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式 日 m

‑71‑

I

トー19090 西 

I

V=コ30

202‑3次

調査

202‑4次

調 査

0      10m

1

080

Y=‑19050

40 202‑3・ 4次調査遺構図 (1:250)

べ き遺構 はなか った。 したが って、以下東区 につ いて述 べ る。

東 区 の層序 は、 盛 土、耕土、 旧耕土、 暗灰褐色砂質土 (炭、 焼 土 を多 く含 む)、

黄灰色粘土 (地

)で

あ るが、 南半部 は全体 に掘 り下 げ られ て室 町時代 頃の瓦器 を含 む黄褐色土 で埋 め られて い る。 また、東半部 は、 西 の京 を は じめ平 城京右京 で よ くみ られ る中世 の粘 土採 取 穴 (SK 02〜

06)に

よ って攪 乱 され て い る。 奈 良 時代 の遺構 と して は西半 部 で柱穴 を

7個

(調査 区南壁西端 で断面 を検 出 した もの 1個を含 む

)検

出 した のみで あ る。 この うち西端部 の

5個

の柱 穴 はお そ らく一 連 の もの (SB 01)と 思 わ れ るが、 これ だ けで は建 物 の形 状・ 規 模 を知 りえな い。

なお、調査区西半部 には多量 の鉄滓 が出上 した小穴群 が あ り、 また、 その南 に は鉄砧石 を支 え る根石 とみ られ る石組遺構

SX07が

あ る。 層 位 か らみ て、 いず れ も近世 ない し近代 の小鍛冶 に関連 す る遺構 で あ る。

202‑4次

調 査

調 査地 は十五 坪 の南西 隅 にあた る。面 積 は東 区が72だ、 西 区 が 185ぜ で あ る。

調査以前 は水 田を埋 め立 てた住宅地 で あ り、 その際の盛上 が約

70cmに

お よぶ。 以 下、 土層 は耕土、床土、 灰褐色 粘質土、灰緑色 シル トの順 に堆 積 しい る。遺物 包 含層 (灰褐色粘質 土

)は

削平 され て ほ とん ど残 って お らず、 床 土 直下 の灰褐色 粘 質土 な い し灰緑色 シル トの上面 で遺構 を検 出 した。盛土上面 か ら遺 構 面 まで は約 90cmあ る。 なお、灰緑色 シル トの下層 には、砂礫層 が厚 く堆積 し、 この付近 が秋 篠川 の旧流路、 な い しは氾濫 原 で あ る と推定 で きる。

お もな検 出遺構 は、 奈良時代 の掘立建物

4棟

、 掘立 柱 塀

1条

、 溝

1条

、 流路 1

条 が あ り、 その他 に近世 以 降 の土坑

1基

な どが あ る。 奈良 時代 の遺 構 は

3時

期 に 大別 で き、以下、 時期別 に述 べ る。

A期  

東 西溝

SD01は

調 査 区 の南 縁 に位 置 し、 幅約3m、 深 さ約

50cmあ

り、 堆 積土 は上 か ら茶 褐 色 粘 土 (埋め立 て土)、 灰 色砂、 灰 褐 色 粘 砂 の順 で あ る。 自然 堆積 によ り大部分 が埋 没 した段 階で埋 め立 て られて い る。 地形 か らみて西流 す る 溝 で あ り、平面形 が やや不整 形 で あ る ことか ら、 自然流 路 で あ る と考 え られ る。

堆積土 中か らは奈良 時代 初 期 の須恵器、土 師器 が出上 して お り、 そ の頃 に埋 め ら

一‑ 73 ‑一

れ た もので あ る。

B tt SD01を

埋 め立 て 、 坪 を 宅 地 と して 利 用 す る。 建 物SB02・ 03・ 04が こ の 期 に属 し、 さ らに

2時

期 に細 分 で き る。SB02と 8B03は柱 筋 を 揃 え て お り同 時 期 とみ て よ い が 、SB04は SB02よ り もわ ず か に 東 寄 り に位 置 して お り、 時 期 を異 にす る。 た だ し、 両 者 の前 後 関 係 は不 明 で あ る。

