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西隆寺 旧境 内の調査 (1) 第 209次

1  

は じめ に

本調 査 は百貨 店 改築 に と もな う事前調 査 で あ る。 調 査 は平 成 元 年10月 2日 に開 始 し、 同年11月 29日 に終了 した。調査面積 は 約1800∬で あ る。

調査 区 は、 奈 良 時代後半 に造営 され た西 隆 寺 旧 境 内 に位 置 す る (図 55)。 西 隆 寺 は右京一条 二坊九・ 十・ 十五 。十六坪 の4 町 を 占め、 調 査地 は十坪 に位 置す る。 西 隆 寺境 内で は、 か つ て、 昭和46年か ら昭和48 年 にか けて奈 良 国立文化財研究所 が発 掘調

査 を行 って い る。 この調査 で は、西隆寺 の遺構 と して、金堂、 塔 、東 門、南面築 地 を検 出 し、 西 隆寺 に先行す る奈良時代前半 の掘立 柱 建物 を検 出 して い る (『西 隆寺調査報 告書』)。 また、 昭和57年に奈良大 学 文化 財 学科 が講堂 推 定地北方 の調 査 を行 い、 東西掘立柱塀 を検 出 してい る。本調査 の調査 区 は金堂 の東側 に位 置 し、

西 隆寺 の東 面 回 廊 推 定 位 置 に あ た り、 調 査 で は推 定 どお り東 面 回廊 を検 出 した (図56)。 また、 西 隆寺 の下層遺構 と して、 奈 良 時代 前半 の掘立 柱建 物11棟、 掘 立柱塀

2条

、 井 戸

2基

を検 出 し、古墳時代 の遺 構 と して斜行 す る溝 を検 出 した。

  

A期  

古 墳 時代 の遺構

発掘 区 を斜 め に横 断す る大溝 S D350を は じめ とす る数条 の斜 行 溝 を検 出 した。

S D 350は 幅

3m、

深 さ

45cmで

(図57)、

S D340は

S D 350に 直 行 して 流 れ 込 む と推定 され る。 これ らの溝 と並行 また は直行 す る細 い溝 はほぼ

20m〜 24mの

間 隔 で、 調査 地 周辺 を区画 して い る。調 査 区西南 で は

2本

の細 い溝 が約40cmの間 隔 をお いて平行 してお り、 田圃 の畦 の可能性 が あ り、 これ ら斜行溝 は水 田 に関 わ る

55 209・ 210次 調査位置図

‑100‑―

SD 360

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ざけ

軽 係

―― X=コ451⊇0

γ=■ 9470

56 209次調査遺構図 (11400)

‑101‑

灌概 施 設 と推 定 され る。 平 城 京 内 で 畦 は未 確 認 で あ り、 今 後 の 調 査 に注意 を要 す る。

B期  

奈 良 時代 前 半 の遺 構 今 回検 出 した掘 立 柱 建 物 はい

ず れ も小 規 模 で あ る。 桁 行 柱 間数 を

3間

とす る もの が ほ とん どで、 柱 間 寸 法 は

6尺

前 後 で、 柱 穴 も小 さ い。

2基

の 井 戸 の う ち、 西 南 隅 のS E 353は 井 戸 枠 が 抜 き取 られ て い る が 、 発 掘 区 中 央 部 のS E 370は 井 戸 枠 を 残 して い る。 S E 370の井 戸 枠 は東 西90cm、

南 北80cmの長 方 形 で 、 四 隅 に柱 を たて、 横 桟 を通 して、

桟 の外 側 に縦 板 を張 る (図58)。

 

昭和46年の調 査 成 果

に よ って、 西 隆 寺 造 営 前 は坪 境 小 路 が通 り、 十 坪 が1 町 占地 以 下 で あ った こ とが判 明 して い る。 十 坪 の ほ ぼ 中央 の塔 下 層 で は桁 行

