細胞核-細胞骨格結合が内皮細胞の力学応答に果た
す役割
著者
阿武 俊郎
学位授与機関
Tohoku University
修士学位論文
細胞核−細胞骨格結合が内皮細胞の
力学応答に果たす役割
平成
23 年度
(平成 24 年 2 月 9 日提出)
東北大学大学院医工学研究科
医工学専攻
阿武 俊郎
目次
第 1 章 緒 言 1 1.1 細胞の力学応答・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 1.2 細胞内力学伝達・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 1.3 細胞核への力学伝達に関わる細胞内構造・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 1.3.1 アクチンフィラメント・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 1.3.2 細胞核・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 1.3.3 LINC 複合体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 1.3.4 Nesprin・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 1.4 従来の研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 1.4.1 細胞核と細胞骨格の結合・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 1.4.2 LINC 複合体と疾患との関連・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 1.4.3 LINC 複合体と細胞の機能・形態との関連・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 1.4.4 細胞核への力学伝達による遺伝子発現調節の可能性・・・・・・・・・・・・・・・10 1.5 本研究の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 第 2 章 RNAi を用いた内皮細胞の Nesprin-1 発現抑制とその評価 12 2.1 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 2.2 実験方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 2.2.1 細胞培養・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 2.2.2 内皮細胞への siRNA の導入・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13 2.2.3 ウェスタンブロッティングによる Nesprin-1 発現抑制の確認・・・・・・・・15 2.2.4 LINC 複合体とアクチンフィラメントの蛍光顕微鏡観察・・・・・・・・・・・・18 2.2.5 繰り返し伸展刺激を負荷した内皮細胞の形態観察・・・・・・・・・・・・・・・・・19 2.2.6 細胞核の配向性評価・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20 2.3 実験結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 2.3.1 Nesprin-1 の発現抑制・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 2.3.2 LINC 複合体とアクチンフィラメントの局在性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 2.3.3 繰り返し伸展刺激を負荷した内皮細胞の形態変化・・・・・・・・・・・・・・・・・25 2.4 考 察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26 2.5 本章のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27 第 3 章 単軸伸展内皮細胞の断面像撮影と細胞核のひずみ計測 28 3.1 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・283.2 実験方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28 3.2.1 細胞培養および siRNA の導入・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28 3.2.2 単軸伸展負荷内皮細胞の断面像の取得・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28 3.2.3 細胞核のひずみ計測・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30 3.3 実験結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32 3.3.1 内皮細胞の断面像・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32 3.3.2 初期状態の細胞核の形状・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33 3.3.3 細胞核のひずみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33 3.4 考 察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35 3.5 本章のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・40 第 4 章 細胞核に結合するアクチンフィラメントのフォースカーブ測定 41 4.1 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41 4.2 実験方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41 4.2.1 細胞培養・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41 4.2.2 細胞核の単離・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41 4.2.3 単離細胞核の蛍光顕微鏡観察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42 4.2.4 カンチレバーの Phalloidin 修飾・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42 4.2.5 フォースカーブの測定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43 4.2.6 高分子鎖モデルのフォースカーブへのフィッティング・・・・・・・・・・・・・44 4.3 実験結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・46 4.3.1 単離細胞核の観察像・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・46 4.3.2 フォースカーブ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47 4.4 考 察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・49 4.5 本章のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50 第 5 章 結 言 51 付 録 53 A1 判別分析法に基づく画像の二値化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53 参考文献 55 謝 辞 62
第
