博士(医学)井上 学位論文題名
Conditioned fear stress にお ける 脳 内モ ノアミン系の 役割に関する 研究
学位論 文内容の要旨
猛
1緒 言
不 安神経症の治療には最近, 従来のbenzodiazepine系抗不 安薬に加え,serotonin(5・ HT)1ーア ゴニ スト ,5‑ HT再取り込み阻害剤などの5・HT系抗不安薬が開発され, 不安の 病態に5・HT系が大きく関与しているとする仮説が注目されてきている。この仮説の主たる根 拠は,5―HT系薬物が臨床的にもまた行動薬理学的にも有効であるという事実であるが,神経 化学的検討はこれまであまりなされていない。
多くの精神症状,精神疾患の動物モデルのうち,心理学的により単純でかつ妥当性のある不安 のモ デルとしては,conditioned fear stress (CFS)がある。CFSにはいくっかの方法がある が,代表的なものでは,電撃ストレス負荷したラットをいったんホ―ムケージにもどし,24時間 後に 電撃をうけた装置に再び置くことによって惹起される。CFSではfreezing behaviorが顕 著に出現し,脱糞,排尿,立毛,血圧上昇などの変化も観察される。そのほか,血漿コルチコス テ 口 ン濃 度の 増加 ,dopamine(DA)代 謝,noradrenaline (NA)代謝の亢進が報告 されて いる。このモデルの利点は,抗不安薬のスクリ―ニングに用いられているコンフリクト試験に比 ベ,水分,食餌摂取の影響を受けないこと,また前処理として電撃を使用するが,CFS自体に は電撃等の身体的侵襲を含まないことである。したがって,情動に関する神経化学的検討が容易 となり,行動薬理学的にも同じモデルで検討することができる。
このようナょ観点から本研究では,モノアミン系の中でも特に5 ‑ HT系に注目して,CFSに おけるラット脳内モノアミン代謝,行動,内分泌に対する影響と,freezingを指標とした各種 抗不安薬の行動薬理学的効果にっいて検討した。
2対 象 と 方 法
8週令のSpragueーDawley系雄性ラットを用いた。2.5mA,30分間のフッ卜・ショックを
l日,5日,10日間負荷し,最終ストレスの24時間後に同じショック箱に再びもどし,電撃を加 え ず に30分 間 置 き ,CFSに よ っ て 惹 起 さ れ るfreezing behaviorの 観 察 を 行 っ た 。 CFSの脳内モノアミン代謝に対 する影響をみた実験では, ラットに電撃ストレスを1ある いは10日間加え,内側前頭前野,側坐核,線条体,室旁核,外側視床下部,扁桃体,海馬の7脳 部 位 にっ いて 検討 した 。 各部 位の3,4―dihy'droxyphenylaceticacid(DOPAC),ho− movani11icacid(HVA),5―hydroxyind01eaceticacid(5亠HIAA)の含 量を電気化学検 出器付高速液体クロマトグラフィーを用いて測定、した。
行動薬理学的実験では,電撃ストレスを5日間加え、最終ストレスの24時間後に薬物を投与し,
20分 後にCFSにより惹起されるfreezin醫behaviorを観察した。用いた薬物は,ipsapirone, IC1169,369,citalopram,diazepam,ketanserin,L―5一hydroxytryptophanくL―5― HTP) ,DL―p―chloro一phenylalanine(PCPA)で あ った 。な お,PCPA はテストの1 5時間前に投与した。
3結 果
1回の電撃ストレ スを加えた後のCFSにより,血漿コルチコステ口ン濃度の上昇,脱糞数の 増加 ,freezing behaviorの 出現 が 認め られ た。CFSによりDAの代謝物で あるDOPAC含量 は内側前頭前野, 室旁核,外側視床下部で,HVA含量は内側前頭前野,扁桃体で,5・HTの 代謝物である5一HIAA含量は内側前頭前野で各々上昇した。
電撃ストレスの反復による効果をCFSで検討したところ,恐怖の増強を反映して,freezing は10目処置群で1日 処置群より有意に増強して出現した。10日間電撃ストレスを負荷後のCFS によ り ,DOPAC含量 は測 定し た7脳部 位す べ てで ,HVA含量は内側前頭前野 ,側坐核,扁 桃体,海馬で有意な上昇がみられた。5・HT代謝は内側前頭前野と室旁核で亢進がみられた。
