教育公務員の長期研修に関する一考察 : 新教育大学における現職長期研修を中心として
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(2) 3 教員研修の多元的高度化期(昭和45∼現在)・52. 次. 目. 第4節 戦後の長期研修に関する争点・・………・・59 1 教員研修に関する争点の分類・・・・・… …・・60. 123456序. 序新教献学・大学院への関心……・・…・……1. 2 教員に対する研修命令が違法とされた事例. 問題への関心…… eseeeeeeeeeteeteeseeee. 問題の所在・…・… eeeeeeeeeeeeeee−e−eeet. (大学においての長期研修命令拒否事件)・・63. Q. 3 その他の事例・……… ……・…・・・・…69. 対象の固定化・…・・ tteeeeeteeeee−e−eeeeet S. 第1章 注・………………・・…・……’●●了0. 先行研究の吟味…・ eteeeeeeeee−eeeeeeeeee. 研究仮説…・…… eeeeees−eeee−teeeeeee 研究方法・……… ee−eeeeeeee}一e“eeeeee. 撃n. 注……・……… eeeseeeeeeeeeeeeeetee. P3. 第2章新教育大学の歴史…………・……79. 撃n. 第1節 大学院設置基準の制定………・・……・・80 1 大学院は何をするところか………・…・・81 2 大学院をどうするか・………・・…・・…・85 3 大学院の目的・理念・……・・…・・…・…88. 第1章長期研修の歴史・………………・・14 第1節. 戦前の長期研修の軌跡…・…・……・…・15. 1. 明治期における研修…・… …・…・・・・… 16. 2 3 4. 大正期における研修・… …………・…・20. 第2節. 戦後の長期研修の成立・… …・…・・……26. 1 2. 教育刷新委員会の建議(教員身分法の制定)・27. 第2節 新教育大学の創設……・・…・…・…・…90 1 教員のための新しい大学・大学院(構想)…90 2 第84回国会における審議(参考人の意見)・・100. 昭和期(戦前)における研修・・… ……・…22. 3 第84回国会における審議. 長期研修の戦前的特質……・・…・…・…25. (衆・参文教委員会)・…・・…・…・・…・・120. 第3節 新教育大学と現職長期研修の結合・……・129 1 参議院文教委員会の「附帯決議」………・129. 教育公務員特例法の研修条項・研修. 2 新教育大学への教員派遣について. に関して・…・・………・…・……・…・29. 3 4. 教育公務員特例法の成立… ………・…・33. 第3節. 戦後の長期研修の発展・・……・・………38. 1. 教員研修の始動期(昭和20∼26年)… ……38. 2. 教員研修の展開期(昭和27∼45年)………44. (文部省通知)・・……・・…・・…… …・・133. 3 新教育大学と現職長期研修の関係・・……138. 教育公務員特例法と長期研修・・……・・…36. 目次. 第2章 注・…・・………・…・・…………142. 第3章現職長期研修の実態. 1. 目次. 2.
(3) (3)共通科目の選択 188. (兵庫教育大学を中心として)・…・・151. 第1節. 調査研究について…………・……… 152. 1. 調査の概要…………・・… …・……・152 (1)調査の対象、方法 152. (2)調査票の回答結果 152. 第4節. 在学中の研究・教育・生活・…………・191. 1. 研究テーマについて………………・・191. 2 3. カリキュラム全般について・…………・194 (1)大学への通学状況 200. (3)調査票の項目 153. 2 3. 先行研究・…・……・…・…… ……・・154. 第2節. 回答者の属性内訳・……・・……・・…・・160. 1. 教職経験年数・… ………・………… 160. 2 3 4 5. 入学前勤務校・・……… …・・…… …・162. 第3節. 受験の決意から入学へ・…・・・・… ……・168. 1. 受験動機(長期研修の動機)………・…・168. 2 3 4. 長期研修の派遣要項について…………171. (2)食堂利用について 202 (3)図書館の利用について 203. 研究仮説・・…・……・・・・・・… …・・・… 158. (4)大学院生研究室の利用について206. 第5節. 大学院修了後の実態・……・…・…・…・207. 1. 修了後の勤務状況………・・………・・207 (1)修了後の勤務校 207. 性別・・… ……………・・…………163. (2)学校内での勤務の変化 208. 年令・…………・…・…・…・……・・165. (3)同僚の反応 211. 職位・職種…………・…・・……・…166. 2. 修了後の教育実践状況・……………・・213 (1)“研究”への取り組み 213. (2)研究・教育の成果の発揮:215. 受験同意書について…・・……・…・…・177. 第4章 現職長期研修の課題 (新教育大学を中心として)・・……219. 長期研修にともなう経費、服務等・・……181 (1)派遣にともなう経費 181. 5. 日常生活(大学施設利用等も含めて)……200. (2)派遣にともなう身分 182. 第1節. 受験同意書と派遣要項・… te・・・… …… 219. (3)研修報告 182. 1. 受験同意書について・…・・・… …・…… 219. (4)派遣にともなう代員 184. 2. 派遣要項について・・…・……………・225. 受験のための勉強と試験科目の選択・…・・185. (1)派遣要項の内容 225. (1)受験のための勉強 185. (2)派遣要項の通知 228. 第2節. (2)受験勉強の考え方 187. 目次. 3. 現職長期研修の成果・…・・9・・…・・・・・… 230. 目次. 4.
(4) 1 大学院での成果とは何か………・・…・・230 (1)大学院設置基準第3条(修士課程) (2)研究・教育と成果 231. 2 成果は教育現場に活かせるか…………234 3 成果を活かすには………・…・……・・236 (1)成果をどのように活かすか 236 (2)現職長期研修の考え方 238 (3)成果を活かすためには 241. 第3節 現職長期研修の理念と実践………・・…242 1 仮説の検証… ……………・・… …・・242 (1)仮説①について 242 (2)仮説②について 243. 2 他大学に与えた影響 (教員養成系大学・学部)・・………・…・244. (1)大学院設置の歩み 244 (2)大学院設置基準要項(案) 246. (3)新教育大学創設以降の. 教員養成系大学・学部の大学院248 (4)新教育大学大学院の影響 249 3 現職教育重視の考え方・・…ee………・・251 4 まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 258. 第4章 注……………・・…・…………261 主要参考文献…・・………… …・・…・・…263 あとがき・・・・・・・・・・・… 一e・・・・・・… 一・・・・… 265. 付録(判例、調査資料)・……・…・……・・267. 目次. 5.
