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租税法律主義の再考 ― 「租税立法権制約の基本原理」の提唱 ―

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(1)

1.はじめに

 「『租税』とは,国または地方公共団体が,そ の経費に充てる目的で(特別の給付に対する反 対給付としてではなく)強制的に徴収する金銭 をいう」[宮沢

1978

:

710]と定義されてきた。

国民は国家を構成する一員であり,国家の活動 経費を負担することは自明の理であると考える 以上,国民は,その負担を支える正当性そのも のを深慮することなく,誰の・どの財産から・

いくら負担させられるのかと思案を巡らすばか りである。他方,国家は自らが財産を持たない 無産者(租税国家)であり,自らの活動経費を 受益者である国民に負担させることは自明の理 であると考える以上,国家は,その負担を課す 国民の生命・自由・財産への権利侵害を深慮す ることなく,誰の・どの財産から・いくらまで 負担させることができるのかと思案を巡らすば かりである。そのため,国民と国家は自らの生 存の糧である財産あるいは財産権の領分を巡る せめぎあいに終始し,収拾がつかない。そこで 双方は,そのジャッジを日本国憲法30条及び84 条の租税法律主義に委ねるのが妥当であると考 えるであろう。なぜならば,「国民の側からは,

公権力の無制限な行使により,財産権が恣意に 侵されないため,国家の側からは,自ら満足す る範囲と限度とを,それぞれ法秩序の上で保障 しようとする。それが,租税法律主義の立場で ある」[上野

1971

:

463]と解するからである。

しかし,憲法に租税法を創設する根拠条文が置 かれ,憲法を拠り所として租税法の違法性や不 当性を裁判所に訴えることはできても,国民の 総意の現れともいうべき法律の定めの有無に重 点が置かれ,違憲立法審査権を有する最高裁判 所の判例においても,国家がどのような税を国 民に課すことができるのかは,原則的に国会の 広汎な裁量的判断に委ねられているという現状 である(最大昭60・3・27民集39・2・247)。

これでは,租税法律主義は「税ありき」という 考えを前提に「租税法が在りさえすれば,国民 に税を負担させることができる」という「租税 法律実在主義」であると解され,あくまでも国 家は国民の財産を収奪し続ける―― 国民は国 家によって財産を収奪され続ける ――ことを 前提とする原則でしかない。つまり,租税法律 主義は,国民が国家から財産を収奪されない防 御とはなり得ないと考える。

 本稿では,国民の自由権的財産権を保障する

*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程4年(指導教員 後藤光男)

論 文

租税法律主義の再考

― 「租税立法権制約の基本原理」の提唱 ―

片 上 孝 洋

(2)

ためには,従来の租税法律主義論にすがるだけ では薄弱な論拠にしかなり得ないという視座か ら租税法律主義の再考を試みる。

2.憲法学の姿勢

 日本国憲法は下位の法令のあり方を決める最 高法規である。しかし,憲法学は,憲法を支え る基本原理を吟味した上で,憲法に租税法律主 義の原則が内包されている根源的な意義を依然 として解釈していないように思える。憲法を支 える基本原理が天皇主権から国民主権へ,天皇 の恩恵的権利の保障から国民の基本的人権の保 障へと劇的な変化を遂げたと解しても,大日本 帝国憲法(以下,「明治憲法」という。)での租 税法律主義の解釈そのものは日本国憲法におい ても適用しうる余地があると考える。ある意 味,租税法律主義は憲法を支える基本原理に左 右されない堅固に確立された原則であると理解 すれば,憲法学は国民の自由権的財産権を保障 するために憲法30条及び84条の租税法律主義に すがるだけでは薄弱な論拠にしかなり得ない。

他方,われわれが租税法律主義を解釈する際 に,国民の権利を制限し義務を課す租税法に反 映させるべき憲法を支える基本原理を曲解して いるにすぎないと理解すれば,その曲解を解く ことにより,租税法律主義は課税から国民の自 由権的財産権を保障するための真に盤石な基本 原則となり得るであろう。

 このような主張に対して,日本国憲法は租税 に関する二つの根拠条文を有し,これらの条文 が「法律の定めるところにより」(30条),「法 律又は法律の定める条件による」(84条)と明 言している。このことのみを論拠として,文言 通り国民の総意の現れともいうべき「租税法が

在りさえすれば,国民に税を負担させることが できる」と解釈することは,数多ある法解釈の 一つに則ったものであり,決して憲法を曲解し ていないという見解もあり得るであろう。しか し,この見解では,国法秩序の下位にある法律 で「單に國の權力に制限を加へることによつ て,國民が反射的に,權利が保障せられるとい ふことを意味するだけの問題であつて,國民 の權利そのものを保障する」[安澤

1952

:

223]

という日本国憲法「第3章

国民の権利及び義 務」の趣旨に合致しないであろう。憲法30条及 び84条の存在そのものが国民の権利を保障する ことに資するのではなく,むしろそれを阻害す る余地を残していると解すれば,憲法起草者 は,日本国憲法の制定経過において,一層の事,

これらの条文を消除したほうが良かったであろ う。あるいは,憲法を改正する機会に恵まれた 際に憲法30条及び84条を消除するか,これらの 条文に取って代わるべき新たな条文を検討する こともあり得るであろう。しかしながら,現に 憲法30条及び84条は日本国憲法に置かれている 以上,これらの条文に込められた真の意義を見 出すことが現実的な喫緊の課題であろう。

3.租税法律主義論の継承

 租税法律主義の条文は,明治憲法にも日本 国憲法にも存在する。臣民の側から明治憲法 は「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義 務ヲ有ス」(21条)と規定し,国民の側から日 本国憲法は「国民は,法律の定めるところによ り,納税の義務を負ふ」(30条)と規定してい る。そして,歳入面から,明治憲法は「新ニ租 税ヲ課シ及税率ヲ変更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定 ムヘシ」(62条1項)と規定し,日本国憲法は

(3)

「あらたに租税を課し,又は現行の租税を変更 するには,法律又は法律の定める条件によるこ とを必要とする」(84条)と規定している。形 式的な外形のみを見れば,新旧憲法におけるこ れらの条文の文言そのものは大きく変わってい ないと言っても過言ではないであろう。ここか ら,明治憲法の下で租税法律主義の条文の定形 と解釈方法が確立され,日本国憲法の下でもそ れらを踏襲する,あるいは逸脱しない姿勢がわ れわれに求められているのか,それとも,明治 憲法の下で租税法律主義の条文の定形のみが確 立され,新旧憲法の下でその条文をどのように 解釈するのかは解釈する者に委ねられていると 考えるのか(1),という問題が生ずる。

