工学部第二部30周年記念誌編集委員会 編集委員長 寺本隆幸 委員 清水昭之 斉藤 茂 野口幸雄 金刺亮介 @はじめに 06.6.1 10:29 AM ページ 2
夜だからこそ学べる 004 東京理科大学工学部第二部は、1976(昭和51)年4月に発足して以来、夜間学部と して4,000名あまりの卒業生を送り出し、30周年を迎えました。これまでに社会に 送り出した数多くの卒業生は、建築学・電気工学・経営工学の分野の高度専門技術 者として、産業界等で着実な活躍をしております。 東京理科大学は、創立以来125周年を迎え「理学の普及をもって国運発展の基礎 となす」との建学の精神に基づき、我が国の理学・工学教育の普及と理工学研究 者・技術者の養成に尽力してきた大学であります。 工学部第二部は、本学の前身である東京物理学講習所(後に東京物理学校)以来 の夜間教育における豊富な経験を生かし、工学の夜間教育課程として1976年に設置 された学部であり、建築学科・電気工学科・経営工学科の3学科より成っています。 本学部は、「理学的基礎の上に工学を教授研究し、優秀なる研究者並びに専門技 術者を養成し工業の振興発展に寄与する」との目的で、1962(昭和37)年に設置され た工学部第一部を母体にしており、工学部第一部の協力を得て教育を行っています。 今、1976年当時の学部創設期の資料を紐解くと、勤労学生を対象として、「能力 と熱意を持つ人物を養成する学部教育並びに、成人教育または継続教育の意味を持 つ社会人教育」を目指してという当時の小谷学長の言葉や、「落第させることを気に しないで、学生に実力がつくまでとことん教育してもらいたい」という平川理事長 の言葉が見られます。 このような趣意を受けて、夜間学部として質の良い工学技術者を社会に送り出す という教育と工学部としての研究が継続されてきました。 繰り返し学生に説明されてきた「実力主義」や「社会人教育」というキーワードが、 創設期から大切に受け継がれてきたものだということがわかります。 一方、工学部第二部を取り巻く環境は、設立以来30年を経て変化してきています。 社会の成熟化に伴い大学が多く新設され、大学数が増加し大学教育の機会が増大し てきていることや、18歳人口の減少がそれに拍車をかけて夜間教育の必要性の有無 を問いかけてきています。工学部第二部としては、「夜だから学ぼう」という「社会 人として自立した個人」である学生を対象に、夜間の工学教育を行うこととしてい ます。 本記念誌は、工学部第二部の30年間の歴史をたどり記録として残すことに意義が あり、今後の夜間部教育に資するところがあるものと考え、まとめたものでありま す。なお、編集作業は各学科から参加いただいた編集委員を中心に、(株)彰国社 の協力を得て行われました。
寺本隆幸
工学部第二部学部長 @はじめに 06.6.1 10:29 AM ページ 004工学部第二部建築学科の歴史 1
東京理科大学30年史 2
工学部第二部建築学科の歴史 3
東京理科大学30年史 4
工学部第二部建築学科の歴史 5
東京理科大学30年史 010
工学部第二部建築学科の歴史 011
夜だからこそ学べる 012
2006年3月末、工学部は九段校舎へ移転
5-13頁 写真撮影=畑 拓(彰国社写真部)
工学部第二部建築学科の歴史 013
夜だからこそ学べる
工学部第二部の30周年を迎えるに当って 寺本隆幸 004 第1章工学部第二部の30年
神楽坂 校舎の完成 019 工学部第二部の学生へ 塘 正夫 020 54年度卒業式 6学部・三千余名が巣立つ 022 工学部第二部学部長として、 勤労学生のための特色ある夜間学部づくりに貢献 023 工学部第二部学部史 027 第2章建築学科
(A科) 工学部第二部建築学科の歴史(変遷) 沖塩荘一郎・清水昭之 042 ◆細々ながら27年 寺本隆幸 064 ◆30年繰り返されている合言葉“入ってよかった清水研”清水昭之 065 ◆研究室の主として、その他の役目として 直井英雄 066 ◆母校に戻って5年 山名善之 067 ◆東京理科大学工学部第二部は21世紀の大学のモデル 沖塩荘一郎 068 ◆変な卒業生 大川修一 069 ◆充実の4年間 千本敬子 070 ◆専門分野の研究と人との繋がりを同時に学べる研究室 木村智成 071 学生OBの声 教職OBの声 現研究室の声 目次 もくじ 06.6.1 10:07 AM ページ 1第3章
電気工学科
(E科) 工学部第二部電気工学科30年 杉田利男 074 ◆神楽坂の思い出 喜岡俊英 083 ◆静電気ひとすじ 増井典明 084 ◆研究室の近況と異文化交流のすすめ 谷内利明 085 ◆だんだん美味しくなってきました 斉藤 茂 086 ◆学生時代を振り返ると 西川英一 087 ◆工学部第二部創立30周年に寄せて 稲坂勤 088 ◆東京理科大学の思い出 大木正路 089 ◆私の理科大学生活 麻蒔立男 090 ◆夢へのスタート地点 渡邊康之 091 ◆大学生活を振り返って 持永芳文 092 ◆大学の思い出「xnの微分は?」 丸山仁司 093 ◆理の科学は良心の門を啓く 大谷浩樹 094 ◆チャレンジこそ我が人生 宇原祥夫 095 ◆IT革命 吉田裕揮 096 第4章経営工学科
(i科) 工学部第二部経営工学科の歴史 狩野紀昭 098 ◆秒針なしの腕時計がもてる ◆∼工学部第二部経営工学科での23年間を振り返る∼ 狩野紀昭 106 ◆東京勤務1.5年 野口幸雄 109 ◆テーマ「美しさ」と「面白さ」 赤倉貴子 110 ◆現在の研究室の声 大森晃 111 ◆SUT神楽坂の13年間 菅野文友 112 教職OBの声 現研究室の声 学生OBの声 教職OBの声 現研究室の声 もくじ 06.6.1 10:07 AM ページ 2◆とにかく忙しかった高橋研究室 高橋武則 113 ◆東京理科大学工学部第二部の思い出 山田 秀 115 ◆研究が私の財産 白沢 勉 117 ◆工学部第二部経営工学科の想い出 野々田 光昭 118 ◆工学部第二部経営工学科の思い出 前中 敬一郎 120 ◆最大の財産は勤労学生として過ごした ◆4年間に対する自信 井戸博之 122 ◆夢へのスタート地点 石井 元 124 第5章
教養
工学部第二部教養の歴史 金刺亮介・原民夫・大村昌彦 126 ◆学生とともに24年 金刺亮介 137 ◆最近の研究 原 民夫 138 ◆英語の学習法について 大村昌彦 139 ◆工学部第二部設立の頃 山本格治 140 ◆「ムチャ」と「楽」 樋口 清 141 ◆単位をくださいと土下座した君よ 木村哲三 142 第二部事務室から 第二部事務課の思い出 今井雅幸 143 第6章工学部第二部の現状と将来
東京理科大学工学部第二部の現状と将来 工学部第二部の現状と将来検討委員会 146 付録 30年史資料 158 教職OBの声 現研究室の声 学生OBの声 もくじ 06.6.1 10:07 AM ページ 3第1章 工学部第二部の30年 018 工学部第二部の歴史を物語る資料を探したところ、本学部創設時から 第1期の卒業生を送り出す前後の時点までの資料として、以下のものが 見つかった。本学部創設期の気分や当時の学部を取り巻く環境が伝わる ものではないかと考えている。また工学部第二部の歴史ともいえる大場 興一先生の記事も併せて収録した。 より具体的な資料・時系列データは、資料として巻末にまとめたので、 併せて見ると工学部第二部の30年間の全体像が見えるのではないかと考 える。 (1)神楽坂 校舎の完成(東京理科大学学報1976年5月28日号) 学部創設時に、神楽坂に9号館が完成している。「白亜の外観」と表 現された9号館も30年間の役割を終え、今後解体される予定である。 2006年3月末には、工学部(第一部、第二部とも)は3年間の予定で九段 校舎へ移転した。 (2)工学部第二部の学生へ(東京理科大学学報1976年5月28日号) 学部創設時の学報の記事であり、塘正夫学部長からの最初の第二部 学生へのメッセージが述べられている。 (3)54年度卒業式 6学部・三千余名が巣立つ(東京理科大学学報1980年5月28日号) 工学部第二部の初めての卒業生86名を送り出した卒業式の記事であ る。 (4)工学部第二部学部長として、勤労学生のための特色ある 夜間学部づくりに貢献(大場興一先生を偲ぶ、1990年6月23日) 学部長をされていた大場先生(経営工学科)が亡くなられた時の弔辞で あるが、その内容は工学部第二部の歴史そのものであるため、掲載 させていただいた。 (5)工学部第二部学部史(東京理科大学100周年誌、1981年) 本年東京理科大学は125周年を迎えるが、100周年時にも記念誌が出 版されている。この時点は、工学部第二部としては5周年に当たる 年である。この100周年記念誌中の、工学部第二部学部史は、創設 より5年間の記録であり、貴重な資料となると思われたので、転載 させていただいた。 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 018
