1.僧帽弁閉鎖不全症
1)僧帽弁閉鎖不全とは 僧帽弁閉鎖不全症(mitral regurgitation:MR) とは,何らかの原因で前後尖の接合が不良とな り,それにより弁逆流が生じる病態である.こ れにより,まず左室の前負荷が上昇し,左室は 拡張期容積の増加で代償するが,左室容積の拡 大が壁応力の上昇を介して,心筋の肥大,さら には線維化を誘導するに至ると,心筋の収縮能 の低下,不可逆性の心機能障害へと至る.外科 治療は弁尖の接合不良を直接的または間接的に 修復(弁形成),または弁機能を置換する(弁置 換)ことを目標とするが,接合不良の原因によっ て治療が異なるので,以下に分けてその手術適 応について解説する. 2)変性病変によるMRMitral valve prolapse, myxomatous mitral valve, floppy mitral valve, billowing mitral valveな どとも呼ばれる,弁自身の変性によるものであ り,形成術の適応となることが多い.手術適応 に つ い て は 2014 年 に 改 訂 さ れ たACC/AHA (American College of Cardiology/American Heart
Association)ガイドライン1)を示す(表 1).こ
僧帽弁疾患 編
1) 僧帽弁疾患:
外科治療とその適応
要 旨 戸田 宏一 2008年以来初の改訂となる2014年度版ACC/AHA(American College of Cardiology/American Heart Association)弁膜症ガイドラインが発 表された.治療法の進歩により手術成績が向上したため,このガイドライ ンでは治療介入閾値の引き下げが行われ,これにより手術適応患者の範囲 が拡大している.このガイドラインをもとに器質的MR・機能性MRに対 する治療介入のタイミング,弁形成vs.弁置換:治療法の適応・問題点に ついて詳述する. 〔日内会誌 105:222~229,2016〕Key words 僧帽弁形成,機能性僧帽弁閉鎖不全,右小開胸MICS
大阪大学大学院医学系研究科外科学講座心臓血管外科
Valvular Heart Disease:Current Treatment and Future Perspectives. Topics:III. Current Treatment:Surgical vs. Medical;2. Mitral valve, 1)Surgery for mitral valve disease.
のガイドラインで注目されるのは,無症状で心 機能が保たれている場合でも,重症MRは弁形成 の可能性が高ければ手術適応となることであ る.これを推奨するエビデンスとしては,この ような症例では内科治療のみでは手術リスクを 上回る高い心事故発生率,死亡率が示されてい る(5 年間で 30%以上の心原性死亡率).した がって,弁形成が可能か否かを判断するため に,術前にMRの成因,メカニズムを経食道心エ コーで明らかにすることが大切である.また, MRの 重 症 度 の 判 定 は 心 尖 ア プ ロ ー チ で の カ ラードプラによるMR jetの到達度で行われるこ とが多いが,明らかでない場合は表2を参考に, 時には心臓カテーテル検査,cardiac MRI(mag-netic resonance imaging)の結果も参考にする. 弁形成術の方法としては,逸脱した弁尖を切除 して縫合する方法,ePTFE(expanded polytetra-fluoroethylene)(ゴアテックス®)からなる人工 腱索によって逸脱した弁尖を左室側に引き下ろ す方法,接合不良の部分で後尖と前尖を縫合す 表1 僧帽弁逆流(MR)の手術適応 適応 ・有症状の重症MR(EF>30%)に対する僧帽弁手術 クラスⅠ ・無症状の重症MR(60%>EF>30%,Ds≧40 mm)に対する僧帽弁手術 クラスⅠ ・他の心臓手術に合併した重症MRに対する僧帽弁手術 クラスⅠ ・後尖病変による手術適応のある重症MRに対するMVP クラスⅠ ・形成可能な前尖病変による手術適応のある重症MRに対するMVP (手術すべき) ・経験ある施設での無症状の重症MR(EF>60%,Ds<40 mm)に対するMVP クラスⅡa ・AF/PHを伴った無症状の重症MR(EF>60%,Ds<40 mm)に対するMVP クラスⅡa ・他の心臓手術に合併した中等度MRに対するMVP クラスⅡa ・他の心臓手術に合併した重症FMRに対する僧帽弁手術 (手術が妥当) ・有症状の重症MR(EF≦30%)に対する僧帽弁手術 クラスⅡb ・形成可能な手術適応のあるリウマチ性MRに対するMVP クラスⅡb ・手術リスクの高い有症状の重症MRに対する経カテーテル的MVP クラスⅡb ・有症状の重症FMRに対する僧帽弁手術 クラスⅡb ・他の心臓手術に合併した中等度FMRに対するMVP (手術を考慮してもよい) ・小さな後尖病変に対してMVPを試みず僧帽弁置換を行なう (推奨されない)クラスⅢ MVP:僧帽弁形成術,FMR:機能性MR,EF:ejection fraction, Ds:end-systolic dimension,AF:atrial fibrillation, PH:pulmonary hypertension (ACC/AHA 2014年度版ガイドラインより改変) 表2 僧帽弁逆流の重症度評価 中等度 重症 左室造影 1-2+ 3-4+ カラードップラー面積 左房面積の 20-40% 左房面積の>40% Vena contracta 0.3-0.69 cm ≧0.7 cm 逆流量 <60 ml ≧60 ml(≧30 ml) 逆流率 <50% ≧50%(≧50%) 逆流弁口面積(ERO) <0.4 cm2 ≧0.4 cm2(≧0.2 cm2) 赤字は機能性僧帽弁閉鎖不全における基準 (ACC/AHA 2014年度版ガイドラインより改変)
る方法などが報告されている.僧帽弁へのアプ ローチの方法としては,従来から行われている 胸骨正中切開のみならず,最近では若年患者を 中心に右小開胸でも行われている(minimally invasive cardiac surgery:MICS,図 1).日本心 臓血管外科手術データベースを用いた研究で は,2012年のMR症例の15.6%はMICSで行われ ており,美容上の長所のみならず,術後上肢の 運動制限を要さないなどの利点もある2).また, このMICSを手術支援ロボット(ダビンチ®)を 用いて行うことも試みられている. 3)リウマチ性MR リウマチ性の肥厚した弁膜に対しても,弁を 薄く削るslicing法により弁尖を柔らかくしその 接合を改善させたり,弁尖の一部を自己心膜で 置換することにより弁形成が行われたりするこ ともある.しかしながら,リウマチ性のものは 経時的にみていくと,弁,腱索の炎症性硬化を 引き起こしてくることが多いため,弁形成の長 期成績は安定しない.したがって,多くの場合, 僧帽弁置換術(mitral valve replacement:MVR) が行われる.現在,MVRの主な対象はこのリウ マチ性MRか僧帽弁狭窄症(mitral stenosis:MS) であるが,ここでMVRに使われる人工弁につい て概説する.人工弁には機械弁と生体弁があ り,機械弁は耐久性に優れているが,ワーファ リンによる抗凝固療法を生涯にわたって継続す る必要がある.一方で,生体弁は術後長期にわ たる抗凝固療法は必要ないが,弁の耐久性は機 械弁に劣る.特に50歳以下の若年者では,生体 弁の劣化による人工弁機能不全(後述)は10年 程度で起こるため,AHA/ACC 2014 年度版ガイ ドラインでは,60 歳未満では機械弁,70 歳以 上において生体弁が推奨され,60~70歳ではど ちらでもよいとなっている.特殊な例として は,慢性透析症例では生体弁の劣化・石灰化が 進みやすいため機械弁が,妊娠が予想される若 図1 右小開胸MICSによる僧帽弁形成術 胸骨正中切開 右小開胸MICS手術には美容上のみならず, 術後の上肢の運動制限がないという長所もある. 右小開胸MICS
年女性においてはワーファリンの崔奇性を避け るために生体弁が選択されることが多い. 4)機能的僧帽弁閉鎖不全 今回改訂された 2014 年度版ACC/AHAガイド ラインでは,機能的僧帽弁閉鎖不全(functional MR:FMR)を二次性MRとして分けて説明され ており,その手術適応も分けて示されている. FMRにおけるMRの原因は弁自身の異常ではな く,左室拡大に伴う弁輪の拡大,および乳頭筋 の心尖,外側方向への変位によって前尖・後尖 が左室方向へ引っ張られる(tethering)が弁の 接合位置を深くし,弁の接合を少なくし,MRを 起こしていると考えられている(図2).左室拡 大の原因が虚血性心筋症(ischemic cardiomyop-athy:ICM)に伴う場合,これをischemic MR, 左室拡大が拡張型心筋症(dilated cardiomyopa-thy:DCM)による場合をDCM-MRと呼ぶ.手術 としては,人工弁輪を用いて弁輪を縫縮させる restrictive mitral annuloplasty(RMA),開大した 前後乳頭筋間を縫縮するなどの僧帽弁下手術 (図 3)3~5),MVRなどがある.2014 年度版ACC/ AHAガイドラインでは,内科治療抵抗性の重症 FMRに対して僧帽弁手術を考慮することが推奨 されているが(クラスIIa,IIb;手術は妥当,考 慮してもよい),僧帽弁形成術(RMA)とMVR のどちらがよいかに関しては議論が多い.形成 術の利点は置換術と比較して周術期死亡率が低 く,左室リバースリモデリングの点で優れてい ることが,いくつかの論文で示されているが, MRの再発が比較的多く(30%),MRの再発は 生命予後を増悪させるという報告もある.低心 機能(平均EF:40%)重症ICM-MRに対するRMA (弁輪縫縮)とMVRの有用性の比較を行ったRCT (randomized control trial)が最近発表された6).