1 章 緒 言
1.1 細胞の力学応答
人体を構成する全ての組織は常に力学環境下に存在する。例えば重力はすべての組 織に作用する。また、体外からの力の負荷がない状態でも筋や骨をはじめ多くの組織 には張力や圧縮力が作用している。循環器・呼吸器・泌尿器のように流れ場が存在す る器官では組織の表面に流れによるせん断応力が生じる。こうした力学環境は人体の 生理・病理と密接に関係している。例えば、荷重を加えることで筋や骨が肥大し強化 されることはよく知られており、運動やトレーニングとして一般的に行われている。 これとは逆に、寝たきりの状態や宇宙のような無重力空間では筋衰弱や骨の脆弱化が 進行する。また、高血圧になると心臓が肥大することも知られており、心不全などの 疾患を誘発することにつながる。このようなことから、力学環境は組織の形成・発達・ 恒常性維持に関わることがわかる。 力が組織の形成を制御するという考えは古くから提唱されていた。Wolff は骨梁の 方向が骨に生じる主応力の方向に一致するという観察結果から、骨が力学環境に対し て構造を適応させるという仮説を提唱した (Wolff, 1892)。また同時期に、胚発生に おける組織や臓器の形状は力学環境により決定されるという仮説も提唱された (Roux, 1895; Thompson, 1917)。その後の研究により、組織を構成する細胞が力に応 答し機能や形態を変化させ、組織の形成・発達および恒常性を制御することが明らか にされてきた。 力に対する細胞の応答は力学応答とよばれ、細胞種を問わず生じる現象であること が知られている。例えば骨芽細胞は繰り返し伸展刺激にさらされると伸展方向に対し て垂直に配向した形態を呈し (Buckley et al., 1988)、骨形成促進因子であるプラスタ グランジンE2 を産生するとともに増殖する (Fermer et al., 1998)。また、骨芽細胞 は間質液流れを模した流れにさらされた場合にもプラスタグランジンE2 を産生する (Reich et al., 1991)。血管内腔面に単層で存在する内皮細胞に関しても多くの力学応 答現象が知られている。内皮細胞は血流に伴うせん断応力や血管の伸縮に伴う繰り返 し伸展に常にさらされており、これらを模した力学環境下では血管収縮物質であるエ ン ド セ リ ン や 血 管 拡 張 物 質 で あ る 一 酸 化 窒 素 (NO) の 産 生 量 が 変 化 す る (Yoshizumi et al., 1989; Sumpio et al., 1990; Harrison et al., 1996; Awolesi et al., 1995)。また、流れにさらされた内皮細胞では抗血栓機能が向上する (Malek, 1994)。 内皮細胞は力学刺激に応答し形態変化を顕著に示すことも知られている (Fig. 1.1)。 静置培養下の内皮細胞は配向に規則性のない敷石状の形態を呈するが、流れにさらさ れると流れの方向に伸長・配向し、繰り返し伸展を加えると伸展方向に対して垂直方 向に伸長・配向する。このように、力学環境は細胞の機能・形態の制御に関与しており、細胞の力学応答 は組織の形成・発達・恒常性維持において不可欠であると考えられる。さらに、細胞 の力学応答の異常はさまざまな疾患と関係することも知られている (Jaalouk and Lammerding, 2009)。従って、人体の生理・病理のメカニズムを解明するためには、 細胞の力学応答現象を研究し詳細を明らかにする必要がある。 Fig. 1.1 力学刺激による内皮細胞の形態変化 (白 : アクチンフィラメント, A,C : 静置培養, B : 流れ負荷 (1.5 Pa, 24 時間), D : 繰り返し伸展負荷 (伸展率 20%, 48 時 間) (A, B : Galbraith et al., 1998 より一部改変; C, D : Shirinsky et al., 1989 より一 部改変, Bar = 20 µm)
1.2 細胞内力学伝達
細胞は外的な力学刺激を受けるだけではなく、細胞外基質 (ECM) への接着や細胞 同士での接着を介して自ら力を発生している (Discher et al., 2005; Mège et al., 2006)。細胞は焦点接着斑 (FA) と呼ばれるタンパク質複合体を介して細胞外基質 (ECM) に結合し、細胞間接着結合 (AJ) を介して細胞同士で結合する。これらの接 着タンパク質同士はアクチンフィラメントとよばれる線維状タンパク質 (後述) によ り互いに結合することが知られており、さらに細胞核とも結合することが近年示唆さ れている (Fig. 1.2)。FA 同士をつなぐアクチンフィラメントにより、細胞は ECM に 対して牽引力と呼ばれる力を発生する。細胞は牽引力を発生することによりECM の 硬さを感知し、その硬さに応じて形態や機能を制御することが知られている。また、 細胞間接着部位に働く張力も細胞機能において重要であることが知られている。さら に、アクチンフィラメントを介した接着タンパク質と細胞核との結合も、細胞核への 力学伝達を生じ、細胞の機能や形態の制御に関わると考えられている (1.3.3 に詳述)。 しかしながら、接着タンパク質同士の力学伝達に関する研究と比較して細胞核への力
学伝達に関する研究は少なく、詳しいことは明らかにされていない。 細胞内力学伝達は細胞の力学応答において不可欠であり、力学伝達と力学応答の関 係について詳細が研究されている。 Fig 1.2 アクチンフィラメントを介した細胞内力学伝達
1.3 細胞核への力学伝達に関わる細胞内構造
1.3.1 アクチンフィラメント
細胞はその形態を維持するために、細胞骨格と呼ばれる線維状の構造物を有する。 細胞骨格にはアクチンフィラメント (F-actin)、中間径フィラメント、微小管の 3 種 類の存在が知られている。細胞骨格の中でもアクチンフィラメント (Fig. 1.3 B, C) はアクチン分子 (G-actin, Fig 1.3 A) が重合してできる細胞骨格であり、細胞の形態 維持や動的挙動において重要な役割を果たしている。単量体のアクチン分子はアデノ シン三リン酸 (ATP) とカルシウムイオン (Ca2+) やマグネシウムイオン (Mg2+) な どの無機イオンを利用して重合し、フィラメントを形成する。アクチンフィラメント にはアクチンの重合する側 (プラス端) と脱重合する側 (マイナス端) があり、アク チンの重合と脱重合が動的に生じることが知られている。 細胞内にはいくつかのアクチンフィラメント構造物が存在し、そのいずれも細胞形 態の維持・変化や細胞の動的挙動に関わることが知られている。アクチンフィラメン トは2 本のアクチン重合体がらせん状に絡まった直径 5~9 nm の線維であり、直線状 の集合束であるストレスファイバーや二次元の網目構造などの構造を持つ。このうち、 ストレスファイバーはFA を介して両端を細胞外基質と結合している。ストレスファ イバーはモータータンパク質であるミオシン分子との相互作用により ATP 依存の収 縮力を発生し、細胞遊走や形態変化を引き起こす。また、細胞遊走における移動先端 ではアクチンフィラメントが密に平行に並んだ束構造や、70°角に架橋された網目構 造によって細胞膜を突出させることが知られている。さらに、アクチンフィラメント は細胞膜の直下にも存在することが知られている。細胞膜の裏打ち構造をなすアクチ ンフィラメントはメッシュ状の構造をしており、アクチン皮層と呼ばれる。アクチン皮層は細胞膜に構造としての強度を与え、細胞形態の維持に寄与していると考えられ ている。このように、アクチンフィラメントは細胞形態の維持・変化や細胞の動的挙 動において重要な役割をはたしている。
Fig. 1.3 アクチンフィラメントの構造 (A : アクチン分子, B : アクチンフィラメン ト, C : アクチンフィラメントの電子顕微鏡写真, Molecular Biology of the Cell 5/e よ り一部改変)
1.3.2 細胞核