(5) 序新教育大学大学院への関心. 序新教育大学大学院への関心. 序 新教育大学・大学院への関心. 研修”に限らず、幅広く“研修”を積むという姿勢を貫いていく必要 があろう。. 1 問題への関心. 以上のような“研修”に対する個人的見解から現実をみた場合、た てまえと本音というか、“研修は必要なんだが、やってもやらなくて. 教員(教育公務員特例法によるところの)としての研修制度は、教. も同じである。(個人的な成果というより勤務実態をさしていると. 育公務員特例法第3章第19、20条に基づいている。現在、その解釈. 思われる。)それなら、やれる人、やりたい人がやればよい。”“自. ・適用(運用)について争点があるが、“研修”については、教員の職. 分の好きなものをやればよい”といった考えを耳にしたことが問々. 能成長、職務それ自体にとって必須不可欠である、という点で一致. あった。また、正直に言って私の心の中にもこのような考えが全く. している。つまり、争点は、現実の教員の実態をどうみるか、ある. なかったとは言えない。. いは、研修制度の適用(運用)をどうするか等、手続き・方法の問題. 幸いにも私は、新教育大学・大学院での現職長期研修制度により. と言ってもよいであろう。. 研修をする機会に恵まれ、先の“研修”に関する考え、今後の“研修”. 自らの(内的)自発性による“研修”要求は、できる限り尊重されな. のあり方を摸索していく中で、自らおかれている立場について考察. ければならないと考えるが、そのことが同時に(外的)刺激による自. することにより、“研修”が明らかにされるのでないかと思ったので. 発性の喚起からくる“研修”要求を否定することにはならないのでは. ある。つまり、現職長期研修制度を考察することで、所期の目的を. ないだろうか。つまり、校内研修・“官制研修’を押し付けの“研修”. 達成したいと考えたのである。. (強制参加という点で)と結論づけることは、(外的)刺激による自発. 性の喚起からくる“研修”を否定することにつながるのではあるまい. 2 問題の所在. か。またそれは、“研修”により職能成長するといった実態を軽視し. たものと言わざるを得ないことになる。教員は、自ら学び、自己変. 総ての教育活動にPDS(計画・実行・評価)が要求されるのと同. 革しようとする意欲を大切にし、自らの好みに応ずる内容のみの“. 様に、現実の社会を規制・調整している法規もPDSが要求されよ. 序新教育大学大学院への関心 1. 序新教育大学大学院への関心 2.
(6) 序新教育大学大学院への関心. 序新教育大学大学院への関心. う。現実の社会を規制・調整している法規をも社会的存在として客. 的経緯を踏まえ、 2)修了生の実態を明らかにすることによりせ. 観的考察の対象とする立場として法社会学があるが、そのような観. まろうとするものである。. 点で、新教育大学・大学院に関する制度(国立学校設置法及び国立. “制度”に対しても、評価が必要であるという意識が大切と考える。. 養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律)もその対象としてみ ることが必要である。つまり、法規に則った制度に対しても“評価”. 3 対象の固定化. が必要であるといえる。. 新教育大学・大学院た関する制度についてPDSを考察すると、. 日本の研修制度は、「教員は既成の教育課程を伝達する専門家とい. 以下のようになるであろう。. うよりも、本質的にはむしろ教育者になるように、教員養成の内容. を根本的に改変すべきである。最初の加速的な養成段階にひきつづ P(計画). いて循環する現職教育が行なわれるという原則が採用されるべきで. 設立時の論議(第84国会参議院文教委員会附帯決議に凝縮). ある。」(注1)に始まりOECD/C:ERI主催による教員の現職教. D(実行). 育を主題としtc一連の国際会議での「学校に焦点をあてた現職教育」. 設立(新教育大学・大学院での研修,教員の派遣制度の実施). (注2)を待つまでもなく、校内研修(研究)重視型をとってきた。し. S T. かしながら「結局、日本における校内研修は“ウチ”から、より開かれ. s修了生の評価(修了後の実態,制度,内容等の評価). た“ソドの諸資源への着視へと、一方英米の場合は“ソドから“ウチ. ↓(Pにたいする評価の足掛かりとしたい). ”の諸資源への回視へとヴェクトルを逆に向けっっ、いずれもが“学. S(評価). 校に焦点をあてた研修”を展開していくことが方法上の課題となる。. 今後の制度・制度運用は・・. 」(注3)という指摘のように、“研修”がより本質的であるたあには、. そこで、現職長期研修制度(派遣制度)・新教育大学大学院制度に. “ソドへの視点を忘れてはならない。. 関して評価するための手掛かりとして 1)長期研修,大学院の歴史. 「教員教育機関の機能は、教員の就職前教育の実施のたあだけで. 序新教育大学大学院への関心 3. 序新教育大学大学院への関心 4.
(7) 序新教育大学大学院への関心. 序新教育大学大学院への関心. なく、その後の教育にも十分に寄与するように拡大されなければな. ・対象. らない。したがって、教員教育機関が教員の就職前教育および継続. 第1期生,第2期生. 教育を実施することが望ましい。」としたユネスコの勧告(注4)によ. ・内容. る教員養成・教育機関(大学・大学院)の現職研修への大きな役割を明. 「院生対象調査質問表」13ページ. 記した世界的な動向を先取りしたかたちでの新教育大学・大学院で. ・結果. あるが、校内研修をより本質的なものへと高める(研修意欲の向上、. 大学院内部におけるカリキュラム等についての調査であるが、調. 研究理論の構成、再構成など)刺激剤になるかどうか、また研修制. 査結果は公表されていない。. 度の一つとしてどのように機能しているのか、いくのか、を考察す. 公表されていない点、教員の研修制度に関連した点が少ない等か. ることは重要であると考える。. ら、本研究の直接的な先行調査とは言い難い。. 4先行研究の吟味. ②日本教育学会教師教育に関する研究委員会土屋基規氏 1982年5月. 本研究での歴史的経緯に関しては、数多くの研究がある(注5)。. ・対象. しかし、新教育大学大学院の修了生に焦点をあてた調査研究は、以. 第1;期生(修了生) 61/144名(回収率42.4%). 下の通り限られている。制度が発足して間もないことからしかたの. ・内容. ないことではあるが、P(計画)時に多くの期待,懸念等があったこ. 「大学院に於ける現職教員の研修に関する調査研究」. とを考えると、S(評価)も多く出されることを期待しながら、本研. ・結果. 究との関連を踏まえて、以下を検討する(詳しくは、第3章で)。. 第41回日本教育学会にて結果報告(注6). 調査項目は主に大学院での教育に焦点をあてながら、受験動機,修. ①兵庫教育大学大学院 学校教育研究科委員会1982年3月. 序新教育大学大学院への関心 5. 了後の実態にまで言及している。しかしながら、修了直後という時期. 序新教育大学大学院への関心 6.
(8) 序新教育大学大学院への関心. 序新教育大学大学院への関心. であったため、修了後の実践を経た調査項目は、設定できていない。. 査でないといえる。. 第1期生を調査しその実態を明らかにし、公表したという点は評. しかし、教員の一つの属性(範疇)として修了生を設定しているこ. 価される。なお、本研究の実態調査は、土屋氏の調査に多くの示唆. とは、教育研究の役割について、何等かの差異があるのではないかと. を得ている。また本研究は、土屋氏の調査の追試という観点も含め. したこと(差異がないことを確認するためか?)などから、大変興味深. ている。. い。修了生に対する種々の期待の現れと言えよう。. ③国立教育研究所 教育研究の役割研究委員会山田達雄氏. ④都道府県教育長協議会第三部会 新教育大学への教員派遣につ. 1983年8月. いて 1984年5月. ・対象. ・内容. 第1期生(修了生) 51/112名(回収率45.5%). 派遣者側の調査で、各都道府県別の新教育大学への派遣状況につ. ・内容. いてまとめたものであり、修了生の実態については(特に意識につ. 「教育研究の役割に関する調査票」(注6). いては)言及されていない。. ・結果. 各都道府県での、受験希望者の増,減といった差や、派遣要綱の. 国立教育研究所研究報告書「教育研究の役割」にて公表. 不整備という現状が指摘されている。. 教育研究の役割について、教員に対する調査研究が主なもので、. ・今後の対応として. 教員の属性(国立小・中学校,私立小・中学校,公立小・中学校,研究指. (教育委員会の対応). 定小・中学校,兵庫教育大学大学院修了生小・中学校勤務)の一つとし. ア)長期的な研修計画のもとでの派遣検討。. て修了生が調査対象となった。 「回答者数が少ないために安定した. イ)学校現場への情報提供,制度の趣旨についての周知を図る。. 傾向を現しているとは言い難いので、参考資料として取り扱いたい」. ウ)派遣旅費の適正化・・増嵩を抑制しながらできるだけ多くの教員. (注7)としている点も含めて、直接修了生の実態に焦点をあてた調. 序新教育大学大学院への関心 7. に対し研修の機会を与える。. 序新教育大学大学院への関心8.