この よ うに ,1回の 電撃 ス卜 レス 後 のCFSで は,DA系,5−HT系ともに内側 前頭前野での 代謝亢進が顕著であったのに対し,反復電撃ストレス後のCFSでは内側前頭前野のみならず,
他の脳部位でも代謝の亢進がみられた。
ketanserin,tryptophan hydroxylase阻 害 剤 で あ るPCPA (200mg/kg)はfreezingに影 響 を及ぼさなかった。
4考 察
検 討 し た7脳 部 位 の う ち , 内 側 前 頭 前 野 のDAお よ び5・HT代 謝 がCFSに よ り 顕 著 な 亢 進 を 示 し た が , こ の 代 謝 の 亢 進 はDAお よ び5・HT作動 性 神 経 の 活動 亢 進 を 反 映し て い る と 考 えら れ る 。 さ らに ,CFS前の 電 撃 ス ト レス の 回 数を 多くす ること によ り,活 動の亢 進する 部位 がDAと5,HT系 で 拡 大 し て い く こ と か ら , 部 位 の拡 大 は 恐 怖 条件 付 け の 増 強と 関 連 を 有 し てい る と 思 わ れる 。 こ れ ら の 結果 か ら 恐 怖 ,不 安 に お い てDA,5‑ HT系 が 重要 な 役 割 を はた して い る こ と が示 唆 さ れ る か ,特 に5―HT系 は 最近 治療面 からも 不安 との関 連が注 目され てお り興味 深い。 しかし ,こ れらの 変化が 不安の 諸症 状の発 現に関 わって いるの か,あるいは不安に 対する 生体の 適応反 応を あらわ してい るのか は神 経化学 的結果 からは 結論す ることができない。
そ こでさ らに行 動薬理 学的 方法に より,5、HT系の活 動に 影響を 与える 種々の 薬物を 投与 し,
CFSに よ り 惹起 さ れ るfreezingに 対 す る影 響 を 検 討 し た。 代 表 的 なben zodiazepine系 抗不安 薬 で あ るdiazepamがfreezingを 有 意 に 抑 制 し た こ と は ,CFSが 不 安の モ デ ル と して 妥 当 で あ る こ と を 示 し て い る 。Tryptophan hydroxylase阻 害 剤 で あるPCPAは 影 響 し な か った が , 選 択 的 な 5―HT,イ 受 容 体 ア ゴ ニ ス ト で あ るipsapirone,5←HTの 前 駆 物 質 で あ る L―5―HTP, 選 択 的 な5−HTの 再 取 り 込 み 阻 害 剤 で あ るcitalopramな ど ,5亠HT系 の 活 動を 増 強 す る 薬剤 がf reezingを 抑 制 し た こと か ら ,5―HT系 は 不 安の 際の適 応的 な側面 をに なっ て い る 可 能性 が 考 え ら れ る。 こ れ ら の 結果 から ,5・HT系の 活動 を増強 するこ とが不 安に 対 し て 治 療 的 に 働 く こ と が示 唆 さ れ る 。CFSは 薬 物の 抗 不 安 作 用お よ び 不 安 と5・HTの 関連 を検討 する上 で有用 なも のと思 われる 。
学位論文審査の要旨 主 査 教 授 山 下 格 副 査 教 授 斎 藤 秀 哉 副 査 教 授 . 本 間 研 一
不安の治療には最近,セ口トニン(5―HT)1¨アゴニスト,5・HT再取り込み阻害剤などの 5−HT系 抗不安 薬が開発 され,不安の病態における5亠HT系の関与が注目されている。本研 究の目的は不安の動物モデルとしてconditioned fear stress(CFS)を用い,不安におけるモ ノアミンの役割にっいて検討し,治療,病態にっいて考察することである。CFSは以前に電撃 をうけた装置に再び置く操作によって惹起される。CFSによりfreezing behavior,脱糞,排 尿,立毛,血圧上昇などの変化が出現することがこれまでに知られている。本研究では,CFS におけ るラッ ト脳内 ドパミ ン(DA),5,HT代謝,行動,内分泌に対する影響と,freezing を 指 標 と し た 各 種 抗 不 安 薬 の 行 動 薬 理 学 的 効 果 に っ い て 検 討 し た 。 実験には8週齢のSprague,Dawley系雄性ラットを用いた。フット・ショックを負荷し,2 4時間後に同じショック箱に再びもどし,電撃を加えずに30分間置き,CFSにより惹起される freezingの観察を行った。C,FSの脳内モノアミン代謝に対する影響をみた実験では,内側前頭 前野,側坐核,線条体,室旁核,外側視床下部,扁桃体,海馬の7脳部位にっいて検討した。各 部 位 の3,4―dihydroxyphenylacetic acid(DOPAC),homovanillic acid(HVA), 5―hydroxyindoleacetic acid(5―HIAA)の含 量を電気化学検出器付き高速液体クロマト グラフィーを用いて測定した。行動薬理学的実験では,電撃ストレスを5日間加え,最終ストレ スの24時間後に薬物を投与し,freezingに対する影響をみた。
