博 士 ( 医 学 ) 今 井 博 久
学 位 論 文 題 名
ア デ ノ シ ン デ ア ミ ナ ー ゼ 欠 損 症 に 対 す る 遺 伝 子 治 療 の 医 療 経 済 学 的 解 析
学 位 論 文 内 容 の 要 旨
目 的
遺 伝 子 治 療 は 、 遺 伝 性 疾 患 だ け で な く 致 死 的 で 患 者 数 の 多 い 癌 や エ イ ズ に も 適 用 が 試 み ら れ て お り 、 今 後 高 血 圧 症 や 糖 尿 病 等 の 一 般 的 疾 患 に 対 し て も 幅 広 い 応 用 が 期 待 さ れ て い る 。 こ の た め 、 臨 床 的 な 効 果 だ け で な く 社 会 経 済 的 な 影響 が多 大 なも のと 予想 され 、 遺 伝 子 治 療 に 関 す る 経 済 分 析 や 社 会 的 影 響 な ど を 含 む 技 術 評 価 ( テ ク ノ ロ ジ ー ア セ ス メ ン ト ) が 重 要 と な る 。 ア デ ノ シ ン デ ア ミ ナ ー ゼ(adenosine deaminase:ADA)欠 損 症 は 、 重 症 複 合 免 疫 不 全 の 症 状 を 呈 す る 致 死 性 の 疾 患 で あ る 。 根 治 療 法 の ひ と っ と し て 遺 伝 子 治 療 が あ り 、 治 療 が 成 功 し て い る 唯 一 の 疾 患 で も あ る 。 本 研 究 で は 、ADA欠 損 症 に 対 す る 遺 伝 子 治 療 の 経 済 的 評 価 を 初 め て 試 み る こ と を 目 的 と し て 、 代 替 治 療 で あ る 骨 髄 移 植 と 比 較 し て 検 討 を 加 え た 。
対 象 と 方 法
ADA欠 損 症 患 者 は 国 内 で は こ れ ま で に9名 報 告 さ れ て お り 、 現 在4名 が 生 存 し て い る 。 そ の う ちHLA一 致 の 血 縁 骨 髄 ド ナ ー が 確 保 で き な か っ た 全3症 例 、 す な わ ち 遺 伝 子 治 療 1症 例 、 骨 髄 移 植2症 例 を 解 析 対 象 と し た 。 費 用 分 析 で は 、 入 院 診 療 費 用 は 遺 伝 子 導 入 ま た は 骨 髄 の 移 植 の た め に 入 院 し た 期 間 中 の 各 患 者 の 月 別 診 療 報 酬 点 数 に 基 づ ぃ て 推 計 し た 。 遺 伝 子 導 入 に 関 連 す る 費 用 は 診 療 報 酬 点 数 表 に 記 載 がな いた め 、使 用製 剤、 材料 、 物 品 等 の 購 入 価 格 に 基 づ ぃ て 計 算 し そ の 分 を 加 算 し て 推 計 し た 。 従 っ て 、 遺 伝 子 治 療 の 総 費 用 は 診 療 報 酬 点 数 表 に 記 載 が あ る 診 療 内 容 の 保 険 適 用 分 と 記 載 が な い 診 療 内 容 の 適 用 外 分 と の 合 計 か ら 計 算 し た 。 骨 髄 移 植 は 保 険 適 用 分 に つ い て 計 算 し た 。 費 用 効 果 分 析 で は 、 患 者 お よ び 治 療 の モ デ ル 像 を 設 定 し 、 費 用 を モ デ ル 像 に 対 応 さ せ て 入 院 診 療 費 用 と フ オ ロ ー ア ッ プ 費 用 か ら 算 出 し 、 効 果 を 期 待 値 の 考 え 方 を 用 い て20歳 ま で の 期 待 生 存 年 と 定 義 し 、 こ れ ら の 費 用 と 効 果か らbaselineにお ける 費用 効果 比(Cost‑ Effectiveness Ratio: CER)を 求 め 、 遺 伝 子 治 療 と 骨 髄 移 植 を 比 較 し た 。 得 ら れ た 結 果 の 信 頼 性 を 高 め る た め に1) 早 期 死 亡 率2) 入 院 日 数3)ADA遺 伝 子 の 導 入 回 数4) フ オ ロ ー ア ッ プ 費 用5) 割 引 率 の 影 響 に 関 し て 感 度 分 析 を お こ な い 、 結 果 に 与 え る 影 響 を 検 討 し た 。 結 果
