社会認識形成におけるイメージ的認識の理論と実際
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(2) 目 次. 序.. .1. 第1章 社会科におけるイメージと新たな視点_____... 第1節 社会科におけるイメージ論の展開_____. _._。3. __..3. 1.社会科におけるイメージ論の登場.__.___.__. 2.歴教協のイメージとその問題点.._____._.. 。3. __.4. 3.香社研のイメージとその問題点_..9_........._..._... ..21. 4.社会科におけるイメージ論の問題の所在____. ._.._.25 第2節 認知心理学におけるイメージ論と新たな視点.. .._...26 1.認知心理学とイメージ研究_____.__.._.. ___26. 2.認知心理学におけるイメージ研究の歴史_.___. .___27 3.イメージ論争から得た新しいイメージの視点.____ _._31 第2章 イメージ的認識と社会認識形成_._.。._............ ._...33. 第1節 イメージ的認識の構造とその認識的特徴._。..... 1.イメージ的認識と認識の二重構造____.__.___. ..33. ._...33. 2.イメージ的認識と視点......_..,...._......_._...._... ..37. 3.イメージ的認識の認識的特徴..._._._..__........_.... .......39. 第2節 社会科の学習過程とイメージ的認識.._。_..._。_.. .,.._42. L知覚語とイメージ的認識__.___.______._. _._42 2.社会科の学習過程におけるイメージ的認識の具体...._.. ..46. 第3節 イメージ的認識における思考とアブダクション.. _._52 1.論理的認識における思考______._____. _._._52. 2。イメージ的認識における思考______.__.. ..53. 3.イメージ的認識とアブダクション_...._.._.._....._.. 第4節 イメージと言葉・経験_____._._.. 1.言葉と経験..____._..___.__.。__. ..59. ..64 ..64. 2.イメージと言葉_____...__..___...____.__._. .66. 3.イメージと経験._._____.__.___.___.. ..68.
(3) 第5節 社会認識形成におけるイメージ的認識の有効性_.. 70. 1.知識の成長と社会認識形成____._... 70. 2.論理的認識における知識の拡大と社会認識形成_. 72. 3.イメージ的認識における知識の拡大と社会認識形成... 76. 第3章 イメージ的認識の視点に基づいた授業分析.. 第1節 研究仮説と分析の視点______.一一_._. 8五. 81. 1.研究仮説__._... 81. 2.分析の視点と分析の方法__._.___.. 82. 第2節 授業分析の結果と考察____.__.. 88. 1.授業分析の結果._.____..______._... 88. 2。授業分析の考察._.____... 88. 第3節 分析のまとめ__. 第4章 イメージ的認識を組み込んだ社会科授業の設計_,....... 第1節 社会科授業設計の視点_._....... .102. .103. .103. 1.視点1 社会事象の理解構造の設計…知識の構造._.... .104. 2.視点ll 構造の探究過程の設計______.__._.. .106. 第2節 授業設計の実際.._____.._____...____. .110. 1.小単元について.___.__.._._. .110. 2.小単元「伝統的な技術を生かした工業一越前和紙一」 の主要概念抽出の視点_..____._____.. .114. 3.知識の構造_.___.______._._.. .124. 4.問いの構造_.____.__.._.__._____. .134. 5.授業モデル.__.. .137. 第3節 授業モデルの成果.._._.._._._____._.____... .163. 1.認識の二重構造による「伝統的工業」の概念把握__. .163. 2.授業モデルにおけるイメージ形成______._._. .164. 3.授業モデルにおける社会認識形成......__._.._.._. .165. 結... .167.
(4) 序. 本章では,研究の視点,研究の目的,研究の方法を示し,研究の概要を明 らかにする。. 1.研究の視点. 社会科の目的は, 「社会認識形成を通して市民的資質を育成すること」で. ある。この目的を達成するために,これまでさまざまな学習原理や方法が 開発され,また多種多様なかたちで提案されてきた。しかしながら,その 多様性に反して,論理的な認識に基盤を置くという点では,それらは共通 していた。つまり,学習原理や方法はさまざまな形態をとっていても,認 識方法は一貫して論理的認識に基づいていたのである。. このような状況において,社会認識の内容に科学性・客観性を求めるなら ば,その認識過程はますます論理的色彩の濃…いものとなっていく。そこで. はときに直感的な考え,曖昧な思考内容は排除され,学習は往々にして硬 直化の道をたどることになる。このことは社会科が内包する構造的な問題 であるというよりも,これまでの社会科の歴史において,論理的認識に代 わる認識方法が提案されてこなかったという事実にこそ,その問題の所在 噛が求められてしかるべきであろう。. こうした事態を鑑み,ここに新たにイメージ的認識を提案する。イメージ 的認識は,論理的認識とは異なる構造と認識的特徴をもつ認識方法である。. しかし,両者は排他的,否定的な関係にあるものではない。むしろ,相補 的な関係にある。したがって,これまで行われてきた論理的認識に基づく 学習過程や方法に,イメージ的認識を組み込むことは十分に可能である。 そうすることによって,社会科はこれまでの研究の資産を生かしながらも, 新たな学習過程や方法の展開を図ることができるようになる。. 本研究では,イメージ的認識とはどのような構造や特徴をもつ認識方法で あるのか,さらには社会認識形成においてどれほどの有効性を主張できる のかを明らかにする。 1.
(5) 2.研究の目的. 本研究の目的は,次の2点にある。 (1)イメージ的認識の構造,及びその認識的特徴を論理的認識と対比して 示し,社会認識形成におけるその有効性を明らかにする。 (2)(1)の成果をもとに,イメージ的認識を組み込んだ社会科の授業モデル を構想する。. 3.研究仮説. 本研究の仮説は,次のとおりである。. イメージ的認識を論理的認識に組み込んで学習過程を構成するならば,子 どもの認識をより発展的に形成することができる。. 4.研究方法. 上記の研究目的を達成するために,以下の方法で研究を進める。 (1)先行研究を整理し,社会科におけるイメー一・一ジ論の問題点を指摘する。. (2)認知心理学の研究成果に学び,イメージ的認識の構造と認識的特徴を 明らかにする。. (3)社会認識形成におけるイメージ的認識の有効性を明らかにする。. (4)研究仮説に基づいて分析フレームワークを作成し,社会科授業実践の 分析を行う。. (5)以上の研究成果をもとに,イメージ的認識を組み込んだ社会科授業モ デルを提示する。. 2.