(9) 序新教育大学大学院への関心. 序新教育大学大学院への関心. 工)修了生に対して、その研修の成果を生かすことができる配慮が必. 5 研究仮説. 要である。 ・ (文部省への要望). 新教育大学大学院における教育公務員の現職長期研修強度を歴史. 研修等定数の引き続き確保. 的経緯、修了生の実態から考察することによって、以下のことが言え. (大学への要望). るであろう。. 教育指導についての不断の工夫改善を求ある。. 教育委員会、その他教育関係者の意見を大学の運営に生かすよう. ◇ 新教育大学大学院における教育公務員の現職長期研修制度にお. 要望する。. いては、それに作用する外的条件とともに、研修希望教員・所属. ・情報提供に努めることも要望する。. 長(校長)の主体的条件が、存在するであろう。. 以上のような調査・今後の対応についての報告であり、長期研修制. ◇ 新教育大学大学院における教育公務員の現職長期研修制度は、. 度を考察する場合の、新教育大学への教員派遣という“外的”条件整. 他の研修体系との関連で、その位置づけが求められるであろう。. 備について、派遣者側の意見を集約したものあって、修了生の実態. 6 研究方法. にせまるものではないといえる。. ①∼④の先行研究から多くの示唆を得た。. ・文献及び調査研究で行う. これらの研究が言及できなかった、修了後の教育実践を経た修了. (1) 文献研究概要. 生に焦点をあて、“研修の成果とは何か”等について検討をし考察す. 教員の長期研修の歴史的経緯、新教育大学大学院創設の歴. る。. 史的経緯に関して、文献研究を中心として考察する。 (2) 調査研究概要. 兵庫教育大学大学院修了生の実態調査を集計・分析する。. 序新教育大学大学院への関心 9. 序新教育大学大学院への関心 10.
(10) 序新教育大学大学院への関心. 序新教育大学大学院への関心. ☆調査の概要. 2)大学院の受験から入学までの過程について. 兵庫教育大学大学院修了生第1期生∼第3期生572名(現職者. 受験動機,派遣要項の入手,困難・障害,受験勉強,派遣費,報告等. 以外も含む、但し現職者以外の修了生については統計処理上、項目. 3)大学院在学中の研究・教育について. 総てについての処理をしていない)を対象に質問紙調査により実施. 共通科目の選択,研究テーマに関して,期待や要求に応えたか等. した。. 4)大学院在学中の施設利用、日常生活について. 昭和60年5月下旬に調査票を郵送し、その回答を無記名で求めた。. 通学方法,食堂・図書館・院生研究室等の利用状況等. その結果242票(内無効4票)で、回収率42.3%(有効回収率. 5)大学院修了後の勤務状況について. 41.6%)の回答を得ることができた。. 勤務の変化,同僚の反応,研究への取り組み,成果の発揮等. [242−4(無効)一9(現職以外)=229] 229票を集計. 6)2)∼5)から修了生の考え. 派遣要項の通知,同意書の与え方,入試科目(教育実践)等. 表1 専攻,年度別の回答人数,回収率 (年度). @単位. 購育 領域. 第1期生(55). 第2期生(56)冒一一魑一一一一一一一一一一一一一一一=一一…一一一一一一一一一. 第3期生(57)一一一一一一一一一一,『’,一曽r一暫曽…曽冒冒一…冒. 全 体一冒冒一一一一一■一一一一一一一丁一一一一一一一胃願. 7)その他. 人 % @人 % @人 % l % 60(26)i43.3 63(22)i34.9 75(39)i52.0 198(87)i43.9 74(32)i43.2 107(35)i32.7 193(87)i45.1 不明(1)i. 新教育大学での現職研修(今後は),研修機会拡大の方策は等. 374(154)i41.2 不明(1)i. 134(58)i43.3 170(57)i33.5 Q68(127)i47.4 T72(242)i42.3. 全体 ※( )内は郵送人数に対する回答者人数. (3) 論文構成概要. 序・・・… 新教育大学大学院への関心. ※9月以降に4名回答、最終回収率43.0% 但し、4名は未集計. 第1章・… 長期研修の歴史. 調査票は、以下の項目による。. 第2章・… 新教育大学の歴史. 1)記入者自身に関して. 第3章・… 現職長期研修の実態(兵庫教育大学を中心). 教職経験,勤務校,性別,年齢,職種・職位,他職歴,配偶者の有無. 第4章・… 現職長期研修の課題(新教育大学を中心). 等. 序新教育大学大学院への関心 11. 序新教育大学大学院への関心 12.
(11) 序新教育大学大学院への関心. 第1章 長期研修の歴史. ◆ 注 注1. ユネスコ教育開発国際委員会1972年5月18日・フォー・ル報告. 第1章長期研修の歴史. (Faure Report) 未来の学習(Learning to be)第8章第2節18. 教員養成より 注2. OECD/CERI(教育研究革新センター)1976年10月ストックホルム 会議で定着(School Focussed INSET). 注3. 注4. 中留武昭編著r校内研修を創る』エイデル研究所昭和59年. の研修(教員の日常的な研修とする)に対する研修ととらえると、単. ユネスコ第35回国際教育会議『教員の変化する役割ならびにそ. に期間の長さの違いばかりでなく、後者が一般に研修機関の提供す. (Recommendat ion on the Changing Role of the Teacher and. its lnfluenee on Preparation for the Profession and ln . 勘注 . 注8. 現職長期研修の現職を省略し、“長期研修”として述べる)を、短期. 253頁. の教職の準備および現職教育に及ぼす影響に関する勧告』. 注?. 長期研修(教員の研修は、現職であるのが普通であるので、以後、. る機会を利用するのに対して、この場合は、主として教員の側から の研修の希望、計画を実現するといった性格が強いといえる。また、. −Service Training)1975年9月3日 A基本原則20より. 短期の研修が教育の専門的事項について、新しい知識や情報の修得. 教員の研修についての歴史的研究は数多い。. に重点がおかれるのに対して、この場合の長期研修は、専門的事項. 日本教育学会教師教育に関する研究委員会編『教師教育の. 課題』明治図書昭和58年11月276∼295頁 教育研究の役割研究委員会編『教育研究の役割』国立教育 研究所内教育研究の役割研究委員会昭和59年3月 教育研究の役割研究委員会編r教育研究の役割』前掲書 15頁. に対する課題解明という研究的立場をとるといえる。したがって長 期研修は、「教職の専門性」の確立を志向する場合、極めて重要な位 置付けをもつものと考えることができよう。. そこで本章では、戦前・戦後の長期研修の軌跡をたどることによ り、長期研修を考察する。. 序注 13. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 14.
