 前 期 の建 物 は撤 去 し、 敷 地 内 を 新 た に 区 画 す る。 門 SB 5320お よ び 雨 落 溝SD 5355・ 5244は変 わ ら な い。 また、SD5240・ 5021・ 4699も 前 期 の ま まで あ る。
南 北 塀SA5345は五 坪 の南 北 中 軸 か ら東20尺の 位 置 に あ り、 門 の北50尺の 位 置 で 東 西 塀SA5340に接 続 す る。 い ず れ も柱 間 寸 法 は10尺 。 門 を入 ってSA5340に つ きあ た る と ころ に入 回が あ る とみ て よか ろ う。
F期
五 坪 内 を 四 た び大 き く改 変 す る。 敷 地 内 で は、 東 西 に延 び る単 廊SC5290が坪 を 南 北 に 三 分 し、 小 型 の 建 物SB 5380、 SB 5375がそ の 南 に 配 置 さ れ る。 SD 53 35・ 5244は 変 わ らな い。SC5290の 柱 間 寸 法 は桁 行 が
9尺
、 梁 行 が8尺
で、 残 存 す る柱 掘 形 は浅 い。SB5380は桁 行2間
以 上 、 梁 行3間
の東 西 棟 建 物 の西 半 部 で、柱 間 寸 法 は桁 行 、 梁 行 と も
6尺
。SB5375は 南 面 築 地 の北70尺の位 置 に あ り、 桁 行6間
、 梁 行2間
の南北 棟建 物。 柱 間寸 法 は梁 行 が7尺
で あ るが、 桁 行 につ い ては総 長40尺を
6間
に等 分 して お り、1間
は約6尺 7寸
とな る。条 坊 関 連 遺 構 で は、
E期
の終 わ りか、 この期 の始 め 頃 、SD5240・ 5150を 東 ヘ の ば し、 東 二 坊 坊 間路 東 側溝 に接 続 す る と もに、SD4699を 埋 め立 て る。 そ して、SD5240に は、 SD 5021と の 合 流 点 の す ぐ東 に 橋 が 架 け られ る。SD 502と は 変 わ らな い。
G期
―‑ 43 ‑―
敷 地 内 で最 後 の大 きな改 変 が行 わ れ る。 北 側 溝SD5240は 門 の前 面 の張 り出 し が弱 くな り、 緩 やか に屈 曲 しなが ら流 れ る。 SD5335・ 5244・ 5021は 変 わ らない。
敷地 内で は単 廊 を撤去 して 区画 を変 え る。 坪 の中央 部 と東 辺部 にや や大 型 の建 物 SB5386・ 5260を配 置 し、 周 辺 に小 型 の建 物 数 棟 を配 置 す る。 礎 石 建 の門 は撤 去 され、 一 間 門 とな る。 ま た、 門 の北 50尺 の位 置 に大 型 の井 戸SE5355があ る。
五 坪 の中心 建物 とな るSB5386・ 5385は、 十 字 形 に組 ん だ礎 板 を柱 根 元 に据 え た 強 固 な造 りの建 物 で あ る。 SB5386・ 5385の
4基
の柱 穴 が いず れ も礎 板 を据 え、柱筋 が揃 うことか ら、 これ らが
1棟
の建物 を構成 す る との見方 もあ るが、 その よ うな構造 の建 物 は考 え難 いた め、 こ こで は2棟
の建 物 に分 けて お く。 SB5386は 東妻柱 が調 査 区 内 にかか って お り、 桁行 は不 明 で あ るが、 梁行 が2間
で柱 間寸 法は
9尺
で あ る。 隅 柱 穴 に礎 板 が あ る。SB5385は SB5386の 18尺 南 に あ り、 東 西 棟建物 の東 半部 と思 われ るが、東妻1間分 が調 査 区 内 にか か って い るのみで全 体 の規模 や構 造 は不 明。 梁行 の柱 間寸 法 は9尺
。SB5260は桁 行8間
、 梁 行3間
以 上 の南北棟建物 で、 西 に庇 がつ く。柱 間寸 法 は桁 行 が7尺
、 身舎 の梁行 が9尺
、 庇 の出 が8尺
で あ る。 SB5255は 桁行1間
以 上 、 梁行1間
の東 西 棟 建 物 で、 柱 間 寸 法 は桁 行 が10尺 、 梁 行 が9尺
で あ る。 あ るい は1間
×1間
の建 物 か。 SB5860は井戸 の東 にあ る南北棟建物 で、西側柱列 のみ検 出。 桁 行 は
5間
で、 柱 間寸 法 は 6.5尺 。SB5410は桁 行2間
以 上、 梁行3間
の南 北 棟 建 物 で、 東 に庇 が つ く。 柱 間 寸 法 は桁 行 が6.5尺 、 梁 行 が5尺
