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の意味はふかい "

五 そノ ロ

l

グの語り手

如上︑時間的に遠くない

﹁ 儲

﹂な言談の場をその背後に持つ限り︑

の符

。 コ

﹄巧﹁

みな

﹁語﹂りである﹃宇治大納言

︿声﹀を意識したテクストに見ていたこと

︿ 声

)

は顔を持った実在の

せら

れたものだ︒そしてそれは自ずと(聞く﹀︿身体)を浮かび上がらせ︑テクストの語り手の

︿ 身

体﹀

から発

︿声

﹀を

保証

当世/事ナレパ︑聞及ピクル人多ク侍リa

ノ子

孫親類アル事

ニ テ

セント/為

凡念

仏宗

ハ︑

0中略

況ヤ法華ヲ諦

シ ︑

真言ヲ唱

へ子︑往生ノ

素懐ヲ遂事︑経文

卜イ

︑伝

記ト

イヒ

三国ノ先縦是レ多シa

:中

:・余行ヲ機リ余ノ仏菩薩神明ヲ軽シムル事アル

ベカ

ラズ

︒此人ノ臨終ニ其答見ヱタリロ

前車の

壌は︑後車/誠ナ

ルヲ

ω真実ニ往生ノ心ザシ

アラ

ン人

此事

ヲ弁

ブベ

キナリ

( 巻

一 ー

l

O

浄土門

/人

神明ヲ軽テ蒙罰事)

‑153 ‑

これは︑念仏宗の学生が︑神明を軽んずることにより神罰を蒙り悲惨な最期を遂げる話の末尾に付されたもの︒

﹁ 近

代﹂

σ コ

﹁髄

﹂な

︿声

﹀を

聞く

︿耳

﹀が

それとは地続きの引用を含む評論部分に繋がり︑﹁只神威ノ軽カ

‑ 7

ザル

由ヲ

人ニ知セントノ為﹂に﹁所存ノ一義ヲ申述﹂という︿自己言及﹀

はさまれむ説示部分を語る語り手の に結びつく︒見聞と︿自己

言 及

︿ 声 ﹀

の身体性が保証されているのだ ︒

そして

︑それは教説性が色濃くなる

とい

う性格の点で︑形の上か

らは

長老が侍者に口伝を語る︑貴族

の言

談に似通

って くる

此故ニ︑雑談

/次

教門ヲ引︑戯論ノ中ニ解行ヲ示ス ロ是ヲ見

ン 人

拙キ語ヲ欺カズシテ

︑法

義ヲ

悟リ

ウカレタル事ヲタ

JY

サズシテ因果ヲ弁へ︑生死ノ郷ヲ出ル媒トシ︑浬繋ノ都ニ至ルシルベトセヨトナリ n

是則愚老ガ志ナリ

( ﹃ 抄

石集

﹄序)

その教説に対する意志は序文にはっきりとうたわれ

ていた

であれば︑駿文に

﹃走 モ見 開カ ン世 間ノ 事ニ 付テ

出世解脱ノ道ヲシラシム﹂と﹃源氏物語﹄と共に︑先雌と

してあげられていた﹃金

抽 評 論

﹄や・﹃雑談集﹄の中で↓禅教和会無偏執故多年

愛ス

(第

一巻

l

一 四

三学事)と

述べている﹃宗鏡録﹄に倣い︑次のような問答体という形でも語り得たはずだの

同法

ノ中

ニ問

テ云

﹁此ノ世界我等実ニ見之︑実ニ有哉実無哉﹂

n

此事

国間

経ニ

︑文殊示シタ

7

7見聞ハ如眼殿︑三界ハ若空華云云﹁0

︒ ﹂

見 聞 覚 知 ハ ' 中 略 : 長 水

/ 一 耳

︑ 中 略

a

ev e

古人ノ云・

中 略

・ 法 華 ニ 云 ク

‑eee

中 略

・:

士 白 人 / 云 タ

・ 中 略

ee

諸法 空無 相ハ

i

e中略

ee

e

・述懐頗有慨 ︒只為知音・同法也 ︒

(﹃

雑談

集﹄

l

五世界有哉無哉

ちな

みに

﹁愚ナル人/心ヲス︑ムル便リエヤ﹂と容かれた﹃沙

右集

﹄に 対し

﹃ 雑談 集﹄ 片山

﹁同

法ニ

物語

侍ル

分﹂

ヲ﹁法

愛ナ

ル僧

有テ

﹃滅後

ニ面 絞

/思=テ︑常ニ敏覧之志侍リ﹄トテ︑料紙ヲ用意セル事侍

ルヲ

感ジテ ︑任手

散々ト

﹂奮いたもの︒

このような問答によって語るという状況は︑

只所遺恨ハ不歴蔵人頭ト子孫カ和呂クテヤミヌルト

ナリ

︒足下ナトノ様ナル子孫アラマシカハ︑何事ヲカ

思侍ラ7

シ ︒

家之文︑道之秘事︑皆以欲煙滅也 ︒就中史書全経秘説徒ニテ欲誠也︒無委俊之人 ︒

貴下 ニ

少々欲語申 ︒如何︒(﹃江談抄﹄第五│ヒ新日本古典文学大系)