総 柱 建 物SB02は桁 行

3間

、 梁 行

3間

あ り、 柱 間 寸 法 は そ れ ぞ れ

3.Om等

間 。 柱 掘 形 が大 き く、 最 大 の もの は1.6×

1.5mの

規 模 を もつ。 た だ し、 柱 穴 の 上 部 は大 き く削 平 を受 けて お り、 本 来 の深 さ は不 明。 ま た、 北 妻 柱 の 一 部 が 土 坑

SK

08に よ り壊 され て い る。SB03は東 区 と西 区 に ま た が って検 出 した南 北 棟 建 物 で、

東 西 に庇 を伴 うの で あ ろ う。 桁 行 は、 全 体 の規 模 が 不 明 で あ るが 、 柱 間 寸 法 が

3.3mで

ぁ り、 梁 行 は

4間

で 、 柱 間 寸 法 が2.8m。 総 柱 建 物SB 04は、8B02と 同 じ柱 間 寸 法 を もち、 そ の位 置 や 柱 掘 形 の規 模 な どか らみ て、8B02と 同 規 模 、 同構 造 の建 物 とみ なせ る。

C tt SB02 0 03 0 04が廃 絶 し、 SB 03の 跡 に は流 路 状 の 窪 地 を 造 る。 西 側 で は、 建 物8B05、 SA06を建 て る。

SB05は桁 行

3間

、 梁 行

4間

の南 北 棟 建 物 で、 東 西 に庇 が つ く。 柱 間 寸 法 は、

身 舎 の 梁 行 が

2.7m等

間 、 桁 行 が

3.Om等

間 、 庇 の 出 は東 が1.5m、 西 が

1.8m

で あ る。 S B05の 北 妻 柱 か ら北 へ

3.Omの

位 置 に、 東 西 塀

SA06が

あ る。 柱 間 は ほ ば

3.Om等

間 で あ る。 流 路 状 の 遺 構

SD07は

、 東 岸 の み 検 出 した。 西 岸 は東 西 両 区 の 間 に あ る と推 定 で き る。 深 さ は20〜30cmあ り、 堆 積 土 は灰 色 粘 土 を 主 体 と して お り、 常 時、 滞 水 状 態 に あ った。 出土 須 恵 器 か ら奈 良 時 代 後 半 期 に属 す る。

ま た、 東 岸 付 近 の粘 土 層 中 か ら平 瓦 数 点 が ま と ま って 出土 した。

  

遺 物 に は奈 良 時代 の土 器 、 施 釉 陶 器 、 瓦 、 14世 紀 末 か ら15世 紀 初 め の 瓦 器(202

‑3次

調 査 区 出 土)、 近 世 以 降 の 鉄 滓 な どが あ る。 施 釉 陶 器 は、 流 路 状 遺 構

SX

08底部 で二 彩 壼 台 脚 片 が 出土 した。 瓦 に は、 新 型 式 と して

202‑3次

調 査 東 区 黄 褐 色 土 出 上 の 軒 丸 瓦

6320Ac(図 41‑4)が

あ る。 これ は6320 Abの 中 房 の 蓮 子

―‑ 74 ‑―

を大 き く彫 り直 した もので あ る。

ま とめ

以 上 述 べ て きた よ うに、

202‑4次

調 査 で は、 従 来 右 京 域 に お いて あ ま り例 を み ない大型 の柱掘形 を もつ総柱建物 を検 出 し、 また、 常 時滞水 状 態 にあ った流路 状 の遺構 を検 出す るな ど、 注 目すべ き成 果 が得 られ た。 流 路状 の遺 構 は曲池 な ど