。SB5365は桁 行 、 梁 行 と も2間
の南北 棟 建 物 で、 柱 間 寸 法 は桁 行 が9尺
、 梁 行 が6.5尺で あ る。SB 5410と SB5365は東 側 柱 筋 を そ ろえ る。 井 戸SE5355の 井 戸 枠 は2段
に分 か れ、 上 段 が横 板 組 み隅柱 の 方 形 枠(1辺
1.3m)、 下 段 が縦板 組 み 円筒 形 の枠 (直 径1.5m)で
あ る。 方 形 の枠 は下1段
が残 り、 高 さ約0.6m、 縦 板 は総 数37枚 あ り、 長 さ は1.7m前
後 で あ る。井戸枠 内か ら平城宮V期
の土器 が出土。以上 の名 時期 の年代 は、 A・
B期
が奈良時代初 頭、C期
が奈良 時代 前半 か ら中 頃、D期
が奈良 時代 中頃、 E・F期
が奈良 時代後半、G期
が奈良 時代末 と推定 し て い る。(高
瀬 要 ―・ 小 池伸 彦)―‑ 44 ‑―
4
遺物
二 条大路東西大溝、二 条大路北側溝、東二坊坊 間路西側溝、 柱抜 取 り穴、 井 戸、
土 坑 、 包 含 層 な どか ら多 量 の瓦 、 土 器 、 木 製 品、 木 簡 、 種 子 類 な どが 出上 し、 そ の ほか少 量 なが ら金 属 製 品、 鋳 造 関連 遺 物、 な ど も出上 した。 と くに二 条 大 路 東 西 大 溝SD5300か らは瓦 や土 器 に混 じ って木 製 品、 木 簡 が 多 量 に見 つ か った。 こ れ らは、 比 較 的短 時 間 の 内 に一 括 して捨 て た もの で あ る。 木 製 品 に は最 古 の絵 馬 や楼 閣 山水 図 な ど注 目す べ き もの が少 な くな い。 ま た、 木 簡 で は、 後 述 す る よ う に藤 原 麻 呂 に関 わ る可 能 性 の強 い木 簡 群 な どが 見 つ か り、 五 坪 の性 格 を知 る上 で 重 要 な手 が か りを得 た。
瓦 埠類
出 土 した軒 瓦 は軒 丸 瓦 199点 、 軒 平 瓦 162点 で あ り、 軒 瓦 の他 に多 量 の 丸 。平 瓦 お よ び 刻 印 瓦 (204次 出 土
)が 2点
あ る。 ま た、 SD 5100と SD 5300出土 瓦 の うち、 両 者 で接 合 す る例 が あ る。 調 査 区 ご との 出土 量 は、 表 6に示 した とお りで あ る。 また、 主 要 な軒 瓦 を図30・ 31に掲 げ て お く。今 回 は、 調 査 地 内 に築 地 を含 む とは いえ、 調 査 面 積 に比 較 して 出土 量 が 多 い と いえ る。 全体 的 な出土傾 向をみ ると、平城宮 出土軒瓦編年第 I期の もの が少 な く、
第 Ⅱ期 以 降 に急 増 す る。 今 回、 新 た に設 定 した型 式 と して6138型式
L種
(以下 、「 型 式 」 。「 種 」 を 省 略)、 6444A、 6641P、 6682F、 6700A、
6754Aが
あ り、他 に新 型 式 の軒 平 瓦
1点
(図31‑21)が
あ る。 ま た、SD 5100木屑 層 出 上 の6225Aは
、 この型 式 の瓦 の製 作 開始 の年 代 を考 え る上 で重 要 な資 料 で あ る。土
器
SD5100・ 5300・ 5310か ら出 土 した 土 器 は完 形 品 が 多 く、 平 城 宮 Ⅱ期 と Ⅲ期 の もので あ る。 注 目す べ き土器 と して、 「 兵 部 卿 宅」 と墨書 した土 師 器 皿 (底1部片)
が あ る。 これ はSD5300木屑 層 か ら木 簡 と と もに 出 土 した もの で 、 五 坪 南 面 の 門 よ りの位 置 に捨 て られ た もので あ る。 後 述 す る木 簡 群 の分 布 で は北
A区
に あ た る。本 製 品
木 製 品 は、 工 具 、 紡 織 具、 服 飾 具、 容 器 、 籠 編 物 、 食 事 具 、 文 房 具 、 遊 戯 具 、
―‑ 45 ‑―
10‑A)
(6138‑L)
8(6681‑B)
出土軒瓦
I(1:4)
一‑ 46 ‑一
縄
轍
10(6700‑A)
麟
11(6235‑B)
12(6282‑ea)
(6316‑G)
16(6710‑C)
17(6721‑Ga)
20(6802‑B)
図31 出土軒瓦 Ⅱ
(1:4)
一‑ 47 ‑―
次数別軒 瓦集計表
