フ ラ ン ス 人 の 憲 法 観 理 解 の た め の 仮 説
黒 田 覚
二 一
三四
五 目次
はしがき
デュヴェルジェ教授の﹁五八年憲法とデモ
クラシーの危機﹂をめぐって
一九六二年の憲法改正
フランス人の憲法観
フランス人の憲法観理解のための仮説(その一)
1ー‑人権問題は憲法問題でないことーー‑
0 ノ 、
七
八 フランス人の憲法観理解のための仮説(その二)
1‑ーフランス憲法における﹁動くもの﹂と
﹁動かぬもの﹂ー
フランス人の憲法観理解のための仮説(その三)ーフランス成文憲法の変化の振幅1
むすび
ーデモクラシーが確立されている︑という
ことー
一はしがき
憲法が︑どのようなものとして受けとられているかは︑国ぐにによってかならずしも同じではないようだ︒これは︑
わたくしが︑一九六二年の秋︑憲法調査会のヨーロッパ調査団の一員として︑二ヵ月にわたってヨーロッパ諸国を歴
訪した際︑痛感したことである︒なかでも︑とくにフランスのそれは︑わたくしの関心をひいた︒ひとつには︑二週
フランス人の憲法観理解のための仮説三
神奈川法学四
間余のパリ滞在中︑およびその直前に︑フランスの憲法政治に関連する︑いくつかの事件があったことに︑よるのか
も知れない︒
事件の一つは︑ド.ゴール大統領が一九五八年憲法第六条・第七条の規定する大統領の間接選挙制を︑憲法第八九
条の憲法改正手続によらないで︑憲法第一一条の規定を利用し︑強引にレフェレンダムに付して直接選挙制に改めた
ことである︒これに対し元老院議長が︑憲法評議会(∩WO口ωΦ一一∩りOコo口曲一一螺一剛Oココ①一)に違憲の提訴をしたが︑憲法評議会は
これを審査する権限をもたないという裁決を下して︑提訴を拒否した︒その二は︑コンセィユ・デタ(∩騨O口ooO団一ユサHW一餌一)
が︑アルジェリi問題に関して︑ド・ゴール大統領が設置した軍事法廷で︑死刑の判決を受けた数名の被告人の提訴
を受けて︑軍事法廷に関する命令(O﹁αOココ山コOO)を無効とする判決を行なったことである︒その三は︑国民議会(一.︾ω‑
︒︒§げま︒密き琶︒)の総選挙が施行されたことである︒これらの事件をとおして︑わたくしは︑フランス憲法の現実
のすがた︑憲法の機能の仕方を体験したわけである︒
(1)われわれの調査団は︑日本国憲法の諸問題について︑学者その他各界の人びとの意見をきいたが︑ここでも︑かれ
らの発言の背後にある︑フランス的な憲法の考え方とか︑デモクラシーの考え方とかを抜ぎにしては︑その真意をと
らえることができなかった︒このようなわけで︑上述の事件についても︑つとめてかれらの意見を聴取した︒その後︑
わたくしは︑これらのすべてをとおして︑フランス的な憲法の考え方を︑もうすこし掘り下げて検討したい︑と考え
続けてきた︒
たまたま︑昨秋︑パリ大学の政治学のデュヴェルジェ教授(竃p・ξ§Uロ︿臼αqΦ﹁)が来朝した︒十月のはじめ︑駿河
台の日仏会館で︑﹁最近のフランス政党の新しい動向﹂に関する講演や︑﹁五八年憲法とデモクラシーの危機﹂に関
するシンポジウムなど︑二回にわたって︑かれをめぐる会合があった︒デュヴェルジェ教授は︑一九六二年にパリで
面会した人びとのなかでも︑とくに関心をひく発言者のひとりであっただけに︑わたくしはその会合に出席した︒こ
れが︑わたくしにフランス的な憲法の考え方について︑本稿をものさせる機縁となった︒
こういうわけで︑まず︑かれの﹁五八年憲法とデモクラシーの危機﹂の内容を考察することから︑出発しよう︒
(1)われわれの調査団は︑直野毅氏︑愛知揆一氏︑松本馨氏と私の四人で構成された︒憲法調査会の﹁日本国憲法の運用の実
際に関する調査﹂の報告書に基づいて︑その要旨およびそこに取りあげられた問題点を英訳したものを︑あらかじめ先方に
送付し︑そのなかでとくに先方の関心のあるものについて︑意見を述べてもらうという方法をとった︒パリで面会したのは︑
デュヴェルジェ︑ゴゲール︑シャプサール︑ビュルドi︑カピタン︑ロングレェ︑アロン︑フィリップ︑アイゼンマンなど
の諸教授︑憲法評議会議長のノエール氏および事務局の人びと︑コンセィユ・デタ副総裁のパロディ氏および事務局長ガジィ
エ氏︑﹁ル・ポピユレール﹂紙の主筆ジヤッケ氏などであった︒
なお︑パリでの会談については︑神戸大学の福地陽子さんに丹念なメモをとっていただいた︒本稿で引用した会談の内容
は︑このメモに負うところが多い︒
ニデュヴェルジェ教授の﹁五八年憲法とデモクラシーの危機﹂をめぐって
デュヴェルジェ教授の発雷内容の要旨は︑次のようなものであった︒