 この点について,美濃部達吉は,84条は「舊 憲法に定められて居たのと同様であつて,租税 法律主義の原則と稱することが出来る」[美濃 部

1952

:

342]という見解(2)を示している。明 治憲法における租税法律主義の解釈そのものは 日本国憲法においても適用しうる余地があるこ とは,条文の形式的な外形のみならず,美濃部 の見解からも察することができる。他方,北野 弘久は,「日本国憲法の租税法律主義の条項は,

……外形的には明治憲法のそれとほぼ同じもの になっているが,かたちは同じであってもその 法的中身を違うものとして構成することが可能 である。もともと明治憲法の法的構造と日本国 憲法の法的構造はちがっているので,新しい法 的構造(日本国憲法)のもとにおいての租税法 律主義は,それにふさわしいものとして法理論 的に構成される必要がある」[北野

2007

:

114]

という見解を示している。

 そこで,両者の見解を受けて,明治憲法と日 本国憲法における租税法律主義論の同異を考察

する。

(1)憲法学における租税法律主義

 「租税法律主義という用語は,明治憲法のも とにおいてわが国の公法学者が採用してきたも のである。……現行憲法のもとにおいても,租 税法律主義の用語が一般的である」[忠

1979

:

1]。この記述から,明治憲法の下での租税法律 主義は日本国憲法の下でも通用することが読み 取れるであろう。

 そこで,まず,新旧憲法における租税法律主 義の定義を確認する。明治憲法の下において,

「新ニ租税ヲ課シ及税率ヲ變更スルハ法律ヲ以 テ定ムルヲ要ス,之ヲ租税法律主義ノ原則ト謂 フコトヲ得」[美濃部

1932

:

589]とし,「租税 法律主義ノ原則ハ唯國家ノ統治權ニ基キ強制的 ニ人民ニ金錢上ノ負擔ヲ命ズルニハ法律ノ定ヲ 要スルコトヲ示スモノ」[美濃部

1932

:

592]で あると定義されている。他方,日本国憲法の下 において,「租税の新設および税制の変更は,

法律の形式によって,国会の議決を要するとな し,いわゆる租税法律主義を謳ったもの」[清 宮

1979

:

261]であり,租税法律主義とは,「租 税は国民に対して,直接負担を求めるものであ るから,必ず国民の同意を得なければならない という原則である」[芦部

2007

:

344]と定義さ れている。新旧憲法における租税法律主義の条 文の文言そのものが大きく変わっていないこと に影響を受けているのか,新旧憲法における租 税法律主義の定義も大きく変わっていないよう に思える。したがって,新旧憲法を支える基本 原理の差異が租税法律主義に何らかの影響を与 えているという一面は,租税法律主義の定義か ら読み取れない。

(4)

 つぎに,租税法律主義の条文にとって肝要 である「法律ノ定ムル所」・「法律ヲ以テ之ヲ 定ム」,「法律の定めるところ」・「法律又は法 律の定める条件」について,新旧憲法における 租税法律主義は,具体的に何をどの程度まで法 律で規定しなくてはならないと考えているので あろうか。明治憲法の下において,『憲法』と 題する主要な著作は,「法律ヲ以テ其ノ種類税 率等ヲ定ム」[上杉

1925

:

287],「總テ租税ノ種 類及税率ハ法律ヲ以テ定ムルヲ要シ」[美濃部

1932

:

592]という程度の内容に止まり,さらに 詳細な事項については触れていない。他方,日 本国憲法の下において,『憲法』と題する主要 な著作には,租税法律主義の内容は課税要件法 定主義を意味する見解(3)とそれに加えて課税要 件明確主義を意味する見解(4)が示されている。

課税要件法定主義とは,「租税の種類や課税の 根拠のような基本的事項のみでなく,納税義務 者,課税物件,課税標準,税率などの課税の実 体的要件はもとより,賦課,納付,徴税の手続 もまた,国会の制定する法律によって定められ ること」[伊藤

1995

:

476]を意味する。そして,

課税要件明確主義とは,「課税要件および賦課・

徴収を定める手続は,だれでもその内容を理解 できるように,明確に定められなければならな い」[野中ほか

2006

:

324]ことを意味する。明 治憲法の下に比べて日本国憲法の下の方が租税 に関する具体的な事項を明確に法律で定めるこ とを要求していることから,新旧憲法を支える 基本原理の差異が租税法律主義の内容の差異に 現れていると見えるであろう。しかし重要なこ とは,憲法は租税について法律で定める範囲を 明記しておらず,その趣旨からみて,憲法学者 が租税法律主義の内容を解釈しているという

点である[大石

2009

:

261]。さらに重要なこと は,国法秩序から見れば,憲法が租税について 法律で定める範囲を下位の法令に授権している という点である。これらの点を踏まえて,明治 憲法の下における租税法律主義の内容を検討す れば,『行政法』と題する主要な著作のなかで,

上杉愼吉は「租税ノ物體即ハチ納税義務ノ目的 物,納税義務者,納税ノ範圍,徴収ノ方法等ハ 法律ヲ以テ規定セラルヘシ」[上杉

1904

:

598]

と述べ,そして,美濃部達吉は「租税の定めが 法律に依ることを要することの原則は,課税物 件・課税標準・税率・納税義務者・徴収方法に 關する定めが,何れも法律に依らねばならぬこ とを意味する」[美濃部

1940

:

1124]と述べて いる。これらの記述は,課税要件法定主義とい う用語を用いていないが,日本国憲法下の憲法 学における課税要件法定主義の記述と比べて何 ら遜色がないことに気付くであろう。したがっ て,新旧憲法における基本原理の差異が租税法 律主義に何らかの影響を与えているという一面 は,租税法律主義の内容からも読み取れない。

さらに,明治憲法の解釈方法を巡る対立という 観点に立てば,「建國ノ體」を重視し,「君権」

に力点を置いて憲法学説を構成した神権学派の 上杉愼吉と議会制を中心に「海外各國ノ成法」

である「立憲主義」に力点を置いて憲法学説を 構成した立憲学派の美濃部達吉は,両者の求め る租税法律主義の内容として法律で定めるべき 要点が不思議と一致している。これは,大変興 味深いことであり,租税法律主義が憲法解釈の 手法に左右されない一面を有しているとも言え るであろう。

(5)