軒 丸 瓦 軒 平 瓦
扁有 梨 198B 204 98C 2004甫 計 梨 198B 204 198C 200ネ甫 計 I
期
藤 原 宮 式
6272 6278 6284 6304
3
1 1
3
1 1
3 2
1
3
1
I 期
6561
藤原宮式
6664C 6667
3 1
1
2
1
3 1 2
Ⅱ
期
6010 6135 6138B 6285 6291 6301 6307 6308 6311 6313 6314
1
2
1 1
1
6 4 11
1
2 1
2 2 2
1 1 1
2 15 15 13 1
Ⅱ
期
6663A
6664D・ F 6681 6682 6685 6688 6689
3 3 5 3 10
ユ ユ
1 7 6 7 9 16
1 1
Ⅲ 期
6131 6225 6226 6282
6316E・G
1 6
1
16 12
1
Ⅲ 期
6663 6691 6710 6711 6721
2 7
1
5 2 4
1
2 6 7
1
18
Ⅳ
期
6133 6134
6138H・L 6144 6151 6227 6229 6235
6316C・Der
1 1
1
2
4 2 12
2
1
3
1
1 1
3 2 3
1
2
1
5 18 16
Ⅳ
期
6663F・
6702 6732 6760 6763 6802
」
A
B B
4
2
1
3 13
2 13 1
4
1 18
2 15
1
5 3
V 期
6316 6320 6444
1
4
1 1
V 期
6663 6700 6737A 6754A
1 2
5 3 1 1
5 4 3 1
不 リ 不 明 7 1 不 明 7
計 計
―‑ 48 ‑―
祭祀具、 雑 具、 棒 状 品 な ど種類 が豊 富 で あ るが、 ほ とん どが二 条大 路 東 西大 溝S D5100・ 5800・ 5310か ら出土 した もので、 他 の遺構 か らの 出土量 は少 な い。 な お 表 7に 、 これ まで の百貨 店建設 に関連 す る調 査 で 出土 した木 製 品 の点数 を、 お も な遺構 ごとに示 した。既 に述べた よ うに、二条 大路東西大 溝 の木屑層 は多量 の木 簡 を含 んで いた ため、 土層 ごと採取 して持 ち帰 り、 現在 そ の水 洗 作業 を継続 中 で あ る。 そ のため、 SD5300・ 5310に つ い て は木 製 品 が まだ十 分 な点数 に達 して い な いため表 か ら省 いた。 SD5100に つ いて も水 洗 が完 了 して お らず、 な お不 十 分 で はあ るが、 この表 か ら二条大路東西大溝 の木 製 品 につ いて、 お よその傾 向 はつ か め る もの と思 う。
二条大路東西大溝 で は、全体 と して木製 品 の保存 が比較 的 よ く、 その出土 状況 は これ らが一括 して廃棄 され短期間 に埋没 した ことを物語 ってい る。 今回見つか っ た木製 品 をみ ると、絵馬、楼 閣山水図板絵 習書 、人 物 な どを絵巻物風 に墨画 した 板、特殊 な漆器、 陰刻 のあ る曲物、 今1り ぬ き箱 な ど注 目すべ き製 品が数多 くあ り、
墨画 した ものがかな りの数 出土 した点 に特徴 が あ る。 この ほか に、 へ ら、刷 毛、
糸巻、 紡 輪、 横櫛、 留針、檜扇、 曲物、 大 小 の 円形 の蓋 板、 挽 物、 匙 形 木 器 、 杓 子形木器、算木、 琴柱 (墨画 のあ る もの を含 む)、 人形、鳥形 、斎 串 な どが あ る。
また、 台形 に近 い半 円形 を呈す る用途不 明 の板 が一 括 して 出土 した。
棒 状 品 や半 円形 板 以 外 の木 製 品 の構 成 比 率 に付 いて み る と、SD5100で は曲物 容 器 と蓋板 の割 合 が最 も高 く、匙形・ 杓子形 木 器 が それ に次 ぐ。 祭 祀 具 の割 合 は や や低 く、 中で も斎 串の割合 が極端 に低 い。 この よ うな構 成比率 は、長 屋王 家木 簡 溝 のそれ によ く似 て い ると、今 の と ころ言 え る。
そ の他 の遺構 で は、 東二坊坊 間路 西 側 溝SD4699か ら漆 沙 冠 が 出土 した。 これ は従来 の出土例 に比 べて残 りがよ く、貴重 な資料 といえ る。
絵 馬 SD 5300の木 屑 層 か ら出土 した もの (写真 6)。 五 坪 の門寄 りの位 置 で 出 土 して お り、 天 平
