稲坂勤
元教授/諏訪東京理科大学共通教育センター 主任教授 Tokyo University of Science電気工学科
教職
OB
の声
Tokyo University of Science
声 06.6.1 9:44 AM ページ 088
教職OBの声
089
私
は第一の人生として、三菱電機 の伊丹製作所と本社に35年近く 勤務しておりました。この間、避雷器の 研究、開発、設計を担当していました。避雷器の研究としては、避雷器の碍管外 部の汚損湿潤対策を樹立しました。また 放出型避雷器の開発では、背後電極が存 在する場合の沿面フラッシオーバについ て基本的研究を行いました。これらの研 究により1957年4月17日に工学博士 の学位を授与されました。
1977年4月1日に私は東京理科大学 教授に就任しました。平川仲五郎理事長 と橘高重義常務理事から、「大木正路を 東京理科大学教授に任じ、工学部第二部 勤務を命じる」という辞令を受領しまし た。
1977年4月19日に塘正夫、杉田利 男、稲坂勤、渡辺利三郎の諸先生が私の 歓迎会を高田馬場のレストランBunryu で開催してくださいました。
東京理科大学は、電気主任技術者の資 格認定校の申請をするための条件の1つ として、高電圧放電設備を設置している 必要があります。1980年9月1日に工 学部第二部の学校認定が許可されまし た。
私はこの設備を使用して自由に実験研 究ができるので好運でした。これらの研 究成果はイギリスのIEEに論文3編が掲 載されました。
1982年6月18日に、大木正路著『高 電圧工学』の初版が出版されました。売 れ行きが好調で、10刷も発行されまし た。10刷には、最新の研究成果として
「オーロラ状放電」について記述されて います。
私個人の思い出としては、家内同伴で、
アメリカへ1回、ヨーロッパへ3回の海 外旅行をしたことです。
1984年6月18日、東京理科大学発 行の雑誌『Bulletin SUT』創刊号に私の 執筆した「夜間大学と生涯教育」が掲載 されました。内容は(1)ビッバー博士 のこと、(2)わが国のカルチャーセンタ ーは花盛り、(3)わが国の夜間大学の生 い立ち、(4)夜間大学は曲がり角にさし かかっている、(5)夜間大学は繁華街が むしろ有利、(6)生涯教育にはアラカル トのメニューも、の諸項目から構成され ています。これを読まれた西潟正先生か ら「君の書いたのを、まっさきに読んだ よ。なかなか面白かった」と言うお言葉 を頂戴しました。
経営工学
現研究室の
声
東京理科大学の思い出
大木正路
元教授Tokyo University of Science
電気工学科
教職
OB
の声
Tokyo University of Science
声 06.6.1 1:26 PM ページ 089
第3章 電気工学科(E科)
090
私
は 、 1 9 9 0( 平 成 2 )年 か ら 2000(平成12)年の約10年間、当大学にお世話になりました。
担当講義は、電気磁気学と演習、電子 デバイスプロセス、電工実験Ⅰ、電波工 学、基礎電磁気学でした。身近なことか ら出発してわかりやすいことを心掛けた つもりでしたが……(いまも、心掛け続 けています)。
私の学位(工博)論文の中心は、マグ ネトロン放電でした。当時としては、超 高真空用スパッタイオンポンプの電圧・
磁束密度・電極寸法などを決定するのに 役立ちました(20〜30歳代のことでし た)。
当大学にお世話になってからの研究も 20代の流れを汲んでいました。1つは マグネトロン真空計の研究でした。研究 生の皆さんの熱心な研究のお陰で5件程 の論文を提出できました(これらは、真 空協会の第26回技術賞に結実しまし た。皆さんありがとうございました)。
もう1つは、薄膜作製用のスパッタな どに使われる平板マグネトロンの研究で
した。この分野では、放電圧力を下げる ことが大切で、従来の10−1Paを10−8Pa の超高真空まで下げることができました
(高真空スパッタ)。(三浦先生は、この 理論的研究で「工博」の学位を当大学よ り授与されました。)さらに、スパッタ 用Arガスを用いないCuのセルフスパッ タとそのフラッシュ加熱法なども完成で きました。これらは、ULSI配線用超微 細孔の埋込みへと展開し、入口直径0.2 μmφ程度の微細孔の埋込みができまし た。
これらの研究は大変楽しいものでし た。中でも月1〜2回行う研究室のコン ペでは、少しアルコールも入って、若い 学生の皆さんとのディスカッションに力 が入りました。マグネトロン放電から恋 愛論まで議論は沸騰しました。研究生の 皆さん本当にありがとうございました。
太り過ぎないよう健康に留意され、
125年も栄え続けた東京理科大学(工学 部第二部30年)が、少子化時代を克服 して永遠に発展し続けることをお祈りし ましょう。
経営工学
現研究室の
声
私の理科大学生活
麻蒔立男
教授(嘱託)Tokyo University of Science
電気工学科
教職
OB
の声
Tokyo University of Science
声 06.6.1 9:44 AM ページ 090
教職OBの声
091
理
