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随筆の生成
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語り手の問題をめぐって一
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中世随筆の生成││語り手の問題をめぐって
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目 第 章 第 節 第 節 第 三 節 第 四 節 第 五 節 第 六 節 第 七 節 第 八 節 第 九 節 第 一
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節 次 随筆 │ │ 想起の場としての物語 回想する序文 ・ ﹃枕草子﹄と﹃徒然草﹄ 1 1 回想するテクスト ・ 想起の場としての心・ 日記というエクリチュl
ル 集団の記憶と個の記憶 ・ ﹃たまきはる﹄ の 達 成 ・ 記憶の技術・ 私物化される記憶 ・ できごとの記憶と知の記憶 ・ ﹃枕草子﹄をつぎて書きたる物 ・ 1 5 日 12 18.
24 31 38 44 50第 章 第 節 第 節 第 節 第 四 節 第 五 節 第 六 節 第 章 第 節 第 二 節 第 飾 第 四 節 第 五 節 ﹃ 徒然草﹄ の 方 法 物 語 場 を め ぐ っ て 記憶の書としての ﹃ 徒 然 草 ﹄ ・ 59 ﹃徒然草﹄をめぐる問題点 ・ 60 物語叙述ともの定め 62 もの定めと言談の場 ・ 72 ことわる語り手 ・ 79 随筆としての ﹃徒然草 ﹄ ・ 89 ﹃ 徒 然 草 ﹄ の言述ーーもの言ひする語り手 内なる我と外なる我・ 101 ﹃徒然草﹄に見る言表行為 ・ 102 もの言ひの語るもの ・ 112 もの言ひする語り手・ 118 筆録されるもの言 ひ 123
第四章 第 節 第二節 第 節 第四 節 第五 節 第六節 第七 節 第八 節 第九 節 ︽ 初 出 一 覧 ︾ ・ 自 己 言 及 す る 語 り 手 声 へ の 回 帰 説話集の 中 の声 ・ 131 序践に見る自己言及 132 見 る身体と聞く身 体 ・ 138 ﹃ 沙石集﹄ 143 の見ることと 聞 くこと ・ モノローグの語り手 152 述懐ということ 159 説経 師 という 身 体 ・ 164 語 る よ う に 書 く こ と 声 の 文 化 と 改 稿 作 業 169 随 筆ということ 176 185
第一章
随筆
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想起の場としての物語
回想する序文 つ れ 六 ¥ な る ま ﹀ に 、 日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれ ば、あやしうこそ物狂おしけれ。 ( ﹃ 徒 然 草 ﹄ 新日本古典文学大系 以下引用はこれによる 。 ) あまりにも有名な﹃徒然草﹄のこの書き出しに秘められた意味はふかい 。 この冒頭表現(断るまでもないがこ の一文は﹁序﹂と銘打って書かれているわけではない)をめぐって、類似句や出典など、尼大な量の注釈史が積 み重ねられてきた 。 し か し 、 それらがこの短い一文の背後に秘められたこのテクストの﹁始発する事の史的な意 味﹂や﹁筆者の内的事情﹂を解明したとは言い難い 。 この﹁むずかしい言葉や珍しい表現をひとつも用いずに、 王朝以来使い古された否定的な用語ばかり﹂ で綴られた一文は、なおも問いを喚起し続けずにはおかないのだ 。 おそらく当時はそ う 名付けられることのなかった﹁随筆﹂というジャンル意識がもしあったのなら、今一度、も っと単純なことから考察を始めようと思う 。一
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年ほど前、﹃ 徒然草 ﹄の世界に足をふみ入 れることにな っ た 私 に 、 この序段は、非常に強烈な印象を 与えるものであった。 これは、現に文章を書きつづっている作者の、思索と生活のありょうを、あからさ まに表 現す る内容を持つからである a ( 傍 点 筆 者 ) 桑原博史が最初の一瞥で見抜いたように、 この官頭文の重みは、現存する語り手︿我 V の︿いま・ここ ﹀ を欄的 に表現したことにあるのではないか 。 それは、﹃ 日記・家記 のもっとも平凡でつつしみ深い き出 シ ﹄ で あ り 、 . ﹁ これは無柳をもてあましている人 問 が書き綴ったたわいない文章であると卑下した序章﹂ではあるけ れど、そ ういった謙退の言葉がある以上、︿い ま で ﹁そこはかとなく書き付 ﹂ けている書き手には、自分がこ れ から書き綴っていこうとする︿内容﹀ あるいは ︿ 構想 ﹀があらかじめ、少なくともある程度には 判 っ て い る ロ いうまでもないことだが、 これはいわゆ る自動筆記のようなエク リ チ ュl
ルではないのだ 。 つ まりこの書き出しの一文において書き手は、 以降に引き続いていく自らの言説に対して、 見通しのきく場に 身を置いていることを表明しているのだ 。 それが、﹁ き続けてきた文章﹂ で あ る の か 、 あるいは ﹁ いている 作者の心象 ﹂ であるのか‘今は 問 わない 。 少なくともそれは、 ﹁ あ や し うこそ物狂おしけれ ﹂ という感覚を惹起 する商みである 。 そのような(いま ・ こ こ ﹀ から自らの言説を見 つ め る ま な ざ し は 、 むしろ ︿ 回想 ﹀ のまなざし に近いだろう 。 なぜなら、謙退すべき ︿ 内容 ﹀ は 、 既にそこに見えているのだから 。 このような︿いま ・ こ こ ﹀ における謙退は、当の自身もまた テ ク ス トの内部にありなが ら そのテクス ト自体 を論じてしまう言説、すなわち︿ 自 己 言 及 ﹀ と言えよう 。 つ ま り 、 ︿ 語 る 我 ﹀ 、 ( 書 く 我 ﹀ に対して、今一つのメタ存在としての ︿ 思 う 我 ﹀ と い う場を設定して、そこから再帰的に言及を試みるのが ︿ 自 己 言 及 ﹀ で あ る 。 (これについては最終章で詳述する ので、今は立ち入らない 。 )︿自己言及﹀は︿回想﹀する︿いま・ここ﹀における語り手︿我 ) ( 物 語 ﹀ である 。 の実在を必然する 句 そ の 意 味 で 、 ︿自己言及)をもっエタリチュ l ルは常に広義での こ の よ う な 、 いまだ書かれざる︿内容﹀があらかじめ存在し、 それを ﹁ 書き付 ﹂ けたという事情は、次の書物 の執筆の動機を記した序文に典型的に見て取れる 。 こ
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、 ; 骨 川 ご & も 、 む と f 'll きながら く て 、 ぺがり る を1
今 、 あ る 高 き み 山 に 、 このやまとこと のはの道の風をも深く知ろしめせるあまりに、歌の姿をもよろしともいひ、 ことばをもをかしともいふこ -3 -と は 、 いかなるをいふべきことぞ、すべて歌を詠むべき趣、海人の拷縄こと長くとも、藻塩草かきのベて 奉るべき曲、仰せ出だされたる事あり 。:
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・ e・ 中 略 ・ る年の八年 月 の 中 町 ﹁ 4 草 の 庵タ風涼しく、苔の袖も朝露繁きにつけて、磨る墨もかつあらはれ 、 老いの筆の跡もいとど乱れながら記 h M 織 り ( ﹃ 古 来 風 排 抄 ﹄ 日本古典文学全集 以下引用はこれによる) いみじくもこのテクストは、右のように、 (初撰本)成立年月日の記述を序文中に持っている 。 そ れ 故 、 と の 序文は以下に続く部分よりも後で書かれたことは明らかだ 。 以下に寄かれであるテクストはすでに ︿ 回 想 ﹀ の 内 に あ る 。 そして何よりも重要なのは、 そのテクストを(書く ﹀ と い う 行 為 の 前 に 、 ﹁ 心 に は 動 き な が ら 、 こ と ぱには出し難く、胸には恩えながら、 口 に は 述 べ 難 ﹂ U
、
﹁申し述べ﹂るべき︿内容 ﹀ がかつであったことを、明言 していることだ 。 テクストが書き始められるその時点で、 この書き手はその ( 内 容 ﹀ に対して、既に ︿ 回 想 ) し 得る場所にいたのだ 。 と の 草 紙 の 本 体 は 、 かの宮より大きなる草紙をたまひて、 かゃうのこと書きて奉れと侍りしかぱ、ただそ の御草紙に書きみてんとばかりにて、何となきよしなし 、 現を i 多く記しつけ侍りしなり。 同書賊文に述懐するように、紙、あるいは草紙を下賜されることが執筆動機になり得る時代のことだ 。 それはご く当然のことだっただろう。同じ事が、﹃徒然草﹄に先行する ﹁ 随筆 ﹄とされる﹃枕草子﹄にもあり得た 。 宮の御前に、内の大臣のたてまつりたまへりけるを、﹁これに、なにを書かまし 。 上の御前には 、史記と いふ蓄をなむ書かせたまへる ﹂ な ど 、 のたまはせしを、﹁枕にこそははべらめ﹂と申ししかば、﹁さは、得 て よ ﹂ とて、賜はせたりしを、M q