8〜
10年銘 の木 簡 を伴 出。 横 27.2cm、 縦 19.6cm、 厚 さ0.6〜0.9cmの
ヒノキの柾 目板 に墨 で描 く。 板 材 の表面 は横 に荒 く削 って仕上 げ、 裏 面 は割 れ面 を残 したままであ る。現状 で は、 掛紐 を通 す孔 は認 め られ ない。 馬 は右―‑ 49 ‑一
表
7
遺構別木器集 計表木 器
名 SD5100 SD4750 SD4699 SK4770 井 戸 1321 土 坑 17)
へ 刷 木
・り 毛 釘 楔
刀 子
手 斧 柄
3 3
3 3
9 3
1 6
6 2 1
4
1 1
1
1
3
2 4
2
1
3
1 8
工 具 7 6 ユ 8
糸 紡
巻
輪 2
2 2 2
2 4
1 3
5 3
4 3
1 1 ユ
紡
織
具 6 7 1 4 1 ユ
曲 挽
物 物 蓋
20
2
18 21
2
19 23
4
22 15
3
15 24
4
11 20
3 9
35
3 2
24
2
1
42 25
容 器
杓 子 ・ 匙 7 5 1 8
琴 柱 こ ま
サ イ コ ロ
1 ユ 3 ユ
ユ ユ
1 1 1
1
遊 戯
具 1 1 3 3 1
留
針 檜
扇 漆 沙 冠
横 櫛
木 履
2 3
1
2 2 3
1
2 8
2 2
ユ
1
3
3 3
3 1
2
1
16
1 1
11 1
服 飾 具 6 1 1 8
人
形 斎
串 刀・ 刀子形 陽 物
形
鳥 形
馬 形
牛 形
車 輪 形
鏃 形
舟 形
3 3 3
1
2
ユ ユ
1
3 3 3
1
2
1 1
1
7 2 5
1
1
l
5
1
3
ユ ユ
1
20 13
1
1
ユ
17 11
1
1
1
2 3 1 1
8 12 4 4
2
68
1
46 1
祭
祀 具 7 1
割 りぬき箱 2 2 ユ 1
漆 器 3 1 1
計 95点1 99身 150点1100亥 118点101核 25点 100塚 47点 01身 12点 99姥
※1990年3月 末現在 の集計
S K4770:「
長屋皇宮」木簡出土土坑※S D5100:二条大路東西大溝 (南
)
井戸・ 土坑 :左 京三条二坊―・ 三・ 七・ 八坪内の奈良時代 S D4750:「長屋王家木簡」溝に属す る井戸32基、及び土坑 7基 を一括 した。
S D4699:東二坊坊間路西側溝
※数字の左が点数、右が割合 (%)
―‑ 50 ‑―
向 きで、 巧 み な筆使 い によ り、 筋 肉 の動 きや表 情 な ど リアル に表 現 して お り、 重 と尾 の毛 は織細 な平行線 で1本、
1本
丁 寧 に描 き分 けて い る。 馬 具 は鞍、 障 浜、轡、面 繋、 手綱、 胸 繋、尻繋、 壼鐙 な どが表 現 されて い る。 馬 の体 部 に は赤 色 の ベ ンガ ラを塗 り、 障泥 には白色土 を施 す。 障泥 に は、 装飾痕 跡 が15カ 所 見 られ、
そ の部 分 は材 が炭化 黒変 して い る。 伴 出木 簡 か ら737年前 後 の絵馬 とみ られ、 年 輪年代測定 で は728年を遡 らない とい う結果 を得 て いる。本例 は これ までで最古、
かつ奈良時代 の もので最大 の絵馬 で あ るとと もに、 技巧 的 に も優 れてお り、 考古 資料 お よび絵 画資料 と して貴重 な もので あ る。
楼 閣 山水 図板絵習書
廃 品 とな った折敷 の底 板 の内外面 を習書 、 墨 画 に使 用 した もので、 その後 さ らに縦 に割 れてお り、 もとの製 品 の約1/3が残 る (写真7・ 8)。
長 さ61.3cm、 現存 幅10.8cm、 厚 さ0.8cm前後。 SD5300の 五 坪 の門寄 りの位 置 で、
木 屑層 か ら出土。 楼 閣 山水 図 は、 滝 の流 れ落 ち る山 を背 に
7棟
の建物 と4棟
の塀 お よび池 を描 く。 建物 の配置 は楼閣 を中心 に して その両脇 に2棟
、 右 奥 に1棟
、 左手前 に1棟
あ り、後方 には山を取 り囲 む築地 塀 が め ぐり、 建物群 と山全体 を囲 む築地塀 が前方 にあ る。築地塀 にはそれぞれ門 が開 き、 中心 楼 閣 と前方 の門 の間 に池 が配 置 され る。池 には樹木 の植 え られ た中 島が あ る。 建物 には組物 が表 現 さ れ、微細 な部分 まで写実的 に表現 した ところが あ る。手前 の築地塀 は、 壁面 を花 文 で飾 った彫緒 で あ る。 習書 は この楼 閣 山水 図 の下 部 にあ り、 上下 両 方 向か らと 底 板 の中心 か ら外 に向か って書 かれ、 一 部 は字 が判 読 不能 な ほ ど密 に習書 して い る。 習書 に は、「 阿刀酒主」「 河 内国」 「千字 文」「天地 玄黄宇 宙洪 荒
