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は じめ に本 調 査 は住 宅 建 設 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は、 既 述 した第204次調 査 区 の ほぼ真 北 に あ り、 第198・ 204次 と同 じ左 京 二 条 二 坊 五 坪 の北 端 に位 置す る。
発掘 区 は、 やや不整形 だが、約 7×
1lmの
南 北 トレ ンチで あ る。 基 本 層序 は、 上 か ら耕土・ 床土・ 暗灰褐砂質土 (遺物包含層)・
黄 灰 白粘 土 (地山)の
順 で、 地 山面 は西 が高 く東 が低 い。2
遺構
上記 のよ うに、 発掘面積 は80だ弱 と小規 模 だ が、 平 城 宮 に近接 す る一 等地 で あ るためか、 以下 の
4時
期 の変遷 が た どれ る多 数 の遺 構 が検 出 され た (図35)。A期
奈 良 時代 初 期。 発 掘 区 の ほぼ中央 を南 北 に とお る掘 立 柱 塀 SA5465と それ に伴 う南 北 溝SD5461、 さ らに掘立柱 の東西塀SA5466に よ って構 成 され る。SA5465・ SA5466は と もに
6尺
等 間 で、 前 者 は北 端 の3間
分 、 後 者 は西 端 の 1 間 分 の み が 検 出 され た。 この直行す る2つ の塀 はそ の交 点 で接 し合 い、 ひ とつ の区画 を形 成 して いた 可 能 性 も あ る。
な お 、 SA 5466
の
2柱
穴 に は、 と もに柱 根 (直径 約17cm)が
残 って い た。B期
奈 良 時 代 前 半 。 掘 立 柱 建 物SB 5469が 建 ち 、 そ の 雨 落 溝 SD 5462・ SD 5463が 、 発 掘 区 の ほぼ 中 央 を南 北 に流 れ る。 溝 はSD 5463が ̲L)雷 、SD 5642が
下 層 で あ る 。 SB 5469の
2柱
穴 は 、SB 5471(D期 )の
妻 側 柱│ │ │
―
''849 ‑17847 ‑1,845
図35 第202‑9次調査遺構図
5 4 7 2
鰤
―‑ 145901
―‑ 64 ‑―
穴 と柱筋 が ほぼ一致 して お り、 当初 は一体 の建物 か と も思 われ た。 しか し、 断割 り調 査 に よ る と、SB5469は 地 山面 か ら、SB547と は遺 物 包 含 層 の上 面 か ら柱 穴 を掘 り込 ん でお り、 両者 は時期 の異 な る建物 であ る ことが 明 らか にな った。
C期
奈 良 時代 前 半 〜奈 良 時代 中頃。 桁 行・ 梁 行 と もに10尺 等 間 の東 西 棟SB
5470が建 つ。SB5470は、 旧建 築 材 を転 用 した角 材 を多 数 埋 め込 ん だ礎 盤 が、 す べての柱穴 の底 に残 って い る。 た とえば、 西北 隅 の柱穴 で16本 、 妻 中央 の柱 穴 で は14本の板材・ 角材 が埋 め られて いた。 また、 これ らの柱穴 か らは、 平城宮 土器
Ⅱ〜 Ⅲの破片が 出土 して い る。
D期
奈 良 時代 後 半。 や は り桁 行・ 梁 行 と もに10尺 等 間 の東 西 棟SB 5471が 建 つ。建物東北 隅 の柱穴 には直径21cmの柱根 が残 り、 そ の南 隣 の柱穴 で は、底 に 平 た い 自然 石 を利 用 した礎 盤 が み られ た。 この掘立 柱 建 物 の約5,5m北
側 に は、6尺
等 間 の東 西 塀SA5467と そ れ に伴 う東 西 溝 SD 5464を 設 け て い る。5坪
と6坪 の坪境 小 路 南 側 溝 の有 無 を確 認 す るた め に拡 張 され た地 区 で、SD5464は ご く 部分 的 にだが検 出 され た。 溝 の幅 は60〜100cmで、 本発掘 区 の他 の溝 と比 べ る と、