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計 制 町 、 こ よ ゃ な に や と 、 尽きせず多かる紙を書き尽さむとせしに、 いとものおぽ 。 ( ﹃ 枕草子 ﹄ 角 川 文庫 以下引用はこれによる) 同じような事情はあったのだ。帝が書かせている﹃史記﹄に対して ルを書こうと提言している の 渡辺実はこれに ﹃ 枕 草 子 ﹄ に も 、 ﹁ 枕 ﹂というエクリチュ l ﹁歌枕﹂というエクリチュl
ル を あ て ‘ ﹃ 枕草子 ﹄の執筆姿勢の 推 定 に 及 ん で い る が 、 その内実はいまだ不明と言わざるを得ない 。 し か し 、 このことは、単に傍線で示した﹃徒然 草﹄との表現の類似に止まらない重要な問題を含んでいる 。 ひとつには、下賜される紙に書かれるべき明確な︿内 イ 易 ト ワ l a地 容﹀が既に想定されていたこと、今一つはそれが﹃史記﹄という国家の歴史を書いた書物に詰抗する︿内容)でなければならなかったことである 。 清少納言には 、 それが既に判っていた c ﹃ 枕草子 ﹄ と﹃徒然草 ﹄ │ │ 回想するテタスト とまれ、﹃徒然草﹄というテクストがこの著名な冒頭文から逐次的に書き進められたものなのか、 そうでない かという、歴史的な真実は、蔽の中だ 目 しかし、書きたいこと
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﹁ 心には動きながら 、 ことばには出し雛 く 、 胸 に は 思 え な が ら ‘ 口には述べ難﹄い ﹁ 申し述 べ ﹂ た い ︿ 内 容 ﹀ が 、 このテクストの場合にも確かにあったのだ 。 -5 -謙退する表現がそれを証する 。 冒頭において ︿ い ま ・ こ こ ﹀ か ら テ ク ス ト を見渡すパl
スベクテイプを持つとい う こ と は 、 ︿ 自己言及﹀を含む序文の持つ、 ︿先取りされた回想﹀という基本的な性格を示している 。 む ろ ん 、 あ ら ゆ る 序 文 は 、 ︿いま・こ二 ﹀からの‘読 者に対する呼びかけの宵なのであり、成立の事情を述 べ 、 ︿ 書 く ﹀ ことに対する決意表明を記したものなのだから、 ︿自己言及)を含むのは当然である 、 と言ってしまえ ばそれまでかもし れ な い 。 なぜなら、同様のことが政文にも言い得るからだ 。 そ れ 故 、 ﹃ 徒 然 草 ﹄ の 冒 頭 は 、 旦 宜 い こ と﹃枕草子﹄の駿文に比定さ れ て き た 。 こ の 草 子 、 自に見え、心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、 オ引 づ時引が、あいなう、人のために便なき言い過ぐしもしつべき所々もあれば、ょう隠し置きたりと恩ひしを、 心よりほかにこそ、もり出でにけれ 。 ・ 中 略 お ほ か た 、 これは、世の中にをかしきこと、人の めでたしなど恩ふべきなほ選りいでて、歌などをも、木、革、鳥、虫をも、 言ひいだしたらばこそ、思ふ ほどよりはわろし、心見えなりとそしられめ、 た だ 、 川 叫 弓 ワ に お の カ ら 恩 布 市 明 き
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同 、 も の に 立 ち ま じ り 、 人なみなみなるべき耳をも聞 くべき 物 か は と 、 恩ひしに 、 ﹁ はづかしき﹂なん ど も ぞ 、 じ ? ? P M J ぬ る n・
1 7 J ? ﹄ 、 t l そもことはり、人のにくむをよしと言 ひ ほむるをもあしと言ふ人は、心のほどこそ、 おしはからるれ 。 ただ人に見えけむぞねたき a 。 後 略 傍線部分は、﹃徒然草﹄の官頭との類似した表現である。確かに﹁おほかた、これは、世におかしきこと : e e -﹂ 以下の、現代の私たちの言う ﹁ 随筆 ﹂ の概念に適合した ︿ 内容﹀を含めて、類似すると言わなければならないだ ろ - コ 。 確かに、現在判 っている 限りにおける ﹃ 徒然草﹄最初の読者である正徹も、 つれ戸¥草のおもふりは清少納言が枕草子の様也 。 ( ﹃ 正 徹 物 語 ﹄ 日本古典文学大系 以下引用はこれに よ る ) 枕草子は何のさまともなく書きたる物也 の三 札有る也 。 つれ六¥首早は枕草子をつぎて書きたる物也 a ( 同 )と書いたのであるし、﹃徒然草﹄が爆発的に読者を持つようになった時代の加藤磐斎は次のように述べる 。 枕草子にいはく ロ 此 草子は目にみえ心におもふ事を 。 人や見んずるとおもひて 。 つ れ / ¥ なるまとゐのほ ど 。 かきあつめたるに云云 此ことのはを引なをして 固 本としてかけるにや 。 二 h ろはおなじものにはあ るべからずや 。 (加藤磐斎﹃徒然草抄 ﹄ 加藤磐斎古注釈集成) こ の 見 解 が 、 私たちの現在の ︿ 読 み ﹀ の根底にはある 白 確かに ﹁ 言 ひ続くれば、皆源氏の物語、枕草子など にこと古りにたれど・﹂(第 一 九段)という︿自己言及﹀を待つまでもなく、﹃徒然草﹄というテクストは﹃枕 草子﹄との類似表現を多く含むことは、 これまでの多くの先行研究が明らかにしてきた 。 ﹃ 枕 草 子 ﹄ の ﹁ 此 こ と のはを引なをして 。 本として e ﹂ ﹃ 徒 然 草 ﹄ が 書 かれた蓋然性は大きいのかもしれない 。 し か し 、 ﹃ 枕 草 子 ﹄ の こ の 叙 述 は ‘ あくまでも駿文であった。序文であることと駿文であることは、 い う ま で -7 -もないことだがテタスト上にもつ意味が違う。もちろん、右にあげた﹃ 枕 草子﹄駿文の省略された部分に審かれ て い る 、 草子の流伝に関する次のような事情、 左中将、まだ伊勢の守ときこえし時、 里におほしたりしに、端の方なりし畳をさし出でしものは、 こ の 草 子‘乗りて出でにけり。まどひ取り入れしかど、 や が て 持 て お は し て 、 い と 久 し く あ り て ぞ 、 かへりたり し。それよりありきそめたるなめり
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後略 も考慮にいれなくてはならないので、﹃枕草子﹄の ︿成立﹀当初の形態がどのようなものであったかは不明のま まと言わな ければならない 。 が 、 とにもか く に も 、 現在のところ峻文に書かれた内容が序となっている伝本は存在しないのだし、叙述内容から敏文ととるのが自然だ。 方 ﹁ つ れ六¥なるま ﹀ に
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﹂ が隙文である﹃徒 然草﹄の伝本は存在しない 。 両書とも現存する形をテクス卜として ︿ 読 む ﹀ の が 自 然 で あ る 。 それが駿文であるなら、苦かれるべき︿内容﹀は既に過去のある時点に既に書き終えられ、書かれたテクスト は書くという行為のなされているその場、 れ い ま ・ ニ こ ﹀ に存在するのだ 。 それに対する︿自己言及) を多く含 むのは当然のことだ 。 一方、﹃徒然草﹄のように、書いている︿いま ・ こ こ﹀における︿自己言及﹀ ││︿ 先取 りされた回想﹀を含む叙述が冒頭に来るというのは、 それ以降に引き続くテクストに、 そのほかならぬ ︿ 回 想 の 場﹀を構造的にあらかじめ設定していることになりはしないだろうか 。 そういった意味で、﹃徒然草﹄は ︿ 回 想 す る テ ク ス ト ﹀ であると言い得る 。 す な わ ち 、 ﹁ よしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂おしけれ﹂という謙退が謙退で ありえ、それが ︿ 自己言及 ) で あ り 得 る な ら 、 以 降 が ︿ 回 想 の 場 ﹀ であるととをテクスト自身が表明しているこ とになる 。 ︿自己言及﹀を含む序文を持つテクストは、それ自身の中に必然的に ( 回 想 ﹀ 性 と い 一 コ 性 格 を 持 つ こ f n P 9 l j w とになるだろう 。 そして書き継がれていく︿物語内容﹀ は既に思い起こされる︿記憶) で あ る 。 この意味で﹃枕 草子﹄と﹃徒然草﹄とは、 テクストのあり ようとしては大いに違う 、といわなけ ればならない 。 ﹃ 枕 草 子 ﹄ は 、 いかにも回想章段( ﹁ 大進生昌が家に 。 ﹂ 型)を含む 。 し か し 、 ︿自己言及﹀を含む序文をもたず、全テクス ト上にわたる︿回想の場 ﹀を あらかじめ設定しなかった 。 両 者 は 、 エ ク リ チ ュl
