物思 時 長 言 ε
い の
の 吾首
上 語
手 遊 で 戯あ が っ 多 た い 方、し と』まし っ そ と の に
誰よりも物言いに巧みであったのは作者自身ではなかったか ︒そのことは︑物語の登場人物によるのではない︑
種々の言語遊戯によって知られる﹂とする ︒﹃徒然草﹄中に言語遊戯は確かにそう多くはないが︑この指摘は傾
聴しなければならない ︒前節でみたように︑笑いのみならず︑︿ことわり﹀もまた(もの言ひ﹀で伝えられ
るも
ので
あれ
ば︑
︿ことわり﹀を多く語る﹃徒然草﹄の語り手もまた ︑テクストというひとつの物語場におかれたと
"
その言語遊戯が﹃沙石集﹄におけるの名手となり得ているのではないか︒また︑き
一 人
の巧みな︿も
の
言ひ)
法談の表現技法と重なり合うことは︑﹃徒然草
﹄の
語り手の
造形
︑ エク リチ ュ
l
ルにおける文体の創出という問面か
ら興味深い問題である ︒
﹃徒
然草
﹄
の語り
手は︿も
の言
ひ)する語り手である︒
五
筆録されるもの言ひ
この観点から見るなら︑﹃古今著聞集﹄の序文における次の一節はひとつの示唆を与えてくれる︐たろう︒
それ著聞集といふは︑字の余波なり
﹁ 字
県の亜相が巧語﹂が今は散逸した
﹃ 宇
治大納言物語﹄の謂であり︑﹁江家の都督が清談﹂が﹃
江談
抄﹄
を 指
すことは︑論を待たない ︒
しか
し︑
前者が説話集であるらしいことを考慮
にい
れれ
ば︑
﹁巧
語
﹂
と
』ま
むのがたり
﹁物
語﹂
で
あ り
︑
﹁説
話﹂
であ
り︑
巧みな︿もの言ひ﹀であったと解される ︒本稿
の文
脈か
ら昔
守え
ば︑
それは言談の場にお
ける︿もの言ひ﹀を記すテクストというひとつのエクリチュ
l
ルのあり方││ジャンルの存在を予想させよう︒• 123 •
よく知られていることだが︑説話集である﹃古事談﹄は
﹃ 江
談抄
﹄
・﹃
中外
抄﹄
・﹃
富家
語﹄
など
︑
言談を筆録し
たテクストに原典を求め得る︿
説話
﹀を 多く 含み
︑
それらと書承関係を持つにあたっては︑談話の部分だけを中
心に抄出するという方法をとっている︒
つま
り︑
﹁仰
せて 云は く﹂
﹁命ぜられて云はく
﹂ ﹁
談られて云はく﹂
など の部 分を 省略 し︑
( 言
表 内
容)
加
それ自
体︑即ち﹁簡明な叙事性を付与された︿話
ご だ
けを場から切り離
した形で
抄録しているのである の
本稿 の文 脈で 言一 えば
︑談話の筆録から︿もの言ひ﹀の部分だけを依き出し︑説話集全体
を統括する語り手の
︿も
の言
ひ﹀
として書記化しているのである ︒
︿も
の言
ひ﹀
は筆録される︒そしてそのよう
なひとつのジャンルが﹃徒然草﹄成立までには確実に存在していた ︒
︿もの言ひ﹀を書記化する散文の成立︒
言
表行為﹀と中世の散文の展開には深い関わりが見出される ︒
ま た
︑
︿もの言ひ﹀する語り手の存在と︑物語場に生起する様々な︿もの言ひ﹀を自己の寄りの中に取り込ん
でいく書記化の方法は︑﹃徒然草﹄と説話集との接点を示すものであるう︒しかし︑さらに︿もの言ひ﹀する︿我﹀
をも形象化し︑それを内在する物語場に参入させることにより︑﹃徒然草﹄の語り手はかつて無かったジャンル
すなわち﹁随筆﹂の語り手となり得た @
語る
︿我
﹀ の形 象化 は︑
一人称叙述の文体の創出に深く関わる︒人称や
時制の不明瞭な中世のエクリチュ
l
ルに おい て︑ その 語る
︿我
﹀
の明証はどこに求めればよいのか ︒
むろ
ん︑
﹁説話﹂は言談の場と深く関わる ︒
エタ リチ ュ
l
ル上 の
︿ 我 ﹀
の語りを考えるとき︑
その言談の場か
ら何を切り取ってくるかは重要な問題をはらむ︒伝承というファクターを無視することはできない︒しかし︑︿も
の言ひ﹀をキ
l
にそれを見る限り︑浮かび上がってくるのは︑伝承される︿一宮古車内容﹀││他者から聞いた話(ハナシ )
│ー
ではなく︑むしろ話し手の話(わ)││口頭表現と結びついた︿言表行為﹀それ自体のありょうの問
題であろう︒
なぜ
なら
︑
それが中世における新たなる一人称叙述のエクリチュ
l
ルの表現形式に深く関わってくるからだ因物語場の問題は︑発話行為の側からもう一度疲え直さなければならない ︒
それ
は︑
イ 調 ト ワ
lb(物語内容﹀
関
わることではなく︑あくまでもテクスト上の物語叙述の方法に関わる問題だ︒
この意味では︑中世随筆における語り手の問題を考えるとき︑例えそれが偽装されたものであれ︑自分自身︿我﹀
を登場させる説話集﹃擦集抄﹄・
﹃ 沙
石集
﹄
・﹃雑談集﹄などを視野に入れた検討が改めて必要であると思われる︒