これによると,術後 1 年での生存率,心関連事 故回避率,左室収縮末期容量で示される左室の 逆リモデリング(左室心筋の回復を意味する) に両者間で差がみられなかった(図4).しかし ながら,そのサブ解析においてはMR再発を認め なかったRMA(弁輪縫縮)群はMVR群より左室 の逆リモデリングは良好であることが示され, RMA(弁輪縫縮)のみでMR再発を起こさない 患者群を選択するための予測因子の検討が行わ 図2 機能的僧帽弁閉鎖不全(FMR)のメカニズム 僧帽弁の牽引: Tethering 僧帽弁の牽引: Tethering 乳頭筋の位置異常 乳頭筋の位置異常 閉鎖作用の減少 閉鎖作用の減少 MR 左室拡大 リモデリングの進行に伴う FMRの発生 FMR Tethering
れている.一方,MR再発を起こしやすいと考え られる症例でRMAに弁下手術を加えるべきか, MVRを選択すべきかはいまだ不明である7). Ischemic MR(IMR)に関しては,中等度以上の IMR( 逆 流 量:RV>30 ml,ERO>0.2 cm2) で も心筋梗塞後の生命予後に影響することが知ら れており,今回の改訂ガイドラインでもFMRの 重症度分類は一次性MRと異なることが示され ている(表 2).最近発表された中等度のIMRに
対する単独CABG(coronary artery bypass graft-ing)とCABG+RMA(弁輪縫縮)の有用性の比較 を行ったRCTでは,術後 1 年での生存率,心関 連事故回避率,心不全症状,左室収縮末期容量 で示される左室の逆リモデリングに両者間で差 がみられなかった8).今後より長期の成績解明 とともに中等度のIMRにおけるRMA(弁輪縫縮) 必要患者を選択するための予測因子の解明が期 待されている. 5)感染性心内膜炎 感染がコントロールされた治癒期において は,弁形成が可能であることも多いので,抗生 物質治療を完遂させたいが,少なからずの症例 が活動期において緊急,準緊急手術の適応とな る.詳細については次項で述べられており,そ ちらを参照いただきたい. 6)重症大動脈弁狭窄症に合併したMR
重症大動脈弁狭窄症(sever aortic valve steno-sis:sever AS)では左室内圧の上昇に伴い,MR の 発 生 を 認 め る こ と が あ る が,2014 年 度 版 ACC/AHAガイドラインでは,他の心臓手術に合 併した重症,中等度のMRに関してはクラスIIa, IIbの手術適応があるとされている.近年,TAVI (transcatheter aortic valve implantation)/TAVR (transcatheter aortic valve replacement)( 経 カ テーテル大動脈弁置換術)が本邦でも急速に増 加する中で,高齢ハイリスク患者の重症ASに合 図3 機能性MRに対する僧帽弁下修復手術
PPM:posterior papillary muscle,LA:left atrium,LV:left ventricle, A:anterior mitral leaflet,P:posterior mitral leaflet
Papillary muscle
approximation Papillary muscletraction Chordal cutting Post-Infarct Chord cut Basal chord cut No MR Improved coaptation RELOCATED PPM TRACTION SUTURE A P LA LV Mitral valve Aortic valve Post papillary muscle Ant papillary muscle Left ventricular cavity Cut left ventricular muscle Pericardial patch (文献3) (文献4) (文献5)
併した機能性MRの対処が議論となっている.
2.僧帽弁狭窄症
1)僧帽弁狭窄症とは MSとは,多くの場合,リウマチ熱に由来する リウマチ性変性により,僧帽弁弁尖,乳頭筋を含 む弁下組織の硬化や,弁尖同士の交連部での癒 合が原因となり,僧帽弁口面積の狭小化が起こ り,左房左室間の血液流入障害を来たす病態で ある.慢性的な左房圧の上昇は肺高血圧やそれ に伴う心房細動,三尖弁逆流,右心不全の原因 となる.治療には弁尖の動きを改善するために開 心によるMVR,交連切開術,カテーテルによる経 皮的僧帽弁交連裂開術(percutaneous transve-nous mitral commissurotomy:PTMC)がある. 2)僧帽弁狭窄症の手術適応2014 年度版ACC/AHAガイドラインにおける
手術適応を表3にまとめた.2008年のガイドラ
インと比較すると,外科手術適応における心不
全症状の程度が以前のNYHA(New York Heart Association) I~IIからNYHA III~IVと重 症 なも のとなっている.また,カテーテルで行われる PTMCの適応も外科手術適応と同じ範疇で書か れており,外科内科協働のハートチームによる 弁膜症治療を反映しているように思われる. PTMCの適応については次項の内科的治療を参 照していただきたいが,外科手術適応はWilkins scoreなどで評価されるPTMCに適さない石灰化 が進行した症例,MR,左房内血栓を伴うPTMC の合併症の起こりやすい症例といえるであろう.