ルの在り方において決定的に相 違するのだ 。想起の場としての心 イ X L F ワ 1 h し か も 、 ﹃ 徒 然 草 ﹄ に お い て は 、 ﹃ 心にう つ りゆくよしなしごと ﹄ がその書き 付 けられた︿物語内容 ﹀ だと言う 。 こ こ で ま た 、 こ の この官頭文は解釈史上の混乱を引き起こす 。 ﹁ う つ る ﹂ が ﹁ 映 る ﹂ 地、 ﹁ 移 る ﹂ かについては説が分か れ る 。 ﹁ 心 に ﹂ とのつながりからいえば、 映 る ﹂ 、 ﹁ ゆ︿﹂との複合を重視すれば﹁移る﹂とす べ きである ( ﹃ 文 法 対 訳 全 解 徒 然 草 ﹄ に ﹁ 移行の語はあ .9. っても映行の語はない ﹂とあるように 、 ﹁ 映 り行く ﹂ の用例は 知 ら れていな い ) が 、 その一方を排するわ けにはいかないので、重層的な意味合いで用いているとするほかはあるまい a その点、久保田淳 氏 ﹃ 評 釈 ﹄
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﹁ ﹃ 心 に 映 り 、 そ れが移 ってゆく﹄というニュアンスを認めてもよいではないかと考える﹂とするのに 共 感 さ せ られる 。 と 三 木紀人は問 題 点を盤 理 して述べる 。 これに対して、﹃徒然革 ﹄ における ﹃ 心﹂を取り上げて詳説した荒木浩は 、 豊富な用例を博捜し 、 ﹃ こ ご ろに う つ り ゆ く ﹂ という表現には ﹁ 移 ﹂ と い う 文 字 が 想 定 さ れ 、 そ れ が ﹁ 鋭 の よ う な も の の 昏 喰が合意されて成り立ち 、 読 ま れ う る 表 現 ﹂ であったことを表現史の上から論証したの そして、氏はさらにこの﹃徒然草﹄というテクストについて次のように結論づける 。 そ の 時 徒 然 草 は 、 和歌以外 の 方 法 で 、 いささか大げさに言えば、あらゆる外界を、心に於て総てを心とし て提え、表現する和文の文 体を 、獲得したことになる 白 心 を対象として心に内向せず、対象を叙述して対 象に即さない、という叙述姿勢の獲得 。 そのような心の発見こそが 、 まさしく徒然草に於る散文の誕生と いえないか 。 : : ・ 中 略 ・
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こ う し て ﹁心にうつりゆくへというこの含意ある、 ま た ﹁ うつろひの美 学 ﹂ ( 佐 竹昭 広﹃岩 波講座 転換期における人間﹄ 2 、m
4 ﹁ 日本﹂)を内包した表現の形成がそのまま 徒然草の散文の出発であった、 -e : ・後略 こ こ で 重 要 な の は ﹁ う つ り ゆ く ﹂ ︿ 内 容 ﹀ │ │︿記憶﹀が 、動的な働きな の で あ り 、 そ れ が 、 ﹁ 心 ﹂ という場に おいて生起すると定位されたことだ 。 そ し て 、 そ れ は 、 ﹁ うつろひ﹂という 時間的な概念と関 わらせて示唆さ れ ているのは意義深い 。 であれば、次のような 用例を付加 することも許されるだろう 。 め の ま へ に風もふきあ へ ずうっりゆく心の花の色にまかせて ( ﹃ 新 勅 撰 和 歌 集 ﹄O
) う つ りゆく月 日 ば かりはかはれどもわが身をさらぬうき世なりけり(﹃続後 撰和歌集 ﹄ )¥ うつりゆく人の心の秋の色にむかしながらのことのはぞなき(﹃続千 載和歌集 ﹄ 一 四 三 七 ) さりともと待ちし月日ぞうつり行 く 心の花の色にまがへて ( ﹃ 式 子 内親王集 ﹄ )移りゆく月日もしらぬ山里は花をかぎりに春ぞくれぬる ( ﹃ 草 庵 集 ﹄ 二 四 四 ) ﹁うつりゆく﹂ものの例を和歌の中に求めるなら、枚挙に暇がないが、 おおむね右のように集約できるだろう 。 それは、年月、花の色などの自然現象にまがえられる人の心といった、時間軸に沿って現れ変化するものだ n 和 その表現が﹁表現主体の、 歌が常に一人称文学であり、 (AA 寸 ・ こ こ ﹀ における心情の表出であることをその原理 と ﹂ す る な ら 、 これらの和歌で詠まれているのは、 一 人 称 ︿ 我 ﹀
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〉 ︿ い ま ・ ここ﹀という視点から、 ︿ 回 想 ﹀ と いう働きによって呼び戻される詠歌対象への ︿ 記 憶 ﹀ で あ る 。 そ し て 、 ~ 」 の (記憶﹀は動的な形で捉えられてい た 。 ﹁ よしなしごと ﹂、すなわち俊成のいう﹁心には動きながら. イ ス ト ヲ l ? ル ︿ 物 語 内 容 ﹀ は 動 的 な ︿ 記 憶 ﹀ ことばには出し難く、胸には恩えながら、 口 lこ は 述 べ 難 ﹂ し、 で あ る 。 それを呼び起こす︿回想 ﹀ という働きを、今は、 ︿ 惣 起 ) ー1 1-と言い換えても差し支えなかろう 。 ﹃ 徒 然 草 ﹄ で は ‘ ほかならぬその ( 想 起 の 場 ﹀ が ﹁ 心 ﹂ だ と い う の で あ る 。 ﹃ 徒 然草﹄は‘その冒頭表現において、 われわれがある出来事や物を想起する際にも同僚に、 以下に引き続くエタ n yチ ュ ー ル の ︿想起の場﹀をも明示する a 想起する文脈が重要な役割を果たしている 。 いやむしろ一般的に考えられている記憶、 すなわち固定された痕跡としての記憶は存在しない n そこには想起と呼ばれる、 構築あるいは再構築があるのみである 。 すでに一九三0
年代英国の心理学者 7 レ デ リ ノ ッ ク ・ パl
トレットが看破したように、記憶とは創造的な構築あるいは再構築であり、 それは過去 の経験や反応に対してわれわれがとる態度や感情と切り離して考える ζ とはできない ( 傍 点 筆 者 ) 。︿ 記憶 ) というものが、所与のものではなく、現在│ │ ︿ いま・ここ ) で生成する動的な シ ステムであるとす る、港千尋の科学 ・ 歴史 ・ 芸術を横断的に捉える記憶稔は、 ﹁ 心 ﹂ という ︿ 想起の場 ﹀ で刻々と生起する ︿ 記憶 ﹀ を書き記すエクリチュルを考える上でも多くの示唆を与える 。 ﹃ 徒然草﹄はそれが動的な ︿ 記憶 ﹀ を 記 す 想 起 ﹀ の エ ク リ チ ュ
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ルであることを、冒頭において言明 し た こ とになる 。 と こ ろ が 、 ﹃ 徒然草 ﹄ の執筆姿勢と頚似した叙述を持 つ テクストは多いが、如上 ︿ 想起 ﹀ の エ ク リ チ ュl
ル で あることを閏冒頭において表明したものは意外に多くない 。 家の集などいひて、歌よむ人こそ書きとどむることなれ、 これは、ゆめゆめさにはあらず 。 ただ、あはれ に も 、 かなしくも、なにと4
く忠れがたくおぽ ることども お ー る を り を り と心におぽ じ を 思 い 出でらるるままに、我が目ひとつに見むとて書きおくなり 。 ( ﹃ 建 礼 門 院 右 京 大 夫 集 ﹄ 新潮日本古典集成) 此により、短き心を顧みて、殊更に深き法を求めず、 る 事 、 聞 く 事を註し しのびに 座の右に置ける事あり 。 ( ﹃ 発 心 集 ﹄ 新潮日本古典集成) おそらくそれは、中世に入り、 ︿記憶 ﹀ を語る語り手の変貌を待 っ て生まれたようだ(最終章参照) 。 四 日 記 と い うエク リ チ ュ 1 ル︿ 記 憶 ) は所与の物として先験的に存在するのではない 。 それは想起されて初めて ︿ 記 憶 ﹀ と 言 い 得 る " ﹁ 過 去を認識しようとするあらゆる営み、そしてこの営みの結果得られた過去の認識のあり方﹂をそう呼ぶなら、 ︿ 記 憶﹀を 一 人称で書くエクリチュ