細胞核 (Fig. 1.4 A) は原核生物を除く細胞に存在する最大の細胞小器官であり、遺 伝情報の保存や伝達といった生命活動において不可欠な役割を担っている。細胞核は 核膜と呼ばれる2 層の脂質二重膜 (Outer Nuclear Membrane; ONM, Inner Nuclear Membrane; INM) により細胞質と隔てられており、細胞質から細胞核への物質輸送 は核膜に空いた核膜孔 (Nuclear Pore Complex; NPC) と呼ばれる直径約 10 nm の 孔を介して行われる (Fig. 1.4 B)。細胞核の内部には遺伝情報を保持する役割を持つ デオキシリボ核酸 (DNA) や、DNA の遺伝情報を複製・伝達する役割を持つリボ核 酸 (RNA) が存在する。DNA 鎖は非常に長く、ヒトでは 1 細胞当たりおよそ 2 m に も及ぶといわれる。そのため、DNA はヒストンというタンパク質複合体とともにク ロマチンと呼ばれる凝集構造をつくり、細胞核内に収まる。DNA はヒストンに 2 周 巻き付き、直径約 11 nm のヌクレオソームと呼ばれるクロマチンの基本単位を形成 する。ヌクレオソームがリンカーDNA を介してジグザグ状につながり、直径約 30 nm のクロマチンファイバーが形成される。このクロマチンファイバーが凝集したものが クロマチンである。クロマチンのDNA は遺伝情報を塩基配列という形で保存してお り、DNA の塩基配列は RNA ポリメラーゼにより相補的な配列をもつ伝令 RNA
(mRNA) に転写される。mRNA は細胞核外のタンパク質合成器官であるリボソーム に集積し、mRNA の塩基配列に基づいてタンパク質に翻訳される。クロマチン構造 には凝集の度合いが低く遺伝子の転写が活発なユークロマチンと、凝集の度合いが高 く遺伝子の転写が不活発なヘテロクロマチンが存在することが知られている。ヘテロ クロマチンは更に、遺伝子の発現がほとんど生じない構成的ヘテロクロマチンと、条 件によっては構造が変化し遺伝子の発現を生じる条件的ヘテロクロマチンの二つに 分けられる。条件的ヘテロクロマチンの構造変化はクロマチン再構成因子の活性化や、 メチルトランスフェラーゼによるDNA のメチル化などにより生じることが知られて いる (Trojer et al., 2007) 。 Fig. 1.4 細胞核の構造 (A : ヒト線維芽細胞細胞核の電子顕微鏡写真, B : 核膜およ び核膜孔側面の電子顕微鏡写真, Molecular Biology of the Cell 5/e より一部改変)
1.3.3 LINC 複合体
近年の研究により、細胞核はLinker of nucleus and cytoskeleton (LINC) 複合体 と呼ばれる分子群を介して細胞骨格と結合することが示唆されている (Fig. 1.5)。 LINC 複合体は Nuclear envelope spectrin repeat protein (Nesprin)、Sad1p-UNC84 (SUN)、Lamin により構成される。細胞核外に存在し細胞核との直接的な結合を担う と考えられているNesprin には、Nesprin-1~4 の存在が知られている。Nesprin-1/2 はアクチンフィラメントに結合し、Nesprin-3 はプレクチンと呼ばれる分子を介して 中間径フィラメントに結合することが報告されている。また上皮細胞に発現する Nesprin-4 は微小管のモータータンパク質である Kinesin-1 に結合することが報告さ れている。これらのNesprin に関しては 1.3.4 で詳述する。
Nesprin は細胞核側において核内外膜間 (Perinuclear Space; PNS) で SUN-1/2 と 結合し、SUN-1/2 はさらに細胞核内で核ラミナを構成する Lamin A/C に結合するこ とが知られている。Lamin A/C は Type 5 中間径フィラメントと呼ばれる中間径フィ
ラメントの一種であり、細胞核膜を裏打ちすることで細胞核の形状を維持する役割を もつ。SUN1 は細胞核内で Lamin A と NPC の結合を仲介することが示唆されており (Liu et al., 2007)、NPC を介した物質輸送制御にも関与すると考えられる。また Lamin A/C は MOK2 と呼ばれる転写因子と結合することが報告されており (Dreuillet et al., 2002)、遺伝子発現の調節に関わると考えられる。
LINC 複合体を介した細胞核!細胞骨格結合は細胞外からの力を細胞核へ伝達する 要素として注目されている。LINC 複合体を介した細胞核への力学伝達は遺伝子発現 や疾患と関係があると考えられ、詳細について研究されている。
Fig. 1.5 細胞核!細胞骨格結合モデル (Gerlitz et al., 2011 より一部改変)
1.3.4 Nesprin
Zhang らは血管平滑筋細胞の分化マーカーを調べる過程で細胞核表面に局在する 内在性膜タンパク質を発見し、Nesprin と名付けた (Zhang et al., 2001)。Nesprin はスペクトリンリピート構造のロッドドメインを主構造とした直鎖状の分子構造を もつ。Nesprin にはアミノ酸配列および分子量の異なるアイソフォームが存在し、末 端の結合ドメインが異なることが知られている (Warren et al., 2005; Mellad et al., 2011; Fig. 1.6)。Nesprin-1/2 にはそれぞれに !1/2、"1/2、#、giant とよばれる複数 のアイソフォームが存在し、Nesprin-3 には ! および ! アイソフォームが存在する ことが知られている。また、上皮細胞のみに発現することが報告されているNesprin-4 にはアイソフォームの存在が確認されていない。
Nesprin は C 末端に Klarsicht/ANC-1/Syne homology (KASH) ドメインと呼ばれ る膜貫通ドメインを有し、PNS において SUN1/2 と結合する。一方、N 末端はアイ
ソフォームにより構造が異なる。N 末端に Calponin homology (CH) ドメインと呼ば れ る ア ク チ ン フ ィ ラ メ ン ト と の 結 合 ド メ イ ン を 有 す る の は Nesprin-1 giant (ENAPTIN, 1.01 MDa) および Nesprin-2 giant (NUANCE, 796 kDa) と呼ばれる 巨大分子量アイソフォームのみであり (Padmakumar et al., 2004; Zhen et al., 2002)、その他のアイソフォームには CH ドメインが存在しない。また、Nesprin-3 にはCH ドメインが存在せず、N 末端でプレクチンと結合することが報告されている (Whilhelmsen et al., 2005; Ketema et al., 2007)。同様に、Nesprin-4 には CH ドメ インが存在せず、N 末端で Kinesin-1 に結合することが報告されている (Roux et al., 2009)。このように、Nesprin には複数の種類とそれらのアイソフォームが存在する が、細胞内に存在するNesprin およびそのアイソフォームの種類は細胞種により異な ることが知られている。特に内皮細胞についてNesprin に関連した研究は少ないが、 Nesprin-1/2 および Nesprin-3 が存在することが報告されている (Chancellor et al., 2010, Morgan et al., 2011)。
Fig. 1.6 Nesprin の構造とアイソフォーム (Warren et al., 2005; Mellad et al., 2011 より改変)
1.4 従来の研究
1.4.1 細胞核と細胞骨格の結合
細胞表面に与えられた外力により細胞核に変形が生じることは LINC 複合体の存 在が知られる以前から報告されていた。例えば、内皮細胞表面のインテグリンに接着 させたガラスマイクロニードルを引っ張ると、マイクロピペット近傍で細胞核が局所 的に変形することが報告されている (Maniotis et al., 1997; Fig. 1.7 A)。また、平滑 筋細胞表面の受容体にArg-Gly-Asp (RGD) ペプチドをコーティングした磁気ビーズ を接着し磁気力により引っ張ると、細胞核に変形が生じることも報告されている (Hu et al., 2005)。上記のように局所的な力を負荷した場合だけではなく、内皮細胞の接 着した基質を伸展すると細胞質と共に細胞核も引っ張られて変形することが報告さ れている (Caille et al., 1998; Fig. 1.7 B)。一方、原子間力顕微鏡 (AFM) を用いた内 皮細胞への押し込み試験 (Mathur et al., 2000) や、単離細胞核の平板圧縮試験に基 づく超弾性体 (Mooney-Rivlin) モデルによるシミュレーション (Caille et al., 2002) から、細胞核はその他の部分に比べて弾性率が約10 倍大きいことが報告されている。 このことから、細胞表面に与えられた外力により細胞核に変形が生じるのは細胞核と 細胞表面に結合構造が存在するためであると考えられていた。その後、LINC 複合体 の存在が明らかにされ、細胞核−細胞骨格結合構造のモデルが提案されるようになっ た。 Fig. 1.7 細胞表面への力の負荷に伴う細胞核の変形 (A : マイクロニードル法 (Maniotis et al., 1997); B : 基質伸展 (Caille et al., 1998))