(12) 第1章 長期研修の歴史. 第1 節 戦前の長期研修の軌跡. 第1章 長期研修の歴史. 戦後へっながる模索段階であったともいうことができよう。 その制度的にも、実態的にも困難であったとされる「研修」にあっ. 「戦前の教師教育は、有資格教員の少なかったこと、それにもか. て、果たして長期研修についてはどうであったのだろうか。. かわらず多くの教員数が要求されたことなどから総体的には養成教 育と現職教育の区別がうすく、どちらかといえば前者にたえず重点. 1 明治期における研修. がおかれてきた」(注1)という指摘がある。また、「研修」あるいは、. 「現職教育」という言葉が具体的な意味内容を伴って広く定着するよ. 明治公教育の出発点において、我が国は、はじめて教師は養成さ. うになったのは、いうまでもなく戦後のことに属する。しかも、そ. れるべきものという思想を学びとり、明治5年の「学制」による「近. れは、戦後欧米での現職教育の重要性に関する再認識の風潮のもと. 代学校」の制度化に対応して、大量の教員の意図的・組織的養成を. に、我が国の学制への適応に関して使われだしたものとされている. 開始した。. (注2)。たしかに、戦前においては再教育もしくは、補習教育といっ. 従来の四書五経を中心にした儒学的教養を具備した教員では、近. た言葉が一般的であったように、言葉自体はもとより、その内容に. 代化を急速に進めることは困難であった。欧米列強に対して、我が. おいても、継続的・組織的・生涯教育的な意味合いをもつ今日的な. 国の独立を確保していくためには「富国強兵」の確立が不可欠であり、. 研修・現職教育理解とは隔たりがあるといわざるをえない(注3)と. 欧米列強にならって制度・技術・文化を改革し、それを担いうる国. する指摘もある。. 民の育成が急務であった。その有効な手段として「近代学校」が考え. しかし、この研修・現職研修という概念を、 「教職の歴史的発展. られ、それに即して教員の役割が考えられた。したがって、大量の. の過程で、しだいにその意味内容を豊かにしてきたものであり、戦. 教員の意図的・組織的養成は、その役割を担いうる資質を備えた新. 後になって突然出現したという性格のものでないことは明らかであ. しい教員を期して開始されたといえる。. る」(注4)としている点などから、戦前の「研修」は、制度の不備、. 明治5年の東京師範学校の設置にはじまり、全国を7大学区にし、. それによる応急的・補足的「研修」という困難の中にありながらも、. 各区に一校の割合で設立されていった官立師範学校を中心に、教員. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 15. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 16.
(13) 第1章 長期研修の歴史. 第1章 長期研修の歴史. 養成の指導の組織をつくり、そこの卒業生を各府県に設立された公. 学科取調員講習」が、現職教員への再教育計画を初めて具体化する. 立の教員養成機関の教員として任じ、「新しい教員」を養成する仕組. ものとなった(注6)。この時期が、戦前の長期研修の模索期といえ. みがっくりあげられた。もとより、急激な教員需要増に対して、よ. よう。. うやく開始したばかりの教員養成の成果を待っているだけの余裕は. 教員資格の有期制も再教育の前提となった。「学制」には有期劔の. なかった。そこで、府県では、「学制」にいう有資格教員(注5)が皆. 規定はないが、府県によっては師範学校卒業証書に裏書したり、また、. 無に等しいという状況下で、藩学・郷学・私塾・寺小屋の師匠はも. 教員不足に対応する措置としてとられた師範学校の学力検定による. ちろん、神官・僧侶・士族等で和漢学の心得のあるものを仮に小学. 免許状授与制では3年というように、初期においても一般的なもの. 校教員として任用し、後に、新教則・教授法等の概要についての「伝. であった。さらにこの制度は、明治10年代に至り、より明確に14年. 習」「講習」を受けさせるという方法をとらざるをえなかった。かく. 1月の「小学校教員免許状授与心得」では、府知事県令の発した免許. して、教員養成の事業は、「新しい教員」の養成と同時に、現職教員. 状を5年、同年8月の「師範学校教則大綱」では、師範学校卒業証書. への再教育として開始されたのである。養成段階の教育の不十分さ. の有効期限を7年というように期限を明記し、その後の教員資格が. を補うところがら出発した“再教育”=養成教育であり、明治前期の. 学力検定による免許状へと統一され、明治33年8月「小学校令施行. 過渡期を担う教員の特徴ともいえる。. 規則」において廃止されるまで、期限が満期になるたびに資格更新. 師範学校の制度的な整備とともに、教員の自主的な相互研修の組. が義務づけられていたのである(注?)。. 織化の動きも、文部省による教員研修計画の具体化にかかわってく. つまり、我が国の近代化を進めていく上で、教員においては、何. る。また自由民権運動が教員にも少なからぬ影響を及ぼすに至り、. よりも学力が重視され、社会の発展、学問文化の進展に対応するこ. 文部省は、政治的隔離策を打ち出し教育会(教員の自主的な相互研. とが要求され、教員の再教育及び自己教育による資質向上が当然の. 修の組織としての通称)活動を規制し、さらに、教員を人格の指導. 前提として考えられていたことを示すものといえよう。しかし、免. 者たるべく規定した「小学校教員心得」(明治14年)を公布し、教員改. 許状有期制は、結果的には十分な理念的検討が行なわれることなく、. 良をめざして、諸施策を講ずるに至る。そうしたなかで「小学師範. 教員の量的増大の要請、あるいは教員の身分保障の要求の前に、三. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 17. 儀1節 戦前の長期研修の軌跡 18.