といラ意図のもとになされた︑﹁

江家

都督

の﹁

清 談

﹂︑すなわち﹃江談抄﹄の言談の記録に類似する "それは知

識を有する古老が︑若い後進に語り聞かせるという形を取った ︒

此雑談集或ル同法/所望ニヨリテ

︑手 ニマ カセ テ記 之︒

無正体事共 ︑重畳セル事︑ヲホカル賞

︒川

儒バ制

1

至孝ノ一分ナル

ベ シ

(﹃雑談集﹄巻八五持律坐禅ノ事)

また

︑今 語り

伝えておかなければこの情報が消えてしまうという︑危機意識に基

づいた

執筆動機もしかりである ︒

ヵ︑ル先達ニアヒタリシ︑

一 期

/恩出トゾカタラレケル ︒彼孫弟

子ノ

僧ノ物語ナリ︒随分ノ秘事ト

恩テ語キ︒身

ニモ アリ

ガタク覚

テ ︑

秘蔵ノ恩エ住

シ ナ

ガ 一

フ ︑

心/

底ニ

ノコ サン モ︑

罪深ク覚テ書置侍也a

カノ老僧/物語︑諸宗ノ真実ノ旨=叶ベキニヤ︒

(﹃

沙石

集﹄

巻一

O

l

二諸宗ノ旨ヲ自得シタル事)

‑155‑

ま た

もとより筆をとりてものお記せる者の心

g

し は

﹁我

との

事を記しとずめずは︑後の世の人いかで

かこ

れを知るパき﹂と恩より始まれるわざなる

べし

( ﹃

閑居友﹄

上 一

真如

親玉

天竺に渡り給ふ事)

これらのテクストにも問機の状況があり得た︒

しか し︑

﹃江 談

抄﹄

の場

合は

﹁蔵人実兼と聞えし人

の ︑

匡房の中納言の物語書ける書

﹂と 言わ れたよ うに

︑﹁足

下﹂という聞き手でもある筆録者が存在したが︑今(自己言及﹀

Ma

﹁書﹂く﹁老法師﹂たちにはそれがいない︒﹁

物 語

とい

う対話的な聞かれた場から︑独り物を書

く ︑

中世的 の中で造型される﹁庵﹂

見シ

事聞

シ事

﹂を

な書き手たちの所へ﹁

説話

集﹂

の所在が移っていたのである ロ

同心ならむ人としめやかに物語して︑おかしきことも︑世のはかなきことも︑うらなく言ひ慰まれんこそ

うれしかるべ

きに︑さる人あるまじけれど‑(﹃徒然草﹄第一二段

新日本古典文学大系)

説話的な発想を持つ﹃徒然草﹄の語り手が︑

w m 

から語り始めた意味はふかい ︒本来︑語り合う友を得て晴らされるべき思いが︑その通路を断たれたとき

一人硯に向かう

︿我 )と いう 語り 手の

︿ 身

体 ﹀

の描出を伴う

︿ 自

一つの方法として選んだのが﹃源氏物語﹄に見る手習﹂だったのだと︑荒木浩は述べる﹁︒ 及

むし

ろそ

れは

部の

﹁日

記﹂

や﹁

紀行

﹂︑

そし て

﹁随筆﹂の書き手たちに︑限りなく近づいてきたと言えよ

白河ノ渡︑中山ノ麓ニ︑関素幽栖ノ住士アリ︒:eeee・‑中略・櫓笠ヲ被テ装トス出家/身藁履ヲ厩デ

鴛トス遁世ノ道悶

( ﹃

海 道

記 ﹄

新日本古典文学大系)

と﹃海道記﹄では冒頭︑遁世者としての

︿ 我 ﹀

σ コ

︿身 体﹀ を描 出し

︑末 尾で は︑

コレタマ家ヲ出シ始メ道ニ入シ時︑身ノ哀ニ催サレテ︑人ノ噺ヲモ顧ミズ︑邸側バ桜ヰ此ヲ言ス︑

カ刻

︒噺ヲン人憐マン人︑順逆ノご縁共共エ一仏土ニ生テ︑一切衆生ヲ済ヘト也 ︒

と自らの書く行為について︿自己言及﹀がなされていた ︒鎌倉への旅の見聞をしたためたこのテクストを︑

興﹂

のた

めで

はな

く︑

﹁ 愚

のために︑書いたのだという︒

家の 集な どい ひて

きとどむることな

これ

︑ゆめゆめさにはあらず︒

た だ

あは

に も

かなしくも︑何となく忘れがたくおぽゆることどもの︑あ石をりをり︑

ぶと

︑叫

に︹

担問

・引

h u

を恩

い一

らる

るま

まに

が目以と

q

にきおくなり

( ﹃

建礼門院右京大夫集﹄新潮日本古典集成)