(6) 第1章 社会科におけるイメージと新たな視点. 本章では,まず社会科においてイメージがどのようにとらえられ,具体的. にどのようなかたちで用いられてきたのかをみる。次に,そのようなイメ ージのとらえ方,用い方には,どのような問題があるのかを明らかにする。 さらに,これらの問題点を克服するために,新たなイメ・一一一一ジのとらえ方が. 必要であることを述べ,その視点を探ることにする。. 第1節 社会科におけるイメージ論の展開 本節では,社会科における代表的なイメージ論を取り上げ,そこで用いら. れているイメージの概要をみるとともに,それらの根底にあるイメージ観 とそれによって生じる問題点を明らかにする。. 1.社会科におけるイメージ論の登場 伊東亮三氏は,なぜ社会科の実践レベルでイメージが論議されるようにな ったのかを考える上で,次の2点がカギとなると述べている。 ①イメージ化が問題とされ始めたのが,1950年代からであるということ。. ②イメージ化が主として問題として論じられるのは小学校段階の社会科 においてであるということ。 伊東氏によると,この二つの現象は,向じ現象から派生しているという。. すなわち,経験主義社会科に抵抗するかたちで提唱された社会科学科の運 動は,まず社会科の内容論として始まった。しかしながら,実際の授業に おいて子どもたちに社会科学の概念や法則を具体的にどう教えるか,とい う切実な問題がおこったのである。 (①,p.5)この時期がちょうど1950年. 代であり,また,この問題がより切実感をもって論じられたのが何よりも 小学校においてであったという。. では,具体的にはどのようなかたちで,イメージがとらえられてきたのか。. また,そこにはどのような問題があったのだろうか。このことを考察する ために,次の二つの団体のイメージ研究の概要をみることにする。ここで 取り上げる二つの団体とは,歴史教育者協議会(以下,三教協と略す)と, 3.
(7) 香川県社会科教育研究会(以下,香一三と略す)である。なぜなら,そこ に示されているイメージのとらえ方に,社会科におけるイメージの典型と 問題の所在を見出すことができると考えるからである。 2.歴教協のイメージとその問題点 (1)歴教協におけるイメージ論の歴史. 三教協でイメージという言葉が初めて使われたのは,今から約40年程前 のことである。そして,その後10年間にわたって歴史教育におけるイメー ジ化の理論が集中して論じられた。以下,簡単にその経緯を示す。’ 1954 「新しい歴史教育」. 1創作劇. 「ごろ吉,おたんこものがたり」の指導課の感想. 「この創作活動の中で子どもたちのイメージが比較的正確である。」. 1955 歴史地理教育24号 小学校高学年分科会 「総合的な判断を絶えず強いると,イメージが混乱してしまう。」 中学校分科会 「ある人物について正しいイメージを育てていく」等 今時代掻,人物像がはっきり関係している。. 1957 歴史地理教育25号,28号 「小学校歴史の構造と展開」. 「その時代のすがたがあざやかなイメージとなってえがかれるのを たすけるような,比較的有効な教材を」. 今その後,「時代のすがた」「時代のイメージ」という語がよく使わ れる。. 1960 歴史地理教育50号 階級像「奈良時代の働く民衆のイメージを少しでも正確なものに 近づける」. 日本史像「日本民族がたどってきた,歴史のあとを,キチンと子 どものイメージとして持たせておきたい」. 1961歴史地理教育58号 :川上淳「イメージの伴わない歴史の理解は,どんな高遭な真理を 持とうと;それは未来に生かされるものではない」 4.
(8) 1963 歴史地理教育85号 足立社会科サークル. 時代像や階級像に関してだけでなく,時間や空問のイメージをも 問題にする。 15回大会 小学校分科会でイメージという語が多用される。 一〉「イメージとは何か」が問われるようになる。. 1964論文「時代のイメージ」 1965論文「紙芝居によるイメージづくり」, 「人物のイメージ形成」 1966 16回大会 小学校分科会で「表象」という訳語によってイメージ論が語られ る。 (②,PP.1−2を整理). 1950年代半ばからイメージという用語が用いられ,それに対する論議が 次第に増加するとともに,その扱われ方も質的に変容していることが分か る。つまり,はじめは一般的なイメージという意味で感性的に使われてい たものが,次第に教育において重要な意義をもつものとして論じられるよ うになっている。. しかしながら,これらの議論は,イメージに関する一つの共通認識のも とに行われていたわけではなかった。この点について,久坂三郎氏は次の ように述べている。. 「イメージというコトバを三教協では,厳密な規定をしたうえで使用し たのではなかった。…略…歴教協のイメージというのは,次のように二 大別できると思う。. 一つは,個別的な事物・事件・人物・現象などを,表象ゆたかに生きい きと,生徒の心の中に描かせること。. 二つには,時代像とか世界史像とかいう全体的な像を,生徒に構成させ ること。. この二つは互いに関連し,また明確に区別できない」 (③,p.68). 以上のことから,歴教協におけるイメージ論は,はじめからある方向性 をもって論じられたわけではなく,各研究者,実践者が提案する個別なイ メージ論が集積し,次第にかたちつくられていったものであると言えよう。 したがって,歴教協のイメージ論を把握しようとするならば,個別のイメ 5.
(9) 一ジ論にあたり,それぞれの論に共通する概念を抽出していくしか方法は ないことになる。そこで,歴教協における研究者,実践者の代表的なイメ ージ論をいくつかみていくことにする。 (2)久坂三郎氏のイメージ論. 久坂氏は,イメージの必要性について,次のように述べている。. 「歴史は性格上,実験することはおろか,追体験したり観察できること. は少ない。いな,多くの場合,生徒のまわりの生活は,過去の理解を助 けるのではなく,その正しい表象づくりを妨げさえする。人間は,いま 自分に直接作用するものを知覚したり,以前に作用したものを表象する のに,とどまってはいけない。他人の記述などにもとづいて,正しく表 象できる力を要する。しかし生徒たちは,そうしたことに不慣れである。 表象が正しくないと,正しい知識・思考は形成されないし,概念なども おしつけの空虚なものになる。だからイメージ化はたんに,生徒に興味 をもたせるとか,知識の習得に便利だ,という立場にとどまるものでは ない。」 (③,P.69). さらに,正しく歴史をおしすすめるには,まず日本なら日本が直面して いる問題という個別なものと,世界史像のような全体像との相関関係が重 要であると述べる。そして,イメージは両者を関連づけるものとして位置 づけられる。. 「個別なものと全体像とは,互いに関連する。個別的なものがリアルに イメージ化されなくては,科学的な正しい全体像はっくりえない。正し い全体像は簡単につくれないとしても,個別的なものが自主形成されて いく全体像のなかで位置づけされなくては,生かされることにはなるま い。」 (③,P169). これらの記述から,久坂氏のとらえるイメージの特徴を次のように挙げ ることができる。. ①イメージは単なる知覚,記憶の再生とは異なる。 ②イメージ化は知識・思考の形成に作用する。 ③イメージとは具体的なものである。. ④イメージによって個別の事象は,全体像に関連づけられる。 この中で,特に注目したいものは,③と④である。. ③については,イメージが具体的なものであるならば,それは知覚や記 憶の再生とはどう違うのか,といった疑問が生じる。なぜならば,①にお 6.