日月
□ □」 な どが あ る。 一方、 底板 の内側 に は、
2名
の人物 の全身像、人 の顔、 器 物 な どの墨画 と習書 が あ る。人物像 は、笏 を手 に し冠 帽 を被 った役人風 の男性 と、その下 に両腕 を胸 の前 に上 げ、足 を前後 に開 く童女 らしき人物 の後姿が描 かれ る。
この ほか に、冠 帽を着 けた人 の頭部 と髯 を結 った人 の頭部 (破損 の た め表 情 は不 明
)が
あ る。習書 には、「勅符比来間取 出家人等者」「主稲」「露結」などがあ る。楼 閣 山水 図 は、 伴 出 した木簡 か ら天平
8〜
10年頃 もので あ り、 この種 の絵 画 と して は最古 の もので あ る。 この図 は、正 倉院文書 や東大寺献 物 帳 に記載 のあ る中‑51‑
国伝来 の山水 画 な どを写 した もの と推 定 され る。 年 代 が確 実 にわ か り、 その絵 画 資料、 建造 物 関連 資料 と して の価値 は極 めて高 い。
金属製 品 。土製 品・ 石製 品
金属製品、鍛 冶 関係 の土製 品や鉱滓 な どが出上 したが、 今 回 は調 査範 囲が限 ら れて い ること もあ り、 その量 は少 ない。金属製品 は鉄製 品が12点、 銅 製 品 が
5点
、 銅銭 が17点あ る。鉄製品 には刀子、手斧、釘、 楔 な どが あ る。銅 製 品で は、 瑞雲 双鸞八 花鏡 が 出土 して お り、 五坪 で は整地上 か ら鋳 竿 が 出上 した。上 製 品 は、輔 の羽 口や靖鍋 の破片 (土 師器 の甕 を転 用 した靖鍋 1点を含 む
)が
二条大路東西大溝 や五坪 の整地土 か ら鉱津 とと もに出上 した。 これ らは鋳竿 と と もに、五坪 にお いて銅製 品 の鋳造 が行 われて いた ことを示 してい る。 石製 品 は、
砥石 が ほ とん どで あ る。
瑞 雲 双 鸞八 花 鏡
二 条大路北側溝SD5240上層 か ら
1点
が 出土 した (写真5)。いわゆ る唐式鏡。 完形 品で保存 はよ く、 くすん だ赤銅 色 を呈 す る。 錘 は、鉦孔 が 左右方 向 にあ く。 文様 の表 出 はややあま く、右 の鸞 の左 足 の蹴爪 が消失 し羽毛 や 顔 が不 鮮 明 で あ り、 下方 の蔓草 の左端 が欠失 して い る。 また、 花 文 と雲 文 の一 部 も不鮮明である。面径11.5cm、 高 さ0。75cm、 外縁 の厚 さ0.45cm、 界 圏 の径7.4cm、
重 さ221g。 瑞 雲双鸞八 花鏡 は、 これ まで に全 国 で15例が知 られ て お り (杉 山 洋 「唐 式鏡 の生 産 と流通」1989)、 奈 良県 内 で も明 日香 村 坂 田寺 跡 か ら
1面
、 五 条市霊 安寺 跡 か ら2面
が 出上 して いるが、平 城 京 内か らは本例 が初 出で あ る。(小池伸 彦)
木
簡
木 簡 が 出 土 した遺 構 と点 数 は表 8の通 りで あ る (200次 調 査 は1988年 度 の調 査 で あ るが、 同 じ遺 構 の遺 物 で あ るの で参 考 の た め に掲 げ た。 な お、202‑13次 調 査 に お け るSD 5021出 土 木 簡 に つ い て は、 同 調 査 の 項 を 参 照 さ れ た い)。 こ こで は この うち の
3〜
5につ いて述 べ る。―‑ 52 ‑一
表
8
遺構別木簡集計表 (点 数 は概数)遺 構 名 発掘次数 点
数
1 S D 4699(東二坊坊間路西側溝 の二条大路以南)
198C
10点 2, S D 5021(東 二坊坊間路西側溝 の二条大路 よ り北)198B
20メ煮3, S D 5100(二条大路南路肩 の東西溝
=東
西大溝南) 200200補
850ょ魚
40点 4, S D 5300(二条大路北路肩 の東西溝
=東
西大溝北)198B
204
240芥魚
300点
5, S D 5310(二条 大路北路肩 の東西溝
=東