かねて建設中であった(神楽坂)9号館は去る3月末をもって完成した。 新校舎は地下1階、地上11階建てで、延べ約4,950㎡。その白亜の外観は 今までの建物の中では特に美しい。地階は機械室と倉庫、1階と3階は 事務室、2階は学生談話室となっている。4階、5階、6階、8階は教室、 製図室、演習室ゼミ室に当てられ、7階は電算機センターとなっている。 さらに9階、10階は研究室、11階は主として会議室となっている。 特に7階は電算機を集中拡充した新しい設備をもつ電算機センターと して本学の充実ぶりを示す優れた施設の1つである。 また2階の学生談話室は今までにない明るくゆったりとした設備をも つ学生の憩いの場となることと思う。ここにはやや高級なコーヒーシ ョップなども設けられ、自動販売機等とともに学生の利用が期待され ている。 神楽坂 校舎の完成 019 東京理科大学学報(1976年5月28日号)より 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 019
第1章 工学部第二部の30年 020 1976(昭和51)年度から本学に工学部第二部が夜間の学部教育を目的と して新設された。 工学部第二部では夜間に授業が行われるが、本学部は一般の学部教育 とともに社会人教育という目的も持っていて、仕事を持っている者、又 は何らかの理由で昼間の学部に通学できない事情にあるが向学心に燃え ている者を対象に大学教育をして、卒業の暁には立派に工学士たるにふ さわしい資格と実力を名実ともに与えようとするものである。 従って、1年次の入学には一般の選考試験の他に企業等からの推薦に よる入学を許可するようになっており、建築、電気、経営の3学科とも 定員は80名で、仕事を持ちながら勉学を希望する青年に入学が許されて いる。さらに社会人再教育の場としてゆくゆく3年編入の制度も確立さ れる予定である。 1年次のカリキュラムは、各科とも文部省の規定による人文、社会自 然科学の3科目にわたる教養科目と語学教育に重点がおかれ、工学士た るにふさわしい素養を身につけてもらい、あわせて体育科目を日曜日又 は夏休期間に集中講義の形でとり入れて、仕事と学業が両立し易いよう 工夫されている。しかし、2年に進級するためにはどうしても合格しな ければならない関門科目もあるから、第二部学生は各自努力しなければ ならないことも事実である。 さらに、2年次以降は必要とする教養科目および語学の他に専門科目 が入ってきて、実験、実習等も強化されるから、一段と頑張らなければ、 所定の学科を履修し、単位を取得することはむつかしい。といっても恐 れることはないので毎日遅刻せず、欠席しないように受講して、短時間 であっても予習復習を怠らないよう勉強して行けば大丈夫である。 講義は、第二部専任の先生の他に多くの昼間学部の先生方が、熱意を 以て第二部の教育を担当して下さるから、授業時間は昼間学部にくらべ 若干少なくなるのは止むを得ないとして、実力涵養という点では、昼間 塘 つつみ 正夫工学部第二部学部長 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 020
工学部第二部の学生へ 021 学部に比べ何ら劣る所のないよう考えられている。 特に本年度入学された諸君は工学部第二部の第1期生であるから先生 方も何とか立派に教育して、確りした実力を身につけた第1期卒業生を 世に出したいと熱意に燃えて講義をして下さるので、諸君もこれにこた えて一層頑張って行って貰いたいと念願している。 その為にも、身心ともに強健に保つよう特に心がけて、工学部第二部 が楽しい勉学の場となるよう皆で努力して行こうではないか。 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 021
第1章 工学部第二部の30年 022 去る3月19日、日本武道館において、本学混声合唱団による演奏を交 え盛大に卒業式が行なわれた。各学部別には、理学部第一部が671、同 第二部544、薬学部184、工学部第一部436、理工学部1,098、そして初め ての卒業生である工学部第二部86名の総勢3,019名が、80年代の社会に はばたいた。また、本学の特設課程である理学専攻科修了者にも同じ く修了証書が授与された。式は、13時から始まり学長からは大要次の ようなお祝のことばが送られた。 本年度の卒業式は、本学の学部学科がいずれも完成し、6学部29学科 の卒業生を送り出す最初の卒業式で、東京物理学講習所から99年度を 終え、4月から100年度に入るという時で、東京理科大学にとって、特 別に意味があることを強調された上で、卒業生に対し、これから社会 人として仕事に打ち込んで仕事を天命と思って大切に、そして協調性、 豊かなる常識総合判断力を養うように、さらに、本学の堅実さ誠実さ を持ちつづけ、地味な努力を怠ることなく信頼を受ける人になって活 動していただきたい等が述べられた。そして最後に、科学技術に関係 する職に携わる人々は、科学技術が人間の生存福祉のために使われな ければならないことを深く認識して、自ら人間として立派であること、 豊かな人間性を持つことの大切なことを忘れないよう強調され式辞を 結ばれた。 東京理科大学学報(1980年5月28日号)より 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 022
工学部第二部学部長として、勤労学生のための特色ある夜間学部づくりに貢献 023 工学部第二部は、1976(昭和51)年4月に勤労学生の工学教育を目指して、 建築学科、電気工学科、経営工学科の3学科よりなる夜間学部として創 設されました。創設以来、 ・東京理科大学前身の東京物理学校以来の伝統である実力主義を堅持 し、卒業の際には、昼間部である工学部第一部の学生と、同等の実力を 持った学生を卒業させること ・多様な人生経路を歩んできた学生が、入学しやすい学部にすることと いう考えのもとに、教員一同が学生指導に全力を尽くしました。 大場先生は、塘正夫初代学部長の後をうけて、第二代学部長として、 8年にわたり、教職員の和を尊びつつ、東京物理学校時代に学んだ苦学 生としての自己体験に加え、経営工学科の幹事ならびに学科主任の経験 を含む長年の教員生活の経験に裏付けられた的確な指導力を発揮しなが ら、工学部第二部における勤労学生の教育の充実に、心魂を傾けてこら れました。大場先生が学部長として尽力されてきた主な業績は、次の通 りであります。
1
