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い ま

・こ

﹀を書き記すことにより︑それ以降

の物語場を︿想起の場﹀とするテクストの構造化が行われていたはずだ ︒

﹃ 宝

物集﹄や﹃無名草子

﹄に して も︑

その語り手たちは声だけの存在であり︑﹃源氏物語﹄雨夜談や﹃大鏡﹄のように姿ある語り手として︑具体的な

Z

人物造形はなされていない︒それらはいわば︑論点や位相の違う(記憶の要素﹀の擬人的な形象化に過ぎない

のだ︒そうすることにより︑仮構された人物形象は︑多角的に分断化された言説

1i

︿記

憶の

要素

﹀││の語り

を引き出す機構としてのみ機能し得る ︒歌論書︑法語︑説話集と︑ジャンルを問わず︑中世の如上の物語場を基

盤とする多くのテクス卜において︑言談の場や語り手の実在感は希薄である︒そのテクスト

の制作の過程の中で︑

﹁巡

物語

の方法はそのままに︑言談の場そのものの摘写や語り手の描写が消去されていったスタイル︑

︿ 想

の場﹀そのものとして書か

れる

それ

が︑

﹁随筆﹂としての﹃徒然草﹄だったのではないのか︒

従来﹃徒然草﹄の源泉となったとされる﹃枕草子﹄の類豪章段(ものはづくし)すら︑このような言談におけ

る︿ もの 定め

のなされる物語揚に拠

って

おり︑﹃徒然草﹄と共通する方法意識や発想基盤を持っと言えはしな

いだろうか︒﹃枕草子﹄は定子中宮を中心とするサロンの記録という性格を強く有するaそのような場での言談 が︑テクス

トのあり方に反映される蓋然性は高かったはずである固

﹃徒然草﹄は﹃枕草子﹄から続く仮名による﹁随筆﹂ の系譜の中で議論されることが多かった ︒しかし︑語り

の構 造と 質を 考え れば

それらはテクユトの基盤となる物語揚が共通だったのであり︑

﹃ 随

筆 ﹂

の生成を考える

色"が危'

にあたっては︑一連の

﹁場の物語﹂からの検討が今一度要請されてくるのではないか︒

﹁随 筆﹂ とこ れ

らの﹁

物語

z t

物 語

﹂であるというところから始められなけとの距離は意外なほど近い ョ

﹃徒然草﹄の読みは︑やはりまず︑

ればならない ︒

79‑

ことわる語り手

このような和文の

物語﹂

の文学伝統に立ちながら︑さらに﹃徒然草﹄が一歩踏み出したのは第二部以降で

︿もの定め﹀という虚構の言談の語り手でありかっその筆録者であったこのテクストの語り手は︑第二

部以降︑説話や有職故実など︑一見して他からの伝聞と判る﹃

物 語

﹂を

語り

始め

量一

回談

の聞

き手

とし

ての

立場

を強め始める ︒

第四

O

段を初出とする説話章段だけを拾っても六十段内外に及ぶのであるから︑語り手の質その あろう︒

ものが変貌してきたと言わざるをえない︒

るし

票︑

聞く

曹を

註じ

しのびに座の右に置ける事ありa

e ‑

‑ :

・ 中

略 ・

・ :

・今︑此れを

云ふに︑天竺

・震旦の伝へ聞くは︑遠ければ書かず︒仏・菩薩の因縁は︑分にたへざれば是を残せり︒

唯 ︑ 我が国の人の耳近きを先として︑

(﹃

発心

集﹄

新潮日本古典集成)

r

いたづらとして︑昨日もくれ︑今日もたちて︑羊のあゆみちかづき︑生死速勧の︑白髪をいたばきぬ

る事

のか

なし

さに

たぺ

聞き

﹁十

アカ

RA

U4

判じ

きおとをま

η

あたり

いみじき人々を書き載せて︑:'中略

i :

九の巻にしるし載せ侍り(﹃撰集抄﹄駿岩波文庫)

いまなじとなく

るところの認を種として

(﹃

十訓

抄﹄

序)

とれらの説話集作家たちと同様に︑

︿見

る我

)

︿聞く我﹀としての相貌を強めていくのだ︒

しか

し︑

﹃徒

然草

の語り手は﹁

承る

言の

葉の

みを

記﹂

したわけではないロ自分自身に関してもおおいに鱗舌なのだ︒

この テク ス

3

﹁八

にな

りし

年︑

父に問云・

:

と幼いとき父との問に交わされた仏に関する問答という

︿個

の記

憶﹀

で結

ばれ

てい

るこ

とに

それは象徴的に見て取れるだろう︒見開需の合間に︑自らの体験や思索を挟み込みながら︑

vdゆるやかな連想契機によって︿物語﹀を紡いでいく語り手︒それは背後にある言談の揚が対象化されるとは裏腹

4 トヲa lw

に︑そして語られる︿物語内容﹀が自らの実体験であるかどうかの如何に関わらず︑聞き手としての1

11 1(

個の

記憶﹀を語る︿我﹀を浮き彫りにす

h o

そしてその話末評語はもちろん︑ いわゆる説話評論︑あるいはまた自らの恩今革︑論理だけを語る部分により︑

︿記

憶の

場﹀

はいくつかに階層化され︑語り手はエクリチュ

l

ル上の異なる位相を自由に行きつ戻りつするモノ

ローグ的話者の性格を強めていく ︒それはむしろ︑自らの体験をフレームに取りながらも︑言談の場においては

姿を

潜め

﹁能

々定

説を

可尋

也﹂

﹁伝と縁起と定説をたづぬベし﹂等々とつぶやく﹃宝物集﹄の筆録者の姿に類

似するだろう︒それは言談の場とは位相を異にする

メタ レベ

での

︿我﹀

の形象化された姿であり︑

︿想起﹀

︿ い

・こ

こ)