1.4.2 LINC 複合体と疾患との関連
LINC 複合体を構成する分子群は様々な疾患と関連することが報告されている。特 に、Lamin A/C の異常は多くの疾患を引き起こすことが報告されている。例えば、 Lamin A/C をコードする遺伝子である LMNA の変異はエメリードライフス型筋ジ
ストロフィー (Emery-Dreifuss Muscular Dystrophy; EDMD) を引き起こすことが 報告されている (Bonne et al., 1999; Raffaele Di Barletta et al., 2000)。EDMD は心 臓障害を伴い関節拘縮と筋衰弱が進行する遺伝性疾患であり、治療法の確立していな い難病の一種である。また、LMNA の変異はハッチンソンギルフォードプロジェリ ア症候群 (Hutchinson-Gilford Progeria Syndrome; HGPS) を引き起こすことも報 告されている (Eriksson et al., 2003; De Sandre-Giovanni et al., 2003)。HGPS は幼 少期から急速に老化が進行し、動脈硬化、糖尿病、骨粗鬆症などの複数の疾患が併発 する遺伝性疾患であり、EDMD 同様に治療法が確立されていない難病である。特に HGPS 患者は血管性疾患の進行が早く、心機能障害や脳血管障害などの循環器系疾患 の発症が平均寿命を著しく低下させる原因であると考えられている。また、HGPS 患 者の1 年間の老化は健常者の 10 年間以上に相当するといわれ、平均寿命は約 13 年で ある。LMNA の変異は上記の疾患の他、拡張型心筋症、肢帯筋ジストロフィー、ダ ニガン型家族性部分型リポジストロフィー (脂肪細胞性の早老症)、異型ウェルナー症 候群 (成人型のプロジェリア症候群)、シャルコー・マリー・トゥース病 (遺伝性末梢 神経障害) といった多数の疾患を引き起こすことが報告されている (Méjat and Misteli, 2010)。 Nesprin の変異も同様の疾患の発症に関与することが知られている。例えば、 Nesprin-1/2 をコードする遺伝子SYNE1/2 の変異は EDMD を引き起こすことが報告 されている (Zhang et al., 2007)。また、SYNE1 の変異は小脳性運動失調症および関 節拘縮症を引き起こすことも報告されている (Gros-Louis et al., 2007; Attali et al., 2009)。 このように、LINC 複合体の異常は様々な疾患を引き起こすことが明らかになって いるが、遺伝子変異から疾患の発症に至るメカニズムについて詳しいことは明らかに されていない。LINC 複合体異常に起因する疾患の発症メカニズムを明らかにするた めに、LINC 複合体と細胞の機能・形態との関連についても研究されている。
1.4.3 LINC 複合体と細胞の機能・形態との関連
疾患との関連に加え、LINC 複合体は細胞の機能や形態の制御にも関わることが報 告されている。LMNA ノックアウト (KO) マウスの線維芽細胞では、伸展刺激に応 答して発現する遺伝子Iex-1 および Egr-1 の発現量が低下することが報告されている (Lammerding et al., 2004)。同報ではフローサイトメトリーを用いて、伸展刺激負荷 後の LMNA 欠損細胞ではアポトーシスおよびネクローシスが増加することも報告し ている。また、LMNA を欠損した細胞の細胞核は正常な細胞における楕円形状に比 べて局所的な湾曲の多い異常形状を呈することが報告されている (Lammerding et al., 2006)。さらに、short hairpin RNA (shRNA) を用いた RNA 干渉 (RNAi) によりLamin A/C の発現を抑制した細胞では、ピペット吸引法で求めた細胞核のクリー プコンプライアンスが上昇することが報告されている (Pajerowski et al., 2007)。 Lamin A/C は細胞核の構造を維持する役割をもつため、上記のような Lamin A/C の欠損や抑制は細胞核自体の力学的・機能的性質を変化させたと考えられる。一方、 細胞核の外部に存在し細胞核に結合する Nesprin も細胞の機能や形態に関係するこ とが報告されている。例えば、Nesprin-1 の発現を small interfering RNA (siRNA) を 用いたRNAi で抑制した内皮細胞では遊走速度が減少し、繰り返し伸展負荷による形 態変化が抑制されることが報告されている (Chancellor et al, 2010)。同報ではさらに、 Nesprin-1 発現抑制細胞では牽引力が増加し、焦点接着斑構成タンパク質である Vinculin の発現が増加することも報告している。このほか、Nesprin-3 の発現を siRNA で抑制した内皮細胞に流れを負荷すると、野生型では細胞核の上流側に移動す る中心体 (Microtubule Organizing Center; MTOC) の位置がランダムになり、細胞 核から離れることが報告されている (Morgan et al., 2011)。 このように、LINC 複合体は細胞の機能・形態に関与することが報告されており、 LINC 複合体異常に伴う細胞の機能・形態の異常は様々な疾患と関係すると考えられ る。しかしながら、疾患の発症メカニズムの詳細は明らかになっておらず、更なる研 究が必要である。
1.4.4 細胞核への力学伝達による遺伝子発現調節の可能性
LINC 複合体の存在が明らかにされる以前から、細胞核への力学伝達は遺伝子発現 に関与するのではないかと考えられていた (Janmey, 1998)。その後、LINC 複合体 の変異・欠損がさまざまな疾患や細胞の機能・形態の異常を引き起こすことが報告さ れ、さらにLINC 複合体が細胞骨格と結合することが示唆されてきた。このような細 胞核−細胞骨格結合および LINC 複合体に関する研究の進展に伴い、Wang らは次の ような仮説を提唱した。すなわち、LINC 複合体を介した細胞核への力学伝達が転写 因子−DNA 結合や細胞核−細胞質間の物質輸送を制御し、遺伝子発現を調節するとい う仮説である (Wang et al., 2009, Fig. 1.8)。この仮説はタンパク質の活性によるシグ ナル伝達とは異なる視点から細胞の力学応答現象を説明する仮説であるといえる。同 仮説に基づくと、LINC 複合体異常による疾患や細胞の機能・形態の異常は細胞核へ の力学伝達が抑制されることに起因すると考えられる。しかしながら、LINC 複合体 を介して細胞核に力が伝達されるかどうかは明らかになっておらず、力学伝達により 直接的に遺伝子発現が生じるかどうかも不明である。Fig. 1.8 細胞核への力学伝達により生じうる現象 (A : クロマチンの構造変化によ るDNA と転写因子との結合, B : 核基質のゆがみによる転写因子の活性化 C : 核膜 孔の開口による物質輸送, D : DNA の融解による転写因子との結合, Wang et al., 2009 より一部改変)
1.5 本研究の目的
LINC 複合体の異常は様々な遺伝性疾患や細胞の機能・形態の異常を引き起こすこ とが報告されてきた。これらの異常はLINC 複合体を介した細胞核への力学伝達が抑 制されることに起因すると考えられ、同様の考え方に基づく仮説も提唱されている。 しかしながら、LINC 複合体を介した細胞核−細胞骨格結合に着目した力学的な観点 からの研究はほとんど行われていない。すなわち、(1) LINC 複合体を介した細胞核− 細胞骨格結合が細胞核への力学伝達を担う役割をもつか、および (2) 力学伝達が生じ るのであればどの程度の力が伝達されるのか、という点について明らかにされていな い。細胞核への力学伝達による遺伝子発現調節の可能性について議論するためには、 これらの基礎的事項を明らかにする必要があるといえる。 そこで本研究では、LINC 複合体の中でも細胞核とアクチンフィラメントとの結合 を担う Nesprin-1 に着目し、上記 (1)・(2)の観点から細胞核−細胞骨格結合の力学的 性質を明らかにすることを目的とする。第
2 章 RNAi を用いた内皮細胞の Nesprin-1