教育・研究内容の充実のために行った諸施策とその効果 a. 専任教員の充実 学部の教育研究の充実の第一は、専任教員の充実にあるという考え方 のもとに、教員の量・質の確保に最大限の力を傾注しました。この結果、 大場先生が、学部長に就任された時の専任講師以上の専任教員は、12名 であったのに対し、退任時には18名となりました。また、退任時の専門 課程の専任教員(助教授以上)9名のうち、大学院工学研究科指導教員ある いは指導分担教員が7名となりました。 b. 研究の奨励 活力ある教育は、研究活動の推進・充実によってなされるという信念 『大場興一先生を偲ぶ』(1990年6月23日)より 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 023第1章 工学部第二部の30年 024 のもとに、大場先生は同学部における研究を奨励しました。その成果は、 同学部教員による公刊論文数123篇、著書数46冊、学会発表285件にのぼ り、また、研究上の功績による受賞は4件となっています。 c. 国際交流の奨励 大場先生は、国際交流の推進により、教員に海外経験を与え、その経 験を教育に反映することにより、国際化の著しい職場環境で勤務する学 生に対して、正しい国際感覚を身に付けさせることができることに留意 し、同学部教員の国際会議への出席、あるいは海外における調査研究を 積極的に奨励しました。大場先生が学部長の任にある間に承認した海外 出張件数はl06件にのぼります。 d. 教育設備の充実 勤労学生の工学教育には、実践的な実験の充実が必要であるという考 え方のもとに、教育設備の充実に尽力しました。とりわけ情報処理教育 の充実に指導力を発揮し、情報処理機器の整備に尽力され、同学部の計 算機設置台数は、約250台にのぼっています。 e. 履修方法の改善 大場先生は、多種多様な就学背景を持った勤労学生が履修しやすいよ うにという配慮から、発足当初に制定された履修方法の改善に指導的役 割を発揮し、勤労学生の勉学意欲を促進させ、その後の学習面における 実力向上に多大の貢献をしました。 f. 諸施策の効果 大場先生の指導に基づく上記の諸施策の効果として、次の点を挙げる ことができます。 ①大学院進学者の増加 学部教育が充実されるにつれ、大学院進学を希望するものも漸次増加 してきました。大場先生は、このような学生に対して、積極的に大学院 受験を勧めるべく教員を督励しました。その結果として、これまでの同 学部卒業生の大学院修士課程進学者は、72名にのぼっています。この内 大部分は、東京理科大学大学院工学研究科への進学者でありますが、東 京工業大学、東京芸術大学、北海道大学、都立大学、早稲田大学、慶應 大学、アメリカ合衆国コロンビア大学等の他大学大学院進学者も含まれ ています。さらに、東京理科大学大学院工学研究科においては、工学部 第二部卒業の大学院修士課程進学者の学力が、研究科教員により認識さ 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 024
工学部第二部学部長として、勤労学生のための特色ある夜間学部づくりに貢献 025 れ、従来、工学部一部出身者にのみ認められていた推薦入学制度が、 1991(平成3)年度からは、同学部の卒業生についても適用されることにな りました。 ②求人の開拓 同学部の発足当初は、夜間部に対する企業側の偏見から、就職先の開 拓は、必ずしも容易ではありませんでした。しかし、上記のような活動 を通じて、徐々に、同学部の実力主義の教育方針が認められ、東証一部 上場会社を含む多数の企業から求人が寄せられるようになりました。 ③卒業生の活躍 同学部が発足してから、送り出した卒業生は、まだ11回に過ぎません が、すでに卒業生の中には、社会的に目覚ましい活躍をしている者がお ります。例えば、大学の教授・助教授・講師、建設会社社長、東証一部 上場会社課長、特許事務所所長、弁理士、パイロット、CAD等の先端 ソフト開発会社社長、建築設計事務所所長、海外駐在の技術コンサルタ ントなどがいます。また、同学部卒業生で、大学院修士課程を修了した もので博士課程に進学したものは5名にのぼり、さらに、すでに博士の 学位を得ているものが4名います。 ④特色ある夜間学部教育体制の確立 夜間部出身であっても、努力によって実力を付ければ、昼間部の学生 と同じレベルの企業に就職できたり、あるいは、大学院に進学できるの だという実績が示されるにつれ、学生が、より一層勉学に励むようにな ってきました。また、上記の①、②、③の結果は、同学部生の実力が卒 業時には、昼間都の学生と同等にという創設時からの方針の達成のひと つの証明であり、諸々の事情から昼間部に通学できず、勤労学生として 大学に通っている学生に対して希望の光を与えたものといえます。この ような成果はいずれも、同学部において培った実力がベースになってい ることは、疑いの余地がないことであります。大場先生が、学生の実力 涵養のために行ってきた各施策の成果と見ることができます。
2『多様な人生経路を歩んできた学生が入学しやすい学部にする』ための
編入推薦入学制度の創設と、特色ある勤労学生の増加 高度に多様化した今日の社会・経済環境のもとで、複数の高等専門教 育を受けたいという希望を持つ、諸々の大学専門課程を修了した学士の 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 025第1章 工学部第二部の30年 026 ニーズに応えるために、同学部では、大場先生の指導のもとに、1984 (昭和59)年度より編入推薦入学制度を創設しました。この結果、最高齢 者は65才、職業でいえば、弁理士、会社社長、大学技術員、電算学校教 員、税務署員、システムエンジニア、代議士秘書、理学療法士、消防署 員、販売員等というように多種多様な学生が、また、東京理科大学他学 部卒業生を始めとして、東京大学、京都大学、東北大学、都立大学、東 京外国語大学、早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学、日本大学等の卒 業生が、専門の複線化のために編入学・入学してきました。これは、大 場先生の指導のもとに行ってきた、多種多様な学生が、入学しやすくす るという諸施策の成果と見ることができます。
3
志願者の増加 上の1
ならびに2
の事績は徐々に世の中でも認められるようになり、 その具体的な現れとして、志願者の減少に悩む夜間部を持った大学が多 い中で、同学部の志願者が増加してきました。具体的には、定員240名 に対し、1979(昭和54)年度には志願者は814名であったのに対し、1989 (平成元)年度は1,700名に達しました。以上述べてきましたように、大場 先生は、東京理科大学工学部第二部の学部長として、多様な人生経路を 持った勤労学生が、入学しやすいように諸制度を改善・整備し、努力に より実力をつければ報われるのだという自信を学生に与え、多様化した 社会に対応した新しい高等教育の実践に多大な貢献をされてきました。 これらは、大場先生の、『和を尊び、着実に物事を積み重ねるお人柄と、 卓越した指導力』により成しえたものであると言っても過言ではありま せん。 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 026工学部第二部学部史 027 東京理科大学100周年誌(1981年)より
設立に至る経緯(注 学科記号 A科(建築学科)E科(電気工学科)i科(経営工学科))
神楽坂校舎、主として理学部の狭隘を緩和する1つの手段として、木 造2階建て(光の国跡プレハブ)であった管理課など事務部門の敷地に9号館 を新築しようという案が発表されたのは、1971(昭和46)年10月であった (学報号外)。しかし当時、東京都に道路拡幅案があって、8階建ての7号館 が2mほど新道路に引っかかることになるため、7号館の建て直しも含め て9号館を新築する方が有利であろうという考えが理事会内にあって、 この新築計画はなかなか具体化しなかった。 しかし、2年ほど過ぎるうち、道路拡幅案は縮小されて7号本館は新道 路に引っかからないことが確実化したので、1974(昭和49)年1月、9号館 新築に関する申請に踏み切り、設計その他に種々の経緯はあったが、同 年9月20日、9号館の新築申請が受理認可(183号)されたのを機に、竹中工 務店に依頼して工学部A科松下教授の設計になる9号館の新築が11月1日 に着工された。 一方、工学部内では1973(昭和48)年1月ころから、工学部の将来をいか にすべきかについての検討が有志の教授の間で活発に行われていた。そ の内容は工学部を更に充実発展させるためには、第一に工学部の専用床 面積の拡大を必須とし、更には大学院工学研究科の拡充が是非必要であ るという考えに基づいて、それらの具体化のための討議が行われたもの で、この論議の間に、交通至便の神楽坂地区には社会のニーズでもある 工学部第二部を早い時期に併設することも、理大将来のためには有利で あろうとの意見が出た。特色ある性格の工二を作れば、他の夜間大学が 斜陽気味になり始めたとはいえ、志願者は数多く集まるであろうし、権 威ある工二であれば社会的にも有用である、といった見解からである。 この時、構想に上がっていた工二は、実力を十分につけて卒業させるた めに5年制の二部が必要であろう、という結論であった。 しかし、平川仲五郎理事長の頭の中には、9号館建設に踏み切ったこ ろから、9号館を神楽坂校舎の狭隘緩和に利用するのみならず、更に有 効に活用するために、年来の念願でもあった4年制の工二を創設すべき 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 027