フランスの現体制は︑一見︑デモクラシーと矛盾するようであるが︑やはりデモクラシーだ︑といわねばならない︒
では︑その矛盾とはなにか︒その一は︑ド・ゴール政権の﹁生い立ち﹂についてである︒その二は︑五八年憲法の機構
に関する点である︒まず︑第一の点についていえば︑ド・ゴール政権が一九五八年五月十三日のクーデターの所産で
フランス人の憲法観理解のための仮説五
神奈川法学六
あることである︒これが︑デモクラシーとの矛盾を感じさせる︒しかし︑このような矛盾は︑一九六二年の国民議会
の総選挙でド.ゴール支持政党が勝利を占めたこと︑および一九六五年の大統領選挙で︑ド・ゴール大統領が再選
されたことによって︑すでに解消したものとみられる︒これらの選挙の結果によって︑ド・ゴール政権は国民から
︽蒜αq繭ユヨm二8︾を与えられたからである︒ド・ゴール政権は︑国民によって正当化されたというか︑認知を受けた
というか︑とにかくその生い立ちにまつわる傷はいやされた︒
第二の憲法機構に関する点は︑五八年憲法における︑大統領の権力集中の問題である︒大統領の権限は﹁ほとんど
全能的﹂(皇婁6ヨ巳℃9Φ算)である︒イギリス人はこれを選挙王政だと批判しているが︑しかし︑注意しなければならな
いのは︑このような大統領の権力行使にも︑制約があることである︒首相その他の大臣の選任は︑大統領の自由ではあ
るが政府が国民議会に対して責任をもつことは︑議会制の場合と変らない︒このような仕方で︑国民議会の多数は︑
大統領をも制約することになる︒一九六二年の総選挙の際︑ド・ゴール大統領はド・ゴール支持政党が万一にも敗北
した場合には︑辞任するつもりであった︒ド・ゴールの在任中は︑大統領と国民議会との対立は︑まず予測でぎない︒
問題は︑ド・ゴールに代わる新しい大統領の場合に考えられる︒もし︑新大統領と国民議会との不一致が発生し︑大
統領が権力濫用の手段に訴えるということになると︑五八年憲法におけるデモクラシーの危機が発生するかも知れな
い︒
このような発言内容のなかで︑わたくしは一︑二の点に注目した︒その一は︑かれがド・ゴール体制をデモクラシ
ーとして受けとっていることである︒その生い立ちをめぐる疑惑は︑国民の追認を受けることによって解消したとす
る︑きわめてフレキシブルな態度である︒そのこは︑かれが︑憲法の危機とデモクラシーの危機とを︑いちおう区別
して考えているのではないか︑と考えられる点である︒五八年憲法機構のように︑大統領に国家権力がほとんど集中
された︑権力濫用の可能性の多い構造であっても︑かれはそのこと自体のなかにデモクラシーの危機を発見していな
い︒ただ︑権力の濫用が単なる可能性ではなく︑それが現実性をおびてきた場合に︑はじめてデモクラシーの危機が
あると考えているようにみえる︒この考え方を理解することはなかなかむずかしいことだが︑これは単にデュヴェル
ジェ教授だけの考えではなく︑フランス人に共通したデモクラシi観念なのではなかろうか︒それはむしろ︑デモク
ラシーについての︑フランス人のつよい自信に根ざしていると見られるのではないか︒
こういう考えを︑じつはわたくしは一九六二年にデュヴェルジェ教授に面会したときから︑もちつづけてきた︒か
れにあったのは︑ロンドンからパリに到着した日の翌日の十一月七日で︑パリでの面会は︑かれが最初であった︒ソ
ルボンヌの自宅においてである︒いろいろの問題について対談したが︑そのなかで日本の首相公選論にふれた︒かれ
は第四共和制時代には首相公選論を主張した︒また一九六一年には﹁第六共和制と大統領制﹂(訂≦︒開曾昌一5器Φ二︒
(1)㌫αqぎ︒℃泳ω尉α︒暮Φ一)を著わして︑アメリカ型の大統領制を提唱した︒かれはド・ゴール政治体制の一面を﹁オルレ
アン型の議会制﹂(℃巴①∋Φ気巴ωヨΦ︒ま鋤コ翼︒)と考えている︒政府は︑一方では大統領の信任を必要とし︑他方では
国民議会の信任を必要とするという﹁ぬえ﹂的形態だからである︒しかし︑これをイギリス型の議院内閣制に改める
ことは︑フランスの多元的政党のために不可能であり︑むしろ立法権と執行権とを戴然と区別するアメリカ型の大統
領制のほうが︑フランスには適している︑という主張である︒このように︑かつては首相公選論者であり︑現在は︑
アメリカ型大統領制の主張者であるかれが︑日本の首相公選論をどう考えるか︑というのが質問のねらいであった︒
ところが︑かれの答えはこうであった︒﹁フランスでは︑以上のような制度は必要である︒しかし︑口本で首相公選
フランス人の憲法観理解のための仮説七