発現抑制とその評価
2.1 はじめに
LINC 複合体は細胞核と細胞骨格を結合し、細胞核に力を伝達すると考えられてい る。LINC 複合体の中でアクチンフィラメントと結合する Nesprin-1 の発現抑制は、 繰り返し進展刺激負荷時の内皮細胞の配向抑制や遊走速度の減少を引き起こすこと が報告されており、細胞核への力学伝達との関連性が示唆されている (Chancellor et al., 2010)。しかし、Nesprin-1 を介して細胞核に力が伝達されているか実験的に調べ た研究はほとんどなく、力学的観点から詳細を調べる必要があると考えられる。そこ で本章では、細胞核への力学伝達におけるNesprin-1 の役割を調べる実験系を確立す ることを目的として、RNAi による内皮細胞の Nesprin-1 発現抑制を行う。さらに、 Nesprin-1 発現を抑制した内皮細胞における静置培養下での LINC 複合体とアクチン フィラメントの局在性および繰り返し伸展負荷後の形態変化を調べる。2.2 実験方法
2.2.1 細胞培養
本研究ではヒト臍帯静脈内皮細胞 (Invitrogen) を用いた。実験には継代数 4~6 の 細胞を使用した。培養には20% (v/v) ウシ胎仔血清 (FBS)、抗生物質 (100 units/ml Penicillin, 100 µg/ml Streptomysin, Invitrogen) およびヒト塩基性線維芽細胞増殖 因子 (Austral Biologicals) を含む Medium 199 (M199, Invitrogen) を用いた。 M199 増殖培地の作製手順は以下の通りである。まず M199 粉末を 950 ml の超純水 に溶解し、2.2 g の炭酸水素ナトリウム (和光純薬工業) を加えた。この溶液に 1 ml の抗生物質と 10 µg のヒト塩基性線維芽細胞増殖因子を加え、1 規定塩酸 (和光純薬 工業) で pH 7.4 に調整後、超純水で 1 L にメスアップしてから約 30 分間撹拌した。 濾過滅菌フィルタ (Millipore) を用いてクリーンベンチ内で培地を滅菌済みの広口 瓶に分注後、56℃で約 2 時間非働化した FBS を 200 ml 加え M199 増殖培地とした。 細胞の解凍・培養・継代方法を以下に示す。液体窒素中に保存した細胞のバイアル (1ml) を 37 ℃で急速解凍後、14 ml の培地に懸濁して T75 フラスコ (Sumilon) に播 種し、37 ℃、5% CO2 + 95% Air に設定し加湿したインキュベータ内で 3~4 日間培養 した。細胞が80!90% コンフルエントな状態まで増殖したことを位相差顕微鏡 (CK2, Olympus) で確認後、リン酸緩衝生理食塩水 (PBS(-), ニッスイファーマ)で 1 回洗浄 してから0.05%トリプシン-EDTA (Invitrogen) で細胞を剥離させ、1000 rpm で 5 分間遠心分離した。その後、細胞を新たな培地で適宜希釈して φ35 ディッシュ (Iwaki) に2 ml 播種した。以上の作業はクリーンベンチ内で無菌的に行った。また、培養に 用いたフラスコおよびディッシュには全て 0.1% ゼラチン (Sigma) を予めコーティ ングした。
2.2.2 内皮細胞への siRNA の導入
RNA 干渉 (RNAi) により特異的に Nesprin-1 発現を抑制する siRNA をリポフェ クション法で内皮細胞に導入した。RNAi とは細胞内で 2 本鎖 RNA (dsRNA) と相補 的な塩基配列を持つ mRNA が位置特異的に切断される現象であり (Fire et al., 1998) 、これを利用して特定の塩基配列をもつ 2 本鎖 RNA を細胞内に導入すること により目的のタンパク質の発現を抑制することができる。
RNAi の原理を Fig. 2.1 に示す。細胞内に導入された dsRNA は ATP の存在下で Dicer と呼ばれる RNA 分解酵素 (RNase) 3 ファミリーの一種によって 20 塩基対程 度の短い塩基配列をもつ siRNA へ分解される。siRNA は AGO2、FMRP、P100 な どの複数のタンパク質と、RNase の一種である RNA ヘリカーゼおよびエンドリボヌ クレアーゼを含むタンパク質複合体に取り込まれ、RNA 誘導性サイレンシング複合 体 (RISC) を形成する。RISC に取り込まれた 2 本鎖 siRNA は RNA ヘリカーゼによ り巻き戻されて 1 本鎖になる。RISC は 1 本鎖となった siRNA のうちアンチセンス 鎖の塩基配列をガイドとして、それと相補的な配列を持つ標的 mRNA のセンス鎖を 認識し、エンドリボヌクレアーゼ活性によって位置特異的に mRNA を切断する。そ の結果標的 mRNA が機能を失い、その mRNA から翻訳されるべきタンパク質の発 現が抑制される (Rhaman et al., 2008) 。 本研究では上記の RNAi の原理をもとに、siRNA を直接細胞内に導入する方法で Nesprin-1 の発現を抑制した。過去の報告 (Chancellor et al., 2010) を参考に、 Nesprin-1 の塩基配列 (Table 2.1) を標的とする 4 種類の 19 塩基対 2 本鎖配列 siRNA の混合試薬 (siGENOME SMARTpool siRNA Human SYNE1, Dharmacon) を終濃 度100 nM で用いた。なお、この塩基配列は Nesprin-1 をコードする遺伝子Spectrin repeat containing, nuclear envelope 1 (SYNE1) から転写される mRNA の塩基配列 である。また本研究では、4 種類の 19 塩基対 2 本鎖配列 Control siRNA の混合試薬 (siGENOME Non-Targeting siRNA Pool #2, Dharmacon) を導入した細胞をコント ロールとした。siRNA の調整方法は以下の通りである。まず、ペレット状態の siRNA を滅菌済み超純水に 20 µM の濃度になるように溶解し、ボルテックスを用いて室温 で30 分間撹拌した。上記の溶液を滅菌済みの 1.5 ml サンプリングチューブに 10 µl ずつ分注し、実験に使用するまで!80℃の超低温冷凍庫内で保存した。
Table 2.1 標的 mRNA の塩基配列と対応するアミノ酸配列およびアイソフォーム Target mRNA sequence (5’-3’) Amino-acid sequence Related isoforms CCAAACGGCUGGUGUGAUU QTAGVI "2, giant GAAGAGACGUGGCGAUUGU EETWRL "2, giant GCAAAGCCCUGGAUGAUAG KALDD "1, !1, !2 GAAAUUGUCCCUAUUGAUU EIVPID "2, giant
Fig. 2.1 RNAi の原理
以下に内皮細胞への siRNA の導入手順を示す。まず、リポフェクションに使用す る低血清培地であるOPTI-MEM (Invitrogen) を以下のように作製した。950 ml の 超純水にOPTI-MEM 粉末を加え室温で穏やかに撹拌して溶解した。2.4 g の炭酸水
素ナトリウムを加えてさらに攪拌した後、一規定塩酸を用いてpH を 7.4 に調整し溶 液を超純水で 1L にメスアップした。さらに 30 分程度攪拌した後、ろ過滅菌フィル タを用いてクリーンベンチ内で培地を滅菌済みの広口瓶に回収した。 血球計算盤で細胞数を数え密度が5.0"104 cells/ml になるように M199 増殖培地で 希釈した内皮細胞を φ35 プラスチックディッシュに 2 ml 播種し、ディッシュ内で軽 くピペッティングしてからインキュベータ内で 24 時間培養した。事前に凍結保存し た1.5 ml サンプリングチューブ内の siRNA 溶液 (20 µM, 10 µl) を 37℃で急速解凍 後、190 µl の OPTI-MEM を加えて軽くピペッティングした。また、別の 1.5 ml サ ンプリングチューブにリポフェクション試薬である DharmaFect 1 Transfection Reagent (Dharmacon) を 2 µl 入れ、OPTI-MEM を 198 µl 加えて軽くピペッティン グした。これらの溶液を室温で5 分間静置してから混合し、さらに室温で 20 分間静 置してトランスフェクション培地 (400 µl) を作製した。その後ディッシュの細胞を OPTI-MEM で 1 回洗浄し、ディッシュに OPTI-MEM を新たに 1.6 ml 加えた。トラ ンスフェクション培地をディッシュに静かに滴下して培地の全量を 2 ml (100 nM siRNA) とし、ディッシュ内で軽くピペッティングして溶液を全体に拡散させた。細 胞をインキュベータ内で 24 時間培養後、トランスフェクション培地を取り除いて M199 増殖培地に交換した。その後、M199 増殖培地を交換しながらさらにインキュ ベータ内で72 時間培養した細胞を実験に用いた。
