第1章 工学部第二部の30年
040
表4 工学部第二部教職員推移(1976〜1980年)
年度
(西暦)
76
77
78
79
80
学部長 学科
A E i 教養
計
A E i 教養
計
A E i 教養
計
A E i 教養
計
A E i 教養
計
摘要 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計
専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計
専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計
専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計
専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専任 兼担 専、兼、計
教授 1 1 2 2
11 5 12 17 1 6 3 2 2 2
11 6 21 27 2 4 3 10
1 3 1 9 7 26 33 2 4 3 10
1 5 3 8 9 27 36 2 5 2 10
2 6 3 9 9 30 39
助教授 講師
1
1 2 1
6 2 9 11 1 2 1 2 1 5
11 3 20 23 2 1 1 2 1 7
12 4 22 26 2 1 1 2 1 8
10 4 21 25 2 1 1 2 1 7
6 4 16 20
実験 講師
1
1 1
1
1 1 1 2
2
2 2
1 2
3 3 3 6
1 2
3 3
助手 1
1 4 1
2 5 7 1
1 5
5 2 10 12 2 4 3 5 2
4 5 15 20 3 4 3 5 2
2 6 13 19 3 4 3 5 2
2 6 13 19
捕手 1
1
1 1
1 1 1 2 1
1
1 2 1 1
4
4 2
1 2 1
4 2 6
授業 嘱託 1 3 5 3 12
12 4 7 5 10 26
26 10 6 8 5 29
29 15 7 8 5 35
35 10 7 13 7 37 37
非常勤 講師
2
2 8 12
12 12 3 5 15 35
35 17 6 6 22 51
51 22 16 12 31 81
81 19 14 11 30 74 74
非常動 嘱託教授
1
4 5
5 1
3 4
4 1 2 1 3 7
7 2
2
2 3 1
4 4
学部 事務
3
3
3
4
4 学科幹事
清水昭之 稲坂 勤 大場興一
清水昭之 稲坂 勤 藤森利美
清水昭之 稲坂 勤 藤森利美
直井英雄 清水昭之 大木正路 稲坂 勤 藤森利美 梅村 守 山本格治
直井英雄 清水昭之 大木正路 稲坂 勤 藤森利美 梅村 守 山本格治 主任
松下清夫 塘 正夫 石川 馨
松下清夫 塘 正夫 石川 馨
幸田 彰 杉田利男 大場興一 山本格治
幸田 彰 杉田利男 大場興一 山本格治
幸田彰 杉田利男 大場興一 山本格治 塘
正夫
塘 正 夫
塘 正夫
塘 正 夫
大 場 興 一
(注)A:建築学科、E:電気工学科、i:経営工学科 第1章 06.6.1 9:38 AM ページ 040
建築の歴史 06.6.1 9:41 AM ページ 1
第2章 建築学科(A科)
042
工学部第二部の学部設置と学科の開設
工学部第二部建築学科は、工学部第一部建築学科が設置されてから15 年後の1976(昭和51)年に電気工学科、経営工学科とともに開設された。
〈開設初期の教職員構成〉1976年スタート時の建築学科教職員は、学 科主任・松下清夫嘱託教授(専任扱い・構法計画)、教務幹事・清水昭之専任 講師(材料・防災)、塚田幹夫嘱託助手、高橋賀夫補手の4名と武井正昭(建 築計画)、平野道勝(構造)、井口洋佑(構法計画)の3名の第一部教授の兼担と いう構成であった。
1978(昭和53)年からは幸田彰嘱託教授(専任扱い・環境工学)が、1979(昭和
54)年からは直井英雄助教授(構法計画)が、1980(昭和55)年からは沖塩荘一 郎教授(建築計画)が就任、第一部建築学科の久我新一教授(環境工学)と森 脇哲男教授(材料防災)の2人が兼担教授として第二部の教室会議メンバー に加わった。