費 用 分 析 の 結 果 か ら 、 入 院 診 療 の 総 費 用 は 遺 伝 子 治 療 症 例 が1,887万 円 、 骨 髄 移 植 が
それ ぞれ739万円、1.054万円と推 計された。 遺伝子治 療では月 別医療費 は遺伝子 導入 を実施し た月に高 くなり、 それ以外 は低かった 。累積医 療費は治療期間前半で急に増加 したが、 遺伝子導 入により 免疫状態 が改善され た後半は 緩い増加であった。骨髄移植で は月別医療費は骨ー髄を移植した月のみ高くなりそれ以外の月は毎月ほぽ同じ費用を要し、
それに対 応して累 積医療費 は一定に 増加した。 遺伝子治 療と骨髄移植の総費用における 各項 目 の 割合 を 比較 す る と、 入 院費用 は遺伝子 治療では33%、骨髄 移植では それぞれ 47% 、58%と なり、3症 例ともか なりの割合 を示した 。投薬費 用では骨 髄移植は30%以 上を 占め たが、遺 伝子治療 は6%であっ たが、診 断検査費 用では遺 伝子治療 は13%を占 め、骨髄 移植より かなり多 かった。費用効果分析の結果から、baseli ne値では遺伝子治 療が13411万円/期待生存年、骨髄移植が12 3.5万円/期待生存年となり、その差は10.6万 円/期待 生存年と なった。 感度分析の結果:1)早期死亡率では遺伝子治療の成功率が87
%以上で 遺伝子治 療が有利 になり、 骨髄移植の 成功率が48%以上で骨髄移植が有利にな ること、2)骨髄移植の入院日数が14カ月の長さ以上になると骨髄移植カ坏利になること、
3)遺伝子導入の回数が10回を下回ると遺伝子治療が有利になること、4)フオローアップ 費用が月3万円以上 大きくな ると骨髄 移植が不利 になるこ とく5)割引率は結果に大きな 影響を与えないことが示された。
考察
費用 分 析 から 、 遺伝 子 治 療で は 遺伝子 導入に関 連する費 用が多い ことが示 された。 こ れは11回の 遺伝子導 入により 治療期間 が長びき入 院費用が 嵩んだためと考えられた。次 に診断検 査費用が 骨髄移植 症例に比 してかなり 多く、投 薬費用は少ないことが明らかに なっ た。 遺伝子治 療の普及 を考える上 では医療 費の3割を 占める入 院費用を 抑制する 必 要がある 。入院日 数と入院 費から月 当たりの入 院費を試 算すると40万円となり、もし待 機期 間を 短縮し在 宅療養を 採用するこ とで入院 期間を6カ 月間短縮 できると すれば、 削 減費 用が240万円とな り、入院 と在宅療養 を十分に 管理する ことの重 要性が示 された。
また遺伝 子治療の 治療数の 蓄積によ って病態の 把握が容 易になり診断検査の費用も抑制 できる可能性が考えられる。
費 用効果 分析から 、遺伝子 治療と骨髄 移植のCERの 差は大き くならな いことが 示され た。これ は遺伝子 治療の総 医療費は 高額になる が期待生 存年が比較的長くなり、一方骨 髄移植の 総医療費 は遺伝子 治療の6割 程度である が期待生 存年が遺伝子治療の7割程度の 長さであ ったこと による。 遺伝子導 入回数は医 療費に大 きな影響を及ぼすので、今後は 費用と効果の観点から必要にして十分な導入回数が検討されなければならない。またフオ ローアップ費用では退院後の病状がよくなければ治療費が多くなり、さらに通院、介護、
親の労働 損失費用 などの間 接費用も要し、費用便益の観点からiまかなり不利になる。本 研究は、 初めて遺 伝子治療 の経済的 評価を試み た研究で あるが、今後の治療の実用化に 向けた方 向性を考 える上で 大きな意 義があり、 遺伝子治 療の発展には技術向上と同時に 医療経済学的な分析も不可欠であることが示された。
結語
医療費の 高騰と医 療技術の 高度化を 背景に限ら れた医療 資源の有効利用が求められ、
社会医学分野における経済分析は重要性を増している。本研究の結果は、ADA 欠損症に