2.2.3 ウェスタンブロッティングによる Nesprin-1 発現抑制の確認
内皮細胞への siRNA の導入後、ウェスタンブロッティングによりタンパク質レベ ルでのNesprin-1 の発現抑制を確認した。ウェスタンブロッティングとは電気泳動に よって分離したタンパク質を膜に転写し、抗体を用いてそのタンパク質を検出して発 現を調べる手法である (Fig. 2.2)。以下にその手順を示す。まず細胞を培養した φ35 プラスチックディッシュを氷上に置きM199 増殖培地を取り除いた後、氷冷した PBS (-) で速やかにディッシュを 3 回洗浄した。アスピレータでディッシュの PBS (-) を 完全に吸い取り、Triton/NP-40 Lysis Buffer (50 mM Tris-Cl (和光純薬工業), 150 mM NaCl (和光純薬工業), 1 mM EDTA (和光純薬工業), 1% TritonX-100 (和光純薬 工業), 1% NP-40 (ナカライテスク), Protease Inhibitor Cocktail (Sigma), 100 #M PhenilMethyiSulfonyl Fluoride (PMSF, Sigma)) を 50 #l 滴下後、氷上で 5 分間静置 して細胞を溶解させた。その後、セルスクレーパを用いてディッシュ底面の細胞を掻 き取り、さらに氷上で10 分間静置してから細胞抽出液をピペットで 1.5 ml サンプリ ングチューブに回収した。チューブを冷却しながら、27 ゲージ注射針を取り付けた 1ml シリンジで抽出液を泡立てないようにゆっくりと吸い取り、再びチューブに戻し た。この操作を 10 回繰り返し行い、回収した抽出液をホモジナイズした。高速遠心機 (CF-15R, 日立製作所) を用いて、4℃、10000 rpm で 10 分間の遠心分離を行い、 上澄みを新たなサンプリングチューブに回収してサンプルとした。サンプルのタンパ ク質濃度を DC protein assay kit (Bio-Rad) および吸光光度計 (Model 680 XR, Bio-Rad) を用いて測定した。測定した濃度から、Triton/NP-40 Lysis Buffer を用い て電気泳動時のゲル (後述) に注入するサンプルのタンパク質量が 1 ウェル当たり 30 #g になるように、サンプルのタンパク質濃度を統一した。その後、サンプルをサン プ ル バ ッ フ ァ (0.1 M Tris/HCl pH6.8 , 4% SDS , 20% Glycerol (Amersham Pharmacia), 0.06% bromophenol blue (Amersham Pharmacia), 12% mercaptoethanol (Amersham Pharmacia)) と 1 : 1 で混合し、サンプルの入ったチ ューブを沸騰水で 3 分間加熱処理してタンパク質の高次構造の破壊および SDS との 結合を促進すると共に、プロテアーゼを失活させた。調整したサンプルは実験に使用 するまで‐80℃の超低温冷凍庫内で保存した。
ウェスタンブロッティングの手順を以下に述べる。まず、1.5 mm 厚の 10% ポリ ア ク リ ル ア ミ ド ゲ ル (Running gel 2 枚 分 : 30% N’-methylene-bis-acrylmide (Bio-Rad) 10.7 ml, 1.5 M Tris/HCl pH8.8 (Bio-Rad) 8.0 ml, 10% SDS (Bio-Rad) 320 #l, 10% Ammonium PerSulfate (APS) 107 #l, 蒸 留 水 12.9 ml, N,N,N’,N’-TetraMethyl-ethylenediamine (TEMED , Bio-Rad) 16 #l ; Stacking gel 2 枚分:30% N’-methylene-bis-acrylmide 10 ml, 0.5 M Tris/HCl (Bio-Rad) 1.58 ml, 10% SDS 100 #l, 10% APS 33 #l, 蒸留水 5.78 ml, TEMED 40 #l) を作製した。作製 し た ゲ ル を 電 気 泳 動 装 置 (SE 260, Amersham Pharmacia) に 設 置 し 、 Tris/glysin/SDS buffer (2.5 mM Tris (和光純薬工業), 19.2 mM Glycine (和光純薬工 業), 0.01% (w/v) SDS) でタンクとゲルを満たした。事前に調整したサンプルをゲル のウェル内に注入し、50 mA の定電流で約 2 時間電気泳動した。この時、電気泳動 の進行およびメンブレンに転写されるタンパク質のバンド位置を確認するために、分 子量帯の異なる 2 種類の標識済 SDS-PAGE 用マーカー (Pre-Stained Protein Standard (10-250 kDa), Bio-Rad, 10 #l; Himark Pre-Stained High Molecular Weight Protein Standard (121-500 kDa), Invitrogen, 12 #l) を併せて泳動した。 電気泳動終了後、ポリアクリルアミドゲル内のタンパク質を Poly Vinylidene DiFluoride (PVDF) メンブレン (GE Healthcare) に転写した。まず、PVDF メンブ レンをメタノール (和光純薬工業) に 5 分間浸して表面を親水化処理した後、 Tris/glysin buffer (2.5 mM Tris, 19.2 mM Glycine, 20% Methanol) に浸し、PVDF メンブレンが浮かないことを確認してから5 分間震盪した。その後、ブロッティング バッファを交換してさらに5 分間震盪した。次に、ポリアクリルアミドゲルと PVDF メ ン ブ レ ン を ブ ロ ッ テ ィ ン グ ペ ー パ ー (Bio-Rad) と ス ポ ン ジ (Amersham Pharmacia) で挟み込んでカセットを作った。挟み込むときにゲルと PVDF メンブレ
ンの間に気泡が入らないようにし、カセットを転写用の電気泳動装置 (Amersham Pharmacia) に設置してブロッティングバッファで満たした。その後、カセットを泳 動槽の底に軽く打ち付けて気泡を除き、凍結した保冷剤で泳動槽を囲い冷却しながら 30 V の定電圧で約 16 時間の転写を行った。 転写終了後、PVDF メンブレン上のタンパク質を免疫染色法により染色した。まず、 PVDF メンブレンをカセットから取り外してタッパーに入れ、Tris Buffered Saline-Tween20 (TBS-T; 2 mM Tris, 50 mM NaCl , 0.1% (w/v) Tween20 (Amersham Pharmacia), pH 7.4) に浸して 5 分間震盪した。TBS-T を交換してさら に5 分間震盪後、ブロックエース (雪印) に浸し、室温で 1 時間震盪して抗体の非特 異的な結合をブロッキングした。ブロッキング終了後、パラフィルムを敷いた容器に PVDF メンブレンを移した。TBS-T で 4 倍希釈したブロックエース (以下抗体希釈用 溶液) に希釈した一次抗体を PVDF メンブレン上に滴下し、4℃の冷蔵庫内で一晩静 置 し た 。 一 次 抗 体 と し て Rabbit polyclonal anti-Nesprin-1 antibody (Abcam, ab24742, 1:2000) お よ び Rabbit polyclonal anti-GAPDH antibody (Abcam, ab37168, 1:1000) をそれぞれ用いた。ここで、GAPDH は内在性コントロールとし てNesprin-1 の発現と比較するために染色を行った。その後、TBS-T で 10 分間の洗 浄を 3 回繰り返し、抗体希釈用溶液に希釈した二次抗体を PVDF メンブレンに滴下 し室温で 1 時間反応させた。二次抗体として Anti rabbit IgG AP (Santa Cruz Biotechnology, 1:10000) を用いた。その後、Tris Buffered Saline (TBS; 2mM Tris, 50 mM NaCl) で 10 分間の洗浄を 3 回繰り返し、AP 発色キット (Bio-Rad) を用い て遮光中でGAPDH と Nesprin-1 のバンドをアルカリフォスファターゼ発色させた。 GAPDH は約 20 分間、Nesprin-1 は約 16 時間で発色させた。目的のバンドが発色 したことを確認後、4℃に冷却した水道水で PVDF メンブレンを 5 回洗浄し、さらに 蒸留水で1 回洗浄した。その後、PVDF メンブレンをキムワイプで挟み水分を取り除 いてから風乾し、スキャナ (GT9700F, EPSON) で読み取りバンドを画像化した。