の可能性 もあ り、 今後 の調査 において注意 す べ き点 で あ る。

また、 この付近 は「三条小鍛冶」 の伝承地 で あ り、 近世以 降 の小鍛冶 の遺 跡 で あ るとされ て きた。 今次 の調査 で も多量 の鉄滓 が 出土 し、 時期 は明確 で な いが石 組遺構 な ど作 業 場 の一 画 を検 出 した。 これ らの遺 構 は比 較 的残 りが よ く、 石 組 遺 構 の近辺 に小鍛 冶炉 の存在 が予想 で きる。 (小野 健 吉 、 小 池 伸 彦)

2‑6282Db

41 202‑3・ 4次調査 出土軒瓦

(1:4)

―‑ 75 ‑―

右京三条一坊九坪 の調査    第202‑11次

平城宮南辺 の水 路付 け替 え に と もな う事 前調査 で あ る。 宮 の南面 西 門 で あ る若犬養 門 の西南 で、三 条 大 路 南側溝 と西一坊坊 間 路 の西側溝 の合流 地 点 の南 に接 す る位 置 に 発 掘 区 を設定 した。 基 本 的 な層序 は、 整備 の際の盛土約70cm、 耕 土 約30cm、 床 土約 10cmで、 ほぼ発 掘 区 中 央 を境 に して南 半

は床 土 直下 が灰 白 シル トの地 山 とな り、 北

 

42第

202‑11次調査位置図 (1125000)

半 は床上 の下 に約40cmの遺物包含層 があ り、地 山 にいた る。

検 出 したお もな遺 構 は、 掘立 柱建物

1棟

、塀

3条

、 南 北 溝

1条

、 弥 生 時代 の上 坑 と溝3条な どであ り、 当初想定 していた西一坊坊間路西側溝 は検出で きなか った。

掘立 柱建 物

SA01は

掘 形 が

1辺

80cmで

、 方 位 が ほぼ北 に揃 うが、 建 物規 模 は 不 明 で あ る。SB02は北 で東 に振 れ る溝 で、 溝 幅 は不 明 なが ら深 さ は約

40cmで

あ る。溝 の北端 は近世以 降 の池状 の落 ち込 みで確認 で きな い。 遺物 を ほ とん ど含 ま ず、年代 を推 定 しえ な い。

発掘 区中央 の土坑 と東半 の

3条

の溝 はいずれ も弥生 時代 後 期 の上器 を含 む遺構 で あ る。

SD07を

一 部 掘 り下 げた ところ、 溝 の深 さは遺 構 面 よ り70cmあ り、 整理 箱

2箱

分 ほ どの土 器 が 出上 した。 平城宮西南 隅付 近 で は、 弥 生 時代 の集 落 が発掘

されて い るので、一連 の遺構 で あ る可能性 が あ る。

西一 坊 坊 間路 の側 溝 は これ まで第

141‑4次

調 査 (右 京 三 条 一 坊 八 坪

)で

東 側 溝 を、 第149次調 査 (右 京 八 条 一 坊 十 坪

)で

東 西 両 側 溝 を検 出 して い る。 第149 次 調 査 で は道 路 の幅 が溝 心 心 で24.55mあ り、 そ の 中心 と若犬 養 門 の心 の座 標値 か ら、 この道路 が北 で西 に 21′ 40〃 振 れ て い る ことを確 認 す ると と もに、 西 側 溝 が幅約10m、 深 さ約

1.5mの

規模 を もち、 西 の堀 河 と して機 能 して い た可 能 性 のある ことを明か に した。 本調査 は第149次調 査 で検 出 した西側 溝 の北延長上 に

―‑ 76 ‑―

あたる。仮に同じ坊で確認 した第 141‑4次 調査の東側溝の心から 24.55m西 を 測れば、 Y=18866.183m.と なり、発

1掘 1区

の東半に溝の心がくるはずである。と ころが発掘め結果、同濤がここに存在 しないことが明かになったため、今後の月 辺の調査によって溝の行方を探ってゆく必要がでてきたと言えよう。

(寺

崎保広

)