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ル が あ り 得 た 。 ﹁ 日記文学 ﹂ と呼ばれる 一 連のテクスト群がそれである 。 し カ ミ し ︿書く)行為とエクリチュルとの聞に、 それももはや自明 ﹁ 日記文学 ﹂ 自体、近代以降の研究者が作り上げた 一 種の操作概念にすぎないのだから。 ︿ 想 起 ﹀ という動的な働きを置いて考えるなら、 で は な い 。 をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみんとてするなり 。 それのとしのしはすのはつかあまり ひとひのひのいぬのときに、 かどです 。 そ の よ し 、 い さ L かものにかきつく(﹃土佐日記﹄ 日本古典文 -13 -学 大 系 以下引用はこれによる) いわゆる女流 ﹁ 日記文学 ﹂ は﹃土佐日記 ﹄ を鴨矢とするが、冒頭においてこのテクストはこれが女手の ﹁ 日 記 ﹂ であるということを高らかに宣言する白そして ﹁ そ の よ し 、 いさ与かものにかきつく ﹂ と い う ︿ 自 己 言 及 ﹀ よ り 、 私 た ち は 、 これが記憶による︿回想するテクスト﹀ であるということを知ることができる 。 し か し 、 日次の記の体裁を取るこのテクス ト は 、 全 体 的 に 見 る な ら 、 必ずしも﹁をむな ﹂ である︿我﹀という 一 人称的な叙述に収散しない 。 すでによく知られていることであるが、漢文訓読語の混在や猿維な諮譜表現、尊 敬語の不徹底などの表現 上 の 破 綻 か ら 、 これが実は匿名の ﹁ を む な ﹂ に仮託された男性の手によるテクス ト で あ ることが露呈するし、大きなモチ ー フとなっている任国でなくなった女児やこの旅の中心人物らしい ﹁ あ る ひ と ﹂とこの語り手との関係も不明瞭である 。 また作中散の読み手も. ま り ﹁ をむな ﹂ で あ る 必ずしもこの語り手には収束していかない 。 の形象が、非常に不明確なのだ 。 菊池婿彦の言うように、﹁﹃土佐日記﹄では、全
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︿ 我 ﹀ 編を通して特有の個性を持 っ た人物像を造形しよ う とする意図はうかがいえないので﹂あって、私たちがそこに ある特定の ︿ 我 ﹀ の ︿ 記憶 ﹀ を読みとろうとすればするほど、 その読みは俊乱されてしまうのだ 。 テクスト外コンテクストから、私たちはこれがあの﹃古今集﹄仮名序などを書いた著名な歌人紀貫之の著作で あることを知 っ ている 。 し か し 、 それが彼の任国土佐から帰浴するまでの (記 憶 ﹀ に よ っ てなったであろうとい う こ と は 、 その作品外のコンテク兄トから判明するに過ぎない 。テ ク ス ト を子細に読むなら、その帰京の旅の過 程の地名すら自明ではなく、きわめて私的な記述にも関わらず、 ﹁ ある 地 方官吏の帰京﹂というふうな 一 般性の 中にその旅が腫化されていると言わざるをえない 。 極言すれば、テクス ト 上 の 現 実 に お い て は ﹃ 土 佐 日 記 ﹄ は ︿ 我 ﹀ ︿ 物語 ﹀ な の だ 。 不 在 の し かし、前土佐守であり、従五位下の官吏によ っ て私的なエクリチュールが目指されたことの意味はふかい 。 仮 仮 名 名T
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い 女 う"手 「 で 晴 寄 の く 由、こ な と 文 が で 公 そ 私 の の 可 区 能 別 件 のを 明
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名 『 で 古 メ訟、 ー マ 集 島 = き た か っ たから ﹁ をむな ﹄ に仮託したという順序ではあるまい 。 おそらく、私的なエクリチュ 1 ル だ か ら 、 そうした のだ。私 的なエクリチ ュl
ルの持 つ 負 性に自覚的 だ っ た 彼 は 、 一 種のてらいをこめて、次のようにテクストを結 んでいる 。わ す れ が た く 、 く ち を しきことおほ か れ ど 、 え っくさず。とまれかうまれ、とくやりてん a こ れから後、幾人かの女性たちの手によって 、 日 記
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︿ 記憶 ﹀ の エ ク リ チ ュl
ル は 寄 か れたけれ ど 、 こ の 基 本的な負性は継承され続けた 。 公 的 な 存 在 で は な い 、 つ ま り匿名であるしかない彼女らは、また別の発生論的な 経 過 を た ど っ て 、 初 女流日記文学の時間は作者の現在の意識にもとづき、書かれることばによる回想として紡がれる 。 書かれ これを克服しようと試みたようだ 。 ることばがさらに書かれねばならぬことばを選ぴ起こし引きすえ、選ぴ起こされ引きすえられたことばが 次に書かれねばならぬことばを選び起こしていく 。 そうしたことばの世界を生きることにわが人生の確証 を求めるのであ っ た 。 私 山 度 の こ の 指 摘 は 、 ︿ 記 憶 ﹀ のエタリチュl
ル と し て の ﹁ 日 記 ﹂ の 真 髄を つ いてはいるが、実はこの指摘が ー1 5-テ タ ス トの上に構造化された形 で実現されるには次の言挙げを待た なければな ら な か っ た 。 か た ち と て も 人 に も に ず 、 こ弘ろだましひもあるにもあらで、 かうものの要にもあらであるも 、 ことはり と お も ひ っ ﹀ 、 たばふしをきあかしくらすま与に、 世中におほ かたふるものがたりのはしなどをみれば、 世におほかるそらごとだにあり、 人にもあらぬ身の上までかき自記して、 めずらしきさまにもありなん、 天下の人のしなたかきゃと、とはんためしにもせよかしとおぼゆるも、すぎにしとし、っきごろのことも、 おぼつかなかりければ、さでもありぬべきことなん、 おほかりける 。 ( ﹃ か げ ろ ふ 日 記 ﹄ 日本古典文学大 系 以下引用はこれによる)序文とおぼしき、テクス ト 全体を術撤するメタレベルからの視座を設定し、 ひたすら ﹁ 身の上 ﹂ 1 1 1 (個﹀と し て の ︿ 記 憶 ﹀ に 寄 り 添 う こ と で 、 このテクストは ︿ 記 憶 ﹀ のエクリチュ
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ルであることに成功している。さら に、源高明の流請に関して次のように述べる。 そのころをゐ、たぜこのことにて、すぎぬ 。 身の上をのみする日きには、 い るまじ き v ﹂ と な れ ど も 、 由、 な しとおもひいりしもたれならねば、 しるしをくなり 。 つ ま り 、 こ の エ ク リ チ ュl
ル に おいて重視されるのは、日次の記におけるような外在的時間にそって継起する ︿ で きごと﹀そのものではなくて、 ︿個﹀としての内面なのだということが、強調されているのだ u しかし、それでもなお、私たちはこのテクス ト を縁取る次のような冒頭句と結びを忘れてはならない 。 かくありしときすぎて、世中にいとものはかなく、 とにもかくにもつかで、ょにぶる あ り け り 。 : 中 略 京 の は て な れ ば 、 夜 い た う ふ け て ぞ 、T
き く な る が 弓 村 叫 テ ク ス ト 全 体 の基調は一人称的な視点に終始しているにもかかわらず、テクスト内の ( 記 憶 ) 4ま ︿ 我 ﹀ の 記 憶 で はないと言うのである 。 おそら く は 批判的に対照される先縦﹁ふるものがたり ﹂ の 捷楕が強すぎたのだろうか 。 エ ク リ チ ュl
ルにおいて語り手によって語られる︿物語﹀は、事実上そうである︿個の記憶﹀ではなくて、伝承 の閣からすくい 上 げられた︿集団の記憶)でなければならなかったのだ。︿物語﹀は常に伝承の影を 引き ずって 2 い る " その樟尾において﹃かげろふ日記﹄というテクストはその伝承という深々とした︿集団の記憶﹀のなかに、 レ γ ︿ 物語 ﹀を 溶かしこんだ 。 それは、時 間 という縦軸の中で反復され、 ︿ 個 ﹀ と し て の ﹁ 世中﹂という水平軸に沿って広がる ﹁ 作り物語﹂を生みだした空間でもあった 。 い ま は 昔 、 ι 羽 と 川 町 ハ ぶ も の 有 り a e り 。・。 中 略 ー : その煙いまだ雲のなか へ た ち 上 る 討 都 封 町 凶 日 間
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﹃ 竹取物 語 ﹄n
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多くの﹁物語﹂と称されるテクストがそうであるように、仮名で書か れ た匿名のエクリチュl
ル に は 、 う な偽装が必要だった 。 日本古典文学大系) そのよ 無文字の世界からくみ取られたかのように装われる言説は、多 く︿集 団の記憶 ) だ 。 語り手は、その ( 記憶 ﹀ を共有する集団の中の、不特定の誰かにすぎない 。 今昔、釈迦如来、未ダ 仏 エ不成給ザリケル 時 ハ 釈迦菩薩ト申テ、兜率天ノ内院ト云所 ニゾ住給ケル 。 中 略 。 帰 去 ニ ケ リ ト ナ ム ( ﹃ 今 昔 物 語 集 ﹄ 巻 第 一 新日本古典文学大系) ー17 -﹃今昔物語集﹄をはじめとする 一 連の説話集は言うに及ぱず、 ﹁ 如是我聞 ﹂ で 始 ま る 経 典 で す ら 、 それは結集伝 承に依拠する︿集団の記憶﹀ であったことを思うべきである ロ ﹃ 和泉式部 日記﹄をはじめ‘﹃伊勢 集 ﹄ 、 ﹃ 一 条摂政 御集﹄など、幾つかの中古の日記的なテタストが、 三 人 称的な叙述を採用しているのも、同世悼の事情が考えられk