西大溝北) 204 10点6, S D 5240(二条大路北側溝)
198B
5点二 条 大 路 木 簡
東 西 大 溝 南
SD 5100(193次
B・ 197次・ 200次 ・ 200次 補)、東 西 大 溝 北SD 5300(198次
B・
204次)・
5310(204次 )、 こ れ ら3つ
の 遺 構 か ら出上 した木簡 は、 いずれ も天平8年
前後 の年 紀 を もつ もの を主 と し、 内容 的 に も強 い違 関がみ られ るので、 合 わせて「二条大路木簡」 と仮称 して い る。 これ まで に確認済 みの もの は約2200点 で あ るが、 日下継続 中 の水 洗 い 。選 別 の進行 に 伴 い、 今後相 当数 の増加 が見込 まれ る。SD5100出土 木簡
1は
行 幸 の荷 物 の運 搬 人 の手 配 依 頼 で、 続 日本 紀 に み え る天 平8年
6月27日 か らの聖武天皇 の吉野行幸 の際 の もの。2は
そ の行 幸 終 了後、 未 使 用 の貫費 に付 け られ た付札 で、 使 用 した もの に付 け られ た 3と 対 にな る もので あ ろ う。 4は東大寺 の前 身 の金鐘 山房 か らの解 で、 皇 后 宮 職 との関 わ りを考 え さ せ る。5は京職 か らの愧 花 の進 上 状 で、 条単位 の進上 が注 目 され る。6は
意保 御 田か らの瓜 の進上状、7は供 奉 の人 数 を書 き上 げた木 簡 で あ る。8は
出典 不 明 の 七言絶 句 を記 す もので、官人 の習作 か も知 れ ない。―‑ 53 ‑―
SD 5300・ 5310出土 木簡
9は
鷹 の餌 とな る鼠 等 の進 上 状 で、 右 京 職 の もの も確 認 されて い る。10は その鷹 を飼 って いた機 構 の担 当者名 を列記 した もの。 11は 下 級官 人 に対 す る銭 の出挙 の帳簿 で あ ろ う。12は中宮 職 が兵 部省 卿 宅 政 所 に対 して 19人の舎 人 の考 文銭 等 の支 払 い を請 求 す る木 簡 で、SD 5100・ 5300・ 5310か ら出 土 した木簡 の中で唯― 明確 な宛先 を もつ。 当時 の兵 部卿 は藤原不比 等 の第 四子、麻 呂で あ る。13は その家政機 関内 の宿 直者 を書 き上 げた もの。14はそ の構 成 員 に 対 す る食料支給 に関 わ る木簡。20は岡本 宅 か らそ の家 政機 関宛 て の進上 状 、15は 同 じく酒 を請求 す る木簡 で、 これ を見 なが ら習書 した と思 われ る墨 書 土 器 が ほぼ 同 じ地 区 か ら出土 して い る。SD5300西 端 か らは、13・ 14・ 20と 同 じタイ プ の木 簡、 及 び16の よ うな近 江 国坂 田郡 上 坂(田 )郷 の庸 米 の荷札 が ま とま って 出土 し
て い る。17は国郡 か ら個人 (右大 臣藤 原 武 智 麻 呂か
)に
宛 て た類 例 の少 な い荷 札 の一 つであ る。18は身分 の異動 を坊令 に連 絡 せ よ、 とい う内容 の木 簡。19は門 の 警 備 に関 わ る もので、他 に一 門・ 三 門・ 南 門・ 北 門 な どが み え る。「 二 条大路 木簡」 の特徴
第一 に、 坪 の敷地 内で はな く、 二条 大 路 上 とい うか つ て例 をみない遺構 か ら出土 した とい う点、 第二 に「 長屋王家木簡」 に勝 る と も劣 らな い質・ 量 の豊 か さ、第二 に、木簡 の内容 によ って、 出土場所 にか な り顕 者 な 偏 りが み られ る こと、 以上三点 が挙 げ られ る。 確 か に、 遺構 の状 況 や遺 物 の 内容 に は共通す る点 が多 く、3つの溝 はほぼ同 じ埋 没状況 を示 す。 しか し、 木 簡 につ いて いえば、 これ らの溝 か らは同 じタイプの木 簡 が多数 出土 して い る もの の、 内 容 ごとに整理 してみ ると、 そ の出土地 点 に はか な り顕著 な偏 りが認 め られ る。
主要 な タ イ プ の木 簡 の 出土 分布
便 宜 的 にSD5100・ 5300・ 5310を 図32の よ うに 区 分 して説 明 す る。 南
A区
(SD 5100西 端 25m)、 南B区
(同 中 央 部 西 よ り25 m)、 南C区
(同 中 央 部 中 央 25m)、 南D区