1979年に松下教授が、1981(昭和56)年に幸田教授が非常勤となった後 しばらく、建築学科の教職員は、沖塩教授、直井助教授、清水講師の3 名の専任教員、井口、久我、武井、平野、森脇の5名の兼担教授、及び 塚田幹夫助手(嘱託)、本間敏明助手、高橋賀夫補手を含む5名の助手/補 手、第一部の梅津裕二、田中治、穂積秀雄の3名の助手の兼担という構 成であった。
〈入学者選抜〉入学定員は80人、職場または高校からの推薦による推 薦入試と公募による一般選抜入試の2本立てで始まった。1期の入学者は、
推薦による者68名、公募による者32名の合計100名であった。初期の推 薦入試に関しては、工業高校建築科を卒業して官公庁の営繕関係で働い ている人たちの比重が高かった。
〈授業時間と卒業必要単位数〉職を持つ学生が多いことに配慮し、ス タート時の授業時間は1・2時限17時30分〜18時40分、3・4時限18時50分
〜20時、5・6時限20時5分〜21時15分であった。暑中休暇などを短縮す 沖塩荘一郎東京理科大学名誉教授
清水昭之東京理科大学教授 建築の歴史 06.6.1 9:41 AM ページ 042
工学部第二部建築学科の歴史(変遷)
043
ることにより1コマ70分3コマの授業により4年間で卒業必要単位数124単位修得という特例で文部省から設置認定を受けていた。なお、20年後の 1995(平成7)年度からは1コマ90分(18時〜19時30分、19時40分〜21時10分)に改定 された。
4
年間で卒業した1
期生は16
人東京理科大学は、その前身の東京物理学校の時代から、「実力のつか ないものは卒業させない」との方針を採ってきた。
工学部第二部もその方針にのっとり、1年生の関門科目と呼ばれる科 目に合格しないと2年生に進級できない、また3年生までの専門必修科目 の未取得は6単位以下などの種々の要件を満たさないと4年生で卒業研究
(卒業論文)や卒業制作(卒業設計)に着手できない、という厳しい進級条件 が設けられた。
建築学科では、当初の関門科目は数学、物理、図学、英語の4科目で、
どれかの単位を落とすものが多かった。また、3年生の科目、鉄骨構造
(3単位)、環境工学(4単位)など2科目の試験に不合格となる者も多く、こ れら2科目を落とすと卒業研究資格が得られなかった。
建築学科の1期生入学者は100名だったが、翌年2年生になれた者72名、
4年目に卒業研究資格を得たものはたった21名、1980年3月に1期生とし て4年間で卒業できたのは16名であった。このことは、その後の学生た ちに大きい影響を与えた。3期生は、入学してすぐ先輩のこの状況を知 り、「皆4年間で一緒に卒業しよう」と、夏休みなどに自主的に勉強会を 行った。1年生のときは数学や物理の得意な普通高校卒業者が先生とな り、2年生以降建築の専門科目では工業高校出身者が先生となるなど、
同期生が協力し合う体制を作った。3期生で4年間で卒業できた者は入学 者114名中36名(32%)で、ストレートでの卒業生比率は1期生の2倍とな った。
一方学校側では、この進級条件に厳し過ぎる面もあるとし、その後こ の条件の一部を少しずつ緩和した。
卒業制作と卒業研究に相当する総合設計と建築学特論
学科創設の責任者だった松下清夫教授は、二部は研究者育成よりも実 務者育成に重点を置くべきであり、建築学科では卒業前にそれまでの学 建築の歴史 06.6.1 9:41 AM ページ 043
第2章 建築学科(A科)
044
習の成果を図面でまとめさせることが望ましい、との考えを持たれた。
構造系の人は1つの建物の構造計算を行った上、構造図を、音響の勉強 をした人は例えばホールの音響計算を行った上、音響設計図を、といっ たものでよいとの考え方だった。卒業設計とか卒業制作という名称は、
意匠デザインの評価が主というニュアンスがあるので避け、「総合設計」
という名前を選ばれた。総合設計を選択するのを原則とするが、図面が どうにも苦手の人の逃げ道として「建築学特論」を置く、というのが最 初の考え方だったとのこと。