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﹁ 物 語 ﹂ と るだろう 。 ︿ 記憶 )を介入さ せて考えるかぎり 、 ﹁ 日 記 ﹂ の境界すら、今は分明ではないのだ .五 集団の記憶と個 の 記憶 と れ は 、 源氏の御族にも離れ給 へ り し、後の大殿わたりにありける悪御遠の、落ちとまり残れるが、聞は ず語りしをきたるは、紫のゆかりにも似ざめれど、 かの女どもの言ひけるは、 ﹁ 源氏の御末戸¥に、 ひ が 事どものまじりて聞こゆるは、我よりも年の数つもり、 ほけたりける人のひがことにや ﹂ などあやしがり け る 、 いづれかはまことならむ 。 ( ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ 竹 河 新 日 本古 典 文学大系) ﹁ い づ れの御時にか ﹂ と ︿ 記 憶 ﹀ のエクリチュ
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ルを装う﹃源氏物語﹄は、書かれた当時において、非常に実験 的なテクス卜であ っ た ろ う 。 およそ 二 百年後の次の評価を見れば十分にそれが知れる 。 さ て も 、 この﹃源氏﹄作り出でたることこそ、思へど思へど、 この世一つならずめづらかに思ほゆれ。ま ことに 、 仏に申し請ひたりける験にや、とこそおぽゆれ 。そ れよりのちの物語は、思へばいとやすかりぬ べきものなり 。 かれを才覚にて作らむに、﹃源氏﹄にまさりたらむことを作りいだす人ありなむ 。 わづか に、﹃字津保﹄﹃竹取﹄﹃住吉﹄などばかりを、物語とて見けむ心地に、さばかりに作り出けむ、 凡夫のし わぎともおぼえぬことなり ( ﹃ 無 名 草 子 ﹄ 新潮日本古典集成) ν 5 しかしこの﹃源氏物語﹄というテクストにおいてすら 、 それは複数の匿名の女房による︿集団の記憶﹀の(物語﹀ であったはずだ 。 先に挙げた草子地││それは、 ︿ 自 己 言 及 ﹀ でもあるがーーが、 そのことを証するの また、話 型の問題をはじめ、﹃源氏物語﹄を構成するいくつかの要素に、伝承があることは明らかである 。 そして、なんと言ってもこれは ﹁ 源氏の御族 ﹂ イ ス b ツ ー ル の 歴 史 の iv J ' ︿ 物語 ) であった 。 よ そ る れ 〈 は 物:天 語ド皇 内? を
争 中
心 を と し 集 たn 団 ナ の シ 中 ョ の す 匿 ル 名 ・ の メ 語 モ り 日 手 │ つ ま り 壮大な ︿ 集団 の記憶﹀と 無縁ではな い 。 ︿ 集団の記憶 ﹀ が語る 。 斬新に見える ﹃ 源氏物語 ﹄ もこの物語叙述の原則には忠実 だ っ た 。 しかし右に 見 て き た よ う に 、 す で に 、 ν γ ︿ 物語 ﹀があり得たのだ 。 ま た 別 の ( 物 語 ﹀は︿ 集団 の 記 憶 ﹀ を装 っ て 舎 か れなけれ ばなら な い n し か し 、 と1
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る き 雪ルと 自 う 体 行 す 為h
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語 実 ら は れ 想 起﹀という非常に︿個)的な働きによって支えられる 。 ︿ 集 団 の 記 憶 ﹀ 書 か れるときには ーl
語りの場において││語り手の ︿ 想起 ﹀ によって 一 旦は私 さ れるはずだ 。 ︿ 個 の 記 憶 ﹀ で あるととを隠蔽する物語叙述の伝統と、 ( 個 ) であらざるをえない ︿ 想起 ﹀ の 働 き と 。 当 の 物語作者で あった紫 ー19 式 部 は 、 そ の ︿ 記憶 ﹀ の エ ク リ チ ュl
ルの持つダブルバインドに自覚的だった 。 ︿ 記憶 ﹀ を 物 語 る 行 為 、 そ れ そのものは︿ 個 ﹀ に 依存す る ご と を 、 彼女はそ の日記において 明確に 示している a ﹃ か げ ろ ふ 日 記﹄はひたすら︿個の記憶﹀ に寄り添 い な が ら 、 叙述 の 上では ( 集団の記憶 ) に身を隠した 。 れ に対し、﹃紫式部日記﹄は、中宮の御産と主家の賛美、朋輩の女房たちの名寄せ風の消息文というふうに、;
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( 物語内容 ﹀を 宮仕えとい う(公 的 な 記 憶 ﹀││それは そ の ︿ 集団 の記憶﹀に帰 属するがl
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にとりながら 、叙 述 の 上 で は 、 ︿ 個 ﹀ の視点をかたくなに守り抜こうとしている 。 秋のけはひの立つままに、士御門殿の有様、 いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとり の草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空も艶なるにもてはやされて‘不断の御読経の声々、あはれまさりけり 。 ゃうやう涼しき風のけしきにも、例の絶えせぬ水の音なむ 、 夜もすがら聞きまがはさ る 。 御前にも、近うさぶらふ人々はかなき物語するを聞こしめし つ つ、なやましうおはしますべかめるを、 さりげなくもてかくさせ給へり 。 d な
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の 、 いとさらなることな のなくさめドー カ カポ 前をこそた まゐるペカりけ と う u h M を l 聞きたが叫 たとしへなくよろ 司るるにも 由 し 孟 ﹂ a ( ﹃ 紫 式 部 日 記 ﹄ 日本古典文学大系 以下引用はこれによる) 現存する テ タストでは、﹃土佐日記﹄や﹃かげろふ日記 ﹄ などのように、冒頭に ︿ 自 己 言 及 ﹀ を お か ず 、 ア タ スト中に入れ子式の回想の場を作らない 。 冒頭から引き続くのは、 一 人 称 の 物レ我 貴重i.'f、/ 悶ロー 〉 の 身 体 固 と 耳 で 捉 え ら れ の語り手の置かれた状況と た土御門殿の情景と、中宮御産の有様である 。 4 ス ト ヲ l ル ︿物語内容 ﹀ がある程度予想可能である 。 そして、傍線部分の叙述によって、主家の賛美から反転 し て自己に沈 ここですでに私たちは、 こ の 潜していく内省的な語り手の形象を見るのである 。 このような内面に反転していく語り手の点描はいたるところ で見ることができ、決して ︿ 集 団 ﹀ の中に ま ぎれようもない (個﹀としての視点がこのテクス卜を支えているの がわかる 。 またここでは回想の現在の視点からの現在形の叙述がひたすら守られているが、 それが破られるのは 次の部分である 。 しめやかなる夕暮れに 、 宰相の君とふたり 、 物語してゐたるに、殿の 三 位の君、すだれのつまひきあげて ゐ給ふ 。 年のほどよりはいとおとなしく 、 心にくきさまして、 ﹁ 人はなほ心ぱ へ こそかたきものなめれ ﹂ など、世の物語しめじめとしておはするけはひ、をさなしと人のあなづりきこゆるこそあしけれと、 は づかしげに見ゆ。うちとけぬほどにて、 ﹁おほかる野ベに﹂とうちずんじて立ち給ひにしさまこそ、物語に ほめたるをとこの心地し侍りしか。
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泊りのことの、うち思聞でらるるもおり そのをり;をれじきこ 判岡京るるもある l 川がなる ﹁心地し侍りしか﹂という部分で、私たちははじめて、冒頭からの叙述が、過去の ( 記憶 ) であったととを知ら さ れ る 。 ︿個の記憶﹀と︿集団の記憶﹀という、措抗する二つの ︿ 記 憶 ﹀を おいて考えるなら、助動詞 ﹁ き ﹂ と ﹁ 片 りn
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﹂ の所在を示す符丁であろう。 こ の 部 分 の ﹁ き ﹂ は ︿ 記 憶 ﹀ の個人性とエクリチユ 1 ルの階層 性 を 明 刀て す は る 〈 ら 記 〈 憶 そ 〉 の と き そ と L て の ︿ 回想の現在 ﹀ と 、 ︿ い ま ・ こ こ ﹀ と し て の ︿ 日記の現在 ﹀ で あ る 。 そして引き続く︿自己言及﹀ が ︿ い ま ・ ここ﹀という場で ︿記 憶 ) について自省する︿思う我﹀を描写する 。 ニ ャ フ し て 、 エ ク リ チ ュl