第1章 工学部第二部の30年 028 である、という確固たる理念が台頭していたように思われる。というの は、その現われとして1975(昭和50)年3月19日、小谷学長、幸田工学部長 以下工学部の各科主任が、工二設立に関して平川理事長と懇談する形式 で、工二に対する平川理事長の考えを聞き、また工二設立に対して、工 学部全体の全面協力を極めて強く要請されたからである。 工学部としてはさっそく部内打合せ会議をもち、理事長の要請に対す る工学部としての態度を検討するため、工学部教授総会の諮問機関とし て工学部内に工二設立対策委員会を発足させ、E科塘 つつみ 正夫教授が委員長 となって、工二設立に対して必要と考えられる工学部全体の床面積の拡 充、図書の補充等を検討するとともに「工学研究科の拡充を工二設立と 並行して実施されたい」旨の要望を申し出た。しかし、このうち工二新 設の申請書が1975年4月28日、文部省へ提出され、同月30日開催の評議 員会がこれを了承したので、ここに工二新設は理大として完全に本格化 した。この時の工二は、A、E、iの3学科で各科入学定員80名の4年制夜 間大学である。 創設 工学部としても工二新設に対し具体的な実現案を真剣に検討せざるを 得ぬ立場となったので、1975年5月13日、夜間学部としては先輩である 理学部第二部の宇喜多教授に工二創設に関しての助言を乞うとともに、 意見の交換を行い、同年5月22日に第2回の工二設立対策委員会を、また 6月5日に第3回の対策委員会を開いて、工学部が工二に協力するために 必要と考えられる工学部の床面積増、教員増等、工学部としての条件、 希望等を立案した。 次いで1975年6月17日、対策委員全員が小谷学長から招集され、宇喜 多教授を交えて工二設立に関し懇談の形で、対策委員会でなく工二設立 準備委員会を発足させてほしい旨の要請を受けた。また平川理事長から は6月27日、工二の構想、カリキュラムなどを至急作るようにという要 請を受けるとともに、工学部の増分要求は大部分カットせざるを得ない という意向も通達された。 一方、理事会としては工二開設に備えて、あらかじめ必要とする新規 購入図書、雑誌等を整備し、強電及び高圧実験設備、製図室設備等の購 入を手配するよう指令を出すとともに、工二設立申請に伴って1975年9 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 028
工学部第二部学部史 029 月8日に文部省高等教育計画課に対し、設立方針その他の説明を行った。 工二設立準備委員会としても工二の実現が間近に迫ったことを感じ、 第2回委員会を1975年9月11日に、第3回委員会を同月17日に開催、工二 としての教室運営方針、卒論のあり方、工二並びに工学部の必要専用面 積などについて検討を行い、工二設立に対して準備を進めた。 1975年10月1日、工学部長の交代があり、幸田工学部長の後任として M科の橋口隆吉教授が就任し、工二設立に関しての方針はそのまま継承 された。10月に入って、いよいよ工二設立認可の実現性が強いと判断され るに至ったので、10月8日、A科幸田、E科塘、i科窪田の各教授及び川 口教務課長が懇談の形で、工二の推薦入試、公募入試について検討、同 月22日、小谷学長の下で入試問題はAEi各科共通とすることに決まった。 1975年10月15日には工二設立に関して文部省の実地視察があり、図書、 実験機材などについて点検を受けたが、若干の要望事項があっただけで 別に特別の条件などは言明されなかったので、1976(昭和51)年度からの 工二開設はいよいよ確実化した。(注 M科(機械工学)) そこで1975年11月8日、小谷学長主宰の下に宇喜多、幸田、塘の各教 授が、理二の経験を参考にしながら工二の入試問題及び企業に対する工 二学生推薦依頼等について検討、同月15日には第1回の工二入試委員会 の形で入試問題原案の作成とともに、工二学生募集要項、工二PRの原 稿等について協議立案した。第2回の工二入試委員会は1975年12月6日に 行われ、ここに工二入試に対しての準備が整った。 1975年も押し詰まった12月12日、かねて申請中であった工二の設立が 正式に認可となり、9号館も建築中数回の検査を受けたが、12月25日に はいよいよ検査済(357号)となって、地下1階、地上11階、延面積約4,900 ㎡の新しい建物として落成したので、ここに工二の創設は名実ともに確 立されたことになった。 次いで工二設立に伴う規程の改正が行われ、従来の工学部は1976年4 月1日から工学部第一部と改称されることになり、更に工二は新設学部 であるため、工二所属の嘱託教授を当分の間、工二専任教授として取り 扱うことになった。 工二の設立は1976年4月1日からであるから、正式の工二教授総会はそ れ以後でないと開催できないわけではあるが、工二の人事その他重要事 項は事前に審議しておく必要があるので、1976年1月19日以降数次にわ 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 029
第1章 工学部第二部の30年 030 たって、学長、常務理事を加え、工一の各学科主任及び工二専任並びに 兼担予定教員からなる工二準教授会を開き、工二の教員組織、教育方針 等について審議を重ね、工二補職人事は工二学部長塘正夫、A科主任松 下清夫、E科主任塘兼務、i科主任石川馨の各教授、教養主任は欠員とし て工二を発足させることが決まった。 工二設立にあたって文部省に提出された工二のカリキュラムは、工一 のAEi科のカリキュラムに準じて作られていたが、授業科目の開講方針 については、とりあえず1年次について教養科目と基礎教育科目の一部を 開講することにし、2年次以降については今後開催される工二教授総会 で検討決定することになった。また、体育科目については理工学部の体 育教官に依頼して、日曜及び夏休みに集中講義の形で行うことになった。 次いで1976年2月11日に、小論文と全員面接による推薦入試を行った が、募集人員各科40名に対し、志願者数は事前のPRが不十分であった にもかかわらず、A科3.9倍、E科1.9倍、i科1.1倍となり、企業から推薦 された受験者に対してはいかにして断るかに難渋した。続いて同3月9日、 公募入試を英、数、理の学科試験を課して行ったが、この時も入学定員 各科40名に対しA科7.4倍、E科4.7倍、i科2.8倍と予想を上回る志願者が あり、多少の辞退者を見込んで発表した合格者数は推薦入学者も含めて A科103、E科103、i科98、合計304名の学生が工二の第1期生として入学 を許可された。 最終の工二設立準備委員会が1976年3月11日、学長室で開催され、工 二準教授会に代わって工二教員人事の最終原案を審議決定し、発令され る運びとなった。 続いて翌3月12日には学長招集による工二授業担当教員の打合せ会が 開かれ、平川理事長から、文部省としては二部で4年制は無理という意 見が強かったが、理大の歴史から説いて4年制の工二を認可されたとい った説明があり、ついては落第させることを気にしないで学生に実力が つくまでとことん教育してもらいたいという強い要望があった。橘高常 務理事からは工二設立の経過報告、小谷学長からは工二の役割としては 能力、熱意をもつ人物を養成するための学部教育並びに、成人教育また は継続教育の意味をもつ社会人教育の両面を兼ね備える必要があるの で、社会人でありながら学生であることを自覚して、熱心に勉強するよ う指導してほしいという要望が述べられた。そのためには学生は無論、 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 030