(2)租税法学における租税法律主義

 租税を研究対象とする租税法学は,租税法の 基本原則として租税法律主義を説明する。そこ で,まず,租税法律主義の定義を確認する。租 税法学において,租税法律主義とは,「法律の 根拠に基づくことなしには,国家は租税を賦 課・徴収することはできず,国民は租税の納付 を要求されることはない」[金子

2010

:

68]と する原則である,と定義されている。租税法の 基本原則である租税法律主義は,その法的根拠 を憲法30条及び84条に求める以上,租税法学の 定義は憲法学のそれと変わりない。

 つぎに,租税法学における租税法律主義は,

具体的に何をどの程度まで法律で規定しなくて はならないと考えているのであろうか。租税法 学界を見渡したとき,租税法律主義の内容とし て,課税要件法定主義・課税要件明確主義・合 法性原則・手続的保障原則・遡及立法の禁止・

納税者の権利保護の6点が挙げられている。た しかに,憲法学が租税法律主義の内容として課 税要件法定主義と課税要件明確主義の2点のみ を挙げているのに比べて,租税法学の方が多種 の内容を挙げているということは,国民の権利 保障にとってみれば充実しているように見え る。しかし,「租税法律主義の内容として何を 盛り込むかという点については必ずしも一様の 答えがあるわけではない」[佐藤

2007

:

55

-

56]。

つまり,憲法は租税について法律で定める範囲 を明記しておらず,国法秩序の観点から法律で 定める範囲を下位の租税法に授権している趣旨 を踏まえて,租税法学者が租税法律主義の内容 を解釈し,上記の6点を取捨選択していると言 えよう。重要なことは,その取捨選択する際 に,租税法学が「租税法律主義の内容は,課税

要件法定主義と課税要件明確主義の2つが大 きな柱」[水野忠恒

2009

:

8]であると考えてお り,それらの「沿革を見た場合,その中心が課 税要件法定主義にあることは,明らかである」

[佐藤

2007

:

64]という点である。この点につ いて付言すれば,課税要件明確主義の論拠であ る法的安定性と予測可能性は,法律の機能とし ての一般的な法論理であり,租税法のみに向 けられた特有な法論理ではないため[忠

1979

:

50

-

51],たとえ租税法律主義の内容として課税 要件明確主義を挙げていなくても租税法律主義 の根幹を揺るがすほどの重要性はないであろ う(5)。しかも,租税法は,かつて,行政法の一 部を構成するものと考えられてきた学問上の沿 革をたどれば[中川

1977

:

9

;

田中

1990

:

56

;

2007

:

12

-

13],租税法学は,前述した明治憲 法の下における『行政法』と題する著作のなか で上杉や美濃部が述べている租税法律主義の内 容を踏襲しているにすぎないと考える。

 こうして見ると,租税法律主義の内容は柔軟 性に富んでいるように見えながら,実は,新旧 憲法が明記する租税法律主義の条文に羈束され た柔軟性のないものである。租税法律主義は,

その法的根拠を憲法の条文4 4という形式4 4に求め,

さらにその内容を課税要件の法定4 4という形式4 4に 求める限り,租税に関する重要な事項を形式的4 4 4 な意味の法律4 4 4 4 4 4で定めることのみを求める「形式 面での原則」であると言えよう。このような認 識が憲法学と租税法学の共通項である。した がって,憲法学も租税法学も国民の自由権的財 産権を保障するために憲法30条及び84条を法的 根拠とする租税法律主義に頼るのみでは不十分 であると考える。しかし,憲法学は,その主要 なテキストの「財政」の章を読む限り,税の負

(6)

担から国民の自由権的財産権を保障する次の理 論的手立てを用意していないように思える。

4.租税公平主義

 租税法学は,租税法の全体を支配するもう 一つの基本原則に租税公平主義を用意してい る(6)

 租税公平主義とは,「税負担は国民の間に担 税力に即して公平に配分されなければならず,

各種の租税法律関係において国民は平等に取 り扱われなければならないという原則」[金子

2010

:

77]をいう。租税法律主義が課税要件及 び賦課・徴収について法律の根拠を求める「租 税の形式面での原則」であるのに対し,租税公 平主義は租税法の内容についての指針を与え る「実質面での原則」であると説明する[水野 勝

1993

:

92

-

93]。ここで問題となるのは,憲法 は,租税法律主義を宣明する条文を置いている のに対し,租税公平主義を宣明する条文を置い ていないという点である。そのため,租税法学 は,租税公平主義の法的根拠を求めて憲法14条 1項の「法の下の平等」に着目している。「法 の下の平等とは,法を不平等に適用することを 禁止するだけではなく,さらに,不平等な取扱 いを内容とする法の定立を禁ずる趣旨」[宮沢

1974

:

269]である。また,憲法14条1項の「経 済的……関係において,差別されない」とは,

国民の経済生活における差別であり,納税の義 務の差別がこれに含まれると解し[伊藤

1995

:

246],「法の下の平等」を根拠に租税公平主義 が租税法の内容に適用される。租税公平主義に は,租税の負担が「担税力」(経済的負担能力)

に即して配分されなければならないという要請 と,課税に当たり,同様の状況にあるものは同

様に,異なる状況にあるものは状況に応じて異 なって取り扱われるべきであるという要請が 求められている[水野勝

1993

:

93

;

金子

2010

:

77

-

78]。

(1)憲法学と租税の平等

 ここで疑問が湧くであろう。第一の疑問は,

租税公平主義の法的根拠は憲法14条1項の「法 の下の平等」であると解すれば,なぜ憲法学は 税の負担から国民の自由権的財産権を保障する 次の理論的手立てを「法の下の平等」に求めよ うとしないのであろうか。そこで,この疑問に 対する憲法学からの答えを探ってみる。

 まず,憲法14条1項は「すべての差別を禁止 する趣旨ではなく,不合理な差別を禁止する趣 旨であると解されているが,租税立法も不合 理な差別を構成する場合に,この規定に違反 して無効となることは,いうまでもない」[金 子

2010

:

79]という租税法学の見解は確かにそ の通りであろう。しかし,憲法学からすれば,

「法の下の平等の原則が禁じようとしている差 別待遇ないし差別的取扱いとは,どんなもので あるか。これが平等の問題の核心である。この 問いに一義的に答えることは,非常にむずかし い」[宮沢

1974

:

269]というのが率直な意見で あろう。この意見に対して,「一般的には『等 しい者を等しく,等しくない者を等しくなく扱 うべし』という法諺が,この問題を解決する指 針となる」[長谷部

2008

:

171]と考えられてお り,この法諺をより所として,租税法学は「課 税のうえで,同様の状況にあるものは同様に,

異なる状況にあるものは状況に応じて異なって 取り扱われるべき」[金子

2010

:

78]であると いう要請を逸脱すれば,法の下の平等原則に抵

(7)

触すると説明する。しかし,「あらゆる人はな んらかの点では等しく,なんらかの点では異 なっているものであるから,いかなる点に着目 して等しい者と等しくない者とを区別すべきか がわからない限り,やはり問題は解決しない」

[長谷部

2008

:

171

-

172]であろう。租税法学が この問題を解決するために着目する判断の標識 は「担税力」である。しかし,「担税力」とい う概念は,倫理的色彩や政治的意味合いが非常

に強く[

Simons

1938

:

50],すべての人が納得

のいくような判断の標識とはなり得ないであろ う。つまり,「担税力」という概念は,おのず と客観的に定まらず,政策によって定められて いるにすぎないという疑問を抱かれた場合,平 等と不平等との境界を巡る問題の解決にとって 全く役に立たない。仮に「担税力」が平等と不 平等とを分ける標識であるとしても,憲法14条 1項の不合理な差別と考えられるものは,「人 間性」を尊重するという個人主義の原理に照ら し,何よりもまず,先天的に決まっている条件 を理由とする差別があげられるとする見解[宮 沢

1974

:

269

-

270

;

1978

:

206]に従えば,果たし て「担税力」が先天的に決まっている条件にな り得るのであろうか。

 したがって,憲法学は,平等の概念がもつ多 義性,平等と不平等との境界設定の難解さ,税 と不合理な差別との相性の悪さを知っているか らこそ,憲法上の法的根拠が明確な租税法律主 義を重視するのであろう。

(2)租税法学と租税の平等

 第二の疑問は,憲法学が租税と「法の下の平 等」との関係を律する理論を深めようとしない のに,なぜ租税法学は租税公平主義を持ちだす

のであろうか。たしかに,憲法学が租税の分野 に熱心でないからという理由も挙げられるであ ろう。しかし,もっと掘り下げた理由を探る必 要がある。そこで,この疑問に対する租税法学 からの答えを探ってみる。

 この疑問に対して,租税法学は「租税正義」

の実現であると答える。率直に言えば,「正義」

とは,なんと深遠な倫理的命題に着目したので あろうという思いである。ただし,本節は「正 義」の一義的な概念を示すことが本題ではな く,「正義」をどのように解釈すれば,租税と

「法の下の平等」とを結び付けることができる のかということにある。租税法学において「租 税正義」とは,公平あるいは公平な負担を租税 法によって実現させることであると定義する

[田中

1990

:

82

,

88

-

90

,

125

;

増田

2009

:

1

,

3

,

9]。

そして,租税法学の目的は「租税正義」を実質 的に担保する理論を提供することにあるため,

租税法の基本原則として租税公平主義が用意さ れていると説いている。そのなかで,租税公平 主義は,歴史上絶え間なく論じられてきた正義 論のなかで「公平とは正義の顕現であって,法 は正義の実現を目的としている」[松沢

1983

:

60]ことを前提とし,その前提に立った上で,

憲法14条1項の「法の下の平等」を法的根拠と して,公平な租税負担を国民の「担税力」に求 める租税公平主義を唱導し,租税法の立法目的 である「担税力に応じた公平な課税を実現する こと」[増田

2009

:

23]が「租税正義」である という見解がある[増田

2009

:

17

,

19

-

20

,

23]。

この見解は,「租税正義」の実現が日本国憲法 と明治憲法との明確な相違であるという指摘で あろう。たしかに,明治憲法は「法の下の平等」

を明言していない。しかし,上杉愼吉は「立憲

(8)

政治の下に於て,人は自由なると共に,平等で なければならぬとせられた。佛蘭西人權宣言以 來諸國憲法は,人は法律の前に平等なりと云 ひ,妄りに門閥階級に依りて,人の權利に差等 を設くべからざることを定めて居る。我が憲法 はこの原則を特に文武官に任じ,其の他の公務 に就くことに付て明かにした」[上杉

1928

:

68]

と述べている。この上杉の言及によれば,明治 憲法が「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格 ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ 就クコトヲ得」(19条)と定めていることは,

もとより近代憲法に不可欠な「法の前の平等を 否認しようとするもの」[伊藤

1964

:

165]では なく,「その平等の保障は不徹底であった」[伊 藤

1995

:

239]と言う方が適切であろう。「法の 下の平等」と「納税に関する規定」の関係につ いて,上杉は,続けて「兵役納税に關する規定 もまた一面平等の主義を示して居るものであ る」[上杉

1928

:

68],つまり,納税を課す法律 は人による「差別ヲ設ケラルルコトナシ」に

「國民一般平等ヲ原則トスルコトヲ定ム」[上杉

1925

:

287]と述べている。国民の公平な租税負 担の実現が租税公平主義であると解すれば,立 憲学派の対極に位置する神権学派の上杉も,明 治憲法に明確な根拠条文は存在しないが,立憲 政治の目的は自由と平等の保障にあり,公平な 租税負担の実現を「一率平等に,國民皆その 資力に應じてこれを負擔する」[上杉1928

:

56]

ことに求めている(7)。このように見れば,上杉 も租税法の基本原則である「租税公平主義」を 唱導していたと言えるであろう。

 租税公平主義の具現を目指す「担税力に応じ た公平な課税」の基本的な考え方は,「等しい 担税力を持つ人々は等しく租税を負担し,異

なる担税力を持つ人々は異なる租税負担を負 うことを求めるというもの」[増田

2009

:

20

-

21]である。この考え方には,累進税率構造が 有益であると説く。この点について,上杉は

「財産収益ノ多寡ニ依リテ税額ヲ異ニシ,又ハ 之ヲ累進增加スルハ,人ニ依リテ差等ヲ設クルモノ ニ非ス,即チ平等ノ原則ニ從フ所以ナリ」[上杉

1925

:

287]と述べ,累進税率構造を容認してい る。また,この点について,より詳細な島津嘉 孝の「納税が平等であると云ふのは,……如何 なる人も,同一程度同一種類の義務を負はせら るると云ふのではない。その人の能力に應じ,

……納税ならば財産の多寡とか云ふが如きこと に應じて,相當の義務を課せらるるを以て平等 としなければならぬ。例へば租税負擔の力に應 じ,税率を異にし,これを累進するが如きは平 等を害するものではない」[島津

1935

:

473]と いう見解は,現下の租税法学でも十分通用す る。

 さらに,「担税力に応じた公平な課税」の基 本的な考え方には,「担税力」がありさえすれ ばそこに課税することではなく,課税すべき

「担税力」の限度を設定すべきであるという要 請が働く。つまり,これは,憲法25条1項の

「生存権」を法的根拠として,「健康で文化的な 最低限度の生活を営む権利」を保障するために 租税法に課税最低限を設定し,それを超える

「担税力」を有する国民のみに課税するという 日本国憲法下における新たな要請であると言え よう[新井

1997

:

77

-

82

;

2008

:

176

;

北野

2007

:

156

-

162]。この考え方には,最低生活費を非課 税とする計算基準・構造が特に有益であると 説く[北野

2007

:

159

;

新井

2008

:

176

-

178]。こ の点について,1887(明治20)年の所得税法は

(9)

「凡ソ人民ノ資産又ハ營業其他ヨリ生スル所得 金高一箇年三百圓以上アル者ハ此税法ニ依テ所 得税ヲ納ムヘシ」(1条)と規定し,課税要件 として課税最低限を明言している。その趣旨 は,「其生計ノ供給ニ餘裕ナキ小額ノ所得者迄 ニ課税スヘカラサルハ至當ノ理」[鍋島

1887

:

10]であると説いている。たしかに,明治憲法 は「生存権」を明言していない。しかし,「國 利とともに民福を所期し……國民の幸福といふ ことを國家の隆昌とともに考へ」て起草された

[田畑

1951

:

63]明治憲法の上諭に照らせば,

臣民の「康福ヲ增進シ其ノ懿德良能ヲ發達セシ メム」最低限度の生活を保障するために所得税 法に課税要件として課税最低限を設定し,それ を超える「担税力」を有する臣民のみに課税す ることが憲法上の要請であると言えよう。この 考え方には,最低生活費を非課税とする計算基 準・構造が特に有益であるという説明がつくの である。

 このように見れば,「租税正義」の実現は,

明治憲法においても可能であり,日本国憲法の みが租税法に求める新たな要請ではないと指摘 できるであろう。

 ここまで明治憲法と日本国憲法における租税 法律主義論の同異を考察してきたが,租税法律 主義は憲法を支える基本原理に左右されない堅 固に確立された原則であるという理解を揺るが すほどの糸口を見出し得ていない。

5.揺るがぬ租税法律主義の原則  憲法を支える基本原理に左右されない堅固に 確立された租税法律主義とは一体何であろう か。

 新旧憲法を通して租税法律主義が生き延びて きた根拠は,近代立憲主義の端緒である「承諾 なければ課税なし」,「代表なければ課税なし」

にある。この点について,美濃部達吉は,明治 憲法において「租税の賦課が……議會の協賛を 要することは,一般の法治主義の原則から生ず る當然の事理で,敢て本條〔引用者注:第62條 第1項〕の規定を待たない……。唯西洋諸國に 於ける議會制度の發逹に於いて,議會の任務 は,初には一般の立法に與るよりも寧ろ租税に 承諾を與ふることを主眼としたもので,國民自 身の同意を得た租税でなければ,之を國民に要 求することが出來ぬとすることが,議會制度の 起つた主たる原因であり,近代に於いても,租 税の賦課に對する同意は他の何者にも超えて議 會の最も重要なる任務とせられて居るのである から,憲法に特に此の事を明言して居るものが 多く,而してわが憲法も亦之に倣つて居るもの に外ならぬ。卽ち本條の規定は,……殊に財産 的負擔を課するには,法律を以てするを要する ことの原則を定めて居る」[美濃部

1927

:

622]

と述べている。そして,伊藤正己は,日本国憲 法において「国民の権利義務にかかわることを 定めるには,国会の制定する法律を要するので あり,租税が国民から強制的に財産権を奪うも のであって,国の唯一の立法機関である国会

(41条)の承認を得なければならないことは当 然のことである。その意味では,租税法律主義 は法治国の当然の事理であって,あらためて憲 法の明文を要することではない」[伊藤

1995

:

475]が,日本国憲法が30条及び84条において 租税が法律で定められるべきことを示している ことは,「『代表なくして課税なし』という近代 憲法の基礎となった租税民主制の原則が現代国

(10)

家においてもなお重要なものであることを明ら かにする」[伊藤

1995

:

475]と述べている。

 両者のロジックは似通っていることから,租 税法律主義は「国の課税権を国民代表議会の同 意にかからしめ,民主的統制を及ぼすことを目 的としたものである。……この原則は,近代的 な租税制度にとって自明の原則である」[樋口 ほか

1988

:

1311]とまとめることができるであ ろう。つまり,「租税は法律で定める」(8)[宮沢

1978

:

715]という「形式面」が,新旧憲法に通 有する租税法律主義のエッセンスであり,租税 法の立法原理であると考える。

6.財産搾取の法制化

 租税法の立法原理を形式的な意味の法律4 4 4 4 4 4 4 4 4で定 める「形式面での原則」である租税法律主義に 求めることを良しとせず,仮に「租税正義」を 実現するために公平な租税負担を国民の「担税 力」に求める「実質面での原則」である租税公 平主義が租税法の立法原理に相応しいと認める として,率直にそれを許容できるのであろう か。

 この点について,「わが国では,所得を担税 力とする所得税,法人税を中心として,資産に 担税力を求める相続税,消費には消費税が制度 化されている。補足できなかった所得に対し て,その所得を消費すれば消費税が課される し,消費しないで最後まで手元に蓄財し,財産 を形成しても人生の終局時点で相続税として課 税される。したがって,これらの租税をバラン スよく組み合わせることにより,課税漏れを防 ぐことができ,担税力に応じた課税が実現され る。所得税法や法人税法などの各個別租税法 は,担税力を適正に測定するための法体系とし

て構築されており,その立法原理はまさに租税 公平主義に求められる」[増田

2009

:

23]とい う見解がある。しかし見方を変えれば,租税法 の立法目的は,「租税正義」の実現ではなく,

国民に課税の法的根拠を示すことにより――

法的安定性・予測可能性に乗じて――,国民の 私有財産を搾取することにあると言えよう。国 民の生涯にわたり,租税公平主義という名目の もとに潜在的な「担税力」を探り当ててはそこ に課税する「財産搾取の法制度」を構築する手 立てを提示しているにすぎないように思えてな らない。「補足できなかった所得に対して,そ の所得を消費すれば消費税が課されるし,消費 しないで最後まで手元に蓄財し,財産を形成し ても人生の終局時点で相続税として課税」さ れてしまう[増田

2009

:

23]。それでも「正義」

にかなっていると断言できるのであろうか。人 生の終局時点の蓄財は,国民が享有する財産を 使用・収益・処分する権利を自由に選択,行使 しながら,自らの命を繋ぎ,次代の命に継承さ せようとしてきた勤勉と節約の成果物であると 考えれば,「担税力の捕捉」と「課税漏れの防 止」を理由に,その蓄財にまで課税を認めるこ とは,まさしく国民の生命・自由・財産への権 利侵害であろう。

 したがって,租税法の立法原理を租税公平主 義に求めることは,国家及び国民にとって課税 は不可避であることを前提に,課税を巡る国家 と国民,あるいは国民と国民の間に生ずる衝突 や不和を和らげる緩衝材として「公平」・「平 等」と,これらの用語が発するイメージを上手 く利用しているように見えてならない。何らか の不平等を捉えて,それを租税法で是正しよう とすれば,当然,ある者を利し,ある者を害す

(11)

ることになり,さらなる不平等を招くという

「不平等の悪循環」あるいは「不平等の重層化」

に陥るだけであろう。

7.租税国家の欺瞞

 歳入と歳出が断絶されたわが国の予算制度を 考えた場合,租税国家における憲法典は,租税 の取り方と使い方とに関する規範原則を規定し た法典であるという見解[北野

2007

:

76

;

2008

:

47]は,日本国憲法の下での租税のあり方に何 らかの影響を及ぼすのであろうか。

 国家は,国民の生命・自由・財産を保障する ために存在していると考える。しかし,それら を保障するとしても,国家は自らが財産を持た ない無産国家である。したがって,国家は,自 らの活動を維持するために必要な資金調達を国 民からの租税に求める租税国家への道を歩みは じめる。しかし問題なのは,国家は,無産を口 実にして,表面は法制・税制・財政政策などの あらゆる手段を巧妙に利用し,内面は徴収権力 を独占している余裕を持ちつつ,いざという時 のためにその権力を行使できる高圧的な態度を ちらつかせながら,国民から活動費を徴収しは じめる。租税国家においては,国家を操る政府 は租税を徴収し,国民は租税を負担するという 基本的な構図が必然的に出来上がり,その構図 は租税制度のみならず一般的な国民意識のなか においても支配的に存在し続けている。さらに 問題なのは,租税国家が必ずしも理想とされる 立憲民主制国家への道を歩みはじめるとは限ら ないことである。わが国は,明治憲法の下でも 日本国憲法の下でも租税国家である。国家を形 作る憲法の基本理念が変遷しても「わが国は租 税国家である」ことに変わりはない。新旧憲法

の共通項は租税国家であると解すれば,「租税 国家では憲法政治の中身は,所詮,どのような 租税を人々から徴収し,徴収した租税をどのよ うに使用するか,ということに帰(する)」[北 野

2008

:

47]という点に要略される。「民」と

「税」を集約させて近代国家が成立した以上,

その存続を維持する財源を確保するために国民 に対して私有財産の一部を収奪するには,もは や憲法の基本理念という大義名分には拘らない という租税国家の欺瞞が見透かされるであろ う。

 したがって,租税のあり方を説くために「わ が国は租税国家である」と強調しすぎること は,国民自らが租税のあり方を硬直させてしま うことになりかねないのである。

8.国民主権強調の危うさ

 日本国憲法は国民主権を謳っている以上,君 主を含めた支配者の視点からではなく,国民あ るいは市民の視点から租税を捉え直すという趣 旨の見解[松沢

1983

:

14

,

44

;

北野

2007

:

77

-

78

,

83

-

84

,

91]は,日本国憲法の下での国民と租税 との関係にどのような影響を及ぼすのであろう か。その見解の趣旨に沿って考えた場合,君主 主権の下で生み出される租税は,国民の同意を 無視した君主の一方的・強制的な性質を強く帯 びているから不当であると主張するであろう。

そして,国民が不当を理由に租税を排撃しやす いのは君主主権である。他方,国民主権の下で 生み出される租税は,国民の同意を軽視あるい は無視した国家の一方的・強制的な性質を帯び ているから,不当であると主張することができ るであろう。しかし反面,国民が不当を理由に 租税を排撃しにくいのは国民主権であると考

(12)

える。国民と租税の関係を説明するために国民 主権を強調しすぎることは,かえって民主主義 的手続を標榜する者に,選挙による「全国民の 代表」選出手続から立法手続まで憲法に基づく 適正な手続が幾重にも履まれていることによっ て,立法機関である立法府が生み出す租税法に

「全国民の同意」が幾重にも担保されていると みなされうるという論拠を与えるであろう。た とえ,ある租税法が「租税正義」に反するとし ても,最高法規である憲法に基づく適正な手続 を履みさえすれば,国民を法的に拘束しうる。

そして,その「租税正義」に反する租税法の定 めるところにより,しかもその法が改廃される まで,国民は納税の義務を自ら背負い込むので ある。たとえば,国民は,国家の財政赤字の累 積額が甚だしく,しかも一会計年度を賄える税 収確保も困難な状況を判りながら,政党あるい は立候補者が財源の当てもなく椀飯振る舞いす る政策を高らかに掲げて選挙戦を繰り広げた結 果,投票という国民の最終審判を経て当選を果 たせば,自らの政策を実現するために自由に税 制改正を行い,それに伴って現行の租税法の改 廃や新たな租税法の立法を断行しても良いこと まで認めたとみなし得るのであろうか。そこま で認めることは,現在及び将来の国民の財産を 弄ぶに等しいと言わざるをえないという反論も できるであろう。しかし,日本国憲法が公知さ れ,憲法41条で国民の権利を制限し義務を課す 立法に関する権限は国会に属するということを 判りながら,国民は国会を構成する代表者を立 候補者のなかから選挙により選んだ以上,その 結果責任を負うべきなのであろう。それが,国 民主権というものである。そして,国民主権の 原理に基づいて,「国民が,国の一切の政治に

関与する権利をもっているからには,その権利 の反面として,国のすべての政治を行うために 必要な経費を負担する義務をもっていることも 当然であるというべきである。国民主権といっ ても,権利だけあって,義務がないということ ではない。権利の反面に義務のともなうこと は,権利の本質であり,同時に義務の反面に権 利のともなうことは,義務の本質である」[安 澤

1974

:

258]。このような論理により国民は,

政治に関与する権利の反面に政治に関する必要 経費を負担する義務を負うことを認識し,国家 に財産を提供することを承諾した証を租税法 に認したためたのである[安澤

1974

:

258]。

 これらの論拠の集約として,最高裁判所は,

租税の根拠として「民主政治の下では国民は国 会におけるその代表者を通して,自ら国費を負 担するのが根本原則であつて,国民はその総意 を反映する租税立法に基いて自主的に納税の義 務を負うもの」(最大昭30・3・23民集9・3・

336)である旨を判示している。さらに,憲法 における租税法を創設する根拠規定は憲法84条 にあり,この条文が置かれていることをもっ て,最高裁判所の判例では,国家がどのような 税を国民に課するかは原則的に国会の裁量的 判断を尊重するという現状である(最大昭60・

3・27民集39・2・247)。最高裁判所の判断 は,司法府は立法府の民主主義的手続の正当性 を尊重するという姿勢の現れである。このよう な判例法理では,「租税については立法部の裁 量の余地が広いから,その裁量権を逸脱するも のとして違憲とされることは少ないであろう」

[伊藤

1995

:

576]という指摘のとおり,租税に ついては,「実質面での原則」はあるものの,

実体的要件のレベルではほとんど縛りがないに

(13)

等しい(9)と言わねばならない。

 したがって,国民主権の原理を強調しすぎる ことは,課税による侵害から国民の財産権を保 障することにとって一番厄介な代物なのであ る。つまり,国民自らが課税による権利侵害を 招き入れることを容認することになり得るので ある。

9.租税立法権制約の基本原理

 法の形式的あるいは実質的内容を問わず,所 詮,租税法が制定されてしまえば,すべての国 民は何らかの税を課せられることに変わりはな いというあきらめムードが漂うと同時に,国民 の生命・自由・財産への権利侵害は顕在化しう る。北野弘久は,「税法の不合理性は,まず立 法過程にあらわれ,ついで,行政過程,裁判過 程を通じて拡大……していく……。租税の立法 過程はさまざまな階級・階層の闘争の過程の 反映であって,決してつねに,いわば『法の 正義』というものを実現するとはかぎらない」

[北野

2007

:

111

-

112],立法過程において不合 理な租税法が制定されてしまえば,その後の行 政過程・裁判過程を経てたどり着く結果は国民 の人権保障にとって有害であると指摘する[北 野

2007

:

113]。国民の財産権を保障することが 租税法律主義の機能であると強調したいので あれば,租税法が制定された後にその法を解 釈・適用する過程のなかで租税法律主義の原則 を持ち出したところで,それは遅きに失する観 は否めず,権利侵害をいかにして最小限に押さ え込むのかという受動的・事後的防御にしかな らない。租税法が制定された後の従来の租税法 律主義論は,国民の財産権を保障することに対 して余りにも無力であると考える(10)。権利と

自由を侵害する発端である立法過程において国 民の財産権を保障するために能動的・事前的防 御とならない租税法律主義の原則は無意味であ る。このような認識から,北野弘久が提唱する

「日本国憲法下の租税法律主義については,立 法過程での権力の乱用,つまり議会の課税立法 権を制約する実体的な憲法原理0 0 0 0 0 0 0 0……を含んだも のとして構成されるべきではないか……」[北 野

2007

:

114]という現代的法理を含む租税法 律主義論は,不合理な内容の租税法から国民の 財産権を積極的に擁護することに有用であると 考える[北野2007

:

110

-

115]。この見解を支持 し,財産権を侵害する租税法の濫造を防止する ために,租税立法の原理は,あくまでも国民の 人権――生命・自由・財産―― の保障のみに 限定すべきであると考える。租税立法の原理が 国民の人権を保障するために必要な財源調達手 段を超えて,経済政策や環境政策などへ拡がる ことを安易に容認することになれば,租税法 が憲法の根源的な理念である人権保障という 制約から解放される(11)。これを容認すること は,憲法が租税法に課す制約――憲法が租税法 をつなぎ止めるかすがい――は,国民の同意の みとなり,全国民の代表者が集う立法府から租 税法が生み出される限り,その法を違憲無効と する権限は立法府以外に存在しないということ になる。この論拠も近代立憲主義の端緒である

「承諾なければ課税なし」,「代表なければ課税 なし」に求められるであろう。

 このように考えれば,日本国憲法は,租税が 国民から強制的に財産権を奪うための国会の承 認を謳う41条と財政における国会中心主義を謳 う83条がある以上,30条及び84条が無くても租 税法律主義の原則を導くことは可能である。そ

(14)

れにもかかわらず,日本国憲法が30条及び84条 を置いている理由は,どこにあるのであろう か。憲法の本質は「人間の権利・自由をあらゆ る国家権力から不可侵のものとして保障する」

「自由の基礎法」[芦部

2007

:

12]であると考え れば,国会は国民の人権を保障することに徹す べきである。租税の源泉は,そもそも国民の自 然権としての財産権にあり,租税をコントロー ルする権限の享有者は,あくまで国民である。

国会は,国民の租税コントロール権限を代表 し,人権保障に資するために課税立法権を為政 者に対し効果的に行使することがその役割とし て求められる。しかし,現実に目を転ずれば,

財産権は,自然権でありながら,同源の自由や 生命に比べて侵害されやすい,あるいはその侵 害が容認され易い。そのような財産権を保障す るために,日本国憲法が特に30条及び84条を掲 げていることは,立法府が軽率に立法権を行使 することによって憲法が保障すべき国民の財産 権を侵害する租税法の立法そのものを可能なか4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 ぎり封じ込める4 4 4 4 4 4 4ことにあると言えよう。このよ うな意味を込めて,憲法30条及び84条には「租 税立法権制約の基本原理」が内在していると考 える。まずもって,租税に関する立法過程にお いては,制定される租税法が国民の人権侵害の 元凶にならないように,立法府は立法権を安易 に行使することを厳しく自重し,他方,国民は 立法府が立法権を安易に行使できないように徹 底して監視すべきである。そして,この自重と 監視をクリアした後,立法府が立法権を行使し て租税法を制定する過程に至れば,従来の租税 法律主義論が初めて展開されることになる。こ のような「租税立法権制約の基本原理」から導 かれる租税法律主義論は,立法府の賢慮なり自

制なりに信頼して「立法過程において不合理な 内容の租税法律の制定等の禁止を要請すること によって人々の人権を積極的に擁護しようとい う,いわば積極的権利保障の機能をもつにいた る。……つぎに,行政過程,裁判過程における 権力の乱用をチェックするというかたちで人々 の人権を擁護しようという自由権的権利保障の 機能をもつことになる」[北野

2007

:

114]と期 待できるであろう。

10.おわりに

 近代立憲主義の端緒である「承諾なければ課 税なし」の原則は,1215年のマグナ=カルタに 起源を有して以来,14世紀,すなわち初期のイ ギリスの議会において,すでに確立されてい た。財政・租税問題を契機とする「租税法律主 義または『代表なければ課税なし』の原則の 確立のための闘爭が,近代憲法成立史の主要 なテーマをなした」[法學協會

1954

:

1267]と 言ってよいであろう。わが国でも議会の開設と の関係において行政の専断的な課税から国民の 財産権を保障するために「承諾」・「同意」とい う点が重要視されてきた。そのため,租税法律 主義は,議会=全国民の代表,議会の課税承諾

=全国民の課税同意という擬制の上に成り立つ 民主主義的租税立法手続の原則であると指摘で きるであろう。しかし,元来,国民の同意とい う考え方は,「最初は,個々の納税者の同意を 意味するものであったが,それは,次第に人民 集会の同意ということになり,さらに発展し て,国会の同意,すなわち国会の承諾という ことになってきた」[安澤

1974

:

254]という歴 史的変遷をより重視しなければならない。さ らに,租税に国民が享有する自然権としての

(15)

財産権の一部が充当されるという観点に立て ば,国民の財産権をより堅固に保障するため には,17~18世紀のホッブズ(

Thomas Hobbes,

1588

-

1679),ロック(

John Locke

,1632

-

1704),

ル ソ ー(

Jean-Jacques Rousseau

,1712

-

1778) な どが唱える自然権思想の到来を待たねばならな かったことを忘却してはならない。ロックは,

立法府の立法権と課税承認権とを区別して考え る(12)

Franklin

1986

:

90

; Simmons

1993

:

96]。 財 産の本質は,所有者自身の同意がなければ,そ れを彼の手から奪うことはできないことにある 以上,ロックは,多数の決定=人民の同意によ る課税を承認しているように見えるが,私有財 産に対する干渉を正当化するために個人の同 意を厳格に要求している[川中

1986

:

50

;

森村

1997

:

88

; Franklin

1986

:

90

; Simmons

1993

:

96]。

ロックは,あくまでも,個々人が課税に関する 権限を留保し,政治的共同体による財産あるい は財産権の侵害に対する防波堤としたのであ る。

 次稿では,自然権思想を唱えたロックの理論 から,国民の課税承認権が財産権の侵害に対す る防波堤としての実効性を確保する方途につい て考察を深めることにする。

〔投稿受理日2010. 5. 22/掲載決定日2010. 6. 10〕

⑴ 安澤喜一郎は,「租税法律主義の原則は,日本国 憲法としては,第30条から出てくるものであって,

第84条から出てくるものではないというべきであ る。第84条は,単に,国の租税に対する取扱方を 規定した条文にすぎない。国民の権利とは,直接 には,何の関係もない条文である」と述べている

[安澤 1974: 263]。

⑵ 同じ見解として,田中二郎は,「わが国では,明 治憲法もこの〔引用者注:租税法律主義の〕原則

を採用していたが,日本国憲法ももとより,この 原則を明文をもって示している(憲法30条・84 条)」[田中 1990: 56]と述べている。渋谷秀樹は,

憲法30条は「明治憲法の規定……をそのまま引き 継いだ規定」[渋谷 2007: 26]であり,「憲法84条 は,明治憲法62条1項を基本的に継承した規定で ある」[渋谷 2007: 572]と述べている。

⑶ 課税要件法定主義のみに言及する著作には,[宮 沢 1978: 713; 伊藤 1995: 476; 芦部 2007: 344; 大石 2009: 261]などがある。

⑷ 課税要件明確主義にも言及する著作には,[野中 ほか 2006: 324; 辻村 2008: 492]などがある。

⑸ 北野弘久は,「租税要件等法定主義の原則は理論 上当然に租税要件等明確主義の原則の要請を含む ことになるので,……明確主義の要請をも含む0 0意 味において租税要件等法定主義の概念を用い」て いる[北野 2007: 94-95]。

⑹ 租税法の基本原則として租税法律主義と租税公 平(平等)主義の2つを挙げている著作には,[中 川 1977: 41; 松沢 1983: 74; 金子 2010: 68; 水野忠恒 2009: 6; 増田 2009: 3-5]などがある。

⑺ 神権学派の代表である穂積八束は,「租税ハ一 般平均ニ負擔セシムルヲ主義トスル」[穂積 1898:

213]と述べている。

⑻ 美濃部達吉は,租税法律主義とは「租税ノ定ニ ハ常ニ議會ノ協賛ヲ要スルコト是ナリ」[美濃部 1932: 589],「租税法律主義の原則は納税義務が法 律に依つて成立することを要することを意味する」

[美濃部 1940: 1124]と述べている。

⑼ 藤谷武史は,「租税については,租税公平主義や 課税の一般性という原則はあるものの,とりわけ 日本では,広範な租税立法裁量を認める判例法理 の下,実体的要件のレベルではほとんど縛りがな いに等しい」[藤谷 2010: 31-32]と指摘する。

⑽ 忠佐市は,「納税者の財産権の保障を租税法律主 義の機能として論じられることもあるが,租税法 律主義が立法の前にあるのか,それとも立法の後 にあるのかとしてその理由を考えてみると,立法 の前にあるものとして,その目的としてとらえる ことが組織的な理論づけに適していると考えられ る」[忠 1979: 29]と述べている。

⑾ 中里実は,「租税制度を通じて税収の確保以外の 何らかの政策目的を実現しようとする場合,それ を租税と呼ぶことができるのかという問題が生ず

(16)

る。呼び方の問題だけであればまだいいが,実際 には,租税であれば,厳格な租税法律主義の縛り がかかるが,その他の国家目的の追求のための金 銭負担であれば,必ずしも租税法律主義の縛りに ついて租税に関するほど過度に厳格に考える必要 はない(かもしれない)という差異が生じうる」

[中里 2010: 5-6]と指摘する。

⑿ 歴史的に議会の立法権と課税同意権とは別個の 権能として発展してきたことに[藤井 2009: 307;

法學協會編 1954: 1267, 1275]は触れている。

参考文献

芦部信喜・高橋和之補訂 2007.『憲法(第四版)』,

岩波書店

新井隆一 1997.『第3版・租税法の基礎理論』,日 本評論社

――――――2008.『税法からの問税法からの答』,成文 堂

伊藤正己 1964.『法の支配』,有斐閣

――――――1995.『憲法〔第3版〕』,弘文堂 上杉愼吉 1904.『行政法原論』,有斐閣書房

――――――1925.『新稿憲法述義』,有斐閣

―――――― 1928.『憲法讀本』,日本評論社

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