神奈川法学穴ノ
制を採用するのは︑どんなものか︒公選制は危険な制度で︑権力濫用の危険性を伴う︒フランスでは︑デモクラシー
が確立されているからよいようなものの︑デモクラシーがまだ確立されているとも考えられない日本では︑むずかし
いのではないか﹂︒
わたくしは︑この回答に興味をもった︒日本における首相公選制の是非はさておき︑かれが︑﹁フランスではデモ
クラシーが確立されている﹂(国島§8噂冨象暮§鉱①Φ︒・二仲9・痔・)と述べた点である︒ここでは︑デモクラシーの確
立は制度的な意味で語られているのではない︒むしろ︑デモクラシーに対して危険性をはらむような制度であっても︑
フランス人ならうまくこれに対処できる︑という意味なのである︒これはフランス人の憲法の考え方・憲法の動ぎ方
を理解するための一つの鍵のように思えた︒
このようなパリでの対談を回想しながら︑駿河台の日仏会館でのデュヴェルジェ教授の話が終った際︑次のように
質問した︒その一は質問というよりも︑次の質問の前置きともいうべぎもので︑フランスではデモクラシーが確立さ
れているから︑たとい憲法的危機が発生しても賢明に解決されると思う︑という意味のものであった︒その二は︑い
まの点は疑いをいれないとしても︑ド.ゴール大統領の一九六二年における憲法改正のやり方や国民の反応の仕方︑
さらに憲法評議会の裁決など︑日本人としてはとうてい理解しがたいものであり︑もしあれが日本においてであった
ら︑あのようなことではすまなかっただろう︑という意味のものであった︒
この第一の質問は︑デュヴェルジェ教授の﹁フランスではデモクラシーが確立されている﹂とのことばをふまえて
のものであったが︑質問の仕方がわるかったのか︑かれはわたくしがフランスではデモクラシーの危機が発生しない
と述べたかのように理解し︑いままでの事例をあげて︑クーデターその他の危機の発生の可能性について述べた︒質
問と答えがくいちがったわけである︒しかし︑このシンポジウムの最後のほうで︑かれがイタリア大統領の間接選挙
制を公選制に改めることの可否について︑イタリァ人から質問をうけ︑イタリアではフランスとちがってデモクラシ
ーが確立していないから危険だ︑と答えたと述べていた︒これによると︑﹁フランスではデモクラシーが確立されて
いる﹂というのは︑かれの持論でパリの会談の際の発言は︑一時的な思いつきでないことを知ったわけである︒
さて︑第二の質聞についてのかれの答えであるが︑これはわたくしの予想したとおりのものであった︒それを述べ
るまえに︑わたくしが一九六二年にパリで体験した︑ド・ゴール大統領の憲法改正をめぐる諸状況について語ること
とする︒
(1)デュヴェルジェ教授の首相公選論については︑一九五八年の︽dΦヨ巴P冨図曾昌一5賃o︾がある︒なお︑一九六一年の
﹁第六共和制と大統領制﹂については︑﹁立教法学﹂(爵九六三年︑五号)に宮沢教授の紹介がある︒
三 一 九 六 二 年 の 憲 法 改 正
ド・ゴール大統領の憲法改正に対して諸種の批判や反対があったことは︑パリに着く以前の三週間のイギリス滞在
中に承知していた︒イギリスの新聞が大きく取りあげていたからである︒だが︑十一月六日パリに着いてみると︑案外
メトロに平穏だった︒地下鉄のどこかの駅の入口の壁に︑反ド・ゴールの記号のようなものが落書してあるのを一つ見たく
らいで︑その他は︑﹁なんら異状なし﹂という有様である︒ド・ゴール大統領のやり方が︑違憲の疑いの多いもので
あっただけに︑もっと別の状況を想像していたわたくしは︑いささか拍子抜けがした︒フランス人は︑憲法をどう考
えているのか︑フランスのデモクラシーとはなにか︒こういう疑問をいだいたのであった︒
フランス人の憲法観理解のための仮説九
神奈川法学一〇
まず︑ド・ゴール大統領の憲法改正手続の問題点について︑すこし立ち入って述べよう︒五八年憲法第八九条によ
ると︑憲法改正発議は︑首相の提案に基づく大統領︑および国会議員に競合して属している(一項)︒そして改正案は
両議院で可決されたのち︑レフェレンダム(同①hΦ吋①口傷ロゴP)によって国民の最終の承認を経ることになっている(二項)︒
すなわち︑憲法改正は︑国会の議決とレフェレンダムの二段階にわたる方法がとられる︒この点は︑日本国憲法第九
六条とおなじである︒ところが︑ド・ゴール大統領は憲法第六条・第七条の改正を第八九条の規定によって行なうこ
とを回避したのである︒大統領選挙を問接選挙から直接選挙に改めることは︑当時︑両議院で反対が多かった︒正規