工学部第二部学部史 031 教員も並々ならぬ精神力と努力を要することへの激励があり、次いで出 席の各授業担当教員から工二教育に対する抱負が述べられ、ここに工二 は夜間学部として新しくスタートを切ったのである。 初年度における工二(1976年4月∼77年3月) 1976年4月10日午後5時から工二として初めての入学式が薬学部屋上の 体育館で理工とともに行われ、4月12日からは初の授業が行われた。入 学生の総計は263名で、その大部分が全日制高校の過年度卒業者であっ た。初年度は工二専任教員の数がまだ少ないので、非常勤講師を部外か らお願いする一方、工一、理一、理二の多くの先生方の応援を得たが、 各先生とも大変な熱意で講義と取り組んでいただいたおかげで、順調に 教育を進めることができた。この時点での全学生の勉学に対する意欲は まことに旺盛で、出席率も非常によく、講義をしていて気持ちがよいと いわれる先生方がほとんどであった。 しかし、夏休みを過ぎ前期の試験を終わったころから、学部の講義に ついていけない落伍者が多少出てきたが、残る学生はやはり熱心で、昼 間の職務の疲れにもかかわらず向学心に燃えている様子がうかがわれた。 7月、8月の夏休み中には野田グラウンドにおいて工二初の泊まり込み による体育集中講義が実施され、10月10日には二部体育祭へ工二として 初めて参加し、11月19、20、22日には理大祭にも参加した。しかし、工 二としては二部自治委員会からの諸々の要求に対しては、まだ二部自治 会に含まれていないという見解から応答しない方針をとった。 また、工二教授会は工二専任教授と工一主任教授とで構成、教授総会 は工二専任教員と工二兼担教員とで構成することに規定上決められてい るので、会の定足数を満たすのに少なからぬ困難を感じたため、人事関 係の審議以外はなるべく開催しないことにし、代わりに工二に所属する 教員を助手まで含めて構成する工二専任教員連絡会議を開設して、工二 に関する学部内の連絡と意思の疎通をはかった。 1976年1月以降に開催された工二教員連絡会議並びに工二教授総会で は、翌1977(昭和52)年度の実際のカリキュラム及び時間割の検討、1977 年度入試の打ち合わせ、工二・理二授業相互乗り入れなどについて熱心 な検討が行われ、また各科とも第2年次のカリキュラムに対応する人事 増強の審議を行い、1977年度からの開講科目に対して欠員だった教員が 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 031
第1章 工学部第二部の30年 032 新任増強されることになった。そして1977年1月13日には、かねて申請 中だった工業に対する教員免許が工二に対しても認可され、同2月11日 には工二第2回目の推薦入試、3月9日には公募入試が行われた。今回も 初年度を上回る志願者が応募したが、第2期生としては360名の学生に入 学を許可した。 第1期生の2年次進級に関しての検討は、1977年2月24日に行われたが、 授業レベルがやや高過ぎたせいか関門科目合格者数と在籍者数との割合 が57%しかなかったので、本年に限り関門を2年次で考慮することにし、 在籍者全員を仮進級させる措置をとった。 発展経過(1977年4月∼1980年10月) 1977年4月11日午後5時からの工二第2回目の入学式で、各科合計276名 の学生が第2期生として入学した。第2期生もその出身校は全日制普通高 校の過年度卒業者が多かった。 同年6月ごろからは1978(昭和53)年度から実施される編入試験に対する 検討が行われ、AE両科では数学、理科、英語、i科は数、英について、 4年制大学の教養程度で学力入試を課すことにしてその準備を進めた。 一方、体育科目に関しては勤労学生に都合のよいよう、夏休み中の宿泊に よる集中講義を廃して、日祭日のみの通学による集中講義方式に改めた。 1978年2月11日、第3回目の推薦入試、3月9日、公募入試の結果、第3 期生として総計303名の学生が入学、また公募入試と同日に編入試験、 翌日全員面接試験の結果、各科合計17名の学生が3年編入生として合格 した。編入学生の中には他大学の文科系を卒業した者や女性の学士もい て、工学系大学としては必須と考えられる単位を修得していない者もい たが、向学心が極めて旺盛なので、3年次に編入はするが、工二では2年 次に組み込まれている基礎科目も併せて履修することを条件としての入 学許可であった。 同年4月9日、工二第3回目の入学式を九段の武道館で全学他学部の新 入学生とともに挙行、以後例年通り順調に授業が進められた。 この間、何人かの新任教員が着任されたほか、補職の移動があり、 1978(昭和53)年4月1日から、教養主任に山本格治教授、i科主任に大場興 一教授、同年10月1日から、A科主任に幸田彰教授、E科主任に杉田利男 教授がそれぞれ任命され、大場興一教授はそれまでの学生部長を9月30 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 032
工学部第二部学部史 033 表1 工学部第二部の教員組織と研究分野(1980(昭和55)年当時) 研究分野 職名 氏名 教養 フランス語 教授 樋口 清 数学・物理学 教授 山本 格治 物理学 教授 木俣 登 数学 *教授 石川 明彦 *教授 字喜多義昌 英語 *教授 鈴木 郁男 法学 *教授 加藤 俊平 体育 *教授 松本 邦雄 建築学科 建築計画 教授 沖塩荘一郎 *教授 武井 正昭 ●教授 有田 和夫 建築生産 助教授 直井 英雄 *教授 井口 洋佑 ●教授 松下 清夫 ●教授 宍道 垣信 建築環境 教授 幸田 彰 *教授 久我 新一 建築防災・材料 講師 清水 昭之 *教授 森脇 哲男 建築構造 *教授 平野 道勝 電気工学科 高電圧工学・電カ系統工学 教授 大木 正路 薄膜物性工学・真空工学 教授 杉田 利男 講師 渡辺 恒夫 電子回路工学 講師 稲坂 勤 半導体工学 *教授 入江 泰三 *助教授 佐野 雅敏 高周波計測及び制御工学 *教授 大森 俊一 電子管・電子応用・マイクロ波 *教授 沢田 良嘉 応用電子計測工学 *助教授 稲本 真平 電気通信工学・電気音響 ●教授 塘 正夫 経営工学科 品質管理・生産管理・実験計画 教授 大場 興一 法・サンプリング及び測定誤差 助教授 藤森 利美 マーケティング 教授 菊池 武 作業研究・人間工学 講師 梅村 守 信頼性工学 講師 日下 泰夫 統計工学・品質保証 *教授 朝香 鉄一 情報工字 *教授 木村 一嘉 原価管理・管理会計 *助教授 片岡 洋一 経済性工学 *講師 山口 俊和 *印は兼担 ●印は非常勤嘱託 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 033