(10) いて,イメージは単なる知覚とも記憶の再生とも異なるとされるからであ る。この点に関して,久坂氏の記述からは判断することはできない。つま り,イメージと知覚,記憶の再生との違いが明確ではないのである。たと えば,久坂氏がイメージ化の方法として挙げているものをみてみよう。 「イメージ化の素材は,歴史の目的・内容や生徒の能力・学齢に応じて,. 多角的に利用すべきである。講義・絵画・彫刻・物語・文学・紙芝居・ 史料・スライド・映画・テレビなどは,それぞれ長所短所をもっている。」 (@,p.70). これらの方法が,ある知覚的な像を心の中に想起させるものであること は言うまでもない。それを想像と言い換えても別段かまわないだろう。し たがって,③から引き出せることは,「イメージは知覚に近似したもので あるが,しかし単なる知覚ではない」という何とも曖昧なものになる。こ のように,久坂氏のイメージ化論では,実体としてのイメージは明確にさ れていないのである。. 一方,④については,次の記述とからめて考えてみたい。. 「イメージ化は,歴史上の概念や理論という抽象化と結びつけて展開さ せ,また階級や民族の実感にまでも迫っていきたい。概念や理論が空虚 なものにならないためには,イメージ化のような,具体的なものにもと つく必要がある。逆に,イメージ化するためには,これまでの概念や理 論に依拠して形成される。」(③,p.71). ここに示されているように概念・理論とは抽象的なものであり,それは ある具体的なものと対峙して述べられているはずである。社会科の場合, それは個別の社会事象ということになろう。すなわち,ここには次のよう. に,概念・理論=抽象的,個別の社会事象=具体的という図式が成り立つ のである。上の記述から判断すると,イメージ化ということは,両者の間 を往復運動し,関係づけることである。すなわち,個別的な社会事象をあ. 個別の事象. 概念・理論. イメージ化 図1−1 久坂氏の論におけるイメージ化と具体・抽象との関係. 7.
(11) る概念・理論に結びつけ,一方ではある概念・理論を個別的な事象に対応 させるのである。この図式に照らすと,先の④でいうところの全体像とい うものは,個別の社会事象が概念や理論と言い換えてもよいだろう。これ らの関係は,図1−1のように表すことができる。. 以上のように,久坂氏は,イメージをその実体と機能という二面からと らえている。つまり,実体としてはイメージは知覚に近似した何かであり, その機能としては,個別の社会事象と概念・理論とを結びつけるはたらき をもつものであるというのである。 (3)中村和夫氏のイメージ論. 中村氏は,イメージのはたらきを認識と感情の統一的作用であるとする。. 氏は,それまでのイメージ論が,互いに独立したこの二つの平面上で語ら れてきたことをまず指摘する。このことは,イメージがこの二つの性格を あわせもっているということを示している。中村氏はさらにそれらを統一 してとらえて新たなイメージ論を展開しようとしている。そこで,この二 つの平面におけるイメージとはどのようなものかをみて,その後中村氏の 論ずる第3のイメージを考察することにする。 ア.感情的平面におけるイメージ. ヴィゴーツキーはf感情の二重表現の法則jというものを指摘する。わ れわれは,しばしば気分と天候とを重ねて,気分がすっきりしていると きは「晴れ晴れとしている」と表現したり,気分が重いときには「空が どんよりしている」と形容したり.する。このとき太陽の日一差しや雲の広. がりは,イメージとして用いられている。つまり,感情は何らかの具体 的なイメージと結びつけられて表現されることが多い。感情はイメージ を選び創り出すのである。このように,イメージには多かれ少なかれ感 情的要素が入り込んでいる。これを財メージの喚情性」という。 このような感情的平面のイメージが問題とされるのは,主に国語の学習 における文学作品理解という場面である。なぜならば,文学作品の場合,. 作品の論理的把握と同時に共感的理解が大切であるが,読み手に共感を 引き起こすのは「文字で表現された作品世界から呼び起こされた印象や イメージ」であるからである。したがって,授業では作品の世界を豊か にイメージ化することが不可欠とされるのである。 (④,PP.82−83要約). 8.
(12) イ.認識的平面におけるイメージ. 社会科においてイメージが語られるのは,この平面でのイメージであろ. う。ここでは,認識は感性的なものから概念的なものへと向かい,この 文脈の中でイメージは具体と抽象を媒介するはたらきをするものという 位置づけがなされる。先に考察した久坂氏のイメージ論も,これと同じ 考えに立っていると言える。だが,中村氏の場合,さらに一歩踏み込ん で,抽象的な概念などを子どもに教える際には,子どもの思考がイメー ジを経ているかどうかで,獲得される概念的な認識の質が左右されると している。このことを中村氏は,次のように述べている。. 「端的にいえば,イメージを媒介にした理解を経るか経ないかで,子ど もに成立する認識の質に決定的な違いが生じるのである。イメージが具 体と抽象を媒介できるのは,イメージ自身が多かれ少なかれ抽象的概念 のもつ本質的内容を反映できるからであるが,その場合,具体→イメー ジ(半具体)今抽象という上向きの流れだけでなく,抽象今イメージ今. 具体という下向きの流れにおけるイメージの媒介機能を見落としては ならない。」 (④,p.8D. この下向きの流れにおいて,イメージは概念の抽象的内容を圧縮と象徴. を重ねたかたちで直感的にその内容を表現する。一方,上向きの流れに おいて具体を抽象的概念へ橋渡しを果たしたイメージは,それで役目を 終わるわけではないという。中村氏は,このことについて,次のように 述べている。. 「概念の成立とともにイメージ自身が捨象,拡大,圧縮,組合せ,総合 などの主体(子ども)の能動作用によって形を変え,概念の抽象的内容 を直感的に,いっそう象徴的に表現できる一般性をもったものに発展す るのである。抽象的概念と発展したイメージとの間にこのような新しい 関係が創出されるからこそ,主体(子ども)にひとたび成立した抽象的 概念は,今度は発展したイメージを介していっでも具体的な事象へと下 降していくことができ,たんなる言語主義に陥らず,豊かな内容をもつ ことができるのである。」 (④,p.82). この記述をもとに,中村氏の考えるイメージ具体・抽象との関係を図式 化すると,図1−2のようになる。. ここでは,イメージは単なる知覚や記憶の再生とは異なり,認識過程に おいて積極的な役割を果たすものとしてとらえられている。イメージは,. それまで具体を抽象的概念に結びつけるものとしてとらえられてきた傾 9.
(13) 向がある。つまり,中村氏のいうところの,具体から抽象へと向かう上 向きの流れにおける媒介機能がイメージの最大の特徴であるとされてき たのである。したがって,イメージ研究の重点もイメージのもっこの機 能をいかに効果的に発揮されるかに注がれていた。. 半具体. 抽象的概念. 具体的事象 発展した抽象的イメージ. イメージ 図1−2 中村氏の論におけるイメージと具体・抽象との関係. しかし,中村氏はここで認識過程におけるイメージのもう一つの機能,. すなわち抽象から具体へという下向きの流れをも重視し,そこに論理的 な説明を加えた。概念が具体的事象に適用される場合には,イメージが 具体的イメージへ「分化し,転換し,下降し,抽象と具体を媒介」する というのである。この下向きの流れにおける「発展したイメージ」こそ, 具体と抽象との往復を活性化させる上で,極めて重要であるというので ある。そして,この具体と抽象とを結ぶ,双方向の流れが統一されて抽 象的概念が成立するとき,それは科学的認識となるとしている。 さらに,中村氏はイメージの実体論についても論述している。これは久. 坂氏の論では知覚との区別が極めて曖昧なものであった。中村氏はこの 点について,次のように述べている。. 「概念が言語的に定義されるだけで子どもに成立するとしたら,それは 科学的認識としては不十分と思われる。いかに正確に定義された概念で も,言葉主義にとどまっては深い認識とはいえないからである。イメー ジがたんに感覚・知覚の再生であるとすれば『動物一般』のイメージは 不可能であるが,イメージとはそのようなものではなく発展するもので ある。『動物一般』のイメージは,たとえば,これまでの経験(種々の 動物の実物・映像・画など)から得られた個々の動物のイメージや,そ. れらの動物について学んだ諸知識から組み立てられたイメージが組み 合わさり,浸透し合い,圧縮,総合などされて,主体(子ども)なりの 10.