Fig. 2.2 ウェスタンブロッティングの手順
2.2.4 LINC 複合体とアクチンフィラメントの蛍光顕微鏡観察
Nesprin-1 の発現抑制による LINC 複合体とアクチンフィラメントの局在変化を調 べるために、Nesprin-1、SUN 1/2、Lamin A/C の免疫蛍光染色およびアクチンフィ ラメントの蛍光染色を行った。なお、ディッシュを遮光しながらすべての染色作業を 行い、各作業の間でPBS(-) による洗浄を 3 回行った。まず、ディッシュから培地を 取り除き、4%パラホルムアルデヒドリン酸緩衝液 (和光純薬工業) を 1ml 加え 20 分 間静置し細胞を固定した。次に、PBS (-) で希釈した界面活性剤をディッシュに加え、 細胞膜を透過処理した。SUN 1/2、Lamin A/C を染色する場合は界面活性剤として 0.1% Triton X (和光純薬工業) を用い、溶液をディッシュに 1 ml 加え 5 分間静置し た。またNesprin-1 を染色する場合は細胞核膜の透過を抑えるため、界面活性作用が より低い0.004% Saponin (和光純薬工業) を用い、ディッシュに 1 ml 加え氷上で 10 分間静置した。その後、抗体の非特異的な結合を抑制するため、蒸留水で4 倍希釈し たブロックエース (雪印) を 1 ml 加え室温で 1 時間静置した。PBS(-)で希釈した一次 抗体 (Table 2.2) をそれぞれ 200 #l 加え室温で 1 時間静置した。次に、PBS(-)で 1000 倍に希釈した蛍光標識二次抗体 (Alexa Fluor 488 goat anti rabbit/mouse IgG (H+L), Invitrogen) をそれぞれ 200 #l 加え室温で 1 時間静置した。免疫蛍光染色が
終了後、細胞内のアクチンフィラメントと細胞核を染色した。200 µl の PBS(-) を加 えたディッシュにAlexa Fluor 546 phalloidin (Invitrogen) をピペットで 5 滴加え、 20 分間静置してアクチンフィラメントを染色した。次に、PBS(-)で希釈した DAPI (Invitrogen, 1:5000) を 200 µl 加え 3 分間静置して細胞核 (DNA) を染色した。共焦 点レーザー走査型顕微鏡 (FV1000, Olympus) を用いて細胞の蛍光像を観察した。
Table 2.2 免疫蛍光染色に用いた一次抗体と希釈倍率
Primary antibody Maker and product number Dilution Anti-Nesprin-1 (rabbit polyclonal) Abcam, ab24742 1:500 Anti-Lamin A/C (mouse monoclonal) Abcam, ab8984 1:500 Anti-SUN1 (rabbit polyclonal) Sigma, HPA008461 1:100 Anti-SUN2 (rabbit polyclonal) Sigma, HPA001209 1:100
2.2.5 繰り返し伸展刺激を負荷した内皮細胞の形態観察
Nesprin-1 の発現を抑制した内皮細胞に繰り返し伸展刺激を負荷し、過去の報告 (Chancellor et al., 2010) と同様に形態変化が抑制されるかどうかを調べた。ストレ ッチチャンバ (Strex) の形状と実験装置を Fig. 2.3 と Fig. 2.4 にそれぞれ示す。スト レッチチャンバの本体はPolydimethylsiloxane (PDMS) 製であり、中央部の底面に PDMS 膜を接着して使用する。繰り返し伸展装置 (STB-140, Strex) はコントローラ からのパルス信号でステッピングモータの回転を制御し、ボールねじを介して直進運 動に変換することで 6 個のストレッチチャンバに繰り返し伸展を負荷する。PDMS 膜を貼付けたストレッチチャンバを、超純水を満たした超音波洗浄装置で1 時間洗浄 し、乾燥後に高圧滅菌装置で滅菌してから実験に用いた。 ストレッチチャンバへの接着基質の塗布および細胞の播種方法は以下の通りであ る。まず、滅菌したストレッチチャンバにPBS(-)で希釈した Fibronectin (10 #g/ml, Sigma) を 1 ml 加えてインキュベータ内で 24 時間静置した。Fibronectin を吸い取 りPBS(-)で 1 回洗浄後、φ35 プラスチックディッシュに培養した内皮細胞にトリプ シンを100 #l 滴下して剥離させ、M199 増殖培地で 1.0 " 105 cells/ml に希釈してス トレッチチャンバに播種し、一晩培養した。細胞がコンフルエント状態であることを 位相差顕微鏡で確認後、ストレッチチャンバを伸展装置に取り付けインキュベータ内 で繰り返し伸展刺激を負荷した。実験には野生型の細胞 (Wild type; Wt)、Control siRNA を導入したコントロールの細胞 (siCon)、Nesprin-1 siRNA を導入して Nesprin-1 発現を抑制した細胞 (siNes1) を用いた。また、繰り返し伸展刺激の負荷 条件は過去の報告 (Chancellor et al., 2010) と同様にチャンバ伸展率 10 %、周波数 0.5 Hz、伸展刺激負荷時間 18 時間とした。
繰り返し伸展刺激負荷後、ストレッチチャンバを伸展装置から取り外し培養液を取 り除いた。2.2.4 と同様の手順で細胞の固定と 0.1% Triton X による細胞膜透過処理 を行い、アクチンフィラメントと細胞核を蛍光染色した。その後、ストレッチチャン バのPDMS 膜を切り取った。PBS (-) を介して細胞接着面を下にした PDMS 膜をス ライドガラス (松浪ガラス工業) 上に静かにのせ、共焦点レーザー走査型顕微鏡 (FV1000, Olympus) を用いて蛍光像を取得した。 Fig. 2.3 ストレッチチャンバの形状 Fig. 2.4 繰り返し伸展装置
2.2.6 細胞核の配向性評価
繰り返し伸展負荷後の細胞について、細胞核の配向角を以下に述べる方法で測定し た。まず細胞核の蛍光像を二値化し、輪郭形状を相当楕円に近似した。ここで相当楕 円とは元形状と面積および慣性モーメントが等しい楕円である。本研究では相当楕円 の長軸が伸展方向 (0 ) に対してなす角度を細胞核の配向角θ(-90 < θ≦ 90 ) とした。以上の解析は画像処理ソフトImageJ (NIH) を用いて行った。2.3 実験結果
2.3.1 Nesprin-1 の発現抑制
ウェスタンブロッティングの結果をFig. 2.5 に示す。野生型とコントロールの細胞 では分子量マーカーの279 kDa と 500 kDa の間に Nesprin-1 のバンドが見られた。 一方、Nesprin-1 の siRNA を導入した細胞ではバンドの輝度が大きく減少した。ま た、内在性コントロールのGAPDH は全ての条件で 37 kDa の位置にバンドが見られ、 siRNA の導入および Nesprin-1 発現抑制による変化は生じなかった。
Fig. 2.5 Nesprin-1 と GAPDH のバンド
2.3.2 LINC 複合体とアクチンフィラメントの局在性