第1章 工学部第二部の30年 034 日辞任した。 教員と専門分野 表1に1980(昭和55)年4月現在における工二の教員組織とその研究分野 を示す。 1978年12月28日、平川理事長が退任し橘高常務理事が理事長に就任し たが、工二に対する運営方針等は従来と変わらず、工二にも教室事務員 を新任してほしいという工二の再三の要望は認められないまま、工一の 教室事務員に各科それぞれ背負ってもらわざるを得なかった。しかし、 一方では、新1号館の改築に伴って工一、二に対し増面積として440㎡が 割り当てられることになった。 1979(昭和54)年2月11日に第4回目の工二推薦入試、3月6日に工二公募 入試、3月6、7日に編入入試が行われ、総計280名の工二第4期生と、計 18名の編入学生が入学、1979年4月9日武道館で入学式が挙行された。 工二初年度から1979年度までの各科合計志願者総数を調べてみると、 4年間で3,600余名となり、初年度が定員に対し3.7倍、次年度が4.5倍、 第3年度が4.2倍、完成年度が3.4倍と推移しており、夜間大学志望者が減 少の傾向にある時代に新設された工二としては、大いに意を強くしてよ いのではあるまいか。なお、編入希望学生数も1978年度以来毎年約30名 あり、社会人として活躍している立場にあってもなお向学心に燃えてい る者のためにも、有意義な工二開設であったと考えられる。 1979年4月からは教養に新任教授 2名を加え、本年度から始まる卒業 研究のためには、図書、研究設備を拡充するとともに、工一の教員にも 工二卒研の応援を依頼するほか、非常勤講師も補充して卒業研究(A科で は特論または総合設計のいずれか一方)を卒研有資格者全員に課す方式をとった。 このような方式は卒業生に対し真に実力をつけさせる1つの効果的な手 段であると考えている。 さて個々の学科についてその特質を述べると、A科では、専門科目に ついては相当高度の教育を行うとともに、カリキュラム上も必修科目を 非常に多くしてあり、卒業有資格者の実力レベルを高位置に設定し、卒 研としては特論または総合設計のいずれか一方を課すのが特徴で、こう した厳しい教育の成果として、工二A科卒業生の実力は社会から高い評 価を得ている。たとえばA科第1回卒業生の総合設計作品は、全国の卒 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 034
工学部第二部学部史 035 業設計展において受賞したほどである。次にE科においては、実力の涵 養に力を入れるとともに卒研に対しては卒研ゼミを卒業有資格者全員に 課すとともに、各々異なったテーマで各班ごとに卒業実験を行わせるほ か、卒業論文の英文による発表に資するため、テクニカルライティング なる講義を新しく開講して、学術論文の発表の仕方等についても指導し ている。i科においては実杜会に十分通用する人間を養成することを第 一義とし、学生には自由に専門科目を選ばせることを目的として必修科 目をできるだけ少なくしているのが特徴で、卒業有資格者全員にゼミを 課すほか、特に定職をもっている学生に対しては、その企業の品質管理 等をテーマとして生きた研究を行わせている。 設備 工二の設備は創設以来現在まで着々と準備されてきたが、その主なも のを挙げると、建築学科に、建築透視図作成用としてパーソナルコンピ ュータセット、長期歪測定用として長期歪計測装置、長期歪記録装置が あるほか、コンクリート引張クリープ試験装置、インパルス記録装置、 油圧載荷装置、メモモーション撮影測定装置、ビデオカメラデッキモニ ターセットなどがある。 電気工学科には、高電圧実験装置、液体ヘリウム実験装置のほか、卒 業研究にも用いられるオキタック50‐10型ミニコンピュータ、物性研究 用として低速電子回折装置、オージェ分光装置、走査型電子顕微鏡、電 場放出型電子顕微鏡、放射分光計、スパッタリング装置などが設備され ている。 経営工学科には、作業研究用としてカラービデオシステム、メモモー ション測定装置、メモモーションビデオシステム、デジタル心拍計、精 神反射電流測定装置などがあり、経営工学実験並びに研究用として信頼 性試験装置、ALS‐20Mアナログ計算機、セイコー5500型及び8500型パ ーソナルコンピュータ、コモドール3000型シリーズのマイコンがあるほ か、学生演習用として、メルコム70/25型のミニコンが設備されている。 卒研に関しては学生はもとより教員も並々ならぬ努力を強いられた が、その甲斐あって、1980年3月にめでたく工二の第1回卒業生となった 学生数は、A科16、E科37、i科33、計86名で、1976年度入学当時は263 名であったから、4年間で無事卒業できた学生は約3割強という実績であ 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 035
第1章 工学部第二部の30年 036 表2 工学部第二部カリキュラム(1980(昭和55)年当時) 建築学科 ◆基礎教育科目 図学及び演習 4 造形・絵画 3 応用統計学 4 建築概論 1 ◆必修科目 設計・製図 I II III 11 構造カ学 I II 6 構造計画 I II 6 建築防火 I 2 建築計画 I 4 内外装材料 2 構造材料 4 鉄筋コンクリート構造 3 鉄骨構造 3 基礎構造 2 環境工学 4 建築学演習・実験 4 電算機用法 3 建築法規 4 施工・積算 4 ◆選択必修科目 建築学特論 4 総合設計 4 ◆選択科目 建築史 4 応用カ学 2 建築防火 II 2 木構造 2 構造計画 2 構造製図 2 材料工学 2 安全計画 2 工場生産 3 都市地域計画 4 建築計画 II 4 設備設計計画 4 建築学S 1 近代建築史 4 電気工学科 ◆必修科目 物理学実験 2 電気数学 4 電気工学概論 2 物理学及び演習 3 電気数学 I 4 電気工学実験 I II 6 電気磁気及び演習 6 電気回路論及び演習 6 図学 4 電気磁気測定 4 電気機器学 4 電子回路学 4 電子素子工学 I II 4 推計学 I 2 自動制御工学 I 4 卒業研究又は特別実験 4 ◆選択科目 電気数学 III 4 物性論概論 4 量子カ学概論及び演習 4 半導体基礎工学 4 発変電工学 4 送配電工学 4 高電圧工学 2 電気通信工学 4 電気材料 4 材料カ学通論 4 照明及び電熱 2 電子計算機用法 3 パルスエ学及び演習 3 電波工学 4 電気機器設計及び製図 3 機械工学通論 4 応用電気化学 2 電動力応用 2 電気法規及び施設管理 2 電波法規 2 原子物理学 4 電気音響工学 2 放射線計測及び応用 2 伝送網理論 4 真空工学 2 推計学 II 2 電気英語 4 エネルギー変換工学 2 光電子工学 2 原子力工学 4 コンピュータ工学 2 テクニカルライティング 2 自動制御工学 II 4 経営工学科 ◆必修科目 経営工学概論 4 品質管理 I II 4 製図法 I II 4 統計工学 I II 4 作業研究 I II 4 経営数学 I II 4 電算機序説 2 会計学 2 基礎工学実験 2 経営工学実験 2 生産管理 2 数理計画法 I 2 情報システムエ学 2 原価管理 I 2 システム工学基礎 I 2 卒業論文 4 ◆選択必修科目 経済学概論 2 経営管理論 2 プロセス解析 2 計算数学 I 2 信頼性工学 2 実験計画法 I 2 サンプリングと測定誤差 2 市場調査 2 多変量解析 2 ◆還択科目 企業経済学 2 コンピュータ言語 2 専門文献輪講 2 数理計画法 II 2 計算数学 II 2 経営組織 2 人事・労務管理 2 マーケティング 2 原価管理 II 2 実験計画法 II 2 標準化 2 環境工学 2 資材管理 2 工場計画 2 経営法学 2 システム工学基礎 II 2 設備投資管理 2 品質管理概論 2 確率過程 2 コンピュータコントロール 2 スタッフ工学 2 特許法 2 装置工業管理 2 組立工業管理 2 部品工業管理 2 協力企業管理 2 流通機構管理 2 サービス産業管理 2 材料力学通論 4 機械工学通論 4 単 位 単位 単位 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 036