の改正手続をとって国会に提案するのでは︑成算がないと考えられたようである︒そこで︑憲法第=条が登場する︒
これは︑﹁大統領は︑会期中︑官報に掲載された政府の提案または両議院の一致した提案に基づいて︑公権力の組織
に関する法律案を︑レフェレンダムに付することができる﹂((冨℃詠ω随αΦ三紆冨幻曾虻げ音仁ρω霞竃︒℃︒ω三︒昌薮
08︿Φ苫①ヨΦ三℃Φ巳塁け一〇含HσΦ牙ωω窃︒︒δ易雲ω罎嘆o℃o︒・三〇ロ8且o一暮Φ号ω自①̀区器ωΦ∋σ一伽ΦP薯σまΦω雲﹄oロ3巴σB9Φ一}
需三ωo仁ヨΦ葺Φ窪器{興信コ含ヨ8暮寓︒U2号§℃︒﹃冨暮ω霞一︑︒蹟睾君二〇コ号ω宮暑︒器O昌野ρ・‑⁝⁝)としている︒こ
の規定が憲法第六条・第七条の改正に利用されたわけである︒
十月二日に︑この憲法第一一条の規定によって政府の名において大統領に対して︑﹁普通選挙による大統領選挙に
関する法律案﹂(冨實︒蒼9ζ聴Φ翼一h妙一.簿鼠︒コ曾℃泳ω幕旨鳥¢冨幻曾昌一5琴磐ω養冨σqΦ¢乱く臼ωeをレフェレンダ
ムに付する提案がなされ︑同日︑ド・ゴール大統領によってこの法律案をレフェレンダムに付する旨の統令が発布さ
れた︒このレフェレンダムは十月二十八日に施行されたが︑この日までのあいだ︑ド・ゴール大統領はしばしばラジ
オおよびテレビによって︑大統領の選挙方法を改正する必要を国民に訴えた︒現在の大統領選挙の方法は︑かれ自身
に関する限りなんら痛痒を感じるものでないが︑かれに代る新しい大統領の選挙については不適当であって︑改正の
必要があること︑﹁もし︑レフェレンダムによってこの改正が承認せられない場合には︑大統領を辞職するであろう
こと﹂を述べたと伝えられている︒わたくしがパリであったパリ大学のある教授は︑この最後の点について︑ド.ゴ
ール大統領が﹁レフェレンダムをプレビシイト(o示ぼ︒・︒箒)にすりかえた﹂と憤慨していた︒法律案に対する国民投
票としてのレフェレンダムに︑ド・ゴール大統領に対する国民の信任投票としての役割をもたせたというのである︒
こうして︑ド・ゴール大統領の退任をのぞまないかぎりは︑国民はこのレフェレンダムに﹁賛成﹂の一票を投ずるほかは
なかったのである︒開票の結果は︑棄権二四%︑有効投票中賛成六二%︑反対三八%であった︒改正案は承認された︒
レフェレンダムは︑ともかくも無事にすんだ︒しかし︑憲法改正方法の違憲性の問題は︑その後もくすぶった︒元
老院(一Φω曾無)の議長は︑憲法改正手続の違憲性について憲法評議会(O︒コω.二〇︒ロ馨ぎ♂ロロΦ一)に提訴した︒ちょう
どわれわれがパリに到着した十一月六日に︑憲法評議会はこの提訴につき裁決している︒憲法評議会は九名の評議員
によって組織され(五六条)︑諸種の権能をもつが︑憲法第六一条第一項によれば﹁組織法(一︒剛ω︒﹁αq・︒鵠5亘︒ω)はその審
署の前に︑⁝⁝⁝憲法評議会に付託されねばならず︑憲法評議会はその合憲性について裁決する﹂ことになっている︒
そして同条第二項は﹁同様な目的のために︑法律は︑その審署の前に︑大統領︑首相または両議院のいずれかの議院
の議長により︑これを憲法評議会に送付することができる﹂としている︒そして違憲と宣せられた条文は︑審署する
ことがでぎず︑また施行することができないのである(六二条)︒元老院議長はこの第六一条第二項に基づいて提訴し
たのであるが︑憲法評議会の裁決は︑これについての判断を拒否した︒憲法評議会は︑このような問題について裁決
する権能をもたないというのである︒裁決理由書の要旨をひろってみると︑次のようである︒
フランス人の憲法観理解のための仮説一一
神奈川法学一二
﹁憲法評議会の権能は︑憲法並びに憲法評議会に関する}九五八年十一月七日の組織法の諸規定によって厳格に制
限されており︑そこに規定された事項以外には及ばない︒憲法第六一条は︑憲法評議会に組織法並びに一般の法律の
合憲性の審査を認めてはいるが︑憲法評議会を公権力の諸活動の規整機関とした憲法の精神からみて︑憲法が第六一
条によって審査することを認めたのは︑国会が議決した法律だけであって︑レフェレンダムの手続によって国民によ
って採択され︑国民主権の直接の表示を形成する法律ではない(⁝⁝9ロ80︒葺8一一窃呈rβ︒号艮傘︒︒冨二Φロ︒唇一︒巴9
︒︒巳8創.§器h興Φコαロ§鳩8器藻二Φ三一げ×鷲霧︒・δロ象器︒け①紆冨︒︒o¢︿興9︒ぎΦま口讐一〇コ巴Φ・)︒このような解釈は︑レフェレンダ
ムに関する憲法評議会の役割ーレフェレンダムの適法性の監視︑その結果の報告ーを規定する憲法第六〇条︑お
