7
﹃徒
然草
﹄
中の﹁を
かし
﹂
は四十例程を数えるが︑久保田淳は︑笑いに繋がるもの以外も﹁ほほえましいと
いう 感情 がか なり 濃厚 で﹂
︑
かつ笑いに繋がらなくとも﹁日常的なものとは違‑コという一種の違和感から生じる
美的情趣﹂がある
とす
︒本稿の観点からは重要な指摘であると思われる ︒
(﹃
徒然
草
' ﹄
とぱ
誌﹂
﹃国文学
解釈 と教 材の 研究
﹄
一九八九年三
月)
8但
し︑
﹃日 本国 語大 辞
典﹄の日葡辞書訳(岩波版﹃日葡辞書﹄を使っている)
でl立
﹁雄
弁な
︑ つま り
︑話の巧
みな人
︒またある事件に付いて広まるうわさ﹂
とあ
り︑
噂の未来・過去に付
いて は
限定されていない ︒
また
﹁宮oロ
OM
MB ︒
(モ ノイ イノ )
ヨイ
ヒト︒またはワルイヒト﹂
の部 分で
は ︑
﹁耳
慣 れな い
︑聞きなれない事を巧み
に話す人伺または話し方のへたな人﹂(﹃日本国語大辞典﹄)﹁他人の物事に付いて良く言う︑または悪く言う癖
のあ る人 (﹃ 邦訳 日
葡辞書
﹄)
とあ
り︑
訳にゆれがあるようである︒また︑本文に挙
げた 例は
︑﹃徒然草﹄の成立
期に
対して古いものか時代を下るものであって︑当代の語例は不幸にして見
出せ
なか
った
︒
9日
本
古典文学大系
ω
新日本古典文学大系以下︑引用はこれによる ︒日﹃日本歴史﹄一
九九三四月号
後に︑﹃中世のうわさ情報伝達のしくみ﹄一九九七年三月吉川弘文館
ま た
︑
あらかじめ︿もの言ひ﹀H言表表現との作業仮説に立
つてのうえ
であるが︑猿田知之氏の﹁中世
にお
ける
﹃物
言ひ
﹄ の 一 考察﹂(﹃茨城キリスト教短大研究紀要﹄
一 九 八四年)︑中山緑朗氏の
﹁平安古記録の語集│
ー﹃
物言 い
﹄に関して
(
)
」(
﹃学
苑﹄
五五
三
一九 八六 年一 月)
︑﹁
同
士一
)﹂
(同
月
の論
考は
︑
︿ も
の
言
ひ﹀を広い意味での言説のありようとして提えており多くの示唆を得た ︒ 12
立起詩文事
右元者︑矢野庄名主御百姓等政所殿申候︑於刑部大夫者︑自元売買為本候之問︑不与惣敬訴候上者︑於向後︑弥
不可存野心私候︑就中京田
舎 不 可 射 酬 明 申 候 ( 東 寺 百 合 文 書
函
一 一
一
五上)酒井論文所引
13
定置手之事
右兼理逝去之後︑定可有雑説等︑為令停止其側瞬︑当所一族・若等不残 ︑以罰文連暑︑益田相続仁之外︑不可
渉余議之状明鏡也︑然問︑自然構読書︑無間説於申輩者︑永代違中︑可令放逐当所者也︑:
:: :(
益田家文第七
三軸)酒井論文所引
リH新潮日本古典集成以下引用はこれによる︒
. 127. 15
﹃今 昔物 語
集の形成と構
造 ﹄
一九八五年一一月笠間書院また︑整理された形で﹁中世笑話の位相﹃A﹁4音
物語集﹄前後﹂
﹃日
本の
美学
﹄第
二
O
号一九九
三年 一一
月
16
﹁随分の歌仙にて︑頓
阿 ・
慶運・浄緋・兼好とて其比四天王にて有りし也二
(﹃
正徹
物語
﹄
日本古典文学大
17 系
﹃徒然草全訳注﹄講談社学術文庫以下﹃全訳註﹄と略す︒
凶注凶
円前章参照のこと︒
20
﹃全
訳注
﹄で
三木
氏は
﹁その起筆がひどく歯切れが悪い事に注意したい﹂
﹁持
って