3.弁膜症術後弁機能不全
1)弁形成術後 後尖病変に対する弁形成術は多くの施設から 比較的安定した長期成績が出ているが,前尖病 変に対する弁形成術の長期成績は後尖病変に対 する弁形成術に比べると劣っており,症状の如 何にかかわらず定期的な心エコーによる術後経 過観察が必要である.また,再発MRの程度は 図4 重症ICM-MRに対する僧帽弁形成(弁輪縫縮)と 僧帽弁置換術の比較 術後1年で生存率,心血管事故,左室リモデリングに差を認めなかった. 僧帽弁置換術 30 20 10 0 僧帽弁形成術 死亡率 No. at RiskHazard ratio,0.79(95% CI,0.42-1.47) P=0.45 MV repair MV replacement 126125 116109 3 114 104 6 Months 0 109 103 9 106 101 12
mild程度であっても,人工弁輪に逆流ジェット があたり,溶血のために再手術になる場合もあ る.溶血の程度はLDH(lactate dehydrogenase) の値でスクリーニングし,貧血の進行,溶血に よる腎機能低下を認める場合は再手術を考慮す る必要がある.また,前述した低心機能のFMR に対する人工弁輪を用いた弁輪形成術では,術 後 1/3 近い症例にFMRの再発を認めたという報 告もあり,このような重症例ではreverse remod-elingを維持するために,術後もACE(angiotensin converting enzyme),β-blocker,利尿薬を中心 とした内科的治療は必須である.MSに対する僧 帽弁交連切開術後遠隔期にリウマチ性変化の進 行によりMS/MRとして再発してくる症例があ る.このような症例の多くは高齢者であり,通 常は活動量を自己制限しているためか症状を訴 えないことが多いが,肺炎などを契機に心不全 の急性増悪を示すことがある.したがって,こ のような症例も定期的な心エコーによる術後経 過観察が必要である. 2)人工弁機能不全 生体弁,特に若年者に植え込まれた生体弁は 術後 10 年前後で弁の劣化が起こることが知ら れており,急な心雑音,心不全症状の出現には 注意を要する.定期的な心エコーによる観察を 行い,もし弁の変性が認められた場合は,症状 がなくても速やかに心臓血管外科医に紹介する 必要がある.機械弁は弁自身の耐久性には問題 ないが,血栓またはパンヌス(人工弁縫着部分 から次第に線維組織が増殖し,弁口内に突出し てくる場合がある)による弁機能不全が起こり 得る.機械弁のパンヌス形成による弁機能不全 は緩徐であるが,血栓弁による弁機能不全は急 激に弁狭窄兼閉鎖不全の状態となり,急性左心 不全を発症する.急性左心不全に陥った症例で は緊急で心エコー,弁透視を施行すると同時に 速やかに心臓血管外科医に紹介する必要があ る.2014 年 のACC/AHAガ イ ド ラ イ ン で は, NYHA III~IVの血栓弁,あるいは0.8 cm2以上の 弁血栓には緊急手術が推奨されている(各々ク ラスI,IIa). 著者のCOI(conflicts of interest)開示:本論文発表内容 に関連して特に申告なし 表3 僧帽弁狭窄症(MS)の手術適応(PTMCを含む) 適応 ・PTMC不能な有症状(NYHAⅢ-Ⅳ)の重症MS(MVA≦1.5 cm2)に対する僧帽弁手術 クラスⅠ ・有症状の重症MS(MVA≦1.5 cm2)に対するPTMC (手術すべき) ・他の心臓手術に合併した有症状(NYHAⅢ-Ⅳ)の重症MSに対する僧帽弁手術 クラスⅡ a ・無症状の超重症MS(MVA≦1.0 cm2)に対するPTMC (手術が妥当) ・他の心臓手術に合併した中等度MS(1.6≦MVA≦2.0 cm2)に対する僧帽弁手術 クラスⅡ b ・塞栓症状を伴った重症MSに対する僧帽弁手術+左心耳閉鎖 ・心房細動を伴った無症状の重症MSに対するPTMC ・有症状で運動負荷で重症MSとなる症例に対するPTMC (手術を考慮しても良い) PTMC:経皮的僧帽弁交連裂開術,MVA:mitral valve area (ACC/AHA 2014年度版ガイドラインより改変)
文 献
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