(14) 第1章 長期研修の歴史. 第1章 長期研修の歴史. 身制へと帰着する(注8)こととなった。したがって、このことをもっ. て支給されていなかった点を改め、新たに一部もしくは全額を支給. てしても、免許状有期制は、教員の再教育及び自己教育による、い. できるとした入学条件の改善方策もとられている。この時期が戦前. わゆる教員の職能成長という観点での位置付けとしては、不十分で. の長期研修の発展期ともいえよう。こうした行政当局の諸方策も、. あったともいえる。. この期における教員研修の進展にあずかったものといえよう。. 明治30年代の教員研修は、その形態および内容においてほぼ戦前 における教員研修の原型を形づくるものとなっている。制度的には、. 2 大正期における研修. 教員研修の施設として、小学校教員講習科、伝達講習会、認定講習 会、校内研究会・・。他方、教育会主催では、研究会、授業参観、研. 大正期は、資本主義の発達を背景に、就学率が上昇し、また進学. 修サークル活動・・。多様な展開がみられるようになる。. 率も上昇することによって、中学校・高等女学校・実業学校などが. 明治32年の「教育基金令」は、日清戦争の賠償金によって計上さ. 拡大整備された時期であり、「この中等学校の発達は、師範学校の相. れ、現職教員講習への助成の契機をつくったが、日露戦争による緊. 対的地位を急速に低下せしめ、ひいては、小学校教員の職業集団全. 縮財政のあおりが直接、教育費にしわ寄せされたことなどにより、. 体の社会的地位をも低下せしめた」(注9)この状況の中にあって、多. ほとんど実効性をもたなくなった。. くの教員が転職していったが、それだけ教職にのこった者は教職に. 明治40年3月、小学校令が改正され、翌明治41年度から義務教育. 対して一定の自覚をもつようになったともいえよう。教育そのもの. が6年に延長されることになった。それに伴い教員の資質向上は最. に価値を見出だし、その実践に自分の生をかける教育実践者が誕生. も大きな課題の1っであった。講習会は夏季休暇を利用すること、. してきた(注10)。しかしながら、その大部分は、経済的援助を受け. 一定の要件を満たす講習会には、各府県配当教育奨励費をもって、. 得る者や、師範学校の附属小学校の教員などであった。. その費用の半額を補助することも達している。. また、この期は、民衆の教育要求の高まりを受けて、その再編、. また、明治41年の「小学校令施行規則中改正」(文部省令第18号)に. 修正、改編を迫られた時期でもあった。事実、これまでの教育史研. おいて、従来、在職のまま講習科に入学する教員の俸給が原則とし. 究によって明らかにされているように、この期ほど近代日本の教育. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 19. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 20.
(15) 第1章長期研修の歴史. 第1章 長期研修の歴史. 界に改革気運がみなぎり、多様な教育活動が活発に展開された時期. 合に、現職の教員の学歴・学力との関係(もちろん教職経験年数をぬ. はないであろう(注10)。. きに考えられないが)を調整していくという方向も忘れてはならな. 政府は大正6年に学制改革問題を審議する機関として、「臨時教. いという、研修の一つのとらえかたともいえよう。. 育会議」を設置している。この答申にある研修に関する意見具申で は、府県における教員研修の在り方を批判的にとらえ、効果的かっ. 3 昭和期(戦前)における研修. 計画的に実施するためにも、行政当局の積極的な取り組みを求ある ものとなっているが、具体的な施策として、特に目立ったものはみ. 大正デモクラシーから戦時体制へと、日本がファシズムへの傾斜. られなかった。 「ただ、府県における小学校教員講習科で、正教員. をたどりはじめる昭和初期は、教員養成を中心とする教員の資質に. を対象とするものが、徐々ににではあるが全体のなかでの比率をた. ついての批判が改あて登場する。学制改革論議の中で、教員研修の. かめていることが注目される」(注11)という指摘にあるように、教員. 改革案まで構想化されていくものであった。 「単に教員研修の必要. であるが、正教員となるための実質的な教員養成機関(=養成機関的. 性を強調するのみで、現状を打開し発展させる具体案をもたなかっ. 性格)となっていた教員講習科が、未来の教員研修機関的性格を強. た従来のものに比べ、より現実的な内容をもつ制度構想をも含む改. めていったといえる。この時期が戦前の長期研修の充実期といえよ. 革案であり、広範な在野の諸団体の意見を含み、かっ、何よりもそ. う。. の改革案自体が、戦後の教員研修計画の理念的遺産たりえただけの. 大正13年に設置された「文政審議会」の答申をうけて、翌14年の「師. 豊かな内実をもつものであったことなどから、注目すべき歴史的意. 範学校規程」の改正により、本科第一部の修業年限が5年に延長され、. 義を有している」(注13)とするように、この時期は民間を中心とし. 新卒者の学歴が現職の小学校長の学歴を上回るようになった。その. た教育改革への動きがあったといえる。. たあ各府県は、従来の制度により養成された教員、とりわけ校長、. 改革三三には、教員研修という考え方を“社会の発展、学問の更. 首席訓導などの管理職を対象に学力補修等の講習を実施した(注12). 新に対応したもの’から養成教育と教員研修とを継続的・組織的に. としている点は、新規採用教員の学歴・学力?の向上を図っていく場. 一貫性をもったものとしようとする、現代的な「教師教育=養成・. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 21. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 22.
(16) 第1章長期研修の歴吏. 第1章長期研修の歴史. 研修」の考えにも近い発想が登場してくる。. 関に委託生として入学せしめるの途を開くこととした意見がある。. 昭和6年5月、教育研究会の「教育制度改革案」(注14)は、教員養成. この意見は、大学やその他の研究機関との提携という点で注目され. の開放制案として紹介されているが(注15)、教員研修の観点からも、. るものであろう。また、目的・手続きは現在の長期研修と異なるが、. 養成課程終了者に対して1年間の試補としての実習を行い、検定を. 大学その他の研究機関での長期研修(現職のままで)ということでは、. 経た後に教員資格を与え、しかも、資格取得後5年ごとに講習を行. ここに現在の大学等研究諸機関での長期研修制度の原形があったと. い検定するというものであった。この点を、「教員研修を教師教育的. もいえよう。この意見を含む尚志会の案も、他の案と同様に、その. 観点から位置づけた改革案として注目できる」(注16)とする見方も. 後の戦時体制により、そのまま戦後に持ち越された課題となったの. ある。特に、教員免許を5年単位として区切る考え方は現実的であっ. である。. たと考えられる。つまり、明治33年8月「小学校令施行規則」にお. 行政当局の教育制度改革への動きは、昭和12年、「教育審議会」の. いて廃止されるまで、免許状に有効期限があったことや、5年を1. 国民学校制度:構想にみられる。研修についても論議され、昭和13年. っの単位として区切る考えかたが、その後の明治40年代から既にあっ. 12月8日、「国民学校、師範学校及幼稚円二関スル件」とした答申は. たこと、そしてこの改革案の3年後の昭和9年8月の立憲政治友会. (注19)、公的に初めて使用されたと考えられる(注20)「研修」という. による「教育改革案要項」(二重7)で、師範学校卒業後、5年目ごとに. の字句がみられ、教員の再教育としておよそ5年ごとの研修をする. 6か月間の再教育を施すことを提案していること、などからである。. といったように、研修が重んじられたものとなっている。このよう. さらに、教育研究会の制度構想をはじあ、その後も次々に出されて. な教員研修改革論が具体化された背景には、正教員が全教員中の90. いった(注18)。. %前後に達したという事実があったことも見逃せない(注2i)、とす. 長期研修の関係では、昭和16年6月、尚志会の「師範教育制度改善. る教員の需要と供給関係の安定化があったことが推測できる。. 案」の中に①国民学校幹部養成機関を師範大学に設け、国民学校教. しかし、国体観念を明徴にするという、研修とは異なった特殊な. 員より優秀なる者を選抜し、現職のまま入学せしむること、②国民. 目的をもって開催された講習会のほかには、具体的な施策の実現ま. 学校の教員中優秀なる者を選抜し、現職のまま大学其の他の研究機. では至らなかった。. 軸1節 戦前の長期研修の軌跡 23. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 24.