(14) 独特な形で成立しているのである。」 (④,P.82). この記述から判断すると,中村氏はイメージを二つに分類してとらえて. いることが分かる。一つは,個別のイメージであり,もう一つは個別の イメージが複数集まってできた総合的なイメージである。認識過程にお いて能動的なはたらきをもつのは,後者の総合的なイメージである。以 上のことを整理すると,中村氏の考えるイメージの特徴が次のように浮 かび上がってくる。. ・イメージには,総合的なイメージと個別的なイメージがある。. ・総合的イメージは複数の知覚像に似た個別のイメージの集合体であ る。. ・総合的イメージは,主体(子ども)によって圧縮・総合などにより,. さまざまなかたちをとつてっくられている。 ・個々のイメージは,経験や知識を基盤としている。. 中村町のこのイメージのとらえ方は,久坂氏のそれと比較して一段深い. 洞察がされている。特に,思考過程におけるイメージの能動的役割がシ ャープに説明されており,久坂氏の論において不明瞭だったもののうち かなりの部分がそれによって説明することができる。. しかし,中村氏の論によれば,これもイメージのもつ一つの側面にすぎ. ず,感情的平面と認識的平面の両面の統一が必要であるという。氏の主 張する認識と感情の統一としてのイメージとはどのようなものなのか。 ウ.認識と感情の統一的作用としてのイメージ(想像). 中村氏は,これまでみてきた感情的平面におけるイメージと認識的平面. におけるイメージとは別に,両者の統一的作用としてのイメージを「想 像」という用語で示している。. 「想像は,認識と感情のはたらきを『いま・ここ』という直接的な限定 から開放するところにその本質的な性格がある。つまり,想像の発達と ともに,思考や感情が知覚的に限定された個々の印象から自由になり,. 直接知覚しなかった世界や間接的にしか経験されることのない世界を 認識の対象,共感や同化の対象としてとり込むことができるようになる のである。その場合,想像の発達と思考や感情の発達とを媒介するもっ とも重要な要因は言語の発達である。」 (⑤,p.86). ここで,第3のイメージ(想像)が登場してきたわけである。ここで述 べられているように, 「想像」は言語と密接な関わりをもっている。言 11.
(15) 語と・「想像」とはどのような関連をもつのか,中村氏の論からそれを探 ってみる。. 「このことの意味は,子どもは言語を獲得しそれを内面化(内言化)す ることによってこそ,直接的な限定を離れ,観念的に頭のなかで対象を 操作できるようになるということである。換言すれば,子どもは言語を 発達させることにより,想像の世界を飛躍的に拡大し,シンボルや概念 の世界をもつことができるのである。この場合,抽象的で概念的なもの. へと発達した思考が知覚的な限定を超えた自由な想像を可能にすると いうことと同時に,自由な想像が個々の印象を超えたより高次の抽象化 や概念化を可能にするのである。」 (⑤,p.86). 想像は言語という表現手段を得ることによって,より抽象化され,一般. 化された概念として位置づけられることになる。つまり,言語化される ことによって,はじめて知覚的な限定を超えることができるというので ある。したがって,言語化されない段階にある感情的平面や認識的平面 のイメージは,知覚などの直接的世界の限定を受けたもの,言い換えれ ば,知覚像の領域を決して超えることはできないという解釈になる。 しかし,そこではイメージと言語との関係について,厳密な吟味が欠け. ているように思える。イメージと言語との関係について考察することは 後に譲るが,ここでは経験や具体的・個別的事象とかけ離れた抽象化は かえってイメージを用いる利点を失わせてしまうという点を指摘してお きたい。そのことは,何よりも氏自身が批判しているような「言葉主義」 への傾倒であり,論理の自己矛盾を引き起こす重大な問題なのである。 宇佐美寛政はイメL一一一Eジの言語化について次のように述べている。. 「言葉はイメージそのものではないのだから,言葉でイメージを置きか えるわけにはいかず,したがって,『…について』という形でとらえざ るを得ない。ところが,言葉は対象を抽象的に類化して指し示すはたら きの強い記号であるから,当然『…について』は,一定の観点によって. イメージの一部のみを切りとって名前をつけるという方法での整理で あるということになる。いいかえると,『…について』あるいは,むし ろ『…を』考えているというのは,イメージに対してメタ記号的関係に 立つ整理を加えたことなのである。」 (⑥,p.33). たとえば,ある人が自分の経験に基づいた具体的で豊かな内容をもった. イメージをもっているとしよう。彼(彼女)は,自分の抱いているイメ ージのすばらしさを他の人にも知らせたいと思い,それをある言葉を用 12.
(16) いて表現したとする。この場合,それを聞いた人は,彼(彼女)と全く 同じイメージを共有することができるだろうか。厳密な意味でいえば,. それは不可能である。宇佐美身が言うように,イメージを言語化したも のは,イメージのもつ相当な部分を捨象して,その一部を切り取ったも のである。同じ事象を見たとしても,その表現の仕方は千差万別である。 イメージの全てを言葉で言い表すことはできない。したがって,イメー ジは言語化された時点でかなりの限定を受けたものにならざるを得ない のである。. このことはもちろん,イメージは言語化できないということを示してい るのではない。・言語化されたイメージには,そのような制限がともなう. ということを意識して用いるべきだと言いたいのである。中村氏の論で はこの点が安易である。言語化されたイメージから,直ちに具体的な認 識や共感のような感情に到達できると短絡的に考えている。たしかに,. 言語化によって概念は,より抽象化することができるだろう。しかしな がら,繰り返すように,言語化された「想像」から感情や具体的認識を 直ちに引き出すことはできないのである。 中村氏のイメージ論は,まずイメージを歴史認識において論じるという. 歴教協特有のスタンスの上に展開してきた。したがって,そのイメージ 論はどうしても認識的側面に加え,共感的理解を抜きにしては語れない という背景があったと考えられる。このことは,氏の次のような論に端 的に表れている。. 「歴史認識の特徴の一つは,そこでとり上げれている事象が現在の出来 事ではないという点である。だから資料から得られる事実に基づいて,. 過去の出来事を再現しなければならない。この意味で,想像による創造 的な活動を抜きにしてな歴史認識は成立しない。そのうえ歴史認識のも う一つの特徴は,第二回でも触れたように,例えばある時代の時代認識 は,その時代の政治の仕組みや経済的構造や文化がどうであったかなど と同時に,農民や労働者など,その時代を支えてきた人々の暮らしぶり の理解が欠かせないという点である。そこでは,それらの人々の『身に なって』暮らしぶりを追体験ないし同体験し,共感的理解を深めていく ことが要請される。」 (⑤,pp.88−89). このように,中村氏のイメージ論は認識と感情という二元論に立脚して いるので,当然両者を統一する何らかの方法を打ち出す必要があった。 13.