しかし、現実には松下教授の当初の狙い通りにはいかなかった。意匠 デザインの得意な者を含め、学生の中に大学卒業に当たっては「卒業論 文」の形で研究成果をまとめたいとの希望者が少なくなかったこと、構 造図や音響設計図作成を目指した者は、それを作成するための本体のデ ザインに手間取ったり、本体のデザインの良否が評価を大きく左右する、
などの問題が出た。このため、その後名称を「卒業制作」と「卒業研究」
に変更した。
問題意識を持って入学してくる学生たち
〈建築士の資格を持って入学してくる学生〉1976年のスタートから大 学側が驚いたのは、すでに1級建築士や2級建築士の資格を持っているの に入学を希望する人たちだった。工業高校建築科を卒業し実務体験を経 た後、1級建築士事務所を開設し所長として仕事をしてきたが、「基礎か ら勉強し直したい」と当学科を希望してくる人もいる。スタートからし ばらく、1級の資格所有者は隔年に1人くらい、2級の資格所有者は毎年2、
3人くらい入学してきた。
〈理学療法士〉医療技術短期大学の理学療法学科を卒業し、病院でリ ハビリ業務に従事、一生懸命リハビリに力を入れ、もう大丈夫と退院さ せた患者が1カ月後寝たきりに戻っていたりする。自宅がバリアフリー になっていないことに原因があることがわかり、リハビリで成果を挙げ るには、患者の自宅の問題解決が必要と、建築の勉強に当学科を希望し 入学してくる者が毎年数人はいる。当学科には、人間工学と日常の安全 が専門の直井研究室があることとも関わりがあろう。
〈消防士〉消防活動に関わる際、建築の造り方を知る必要があると、
当学科スタート当初より消防署職員の入学希望者は多かった。夜間勤務 建築の歴史 06.6.1 9:41 AM ページ 044
工学部第二部建築学科の歴史(変遷)
045
も多いことと本学の進級の厳しさから、残念ながら途中で勉学を断念せざるを得ない人も少なくなかったが、卒業した中には2003(平成15)年現 在本庁予防課の幹部や消防署長として活躍している人たちがいる。
〈社会的問題意識〉60歳での編入学希望者に面接で理由を質問した。
静岡大学教育学部卒業後ずっと小学校教諭として勤め、3月末で定年退 職とのこと。在職中、校舎の建築が児童の心身に与える影響の大きさを 感じることが多々あった。一方この間、静岡県下の小学校のほとんどが 木造から鉄筋コンクリートに建て替わったが、新しい校舎は何か大切な ものが欠けている。退職と同時に教育委員会と関わりができたので、自 分で建築の勉強をして県下の学校建築を良くしたい、とのこと。入学後 彼は、毎晩静岡から新幹線通学、老眼鏡を掛け外ししながら製図に取り 組むなど敬服する勉学振りだったが、地元で役職を押し付けられ1年半 で退学した。入試の面接で、試験官が感動するような社会的問題意識を 持ち入学する学生は数多い。
1980
年作成の教育方針に関する覚書1980年9月、当時教務幹事であった清水講師がまとめた「工学部第二 部建築学科の教育方針に関する覚書」には、当時の当学科の考え方が明 確に記されているので、その前半を転記する。
「工学部第二部建築学科(以下、工二A科)の学生には、すでに1級建築士 の資格を持つものや、国公立大学の卒業生、あるいは大学院の修了生な ども多数いるという実情と、二部学生に対し、一部(昼間部)学生に劣ら ぬ実力をつけさせ、実社会に十分通用する者にしたいという希望がある ために、工二A科では専門科目については相当高度の教育を行うととも に、カリキュラム上も必修科目を非常に多くしており、少しでも実力に 疑問が認められる学生には、厳しく卒業有資格を与えない方針をとって いる。このため、工二A科の学生の卒業有資格数は、毎年非常に少なく なるのが特徴である。」
「こうした厳しい教育の成果として、卒業生の実力は外部(社会)から 高い評価を得ている。例えば、第1回卒業生の総合設計(卒業設計にあたる)
作品は、全国の大学卒業設計展において受賞するほどであり、また、特 論(卒業研究にあたる)においては、学部学生でありながら学会等の発表を 行うに十分な優れた研究をまとめる実力を持っているため、卒論生を一 建築の歴史 06.6.1 9:41 AM ページ 045