ルが構造化されることにより、 私たちは、このテクストが へ 想起)されている ︿ 記 憶 ﹀ -21 -であることを知るのである。 ︿ 集 団 の 記 憶 ﹀ l土 ︿ 個 の 記 憶 ) の 場 に 再 構 成 さ れ る 。 そして、皇子の産養の記述で、凡帳の内にいる中宮の有機を次のように述べる。 小さき燈簡を、御帳のうちにかけたれば、 ︿ ま も な き に 、 い と ど し き 御 色 あ ひ の 、 そこもしらずきよらな る に 、 こちたき御ぐしは、結ひてまさらせ給ふわざなりけりと恩ふ。 カけまくもいとさらな ぞ カ 。 ︿ い ま ・ こ こ ﹀ で孤独に ︿ 記 憶 ﹀ を 書 き 紡 い で い る の が 、 ほかならぬ ︿ 我 ) であることが明かされる。 ︿ 記憶 ﹀ の 所 有 者 、 そ れ を 語 る 語 り 手 、 そしてそれを書き記す︿我﹀ の自己同一性が確保されている。 エ ク リ チ ュ 1 ル の︿ 集 団 ) からの離脱はこうして行われた 。 和歌がその始発において持っていたエクリチュ
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ル に お け る ︿ 我 ﹀ は 、 散文においてはまた別の迂路を通りこ こ に獲得される 。 こ の テ ヲ 月 ト は 、 ︿記憶 ﹀ を ︿ 我 ﹀ と い う ︿ 個の記憶 ﹀ の 場 ││﹁ 心 ﹂ に引き鋸えた 。 物語行為は ︿ 個 ﹀ の も の として引き受けられる a そして階層化されたこ つ の時間 軸の聞を動的な往還運動によ っ て 、 テ タユトを紡い で い く 。 前節港千尋の言う ︿想起 ﹀ す る ︿ 記憶 ﹀ の動的な織 n こ の テ ク ストはみごとに形象化して見せた @ 紫式部は ︿ 記憶 ﹀ を内面化し、自らを ︿ 記憶の場 ﹀ と し た の 態 を 、 で あ る a しかし、そ の 形象化があまりにもみごとであ っ たために、私たちは一つのことを見落としがちである 。 書かれ である︿町払町民﹀の大部分は中宮御産という、郎事 耐 出断と呼ぶに等しい︿川町叫が龍樹 ﹀││︿ 集 団 の 記 憶 ﹀ 酒 であり、引き続くいわゆる消息文は、書かれた﹁うわさ﹂という性格を強く有している( ﹁ うわさ﹂については 第三章でも触れる) 。 それが、水平軸において広がる ︿ 集 団 の 記 憶 ﹀ で あ る こ と は 、 いうまでもない 。 実は驚く ほ ど ﹃ 紫式部日記 ﹄ の語り手は、自分自身の内実 │ │ ﹁ 身 の 上 ﹂ ー ー に つ いては語つてはいないのだ 。 日 記 の ︿ 我 ﹀,
は ﹁ 自らの暗欝な内面を繰り返し訴えながら、 そ の 具体的な内実に つ いては決して読者主体の前に明らかにしな いという ﹄ ことを方法化することで‘ ﹁ 主 体たる ︿ 私 ﹀ に特徴的な性格を付与することに成功して い る﹂と土方 洋 一 は 述 べ る 。 ︿そのとき・そ こ ﹀ し か も ︿ 個 ﹀ としての内実を隠しながら しかしこれはいまだ、当 の 紫式部自身が ﹃ 源氏物語 ﹄ において発見した ︿ 物語 ﹀ の方法では と ︿ い ま ・ こ こ ﹀ と を 自 由 に 往 還 し 、 ︿ 集団の記 憶 ﹀ を語る語り手 。ないのか 。 彼女は ︿ 物語﹀を自らの内面におい て試みた 。 ラーであり 続け た の だ の ﹃ 紫式部日記 ﹄ は 、 ︿ 集 団 の 記 憶 ﹀を︿ 個 ) その意味では、それでもなお、彼女はストーリー ・ テ において誇るという︿想起の場﹀ の ︿ 物語 ) なのだ 。 しかし、自らの内 面 ーーモ れ は ﹃ 心 ﹂と言 い得るかもしれない 1 1 の ︿いま・ここ ﹀ に視座をおいて ︿ 想起 ) の動態を 散文 において語る 限 り 、 そのエクリチュ
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ル の 書 き 手 は 、 一 つ の陥葬に陥らざるを得ないだろう 。 想 起 ﹀ する︿記 憶 ) は動的なものだ 。 しかも、その ︿ 想起の場 ﹀と は書き手の ︿いま・ここ ﹀ でもあった 。 ︿ い ま 調 ・ こ こ ) は、時間軸の上の動かぬ定点ではない . できごとの 起 きた過去︿そのとき ・ そこ﹀は不動のままだろう 。 はあらゆる瞬間に不断に前進するものだ 。﹁ 私が語 っ て い る瞬間 そ れ に対して 、語 っている 現在 ︿ い ま ・ こ こ ﹀ は、すでに私から遠ざかっている﹂ の だ 。 こ こ で ︿想起 ﹀ する︿我 ﹀ と ︿ 書 ﹀ いている ︿ 我 ﹀ は現在 ︿ い ま ・ こ -23 -こ﹀を起点に再び分裂し続けなければならない。 あ る が 、 ︿ 想起 ﹀ に は 終わりがない 。 ︿ 想起 の 場 ﹀ し 〈 刑 物νも
そ?時
間 は 永 遠 生 起 し 続 け る ︿ で き ご と ﹀ には終わりが。
コ
は終わりょうがない 。テク λ 卜 全 体を傭敵する視座 は永久にやってこないのだ 。 ﹃紫式部日記﹄が大きく 四 つの部分に分 け ら れ 、 それぞれが フラグメン ト のような 印象を与えること、そしてその終末が暖味な形で途切れているのも自然なことだろう 。六﹃たまき は る ﹄の達成 ︿記憶 ﹀ の ︿ 物 語 ﹀ n M のもつ困難を、後世のいわゆる ﹁ 女 房 日 記 ﹂ の書き手たちはさまざまな工夫をすることで 回避しようとしたようだ 。彼 女 ら は 、 ﹃ 枕草子 ﹄のように 駿文めいた記述をつけることでエク日チュ
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ルに決着 をつけるか ( ﹃ 更 級 日 記 ﹄ など)‘あるいは序践をつけることで (﹃讃岐典侍日記﹄などて自らの ︿ 想起 ﹀ の出発 点と帰着点を明示し、 エ ク H Y チ ュl
ル の 書き手として の自己同一性を 保った 。 それは、自らの綴るテクストを僻 敵する場だ っ た 。 しかしそ の ︿ 内容 ﹀ の ほとんどは 、 ﹃ 枕草子﹄を除いて、 ︿できごと ﹀を 時間的契機に従 って書 き記 したもの だ 。 彼女 た ちは テ ク ス ト中での往還作用を避けている a そうするこ とで、彼女たちはエク リ チ ュ l ルにおける ( 我 ﹀ の安全を保ち、テクスト中で 二 つの時聞を往還するという、紫式部のなしとげた偉業を継承す る こ とはなかった 。 ︿ 集団の記憶 ﹀ と ︿ 個の記憶 ﹀がいか なるも のであるの か 、そ してその ︿ 物語﹀にならざるを得ない内的な事情を次のテク ス トの語り手はよ く 認識してい たと 見 え ︿ 記憶 ﹀ の 書として のエクリチデ l ル カ1 ︿ 想起 の 場 ) (f) る 匂 その点で、彼女は﹃紫式部日記﹄ のよき継承者だったと言えよう 。 恩ひっずくれば、さも言ふかひなく恩出なき身の、さすがに幼しとも言ふベかりけるほどより、{呂 仕 へ とかや、人のよからず言ひ古しためる事を、朽葉が下に隠れ果てたらんをだに、取る方ならずなり初 めにける身を恩 へ ば 、 さま六¥移り変はる世のありさま、人の心も、 た£我世ばかりに、昔今けぢめしるかに変はり果てにけるかなと思ふに、今さらよい
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き 事 さ へ 恩 出 で ら れ て 、 つι
きもなく言ふかひなき 齢 制 揺 を 抗t
、片端をだにその世を見ぬ人は、 さすがに聞かまほしうするも ありけり 。 古めかしかりし人/¥は、 ﹁ 今ゃうの、珍しく見慣らはぬ ﹂ とのみ言ひしかど、今はそれも、 限 り な く り に な り に け り 。 ( ﹃ た ま き は る ﹄ 新日本古典文学大系 以下引用はこれによる) 波線で示した﹃徒然草 ﹄ との表現の類似もさることながら. この語り手は﹁昔 物 語 ﹂ の出発点を明示して 、 き 手としての自己同一性を確保する 。 しかも、さらに重要なことは、そのエクリチュールの始まりを、 たまきはる命をあだに聞きしかど という、和敬で示し、その終わりを政文ではなく、 花の色も月の光もあかざりしこの世ならでもさやにほふ覧 -25 -恋しさのしばし忘る L 時もなき憂き世の夢はいつか覚むべき かぎりなき面影ばかりとy