まわ
った
感が
つき
まと
う﹂
とす
る
︒
21
﹁パ切掛けいみじけれども︑女ばかりくちおしきものなし
︒女御・后は心にくくいみじき試しに書き伝へられ
させたまふばかりのはいとありがたし︒まして末末はことわりなりかし﹂
(﹃
無名
草子
﹄)
なお
︑兼
好が
﹃無
明草
子﹄の読者であったという明証はないが︑﹃徒然草﹄は非常に類似した叙述を持つ︒
ま た
︑
︿も
の定
め﹀
という語
りの方法の類似性については前章で述べた ︒
﹁川
︑司
︑さ
う戸
¥し
きに
︑
いざたまっむかしものがたりして︑
この
おは
さう
人介
¥に
︑﹃
さは
︑
いに
しへ
は︑
よはかくこそ侍りけれ﹄ときかせたてまつらん﹂
(﹃大鏡﹄)なお︑兼好は﹃大鏡﹄の読者である(
一九
段) ︒
m
小峯和明﹁中世笑話の位相﹃今
昔物
語集
﹄前
後﹂
注 15
お説経の話芸性については次章で詳述する ロ
MM三木紀人﹁無住││彼岸と現世の問﹂
﹃国
文学
解釈
と教
材の
研究
﹄
一九
八
O
年三月同氏﹃雑談集﹄(中世の文学三弥井審広)解説・藤原正義﹁徒然草と沙石集
ー ー
その思想と文体をめぐっ
て
(﹃
日本
文学
﹄
一九
六二
年一
O
月)
お三木前掲論文
鉛テキストは﹃沙石集﹄﹁日本古典文学大系﹂を使った︒以下引用はこれによる︒
幻安良聞は
﹁中世文学の特質を求めて﹂の中で中世的な文芸理念を理に置き︑兼好が理の立場に立って︑
人 や
社会の種々相を描き︑随筆を発展させたのだとする ︒
(﹃
国語
と国
文学
﹄一 九七
二年二月) nまた前章でも語りの
観点から︿ことわり﹀について述べた ︒
鎚テキストは﹃古今著聞集
下﹄﹁新潮日本古典集成﹂を使った︒以下引用はこれによる ︒
29
﹁﹃
古今
著聞
集﹄
﹂ (﹃ 国文 学解 釈と 鑑賞
﹄
一九
九 三年三
月)
初 西 尾光注5に
同じ 31 森
正人
﹁宇治拾遺物語の言語遊戯﹂
﹃文
学
﹄一九八九年八月
佐 藤
晃﹁﹃宇治拾遺物語﹄における言語遊戯と表現﹂﹃日本文芸論叢﹄四号一九八五年三月
また︑稲田利徳は﹁言
を詳説している ︒(﹁
徒然
草の
俳諾
的表
現﹂
友竹武文・楊之上早苗編﹃中世文学の形成と展開﹄
和泉書院
ー129‑
九九六年六
月)
ロ酒井紀美前掲論文
注 11
HM
小峯和明
注 15
川町
注引
に同
じ
お斉藤由美子は無住の説法話の技法の中に反復表現と言葉遊びの表現を挙げている︒(﹁説教の表現と手法││
党舜本﹃沙石集﹄巻第六を中心に﹂
﹃説 話文 学研 究
﹄一
九九
三年五月)
お小林保治﹃説話集の方法﹄
一九 九二 年
四 月 37
﹃と ころ
I
r
ともでというものもっにお
いて
︑
と聞き宗とを慰
L
じが
も可
り叫
α
まず それ は︑
日常のありふれた会話からも
っと
飾り立てた演説までの︑あらゆる性質︑あらゆるレベ
ルの
hu 多種多様な口頭による話である︒しかし︑そ
れは
また
︑
口頭の話を再現するか︑あるいはその言い回しゃ意図を
借りる多量の書き物︑例えば手紙︑回惣録︑戯曲︑教訓的著作など︑要するにだれかがだれかに話しかけ︑話
し手として言表氏︑自分の言うことを人称の範暗において組織する場合のあらゆるジャンルを含む
︒ ﹂
(E .