対する遺伝子治療の費用構造を解明したばかりでなく、遺伝子治療が最先端医療から一
般医療へと普及するための諸条件を呈示した。さらに萌芽期における遺伝子治療の経済
評価の基礎的資料を得ることができた。今後、これらの結果を活用することにより、最
先 端 医 療 に 関 す る テ ク ノ ロ ジ ー ア セ ス メ ン ト の 一 層 の 研 究 が 期 待 さ れ る 。
学位論文審査の要旨
学 位 論 文 題 名
アデノシンデアミナーゼ欠損症に対する 遺 伝 子 治 療 の 医 療 経 済 学 的解 析
本 論 文 で は 、 ア デ ノ シ ン デ ア ミ ナ ー ゼ (ADA)欠 損 症 に 対 す る 遺 伝 子 治 療 の 経 済 的 評 価 を 初 め て 試 み る こ と を 目 的 と し て 、 相 当 す る 骨 髄 移 植 と 比 較 し て 検 討 を 加 え た 。HLA 一 致 の 血 縁 骨 髄 ド ナ ー を 確 保 で き な か っ た が 生 存 し て い る 全3症 例 、 す な わ ち 遺 伝 子 治 療1症 例 、 骨 髄 移 植2症 例 を 解 析 対 象 と し た 。 費 用 分 析 で は 、 入 院 診 療 費 用 は 遺 伝 子 導 入 ま た は 骨 髄 の 移 植 の た め に 入 院 し た 期 間 中 の 各 患 者 の 月 別 診 療 報 酬 点 数 に 基 づ ぃ て 計 算 し た 。 遺 伝 子 導 入 に 関 連 す る 費 用 は 診 療 報 酬 点 数 表 に 記 載 が な い た め 、 使 用 製 剤 、 材 料 、 物 品 等 の 購 入 価 格 に 基 づ ぃ て 計 算 し そ の 分 を 加 算 し て 推 計 し た 。 従 っ て 、 遺 伝 子 治 療 の 総 費 用 は 診 療 報 酬 点 数 表 に 記 載 が あ る 診 療 内 容 の 保 険 適 用 分 と 記 載 が な い 診 療 内 容 の 適 用 外 分 と の 合 計 か ら 計 算 し た 。 骨 髄 移 植 は 保 険 適 用 分 に つ い て 計 算 し た 。 費 用 効 果 分 析 で は 、 患 者 お よ び 治 療 の モ デ ル 像 を 設 定 し 、 費 用 を モ デ ル 像 に 対 応 さ せ て 入 院 診 療 費 用 と フ オ ロ ー ア ッ プ 費 用 か ら 算 出 し 、 効 果 を 期 待 値 の 考 え 方 を 用 い て20歳 ま で の 期 待 生 存 年 と 定 義 し 、 こ れ ら の 費 用 と 効 果 か ら baselineに お け る 費 用 効 果 比 (Cost‑Effectiveness Ratio: CER)を 求 め 、 遺 伝 子 治 療 と 骨 髄 移 植 を 比 較 し た 。 得 ら れ た 結 果 の 信 頼 性 を 評 価 す る た め 感 度 分 析 に よ り 結 果 に 与 え る 影 響 を 検 討 し た 。 費 用 分 析 の 結 果 か ら 、 入 院 診 療 の 総 費 用 は 遺 伝 子 治 療 症 例 が1,887万 円 、 骨 髄 移 植 が そ れ ぞ れ739 万 円 、1.054万 円 と 推 計 さ れ た 。 遺 伝 子 治 療 で は 月 別 医 療 費 は 遺 伝 子 導 入 を 実 施 し た 月 に 高 く な り 、 そ れ 以 外 は 低 か っ た 。 累 積 医 療 費 は 治 療 期 間 前 半 で 急 に 増 加 し た が 、 遺 伝 子 導 入 に よ り 免 疫 状 態 が 改 善 さ れ た 後 半 は 緩 い 増 加 で あ っ た 。 骨 髄 移 植 で は 月 別 医 療 費 は 骨 髄 を 移 植 し た 月 の み 高 く な り そ れ 以 外 の 月 は 毎 月 ほ ぼ 同 じ 費 用 を 要 し 、 そ れ に 対 応 し て 累 積 医 療 費 は 一 定 に 増 加 し た 。 