よび国民による法律案の採択と大統領の審署との中間になんらの方式をも用意していない憲法第一一条からもまた導
きだすことができる﹂︒
要するに︑憲法評議会の裁決は︑ド・ゴール大統領が憲法改正案を直接にレフェレンダムに付したことの合憲性な
いし違憲性にはなんら言及していない︒主権者たる国民が︑レフェレンダムによって直接に表示した意思については︑
憲法評議会は審査の権能がない︑というのであった︒
さて︑われわれがパリで面会した教授たちのなかには︑この憲法評議会の裁決に言及した人びとがあった︒その要
点をメモから引用して見よう︒
シャプサール教授(一・O訂富四一)この事件について憲法評議会が権限をもつというのは法学者の意見である︒と
くにゴゲール数授(曾oq自Φ一)がこれを主張した︒十一月八日1
ちなみに︑ゴゲール教授は元老院事務総長であるが︑十一月七日に面会したとぎは︑とくにこの問題に言及するの
を避けていたようであった︒
アロン教授(幻.﹀﹃8)最近のレフェレンダムについては︑大部分のひとは違憲だと考えた︒憲法改正案はレフ
ェレンダムに付する前に︑両議院によって可決されねばならない︒ド・ゴール大統領はこの手続をふまず︑直接にレ
フェレンダムに付したので︑元老院議長が提訴したわけだが︑憲法評議会はそれに関して審査する権限がないと裁決
した︒これはまったく遺憾なことだ︒憲法評議会は︑無効と裁決すべぎであった︒無効とすべぎだとの意見は評議員
のなかにも何人かあった︒‑十一月十四日1
われわれが︑憲法評議会を訪れた際にも︑この問題についてきいた︒かなりコンフィデンシャルな内容なので︑発
言者名は省略する︒
憲法評議会事務局憲法評議会はレフェレンダムの準備に対する権限をもつ︒政府の諮問に対して簡単な助言を
与え︑レフェレンダムの施行日や条件を定める︒五八年憲法下では︑大統領は統令の草案や法律案を発表前に憲法評
議会に送付して合憲性について諮問する慣行になっている︒最近のレフェレンダムの場合もそうであった︒これにつ
いて︑憲法評議会は違憲だとの意見を述べた︒もっとも︑このような意見は︑政府を拘束しない単なる意見(鋤く剛ω臨暑一①)
ではあるが︒意見は一般に公表されないことになっているが︑こんどの場合どうしたことか︑それが外部にもれてし
まった︒憲法評議会は︑またレフェレンダムの実施を監督し︑レフェレンダムの結果を発表する︒最近のレフェレン
ダムでは︑実施についてなんらの不正も認められなかったが︑レフェレンダムそのものの違憲性について元老院議長
から提訴があった︒この提訴については憲法第六一条の規定に基づいて裁決しなければならなかったが︑レフェレン
ダムによって国民に採択された法律の違憲性を審査する権限はないという結論に達した︒われわれには他にとるべき
フランス人の憲法観理解のための仮説一三
神奈川法学一四
手段がなかったのである(Z︒岳器℃︒呈ぎω冨ω一①{葺Φ窪幕ヨ︒暮)︒なお︑第六一条をレフェレンダムに適用したの
は︑憲法上はじめての試みであった︒ー十一月十三日︑憲法評議会において
また︑次のような発言もあった︒
憲法評議会事務局国会で議決された法律なら憲法評議会は審査できるが︑レフェレンダムによって国民が直接
採択した法律の違憲性を問題とすることはできない︒これは憲法評議会が国会の権限を抑制するためにつくられた機
関であるとともに︑レフェレンダムによる法の違憲性が憲法評議会に申し立てられるなどとは︑全然予見されなかっ
たことだからである︒憲法が成立後まだ若いせいもあるが︑これはたしかに抜け穴(茸Oに)だといわねばならない︒
しかし︑現行憲法下ではレフェレンダムに付する以前ならともかく︑すでに終った後ではいかんともすることができ
ないのである︒ll翌十一月十四n︑同じく憲法評議会においてー
ここで︑この問題について駿河台の日仏会館でデュヴェルジェ教授が︑わたくしの質問に答えた要旨を述べよう︒
﹁元老院は保守的勢力の大きいところなので︑元老院議長が憲法評議会に対してあのような提訴をしたわけである︒
憲法評議会は︑レフェレンダムによって直接に表示された国民の意思を審査する権能がないので︑この提訴を拒否す
る裁決をしたわけである﹂︒パリであった諸教授のなかには︑憲法評議会はこのような問題についても審査の権能を
もち︑違憲の裁決をなすべぎであったとの意見があったことは︑すでに述べたところだが︑この点についてのかれの
意見は︑憲法評議会と同じである︒わたくしが︑さきにかれがこの問題についてどのような答えをするかを予想して