めをきていかなる道の姿なるらん 花の散り露の消ゆるもほどぞある夢にまどひし曙の空 白玉の袖よりほかに乱れにし夢にまどひて消えなましかば 夢にだにさだかに見えぬ会ふ事を寝るがうちとて待つぞはかなき 春の花散りにし空にあふ.けども光も知らぬ月日なりけり たれもみなはかなき 世 とは嘆くともためしも知らぬ謝料展W
か なと、これもまた八首の和歌で示した、ということだ。和歌は言うまでもなく︿いま ・ こ こ ﹀ に お け る ﹁ 我 が 恩 ひ ﹂ このテクストは︿個﹀とし イ ぷ ト フ I ? b n ての︿いま・ここ﹀で始まり、(個﹀としての︿いま・ここ﹀で終わる。そしてその(物語内容﹀が今は亡き﹁君﹂ の表白であることは言うまでもない。 z」. の ︿ い 寺 。 ・ こ こ ) は書いている現在である 。 に 対 す る ﹁ 我 が 恩 ひ ﹂ で あ り 、 それがある程度年月の経過した時点から回想する ( 記 憶 ﹀ であることを明示して い る 。 その問、テクスト中で、彼女は次のような︿自己言及﹀を交えながら、 ︿ 記 憶 ﹀ を 綴 っ て い く 。 -か ゃ う の 事も 、た
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聞 く と こ ろ ば か り 、 -一 面 ふ か ひ な き 癖 は 、 K閉 め も,
-うるさく人の聞かまほしくすれば、 お ぼ え ぬ こ と ど も の 、 四十年過ぎにしを書きつくれど、製射例同川内 お な じ 畳 、 一 つ 問などならぬ人/¥の事、 いづれも/¥おぼえず 。 -おろ/¥書き出でたるは、見所もなくおこがましけ杓とも、中略 ・ 何とな く 、あな v つ つ く し と 見 わ た さ れ し か ど 、 旦 雷 同 お 古 川 同 な く て 。 の ﹁ 事 t v カり、例η
お 岡 山 明 杓 岡 、 を こ が ま じ けt
士 これより事そぎたる人もなかりしかば、推し 量られなん 。 ﹁ 昔物語 ﹂││︿ 想起の場 ) の ︿ 物静 ﹀ が 果てしもなくなってしまいそうなこと、それ札︿我 ﹀と い う ︿個の記 憶 に な っ てしまうことをこの語り手は明確に認識し、 そ の ﹁ を こ が ま し ﹂ さを何度もことわっている。 こ の よ うにして、二つの時聞を往還するととにより、︿記憶﹀を綴るこの書きかたは、﹃紫式部日記﹄のそれに類似する。︿ 記 億 ﹀ の エ ク リ チ ュ
l
ルとして、なによりも注目すべき事は、 この健御前の ︿記憶)が一種の部類意識によ つてなされており、時 間軸に沿 ってなされてはいないことだ 。 それは、若い女房たちへの教示意識のなせるわざ イ式 ト ク l t N ︿ 物 語 内容 ﹀がすでに回想の内にあり、 なのかもしれないが、少なくとも書いている ︿い ま ・ こ こ ﹀ において ‘ すでに消化されていた証左だ 。 術廠的な視座からの序蹴めいた叙述と同様に、 こ の こ と は 、 エ ク リ チ ュl
ル の 在 り方を術進化する 。 そ し て 、部類意識に よ っ て成り立つ各々のエピyl
ド は 、 ︿ 自 己 言 及 ﹀ を は さ み こ み な が ら 、 ゆるやかな連想契機によって綴られていく 。 ﹃ 徒 然 草 ﹄ の書き手は﹃讃岐典侍日記﹄の読者であったけれど、 ニE ク リ チ ュl
ルの在り方としては、﹃たまきはる﹄のほうがよほど近いと言えるのではないか 。 モ し て 、 このテクストの貴重な点は、 それが、健御前自身の構想 執筆による第 一部(本編)と、定家が古反古 に分かれており、テタストに対する -27 -の中から見つけだしてまとめたものと奥書から判明している第二部(遺文) 書き手の意識をある程度明確に杷揮できるということだ 。 右にあげた序駿ならびに ︿ 自 己 言及﹀が、本編のもの であることをここに 断っておく 。 興味深いのは健御前自身によってテクスト化されなかった第二部である 。 第 二 部は第 一 部と記述が室複するも のもあるし、定家らの手が入っていることを考慮に入 れ な くてはならないが、次のような記述で始ま っ て い る ロ 袖に乱る与白玉とあるは、 いまだ明け暮れ係ひさぶらひし時の夢なり 。 抱きまいらせてありく程に、自き 水晶の玉にておはしましけるを、取りは づ し て 落 と し ま い ら せ て 、 こ ま 六 ¥ と 劉 れ 砕 け ぬ る を 、 い か に す べしともなくあさましく、泣く/¥袖に取り入と思て、覚めぬ 。 ・ 中 略 : 夢 は 人 に 諮 れ ば 忌 む とか や 聞 き し に 、 つ 与 み て 、 た Y 朝日ばかりに祈 り念ぜしに 、 か く 恩 の ほ かに、さぶらひ果てぬ 身となりに しかぱ、さて 見 へ けるにやと哩ひなして過ぎにしに、 このごろはた£、その玉の 砕 けにし夢の内の 心地に て 、 明 か し暮 らせば 、夢も 今さらにうとまし 。 つ ま り先にあげた蚊とおぼしい歌群の中の ﹁ 白 玉 の ﹄ の和歌の内 情を明かすと い う ‘ ごく 個人的な ︿ 説明 ﹀ で あ るという こ と だ ロ それが夢という、ごく身体的な (倒 の 記 憶 ﹀ によるも の で あ る こ と は 意 味 深 い 。 ﹃ た ま き は る ﹄ 第 二 部 に は 、 この春華門院が白い水晶の玉であった夢、春華門院が唐猫であった夢、亡き建春 門院のそば近く仕えた夢、冷泉殿に八条院への初見参がかなうと告げられた夢と、 4 A t p ヲ l L N ︿ 物語内容 ﹀ 四 つの夢の記述があ り 、 そ れ ぞ れ の 挿話 の の展開に重要な働きをしている。 し か し 、春華門院 の 白玉の夢 の 部分 で ﹁ 夢は人 に 語 れば忌むとかや聞き し に 、 つ L み て ﹂ と あ る よ う に 、 夢は呪術的なもので ︿個 ﹀ のうちに留めおかなければなら ないという認 識があ っ た 。 逆 に 言うなら、そ れ があえて舎か れている点に、第 二 部 の エ ク リ チ ュ
l
ルの持つ非常 に︿個﹀的な 性格を指摘する ことができよう ロ 夢 と い う ( 記 憶 ﹀ は、本人によってテクスト化された第一部では 排除された 。 こ の ︿ 個 の記憶﹀を記すという性 格 は 、第 二部の一つの基 調 をなしている よ う だ 。 例をあげるなら、第 二 部 で は 、右に あげた 四 つの夢のうち.今 は亡き建春 門 院 を 恋 し く 恩 い 、 常 に 摘 す に 見 て い たことと、夢の中 に冷泉殿が出 てきて八条院 に初見 参がかなうと告げたことは、 健御前 が 再 出 仕 を 始 め た 頃 、 院ヵ
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﹁ 御塩楊 のほど﹄という事 情もあ っ て 、 ﹁ 昔恋し く あぢきなく﹂﹁心地のわびし ﹂ い状態で出仕もせず局に引き こもって昼寝をしていたというエピy
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ドを挟んで引き続いて か れ て い る 。 つ ま り 、 忠 節を 尽くした 建春門院の崩御の後、再び八条院へ宮仕えをするようになるといういきさつが健御前にはあった 。 その中で、今は亡き建 春門院 へ の 思慕が切 りかえら れ : 八条院に近侍できる女房としての自覚に変わっていくというふうな ︿ 偲 ﹀ と し て の 心境 の 変 化を語 る コ ン テ ク ユ ト の 中 に 、 こ の 二 つ の 夢は出てくるのだ 。 ここでは﹁夢も ゆ へ の ありけるに や と 、 あやしきにつけてあはれなれ﹂と、夢は重要な役割を果たしていた 。 言 う ま で も な く 、 こ の 個人的な ︿ 記 憶 ﹀ は 第 一 部ではきれいに削り落とされている 。 ま た 、 八条院御所でところを得たように 仕 えている︿我 ﹀ に.知り合いの尼前が ﹁ いかに言へども、候ペき所 にては、ありつきおぼえさせ給らん ﹄ と言いかけるエピ
yl
ドがある 。 こ れ は 第 二 部では 昔 、 交 じ ら ひ て は ‘ 人のやうならん事をのみ思しかど、親と頼む人もにはかに病ひして言ふかひなくなり に き 。 朝夕目に見えし若かり し 人 ど も は 、 あり経るま与に大納言、中 納 言 と て 、 めの前に居並ぴたりしか 苧 29-ば、まことにことはりなりける身とのみ恩なして、 人/¥しき方は思離れて過ぐれど、 又 そ れ に よ り て 、 このごろ恩 落とさるる事も、さ すがなかりし に や 、 尼前な ど言ひ し 人 は : : け 遠 く さ し放たれてなどは 見えざりけるにやと、御心ざしもあはれに思しられき 。 と、八条院御所に出仕を始めてからしばらく時間のたった記述であり、 ﹁ 御 心 ざしもあは れ に思知られき ﹂ と い う 、 八条院の愛顧への感謝の気持ちに収敬していくものだ 。 こ れ も︿ 個 ﹀と しての色彩の強いコンテクストの中 で語られている a しかし、先にあげた﹃ 御温湯 の ほ ど ﹂ の エ ピy