(同 中 央 部 東 よ り20m)、 南E区
(同 東 端 25m)。 北
A区
(SD 5300西 端5m)、
北B区
(同 中 央 部)、 北C区
(同 東 端 25m)、 北A′ 区 (SD 5310の 既 掘 部 分 6m)。 な お、 SD 5100出 土 木 簡 の出土地点 の詳細等 につ いて は『平城宮発 掘調査 出土木簡概報』22を参 照 され た い。
一‑ 54 ‑―
S D 5310
(未発 掘 区)
ir□
S D 5300
北A区
1
北B区1
北C区南A区 南B区 南C区 南D区 南E区
S D 5100
図32 木簡 出土遺構区分模式図
① 続 日本 紀 に記 事 の あ る天 平
8年 6〜
7月 の聖 武天皇 の吉 野 行幸 に関 わ る木 簡(1〜 3)が
北A区
、及 び これ に向 か い合 う南C区
に集 中す る。北B区
に も若 干 み られ る。②京職 に関わ る木簡 (5・ 9。 18、 88年度概報
16)は
南 A・C区
、 北C区
に多 い。③意保御 田の進上状
(6)は
南A区
に集 中す る。④供奉 の木簡
(7)は
南A区
に多 く、 南B区
に も若干 み られ る。⑤宿 直木簡 (13)と食料支給 木 簡
(14)は
北A区
に集 中 し、 南C区
に も多 いが、北
B区
や南E区
に も分布 す る。⑥ 荷 札 木 簡 はSD5100・ 5300・ 5310の ほぼ全 域 にみ られ るが、 特 に顕 著 な参 河・
駿河・ 伊豆・ 安房・ 若狭・ 隠 岐 の荷 札 (88年度 概 報13〜
15)は
南A区
か ら集 中的 に出土 した。 ついで南E区
に多 く、 これ と向かい合 う北C区
に もかな りみ られ る。但 し、 近江 国 の庸米 の荷札
(16)だ
け は北A区
に集 中す る。17も北A区
か ら出土、
した。
⑦ 門 の警 備 に関 わ る木簡 (19、 88年度 概 報
17)は
北 B・C区
、 南E区
に多 い。・
③ 岡本宅 の進上状 (20)は、北A′ 区 の他、 北
A区
に集 中す るが、 南E区
に も分 布 して い る。15も北A区
か ら出土 した。2つの木簡群
以上 の出土傾 向か らみて、「二条大路木簡」 は2つ に大 別 で きそ うで あ る。
第一 は、 北
A区
とそれ に向か い合 う南C区
か ら出土 した もの、 具体 的 に は、 近―‑ 55 ‑一
江国坂 田郡 上 坂(田)郷の庸米 の荷 札 、 岡本 宅 か らの進 上 状、 京職 関係 の木 簡 の うち愧 花 の進上状、 吉野行幸 関係 の木 簡、 宿 直木 簡 や食 料 支給木 簡 な どが これ に あた る。 これ らは左京二条二坊五坪南面 中央 の門 と密接 に関連 す る出土 の しか た を してお り、 この門 の内側す なわ ち五坪 内で使 用 された木簡 で あ る可 能性 が強 い。
第二 は、南
A区
に集 中す る木簡 であ る。 ここに顕著 なのは、伊豆・ 駿河・ 安房・若狭・ 隠 岐 の荷札、 お よび宮 内で は天 皇 と密接 に関 わ る地 域 のみか ら出土 して き た参河国播豆郡 の贄 の荷札、意保御 田の進上状、 京職 関係 の木簡 の うち鼠等 の進 上 状、供奉木簡 な どであ る。 同 じ地 区 には大命 と記 す ものや大膳職 の もの と考 え られ る木簡、東大寺 の前身 の金鐘 山房 か らの解 な ど も含 まれ、聖武天皇 や光 明皇 后 との関 わ りの深 い木簡群 といえ よ う。 第二 の木簡群 と同 じ南
A区
、 及 び南E区
、 北B区
、 また東二坊坊 間路西側溝 か らは、 中衛 府・ 左 右 兵 衛府 に関 わ る墨 書 土 器 がみつ か って お り、 門 の警備 に関 わ る木簡 も第 二 の木簡群 の一部 で あ る可 能性 が 強 い。 これ らは長屋 王邸 に駐 屯 した軍 隊 に関 わ る もの と考 え られ るので、 第 二 の 木簡 群 は、SD5100の南 にあた る長 屋 王邸 跡 地 の左 京 三 条 二 坊 八 坪 か ら投 棄 さ れ た可能性 が あ り、 長屋王没後 の跡地利用 を考 え る材 料 とな ると思 われ る。 ただ、性格解 明 の決 め手 とな るよ うな木簡 は、 これ まで の と ころみつか って いな い。
藤原 麻 呂 に関わ る木簡群