7間

、 梁 行2間、 南 庇 付 きの大

規 模 な建 物 を検 出 して い る。 今 回 の調 査 で は坪 内 を分 割 す る よ うな施 設 は検 出 し て お らず、 十 坪 が

1町

占地 で、 今 回 検 出 した建 物 は、 塔 下 層 の建 物 を 中心 と した 敷 地 の雑 舎 群 と考 え られ る。 しか しな が ら、 今 回 の調 査 区 と昭 和46年 に調 査 した 金 堂 の下 層 で は、 井 戸 が近 接 して存 在 して お り、 小 規 模 な敷 地 単 位 で あ った可 能 性 も否 定 で きな い。

C期  

西 隆 寺 の遺 構

西 隆 寺 造 営 時 の整 地 層 で東 面 回廊 を検 出 した。 基 壇 土 は削 平 され て残 存 せ ず、

掘 り込 み地 業 も認 め られ な か った。 回廊 に関 わ る遺 構 は、 礎 石 抜 取 り穴 、 西 雨 落 溝 底 の瓦堆 積 、 暗 渠 で あ る。 な お、 回廊 の東 側 柱 列 よ り東 は、 後 世 に 田 国 にす る

と きに一 段 下 げ て い るた め、 西 隆寺 時 期 の遺 構 はす べ て 削 平 され て い る。

礎 石 抜 取 り穴 は、 南 北 に

3列

にな らび、 回 廊 は複 廊 で あ った。 桁 行 方 向 (南 北 方 向

)に

19間 分 を検 出 し、 桁 行 柱 間寸 法 は10尺 等 間 で あ るが、 南 か ら

8間

目の み

̀ぃ

.1…

58 井戸SE370(1:40)

57 大溝SD350断面図 (1:40)

‑102‑

8尺

と狭 い。 回 廊

全体計 画 の上 か ら この部 分 の み を縮

め た の か、 狭 い部 分 が なん らか の施 設 と して意 味 を もつ か は不 明 で あ る。 梁 行 方 向 の柱 間 寸 法 は

8尺

等 間 で あ る。 礎 石 抜 取 り穴 は

lmか

1.2mの

隅 丸 方 形 も し

くは円形 を呈 し、 断面 は深 さ10cmほ どの レ ンズ状 で 、 抜 取 り穴 の底 が微 か に残 る 状 況 で あ る (図59)。 西 雨 落 溝 は ほ ぼ底 面 ま で 削 平 され て い た が 、 底 面 に雨 落 溝 の化 粧 材 を抜 取 った後 に投 棄 され た と考 え られ る瓦 が、 幅

05〜 lmに

わ た り帯 状 に堆 積 して い た。 堆 積 した瓦 に は完 形 品 が な く、 細 か く割 れ た瓦 が 多 く、 再 利 用 不 可 能 な廃 品 が投 棄 され た と考 え られ る。

暗渠 は底 石 に拳 大 の偏 平 な川 原 石 を並 べ、 側 石 に凝 灰 岩 を立 て、 底 面 は東 へ 向 か って傾 斜 す る。 そ して、 西端 に川原石 の底石 と上 面 を揃 えて、 凝 灰岩 を据 え る。

底 石 の並 び を仔 細 にみ る と、 回 廊 西 側 柱 か ら西 へ

4尺

の位 置 で並 び方 が変 わ って い る。 そ の位 置 よ り東 で は川 原石 が ほぼ

2列

に並 ん で い るの に対 して、 西 で は川 原 石 が ほぼ

3列

に並 ん で い る。 この石 の並 びが変 わ る位 置 が基壇 端 と推 定 され る。

す な わ ち、 西 側 柱 心 か らの基 壇 の 出 が

4尺

で あ る。 そ して、 暗 渠 西 端 が西 雨 落 溝 の西端 と考 え られ、 雨 落 溝西肩 は暗渠 西 端 の凝 灰 岩 上 に凝 灰 岩 の側 石 を立 て た と 推 定 で き る。 回 廊 西 側 柱 心 か ら暗渠 西 端 の凝 灰 岩 の 内側 ま で