l
ド と 、 こ の ﹁ 尼 前 ﹄ の エ ピyl
ドという .時間 とコンテクスイ q A ト v l ル トの異なる︿物語内容 ﹀ は 、 第 一 部 の 中 で は 、 八条院への再出仕、という一つの 、 そして彼女にとっては公的な 生活のエピ
yl
ドに簡潔に統合されている 。 第一部でこれに引き続いていくのは、 八条院の女房たちの服装や、 ォ 7 4 シ ヤ ル -メ モ リ ー 女 一 一房や侍たちによって形作られている八条院御所の気風、というふうに、宮仕えにおける彼女の︿公的な記憶﹀、 種 の ( 集 団 の 記 憶 ﹀ である n 如上のことから、次のことが言えるだろう ロ 一 つは、和歌に対する解説が行われたように、テクストより外、 つ ま れ 九 ︿ こ と わ り ﹀ が 可 能であるという事 。 つまりテクス卜を備隊できるレベルからは、言説に対する︿説明﹀、 しかもその叙述はきわめて ( 個﹀的な視座から行われる 。 今一つは‘第一部、すなわち健御前自身によってテク イ 釆 ト ヲ l h ストと認定された部分の性格であるのテクス卜内において︿物語内容)としての︿個の記憶﹀は︿集団の記憶﹀ 活 7 4 u y ヤ ル メ モ u t ︿ 公 的 な 記 憶 ﹀ │ │ 1 ︿集団の記憶﹀がエクリチュル化されると つとめて削り取られる傾向にある ロ に 従 属 し 、 き に は 、 メ ィタ レ ヘ ノレ でσ
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何 ら か の 物:選 語;択 内?意 勿krJ 講指7
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可 、 能 な と だ ろっ
" 9 徒 これは、自ら緩るテクス ト の 然草﹄と同様に、冒頭から、 し て 、 その場でなされたのは、 このテクストは︿回想)されていたのであり、高みから見下ろされていたのだロそ ィ 実 ト ワ l ル 釘 のエクリチユ 1 ル におけるへ 物 語 内 容 ﹀ 一 種の︿記憶の ( 記 憶 ﹀ の 選 択 と い う 、 技 術 ﹀ な の だ 。七 記憶の技術 ︿ 集 団 の 記 憶 ﹀ と ︿ 個 の 記 憶 ﹀ の 相 剤 、 そ し て 、 ﹁ 果ても知ら﹂ない ( 想 起 の 場 ﹀ の ︿ 物 語 ﹀ の 困 難 に 対 し て 、 独自の方法で解決を試みたのは﹃大鏡﹄というテクス 卜 である 。 ﹃大鏡﹄は︿いま ・ ここ﹀と(そのとき ・ そ こ ) という こ つの時 聞 の聞を行き来する︿記憶﹀ の動的な働きを人格化する 。 そ し て 、 そ れ
ら 配
語,す 〉 る を に 構 姿 造 を 化 見 し せ た な の 書 き 手 と い う 、 エ ク リ チ ュ ー ル上、位相の違う語り手を造型することで、︿想起の場) かくて講師待つほどに、我も人もひさしくつれづれなるに、 この翁どもの言ふゃう、﹃いで、さうざうし き に 、 いざたまっ韻材費時計、 このおはさふ人々に、 ﹁ さ は 、 い に し へ は 、 世はかくこそはべりけれ ﹂ -31 -と、聞かせたてまつらむ﹄と云ふめれば、 い ま 一 人 、 ﹃ し か し か 、 いと興あることなり 。 いで覚えたま刊 。 時々、さるべきことのさしいらそ重木も、 た l ぺ ら む 刻 じ ﹄ 後 略 ( ﹃ 大 鋭 ﹄ 日本古典文学全集 以下引用はこれによる) しかも、なされる﹁昔物語 ﹂ は藤原氏を中心とする︿集団の記憶﹀ である ロ 文字を持たない社会においては、集合的記憶は以下に述べるよラな 三 つの主たる関心によって貫かれてい たように恩われる 。 (二神話、とりわけ起源の神話に基づく集団のアイデンティティ、 ( 二 ) 系 図 に よ っ て示される支配的家族の権威、 ( 三 )呪術的な性格を帯びた儀礼によって伝達される技術的な知識。無文字の世界から浮かび上がった翁たちは、 ( ) イ ス ト ヲ ル ナ 会 2 a p ρ メ モ 3 1 に関連する天皇の歴史││国家の記憶と、 ( ) これが主に イ ヌ ﹄
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なるのだが道長に至る藤原氏の歴史ー l 家族の記憶を ﹁ 覚 え ﹂ 語 る た め に 、 " ﹁ 語られる年代に即した法外な高 齢 の ﹂ 、 語り手として設定された n 世次はいとおそろしき翁にはペり 。 真実の心おはせむ人は、などか恥づかしと思さざらむ 。 り 、 う 川 町 A ぺ たでて 目にも 、正にも 聞 き めては A るよろ匂のことの中に、ただ今 の入道殿下の 御有儀、古を聞き 今を見はべるに、二もなく三もなく、ならびなく、はかりなくおはします。 ︿ 想 起 ﹀ 1:1: ﹁ うかべたてて持ちて﹂なされる行為だ 。 そうすることにより、 ︿ 集 団 の 記 憶 ﹀ は ︿ 個 の 記 憶 ﹀ 変 換 さ れ る 。 イ ス ト ヲ ル 歴史は時間軸に沿って継起する︿できごと﹀ ﹁ 世 の 中 ﹂ の ﹁ 目にも見、耳に の 羅列ではない 。 し た が っ て 、 イ ス ト ヲ l A W も聞き集めてはべるよろづのこと﹂の累積は、今だ︿物語内容)ではないのだ 。 そ れ らは﹁うかべたて﹂られる イ ス !? り i L P レ シ ことにより︿物語内容﹀たりえ、語られることにより、 ︿ 物語 ﹀ になる 。 ﹃ 大 鏡 ﹄ に お け る 語 り 手 た ち は 、 そ の こ とを十分弁えている 。 たれも心をとな へ て聞こし召せ 。 世にあることをぱ、なにごとをか見残し聞き残しはべらむ a この世次が 申すことどもはしも、知りたまはぬ人々多くおはすらむとなむ思ひはベる 。 イ λ トフ l b ︿ 物 語 内容 )は ︿ で き ご と ﹀ の累積から何らかの選択行為をへて語られた 。 - こ の世はじまりて後、帝はまづ神の世七代をおきたてまつりて、神武天皇をはじめたてまつりて、当代まで六十八代にぞならせたまひにける 。 すべからくは 、 神武天皇をはじめたて まつりて 、 第: を A i きなり 。 しかりと言 へ ど も 、 そ れ l いと聞き茸 凶 崎 イ 川 町 四 -ま こ と は 、 中 に い く争防く、ぁ l 判にもぬでたくも m 興おりて-つ け た ま
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り めたるとと かは語り申さむずる 。 ただ世にとりて、人の綱茸とどめさ カ く 語 財制対だにいとをこがましげに御覧じおとする人もおはすめり 。 す h y -習 すル d Fそ y f 起源の神話に関わる国家の記憶であれ、 フ ァ ミ リ ー d 't f リ f 家 族 の 記 憶 で あ れ 、 ︿ 記 憶 ) 1;): ﹁ 聞き耳 ﹂ ﹁ 人の御耳 ﹂ と いう物語場の聴 -33 -衆の耳によって規制され︿選択 ﹀ された 。 世次はこの ﹁ 昔 物語 ﹂ のはじめと終わりでそうことわっている 。 イ スト 7 1 h ︿ 物 語 内 容 ﹀ は所与のものとして遍在するのではなく、時間軸・空間軸の座標の中の無数の としての ︿ 記憶の場 ﹀ に移され││︿想起﹀され、 で き J 〈 と 物レ〉 語v の 〉 累 の 積から︿場 ﹀ の規制を受けながら︿個) ︿ 記 憶 ) とな石 岡 ﹃ 大鏡﹄とい う テ クストはその ︿ 記 憶 ﹀ の動的ないとなみを、世次を含む数人の語り手を設定すること で エ タ リ チ ュl
ル化したのだ 。 物語場は 、 い わ ば ︿ 想 起 ﹀ の技術であった 。 そうすることにより 、 ﹁ 果ても知ら ﹂ な し、 ﹁ 昔物語 ﹂ は語り手の登場をもって始まり、 その退場をもって終わる 。 ω バ ル ト は 修 辞 術 ( 昨 日F
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﹃ 志 向 。 コ r o ) の 主 要 な 要 素 と し て 、 ︻ Z ︿ 司 4 4 5 ( い う べ き こ と を 見 出 す ) 、ロ - ∞
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O 田 口 ,- o
(見出したことを順序づけるて 回 tO 円 C30 (言 葉 の 装 飾 、 文 彩 を 加 え る ) 、 ﹀ の d O ( 役 者 のように弁論を 演ず る : 身 振 り と 話 し 方 ) 、 玄 開