(17) 氏の場合,それが「想像」であった。しかしながら,言語とイメL一・一一一ジと. の関係を慎重に吟味することなく,簡単に言語化と結びつけたため,か えってイメージのもつ有効性を失わせる結果となってしまったのである。 (4)山下国幸氏のイメージ論. 山下国幸氏は,イメージ化の問題を積極的に取り上げ,実践を重ねてい るという点で,歴教協におけるイメージ論の中心的存在の一人である。氏. は,それまでの聖教協におけるイメージ論と自分のそれのアプローチの違 いを次のように示している。. 「歴教協では1950年代から歴史教育におけるイメージ化の問題が追究さ. れてきたが,そこでは,歴史の基礎的知識や基礎的概念を獲得させるた めの方法としてうけとめるという傾向がつよかった。これに対して,わ たしは,イメージ化の問題を歴史教育のみならず社会科教育全体の問題 としてうけとめる。さらに,イメージ化を方法としてうけとめるだけで なく,実体としてのイメージを獲得,定着させることの重要性を強調し たいのである。」 (⑦,p.8). この記述から,山下氏のイメージ論のポイントを集約すると,次の2点 になろう。. ①イメージを,歴史教育だけでなく社会科教育全体からとらえる。. ②学習のねらいを達成させるためにイメージを用いるだけではなく,イ メージそのものを獲得することを学習の目的とする。. 前者に関しては,山下氏の論における「社会科の基礎学力とイメージと の関係」あるいは「社会認識との関連」に,後者に関しては, 「イメージ. の実体論」の部分にそれぞれ対応すると考えられる。つまり,山下氏のイ. メージ論の重要なポイントは,この2点に集約していると言うことができ るのである。論の展開上順序は逆になるが,以下山下氏のとらえるイメー ジとは何か,そして,社会科の基礎学力としてのイメージの位置づけはど のように考えられているのかをみていくことにする。 ア,実体としてのイメージ. 山下氏が実体としてのイメージに比重を置くようになったのは,人々の 歴史意識を基礎づけているものは, 「歴史の法則,概念,知識というも のではなくイメージであることに気づいた」 (⑧,p,70)からである。. 「わたしは戦後7年もたってからようやく科学的な歴史学にめぐりあ 14.
(18) つた。それ以後の独習のときわたしを悩ませたものは,『国史教育』時 代の虚像の歴史のイメージであった。…略…同時に,民衆史運動参加者. のうち,かなりの数にのぼる20代の青年,大学生,高校生の歴史意識 について考えてみた。そこで気づいたのは,彼らのもつ歴史のイメージ が貧弱なことであった。イメ二一・一一ジの貧弱な通史学習のくりかえし,受験. 用知識のつめこみの結果,かれらは,貧しい歴史のイメージ,断片的か. っ形骸的な歴史知識を基盤に歴史意識を形成することになったのだっ た。…略…何がその原動力なのか。いろいろ考えてみたが,掘りおこし. た民衆の歴史のイメージほど強力なものは見あたらなかった。」 (@,p.71). このような経験をもとに,山下氏はイメージを歴史教育ないし社会科教. 育における重要な問題として取り上げていったのであった。このように して,山下氏の論においては,イメージが歴史意識を裏付ける基盤とい う重要な位置づけがなされた。したがって,氏の論が歴史教育あるいは 社会科教育全体においては,まずイメージが最優先の問題としてとらえ られなければならないという方向に発展したとしても,何ら不思議では ないだろう。そして,それは当然ながら方法論としてよりは,実体論と してのイメージを重視する結果となって表れたのである。 それでは,山下氏のとらえるイメージとは,どのようなものだろうか。. 氏は,自分自身のとらえるイメージの概念を次のように示している。 「イメージはたしかに,外界の対象物の知覚を通して頭のなかにとりい れたものである。しかし,それは対象物のたんなるコピーではない。受 身的に見たり聞いたりしただけで形成されるものではない。イメージは,. 人が知覚を通した対象物にはたらきかけ,能動的に再構成したときには じめて成立する。このようにして形成されたイメージは,対象物が目の 前にないときでも具体的に思いうかべることができる。」(⑧,pp.71−71). この概念規定は,山下氏のとらえるイメージを簡潔に表している。しか. し,これは方法と実体という両面を含むイメージの概念である。山下氏 のいう実体としてのイメージを把握するには,やや射程が広い。そこで イメージ形成能力との関連を考えてみる必要が生じるのである。 山下氏は,イメージは子どもたちの社会認識の発達に応じて違った深ま. り方をするものである,ととらえている。そして,実体としてのイメー ジを問題にするときには,小学校,特に高学年段階の子どもを想定して する。なぜならば,この時期にイメージ形成の能力の発達がピークとな 15.
(19) ると考えているからである。このイメージ形成能力とは,氏の説明によ ると, 「過去の体験や見聞を意識的にありありと再現できる直感像の発 達」 (⑦,P.9)ということになる。したがって,山下氏のいう実体として. のイメージを,先の概念規定と照らし合わせて推測すれば, 「経験によ. る知覚像に何らかの意味づけがされて再構成されたもの」と定義するこ とができる。この実体としてのイメージは,次のように具体的に示され ている。. 「高学年の子どもは,弥生時代の登呂の農民たちが石包丁でイネの穂摘 みをしている情景とか,原子爆弾で破壊された広島の情景など,いわば 場面のイメージについては鮮明に形成する能力をもつ。しかも,静的な イメージだけでなく,動的なイメージをも形成できる。しかし,明治維 新の革新過程のような目まぐるしい変化,いわば変化過程のイメージに は弱い。それは,因果関係を論理的に追究していく能力,社会事象を多. 角的に考える能力が未発達なことと大きな関係をもっている。」 (@,p.73). ここには,さまざまなイメージが示されているが,どれも知覚像をその. 基盤として,対象を具体化するものであるととらえることができる。こ のような,実体としてのイメージは,社会認識や社会科の基礎学力とど のように関わってくるのだろうか。この点を次に考察したい。 イ.イメージと社会科の基礎学力. 山下氏は,科学的な社会認識は,子どもたちが生きた社会実践の中で,. 社会科教育で獲得した基礎学力を生かして体得していくものである,と している。そこで,問題としているのが,社会科の基礎学力とは何かと いうことである。山下氏は,一般的に論じられている社会科の基礎学力 として,次の2点を挙げている。. ①基礎的知識 ②基礎的知識を用いた,基礎的な社会概念の獲得 しかし,この2点に社会科の基礎学力を限定するのは狭すぎるとして, さらに2点を提案している。. 「社会科の基礎学力としては,基礎的知識や概念,法則以前のものも視 野にいれなければなるまい。それは,典型的な基本的事実や事例につい ての具体的認識とイメージの獲得である。さらに,以上の学力の獲得と その発展に密接にかかわるものとして,たとえば地図を読んだり,書い 16.
