は回廊 の総 長 を求 め る に あ た って は、 い くつ か の仮 定 条 件 を前 提 と しな けれ ば な らな い。
さて、
8世
紀 は じめ の 頃 の尺 度 に は大 尺 と小 尺 の2種
類 が あ った。 この うち大 尺 は土 地 測 量 専 用 の尺、 小 尺 は建 築 設 計 を は じめ とす る、 測 地 以 外 の もの の計 測 に使 用 す る よ うに定 め られ て い た。 平 城 宮 造 営 当初 の小 尺 の実 長 は、1尺
が29,6cm強
で あ った こ とが 明 らか に され て い るの で、 薬 師寺 の創 建 当初 の造 営 尺 あ るい は設 計 寸 法 も、 まず この長 さを基 準 に して考 え て い く必 要 が あ ろ う。南 面 回 廊 の東 西 寸 法 につ い て は、 『 薬 師 寺 発 掘 調 査 報 告 』 で は118,4mと ぃ ぅ 測 定 値 が あ げ られ て い る。 これ は ち ょ う ど400尺の計 画 寸 法 で あ り、
1尺
は29.6cmと され て い る。 今 回 の調 査 で は東 面 単 廊 の棟通 り総 長 は、 前記A、
Bの
うちむ しろBに
一 致 す る こ とが わ か った。 つ ま り、10cm前後 の不 確 定 さ はあ る もの の、ほぼ107.6mで ぁ った とみ られ る。 これ を
1尺 =29.6cmの
基 準 尺 で換 算 す る と東 面 単 廊 の棟 通 り総 長 は363尺 で あ っ た と復 原 で き る。単 廊 の柱位 置 は、 す べ て を検 出 して はいな いが、 す で に推 定 され て い るよ うに、
両 隅 を除 い た部 分 で28間 、 外 側 柱 間 で30間 とみ て ま ち が い な い。 柱 間 寸 法 は等 間 隔 で あ った とみ て、 遺 構 の上 で の矛 盾 はな い の で、 棟 通 り総 長363尺を 等 分 した もの とみ られ る。 そ の場 合 、
1間
分 の柱 間 寸 法 は12.52尺 (約3.71m)と
な る。複 廊 の柱 間寸 法 との 関 係 につ いて
こ こで複 廊 の柱 間寸 法 につ いて再 述 して お こ う。 東 面 回廊 で は、 単 廊 と複 廊 の棟 通 りは一 致 して い る。 つ ま り、 複 廊 は単 廊 の 位 置 を忠 実 に踏 襲 して 造 営 され て い るの で あ り、 複 廊 の棟 通 り長 さ も363尺の 計 画 寸 法 で あ った とみ られ る。 『 薬 師寺 発 掘 調 査 報 告 』 で は、 東 面 回 廊 は隅 部 を 除 い て25間 と した上 で、13,7尺等 間 と推 定 して い た。 と こ ろが、 柱 間 数 が25間 で は な く24間 で あ る こ とが確 定 し、 総長 も若干長 か った とい う新 た な知 見 が得 られ た。
この事 実 に もとず いて再 検 討 した と ころ、 大 部 分 の柱 間寸 法 は、1968、 69年の調 査 の所 見 の よ うに14尺 (約
4.14m)等
間 で あ るが、 南 か ら16間 目か ら19間 目 ま で の4間
分 は間 隔 が大 き くと られ て い る。 仔 細 に検 討 す る と、 南 か ら17尺 、 14尺 、 16尺 、 16尺 の柱 間寸 法 で あ った とみ るのが最 も妥 当 と判 断 され る。―‑ 87 ‑―
単廊壁下地 覆
単廊 の、 南 か ら20間目 と26間 目の外側 柱 通 り上 に、 南 北 方 向 の細 長 い瓦敷 を検 出 した。 いずれ も10〜20cm角 に割 った丸瓦、平瓦片 を平坦 に敷 き並 べた もので、20間日で は幅35cm、 長 さ80cm、 26間 目で は幅30cm、 長 さ160cmに わ た って遺存 して いた。20間目の場 合、単 廊礎 石 据付 け掘形 を検 出 した面 にあ り、