(17) 第1章長期研修の歴史. 4長期研修の戦前的特質. 第1章長期研修の歴史. 第2節戦後の長闘修の成立. 以上、戦前の研修の展開の申で長期研修に留意しながらみてきた. 戦前の「研修」は、前節でみたように、明治期から国または地方. が、そこでは制度が不備であったことと同時に、行政での研修は、. 公共団体によって、あるいは教育会や教員自身によって種々の講習. 応急的・補足的であって、臨時的・非組織的であったといえよう。. 会や研修会がもたれてきた。しかし、明治32年の「教育基金令」に. それは、先にみてきたように、正教員の慢性的不足が最大の原因と. みられるように、 「教員の研修に関しては、法令上の規定はなく、. 考えられよう。戦前の長期研修は、実質的養成教育から出発し、正. それはただ予算の許す範囲内において事実上行なわれたにすぎない」. 教員の増加とともに再教育の制度となり、ついに昭和初期には、大. (注23)とする。これは、大日本帝国憲法には教育条項がなく、しか. 学等その他の研究機関での研修という案も出るまでになったが、そ. も、教育法制は議会の決議を経た法律の体系としてではなく、天皇. の時期は既に戦時体制に突入しており、その後の展開を待たなけれ. の独立命令である勅令によってその骨格が定められるという、いわ. ばならなかった。したがって、戦前においては、形態としての長期. ゆる勅令主義の教育法制であったことに大きく関係するであろう。. 研修はあったといえるものの、本質的には“教育の目的”が違ってい. つまり、本格的な教員研修の形成は、戦後の教育法制改革を待たな. たことから、長期研修に関しては、戦前の長期研修、戦後の長期研. ければならなかったといえるのである。戦後の教育法制を機に、戦. 修と区別しておく必要があろう。. 前の自発的な教育実践・研究活動を基盤とした研修活動や、行政当. また、校内研修・教育会・師範学校附属小学校を中心とする、教. 局の取り組みが、本格的に展開したともいえよう。. 師達による自発的な教育実践・研究活動への取り組みを基盤として、. そこで、戦後の教育法制で特に研修と直接関係があると思われる. 研修活動が組織され、展開されてきたという事実も(注22)、注目さ. 教育公務員特例法について、その制定過程を中心にみる。. れなければならないであろう。これらの活動が戦後の研修の展開を 準備するということになったともいえるのである。. 第1節 戦前の長期研修の軌跡 25. 第2節 戦後の長期研修の成立 26.
(18) 第1章長期研修の歴史. 1 教育刷新委員会の建議(教員身分法の制定). 第1章長期研修の歴史. を決議し建議した。その内容は、大きく教員身分法の制定と教育者 の団体結成を促したものであって、当然のことながら、教員の研修. 昭和21年8月10日、内閣総理大臣の所轄の下に教育刷新委員会(昭. にも言及していた。研修についてみると次のとおりである(注28)。. 和24年6月に教育刷新審議会と改称)が設置された。これより先に、. 文部省の改革案(注24)や米国教育使節団(第1次)による報告書. 教員の特殊な使命に鑑み、教員の身分を保障し待遇の適正を. (注25)が出されている。特に米国使節団報告書は、我が国教育制度. はかり以って、教員をして、その職責の遂行を完からしめるた. 改革の根幹となったたことは周知のところであり、研修に関しても. め、政府は速やかに教員身分法(仮称)を立案すること。. 傾聴に値する見解が詳しく示されているところである(注26)。この. 二 教員身分法の立案に当たっては大体次ぎの諸点を考慮するこ. 委員会は教育に関する重要事項を調査審議して、内閣の諮二間に答申. と。. するだけでなく、自主的に問題を取り上げ建議する権限をもってい. 11教員服務規律. た。その第1回建議事項が「教育の理念及び教育基本法に関するこ. 官吏服務規律に準ずると共に教員の特殊性に鑑み一定の特則. と」(昭和21年12月27日建議)で、その4項には、以下のように書か. を設けること。. れていた。 「教育基本法の各条項としておおむね左の事項をとりい. 12研究及び教育の自由の尊重. れ、新憲法の趣旨を敷えんするとともに、これらの事項にっき原則. 13再教育又は研修の機会の賦与一. を明示すること。…8教員の身分…」としていた。ここに戦後教. 三教員は、その特殊な身分に基づき労働組合法による組合とは. 育法制の法律主義(注2?)(勅令主義に対する)が確立していくのであ. 別に、職能団体として左のような教育者の団体(仮称教育連盟). る。. を作ることが望ましい。. この建議に基づいて教育基本法第6条2項が生まれたわけである. 1 目的. が(昭和22年3月31日)、同条項をより具体化するために、昭和22年. 教育者としての品位を保ち、研究と修養に励み、教育者相互. 4月11H、同委員会は「教員の身分待遇及び職能団体に関すること」. の切さと扶助により、職能の向上と福祉の増進を期し、学生及. 第2節 戦後の長期研修の成立 27. 第2節 戦後の長期研修の成立 28.
(19) 第1章長期研修の歴史. 第1章長期研修の歴史. び社会への貢献をはかり、以って教育の振興に寄与すること。. はならないこと。但し教育に当たっては教育の目的に照らし. (原文は縦書き)下線は筆者. 各級の学校により自ら一定の制約の存することは認めなけれ ばならないこと。. 2 教育公務員特例法の研修条項・研修に関して. 13再教育又は研修 教員は一定の期間その勤務に従事したときは、現職現俸給. 先の教育刷新委員会の建議を受け、政府は教員身分法案を具体化. のまま再教育又は視察その他の研究のため、学校その他の研. していくことになる。それは、最終的に教育公務員特例として成立. 究機関に入り若くは内外の留学視察により自由研究をする期. するのであるが、国会での審議と、それに至るまでの種々の経緯(各. 間が与えられること。 (下線は筆者). 種の法案)〈資料入手困難の法案は間接引用〉を、教員の研修関係に. 第七 教員の団結権及び団体交渉権. 焦点をあてながら次に年代順にみる。. 19教員連盟 教員は、左の目的を達成するため、その自発的な自治的団. ①「獺射法流出案」. 体として教員連盟を組織することができるものとすること。. 文部省の省議資料として、昭和21年に作成されている(注29)。. (1)知能の研磨、徳操の酒養…。. 第四 服務. (2)教育制度の改革、教育内容の充実及び学校運営の民主化。. 11教員服務規律. (原文は縦書き). (2)教員は、国民の師表たるにふさわしく常に修養に努め、. この法案は、戦後の長期研修の原形とすることができよう。つま. 清廉に身を持すべきこと。. りここで使われている“再教育”は「研修」(=現職教育)の意味であり、. (3)教員は常に研究に努め、工夫と努力をつくすべきこと。. “その他の研究”と明記されている三等も含まれ、長期間にわたる研. 12研究の自由. 修も想定されていたといえるのではないだろうか。. 教員の研究の自由はこれを尊重し、何人もこれを制約して. 第2節 戦後の長期研修の成立 29. 第2節 戦後の長期研修の成立 30.