(20) たりするなどの基礎的な技術も視野にいれる必要がある。」 (⑦,p.6). 以上のことから,山下氏は社会科の基礎学力を以下の4っの学力が総合 したものとして考えたいとしている。. 学力A:基礎的概念や法則などに関する学力. 学力B:基礎的知識 学力C二具体的認識やイメージに関する学力 学力D:基礎的技術 ここで示されている4つの学力のうち,山下氏のイメージ論に重要な意. 味をもつものは,学力Bと学力Cであろう。このうち,学力Cに関して は,イメージの実体論の考察と重なっているので,ここでは学力Bにつ いてみることにする。山下氏は,これを歴史の基礎的知識と地理の基礎 的知識の2面から説明している。 まず,歴史の基礎的知識を構成する一部分として,人名・事件・地名・. 年代などの時代を理解する上で最小限必要な知識がある。これらをもと に,次の二つの要件を満たすものを歴史の基礎的知識とするとしている。. ①いくつかの基礎的な歴史用語が関連づけられ,ひとまとまりの知識と して定着していること。. ②その裏づけとしての具体的なイメージが定着していること。 たとえば, 「秩父事件」の学習では,〈自由民権運動〉,〈民撰議院設. 立建白書〉,〈板垣退助〉などの事項を関連づけて,最小限の説明がで きることが第一の要件となる。次の第二の要件では,秩父農民の困窮や 秩父困民党の蜂起についての生き生きとしたイメージを定着させている ことが要求される。そして,この二つの要件を満たしたとき,はじめて 「秩父事件」についての基礎的知識をもっていると言えるとしている。. このような,歴史における基礎的知識のとらえ方は,地理的なそれにも 応用される。すなわち,「米価」を例にするならば,〈生産者米価〉,. 〈消費者米価〉,〈米価闘争〉,〈外国農産物の輸入〉などを関連づけ て最小限の説明ができること,その裏づけとして米価闘争や農民の苦悩 などについてのイメージが定着していること,という二つの要件を満た しているとき,はじめて「米価」についての基礎的知識をもっていると 言えるとしている。 (以上,⑦,pp.6−8を参照・整理). これらのことから,山下氏は学力Cのみならず,学力Bに関してもそ こにイメージが深く関わっていると考えていることが分かる。したがっ て,これらの基礎的知識の上に成り立つ基礎的学力も,当然のことなが 17.
(21) らイメージの色彩が濃く反映したものとなる。そして,それは社会認識 の性格にも及ぶことになる。山下氏が社会認識には,論理的認識の側面 とともに,感性的認識の側面があると述べているのは,基礎的知識の獲 得とイメージとの密接な関わりを意識しているからである。 さらに,山下氏は社:会認識の発達段階と基礎学力の関連について述べて. いる。まず,社会認識の発達段階を①小学校低学年,②小学校高学年,. ③中学校,④高校の4段階に分ける。これと先にみた社会科の4つの基 礎学力を対応させて,各段階で育てるべき学力を次のように示している。 ①小学校(低) ②小学校(高). g g D. ③中学校. A 旦 C Ω. ④高校. A B C D (下線は重点. ⑧,p.74). もちろん,同じ学力であっても各段階によってその質は異なってくる。. ここで個別の学力をみることはしないが,その概観を述べれば,小学校 低学年はゆたかなイメージの下地をつくる段階であり,高学年はゆたか なイメージ形成と,これと結びつく基本的事実の獲得の場であると言う ことができる。さらに,中学校では,基礎的知識と結びつくゆたかなイ メージの形成が行われ,高校では基礎的知識を裏付けるものとしてイメ ージ形成が図られることになる。. このように,社会科の基礎学力の中心にイメージがはっきりと位置づけ. られているところに,山下氏のイメージ論の最大の特徴が見出せるので ある。. ウ.イメージを用いた具体的事例 次に,山下氏のイメージ論が具体的にどのようなかたちをとって授業に 具現化されているのか,この点について氏の実践例をみることにする。. 教材は,小学校6年「武左衛門一揆」である。この教材は,伊予吉田藩 におこった百姓一揆を物語化したものであるが,教材化に当たって山下 氏は, 「厳選した典型的教材についてのイメージ形成が最重点」となる として,「基礎的知識や概念は要求されない」と述べている。 この授業展開は,次に示すとおりである。. 18.
(22) 〈授業以前〉. 既得のイメージを総動員して教材を読み進めていく。ここで,既得のイ メージとの食い違いを含んだ第一次イメージをもつ。. 〈1時間目〉 子どもがもった第一次イ月日・一一ジを引き出す。その中から,授業で取り上. げるものをつかむ。. 次に,一揆の部分のイメージをはっきりさせる。この時間の重点を次の 2点にしぼる。. ①吉田藩の農民は,なぜ立ち上がらざるを得なかったのか。 ②一揆を起こすためには,どれだけの準備が必要だったか。. ここで子どもの第一次イメージと教師が与えようとするイメージとが衝 突する。第一次のイメージは,主観的で誤りを多く含んだものである。 したがって,そのひっくりかえしが必要となる。このようなひっくりか えしや深化の過程を経て,子どもたちのイメージが再構成され,第二次 イメージの(1)(2)がっくられる。. 〈2時面目〉 一揆はそのように成功したか,吉田藩はどうやって武左衛門をとらえた. か,の2点について1時面目と同じような過程を経て,第二次イメージ (3)(4)がっくられる。. 〈3時面目〉 武左衛門一揆の全体像を見通させ,第二次イメージの(1)∼(4)を連続さ. せる。=第三次イメージ(総合的イメージ) 次に,想像活動に入る。 ①班ごとの計画立案。 (詩,絵,劇化など). ②作業(イメージを他人に見えるかたちで表現する。) ③作品の発表と感想の述べあい。. (⑧,pp.76−77要約). これらの過程を通して得られたイメージについて,山下氏はこのように 述べている。. 「このような立案,作業,発表と感想の述べあいを通して,子どもたち. 個々の第三次イメージはふくらみ,確定する。ここで確定したイメージ は,一定の客観性をもつと同時に個別的である。」 (⑧,p.77). 以上,山下氏のイメージ論の概要をみてきたわけだが,山下氏のこの思. い切ったイメージの重視は,イメージ研究に新しい風を吹き込んだと言 19.
(23) う点で評価することができる。しかし,同時にいくつかの問題点を含ん でいたことも事実である。その最大の問題点とは,イメージを社会科の 目的とすることによって,社会科の科学性を失わせてしまうということ である。. この問題から派生したのが有名な山下・奥西論争である。これは山下氏. と奥西一夫氏との間で「イメージは目的か方法か」という論点で繰り広 げられた論争である。両氏の主張は次のようなやりとりに現れている。. 山下:「奥西さんの場合は基礎的な知識というのがかなりのウェートを もってくるわけでしょ。ぼくは,その基礎的な知識というのは,. 小学校の場合はいらないと思いきっちゃってるわけです。イメー ジだと。概念化は中学校段階のことで,本格的な通史学習は中学 校で始まるんだと。」. 奥西:「イメージを豊かにというのは,方法であってね。到達の目標と いうのは,歴史のなかを歩んできた人間のもつ事実の重み,その 知識をつかませることだと思うんです。イメージ化というのは, それをつかませる方法なんです。」 (⑨,pp.59−60). ここでは,基礎的知識よりもイメージ化を重視する山下氏の論と,「イ メージ化は方法であって,目的ではない。」とする奥西氏のそれとは, まさに対照的である。. たしかに,山下氏が社会認識には論理的認識という側面と感性的側面と. があるとして,感性的側面の重要性を訴えたことには一定の評価ができ る。しかしながら,感性的側面を強調するあまり,論理的な面を捨象し てイメージを社会科の目的にまで掲げたことは,社会科の科学性を放棄 する点で批判を受けることになった。伊東亮三氏もこの点に関して,次 のように批評している。. 「イメージ化を方法としてでなく社会科の目的としてとらえるときの 最大の問題は,社会科を感性的な学習としてしまう危険である。社会科 は文学教育ではない。社会科の中心はどこまでも社会の科学的な認識に ある。従って,社会に対する子どもの既成の見方やイメージを,科学的 な社会認識を通して,その科学的な認識と結びついた高次のイメージま で高めることがたいせつである。…略…最初の段階のイメージは浅ばく であったり,偏っていたり,歪んでいたりする。それが科学をくぐるこ とによって修正され,ひつくり返され,総体化されてくるのである。」 (O,p.10). 20.