ノ〈
ン
ヴエニスト﹁フランス語動詞における時称の関係﹂﹃一般言語学の諸
問題
﹄(
河村
正夫
・木下光‑
高塚洋太 郎・花輪光・矢島猷三
共訳 )
一九八三年四月みすず書房)
第四章
自 己 言 及 す る 語 り 手
│
│ 声 へ の 回 帰
説話集の中の声
書くことは︑声の文化の中から出現し ︑声の文化のう
ち に
︑
いつまでも
根拠
を持
って
いる
( W I ‑ ‑
オング﹃声の文化と文字の文化
﹄ )
2
むの が 丘町
︿語り﹀が声の文化に始発し︑説話がまず﹁物
語﹂
であ る
ことから論じられる
べき であ るな ら︑
中世の説話
ー¥31‑
集は常に︑
二つ
の
声にとらわれ続けたと言えるだろう ︒ひとつは︑伝承︑すなわち(語り伝え﹀る声であり︑今
一つは書く姿勢をあらわにすることによって獲得されつつあった︿作者﹀としての声である︒
﹃沙
石 集﹄もまた
︑
そうしたこつの
会戸
)の間
で同
慣れ
動く
説話
集の
一つ
であ った
︒
﹃沙
石
集﹄は︿作者)
無住
の 声
にみちみちている︒実
際に
それ
は︑
︿作者)無住によ
っ て
なされた法談で
あると享受されてきたし︑少なくとも私たちにはそう感じられる ︒私たちが
このテクス
トに彼の肉声を感じてし
まう
の はなぜか
︒そ
のた
め︑
私たちはこのテクストを︿作者﹀無住その人に引きつけることにあまりにも安易だ
った
のではないだろうか︒
匿名の編者逮によってなされた﹃
今昔
物語
集﹄
・
﹃宇治拾遺物語﹄をはじめとする︑寡黙な説話集と同様に︑
、 伊
」
の鏡舌な説話集もまた︑少なくとも巻五まで仇整然とした構想に基づいて編纂されたものであるということは動
かな
い
︒声は身体と深く関わるの︿声﹀という誇りの持つ身体性は︑いわゆる字治大納言系の編纂された説話集
群においては ︑匿名性の背後に隠れて発せられていた ︒
それ
を︑
︿作者﹀というあらわにされた身体性をもった
存在の︑肉声を以てなし得たのはどのようなメカ
ニ ズ
ムによるものなのか︒それはあながち︑署名の有無の問題
や︑批評添加││教訓・啓蒙・自省・感想記述等
│
の増大・強化によって形態的に規定される│説話評論﹁
﹂と
いう術語ばかりに帰せられる問題ではなさそうだ︒
序践に見る自己言及
︐ 深
沢徹は﹃源氏物語﹄
の語 りの
︿声﹀のリアリティの根拠を
(自
己言
及
﹀に
見いだし︑次のよ
うに 述べ てい る︒
肉声が響くように書く
こと
は︑
そんなに難しいこと
では
ない
︒語り手がその語る行為を
一 旦
中断
し︑
いままさに
遂行し
つつある
自己の語る行為それ自体に
つい
て語るようし向ければよい
︒つまりは
をル7
レヲ ァ︐
u J R
﹁自己言及﹂
とい
うこ
と︑
これである︒
i
・e・‑‑中略・語り手はここで読者の前にその生身の姿を現し︑自らの肉声を朗々と響かせる ︒自らの語りを反省的に振り返るこうした﹁自己言及﹂を通して︑自己
を限りなく実体化させていく﹃源氏物語﹄の複数の語り手たちは︑いったいどこからきたのか ︒
(傍
点筆
者
むろん︑さまざまな序肱そのものが広義の
︿自
己言
及﹀
であると言い得るc
しか し今 は深 沢の 昔守 つよ うに
︑ そ
れを自ら書く行為への言及であると︑絞って考えてみよう ︒序駿は︑テクストの書かれた事情や︑自らの言説に
対する意義づけとエクスキューズに満ちており︑﹁読者とじかに向き合おうとする書く主体の︑メタレベルから
の呼びかけの
声
に他ならない﹂のであるから︑﹃沙石集﹄とてその例外ではない ︒序や︑敏文である﹁述懐
‑¥33 ‑
事﹂には多くの︿自己言及﹀を見いだすことができる ︒
此故
ニ︑
ぐれ
串弔
問岡
山内
幕︑
思ヒ
イダ
スニ
随テ
︑難
波江
ノヨ
シア
シヲ
モ撰ズ︑藻聾草手ニ任セテ︑銭対嬬儒円︒斯ル省出制バマ無常ノ念々ニ犯ス事ヲ悟︑冥途ノ歩々ニ近ヅタ
事 ヲ 驚 キ テ
・ 中 略 徒 ラ ナ ル 輿 言 ヲ 集 メ . 虚 キ 世 事 ヲ 注 ス
︒
(﹃
沙石
集﹄
序
日本古典文学大系)
ニテ︑心許侍ホドニ︑書籍モ身ニソヘズ︑手ニ任テ其意許ヤヲラゲテ報刻︒
( ﹃
沙 石
集﹄述懐事)
﹃沙 石集
﹄の 語り 手は
︑
書くという行為の場を﹁山里ノ柴の庵﹂
と設
定し
︑
﹁老法師﹂である自分が﹁見シ事
聞シ事﹂を書いたのだと︑自らの著述を規定する︒いかにも︑序文で明らかなように﹃沙石集﹄は弘安二年の夏