における︿知の記憶﹀だったはずだ白このようなモ

ノロ

ーグ的話者の相貌をどのように捉えれば

よいのか ︒

興味深いのは︑第一七七段である ︒全文をあげる

(な

お︑

便宜

上任意に改行し︑符号をつけた) @

A︐鎌倉の中書王にて御鞠ありけるに ︑

雨降

りて

のち

いまだ庭の乾かざりければ︑﹁い

f

せ む

‑81 ‑

汰ありけるに︑佐々木の隠岐

の入

道 ︑鋸の屑を車に積みて︑多くたてまつりたりけ

れ ば

一庭に敷か

れて

泥土

の煩ひなかりけり ︒﹁取り溜めけん用意︑有がたし﹂と人感じあへりけり ︒

B .此ことを︑ある者の語り出でたりしに︑吉田中

納言

の︑

﹁乾き砂子の用意やはなかりける﹂との給た

りし︑恥づかしかりき︒

いみじと思ひける鋸の屑 ︑いやしく︑異様のことなり︒庭の儀を奉行する人︑乾き砂子を設くるは︑

故実なりとぞ︒

ここには︑三層の構造化された記憶が明示される︒

A .

誰が語

ったとも

知れない噂話││︿集団

の記

憶﹀

︿我﹀が言談の場で聞いた実体験

1i

︿値

の記

憶﹀

の 場 C 

︿ い ま ふ

・こ

こ ﹀

でなされる判断や評価︑検証

l l }

︿ 想

起 ﹀

の 場

Bにおける︿見る我

﹀ ︿

聞く我﹀とCにおける自己の(知の記憶﹀を検証しようとする(我﹀

によ

って

(記憶﹀

の自己同一位が保証され︑テクスト冒頭の

(自

己言

及﹀

により措定された書いている︿

我 ﹀

と い

‑ つ

︑ エタ リチ ュ

ル自体の自己同一性が保証される︒第二

部以

降は

わせで(記憶の需拡﹀をなし︑書き綴られていく︒このような︑︿記憶の場﹀の階層化がお

こな

われ

た点

に︑

﹃徒

この

ABC

三つ の 階層の

︿記憶﹀が任意の選択と組み合

然草﹄第二部の特色はあるだろう ︒語り手は ︑この三つの階層を自由に往還する

︿ 我 ﹀

であ

る︒

﹁日

﹂作者が

主に

B・

c

︑ ﹁

説話集﹂作者が

A‑C

を主に移動したのに比するなら︑﹁随筆﹂作者の特色の一

つは

ここ

にある

といえる︒

さらに興味深いのは︑同様な構造を持つ第六六段である︒これは︑紅梅の枝に烏を添える方法についての故実

に関するものであるロこの章段もまた三層構造を︑なしているa

A岡本関白殿(近衛家平)が︑満開の紅悔の枝に一番の維を付けて差しだせと︑御鷹飼の下毛野武勝に

命じたとこ

ろ ︑

武勝は﹁花に烏付

くる

︑す

べて

知りさぶらはず ︒一枝に二つ付くることも存知し候はず﹂

と答

えた

︒ そこで膳部や人に尋ねた後︑

武勝に

﹁さ

らば

︑を

のれ

が回

世は

んや

うに

付けてまいらせよ

﹂と

じたとこ

ろ ︑

花のない枝に維一羽を付けてさし上げた︑という言談の︑あるいは噂話の︿記憶﹀││︿集

団の記憶

﹀︒

﹁‑

‑‑

花もなき梅の枝に一を付けてまいらせ同列﹂︒

B.そのことについて︑後になってから語り手が武勝自身から聞いた故実の説明の記憶││言談の

︿ 個

記 憶

﹁武

勝が

申侍

しは

と申

L封 ﹂

C故実に関する語り手の評価・検討

花に烏付けずとは︑

いかなるゆへにかありけむ︒長月ばかりに︑梅の造り枝に燥を付けて︑﹁君がために

と折る花は時しもわかぬ﹂と言へること.伊勢物語に見えたり︒造り花は苦しからぬにや ︒

ここで重要なのは︑語り手の力点が︑先の第一

七七

段と

同様

に︑

Aにおける︿できごと﹀

σ

( 記

憶)

にではな

く ︑

Bにおける武勝自身の

︿ 説

明 ﹀

に置かれている点だの

それは言ってみれば︑

不特定の誰かによって語られた

言説

!l l

﹁説話﹂と言ってもよいだろう

に対するメタ言説であるとも言い得るだろうーロ

それ

は︑

不特定の誰

‑83 ‑

か︑ではなく︑姿ある実在の人物によって語られる︒

このような言説は第一四一段では次のように現れていた︒

悲回

院の

缶詰

蓮上

人と

﹁故郷の人﹂

との

﹁物語す﹂

場で︑次のよラな︿もの定め﹀が展開する ︒

﹁吾妻人こそ︑言ひっる事は頼まるれ ︒都の人は言受けのみよくてまことなし﹂

二の言説に対して発建上人は次のように弁明する︒

﹁そ

れは

さこ

そお

ぽす

らめ

ど︑

をのれは宮こに久しく住み馴れて見侍に︑人の心劣れりとは思侍らず ︒な

ベて心やはらかに︑情あるゆ八に︑人の言ふほどの事︑けやけくいなぴがたくて︑

よろ

づえ言ひ

放た

ず︑

心よは

く言 受け しつ 白

偽りせんとは恩はねど︑乏しく︑叶はぬ人のみあれば︑をのづから本意通らぬこと

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