CFSにより血漿コルチコステ口ン濃度の上昇,脱糞数の増加,freezingの出現がみられた。
また,DOPAC含量 は内側 前頭前 野,室旁 核,外 側視床 下部で ,HVA含量 は内側前頭前野,
扁桃体 で,5ーHIAA含量 は内側前頭前野で各々増加した。これらの結果はCFSによって特に
大 し て い くこ と は 恐 怖 条件 付 け の 増 強と 関 連 を 有 して いると 思われ る。特 に5−HT系 は最近 臨 床 的 に も 不安 の 治 療 の 観点 か ら 注 目 され て お り , 本結 果は不 安の5・HT仮 説を 支持す るもの で あ る 。 さ らに 行 動 薬 理 学的 な 検 討 で は,benzodiazepine系 抗 不 安 薬 で あるdiazepamと 選択的 な5−HT,イ ア ゴ ニ ス 卜 で あ るipsapironeが 有 意 にfreezingを 抑 制 し ,5亠HTの前 駆 物 質 , 5 ‑ HT再 取 り 込 み 阻 害 剤 に よ る5,HT系 の 活 動 の 増 強 もfree zingの 減 弱 を も た ら し た 。 5ーHT: ア ン タ ゴ ニ ス 卜 とtryptophan hydroxylase阻 害 剤 はfreezingに 影 響 を 及 ぼ さ な か っ た 。5・HT系 の 活 動 を 増 強 す る 薬 物 がfreezingを 抑 制 す る こ と か ら ,5・HT系 の う ち 特 に 後 シ ナプ ス の5―HT,ー 受 容体 が 不 安 の 際の 適 応 反 応 に 関与 し て い る ことが 考えら れる。
以 上の 発表 に際し 斎藤秀 哉教授 より4点質 問を受 け回 答した 。(1)5−HT代 謝亢進 に対す る薬 物 の 影 響はみ たか。 一検 討して いない 。(2)薬物の 効果は5,HT作動性 神経 の前と 後シナ プスの ど ち ら へ の作 用 が 考 え られ る か 。 一 後シ ナ プ ス が 考え られる 。(3)5―HTよか5―HTヨアゴ ニス ト は 検 討 した か 。 一 検 討し て いな い。(4)5ーHTl^アゴ ニスト はadenylate cyclaseに一般 にど の ように 作用す るか。 ―抑制 性に 作用する。本間研一教授より4点質問を受け回答した。(1)副腎 皮 質ホル モンの 反応は1日 電撃負 荷群と10日負 荷群で 異なる か。−どちらも分泌亢進がおこるが,
両 者を比 べた実 験はし ていな い。(2)電 撃箱に 入れた だけで も血中コルチコステ口ンは上昇するの で は 。 ― 上昇 す る がCFSは さ ら に有 意 に 上 昇 さ せる 。(3) Freezingは 電撃を うけた 箱で 特異的 に 出現す るのか 。一他の研究者によれば特異的であるといわれている。(4)薬物の知覚,運動など に 及ぼす 非特異 的効果 は考慮 しな くてよ いのか 。―本 研究 で検討 した薬 物では 大きな影響を与え な いこと を確認 してい る。
本 研究 は, 現在最 も純粋 な情動 刺激と いえ るconditioned fear stressを用 いて, 不安刺 激に よ るセロ トニン の代謝 の変化 をド パミン と対比 させな がら 脳内各 部位に っいて 検討し,さらに各 種 セ口ト ニン作 用薬物 の行動 薬理 学的な 特性を 調べ, その 結果, 不安に おける 生体の適応反応の ひ とっと して脳 内セロ トニン の代 謝亢進 が生ず る可能 性を 指摘し たもの で,不 安の生理機制の解 明 お よ び 臨 床 的 応 用 に 寄 与 す る と ころ が 大 き く ,博 士 の 学 位 に値 す る も の と判 定 さ れ た 。