7尺

、 基 壇 西 端 か ら 西 雨 落 溝 西 肩 まで

3尺

で あ る。

3尺

幅 の雨 落 溝 も し くは、

3尺

幅 に犬 走 り と雨 落 溝 を想 定 で き る。 暗渠 底 石 の レベ ル は雨 落 溝 抜 取 り跡 の底 面 よ り深 く、 雨 落 溝 と 暗 渠 が交 錯 す る部 分 で は、 暗渠 を雨 落 溝 よ リー 段 深 く し、 暗渠 よ り北 か らの排 水 は、 暗 渠 に よ って強 制 的 に回廊 外 へ流 して い た と推 定 され る。 暗渠 側 石 に凝 灰 岩 を使 用 して い る こ とか ら、 基 壇 化粧 も凝 灰 岩 で あ った と考 え られ る。

  

出上 した軒 瓦 の大 半 は、 平 城 宮 出土 軒 瓦 編 年 Ⅳ 期 に属 す る (図60)。 軒 丸 瓦 で は6235C型式 、 軒 平 瓦 で は6761Aと 6775A型式 の 瓦 の 出 土 量 が 目立 つ。 ま た、 東 面 回廊 付 近 か ら鬼 瓦 片 が 出上 した。 上 器 は、 土 師 器・ 須 恵 器 の他 に緑 釉 片・ 青 磁

59 西隆寺東面回廊SC300断 面図 (1:40)

‑103‑

7(新型式

)    8(新

型式)

]60 209次調査出土の軒瓦

(1:4)

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‑104‑

片・ 白 磁 片 も 出 土 し、 S K 388か らは、 灯 芯 位 置 にす す が付 着 す る灯 明皿 と して使 用 され た奈 良 時代 末 期 の上 師器 が 出土 した。

ま とめ

今 回 の調 査 に よ り、 西 隆寺 の 中心 伽 藍 の規 模 が ほぼ判 明 した (図61)。

金 堂 の中心 か ら東 回廊 の 中心 まで は

38.55mで

 1尺

29.7cmと

す れ ば 、130尺 と な る。 し た が っ て 、 東 西 回 廊 の 心 心 距 離 は260尺で 計 画 され て い る。

今 回 の調 査 区 内 で は東 面 回廊 が西 へ 曲 が る地 点 は検 出 して お らず、 回

│         │

61 今 まで検 出 された西隆寺 の遺構

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209次 調査区

廊 は金堂 に は取 り付 かず講堂 に取 り付 いていた と推定 され る。 西 隆寺 の伽藍 を知 る資料 と して、宝亀11年の絵 図流記 を模写 した と伝 え る元禄11年の「西大寺伽藍 絵 図」 が あ る (図63)。 絵 図 に は西 大寺 の伽 藍 に加 えて西 隆寺伽藍 が描 か れ て お り、金堂 。塔 の発掘成果 か ら、絵 図 はほぼ真 実 を伝 えて い ると考 え られて い る。

絵 図で は回廊 が金堂 に取 り付 かず に、講堂 に取 り付 いてお り、 今 回 の発掘成果 と 一致 し、絵 図 は回廊 につ いて も真実 を伝 えて い る可能性 が高 い。

なお、絵図 によると東面回廊・ 西面回廊 のほぼ中央部 に楽門が描 かれて い るが、

今 回 の調査 で は門位 置 を確定 す る ことはで きなか った。 回廊 に門が付 く場合、桁 行 柱 間寸法 や梁行 柱 間寸法 を回廊 よ り広 くす る場 合 が あ るが、 西 隆寺 回廊 の桁行 柱 間寸 法 は一定 で、 梁行寸法 もと くに広 くな る部分 はない。 また、 西雨落溝 も、

瓦 の堆積状況 か ら、 ま っす ぐに通 ってお り、 張 り出 し部分 はな い。 したが って、

絵 図 にあ るよ うに楽 門が存在 していた と して も、 柱 間寸 法 は回廊 と同 じと し、 屋 根 だ けを切 り上 げた門で あ った と推定 され る。

‑105‑―

(島 田敏 男)

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