規模 はか な り大 きい。 また、 この拡張 区 の
lmほ
ど北側 に は、 南 側溝 の遺存 地 割 ともみなせ る稲 田用水路 が流 れている。 しか し、坪境小路両側溝 の心 々間距離 を、か りに大 きめ にみて20大 尺 (約
7.lm)と
仮 定 して も、 SD 5464の 心 は推 定 南 側 溝 心 の国土 座 標 値(X=145,886.3)か
ら、 さ らに5.5mも
南 側 に位 置 す る。 し たが って、SD 5464を 坪 境 小 路 の南 側 溝 とみ なす こ と はで き な い。 な お、 このS D5464の 埋 土 を掘 り込 ん だ井 戸 SE5468の 抜 取 り穴 も、 拡 張 区 の西 北 隅 で検 出 さ れ た。 この井戸 は、 奈良 時代末期以降 の遺構 と考 え られ る。3
遺物出土遺物 は、 瓦埠 類 が大半 を 占めて い る。 軒 瓦 は、 表
9に
示 した よ うに、 総 計 15点出土 した。 この うち、 軒丸 瓦 が9点
、 軒 平 瓦 が6点
を数 え る。 大半 が平 城 宮 出土軒瓦編年 Ⅱ〜 Ⅲ期 の型 式 で、15点中14点までが遺物包 含 層 か ら出上 した。 残 りの1点
は、トレンチ北端 の落 ち込 みSX5474か ら出土 した
6667A型
式 (Ⅱ‑1
期
)の
軒平 瓦 で あ る。―‑ 65 ‑―
表
9
第202‑9次
調査 出土 軒 瓦集計表軒 丸 瓦 軒 平 瓦
型 式 点 数 時 期 型 式 点 数 時 期
6138‑B 1 Ⅱ
‑2
6663‑C 1 Ⅱ‑2〜 Ⅲ ―21 Ⅲ
‑2〜
Ⅲ ―2 6667‑A 1 Ⅱ‑16008‑Aa
1 Ⅱ‑26671‑A
3 I‑2〜 Ⅲ‑16311‑Ba
1 Ⅲ‑16685‑A
1 Π‑1(〜 Ⅱ‑2)6313‑A
2 Ⅱ‑16316‑Ea
1 Ⅲ‑2
不 明 2
計 9 計 6
土 器 類 は、 既 述 の よ うに、
C期
のSB5470柱穴 か ら平 城 宮 土 器 Ⅱ〜 Ⅲ の 土 師器・須恵 器 が 出土 した。 土 師器 は高 杯 、 須 恵 器 は杯A・ 杯
B蓋
・ 椀A・ 甕Cな
どで あ る。 ま た、D期
のSB5471柱穴 の掘 形 か らは、 や は り平 城 宮 土 器 Ⅱ〜 Ⅲ の 上 師 器 (皿A)と
須 恵 器 (皿 B・ 鉢A)、 抜 取 り穴 か らは奈 良 時 代 後 半 〜 末 期 の上 師 器 (杯B蓋 )が
出土 して い る。この ほか、 トレ ンチ北 壁 に近 い土 坑SX5473か ら「 人 米 一 升 五 □ 」 と記 す 木 簡 が、 ま た、 そ の
3m西
に あ る土 坑SX5472か ら「 □ 六 □」 とい う墨 書 の あ る建 築 部 材 の破 片 が 出土 した。4
ま とめ以 上、 発 掘 区 の狭 小 さか ら、 遺 構 変 遷 等 の把 握 に不十分 な点 が多 い が、 出土 遺 物 等 か ら判 断 す る と、 上 記
A〜 Dの 4期
は、 198次 及 び204次 調 査 区 のA〜 D期
に ほぼ対 応 す る もの とみ て よ い だ ろ う。 少 な く と も、198・ 204次 調 査 区 の 遺 構 と本 調 査 区 の遺構 が、 同 じ
5坪
の宅 地 内 に包含 され る もので あ った ことは、 まず 間違 い な い。 ただ、両者 の配 置 関係 を知 る手 がか りは、 今 回 の調査 で は得 られ て い な い。 ま た、 当初期待 された5坪と6坪
の坪境小路南側溝 の有無 を確認 す ることもで きなか っ た。 この2点は、今後 に残 された重要 な課題 といえ るだろ う。―‑ 66 ‑―
(浅 川 滋 男)