科大二部での学生生活、自分で もあれほどもがき苦しみ、一心 不乱に頑張っていた頃はないように思 う。博士課程、助手時代は入試などで大 学に入れない期間以外は毎日実験し研究 三昧の日々だった。当時は、ほとんど家 に帰らず寝泊りを繰り返し、理科大が家 みたいなものだった。理科大入学以前は、ある私立大学を諸 事情により退学して、一度は働きに出る ことを考えていたが、幼き頃からの夢、
「博士号を取って研究者として生きる」
ことを胸に抱き一念発起、そして理科大 受験。理科大二部合格発表のときに自分 の受験番号を発見したときは、感動のあ まり帰りの電車で涙がとまらなかったの を今でも覚えている。外的要因で人生う まく行かないことも多いが、何かに情熱 を傾け諦めないでいれば必ずチャンスは くるもんなんだなとそのとき感じた。そ の思いはこれから生きていく上で糧とな るであろう。
最初の授業では、年齢は様々でいろん な人生を歩んできた学生たちが真剣な目 で先生の話を聞いていて、「こういうと
ころに来たかったんだ」、と心の底から 思えた。そして、その日から夢へ向かっ て諦めずに歩み続ける覚悟が固まった気 がする。当時の講義ノートは大切に保管 し、今でもたまに開くことがあるのだが、
とても役に立っている。当時、大学1年 の頃は、頻繁に谷先生の教授室に伺って、
大学院のことや研究のことについて相談 させていただいたのを覚えている。その とき先生が入れてくださったコーヒーの 味は今でも舌ににじみ出てくるくらい強 烈に当時のことを思い出すことができ る。
その後、修士課程、博士課程と進み、
理科大の二部の助手となった。助手時代 は、自分自身が諸先生方から培ったもの を少しでも学生たちに与えることができ ればと、約3年間講義を持たせていただ いた。お陰さまで、今の自分の研究と教 育に対する基礎を理科大で固めることが できた。今でも、私の心は理科大二部に 対する感謝の気持ちで溢れている。そし て、理科大合格通知は今でも財布の中に 大切にしまい苦境に立たされたときは眺 めては初心を思い出している。
経営工学
現研究室の
声
夢へのスタート地点
渡邊康之
元嘱託助手/(財)光産業技術振興協会 高効率有機デバイス推進機構 千葉研究所研究員(工博)Tokyo University of Science
電気工学科
教職
OB
の声
Tokyo University of Science
声 06.6.1 1:28 PM ページ 091
第3章 電気工学科(E科)
092
東
京理科大学は本年で創立125周 年を、工学部第二部は30周年を 迎えるとのことで、おめでとうございま す。私が入学したのは1976年であり、工学部の1期生にあたります。当時理科 大学の二部は理学部のみでしたが、工学 部が開設されると聞いて急遽応募しまし た。
理科大は物理学校からの伝統で、2年 生になるのが厳しく、英語・数学・物 理・物理実験が関門科目に指定されてお り、相当数の学生が2年になれず、再履 修や脱落を余儀なくされております。専 門科目では、電気機器の先生が試験にあ たって、火事に遭遇したとき判断を誤れ ば命に関わることになる。選択問題で、
適当に選んで間違ったらマイナスにする と言われるなど、厳しい先生が多かった ことを記憶しています。
二部では社会人の学生と、直接高校か ら入学する学生に二分されています。私 もそうですが、社会人の場合は授業に出 るのが精一杯で、いわゆる大学生活を味 わうことができなかったように思いま す。卒業後もクラスの繋がりが希薄にな っており、残念に思っています。現在は 伝統もでき、そのようなことはないでし ょうが、ぜひ充実した学生生活を送られ、
卒業後も繋がりを大事にしていただきた いものです。
ところで、私は鉄道関係の仕事をして おります。職場が国分寺市にあり、中央 線の国立から飯田橋まで当時の国鉄で通 っていました。電車はどのようにして動 いているか、ご存知でしょうか。30年 前の中央線・総武線は、直流1,500V の電力を架線から受けて、電車では4台 の直流電動機と抵抗器を組み合わせて、
スタート時には電動機に電圧があまり加 わらないように、最終的には架線の全電 圧が電動機に加わるように制御していま した。その後、電力用半導体素子の発展 により、中央線の赤い電車は、直流電力 を矩形波状に切って(チョッパ)、矩形 波の面積を変化して電動機の速度制御を 行っており、滑らかな速度制御が可能に なり、乗り心地が向上しています。さら に最近の総武線の黄色い電車は、インバ ータで直流を周波数が可変な三相交流に 変換して、誘導電動機を駆動しています。
これにより、制御性の向上と軽量化、省 エネルギー化が可能になりました。この ように考えると、電気の分野で身近なと ころでも、30年の間に大きな技術革新 がなされています。
今後、情報化技術とともに基盤となる ハードの技術も着実に進歩すると思われ ます。そのような技術発展を担うために も、ぜひ夢を持って取り組まれることを 願っています。
経営工学
現研究室の
声
大学生活を振り返って
持永芳文
1979(昭和54)年度卒業生/(株)ジェイアール総研電気システム 取締役、東京理科大学講師 Tokyo University of Science電気工学科
学生
OB
の声
Tokyo University of Science
声 06.6.1 9:44 AM ページ 092