(24) 山下氏のイメージ論は,結局,論理的側面か感性的側面かの違いこそあ. れ,社会認識の一側面の偏重に終始してしまった。それは,氏自身が批 判対象とした歴教協のイメージ論と同様の問題点を,自己の論が内包す るといった矛盾を露呈する結果となった。 3.香社研のイメージとその問題点. 宇佐美寛氏は,香丁丁のイメージ研究について,次のような記述をして いる。. 「…とにかくイメージについて,単に『イメージ』という語を挙げるだ けでなく,ある程度の内容のある考察を加えている数少ない業績の一つ であり,注目してよいものである。」(⑥,p.34). この言葉からも,香図研のイメージ研究が高い研究成果をあげているこ とがうかがわれる。そこで,香社研においてイメージがどのようにとらえ られているのかをみていくことにする。 (1)思考と学習の構造. 香鉱山では思考に焦点を当てて,「真に思考力を働かせて社会を見る力」 を養うことを根底とした,「考える社会科」をテーマに研究に取り組んで きた。そこでは思考とともに,その対象となる教材内容とが「有機的に統 一されている」ことが必要とされる。香社研において,思考の構造化とと もに教材内容の構造化が重視されるのは,このことによる。. ここでの思考のとらえ方のうち,最も重要なものは,思考は層から層へ の深まりとして把握されるというものである。香社研では,思考の層を三 つに分けて,次のように示している。 表1−1 思考の3層(⑩,p.12). 層. A B C. 思考段階 事実認識(現実把握) 関係認識(現象を整理し要素間の関係をみる) 本質認識(本質をつかみ概念化する). 思考はこれらの層をゆきっもどりっしながら,順次深まっていくとされる。. 21.
(25) 事実認識 一一→ 関係把握 一→ 本質的把握 (具体). ・・〉 (抽象). 図1−3 認識の深まり(⑩,p.13). この認識の構造をもとに,学習は次のような過程をとると考えられてい る。まず,認識の深まりは社会的事実を認識することから始まる。次に, その事実相互の異同関係,あるいは因果関係を追求することによって,学 習のねらいである社会的事象のもつ意味や法則が概念として把握されるよ うになるのである。 (2)認識における具体と抽象. 香社研では,思考を層構造としてとらえることに加え,それを具体と抽 象と関連させて論じている。ここにイメージについての考察が行われてい る。. 認識の出発点は,具体的に社会事象を見ることである。2年生の子ども が「お百姓さん」の学習をしょうと思えば,まずお百姓さんの仕事を実際 に,あるいは絵や写真によって,間接的に見なければならない。しかし,. 単に見るだけではそれは感性的な認識にしかすぎない。高社研では,これ を「映像」という言葉で示している。 「映像」は,社会事象を具体として 認識する方法の一つではあるが,その現象を意味のある構造をもったもの としてとらえているわけではない。. イメージは,社会事象を具体的に認識するもう一つの方法である。映像 とイメージとは似通っているので明確な区別はっきにくいが,香社研では 次のように説明している。. 「アメリカの農業を具体として認識する場合のことを考えてみよう。た とえば,広大な高地を走るトラクターとコンバインに見られる。あの大 農式の農業風景は,写真やスライドで見ることができる。しかし,それ は象徴としての映像でしかあり得ない。そこから,どうしても映像の示 す方向への認識の拡大がなければならない。あるいは,農産物の種類と 収穫高,耕地の広さ,など,統計のもつ具体的な内容を,コンバインに 代表されるアメリカ農業の映像に重ねなければならない。そこまでこな いと,アメリカの農業についての具体的認識が成立しない。」 (⑩,p.16). この場合は,もはや単なる映像ではなくてイメージであるという。そし 22.
(26) て,映像とイメージの二つを社会認識における具体と呼んでいる。この具 体に思考を加えて社会的な意味の抽象が行われるのである。 三社研は,学習は具体から抽象への限りない深まりであるとしている。 ここでいう抽象とは,具体的認識に対置して考えられるものであり,理性 的な認識である。具体的な認識は,映像やイメージによって把握される。 しかし,それらの客観的な意味は,言葉によって抽象されるものである。 したがって抽象とは, 「映像やイメージに思考を加えて,言語におきかえ たもの」 (⑩,p.17)ということになる。. (3)具体から抽象への思考の操作. 先に,思考は事実認識から関係把握,本質的認識という層構造を経て深 まっていくことを示した。そして,それと関連して,学習は具体から抽象 への深まりとしてとらえられることもみた。そこでは,具体に思考を加え て抽象が行われる。この場合,具体とは思考の層構造でいう事実認識に当 たり,抽象とは本質的認識に該当する。したがって,残された関係把握が,. 三社研のいうところの思考であるということになる。香童謡では,それを 具体に操作を加えるものとして,思考操作と称している。この思考操作に は,次の二つがある。. ①異同関係の把握. 5年の「大工場と小工場」という学習において,まず大小さまざまな工 場の写真や,その規模についての具体的な認識がされる。この後,大工 場,中小工場などの概念を抽象するために,「同じ仲間の工場に分けて みよう。」という学習問題が与えられる。この際に行われる,さまざま な工場の異同の弁別が思考ということになる。. この思考において最も重要となるものが,異同を見分ける分類の観点で ある。上の例でいえば, 「資本の大小」という観点を発見することによ って,はじめに工場を分類することができるのである。. ②因果関係の把握. 6年「世界の国々」の中で,朝鮮半島の国々を学習する際,「なぜ朝鮮 が二つに分かれなければならないのだろう。」という学習問題を設定す るとする。そこでは,同じ民族が現実として二つの国家に分かれて存在 しているという現象を生んだ,原因を把握することが学習の中心課題と される。このように,結果に対する原因,あるいは原因に関する結果を 考えていくことが因果関係の把握なのである。香社研では,この場合二 23.
(27) つの思考があるとする。その一つは,結果としての現象に対する原因と なる現象の発見と,それらを統一する必然性・法則性の発見である。二 つ目には,結果に対する原因としての概念の発見と,その統一がある。. このような二つの関係把握によって行われる抽象は,それぞれの特徴を もつという。異同関係の把握によってできあがる抽象は,概念的なもので あり,因果関係の把握によってできるそれは意味的なもの,あるいは事実 の解釈的なものであるという。 (以上,⑩,pp.5−21要約). 以上,香社研の研究の概要をみてきた。香社研では,まず思考と教材が 構造化されるべきという基本理念に基づいて研究が行われてきた。したが って,思考は層構造をもとにした段階をもつものとしてとらえられている。 その論の組み方は整合的であり,それまでの研究にはない緻密さと説得力 をもっている。特に,具体と抽象という二つの概念との関連において,思 考の位置づけがシャープに打ち出されている。. このように氏社研の研究は,思考の構造化では一定の成果をもたらした と言えるが,イメージも同じ様な枠組みでとらえてしまったことは,問題 を残すことになった。つまり,イメージも思考の層構造の一部分(事実認 識・具体)として位置づけられてしまったのである。しかも,それは異同一 関係や因果関係といった思考を生む材料であって,思考に対して能動的に. 働きかけたり,思考全般にわたって機能したりするという観点は全く無視 されている。. 宇佐美氏もこの点について,次のように批判している。. 「私はイメージや概念を思考過程における段階としては考えていない。 一つの過程としての思考を抽出する観点により『イメージ』あるいは『概. 念』という概念が成り立つのであり,それをはなれて,全くのイメージ のみ,あるいは全くの概念のみという思考段階は無いのである。だから,. 北国研のように最初の段階が単に具体的だとは私は思わない。…略…ま た私は,香社研の『理性的認識』の段階ではイメージは働いているとは 考えない。思考の発展は,イメージの発展であり,同時に『概念』の発 展なのである。何度もくり返すように,この二つは,抽象のしかたの違 いによって見出されるものなのであり,一方が他方にそっくり入れかわ るような関係ではない。」 (⑥,pp.82−83). このような点で香面隠のイメージ論は,歴教協のそれよりもイメージの とらえ方がより固定的であると言うことができる。. 24.