(20) 第1章長期研修の歴史. 第1章長期研修の歴史. ②「学校教師㈲射法に関する罷点」 ①に同じく昭和21年の細心省議におし・ては、次のような内容. の目的を達成するために研究と修養に努めなければならないのであっ. て、このため政令の定めるところにより、現職ののまま一層精深な. であった(注29)。. 教育を受ける機会が與えられること。」としていた。(下線は筆者). A 制定の必要の有無. 国家公務員法の特例としているのは、その後の国会での審議(後. 1官吏法に対する特別法として. 述)をみるかぎり、この時点ではまだ地方公務員法が成立していな. (イ)官公吏たる教員について、司法官等の場合と同じく一. かった点と、教員を戦前のように官吏としていたことによると思わ. 般官吏以上の身分の保障を図る必要はないか。. れる。. C 内容 1教師の使命. ④日鞭の文部大臣誌面轄. 2教師の職務(勤務時間の融通性等). 昭和22年10月の国会公務員法の制定後、政府の教員身分法立案作. 3身分の保障. 業に際して、民間からも各種の意見や要望書が出された。日教組が. 5教育の自由自主性. 文部大臣宛要望書として提出した「国家公務員法に基く教員に対す. 6教師の組合. る四則に関する件」(注30)では、研修に関して次のような内容であっ た。. ③前立、公立学校融融綱案」. ハ 給與については、「教育労働者の特殊性に鑑み、教員がたえず. 昭和22年9月8日に文部省より発表されたものである(注29)。第. 自ら修養研究しその資質を向上するに必要な給與を特別の手当. 1条の目的では、「この法律では、教員の職務と責任の特殊性に基き、. として支給する」こと。. その身分に関して国家公務員法に対する特例を定め、教員がその地. ト 「研究の機会及び教育自由の保障をなすこと」。. 位に安じて専心職務を遂行することができるようにすることを目的. チ 「内地留学制度を確立すること」。. とすること」とあり、第22条(研修の義務)では「教員は、常に教育. リ 「自由研究日を一年に二十日適すること」。. 第2節 戦後の長期研修の成立 31. 第2節 戦後の長期研修の成立 32.
(21) 第1章長期研修の歴史. 第1章長期研修の歴史. 内地留学制度を確立すること、研修手当を支給することは成立過. ている(注32)。. 程(国会の審議過程)でも問題となった。(後述). 「さきに第二回議会に國家公務員の特例法として、教育公務員の 任免等に関する法律案を提出いたしました。しかし同案は、國会の. ⑤「鞘三三の三三回する辮剰. 会期の関係上成立を見るに至らなかったのでありますが、隔心にお. 政府は、国家公務員法の制定(昭和22年10月)と関連して、それまで. いては同案の重要性を認あて閉会中も審議を続行する乱心議され、. の教員身分法案の構想を大幅に変更した。そして「教育基本法の精. 従って第三回國会に継続案件となった次第であります。しかるとこ. 神を敷:えん具体化し、米国教育使節団報告書の精神に沿い、教育刷. ろ、第三回國会において同案に対する一般法たる國家公務員法の改. 新委員会の建議の趣旨を尊重するとともに、広く民間諸団体からの. 正が行なわれましたので、これに伴って同案にも所要の修正を施す. 要望書、試案類の趣旨をくみ取り、内外の情勢を考慮し」(注31)て. 必要が生じました。また一方面おいては、教育の地方分権を目ざす. 教育公務員の任免等に関する法律案を立案し、昭和23年6月30日第. 教育委員会法は、去る七月十五日公布され、十一月一日から都道府. 2回国会に、内閣提出法案として提出した。同法律案の20条と21条. 県及び五大市その他若干の市町村において教育委員会が成立いたし. が研修条項であったが、内容的には現行の教育公務員特例法第19条. ました。公立学校の教員は、現在官吏の身分を有しており、かくし. ・20条とほぼ同じものであった。(同法律案20条では、「研修計画の樹. てはこれらの者の身分の所轄臆たる教育委員会の性格に適言しない. 立と実施については文部大臣又は教育委員会があたる」としている. ので、この面これらの者の身分を地方公務員に切りかえることが、. 点が少し違う). 適当であるとともに、教員の人事に対する教育委員会の関係を具体 的に明示する必要があるのであります。…これを撤回し、・・ここに あらためて『教育公務員特例法案』として提出いたした次第でありま. 3 教育公務員特例法の成立. す」。ということで、昭和23年12月8日に教育公務員特例法案とし 教育公務員の任免等に関する法律案のその後の経過については、. て第4回国会に提出された。第4回国会は臨時国会のため会期が短. 第4回国会衆議院文部委員会で時の下篠国務(文部)大臣がこう述べ. く、文部委員会の衆・参平行審議であった(注33)。. 第2節 戦後の長期研修の成立 33. 第2節 戦後の長期研修の成立 34.
(22) 第1章長期研修の歴史. 第1章長期研修の歴史. 提案理由の主要事項は三点にある≧される(注34)。その中の一点. べるとともに、その法制が確立することとなった。. が研修に関する点である。「教育公務員は、その職責の遂行上、当然. こうして同法案は成立(注33)したが、その後、昭和29年忌“教育. 研究と修養に努めなければならないものでありますから、この点に. 二法”の一つとして、第21条の3(公立学校の教育公務員の政治行為. ついて、国家公務員法の教育訓練に関する事項を積極的に拡充明示. の制限)が加条され、昭和31年の「地方教育行政の組織及び運営に. して規定いたしました」(注32)とする下篠国務(文部)大臣の提案内. 関する法律の施行にともなう関係法律法令の整理に関する法律」と. 容の概要説明である。また、辻田政府委員(文部省調査局長)は、「第. して、研修条項では“任命権者”の用語が、また、同年同法律によっ. 三章におきましては、研修の事項について規定しておりまして・・そ. て教育長の免許制度(免許制度に準ずる資格用件も)が廃止される. れは単に従事しておる者の義務としてのみでなく、権利としても研. 等の改正があり、現行の教育公務員特例法に至っている。. 修をなしえるような機会をもたなければなりませんので、従来単に 自発的に行っておりましたが、これを法の根拠のもとに行なうこと. 4教育公務員特例法と長期研修. ができるようにしたのでございます」(注32)という立法趣旨の注目 すべき発言をしている。(下線は筆者). 上述の教育公務員特例法の成立過程を通して、戦後の長期研修(戦. 研修に関する両院文部委員会の質疑応答は、主として研修費につ. 前に対して使用しているので、単に長期研修とするのと同意)をみ. いてであった。条文に研修費に関する一条(又は一項)を設くべきで. ると、教育公務員特例法の成立によって、法制面での基盤が確立し. はないか。とする質問に対し、具体的に研修費及びその支給につい. た時期といえよう。しかしながら具体的に教育行政として実現して. ては規定しなかったが、その精神は本案条文にある、としている。. いくには、「理論上は、要求される教育行政の内容や水準が教育財政. また、「…研修の最も重要な面は、長期にわたりましてほんとうに. の規模を決定するが、現実には、教育財政の規模が教育行政の内容. 研修を続けて行くという問題で、特にその最も効果的なものといた. や水準を決定する。」(注3’6)ように、困難な面があったことは、想像. しましては、…内地研究・内地留学という制度でございます」(注35). に難くないと思われる。つまり、その後の研修とは、教育職員免許. とした答弁がなされ、長期研修(内地留学等を含めて)の重要性を露. 法施行後の再教育主眼の現職教育としての本格的展開であった。こ. 出2節 戦後の長期研修の成立 35. 第2節 戦後の長期研修の成立 36.