その上 を複廊基壇築成上 が覆 って いた。 2か所 と も単 廊 の外 側 柱 通 りに一 致 す る 場所 にあ る ことか ら、 壁下 の地覆 の基礎地 業 に関係 す る もの と判 断 され る。
(3)基
壇東側 の瓦堆積すで に述 べ た よ うに、 基壇 東側 に は、 造営 時 の形 状 を とどめて いな い と考 え ら れ る、深 さ40cm、 幅
150cm(推
定)の
雨落溝 が あ る。 埋 土 は上 下2層
に分 れ る。下層 は、 堅 くしま った砂層 で、 中 に10世紀 末 か ら11世紀 にか けて の時期 に属 す る 土 師器 や灰釉陶器 の破片 がかな りの量含 まれて いた。
上層 はやわ らか い粘質土層 で、多量 の瓦 が 出土 した。 と くに複廊 の、 南 か ら17 間 目 と22間目の周辺 で は、軒先付近 の屋根 瓦 が落下 した ま まの状 態 で埋 没 して い た。軒瓦 は瓦当面 を基壇側 に向 けて、裏返 しにな ってお り、 丸瓦、平 瓦 が それ に 重 な って い る とい う状況 がみ られ、 屋根 か らず り落 ち る途 中で半 回転 した ことを 示 して い る。 また、 これ らの瓦 の間か ら若干 の瓦 器 片 が 出土 したが、 いず れ も12
〜13世紀 に属 す る もので あ る。注 目すべ き ことに、 この瓦堆 積 層 に は、 焼 土 や炭 化 した木材片 が顕著 にみ とめ られ た。 しか し、 瓦 自体 が火熱 を受 けた形 跡 は ほ と
ん ど認 め られない。
(4)そ
の ほか の遺構瓦捨 て穴
基壇東側 に は、 回廊建物 が倒壊 した時 の屋 根 瓦 が堆 積 して いたが、 そ の大半 の部分 は、 のちに大 きな瓦捨 て穴 が掘 られ た ことによ り、残 って いない。
この瓦捨 て穴 には、 おびただ しい量 の瓦片が埋没 していた。
4か
所 の瓦捨 て穴 は、いずれ もさ らに調査 区の東 にひろが る。 穴 はか な り深 く、危 険防止 を配慮 して完 掘 しなか った。 出土 した瓦 は奈良・ 平安 時代 の もの に限 られ るが、 穴 が掘削 され た年代 につ いて は、遺構 の切 り合 い関係 か ら判 断 して、12〜 13世紀 の瓦堆積 層 よ
りも新 しい とヽヽうことがで きる。
一‑ 88 ‑―
この種 の瓦捨 て穴 は基壇西側 の、東塔 の東 にあた る場所 で も、 その一 部 を検 出 した。 そ こか らは奈良時代 の瓦 のほか平安 および鎌倉時代 の軒瓦が出土 して い る。
道路遺構
複廊 の、 南 か ら18間目にあた る位 置 で道 路 の跡 を検 出 した。 調査 区内 で は、 ほぼ直線状 に通 っている。東 で北 に約17度振 れ る方 向 に延 び る東西道路 で、
幅 が50〜130cmの 両 側 溝 を と もな う。 側溝 心 心 間距 離 は2.5〜
2.7mで
あ り、 路 面 幅 は、 狭 い と ころで1.6m、 広 い場 所 で は2.Omを
はか る。 路 面 の表 面 は堅 くしま ってお り、 もともとの道路面 がそのまま残 って い る もの とみ られ る。
この道路 を ま っす ぐ西 の ほ うに延 ばす と、
40m足
らず で金堂 の北東 の隅 に行 き つ く。参道、 あ るいは寺 内道路 の 1つ であ った と思 われ る。 存続 の時期 は特定 で きないが、前記 の瓦捨 て穴 が埋 ったあ とに設 け られ た もので あ り、 江戸 時代 の絵 図 には描 き表 わ されて いない。浄水 用水溜め桶