Y=‑18880

1

Y=‑188,0

1

43 202‑11次調査遺構図

ニー 77 ‑―

薬師寺東面 回廊 の調査   

207次

は じめ に

奈良、 西 の京 に伽藍復興 のすす む薬 師寺 につ いて は、 これ まで にた び重 な る発 掘調査 が行 なわれて きて い る。1954年の南大 門、 中門、南面大垣 の調査 を は じめ と して、金堂、食堂、 回廊、西塔、僧房、十字廊、経 蔵 な どの中枢 部分 の伽藍建 物 の地 下遺構 を調 査 す る ことによ って、 薬 師寺 の歴 史 を解 明 す る上 で、 多 くの重 要 な事実 が明 らか に されて きて い る。 そ の うち、1985年 まで の成 果 につ いて は、

『 薬 師寺発掘調査報告』 にま とめ られ、 公刊 されて い る。

薬師寺 の回廊 は、 中門か ら発 して、金堂 と東西両塔 を囲む形 で講 堂 に とりつ く。

回廊 の建物 は現在遺存 して いないが、 薬 師寺 で は伽 藍 復 興 計 画 の一 環 と して、 金 堂、僧房、西塔、 中門 に続 いて、 回廊 の再建 を計画 した。

回廊 に関 して は、 表10に示 す よ うに、 す で に数次 にわ た る発 掘 調 査 が実施 され て い る。 その成果 に もとづ いて回廊全体 の規模 や構造 につ いて の復原 が試 み られ てい るが、 と くに東面回廊 の規模 について は、 まだ不確定 の部分 が残 されてい る。

回廊 に関す る これ まで の成果 を要 約 す ると、

① 回廊 は、 当初、 単 廊 で計画 され、礎 石 を据 えつ け る工 程 まで工 事 がす す ん で いた。単廊 の規模 は、東、西面 回廊 につ いて は30間で、 柱 間寸法 は桁行、 梁行 と も12.5尺・

3,7mで

ぁ る。

② しか し、単廊 は基壇 の完成 に至 る前 に計 画変 更 され、 同 じ位 置 で複 廊 が造 営

さ れ る。

③ 複 廊 の規 模 は、 南 面 回廊 で は桁 行 13.7尺 (13.5尺)、 梁 行 10尺 等 間 で あ る。

東面 回廊 につ いて は、

1968・ 69年 の調査 ……桁行14尺、 梁行10尺等 間 で、 東 面 回廊 全 体 の柱 間数 は 24間で あ る

1985年の調査 …………桁行13.7尺 、 梁行10尺等 間 で、 柱 間数 は25間で あ る とされ、桁行 の柱間数 と寸法 の所見 が変 って い る。 い っぽ う、1988年 の西面 回

―‑ 78 ‑―

東 ‖

Iこi‐‐‐=====̲善̲̲

E・=‐==‐=〜̲̲‐‐‐、

イ・│」

Y7

44 207次調査位置図 (1:2000)

1)杉山信三 。松下正司 。阿部義平「薬師 寺の最近の発掘調査」(『仏教芸術 』74

1970) 2)奈文研「薬師寺中門の調査」

(『昭和57年度平城 宮跡発掘調査部発掘調 査概報』1983) 3)奈文研「薬師寺回廊 の調査」(『昭和59年度平城宮跡発掘調査部 発掘調査概報1985) 4)『薬師寺発掘調 査報告』 (奈文研学報第45冊

 1987)5)

奈文研「薬師寺西面回廊の調査」(『昭和63 年度平城宮跡発掘調査部発掘調査概報』

1989) 10 回廊調査一 覧表

年 度 調

1

2 3 4

5 6

1968 1969 1982 1985

1988 1989

東面 回廊

 

北面 回廊 東面 回廊

 

北面 回廊 南面 回廊

 

中門 東面 回廊

 

西面 回廊 南面 回廊

 

北面 回廊 西面 回廊

東面 回廊

1)4) 1)4) 2)4) 3)4)

5)

―‑ 79 ‑―

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