(23) 第1章長期研修の歴史. のような再教育の場合であってすら昭和25年度からであった。但し. 第1章 長期研修の歴史. 第3節 戦後の長期研修の発展. これには、日教組が、講習会受講(再教育主眼の現職教育の機会と して)に伴う経済的負担等の理由により、講習参加中止指令を出す. 先に、教育公務員特例法の成立によって、戦後の長期研修の基盤. ということがあったことにも起因するが・…。本格的な長期研修は、. が確立した時期とした(前述)。. やはり財政的な裏付けを必要としたのであり、また、現職研修(長. 戦後の教員研修行政の展開は、戦後における教育政策・行政一般. 期研修とした)の派遣先に大学を前面にだしてくるのは、昭和33年. の変容を勘案して、およそ以下の3っの時代区分が可能であると思. 7月28日の中央教育審議会「教員養成制度の改善方策について」で. われる。. あった。(後述). 第1期 昭和20年∼27年頃 「教員研修の始動期」 第2期 昭和27年∼45年頃 「教員研修の展開期」 第3期 昭和45年∼現在 「教員研修の多元的高度化期」(注37). そこで、次に以上の時期区分に従って戦後の教員研修行政の展開 過程を概観するなかで、長期研修の推移をみる。. 1 教員研修の始動期(昭和20∼27年頃). (1) 戦後の教育改革の模索と教員政策. ①新教育方針中央講習会. 昭和20年8月15日から2か月後の10月15・16日、全国の教員養成. 第2節 戦後の長期研修の成立 37. 第3節 戦後の長期研修の発展 38.
(24) 第1章 長期研修の歴史. 第1章長期研修の歴史. 諸学校長と地方視学官が東京女子高等師範学校講堂に招集され、「新. 認へと変容していったように、戦後の政治経済政策の変化(注40)は. 教育方針中央講習会」が開かれた。この集会は“講習会”という名称. 教育政策においてもそれと呼応した様相を呈することになる。. に関する限り、戦後の教員研修事業の最初ともいえるが、内容は同. 教育政策一般においては、教育公務員特例法の成立過程でみたよ. 年9月15日に文部省から発表された「新日本建設ノ教育方針」を受け. うに、「基本的に米国教育使節団報告書」(第1次)に盛られた精神が. ての公教育再建への中央教育行政当局の見解の伝達が主であった。. ほぼ生かされる方向で、まずは法制面から整備されていったとみる. また、そこでの趣旨を、一方では「平和を愛好する文化国家、道. ことができる」(注41)といえる。すなわち、昭和21年11月3日公布. 義国家の再建」をいいっっ、もう一方で「平和文化国家の再建が我が. された日本国憲法の精神を基本とした教育基本法、学校教育法が翌. 民族保全、国体維持の生命線」(注38)であるとしているなどは、戦. 昭和22年3月31日に公布され、その翌年昭和23年7月15日には、改. 前の天皇制国家観を払拭しきったものではなかった。その後、10月. 革理念に沿って公選制の教育委員会制度を規定した教育委員会法が. 22日より12月31日までの間に出された4回にわたる連合軍総司令部. 公布され、同年12.月14日に教育公務員特例法が成立するといったぐ. (GHQ)の指令(注39)によって、戦後の公教育制度の基礎が品々に. あいであった(注42)。. 形づくられていったのである。. ②第1次米国教育使節団報告書. (2) 新教育理念・方策の伝達・普及(指導者層へ). しかし、戦後教育改革の方向を決定づけたものとしては、昭和21. ①視学官講習会等の開催. 年4月7日にGHQより公表された「米国教育使節団報告書」(第1. 既に昭和21年から、教育界の指導者層を対象にした研修事業が展. 次)の持つ意義は大きいといえよう。教員の研修についても詳しく. 開されている。同年10月、「視学官講習会」(全国9地区に分けて7日. 述べている(注24)。. 間)が実施されている。翌昭和22年3月24日から4月30日まで、「新. ③占領下での日本側の対応. 教育研究脇議会」(文部省主催・CIE〈GHQ内部の民間情報教育局〉後. 昭和23年7月のマッカーサー書簡とそれに基づく政令201号によ. 援)が開催されている。新しい学制の根本方針ならびに教科課程、. り、占領下での政策が教員を含む公務員の団体交渉権・争議権の面. 割3節 戦後の長期研修の発展 39. コース・オブ・スタディ(当時の表現)の趣旨とその取り扱い方を伝. 第3節 戦後の長期研修の発展 40.
(25) 第1章 長期研修の歴史. 第1章 長期研修の歴史. 達することが目的とされたこの協議会は、各地の教育行政官・校長. グループないし個人研究といったスケジュールで行なわれた。また. ・教員、教員養成機関の教員の中から各機関の長が選定した者が受. 基礎講義の場合でも、単なる講義一辺倒ではなく、全体討議、パネ. 講対象であった。また受講者は、各地域にもどって伝達講習を行い、. ル討議、実演、スライド利用などの方法が採用されるといった具合. 一般教員への浸透が図られたのである(注43)。. で、当時としては相当新鮮な方法がとられていたのである。. これらと同種の指導者養成を企画した現職教育も行なわれている。. 戦後まもない時期ではあったが、このような大規模な現職教育が. 「特殊教育教員再教育講習会」(昭和22年7月14日∼8月23日)、「新制. 実施されたことは、対象者が教育面の指導者層に限定されていたと. 中学校職業指導幹部教員養成講座」(昭和22年8月9日∼9月6日)、. いう限界があるものの、「教育的識見の向上、研究問題、研究方法に. 「新制高等学校教育研究会」(昭和22年夏)、「新制高等学校教員再教育. ついての示唆、大学教員と初等・中等教育の指導者との相互理解な. 指導者養成協議会」(昭和23年7月)などである。. ど、我が国の教育改革の新しい基盤を形成するうえで重要な役割を. ②IFELの実施. 果たした」(注47)とみることができよう。また、現職教育の方法に. 以上のほか、昭和23年9月からCIEの賛助を得て文部省が主催. ついても、その後の教員研修に影響を与えたといえよう。. し、全国の主要国立大学において展開された「IFEL(lnstitute For Educational Leadership)」(当初「教育長等講習」と称され、昭. (3) 再教育を主とした現職教育の展開. 和25年度からは「教育指導者講習会」改称された)がある(注‘‘)。. ①教員再教育計画. このIFELの実施(注45)は、昭和23年9月の第1期から昭和27. 昭和24年5月の教育職員免許法の施行にともない、昭和25年から. 年度の9期に及ぶもので、全国の国立十数大学を主たる会場にして、. 教員の再教育主眼の現職教育が本格的に始まった。. 総計約一万人の受講者を数えるほどの、「当時としてはきわめて大規. つまり、この年より教職にあった高等学校以下の校長及び教員を. 模な教育界の指導者層対象の現職教育であった」(注46)といえる。. 対象にして「教育職員免許法施行に伴う資質の向上・資格の上級化. 各講座の内容の展開のされ方が注目される。それは、研究問題を設. のための現職教育」が5か年計画として策定されたのであった。し. 定し、テ}・一一一回忌との委員会が設けられ、午前中は基礎講義、午後は. かし、計画どおり実施されずに、後の昭和29年6月の教育職員免許. 第3節 戦後の長期研修の発展 41. 第3節 戦後の長期研修の発展 42.
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