複廊 の南 か ら14間目の北 の柱位 置 とち ょうど重 な る場所 に、 長 径200cm、 短 径175cmの平 面 が楕 円形 を した掘形 を検 出 した。 中央 に直径48cmの 桶 が埋 って お り、底 の深 さは、遺構検 出面 か ら80cmで あ った。桶 の中の埋土 には 瓦片が多 く含 まれ、 明治18年発行 の「半銭」 銅貨 が 出土 した。 また、 桶 の ほぼ中 央 に、 廃絶 す る際 に `
息抜 き〃
と して立 て られ た細 い竹筒 が一本残 って いた。 こ の桶 の東側 か ら、 直径 6 cmの 竹筒 が、東南東方 向 に埋設 されていた。桶 との接合 部分 は、桶 も竹筒 も腐蝕 してお り、つ まび らかでない。井戸か とも考 え られ たが、
枠 内 に はほ とん ど自然湧水 が ない。
地元 の古老 の談話 によると、西方 か ら水 を桶 に引 きいれて、 しば ら く浄化 させ てか ら、東方 の集落 に上水 を送 っていた水道施設 がかつ て この近辺 にあ った らし い。 そ うした ことか ら、 この桶 と竹筒 を ともな う遺構 は上水施設 で あ った と考 え
られ る。
近 世 の排水用溝
複 廊 の、 南 か ら5〜11間目の基壇上 の西縁 に沿 って、 幅
50cm前
後 の南北溝 があ り、6間
目 と10間目お よび11間日で東 方 に分流 して い る。7間
目の位 置で は、溝 の両側壁 を、 さ しわた し30〜50cmの自然石 で護 岸 して い る。 この 溝 は基壇 外側 が完全 に埋 没 したあ とに、 また、 基壇面 が現状 まで削平 されてか ら
一‑ 89 ‑一
設 け られ た もの で、 溝 の堆 積 土 か ら は磁 器 片 や「 寛 永 通 宝 」 銭 が 出上 し た。 近 世 に機 能 して い た境 内 の排 水 にか か わ る溝 と考 え られ る。
3
遺物
調 査 区 の全 域 か ら大 量 の瓦 が 出土 した。 これ らの多 くは東 面 回廊 に使 用 され て い た もの と推 察 され るが、
調 査 区 の一 部 が東 塔 に接 近 した位 置 に あ る こ とや、 基 壇 周 辺 に多 くの瓦 捨 て穴 が掘 削 され て い るので、 ほか の堂 塔 で使 用 され て いた瓦 も少 な く あ るま い。 瓦 の ほか に は若 子 の上 師 器、 灰 釉 陶器 、 緑 釉 陶器 、 瓦 器 な ど の上 器 類 が あ り、 金 属 製 品 に はい く つ か の鉄 釘 や、 瓦 捨 て穴 の一 つ か ら 出土 した
2点
の垂 木 先 飾 金 具 が あ る。軒
瓦
出 上 した 軒 瓦 は、 軒 丸 瓦 257点 、 軒 平 瓦256点 に お よ ぶ (図 48)。 そ の ほ か に 鬼 瓦
7点
、 隅 切 瓦 1点、 面 戸 瓦 1点、 鳥 会3点
が ある。 軒 瓦 の内 わ け は表11に示 した と お りで あ るが、 薬 師寺 創 建 の軒 丸 瓦
6276Aa C A b型
式 、 軒 平 瓦6641 G・ H・ I型式 が多 数 を 占め る。1988年 の西 面 回 廊 の調 査 区 と比 べ る と、 中世 以 降 の軒 瓦 の比 率 が高 い。
6276E
7
8641G
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図48 第207次調査 出土軒瓦
(1:5)
表11 時期別 軒 瓦集計表
時 期 軒丸 瓦 軒平 瓦
倉1建瓦 45 %)
133620%)
奈良 時代
〜973年
42(16.3%) 29(11.3%)
天禄再建瓦 29(11.3%)
14(5.5%)
11世 紀
〜平安末
23 ( 8.9%)
11(4.3%)
鎌倉 時代 室 町時代
58 (22.7%) 31 (12.1%) 近世〜現代 %) 35(13,7%)
他 明 の そ
不 29 (11.3%) (1.2%)