この うち第一 の木 簡群 は、 北
A区
か ら木簡12や「 兵 部 卿宅」 と書 かれ た墨書土器 が 出土 して い る ことか ら考 え て、 当時 の兵 部 卿 藤 原 麻 呂の家 政機 関 に関 わ る もので あ る可能 性 が強 い。 宿 直木 簡 や食料 支 給木 簡 にみ え る人 名 をた ど って い くと、 中宮職 か ら兵 部 卿 宅 に出向中の19人を含 めて100人 に も及 ぶ兵部卿宅 の家政機 関 の構成員 が復原 で き、 家令・ 書吏・ 資人・ 奴・ 婢 な ど の職員 の他、 政所・ 膳所・ 鷹所・ 酒 司 な どの機 構、 大殿・ 器殿・ 東器殿・ 西瓦 蓋 殿(坊)・ 北 檜 蓋 殿・ 南細 殿・ 西 坊・ 御 厩・ 東 門・ 西 門 な どの建 物 の存 在 も確 認 で きる。 さ らに第一 の木簡群 は、前述 の よ うに左京二条二坊五坪 か ら投棄 され た 可 能性 が強 いので、 東 院南方遺跡 の一 角 に、 天 平 初 年 、 兵 部 卿 藤原 麻 呂の邸 宅 の 存在 を想 定 で きよ う。 分析 が さ らに進 め ば、 兵 部 卿 宅 の家政 機 関 の実 態 が さ らに 明 らか にな る ことが期待 され る。―‑ 56 ‑―
「 二 条大 路木簡」 の問題点
こ こで問題 とな るの は、 第一 の木 簡群 と第二 の木 簡 群 の関係 で あ る。 全 く性格 の異 な る2つ の場所 か らもた らされ た ものな のか、 そ れ と も一括 され る木簡群 の中 の傾 向 の違 いに過 ぎな いのか。 南
A区
、 及 び北A・南
C区
の よ うに顕著 な偏 りを示 す地 区が あ る一 方、 北 B・C区
や南E区
の よ うに 双方 の木 簡 が混在 す る地 区 もあ るので、 にわか に は判 断 で きな い。 「 二 条 大 路 木 簡」 の性格付 け は、 第二 の木 簡群 の分 析 にかか って い る といえ よ うが、 今 後 公 道 で あ る二条大路上 に掘 られた遺構 の性格 とい う未解決 の問題 も含 め、「 二 条 大 路 木 簡」 の全 貌 が明 らか にな った時点 で、 文 字資 料 だ けで な く木 器・ 土 器・ 瓦 な ど 他 の遺物 の詳細 な検討 とともに総 合 的 に結 論 付 け るべ き課 題 とな ろ う。(渡 辺 晃 宏)
SD5100出 土木簡※
1・ 内膳司解
申請荷持丁事 二炎博本写 合汁荷
・
右為今月甘六 日御幸行供奉料件荷持右如
2・ 芳野幸行貫貨 不用
・
天平八年七月十五 日 3・ 芳野幸行用貫賓
・
天平八年七月十五 日
4・ 山房解
申返抄米二斗菜一櫃
返上
稽三恩
・ 丁壬生部 己麻付
笑幹を無蟹 月廿 一 日僧延福
5・ 左京五條進椀花一斗八升
辮 蜃戻易銭十五文
ヨ 呂聟
・
天平八年六 月十 四 日坊令大初位下 刑部舎人造 国麻 呂
290・ 43・ 6 011
135・ 24・ 3 032
141・ 23・ 3 032
275・ 27・ 2 011
(F― 」 は合点。以下同 じ)
―‑ 57 ‑―
(262) ・ 31・ 3 011
6・ 従意保御 田進上瓜一荷 納瓜員九十五果
.持越仕丁 天平八年七月甘五 日国足
224・
30・8 011
7・ 供奉汁六人
目戻全人
播奪合人
丁十人
・
九月五 日
258・
32・6 011
〔山ヵ〕
8・ 山東□南落葉錦 巌上巌下 白雲深 独対他郷菊花酒 破涙漸慰失侶心
●
□
明明 白白
□ 白諸諸
124・ 73・ 7 011
□ □
※200次補足調査 出土 は3・5のみ。1・ 2・ 4・
7(200次
)、6(197次
)、8(193次
B)は
1988年度 の調査 に関わ るが、一連 の遺構 の遺物 であ るので、 ここで報 告 し てお く。SD5300出 土木簡 9。 (孔
)左
京職 進軽三塁
霞査旱異頭
。(孔
)
天平八年 四月十 四 日従六位上行少進勲十二等百済 王「全福」
199・ 3504 011
10・
鷹 所更天電賀麻呂 電 嶺 露 麻呂
・
雲 国足 井五人
202・
32・4 032
古斐汁七文
■・ 出挙銭数
美濃麻 呂七文
船五文
若佐五文
・ 沙美五文
天平五年二月九 日
魚麻 呂四文
合六十二文
145・ 4804 011
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