Nesprin-1 の蛍光像を Fig. 2.6 に示す。野生型とコントロールの細胞では細胞核周 囲にNesprin-1 が局在する様子が観察された。一方、Nesprin-1 発現を抑制した細胞 では細胞核周囲のNesprin-1 局在が減少する傾向が見られた。また Nesprin-1 の発現 を抑制した細胞では、野生型・コントロールの細胞と同様に細胞核が楕円形の形状を 呈し、局所的な歪みなどの異常な形状は見られなかった。Lamin A/C と SUN1/2 の蛍光像を Fig. 2.7 および Fig. 2.8 にそれぞれ示す。野生 型とコントロールの細胞だけではなく、Nesprin-1 の発現を抑制した細胞においても Lamin A/C が細胞核膜近傍に局在する様子が観察された。また、SUN1/2 も Lamin A/C と同様にどの条件においても細胞核膜近傍に局在する様子が観察された。 100 倍対物レンズ (UPlanApo, NA=1.35, Olympus) を用いて細胞核周囲のアクチ ンフィラメントをより詳細に観察した結果をFig. 2.9 に示す。細胞の頂面部 (Apical) と底面部 (Basal) では各条件間でアクチンフィラメントの分布に変化は見られなか った。一方、細胞の中央部 (Middle) において、野生型とコントロールの細胞では細 胞核周囲へのアクチンフィラメントの局在が見られたが、Nesprin-1 の発現を抑制し た細胞では細胞核周囲に局在するアクチンフィラメントが減少した。
Fig. 2.6 内皮細胞の Nesprin-1 蛍光像 (赤 : F-actin, 青 : 細胞核, 緑 : Nesprin-1, Bar = 30 #m)
Fig. 2.7 内皮細胞の Lamin A/C 蛍光像 (赤 : F-actin, 青 : 細胞核, 緑 : Lamin A/C, Bar = 30 #m)
Fig. 2.8 内皮細胞の SUN1/2 蛍光像 (赤 : F-actin, 青 : 細胞核, 緑 : SUN1/2, Bar = 30 #m)
Fig. 2.9 内皮細胞における細胞核周囲のアクチンフィラメント蛍光像 (白・赤 : F-actin, 青 : 細胞核, Bar = 10 #m)
2.3.3 繰り返し伸展刺激を負荷した内皮細胞の形態変化
繰り返し伸展刺激を負荷した内皮細胞の蛍光像をFig. 2.10 に示す。野生型とコン トロールの細胞では、伸展方向に対して垂直な方向にアクチンフィラメントと細胞核 が配向・伸長した。一方、Nesprin-1 を抑制した細胞では伸展方向に対して垂直な方 向のアクチンフィラメントと細胞核の配向は抑制された。
細胞核の配向角分布をFig. 2.11 (Rose diagram) に示す。コントロールの細胞では 野生型の細胞と同様に伸展と垂直な方向のまわりに細胞核が配向した。一方、 Nesprin-1 の発現を抑制した細胞では伸展と垂直な方向の細胞核の配向が減少した。 これらの配向角分布は蛍光像の観察結果と一致した。 Fig. 2.10 繰り返し伸展刺激を負荷した内皮細胞のアクチンフィラメント蛍光像 (赤 : F-actin, 青 : 細胞核, 矢印 : 伸展方向, Bar = 50 µm) Fig. 2.11 繰り返し伸展刺激を負荷した内皮細胞の細胞核の配向角分布 (Wt : n = 167, siCon : n = 177, siNes1 : n = 149)
2.4 考 察
ウェスタンブロッティングの結果 (Fig. 2.5) から、Nesprin-1 を標的とする siRNA を導入した細胞ではNesprin-1 の発現抑制が確認された。また、野生型とコントロー ルの細胞におけるNesprin-1 のバンドは 279~500 kDa の間に現れた。Nesprin-1 に は "、!、$、giant と呼ばれる複数のアイソフォームが存在し、本結果のバンド位置 に相当する分子量をもつアイソフォームはNesprin-1 ! (!1 : 380 kDa, !2 : 368 kDa)
である。従って、本結果から Nesprin-1 ! の発現抑制が確認されたと考えられる。 Chancellor らは本研究と同様の siRNA を用いた内皮細胞の Nesprin-1 発現抑制を行 い、ウェスタンブロッティングにおいて 110 kDa 付近に現れるバンド輝度値が減少 したことを報告している (Chancellor et al., 2010)。110 kDa に最も近い分子量をも つ Nesprin-1 のアイソフォームは Nesprin-1 " (112 kDa) であることから、 Chancellor らが報告している発現抑制は Nesprin-1 " のものであると考えられる。ア クチンフィラメントとの結合ドメインであるCH ドメインを有する Nesprin-1 のアイ ソフォームはNesprin-1 giant (1.01 MDa) のみであり (Mellad et al., 2011)、本研究 の結果および Chancellor らの報告からは Nesprin-1 giant の発現抑制は確認できな かったといえる。これはNesprin-1 giant の分子量が非常に大きくウェスタンブロッ ティングでの検出が難しいこと、および用いた一次抗体がNesprin-1 giant と結合し なかったことが原因であると考えられる。しかし、本研究および Chancellor らの報 告で用いた4 種類の siRNA が標的とする mRNA の塩基配列は、Nesprin-1 "/! に加 えてNesprin-1 giant のアミノ酸配列に翻訳されるコドンの順列を含んでいる。従っ て、本研究で用いた siRNA により細胞内の Nesprin-1 giant の発現も抑制されたこ とが予想される。
LINC 複合体の蛍光観察の結果、Nesprin-1 の発現を抑制した細胞において Nesprin-1 の細胞核周囲への局在が減少した (Fig. 2.6)。一方、Nesprin 以外の LINC 複合体であるLamin A/C および SUN1/2 は Nesprin-1 の発現を抑制した細胞におい ても細胞核膜近傍に局在した (Fig. 2.7, Fig. 2.8)。この結果から、Nesprin-1 の発現 抑制はSUN1/2 と Lamin A/C の細胞核膜近傍への局在に変化を生じなかったといえ る。SUN1/2 は細胞核膜を貫通する膜貫通タンパク質であるため、Nesprin-1 との結 合が消失しても細胞核膜によって固定され、PNS に存在し続けたと考えられる。 Lamin A/C は細胞核内において SUN1/2 と結合するため、SUN1/2 とともに細胞核膜 近傍に局在したと考えられる。LINC 複合体の局在性の関係について、Ostlund らは Lamin A/C KO マウスの線維芽細胞において SUN1/2 および Nesprin-2 giant の細胞 核周囲への局在が野生型と比較して変化しないことを報告している (Ostlund et al., 2009)。これらのことから、SUN1/2 を介して結合する Nesprin と Lamin A/C は片方 が発現抑制されても他方には局在変化を引き起こさないと考えられる。さらに、本研
究の結果からNesprin-1 の発現を抑制した細胞の細胞核は野生型・コントロールの細 胞核と同様の形状をしており、異常な形状は認められなかった。また、DNA の蛍光 像にも変化は見られなかった。従って、Nesprin-1 の発現抑制は細胞核そのものの構 造には変化を生じなかったと考えられる。 細胞核周囲のアクチンフィラメントの局在を詳細に観察した結果、野生型とコント ロールの細胞では細胞の中央部において細胞核周囲へのアクチンフィラメントの局 在が見られた (Fig. 2.9)。本研究のように、細胞核周囲へのアクチンフィラメントの 局在を詳細に観察した例は著者の知る限り報告されていない。また、Nesprin-1 の発 現を抑制した細胞では細胞核周囲に局在するアクチンフィラメントが減少する様子 が見られた。この結果はNesprin-1 の発現抑制により Nesprin-1 とアクチンフィラメ ントとの結合が抑制されたことを示唆している。 繰り返し伸展刺激を負荷した内皮細胞の形態変化を調べた結果、Nesprin-1 の発現 を抑制した細胞では形態変化が抑制され、伸展方向に対して垂直な方向の細胞核の配 向が減少した (Fig. 2.10, Fig. 2.11)。この結果は過去の報告 (Chancellor et al., 2010) に一致した。このことから、本研究で確立したNesprin-1 の発現抑制系は過去の報告 に対して再現性があると考えられる。Nesprin-1 の発現抑制により形態変化が抑制さ れるメカニズムについて、Chancellor らは細胞底面部のアクチンフィラメントが増加 することで焦点接着斑が増加し、細胞の形態変化が抑制されると考察している。しか し、これまでに Chancellor らの報告以外で Nesprin-1 と焦点接着斑との相互作用に ついて調べた研究結果は報告されていない。従って、Nesprin-1 と焦点接着斑との相 互作用および形態変化の抑制メカニズムについては今後より詳細に調べる必要があ るといえる。