﹃建礼門院右京大夫集﹄では︑

﹁歌

﹂を書いたテクス卜と︑

自らのテクストが峻別される︒ことに人のためでは

なく︿我﹀自身のために書く ︑﹁愚懐﹂︑すなわち﹁心におぼえしを思い出らるるままに

﹂ ﹁

書きおく﹂言説が既

に存在していたということだろうロモノローグ的話者がここにいる︒ひとり︑己のためにものを書くというスタ

ンλ

の︑中世の書き手が︑

︿自

己言

及)

によ

り︑

テク

トの

︿ 声 ﹀ ︑

つま

り︑

( 我 ﹀

の談であることを言明

して

れを

さら

に︑

﹁日

記 ﹂

でた

どる

なら

;心

のど かな る里 居に

常よりも昔今のこと思ひ

つづけら

れて

︑ものあばれなれば

︑ い そ の か

みふりにし昔のことを恩ひいでられて︑涙とどまらず ︒

恩ひい

れ ば

︑ わが君に仕うまつること︑

157 中

略 忘 れ が た さ に

︑ 慰 む や と

︑思

m M

q

るこ

とと

も︑

きつ

l q

く判ぽ︑筆のたちども見えず霧ふた

がれツて︑硯の水に涙落ちそひて︑水くきのあとも流れあふ心地して︑涙ぞいとどまさる︒かやうに書きな

どせんに︑まぎれなどやするとて書きたることなれど鎮捨山に慰めかねられて湛

へが

たく

ぞ︒

( ﹃ 讃

岐典侍

日記

﹄講談社学術文庫)

こういった執筆態度をめぐる︿自己言及)

を遡れば︑﹃枕草子﹄に行き着く︒

三巻本の政文は次のように述べて

‑ ‑ O

LV 44 μ 

この

草子

目に

︑ 叫

に 思

U司ごとを︑人やは見むとすると恩ひて︑つれづれなる里居のほどに書き集め

たるを︑あいなう︑人のために使なき言ひ過ぐしもしつべき所々もあれば︑ょう隠し置きたりと

目 的 ひ

し を

心よ

りほ

かに

こそ

もり出でにけれ ︒

(﹃

枕草

子﹄

角川

文庫

)

が繰り返される ︒﹃枕草子﹄を起点に ︑

﹁皇

﹂ ﹁

心に恩ふこと﹂という言及に着

目し︑﹃讃岐典侍日記﹄との聞に﹃紫式部日記﹄等をおけば︑そこには過去のテクストに呼応して書かれる対話 ﹁日記文学﹂

+

︿自

己言

及﹀

し合うようなインタ

ー‑

テクスチュアルな互換関係を見いだすことは容易だ︒同じような状況で︑同じような︿自

己言及﹀が繰り返される ︒﹃建札門院右京大夫集﹄でいみじくも言及されていたように︑和歌などに較べれ

ば ︑

﹁日

記文学﹂

は私的ですイナなテクス

トであった︒﹁つまり作者の内発的な個人的事情以外に︑そのテクストが書

かれねばならなかった必然的理由が︑存在していない﹂︒

︿自

己言

及)

l

日記文学が発生論的に抱え込んでいた

負性の証だった ︒﹃源氏一品経表白﹄に見られるような内典(仏

)V

外典(儒

)V

史書

V

V

和歌

V

物語

とい

う︑

Z7l言語表現の階層制は︑形骸化するも︑中世︑厳として存在していたのだ︒

然レパ狂言椅語ノアダナルタハプレヲ縁トシテ︑仏乗ノ妙ナル道ニ入シメ︑世間浅近ノ賎キ事ヲ醤トシテ︑

勝義/深キ理ヲ知シメント恩フ ︒

(﹃

沙石

序)

﹁ 庵 ﹂

﹂﹂見シ事問シ事を書くモノローグの語り手たちの事情も同じだったはずだ﹁﹁︒

そも

ノ¥

との

二巻を記し初め侍しかど︑詞拙く︑心短きものゆで時も空しく移り︑日影もいたづら

に傾けば︑恥ぢて硯を収むといへども︑藻塩草︑かき上ぐべきよし︑かねて聞こゑさせければ︑海人の濡

れ衣恩ひみで︑また︑筆執れるなるべし ︒

( ﹃

閑居友﹄下│二東山にて往生する女の童の事)

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