(28) 4.社会科におけるイメージ論の問題の所在. これまでみてきた歴教協,香社研のイメージ研究をふまえて,社会科に おけるイメージ論の問題の要因を探ってみたい。 伊東亮三氏が指摘するように,イメージを社会科に取り入れた最大の理 由は,社会科学科としての概念や法則性を子どもたちに教える難しさを解 決するためであった。したがって,イメージは抽象的な概念を子どもに教 えるための具体的な手段として用いられ,ここに,イメージ=具体,ある. いは,具体と抽象とを橋渡しするものとして,具体一イメージー抽象とい う2種類の構図ができあがることになったのである。. この二つの図式には,イメージの実体論と方法論とが含まれている。前 者は,イメージ=具体の図式であり,後者は具体一イメージー抽象の図式 である。そして,これ以降,社会科におけるイメージはこのどちらかを重 視した論,あるいは,両者の統合を図るものとして論じられてきた。歴教 協における久坂氏,山下氏,そして香社研の場合は前者に,一方,中村氏 の場合は後者に該当することができる。. しかしながら,社会科においてイメージが用いられた当初の目的からす ると,イメージに求められたものは,何よりもその具体性ということにつ きる。したがって,実体論であれ方法論であれ,その基盤を知覚的な像を 置いているという点では共通していたのである。実はこのことが,社会科 におけるイメージ観の固定化とそれにともなうさまざまな問題を生むこと になったと考える。. たとえば,実体論としてのイメージが,知覚的な像に極めて似通ったも のとしながらも,その差異を明らかにすることができなかったこと。また,. 方法論としてのイメージにおいても,絵や写真,あるいは劇化などの知覚 的な像を想起させる手段から脱しきれなかったことも,知覚的像を基盤と した固定的なイメージ観に端を発している。. このように,従来,社会科においてイメージが論じられる際には,その 基盤に固定的なイメージ観が据えられていた。そして,そのことが多くの 問題点を生む要因となっていたことは,今考察したとおりである。. そこで,イメージを別の観点からとらえ直し,新たなイメージ観を得る ために,次節では認知心理学におけるイメージ研究に目を向けることにし たい。. 25.
(29) 第2節 認知心理学におけるイメージ論と新たな展開 前節では,社会科におけるイメージ論が,知覚的像に基づいた固定的な イメージ観の上に展開されてきたことを明らかにした。また,社会科にお けるイメージ論の問題がそこに起因していることも,指摘したとおりであ る。. 本節では,認知心理学の研究成果に学んで,新たなイメージ観を追究す る。. 1,認知心理学とイメージ研究. 認知心理学の基本的枠組みは,人間の思考全体を情報処理的システムと してとらえることに置かれている。すなわち,人間は外界から必要な情報 を取り出し(知覚),それにいろいろな操作を加え(思考),その結果を 関連づけて蓄積する(知識)といった情報処理を行っているというのであ る。これを最もシンプルなモデルとして表したものが図1−4である。. 感覚. 外界. 剔?ノ. パターン. @認識. 短期記憶. 長期記憶. 図1−4 人間の思考の情報処理的システム(⑪,p.159). 外界の情報は,一時的に感覚貯蔵庫に蓄えられ,パターン認識のはたら きによって取り出される。この段階が知覚の過程である。次に,そこで取 り出された情報は,短期記憶と長期記憶からなる知識の貯蔵システムで蓄 えられる。このうち,長;期記憶とはその人がもっている知識であり,短期. 記憶とは,現在活性化されている部分を指す。思考はこの活性化されてい る部分で行われる。長期記憶の中では,各情報がさまざまな仕方で関連づ けられ,構造化されて存在している。. イメージも以上のような情報処理システムの中でとらえられることにな る。宮崎清孝氏はこのことを次のように言い表している。 「人間が心の中にイメージを持つという時,人間は情報をどのように構 26.
(30) 造化しており,どのような形で持っているのか,ということが,認知心 理学におけるイメージの問題である。従ってそれは,言語や意味理解の 問題と密接に関連している。人が内言を使って思考している際,情報は どのような形で存在しているのか,人間が何事かの意味を理解したとい う時,情報はどのように構造化されているのか。認知心理学は,イメー ジを常にこれらの問題との関連で研究する。」 (⑪,p.i60). イメージ研究を素朴な内観に頼る限りでは,イメージは「心の中の絵」. つまり,知覚心像に類似したものでしかありえない。それは,イメージが 心の中でどのようなかたちで存在しているのかを,情報処理的に解明しよ うとする余地を与えない。したがって,認知心理学では内観を一度しりぞ けて,イメージの問題をあらためて実験によって明らかにしょうとする。. 次項では,認知心理学においてイメージがどのようにとらえられてきた のか,その過程をみることにする。 (以上,⑪,pp.158−160要約). 2.認知心理学におけるイメージ研究の歴史 (1)60年代のイメージ研究と「二重コード説」. 認知心理学におけるイメージ研究は大きく二つの時期に分けられる。60 年代の研究と70年代のそれである。. その第1期,60年代は,認知心理学においてイメージが重要な問題とし て取り上げられるようになった時期である。この時期に,イメージをもつ ことによって言語記憶が促されることが,さまざまな実験デS一一一ターに裏付. けされて報告された。また,「二重コード説」が提出されたのもこの時期 のことである。. ペイビオによって主張された「二重コード説1は,人立は心の中で情報 を二つの形式でコード化してもっており,それ以外の形式をとる情報は存 在しないというものである。その二つのコードとは,音声的(verbal)なコ. ードとイメージである。この考えに立つと,イメージを用いると言語記憶 が増すのも,情報が音声言語的なものとイメージの二つの形式で蓄えられ るからである,と説明することが可能となる。もっとも,この時期にはイ メージのもつ効果に焦点が当てられ,その実体は明らかにはされなかった。 しかし,それ以降のイメージ研究の基礎となったことは確かである。この 時期のイメージを宮崎氏は,次のように表している。 27.
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総合支援センター スポーツ科学・健康科学教育プログラム室 ライティングセンター
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向井 康夫 : 東北大学大学院 生命科学研究科 助教 牧野 渡 : 東北大学大学院 生命科学研究科 助教 占部 城太郎 :