いた︑と述べたのはこの点である︒というのは︑パリでかれにあったのちに︑かれが憲法評議会はこの問題について
審査の権能をもたないとの意見を表示していたことを他の教授からきいていたからである︒わたくしが日仏会館で知
りたかったのは︑かれがド・ゴール大統領のとった方法をどのように考えているか︑という点であったが︑これにつ
いては︑違憲であることを認めていた︒﹁ド・ゴール大統領が︑デモクラシーの実現のために︑非デモクラシ!的方
法をとったことは認める﹂というような︑表現方法においてではあったけれども︒
四 フ ラ ン ス 人 の 憲 法 観
ド・ゴール大統領の憲法改正のレフェレンダムが︑デュヴェルジェ教授のいうように﹁非デモクラシi的﹂ではあ
るが︑﹁デモクラシーの実現のため﹂のやむを得ない行為として国民の積極的支持を受けたのか︑それとも国民がこ
のレフェレンダムをド・ゴール大統領に対する信任投票lープレビシイトとして受けとることをよぎなくされ︑
大統領の退任を望まないかぎり︑賛成票を投ずる以外に方法がなかったのか︑これにはいろいろ議論のあるところで
あろう︒ただ︑パリでの印象からいえば︑どうも後者だったように思われる︒しかし︑ここでは︑前者か後者かをし
いて問題とする必要はないだろう︒その態度に積極的・消極的の差があるにしても︑けっきょく国民が︑違憲の手続
による憲法改正を承認したことには変りがないからである︒ここで間.題としたいのは︑﹁はしがき﹂に述べたとおり︑
このような問題をとおして︑フランス人の憲法の考え方を掘りさげて考察することである︒
これにはいろいろな角度からのアプローチが可能であろう︒デュヴェルジェ教授のいわゆる﹁フランスでは︑デモ
クラシーが確立されている﹂という自信が︑逆説的ではあるが︑かえって憲法改正問題について国民にあのような態
度をとらしめたということも︑十分に考えられるところである︒また︑このような自信がフランス人の憲法の考え方
一般に影響を与えているのではないか︑ということもありそうなことであるが︑ここでは︑まず一応この点から離れ
フランス人の憲法観理解のための仮説一五
神奈川法学二・ノ
て︑パリで面会した人びとの憲法観というようなものを述べることとする︒
ω憲法は不磨の大典ではないこと成文憲法が永久不変のものでない︑という考えがフランス人に共通して存
在しているように思われる︒これはフランスの憲法史からも容易に想像できることだが︑ここにはシャプサール教授
のことばを引用する︒陛憲法というものは永続するものではない︒これはマグナ・カルタではなく︑ある=疋の時点
における政治権力関係を法典化する道具(毒一・ω9ヨΦ暮号冨︒︒瓢5︒註睾山窃冨暑自仲ω臼ωh︒§ωo︒一三呈①ωΦコヨ︒ヨΦ三
号コ蕃)である︒誰もこれが長く続くとは考えていない﹂︒
②憲法は短くあいまいであるべきこと憲法は簡約であるべきだ︑というのがフランス人に共通した考えであ
るように見える︒これは日本国憲法の規定方法に対する批判のなかで︑多くの人びとによって述べられた︒
デュヴェルジェ教授は︑日本国憲法はあまりに多くの事柄を規定し︑詳しくなりすぎているとし︑﹁ナポレオンは︑
憲法は︽短くてあいまい︾(OO口﹁件ΦO叶〇一∪㎝〇一﹂﹁Φ)なのがよいと述べたが︑自分は短くて︑明瞭なのがよいと思う︒憲法
には細目にわたる問題(名︒呂8ω霞宮葺︒・9島価仲巴)と一般的な問題(o器ωけδづ︒︒ξ℃9艮ω勧q伽コ酔窪×)とがあるが︑憲
法は後者のみを規定することとして︑前者は組織法(一9︒お卸吾ロ︒)に委ねたほうがよい﹂と述べた︒
アロン教授は次のように述べた︒﹁ナポレオンは︑憲法は短くてあいまいなのがよいと述べたが︑一九五八年の第
五共和制憲法は︑長くてあいまいだ︒あいまいな点は大統領と首相との関係である︒それはさておき︑一般的にいっ
て︑柔軟で弾力的なところのある憲法をもつことはよいことである(一一①段げ︒コα︑碧︒ヰ=コΦ8づ︒︒藻呂︒・Ω三脚∩①二蝕霧
ロoぎ仲︒・︒︒o唇冨ω9二Φ惹三〇ω噌)﹂︒
アンドレ.フィリップ教授(︾.勺匪首)は︑日本国憲法の印象として︑次のように述べた︒﹁自分の一般的印象か
らいえば︑憲法というものはより短く︑よりあいまい(三塁8ξ陣Φ①ε訂く・σ・器)であるほうが︑常によいというこ
とである︒そして最高裁判所が必要に応じて解釈をもってそれを補うようにすればよいL︒
コンセィユ.デタ(ムGO口ω①一一畠博MW仲叫梓)の副総裁パロディ氏(︾・℃霞︒α陣)は︑次のように述べた︒﹁︑フランス憲法は常