工学部第二部学部史 037 った。A科の卒業生が非常に少なかったのは、実力に少しでも疑問が認 められる学生には厳しく卒業資格をあたえない方針をとっているためで ある。 この問、1979年度は工二の完成年度になることから、1979年6月9日、 文部省の工二に対する実地査察があり、工二の施設、図書、教育内容等 について調査視察され、その結果、ここに工二の完成が事実上、文部省 によって確認された。 学科目 工二の学科目は創設以来、毎年検討され、改訂されてきたが、1980年 4月現在における工二各科の学科目とその単位数を表2に示す。 また、E 科においては電気主任技術者の学校認定を取得すべく、 1979年12月18日にその申請書を東京通産局へ提出し、翌1980年1月21日、 電気主任技術者学校認定のための実地検証を受けた。結果は工二の学校 認定が1980年8月13日の官報に公示され、工二第1回の卒業生から適用さ れることが決まった。 1980年3月19日には、武道館において全学の卒業式が行われたが、工 二としても初めての卒業生を出席させることができた。工二第1回卒業 生は現職のままとどまる者を別として、進学や転職を希望する者、新し く就職を希望する者などがあったが、全員がそれぞれ希望通りの場所に 落ち着くことができた。 これは1980年の社会情勢の好転もさることながら、各科就職幹事並び に主任の努力に負うところが大きかったと思われる。 次に、1980年度入学生のための推薦入試が1980年3月11日に、公募入 試が2月23日に、編入入試が2月23、25日にそれぞれ行われたが、例年よ り公募、編入の入試が早まったのは新1号館改築の関係によるもので、 入試の時間帯も昼食をはさんで実施された。同年度の志願者数は総数に おいては前年度をわずかに上回ったが、A科の志願者数は例年の入学難 を反映してか推薦、公募ともに下回り、E科、i科が増加してきている。 今回の入学者数も前年度と大同小異で、4月9日、入学式の後、4月12日 からは学部完成後第1年次の工二第5期生に対する授業が開始された。 なお、1980年4月1日からは大場興一教授が、塘工学部第二部学部長退 任後の工二学部学部長事務を取り扱うことになり、同年10月1日からは 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 037
第1章 工学部第二部の30年 038 第2代の工二学部長に就任した。 将来展望 工二は夜間部であるから、授業は原則として午後5時30分から9時15分 までしか行えない。また学生は、昼間働いて夜間に受講するのが建前で ある。従って短い受講時間に疲れた心身に鞭うちつつ勉学にいそしまな ければならず、油断をすれば実力を身につけることが覚つかなくなるの は当然である。従って心身の頑健さに欠けるところをもつ学生の中には、 入学時の意気込みにもかかわらず落伍してしまう者が出てしまうのはや むを得ない。 元来、夜間学部の特質としては、限られた時間帯に十分教育して、自 習時間の極めて少ない学生に対し授業時間中に講義内容を把握させ、実 験実習によってその内容を体得させることが大切で、昼間学部の模倣じ みた内容では意味がないのではないかと思われる。 幸い理大工二は都心にあって交通至便な立地条件をもっているから、 職場からの通学にあまり時間はとられないとはいえ、やはりやむを得ぬ 用件で遅刻したり欠席したりする学生も少なくない。しかし、工二が夜 間学部として将来とも意義をもつためには、ユニークな教育法を立案採 用して、卒業時には少なくとも昼間卒業生と同等の学力を身につけさせ ること、及び社会のニーズに応えうるような独特な社会人教育を実行す る必要がある。そのためには工二の教員は、一方ならぬ努力とともに、 学生の創意工夫を盛り立てるような示唆を随時あたえるべきであろう。 また工二教員の身を粉にしての工夫、努力と、これに応える学生の誠意 が合流した時、工二卒業生は真実の実力を身につけうる一方、いわゆる 師の恩を感じて、立派な社会人になり得て世のために活躍してくれるは ずであると考えられる。 1979年度で一応完成した工二は、今後このような方針で各科独特でユ ニークな教育を積極的に続けることにより、今後とも夜間学部としての 宿命はあるにせよ、世間から高い評価を受ける学部に発展していけるも のと思う。しかし将来は、夜間における大学院教育または高度な社会人 教育を行うことが、真に社会に貢献することになると思われる。 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 038
工学部第二部学部史 039 表3 工学部第二部学生推移 年度 (西暦) 76 77 78 79 80 学科 A E i A E i A E i A E i A E i 摘要 入試 推薦 公募 推薦 公募 推薦 公募 計 推薦 公募 推薦 公募 推薦 公募 計 推薦 公募 編入 推薦 公募 編入 推薦 公募 編入 推、公、計 推薦 公募 編入 推薦 公募 編入 推薦 公募 編入 推、公、計 推薦 公募 編入 推薦 公募 編入 推薦 公募 編入 推、公、計 志願者数 156 296 76 188 45 114 875 208 276 132 232 70 176 1,094 156 339 16 95 204 10 57 169 9 1,020 134 262 12 81 152 12 61 124 5 814 115 190 10 98 169 12 67 183 5 822 受験者数 156 270 76 165 45 106 818 207 229 132 209 69 149 95 153 288 16 92 166 10 56 142 9 897 131 209 12 80 119 12 58 102 5 699 113 160 10 95 143 12 64 160 5 735 合格者数 71 38 51 54 43 55 312 71 44 71 53 5 66 360 83 54 5 70 46 8 53 67 5 373 70 40 8 71 47 9 57 66 3 351 71 40 4 68 53 6 52 70 4 351 入学者数 68 32 49 33 43 38 263 70 28 67 21 53 37 276 81 33 4 67 31 8 51 40 5 303 68 27 7 68 22 8 53 42 3 280 53 37 4 68 22 5 43 42 4 265 入学計 100 82 81 263 98 88 90 276 114 98 91 303 95 90 95 280 90 90 85 265 79.12.31 72 71 65 206 94 78 63 235 80 68 62 210 93 84 92 269 在籍数 80.3.31 71 67 62 200 87 75 55 217 68 65 59 192 88 79 82 249 80.8.31 51 22 26 99 87 74 55 216 68 65 59 192 88 79 82 249 志願数 入学定員 3.90 7.40 1.90 4.70 1.12 2.85 3.65 5.20 6.90 3.30 5.80 1.75 4.40 4.56 3.90 8.47 2.37 8.47 2.37 5.10 4.25 3.35 6.55 2.03 3.80 1.53 3.10 3.39 2.88 4.75 2.45 4.23 1.68 4.58 3.43 卒業数 80.3 16 37 33 86 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 039
第1章 工学部第二部の30年 040 表4 工学部第二部教職員推移(1976∼1980年) 年度 (西暦) 76 77 78 79 80 学部長 学科 A E i 教養 計 A E i 教養 計 A E i 教養 計 A E i 教養 計 A E i 教養 計 摘要 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計 教授 1 1 2 2 11 5 12 17 1 6 3 2 2 2 11 6 21 27 2 4 3 10 1 3 1 9 7 26 33 2 4 3 10 1 5 3 8 9 27 36 2 5 2 10 2 6 3 9 9 30 39 助教授 講師 1 1 2 1 6 2 9 11 1 2 1 2 1 5 11 3 20 23 2 1 1 2 1 7 12 4 22 26 2 1 1 2 1 8 10 4 21 25 2 1 1 2 1 7 6 4 16 20 実験 講師 1 1 1 1 1 1 1 2 2 2 2 1 2 3 3 3 6 1 2 3 3 助手 1 1 4 1 2 5 7 1 1 5 5 2 10 12 2 4 3 5 2 4 5 15 20 3 4 3 5 2 2 6 13 19 3 4 3 5 2 2 6 13 19 捕手 1 