遺 伝 子 治 療 と 骨 髄 移 植 の 総 費 用 に お け る 各 項 目 の 割 合 を 比 較 す る と 、 入 院 費 用 は 遺 伝 子 治 療 で は33% 、 骨 髄 移 植 で は そ れ ぞ れ47% 、58% と な り 、3症 例 と も か な り の 割 合 を 示 し た 。 投 薬 費 用 で は 骨 髄 移 植 は30% 以 上 を 占 め た が 、 遺 伝 子 治 療 は6% で あ っ た が 、 診 断 検 査 費 用 で は 遺 伝 子 治 療 は13% を 占 め 、 骨 髄 移 植 よ り か な り 多 か っ た 。 費 用 効 果 分 析 の 結 果 か ら 、baseline値 では 遺伝 子治 療が13 4.1万
美 郎
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査 査
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円/期待生存年、骨髄移植が12 3.5 万円/期待生存年となり、その差は10.6 万円/期待生存 年に すぎ なか った。 感度 分析 の結 果:
1) 早期死 亡率では遺伝子治療の成功率が87 %以 上で 遺伝 子治 療が有 利になり、骨髄移植の成功率が48 %以上で骨髄移植が有利になるこ と、2 )骨髄移植の入院日数が14 カ月間の長さ以上になると骨髄移植が不利になること、
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)遺 伝子 導入 の回 数が10 回を下回ると遺伝子治療が有利になること、4 )フオローアツ プ費 用が 月3 万 円以 上大 きく なる と骨 髄移 植が不 利に なる こと 、5 )割 引率は 結果に大 きな 影響 を与 えない ことが示された。以上の結果から、遺伝子治療では遺伝子導入に関 連す る費 用が 多いこ とが示された。これは11 回の遺伝子導入により治療期間が長びき入 院費 用が 嵩ん だため と考えられた。入院と在宅療養を十分に管理することの重要性が示 され た。 費用 効果分 析か ら、 遺伝 子治 療と 骨髄 移植のCER は大差ないことが示された。
これ は遺 伝子 治療の 総医療費は高額になるが期待生存年が比較的長くなり、一方骨髄移 植の 総医 療費 は遺伝 子治療の6 割程度であるが期待生存年が遺伝子治療の7 割程度の長さ であ った こと による 。遺伝子導入回数は医療費に大きな影響を及ぼすので、今後は費用 と効果の観点から必要にして十分な導入回数が検討される必要がある。またフオローアツ プ費 用で は退 院後の 病状がよくなければ治療費が多くなり、さらに通院、介護、親の労 働損失費用などの間接費用も要し、費用便益の観点からはかなり不利になる。本研究は、
初め て遺 伝子 治療の 経済的評価を試みた研究であるが、今後の治療の実用化に向けた方 向性 を考 える 上で大 きな意義があり、遺伝子治療の発展には技術向上と同時に医療経済 学的 な分 析も 不可欠 であることが示された。審査にあたって主査の藤田博美教授から社 会医 学的 見地 から分 析の意義について、副査の櫻井恒太郎教授から間接費用や効用値の 評価 、期 待生 存年を
20齢 まで とし た妥 当性 、他 疾患のCER との大小関係などに関して、
次い で副 査の 岸玲子 教授 から 代替 治療 のHLA 一致 の骨髄移植症例、症例数の稀少性、医 療機 関の 種類 による 差、時間の要素の扱い方などに関して質問があった。申請者は、研 究 結 果 と 文 献 引 用 か ら い ず れ の 質 問 に 対 し て も 適 切 な 回 答 を し た 。
こ の論 文は 、最先 端医 療の 遺伝 子治 療に 対す る経済的評価に果敢に取り組み、ADA 欠 損症 の遺 伝子 治療に 関する費用構造を解明したばかりでなく、遺伝子治療が最先端医療 から 一般 医療 へと普 及するための諸条件を呈示したことで高く評価された。今後これら の結 果を 活用 するば かりでなく、他の最先端医療に関するテクノロジーアセスメントの 一層の研究が期待される。