に簡単病︑ある︒憲法は簡単であいまい(ω一暑一Φ9爵αq器)であるべきだといわれるが︑あいまいであるとともに極め
て明確(鼠ω嘆盆︒︒Φ)でなければならない︒しかし︑またあまりに完全に規定してしまうと︑どうしてもそれらを適
用しなければならなくなる(ω写︒器騨く①ΣΦ︒︒准αq蕾8鴬3聾gぎ冨ρ<︒¢︒・︒・①HΦN︒げ鵠σq伽︒︒処2①器豊5・︒磐)︒やはり
一応例外的の場合を予見した規定方法をとるべきである︒この意味では︑憲法には常に柔軟性(ωoξ蕾︒︒①)が必要で
ある﹂︒
このように︑フランス人は成文憲法を︑永久不変のものとは考えていない︒また成文憲法には柔軟性が必要である
ことが︑強調されている︒これらの意見が︑フランスの成文憲法の変転きまわりない歴史の教訓からきていることは︑
いうまでもなかろうが︑それ以外にも考えてみなければならないいくつかの点があると思う︒
これから述べる点は︑フランス人の憲法観を理解するための︑わたくしの仮説と考えていただきたい︒
五
フランス人の憲法観理解のための仮説(その一)‑人権⁝問題は憲法問題でないことー
フランスでは︑憲法間題は政治の問題︑とくに執行権と立法権との関係の聞題に限定されており︑人権問題はもは
や憲法間題ではないようにみえる︒
フランス人の憲法観理解のための仮説一七
神奈川法学一八
一九四六年の第四共和制憲法の前文は︑一七八九年の人権宣言を再確認するとともに︑社会的聴本権その他の諸権
利をあらたにつけ加えたが︑五八年憲法の前文は︑この四六年憲法の前文を前提して﹁︺七八九年の人権宣言によっ
て定められ︑一九四六年憲法の前文によって確認され補完された人聞の権利と国民主権の原理への愛執﹂を宣言して
いるにとどまっている︒このことから︑日本の学界では国民の権利・自由に対する熱意において︑五八年憲法は︑四
六年憲法よりも後退しているとの見方もあるようだが︑これはフランス人の受けとり方とちがっているようにみえる︒
デュヴェルジェ教授は駿河台の日仏会館で︑国民の権利・自由の問題はフランスでは法律によってすでに解決ずみで
ある︑という意味のことを述べていたが︑これはこの間の消息を物語っているといえよう︒なお︑コンセィユ・デタ
の行政裁判所的機能が︑行政権による国民の権利・自由の侵害に対する防衛としての役割をはたしている点も︑見の
がし得ないであろう︒シャプサール教授は︑﹁人権の間題は︑フランスでは法文によってよりも判例で強く保護され
ている︒とくにコンセィユ・デタの判例によってである︒したがって︑人権の保護は︑判例法(紆︒一こ&一︒巨器)プラ
ス法文(g簿Φ)によって行なわれている﹂と語ったが︑このようにコンセィユ・デタの存在が︑人権保障の現実化に
大ぎな意味をもち︑人権の問題は︑成文憲法の変遷にかかわりのないものになっている︒
コンセィユ・デタに対するフランス人の信頼は大ぎい︒パリに滞在中︑憲法評議会についてはとかくの批判をぎい
たが︑同じようなことは︑コンセィユ・デタについてはまったくなかった︒ちょうど︑憲法評議会が憲法改正のレフ
ェレンダムについて裁決を下してから問もない十一月十九日に︑コンセィユ・デタが重大な行政判決を下した︒この
ような二つの事件があっただけに︑いっそう憲法評議会とコンセィユ・デタとの比較が話題となったわけである︒
コンセィユ・デタの判決は︑きわめて勇気のある判決であった︒これはコンセィユ・デタに対する国民の伝統的な
信頼感を裏書し︑さらにそれを高めたようである︒これは﹁はしがぎ﹂にも述べたとおり︑アルジェリー問題に関し
て軍事法廷を設置した大統領の命令(O搬(一〇コゴ[四コOΦ)を無効としたものである︒その大略は︑次のようである︒
レフェレンダムによって制定された一九六二年四月十三日の法律第二条は︑アルジェリー問題の解決のために命
令(O同儀Oコゴ﹁餌コ0㊦)または統令(象︒器仲)によって立法措践ないし規則制定措置をなしうる権能を︑大統領に与えた︒こ
れに基づいて︑ド・ゴール大統領は︑一九六二年六月一日に軍事法廷(¢詫8ξヨ崇琶機Φ匹Φ一信︒,甑∩Φ)を設置する命令
を制定した︒この軍事法廷で死刑の判決を受けた五名の者が︑コンセィユ・デタに出訴して救済を求め︑この命令の
無効を主張したというのが︑この事件の発端である︒この出訴については︑法務大臣・陸軍大臣が︑コンセィユ.デ
タには受理の権能がないとの異議の申立てをするというような一幕もあった︒
十一月十九日のコンセィユ・デタの判決は︑両大臣の申立てを拒否し︑コンセィユ・デタがこの命令を審査する権能