1 1 1 1 1 1 2 1 1 1 2 1 1 4 4 2 1 2 1 4 2 6 授業 嘱託 1 3 5 3 12 12 4 7 5 10 26 26 10 6 8 5 29 29 15 7 8 5 35 35 10 7 13 7 37 37 非常勤 講師 2 2 8 12 12 12 3 5 15 35 35 17 6 6 22 51 51 22 16 12 31 81 81 19 14 11 30 74 74 非常動 嘱託教授 1 4 5 5 1 3 4 4 1 2 1 3 7 7 2 2 2 3 1 4 4 学部 事務 3 3 3 4 4 学科幹事 清水昭之 稲坂 勤 大場興一 清水昭之 稲坂 勤 藤森利美 清水昭之 稲坂 勤 藤森利美 直井英雄 清水昭之 大木正路 稲坂 勤 藤森利美 梅村 守 山本格治 直井英雄 清水昭之 大木正路 稲坂 勤 藤森利美 梅村 守 山本格治 主任 松下清夫 塘 正夫 石川 馨 松下清夫 塘 正夫 石川 馨 幸田 彰 杉田利男 大場興一 山本格治 幸田 彰 杉田利男 大場興一 山本格治 幸田彰 杉田利男 大場興一 山本格治 塘 正 夫 塘 正 夫 塘 正 夫 塘 正 夫 大 場 興 一 (注)A:建築学科、E:電気工学科、i:経営工学科 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 040
第2章 建築学科(A科) 042 工学部第二部の学部設置と学科の開設 工学部第二部建築学科は、工学部第一部建築学科が設置されてから15 年後の1976(昭和51)年に電気工学科、経営工学科とともに開設された。 〈開設初期の教職員構成〉1976年スタート時の建築学科教職員は、学 科主任・松下清夫嘱託教授(専任扱い・構法計画)、教務幹事・清水昭之専任 講師(材料・防災)、塚田幹夫嘱託助手、高橋賀夫補手の4名と武井正昭(建 築計画)、平野道勝(構造)、井口洋佑(構法計画)の3名の第一部教授の兼担と いう構成であった。 1978(昭和53)年からは幸田彰嘱託教授(専任扱い・環境工学)が、1979(昭和 54)年からは直井英雄助教授(構法計画)が、1980(昭和55)年からは沖塩荘一 郎教授(建築計画)が就任、第一部建築学科の久我新一教授(環境工学)と森 脇哲男教授(材料防災)の2人が兼担教授として第二部の教室会議メンバー に加わった。 1979年に松下教授が、1981(昭和56)年に幸田教授が非常勤となった後 しばらく、建築学科の教職員は、沖塩教授、直井助教授、清水講師の3 名の専任教員、井口、久我、武井、平野、森脇の5名の兼担教授、及び 塚田幹夫助手(嘱託)、本間敏明助手、高橋賀夫補手を含む5名の助手/補 手、第一部の梅津裕二、田中治、穂積秀雄の3名の助手の兼担という構 成であった。 〈入学者選抜〉入学定員は80人、職場または高校からの推薦による推 薦入試と公募による一般選抜入試の2本立てで始まった。1期の入学者は、 推薦による者68名、公募による者32名の合計100名であった。初期の推 薦入試に関しては、工業高校建築科を卒業して官公庁の営繕関係で働い ている人たちの比重が高かった。 〈授業時間と卒業必要単位数〉職を持つ学生が多いことに配慮し、ス タート時の授業時間は1・2時限17時30分∼18時40分、3・4時限18時50分 ∼20時、5・6時限20時5分∼21時15分であった。暑中休暇などを短縮す 沖塩荘一郎東京理科大学名誉教授 清水昭之東京理科大学教授 建築の歴史 06.6.1 9:41 AM ページ 042
工学部第二部建築学科の歴史(変遷) 043 ることにより1コマ70分3コマの授業により4年間で卒業必要単位数124単 位修得という特例で文部省から設置認定を受けていた。なお、20年後の 1995(平成7)年度からは1コマ90分(18時∼19時30分、19時40分∼21時10分)に改定 された。
4年間で卒業した1
期生は16人 東京理科大学は、その前身の東京物理学校の時代から、「実力のつか ないものは卒業させない」との方針を採ってきた。 工学部第二部もその方針にのっとり、1年生の関門科目と呼ばれる科 目に合格しないと2年生に進級できない、また3年生までの専門必修科目 の未取得は6単位以下などの種々の要件を満たさないと4年生で卒業研究 (卒業論文)や卒業制作(卒業設計)に着手できない、という厳しい進級条件 が設けられた。 建築学科では、当初の関門科目は数学、物理、図学、英語の4科目で、 どれかの単位を落とすものが多かった。また、3年生の科目、鉄骨構造 (3単位)、環境工学(4単位)など2科目の試験に不合格となる者も多く、こ れら2科目を落とすと卒業研究資格が得られなかった。 建築学科の1期生入学者は100名だったが、翌年2年生になれた者72名、 4年目に卒業研究資格を得たものはたった21名、1980年3月に1期生とし て4年間で卒業できたのは16名であった。このことは、その後の学生た ちに大きい影響を与えた。3期生は、入学してすぐ先輩のこの状況を知 り、「皆4年間で一緒に卒業しよう」と、夏休みなどに自主的に勉強会を 行った。1年生のときは数学や物理の得意な普通高校卒業者が先生とな り、2年生以降建築の専門科目では工業高校出身者が先生となるなど、 同期生が協力し合う体制を作った。3期生で4年間で卒業できた者は入学 者114名中36名(32%)で、ストレートでの卒業生比率は1期生の2倍とな った。 一方学校側では、この進級条件に厳し過ぎる面もあるとし、その後こ の条件の一部を少しずつ緩和した。 卒業制作と卒業研究に相当する総合設計と建築学特論 学科創設の責任者だった松下清夫教授は、二部は研究者育成よりも実 務者育成に重点を置くべきであり、建築学科では卒業前にそれまでの学 建築の歴史 06.6.1 9:41 AM ページ 043第2章 建築学科(A科) 044 習の成果を図面でまとめさせることが望ましい、との考えを持たれた。 構造系の人は1つの建物の構造計算を行った上、構造図を、音響の勉強 をした人は例えばホールの音響計算を行った上、音響設計図を、といっ たものでよいとの考え方だった。卒業設計とか卒業制作という名称は、 意匠デザインの評価が主というニュアンスがあるので避け、「総合設計」 という名前を選ばれた。総合設計を選択するのを原則とするが、図面が どうにも苦手の人の逃げ道として「建築学特論」を置く、というのが最 初の考え方だったとのこと。 しかし、現実には松下教授の当初の狙い通りにはいかなかった。意匠 デザインの得意な者を含め、学生の中に大学卒業に当たっては「卒業論 文」の形で研究成果をまとめたいとの希望者が少なくなかったこと、構 造図や音響設計図作成を目指した者は、それを作成するための本体のデ ザインに手間取ったり、本体のデザインの良否が評価を大きく左右する、 などの問題が出た。このため、その後名称を「卒業制作」と「卒業研究」 に変更した。 問題意識を持って入学してくる学生たち 〈建築士の資格を持って入学してくる学生〉1976年のスタートから大 学側が驚いたのは、すでに1級建築士や2級建築士の資格を持っているの に入学を希望する人たちだった。工業高校建築科を卒業し実務体験を経 た後、1級建築士事務所を開設し所長として仕事をしてきたが、「基礎か ら勉強し直したい」と当学科を希望してくる人もいる。スタートからし ばらく、1級の資格所有者は隔年に1人くらい、2級の資格所有者は毎年2、 3人くらい入学してきた。 〈理学療法士〉医療技術短期大学の理学療法学科を卒業し、病院でリ ハビリ業務に従事、一生懸命リハビリに力を入れ、もう大丈夫と退院さ せた患者が1カ月後寝たきりに戻っていたりする。自宅がバリアフリー になっていないことに原因があることがわかり、リハビリで成果を挙げ るには、患者の自宅の問題解決が必要と、建築の勉強に当学科を希望し 入学してくる者が毎年数人はいる。当学科には、人間工学と日常の安全 が専門の直井研究室があることとも関わりがあろう。 〈消防士〉消防活動に関わる際、建築の造り方を知る必要があると、 当学科スタート当初より消防署職員の入学希望者は多かった。夜間勤務 建築の歴史 06.6.1 9:41 AM ページ 044