を有する法的理由を述べたのちに︑この命令には︑軍事法廷の判決に対する二切の上訴手段の排除﹂(一︑.区︒一︑ωμ︒コ
脅8導︒︿︒陣Φ号器8耳ω)がみられ︑これは四月十三日の法律第二条によって与えられた﹁委任の限界を越えるもの﹂
であって︑その﹁違法﹂性は否定できないと述べ︑命令の無効を宣告したのである︒
この例にも見られるように︑コンセィユ・デタの行政裁判は︑人権保障の現実化のために大きな役割をはたしてい
る︒デュヴェルジェ教授のいうように︑国民の権利・自由の問題が法律で解決ずみであることと︑コンセィユ.デタ
の行政裁判が行政権の侵害から国民の権利・自由を防衛していることによって︑フランスでは︑人権聞題はもはや憲
法問題ではない段階にきている︑と考えられる︒
フランス人の憲法観理解のための仮説一九
神奈川法学ご○
0 ノ 、
フランス人の憲法観理解のための仮説(その二)
フランス憲法における﹁動くもの﹂と﹁動かぬもの﹂ーー
フランス憲法は︑よく変るものの標本のように考えられている︒外国人はもちろん︑フランス人じしんもそう思っ
ている︒たしかに︑よく変る︒
しかし︑フランスには︑成文憲法の変化にもかかわらず︑本質的な影響を受けないで︑生きつづけている憲法制度
もあることは︑見のがせないところである︒コンセィユ・デタは︑その顕著な一例である︒
コンセィユ.デタは︑共和暦八年(一七九九年)に︑ナポレオンによって創設されてからこんにちまで︑1その間︑
いろいろな消長があり︑とぎには中断されたこともあるがー1ともかくも存続してきた︒かつて︑オーリュウ(羅鼠︒ε
が︑﹁コンセィユ.デタは︑政府の良心として︑政府に助言をあたえ︑政府の行政行為を裁判する﹂(∩︒霧¢二兜更帥f
8ヨ∋①冨68︒︒︒同窪8皆σq言くΦ簑Φ∋①夢血︒呂①冨68ω巴ω︒︒口αq︒薯Φ;①ヨ6暮2﹂=αqΦ一.碧什凶8巴∋慧曾鑓薯Φ飢¢ひq︒ロく興器ヨ①ー
コεと述べたというが︑このコンセィユ・デタについて︑一八七五年以後の諸憲法が規定しているところは意外にす
くない︒
一八七五年の憲法ー正確にいえば︑公権力の組織に関する↓八七五年二月二十五日法第四条11:は︑コンセィユ
.デタ評議官(()OコωΦ一}一Φ同ω胤噂︼四け帥什)の任命・罷免の力法について︑かなり詳しい規定をしているが︑これは一八七〇年
九月から一八七二年六月にかけてコンセィユ・デタが廃止されていたという事情によるものである︒
四六年憲法は︑第三〇条で大統領がコンセィユ・デタ評議官を任命する︑と規定するだけである︒五八年憲法では︑
第二二条にこれと同様な規定がある︒その他︑第三七条・第三八条によって新たに大統領に認められた権能の行使に
ついてはコンセィユ・デタの意見を徴することになっている︒また︑第三九条は政府提出の法律案についてコンセィ
ユ・デタの意見を徴することを規定している︒これらの三ヵ条の規定は︑コンセィユ・デタの権限の一部にふれてい
るが︑コンセィユ・デタの権限は︑これだけに限定されているわけではない︒このように︑一八七五年以後の諸憲法
(1)には︑コンセィユ・テタについて断片的な規定があるだけで︑その全容を示すような規定は存在しない︒とくに︑こ
れらの成文憲法が︑いずれもコンセィユ・デタの行政裁判所的機能について一言もふれていないのは︑ふしぎなくら
いである︒
このような規定方法は︑異例のものかも知れない︒五八年憲法は︑憲法評議会については︑とくに第七章を設け︑
第五六条ないし第六三条で︑その組織・権限について詳細に規定し︑さらに第七章外の第三七条・第五四条にもその
権限について規定していることと比較すると︑両者の規定方法のアンバランスが顕著である︒どうしてなのか︒おそ
らく︑憲法評議会が新しい制度であるのに反して︑コンセィユ・デタはむかしからの制度だ︑という以外に︑理由を
発見することはでぎないであろう︒コンセィユ・デタは︑個々の成文憲法をこえた存在なので︑改めて詳細に規定す
るまでもない︑ということになるのであろうか︒
こういうところに︑フランスの成文憲法の規定方法の特色があるのではないか︒成文憲法が︑その国の憲法の全部
ではないことは︑どこの国についてもいえるかも知れないが︑フランスの場合には︑そこになにか一般とはちがった
ものがある︒フランスでは︑璽要な制度の全部が成文憲法に顔を出すとはかぎらない︒むしろ︑新しい制度︑改正さ
れた制度が成文憲法の表面に出てくる︒古くからの制度︑本質的な改正をうけない制度は︑どれほど重要なものでも︑
フランス人の憲法観理解のための仮説一=